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NHK ドラマの 「メイドインジャパン」。第1回を見損ねたが、2月2日午後4時から再放送とのこと。観たいと思っている。第2回は、同じ2月2日の夜9時から。中国の現地工場も舞台のひとつとなるので、中国人や中国政府をどう描いているかについては自然と懸念するものはある。だから、ひとにはまだ奨められないドラマだけど。日経BPサイトに、取材協力したジャーナリストへのインタビューが掲載されていた。そこに、ビビッとくることばがあった。“メイドインジャパン復活”に必要なものとは…NHKドラマ『メイドインジャパン』の取材協力ジャーナリスト、井上久男氏に聞く≪(ドラマのなかの) 異端児7人は、営業、財務、秘書、技術などから選ばれます。7人のうちのほとんどが、仕事はできるのですが、人格や私生活に難があったり、社内に敵がいたりと、一癖も二癖もありそうなメンバーである点が面白いと思います。社内では決して主流派ではなく、傍流というか、嫌われ者的な存在なのですが、いざとなるとこうした人材が頑張るというのも、現実の会社組織ではありそうですよね。≫あぁ! これは絶対に、自分を重ねながらこのドラマを観るだろうな。≪日産復活のポイントは、コスト削減に加えて、人材の活用術を大きく変えた点にあると思っています。一言でいえば、グローバルに適材適所ができる社内システムを構築しているのです。そして、過去を健全に否定できる人材や摩擦を恐れない人材が増えているように思います。この結果、日産は逆境に強い会社になりました。 要は、古くて新しいテーマですが、企業は 「人」 で決まるのですね。さらに言えば、モチベーションや覚悟など、人の持つ内面的なものが競争力を左右していると思います。これは決して数値では計れません。グローバル競争の時代とは、多様な価値観同士のぶつかり合いでもあり、人間の中身が問われる時代でもあるのです。語学ができても中身の薄い人材は海外では一目置かれません。グローバル時代の企業人材とはどうあるべきか、根本的なところから考えなければいけないと思います。≫ 井上久男 著 『メイドインジャパン 驕りの代償』 (NHK出版) も読んでみたい。
Jan 31, 2013
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業界紙なので、一般の皆さんはご存知ないと思いますが、これはすごい発見。福島原発事故のあとの除染にたいへんな費用がかかっていますが、阿蘇山周辺からとれる阿蘇黄土リモナイトを撒けば、放射線が遮蔽されて除染の目的をかなり達成できるそうです。調べてみると、阿蘇リモナイトは消臭効果があって、これを混ぜた犬の餌も販売されています:http://www.lala-house.com/default.php/cPath/22電気新聞 平成25年1月24日1面の報道をご紹介します。≪阿蘇鉱物で線量低減 東京理科大 地表、最大7割減確認東京理科大学の矢島博文教授らの研究グループは1月23日、鉄の酸化物を主成分とする 「阿蘇黄土リモナイト (LM)」 が放射線の遮蔽効果を持つことを発見したと発表した。LM に多く含まれる鉄がガンマ線を減衰させるため、ホットスポットなどに散布すれば6割程度の線量低減効果が見込める。実証実験では厚さ2センチメートルの散布で地表の線量が最大約75%低減し、効果が持続することが確認された。今後は汚染地域の線量低減や放射性廃棄物の処理、原子力発電所の廃炉への活用に向けた研究開発を進める。LM は熊本県の阿蘇山周辺から産出される鉱物。火口湖中に溶出した鉄分を多く含んでおり、埋蔵量は1億トン以上とされている。矢島教授らは LM に含まれる鉄の遮蔽効果に着目し、茨城県内のホットスポットで LM の散布実験を実施。実験では汚染土壌1平方メートルに LM を厚さ2センチメートル散布したところ、毎時 0.58 マイクロシーベルトの放射線が 0.15 マイクロシーベルトに低下した。解析では、厚さ2センチメートルの LM に対するガンマ線の減衰率は約 65% になるとの裏付けが得られた。汚染地域の線量低減に向け、吸着剤などでセシウムを回収する除染が実施されている。矢島教授は「除染に加えて LM による放射線遮蔽を実施すれば、いかなる場所でも年間被曝線量1ミリシーベルト以下の環境を実現することが可能だろう」と話す。今後は LM の焼成で遮蔽効果の向上を図るほか、散布方法や施工方法を検討。ホットスポットの放射線量に適合した散布量の面積、渥美、場所などの最適化を図る。≫神さまは、解決法をちゃんと用意してくれていたようです。それに気づくかどうかが、人間の努力しだいということなのでしょう。
Jan 29, 2013
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平成24年度の藝大卒展、1日目の1月26日は大学美術館と絵画棟をまわりました。美術館3階奥、暗幕で仕切ったスペース。林千歩(ちほ)さん (油画 修士) の映像新作 「雲を眺めて古きを落とす」 が楽しい。じつはとってもあたたかな美少女の千歩さんだけど、素顔を見せない変装・化粧で作品にぴょこぴょこ登場しまくっている。いつもの千歩流。今回も先ず よぼよぼ老人に扮してよろよろ登場し、佛さまに水やりする。この吹っ切れ感がアートですねぇ。佛さまの螺髪(らほつ)をアップにすると、螺髪はなんと、とぐろ状の帽子をかぶった変装人間たちじゃないですか。螺髪たちは佛さまの長ぁい舌に舐められてさんざんな目に。でも立ち直って、倒壊した佛さまを助けてあげるんです。千歩ちゃんは螺髪軍団のリーダーです。佛さまのドテ腹の覆い布をはずすと、なんとそこには割れ目ちゃんが。そこから生まれるのは、白鳥の翼の金色童子。この童子も、千歩ちゃん。美少女ぶりをちょっとだけ見ることができます。童子と螺髪たちのダンスもたのしいです。やがて天空に飛び立つ白鳥童子。(そのからくりは、何度か観るとわかるヨ。)お芝居は終わり、キャッツ顔の胴元がご挨拶。これも、千歩ちゃん。ひとりで何役もやって、すごいエネルギーですが、12月下旬に話をきいたときは 「撮影はこれから」。千歩ちゃんの過去作品は野外ロケも多くて、電車内に侍姿、駅コンコースに異教神姿でひょこひょこしまくるハプニング映像作品など。小豆島の地元の老人がたに体当たりでお願いして、爆笑の若作り変装で出演してもらい、千歩ちゃん自身は蝸牛神姿でぬめぬめ登場する作品も。寒風のなか、友情出演の皆さんとの撮影はたいへんだろうな。ムリしないで、過去映像をうまく利用すればと伝えていましたが、いや、やってくれましたねぇ。螺髪佛白鳥童子、みごとな新作でした。会場には、小豆島撮影作品を1枚の絵にしたインスタレーションふうの立体油画や、撮影時につかった着ぐるみちゃんたちも展示されております。林千歩ちゃんの総合アートがあまりにおもしろいものだから、並み居る他の作品たちが色褪せて見えるほど。さて、千歩ちゃんの今後は? 即興のおもしろさは、宇野亞喜良さんの舞台美術に通じるところがあるので、下北沢か中野あたりの劇団とコラボするという展開も、ありですね。さらに、ありなのは、ケラリーノ・サンドロヴィッチさんの演劇の劇中映像制作かな。*絵画棟5階の藤森詔子さん (油画 修士) の部屋。ハプニングのなかの人物たちを丹念に描いていますが、子供も受付嬢もみんな禿頭、髪がない。人間をつるつる頭にして、頭髪による語りを排除することで、ナマの世界を見せてくれる。このアプローチは、ありそうで なかなかなくて、じつにいいと思います。最近あちこちの画廊であきるほど見るのは、頭髪は見せてるけど目は隠し、あるいは顔面全体を隠した人物たち。顔や目に語らせることをあえて避けて、人物存在を 「純化」 させるという論理。でも、ぼくから見れば単なる 「戦線離脱」 じゃないかと。顔や目という、難しいところで勝負するのを放棄してるだけ。人物から何かを剥ぎ取って純化させるなら、藤森さんのように頭髪を剥ぎ取るのは、ありだと思うわけですね。2.3 m × 5 m のパネル4枚の禿頭群像の油画大作 「終わり、そして世界は始まる」 は、見ごたえあり。この日に見た絵画作品のなかで、突出して、よかった。版画がまた、いい。「流動と痕跡」。「此岸の欲動」。この日に見た何十人ものひとたちの平面作品のなかで、買いたいと思った作品はこの2点だけ。アーツ千代田3331 の Gallery Jin さんでお取扱いだそうです。この版画のモチーフから作られた立体作品も丹念でじょうず。藤森さんは、造形と色彩の両方でいいセンスしていて、注目すべき作家だと思いますが、もっか所属画廊がないとのこと。ジャンル的にみて、Gallery MoMo さんがぴったりでは? とご本人にはお伝えしましたが、さてさて。*大学美術館の工藝展示で注目は、若林真耶さん (鍛金 修士) が 1.2 mm から 1.5 mm の銅板をたたいて産み落とした獣装少年戦士像 「守護者」。少年の肌の表面は極小のビーズのような仕上がりに見えますが、じつは銅板の表面にガラス粉をまぶしたもの。肌色は、磨いた銅の色がガラス粉をとおして透けて見えることで生み出されている。甲冑の革の部分は、銅の表面に鉄漿(おはぐろ)を塗って。きらりと光る金具は、銅の表面にラメを塗って。螺鈿細工かとみえた目は、ご実家のガラス細工の技だそうです。現代の需要にこたえる作品ジャンルだと思うので、これからの活躍に大いに期待です。*大学美術館の日本画は、いかにも岩絵具をケチったような作品が多くてガッカリでしたが、朽ちゆく肉食鳥群を描いた金澤 隆さん (日本画 修士) の作品 “scavenge” だけは見ごたえあり。彫刻作品では、中里勇太さん (彫刻 修士) の、疾駆する狼5匹の群像の木彫 「影を見た」 がいいと思いましたが、時間不足で彫りの作業が十分できなかったのでは? と思われるところも。陶藝作品では、中嶋 綾さん (陶藝 修士) の The Teapot Series がいい。アリスの茶会でそのまま使える。ぜひ商品化してほしいです。ぼく、プロデューサーをやらせてもらってもいいかな。商社マンのビジネス感覚もくすぐる出来栄えです。美術館入口の床に展示された太田正明 (木工藝 修士) の朱と白木の作品群 「やしろ」。和楽器の姿に触発されたのかと思ったら、なんと伊勢神宮の建築部位を抽象したもの。気さくな作家さん。あ、このひとなら、デパートの美術部に好かれるな、と思いましたね。というわけで、これが平成25年1月26日に2時間半ほどまわった感想です。1月27日にもじっくりいろいろ回る予定です。
Jan 27, 2013
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女性五人劇。ちらしの写真は、たいそう綺麗なアロハシャツを着たおすまし美女たちだが、舞台は思い込みはずれの修羅場つづきで、それぞれの女性たちのそれぞれに意外な男づきあいの話が畳みかけてくる。女性の観客はきっと、5人のうちの誰かの話に 「あぁ、自分も」 と思うのだろうし、男はきっと、自分が日頃見られない楽屋裏を覗くように楽しみ、そして人によっては女の一言にヒヤッとするかもしれない。南洋の島のリゾートホテルで台風に閉じ込められた掃除婦とモト掃除婦。女5人の状況喜劇だから、ストーリーで見せるというより、人物像がかってに動き出して絡み合う感じ。だから、続篇ありだよね、と期待が高まる。セリフが生きている。とくに、ヤンキー娘っぽい弓場芙美江の日本語は、ぼくの大学2年生の娘のしゃべりを聞いているみたいでリアルだ。うまい台本だなと思ったら、作・演出は桑原裕子さんという若手の女性だった。その弓場芙美江を演じる岸田 茜さん (カラー版 右下のお嬢さん) は、ちらしでは おっとりと微笑んでいるのけれど、舞台では冒頭から激しいセックスシーンで (といっても一瞬の再現ひとり芝居なんだけどね)、そのあとはリズミカルに女性版のプー太郎ちゃんをよく演じてくれました。日焼け化粧の妖精。前回 本多劇場の 「欺瞞と戯言」 で岸田さんが演じた田舎淑女とは対照的な役柄があてがわれていて、岸田茜さんを名女優に育てようという周囲の愛を感じるのですね。臆病そうで、間の悪そうな池 葉子。斉藤とも子さんが、あたかも 「わたしって、地がこれなんです」 というノリで演じるのだが やがて、自分の配偶者がことばと言い回しでいかに自分をなぶり尽くすかを再現してみせる場面は、観るものの心を鷲づかみしてきて、舞台が一気に しまった。駒塚由衣さんは多辯なる寝取られ女を、林田麻里さんは寡黙な寝取り女を、そして大西多摩恵さんは一見フツウに見える女、苛烈な過去を胸の奥に しまうフツウの女を演じる。5人のキャラがしっかり立っているから、舞台上で次々といろんな組み合わせで進む掛け合いが、観聴きするだにたのしい。高まり鎮まる風雨の音響や、ガラスが割れて (という設定のもと) カーテンが突風にあおられるシーンも、スタッフ苦心の力作。演劇のなかには、ごくまれに、できれば千穐楽まで全回観たくなる秀作があるけれど、「熱風」 はそういう作品。ぼくにとってはミュージカル 「ミー&マイガール」 なみの名作と言えましょう。岸田茜さんの魅力が全開のお芝居だものね。(トム・プロジェクト制作の 「熱風」 は、赤坂レッドシアターで1月29日まで上演。)
Jan 23, 2013
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西部劇のポスター展に行ってきた。昭和45年作品の 「ソルジャー・ブルー」 という映画のポスターが、こころを溶かすほど すばらしい。これに比べると他のポスターが皆、坊やの遊びに見えてくる。京橋三丁目の東京国立近代美術館フィルムセンター7階展示室。「ポスターでみる映画史 Part 1: 西部劇(ウェスタン)の世界」西部劇映画というのは大昔からあるのかと思っていたら、たくさん作られるのは第二次世界大戦後のこと。ただしジョン・ウェインの有名な 「駅馬車」 は昭和14年作品で、日本でも昭和15年に公開されている。真珠湾攻撃の前年だ。ポスターを見ながら、ゲイリー・クーパーの 「真昼の決闘」 がまた見たくなった。金曜洋画劇場だったか、中学生ごろに2度観たきり。そして、Soldier Blue である。このポスターには打ちのめされた。ただただ、ため息。「ソルジャー・ブルー」 (昭和45年作品) ポスター後ろ手に太縄で縛られて坐るオールヌードの女性は、赤い羽根飾りをつけた後ろ姿。なんという美しさだろう。「盗まれるポスター」 の筆頭とされそうだが、化粧品のポスターと異なり街中に貼られることがなくて、そういう評判にならなかったのか。このポスターのオリジナル版が売りに出たら、10万円でも買いたい。展示説明によれば≪先住民について劇中でディスカッションを繰り広げるとともに、女性や子供も多数犠牲になった1864年の「サンド・クリークの虐殺」を正面から扱い、西部劇における先住民観を決定的に変えた作品≫とある。昭和30年代後半には、日本でも西部劇もどきが作られていた。宍戸 錠さん主演の 「早射(はやう)ち野郎」 など、舞台が日本なのになぜかカウボーイハットをかぶって登場だから、今から見れば悪趣味なパロディーでしかないけれど、たのしい映画なんだろうな。「ポスターでみる映画史 Part 1: 西部劇(ウェスタン)の世界」 展は、3月31日まで開催。月曜日はお休みです。
Jan 22, 2013
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メールマガジンで配信したコラムです。無料メールマガジンの登録は http://archive.mag2.com/0000063858/index.html でどうぞ! わたしの勤務先の職場でも、十数メートル離れたところにいる同僚らが、国内の太陽光発電事業を担当していて、あちこち出張で飛び回っている。 太陽光発電の電力は、1キロワット時あたり 「40円+消費税」 で20年にわたり電力会社が買い取ってくれる。だからビジネスになる。 一般家庭の電気代は1キロワット時が20円台の前半だから、電力会社にとっては完全な逆ザヤだ。もちろん、電力会社が黙って損をかぶるわけはなく、ツケはやがて消費者へ回される。 高コストの電力は、景気にはマイナス要因だ。商社として太陽光発電でショボショボ儲けたとしても、景気を悪くしては元も子もない。■ 開発途上の技術 ■ 1キロワット時あたり 「40円+消費税」 という買取価格が去年発表されたときにはビックリした。 あまりに高い。事業者にここまで儲けさせてよいのかと。 世界的な相場は、1キロワット時あたり30円そこそこだ。だから、政府が決める固定価格も30円台の前半だろうというのが大方の予想だったのだが。 わたしの勤務先がやるかどうかは別として、中国製の安い太陽光パネルを使えば30円台の前半でもビジネスとして成り立つはずだった。 太陽光発電は、まだまだ開発途上の技術である。 昨年12月に 「次世代太陽光発電」 のシンポジウムが横浜で行われ、わたしも傍聴したのだが、その副題にいわく ≪発電コスト14円/kWh の太陽光発電技術の普及に向けて≫ 7年後の2020年に、1キロワット時あたり14円の発電コストを実現しようというわけだ。業界としては、2030年に1キロワット時あたり7円を目指している。 原料となるシリコン。いまは 100%輸入品であり、うち80%は中国からの輸入だ。 国産のシリカ(二酸化珪素)が使えれば原料輸入に頼らなくて済む。国富の流出が防げる。そういう技術も懸命に開発中という。■ 未来にツケと悔いを残すな ■ 太陽光パネルは20~30年にわたって使われる。現在の遅れた技術に基づく高価格のパネルを、今日ただ今 何を焦って国じゅうに敷こうとするのか。 7年待って2020年あたりから、国産シリカを原料にした低価格のパネルを一気に普及させるほうが、国民経済にとってプラスではないか。 2020年になって、後悔したくない。そのときになって、7年前の2013年に敷きつめた高コストの太陽光パネルをにらみつけ、2013年に結んだ理不尽な電力買取契約を恨みに思っても、詮ない話だ。 未来に悔いを残さぬよう、いますぐ軌道修正すべきである。国民経済の限りある資金を投じる先は当分のあいだ、技術開発に絞るべきだ。■ 太陽光発電事業はローテク ■ いまの技術による太陽光発電は、もはやハイテクではない。ローテクだ。 太陽光発電の電力を高く買い取らせますと政府が音頭取りをしても、国産のパネルは中国製に価格で太刀打ちできない。週刊誌に叩かれてもヘッチャラの事業者は、中国製パネルを使う。 土建・据付け。まちの工務店でやれるローテクの土建である。 太陽光発電には広大な土地が必要だ。借地料もコストを左右する。 再生可能エネルギーといったところで、ハイテクの要素は少ない。潤うのは、工務店と地主と素人事業者ではないか。いまの太陽光発電事業をあり姿のままに支援しても、ハイテク支援の要素はとぼしい。 1キロワット時あたり40円+消費税の20年間据置き価格は、未来の世代にツケだけ回す捨てガネだと思う。■ 社会が納得する 「35円+消費税」 ■ 日本経済新聞の1月19日の1面報道記事を読んで、暗い気持ちになった。 経済産業省は、いまの割高な長期買取価格を平成25年度の契約分についても引き続き適用する方針でいるらしい。2月中に本決まりとなる。(ここで解説をしておこう。平成24年7月に始まった制度では、ひとまず平成24年度のうちに成立した太陽光発電プロジェクトには、1キロワット時あたり42円を20年にわたり認める。長期据置価格はプロジェクト成立年度ごとに見直すことになっていて、平成25年度に成立するプロジェクトについては、適用価格は未定とされてきた。) そもそも再生可能エネルギーの固定価格買取制度から、太陽光発電だけ外してしまえばいい、というのがわたしの本心だ。太陽光発電はコスト高で、技術も未熟だから。 しかし、現実社会ではさすがにそれだけでは通るまい。社会が納得する現実的なタマとして提案したいのが、1キロワット時あたり35円+消費税という買取価格レベル。 (わたしの本心としては 「33円+消費税」 あたりでもいいと思うが。)■ 税制を変えて休耕地でやればいい ■ 40円を35円に引き下げる条件として、提案したいことがある。休耕地となっている農地で、太陽光発電を行うことを認めるのである。 現行のルールでは発電事業は 「工業」 にあたるので、農地で太陽光発電を行うと固定資産税が跳ね上がる。農地として支払う固定資産税が、工業用地の固定資産税へと変わるからだ。 経産省・農水省・財務省の間で調整を進めてほしい。休耕地で太陽光発電を行うときには、農地としての固定資産税のままでよいことにしてはどうか。 その代わり、減反などの名目で与えている補助金は無しとする。 要は、すべてを簡素化する。すると、解が見つかる。 太陽光発電には複雑なノウハウは要らない。米や蜜柑を作るよりずっと単純だ。 農家が遊ばせている土地で、かつかつの利益が出ればそれでいいではないか。
Jan 22, 2013
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批判ではありません。心配におもうだけです。1月16日に行われた歌会始の皇太子殿下・妃殿下のお歌は、いずれも敬宮(としのみや)殿下にまつわるものだった。内向きなご家族である。お題の 「立」 で、もっと広い世界に目を転じて詠んでいただけたならなぁ。幾 人 の 巣 立 て る 子 ら を 見 守 り し 大 公 孫 樹(いちょう)の 木 は 学 び 舎 に 立 つ皇太子殿下のお歌。産経によると、≪母校であり、長女の敬宮愛子さまが通われる学習院初等科の 「大いちょう」 の下で、児童らが遊ぶ姿を見た感慨を表現された≫ という。愛子さまおひとりにではなく、「幾人の」 と、一群の子どもたちに目を向けておられるところに、まだ救いがある。十 一 年 前 吾 子(あこ)の 生(あ)れ た る 師 走 の 夜 立 待 ち 月 は あ か く 照 り た り妃殿下のお心は、ひたすら愛子さまおひとりに向かっているようである。現在でも未来でもなく、十一年前の過去に向きあう。産経によれば ≪愛子さまが誕生された日に見た、十七夜の 「立待ち月」 を思い起こされた≫ ものという。皇太子妃殿下のお歌は例年、愛子さまのことを詠まれたものが多いが、昨年はそうではなかった。吹 く 風 に 舞 ふ い ち や う の 葉 秋 の 日 を 表 に 裏 に 浴 び て か が や く妃殿下のこのお歌を拝読し、昨年は安堵を覚えたのだけど。しかし、このいちょうもまた、今年皇太子殿下が詠まれた学習院初等科のいちょうだとしたら、愛子さま歌にはちがいない。
Jan 20, 2013
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人間の脳には、ひとりごとを言うひとの存在に反応して警戒警報を発する回路が埋め込まれているのではないか。「列車内でケータイ電話をかけない」というルールは、単に「うるさい」からではない。車内でふたりが会話している分には聞き流せるのに、ケータイ電話で一方が話している声だけ聞こえると、本能的に聞き耳を立てている自分がいる。それがわずらわしいから、「車内はケータイ禁止」 なのだと思う。昼休みによく行くカレー屋さんで、きのうは店員のテンションの高さが気になった。カウンターでカレーライスを受け取りトレーで運んで自席にもっていき、食後にトレーを自分で片づけるタイプの店だが、新しい店員が吉野家の元気な店員という感じで「ありがとうございますっ!」を明るく連発する。吉野家ではあまり気にならないていどのテンションなのだが、一人客が静かに食事するカレー店の客席では妙に浮いていた。どうしてかな… と疑問に思い、あぁなるほど! と思い当った。吉野家では、客席で客と店員の 「会話」 がある。だから脳は、店員のしゃべりをひとりごととは認識しない。ところがセルフサービスのカレー店では、カウンター以外で客と店員の会話は想定されていない。そういう場で店員のしゃべりは 「ひとりごと」 として浮く。誤解を恐れずにいえば、脳には 「頭のおかしいひと」 を判別し、そういうひとから身を護る準備を命じる回路があるのだと思う。「ひとりごとを言うひと」 を脳は 「頭のおかしいひと」 に分類し、警戒警報を発する。列車内のケータイのしゃべりやセルフ飲食店の店員のハイ・テンションを、脳は 「ひとりごと」 として認識し、警戒警報を発する。だから気になって仕方がないわけだ。ちなみに、カレー店の店員にわたしは食後に「店員さん、あなた元気なのはいいんだけど、テンション高いんだよね。もうちょっと声を下げたら?」と言って出た。店員が 「すてきなアドバイスッ、ありがとうございますっ!!」 と大声で応じるのではないかと心配だったが、さすがにそれはなかった。
Jan 17, 2013
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台湾正名運動。「正名」 は 「名を正す」 だ。台湾の企業名や団体名の 「中国ナントカ」 「中華ナントカ」 という呼称を 「台湾ナントカ」 に改めることに始まり、ゆくゆくは国の名も中華民国から台湾国に正すことを目指す運動。湯浅邦弘 著 『論語 ―― 真意を読む』 (中公新書) を読んでいたら、この「正名」の概念を孔子がまつりごとの基本として考えていたことを知り、台湾正名運動の拠って立つところに納得した。『論語』 の子路篇から、湯浅邦弘さんの和訳を抜粋すると≪子路が言った、「衛の君主が先生を招いて政治を行おうとすれば、先生は真っ先に何をなさいますか」。孔子は言った、「それは何より名を正すことだろうね」。子路は言った、「またこれだ。先生のまわりくどいことは。何を正そうというのですか」。孔子は言った、「…… 名が正しくないと、言葉はうまく通じない。言葉がうまく通じなければ、事業は成就しない。事業が成就しなければ、儀礼や音楽は盛んにならない。儀礼や音楽が盛んにならなければ刑罰が濫用される。刑罰が濫用されれば、民は身の置き所がなくなる。だから君子は、ものに名づければ必ず言葉にでき、言葉にできれば、必ず実行できるようにする。君子は、言葉を少しもゆるがせにしないのだ」。≫ (163~164頁)事業成就 → 儀礼・音楽 → 社会秩序 という順序立てが、いかにも孔子さまである。
Jan 13, 2013
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250112 ミュージカル シラノ @ 日生劇場 音楽: Frank Wildhorn, 出演: 鹿賀丈史、濱田めぐみ、田代万里生、鈴木綜馬、光枝明彦、戸井勝海、林アキラ(濱田めぐみさんのロクサーヌに心酔した。鹿賀さんも絶好調。シラノは、自己移入と陶酔がいっぺんにくる最高のストーリーだ。)ふんぞり返った権威へは一瞬間の媚びも拒否し、犠牲を覚悟で自分の判断基準を貫き通す。そして愛する女性にうつくしい言葉がほとばしるのは、たましいに ざらついたところがないからだ。シラノには、手放しで自己移入してしまう。今回感じ入ったのは、ロクサーヌの若き夫 クリスチャンの死とともに自ら誓った いさぎよさ。クリスチャンの名で手紙を書き続けたのが実はシラノであったことを言い出せば、ロクサーヌの愛をようやく射とめられたのに、シラノの心意気がそれを封印する。濱田めぐみさんのロクサーヌがすばらしかった。彼女の歌がはじまった瞬間に、ぼくの心の細胞が激しく点滅した。舞台化粧も華やいで、微笑がいきいきと舞った。シラノに自己移入したぼくが、ロクサーヌの海に跳びこむように身を任せて酔った。*田代万里生さんのクリスチャンも、たいそう いい男だった。とかく若く見えすぎて損をしている田代さんだが、今回のクリスチャンは丁度いい配役。しかしコミカルな場面のアクションは、わざとらしかった。田代さんは、たぶん根がまじめなひとだから、コミカルアクションが度を過ごしてしまうのだろう。昨年12月のミュージカル 「アリス・イン・ワンダーランド」 でも、コミカルシーンでは同じような わざとらしさ を感じた。井上芳雄さんや浦井健治さんの舞台では感じたことのない、田代万里生さんの課題である。
Jan 12, 2013
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世田谷美術館で 「生誕100年 松本竣介展」 を見た。松本竣介さんの知のきらめきと感性の躍動感、やさしく はにかむ現代人そのままの風貌と微笑みに触れた。(展覧会は1月14日まで。)いま ぼくのすぐそばに何気なく立っているひとのような、とても近いひとだと思った。大正元年生まれのひとだけど、時代を軽やかに超えた親近感をもった。昭和前期がこれほど身近に感じられたことは、はじめてだ。ちらしやポスターにも使われた代表作の 「立てる像」 は、おととし平成23年9月30日に神奈川県立近代美術館 鎌倉 の 「開館60周年 近代の洋画 ザ・ベスト・コレクション」 展で見ていた。恥ずかしながらそのときは背景知識がまったくなく、詰襟の学生服を着た学生をさらっと描いた絵かと思った。戸惑った。なぜ所蔵品ベスト展に、この作品が?昭和十年代の学生さんにしては、ひどくあかぬけてるなぁ、その清新さがいいのかなぁと足をとめたのを覚えている。今回あらためて大回顧展の作品群のなかで 「立てる像」 を見て、竣介さんの声が聞こえた。肩ひじ張らずに、握りこぶしでもなく、しかめっ面でもなく、妙な気合もなく、かといって飄々としているわけでもなく、しかしすっくと立っている。力強い自然体、と言えばいいだろうか。自然体であることの強さを、清新に描いている。背景の建物群の描きかたは、竣介ワールドだ。抽象化された楕円の雲が清新さを演出している。絵を見ることの悦びを感じた。*松本竣介さんの画業の全貌を知って、昭和15年ごろの一連の作品群に驚いた。シャガールを思わせる色彩とモンタージュ手法で、都会のざわめきを描いている。現代の日展か二科展に出しても、清新さを評価されて特選を取りそうな、「黒い花」 連作。謎ときを聞いてみたくなる 「序説」。 昭和10年ごろの 「母と子」 や 「少女」 には ルオーを感じるし、昭和17年ごろの 「黒いコート」 や 「少女」 には藤田嗣治を感じた。いろんな絵が描けるひと。短い生涯のなかで、質的には3つの人生分くらいの絵を描いている。*禎子(ていこ)夫人とともに昭和11年10月から12年12月にかけて営んだ月刊エッセー雑誌の 『雑記帳』 が、とてもおしゃれだ。復刻版が出たら高価でも買いたいとおもった。最終号の昭和12年12月号の表紙をみると、掲載記事として≪英国民性の素描 歳末風物 今年の追懐 小説 クリスマス宵祭 オーヘンリー 小説 新婚旅行 マンスフィールド≫などとある。たいそうモダンである。昭和20年8月15日に疎開先の禎子夫人へ東京からしたためた手紙は、≪陛下の 「五内(ごだい)為に裂く」 の御言葉を肝に刻みこんで置け≫の一節が印象深い。「五内為に裂く」 は、かねてぼくも 終戦の詔書 の核心のメッセージと考えてきた。竣介さんは親友に宛てた手紙のなかで「四十才になったら詩集を出す」と語っていたという。むかしのひとのなかで、ぼくがはじめて 「お会いしたい」 と思ったひと、松本竣介さん。持病の気管支喘息に加えて結核が襲い、36歳で亡くなった。生きておられたら、たぶんあと3つ分くらいの生涯に相当する画業を残したであろうひとだ。*世田谷美術館へ行った翌日、東京国立近代美術館 「ベストセレクション 日本近代美術の100年」 展を再訪して、昭和18年の 「並木道」、昭和23年の 「建物」 をしみじみと味わった。
Jan 11, 2013
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中国の農民は、なぜ中国共産党を支持しつづけるのか。都市民になれぬ戸籍差別を受け、農民としてろくな福祉政策の恩恵もないのに。地方の役人の不正について訴え出るため北京に出てくる人の群れに答えがある。文革時代にも、おらが町の理不尽を“英明なる”周恩来総理に訴えようと、浮浪者のようななりの人々が上京したわけで。地方役人がダメでも、党中央は正しい判断を下すはずだ。共産党支配がなくなったら、地方役人を正してくれるひとがいなくなるではないか。それでは困る、と農民は考える。とつぜんこんなことを書いたのは、米国の外交問題評議会の Elizabeth C. Economy さんが産経新聞元旦号で語っていたことが、符合したからだ。≪産経 「重慶市のトップを務めた薄煕来(はく・きらい)氏の不祥事では、数十億ドルにものぼる薄夫妻の不正蓄財が明らかになりました」E・エコノミー氏 「この不祥事は転換点だ。もともと不正は地方の問題で、中央の上層部は潔白だと大衆は思ってきた。温家宝首相の一族が数十億ドルの財産を蓄えたと米紙が報道した件も、北京では誰もが知っている事実だが、地方では驚きでとらえられた」≫「この不祥事は転換点だ」 という一言に、どきりとした。薄煕来や温家宝の周知の収賄問題も、エリザベス・エコノミーさんの切り口で見れば歴史の転換点と言えるわけだ。*いっぽう、中国の都市民はなぜ中国共産党を支持しつづけるのか。開けた社会を志向する都市民であれば、党による硬い統制を気持ち良く感じるはずがなかろうに。いや、そうではない。浮浪者のような、無教養で粗野な農民の群れが都市に怒濤のように流れ込んで都市を占領したりしないようにするには、中国共産党による統制が欠かせない。戸籍による差別を通じて農民の群れを都市から遠ざけてくれる共産党こそ善なのである。都市民としては、さらなる上昇の手段がほしい。大学を出れば、社会のエリートとして農民を搾取しながらぬくぬくと暮らしていける、そんな差別社会が望ましい。ところが、いまや大学を出ても就職難だ。≪産経 「格差が社会不安につながっています」E・エコノミー氏 「…… もちろん、高所得者が存在するのは当たり前の事象だが、高等教育を受けても成功できない社会になると民が怒る」≫湯浅邦弘 著 『論語 ―― 真意を読む』 (中公新書) を読んでいたら、こんなくだりがあった。≪儒家集団は、その出自がはっきりしない。孔子からして、「野合」 の子と言われるくらいであり、けっして由緒ある貴族の出なのではない。そうした性格の集団であるから、彼らが政治の場で活躍するためには、学習によって自らを向上させ、俸禄にありつくほかはなかったのである。とすれば、儒家にとって 「学」 とは、純粋な意味での学術研究なのではなく、求職活動と表裏の関係にあるものとして理解すべきであろう。≫ (139頁)学問とは職を得、地位を得るためのものでもあるとは、万国普遍の話だろうけれど、中国の学問伝統の根幹である儒教すら、その中核に 「求職」 の概念を宿していたとは。中国が、大学を出て求職がかなわぬ社会になると、原理的にヤバイというお話である。まさに、「民が怒る」 わけである。
Jan 9, 2013
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松の内に、早くも絵を2枚買ってしまった。どちらも女性が女性を描いた作品です。ジャンルとしてはぼくが買う絵の典型です。1枚は、高橋未歩さん (雅号・緋月) のドローイング。元旦にいただいた賀状。北群馬郡榛東村から届いた彼女の賀状は、蛇と黒衣の少女の銅版画をプリントしたもので、返信賀状を書くために、未歩さんがどんな作家さんかさっそくネットで調べたわけですね。そしたら、 「惰 性」 というペン画に行き当たりました。 (クリックしてご覧ください)描かれた女性は、つきあったら最初ちょっと疲れるかもしれないけど、やさしくしつづけたら いいところが悲しいほどどんどん出てきそうな、そんな女性ですね。返信賀状に、購入したい旨を書きました。そしたら1月5日にメールをいただいて、商談成立となりました。さて、高橋未歩さんはどうしてぼくの住所を知っていたのでしょうか。銅夢版画展の記帳からかな? それともデザインフェスタ?「年賀状はデザインフェスタでの芳名帳から出させていただきました」 という未歩さんのお答えでした。そーなんです。いまどきは賀状もとっても有効なマーケティング手段になるわけですね、未歩さんにそのつもりはなかったと思うけど。*2枚目は昨日7日、銀座一丁目のOギャラリー、宮井麻奈展で。昭和53年生まれ、多摩美 版画 院修了のひとですが、ドローイングふうの丁寧な手描き画を破格のお値段で出していました。作家本人は、ギャラリーの奥のほうのメランコリックな本格画をストライクゾーンのド真ん中と認識しているようでしたが、マーケットの需要からすると若い女性のポートレートのヴァリエーションのほうが魅力的。作家本人は 手すさび と認識しているようすで、だから値付けが破格の安さだったのです。自分で前髪に鋏を入れようとしている、どきりとさせる女性の瞬間を描いた1枚を買わせていただきました。タイトルは 「病」 とありましたが、ぼくなら 「前髪」 とつけますがね。というわけで、今年もコレクター生活がはじまりました。
Jan 8, 2013
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藝人で物書きの小島慶子さん。高校の公民の先生が諭(さと)してくれたときのことを語っています。素通りできなくて、再録。≪「なぜ自分はこんなに人間関係づくりが下手なんだろう」。 ……私が悩みを打ち明けると「小島さん、人間はいつになったら老いると思う」と問われました。私が「60歳くらい」と答えると、先生は「悩むのをやめたときだよ。僕くらいの年でもまだ人間関係には悩んでいる。悩むのを諦めた時に人は老い始めるんだ」と諭されました。≫「僕くらいの年」 と言った先生は当時 ≪50歳くらいで、俳優のダスティン・ホフマンを天日干ししたような、少し枯れた雰囲気の人≫ だったそうです。「悩み」 が小島慶子さんのキーワードですね。≪悩まないのが人間のあるべき姿で、悩むのは自分に落ち度があるためだと考えていました。 ……先生の言葉で私は 「悩みがあっては駄目」 という思い込みから解放されました。 ……私もいまだに人間関係には悩みます。大切なのは、人とつながっていなければという強迫観念を捨て、目の前の人と無心に向き合い、共感し、学ぶことです。≫(小島慶子さんの語りは、平成25年1月4日 日経夕刊9面 「学びのふるさと」 欄のインタビューより。)*「悩むのを諦めた時に人は老い始めるんだ」って、カッコいいなぁ。でも自分にこの切り口が当てはまるかというと、そうでもない。むしろぼくなら「好奇心が失せたときに人は老い始めるんだ」「行きたい展覧会、観たい芝居や映画、読みたい本がまばらになったときに、人は老い始めるんだ」いや、端的にいえば「かわいい女の子に ときめかなくなったときに、男は老い始めるんだ」と言いたい。人間関係で悩むかというと、これが、悩まないわけです。ぼくを評価しないひと、ぼくとソリが合わないひとがいると、どう思うか。「そのひとにもっと評価してもらうために、ぼくはどうしたらいいか」とか「そのひとに気に入られるには、ぼくはどうしたらいいか」とか、考えない。というか、かりに自分がそんな媚びたことを考えるとしたら、その瞬間、そういう自分の俗物根性そのものを恥じるというのがぼくの発想ですね。自分を評価しないひと、自分とソリが合わないひとがいれば単純に「いやはや、こいつって、おバカさんだな」と相手を切っちゃうわけですね。ぼくが悩むときっていうのは、他人からの評価が低いとか、他人とうまくいかないとか、そういう他律的な状況下ではない。むしろ、自分の美意識や価値観に反したことをぼく自身がやってしまったとき、すごく悩む。悩みも極めて自律的です。人間関係では悩まない。自分を省みて自分の美意識に照らし合わせながら悩んでいる。ひとに媚びて、媚びが成果を生まないことで悩むことはない。むしろ、媚びている自分がいることに気がついて、媚びたこと自体を悩む。かなりな唯我独尊でしょうか。それほど自律的な悩みなら悩まなきゃいいのに、やっぱ、けっこう悩んでるなぁ。
Jan 6, 2013
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メールマガジンで配信したコラムです。無料メールマガジンの登録は http://archive.mag2.com/0000063858/index.html でどうぞ! 勤務先の商社の職場でよく使う表現に 「椅子から転げ落ちそうになる」 というのがある。【用例】「おまえのメール読んだら、税制が変わって来年は4割減収だって? 椅子から転げ落ちそうになったよ」【意味】ひどく驚くさま。 東京新聞 (=中日新聞の首都圏版) の元旦社説を読んで、椅子から転げ落ちそうになった。■ 無欲でなく大欲を説いた石橋湛山だが ■≪満州事変から熱狂の十五年戦争をへて日本は破局に至りました。三百万の多すぎる犠牲者を伴ってでした。湛山の非武装、非侵略の精神は日本国憲法の九条の戦争放棄に引き継がれたといえます。≫と、東京新聞は書く。 「日本国憲法制定以前に非武装を唱えていた論者」 という汚名を着せられ、あの世の石橋湛山(たんざん)翁(おう)もさぞやお怒りだろう。 36歳の石橋湛山は、大正10年7月の 『東洋経済新報』 社説にこう書いている。湛山の真骨頂。少し長いが引用する。≪吾輩は今の世界において独り日本に、欲なかれとは註文せぬ。人汝の右の頬打たば、また他の頬をも廻して、これに向けよとはいわぬ。否(いな)、古来の皮相なる観察者によって無欲を説けりと誤解せられた幾多の大思想家も実は決して無欲を説いたのではない。 彼らはただ大欲を説いたのだ、大欲を満たすがために、小欲を棄てよと教えたのだ。 さればこそ仏者の 「空」 は 「無」 にあらず、無量の性功徳を円満具足するの相を指すなりと言わるるのだ。 しかるに我が国民には、その大欲がない。朝鮮や、台湾、支那、満州、またはシベリヤ、樺太等の少しばかりの土地や、財産に目をくれて、その保護やら取り込みに汲々としておる。従って積極的に世界大に、策動するの余裕がない。≫ バランスのとれた正論である。とても 「非武装」 論者の説とは読めない。 わたしなど「中国への長期投資は控えて、基幹部品・素材の輸出に特化せよ。投資したければ、中国にこだわらず広く世界に目を向けよ」と言い続けているのですがね、まさしく湛山流の大欲を説き続けていたわけですね。■ 「無軍備を誇るのは迷信」 ■ 日本国憲法制定後も、石橋湛山は健全な批判精神を保ち続けた。ウィキペディアからの引用になるが、≪(湛山は)私的に記した日記の中でも、1950年の記述で、「今日の世界において無軍備を誇るのは、病気に満ちた社会において医薬を排斥する或種の迷信」 と非武装中立の主張を公的な発言以上に辛辣に評してもいる。 1953年の総選挙では、鳩山自由党の政策委員長として政策をまとめて「憲法を国情に適するように改正」「戦争否定の精神は国策として存置するが、戦争発生防止のため自衛軍を組織する」などを明記した。≫ この湛山のどこが 「非武装」 論者であろうか。 東京新聞・中日新聞の勉強不足は 「熱狂の十五年戦争」 という形容にも明らかだ。日本史をまともに勉強したなら、満州事変から敗戦に至る時代を 「熱狂の」 とは形容できまい。 それはむしろ、指針のない、苦渋と混迷の15年だった。 ■ 混迷なき時代が求める長期安定政権 ■ それに比べて平成25年は、国の課題と向かうべき方向が極めて明確な、混迷なき時代と言える。わたし流にいえば、「GHQなき昭和21年」 と形容したいくらいだ。 国民のいのちと暮らしを守るために、国力を高める。 経済停滞を招いた日銀主導のインフレゼロ路線を捨てる。 ボロが出始めた老朽インフラの更新を、ムダを抑えつつ実現する。 「原発が止まるとホントに電気代って上がっちゃうのね」 「大規模な太陽光発電所を作っても、けっきょく電気代が上がるだけだな」 そういう当たり前のことに、ようやく過半数の国民が気づきだした。 「尖閣諸島を中国へ明け渡せば万事解決するなんてレベルの問題ではないらしい」という、当たり前のことに気づく国民も増えてきた。 とどまることを知らない軍国主義中国を抑え込むには、米国・豪州・東南アジア・インドと連携した 「自由と繁栄の弧」 (麻生太郎外相の提唱) が欠かせないことも実感される時代になった。 こういう基本的認識で一致しているのが、日経・読売・産経の社説である。そのうえで読売・産経は、安倍政権が参院でも過半数を確保して長期安定政権を実現することに期待している。■ 自社の混迷をさしおいて ■ 朝日新聞の主張に沿いつつ政治を行った民主党政権の失態。 とりわけ鳩山由紀夫首相は、朝日新聞の臭いがぷんぷんするひとだった。現実無視がその場かぎりの言動につながり、普通人には 「嘘つき」 に見えた。 それでも鳩山首相を liar と呼んでは国際問題になるから、米国人も loopy (うすらバカ) と呼んで武士の情けを示した。 総選挙の大敗を受けて、さぞや社内も混迷していることであろうと思ったら、さすが朝日である。混迷しているのは社内ではなく、「時代」 なのだそうだ。≪混迷の時代の年頭に 「日本を考える」を考える≫と来た。 課題も打開策もクリアなこの時代を、かってに 「混迷」 呼ばわりしないでほしいものだが、朝日は言う。≪こう問うてみたい。私たちが抱える、うんざりするような問題の数々は、「日本は」 と国を主語にして考えて、答えが見つかるようなものなのか、と。≫■ 「国」という枠組みを利用する ■ 世の中の成果も問題も、日本国の中央政府が主語であることは確かにそれほど多くない。 経済の活性化は、数多くの私企業の決断と頑張りにかかっている。文化の振興は、こころざし高い藝術家やプロデューサーの意気に負う。 では、私企業や藝術家の頑張りに、ふつうの国民がどうすれば関わっていけるだろうか。 国民が声をあげ手をさしのべるには、やはり 「国」 という枠組みを利用するのである。そのために国家は存在する。 国民の意思を代表する 「国家」 という広場を通じて、私企業や藝術家が力を存分に発揮できる世の中にしたいと、そう願う。 だから我々普通人は、「日本は」 と国を主語にして答えを見つけようとするのである。■ 「公船の派遣」? ■ 小朝日と定評のある毎日新聞。≪力による現状変更を仕掛けてきているのは明らかに中国側であり、日本はあくまで対話と法理で問題解決を図ろうとしている。こういった日本の立場と主張を、アジア諸国を中心に世界に対し粘り強く丁寧に説明し、理解を得て仲間を作る。決して孤立化しないことだ。≫ 小朝日にしては、まともな主張である。しかし次の一節は、たちまち甘ちゃんだ。≪まずは、強硬路線の悪循環を排し現状維持の緊張に耐え抜くことだ。そして、対話と妥協の機をうかがう。例えば、中国は公船の派遣をやめる。日本も外交問題はあることまでは認め、話し合いのテーブルにつく。≫ 「公船の派遣」 という一節を読んで、何を言っているのかしばらく分からなかった。 あぁ、「海洋監視船による領海侵犯」 のことか。 領海侵犯を称して 「公船の派遣」 ですか。やはり毎日新聞は中華共和国の新聞か。 領空侵犯も、「政府航空機の派遣」 と呼ぶのだろうね。 領土問題があるとまでは認めず、しかし 「外交問題」 はあると認めれば話し合いは始められる、というのが毎日新聞の主張だ。 たしかに中国共産党はそれを望んでいる。 しかし日本は諸外国を味方につけながら、中国に対して門前払いを貫くしかないのである。 ん? いつまでも門前払いしている場合かというあなた! 待ってました。いますぐ百万円、わたしにください。 少なくとも、わたしと話し合いの席についてください! 門前払いはなし、でしたよね。授業料、いただきます!
Jan 2, 2013
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