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今日はちょっとブルー。いや、かなりブルー。まだ次のステップに進む手がかりが見つからない。いつまでたってもぐるぐるぐるぐる堂々めぐり。いつまでたっても波に乗れない。まるで縄跳びの縄の中になかなか入っていけずに困っている子供のようだ。本当にやりたいことは数年前からわかっているのに、そこへ行くまでの障害が多すぎる。順番が間違っているのだろうか。方向性が間違っているのだろうか。まだ時期が来てないというのだろうか。よくわからない。ずっと薮の中にいるようだ。いや、多分、私の腹が決まっていないせいなのだろう。私自身が明確に選択していないせいなのだと思う。誰かに選択を任せているから。。。私自身が迷っているから、迷うような事態しか起こっていないのだ、きっと。だから、何か歯車が噛み合わない。なんとかしないと。そう、ほんとになんとかしないと。
2004.06.28
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● 満員電車の中でマンガを読む奴。 新聞や本もムカつくけど、特にマンガを読む奴にはムカつく。 もっとも、本でもしょうむない本もあれば、芸術性の高いマンガもあるのは承知している。 それでもやっぱり朝からマンガを読む奴には腹が立つ。 電車が空いてる時なら自由に読めば良いけど、ギュウギュウ詰めの車内の中で他人に迷惑かけて、そこまでして朝からマンガなんか読まないといけないものか? まったくお脳の程度が知れるというものだ。 これから仕事に行こうというのに、朝から娯楽マンガなんか読んでいる奴に限ってろくな仕事なんかしてないと思う。 新聞や本だって、他人に迷惑かけてまで読みたい位なら、もう少し早起きして家か会社で読めば良いのだ。 ほんっとに迷惑なこと、極まりない。● 満員電車の中でリュックを背負ったままの奴。 これもまた非常に迷惑だ。 私もリュックを愛用している方だが、車内が混んでそうな時は最初から下ろして手で下げている。 網棚に上げるなり手で下げるなりするのがマナーってもんだろう。 それなのに平気な顔して背負ったままの奴が結構いるのだ。 その無神経さには本当に呆れる。 この間なんか、満員電車の中でリュック背負ってマンガ読んでやがるアホがいて、殺意さえ覚えた。● 歩きながらタバコを吸う奴。 前にも何度か書いたことがあるが、私はタバコの臭いが嫌いだ。 年々それはひどくなり、喫茶店に入ってもほぼ必ず禁煙席に座る。 部屋の仕切りがなくて、なんのための禁煙席かわからない店も多いけど。 吸わなくても割合平気な人もいるけど、私のように臭いに過敏な者にとってはあの臭いがどれだけ嫌なものか、吸う人にはよくわからないようである。 それは神経の一部が麻痺してるのかと怪しむ位だ。 同じ部屋にいるだけで、服や髪にタバコの臭いは染み付く。 ずっとその嫌な臭いが身にまとわりつく。 自分が吸ってもいないのに、非常に不愉快。 それなのに、歩きながらタバコを吸う馬鹿がいる。 風上に立たれると、モロにその煙を吸うハメになる。 それも道を歩いていて不意打ちを食らわされるのだ。 そんな時には足早にその人の風上に移動するようにしている。 これも迷惑な話だ。 それにしても、歩きながら吸わなければいけないほど、辛抱ができないのだろうか。 いくらニコチン中毒だといったって、ねぇ。 歩きタバコは臭いも迷惑だけど、その火はとっても危ない。 私も気がつかない内に、コートに小さな穴を空けられていたことがある。 小さな子供にとっては丁度目の高さ位になるのだよ。 危ないことこの上ない。 一切吸うなとは言わないが、あれはあくまでも嗜好品である。 嗜好品なら嗜好品らしくマナーをわきまえて、時と場所を選んで吸ってほしいものだ。
2004.06.27
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今日は久しぶりの日記である。気がつくと5日ぶり。こんなに長く空いたのも珍しいな。今月の仕事はあと3日で終わる。初めての仕事とはいえ、慣れないことが多いのできつかった。電話して端末入力、手紙の送付と、同時にやらなければいけないことが結構あるので、慣れるまでがなかなかである。おまけにやたらめったら電話すればよいというものでもない。本人以外に社名を明かしてはいけないとか、伝言は一日に1回だけとか、やたらとルールが多いのだ。あまりに禁止事項が多いので、研修の段階で辞める人も結構多いようである。他の会社で同じような仕事をしていた人ほどそうみたい。ところで、もう今月も終わりに近づいて、今残っているのはそうとうしぶとい客ばかりだ。携帯は繋がらないし自宅の電話もないし、仕事も当然辞めているなんていう人が多い。ひどいのになると、実家の電話まで通話停止になってたり転居してたり、親元を出て行って本人はどこにいるか親も知らないなんていう場合まである。どこに連絡とれっちゅうねん!(ーー;)財布落としたとかスリにあったとか、そんな嘘つく客もいるしねぇ。「この前、○日にお支払いくださるというお約束いただいてましたよねぇ?」と言うと、「そんなこと言ったかな?最近忘れっぽくってね~。」とボケる年寄りもいたりする。「今日は雨が降ってるから振込みにいけないよ~。」となんて言い訳をする年寄りもいるのだ。ところで今日「ナンボDEなんぼ」という昼の番組を見てたら、好きでもない男に50万円もするプラズマテレビや70万円のブランドバッグを貢がせている女が出ていた。この番組ではそういう話は珍しくもないのだけど、今回のミツグ君は20歳位の学生だという。他にも4人の男に貢がせているこの女には雑魚扱いされてたけど、このミツグ君としては女の歓心を買うために必死なのだろう。プラズマテレビは女の誕生日のプレゼントとして、3年のローンで買ったらしい。金利がいくらかは知らないけど、バッグの分も入れたら少なくとも毎月3~4万円は返さないといけないんじゃないだろうか。そういう生活が青春時代の数年間続くのだ。女とは疎遠になっても、借金は付いて回るのに。アホや~!(-_-;)としか言いようがない。私が督促している客にも、こんなアホが相当数いるんだろうな。【ミツグ君、またはミツグ君予備軍へ】悪いことは言わない。高価な物をねだるような女とはすぐに縁を切りなさい。そんな女が欲しいのは、君ではなくてモノなんだよ。だから、君よりもたくさんお金を持っている男が現れたら、すぐにそっちに行ってしまう。君がすでに億万長者なら、ずっと彼女は君の側にいるかもしれないけど、そうでなければやめておいた方がいい。それにお金やモノにひかれるような女は、君が本当に苦しい時に絶対に支えてなんかくれない。早く目を覚ました方がいいよ。君自身の人生をメチャクチャにしないためにね。
2004.06.26
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って言うほど大したことはしなかった。(^^;でも、今朝はなぜか目覚ましよりも早く、パッチリと目が覚めてしまった。これって瞑想しろってこと?と思ったので、30分ほど瞑想した。終わるとまた眠たくなってきた。。。「い、いかん、このままでは仕事に遅刻する!」と眠りたがる体に鞭打って布団から這い出し、支度をして長時間勤務に出かけたのだった。昼間、職場から大きく見える大阪城が、見えなくなるぐらいの雨風だった。横殴りの雨で吹雪みたいに外は真っ白。ほんとにパワフルな台風だった。さて、今夜はこれでおやすみなさい。。。zzz
2004.06.21
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この前、『徹子の部屋』を見ていたら、春風亭小朝がゲストだった。その時の話が面白かったので、心覚えに記しておく。春風亭小朝氏は、落語界を盛り上げるために、最近「六人の会」というのを立ち上げたという。若手(中堅?)ながら売れている落語家ばかりで作った会だそうだ。その会としてのこれからの活動などを話し合うためにミーティングを開くのだが、何せみんな個性派ぞろい。しかも仕事が終わってから皆で集まるので疲れている。最初は一向にまとまらなかったらしい。そこで小朝氏は上手な会議をするためだとか、どうやったらうまく説得できるかとか、そういった本を何十冊も読み漁ったそうだ。そこで得た「うまく会議をするための秘訣」はこうである。まず、メンバーには食事を与えておなかを一杯にさせておくこと。それから、床がふかふかしていると精神的に落ち着かないので、堅い床であることが必要。そして、説得する人間は長袖でなければいけない。だから部下を説得する上司は、どんなに暑くても長袖でないといけないそうである。次に、説得する側は黄色い服を着ていた方が良い。これは統計学的に証明されているそうで、黄色い服を着た人には説得されやすくなるらしい。また、緑色の服を着た人は、相手の言うことに応えて上げたいと思っている人が多いので、他人の頼みをなかなか断れないそうである。私達は知らない内にこういう法則に動かされている側面があるんだね。うまく使えばすごく自分に有利に働くし、また知らなければ悪用されることだってある。こういう勉強もおもしろいよね。(^^)*******************************************************ところで、明日は夏至である。1000000人のキャンドルナイトというイベントが昨年から全国で広まった。これは「電気を消して、スローな夜を。」というキャッチがついていて、省エネの意識を高める意味もあるらしい。大阪では、通天閣や天保山の観覧車も8時になると電気を消すとか。また、1年で一番夜が短いこの日は1年で一番パワフルな日とも言われており、全国で祈りを捧げるイベントが行われるらしい。こんなサイト↓も見つけた。World Peace & Prayer Day 2004 JAPAN せかいへいわといのりの日イラクでの戦いが泥沼化し、日本も多国籍軍を出すことを決定した。そして今夜のTV番組では、アルカイダは以前にもまして増殖しているという報道を聞いた。富士山にまで行ってイベントに参加することはできないけれど、明日は自分なりに平和のための祈りを捧げたい。そう、できればキャンドルの灯の下で。
2004.06.20
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先日に引き続き、もう少しお金についての話である。BBSに何人もの方が書き込んでくださったので、そこで思いついたことを書いてみたい。「お金も一つのエネルギーだ」と精神世界ではよく言われる。だから、「お金は人を狂わせる」などと悪者扱いされることが多いけど、お金には本来、善も悪もないのだ。それを使う人によって、善にも悪にもなる。また、お金にコントロールされる人とコントロールする人。それもこのお金というエネルギーの扱い方の違いである。願わくは私も悠々とコントロールできる人間になりたいものだとずっと思っているけれど、それがなかなかできない。(^^;しかし少なくとも、借金で追いまくられるような人間にはならないだろうと思っている。ところで、借金生活が当たり前になっている人達の精神構造を考えてみると、大本のところで心が満たされていないのが原因なんじゃないだろうか。だけど、そのままでは寂しくていられないから、心の隙間を何かで満たそうとする。それが「物質」なのかなぁ、という気がする。あ、でもこれは過食症や拒食症といった摂食障害もそうだし、アルコールなどの依存症にも言えることだろうけどね。すると、心の隙間を物で埋めようとするのは、物質依存症ということになるのかな?子供の頃に親や周囲からの愛情を感じられなかった人は、そういう依存症になる確率が高いような気がする。でもこれはあくまでも確率的にという意味で、すべての人がそうなるわけではない。愛情不足を乗り越えて、たくましく生きている人だってたくさんいる。そんな人は、自分で自分の心に愛情という栄養を与えられる才能を持った人なのだと思う。その才能を育むためには、自分自身の心の闇を見つめる強さが必要だ。それができない人が、安易に何かで心の隙間を埋めようとするんじゃないかな。でも、これは豊かな現代ならではの特徴かもしれないね。その他に、借金生活に陥る人の原因を考えてみた。 ◎ 辛抱ができない。(待てない。商品やサービスが今すぐ欲しい。) ◎ NOが言えない。(断れない。相手に対して「良い人」でいたい。) ◎ 金銭感覚が狂っている。 ◎ 心の甘え・責任感の欠如。(なんとかなるだろう。最後は親がなんとかしてくれる。)どれをとっても問題だよね~。(--;お金という極めて物質的な問題も、つまるところ精神的な問題に行き着くんだよね。
2004.06.19
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明日の仕事は遅番だから、今夜は少しゆっくりできる。今の仕事は某信販会社の入金督促の仕事である。これまで督促なんてやったことないし、あんまり良いイメージがないので避けてたんだけど、仕事を探していたところへ「ホイッ」と派遣会社から電話がかかったもんだから、思わず乗ってしまったのだ。タイミングが良かったのね。(^^;しかし、しかしである。この仕事をやってみて、あまりにも借金している人が多いのに実は驚いている。いや、信販だから、キャッシングとは違うのよ。物を買うのに信販を使うのは、今じゃごく当たり前のことだもんね。カード嫌いの私だって、手元が不安な時にはクレジットカードを使うこともたまにはある。それに銀行から引き落とされるはずだったのに残高不足で落ちなかったなんて経験も、たくさんの人がしているはずだ。だけど、支払い能力の限度をはるかに越えてクレジットだのキャッシングだのしてる人ってほんっとに多いんだよね。この現実に、私は(@_@;)←こ~んな感じなのである。普通はお給料もらったら、まず支払いを先に済ませたり別に取ったりしておいて、その残りで生活するもんだよね?だって借金なんだもん、それは。まず返すものは先に返さないといけないでしょ。私はそれが普通の感覚だと思ってるんだけど、実際はそうじゃない人も多いみたい。私達が督促しているお客さんには、若い子が多い。先輩の話を聞くと、そういう若い子っていうのは、まず携帯は手放さない。これがなくなると友達と連絡が取れなくなるからね。それに携帯電話は少しでも遅れるとすぐ止められてしまうので、まず一番に携帯代を払う。それから家賃の支払い。その後で自分の生活費。残ったお金があれば借金の返済に回す。こういう順番らしい。だから、ちょっと急な出費があるとたちまち延滞してしまう。それに、督促に回ってくるような人は、キャッシングやクレジットをいくつも組んでいる人が多い。多重債務っていうのかな。だから、せっかくお給料をもらっても、あれよあれよという間に支払いでお金はなくなってしまう。生活するためにまたお金をかりないといけない。もうこうなったら借金地獄だね。そこからは多分なかなか抜け出せない。自分自身の意識を根本から変える努力をしないとダメだと思う。それにしても、自分の支払い能力がどれぐらいなのかわかっててもよさそうなものなのに、借金抱えてる上に、また別の商品をクレジットで買ったりするんだよね。一体何を考えてるんだか。月給なんておそらく20万円ももらっているはずのない若い子が、百数十万円もするアレキサンドライトの指輪や、100万円近い絵なんかを買っていたりする。エステやアロマの数十万円のコースやブランド物のスーツで数十万円っていうのもある。そういえば知り合いに、200万円もする絵を買って、ずっと督促受けていたバカな女もいたっけ。いくらその絵がほしかったからって、分相応という言葉を知らんのか、とその時も思ったけどね。高い宝石のローンを抱えた、まだ20代前半位の若い男の子もすごく多い。「ムダギャルかホステスにでもひっかかって貢がされたんやろーなー、アホやなぁ…(--;)」と同情はするよ。いわゆるデート商法で買わされた人も多いんだろうと思う。気が弱いせいだか、女の色目にフラフラしたんだか知らないけど。だけど、支払いは支払いである。騙された方が悪いのだ。でも中には最初っから返す気がないとしか思えない、したたかな奴もいたりする。のらりくらりと言い逃れようとするのがいるんだよね。隣の先輩はそんな輩をとっちめてるけど、相手はあんまりこたえている風でもない。慣れてるのかねぇ。計画的なのかもしれない。最後は自己破産という手がある、とでも思ってるんだろうか。一人暮らしの場合は固定電話を引いていない場合もあるし、職業も流動的なことが多いから、携帯電話が頼みの綱である。これで連絡が取れなくなると、こっちはかなり困る。結局最後は実家を通じて連絡を取るか、保証人がいればそっちに請求するということになるみたい。「結婚して始めて相手の男が借金まみれだとわかった」なんて話もよく聞くけど、それは結構ありがちなことなんだろうな、と今回の仕事で思ったよ。優雅そうに見えている今の若い子達の生活が、借金で成り立っているようにも見えてきてしまう。クレジットやキャッシング、つまり《借金》が安易にスマートにできる現代。便利なようだけど、そこには落とし穴がある。自動的にお金の処理をしている自分の金銭感覚をしっかり見つめてコントロールしていないと、自転車操業のような生活に陥るのはとても簡単なことなのだ。お互い、気をつけようね。(^_-)-☆《追記 6/19》隣の先輩に話を聞くと、金払いの悪い職業が3つあると言う。一般の人間が聞くと、「え、なんで?」と思う職業もその中にはある。でもここではそれについて具体的には書かない。だって職業差別につながり兼ねないからね。でも、なぜ職業によってそういう傾向が出てくるのか、それはとても不思議である。若くても、その業界に入るとスレやすくなるのだろうか。金銭感覚が麻痺しやすくなるのだろうか。謎である。。。
2004.06.17
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仕事で帰りが遅いと、どうしても日記UPするのは辛いねぇ~(^^;ところでさっき、お風呂の中で湯船に浸かりながら、息を深く吸い込むと体が浮いて、吐くと体が沈むという、スキューバダイビングのあの感覚を思い出しながら何度か呼吸していた。そしたら、脈絡もなく唱歌「ふるさと」の一節が頭に浮かんだ。 こころざしを果たして いつの日にか帰らん 山は青きふるさと 水は清きふるさと言わずと知れた有名な歌だが、私は思わず涙ぐんでしまった。なぜなら、今の私にはこの一節がこんな風に思えたからだ。 今世での使命を果たして、いつの日にか帰ろう あの懐かしく美しき、わが魂のふるさとへそう、私達みんながいつか還る、あの故郷である。その道半ばで、いまだに私は迷い続けている。しかし、いつか必ず志を果たして、ニコニコと満足気に笑いながら、懐かしいふるさとに帰るのだ。そう、かならず。(/_;)
2004.06.15
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気がつくと、もう3日も日記を書いていなかった。新しい仕事が始まって疲れていたということもあるけど。今の仕事は月のうち3分の2だけで日数的には短いけど、その5分の2は朝9時~夜9時までというハードなものだ。割り増しも出るんだけどね。体力的にどうなんだか。一応2ヶ月間の契約で、その後は1ヶ月更新らしいので、とりあえず今月の仕事の状況を見てから3ヶ月目は考えようと思っている。ところで、今日はなぜか部屋の片づけをする気になった。もう何ヶ月も、いや1年位放って置いたのもあるかもしれない新聞の切り抜きやらノートやら雑誌やら、ふた山位になっていたものを捨てるものは捨て、残して整頓するものは整頓して、とってもスッキリした。片付けの苦手な私にとって、こんなことはそうそうあるもんじゃない。そう、事件なのである。結構大きな。私は情報を集めることが好きである。だから、その時に目に留まった新聞のコラムやら雑誌の記事やらを、後生大事にとって置いておくという悪癖がある。いや、その都度きちんと整理するならそれも良いが、ちぎったままの状態で箱に放り込んだりして溜めてしまうのだ。何ヶ月か立つと、そのうちの何割かは期限切れみたいになって、結局捨ててしまうことになるんだけど。それにしても、性格的に捨てるのが下手。捨てるのが苦手。捨ててしまうと取り返しがつかないが、とりあえず溜め込んで、どこにあるかわからなくても持っていたら安心。そんな気持ちがどこかにある。だけど心理学的に言えば、部屋の整理は心の整理と同じなんだよね。部屋を見れば、その人の内面が混乱しているのか、スッキリ整理されているか、ある程度わかる。だから掃除や整理整頓はとても大切なことなのだ。それは十分過ぎるほど知っている。だけど、ワカッチャイルケドヤメラレナイのが人間である。掃除するのも整理するのも、重たい体を引きずってイヤイヤやるというのが私のいつものパターンだ。当然、効率は悪い。ところが今日は一体全体何が起こったというのだろう?不思議な位シャカシャカと体が動き、捨てるもの・整理するものの区別もチャッチャとできてしまった。ビックリ~~!(@_@;)思うに、私の中のエネルギーの何かが変わったか、変わりつつあるのだろう。3週間前から飲んでいる、アラスカン・フラワー・エッセンスのせいもあるのかもしれない。なんせ「生まれ変わり」のためのエッセンスだから。それはともかくとして、なんでも溜め込むのは良くないよね。溜め込むとエネルギーが滞り、流れなくなる。水だって澱めば腐る。人生も同じことだ。友人に、とても我慢強い人がいる。いつでも縁の下の力持ち的存在で、犠牲的精神を発揮する。いや、自分では本当はそんなことしたくないのだけど、責任感が強すぎるために、いつでも損な役回りを引き受ける羽目になるのだ。我慢して我慢して、自分が本当にしたいこともせず、言いたいことも言わずにじっと我慢して生きてきている。だけどそれで彼女の人生がうまく行っているかというと、ちっともそうじゃない。私にはチャクラ(肉体に7つあるとされるエネルギーセンターのこと)は見えないが、彼女のようにいつも我慢して生きていると、多分それぞれのチャクラは活性化せず、エネルギーの流れがとても悪くなるのだろうと思う。たとえて言うなら、エネルギーの便秘状態、糞づまりである。(汚い表現でゴメン。^^;)昔受けたセミナーのトレーナーはこう言っていた。「インドでは、“人生は1メートルの旅”と言われる。一番下のチャクラ(尾骶骨のあたり)から頭頂のチャクラまでを、順に開いて成長させて行くからだ。」ちなみに、チャクラについて簡単に説明しておく。第1チャクラ(ベースチャクラ、ルートチャクラ):脊椎の底部にある 生き残りのためのチャクラ。人間の意志のエネルギーの通路。地上に根を下ろす。 生存欲求、所有欲、物質主義、怒り、恐怖、争い。第2チャクラ:生殖器(女性なら卵巣、男性なら睾丸) セックス、創造性、人間関係、罪悪感第3チャクラ:太陽神経叢(胃や肝臓のあたり) 感情の座。権力、所有欲、感受性、エゴ。第4チャクラ:胸腺(心臓のあたり) ハートチャクラ。魂の中心。愛。 1~3の肉体的なチャクラと、5~7の精神的なチャクラを結ぶ働きを持つ。第5チャクラ:喉 自己表現。判断を下す場所。第6チャクラ:額の中央(第三の目。脳下垂体) アイディア、想像力、思考、ビジョン。第7チャクラ:頭頂(クラウンのチャクラ) 最も高い波動を持つチャクラ。神との一体感。普通は誰でも1番目の生存のためのチャクラから7番目の霊的なチャクラまでの道のりを歩むのだが、下3つだけしか使わずに人生を終える人も多い、と聞いた。でも、最近はそうでもないんじゃないかな、という気がしているんだけど。あ、だけど自分の利得しか考えてない政治屋や官僚、我利我利亡者の経営者なんかは、下3つタイプだね。この1~7までのチャクラを貫くようにして、エネルギーは流れている。いや、本来はそうでなくてはいけない。ところが、感情的なしこりや執着などがあると、そこのチャクラは活性化されず、エネルギーは滞ってしまうのだ。頭頂から宇宙のエネルギーが流れ込もうとしても、どこかのチャクラで詰まってしまう。また下からのエネルギーが上に流れようとしても、これもまたどこかでひっかかって詰まってしまう。そして、ひっかかったチャクラの意味するところで人生はつまづき、病気になることだってある。だから、いらないものは捨てなくてはいけない。流さなくてはいけない。どんなネガティブな感情も我慢するのではなく、それを見つめ、味わい、そしてできるだけ速やかに手放すことである。そうすればエネルギーの通り道をいつもキレイな状態にしておけるのだ。自分のエネルギーの流れを止めているものはなんだろう?過去への執着か、誰かへの感情的なしこりか。未来への不安や恐怖心か、自己顕示欲か、何かに対する怒りか。。。冷静にそれを見つめて、十分味わい、手放そう。エネルギーのパイプを掃除しよう。今日は多分、私の中の詰まっていた何かが流れていったんだろうと思う。新しいエネルギーがその分流れ込んでくるだろう。それを楽しみにしていよう。o(^_^)o
2004.06.13
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つい先日のことである。TVのCMか何かで「威風堂々」という曲が流れた。そう、あの有名な行進曲である。そしたら、それを聞いていた6歳になる姪が、「あ!あたしンちの歌や!」と嬉しそうに言った。え゛?(ーー;)あ、そうか。アニメの「あたしンち」のエンディングでこの曲に歌詞がついてたんだ~、と思い出した。アニメの登場人物達が、この曲に合わせて踊ってるんだよね。名曲をアニメの曲だと思っている姪っ子達がおかしくて、すっごく笑えてしまった。(^○^)クラシックに親しむのは良いけど、このチビさんらは一生「威風堂々」を聞くたびに、「あたしンち」を思い出すんだろうなぁ。(^_^;)ああ、そういえば名曲「赤とんぼ」も、私達にとっては“ゴミ収集車のテーマ曲”と化してるなぁ。良いんだか悪いんだか、ねぇ。б(~_~;)ポリポリ
2004.06.10
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今朝、肉を食っている夢を見た。それがどうも人肉らしい。そのうえ、どうも自分の肉らしいのだ。(オイ、待て待てぇ~!ヾ^^;)いらない贅肉はたくさんあるから、どれだけ食べられてもいいんだけどね。エヘヘ(^^ゞ一緒に食べていたのは、なんと本城まなみである。(なんでやねん・・・。)夢自体に色がついてなかったのか、赤い肉というイメージではない。グレーのような青みがかっていたような。それだけでもまずそう。(--;私はおいしいとは思えなかったが、本城まなみは脂身と霜降りのところがすごく好きらしく、とってもおいしそうに食べていた。変な夢やなぁ、と思いながら、本で意味を調べる。女性が肉を食べるという夢は、女性主導でセックスを思い切り堪能したいという強い欲望を表すらしい。ところが、それが人肉の場合は、性欲以外に財産や富の増大を意味するんだと。財産や富の増大~?「あんまり縁のない話やないの。(ーー゛)」と思っていたら、昼過ぎに派遣会社から仕事の話が来て、明日から働きに行くことになった。そう、この間のギフト屋は月曜日に辞めたので、またプーに逆戻りしていた私。(^^;ゞ自力で稼ぐんだから、財産や富の増大には程遠いが、お金に関するのは確かだからこのことなのかなぁ。それとももっと大口のお金が入ってくるのか?それなら嬉しいんだけどなぁ~♪!(^^)!
2004.06.09
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リンクしている Gene55 さんの、5日の日記「ぽち」 に先日とても感動したので、ちょっとご紹介したい。ちょうど今日、彩佳☆☆さん が 私の3日の日記 に書いてくださったコメントとも、内容的につながっていくなぁと思ったのだ。Gene55さんの日記から抜粋。「今ある約束を果たしたら、見える約束も見えない約束も全部果たしたら、それからはもう本当にしたいことだけをして生きよう。約束というのはつまり荷物で、抱えれば抱えるほど身動きが取れなくなるから、まずは捨てなきゃならない。全ての荷物をなるだけ美しい丁寧なやり方で捨てて、あとはしたいことだけをしよう。」「誰かにしてあげられることなんて一つもないし、誰かにしてもらえることだって一つもない。私は私が楽しくなることだけを、毎瞬できるだけの濃度で実行しよう。今はまだ慣れていないけど、徐々に上手になるだろう。そんで私が楽しくなることだけが、結局は私が世界にしてあげられることなのだ。」 一番大切な生き方って、きっとこういうことだと思うんだよね。私達は、どれだけたくさんの荷物を抱えながら生きているのか。また、どれだけたくさんの荷物を周りの人達に背負わせて生きているのか。旅は身軽な方が良いように、荷物はできるだけ少ない方が生きやすい。旅の途中ではいらない物は惜しげもなくドンドン捨てて行く。そんなふうに執着のない生き方がしたい。洗い晒した布のように、なんの衒い(てらい)もなく見栄もなく、したいこと、楽しくなることだけをして生きて行きたい。それが世界への一番の貢献なのだから。今は原点に戻って、じっくり考える時なのかもしれないよね。。。> わたし
2004.06.08
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昨日書いた聖母マリアについての続きである。少し話はぶっ飛ぶのだけど、昔あるチャネラーに、私を守ってくれている守護神とか守護霊の存在を尋ねたことがある。そしたら、「マリア様が後ろにいて、その前に魔法使いのようなジプシーの占い師のようなお婆さん」とビックリするようなことを言われたのだ。「ハァ?」っていう感じ。私はクリスチャンではないし、キリスト教にも大して興味はなかった。「その私に一体なんでマリア様がついてはるのん?」と思ったし、全然ピンと来なかった。前世で修道女だったこともあるらしいので、その縁なのかもしれないけど。それにしても意外だった。でも今の時代、マリア様が守護している人々の数はかなり多いのだという話も聞いたことがある。多分、聖母マリアの母性的なエネルギーを、時代は必要としているということなのだろう。長い間この世界は男性性に支配され、男性優位・男性主導で来たけれど、競争原理に振り回され、いまだに争いが尽きない。そしてこの地球は、産業革命以来の工業化によってどんどん汚染が進み、きわどいところまで来ている。地球温暖化によって水没してしまい、他の国に移住しなければいけない島まで出てきているのだから。地母神ガイアは、断末魔の呻きを上げているのかもしれない。政治も経済も環境も宗教も、そして人々の意識も、この世界はいまや変革の時を迎えている。頑張って頑張って疲れきった男性性を癒すために、聖母マリアが象徴する女性性が、これから大きな役割を果たすのだろう。いや、もうすでにたくさんの人から、同じメッセージがいろんな形で繰り返し発せられている。それはきっとあなたの心にも届いているはずである。この宇宙の中で、一番大切なものは「愛」である。そのことを早く思い出しなさい。それは上っ面の言葉だけのものではなく、人間のエゴを離れていなくてはいけない。聖母マリアのような無条件の愛だけが、人も地球も救うことができるのだ。血涙を流すマリア像が、世界には何体かあるという話を聞く。真偽の程はわからないが、聖母マリアの持つ優しく深く、そしてかなしみに満ちた波動に焦点を合わせれば、そういうことも本当にありそうな気がするのである。
2004.06.07
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昨日はイエスのことばかり書いたが、今日はその母、マリアのことを書きたい。私はミケランジェロの「ピエタ」という彫刻がとても好きである。写真でしか見たことがないのが残念だが、バチカンのサン・ピエトロ寺院にあるらしい。よく美術の教科書に載っているので、ご存知の方も多いと思う。画像をこの日記に貼り付けたかったのだけど、画像サイズが大きすぎ、小さくしようと思うと画質が非常に悪くなるのであきらめた。忘れてしまった方は、 Michelangelo "Pieta" をどうぞ。「ピエタ」というのは、イタリア語で「悲哀」という意味である。愛する息子の遺体を膝に抱く聖母マリアの心中は、「悲哀」そのものであろう。しかし、私がこの像から感じるのはそれだけではなく、諦め、絶望、そして大仕事を終えたイエスをただただ包み込む、母性的な女性性そのものである。この像を作った当時、マリアが若すぎるという批判があったそうだが、「罪ある人間は年をとるが、無原罪の聖母は常人のようには年をとらないのだ」とミケランジェロは答えたという。私が思うに、ミケランジェロが表現したかったのは、女性性と男性性の真の在り方だったのではないだろうか。女は男を産み育てる。(肉体的にも精神的にも)男は己の生きた証に何事かを成そうとし、そのために命さえ賭ける。そして、最後に男の死を看取るものは女である。フェミニズムの立場からは、誰が女にそんな役割を与えたのか、という批判が来そうだが、これはあくまでも私一個の感覚なのだ。役割だとも思っていない。ただ、女という性は男という性をこの地上に産み落とし、傷ついた男の死を悲しみながらも抱擁し、最後の仕舞いをつける存在のような気がするのである。だからこそ女は強い。それだけの力を神様は女にわざわざお与えになったような気がする。昔、クンダリーニ・ヨガを習っていた時に、先生から「女性は男性よりも74倍強い。」と聞いた。なぜ74倍なのか、その根拠はわからないが、女性のしなければならない働きを思えば、それだけの強さを持っていても不思議ではない。口の悪い人間にかかると「だから女は図太いのだ」と言われそうだが、それ位強くなければ女は務まらないものなのかもしれない。一方、好き放題に生きた男をすべて許して包み込む女なんて、男に都合が良すぎるじゃないかという向きもあるだろう。しかし、私が言いたいのはそういう次元の話ではなくて、たとえどれほど身勝手な男であったとしても、それでもなお許して受け入れてしまえるほどの強さを女は本来持っている、と言いたいのである。聖母マリアはそういう意味で、男にとって永遠の憧れの女性なのではないだろうか。「お前百までわしゃ九十九まで、共に白髪の生えるまで」という言葉があるが、これは男性にとって理想の姿なのだろうと思う。女は夫に死に別れても結構早く立ち直り、明るく楽しく生きている人が多いが、男の一人やもめはほとんど例外なく侘しい。精神的にやはり女の方がタフなのだと思う。それに女は現実的である。いや、現実的でなければ子育てはできない。どんな事態が来ようとも、子供を育てるという一大事業のためには、どんなことをしても生き抜かねばならないからだ。子孫を残すために、それをDNAが命じているのだ。映画『タイタニック』でも、生き残ったローズは恋人の遺言通り、普通に恋をして結婚をし、子供を生み育てる。思い出は大切に心の奥深くに秘めて、それでも新たな人生を生き抜く。それが女というものの強さではないかと思う。私自身、愛する男性より一日でも長生きしたい。一人残されてしまった愛する者に、淋しく侘しく辛い思いなどさせたくないからだ。女は男の最期を看取るもの。それが私の考える理想の愛の形である。
2004.06.06
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今日、この前から見たい見たいと思っていた映画、『パッション』を観て来た。圧巻、である。クリスチャンではない私でも、涙なしでは観られなかった。(TT)ローマ軍の鞭打ちの刑によって、イエスの肌や肉は無惨に裂け、血しぶきを上げる。あまりの苦痛に震えながらも耐えるイエス。茨の冠を被せられ、血まみれでボロボロになったイエスは、自分が架けられる重い十字架を背負わされ、鞭打たれながらゴルゴダの丘まで歩く。両手両足を太い釘で十字架に打ち付けられ、十字架は立てられる。イエスの想像を絶する苦痛と、それを見守る母やマグダラのマリアや弟子の悲しみは、観客にも痛いほど伝わってくる。それ以外にも確かに暴力シーンは多い。しかし、人類の罪を贖うためにイエスは崇高な犠牲を払ったのだ、ということを観客に訴える為には、あれだけリアルな暴力シーンは必然であったと言えるだろう。ただ、やはりキリスト教の知識が多少ないと、映像の意味がよくわからないだろうな、と思う場面はいくつかあった。といっても、私にもそれほどの知識はないので、見落とした箇所も多いだろうけど。(^^;でもクリスチャンでなければ、なぜこういう事態になることをわかっていたイエスが逃げもせず、あれほどの苦痛をあえて受けたのか、そしてそれがどうして「人類の罪を贖う」ことになるのか、今一つわからないところだろう。映画の中で、イエスは母マリアに「これですべてが新しくなるのです。」と十字架を背負いながら言う。その言葉を聞いて、「イエスの贖罪によって当時の世界のエネルギーレベルは大きくシフト・チェンジした」と精神世界のいくつかの本に書かれていたのを思い出した。この情報によって、クリスチャンでない私でも、なんとなくイエスの死の意味が理解できるような気がしている。この情報が真実か否かは、凡人の私にはまったくわからない。でも、そういう視点がなければ、一思想家(宗教指導者)の死を「人類全体の原罪を背負った偉大な死」として無条件に信じる理由が、クリスチャンでない私には皆目理解できないのだ。映画の中で印象に残っている箇所はいくつもあるが、弟子ペトロ(ペテロ)がイエスの弟子ということで群集から責め立てられた時に、「私はこの人を知らない」と3度言う場面がある。しかしそれよりも前に、イエスはペトロに「あなたは鶏が鳴く前に、私のことを知らないと3度言うだろう。」と予言していたのだ。そのことを思い出したペトロは保身に走った我が身を恥じるのだが、「ペトロは私だ」と私は思った。いや、こういう状況に置かれた時に、自己保身に走らずにいられる人間がどれほどいるだろうか?ペトロの弱さは、多かれ少なかれ誰もがもつ弱さである。しかし、それを自覚しているのとしていないのとでは、自ずからその行動には違いが出るのではないかと思う。もう一つ印象に残ったのは、ガリラヤの丘でイエスが人々に教えを説く場面である。「愛してくれるものを愛して一体何になるというのか?敵を、迫害するものを愛しなさい。」これがイエスのパッション(受難)へと繋がるわけだが、この言葉に私は非常に感銘を受けた。自分を愛してくれるものを愛するのはたやすいことだ。しかし、自分を憎むもの、自分を迫害するものを愛してこそ、そこに人間としての成長はある、という意味だと私は思う。これは魂のチャレンジなのだ。それが、魂が受肉した(肉体を持った)ことの本当の意味なのだ。そう考えれば、煩わしい人間関係も運命的な様々な逆境も、魂を磨くための砥石なのだろう。逆境あってこその人生。それが、私達が生きているということだ。苦労の少ない人は、平穏無事で幸せな人生かもしれないが、魂としての大きな成長は望めない。逆に苦労の多い人生は、魂が磨かれて成長する機会も多いだろう。人生がこの一度きりしかないならば、誰でも前者の人生を望むはずだ。しかし、永遠の命を持つ魂は、生まれ変わり死に変わりしながら成長を続けていく。どちらの人生を選択するかは個人の意志だが、チャレンジ精神旺盛な勇気ある魂ならば、あえて後者を選ぶに違いない。ところで、「迫害するものを愛せ」というキリストの教えに従うならば、今、アメリカがイラクでやっていることは一体何なんだろう?あれでは「目には目を、歯には歯を」というイスラムの教えそのままではないか。(もっとも、「目には目を~」という同害復讐という法も、それ以上争いがひどくならないようにという配慮の上に成り立っているらしいが。)また、やられたらやり返すというのは口実で、石油の利権争いが今回の戦争とイラク駐留の根本にあるのは見え見えなんだけど。ブッシュが信仰しているキリスト教って一体なに?ブッシュよ、あんた、死んだらどこに行く気だ?
2004.06.04
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今読んでいる『そろそろ、本気でお金持ちになってみませんか』(ボード・シェーファー著 草思社)という本が面白い。時間があれば、多分一日で一気に読めてしまうだろう。それだけわかりやすい本だ。この著者の『イヌが教えるお金持ちになるための知恵』を数年前に読んだ。小説仕立てで、子供が読んでもわかりやすくて面白い内容だった。それで、店頭で『そろそろ~』を見た時に迷わず買ってしまったのだ。お金持ちになるためには、「まずお金持ちのような考え方に変えなければいけない」ということをこの本は教えている。貧乏人のような考え方をしていれば貧乏人に、中流のような考え方をしていれば中流に、金持ちのような考え方をしていれば金持ちになるという、一見ごく当たり前のことが説明されている。でもこれって、実践はなかなか難しいんだよね。ところで、今日の日記の本題だが、この本には“お金持ちになるための十二の新しいルール”について書いてあるところがある。そのルールの中に、「自分の欠点にこだわるな」というのと、「欠点をカバーするには、長所を伸ばすか、欠点を長所に変えるか」というのがある。「お金持ちになれないのは、欠点をなくすことにばかり気を配っているから」だというのである。「自分の欠点をなくすことだけに気を配って、自分の長所を最大限に伸ばすことを怠る者は、まずまちがいなくふつうの人間で終わります。」「自分の長所を知ること、これこそ人生でいちばん大事なことです。」とも著者は言っている。これは、お金持ちになる・ならないということを離れても、私達が日常生きていく上で、とても素敵な言葉ではないかと私は思う。私達はいつも、自分の長所よりも短所の方に目が行き勝ちだ。親や学校や世間の期待する自己像と実際の自分とを比較して、あるいは他人と自分とを比較して、「あそこが足りない、ここが足りない」と欠点にばかりフォーカスしてしまい、「だから自分はダメなんだ」なんて自己否定に走ることも多い。だけど、欠点をなくすことにエネルギーを使うよりも、自分の長所を伸ばすことの方がもっと大事なんだ、ということに著者は気づかせてくれる。「欠点のなかには目をつぶってしまってかまわないものがたくさんある」「飛び抜けた才能があれば、欠点なんかくそ食らえ」なんて言われると、「ヒャッホーー!!!」って感じがするのは私だけ?(^^ゞあ、ここでいう「飛び抜けた才能」っていうのは「天才のような特別な才能」っていう意味じゃなくて、誰の中にもある「自分にしかない才能」ってこと。でもそういう才能を見つけられずに、途方に暮れている人はたくさんいる。いや、他人事じゃなくて・・・。(^^;それは「自分へのこだわり」、つまり「自分の研究」が足りないからだそうな。自分にとっては当然のことなので、「ごく当たり前のふつうのこと」と見過ごしてしまって、たぐいまれな才能を眠らせたまま人生を終わってしまう人が多いというのだ。だから「自分の長所を知ること」が何より大切なんだね。「自分の長所を知らないと、自分の欠点を怖れるあまり、自分に自信をもつことができません。そのため自分の欠点の穴を埋めることばかり考えて、好きなことを思いきってやれなくなってしまうのです。」と著者は言う。それはそうかもしれないなと思う。「自分にはこんな長所がある、こんな才能がある」とわかっていれば、少々欠点があったって気にならないし、自信も持てる。自分を好きになることもできる。その才能を信じて冒険することもできるだろう。「能力があれば欠点もたくさんある」という言葉もあるんだけど、これって自分を励ますのに良い言葉だよね。自分の欠点がたくさん目につくのは、それだけ能力もたくさんあることなんだ、と思ってがんばれるもんね。(^_-)-☆
2004.06.03
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今朝、仕事に行くために電車に乗ったら、JR環状線が事故(あとで人身事故とわかった)で内回りも外回りも止まっていると言う。事故なら仕方がない。振替輸送をしているというので、結局地下鉄に乗り換えて出勤したんだけど、JRの手際の悪さに腹が立った。近鉄線から一旦階段を上がってJRとの乗り継ぎの改札口に行ったら、外に出るための下の改札で振替輸送証明書をもらってくれ、という。で、また階段を降りて近鉄の改札を出て、JRの改札で聞いたら「中央改札へ」という。それでまたまた10mほど先の、人でごった返している中央改札口へ行って、揉み合うようにしてもらったのは「遅延証明書」。『ちゃうっちゅうねん!』そこで振替証明書はどこでくれるのか聞いたら、地下鉄のところだという。『おまえらなぁ~!』(--〆)仕方なくまた地下鉄の階段を降りて、やっと振替証明書をもらって地下鉄に乗り込んだ。こんなことなら、あのまま近鉄に乗って難波まで行って、そこから地下鉄に乗ったら早かったのだ。でも難波で振替証明書をくれるのかどうかなんてわからないからなぁ。無駄なお金を使いたくないばっかりに、右往左往させられてしまった。『なにやっとんねん、JR!もっとチャッチャと誘導せぇよ!民営化して一体何年たってんねん。役所みたいにタライ回しするなー!』\(`◇´)/**********************************************************************ところで、例の小学生同士の殺人事件だが、HPの掲示板でのトラブルが原因だとか。こういうネットや携帯での言葉のやり取りは、確かに危ないよね。顔を見て話すのとは違って、言葉だけが1人歩きしたり、気がついたら別人格がそこにできてたりするから。自分ではまったく悪意はなくても、ネットに載るとすごくきつい言葉のように読み手が受け取ってしまったり。その恐さを自覚しながら、ネットを使わないといけないなぁと思う。でも、一番大事なのは、コミュニケーション能力であり、相手の立場や心理状態を思いやる想像力だよね。彼女達は元々のそういう能力が欠如していたんだろうと思う。いや、まだそういう能力が育っていないのに、ネットという言葉だけのバーチャルなコミュニケーション手段を獲得してしまった。そこに問題があるように思う。でも、そういう能力が欠如しているのは彼女達だけじゃないよね。大人にだって、そういう人間は大勢いるんじゃないかな。
2004.06.02
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