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月曜日から、旦那と口をきいていない。もともと無視をする彼は平気だろうが、私は、きつい。理由は、日曜日に、色々あった後に、「俺、無視してたんじゃないんだあんたと話すのが怖いんだ。顔を見るのも怖い。」といわれたから。その時は冷静をよそって、「私があなたをそこまで、追い込んでしまったのなら病院に行こう。専門家の人に話してくれれば、私はその人から、話を聞くし、どうしたらいいから考えるから。」と言った私に「病院なんか行っても意味がない。あんたがいるともう駄目なんだ。」と言われた。私はメールで、「謝罪し、とりあえず、家庭内別居ら始めましょう。貴方がこの家で居心地がいいように、話しかけないし、なるべく顔をあわさないから。」と書いた。が、実は、相当ショックだったのだ。私は鬱だから、というのもあるが、あとからやってきて、声が出なくなった。次の日、私は本当に話せないんのでないかと怖くなり、もっとも信頼出来る友人に電話した。本当に初めは、たとたどしくて、まるで原稿を読んでいるかのような、変な話し方だった。でも理解してくれてアドバイスもくれた。勿論、ショックを私が寝れるわけもなく、ずっと、PCをしていた。ここにも書いてけど、また消えてしまったから、もう書くの気が失せた。彼は、私が携帯にPCのメールを読んでくれましたか?朝食や夕食はどうしたらいいですか?お返事待っています。というメールを同じ部屋で、送って読んだのにまったく何もそれから返事がない。月曜日、彼は何もなかったかのように、私に話しかけてきた。私は、怖くて、声がでなかったから、笑顔で手でジェスチャーして話せないことを伝えたが、「は?声は?わけわからん。まあいいか~」と消えていった。火曜日、私は、夕方の4時まで布団から出れなかった。日曜の夜に、あまりにショックだった私は、実家に帰ろうかと思った。が、実家も問題があるので、実家の近くで一人暮らししている、この間泊めてくれた友人に「ごめん、しばらく居候させてもらえないだろうか?」というメールを送った。本当は月曜日に実家に仕事に行く予定だったから。が全く寝てない上に、声まで出なくなった私は、月曜日に、実家に行けなかった。もう気力も体力もなかった。その子の「何かあった?話聞くよ」のメールに困ってしまったのだ。月曜日に電話した友人は、そこでも、アドバスしてくれた。二人とも高校の同級生なので知っていた。とりあえず、話せないなら、事情を長くなるからPCで書き、きついだろうから今までの色んな文の抜粋でいいよ。でそれを読んでもらうように携帯でメールしたらいい。と残念ながら、そのメールしたPCは、会社でしか見れないくて、月曜の夜は、彼女と音信不通となった。彼女は、火曜日に朝早く、会社に行きメールを見て心配してかけてきてくれた。電話だったので、とてもたどたどしくしか話せなかったが。で、16時まで私は何も食べず、布団にいた。正確に言うと出れなかった。やっと起き上がり何か食べ薬を飲んだ。旦那に声が出ない説明やらカウンセラーからのメールやらを転送したりしていた。状況を説明したかったのかもしれませんと。彼女は、仕事を抜け出し、18時頃に来るまでわざわざお土産まで持てやってきてくれた。車で2時間ぐらいかかるのに。「心配やったから、顔だけでも見ようと思ってね。上司がいなかったから。チャンスと思ってやってきたよ。」と私は、嬉しくてたまらなかった。なんて私は幸せなんだろうと思った。彼女と約2時間話していたおかげで、私は、少しましになり、水曜日は電話、出来るようにまでなっていた。彼女は、少し冷却期間をおいたがいいよ。もう何も相手しなければいいじゃん。と言った。きついかもしれないけど、旦那さんも追い込まれているらしいとわかったからさ。数日間ぐらい、そうしてみたら?と。確かに、私は、人をほっておけないから、そうかもしれないと思った。で今日は元気になり、朝から、洗濯を2回したリ、シャワーを浴びたリ、(これは何でもないことのようだけど、うつ病の人間にとって、髪を洗ったりするのは、すごく気合いが必要な行為なのだ。)そして食器を洗って、お米をタイマーでセットした。で15時頃に疲れた私は、寝た。起きたら夕食を作るつもりだったが、疲れており、結局、旦那が帰ってくるまで、食事もできなかった。私は、お茶漬けを食べた。旦那は、ご飯をたいていたが、私がちまちまと台所を占領していたので、後で何か別のものを食べたようだった。そして、0時半ごろに眠剤を飲んで寝たが、結局2時間しか効かず起きてしまった。旦那のいびきもあるが。私は、もう今週末まで持つだろうか?旦那と何も話さず同じ部屋にいるのは、苦痛極まりない。私は、別に怒ってはいない。ただ彼がなにを考えているのか?さっぱりわからないだけだ。良くあれだけ言っておきながら、メールも無視していながら、平気で私に何事もなかったように話しかけられる神経がわからない。その後も怒っているみたいだけど、私は、彼が言ったから、話さないし、見たいドラマがあっても、なるべくというか、すぐに近いが、リビングを明け渡している。朝も起きていない。食事も作ってない。でもそれは当然のことだと思うのだが?これは、冷却期間になっているのだろうか?さっぱりわからない。彼のことがさっぱりわからないのだ。正直、参る。別にそれは少しは怒っているかもしれないけど、でも、別に離婚したいとか、なんとかその前に話した聞きたいのだ。何を考えているのか?さっぱりわからないから。ただでさえ、無言が駄目な私にとって、苦痛、極まりない。
2009年04月15日
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今、私は旦那と喧嘩してる。というか、初めて私が旦那に逆らったから。彼は無視。私は、いつもどおりテレビを見て、洗濯ものを畳み、食器を洗い、ご飯を作り始めた。彼は私と喧嘩したあと、昨夜、やけ酒でも飲んだのか?夜中に起きた時苦しそうで、私も馬鹿なので、病気か!!と思い「どうしたと?大丈夫?薬もってくるからね」と薬にコップにお水を持ってきた。彼は片頭痛もちなので。でも、違うかも?と思い体温計も持ったいたら、もう寝ていたので、ああ、いいのね~とで、きょう夕方の4時頃リビングに行ったら、私がくると思ったからか?ただ消し忘れてたのか?PCをつけぱなしで自分の和室にいって寝てた。私は、テレビとかつけながら、いつもどおり、洗濯物を畳み、食器を洗い、具合が悪そうだったので、「具合が悪いならお粥かないか作ろうか?」はい。無視。なので、食材が余っていてるのと、自分が食べたいのを作った。まあ旦那が好きなのでもあるけど。で、「ご飯が出来たよ、どうぞ」ハイ無視。私はふすまを開けて、自分だけ食べた。「うん。美味しい~」彼は、二日酔いでろくなものを食べてないから、お腹はすいているに決まっていた。でも、私がいると彼は食べれないので、私は、リビングを明け渡してあげた。ラップをし、「ご飯をついでいるので、良かったらどうぞ~」といって、私は去った。いま自分の部屋にいる。はっきりいって、私は自分を子供だと思っていたけど、「怒ったからと言って、なんで怒っているのか?説明も出来ないで、無視しかできない。」子供だな~と思った。私は、自分が小学生の低学年のときでもそんなことはしない。説明するだろう。相手の様子を見ながら。そんなことが許される環境でもなかったから。今まで、おそらく一度もしたことはないだろう。無視。これってある意味すごく子供だと思った。話しかけられても怒っているから無視。子供。(^^ゞ私は、私の人生を歩こうっと。勝手にいつまでも、無視してもいいよ。ご主人様。
2009年04月11日
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私は、私の人生を自分のために生きたことがない。今まで、ない。25歳ごろまでは、親のいいなりと、自分の中の罪悪感とを誤魔化すためだけに。その後は鬱病になって、ただ死にたいのを誤魔化すためだけに。結婚してからは、こんな私と結婚してくれた旦那のために。で、辞めた。散々話したけど、話す気さえない彼とは、もう相容れないようだ。私は、今、鬱の底にいる。彼の言葉に一つ一つ傷つき、態度におびえ、気を使い、申し訳ないと思い。まるで昔の子ども時代のように。だから辞めた。確かに私は、働けない。鬱はひどい。でももう申し訳ないと思うのも、気を使うのも辞めた。私は働けないが、このマンションは、父のものだから、それだけで家賃分の収入はあるわけで。なら、私はパートで働いているより、貢献している。私は騙してない。鬱病というのも言ってた。確かに彼は、こんなに長引くわけないと思っていたかもしれない。でもそんなの彼のリサーチ不足だろ。私じゃなくても結婚するのはよかったなら、話し合って歩みよる気もないのなら、私にできることは、もうない。かなり頑張った。耐えてみた。どんなひどい態度でも。必死で話し合おうとした。手紙を書いて気持ちを伝えようとした。これも何回もした。でも意味もない。もう限界なんだとメールもしてみた。でも、「じゃもう辞めればいいじゃん」ときた。もういい。期待するのも辞めた。つまり、期待するから傷つく。でも離婚はしない。私はまだ彼を愛しているから。ただもう申し訳ないと思うのも辞めた。確かに鬱病だから子供が産めない。子供を欲しがっている彼からすると、たまらないかもしれない。が、お前より私のほうが欲しいのだ。あんたより私のほうがこの病気とっととおさらばしたいんだよ。「病気治す気あんの?」じゃあお前は「この病気がどれほどつらいのかわかってるのか?生きてるのがどれだけきついか知ってるか?毎日がどんなに大変なのか?わかってるか?」そうわかるはずもない。がもういい。私は、私のために今から生きる。知らん。もう気も使わんし、悪いとも思わん。私は、私の為にこの病気を治す。そして、親の後を継ぐ。お前よりも頑張ってきた時代を絶対無駄にしない。お前に解るものか。狂いたいぐらいに、きつく辛くその結果、一番楽しいはずの時期に鬱になり、まるで、今まで出来てきたこともできない、普通の人間以下になったような状態を。周りは、きっちり世の中をしっかり歩いてる時期に、私は、底だ。外にも出れない。泣くだけだ。あの地獄をお前に解るか。適当に生きてきたんじゃない。私はいつも必死に生きてきた。で、ここで私は、人生を終えたくない。私は、私のために生きてみる。 もう辞めた。私は人のために生きるのを。自分の為に生きる。知らん。治す。私の為に。で、必ず、きっちり大島を着る。買ったけどまだ一度も来てない大島紬。気にいっていたけど鬱になった私は、今、着物を着る元気などあるわけもない。一つ、お礼を言おう。私の狂った金銭感覚。私は貧乏はいやだから、お前より稼ぐようになる。だから後を継ぐ。正確にいえば、確かに親ももう限界。妹の家も限界。私が後を継がないと、完全にまずい。が、そのためじゃなく、私の為に私は生きることにした。もう、気は使わん。
2009年04月08日
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