今日は墓参。
朝食を済ませてから墓へ。お墓は生駒山系の山裾の
高みにある。自宅からは歩いて10数分と近い。毎月初旬に墓参というのが、長年に亘っての小生の行動パターンになっている。今日もそのパターンに従っての墓参でありました。墓地からは大阪平野が一望。墓参の後は山裾の野道を暫し散策して帰る、というのがいつの頃よりか習わしのようになっているが、本日も同様でありました。
野の道を辿ると、ススキの穂が朝日に輝いて、そよ吹く風にやさしく靡いていました。写真に撮ってみたら、光線の関係か、背景が暗くあった関係か、図らずもススキの穂が(思ったよりも)風情ある感じに写って居りました。
一見、夜の写真のように見えますが、夜の写真ではありません。朝の写真です。カメラが寝惚けていて未だ「夜」と判断したようです。
ススキは「薄」とも「芒」とも書きますが、この写真には「芒」の字が似合いますかな。また、「尾花」とも言いますが、これはその穂に注目してこれを「花」と見ていたからの呼び名でしょうな。一方茎や葉に目を向けての呼び名は「茅・萱・かや」ですが、「み草」などとも呼ばれることも。万葉集には40首以上も詠われていて、萩に次いで秋を代表する植物でありますが、小生は萩よりもススキの方が秋らしい、と思いますので、昨日の日記でも取り上げた、下の万葉歌の作者と意見が合います。
人皆は 萩を秋と云ふ よしわれは 尾花が
末
を 秋とは言はむ
(万葉集巻10-2110)
その他のススキの万葉歌も、何首か掲載して置きましょう。
秋の野の み草刈り葺き 宿れりし 宇治の
京
の
仮廬
し思ほゆ
(額田王 万葉集巻1-7)
<秋の野のススキを刈り取って来て屋根に葺いて泊った、あの宇治の都
での仮のやどりが思われることだ。>
秋づけば 尾花が上に 置く露の
消
ぬべくも
吾
は 思ほゆるかも
(
日置長枝娘子
万葉集巻8-1564)
<秋になると尾花の上に置く露のように、消えてしまいそうにも私には思
われます。>
恋が外に現れることを「色に出る」と言うが、それを「穂に出る」と重ね合わせることによって、ススキは「恋の歌」にも度々登場する役回りとなっています。
さ
男鹿
の
入野
の
薄
初尾花 いつしか妹が 手を
枕
かむ
(万葉集巻10-2277)
<男鹿の踏み分け入る入野のすすき、その初尾花のように、初々しい
あの子の手をいつになったらと枕とするのだろうか。>
婦負
の野の 薄押しなべ 降る雪に 宿借る今日し 悲しく思ほゆ
(高市黒人 万葉集巻17-4016)
<婦負の野のすすきを押し倒し靡かせて降る雪の中で、一夜の宿りをす
る今日こそ、悲しく思われることだ。>
上の黒人の歌の歌碑は富山県呉羽山の峠茶屋の三叉路に建っている。昨年5月の銀輪散歩で歌碑を訪れている。
<参考> 神通川銀輪万葉(その1)
2011.5.25.
さて、ススキにかかずらい過ぎました。話題をムグラに移します。ムグラは「葎」と書きますが、「葎」は、このカナムグラやヤエムグラなどを総称した名のようです。
ヤエムグラは、小生も夙にその名は知って居りましたが、実際の「葎」がどんな植物なのかは何となく曖昧なままで来ました。今回、たまたま、それとは知らず、名前不明で写真を掲載したら、小万知さんから、「カナムグラ」であるとご教示戴き、これを機に、「葎」調べてみて、ヤエムグラ、カナムグラのことなどが、よく分った次第。
カナムグラ(雌花)
<再掲載>
ということで、「葎」に因む万葉歌を掲載することと致します。
いかならむ 時にか妹を
葎生
の きたなき
屋
戸
に 入りいませな
(田村大嬢 万葉集巻4-759)
<いつのことになるのでしょう。、あなたをお迎えして、このむさくるしい
わが家にお入れ申し上げるのは。>
思ふ人 来むと知りせば
八重葎
おほへる庭に 珠敷かましを
(万葉集巻11-2824)
<思う人が来ると知っていましたなら、八重に葎が覆っている庭にも、玉
を敷きましたものを>
玉敷ける 家も何せむ
八重葎
おほへる
小屋
も 妹とし
居
らば
(万葉集巻11-2825)
<玉を敷いた家とて如何ほどのものでもない、八重葎が覆っている小屋
でも、妻と共にいるのなら・・>
葎はふ
賤
しき屋戸も 大君の
坐
さむと知らば 玉敷かましを
(橘諸兄 万葉集巻19-4270)
<葎のはびこる賤しいわが家でも、天皇がおいでになると知っていたな
ら、玉を敷きましたものを。>
梅の花ひとり見つつや 2024.01.13 コメント(6)
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