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あぁ、自分は政治の仕組みに疎かったのかしらと思ったのは、内閣改造と自民党役員人事を行うのが8月末だということ。参院選後、とうぜんすぐに行うものだとばかり思っていた。防衛大臣の好人事の延長線で短命なる農水大臣や いのちを救ってやったのに働きが見えない厚労大臣などごっそり入れ替えて「こころだけでなく、からだも改めます」という明確なメッセージをすばやく出すものだとばかり思っていたからね。8月中旬にインド、東南アジアの歴訪を入れてしまっているからとか、新任者の身元調べをじっくりせねばならぬからとか理由解説はいろいろあるけれど“相変わらず”一歩も二歩も遅いスピード感という印象だけが残ってしまう。安倍内閣の仕事をじっくり見ていれば、国民投票法をはじめ長年の懸案を着実に実現したスピードは合格点だし年金問題への対処だって結果としてみれば及第点だと思うのだが、批判側は長年の懸案の矢継ぎばやの解決を「性急」と言い、年金問題への対処は「スピード感が欠如」という。全体としてスピードはあるのにここぞというところで停滞するから、「スピード“感”がない」という印象を与えていないだろうか。スピードはあるがタイミングが悪いと、スピード感がないことになる。参院選大敗の多々の理由のうちあまり語られていないことをいえば、参議院の自民党幹部が、利権政党から理念政党へ変わった自らの姿に気がついていなかったことにあるのではないか。土建への公共投資。なくなったわけではないが右肩下がりになった途端に票田の土建集団が大動員できなくなった。(いっぽう民主党は公務員の労組をおさえた)そのぶん、(前回の小泉劇場のように)イメージ選挙で戦わねばならないのにイメージ選挙で勝てるとは見えない爺さまたちをもってきたところが、四国4県全敗、東京の事実上ただ1人の自民党組織票候補(保坂三蔵さん)の落選などにつながったと思う。長老にさがっていただくのは難しかったのだろうが、その辺の候補者擁立の甘さで4~5名は失っている。私に言わせれば参院選敗北は理念政党型の内閣布陣を強化すべきというメッセージのはずだが、現実には派閥の領袖が寄ってたかってますます小泉政治と逆方向にもっていきそうなのが気になる。
Jul 31, 2007
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鹿賀丈史(かが・たけし)さんは不思議なひとだ。何を演じてもそれが当たり役に思えて、他のひとがそれを演じるのを想像できなくなってしまう。その鹿賀さんがあれほど熱演なさってきた「ジキル&ハイド」から降りると宣言して後の最初の出演作が、ミュージカルではなくストレート・プレイ(話劇)で、演出がジョン・ケアードとなれば、どんな仕上がりなのだろうと好奇心がうずいて仕方がなかった。7月27日に観にいった。おとなの恋心のさまざまなかたちとじっくりと時をともにして、充実した3時間だった。8月初めの大仕事が一段落したら、原作の宮本 輝『錦繍』をぜひ読みたい。一晩で夢中になって読み切りそうな気がする。(宮本さんの小説は、『螢川』を『文藝春秋』誌上で大昔に読んだことがあるだけだ。『泥の河』も識るは名前だけで、読んだことがない。ましてその他の作品も。あぁ、すばらしい宝箱への地図をいただいた!)鹿賀丈史(かが・たけし)さんと余貴美子(よ・きみこ)さんが、かつて夫と妻であった男と女を演じる。それぞれの真摯(しんし)さが切ない。どこか欠けているけれど精一杯生きてきた精一杯生きてきたけどどこか欠けている男と女。離婚の10年後、紅葉もえる錦繍の蔵王で思いがけない再会だ。男は借金取立てをまいて逃げる身の上になっていた。女は障害をもつ8歳の子を連れていた。女が男に1通の手紙を出し、男は10年前のことを返信にしたためはじめる。なまめかしくありながら常に一直線だった由加子のこと。彼女が男の首と胸を刺し、その同じ刃物で命を絶ったときのこと。由加子とのなれそめのこと。(由加子を演じる馬渕英俚可(まぶち・えりか)さんの、そこはかとない魔性がすてきだ)女もまた、離婚してからの身の回りと出会いを綴りはじめる。原作の小説がそういう長文の手紙の往復で成り立っている。手紙の封を切るときのどきどきする気持ちが舞台に再現され、しっとりとした謎解きが進行する。舞台上の役者さんたちは自らの役以外に、手紙の文章を群読(ぐんどく)する存在としてもそこにいて、多人数が支えるこころよい緊張感が満ちている。情感のさんざめきも血の臭いをも一陣の風のように清めつづけ舞台に欠かすことのできない清冽を与えてくれるのが藤原道山(ふじわら・どうざん)さんの尺八の独奏。舞台中央の奥に控えて、みごとな要(かなめ)となってくださった。そして緊張に疲れた瞬間に響くモーツァルトのレクイエム(ぼくも大好きな……)やピアノソナタ。この構成が絶妙だ。ミュージカルでは役者さんがごく当然のこととして1人数役を演じるけれどこの話劇でもまた鹿賀さんと余さん以外の8人の役者さんたちは、それぞれにいくつかの役をこなしていてそれが衣装をほとんど変えることなく気合と口調の飛躍でもって演じ分けられる。役者さん自身がその演じわけの難度に苦しみながら楽しんでおられるようすが、すがすがしい。10名の役者さんそれぞれの実力を出させ尽くす、ジョン・ケアード氏の演出のちからには脱帽の思いだ。男がいま生をともにするのはどことなく薄倖の女ふうの雰囲気も保ちつつじつはしっかり自分を生きている世話女房の令子だ。痩身の母性。この令子がいることで『錦繍』はにわかにリアリズムを増す。令子がいなければ、『錦繍』は単なる青春文学で終わっていたかもしれない。令子がいることで小説は俄然現実と切り結び古典となった。その役、西牟田恵(にしむた・めぐみ)さんがみごとにこなしてくださった。由加子は存在そのものが演技と言っていいのだが、それと対照的に令子は“演技臭”が限りなくゼロであることでもって初めて令子らしい役なのだ。じつはこういう役がいちばん難しいのかもしれない。パンフレットで西牟田さんがこう語っているのが、響く。≪令子は『錦繍』を読んだ人が皆「好きだ」と言う素敵な役で、プレッシャーを感じています。哀しみや苦悩、人生の負の部分に引きずられないところが、私にも通じるところでしょうか。≫幾多の人が映画化を夢みながら果たせなかった『錦繍』の今回の舞台は完成度が高く、充実感に満たされて劇場をあとにしました。きっと日本の演劇の古典になる。そんな確かな予感に満たされました。
Jul 29, 2007
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今回の参院選は勝負どころが1人区の勝敗ということで、大都市圏はふしぎな無風状態だ。大都市で街頭演説に大人数を集めた「小泉現象」がないからテレビが欲しがる絵が成立しない。政権選択の選挙ではないということもあるが、今回ほどテレビ報道が少ない国政選挙も珍しいのではないだろうか。都大路(みやこおおじ)で政論を戦わせれば寄り合い所帯の民主党は必ず精彩を欠く。それを知って、モグラのように潜行するだけでオモテに姿を現さない小沢一郎氏の術中にはまった気がする。さあ、どこかで「参院選に勝って、衆議院から来る法案を全部否決して国政を大混乱させてやる」と小沢氏に虚しいホンネを言わせて、これをテレビで100回繰り返し放送すれば、選挙戦の風はがらりと変わると思うのだが。「参院選に民主党が大勝したら、国会運営はどうするつもりですか?」という突っ込みを入れ続ければ、ホンネとタテマエが入り混じり、必ず民主党幹部の失言が得られる。その手前で寸止めするマスコミの手加減ぶりが歯がゆい。
Jul 26, 2007
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連合国(「国際連合」のこと)の憲章ではいまだに安保理事会の常任理事国の名として「中華民国」と「ソヴィエト連邦」が使われている。有名な話なのかもしれないが、7月9日付の『自由時報』(台湾)19面のコラムではじめて知った。昭和46年10月26日以降、中国を代表する政府が在北京の中華人民共和国政府に取って代わった後も、そのために連合国(「国際連合」)の憲章が改正されることはなかったのだ。『自由時報』にコラムを書いた傅雲欽(ふ・うんきん)さんは弁護士で、その説明によると≪北京政府は「中華民国」の名義で連合国に加盟したものと認められる。驚いたことに、国号の変更は国格の同一性ないし継続性に影響せず、(安保理常任理事国を定めた)憲章第23条の効力に影響しないのである。≫たしかにビジネスでも、会社の社名が変わったからといって、かつて旧名称で結んでいた契約の名義をいちいち改定したりはしない。それと同じと言われれば納得がいく。英語表記で誤って People's Republic of China の People's が抜けて Republic of China と書かれたときなど北京政府は天地がひっくりかえらんばかりに猛然と抗議するのだが、法的には北京政府は Republic of China の継承者(という解釈)なのだから、あまりいきり立つのも不自然ということになる。さて、そういうわけで連合国における「中華民国」の席には北京政府が座っているから、現在「中華民国」の国号を使用している台湾政府はさる7月19日に「台湾」の名で加盟を求める申請書を潘基文(はん・きぶん)事務総長へ提出した。北京政府とは別の「国格」(アイデンティティ)の「台湾」であることを表明したわけで、あとから考えれば「平成19年7月19日が台湾独立宣言の日だった」ということになるのではないか。新聞ではベタ記事扱いだったけど。
Jul 24, 2007
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今やほとんどのジュース飲料やお茶に保存料を兼ねた添加物として使われているヴィタミンC(アスコルビン酸)。添加物としてのヴィタミンCの8割が中国の工場で生産されていること、ご存知でしたか?わたしは最近アメリカの新聞を読んで初めて知りました。その中国のヴィタミンC工場からの廃液垂れ流しが問題化しているらしいのです。ヴィタミンCたっぷりの健康飲料の生産が、もとをたどれば中国の川や海に廃液を垂れ流すことで成り立っているとも言えるわけで、愕然。中国政府が「環境汚染に対して手をこまねいているわけではないことのPR材料」としてこれら工場に対する取締りを本気でやったため、ヴィタミンC生産工場は「年間に垂れ流してよい廃液の総量規制」をかけられた。それで、廃液垂れ流しが規制総量に達したところでその年度は生産中止、という事態に追い込まれる工場が出てきた。このため生産量が激減し、価格が高騰しているというのですね。『クリスチャン・サイエンス・モニター』紙7月20日号の報道です。http://www.csmonitor.com/2007/0720/p01s01-woap.htmlかつてヴィタミンCの生産は欧米企業6社が生産量の75%を寡占する商品で、カルテルで値段を吊り上げていた。これに対して平成11年に米国法務省が総額15億ドル(=1800億円!)という巨額の罰金を課し、そこへまた中国企業ががぜん安値攻勢をかけてきたため、欧米企業は次々にヴィタミンCの生産から撤退し、今や中国外でヴィタミンCを製造しているのはオランダのDSM社のスコットランドの工場だけだというのです。「食」を中国の安値に頼りすぎることへの反省と、先送りにしてきた環境汚染問題解決のツケの苦さがオーヴァーラップする。今後、経済原理が働くことで健全な常識が取り戻されますように。中国政府が環境規制を強化して公害工場を操業停止に追い込み、ヴィタミンC生産量が減って、これまで不当に安かった価格が正常化することにより廃液垂流し工場の経営者も「排水処理設備に投資して生産を再開しても設備投資を価格に転嫁できるから、環境規制を守ったほうがトクだ」と判断するようなそういう「常識の通じる」世界でありますように。
Jul 22, 2007
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来年までブロードウェイでは予約席すべて売り切れと言われる大人気ミュージカルの全米ツアーチームの来日公演を渋谷の Bunkamura で7月19日にみてきました。(ブロードウェイで公演中の役者さんたちとは別の公演グループ)リラックスしてアメリカのひたすら前向きな楽しさにひたれる作品です。舞台設定は昭和37年のメリーランド州ボルティモア市。popsicle-colored(「アイスキャンディーのカラフルさ」=ニューヨークタイムズの劇評から)がぴったりの、1960年代モードのいいところがてんこ盛りなのですね。日本的にいえば「シャボン玉ホリデー」が視聴者参加のダンス・コンテスト企画をやって、そこに主人公の豆タンクちゃんトレイシーが果敢に挑戦するお話ですね。彼女の心をしっかり支える巨漢の母エドナを、47歳の男優 Jerry O'boyleさんが演じていて、彼(女)の存在感が舞台をぐいぐい引っ張っています。 家にかかってくる電話に「トレイシーにご用? え? わたしは父親じゃありませんわ」とすまして答えて笑いをとったり「子供が間違いをやらかしても仕方ないわ。だいたい、子供って間違いから生れるでしょ」というあたりもいい。蚤の夫婦で、エドナの夫のウィルバーはスリムな躯体の商店経営者ですが、娘がテレビに出たいというのに初め決然と反対する母エドナを脇において、娘の夢をあかるく後押しするのですね。妻エドナを愛し、娘トレイシーをしっかり信頼する、ちょいと細いけど一家のこころの大黒柱になっている。この辺の家族の好感度で、ぼくはもうすっかりリラックスです。昭和37年ころのアメリカの負の部分、そこここに残る人種差別の置き土産を、自然体で乗り越えてゆく青春群像でもあります。そのさわやかさがまた共感を呼ぶのでしょう。最後は舞台の役者さんといっしょに客席みんなが立ち上がって踊って……ということなのですが、まだ公演2日目ですから客席もそこまで乗れなかった。来日してくれた役者さんには申し訳なかったですね。とてもいい公演でしたが。リピーターの皆さん、がんばって盛り上げてください!字幕上で national television を「国営テレビ」と誤訳したのが何度も出てきて、これが目障りでした。「全国放送」「全国ネット」と訳するべきなのですがね。同じく字幕でいえば、「自己チュー」「超メタボ」(デブの意で)あたりの新語を使ったのはよかったと思いました。
Jul 20, 2007
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「エクウス(馬)」は、ぼくにとって伝説のような演劇だった。学生のころから何度か劇評を読んで、鮮烈な情念が渦巻く挑戦的な作品らしいというイメージがふくれあがっていた。観たことがないことにコンプレックスのようなものさえ感じる、そんな作品だった。日本初演は昭和50年(1975年)、いまのパルコ劇場(渋谷)で。ぼくが16歳、高校1年生のころだ。その作品をようやく観ることができた。折々働きにきていた厩舎で、ある夜、6頭の馬の目を錐で突き刺した17歳の青年アラン・ストラングと、心を閉ざすアランの扉を開こうとする精神科医マーティン・ダイサートがことばでまさぐりあい、からみあい、ののしりあう。舞台はその闘いのリングになる。茶色のシャツとズボンにメタリックなかぶりもの。その装束で直立することで、シンプルだが驚くほどリアルに表現される馬たち。青年アランは過去を語り始める。厳格さで世俗心を覆い隠す父親、信心とおもんばかりを押しつけてやまぬ母親。隠微なまさぐりあいへと誘う、ちょっとふてぶてしい厩舎の女……それぞれのシーンが舞台上で簡潔に再現されてゆく。わかりやすい劇だ。劇団四季の宣伝は≪現代社会における問題を浮き彫りにさせるテーマ≫というけれど、そうではなくていつの時代にもある普遍的テーマと思えた。青年アランと、彼を誘惑する女性ジル・メイソンは、納屋で衣服をすべて脱ぎ捨て、薄明るいスポットライトの下に立ち抱擁する。その場面にきて、「あぁ、そういえばこの劇は全裸シーンがあるのだった」と思い出したが、映画「バベル」と同じく「エクウス」の全裸にも必然性があって、無言がテンションを瞬時に無限大まで高める。そのテンションのなかで、ジルを演じる田村 圭さんのまろやかな白い胸が、ほっとするうつくしさだ。青年アランを演じる望月龍平さんが全裸で高く跳びながら6頭の馬の目を突き刺すシーンの緊迫に、ストレート・プレイの醍醐味を感じた。「満たされぬ性」を核にして、さまざまな煩悩が軌道を周回する人間性。精神科医自身もまたその軌道周回者のひとりであることが、この戯曲を近しく感じさせてくれる。ステージの上にも客席が設けられていて、その席を予約できた幸せ者は俳優さんのオーラを身近に浴びることができる。かなうならもう1度観たいと思った。8月4日までの今回の公演は無理だが、再演時にまた観に行こう。
Jul 16, 2007
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「一国二制度」といえば、もっぱら中国の香港政策のキーワードと思っていたが、ネット検索したら民主党が沖縄への優遇制度導入を提唱する際にも「一国二制度」を言っていた。たしかに、中央政府がいったん吸い上げたカネを盛大にばら撒くくらいなら、政策的に所得税軽減等の優遇制度を設けて、民間活力がこれに応じて地域を活性化するのを待ったほうが健全だ。7月13日の『北國新聞』(金沢市)の社説が、沖縄にとどまらぬ「一国二制度」提言について教えてくれた。秋田県知事の提唱である。たしかに今や、沖縄県など元気いっぱいで十分に自活していて、むしろウラブレ度日本一は秋田県あたりかもしれない。冷たい言い方だが、うらぶれたなら先ず「原子力発電所」の誘致を考えてみるものではないか。なぜか秋田県には原発がない。原発計画もない。地質学的に秋田県は原発の適地がないのだろうか。もし適地があるなら、地域優遇政策よりもまず「原発誘致」だろう。社説を引用する:≪◎一国二制度の提案 「軽減課税」の発想と同じだ 全国知事会で秋田県知事が提案した法人税率などの「一国二制度」の導入案は、私たちがこれまで主張してきた過疎地への「軽減課税」の発想とほぼ同じだ。過疎地に都市部と違う制度を適用し、企業立地や投資を活発化させるという発想は理にかなっており、過疎対策の切り札になるだろう。全国知事会は、この提案を真摯(しんし)に受け止め、一致団結して実現を目指してほしい。東京や神奈川など、財政力の強い大都市圏の知事は、地域間の格差是正に一肌脱ぐ度量を示してもらいたい。 秋田県の寺田典城(てらた・すけしろ)知事は、全国知事会に提出した文書で、一国二制度の必要性について、具体的な提言を行った。▽地域の財政力に応じて15%から30%の四段階の法人税を適用する▽所得の低い地域に立地する企業は都会より低い保証料率の適用を認める、などの案が示されている。 金沢経済同友会は今年六月、過疎地での法人税、所得税の軽減課税の導入を提言した。全国一律の税体系の下では、過疎と過密の問題は決して解決しないという現状分析が根底にある。企業活動を行うにも、生活をするにも、条件が同じなら地方より都会の方が便利だと思う人が多いのは、やむを得ぬことだろう。 いかに過疎地が地域振興やまちづくりに努力しようと、過疎地から都会へ向かうヒト・モノ・カネの流れは止めようもない。ならば、発想を転換して税体系をがらりと変えてしまえばどうか。税の安い地域に拠点を移したいと考える企業、所得税の安い地域で働きたい人が必ず出てくるはずだ。経費の安い海外に工場を進出させるように、税の安い地方へ工場や事業所などを移す企業、そこで働きたいと思う人々が増えれば、東京への一極集中に歯止めがかかるのではないか。一国二制度あるいは軽減課税は、企業や国民の目から見て、過疎地を魅力ある場所にする魔法の杖(つえ)になるだろう。 秋田県知事は北海道と東北七県の知事に対して趣旨説明を終え、北海道知事や宮城県知事の賛同を得ているという。この声を地方全体の声にしていきたい。税の仕組みを根本から変えることには大きな抵抗もあろうが、まず全国知事会で論議を深め、地方から出たアイデアを地方の声にしていく努力を求めたい。≫この提案の課題は、優遇されるべき地域とそうでない地域の線引きをどうするかという点だ。たとえば四国4県をとってみても、香川県や愛媛県の北半分、徳島県の東半分は優遇政策の必要がなかろう。優遇政策を設けるとしたら、高知県、徳島県の西半分、愛媛県の南半分だが、そうすると潤うのは高知市、宇和島市、三好(みよし)市(徳島県の旧池田町ほか)で、それ以外の農村、山間部はまったく旧態依然だろう。そして、四国の他の都市は、優遇地区に所在の都市をやっかみ、「逆差別だ」と言い出すだろう。……と、いきなり否定的な論評をしてしまったが、頭の体操のしがいのある提言にはちがいない。
Jul 13, 2007
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台北で若手駐在員から言われた。「泉さんは占いに興味ありませんか。お泊りのホテルの近くに、うちの家内がときどき行く占い師さんがいて、けっこう当たるのです。じつは来年春帰任の話が出ているのですが、それを当てちゃったのですよ。こちらから言ってもないのに」占い師は「予知能力」が売りのひとと「人生相談」派に分かれると思うのだが、そこまで予知能力があるなら株や為替の動向を予知してとっくに大富豪になり、1回数千円の占い業など続けてはいないだろうよ。だから「予知能力」が売りの占い師というのは、論理的にいって存在しえないのじゃないかね。もっとも予知能力を駆使して大富豪になったあとも、純粋な“趣味”で占い師を続けるというパターンはありうるけどね。じつはぼくも何度か路上の占い師さんに手相を見てもらったことがあるのだけど、相当むかし、池袋の路上で恋愛運を占ってもらったら「あなたがもてないのは、あなたに取りついているものがあるからだ。いい神社を知っているから、紹介してあげよう。そこでお祓(はら)いをしてもらいなさい」と言われて、な~んだ、こいつ、その神社と提携して皆に同じこと言ってんだろ、とすっかり白け、千円おいてその場を去った。7~8年前、けっこう仕事に疲れていたとき、これまた北千住の路上の占い師に将来運を占ってもらったら「あら、あなた手のひらの色が悪いわね。仕事がたいへんなのね」おいおい、医者に診てもらってるんじゃないよ、手相でわかることを言えよ……相手はこちらの身の上を根掘り葉掘り聞く。おいおい、手相でわかることを言ってくれればいいんだよ……これまた早々に引き上げた。(いま思えば、この占い師さんは「人生相談」派だったのでしょう。「占い」と思わず、人生相談しちゃえばよかったんですよね。)というわけで、ごく限られた占い師との遭遇が恵まれないものだったことから、占い師さんを見る目がきびしくてすみません。けっこうかってに信を置いているのが、じぶんが眠っているときの夢。たまに正夢(まさゆめ)だったりするし。じつはね、けさがた見ていた夢は、CNNに呼ばれてテレビ座談会に出る夢だったのです。中国について喋るはずだったのに、席についたら「高齢化社会と科学技術」について喋れというから、「人間は働かないとボケる率が増す。老人でも活発に動き回れるよう、モビルスーツ(動作補助機能つきの衣服)がきっと役立つ」というようなことを英語で喋った。あっというまに50分の座談会が終わって帰宅し、「CNNに出ます!!!」とこのブログに一生懸命に書き込んでいるところで目が覚めた。
Jul 11, 2007
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台湾の新聞を読んでいると自分はいま巨大な「村」にいるのだろうかという感覚にとらわれるときがある。昨9日の『自由時報』(民進党寄りの高級紙)の1面記事は≪上半年地震少 大地震前兆?≫という11文字が紙面を横断する大見出し。壁面が外れ室内むき出しの5階建てビルが傾いた写真が17 cm × 17.5 cm の特大サイズで掲載されたが、解説を読むと5年前の3月31日台北大地震の資料写真だ。記事を読むと「今年前半の有感地震は147回で、年平均値の4分の1しかなく、大地震の予兆ではないかと地震学者が警鐘をならしている」というもの。日本なら、高級紙と低級紙を問わず、せいぜい社会面の囲み記事か、科学面の解説コラムにしかならないネタだが。7月6日の『自由時報』の1面トップは、高雄県で野良犬に衝突して死亡した無名のバイク女性の記事だった。これが1面トップとは、なんと“平和”(?)な国だろう。路上の白墨の丸い囲み線のなかに野良犬の死体。地面に白墨で「狗屍」とある。10メートル離れて赤いバイクが横たわる。そんな15.5 cm × 16 cmの写真つき。高級紙の1面ですよ。ご当地ネタではないのだ。台湾南部の高雄県の出来事だから。なくなった女性が衝突したのが「自動車ではなく」野良犬だったため、バイク保険の保険金も下りず、野良犬なので犬の飼い主に賠償を求めることもできず、そこで遺族らは、なんと「国家賠償」を求めている。これが1面記事になった理由。(もっとも、大見出しは「バイク、野良犬に衝突 賠償もとめる相手なし」)村役場が野良犬狩りをやってこなかったから野良犬がはびこり事故が起きたと遺族は主張する。台湾全土の野良犬は推計15万匹だそうで、随分ムリがある。村役場側も「野良犬狩りの要請は受けてこなかった。とつぜん責任を問われても困る」と、まことに当然のコメントをしている。なんで野良犬と衝突した程度で死亡したかというと、バイクを運転していた女性が体重100キロ以上の巨体、しかもスピードを出していて(ブレーキ痕が17メートル)、犬と衝突したあと10メートルも跳ね飛ばされ、地面にぶつかったらヘルメットが割れて頭部右側から流血、意識不明。5人で担ぎ上げ病院へ搬送途上に息絶えた次第。国家賠償の前にヘルメット製造業者を訴えるべきだと思うが、中国製のヘルメットだったのかしらん。
Jul 10, 2007
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昨7日の台北のテレビニュースの社会部ネタは、英米の有名人らが使ってがぜん箔がついた木綿のトートバッグI'm NOT a plastic bagの限定販売に台北、台中、台南の3都市で長蛇の列ができ(ここまではふつう)開店と同時に列が崩れ店頭へ客が殺到して大混乱となった話。絵になるものだから、何度も同じシーンが画面に出る。諸外国の秩序ある待ちっぷり(=こちらもビデオあり)に比べて台湾の混乱ぶりがまことに嘆かわしい、というコメントつきだ。わざわざテレビカメラが待機して撮影していたわけだから、絵になる大混乱はテレビ局側の期待値だったのじゃないかい……。それにしても一見平凡な I'm NOT a plastic bag を世界的ヒット商品に仕立てたアニヤ・ハインドマーチさんの販売戦略はビジネス書が何冊も書けそうなうまさ(=ずるさ)ですね。(↓Anya Hindmarch のサイト。ロンドンの長蛇の列の写真が)http://www.anyahindmarch.com/division/environmental_bags.aspx平凡な代物だからこそ、宣伝に初期投資をしながら商品数は絞り込んで希少価値感を維持する。希少価値感が維持できていれば発売時に長蛇の列ないし大混乱が起き必然的にこれがニュースとなるからカネをかけずにメディアで大宣伝ができる。販売戦略としては、うますぎて悪質なものを感じます。あのバッグの「環境へのやさしさ」は木綿製であることだけ。中国人の低賃金労働で作らせたものを、ジェット燃料を燃やしてヨーロッパまで空輸して、なにが「環境へやさしい」だ!?という案の定(じょう)の批判もあるそうだ(『自由日報』7月8日号の外電要約報道)。日本でも7月14日(土)から銀座、新宿、南青山の3店舗で先ずは“限定発売”だ。そ~ら見ろ。悪質なる販売戦術をまた繰り返しているわけだよ。きっと長蛇の列で、テレビニュースになるよ。ちゃんと参議院選の週末は外したね。7月中旬のネタ切れ週末には格好の話題だよ。(↓ Anya Hindmarch Japan の販売案内サイト)http://www.anya-hindmarch.jp/information/070601.htmlせめて台湾のような大混乱が起きないことを祈ります。それにしても、ほんとに「環境にやさしい」バッグって、何?ぼくの日頃をご紹介すると、スーパーやコンビニのポリ袋を三角に折りたたみポケットにしのばせておき、たとえば帰宅途上にちょっと缶ビールを買いたくなったときなどたちまちレジでポケットのポリ袋を取り出してこれに商品を入れてもらう。環境にやさしい袋って、そういう袋のことだと思うんだな。I'm NOT a plastic bag は、ポケットに入りきらないよ。
Jul 8, 2007
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安倍政権になってから、日本の政治について配信コラムやブログに書くことが極端に少なくなった。なぜだろう。過去の長年の懸案を次々と立法化してゆくスピード感。政権当初に特に海外メディアがはやし立てて書いた“タカ派”的なる印象も払拭されている。そもそも安倍首相は“タカ派”などではないのだからね。小泉純一郎さんと同じく、普通人の感覚に近いひとなのだ。コラム子としては総じて安心できる政権なのである。ただし、安倍内閣の大臣人事は、当初から「とほほ」の印象だった。いわずと知れていた松岡農水相をはじめとして。佐藤栄作さんのように次々とトカゲの尻尾切りをしてゆく厳しさがなぜ安倍首相にはないのだろうと何度も歯がゆい思いをしている。さすがに首相の優しさも度がすぎると思うのだが。これを称して「お坊ちゃん」と批評することで玄人ぶるのは爺さまたちにお任せしよう。いやしくも総選挙と総裁選を勝ち上がった人を「お坊ちゃん」と呼ぶあんたらこそナニサマだ? 久間章生防衛大臣の辞任に「参院選に打撃」と見出しを打った新聞が多かったが、「参院選に浮揚効果」という見出しこそ正だったのじゃないか。1ヶ月前に辞任した大臣のことなど、投票所に行く国民の誰が覚えているだろう。そんなこともわからないのか、日本の新聞の整理部は。なんとも久間防衛相は“とっぽい”ひとだった。辞めてもらって、せいせいしている。そして、後任に小池百合子さんを持ってこれた。安倍首相を天は決して見捨てていない。年金問題だって、「時効を撤廃する」「記録がなくても第三者機関に申し立てることで、もらいっぱぐれを無くする」という最もだいじなポイントを真っ先に打ち出したことがいかに的を射ていたか、時が経てば経つほどはっきり見えてきた。民主党は万年野党よろしく、いちばんだいじな「時効撤廃」にさえ反対票を投じたのだよ。この判断ミスこそ、役員総辞職ものだろう。ちがいますかね。こんどの参院選は民主党を負かして小沢・鳩山・菅という前時代の遺物に前線を去らせ、いまや民主党の主流(のはず)の官僚出身の若手議員がバリバリと政策立案にいそしめる時代をつくるためにある。万一、小沢民主党が勝っても政権交代は起きないし、国政のスピード感が損なわれるだけの話だ。団塊の世代が年金をもらいはじめる前に日本を筋肉質に変えていかねばならない。あそび感覚で小沢民主党を勝たせてみるといった余裕はないのだ。
Jul 5, 2007
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台湾で7月2日に行われた大学センター試験の「数学B」(“数乙”)の選択問題に、古文(=文語文 = 日本人にとっての「漢文」)の読解力がないと解けない問題が出され、奇問だと批判されています。国語科(=中国語科)では、じつに設問の66%、配点の74%が古文の読解に充てられ、あまりに復古調ではないかと、これまた批判の的。7月3日の夜から台北に出張してきています。ホテルの隣のコンビニに残っていた3日の『自由時報』が、試験の古文偏重を1面トップ記事で伝えていました。数学に古文が出てくるとは、日本に置き換えれば江戸時代の和算の本に出てくる例題をそのまま引用して「これを解いてみよ」と受験生に要求するようなものかしらん。同紙3面の“大学指考文言文考題挙例”によれば、こんな設問だったそうで。拙訳と原文(字体は常用漢字体にしました)をご覧ください。≪中国古代から伝わる或る数学書に以下のような一節がある:(句読点は現代人のために加えた)いま、多き数21と少なき数15あらば、問う、等数は幾らか。≫「等数」というのがよくわかりませんが、この後を読むと「最大公約数」のことらしいのです。訳文を続けます。≪草(そう)して曰(いわ)く:21を上に、15を下に置き、下の15を以(もっ)て上の21を除去せば(=割れば)、上のあまりは6なり;また上の6を以て下の15を除去せば、下のあまりは3なり;また下の3を以て上の6を除去せば、よろしく尽(つ)く(=割り切れる)。則(すなわ)ち下の3は等数となし、問いに合(ごう)す(=回答である)。≫う~ん。つまり21÷15=1…615÷6=2…36÷3=2 で割り切れるから、割り切れる直前の「あまり」の3が、21と15の最大公約数だということらしいのですね。またひとつ勉強させてもらったのですが、さて、試験の解答として受験生は何を書けばよいのでしょう。新聞紙面では古文の箇所だけ引用していて、設問の趣旨まではわかりません。以下、中国語の原文。“今有多数”のところからが古文になっています。≪中国古代流伝的一本数学書中有下面這段文字:(標点符号為現代人所加)今有多数21,少数15,問等数幾何? 草曰:置21於上,15於下,以下15除去上21,上餘6;又以上6除去下15,下餘3;又以下3除去上6,適尽。則下3為等数合問。≫
Jul 5, 2007
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『バカの壁』をはじめ随筆ものをそこここで書いている養老孟司(ようろう・たけし)さん。どうもこの人の文章とはソリが合わない。2~3頁ほども読むと、鼻持ちならぬ表現に出くわして先を読む気が失せるのである。だから、養老さんの評判のご本は2冊買ったけれど、けっきょく数頁読んだだけだ。ひょっとしたらご専門では立派な方なのかもしれないが、こと随筆となると、林望(はやし・のぞむ)さんに共通する厭味なところがある。読者を見下しつつ、自らの位置ははっきりさせずに二股かける。日本人代表ぶるかと思えば、次の瞬間、プイッとそこから飛び離れ読者に対して「お前ら日本人はダメだなぁ」とつぶやき、かと思うと、また次の瞬間、読者に向って「お前、それでも日本人かよ」と、すごんでみせる。教養人代表と奉られることに甘えたご都合主義。例を挙げよう。PHP研究所の『ボイス』7月号のコラム「解剖学者の眼」に、養老さんの厭らしさが凝縮している。≪中国における虐殺事件といわれるもの、朝鮮での従軍慰安婦問題、それがいまさらなんだという気持ちは私にも強くある。≫と、いちおう「保守」側に“保険”をかけておいて、≪そういう問題が相変わらずしつこく持ち上がるについては、ただいま現在の日本人に、何か反省すべき点があるのではないか。≫と今度は朝日新聞もはだしの、おめでたいまでに素朴な謝罪論である。≪憲法改正の手続法が決まったらしい。きちんとした軍をもつべきだという意見を、私はよく知っているつもりである。≫と、いちおう「保守」側に“保険”をかけておいて、≪力をもつ者、もとうとする者は、同時に高い倫理観をもたねばならない。(中略)自分を日本人と信ずる人たちに尋ねたい。自分の倫理観に確信があるか。≫と、ちょっと見は高尚なもの言いだ。防衛力をもつという基本的国権に、「高い倫理観」というスクリーニングが必要だとは初めて聞いた。国の護りはまず“大和魂”から、という意味のことを裏から述べているのだ。冷めた脳で腑分けすれば、おめでたい唯心論ではないか。「力をもつ者、もとうとする者は、同時に高い倫理観をもたねばならない」などという講釈は、日本人相手にぐずる前にまず中国共産党や朝鮮労働党へ言い放つべきもので、この辺の出発点の異常な内向(うちむ)きが、そもそも間違いのもと。憲法9条の議論で「護憲」を言う人々の脳から中国・朝鮮国のことがまったく捨象されているのに通じる。それにしても「自分を日本人と信ずる人たちに尋ねたい」とは、なんという嫌らしい表現だろう。それを発する当人の位置するところをはっきりさせずにおいて、口調だけはやたらに傲岸(ごうがん)である。そういうお前はナニサマだ? と思わず胸ぐらを掴みたくなる(もちろん、脳のなかだけで、ね)。養老孟司さんの表現をひとつひとつ見てゆくと、いちいち引っかかるのだ。「中国における虐殺事件といわれるもの」このもって回った表現は何だ。「南京大虐殺」と呼ぶか「南京事件」と呼ぶかで立場が分かれてしまうから、どちらの派へもご都合で飛び移れるようにわざわざ「虐殺事件といわれるもの」と言って二重三重の“保険”をかけたつもりだろう。「朝鮮での従軍慰安婦問題」「従軍」の2字が余計なのは常識として、「朝鮮での」とは何ぞや。今日ただいまこれが問題化している地域を指すのなら「韓国での」と書くべきだ。「朝鮮での」と書くのは、日韓合邦後の「朝鮮」を指しているとしか思えないが、しかし、慰安婦がいたのは戦争による占領地域だ。朝鮮で慰安婦は開業していない。もっと正確にいえば、朝鮮において公娼なのが、戦争による占領地域では「慰安婦」と名づけられただけである。だから「韓国での慰安婦問題」ないし「朝鮮人の慰安婦問題」と書くのが正しかった。要は、このテの文章を書くひとがもつべき最低限の歴史の基礎知識が養老孟司さんには缺(か)けているのではないか。そして、「憲法改正の手続法が決まったらしい」と、あえて伝聞形を使ったのはどういう意味だ。なぜ「憲法改正の手続法が決まった」と書かないのか。「らしい」と書くことで、わざとらしく一歩引いてみせ、「お前らのように前線に出て政治にかかわる俗物じゃないのさ、わしは」とほくそ笑んでいる感じだ。養老さんのこういう文章を抵抗なくスッと読める人は、まことにおしあわせというしかない。
Jul 2, 2007
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19年前にロンドンで見て以来のミュージカル「レ・ミゼラブル」。同居中の女性にいっしょに観に行かないかと言っても「それって、英語がわからないのにあなたに付き合わされたものでしょ」と断られる。英語で1度観て、そのあと何十回も英語版のCDを聴いてきたのだけど、今回日本語版を観てはじめて「あぁ、こういうストーリーだったのか!」と分かった次第であります。だから、やっぱり英語がほとんど分かっていなかったってことでしょうか。CDを聴いていても、役者さんの区別さえついていなかったことが、きょうになってわかりました……。きょう7月1日の夜の部、観てきました。総立ちカーテンコールの余韻がまだ残っています。帝劇で買ったフランス語版「レ・ミゼラブル」公演のCDを聴きながら書いております。それにしてもフランス文学というのは、シラノ・ド・ベルジュラックといい、ルパンといい、そしてジャン・ヴァルジャンといい、なんと魅力ある人物像を世界に与えてくれたのでしょう。人物像を反芻しながら感動できるなんて。しかしながら、小説ではなくこのお芝居にかぎっていえば、ぼくにとって魅力のキャラクターはジャン・ヴァルジャンでもコゼットでもジャヴェール警部でもなく、やはり悲運の女、エポニーヌなのですね。小悪党夫婦の長女という生い立ち。夫婦に預けられていたコゼットをいじめた彼女が、年頃になって青年マリウスに恋心をいだいて、でもそれは窮極の片思いで、マリウスの頼みでコゼットへの恋文の遣いをしてそして流れ弾で命を落とす。せつない。坂本真綾(さかもと・まあや)さんのエポニーヌは、可憐でしたね。女というより少女そのものというような。澄んだ歌声がすてきでした。何度もじんじん来ました。そのいっぽうでお芝居を観ながら無意識のうちに脳のなかで彼女を笹本玲奈(ささもと・れな)さんに置き換えながら観ている自分がいました。笹本さんが「マリー・アントワネット」のマルグリット役で見せたあの存在感がエポニーヌに宿ったら、いったいどんなエポニーヌになるのだろう。心が浮遊しました。そして小悪党の酒場の主人テナルディエ、きょうの配役は駒田 一(こまだ・はじめ)さん。「ダンス・オブ・ヴァンパイア」のせむし男クコールは、言語不自由な役回りでほとんど台詞がなくて、でも幕間に舞台上に掃除男として登場して、人気者でしたよね。今回のテナルディエは、あのとき無口を強いられた分を十二分に取り戻す勢いの饒舌ぶりで、しかも駒田さん得意の大道藝感覚が活かせる役。よかったですね、駒田さん!「マリー・アントワネット」のボーマルシェ役の山路和弘(やまじ・かずひろ)さんのことを思い出しながら観ました。このミュージカルで「アドリブ」ができるとしたら唯一テナルディエですが、あまりに完成されつくした作品なのでアドリブの余地はないのかもしれませんね……。今 拓哉(こん・たくや)さんのジャヴェール警部。今さんは自らへの厳しさがにじみ出る、しまった演技の役者さんで、「マリー・アントワネット」のフェルゼン役もこの引き締まったところがいきていました。その意味ではジャヴェール警部はまことに、今さんのはまり役でした。同じ「マリー・アントワネット」のルイ16世役で、繊細だが芯の強い人物を演じた石川 禅(いしかわ・ぜん)さんのジャヴェール警部役もぜひ観てみたい。5月の連休明けから勤務先の部がかわって俄然いそがしくなったので、とにかく、かの「レミゼ」を観られて先ずは一安心です。8月初めにもう1度観る予定で、切符を買っています。(↓ 東宝の関連サイト。いきなり音楽が流れるのでご注意)http://www.tohostage.com/lesmis/index.html
Jul 1, 2007
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