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2024/04/26/金曜日/春の日の芽吹き4/15 ようやく巡り会えたお茶やさん◼️プロローグ前々回だったかの台湾訪問は阿里山で過ごした。そこへのアクセスは嘉儀市で現地ツアー申込みの上、マイクロバスでうねうねと手入れされた茶畑を上り詰めて行った記憶がある。後からホテルの往復バスが嘉儀と高雄から利用できることを知ったのだった。統治時代に建てられたクラシックなホテルには蒋介石とその妻、宋美齢の資料展示室もあった。日米戦争の真の立役者は宋美齢では?と思わされる内容をそこで知った。彼女は客家の出身だが、9歳での米国留学を考えれば精神構造は米国人である。米国芸能界や報道、ホワイトハウスへの働きかけなどの手法を知ると単なる令嬢ではない。稀有なロビーストである。おっと、お茶から遠く離れてしまった。さて、その折に求めた高山茶が無くなり、前回訪問の2020年2月には知人が教えてくれた茗心坊で幾つかのお茶を買った。残念なことにその日ご当主は不在で、留守番のお客さんの対応だった。そのお客店長がやたらとお茶の投資を勧める。お茶のビンテージはシンガポールや上海のオークションで高く落札されるのだとか。お茶はお店がキープするそうで、日本人名の書かれた壺を幾つか見たけれど、そんな景気が今、大陸にあるのかしらん、とコロナを挟んで思う。日本人を応援したい彼が親切で言ってくれたとはいえ、お茶を投資と考えるのはいかがなものか。茗心坊の独特な焙煎発酵で臭みのないプーアール茶と阿里山茶、小梨山茶がまだ少し手元にある。後者二つは香り高く美味しい。それがお茶の全てだ。と思っていた。◼️興華名茶しかし、良いお茶はよい人をも育てる、そんなことも学んだ、今回のお茶体験。オーガニック、お茶などのキーワードでお茶やさんを探すと、乗り降りしている東門駅のお茶やさんがヒットした。お店に入ると直ぐに先客と私に小さな紙コップでお茶が出された。ご主人に挨拶して、陳列されているお茶の試飲ができるか尋ねると一瞬の間の後、構わないという。後から知ったが試飲一人500元と案内が出ていた。どんなお茶が好きか、と尋ねられ高山茶、でも東方美人茶も好きだなんぞと返答し、何年か前に阿里山で美味しいお茶を飲んだ、と伝えると阿里山茶を出してくれた。◼️台湾茶の淹れ方↑興華名茶のパンフレットから茶壺←急須茶海←急須のお茶は一旦ここで受けて聞香杯に配ら れる。湯冷し、片口の形態聞香杯←筒型の小さな湯呑み茶杯←茶碗小さい筒形の茶碗に入れてくれる。それを平たい小さな茶碗に自分で移す。初めの茶碗で残り香を聞くのである。平たい方では色を見る。2杯目の時、急須の茶葉を茶匙で優しく天地替えみたいな作業をしている。それは何かと尋ねると茶葉に空気を触れさせているのだとか。3杯、4杯、味は力強くなってくる。5杯目くらいがピークで7杯ではカタンとばかり弱くなる。お茶を楽しみながら、四代目ご当主の台湾茶の講義が延々と始まる。お茶のバイオダイナミクスについて。農薬と消毒薬、化学肥料の問題について。モンサント社のことまで話が及ぶ。もちろん日本語である。或いは喫茶の哲学について。うちの店のお客さんは夜、夫婦で静かにお茶を愉しむ、本を読み音楽を聴く。そんな時間を持てるのがお茶なのだ。お茶は瞑想だ、ともいう。本物のお茶を飲むと身体は忘れない。脳の感覚が開く、というようなことを説明してくれる。ときどき私のお茶体験について質問をする。そんな話をしている内に特別なお茶の試飲をしてくれるというではないか。茶館に向かったツレに急遽電話して、そちらをキャンセルしてこのお茶やさんに至急来るよう伝える。何処の茶館?何で茶館?と聞かれて、ツレはその雰囲気が好きなようだと応える私。ご当主のお茶好きな知合いは、見晴らしの良い所でお茶を楽しみたいとき九份の茶館に行く。お茶は自前で、お湯だけ貰う?買う?のだとか。あんな観光地に美味しいお茶はない、という。なるほど。観光客=私、の知らないことだらけだ。先ほどの阿里山茶は花の香り。色は蜂蜜。私の薔薇ピローと似た香りだと帰宅後感じた。ご当主が直接管理している茶園は阿里山と梨山にあるという。梨山の茶園は高度2300m。雪は降らないとのこと。寒暖差が大切。日が昇る頃、霧が立ち込めその霧にはお茶の香りが漂うのだという。見せてくれた茶園の動画には鳥の鳴き声も聞こえ、まさに深山。お茶はこの高山の土のミネラル、草、花、熟した実、と杯を重なる毎に変化するのだと教えてくれる。確かに梨山茶は香りも味も阿里山茶の変化とは次元が違う。お茶の中に大自然が映り込んでいる。梨山のお茶の色は翡翠のよう。香りは深山とでも言うのか。香りと味の境界がないような、渾然一体の深山の体験、とでもいうのか。味の言葉の表現が追いつかない、とでも言うべきか。とにかく体験、体感するしかない。ということを知った。お茶がパワフルな時に感じる渋みは、これが甘さの元であることが分かる。間に呑んだお水がびっくりの甘さ。うーん、これが自然。ポリフェノールやタンニンに転じる土、虫、樹木、雨、風、太陽人間が沢山入り込むような茶園ではよいお茶は育たない。土がダメになる、汚れる、というようなことも言う。彼の梨山の茶園の堆肥は大豆だそうだ。発酵させているのだろうか。大型トラック一台分で120万元⁉︎←聞き間違いかも←だから店で売ってるお茶の価格は割に合わないとか。阿里山の茶園の堆肥は大豆ガラ、高度も自然環境も梨山とは違う。まあ価格が順当に反映している。ご当主のお茶の話には一切うそがない、と私は感じた。日本の水は軟水だが台湾の水はどうか?お茶には水が重要なのだ、こんな会話が弾むお茶やさんに出会えたことが今回の台湾訪問の最大の喜び。喜びはごく近い所にあったのだ。廃棄する茶葉はどうするのか聞くと、有機栽培の茶葉は政府?市?が回収して堆肥にするのだとか。そんな循環が組織化されている台湾、市民自治と公共がうまく噛み合い、羨ましい。私たちは阿里山茶と梨山茶を購入した。どちらもそれぞれのミドルクラス。このお茶やさんに私は何度も戻って行くだろう。渡りの鳥のように。
2024.04.26
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2024/04/24/水曜日/終日こぬか雨4/15 旅も4日目、明日は空港本日は月曜日。一日を猫空予定でいたらロープウェイが月曜日はお休み、もちろん美術館なども。それで三箇所目のお寺を訪問することに。行天宮 今までの観光客も信者もごった返すような寺の雰囲気とは少し違うのは朝早めの訪問ゆえか。↑手水がある。心を洗い、心に問いなさい、とある。お静かに、みたいなプラカードを掲げた人や、お寺参拝の正しいやり方を教えてくれる奉仕者の方が沢山いた。みな真剣に祈願していた。気持ちの落ち着く廟だ。元々は関羽を祀る廟で、財産家が寄進して建立したのだとか。宗教としては台湾道教といわれる。商売の神様でもある。↓これなんかは道教的?タオイズム龍山寺では占いの仕方の勉強不足だったので、今度こそと予習して出かけたら、こちらはコロナの名残で未だ封鎖中だった。明後日くらいから再開らしいT^Tお守りが頂けると聞いて建物に入ると日本人なら奥の女性に尋ねなさい、とのこと。彼女は流暢に日本語を話し、お守りを私に下さり、お守りの言葉を唱えながら祈願しなさい、と仰る。無料だという。ありがとうございますと謝意を伝えると、また来なさい、とのこと。はい!やはり正しく占いをしないと(´∀`*)↓交差点地下の通路にびっしりブースがあった。有名な廟やお寺の界隈には占いのブースが沢山並んでいる。2度も占いが不発なので、占いついでにこの近所で人気の占い師さんの所に行ってみた。私が訪ねたのはこちら。先客がいて、外の椅子に腰掛け待つ。日本語が達者で日本人に人気らしい。出て来られた方も日本人親子だった。マスコミにも随分登場している様子。こちらの先生は毎年日本までも出張されていて、当たると評判。15分で3つの手法による占いで1300元。え、かなりお高めなんですけど。これが相場なんだろうか。特に占ってほしい切実感なくふらふらやって来てしまった。まあ仕事の事や、さほど長くはない将来のことなど尋ねる。本当は聞きたいことをちゃんとメモして時間を有効に使うのが良い。名前の字画、生年月日、米粒占いが用いられた。アドバイスをいくつか頂く。宿曜占星術や四柱推命でみてもらったラッキーナンバーとカラーが同じ。細々と考えたり妄想せず、とにかく好きなこと楽しいことを何でもやりなさい、ですと!聞いたか、ツレよ。そのように生きさせて頂きますと力強く頷く。先生はさっぱりしていて好感の持てる方でした。↓先生から頂いた春節に売られる運気アップのお菓子!これ普通に美味しいゼリーみたい。おまけに商売繁盛のお守り占いの後はマッサージ。鉄板な台湾でございます。肩凝りからくる腰のモヤモヤを解してもらう。オーナーは日本人。台湾で生きるためのあれこれをレクチャーしてくれたりして興味深い。時間がなければそれなりなアラカルト対応もしてくれます。日本語が通じるのはやっぱり嬉しい。何だか本日午前はみなさまにお世話をやいて頂きました。ありがとうございました。ランチは昨日の持ち帰りフードを捨てたくない!ということで、東門市場の反対側に広がるエリアでお惣菜やご飯をテイクアウトしてホテルの朝ごはんの食堂←24時間、自由に使える、コーヒー、お湯あり←で食べる。ワサワサと残り物が片付いて主婦的満足度高し。
2024.04.24
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2024/04/23/火曜日/寒さを感じた曇り4/14 午後と夕ご飯の過ごし方さささと周囲を偵察するとノレン?にAKAcafeとある。おやびん、見つけましてござる。こんな奥まった所にいかがわしいとも思えぬキャフェバァとやら。 うむ。ここでよか。てなわけで、入店。細い路地を入る。お店の人はあまり関心を向けてくれぬが、先客と思しき人が2組ばかり。声をかけると予約されてますか?とのこと。ここは基本予約らしい!そうなの⁈でも幸運なことに、隅のテーブルをあてがわれました、親分。席に着きましたら。入店してびっくりな、良き時代の古い洋館。新建材とは全く違う空気の中でゆっくりコーヒーを啜る。予め連絡しておくと超人気で予約の取れないお店のにゅうろう麺も頂けるらしい。それ相当なお値段かと。値段以外は私のツボなカフェである。どうやらここで半日のんびり過ごす人もいるらしい。これでは予約必至である。2階はスペシャルなことで使うらしいけれどそれ以外は見学できる。細長い廊下の左右に、リノベ以前のこの洋館のモノクロ写真が並んでいる。オーナーは台湾の方で、働いている人数名の、私たち対応組は日本の方。アジアでは今やこうなのか。奥まった所から見る油化街の内側は案外バタくさい中華の風情が漂う。おやびん、もといツレとはここで別れて私は国立博物館と中正紀年堂の見学を目指す。かれこれ5.6回は来ている台湾なのにその二つを訪ねていない。実は故宮美術館も∑(゚Д゚)B級グルメを堪能して市場を冷やかしお茶やコーヒー飲んでぼーとしているだけだった、という。博物館は台北駅南だから駅から歩くつもりでバスに乗る。バスは駅前北側に停車。駅前道路は横断出来ず、地下からアプローチ。台北駅地下のどの出口が最寄りかは分からず。出鱈目に地上に出たらお巡りさんがいるではないか。博物館への行き方を教えてもらう。謝謝。建物は帝冠様式というのか、堂々として、例のクラファン国立博物館にも似る。しかし内部空間はちょっと狭い。係の人にマストシーは何?と訊ねると2階、とのこと。え?なのだがまあとりあえず2階へ。一番関心を引いたのが、台湾の街や村で暮らす様々なルーツをもつ家族の暮らし振りのスライドショーだった。主に2013年前後の、ごく普通の暮らしのスナップ。その10年以上前から大陸の成長を果実として豊かになった台湾の人びとの変化をこの15年ばかりの時間の中に強く感じる。↓天皇、台湾滞在時の銀食器。初日コーヒーブレイクした建物は昭和天皇即位を祝した建物だった。束の間の滞在、ここから公園を抜けて台湾のシンボル、中正紀念堂を目指す。徒歩30分くらい?道路幅が広く、横断待ちもなかなかなのだ。このスケール感は立派、さすが中華文化だなぁ。建物の中にまでは入らず仕舞い。1975年亡くなった、中華民国初代総統である蒋介石の巨大な座像だけ、ちらりと眺める。今回旅では北甫や故宮美術館側の蒋介石邸も予定には入れてたけれど全部パス、というハメに。ここから宿までは徒歩で12分ばかり。街を知るには歩くに限るのだ。ツレ、午睡中昨夜ホテルで予約してもらった享鴨さんへ北京ダックの夕飯に出かける。↓サインが何もなくて戸惑うけれどレストランはここの2階二人前コースを頼んだのだが、これがまあ凄い量で失敗。何しろ残せない性分なので中華は飲茶以外は要注意なのだった。↓付け出しとかビールとかで半分満たされていたらギャルソン風の店員さんが私たち胃の小さな日本人向けにアラカルト対応をしてくれようとするのだけど、お互いカタコトの英語な訳で上手く伝わらず、結局コースにしたのだった。↓まあ、これの半身だしねえ、余裕。↓皮が美味しい!生姜もっと欲しいええ⁈チョイスの4品の量、半端ない!熱々の大根餅の揚げ炒め、とても美味しいが二つ食べると鴨肉が入らぬ〜ツレは何としてもお粥=ご飯は残せぬ、とビール腹にかき込む。殆ど罰ゲームのようなディナーである。二品は持ち帰りにしてもらう。もし次回行くことになったら、時間をとってメニューをながめ、断然アラカルトである。
2024.04.23
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2024/04/21/日曜日/薔薇2本植樹、レオの夢みる4/14 旅も3日目朝一番で台北植物園に出かける。3日目も曇天で、思ったほどには暑くない。バスに乗って植物園みなみ口から入る。こちらが正門の様子。台北はそんなに大きくない都市だけど、緑が豊富で道路が広い。↑木の根?菩提樹の仲間かな?都市計画に基づいた姿と、庶民的な活気のある市場がちゃんと立派に活躍している姿。そのバランスがよい。スクーターでもあれば、直ぐにお気に入りの場所に行けそう。↑紫の花以外はみな月桃の仲間公園の大きさに比して随分大きな蓮池がある。幸運にも蓮が昨日から咲き始めたらしい。アマチュアがプロか、頗る本格的なカメラを携えている。花を眺めれば、そこだけ天上である。これは、一体どうした花ぞ。桜、薔薇、蓮しかし、こんな花も!台湾の方はみなさん大変親切だ。日本語が使える人に今回は以前より多く出会った気がする。そんな方から↑これはバナナの花だと教えてもらった。バナナには芭蕉の名札が。ストリート太極拳先生の姿の、中心の備わった清らかさよ。今日我最美、いいですねえ。蓮もそれはそれは美しいけれど、園の中で今、一番命を燃やしているのは私。目に留めてね、そんな風に呼びかけている地面には金平糖みたいな小さな小さな花が白く光っていた。台湾の植物相や分類学の礎を築き、その発展に貢献したのは日本統治時代。そんな資料がここでも垣間見える。大東亜戦争を平かに省みる必要があるのではないか。日本が100%悪だった訳ではない。小林秀雄や藤田嗣治、山田風太郎の言動にも触れ、そう感じる。あの時代を反省し二度と戦争に与しないために、世界の平和貢献とアメリカからの独立を願う。そして軍隊のない独立国というものは存在しないことも含めて、熟慮と対話ということを考える。台湾という微妙なポジションを保つ場所が私に内省を促す。森林浴とバードウォッチングを楽しんだ。植物園を出たのは北口。ここから地下鉄緑ラインの小南門駅←北口出たのに、駅は南門←がすぐ側にある。これに乗って北門下車し少し北上すると永楽市場、油化街へ出られる。歩行者道路になっていた永楽市場界隈は、若い人や観光客でいっぱい。植物園とは真逆。素の台湾は植物園や朝市にあるのかな。永楽市場は日曜日は半分以上お休み。名物の油飯←台湾チマキ←も食べ損ねたT^T果物店とすごい人気のお寿司屋さんは観光客の長蛇の列。私たちはパパイヤのミルクセーキ70元を頂く。永楽市場の建物の9階には大稻埕戲苑という人形劇を中心とした劇場があり、その使い手に人間国宝指定となった方がいるらしい。この日は休演だけど。8階の展示室は時間内なら、いつでも誰でも無料で楽しめる。人形のための楽器も精工にこしらえられている。指の仕掛けが小動物の骨のようで怖い。人の技がどんどん深みにハマるよう。辻村ジュサブローの人形が蠢く「我こそはたまずさが怨霊〜」の南総里見八犬伝を思い出す。子ども心にも恐ろしく、記憶にこびりついてしまった。江戸は中華文化のトンキンのごたる。↓好きなカシラ三つ館を出ようとすると受付の女性が追いかけて来て、立派な冊子を下さった。人形劇演目あらすじなんかを北京語と英語と日本語で解説するもの。これを無料でとは、台湾は豊かになったことを実感させられる。さて、この界隈の人気な昼ごはん屋さん、共に市場内が休店のため台南料理の度小月で台南に何店舗かあったと思う。海老ロール揚げとたんずーみーふん台南でも海老ロールは人気だったと思う。油化街を行ったり来たりして、お茶屋のピンとくるところはないか、とか。探す。ピンとくる所がなくて、結局は前回も買い物をした爵林堅果坊で一通りお土産を仕込む。お腹もいっぱい、お土産も買った、そこでツレ、コーヒーを所望と宣わるなり。へい、斥候まいりやす。
2024.04.21
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2024/04/19/金曜日/武蔵野丘陵の初夏風4/13 夜 まだ台湾2日目立派なオフィスビルの中に劇場、台湾戯棚 がある。企業メセナなんだろうか。それとも政府の肝煎か。何しろ伝統芸能だ。劇場のフロントには千里眼と順風耳の大きな鬼神像鬼神のように、ようく目と耳を働かせて京劇を堪能しなされ、という計らいかな。エレベーター脇の窓口で予約を告げチケットを貰い、劇場フロアに上がる。エスコートの素晴らしいスタッフは丁寧で、楽しんでほしい気持ちが伝わる。劇場前に様々なアトラクションがあり、これならもっと早く来ても良かった。中国琴の演奏で迎えてくれる。めちゃイケメンなメイクアップアーティストが、腕や首に絵を描いてくれたり、京劇衣装を着ての撮影もあり。顔の隈取りデザイン。それぞれ役向きがあるのだろう。歌舞伎に比べるとパワフル。レスラーの仮面マスクのようでもある。化粧に関心のある人が多い?主役の女優さんが、メークの経過ごとに役の中の人物へと変容するみたい、顔つきが変わる。眠るなんてとんでもなかった。台湾EYES は 観客を楽しませる事に徹した芝居集団。舞台装置はない。壁の、おそらく白蛇伝のシンボルのみ。舞台右奥の演奏陣は充実している。川を渡る舟に揺られる場面など登場人物の呼吸のあった動きや音楽で、その情景を表す。トーンの高い声のミュージカル仕立て。白蛇の精が風光明媚な場所に遊んで、見染めた美しい男に恋をするが、高名な僧侶がこの結婚を怪しみ、男を救い出そうとする。白蛇軍と僧侶軍の闘い場面が見せ場アクロバティックな動きや、舞踏のような武闘にハラハラワクワク、大人も子どもも大喜び白蛇は僧侶に向かい、私は千年の修行を積み、ずっと昔からこの村のものたちの病を治し霊験あらたかだ、などと字幕スーパーでは読める。僧侶の寺は水に沈める寺となりぬ。白蛇に属する水の精の激しい連続バック転がそれを暗示しているかのよう。さて、どちらが勝者かは俄かには分からない。西湖のような、美しい風景に思わず人間以外のものも呼び寄せられるのだろう。異類婚姻譚であり、アニミズムと新興宗教の転換でもあるのだな白蛇伝は様々なバリエーションがあるようだが、日本長編アニメの嚆矢となった作品とも聞く。高いキーも柔らかい中国語で聞くと気にならなかった。動画は撮れないが、画像はOK日本のエンタメも少し見習ってはどうだろうか。
2024.04.19
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2024/04/18/木曜日/昨晩四国南西部で地震4/13 お昼前に駅に着くと、目の前の広い花博公園ではファーマーズマーケットが開催中奥の方は農産物展示販売、前方では何かの催し、プロダクトワークショップ、チャリティーなど。マッサージブースを見つけて思わず立ち寄る。溜まりに溜まった肩凝りを20分1500台湾ドルくらい、の施術所をしてもらう。結構痛い。しかし目や胃に来ていたモヤモヤは時間が過ぎると消えていた。担当してくれたのは屈強なお兄さん、え〜力強いはず?暑さの中、今がシーズンの桑の実ジュースを飲む。虫さんも冷蔵庫上、0の下で休憩中どうやら一村一品運動みたいに、台湾中の特産品が並んでいるらしい。試食するとツイ買ってしまうので、要注意。あーあ、搾菜のお漬物買っちゃったよ。どうするの、手に一杯ぶら下げて。日本では食べたことのないさっぱりとした浅漬けな塩味、美味しい。フレッシュ&ジューシー。花蓮県の少数民族らしきブースで足が止まる。お茶の実?種?から採ったらしい苦味の強い油を勧められて飲んだり肌に塗ったりする。油の味はツレのお気に召さないらしく、苦茶油を用いた石鹸を3つ買うことにした。白、ベージュ、茶の色の濃さが茶油の濃度を表すらしい。真ん中を求める。娘たちへのお土産。そんなこんなで、時間が過ぎ公園北にあるMadison ACME を観てうっとり。館内は、いかにも若手アーティストの作品展示中。台北市では古い雰囲気を壊さず生き帰らせて、とにかく若い人びとに開放している。明るい指向。その小さなガーデンを眺め市立美術館前工事につき公園の横断ができない。向こう並びのローズガーデンと林安泰古暦文物館の見学は諦める。既にお天道様は真上にあり、お昼ご飯は断じて諦めない、B級グルマンとしては。この界隈なら美食通りとして有名な夜市場所にある黄記魯肉飯だ。並ぶけれど、旨い、早い、安い。魯肉飯、魚団子のスープ、イカ団子のスープ、揚げ豆腐の煮物。ふむふむ丁度良いボリューム。杏仁脆片やドライマンゴー、ラー油にお漬物に石鹸と妙な生活臭を漂わせながら一旦ホテルに戻り身軽くなるや、コーヒーで一服。ホテル側に素敵な書店発見。純良社書店。2冊新刊を買うと古本を一冊プレゼント。グッドアイディア!↓真ん中はそう、『成瀬は天下を…』なのだ。早い日本の翻訳も揃っている。小さいスペースに小さなカフェテーブルが二つ。コーヒーと確かシナモンロールが頂ける。ヘルシンキのアアルト設計の書店みたいだ。規模は違えど本好きの空間は同じ。オーナーが助けたノラネコちゃんも、店内でケアされていました。すてき。こんな本屋さんに浸りたい。しかし。うちらはドヤドヤと永康街へ。歩けばこんな家にも当たる。おやおや。足は自然と阿原ユアンに。結局待合せのレストラン前ではなくここでツレに遭遇して、よもぎや月桃、ドクダミの石鹸を買う。日本で買うとめちゃ高い。台湾で買っても円安でやはり高い!しかし一度使うとまた使いたいと感じます。ここの石鹸のインパクトは絶大で、台湾に魅せられた最初の事件?事故? 2番目が高雄のサニーヒルズ魚介類の中華店、府岸台菜海鮮城←17:00オープン、と同時に夕飯をとり、8時からの京劇を観るのだ。カニは何と一万超え。ムリ。海老と貝と芝海老チャーハンとその他野菜料理、台湾ビールで満腹。殆ど生感覚のシジミ老酒醤油漬け?これ後を引くなあ、ニンニクと共に。京劇で寝ないだろうねえ、われら。
2024.04.18
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2024/04/17/水曜日/小雨のち曇り4/13/土曜日朝一番は東門市場を通り抜け、自家製辣油を購入。円安日本人としてはカラスミは諦める。きんぴらごぼうやお稲荷さんも。ここに来ればオックステールが簡単に手に入り羨ましい。地元の人でいっぱい。食べ物屋さん意外は早い終わり。人気らしい御園坊には並び待ちの人もナチュラルな仕上がりのドライマンゴーも購入。小さくカットしてグラノラに。辣油とドライマンゴーを携え我ら、台北で一番古い龍山寺へ老若男女に観光客も入り乱れる中、午前の早い時間のためか、何といっても台北の発展と共にあった古いお寺。熱心な祈りの渦が巻いているのである。赤い半月型の石?を投じて、筮竹をぐるぐる回し一本を引いてその数のおみくじを引く、という方式。事前の予習も無いまま手前勝手に試みたら、禍々しいような内容。ありゃま。お賽銭とお祈りで罪咎憂いを洗い流してくださいまし。龍山寺の辺りは古い街並みや建物が残り、お散歩が楽しい。お寺といえば街のお菓子屋さん。以前にもここ、太和で買った杏仁脆片。大好物なのだ。ここのは素朴で美味しい。しかし円安か値上がりか。以前は一袋200円もしなかったのに、今や300円!大人買いはムリ。日本統治時代の古い公設市場建物は、地域の文化施設や若い人の活動拠点に、古いものを残しつつ、リノベしては上手に利用しているケースがここにも。お次はちょいとスイーツ休憩。消極的なツレのゆるゆる歩きもこらえて萬華仙草冰へ。あーこれが食べたかった!めちゃくちゃ美味しい。甘味はサトウキビ、それにミルクプラス。店内壁には仙草の説明があるのだけれど、解読できず。おウチの方に頼まれたかしらん、マイ容器で買いにくる男性も。気づくとツレも、お裾分けのつもりがしっかり半分食べているではないか。さて、疲れも暑さも癒すお味の次は、目を癒しにローズガーデンと林安泰古歴へ行こう。赤いラインの地下鉄で円山駅下車。
2024.04.17
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2024/04/16/火曜日/曇り桃園空港の楽しみはラウンジ!成田みたいにしょぼくないのだ。第1ターミナルの場合、ボーディングの後、左に進むと免税店と医療施設がある。その先左奥のエレベーターで上へ。降りるとすぐキャセイパシフィックのラウンジ、その奥にPlazaプレミアムラウンジがある。貧乏旅では利用価値大、なのだ。ランチワインを赤白いただく♡しかし楽しみにしていた牛肉麺の提供はなかった(;ω;)そもそも今回の台湾発動はそれ。次男オススメの御牛殿麺の側に宿予約したのに、タイミング合わず、最後の望みのラウンジも…で、チキンヌードルとるーろー飯などやけ食い気味に、しっかりとデザートも頂く。機内用に最後の台湾のお味を帯同。携行ドリンクは人気らしく、これ一つだけ。今回はジェットスター利用につき、飲み物などは全て有料なのである。13:10の桃園空港発で17:00には荷物回収あらまあ、もう日本なのだった。台北はずっと曇りでたまに晴れ間が見えた。気温もそんな時27度くらい、多湿ではあったけれど過ごしやすかった。
2024.04.16
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2024/04/15/月曜日/本日だいぶ晴れ間ありもう台北4日目あっという間の明日、帰国。さて4/12 午後の部ホテルを出たのはチェックイン後の3時半頃この時間帯は飲茶か茶館がオープンしているけれど、レストランは殆どお休み時間。まともなお昼を食べれない移動なので腹ペコなのだ。しかし双月食品店チェーンの内、大安森林公園店のみ休まず営業。バスで移動。かなり並んでいる。店頭で必要事項を入力し、番号札をプリントアウトし、待つ間にお店の外の画面で日本語とメニューを照らし合わせて決定し、オーダーにチェック。↓この汁なしピリカラ坦々が美味しい!お代わりしてしまう。350円程度!量的には控えめ。後は貝柱入りのスープと筍炒めをシェアこのお豆腐の煮込みも惹かれたがもう満腹。ここは高くない。実感でいうなら値打ち、お安い。一人700円くらい?消費税無しが痺れる。満腹の後はコーヒー、確かヘリテージビル中山堂の4階でコーヒーが飲める。地下鉄で最寄り西門駅へ。表ホールはロックされている。え〜と思いながら諦め切れずぐるぐる建物を回っていると、以外とひっそりした通りに面した扉に守衛さんがいて、カフェに行きたいと伝えると入れてもらえた。時間は既に5時過ぎ。7時までだけどよいか?と聞かれる。え?一体他のお客さんは何時間滞在しているのだろう?まあ、確かにコーヒー一杯は千円以上。場所代を含んでいるわけね。空間と美味しいカフェラテを堪能しつつ、次の行き先である饒河街觀光夜市への経路その他を確認。ここへは二つの目的お寺、慈裕宮参拝と有名な胡椒餅を食べること。お寺は縁結びで有名なんだとか。足元のスヌーピーも探せ無いごった返し状況の中、台湾の地震を含め、世界の災害が少しでも小さく収まりますよう祈念する。この熱気、日本に無いなあ。と思いきや、夜市入り口にいきなりその胡椒餅名店がありました。うーん、これは美味しい!石窯、炭火焼きで肉あんの芯まで熱々。お腹が満腹で、二人で半分こ。今度は丸々一つを食べるのだ。
2024.04.15
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2024/04/13/土曜日/曇り昨日早朝5時!自宅出発。2020年2月以来の台湾たび、二人、再び。↓LCC専用の第三ターミナルに、ヘラルボニー作品展示が!ツレにここのネクタイを3年ほど前にプレゼントしたのに、きゃつは何にもご存知ないのだった。早い出発は一度首都高事故にハマり、飛行機出発を逃した苦い経験があるから、だ。↓出発ゲートの数字も大きい。正確にいうと20分前にギリギリチェックインできたが、LCC便の哀しさで対応して貰えず、新たにチケットをその場で買うという、ケチケチ旅に相応しくない事態に陥った。思えばその頃日本円はまだ力があった。タイも台湾も確実に豊かになるのに反比例し、日本は沈む太陽の如し。↑LCCはトランクも有料故か、預ける人が少なく瞬く間にピックアップは心地よし。↓4年ノーチャージの、ちゃんとチャージできました。2年未使用だと使えないと記憶していたけどコロナ対策か、期限が延びている。カワイイお弁当屋さんは休店中。公衆電話も駅の何ヶ所かには設置されていた。今回逗留するホテルはぎりぎり、台北城市の東↓ホテルの周辺で
2024.04.13
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2024/04/02/火曜日/穏やか晴れ日、桜二分昨年冬に益子今年春には常滑と陶磁器、手仕事の旅の続く3/30 常滑は初めての訪問だ。焼き物散歩道という細い路地にはギャラリーやカフェが並ぶ。↓実はここに友人が作品を出していて、彼の作陶場を訪ねることが目的でもあった。↑モリーナ。ご主人が大変勉強熱心で彼の眼力の適った陶磁器が並んでいる。ここで発行している手作り新聞が勉強になります。無料!古い家並みが、土地の区分も曖昧なままに開発を逃れてぽっかりと残ったらしい。↓モリーナご主人のお母さまのギャラリーも週末開催。スペースとこなべここで、浜比嘉詩子さんの観音さま購入しました。↑童女のようなふっくらした可愛らしさ甕や下水管が地場産業として栄えた往時を偲ばせる廻船問屋のお屋敷もある。アニメ聖地というよりも新鮮な郷愁を呼び起こすのか、こういう場所には古いもの好きな若い人が案外多い。みんな大好きな路地、何故モダンな都市計画はそれを見落とす?お昼はカメラ好きの知る人ぞ知る、すぎカフェへ。タイカレー、デザートアイス、初飲みのブルンジコーヒーが付いて1300円!驚きのクォリティである。カレーもデザートもコーヒーも全て大変美味しい。オーナーの方は京大理学部卒らしい?こだわりがランチ意外にも随所に。彼自身の写真作品やカメラコレクション、著名な写真集など、カメラ女子も一日満喫できそう。とうとう、友人の急須を購入。すごいなあ!こんな美しい作品を造形できるようになって、おめでとう。
2024.04.02
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2024/03/02/土曜日/鶯の初音を聴く薄曇り2/20 ツレは旨い朝ごはんを食べに行くという。私は大体朝はお茶程度だし、首里城再建の様子を見に行くことにした。方向違いのバス停で待って何台もバスを見送る。ようやく正しいバスに乗る。スイカは使えない。それでもバスからの風景が捨てがたい。↓朝の国際通りはこんなに静か。バスで移動すると、改めてお城は山上にあるのだ、という地形を実感する。尤も首里の前に中山城は浦添にあったそうだ。そうか。浦添にもゆっくり滞在してみたいもんだ。↓バス停降りてそぞろ行けば、あちこちに謂れのありそうな建物が。この側には尚氏のご先祖代々のお墓、ウドゥンあり礼を守る国、そうありたいものを。これは今の、今までの日本政府に投げかけられている言葉に他ならないだろう。この辺りまでは無事だったのだろうか。神を奉る、と門に掲げたお城を他に知らない。自分が神になろうとした俗人は歴史に暇無し。入場券、これが安い。復興の寄付金も含めるということでもう少し高くても良いのではないか。子どもや学生は無料にして。↓ここからが消失した首里城再建の建屋を右に見ながら進む。建屋内は二層に分かれていて、初めより見学できる仕組み。オープンキッチンなレストラン?焼け落ちたものや素材の展示もある。構造にどんな木材を用いるのか、実際同じ大きさの木材を持ち上げ実感できる。南洋材は軽いイメージがあったが、認識が新たになった。上左二つは私でも持ち上がる。ヒノキは特に軽い。素直で加工がしやすい故の人気材なのだ。上右の沖縄ウラジロガシ、これは重くて私では持ち上がらない。土台や船の材にもなるだろうか。恐らく腐食の耐用年数も長い。プロジェクトに関わっている方のビデオ。首里城へのひとかたない思いが伝わる。伝統建築に関心を持つ若い人が増えますように。帰りはゆいレール駅へ向かう、お城下には昔ながらの風景が残る一角がある。弁財天が祀られているようだけど、その昔は納経堂だったと記憶する。さて、チェックアウト11時近くまでゆるゆる部屋にいて、そぞろ那覇空港へ。ここで最後の沖縄そば今帰仁のスイカ、宮古島のマンゴーを夢見て再度沖縄へ、次はいつ?
2024.03.02
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2024/03/01/金曜日/昼前から晴れ那覇から休まずに、高速も運転で2時間半は軽く超える距離なので、次に来られるかは分からない。何しろ1年に一度来るのがせいぜいなのだから。いつだって一期一会である。風景や感動した記憶は心に留めおきたい、といつも願いながらあっさりと表面からは消え去る。心の深いところには地層のように重なっていると信じたい。眩しい日差しの中を展示会場へ向かう。今は使われていない保育園だった建物へ撮影者はこの方、金サジさん。はたむん、良い響きだ。やちむんは焼き物はたむんは機織りのもの、というような意撮影してよい、とのことで、お顔は外して、はたむんのみ撮らせて頂いた。それでもこの方だけはどうしてもお顔もそのままに写させていただく。ありがとうございます。はたむんとからだはいまその言葉に実に見事に応える、黒一点だ。こんなに説得力のあるからだ、それを包む年月を経た芭蕉布。確かに人間がいる。園庭に置かれたオブジェ↓特別参加のアブ?ミツバチ?喜如嘉を後に、沖縄の東を少し走り途上の食堂で沖縄そばを食べる。テビチーとソーキのミックス普段はこんなにお肉は食べられないけれど、沖縄そばは別。お肉があっさりしている。そこから名護のやんばる市場に寄る。ご当地ならではの食材を眺めるだけで楽しい。↓食べられる花!なんかが市民の胃袋を満たす市場で普通に売られていた。食いしん坊の私としては、どうしても食べたいうるま市のチュラーナというジェラート店へ丁度休憩にも良いタイミングなのだけど、お店にお手洗いはありません、念のため。↓このボードを見ると納得、沖縄本島北部は元々昭和30何台までは水田が豊かに広がる場所だった。それが花卉栽培に転じたのだろうか。今帰仁では2月下旬、そろそろスイカが売られ始めていた。本部のシークワーサーもアセロラも有名。私はマンゴー、ツレはドラゴンフルーツ。加糖をできるだけ抑えた、グルー?で粘度や照りはもちろん添加されていない印象。限りなく果物に近い、しかも沖縄産。ここだけの店舗なので、ここでしか食べられない。販売用のトラックはある模様。さてさて市場で買った沖縄のイチゴはホテルで夕食後に瞬く間に平らげた。沖縄のイチゴは甘い!パパイヤ、モンキーバナナ、赤と黄色のパッションフルーツをお土産に。果物食べてればしあわせ夕飯はホテルからほど近いなかむら家で。待っていた間は随分並んでいた魚も瞬く間に消費並んで待った。月曜日と甘く見ないで予約が必要な人気店。当日仕入れた魚と人数や調理法のおすすめをしてくれる。
2024.03.01
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2024/02/28/水曜日/日差しに力あり昨夜はちゃんやーで豚しゃぶを頂いた。しらぱまの宿の冷蔵庫で冷えていたオリオンビールを持ち込み、また道の駅で買った泡盛も持参。お店には沢山のワインが用意されているにも関わらず、このノリは嬉しいなあ。黒豚の掛け合わせで、まろりとした甘さがある。けれど脂肪分は通常の豚肉の3割程度とか。締めに出される雑炊とアーサーのお汁!内臓璧の繊維?が喜ぶような、DNAに振動が加えられるような?私にはとてつもなく美味しく思われた遅いお昼で空腹ではないのに全部頂けたのは、色々な付け合わせが少量の配慮もあったかな?一品どっさり、ではない沖縄料理。↓ちゃんやーダイナーの壁の絵は、オーナー喜屋武家のお父さんかお母さんのご実家の昔の頃と思われる。19日月曜日朝。今夕はもう那覇のホテル。3泊の沖縄はあっという間に過ぎ去る。短い滞在はあれもこれもと欲張らず、基本は一日一つ、と決めている。朝も近在を散歩のあと、沖縄らしい食材で健康な食事をちゃんやーで。味付けは薄めであっさり。 女将さんがおっとりとして素敵な方だった。この新しいちゃんやーは二代目なのだとか。さて本日は山原ヤンバルの、大宜味村、喜如嘉キジョカにある芭蕉布会館へ。その後は、一般道をのらりくらりと那覇のホテルへ向かう予定。随分前に芭蕉布を復活させた平良敏子さんのドキュメントを見たことがある。私はこういう女性に、ひどく弱い。生涯迷うことなく一つの信じた道を生き尽くす。平良敏子さんはそのように生きて、この世を去った。101歳の境涯は児童文学と共に生きた石井桃子も思い出さずにいられない。彼女もまた101歳。平良さんはここで芭蕉を育て収穫し、繊維をほぐして糸を紡ぎ、図案を考えて染色し、この会館の2階で布を織った。本日はたまたま芭蕉の畑の手入れとかで、2階の作業見学は叶わなかった。会館に設置の芭蕉布の案内ビデオは是非見たい。6分ほどと随分短い。↓敏子さんの織地に直筆喜如嘉の芭蕉布は涼しい。柄を考えて後世に残そう↓敏子さんの作品どうしてこんなに薄い、丈夫な、軽い、美しい、トンボの羽のような布地が生まれるのか。その難儀な過程が理解できる。私にはとても手の届かない反物だし、また私如きが着て良いとも思われない。そういえばプラスチックのしか持ってなかった、と思いついて、せめてハギレで作られた印鑑ケースとそれに付けられる浄めのお守りを買った。帰り際に、スタッフの方から芭蕉布に関心があるなら、それをテーマにした写真展が近所で開催されていますよ、と教えていただき足を伸ばす。時間ならたっぷりあるのだ。
2024.02.28
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2024/02/27/火曜日/穏やかな陽だまりの18日の夕方5時をいくらか回った頃から、お部屋でごろごろからむくりと外へ↓この歌碑のある辺りまでフクギ並木の道を通り、浜に出る。こんな防風林が沖縄の海辺の集落にはかつて沢山あったが、所々細い各所が車の通行を妨げるなど嫌がられてすっかり姿を消した。そんな中にあって、昔の姿を残す備瀬のフクギ並木は3.11の悲劇の半年後に、その景勝が頌栄される事になった。守り通した人の尽力があったのだ。住んでいる方は樹木のせいで大量の蚊の発生に悩まされているそうだ。短期滞在者は申し訳ないがこの風景を満喫する。そてさて。少しずつ日は落ちて、夕日を眺めるおじいたちがポツンポツンと。夕陽が沈みゆく様をゆっくり愛でる、そんな行為は日々の暮らしから失われて久しいが、ここでは誰かれ、見るもの見られるものの厚情が交わされる。それが有り難いのだ。2月の沖縄は好天に恵まれないことが多い中で、それはそれは美しい太陽と空と海の、刻々変化する様子に溶け込んでいく体験を得られたことも感謝。ところで、夕陽の散策中に出会った海亀のおっちゃんに色んな事を教えて頂いた。夕陽の位置が水納島と伊江島の間を一年でどんな風に変化するか。伊江島には戦前帝国軍の、東洋第一の滑走路があり、沖縄でいち早く徹底的に攻撃されたという。今はそれを米軍が使用している。黒潮の流れと3.11の漂流物、北風と南風↓備瀬の浜に打ち捨てられていたペットボトル心無い観光客がポイ捨て?と思いなんだか申し訳ない気持ちでいたら、バーコードの仕組みから国番号を教えられたのだった。一番始めの二桁、71は中国。因みに日本は49。確か生産地では無く、どこの国の企業によるプロダクトであるか、という規定もたると聞いた。この方は、20年ほど当地で海亀の子どもの成長を見守っているそうだ。↓おっちゃんは絵も描く。満月の満ち潮、小亀が海に帰る様、目に浮かぶよう。機会があればその場に居合わせたいもの。
2024.02.27
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2024/02/26/月曜日/寒いけれど晴れましたもはや先々週、18 遅いお昼ご飯を本部町で。というとやっぱりここは外せない、そんな風に考えるのは私たちだけではない、のだった。Googleで混み具合を確認したら通常よりは空いてる。ところが移動の内に瞬く間に並んだ模様。駐車場スペースはこの混雑でも潤沢だから、やっぱり30分越え待ち店なんだろう。そばは大小選べる。大を頼みジューシーは分け合う通常の沖縄そばより麺がコシが強く独特の風味がある。意外に量が多く、2時近いお昼でもあり夕飯にしわ寄せが。ジューシーはあっさりした味付けしかし、新垣さんところの氷ぜんざいは諦められず、しっかり食後に頂く。これまた、意外に小豆の量が多い。何事も控えめに、と思いながらもツイ完食残す、なんて選択肢はないのだ。あとはまっすぐ、しらぱまの宿に戻り備瀬崎の海に沈む夕陽をまったり待つ。
2024.02.26
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2024/02/25/日曜日/寒い朝、晴れず乙樽おとぅだる、の物語今帰仁城の東に流れる志慶真川のふもとにあり、今は川の名にのみ残る村に、光輝くような絶世の美女がいた。城の大主はその美女乙樽を側室に迎え寵愛した。大主には正室にも乙樽の間にも後継の子が無かったが、臨終の前に正室懐妊を知りみまかった。乙樽は、正室の安産と世継ぎの男児誕生を御嶽、クビ山に向かい一心に祈った。願い叶い無事男児が授かり、その後間も無く本部グスクの大主が今帰仁に攻め上がってきた。正室は産後の肥立が優れず、王子千代丸を乙樽に託し逃れるよう促す。乙樽はわずかの随身と山原の森に分け入り逃げおおせた。匿い育てた千代丸が8歳に成長すると、乙樽は貴人流離の事実を明かす。千代丸は長じて今帰仁に凱旋する。或いは北山を滅ぼした中山王、第一尚氏王統の64年後に第二次尚氏王統クーデターが起きるが、この時に王にまつられたのは、金丸という尚氏とは血外の者。これが千代丸の孫だ、という説もある。因みに金丸は伊是名島の出身と教科書にはある。伊是名島と伊平屋島は今帰仁城からは重なり見える。伊平屋島の洞窟には天戸開きの伝説が残り、神武天皇はこの島で生まれた言い伝えもある。沖縄でもっとも神秘的な島かもしれない。そして、今現在も血縁の人びとはその島じまを遥拝するために今帰仁のうがんしょにやって来る。私もそんな方がたとすれ違ったのだった。その発起、時期はただ、「呼ばれたから」というものだという。さて、金丸の孫にあたる尚真の時代、琉球というクニが整い繁栄した。この尚真、早くに父王を亡くし12歳で立つが暫く母后が政を担ったという。ある日、海難から救出され、やがて故国に帰った朝鮮人一行は、お后の行列に遭遇した。后の籠の後から馬に乗った立派な様子の少年の顔が大変美しかった、との記録が半島に今も残されているが、これが若き日の尚真だという。千代丸+金丸=千代金丸、元今帰仁王の所有であったあの国宝の剣と重なるではないか。琉球統一の王、尚真に今帰仁王の血が流れていると想像するのは、また乙樽の美が映し出されたと思うのはいかにも面白いではないか。これらは沖縄の組踊やおもろ草子にも歌われ、知れば知るほど、沖縄への愛着はかぎりなく湧く。
2024.02.25
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2024/02/21/水曜日/雨、寒く。雨水2/18 ちゃんやー(喜屋武家)で朝ごはん8:00しらぱまのおうちで少しのんびりして本日のメイン、今帰仁城址へ向かう。宿からは車で18分くらいかな。今帰仁城址は北山(ほくざん)部の精神的中心なのだ。ありゃ。途中、こんなお店に引っかかる。引っかかるお客さん多数。何ならここでお弁当も買える。私たちは今帰仁訪問を記念して、今帰仁の古酒5年千年の響を購入高価な古酒は2万円を超えていた。ここには与那国島の花酒43度も何本か在庫あり。↓バンコクに続いてまたもやこの方!どこにもいるなぁ。気を取り直しいざ世界遺産今帰仁城址へ。オープン時間間も無く入場、駐車場も未だ空いていた。無償ボランティアの方も直ぐにお願いできた。桜まつりは一月中には終わりなのだけれど、今年は寒さが不足のため?桜はまばらに咲いて、今ぞ満開、といった風情の樹も。30分程度の案内を大きく上回り案内くださったのは大阪出身のAさん。40名はいるらしいボランティアさんの半分が沖縄の方、残りは内地の方で構成されているらしい。老後を沖縄で、と考える方が大勢いる模様。Aさんの沖縄の歴史への造形と愛がとても深い。そんな方のお話を聞けるのは本当に嬉しい。琉球三山の歴史、殊に今帰仁城を中心とする話は一晩泡盛呑みながらできる長さだとか。ご縁があればぜひ次回お願いしたいものだ。自然の要塞という地理的条件もさることながら、今帰仁城の最初の拝所からは、沖縄でも重要な聖地であるクバ山の神奈備た姿見を正面に拝見できるからだろうか。風景が雄大で素晴らしい。面積は首里城と並ぶほどもあるという。ただ資料が無いため建物の復現ができない。城のための城壁ではなく、王や王の一族が住う場所を設けた建物や庭を囲み、外敵を防ぐ石垣として機能したらしい。何区画かある中にはは沢山の馬の骨が出土した場所もあったという。戦に備えて馬を育てたり明への朝貢馬にもなったらしい。↓沖縄行きの直前に読み始めたのはこれ。沖縄の高校生のために書かれた歴史資料。沖縄の歴史が理解しやすく編集されている。この度のガイドさん説明の良い復習になった。今帰仁城の北山王は交易で財を築き、栄華を誇ったが、やがて琉球を統一した中山の尚氏に滅ぼされ、中山の役人に管理統治されたのは二百年あまり。今帰仁城最後の王が所有していた霊剣、千代金丸。城の中でもノロ、女性しか入れない最大の霊所である御嶽の大石にこの剣で切付け、返す刀で自害を試みたが果たせず、側を流れる川に投げ入れた。結局、王は小刀で果て、ここに北山の歴史が閉じる。この剣はその後村びとが川から拾い上げて、琉球王尚氏に奉じられた、という物語がある。本物は那覇の博物館に展示されているが、立派なレプリカを併設の歴史文化センターで見られる。
2024.02.21
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2024/02/19/月曜日/朝夕は上着のいる晴れ間02/17/土曜日に着いた午後2時の那覇空港は少しむっとした。空港で迎えてくれる沖縄のお花沖縄ではいつも鮮やかな花が道みち見られ、いつも楽しみだ。今回は花ではなくフクギという木の並木道を味わうことを最大目的に沖縄北山を2日巡るのが目的フクギ並木が有名な備瀬という集落は名護の西北、今帰仁や本部町からほど近い。先ずは車。那覇空港を外し美栄橋側のレンタカー手配したのは、前々回空港から那覇市内までのラッシュに懲りた記憶が後を引いて。美栄橋からそのまま羽地の道の駅へ。迷いながら2時間くらいでたどり着く。↓バッソという車で2泊3日、沖縄北山部をのんびりとそこで今晩の夕食や飲み物、地元の食材を手に予約した二晩の宿へ向かう。20分ほどで辿り着く。↓古民家しらぱまのチェックインはこのチャンヤーというレストランがレセプションになっていた。宿はフクギ並木の終わる辺り、チャンヤーからは2分も歩かない。あー、これこれ。なんという眺めだろうか。敷地内に3棟の小さな家があり、私たちの泊まった民家は綛掛カセカキ。3棟の中では唯一昔の姿のままと思われる。リネン類とアメニティは充実している。お布団もシーツもタオルも清潔で質が良い。滞在中TVを付けることはなかった。Wi-Fiも快適だけど電子レンジやコンロは無い。自炊はムリだけど、近場に軽食できるお店がそこそこある。冷蔵庫にはシナモン風味のお水、名護の名水、オリオンビールとアセロラジェリーが日数分冷えていた。部屋ですっかり寛いでしまい夕陽を見過ごすとは、抜け作夫婦なり〜名残惜しく眺めて目と鼻の先の宿に戻るとフクギ並木はすっかり夜の風情だった。まあ、今日見逃しても明日がある。というのが嬉しい。あとは天気次第でケセラセラ。羽地道の駅で求めた味比べ泡盛をシナモン水で割ってごっくん、おやすみなさいませ
2024.02.19
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2024/01/23/火曜日/少し日差しも旅に持参したガイド本はこれだけ。正確に言うと『ザイム真理教』も持参して空港や機内では読んだけど。旅名人ブックス322004年8月30日 第2版第一刷日経BP企画谷克二・鷹野晃 著このガイドブックはスコータイの紹介から始まる。なぜなら、スコータイは最初のタイ人国家の都だから。なのだろう。タイの複雑な歴史背景を丁寧に解説している。元旦バンコクのワットプラケオ、とにかく凄い人で炎天下並んで入るのは考えられない。なんか同日の浅草寺を思い出すけど、あちらは邦人以外も無料だし。寒い時なので押合いへし合いもおしくらまんじゅうみたいで暖かい。タイ人以外は入場料500バーツには驚く。2300円くらい。美術館の発想であろうか。バンコクは今から40何くらい前に2、3泊したことがある。丁度10年前に訪ねた時のベトナムの街のような姿だった。この10年でベトナムも随分変わったのだろうけど、バンコクはさすがに40年。大都会になっていた。地下鉄なども6ラインあり、ちょっと不在にしているとどんどん伸びて知らない駅ができているらしい。私は古いもの、地方、自然、手仕事、ダンスなんかが好きなので、あまりバンコクに留まりたいとは思わなかった。都会はどこの国も似たり寄ったりでその国らしさが感じ取れない。ただ一つ、暁の寺 は見逃したなあ。『豊饒の海』を読んでからいらっしゃい、ということかしらん。辻政信にも目を通した上で、暁に染まるかの寺をじっくり眺める。それを次の旅縁としておきたい。あ、体調万全の胃袋でカニカリーも再び。今回のアイテネラリーホテル出たのは4時!だったんだ。はやっ。
2024.01.23
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2024/01/23/火曜日/曇ると寒い、大寒1/3 朝5時 スワナンプーム空港に向けて車を手配ホテル指定のナンバーを忘れてしまってのだけど、そこを通して決済なので、運転手と現金のやり取りは発生しない。誰が支払ったかというと私たちより後にチェックアウトした次男と思われる。タイエアラインカウンター付近には、辰年向きなオブジェが到着とお見送りをしてくれる。空港のセキュリティに手間取るからバンコクではデパーチャーの3時間前にカウンターに行け、と助言されたけど早朝のためかスムーズ。セキュリティチェックを終えてゲートに着いた時点でまだ1時間余裕である。早朝でも、私には無縁なハイブランド免税店は開いている。ラウンジを探すとゲートそばに幾つかあったけど、営業中はターキッシュエアのラウンジだけ。他はみな8〜9時オープンだったような。この日はターキッシュエアがお当番かな?トルコ風ではなくあくまでタイ風の朝ごはん。お魚ダンプリングの温かいスープは嬉しい。それに、あのお豆原料スイーツも!あら、食欲ややカムバックなり。ラウンジもガラガラ。日本人年配グループの方が朝早くから賑やかによく食べて異彩を放つバンコクは晴れて暑い一日になりそう。おかえり成田、はどんより曇りで思ったよりも温かい。やれやれ旅は愉し!コロナ雌伏四年。こんな旅を有難く思いつつも殆ど自前のことと思い暮らしていたのか。旅心に火を灯して家路に就く。
2024.01.23
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2024/01/22/月曜日/雨上がる1/2 ランチに来たのはプラウチャイ、Saithongriverというレストラン。駐車場からは伺いしれないけれど、奥まった通路の向こうは、川に面して明るいレストランが現れる。この川でしか取れない立派な手長えび?←オニテナガエヒ というらしい。他を頂いた。相変わらず食欲の戻らない私一人恨めしげにみなの食欲に圧倒されるのだった。故にアジも殆ど分からずT_T↑立派なメニューは写真付きなので注文に便利↓ドライブようにとお嫁さん一家の方が朝ご飯の後用意してくださっていたヘルシージュースが私にはとても良いありがたかった。これ、アユタヤのお土産ショップにも置いてあったけれどスムージーよりもお高い高級品なのだった。お腹を膨らませた一向は、バンコクの悪名高いラッシュを避けるために5時までには市内に入るべくアユタヤを後にした。↓途中、タイ風のシュガーコットン固い麺付き?をお試し用にドライブスルー方式で買ってくれた。ここら辺の名物らしく、沢山お店があった。ホテルに戻る前にお嫁さんが学んだカセサート大学へ。トイレ休憩かねて立ち寄る。↓高校生みたいに見えるけど、大学生は上は白下は黒、の制服がある。足元はフランク。つい最近まで髪を染めることもできなかったとか。なかなか厳しい。驚くことに車で誰でも出入り自由。学食や縁日の屋台風、キッチンカーで食事が取れる。マンゴースムージーを見て俄然食欲戻る。わーい、一人に丸々一個のマンゴー!それにしてもマンゴーの実を実に上手にカットします。これを飲んでかなり気分がスッキリ。ホテルに戻る。明日早朝ホテルを去る前にこんなホテルだったのか、と改めて確認。3泊もしたのに。最後の晩餐も食欲湧かず、スーパーで求めたマンゴスチンやデリカテッセンお買い物で部屋食。刻々変化する窓外の眺めがご馳走だった。
2024.01.22
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2024/01/21/日曜日/雨のち晴れ1/2 ワットプラマハータートで菩提樹の根本に囲まれた仏頭と向かい合ったあと、もう一つの遺跡とお寺へ車で移動する。その名の通り、菩提樹であった。遺跡からは、あちこちに池や水辺が伺え、素晴らしい環境にアユタヤ遺跡群は散在している。全て見ようとすると一日では済みそうにない。実は日本人村も割愛してしまった。この土地に日本人ツーリストが多いのは山田長政らの日本人村が17世紀初めに、このアユタヤの地に建造された歴史的背景もあるのだろうか。山田長政はバタビア王国に加勢してスペインを2度まで退けたという。日本史授業でそんな一コマを聞いた記憶があるが、この史実はタイ側には何も残っていないため、授業で触れられることもなければ、タイの人は全く知らないのだった。アユタヤには王室特級の重要なお寺がある。その名も ラーチャウォラウィハーン が寺名の最後に付き第一級の王室寺院を示すのだとか。お寺の名称ワットニウェート タンマプラワットの後にこれが付くのでやたらと長い。まるでイタリアの教会のような寺院が、日本で言えば明治の半ばから建てられたそうだが、離れた場所にあり、これも割愛。残念なこと。↑プラシーサンペット寺の駐車場で車から降りた途端少し先で土煙りを上げながら小さな竜巻が。瞬く間に上空へ駆け上がり消えて行った。その駐車場のおばあさんからお供えの蓮の花を買う。蓮は必ずつぼみ。これは合掌の形だから。アユタヤで訪ねたもう一つの遺跡ワットプラシーサンペットには、お参りできるお寺もあった。タイでは曜日生まれ毎にキャラクターカラーが決まっている。この黄色い旗は現国王の色?その国王は実は殆どタイにいない。どこにいるかというとドイツに構えた豪邸に愛人20人を引き連れて暮らしている。王不在の王国タイ。タイ国人は先王を深く尊敬し、現王を嫌っていることは確か。先王と王妃の若い頃の写真を見た時、とっさに美智子さんがお手本にしたのではなかろうか、という王妃の佇まいだった。しかし王室と皇室はその役割が明らかに違う、と私は思う。質素を旨として国と民の安かれを祈祷する、そのための祭祀を司る。これが本来の在り方で、その姿が民の敬愛に繋がったのでなければかくも永きお代が続く筈もない。平成流の反省の上に本来の姿を取り戻してほしいもの。お寺では寄進をするとお線香と紙包を頂いた。お香をたてる。紙包には、薄い金箔が入っており、これを入り口の仏像に貼り付ける。このお寺の仏像二つ。左はクメール的。右はガンダーラ的。アユタヤ遺跡の再現された仏頭はどれもほぼクメール的。右のお顔は珍しい。
2024.01.21
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2024/01/19/金曜日/春来るらしアユタヤはタイ語族の人にとっての古都でバンコクからも近いため、観光客がいっぱい。タイの他の街では見かけなかった日本人ツーリストにもたくさん出会う。食いしん坊にとってはここでしか食べられない、特別な川海老が食べられる街らしく。アユタヤに着いたら、最も有名な木に覆われた仏頭のある遺跡へ。↓なぜか、本日はアユタヤの遺跡やお寺はFREEentryなのだった。一番最初に目にするのがピサの斜塔よろしくかしぐ仏塔だった。ここは日差しを遮る所が少なく、日傘が自由に借りられるように用意されていた。私は時計回りに回ったが、それは最も最後に木の根本の仏頭を見るコースとなった。廃墟となった、祈りと王の居場所としての一大施設。殆どの仏像は首なしなのだ。↑首がないのは怖い、とかで新たに首が据えられた仏像も幾つかある。胴体と同じような仕上なので違和感はない。大勢の観光客がふと消えるような時間があり、不思議な時間が訪れる。ベネチアで感じたような不思議な光と影と音が思い出されるのも興味深い。こういう時はできる限り一人でへめぐりたくなってしまう。一見の価値のあるものは等しく見るものの心を揺さぶる。
2024.01.19
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2024/01/18/木曜日/好天続き乾燥注意1/2 旅もツゴモリ、明日は帰国という日本日予定はアユタヤへ、レンタカードライブその前にぜひ連れて行きたい朝ごはんの場所がある、との先方さまのお言葉に甘えマーケットへホテルまでお迎えしてくださる。本日の午後からお仕事開始のようなのに、ありがたや。連れて下さった方は、足元が濡れてないマーケットがお好きなのだとか。なるほど。そんな選択ポイントがあるのだなぁ。ここでは始終清掃の方がこまめに掃除しています。清潔で心地の良い空間。オートーコー市場というらしい。↓すごい銀杏の山!甘い味付け?テーブルの並ぶ感じはシンガポールのホーカーズが彷彿とする。テーブル席に面する朝ごはんのお惣菜店で何品か頼んで席につくと注文品が運ばれ、清算する。みんなすごい食欲だなぁ、朝というのに。私は未だ胃のモヤモヤが取れず、お粥を啜る。左下は高菜漬けみたいな味がして、お粥と相性がよく、幾分か食が進む。鮒の唐揚げらしき濃いめお味もお粥に合う。さて、この市場に素晴らしいスイーツショップがあった。王室にも納めるお菓子やさんらしい。基本はお豆でできている。カタチが華やかで可愛らしい。ほんのおちょぼ口向きのお菓子で、ひな祭りにぴったり。お豆とフルーツがミックスしたお味で、特にマンゴーやココナッツを感じた。賞味期限は半生で1週間くらい。↑右下は創立者?私が買ってきたのはこれ。頗る美味しい。日本でも手に入るのだろうか?お土産まで頂き、空港のレンタカーまで送って頂き、さあアユタヤへ。
2024.01.18
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2024/01/17/水曜日/好天1/1夕方 次男のお嫁さんファミリーとソンブーンシーフードパンタットン本店へ。これが今回の旅の第一目的。ホテルからは車で30分弱。行こうと思えば地下鉄もあるのだけど。タクシーを使う、あちこちでスムージーを飲む、つまみ食いを楽しむ、という東南アジアスタイルなのだ。郷にいれば郷に従う。タクシーが付けたのは裏口側で、お店の駐車場もこちらにあったみたい。丁度ご先方とそこで出会してご挨拶をする。↓おやおや裏口通路には写真が掲げられていて、A宮氏が美女に囲まれ思わず緩んだ表情ばっちり。ここは日本人観光客にとても人気らしく日本語がメニューに記載されていた。何といってもカニカレーが評判とかで、ごろごろと蟹の身が入ったカレー、殻付きカレー、川海老、川魚、蟹チャーハンなんぞをみなで中華風に分け合い食べる。あああ、美味しそう!でもいかんせん。先ほどのマンゴーと餅米のスイーツを欲張った私は天罰で食欲が湧かない。美味しいのに食べられない!胃の口まで餅米が_:(´ཀ`」 ∠):これは辛い、悲しい。みなさんの食欲、特にウチの次男坊と旦那は遠慮を知らぬ勢いで、団欒より食べるが先行。遠慮がちに小食の人、と思われているかもな私。いえ全然違うんです〜普段は旦那より食べるんです〜楽しく美味しいひととき、色々安心して再会を誓いそれぞれの帰途に着く。顔を合わせて美味しいテーブルを囲むっていいなぁ道々マーケットを冷やかす。地面はびしょびしょなので、足元注意。魚介にお肉、お惣菜にお菓子、果物にお花、色々ある。この季節なのにシャインマスカットも!どこ産なんだろう。ホテルに戻り、正露丸を飲んで休む私はタイの喜び、マンゴー、マンゴスチンに辿り着けず寝る。次回訪問して必ずや味わい食べたい、食い意地は横にならない私であった。
2024.01.17
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2024/01/15/月曜日/晴れ2024/0101 ゆっくり起きて朝食を摂りに近所の食堂街に出かけたが、お目当てのお店は元旦?のためか閉店だった。その隣のお店で頂くタイらしい朝ごはん汁なし汁ありにチキンボール安い、早い、旨い。バンコクでもほとんどの女性は食事を作らない。働くことが当たり前なのだ。さて、Chom phon とかいう食堂街に近い地下鉄に乗って、件のエメラルド仏が鎮座するワットプラケオ界隈を目指す。↓感心したのがクレジットカードで乗り降りできること。外国籍の観光客もOK。観光立国を目指すなら日本も取り入れてはどうだろう。↑タイのスマートな地下鉄は日本の協力でできた、と頌栄されていた。何事も後からの方が改良、改善されている。タイの新年は4月、とはいえ27日辺りからお休みでやはり人びとはお寺詣に勤しむ。そして、バンコクはとにかく暑い。チェンライ、チェンマイの気候とはまるで違う。スパイダーマン看板のお店でミックスフルーツアイスキャンディを食べる。最初に訪れたのはワットポー涅槃寺。入場料は300バーツ、本日から値上がりしたらしい。タイの人は無料なので、あれ、列を無視してない?と思うとそれはタイの方。タイのお寺は入ると広大なのに入り口は狭い。ここでも入るのに混雑。王様やお妃様の墓陵と思われる装飾パゴダが三基この中ではマッサージの施療が受けられる。敷地内には世界遺産?になったタイマッサージなら歴史資料館が併設されていた。元々お釈迦さまに施術したお弟子さまのテキストがあったらしい。それが書写されタイまで伝搬した。随分以前に戦災で消失したが、技そのものは細々と残っていたらしい。前国王はこれの復活を目指し、先ずマッサージの学問所をこの寺域に設立した、のだそうだ。寺内では、菩提樹を見ながら木陰で屋台で買ったランチやデザートが食べられる。靴は脱いでね。↑前々から聞いていた餅米とマンゴーの取り合わせ。ギョッとしそうだが、フレッシュなマンゴー餡と餅米がお口の中でおまんじゅうに仕上がる、と思えばよろしい。ほぼ一人でこれを平らげてしまった。とにかくマンゴー好き。しかし、これが後々敗因となる事を思い知るのである。長大なお釈迦さまの涅槃像観光客の私たちも敬虔な仏教徒も入り乱れ。タイの古式マッサージについて少し学んだので、涅槃のお釈迦さまはむしろ気持ちよくマッサージを受けられている姿に見えた。◼️その後、肩と頭部のみのマッサージなら直ぐできると聞いて受けてみた。思ったよりも痛くない。15分か20分くらい。終了間際に耳を手のひらでぽっかり塞がれた時、不思議な感覚があった。時空が何も感じられない、というような。その手ががぱっと開かれた時、一斉に音も時間も空間も開かれ、まるで産まれたて、みたいな感じ。そして次なる予定のワットプラケオへ↑暑さと食い意地に負けてサトウキビジュース。東南アジアの路上で買い食いしない戒めなんかとうに忘れ果て門前まで日差しの強い中をよろよろ辿り着くと長蛇の列。長時間は待つと聞かされる。炎天下を歩き続けへとへと、気持ちはとにかくクーラーの効いたベッドへ。しかし、これがタイの冬なのである。真夏の再訪は絶対ムリ。過去にプーケットを訪れたことがあったが、あれも3月だった。それでもひどい日焼けでうつ伏せでなくては寝られなかった記憶が…↓最寄りの地下鉄駅までトゥクトゥクに乗る。交通ラッシュで進めない。排気ガス吸いすぎで気分が悪くなる。大都会バンコクの移動は地下鉄+日陰を歩く、がよろしいかも。↓小洒落たウェルカムドリンク飲んで部屋でバタンキュー、夜の会食に備える。
2024.01.15
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2024/01/14/日曜日/晴れさようならアカマッドハウスのある村、また来れたら嬉しいな。12/31 タイ旅の5日目も暮れようとして、バンコクに戻るその日は大晦日、チェンライ空港へ。ここで3日お世話になったティンさんともお別れ。パーソナリティが素晴らしく、運転はもちろんカメラの腕が抜群。次回にもチャンスがあればぜひお願いしたい。この費用は13000バーツ。それに別途ガソリン代はこちら持ちで支払う。最大五人乗りなので、一人当たり11000円。これだけディープな旅、偶然の場所、常に駐車場を気にせず最短の場所で乗り降りしてくれるサービスを思えば大変お得だと思う。チェンライ空港はコンパクトなので搭乗も楽。やはり民族衣装やプロダクトが人気。例のプランテーションのお茶屋さんショップがあった!高級品でございますー。さすがタイ。こんな小さな空港でもお坊さん専用のラウンジがあり、待合室のコーヒーサービス棚の上にはお釈迦さまこの日のこの便を持ってスマイル航空は、タイエアの傘下に入る、最後のフライト。に乗り合わせてしまい、何やらノベルティを重役が機内サービス。バンコクの空港に着くと、空港で待っていた取締役らしき方やスタッフと記念撮影が待っていた。バンコクは何といっても大都会。デパート、ショッピングモール併設ホテルに宿泊部屋に入ると間も無くニューイヤーの花火があちこちから上がる。
2024.01.14
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2024/01/14/日曜日/雪残る朝12/31、午後わりとアバウトな時間予約で現地へいやはや。運転上手のティンさんはこの村を出た後で、2度とこの道は走りたくないなぁ、ともらすほどの危険な悪路、ではあった。そんなこともツユ知らず。えええ、怖い道だねえ、落ちたらおしまいだあーと我らは呑気なものである。そうして辿り着いた。先ずはウェルカムティーでもてなしてくれるご主人。プランテーションのお茶とは違い、この辺りに自生するお茶の木にジャスミンをブレンドしたもの。旅人に先ずはお茶を振る舞うのはアジアのマナーこの方はアカ族で、一人で20室のコテージを作り、経営している実業家だ。50室に増やす気満々。健康で温かく知力も行動力も胆力も充実して大きな人、という感じ。久しぶりにこんな男性を見た。草葺きの屋根は90度ほどパカっと開く仕組み。夜星を見るため?何故かは聞きそびれた。それが彼らの住まいの古典様式であるのかははっきりとしなかった。どうやって開け閉めするのか尋ねたら、実践してくれた。何と電動式。彼が自分で作ったという。昔は紐て゛開け閉めしたよ、とこれも見せてくれた。奥さんがお食事サービスして下さる。因みに奥さまはタイ人でチェンライで公務員として働いていられるとのこと。奥さまもみなぎるような健康な温かさの持ち主と見えたのだが、例のワクチン以降体調が元のようではないそうだ。こんな自然の人びとは免疫力は相当高いと思われる。不要なものを用い残念なことだと憤る。↓美しく盛られたお食事下の左の山草はこの地域でしかフレッシュで食べられないらしい。私たち日本人にはどれも美味しい。山野草を中心にしたメニュー、お出汁はキノコや野菜から。お代わりも望むだけ継ぎ足してくれる。おかわりの方が多かったりする。何度もお代わりしてそれを空にして満腹。↓フロント。カフェサービスもあり、アカ族の民族衣装を付けて写真を撮るサービスは無料だ。お腹がくちくなると探検私たちの後から、マレーシア辺りから宿泊しに来たカップルが食料などをコテージに運んでいた。アカ族の人とのウォーキングみたいなエクスカーションもあるみたい。ハウスの外に出てみるモン族の人の村のように、犬が寝そべり、女性は輪になっておしゃべり、子どもたちはどこかでつるんで遊んでいる。花が咲いている。私たちがランチを取った建物を遠くからみるとまるで清水の舞台だった。若しくは宮崎駿の世界建造物は全てこの土地ならではの赤い土で作られている。ここのコテージはプランテーションのそれの半額、およそ五千円。部屋の向こうから朝日が昇るのが見えるそうだ。
2024.01.14
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2024/01/13/土曜日/天気予報では雪?旅日記の私は12/31お昼前タイ北部チェンライの一大お茶の産地で、人気プランテーションのお茶屋さんに辿り着いた。どこまでも広いお茶園と洗練されたカフェがある。敷地の高低差を巧みに取り入れた建物の、屋外屋内のあちらこちらで、まるで鳥たちのように、自分の好みの止まり木場所を見つける。ここぞお茶を囀る場所、と座り待っていると間も無く選択したお茶が運ばれて来る。↓若い人たちはお茶系ドリンク、私共夫婦は高山茶と烏龍茶例年の大晦日といえば、一日中台所に立ち続ける習わしが、強い日差しを避けながら、目前で摘まれたお茶をゆっくり頂けるなんて。僥倖でございまする。何者かのおわするや、かたじけなさに涙零るる。ショップを覗いてみると、結構なお値段がする。タイの普通の暮らしではかなり高額だろう。お茶器なども扱っていて、どことなく台湾のお茶屋さんが思い出される。台湾では阿里山、日本では宇治の滋賀県側、お値打ちのお茶が買えるなぁ。記念にティーバッグ1袋のみ購入、庶民の懐なり。ここの風景が一服のお茶空間なのだ。見渡せば欧米系はおらず。アジアの様々な人びとがうち揃い、明るい顔でみなそれぞれにお茶を楽しんでいる。幸せだなぁ。↑座った場所から見えるのはバンガロー。一棟一泊確か日本円で一万円くらい。部屋から見えるのは茶畑とお山と空。朝日や星空がさぞや美しいだろう。再び訪ねることがあれば泊まってみたい。この辺りはアカ族が沢山暮らしている。アカ族の人はクリスチャンが多いとか。車上からも小さな村に教会を見た。こんな所までミッションにやって来た当時の彼らの情熱をしばし考える。幾千の言語辞典を作り、住民の病気を治癒して教化し、その土地の植物や種や文化財を収集し、地図を作り資源を記し、総本山に持ち帰る。総本山はその情報や資源を元に大資本と結びついて巨万の富を蓄えた。総本山に戻れなかった者は異郷で骨となったか。そんな歴史も畳み込まれた山襞なのである。ワットプラタートドーイトゥンは、この眺望の更に北にある。昨夜私たちを乗せてくれたトゥクトゥクの運転手さんがチェンライに来たならぜひそこを訪ねてほしいと教えてくれたお寺。今回は時間不足でそこまで行きつけず心残りだ。メーンライ王国の最初、つまりタイで最初のお寺。そこにある二つのパゴダの左にはお釈迦さまの鎖骨が納められているという。右のパゴダにはお釈迦さまにまつわる聖遺物。上座部仏教の人の聖地ともいえるお寺なのだ。いつからそこに建っていたかは未だよく私自身調べていないけれど、Google情報ではほぼ紀元前後のこと述べている方も。当時どんなルートでお釈迦さまのお骨が伝搬されたか。インドとの距離を見てみると、悟りを開かれたブッダガヤとお寺は徒歩でも24日で行ける。インドとタイはミャンマーを挟んですぐそこ、おそらく山の民にとっては。なんだなぁ。
2024.01.13
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2024/01/13/金曜日/一陽来復次の目的地に向かう途中、道路沿いに点々とあるパイナップル売りのスタンドで、ドライブスルーのようにしてパイナップルを求める。チェンライでしか食べられない、しかも今が旬のパイナップル。小粒で芯まで甘くイガイガしない。売り子さんの帽子もパイナップルみたい、笑顔が弾けるよう。ガソリン代は日本とほぼ同じ。走り行けば、もう殆どミャンマー国境。簡易なパスポートチェックなどの建物を見つけたりしながら山襞を登って行く。好い天気と眺望この道を切り拓いた人への感謝かな?流石にここまでは一般的なタイ旅では訪れにくいのに違いない。表記は日本人にも読める漢字。タイとミャンマーとラオスが接するこの地は、いわゆるゴールデントライアングルと呼ばれるケシの一大生産地だった。山岳民族に国境は無いだろう。あるのは山の尾根や谷戸。それに山の幸。焼き畑などしながら季節ごとに自由に移動していただろう。そこに雲南からも多くの国民軍が南下して来たのは蒋介石が台湾で政府樹立した前後のこと。国境の曖昧なこの地域で中国共産党の部隊と戦闘しながら、いわばタイ王国の傭兵のように働いた。ひょっとして敗残日本兵なんかも含まれていたかもしれない、などと想像する。メコン川は近いのだ。山の英気を吸い込んで、麓の小さな町が賑わっていたのを認め、下車してみる。同乗2名が、ヘアピンカーブの連続で車酔いしたため、休憩も兼ねる。生活者のためのマーケットであり、時々訪れる近在の人のためのマーケットでもある。ここはアカ族の人と中国系の人が半分ずつ仲良く暮らしている様子が窺える。あるいはミャンマーのシャンあたりから政権の迫害を逃れて来た人もいるだろうか。アカの人たちも手芸や装飾に手の込んだ仕事をしているが、マーケットでは薄利多売の土産物が並んでいる。私は薔薇のお茶を買った。この土地で採れ、この高山の気候で乾燥させた薔薇のお茶。それと好物の胡桃棗。上の画像の美少女からアカの人のマーケットでは大人のものと同じ分量で子どもの民族衣装も商っていた。こちらはとてもステキな元美少女、アカの婦人。そういえば、日本の半纏みたいな上着が見られた。
2024.01.12
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2024/01/12/金曜日/窓辺は温かい12/31 ホテルはコテージスタイル三つ星にしては、フェイスタオルがない、とかバスルームには換気扇がない、とか、コンセントが日本企画にアジャストしないとか。野生的。まあ、そんな状況も楽しみつつフロントでフェイスタオルをもらう。朝ごはんは素晴らしかった。幾つかの選択メニューから卵のお粥を選択したら、実はどのお粥にも卵があったので、2個!このホテルには夜分着いて、朝には出てしまい、肝心のファシリティである、プールやガーデンは少しも楽しまなかった。もっともこの季節、チェンライ辺りはお昼前後でなければ涼しくて、水遊びをしたいとは思えない。私のチョイスはどうせ使わないプールの維持管理費の乗っている宿泊料を払わなくてよいホテル一択なのだけど。こちらは次男夫婦のチョイス。本日一番目の訪問地は ワットプラケオタイでワットプラケオというと、バンコクの王宮側にある王室保護のお寺、かつエメラルド仏で有名。ところでバンコクの方では今年から入場料が何と500バーツ。2200円もする!4人で入れば一万円近い!ただしタイの人はただ。↓沢山のコーナーがあり、其々に熱心にお祈りをする人が沢山。年末年始はよくお寺を訪問するらしい。こちらのワットプラケオは入場無料だったと思う。エメラルド仏もレプリカだけど本堂に鎮座されている。30年くらい前に中国に発注し、本物よりも1ミリ小さく再現されたそうだ。しかし、バンコクのエメラルド仏はこのチェンライのワットプラケオからチェンマイを経て、異なる王統の所有となったのだった。元々は遠くスリランカから渡って来たらしい。15世紀半ばのことだ。その間にもラオスの部族に盗られたり。かつては王の一族だけが見ることのできる秘仏で、仏像の中に隠されていたのが、ある日秘仏のお堂に雷が落ちて、みなの目に触れることになったとか。そんなエメラルド仏にまつわる歴史エピソードを伝えるコーナーもあった。ここには休暇中の軍人さんも。休暇中でも、外では制服で過ごすらしい。敬虔な祈り。世界平和さて、タイのお寺の素晴らしいところそれこそ沢山のお寺のどこかしらでいつでも食事が無料で振る舞われ、飢餓でタイ市民が亡くなるなんてことはないそうだ。困っている人はどこかのお寺に身を寄せることができる。雨つゆ凌いで空腹も満たせる。タイでは成人男性が2週間お寺で修行することが義務だとか、そんな若者が困窮している人の世話をしてくれるかもしれない。日本でも今はもちろんないけれど、兵役より寺役?の仕組みがほしい。カルト宗教に絡め取られることも防げるのではないだろうか。↓私たち旅の者すら、サービスのご婦人に振る舞われ青汁のような飲み物、かすかに竹の香り。と、沢山の中から一つだけスイーツを頂いた。あ、蒸したお芋2種も分け合って食べた。もっちりした食感、中はココナッツ。甘さは控えめでとても美味しかった。全体的に健康食、オーガニックなお料理が並んでいるように見受けられた。ご馳走さまでした。感謝は、わずかばかりの寄進で。ここには博物館もある。明るい気が溢れている。
2024.01.12
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2024/01/10/水曜日/光が少しずつ戻る12/30 チェンライ街中橋の街頭も異国情緒を灯す。夕方6時ごろだろうか。日本との時差は2時間だけど日は長い。ホテルに戻り、ホテルのレストランで夕飯をさくっと。ティンさんも一緒に。味はまあまあなんだけど、スタッフが少ないとかで、やたらと時間がかかった。この後マーケットの場所まで送ってもらう。ティンさんは7時までの契約で、また明日ドライブ。ところがまぁ、すごいひとひとひと。車はなかなか進まない。↑タイでも人気、タイ式たこ焼き。食べたいけれど、夕飯を済ませてしまったのだった。試しに食べたのは昆虫!生まれて初めて食べまする〜 流石に手足はボロボロこぼして胴体だけにしてトライ。意外にクリーミーで美味しいかも。でも袋詰めで買うのは控えた。↑タイ式スシ?うむむ。人気のようで良く売れていた。↓右の細い棒のようなお菓子?ちまきみたいなものかなぁ。後で半分こしようと言いながら、次男夫婦の部屋に行ってしまい、食べ損ねる。しくしく。↓マーケットの中ほどに、お花が豪勢に飾られたエリアがあった。中まで立ち寄れず。この辺りから、ぐっと日用品、普段使いなお店が並ぶ。とても広大なマーケットなので、ただ歩いて眺めるだけでも随分時間がかかる。全体の三分の一も回れない内に店仕舞いを始めるブースも。聞くとチェンマイのマーケットを凌ぐ大きさらしい。↓雑貨や衣料品は特に目を引くものはなかったけれど、少し上質のTシャツがあったのでそれをお土産に。また一つ、竹で編んだ素晴らしいお茶入れが後ろ髪を引く。旅先でのモノコトヒトは一期一会なんだけど。さて、夜もふけてまいりました。憧れ?のトゥクトゥクに乗り、今宵一夜の宿へリターンタイは元気だ。若い人も多い。そしてみな楽しんで暮らしているように見える。
2024.01.11
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2024/01/10/水曜日/程よく良い天気12/30 チェンライ県にてカレン族のテリトリーの出口ではアカ族の女性が機織り中。↓画像のアカ族は正装らしく、さすがに普段の暮らしは上の左のような姿。犬をよく見かける。みんなで飼ってるのかな?タイでは犬はたいてい寝ていることが多い。大人しい。仮そめの住まいでも家の周りを植栽して、きれいに清掃されている。遠くの方から笛や太鼓の音が聞こえる。どうやら舞踊を始めるらしい。お年寄りの方ばかりだけど、その身体にはその部族の文化、芸術、振る舞いがその年月の分染み込んでいるのだから何となく有り難さも増す。真ん中の白い頭の男性が、いわばコンサートマスターみたいな雰囲気で、民俗芸能を大切に伝承している雰囲気がこちらにも伝わる。強要されるわけではないけど、ドネーションの入れ物が柱に付けられているので、ここは奮発してドネーションしたい。お金を入れると、みんなが明るい顔で大きな声でお礼をのべてくれる。どこまでも明るく対等な感覚が好ましい。↓なんて美しい風景だろう。背中の男性は私たちがうろうろしている間、ひたすらこの赤いたちを掃いていた。おかげでテリトリー全体に清潔な空気が流れている。昔からの知り合いみたいに、こちらにすっと入って来て舞踊を見せてくれ、私たちも踊れという。輪の中には93歳の女性がいて、彼女は毎朝薪を割るそうだ。小柄で痩せていてしなやかで屈強だ。思わずハグする!日も翳り始め、村ともそろそろお別れ。沢山の人が訪れて、ここでプロダクトを買って欲しいなあ。村の佇まいはどことなく懐かしい。
2024.01.10
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2024/01/08/月曜日/好天 白い不思議の寺から車で40分ほど北上して山岳民族の村の見学をする。↓入場料は日本円で1280円くらい。これが彼らの生活を支えてもいる。アカ族、ヤオ族、ラフ族、カレン首長族、カヤ族と案内が見られる。Googleではカレン族村となっているけれど。確かにスペース配分としてはカレン族が大きいけれど。入り口からは森の中、階段を下る。左側に抜け道みたいな道があり、そちらへショートカットすると、カレン族のテリトリーに入った。カレン族の彼らは他の部族と違い、はっきりミャンマーに属する人びとだ。コロナの時は観光客が来ず実入がないため、ミャンマーに帰国したのだとか。今再びここで生活文化を紹介しながらプロダクトを売る小さな店を構えている。地機を織ってスカーフやテーブルセンターなどを作っている。それ以外はミャンマーから持ち運んだお土産物だという。スカーフを幾つか買う。彼らの生計になるのだから。カレン族の美しい女性。美しいメイク。素朴な暮らしを見るのが大好きなのだ。文化人類学の勉強をすればよかったと今更ながら思う。高校時代には思いつかない学問だったなあ。彼らはここで生活もしている。誠実で正直な雰囲気を持っている。穏やかな暮らしを慈しんでいるような。撮影フィーはフリー。男性の姿は無い。 ミャンマーで働いているのだろうか。年をとるほどに首は長くなる。そうなると首の金属重量は5kgを超えるらしい。うわー肩凝り族の私はとてもムリである。この首輪が撮影用に用意されている。女性だけが着用するものだけど、男性も撮影していた。一説では、山で虎などに襲われる時、首の動脈などに噛みつく事が多く、これを防ぐために始まったという。↓美しい色合いのスカーフカレン族のテリトリーは広いので、いきなり買い始めず、ゆっくり眺めてお気に入りを探すのがよい。二つと同じ色合いは無い。道を辿って行くと、広場らしい所に村の学校があった。だの民族の少女だろうか。放課後らしい学校の前で、ノートに英語の文字を書いていた。この少女が大人になって活躍する頃、世界は今よりずっとずっと美しくなっているよう、願わずにいられない。
2024.01.08
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2024/01/08/月曜日/気持ちよく晴れるパイ屋さんを出て車は30分ほどで異形の寺ワットローンクンへ。このお寺は僧侶がいるわけではない。一人の、タイの人間国宝みたいなアーティストが自分の手で作り上げているらしい。地獄門の入り口の橋を渡り、極楽イメージの天上世界へ渡る。白一色、眩しい、暑い、ひとひとひと、の世界。タイ版恐山。タイのお寺や博物館、観光地にはパンフレットが今までのところ無い。それで規模がよくわからないけれど、これから仕上りを待つお堂がいくつある。件の芸術家は死ぬまで作り続け、未完に終わるか、志を継いで、サクラダファミリアになるのか。お坊さんも観光か、楽しんでいる。左の建物は深い泉が作られていて、真ん中の台に投げ銭が乗ると願いが叶う。投げるポジションは自分の干支の位置から。何と、私の1円玉が乗っかる。投げる前に願いを唱えるのだがささやかな祈りで、もはや忘れているという。タイのお寺には生まれの曜日の仏様に油を注ぐ、というお参りもある。左。芸術家の作品 など案内が別棟で見られる。このお寺というかワンダーランドというか、施設にはタイ人以外は入場料が必要。施設を出ると山岳小数民族の村が近いことを伝えるようなショッピングモールが。あまりの暑さ、日差しの強さにスムージー。
2024.01.08
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2024/01/07/日曜日/午後から曇る12/29 チェンマイの朝は上着が必要なくらい。日本からやって来ると過ごしやすい。ドライバーのティンさんの運転でチェンライ、タイ北部へと向かう。タイは田舎の道でも車が多く混雑している。ガスステーションにはコンビニやテイクアウトのタイ食、果てはロトなんかも売っていた。↑タイの人がよく食べるらしい、焼きトンの甘だれ風と餅米。それぞれビニール袋入り。快適なトイレもあるので、2時間毎には立ち寄ってくれる。といっても、途中渋滞があったが、お昼にはチェンライのリゾート地で人気らしい、ティンさんおすすめの、スアンチャンリゾートパイでランチを摂る。アクセスの道が分かりづらいので、知ってるティンさんも間違えたくらい。現地では人気らしい。レストランからの風景が素晴らしい。川には日本で見たことのない、樹木の種がたんぽぽか蝶のように白く吹雪ながら舞っていた。元々がパイ屋さん。ご飯はタイカレーが数種類、シンプル。タイでは飲み物はミネラルウォーターを頼む人が多い。カレー用の辛めスパイスドレッシングは、そこまで辛くない。チーズのパイ、チーズはリッチ、甘味がやや強いけど思ったよりいけました。学生時代に訪れたカトマンズのやたらめったらのパイ屋さんを思い出す。ハシシを求め欧州から流れ着いた若い人たちが、パイだけは捨てられなかったのかな?↓パイ屋さんにあった地図さて、車は更に北上へ。タイの地図のてっぺんの方へ。
2024.01.07
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2024/01/06/土曜日/これは冬?という暖かさ12/28 夜7時スタートの舞踊を楽しみながらチェンマイ料理をいただくプラン↓オールドチェンマイ文化センター旧市街のホテルから2.2キロほどの距離、わたし一人なら断然歩くのだけれど家族がいるので車で。歩かないと旅の面白さの殆どが奪われるような気がするのは私だけ?周囲は薄暗いため、勝手が分からないとまごつきそう。英語で表記されているとはいえ、見落としそうなウェルカムドリンク。新婚旅行も未だな息子夫婦との共旅のおかげでいただけた。年はとってみるものです。民族衣装やハンドクラフト、民族舞踊が好きで機会があればそれに出会いたいと願っている。会場に入った時には既に満席状態で、最後部のテーブル席だった。欧米系が7割、日本人は私たちだけ、みたいな印象。あとは東南アジアや地元の人かな。ここではランナー王国地方の郷土料理、お代わりあり。を頂きながらの音楽、舞踊、剣と火の舞など。ランナー料理は台湾のウーライで食べた山岳民族料理を思い出すような味。タイ北部、チェンマイの踊りはバンコクと比較するとゆっくりしているとのこと。言葉も振る舞いも人当たりものんびりしているので、バンコクの人もこの地方で癒されるのだとか。獅子舞が客席を回り、口に投げ銭するのは日本の懐かしいお正月さながら。↑ツレが投げ銭中これは、でも獅子ではない。牛かな?馬かな?8時半ごろのフィナーレでは、銘々好きな人がステージに上がり、タイ舞踊を真似て輪になり踊る。もちろん私も参加(^^)
2024.01.06
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2024/01/05/金曜日/温かい夕方12/28 ドーイステープを下りて来たら丁度お日さまが湖向こうの山に沈みそうなので、湖畔で一休み。この湖はキャンパスの中にある。なんて広大な敷地。タイは大学進学率100%と聞いたけれど、実際のところはどうなのだろう。画像では人が余り写ってないけれど、それはそれは沢山の市民、特に若い人でいっぱい。↓ワンちゃんが上手にお水を呑む。大学キャンパスを観光客にもオープンにしたら、コロナ前の中国人観光ラッシュの時に授業中の教室にも押しかけて今は建物内には入らないとか何とか。中国人は逞しい。↓宝物、ではなく貨幣博物館チェンマイ市内で通りかかった博物館は入場フィー無料なのに私たちだけ。新しく清潔な建物なので、お手洗い利用にも良いかも。マスク着用を求められます。↑デザイン力高め。私の好むところに近い。↓貨幣の歴史が学べる。貨幣の歴史が学べるだけでなく、別棟の小さなスペースには、少数民族の民芸品展示も。江戸時代前頃から?お茶人のエキゾチックな茶器の収集は、この地方まで及んでいた。↑今のタトゥーとは異なる。デザインではなく信仰心とか祈りに近い印象。紋様の連なりはイスラム世界のデザインのようでもある。↑ぽんぽん飾りが愛らしい。女性を花のように飾る文化が好ましい。
2024.01.05
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2024/01/05/金曜日/仕事始まりは晴れ12/27 ホテルで予約してもらおうとした makkhahealthandspa.com マカーというスパ。実は翌日もトライしたが2日続けてブッキングフル。このスパは何日か前には予約した方が良さそう。ホテルとは目と鼻の先で、オールドタウン内なんだけど。2番手希望のthehomemassageandspa.comザ ホーム はすぐ予約が取れる。これはオールドタウン外で東南角方向にある。ホテルとスパの送迎車含む。甘いお茶を頂きながら面談、タイの古式マッサージ全身90分コースを選択する。ここの価格設定は良心的とのことを後から教えてもらう。高くない印象だった。現金ならばカード払いの手数料分を引いてくれる。さて、古式マッサージは2種類の塗布剤を選べるらしい。タイガーバームはすぐ理解できたのだけれど、もう一つの説明が私の英語力では理解できない。イリーガル、ジャパンなどが聞こえるのできちんと把握したい。面談者はソフトなお兄さん。分からなくてもスマホの日本語翻訳で、それが大麻由来のCBDオイルであると知る。東南アジアでタイが初めて大麻を合法化して以来瞬く間に依存者が増加して社会問題になっていることを当地に来て初めて知った。コンビニで普通に買えるものも。それと知らずに買ってしまうこともあるらしく、よほど気をつけないと日本で見つかればパスポートが持てなくなる。スパ風に脚を丁寧に洗ってもらうところからスタート。上のフロアに移動し、夫婦並んで施術。強く感じたらノックノックと声を掛けるらしい。私は、ミドルを選んだけど脚部はもう少し強くして、と伝えた。90分はあっという間、施術後は身体が軽くなり、それに伴い気持ちもさっぱりする。タイでチップは求められないけれど、気持ちの良い女性ドライバーの方だったので100バーツを。
2024.01.05
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2024/01/03/水曜日/バンコクも早朝は上着12/28↓村の駐車場に着いたところモン族の人びとが集まって暮らす村が、ドーイステープ西側山麓にある。↓このゲートをくぐると民芸品のお土産もの屋さんがずらりと迷路のように枝分かれしながら山に沿って登りながら続く。かつては王国を築き、その文化が古いタイの人びとに影響を与えたそうだが、今は昔。↓ゲートから入って少し奥の左側の食堂でランチ、カオソーイ。窓からは学校が見える。しかしながら、手仕事の精妙な仕上がりに幾何学的妙を覚える。昔の手仕事を愛する私にはたいへん魅力的な村だ。ここで今回旅のお土産をほぼ買う。民族衣装のスカート12000バーツ、編みカゴ300バーツ、ヘーゼルナッツやドライフルーツなど。チェンマイのお寺界隈の出店の半額から3分の1くらいの値段。ただし街の方がより洗練され、良いデザインがあったかな。↓モン族の長のような方が個人で作った素朴な民族博物館。やはり、展示されていた古い手仕事がはるかに美しい。残念なことに、これしか展示がない。東北のコギンザシのような味わい。良いものは公共の博物館や好事家の手に殆ど渡ってしまったのだろう。↓小さな博物館を抜けると、山に向かって天上の花園、なるほど所々にはケシも見ゆる。タイでは2年前に法的に許されているらしいが、一般のタイ人大人はアンビリバボーと受け取ってるとか。↓チェンマイのブティックで見かけたやばいスーツ花園の中を歩いて少し登ると上にステキなカフェモン族の人たちはケシからコーヒーの栽培に切り替えた。このお店はそんなムーブメントの開拓者らしく、自家焙煎のコーナーもある。美しく歳を重ねたモン族のオーナーマダムがカウンターでコーヒーを淹れてくれます。トイレはタイ式。ペーパーは流さずゴミ入れへ。脇のお水を柄杓で掬い流す。山奥だけど清潔。20バーツの代金が必要。カフェから下ると子どもたちが山の水を溜めているため池で遊んでいる。小さな魚をすくっていた。案外深いらしい。↓対面には村の人たちがカフェでビールを飲みながらのんびりおしゃべりをしている。年代もまちまち。子どもらを花園と一緒に眺めながら。ちゃんと大人の目が届いているのだ。なーんかゆたかだなあ。ショップにいる人たちは何かしら手を動かしている。刺繍の衣類は、自分のお店のものは自分で作っているお店が多いようだ。↑真ん中カゴの写真、一番手前下のを買った。お土産にも二つ色違いで。イスラムの少女は珍しい。とても可愛い。かつて刺繍した布のプリントの布なども。一つ一つゆっくり見ていくと3時間以上はかかりそう。同じものを扱っているようで微妙に違う。
2024.01.03
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2023/12/31/日曜日/朝夕は涼しいチェンマイ、チェンライ12/29 仲間が2人増えて朝ごはん。私もチェックしていたお店ではあったけど、カオマンガイがとても人気のお店キアットオーチャとGoogleマップには出ているけれど、お店のメニューにはギアッ・オチャーとある。日本語メニューがあるくらい、ここに来る日本人が多いということ。ただコロナ禍以降日本人ツーリストが減っているらしい。メニューが頼み方、食べ方を詳しく教えてくれる。4人でお腹いっぱい食べて1500円ほど。自信を持ってご馳走できます!美味しいカオマンガイこのお店の並びは美味しそうなお店がいくつか並んでいます。さて、本日は、ドーイステープの2つのお寺とモン族の村を訪ね、夜は文化センターで舞台を観ながらお食事という盛りだくさんの予定。↓街中の電線が凄いことに!古いものを処分せずに積み上がってこうなったらしい。古いものは捨てよう、自分。朝9時にホテルピックアップで、本日から3日お世話になるドライバーのティンさんは、何と元会計士。早期リタイアして、観光ドライバーとして小さな組織で働いているのだとか。↑ホテル側の住宅◼️ワットプラタートドーイステープドーイというのはランナー国だったこの地方の言葉で山を意味する言葉と聞く昨日から年末年始のお休みに入ってここを訪れる市民で大変なラッシュ。山のほぼ頂上付近にあるドーイステープ寺院にお詣り。ケーブルのようなリフトで上る。↑工事中らしいパゴダ?は足場まで黄金色お堂は眼下に広がるチェンマイの街から臨める。それはきらりと輝く仏陀の額の光のようでもある。それにしても実に多くの人がお寺に参拝し、お花を備えドネーションする。山にはお墓も付属していて、この地に葬られることを願う欧米系のお墓も、百年以上前に生まれた日本女性らしき人のお墓もあった。◼️ワットパーラートここは知る人ぞ知るお寺らしく、先のお寺に比べると人はまばらで、チェンマイの人よりも観光客が多い。タイの他のお寺とは明らかに違い、瞑想的な雰囲気が漂う。どうやらヒンズー教の流れも汲むような様式が伺える。お寺全体は深い山の中にある。お寺の周りは水の流れが豊かである。静寂があり、池の向こうの遠く下に古都チェンマイが臨める。タイには数え切れないお寺がある。その中で私が訪れたのは十の指にも足りないほどだけど、ここはきっと、もっとも好むお寺の一つになるだろう。
2023.12.31
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2023/12/31/日曜日/チェンライの朝は15度12/28チェンマイのお昼ご飯ワットチェルディアンからほど近い所に評価の高いレストランを発見。こんな竹林プロムナード突き当たりを右へレストランに入ってみると、ヴィラ風な中庭空間はプールになっていて親子が泳ぎ、お年寄りはプールサイドで寝そべっているではないか。五つ星ホテルの付属レストランであるらしい。ランチセットのようなメニューはなくて、アラカルトで選ぶ。一皿が300から500バーツほど。これに180だったかのビールを2本。少し奮発しましたが、この環境は素晴らしい。味はせんれんされている。一皿の量が多くて、何とか残さず。お宿は高くて無理。ランチなら気軽、チップの無い日本風もありがたい。プールサイド奥のトイレルームの統一感も美しい。また訪れたくなるタマリンド。ホテルに帰ればゾウさんがお出迎え。
2023.12.31
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2023/12/28/木曜日/晴れると日差しは強い旧市街までなら150バーツ均一タクシーで、旧市街の予約していた小ぶり、お安めホテル到着。タイのタクシーはぼったくりが多い、の風評はよく聞いたけれど、今までのところそんな心配無用の対応が行き届いていて、観光客への配慮を感じる。チェンマイの人はどの人もびっくりするほど人当たりが柔らかく温かい。台南とか沖縄のようなリラックス感あふれるなぁ。8時過ぎの到着なのに、当たり前のようにフロント女性が荷物を運んでくれる。チェックインは10時!に可能、えー!よかったらカフェで飲み物をどうぞとのこと。凡そ日本では得られない歓待ぶりに感激しまくり。たくさんの欧州人をチェンマイの空港でも街でも、よく見かける。日本人は減少傾向らしく、街角はタイ語、英語、中国語だけ。コーヒーを飲んだ後、二つのお寺を徒歩で参詣◾️ワットプラシン観光で賑わう街中なので、つい忘れがちだけど、ワット=お寺は神聖な場所。タトゥーも肌の見せすぎも禁止です。社会科の郊外学習中の女子中学生に囲まれて、インタビューを受けてしまいましたー明るく、元気で可愛らしい。大勢のお坊さんが朝のお勤めを行じていました。タイの方は老若男女、敬虔な仏教徒が多い。↓左はワットプラシンの一番好きな仏さまお寺出口の辺りはモン族のハンドクラフトショップや飲食の屋台が出て、この辺も一層の賑わい。マカデミアナッツが500バーツ。2400円は高い。明日、モン族の村を訪ねる予定なのでリサーチ程度に気にしておくことに。◾️ワットチェルディアン↓看板に惹かれて入って行くと、門は閉じられていた。どうやら180度向こうに回らないと入れないらしい。↓目と鼻の先なのだけど。ぎらぎらの日差しの中を半周、ようやく門へ。入場料のために入り口を一つにしているのかな?因みにタイの人は無料。このお寺はチェンマイの中でも権威の高い、古いお寺で、その創立の頃から生えていたと言われるゴムの木が入場者を迎えてくれる。お寺はこの木と命運を共にしているとのことで、とても神聖な木なのだ。ジグラット?か出雲大社かチェンマイ旧市街のほぼ中心にあり、ランナー王国の仏教帰依、王の権威の象徴でもあるような仏塔。14世紀末に建てられ始め、15世紀半ばに完成した。タイがいくつかの王族に分かれ、西のビルマ北の元など中国からのせめぎ合いの中で王国を数百年繁栄させたその始祖はメーンライ王それは鎌倉幕府成立の百年後のこと。スリランカから高僧を招き、一時期は南アジアの仏教のセンターにもなったという。↑右上、歴代の高僧のポートレートの中で好きなお顔
2023.12.30
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2023/12/28/木曜日/朝曇り午後晴れ4時起き。朝未だ来のホテル予約リムジンバスの集合時間は4:50スワナンプーム空港へは10分ほど。空港到着ロビーは4Fここにチェックインカウンター、荷物ドロップ。エアアジアカウンターはDかFなので、バス到着の入り口ナンバー4からは左サイドを目指す。自動チェックイン機を使っていると、空港の親切なスタッフがガイドしてくれる。親切で美しいお嬢さんたち!タイ国内便でも空港には2時間前に着くのがオススメとのことだったが、早朝ゆえか。ボーディングはとてもスムーズ。国内移動のサインを追って、41ゲイトへ。朝ごはんお店ロードの最終辺りで、亭主の好きな飲茶、肉まんとエビシュウマイ朝ごはん。↑このエビシュウマイはお値段多少高めと思ったものの、大変美味しかった。エアアジアは1時間のフライトなので、前のクラス席以外は飲み物もなし。機内がとても寒いので、上着が必要。スワナンプームを朝焼けの中、飛行機に乗り、90分くらいで着いたチェンマイ空港では、この街らしいモン族の民族衣装がお迎え。旧市街内に宿を予約したので、移動のタクシーを探す。旧市街までは一律150バーツでタクシーが直ぐに配車される。
2023.12.29
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2023/12/27/水曜日/バンコクは生温かいかつて高速道路の事故で出発便に間に合わなかった事がトラウマになり、空港まで車の時は十分早く家を出ることに。↓頂き物の干し柿を家に残す気になれず持参する。41ゲイト待合で、二人してぱくつく。タイエアラインの出発は15分ほど遅れる。到着もしたがって遅れる。成田を12時に離陸、飛行機から解放されるとこちらの時間で夕方5時45分ほど。夕日がとても美しい。スワナンプーム空港到着は2階。地階のマネーチェンジショップの方がレートがよい、と聞いて垂直移動する。EVはとにかく満員、遅い。のでコストコで見るような移動方式の方へ。イタリア人らしき人が、団体でのイクスチェンジは大金だから、レートの良いところがいいんだけど、みたいな窓口で尋ねていたが、その窓口さん曰くどこも一緒です。みたいに答えてたので、レート微妙なのかも。ざっと1バーツが4.68円。ほぼ5円。円が随分安くなっているとため息。ホテルに予約を入れた送迎車。到着後に電話しても、これがつながらない。タイの国際番号二桁を省いた後、0を足して電話するまでにも手こずる。ショップのお姉さんに助けてもらう。別の電話番号を調べてくれた上に電話までしてくれるもつながらない。タクシーで行こうかとも思ったのだけど、日本からレスキュー登場。何と日本からはスムーズにつながった模様。4番出口と3番出口の間にボードが左右ずらりと並んでいて、そのボードを管理している人に予約している旨を伝える仕組みたい。↑しかし沢山の中から探し当てるまでに時間がかかる。ホテル名を見つけた時は奇跡?みたいな気持ち。待つように指示される。ひたすらぼんやり待つ。あのーとおずおず、未だでしょうか?と切り出そうとすると、担当のおじさんは5分待てという。私たちの側でまた欧米人カップルが、ボソボソとまた5分待てって言ってるわよ!と。しかし、5分待つことなくさくさくと乗り合い場所へと誘導リムジンバスは私たちだけを乗せて空港最寄りのホテルまで10分ほど。ホテルの部屋たどり着くともう8時前である。ホテル外に出て、地元の人で賑わうマーケットみたいなレストランで、トムヤムクンとフライドライス、ビーフンと牛肉のスープ、シャンビール330パーツで夕飯を済ます。昔のほうが安い、でも少しは安い!旨い!一人800円くらい。明日は4時起きで移動。
2023.12.27
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2023/11/05/日曜日/ほぼ晴れ前夜は高崎の娘夫婦宅でお泊まり。本日は、その夫婦がそれぞれの両親を積善館にご招待くださる!とのこと。ありがたやー10/28 四万温泉は紅葉が始まっていた。↑紅荘で鰻重ランチお蕎麦を所望したのだけれど、12時で既にお蕎麦売り切れ、もう一軒の蕎麦屋には数人が並び待ち。なのに何故か6名が待たずに、いつも人気らしい紅荘に入れた奇跡を皆で喜ぶ。四万川を眺めながら、満腹の面々はチェックインタイムまで、小さな温泉街を散策。↑この店主の会話が面白過ぎた。あとで食べようと戻ってくるともう店じまい。↑少し塩味が混ざるお味。ミネラル豊富な印象↑四万川に降りてみる↑↑積善館上にある温泉宿たむら。ここにも温泉を飲むスポットあり。↓たむら の歴史古い地味な温泉地ではあるけれど、歴史は古い。3時には少し早いけれど伺うと受け入れてもらえる。混む前に取り急ぎ温泉へ。宿は山に沿って三層の造り。一番上が一番新しく温泉設備も整う。ここに露天風呂あり。二層目には家族風呂。他に岩風呂があったようだけれど今は使われてない?お次は目当ての大正風呂。ここは温泉目当ての日帰り客も利用できる。↑風呂場左の小さなにじり口は温泉蒸気を利用した蒸し風呂サウナ。しゃがんで入る。1.2mも無いような低さと暗さ、湿度と生暖かさに母胎回帰願望ある向きは癒される。閉所恐怖症の人にはホラーか。この時間に入れたので温泉独占!夕飯を頂き、夜のライトアップを楽しむ。宿を背中にすれば叢雲に月。みるみるぽっかり丸明かりの、月と宿の饗宴床に就く前に再び湯に浸かる。私の部屋から三層上の露天風呂へは複雑な迷路を辿る。これが面白い。↓千と千尋のモデルと言われる温泉宿本家らしく。↓宿の中は改装を重ねている様子。あちこちに休憩室やコーナーも配置されている。泉質が柔らかく透明、匂いは少し感じることもあったけれど、ほぼ無臭。湯上がり、肌しっとりを実感する。女性に抜群の人気を誇るというのもよく分かる。目覚めの一浸かり、極楽はあ〜婿殿、娘よありがとう。夫は次は草津だーとのたまう。
2023.11.05
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2023/08/30/水曜日/そろそろ夏バテ8/20 旅も三日目。睡眠不足が続く。朝食バイキングはお粥、ピリ辛漬け少々に尾花沢スイカ一辺倒。バスは乗車した仙台を目指し南下する。その間にも2か所訪問地があり、先ずは平泉。平泉といえば中尊寺本堂に詣でることを忘れ、金色堂のみで終わる方が多いから是非に本堂をお忘れなく、とコールされて蒙を開かれるというか。↑金色堂が格納された建物へのアプローチ。木漏れ日が伽藍の上より注ぐ光の如く。西行も芭蕉も訪れた奥州藤原氏三代の栄華の夢の後五月雨の ふりのこしてや 光堂芭蕉今は八月の光が、蝉時雨の方から樹々の影を道に刻む。金堂を観るのは二度目。本日はまだ観光客も少な目でゆっくり観覧した。↓隣接する、一代前の覆い堂。中で金色堂修復記録ビデオが見られる。前回も色堂建立の経緯を読んだはずが、改めてそうかという気持ちで、威容というよりは優美な金色の、すなわち観音様顕現の細部を眺めいる。中尊寺は開祖を円仁とするが、今の構えを成立させたのは藤原清衡で、1124年のことだった。当時の日本では、ほぼ70年前から末法の世に入ったと人びとは考えた。天平地異、疫病、火災など自然災害が続き、末法思想と結びついて人びとは厭世観に囚われ、弥勒菩薩信仰→浄土信仰へとつながり、仏教は大衆の中へと浸透した。という。政治的には院政が敷かれ権威がダブルスタンダード化する一方、武士の台頭、僧兵の乱闘を見た平安末期。おやおや「どうする家康」の欣求浄土であり、ほんに今の日本、世界に重なることよ。ところでお堂に納められた中尊寺で私の一番好きな場所は能舞台ここでお能が観たいものちゃんと本堂詣もして、ご先祖様お土産となる金色堂に因むお線香を購入。↓ガイドさんにパスタが何色か見てきてね、と言われ。金色かと思いきや。関山下りて、土産物屋2階で昼食休憩。これより最後の訪問地登米市に立ち寄るという。バスに乗るとガイドさん曰く、岩手では団子が空を飛ぶ。起きてる面々は何?新たなUFOの話⁈理解した人は笑う厳美渓がすぐそこなのだった。他にも山形県は全市に温泉があることや、芋煮会の喜び美味しさ牛肉について、仙台出身のガイドさんではあるけれど、東北観光大使さながら真にプロフェッショナルの語り口と愛。朝の連ドラを観るタイミングの無い私にはピンと来ないけれど、おかえりモネ で知られたのがこの登米市←トメシ、なのだとか。ところで登米町はトヨママチと読むとか。うむむ。宮城の明治村とも呼ばれるように、明治時代の建物が残る落ち着いた登米市は、一年ばかり登米県トヨマケンだったことがある。なんと明治の初めには藩と県が混在していた時期があったらしい。本来は登米県庁として建てられたこの平屋庁舎は、水澤県→宮城県と3年の間に転変した。滞在1時間、じっくり見られるのは一つと決めてかつて小学校だった教育資料館へ立派な建物。金持ちの子も貧しい家の子も同じ学舎で、学の私を身に付ける。↑設計者ガラス板の歪みがよい。教室のいくつかは資料室になっている。先日訪れた小諸市との繋がりを発見。小諸懐古園で草笛を吹いて旅人を慰めた禅僧、横山祖道さんはこの地のご出身だった。こんな方が出現する土地柄なのだ、ということを納得してバスに乗る。バスが仙台市内に入り、工場や倉庫が左手に見え始める。ガイドさんは東北大震災の犠牲者をもっとも多く出したのが宮城県であったこと、大川小の避難の詳細や一ヶ月ぶりの自衛隊員が用意してくれたお風呂のありがたかったこと、などを語って下さった。荒浜地区が近づくと亡くしてしまった大切な友人を思い出され、言葉が詰まり、ツアー客は拍手で励ました。そして最後は楽しく笑わせて客をバスから降ろすと深々とお礼の姿に職業人の矜持を感じた次第。うん、バスガイドの旅よし。東北旅の行き先も増える。
2023.08.30
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2023/08/27/日曜日/一日のどこかでは雨あり8/19 いよいよ花輪ばやしの刻驟雨の田沢湖を去り、鹿角市花輪の街の大型バスも止められる かづのみちのえき へ。本当にまあリレーションがすごくよく考えられている。到着すると直ぐにご当地の夕飯がセッティングされていて、他の団体さんも続々と加わる。日本のツアー団体は様々な関係者を伴ってこんなふうに回っているんだなぁ。コロナ禍ピークの時はさぞや心細いことだったろう。敷地内には花輪囃子の展示館も。間も無く各町の屋台が出発の時間までに奇跡的に雨上がる。大雨では金箔施した華麗な屋台は繰り出せないので、一番安堵したのは添乗員さんか。バスの中ではガイドさんの花輪囃子について案内があった。10の町の屋台がお囃子を奏でながら町を練り歩き技を屋台の美しさを競い合う。案内では今のお囃子は昭和7年から始まったと聞いたが、記憶は曖昧。ぐぐってみるともっと古いようだが、いつから誰が何のために、というところははっきりしない。↑辻ででくわした二つの町の屋台の青年ら、直立不動で我が町のリーダー同志の話合いを見守っているような。どちらが先にお旅所に出向くかを討議しているような様子雨上がりの空は明るく、濡れた道路に映し出される。この地を歩きながら何度か『かたづの!』中島京子を思い出した。江戸時代の女城主ねねが、主人公。親戚の盛岡藩主の無理難題に耐え、知恵を働かせて、遠野へ転封されても臣下一同に血を流させなかった名君ねねの霊感の泉はユニコーンみたいなカモシカの角、だった。さて、根城南部は今の八戸市だがむつの港も領地であれば、秋田藩界に近い鹿角も領地ではないだろうか。地名に印象操作されて本を思い出した?屋台の中は老若男女が世代を越えて一つの音楽を奏でる。若い人たちの力漲る演奏と年配者の老練な調子のハーモニーが良い。ところで、このお囃子音頭を若い女性が取る姿に女城主のねねの歴史を呼び覚ます何かを覚えるではないか。↓お旅所は街の北にある 幸稲荷神社全屋台が集まる前にお参りしようと手を合わせていると、神主さんから御神酒を頂いた。幸い也。スーと喉越しのよい品のよいお酒。↑待っているうちにぼんぼり提灯に灯りがともり、風情がイヤます。神様の前に集合しておそらくは今年もお祭りのできることを感謝し、五穀豊穣、商売繁盛、家内安全を守る神を喜ばせようと心を一つにする町衆。その姿の良さは子どもたちの目に刻まれ、その子が大人になってまたその役目を果たしていく。参道へは屋台は入って来ないけれども後から後から町の代表者や若頭、若衆揃い踏みでお祓いされ、みなで御神酒を酌み交わす。そうしていよいよ本格的に屋台は3時間ほどかけてお囃子を打ち鳴らしながら豪壮に駅前広場に集結する。富士吉田のお神輿では町ごとの屋台のお囃子のリズムの競合で、自分たちのリズムを見失うと負け、みたいな規則で闘うけんか神輿だったと記憶する。あれも素晴らしいけれど、これもよい。日々の暮らしの中で、お年寄りの男性がカッコよくて花がある見せ場が用意されている、のが気分がよい。花輪ばやしは今年は8/19、20日の開催。例年30万弱の人びとがここに集い、祭りの気分に浸る。知事賞などの発表が行われ、駅前行事は9時過ぎには終了し、屋台は一旦町に戻ら、深夜まで翌日の用意、朝詰めなどもあるらしい。私たち観光客もバスに戻る時間、再び盛岡奥座敷のつなぎ温泉のホテルに帰る。寝るのはまた明日の日付だろうなあ。バスで爆睡の客が増える。地域の心を一つにする祭りの知恵、これが失われれば町の紐帯も解け、再び統合することは困難だろう。こうして失われた町が全国に数知れず。祭りをこれ以上失わせないようしっかり守れる国、地域であってほしい。
2023.08.27
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2023/08/26/土曜日/昨日はドームで巨人阪神8/19 ツイ習慣で6時半には目覚めて、ホテル内の、昨晩とは違う温泉に浸かる。本日夕方からは花輪のお囃子、その前にあちこち訪ねるらしい。流石に出発は11時朝食前にホテル前の堰き止め湖、御所湖辺りを散歩する。↓地図に登場するシオンの像この像は舟越保武による。昨夜の秋田美人を思い出すようなすらりとした美しさ。そういえば長崎に出かけた時に26聖人記念館の前を歩いた記憶がある。あれは舟越さんの作品だったのか。26番目殉教者、フランシスコ吉が彼のお父様の顔に似てしまったことなどを先日新聞で読んだ。↑フランシスコ吉のスケッチは、そのまま息子さんの作品のよう。朝からとても暑かったが、心地よい散歩の後の朝食では念願の尾花沢スイカをぱくつく。バスは定刻に出発、東北だけど朝から暑い。行き先は角館、ああ憧れの。ここで2時間ばかり過ごすらしいけれど、一体2時間でお昼も済ませて何が見られるかしらん。結局、青柳家敷地内でお昼も済ませ、角館の短い滞在はここで尽きた。3000坪の敷地に幾つも棟があり、樹齢400年になんなんとする屋敷林があり、公開されてあるものだけでも一つ一つ丁寧に見ていけば一日かかるかも。ところで、青柳家のルーツが武田甲州の武器方家臣であった記述を邸内で見たように思うが手元に資料がない。パンフレットで確かめられるのは角館を町割した芦名氏に仕えた後、徳川家康によって常陸から当地秋田に減封の上お国替えされた佐竹氏に仕えた、とある。もっとも「万葉の昔から こがね花咲くみちのくと謳われ、ことにその中心地秋田への転封」←『菅江真澄 みちのく漂流』より。であれば、みちのく転封を逆手に、青柳家の解体新書記念館、すなわち武器に必要な資源である鉱山の豊富な山を入手、武器を造る技術武士集団青柳家を支配して、東北での優位を佐竹氏が諮ったのかもしれない。ところで『解体新書』の挿画家である 小田野直武 は青柳家の血筋とか。平賀源内は当地を訪れ、直武の絵描きの才能を評価し、江戸に呼んだのである。なぜ平賀源内が角館にやって来たのか。それは阿仁銅山の粗銅を精錬して銅から銀を抽出する技術を佐竹藩が欲したからという。その背景をやはり『菅江真澄 みちのく漂流』で旅すがら読んだ。青柳家の解体新書記念館には、さりげなく 阿仁銅山の鉱石の実物が展示されていた。阿仁鉱石は何も語らない。しかし関ヶ原で西軍につき転封、減封の250年の恨みを深謀遠慮の佐竹氏なのではないか。東北諸藩が幕府方につくのを尻目に官軍側に従った秋田藩の軍資金は、阿仁銅山がもたらした銀と銅の莫大な利益なのだ。200年400年はほんの瞬き、でござる。武家屋敷の畳に端座する、侍う主が仄かに見ゆる。↓集合場所に戻る道で気になる建物表にまわると、素晴らしい面構え学問を旨とした質素で清潔な佇まい。今は縁側で秋田民芸を展示、商いの方が手仕事をされていた。バスではガイドさんが、秋田は三方を険しい山に阻まれて、他地域からの影響を受けることが少なかったことや、山々の話をしてくれる。また東北三大まつりプラス山形花笠音頭について秋田竿燈祭りの由来を聞く。昔、秋田の殿様が凶作を心配するあまり病に臥された。そこで民衆は殿様を元気付けようと竿灯を黄金に稔る稲穂に見立て元気付けた、とか。民の竈から煙が上がらぬとオロオロ歩く為政者は今の日本国に見出し難く。窓外の雨を見ながら眠りこける。休憩地の田沢湖辺りでは豪雨。ガイドさんも添乗員さんもあちこちの雨雲レーダー検索を照合しては伝達何しろ今夜の花輪囃子が…どうなる⁈
2023.08.26
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