あむ日よむ日あくる日

あむ日よむ日あくる日

PR

プロフィール

天然風

天然風

カレンダー

コメント新着

天然風 @ Re[1]:道に拾う(07/17) りぃー子さんへ なかなかスムーズにお返…
天然風 @ Re[1]:トライアングルモチーフバッグ完成(07/19) りぃー子さんへ お返事に気づかずすみま…
りぃー子 @ Re:トライアングルモチーフバッグ完成(07/19) わー!素敵なバッグです。 しかも、重みが…
りぃー子 @ Re:道に拾う(07/17) こんにちは、モグラの子、今まで二度ほど…
天然風 @ Re[1]:旧朝倉家住宅(02/20) 富久道義さんへ いつもありがとうございま…

キーワードサーチ

▼キーワード検索

2023.10.07
XML
テーマ: 読書(8291)
カテゴリ: 本日読了


2023/10/07/土曜日/天気は上々、道は混む





〈DATA〉 集英社
著者  五野井郁夫
   池田香代子
2023年3月29日  第1刷発行


〈私的読書メーター〉 〈安倍銃撃事件のわずか17日後にネット番組で対談されたものをベースに、被告人のツィッター1364件を読み解きながら失われた30年の日本社会を考察する本書。五野井郁夫という同世代政治学者と、被告人の母親世代に近いドイツ文学者池田香代子氏の対談中のサブカルやネット用語は逐次解説もあり、理解しやすい構えだ。新自由主義の果てに見えるロスジェネの心象風景。いつどこで〈無敵〉な存在がバーストするかもしれない切迫を五野井氏は語る。誰一人こぼさず包摂する社会を目指したい。折しも教会に解散命令は出たが有効性を見極めなくては。〉


Twitter上に山上被告は言葉を残していた。

本書第三部には、山上徹也がsilent hill 333 のアカウント名で、2019年10月13日から2022年6月30日までのツイート全1364件が網羅されている。


これらは事件後間も無く削除されたそうで、それを予測したネット民が保管していたというのだから、ネットの人びとの情報処理能力恐るべし。

事件を報道するのが仕事の新聞社はもはや「新聞」の名を看板から下ろした方がよいかもしれない事態

新聞で当初から統一教会との関係を指摘した所は一社も無かった、という忖度の事実。

ネットで盛り上がりながら紙面には出て来ないいくつかの最近の事案も合わせ考えれば、一体いつになれば報道が報道として機能するのか懐疑をもつ。

昭和世代の家庭からさえ固定電話も新聞も消え去る日は近いのではないだろうか。
我が家ではすでにTVも殆ど見ない。


さて。

そもそも事件が起きなければ、安倍晋三氏はじめ多くの自民党議員らの選挙応援にがっちり組み込まれ政策に反映される、韓国の摩訶不思議な宗教団体との関係も遅ればせながら紙面に顕になることはなかったろう。

保守政治の虚実、極まれり


山上被告とほぼ同世代の五野井氏は自分が山上被告でないのはたまたまだという強い思いを何度も述べている。
また、ロスジェネを産む構造が変わらない限り、第二第三の山上は生まれると警鐘を鳴らす。


ロスジェネと命名された多くの同世代人がそのような感情を共有していることは想像に難くない。
自分こそヤマガミだ、という。

そのことは、人は決して絶対孤独の一人ではないとも示している。

日本の失われた30年。

ロスジェネ世代が満足な職に就けず、その事実は本来公的、社会的な構造の帰結であったのに、本人の努力不足に置き換えられ、個々の問題にすり替えられた。 その認識は殆ど正しいと思う。


竹中平蔵であり小泉元総理であり、2004年のイラク人質事件バッシングであり、安いもの安いものへとひた走る私たちの30年だ。

ついでに言うなら、日本の、まともな宗教に関わる団体や人びとは何故山上母のような人を慰め包摂し得なかったのだろうか。

社会福祉の後退を目にして、宗教関係者がこの事件の前で無関係無関心ならば、あまねく日本に宗教は無いと言える。

そしてエセ宗教はいよいよはびこり、プレデターは哀しい人を食い物に太る。



山上被告のツイートから

「世間を支配するのが 虚の中で、安部政権の虚実から実だけ を取ったらこうなったのだろう」
当時の菅首相をを非難し、

「人間なんてこんなものだと最近ヒシヒシと感じる。世界を支配するのはデタラメ、表層しか見ない無関心とそれに基づいた感情、最後まで生き残るのは搾取上手と恥知らず」

と、続ける。搾取上手と恥知らずが生き残る、というのは フランクルの『夜と霧』 の記述が、私にはぼんやり浮かんで来る。


ところで、山上被告が言及した文学作品2点、
『カラマーゾフの兄弟』
ル=グウィン『ゲド戦記』 は、
私にはピタピタな本である。







先日たまたま目にした、
近松門左衛門
芸術論
「虚実皮膜論」 きょじつひにくろん

虚と実の間の薄い隙間に芸術が存在する、は二項対立とは異なる感受性の成熟を覚える。

人はその人生、その虚実を生きる限り、あわいの芸を求めずにはいられない。

映画や文学、音楽好きな山上被告がその皮膜で生きられれば、受験生エリートの勝ち組人生という狭量な価値観からは少なくとも自由だったろうに。

しかし政治的人間は、虚と実を串刺しにした。


失われた30年

それでも生きてきたではないか。
シニカルに陥ることなく、より良い選択を重ねて少しでも住みやすい世の中にしていく。
そう願い、そう行動する。私は。








お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2023.10.07 11:39:15
コメント(0) | コメントを書く
[本日読了] カテゴリの最新記事


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

© Rakuten Group, Inc.
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: