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2023/08/27/日曜日/一日のどこかでは雨あり8/19 いよいよ花輪ばやしの刻驟雨の田沢湖を去り、鹿角市花輪の街の大型バスも止められる かづのみちのえき へ。本当にまあリレーションがすごくよく考えられている。到着すると直ぐにご当地の夕飯がセッティングされていて、他の団体さんも続々と加わる。日本のツアー団体は様々な関係者を伴ってこんなふうに回っているんだなぁ。コロナ禍ピークの時はさぞや心細いことだったろう。敷地内には花輪囃子の展示館も。間も無く各町の屋台が出発の時間までに奇跡的に雨上がる。大雨では金箔施した華麗な屋台は繰り出せないので、一番安堵したのは添乗員さんか。バスの中ではガイドさんの花輪囃子について案内があった。10の町の屋台がお囃子を奏でながら町を練り歩き技を屋台の美しさを競い合う。案内では今のお囃子は昭和7年から始まったと聞いたが、記憶は曖昧。ぐぐってみるともっと古いようだが、いつから誰が何のために、というところははっきりしない。↑辻ででくわした二つの町の屋台の青年ら、直立不動で我が町のリーダー同志の話合いを見守っているような。どちらが先にお旅所に出向くかを討議しているような様子雨上がりの空は明るく、濡れた道路に映し出される。この地を歩きながら何度か『かたづの!』中島京子を思い出した。江戸時代の女城主ねねが、主人公。親戚の盛岡藩主の無理難題に耐え、知恵を働かせて、遠野へ転封されても臣下一同に血を流させなかった名君ねねの霊感の泉はユニコーンみたいなカモシカの角、だった。さて、根城南部は今の八戸市だがむつの港も領地であれば、秋田藩界に近い鹿角も領地ではないだろうか。地名に印象操作されて本を思い出した?屋台の中は老若男女が世代を越えて一つの音楽を奏でる。若い人たちの力漲る演奏と年配者の老練な調子のハーモニーが良い。ところで、このお囃子音頭を若い女性が取る姿に女城主のねねの歴史を呼び覚ます何かを覚えるではないか。↓お旅所は街の北にある 幸稲荷神社全屋台が集まる前にお参りしようと手を合わせていると、神主さんから御神酒を頂いた。幸い也。スーと喉越しのよい品のよいお酒。↑待っているうちにぼんぼり提灯に灯りがともり、風情がイヤます。神様の前に集合しておそらくは今年もお祭りのできることを感謝し、五穀豊穣、商売繁盛、家内安全を守る神を喜ばせようと心を一つにする町衆。その姿の良さは子どもたちの目に刻まれ、その子が大人になってまたその役目を果たしていく。参道へは屋台は入って来ないけれども後から後から町の代表者や若頭、若衆揃い踏みでお祓いされ、みなで御神酒を酌み交わす。そうしていよいよ本格的に屋台は3時間ほどかけてお囃子を打ち鳴らしながら豪壮に駅前広場に集結する。富士吉田のお神輿では町ごとの屋台のお囃子のリズムの競合で、自分たちのリズムを見失うと負け、みたいな規則で闘うけんか神輿だったと記憶する。あれも素晴らしいけれど、これもよい。日々の暮らしの中で、お年寄りの男性がカッコよくて花がある見せ場が用意されている、のが気分がよい。花輪ばやしは今年は8/19、20日の開催。例年30万弱の人びとがここに集い、祭りの気分に浸る。知事賞などの発表が行われ、駅前行事は9時過ぎには終了し、屋台は一旦町に戻ら、深夜まで翌日の用意、朝詰めなどもあるらしい。私たち観光客もバスに戻る時間、再び盛岡奥座敷のつなぎ温泉のホテルに帰る。寝るのはまた明日の日付だろうなあ。バスで爆睡の客が増える。地域の心を一つにする祭りの知恵、これが失われれば町の紐帯も解け、再び統合することは困難だろう。こうして失われた町が全国に数知れず。祭りをこれ以上失わせないようしっかり守れる国、地域であってほしい。
2023.08.27
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2023/08/26/土曜日/昨日はドームで巨人阪神8/19 ツイ習慣で6時半には目覚めて、ホテル内の、昨晩とは違う温泉に浸かる。本日夕方からは花輪のお囃子、その前にあちこち訪ねるらしい。流石に出発は11時朝食前にホテル前の堰き止め湖、御所湖辺りを散歩する。↓地図に登場するシオンの像この像は舟越保武による。昨夜の秋田美人を思い出すようなすらりとした美しさ。そういえば長崎に出かけた時に26聖人記念館の前を歩いた記憶がある。あれは舟越さんの作品だったのか。26番目殉教者、フランシスコ吉が彼のお父様の顔に似てしまったことなどを先日新聞で読んだ。↑フランシスコ吉のスケッチは、そのまま息子さんの作品のよう。朝からとても暑かったが、心地よい散歩の後の朝食では念願の尾花沢スイカをぱくつく。バスは定刻に出発、東北だけど朝から暑い。行き先は角館、ああ憧れの。ここで2時間ばかり過ごすらしいけれど、一体2時間でお昼も済ませて何が見られるかしらん。結局、青柳家敷地内でお昼も済ませ、角館の短い滞在はここで尽きた。3000坪の敷地に幾つも棟があり、樹齢400年になんなんとする屋敷林があり、公開されてあるものだけでも一つ一つ丁寧に見ていけば一日かかるかも。ところで、青柳家のルーツが武田甲州の武器方家臣であった記述を邸内で見たように思うが手元に資料がない。パンフレットで確かめられるのは角館を町割した芦名氏に仕えた後、徳川家康によって常陸から当地秋田に減封の上お国替えされた佐竹氏に仕えた、とある。もっとも「万葉の昔から こがね花咲くみちのくと謳われ、ことにその中心地秋田への転封」←『菅江真澄 みちのく漂流』より。であれば、みちのく転封を逆手に、青柳家の解体新書記念館、すなわち武器に必要な資源である鉱山の豊富な山を入手、武器を造る技術武士集団青柳家を支配して、東北での優位を佐竹氏が諮ったのかもしれない。ところで『解体新書』の挿画家である 小田野直武 は青柳家の血筋とか。平賀源内は当地を訪れ、直武の絵描きの才能を評価し、江戸に呼んだのである。なぜ平賀源内が角館にやって来たのか。それは阿仁銅山の粗銅を精錬して銅から銀を抽出する技術を佐竹藩が欲したからという。その背景をやはり『菅江真澄 みちのく漂流』で旅すがら読んだ。青柳家の解体新書記念館には、さりげなく 阿仁銅山の鉱石の実物が展示されていた。阿仁鉱石は何も語らない。しかし関ヶ原で西軍につき転封、減封の250年の恨みを深謀遠慮の佐竹氏なのではないか。東北諸藩が幕府方につくのを尻目に官軍側に従った秋田藩の軍資金は、阿仁銅山がもたらした銀と銅の莫大な利益なのだ。200年400年はほんの瞬き、でござる。武家屋敷の畳に端座する、侍う主が仄かに見ゆる。↓集合場所に戻る道で気になる建物表にまわると、素晴らしい面構え学問を旨とした質素で清潔な佇まい。今は縁側で秋田民芸を展示、商いの方が手仕事をされていた。バスではガイドさんが、秋田は三方を険しい山に阻まれて、他地域からの影響を受けることが少なかったことや、山々の話をしてくれる。また東北三大まつりプラス山形花笠音頭について秋田竿燈祭りの由来を聞く。昔、秋田の殿様が凶作を心配するあまり病に臥された。そこで民衆は殿様を元気付けようと竿灯を黄金に稔る稲穂に見立て元気付けた、とか。民の竈から煙が上がらぬとオロオロ歩く為政者は今の日本国に見出し難く。窓外の雨を見ながら眠りこける。休憩地の田沢湖辺りでは豪雨。ガイドさんも添乗員さんもあちこちの雨雲レーダー検索を照合しては伝達何しろ今夜の花輪囃子が…どうなる⁈
2023.08.26
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2023/08/24/木曜日/最高気温は33度とあるけれど8/18 会場は天候不安で開催もおぼつかない予想があったためか、思ったよりも混雑は少なく地元の方が多い様子に、また雨があがり安堵する。お囃子には四つの曲目、踊りは「音頭」と「がんけ」の二種「音頭」踊りそのものはとても優雅で指先の使い方や反りが美しい。だが、動きの無いうなじと、袖から見える手首、腕が何故か能弁で艶めかしい。宵闇と篝火が踊り手に影を与え、年配男性の声と大太鼓、小太鼓、鼓、鉦、笛、三味線が高い櫓から降りかかるように包む構成も洗練されている。男女同じ振り付けで踊るけれど、それぞれ個性が少しずつ、着物の柄のように表れて二つと同じものがない。彦山頭巾で踊る人、由来は幾つかあるそうだけど、亡者を表すと受け止められているとガイドさんから聞く。生者と亡者が篝火とお囃子に呼び集められてぐるぐる回り踊る様は誠にお盆に相応しい。「がんけ」を踊る男性。この方、実に美しく待っていた。がんけもまたその由来には諸説あるらしい。月光の夜空を飛ぶ雁の姿から「雁形」或いは、現世の悲運を悼み来世の幸せを祈る「願生化生」の踊り、願化踊、亡者踊とも。確かにどこか鳥の舞のような味わいもあり、鳥が運ぶ魂を表すようでもある。そのがんけの甚句の一番始め♬お盆恋しや かがり火恋し まして踊り子 なお恋しうん、どう考えても亡者が三途の川の向こうから生者と盆踊りを懐かしんでいるように聞こえる。それに比較すると、上方の優雅さを思わせる音頭の地口は♬時勢はどうでも 世間はなんでも 踊りこ踊たんせ日本開闢 天の岩戸も 踊りで世が明けたと、打って変わって賑やか、冷やかし茶化しお色気まぶしの、アドリブづくし、なのだ。秋田県羽後町で毎年8/16〜18に開催される西馬音内盆踊りは、日本三大盆踊りの一つという。700年以上前、源親という修行僧が豊作祈願の踊りを広め、400年ほど前に山形城主最上氏に滅ぼされた西馬音内城主小野寺一族を偲び、家臣たちが踊った盆供養の踊りが融合した、と考えられているそうだ。実際に踊りを体験するとその二つの要素が実感される。西馬音内盆踊りは、二つの捻れで円を描く盆踊りだ死者と生者が交差する回廊だ一番前に陣取れる席は3人用で六千円。団扇付き。盆踊り会館の奥で買える。二人なので個別で一人2500円で買える後ろの高い席が良かったのだけど、ツレの主張を飲む。手拭い好きな我ら。一枚千円を二つ買う。この手拭い、私の勧めた個別席の特典に付いてたらしい。えー、席と手拭いで8000円出したよ?5000円で丸く収まったのよ?3,000円ムダ遣いよ?しかし、一方でそれは死者へのスパチャであるかもしれないと考える私がいる。家計など考え始めれば、地上に意識が戻され、すなわち集合時間が近づいて数字に追われる事とあいなりぬ。盆踊りが終わるのは3時頃となるらしいが、バスツアーはそこまで付き合ってはくれない。 お宿は盛岡市のつなぎ温泉、ここは秋田、盛岡は岩手。当地からは1時間半のバスライドなのである。 殆ど眠りこけ、ホテルに着いたのは12時半を過ぎていたが温泉には兎にも角にも浸かる。目が覚める→ビールとカレーパン→盆踊りの終わる時間に律儀に就寝朦朧とする意識に、色とりどりの端縫い、藍染の浴衣、帯、編笠、秋田美人が走馬灯となり、浮かび、寝落ち、する。
2023.08.24
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2023/08/22/水曜日/蒸し暑い一日8/18 新幹線内でお弁当を食べると気分は旅モード右側深川めし風のお弁当が美味しい。各駅停車やまびこで仙台駅到着はお昼を過ぎ。ここから西馬音内を目指す。その前に時間調整も兼ねて、銀山温泉散歩が組み込まれていた。↓下から観光バス、銀山温泉手前の道の駅ターミナルでマイクロバス乗り換え、5分ほど。小さな渓流を挟んだ宿集落が銀山温泉。カレーパンが名物らしい。夜食用に最後の一つを買う。まあまあ美味しい。エビチリパンは今イチだった。100メートルにも満たない渓流距離を挟んで温泉宿が連なる。そこに沢山の、私たちのような日帰り観光客が押し寄せている。やはり有名どころは人も多く落ち着かない。きっと知る人ぞ知る頃の冬の銀山温泉は格別だったろう、という感慨に浸る。↓「千と千尋の神隠し」のモデルとなったとかいう能登やさん。よく手入れされている印象。↓何軒か挟んで、隈研吾が設計した旅館。周囲の風景に違和感なく馴染んでいる。↓いいなぁと感じたのは左上の古勢起屋別館ファサードから内部を見たいと思わせる演出が優れている。旅館が途切れた奥には勢いの強い滝があり、その周囲は5度ほどは気温が低く感じられた。↑銀山温泉の印象スナップうーん。銀山温泉。時間を忘れてしまったような味わいがあるのに、なんとか銀座みたいな感じが、ちょっとなあ〜。どこかにもっとひっそりとした山中の渓流沿いの鄙びた温泉ないかしらん。さて、スイカの名産地、尾花沢へとバスは再び戻り北上。尾花沢はスイカの生産が日本一なのだけど、冬はかなり積雪を見るとか。そのために住宅の基礎部分が高くしてあるとか、道路の真ん中からお湯が出る仕組みにしてあるとか、ガイドさんは窓外を示しながら特徴を伝える。それに続けて、道であるものを見ると、ああ雪の多い東北に来たなと分かるけれどそれは何でしょう、とクイズも。バス同乗者31人中お一人正解者が。それは信号機の形だった。横向きでは雪に耐えられないので縦向きなのだとか。ガイドさんは仕事とはいえ宮城特産、山形特産、秋田特産から、地理歴史、方言、暮らし、人気のお土産など、それはそれはお詳しい。ユーモアたっぷりで、楽しくためになる。かなり頻繁にトイレ休憩がある。あっという間に夕飯場所である湯沢グランドホテルへ。稲庭うどんやお刺身、天ぷら、お稲荷さんの量控えめ夕飯を頂く。↑グランドホテルのロビーに展示されていた可愛らしいコケシ。最近はコケ女という言葉もあるくらいブームだそう。本日盆踊り最終日、7時半スタートの少し前に会場になる場所へ。お囃子が聞こえ始め、それがだんだん大きくなると何故か吸い込まれるように足も気持ちもせく。
2023.08.23
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2023/08/22/火曜日/もう処暑なのだ先週金曜日から日曜日にかけて、バス旅に参加した。修学旅行を除けば、生まれて初めてバスガイドさんのいるツアーである。西馬音内盆踊りに長年憧れていたツレのご招待でなければ、参加しない?できない?費用対効果予算、である。私なら台湾辺りで費やす予算。お囃子の開催される花輪はともかく、盆踊りの西馬音内は車でアクセスするしかない。近場には宿もない。駐車場をどうするか、日付が変わって泊まる宿の手配は?などなど考慮の末、このツァーとなったらしい。旅行会社に桜咲く前頃に問合せたら既に完売。すごい。熱気を感じるなあ。キャンセル待ち申込で幸運にも急遽参加が決まったのは七月に入ってからだった。東京駅八重洲東口でいつも出くわす、ハタ持ち添乗員さんを先頭に、一列に並ぶグループの一員となるべく北口に集合した。列に加わると旅のワクワクよりは含羞が滲んで節目がちに申し訳なさげに歩みゆく。慣れぬ集団歩行そういえば、海外一人旅をしていた昔日には、あちこちでバスから繰り出す同胞旅団に出会した。甲高い日本語の津波と共にドアから繰り出し、判で押したようにカメラ連写の音なして、瞬く間に引き上げていく。その様相を外から眺めると、彼らには見えない頑丈な皮膜があって、その内部には頑なまでに日本が充満しており、ついぞ外国の地の実態の何ものにも触れ得ず帰国するのではないかそんな感慨を抱いたものだった。それから四半世紀ばかり後の、東北大震災の翌年。アラン島を一人自転車巡りした時にも日本人を乗せたバスが走っていた。その時窓越しに目があった若い女性は、確かに含羞帯びた色をその目にうかべていたのである。何となしに、四半世紀の成熟を私は同胞人に感じ入ったのだ。旅は含羞を含むものだという了解が私にはあるのだな。例によって旅に同行する書籍仙台までのやまびこ内で読んでみる。これが実にどんぴしゃ、どんどんひゃらら二百年前の菅江真澄の漂流した辺りを、真澄が書いた事、ではなく書かれなかった事、内容に目を向けて、二つの時代の東北を漂流する 簾内敬司氏の視点が優れている。文体も実に好ましい。そして、序章でいきなり真澄が信濃を発って出羽國雄勝郡で新年を迎えるという1行に出くわす。その地は湯沢の近く、信濃からは出羽三山、鳥海山を越えた先で、真澄は春先には湯沢の南、雄勝郡の西馬音内の庄、小野郷へ向かう、とある。まさにこれからツァーが盆踊りを観に行く所ではないか。小野郷の小野の村。一千年の昔の美貌と才媛、歌で名高い小野小町の生まれ故郷とのことだ。この章の小野小町の考察も、本と共に実際この地を歩けば更に認識も感興も改まる。8世紀半ば、蝦夷との戦いに明け暮れるみちのくの出羽柵が北進し、雄勝郡が建てられた。その国司に遣わされた官吏が小町の父の小野良実だという。本書からは逸脱するが、小野氏は琵琶湖南面を領地とした渡来人で、何と小野妹子から小野洋子へと連なると白州正子で読んだ記憶がある。著者は序章の最後に、雄勝にはいつも八月に訪ね、西馬音内で盆踊りを見ると記す。さて、著者とどこかで行き違ったろうか。
2023.08.22
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2023/08/03/木曜日/昨日より暑い先週水曜日、小諸古城の 中棚荘 に一泊した。素泊まりで一万円某は、私の案内された部屋の施設からすると随分気張った値段かな。とまれ、この界隈の温泉宿では、ここが評価がよろしいようだ。↓え、という急なヘアピンカーブの細い道を、敷地内に降りる。駐車場まで敷地を下ると、何のことはない。そちらか楽に公道に面していた。↑駐車場からのアプローチ、フロントへはこの左手、卓球室を眺めながら更に奥の階段を登る。荷物が多い場合は駐車場に降りる前に、宿玄関前に止めて荷物を渡す方が無難。どうやら素泊まりは、宿にはあまり喜ばしい客ではないようで、当てがわれた部屋は大正館とか、古い方のしかも急な階段を降りた、浅間なる部屋。部屋の中は古くても清潔。もちろんだけどエアコン、冷蔵庫、TVがありトイレ洗面は共同。床は既にのべられていた。元湯治場宿?な地上階のお部屋ではある。↓あら、写真は風情有りで映るるんだなあ2時チェックイン、11時チェックアウトは嬉しい。前後2時間ワイド。兎も角も、長のドライブで疲れました。温泉だー。しかし、宿の温泉。別棟の大正館からはだいぶ離れた場所にあり、かつ階段を50ばかり登っていく。お湯も2度目にはショートカットを見つけ、本館ロビーを経由せずに行くことができた。↓遠路故か?途中休憩所があって、鉱泉が飲める。冷たくも熱くもなくトロリとした水。なんかクセになる飲み心地。↓着替え室から遮るもの無しに、いきなり浴槽というのが面白い。露天風呂の周囲はアマガエルが。浴槽内には茹でガエルが!お湯にくるんで土に帰す( ; ; )温泉は滞在中いつでも翌朝10時まで入ることができる。朝一番、鳥や虫を友にひとりゆったりと寛ぐ。部屋はあいにくでも、使えるスペースは充実している。敷地の傾斜をうまく利用して、古い蔵を移築。中は談話?音楽?読書スペース。フリードリンクも用意されているが、ここではそれ以外は飲食はできないとのこと。ハンモックに収まると、蚊のオヤツが。早々に蔵の中へ。でもやはり蚊に刺され、結局蔵の本を2冊携えラウンジは逃亡。フロントで尋ねて、幾つかのリストから みまきがはらメルロー2021 を選んで2冊の本を眺める。これが実に美味しい。今まで飲んだ国産ワインの中では一番私好みだ。後で壁に貼られた新聞切り抜きで、フランスの国際コンペの日本ジャンル?で金賞を受賞とのこと。ふむふむ、分かる。じっくりワインを飲みながら、本、特に 北国街道 が面白く見入ってしまい、瞬く間に2時間近く過ぎていた。そこで2度目の温泉を後回しにして、部屋までワインのお代わりと馬刺しをお願いする。おおお。極楽。これと持参のライ麦のサンドイッチを夕飯とする。デザートはドライナツメとプラム。大体こういう宿は食べきれないご馳走を出す→罪悪感があり残せない→無理して食べる→お腹がくちくて大好きな温泉に何度も浸かれない。このループから逃れたい。ワインと一品は、私的にはとても良いアイデアだった。あ、でも当初は敷地内の はりこし亭 でお蕎麦とお酒の夕飯の計画だった。けれどはりこし亭は水曜休店で、そこに重なった、という…↓はりこし亭
2023.08.03
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2023/07/02/日曜日/あまりの暑さよ6/25 盛岡あら、もう1週間。まだ余韻は残る。今度はチャグチャグ馬コを見たいから、来年になるかなぁ。それに、冷麺だけで満腹になりたい。割愛した斜陽館や恐山に行くのもいいかな。りんごの季節にアップルパイと弘前カフェ巡りも。残すところ2時間ほどで電車。最後はここ、と決めていた 光原社へ。見るだけ、なのだけど。よほどなことがない限りモノは買わない。買うのは、ボタンとかサシコ用糸とか手拭い、ハガキなどあげるもの使うものだけ。店内に、まあ素敵なブラウス!があったのだけど、コットンアヤのだったから今度本店三鷹に行ってみよう。↓私が買ったのは柚木沙弥郎さんのチャグチャグ馬コハガキと釦を求める。そんなに大きくない敷地だけれど、樹木が育って落ち着きが感じられるコートが魅力的。柚木沙弥郎さん作品展示中、マチエル館入り口には光原社スタートの機運となった宮沢賢治『注文の多い料理店』の初版本。全冊売れても手数料も出ないくらいこだわった装丁で、光原社という出版社を光原社初代となる及川四郎と盛岡高等農林同輩の近森と創立、スタートした。発刊は大正13年12月1日のことである。が、在庫の山を抱え、及川は金策に奔走。見かねて賢治は自ら千冊の内二百冊を買い取ったという。タイムマシンがあったら私めが10部ほど頂きたい。↑初版本。柚木沙弥郎さんという方はよほど賢治に思い入れのある方なんだろうなあ。もしご健在ならもう百歳を越えているようだ。芹沢銈介の影響を受けたらしいが、柚木さんご自身、東大同窓生に柳宗悦の息子が在籍していた事もあり、民藝運動に早くから関心もあったことだろう。その発展系は賢治の農民芸術か。この辺りを掘り始めると、私は芹沢銈介の美術館どころか、代々木の日本民藝館にも足を運んでいない。手仕事が大好きであるのに!↓弘前のPPPオーナーさんに教えて頂き購入した岩井窯の山本氏の本。どうしたって鳥取も行かねばならぬ。この本を読んで益々その思いが強くなる。今に生きる賢治の流れ、の如きものを慕って。盛岡から東京まではびっくりの、あっけない旅路だ。ベアレンビアをちびり飲んでいる内の出来事国内一人旅は、3.11後の東北巡りから11年振り二度目の旅。これに気をよくして、さあ次はどっちだ?
2023.07.02
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2023/07/01/土曜日/朝はようやく梅雨らしく6/25 午前①旧宣教師館→②桜山神社→③もりおか歴史文化館→④啄木新婚の家→⑤光原社→ランチ→駅①旧宣教師館は土日は内部見学ができない様子通用口は開いていたけれど。戦災で一変した街の姿、人の様子。打ちひしがれた暮らしの中、それでも花を植える姿を垣間見て、日本の復興を信じたという銘板があった。盛岡の街中もお花がいっぱい。②桜山神社創祀は1749年というから菅江真澄が生まれて間もない頃。真澄は盛岡にも滞在していたから、まだ新しさ残る宮を目にしたことだろう。北上川の船橋については図絵も残る。南部家の初代、不来方にお城を築いた二十六代信直、盛岡と地名を変えた二十七代利直らを祀る。↑本殿裏に巨大な兜様な岩ネコちゃんは神出鬼没③もりおか歴史文化館丁度開館時間。展示物そのものは少ないが、色々な仕掛けで昔の暮らし振り、賑わいの様子が理解できる。盛岡の土地柄の祭り、特にチャグチャグ馬このビデオ紹介が興味深かった。↓馬の気持ちのナレーションと東北の言葉が胸を打つ。そこに賢治の詩が加わる。盛岡八幡宮から14キロも離れた滝沢の鬼越蒼然神社から、晴れ着の子どもら以上に飾り立てられた馬こが晴れがましく、往来を行列して健康豊作を祈り参る。南部曲がり屋は、馬と人が一つ屋根の下で、人馬一帯、家族として成長する。こんな風習は世界の他にあるかしら?賢治と弟清六は、寄宿していた家側の下の橋でこの馬こ行列を見に、音が近づけば幾度も戸口を出たことだろう。私も実物の馬この行列を眺めたい。毎年6月第二土曜が例祭という。↓企画展から。これら陣羽織のようなコートと雨合羽は皮をなめしたような風合いだが羅紗地。すごくモダンで美しい。骨を用いたトグルボタン。よほどセンスの良い作り手がいたのだろう。↑バロットン張りの版画は最後の藩主の相続人による。欧州旅行のスケッチから起こした作品。⑤啄木新婚の家新婚の家、といっても啄木自身この家に寝起きしたのは何と3週間だけ。しかし彼が確実に起居した住宅はこれしかないので大切に保存されている。元は武士の住まいであった屋敷の一角を曲がりしたもの。そこに啄木の母堂や姉妹も同居って、二間しかない。↓間借りの玄関、畳二畳、奥の間八畳↑床の間座敷は大家さん?或いは他の店子用祝言あげる前に啄木は盛岡になかなか帰省せず、3週間で転居。はあ〜不来方の〜でござります。↓これが新婚世帯四畳半の全て。元はお茶室?炉が切ってあるのが風流で狭さも気にならず。いっそこんな書斎が欲しいわいな↑畳、壁の卵色と紙の白と木部とヘリの濃色、ヤカンと自在鉤の鉄部、炭のハイ色、外部の緑。言う事なし。
2023.07.01
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2023/06/29/木曜日/明け方おしめり6/24 午後朝7時過ぎから活動していると一日は長い。次はお土産目的で しかないせんべい なるお店へ。本店はやや不便な所にあるけど、五重塔で高名な最勝院に寄り道しながら行けるのでポイント高い。禅林坊にも寄りたかったけれど、16時半ばの電車に乗るのため割愛。神社、プロテスタント、カソリックと巡り、ようやく仏教寺院へ、世界平和の輪。五重塔は大変立派で周囲の緑も美しい。津軽を統一した初代藩主が、その時に戦死した敵味方の人びとの鎮魂のために建てられたと、お寺の記録にあるそうだ。1664年頃建立か。平成3年の台風被害で、330年にして初めて全面的な解体修理がされたという。階段を上ると先ず、隣接神社の鳥居がある。きれいなネコさんお出迎え。仁王さんの目力、迫力あり。廃仏毀釈なぞどこ吹く風とばかりの、江戸時代までの睦まじさがここでは見られる。うさぎと縁があるのは何故は?入り口に狛犬のような様子であ、うんしてます。手を合わせて、しかないせんべいに向かうとその手前で十一面観音菩薩立像の文字が左手に袋宮寺藩主と繋がりのある古刹らしい。観音さまのお姿を拝見したいけれど無人のお寺につき、諦める。あら、トイメンには稲荷社の赤い鳥居が、と思うとその右側が しかないせんべい だった。お煎餅3箱購入。お煎餅切れ端袋詰めが200円で売っていたのでそれも買って食べてみる。バターっ気のないクッキー、のようなお味南部せんべいにも似てるかな。ずしりと重い袋をぶら下げ、これから弘前駅西南方面を散策してホテルで荷物をピックアップするための時間も計算に、急ぎ足。しかし太宰治学びの家を見たい。これは外せない。が、随分歩き続けなので途上にある弘前大学カフェで一休み。雨がぱらつき始める。↑こんな赤煉瓦外壁を抜けて右に曲がる。↓大学入り口の右手に独立した洋館のカフェ、お洒落。2階2室とも先客あり。朝と同じくコーヒーとアップルパイを注文。お店の人にすごく赤いリンゴですね?と聞くと、このリンゴは弘前大学の実験的な、実の赤い品種で市場にはまだ出回っていないらしい。弘前のカフェのコーヒーは、今のところどこも美味しい。カフェ文化が根付いている感。先客のみなさんが寛ぐ中をあたふたと、旅人は次の移動のために腰を上げる。お煎餅が重い。太宰治学びの家の近隣の、旧弘前偕行社は日本陸軍第八師団将校たちの社交場として、堀江佐吉によって建築された。撞球室あり。この時代の寮とか邸宅に備えているケースを幾つか見た。広いホールでは社交ダンスの練習などあったか。第八師団に因んだ蜂の玄関破風飾り紛れもなく一つの文化のスタイル。欧米に憧れ欧米を師と仰ぎ、貪欲にそれらを吸収した時代の。さて、どうしても時間が惜しい。太宰治〜と考えていると受付の女性が「すぐ側に太宰治学びの家があるので寄られませんか?」と声をかけて下さった。なんと、旧弘前偕行社の正門前にあるではないか。ありがたい。玄関に回るといきなりのお迎え事務の方かな?色々説明くださる。もうお一人は小説の朗読を来館者に教えている様子藤田家は太宰治の母方の親戚の家で造り酒屋であったという。この家の2階にこの家の息子と襖で隣り合わせに暮らした。↓長押には旧制高校制時の数式の落書きが残っているそうだ。肉眼では判明しづらい。↑文学に目覚めた季節は同時に芸妓に熱をあげ放蕩に明け暮れる到来でもあった。この部屋で狂言自殺を図りもした。学びの家を出ると雨足が強くなっていた。胸肩神社にたどり着いた頃は、前が霞むほどに降り始める。雨の中神社のお水を頂く。靴の中は雨水の音を奏で、ホテル直前でお煎餅の紙袋の底がとうとう破れる。お土産は既に神社でリュックにしまい、大過なし。心残りのこぎん刺しは、名品が駅の待合室でみることができたのだった!こうして22時間の弘前滞在時間は怒涛の勢いで過ぎた。何とも濃密でした。ありがとう。間も無く盛岡アゲイン。盛岡は雨なし。
2023.06.29
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2023/06/28/水曜日/雨がほしい6/24お昼前からお昼時教会が見たくて足を伸ばす。歩いて7分ばかり。る↑日本キリスト教団弘前教会、観光物では無いので入ることはできない。欧米でもカトリックは自由に出入りできるが、プロテスタント教会はどうか?↓その直ぐ近隣に石場旅館。次回はここに宿をとり中を見ようと思う。↑旧高谷家別邸。懐石料理店は廃業。裏にヴィンテージ何やらの看板。アパートかと思ったら、美容院らしい。次回ここでカットしてもらえば内部見学できる。うむ。↓更に4分ばかり歩くとカソリック弘前教会旅人にOPENの文字が沁み入ります。スタンドグラスの柔らかい色と光、こぎんざしの十字架のタピストリー↓タタミ敷のお御堂感謝と平和の祈り間も無くお昼になんなんとす。五重塔を目指す方向へ、気になるショップもあり。おや、このステキな建物は?と足を止める。見学したいなぁ、どうしたものかとうろうろしていると中から人が。ここは見学できますか?と尋ねると、ご主人らしき方、お昼時なのに、出かけそうなのに、どうぞと招き入れていただく。とまぁ。行きたかったショップPPPであった。ご主人のセレクトの北欧ビンテージ、北欧モダン、手仕事、色々私と被るなあ、とお話しする内に、大好きな建築家が吉村順三であることまで同じ。岐阜が大好きでそこに行くつもりが、この場所を借りられて弘前に留まる事になったとか。そりゃそうでしょう。私なら絶対そうします。民芸、手仕事、青森美術館の建築、ロゴ、その他たくさん教えて頂いておまけに2階も案内頂くこの時代にあって、畳の間から段差なしで縁側が続く。しかも床から長押まで全て開口のガラス建具。これは吉村順三そのものです。また、開けた先はお庭の緑がこんもりとして、室内が緑の上に浮遊している感覚だ。これは羨まし過ぎる!オーナーの方のための和室は乙女心満載の仕様東京から弘前に定期的にいらしてここで書き物をされるのだとか。いい!良すぎる!。゚(゚´Д`゚)゚。↓ご主人が敬愛する岩井窯、山本教行氏の作品が床に。氏の本なども見せて頂く。↑秋岡芳夫のフォールディングチェアが、ユンフィールぽいダイニングセット横に。コルビジェやら前川國男やら話は尽きねど、時間は過ぐる。お暇して、お店を出る。この玄関が素晴らしい。色彩感覚が抜群によろしい。今度家具を買う機会があればこちらで買いたいと存じます。山本氏の『暮らしを手づくりする』早速発注しました。ところで、帰り際に、この冊子を頂く。なかなかとんがったユニークな個人商いのオーナーの物語満載。これ読んだら行きたいお店が増えた。↑PPP石田学さんのページアビヤントー、また来るねありがとー、またよろしくねー
2023.06.28
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2023/06/27/火曜日6/24 お昼前藤田記念庭園から東ヘ5分ほども歩く。道すがら見るものはまだある。↓市庁舎前。りんごの里のポスト^ - ^↓旧第八師団長官舎、スタバが入っているため見学したければコーヒーを飲むしかない。先ほど頂いたばかり、表のみやって来ました。旧弘前市立図書館外観は昨日撮影したのでいきなり入館↓プラン。3階は見学できないが、浄写室 とある。模写?曝書?本の修理?西欧建築はおしなべて地下を大切にする。日本の洋風建築にはそれが省かれているのが惜しい。1.2階とも96.298㎡なのでほぼ29坪ずつ。やや大きな一般住宅の規模と言ってよい。普通閲覧室と婦人閲覧室が分かれているのは、儒教の名残か。改めてプランを眺めると、この八角堂は平行相似では無い。その事に舌を巻く。向かって右が三尺ほど飛び出している。外観を眺めている時には気づかなかった。このズレ、階段の収まりのために奥まったのか、あるいはアプローチ踏み石のラインを外側ラインに同調させたのかは分からないけれど、実はこのズレが動線目線をイキイキさせ、狭い内部空間を豊かにしているかもしれない。↑初代館長と館長室。サンタクロースみたい、立派なお髭は二代まで。後はカイザーヒゲみたいに変化するのも面白い。ヘルシンキ空港のラウンジで相席した韓国のご老人がやはりこのヒゲの持ち主であった事を思い出した。私も漢であれば欲したかもしれぬσ(^_^;)↓婦人室は6席。ただ一冊ばかりを読める図ここを訪れたご婦人とはどんな方だったろう、どんな本を読んだのだろう。図書室の狭さを思えば、蔵書数もさほどなく貸出などは行なってなかったのだろう。この空間あっての読書だなぁ。総合芸術に等しい。↓階段ディテール↓2階閲覧室、評議室など。この建物の秀逸な八角堂の縦ラインは下から婦人閲覧室、評議室、応接所となっている。ともかくも、学ぶご婦人に敬意を表している点が見逃せない。小さくとも豊か。愛らしい。堪能後は目と鼻の先の 旧第五十九銀行本店本館この館内では、弘前の一連の洋館の棟梁 堀江佐吉についての展示がある。受付の方と少し話す。戦災も3.11も免れて今日弘前で洋館や古い建築を見られることの幸い、とか何故弘前でこれほど洋館が建てられたかの背景などその第一要因は函館にあるという。函館は青森からは至近、東の神戸のような土地柄である。その洋館や繁栄に影響やら職を求め沢山の人が渡った中に、本館棟梁である弘前藩お抱え建築方の堀江佐吉がいた。様々な技術を習得、あるいはそれを元に佐吉が一番心血注いだ建物がこの本館なのだそうだ。当初は少し離れた場所にあったのだが、曳屋で今の場所に持って来たのだという。その際に入り口は90度変えられたそうだ。↑広々とした銀行業務の内部空間に柱はない。↓重厚感あるインテリア↓小上がり天井の意匠や格天井デザイン見学の二点共棟梁は堀江佐吉。用途が異なるとはいえ、住宅、図書館好きの私には断然、りんごを彷彿とさせる旧図書館が好みである。りんごの実る頃、再訪を願う。
2023.06.27
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2023/06/27/火曜日/曇天6/24 午前 家屋と庭のある土地の形状が面白い。全面道路と同じレベルの敷地にゆったり構える和式建築。↓これは下の庭園の茶室左にはシックな洋館本格的な庭園はがくんと下がった段丘の方に設えてありお茶室もそちらにある。↓岩木山を見張るかす、別邸からのながめそしてこの別宅を普請した藤田氏の境涯がこれまた、そのランドスケープをアーキタイプとしたような妙なる様相↑左、藤田氏、右当時の首相田中義一洋館一室に彼の人となりが紹介され、興味深い。藤田謙一は政財界で活躍し、日本商工会議所初代会頭となった。今のサラリーマン社長とは異なり、大したものだなぁ。wikiでは東奥義塾←これは慶應義塾に感化され弘前市に創立された私学←を中退して上京、と記されているが、私があの一室で読んだ限りでは、東奥義塾の受験に失敗している。しかも、養子先の家から150円くすねて、上京した強者である。学業より実業に秀でた彼は、瞬く間に様々な事業を太らせ発展させた。史実を淡々と記す姿は当然とはいえ好感増すものだ。↓こんな資料も目を引く彼は自らの私腹を肥やしただけの人ではない。武家の生まれ、明治人の矜持を後世の人間に伝える。弘前公会堂建設資金として154千円を寄付したが、これは当時の市予算額の4分の1強の額で、平成3年予算でみると、133億円規模に相当するという。ところで。寄付前年の大正8年竣工、庭園と別邸の総工費は寄付の4倍なので計算上は500億⁈いやそれはないでしょう、いくら何でも。こういう疑問を持つと、大きな図書館ではそれに応えるレファレンスサービスが利用できる。便利。そしてネットでレファレンス実例なども拾える。まこと便利な世の中である。それによると指標を何で求めるかで5倍はずれてしまうようだ。大正10年の10万円は公務員給料平衡で換算すれば、2億越え。そうすると寄付は3億、総工費は12億。土地取得を考慮すればもう少し高額かも。だけど、まあ妥当なところかな。藤田氏を偲ぶヨスガとしてはこれも。毀誉褒貶のあった方とはいえ、スケールの大きさはやはり明治の時代精神。青雲の志、気宇壮大。↓和風建築↓洋風建築↑洋館サンルームではお茶とアップルパイが頂ける。建物や庭を見るに、雅というよりはどこか武張った感じで、贅を尽くしたというよりはどことなく質実剛健な印象をもつ。庭は江戸の職人が入ったそうだ。
2023.06.27
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2023/06/26/月曜日/曇り晴れ6/23、24メモ看板に偽り状態、本を読む間も無くひたすら 弘前の土曜日を朝7時過ぎから歩く。昨夕の突撃調査で弘前のもう一つの目的である、こぎん刺しが見たい が空振りであることが分かった。下調べしない、アドリブ好きの露呈Σ(-᷅_-᷄๑)体系付けられた展示がひろさき無い、のだった。手芸店のご主人が親切に対応下さり、こぎん刺しの県内広域マップまで下さった。予約をした上で見学できる工房がいくつか市内外にあるようだけど、短時間滞在では難しい。よって、翌24日土曜日は当初予定になかった、弘前城北側の、仲町重要的建築物群保存地区 及びお城跡公園周辺を歩いて、予定してい藤田記念庭園に出かけてみた。お城に隣接区域であることから、家臣の中でも重い役目の武士たちの住居地区だと推測する。それにしても、この道の気持ちよさ理由は電信柱が無い!それに尽きる。いいなぁ、こんな往来に住みたいなあいくつかの建物は市の指定を受けている。住まいが今風になってしまっている住居でも、古い門や年を経た樹木などがあちこちに散見される。これら住居の公開時間は10時から。未だ2時間弱もあるではないか、と諦める。公園をはさんでこの地区とは反対にある、藤田記念庭園の9時公開に合わせのんびりと散歩することに。釣りをしている方もちらほら。フナが釣れるそうだ。おや右手にステキな建物が!街中にこんな建物が勇ましく働いてちゃんとある。この尊さは計り知れない。↓そして、この公園は街の中心にあるのである。想像できない風景ではないだろうか。公園内には、京都御所にも負けないすごいイチョウがある。紅葉の時はどんな風だろうか。一目見るなり、これはエントである と感じるような木だ。古い記憶と表情をもつかのよう。あなたと一緒に働きたい。などと思う。率直に言って、この公園を歩いている内に私はすっかり弘前が好きになった。いいなぁ、いいなぁと思いながら歩き続ける。公園出口には市立博物館と市民会館かねてより前川國男の建築とは聞いていたけれど、こうやって現物が見られることは素晴らしい。特にこの市民館外壁の表情。左上の立面の影は、それを横から眺めると右写真のように角度を持って立ち上る様子が実感される。地面歩道から外壁への一体感の工夫。コルビジェ晩年の域を感じさせる。歩くたびに姿を変える建築に見惚れているといつの間にやら藤田記念庭園が目の前に。しかも右下の急な坂の向こうに聳えるは、お岩木山らしきロケーション。これは計算されたもの?すごいなあ、建築と景観のマジック、目にする全ては天然+アーティストのニワである。そこに時間も加わる。まさにに9時アジャスト。一番乗りで庭に行くとあやめが丁度見頃の塩梅神さま、ありがとうございます、と感謝せずにはいられない仕業でございます。お岩木山ははっきりと捉えられなかったが、本来ぐずつく天気予報を覆す青空の中で庭園を堪能。
2023.06.26
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2023/06/25/日曜日 帰り着いた東京は暑い!06/23、未だ金曜日メモ弘前に着くともはや夕間暮れ取り急ぎチェックインを済ませ、観光案内で6時まで入館可能な洋館へ。弘前は私には洋館の街弘前の洋館で一番行きたい旧弘前市立図書館は既に閉館。概ね施設は5時で終了。↓何とも愛らしいお姿。弘前のおりんご。この建物すぐ側に 旧東奥義塾外人教師館旧藩校を母胎とした私学が明治半ばに開校された。メソジスト派宣教師が代々教師として派遣されたという。そのご家族の専用住宅子どもの遊戯室には、ブランコが。関係者女性の寄贈キルトが飾られるなど、温かい様子が今に伝わる。キルトのデザインはこの住宅のイメージそのもの一階にはレストランが営業を終えた様子で、ゆっくり見学ができた。
2023.06.25
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2023/06/24/土曜日/弘前は午後土砂降り6/23金曜日昼食後は雨のしのつく中を美術館から遺跡まで歩く。といっても10分くらい↓歩道にも縄文パワーを感じる入り口が少し分かりづらいのは私だけ?併設のシアターや博物館やお土産物売り場を抜けてトンネルみたいな場所をくぐり抜けると、まさにタイムトンネルそこは、日本離れした風景ラトヴィアの森の手作り市の風景のようだ。遠くに、あ、あの砦?みたいな巨大公造物がまるでホビット族の住まい、完璧エコスタイルこれらの中には小学生たちが建てた小屋もあり、素晴らしい教材だなぁと思う。発掘された全周1m超える栗の木の穴掘部分が、併設のUFOみたいな施設の中で見学できる。復元された櫓は、屋根があったかどうかは不明だそうで、現在屋根無しで展示されている。竪穴式の巨大なホールの構造全体が屋根、の様子が力強く美しい。そういえば、ベトナムの国立民族博物館で観た少数民族の人びとの、ツイこの前までの住まいの再現がこんな高床式だった。雨の処理、害虫害獣から貯蔵食料を守る、寒さに耐える、大体そんな工夫から生まれる住居スタイルは似通うものだ。まともな道具も無い状況から、サバイバルできるか。一定の能力を身につけなくて大丈夫だろうか。博物館では時代ごとに異なる沢山の土器やアクセサリー、針のみか針入れも。縄文ポシェットも。家族の様子が和む。縄文衣装も今現在着ても違和感無い。バスを待ちながら新青森→弘前から急遽、青森駅経由で弘前駅に向かうことにする。バスは新青森駅まで10分あまり、青森駅までは40分くらい。そのまま乗ってみる。菅江真澄が神託を仰いだ善知鳥神社に参詣したい一心で、わたわたとうとうへ青森も新青森も初めて。津軽海峡フェリー港を巡り、改装中の青森駅へそこから10分程度駅の反対方向へ行き、左の細い並行道に神社。境内には私のような菅江真澄を求め訪ねる人もあるらしく、よく分かるような説明板など掲げてある。関わりあるお守りでも無いかと探してみると、旅行お守りなるを発見。旅のヨスガとする。青森→新青森(荷物をピックアップ)→弘前へ
2023.06.25
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2023/06/24/土曜日/予想外れてお天気昨日金曜日の朝は5時起きで朝から温泉その後移動新青森駅着、ロッカー五百円が百円のみ使用可。ねぶたん号まで時間もあるしバス停確認しようとのんびり歩いてたら、あれ?ひょっとしてあのバス?あ、急げ〜と走り始めた途端バスは出る私は残る。しゃあない。美術館ランチをやめて駅でお弁当買って遺跡で食べることにしよう、とバス待ち30分をやり過ごす。おすすめを尋ねるとカニイクラウニ、あと何だ?の四色弁当が人気らしい。しかし数少ないイカ飯に目がいく。これが人気みたいよ?と聞くと、イカ飯は一日に二つしか作れない?手間が大変とのこと。え、機械じゃないんだ、ではそれを。実は昨日、陸奥湊の磯辺ウニ店で大枚二千円はたいて買った焼きウニを食べ損ねてもいたのであります。いよいよランチが楽しみになってきたぞーあ、今回旅のメインイベントは青森美術館と山内丸山遺跡、それと東北の街巡り、時々食い意地張る、なのだ。新青森からねぶたん号に乗ると次の停車は美術館入り口。素朴さがよく、レターフォントが好い。美術館は広い公園の中にあり、縄文遺跡とツイをなしてるなあ。建築が健康で幸運だった頃を思い出させるような雰囲気。無理せず、風景に溶け込んでます。あおもり犬の印象以外には何の前知識も持たず突撃常設展のみを選択して入館後驚いた。地下2階から展示が始まるが、いきなり正面に巨大なシャガールの絵↓係の方に思わず、本物ですか⁈と尋ねる。説明を伺い納得。これはナチスの迫害から逃れてニューヨークに滞在したシャガールのバレエ舞台のために布にテンペラで描かれた背景画、とのこと。これで全部ですか?すごいコレクションですねーとため息をつくと、入り口正面、三幕目の二つの太陽と麦畑、孤独な舟漕ぐ男の間に逆さの白樺の黄色い絵はフィラデルフィア美術館所蔵の貸借とのこと。一意に眺められるのが素晴らしい。バレエのタイトルはアレコプーシキン作品、音楽はチャイコフスキー演じるはニューヨークシティバレエ団。すごいなすごいな。↓物語解説を薄く音楽流しながら一日3回堪能できます。↓成田さんのすごいテクニックとソウルを感じる作品群は発見。こんなクリエーターがいるんだ。↓奈良美智の楽しい小屋とかもありここだけでも充分一日中過ごせそうだが遺跡にも行くので、こんな素敵なところを貸切でランチ!駅弁焼きウニランチ(^^)
2023.06.24
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2023/06/22/雨は降らず初めての盛岡駅。すごく昔、車で来たことはあったけど、あれは友人プランニングにつき、わんこ蕎麦の記憶しかない(^人^)てへ。木曜午後の開運橋からの岩手山眺めを期待、不来方コズカタを唱えたが、山裾がぼんやり捉えられるくらい。宿に荷物預けてからの市内巡りは、宮沢賢治、新渡戸稲造の縁古を仰ぐこと。南昌荘、旧石井県令私邸、その他建築群を訪ねること藤原養蜂の蜂蜜を買うこと石割桜を見ることがミッションである。宿を出たのは2時前。一応5時くらいに戻る予定↓お城の石垣が立派。ただいま補修工事中。かつてお堀のような地所ではマツの手入れ中こんな道を歩きながらお城公園の寄り道を我慢して、賢治井戸水、賢治清水へ↑下の橋は木製の欄干が残り風情がある。現在工事中実際に賢治が弟の清六と暮らし使用した井戸が駐車場の中にぽつんとあった。その井戸と水脈を共にする?湧き出した清水を賢治清水と名付け、取水できる。私もペットボトルに汲ませて頂く。この清水は、下の橋のほとりといえるような場所にあり、橋を渡った対岸直ぐに 新渡戸稲造の生誕地がある。クリスチャンで『武士道』の新渡戸稲造である。↓生誕地の小さなメモリアルパークが素晴らしい。新渡戸稲造を知悉した上でデザインされているように感じられる。ああ、この顔である。大好きだ。恐れ多いが父の面影が重なる。思想、宗教を深く考える人の顔つきなのだ。精神性の高さだけでなく温厚な包容力も伝わり来る。涙ぐむ。川堤に沿って山の方へ上るとすぐ左に立派な中学校がある。公立学校の校舎が住民の願いや誇りのこもった建築であるような街を私は愛する。会津、松本、鶴岡、内子町、台北…この中学で金田一京助が学んだという。校門前には石川啄木と若山牧水の石碑中学生らは毎日帰り道これを無意識の内にも取り込んで詩歌を尊ぶ心を密かに養うだろう。そこから南昌荘まで10分余りここで庭に降りたりしながらのんびり過ごす。南昌荘近隣の、旧石井県令私邸 を訪ねる。このお家が頗る良かったのだけれど、本日休館。ええええ〜結婚式撮影会らしい。恨みがましくお家の周辺をうろうろして、街中を散策しながら藤原養蜂園さん目指す。と、嬉しいことに目の前に素敵な建物!実はカフェ&もりおか啄木、賢治青春館私にとっては貴重な幾つかを発見賢治の学生時代の友人が、賢治亡き後、勤務先の新聞に賢治の作品を連鎖し、やがて注目されるようになったこと。その学友は後に直木賞受賞作家となったこと。早い時期の賢治作品表紙絵を、若い棟方志功が描いていたこと賢治の直筆の手紙、その文字賢治の遺言を叶えた『銀河鉄道の父』によるお経国訳妙法蓮華経の実物胸がいっぱいになったところで凡百のワタシは20分の道のりを蜂蜜求め↑テイスティングだけで、この倍ほどあり、店内では量り売りもある。冷たいハチミツ水?で疲れが取れる。あれもこれもと買い求めた中にこれから立ち寄る石割桜 の蜂蜜が!そのミツバチたちはビルの屋上から採蜜するんだとか、へー。銀座のハチの仲間。↓正面から見た 石割桜ああ蜂蜜重い、脚もへとへとで気付けば5時半も過ぎてホテルへ。
2023.06.23
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2023/06/23/金曜日/早朝の雨、曇り旅の準備などの本を読む。6/22/東京駅07:08発 はやぶさで、一気に陸奥湊のみなと食堂を目指す。お目当てはウニ、である。一人旅なのである。誰にも気兼ねなく、行きたい所に自由に行ける!先週は子どもカップルと山へ同行し、結局掃除洗濯洗い物の、あまり嬉しいとも思えぬ休日昨年会員になった 大人の休日倶楽部 が観光客の細るこのシーズンに、短期間の東北フリーパスを企画するとか。あああ大人の休日、ありがとうございます(T-T)初めて使わせて頂きますぅ。この四日間パス、実に15270円!これで特急指定も8件までOKという信じられないお得なチケットなのだ。で、みなさま同じようなことを考える訳だ。指定席を求めにみどりの窓口に行くと、連絡の良いやまびこは既に満席、自由席でいいかもと答えると、やまびこには自由席がない!そうであった。娘が住んでいた仙台に何度も出かけていながら、これだ。忘れてた(>_<)それで6時前に家を出て30分以上早い電車の乗客となりぬ。さて、旅先での読書を偏愛する私が今回携えたのはこちらである。菅江真澄の名は、神長官守矢資料館 で知った。柳田國男や宮本常一の著作由来でないところが、実にらしい。さて、本も飽いた頃、風景眺めようと思うも盛岡過ぎると八戸まではトンネル続きである。東京駅から3時間弱揺られて八戸へ♫定刻に八戸着↑八戸駅はコンパクトにできている。新幹線駅をエスカレーターで改札出る、右折で線路三つ離れた辺り。1時間に一本ペースの電車がすでに待機している。自分でドアを開く式。ここから八戸線に乗り換えまで50余分待つ。待ち時間にはお手洗い。レディースはブースが三つしかなく外まで並んでいるではないか。この後もう一本のやまびこを待って、10:42発の鮫行き。乗車時間は15分(¬_¬)で本日一番のデステネーション、陸奥湊駅に着くと、訳知な数人が早足。後に続くと二人連れ女性がまさかの駆け足で我ら三人を抜き去る攻防お昼前というのに小さいお店の前には12人くらい並んでいる。回転は早かろうと覚悟して末尾へ席について丼が提供されたのは、並んでから40分後くらい。あら、ウニは無い模様、もしくは6時スタートのこのお店、完売かな?結局、ヒラメエンガワ漬け丼にホタテトッピングをチョイス。ヒラメ漬け丼が人気の様子。エンガワはもう少し量がほしい!でもホタテがとても美味しかった。お店の暖簾は破れぶら下がり状態、ヒヤヒヤ店内に収まる。丼は意外にも?品の良いお味。お味噌汁は沸騰、付出小皿もいらんかも。ではあったが、丼がそれらの難を覆い隠します。ごちそうさま〜ここ陸奥湊での滞在は90分を予定していたが、ほぼ1時間でランチを終え、早めの電車に乗れた。12:08八戸バック指定席券の電車までに、一本はやぶさがある。みどりの窓口は混んでいて間に合いそうにないので改札でどうすれば良いか尋ねると、指定席券を取り消され、パスだけで乗れという。全席指定なんだけどー致し方なし、助言どおり変則的に乗ることにする。空きを見つけて座る。なるほど臨時のはやぶさ54号は、がら空きだった。今夜の逗留地、盛岡までは二駅分東京に戻ることになる。あまり美しい旅程とは言えない。食い意地の突っ張り分だけ線路を余分に往復したのだから。ここで反省。実は電車で菅江真澄を読んでいる内に青森の 善知鳥神社 にお参りしたくなった。せっかく八戸まで北上したんだから、盛岡ではなく青森の一泊にすればよかった!やはり本は早めに読んでおくべし、だなぁ。盛岡に13:15頃着あー、スマホ電池残量が(>_<)あ!新幹線にはこの頃プラグがあるではないか。しもた。盛岡直前に気づくワタシ。モバイルバッテリーを携帯しているとはいえ、こういう取りこぼしが実に多い人生であることよ。本日の移動これにて終わり。あとは荷物をホテルフロントに預けて街中をうろうろ徘徊します。ところで盛岡駅浜松駅と同じで、歩行者フレンドリーではない。駅は見えてもまっつぐ行かれない。潜った挙句に階段を使い荷を上げねばならない。東京駅はその点上下運動無しに広く歩けるのが良い。地方のハブ駅の改良が待たれます。
2023.06.23
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2023/03/05/日曜日/肌寒い2/24-27沖縄滞在mémoires美味しい!沖縄豚足、しまらっきょう、シリシリ、海ぶどう、ハマダイ、ぐるくん、ソーキ、ラフティ、ジェラート2月でも美しい花の沖縄力強いナイーブアートモダンな沖縄訪ねるたびに新しく懐かしい。
2023.03.05
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2023/03/04/土曜日/春の冷たくも明るい日先月末の沖縄↓お魚の正面顔が面白い。細面過ぎイカが奇妙過ぎ 箱フグ?可愛い過ぎ美ら海水族館に出かけたので、ランチは足を伸ばして古宇利島に渡る。水族館方向から行くと、もう一つの島、屋我地島を渡る。この島から古宇利島への橋の風景が美しい。雲の多い日だったけれど、海の青が層を成して白い波は輝く。ランチはコウリシュリンプ人気店みたいで1時前にはパーキング待ちの車が並んだ。注文したのは三人前くらいのエビとチキン、フライドポテト、おにぎり二つと飲み物を二人でこの風景、雰囲気、ハワイに行くよりここ!お高いリゾートホテルもあるようだけれど、格安で地元を楽しむ、のが私らしい旅であるのだよ。島は車で道路をぐるっと10分も掛からなかったように感じた。ビーチもある様子。
2023.03.04
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2023/03/02/木曜日/朝は肌寒い曇り週末の読谷村、やちもん市を楽しみに、古宇利島ドライブ後立ち寄る予定が、時間が押して諦める。何年か前に訪ねたときはまだ、市場横に駐車できたのに今は離れた場所が駐車場に道は混むし人は多いし、疲れに行くのであれば意味がない。そこで連日のやちむん通り参りをして、ここで陶器を探す。やちむん通りの案内板↓短いけれど、やんわりカーブを描いて気持ちの穏やかになる路地風景↓この界隈の老舗といえば 新垣製陶所 ↓今回購入したお皿は栄三郎氏のお孫さんにあたる新垣仁章さんの作品お父様の勲氏は亡くなられているが、作品はまだ店頭にいくつか並ぶ。価格も風格も格上因みに新垣製陶所から育った金城次郎の作品は沖縄美術博物館のミュージアムショップで三点ほど販売されてましたー。マグカップと白い線彫の皿は 育陶園 のもの↑育陶園は撮影OKモダンな、新しい息吹を感じさせる。伝統と新しさを織り交ぜて、発展していく沖縄のやちむんよい焼き物とまた出会えるといいな
2023.03.02
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2023/02./27/月曜日/昨日までの強風おさまりウス曇りここで金城次郎の重要性を知る、また民芸運動と敗戦前に奈良からやって来た内地の人形風景の何某それは私には大変魅力的な土人形の数々なのだけど、サルなんか見てると奈良の一刀彫りが思い浮かぶ。この人形の沖縄の人びとの滲む色!天才の仕事と思う。何が本当に力を持ち得るのか、数々を尋ねて我が身の裡に落ちて反芻し、何事かの返答を得る、まあそんなことを繰り返すしか無いかなと思うのではある。今回博物館ではこれを購入↓
2023.02.27
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2023/02/24〜27沖縄、今回の旅の記憶壺屋やちむん通りあがり=東あがりと読ませるココロは朝日の上がる方向である、とか。最後まで登り窯を残した新垣家住宅は遺産指定復元された登り窯の風景は、ガウディのグルニエルパークさながらで、それより更に命の横溢がある。
2023.02.26
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2023/02/11/土曜日/建国記念の日であって建国記念日、ではない。昨日の雪が温んで排水溝に音なしで流れる。伊東を訪れてはや一ヶ月未だに木下杢太郎の周囲を巡る衛星の如く、思案する。ナニ、伊東の食堂にて仕入れたお手製カラスミも未だ冷蔵庫に保存あり、夜の愉しみは続く。丸善日本橋店で2週間待ちと言われた随筆集も5日で届いた由これで返却を気にせず、読みたい所にいつでもアクセス可能。WEBではこうはいかず、紙サマ。随筆の特筆は「海郷風物記」に見る、杢太郎の耳とその形容銅体から離れた一条の浪が寄せ来るに、それを擬人化して、ある諧謔を思いついた人が遠くから話相手を認めて、笑いながら近づいてくる、と表す。その擬音たるや。ざ、ざ、ざ、ざざっくろんーざざああーるろ、るろ、るろすら、すら、すら…というのである。そして、静かに心を静めて、波の為す曲節に耳を傾けると漁夫の舟歌の調子を思い出す、と言い、「その唄のゆるやかに流れてゆく時、突然音頭を取る人の高い転向(モジェラシオン)に驚かされる事がある。それは突然大きい波が砕けた時の心持によく似て居る。…」そして舟唄の「よう、よう、よう、よいや、よう」の綱引き掛け声をカデンツァと覚えるのだ。という件から、いよいよ鹿島踊りの御神体に至る、海の男たちの祭=祀りの本質への描写を読むと、彼はまた文化人類学の道でも尊い仕事を為したろうと想像される。これはその神社であろうか。駅裏の伊東公演敷地の小高い丘上に鎮座する鹿島神社で、杢太郎の頃はここから浜まで一気呵成に神輿を下ろしたという。訪ねた時は未だ七福神巡りの時期でもあったが、ここに人影はなく、ただ梅の花がひっそり紅を点していた。眼下はるかに海と空が出会っている。この公園内にも杢太郎の詩碑がある。また、この敷地は李王家、すなわち李 垠と方子 の別荘跡地で、戦前までお屋敷があったらしいが、詳細は掴めない。今回の旅で、木下杢太郎という筆名の背景を知る。「黄金色に稔るみかんの実をみて、その木の下に何かの秘密があるのではないかと真剣に思案する、凡愚な農民杢兵衛の子杢太郎」がそれ、である。当に太田正雄という人の秘密の種がここにある。と、思うのだ。
2023.02.11
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2023/01/30/月曜日/やや温かい一日伊東に訪ねたのももはや20日余り前のこと月日は百代の過客にして…それでも木下杢太郎あっての伊東の旅であれば、かの清冽な湧水のことなども記録しておくべし木下杢太郎すなわち太田正雄をして医学の道に進めたのはその姉である。姉は明治という時代に僻地伊豆の田舎から学問の希求止まず出奔したような人間であった。しかも当時の東京市でそのよるべとした所は大隈重信の屋敷であったというから、一体いかなる縁があったのか。記念館にはその姉と親しく交情を結んだ樋口一葉の写真が展示されている。その直の姉か或いは更に上の姉か、彼女らが学んだのは寺子屋であり、その寺子屋があったのはこの寺ではなかろうか、と訪ね歩く。随筆では生家の地区から7.8丁離れた山腹にある寺とあり、水番なる生徒らが寺の学校から坂にある小川の水を硯水として頂戴したという。その時、級中の人は声を揃え「水番水を頂戴」と叫んだそうで、杢太郎の小学校時代までこの言葉は生きていたらしい。おそらく江戸の昔から代々受け継がれた声掛けであったろう。山川草木悉有仏性であれば、なり。この寺の縁起はとあり、その昔はもっと海に近くあったと思われる。必ず来ると言われる 南海トラフや駿河沖地震の津波にどうか杢太郎資料が流される事なく末代まで保存して頂きたく祈願した。このお寺辺りで海抜35米と記憶するが不確かである。寺下で小川になる湧水はこの寺を美しく巡り、下は下へと走る流れる。風景の中に、水頂戴 の少女の声を想像する。あの時代に姉の一人は学問の夢捨てられず東京へ出奔し、何のツテか、大隈重信のお屋敷に頼った由樋口一葉と交友を持つ才女で、杢太郎に学問をつけさせようと、学校に上がることを怖がる杢太郎をおぶって通学させたという。そのような出来事、一家族の歴史も覚えれば、小径の風景などもなんとも懐かしく胸に迫ることよ。1丁は私には175歩以前、埼玉の大宮神社参道の丁石の間隔を私の足幅で数えるとおよそ175歩であった。7.8丁は子どもの通学にさほど遠くない距離と思われる。
2023.01.30
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2023/01/24/火曜日泊まったお宿の隣接が東海館夜9時まで見学できるのと見学料200円とは素晴らしい。宿からひょいと、一風呂浴びて訪ねる。光庭というか坪庭というか、展望室から見下ろすと、小さな矩形の落とし穴成人式の当日、正月飾りあり、旧正月まではこれでいきたい。創業昭和3年、伊東の鉄道開通はその10年後木下杢太郎随筆によれば幼児期に罹患した彼をおぶい、下男は伊豆の山を二つ三つ越えて東京に出たというが、どこから汽車に乗れたのやら。開通の年、杢太郎晩年の53歳で前年東大医学部教授となり、癩病研究で世界的権威と目された頃である。東海館にある歴史の小部屋から三人の人物地名にもなった伊東祐親、その人展示によれば、中々立派な武将↓千鶴丸の悲劇があったと言い条、伊東市民に敬愛されていることが理解できる手作りマップ家康の命を受けて、この伊東で国産初めての帆船が三浦按針によって造られた。ところでこの念持仏がとても素敵、実物は何処に?余り関心がある訳ではないのだけど、東郷平八郎。彼はネルソン提督とと並ぶ海軍大将であるらしい。東海の小島の、遅れてやってきた田舎者たちが、不滅のバルチック艦隊を打ち負かしたのだから世界は仰天した。その時、東郷「皇国の興廃はこの一戦にあり」のZ旗とは画像右上の、この旗歴史の皮肉か、今はロシアの打ち捨てられた戦車車体にその文字が。戦争を美化するなかれ、との刻印である。相当の芸者遊びをした大将も晩年は伊東の海近い別宅で質素を旨として暮らす。タイムの日本人初の表紙になった益荒男だ。↑東郷旧居は日曜日のみ開館なんと3時に閉館でうっかり見学できず。↓伊東市出身、重岡建治氏の作品が展示された部屋は東海館のキッチュな印象が払拭されて、流石に作品ハーモニーが考慮されている。迷路のような館内をゆっくり探索した後に温泉を楽しみ、後、甘味所であんみつ頂くのも乙。
2023.01.26
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2023/01/22/日曜日/当地はそれほど寒くない本を読んでその著書とか縁の土地を訪ねるのは楽しい。宿でじっくりと本を読んでひねもす、のたりのたり 飽きたら湯に浸かる 極上の身過ごしであるなぁ豪華な必要はなく、ただ静かで古くても清潔が 保たれていればそれがよいのである伊東で投宿したのがK's House Itou Onsenこの宿があった事も伊東連泊の要因東海館に隣接し、内部の造作なども双子の如し中々の人気で宿泊過半数が長期滞在の外国客らしい満室御礼続くドミトリー、キッチン、リビング、24時間温泉海と駅の中間にあって目の前が松川というロケーション展望台室ではご家族の昼食と鉢合わせ撮影出来なかったけれど、クッションでもおいて寝そべって本など読みたい空間ではあった。部屋の眼下を流れる松川に添いそぞろ歩く。
2023.01.22
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2023/01/19/木曜日/夕されば寒しなぜ木下杢太郎?何ヶ月か前に読んだ『かくして彼女は宴で踊る』殆ど主客的な扱いで、木下杢太郎が登場する。名前だけは知っていたけれど、なるほどこんな人物だったのだろうなぁ、と初めて像が結ばれた。誠実、温厚、ブレることのない心棒。文も絵もヒトカド以上の科学者でそれでいて、なかなかにロマンチスト地元の高等小学校を経て医者になるため現、獨協学園に入学するまでの伊東での暮らし。生家は杢太郎の記念館として現存する。文学者として紹介されるが、そもそも皮膚科の世界的権威であり、ハンセン病隔離を早くから否定している。海に近い生まれ、関心は海外に及び、詩心がありハンセン病との関わりがあるそれは私にスコットランドの頗る好きな男、スティーブンソンを思い出させる。東大医学部に進んで政府から欧州研修を拝命し、第二次世界大戦勃発の年にフランス政府からレジオンドヌール賞を授与された。商家のミセだった記念館の奥は、杢太郎=太田正雄が生まれた部屋などの表示もある。1835年の築造という。記念館では併せて杢太郎の次兄、橋梁技術者であった太田円三の展示もある。震災復興後の隅田川の永代橋や、あの清澄橋をデザインしたのがその人であったとは市内を流れる松川その遊歩道には杢太郎のレリーフが点在して、これを確かめながら散歩するのも愉しい。↑120年前に杢太郎が描いた松川の風景
2023.01.19
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2023/01/18/水曜日/午後から春のよう■一月連休の7.8.9日を伊東で過ごした折の記録先月から静岡に縁あり7日、初めての踊り子号に乗って初めての伊東へ海が見えると気持ちも上がる。天気も上々お宿は歴史的建造物のホステル隣接するのは 東海館テルマエロマエでも登場したらしいが、その時の名称は東林館と称したらしい。荷物を預け、取るものも取り敢えず向かうは木下杢太郎記念館これがこの旅の一番の目的旅のお供本はこれ
2023.01.18
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2022/06/20/月曜日午前中にお土産など。歴史保存地区の木蝋やさんで車で5分ほど宿から離れた場所で大洲和紙と半紙を購入し宿に戻り早めお昼ご飯の前に、目の前のこちらで栗饅頭を買う。四国山地は栗が楽しみな所でもある。昨晩のドイツレストランで教えて頂き、こちらのさつま汁定食。トロロ汁にほぐした鯛が入っていて離乳食みたいに優しく美味しい。松山空港に移動。内子からそんなに離れていない。車を返して、搭乗待ちの隙間にかき氷。今度は内子のもっと奥まった 石畳地区にも寄りたい。またねー四国
2022.07.19
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2022/06/18-19内子町スケッチかつての映画館、中学校の塀は本芳我家の名残らしい。小さな区画に往時の繁栄を偲ぶ郵便ポストの瓦、愛らしい建築技術も普請道楽に伴い発展したのではないだろうか商いで発展した町らしくおたふくさんのコテ絵隣接宅との間合い、雨水のスペース取り何がこの町を豊かにしたかそれは右下、このハゼの木ハゼの実から摂る木蝋。混じり気のない美しいも苦労を生産する技術を発見した芳我家。何代目かの当主が混じり気の少ない木蝋製造を実現しそれはヨーロッパで高く評価され、販路が急拡大、巨万の富を築く。しかしパラフィンの化学的製造品が木蝋を瞬く間に駆逐し、内子の繁栄は終わる。後は残響を蕩尽し幾星霜。ところが古い風景は観光資源となり今に至るのだ。ここはまるで遅れてきたギルドと商業繁栄の欧州中世都市のよう。古の都市はこのくらいの規模の所も多々当主本芳我家は、現在庭園だけ見学できる。その当主の妹さんが、上芳賀家を担い、そのお屋敷は現在資料館も併設して、ガイド付き内部見学ができる。木蝋ができるまでの長めビデオは貴重な記録。その大変な努力と労力。内子の街並み保存には吉田桂ニ氏が関わられているという。日本伝統建築重鎮の方だ。もう相当なご高齢では?
2022.07.18
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二泊三日の四国旅の続きがようやく…2022/06/18-196/19 愛媛、愛南町から内子の宿、内子座へ、の巻足摺岬から内子へ海沿いをよろよろ行く。昨日に続き雨の予想が外れて嬉しい。足摺岬の付け根の西側、宇和海の竜串にある観光情報センターで休憩と情報収集。ここでもう少し時間が欲しかったのだけど、足摺岬や竜宮神社でゆっくり過ごしてしまい、文字通り「見残し」となる。ジオパークの学びをさらっとして、もし夏な来れたらどうしても滑床渓谷に行きたい。これは愛媛県松野町にあるようだけど、四万十川上流地域でもあるみたい。お昼には吉村昭が何度も訪れた宇和島で鯛めし!と考えたのだが、計算では2時頃着となってしまう。さて、道の駅でもと思いながら宿毛市内を通り過ぎるとGoogleで愛南町漁業市場食堂なる所がヒットする。道を逸れて市場に下ると地元の人たちが並んでいるではないか。宇和島の鯛もこの辺りからかも?と想像しながら並ぶこと40分余り。率直に言ってカツオタタキは高知の食べ方が遥かに洗練されているし、カツオ自体の力強さ爽やかさがまるで異なる。何も愛媛でカツオを食べることは無い。鯛を食べれば良いのだ!見た目も麗しく素晴らしく美味しい鯛だった。魚って似たような海にいながら土地土地でどうしてこうも味が変わるのか?明石の鯛、宇和海の鯛、甲乙つけ難い。腹ペコさんには鯛めし丼と鯛のお刺身、ふかうらの鯛。さて、お腹もくちい。これでデザートでもあれば最高だけどとにかく内子に急ぐ。大洲辺りで海から離れて内陸、川沿いにひた走る。南予、西予は江戸時代には宇和島藩、大洲藩とそれぞれ独立していた。内子は大江健三郎のお陰で知ったクチですが、江戸末期から明治期に木蝋で大バブルの夢の如き時代があった面影が残る、しっとりした街らしい。宿泊先名である くら を探して街並み保存地区に入り込む。しかしどう見ても宿では無い様子。電話して尋ねたら、宿名は こころ くら なのであった!そして後から分かるのだけど、くら は上芳賀邸のお屋敷内のカフェなのだった。大きな蔵を2グループで使うメゾネットスタイル。豪華2食付きのサライさんよりも素泊まりだけど、お高い。高知空港で拾い松山空港で捨てたレンタカー代金とほぼ同じ。こんな宿は本当はお部屋の中でゴロゴロして読書に耽りたいんだけど。お風呂も夜と朝と2回使いたかったなあ、明るい時に入りたいお風呂なんですけど。あー弾丸向きではないお宿でございます。2階はちょっとヨーロッパのペンション風。のびのびしたベッドルーム、乙。チェコやハンガリーのこんな感じの宿では朝食付きでおまけにシャンパンが朝から飲めたなあ〜連れが内子座が閉館時間近い、と煩い。へいへい、出かけましょうぞ。観光案内所でパンフレットを仕入れる。うーむ、充実しております。↑右側、元警察署の建物がビジターセンターに。保存地区外も古い建物がよく保存されている。戦災自然災害共に免れた証。ビジターセンターの先を右手に曲がり、少し進むと左手に立派な、時代がかった建物が。館内ではガイドさんの説明を聞くことができる。これだけの空間に柱が無い。廻り舞台、花道、奈落、セリ、義太夫席が整えられた立派な芝居小屋。舞台の下を縦横に走り回り、セリや廻り舞台は人力仕掛け。この地下の空間、基礎石組?がとても魅力的だった。これが町民有志によって作られたのだから往時の繁栄や如何に。確か来年には耐震工事の為に長く閉館されるとの事だ。保存地区に戻り端から端まで歩いても10版ほどだろうか。やけに凝った造りのお屋敷がある。これが当地区のお大尽、本芳我家(ほんはがけ)旧住居らしい。街並みは明日ゆっくり見ることにして、今夜のドイツ料理店の予約時間までまだ時間に余裕がある。道を先に進むと立派なお寺が。門をくぐると住職さんと出くわして色々と説明を頂いた。曹洞宗の高昌寺という。お話によると今の山口辺りから弘法大師を慕いその足跡を辿ろうと四国にやって来たお坊さんがいた。有難いお話を聞かせてほしいと村の者たちが集まり、やがて浄久寺が創建され、これが曽根城主の菩提寺として現在の姿に発展したそうだ。案内書きには室町から40代続いた住職の名が記され、廃仏毀釈後も地域の精神的カナメだったことが伺える。写真を撮り損ねたけれど、白大理石のふっくらとした大きな涅槃仏がある。毎年3月15日に涅槃まつりが催されるとのこと。夕飯はここでしか飲めない何とかというドイツビアのあるお店へ。若い?ドイツ人青年がお母さんの味を再現してます。ザワークラウト美味しかったなあ。
2022.07.03
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2022/06/18-206/18 ー19 高知の巻羽田→足摺岬へ弾丸で行く。高知空港でレンタカーに乗る前に、到着がやや遅くなり空港で早めのお昼を摂ったのはまずい選択だった。4時間くらいの移動となるため途中休憩の道の駅、なぶら土佐佐賀。ここでは明神丸の藁焼きカツオタタキが頂けたではないか!お腹が空いてなくてもいつでも食べられる塩ソフトクリームを食べ、ヤマモモを買う。この粒の大きさはハノイの路上で買ったヤマモモが思い出される。東南アジアのつながり。同行者の予約先と私の理解がズレてまどい迷い本日お宿へ。ペンションサライ二人二食付き18800円。これはお値打ち!お料理を食べれば理解できる。清水鯖のお刺身が絶版で、たっぷりの果物のデザートも。唐人駄場に行きたかったのだけれど、事前にガイドをお願いするべきだった。そもそもが大雨の予想だったし。近くまで行ったけれどミッション果たせず。いつも行き当たりばったりのこの生き方を見直す必要がありますわ。6/19朝早い内に雨が降った様子だけど天気は何とか持っている。第38番札所、金剛福寺を訪ねる。本堂裏に広がる観音像群は迫力があった。その途中の階段で孵化したばかりのオニヤンマを見る。オニヤンマだけでなく自然が人間を圧倒している、この濃密な空気。金剛福寺から細い道を間違えたりしつつ、黒潮がどどーんと打ち付けるウスバエの竜宮神社へ。道路からのアクセスは御嶽への入口のようやがて潮騒の音が聞こえ明るさが増して海へまるで時間が止まっているような風景の中へ遠くに赤い鳥居海の中の小島に取り付いた釣り人がいる!神社の御祭神弁天様がご覧になっている太平洋、その背後に唐人駄場と呼ばれる太古の祭祀の広場と巨石群。ここは特別な場所だと感じられる。何とも雄大で清らかで明るい。海空が近い。さて、弾丸旅は四国西海岸沿いに北上しながら内子町を目指す。お昼ご飯は宇和島→2時過ぎになりそう。宿毛→11時過ぎはお腹空かない、と定まらない。それというのも竜串のビジターセンターでゆっくりし過ぎたからなんだけれど。ここではジオパークを意識した学び、高知ばかりでなく愛媛県の地域案内など網羅している。あらー前々から滑床渓谷に行ってみたいのよね、それは愛媛県松野町にあるのか、ふむふむとひとりごちでいる内に同行者は業をにやして車中に。探す時間が無駄だし、ぷん。はいはい、先へ参りましょう。お昼ご飯どうしよう?は、愛媛の巻へ。
2022.06.24
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