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2023.05.24
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テーマ: 読書(8265)
カテゴリ: 本日読了
2023/05/24/水曜日/空が青い






〈DATA〉 言視社 / 著者 川副秀樹
2016年8月31日  初版第1刷

〈私的読書メーター〉 著書は高尾山ガイドもする庶民信仰や古文書の在野の研究家。間も無く三社祭だが、浅草寺はそも三社権現社と呼ばれていた。三社は檜前浜成(ヒノクマハマナリ)と竹成兄弟とその主人、土師眞中知(ハジノマツチ)をさす。浅草寺縁起は兄弟の漁った黄金の聖観音像が本尊と記す。が、著書によれば檜前兄弟は浅草一帯で牧場を経営する郷士、主人土師氏は野見宿禰の末裔で彼らは上総へ渡る一帯「豊島駅」の支配者だという。そういえば浅草寺と隅田川の間に馬道通りがありマツチは待乳山を思わせるし黄金像にまつわるミステリーは長昌寺へと興味深い。〉

〈関心が浅草今戸石浜に向かい、高尾山まで辿りつけない(;ω;)高尾山と浅草を比較しつつ、墓を持たない両寺の経営戦略である、大衆好みの聖と俗を織り込んだ物語性を指摘。かつ歴史的背景も資料に当たり押さえている。かと思えばパワースポット案内など混じえ、寺の経営本領が著者にもそのまま見出せるなぁ。〉


不思議も読書に劣らず大好き。

そもそも人間に関心大。人間て、なんて不思議な生き物だろう、かく言う私もその内のひとりであるか。

本を読む→好奇心に駆られる→見知らぬ場所へ出かける→モノコトヒトに会う→その印象を携える→読書で深めたり寄り道する 

書は捨てず街に山に海に河に出る、のだ。

そんなこんなで隅田川界隈は好んで出かける。

そのきっかけが江戸から明治に至った時代の東京や神仏の歴史に関わる読書から、であった。

↓関連図書の一つに素白先生のこれがある。


副題の「お菓子に散歩に骨董屋」がもうもう私の好みとピタリ重なる。

この随筆中の風景は川瀬巴水の版画が重なり、そんな時代を知らない私に、ツイこの前の日本とは、そこに暮らす人とはこんな事であったよ、と語ってくれる。

それらは懐かしい記憶のようになって私の裡に畳まれていくのである。

素白先生の文中の待乳山聖天さんに惹かれて何度か足を運んだ。

関東大震災前の待乳山を隅田川対岸から観た眺めの良さが「向島」の章にある。

観音堂、その先に五重塔、晩秋初冬のそれら眺めを版画さながらに述べている。

震災後、聖天堂をくるんでいた巨木が倒れ、お堂が中空に浮かんでいるかのようだったのも束の間、戦災で消失し、甍も五重塔も失せた変わりように変わらぬは隅田川の水ばかり、と書き留めている。

待乳山は真土山とも記すように周囲から10米は迫り上がった小山だった。


川副氏の本であらためてハジノ マツチ(他にも読み方がいくつかある) の名を聞くと隅田川沿いにここだけ、ぽっこりと高いのは、ひょっとして土師真中知の墓所だったのでは⁈と妄想を抱く。

筆者の私説が述べるところ

土師真中知は野見宿禰の末裔という。宿禰は出雲系の勇者であり当麻ケハヤと力比べの相撲でこれを負かし、垂仁天皇に召し上げられた。皇后の葬儀では殉死の生贄を止めさせ埴輪を考案し、土師の臣の姓を賜り豪族となり、その一族から菅原道真も出た。

従って真中知も埴輪をはじめとする古墳増築の技術者であった可能性をとく。


ここで思い出すのが、『深大寺の白鳳仏』。本書でも武蔵野に転封された渡来人某が、相撲の腕で出世し時の帝に重用されて姓を賜る。

坂東に国分寺を建立する際に、まつろわぬ土地のものたちをまとめ上げ、事業を成し遂げた。おそらくその功によって橘夫人の持仏を授けられた、のではなかいかという内容であった。

因みにこの国宝は、深大寺でいつでも身近に拝観できるのがたいそう有難い。


当時の土着オリジン日本人からすれば、異能異才の帰化人らは、大陸半島から海を超えて辿り着いた島国で大きな仕事を為し、姓を得て重用され、やがて貴族に列せられる者も出てきた。そんな歴史が想像されるではないか。

待乳山聖天さんの縁起では推古天皇の代に、この場所が一夜にして盛り上がり樹木繁り、どこからかやって来た金龍が山をぐるりと囲んで聖別した、というもの。

推古天皇の、西暦628年が浅草寺建立とされるのに歩調をあわしているが、更に浅草寺の山号は 金龍山、 である。


川副氏の考えに戻ると、一方の檜前ヒノクマ氏は927年編『延喜式』に「武蔵国檜前の馬の牧」の文字が見られるため、この一帯に牧場を営む土地の豪族でやはり阿智王と共に来訪した帰化人であったという。

また、『続日本後紀』には「檜前舎人連は土師氏と祖を同じうする」とあるのだとか。

そうならば、待乳山と浅草寺は同一の、仏教に帰依した帰化人一族の霊所であり、浅草寺完全秘仏の、一寸五部の金像は、大きさからいっても渡来の時に携えた持仏であったろう、と解く。

浅草寺を訪れると、そのあまりの観光の賑わい雑踏歓楽振りに信仰的な雰囲気は私的には後退する。

奥の院ともいうべき聖天さんは、ガネーシャ🟰聖天の本地としての十一面観音が本尊とのことだが、どことなし異国的な持ち味がある。

さて、浅草寺秘仏巡り散歩へと浅草、今戸へその先へ散歩は続く。


と書いてきたら、土師眞中知の名と神戸連続殺人事件の被害者、土師くんはハセくんだったことに気づく。

今日、5月24日が命日だと新聞で読んだ。
合掌























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最終更新日  2023.05.24 13:48:55
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