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2023.01.30
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カテゴリ: 旅日記
2023/01/30/月曜日/やや温かい一日


伊東に訪ねたのももはや20日余り前のこと

月日は百代の過客にして…


それでも木下杢太郎あっての伊東の旅であれば、
かの清冽な湧水のことなども記録しておくべし


木下杢太郎すなわち太田正雄をして医学の道に進めたのはその姉である。

姉は明治という時代に僻地伊豆の田舎から学問の希求止まず出奔したような人間であった。しかも当時の東京市でそのよるべとした所は大隈重信の屋敷であったというから、一体いかなる縁があったのか。

記念館にはその姉と親しく交情を結んだ樋口一葉の写真が展示されている。

その直の姉か或いは更に上の姉か、彼女らが学んだのは寺子屋であり、その寺子屋があったのはこの寺ではなかろうか、




随筆では生家の地区から7.8丁離れた山腹にある寺とあり、水番なる生徒らが寺の学校から坂にある小川の水を硯水として頂戴したという。

その時、級中の人は声を揃え
「水番水を頂戴」と叫んだそうで、杢太郎の小学校時代までこの言葉は生きていたらしい。

おそらく江戸の昔から代々受け継がれた声掛けであったろう。山川草木悉有仏性であれば、なり。

この寺の縁起は


とあり、その昔はもっと海に近くあったと思われる。

必ず来ると言われる 南海トラフや駿河沖地震の津波にどうか杢太郎資料が流される事なく末代まで保存して頂きたく祈願した。

このお寺辺りで海抜35米と記憶するが不確かである。

寺下で小川になる湧水はこの寺を美しく巡り、下は下へ
と走る流れる。

風景の中に、水頂戴 の少女の声を想像する。


何のツテか、大隈重信のお屋敷に頼った由

樋口一葉と交友を持つ才女で、杢太郎に学問をつけさせようと、学校に上がることを怖がる杢太郎をおぶって通学させたという。

そのような出来事、一家族の歴史も覚えれば、小径の
風景などもなんとも懐かしく胸に迫ることよ。


1丁は私には175歩

以前、埼玉の大宮神社参道の丁石の間隔を私の足幅で数えるとおよそ175歩であった。






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最終更新日  2023.01.30 20:13:14
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