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2023.04.18
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テーマ: 読書(8265)
カテゴリ: 本日読了
2023/04/18/火曜日/今朝方は寒さで目覚める



〈DATA〉 講談社文庫/ 著者 山田風太郎

1985年8月15日  第1刷発行   
1995年6月30日  第9刷発行




〈私的読書メーター〉〈80年近く前の人の日記とは思えぬ、現代人の意識と地続き。孤独であり合理的科学的、ややもすれば冷笑的な個人が日記にいる。故に神州、神通力などは埒外である。されど教育。「人と成ったのが大正時代の半老人」からは著者世代が骨の髄まで軍国主義であると指摘される、そんな血の沸騰が8.15の夜、生来する。それも一夜鶏声の内に霧散するのは心情でなく頭脳が怜悧過ぎる所以か。戦火に遭っても凄まじい読書量、風景を描く瑞々しい綴り方。何故を問い続ける敗戦前後の東京と疎開地の日本人の有り様。市井の人びとの声など一級資料ならん。〉



この発行日は!
断じて敗戦から40年後のその日に出版!
の強い意志が出版社や編集人から感じられるではないか。今年はそれから43年。


文中から

山田  僕は日本精神そのものの実在さえ疑っている。そんなものがあったのか

松葉 それはあんまりだ。国民精神というものはどこの国にもある。…それを具体的に見たいと思うなら、大樟公を見ろ、吉田松陰を見ろ、高山彦九郎を見ろ。あれがすなわ日本精神の凝って人々となったものだ。

山田  ところが僕は大樟公が信じられない。太平記という小説に理想化された忠臣を見るばかりで、人間樟公を知らない。…修養するにもまったく手がかりのない神的人物だ。高山彦九郎や松蔭はどうか。僕はそこに彼らの人間を見る。しかし一風変わった人物を見るばかりだ。僕は彼らを思うと、耳を切ったゴッホを思わずにはいられない。対象が天皇と美と違うだけで。心理状態においては同じのような気がする。


山田  僕は日本精神というものを認めない。僕の認めるのは日本民族性だ。


教育というものが決定的に重要として、
松葉からそれではきみは将来子どもにどんな教育を施すかと問われた山田風太郎は、


僕は人間性を知らない。どうなったら人間は平和な状態にあるといえるのか知らない。人間社会には、一定不動の平和などというものはあり得ない。平和というものは推移するところにあると思う。万物流転の上にあると思う。従って、不動の教育などあり得ないと思うだけだ。


と答え、

僕は日本精神を認めず、民族性を認めるといったが、実は僕は人格などというものも認め得ないのだ。僕の認めるのは性格だけだ。そしてそれは結局大脳ということになる。人格の向上などはあり得ず、大脳の訓練あるのみだ

と結んでいる。

彼はこの間、医学書よりもロシア文学を多く読んでいた。もっともドストエフスキーは一冊も現れない。

驚くのは3月10日の大空襲の翌朝にも進級試験が実施されていた事実。

馬込の方では釈迢空が弟子と日本的美を息を潜めるように深く試問し、岩崎小弥太だったか、広田フッコサイと曜変天目か何かの国宝を挟んで睨み合いまんじりともしない図が、業火の阿鼻叫喚中に繰り広げられていた訳なのだ。

引用の日記は9月20日、親友松葉との会話。天皇制問答として閉めている。


こんなある種ニヒルというか徹底的に 科学する心
の医学生山田風太郎が戦時中を通して事物をそのように観察し得たこと

そのような思考を誠実に打ち明け、話し、受け容れる友のあったことをこの日記から知り得た。

医学生山田は医者にはならず山田風太郎になった。

千回の晩餐を新聞に載せたころは、「耳を澄ませば」の舞台となった聖蹟桜ヶ丘の頂きに住んで、駅のスーパーに美しく並んだ食材を感に堪えず眺めていたらしい。

そういえば、ここにあったブーランジェリーでバゲットを買う谷川俊太郎を数回見かけたが、昨今谷川氏はバゲットはいかがか。


ところで山田の本籍のあった村は、やはり作家となった三島由紀夫の本籍地でもあり、兵役回避の希望でここまで検査を受けに来たという。

三島は結果、兵役を免れ父と小躍りしながらその場をそそくさと離れた。

山田は甲種合格でないことを恥じ、何かにつけて列外にある自分というものを考えざるを得なかった。

後日、三島はこれを恥じた事もあったろう、肉体改造と割腹自決で人生を終える。

山田はスーパーの食材を飽かず眺め、美味いものを食べ、荒唐無稽を書き連ね流行作家になり、初恋の女性と結ばれ子育ても楽しんだようだ。

やはり小説作品にはそのような若い時の生き方が何となし滲み出るし、晩年、あるいは人生の閉じ方にはなおさら明瞭となるのだなぁ。





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最終更新日  2023.04.18 08:41:44
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