( 承前 )
おふさ観音から飛鳥川自転車道に戻る。
おっ、梅が満開、と近寄ってみると、どうも梅ではなさそう。木の肌は桜の木のそれ。早咲きの桜の一種なんだろうと思うが、何と言う桜なのかは知るよしもない。
接近して見るとこんな花。
こちらは間違いなく梅。違っていたらまた悩むから近寄らないで置こう。花は遠目がなべてよし。
甘橿丘の近くまでやって来ました。そこに大伴家持殿の歌碑。
わが
屋外
比
へつつ見む
(大伴家持 万葉集巻8-1448)
しかし、まあ、何と空気の読めない家持殿であることか。
梅だの、桜だのと言いつつやって来たヤカモチを「なでしこ」の歌で出迎えるとは。
甘橿丘には蘇我蝦夷・入鹿の屋敷があったとされる。
眼下に天皇のいます板葺宮を見下ろすことになるのであるから、尊大・不敬の謗りは免れない。彼らも亦空気が読めなかったと言うべきか。
甘橿丘には犬養万葉歌碑の第1号歌碑がある。
(犬養万葉歌碑 2009.11.26.の記事
に掲載の写真)
采女の 袖吹き返す 明日香風
都を遠み いたづらに吹く (志貴皇子 巻1-51)
(犬養万葉記念館庭の万葉歌碑 同上の記事
に掲載の写真)
山吹の 立ちよそひたる 山清水 汲みに行かめど 道の知らなく
(高市皇子 万葉集巻2-158)
甘橿丘から水落遺跡を経て飛鳥坐神社の前で暫し休憩。取って返して、飛鳥寺、万葉文化館、板葺宮跡を経由して、「めんどや」で昼食。
昼食後、犬養万葉記念館から石舞台へ。
まあ、昼食の「めんどや」を除き、何れにも立ち寄らずその前を走り抜けただけであります。石舞台で引き返し、飛鳥川沿いの道へ。
橘寺東門への道と交差する手前に飛鳥川の碑と犬養先生揮毫の犬養万葉歌碑がある。
明日香川 瀬瀬の玉藻の うちなびき 心は妹に 寄りにけるかも
(万葉集巻13-3267)
橘寺もパス。いつ出来たのかは知らぬが橘寺の北西に人麻呂の泣血哀慟歌のまだ新しい歌碑。何でこのような場所に泣血哀慟歌の歌碑が、と思ったら、ここからはるか後方に竜王山、三輪山、巻向山が並んで見えるのでありました。
亀石、天武・持統天皇合葬陵などを経て欽明天皇陵へ走り下る。
亀石、天武・持統合葬陵などの写真は以下の記事参照。
2009年11月26日の記事
さ檜の隈 檜の隈川の 瀬を早み 君が手取らば 言寄せむかも
(万葉集巻7-1109)
欽明天皇陵から、岡寺駅前を通り、橿原神宮前駅の東口へ。
駅舎の外壁にも万葉歌のレリーフが。
橿原神宮前駅東口から地下道を潜って駅西口に出る。駅西口から西方向に延びている道が県道133号。これを進み、高取川を渡った処にある公園が益田池の堤跡。
なお、この高取川は上の歌碑「さ檜の隈 檜の隈川・・」の歌に詠われている檜隈川のことである。
どうやら、文字制限数一杯のようなので、以下は説明を端折ることとします。
益田池堤跡から少し西の交差点を左に入ると、継体天皇の息子の宣化天皇の御陵。その奥が垂仁天皇第三皇子の倭彦命の墓。
駅方向に戻り、畝傍山麓の天皇陵を廻る。
畝傍山をぐるり一周したことになる。日も暮れて来たので橿原神宮前駅へ。これにて明日香・橿原銀輪散歩は終了であります。(完)
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