最近テレビでインタビューを受けた人が「~と思います」というところを「~とは思います」と言っているのをよく耳にします。言っている本人にとっては「は」を入れない場合と同じ意味で使っているようです。
しかし、「~と思います」と「~とは思います」では意味が違います。
「~とは思います」と言うと、「私は~だと思う」けれども「~以外の・・・もある可能性もある」というニュアンスが出てきます。「あの人が悪いとは思います」と聞くと「あの人が悪いのは事実」だけれど「他にも悪い人がいるかも」とか「悪いことは悪いけれど同情の余地はある」などの解釈ができます。
でもそこに「は」が入る。しかし聞いていると、そう言っている本人は他の可能性はあまり示唆していないようにも見えます。つまり、ただの断定が嫌なので「は」を入れているのだろうと推測できるのです。
日本語は断定を嫌ってぼかすのが美徳とされます。
「子どもは~人ほどいます」「そのお肉500gばかり頂くわ」「あの子最近彼氏と別れたみたい」などなど。それぞれ「子どもは3人います」「そのお肉500gください」「あの子最近彼氏と別れたのよ」などと同じ意味です。でもぼかすのが美徳である日本人にとって断定するのはぶっきらぼうで、上から目線で、相手に対する配慮に欠けていると思われるのがこわいのです。
「それはちょっと大変だ」とある留学生に言ったところ「ちょっとではありません」と返されました。
この場合「ちょっと」は「大いに」という意味ですが、彼女は額面通りに受け取ったのです。「何てことだ」「すごく大変だ」と大騒ぎせずに、しかし「ちょっと」に最大限の意味を込めて「大変だ」を修飾するのが日本人の言葉の使い方です。少々話がずれましたが、これも一種のぼかし表現かも知れません。
最近よく耳にする「は」入れ言葉(私が勝手に名付けました)も断定を嫌う日本人の、ある意味やさしさ、思いやりかなと思っています。でも誤解を生む表現ですし、「とは思います」のあとに別の可能性を示す言葉がない場合は(ほとんどがそうです)何となくもやもやが残るのも事実です。
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