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よね?今回、派遣の仕事に行って、つくづくそう感じた。自分よりも年下の女性にえらそうな顔をして管理され、リストの書き方もまともに指導してないのは先方のミスだろうに、間違いを皮肉な言い方で指摘された。ミスはミスとして素直に受け入れるし、使われる側としての節度は当然ながらわきまえているけど。また、同じ派遣会社から派遣された50代後半の女性は、昼間の仕事を希望していたのに午後3~9時の仕事をさせられ、顧客の怒号や反応の悪さに疲れ果てていた。そして、派遣先のこの会社の社長は、私とそれほど年の変わらない女性だという。この立場の差は一体なんだろう?上の立場の人間に対する嫉妬があるのはわかっているが、だからといって自分が特別有能だと思っているわけではない。でも、人間として能力的にそれほどかけ離れた大きな差があるとも思えない。もちろん、その人その人の隠れた努力があり、運や縁といった目に見えない力も働いているのだから、誰かを恨んだり腹を立てたりしているのではない。これが自分の選択した現実なのだと思っている。だけど、私はこのまま他人に使われるままで終わりたくはない。もっと年がいってできる仕事も限られ、年下の上司の顔色を伺いながら好きでもない仕事にしがみつかなければいけないような人生は送りたくない。個人自営業でも零細企業でも構わないから、会社のためや他人の利益のための歯車のような仕事ではなく、自分自身に誇りを持てるような仕事がしたい。現役であとどれだけまともに仕事ができるのだろう。どれだけ悔いのない人生を送ることができるだろう。それでも生きていくための最低限のお金は稼がなくてはいけなくて。。。いろんなことが頭をよぎる。今は一つの「選択の時」なのかもしれない。
2004.02.29
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やっと今日で派遣のテレマの仕事が終わった。最初は久々の電話の仕事でけっこう楽しかったんだけど、3日ほどで嫌になり、終わるのを指折り数えていた。(- -;私は前の会社で4年間テレマの仕事をしていた。それまでしたことがない仕事だったから、やれる自信も全然なく、だめならすぐに辞めようと思っていたので、まさかそんなに続くとは思いもしなかった。ところがそれが案外向いていたのと、飽き性の私をうまく気分転換させてくれる良い上司に恵まれたお蔭で、パートさんを指導する立場にまでなった。テレマには、受信業務であるインバウンズと発信業務であるアウトバウンズがあり、過去の顧客リストなどのデータベースに基づいた電話業務を言う。今回の派遣の仕事は一応利用者リストがあったのでテレマーケティングに属するが、私が過去にやっていた仕事の場合は主に電話帳や業種別のリストに基づいたランダムな電話なので、テレマというよりは電話営業と言った方が正確である。テレマのアウトバウンズの中の一手法とも言えるかもしれない。電話営業には直接アポを取るという方法(これが経済効率としては一番良い)もあるが、私が前社でしていたのは資料送付(アプローチ)→アポ取り(フォロー)という電話である。アプローチの電話には、とにかく元気さと打たれ強さが必要だ。要領よく手短に内容を説明し、相手の反応を探るよりも半ば強引に資料送付の了解を取る。まず資料送付の数を上げなければ次につながらないので、質よりも量が必要となる。それに対して、フォローの電話はまさに相手との心理戦と言ってよい。相手の言葉のニュアンスや口調から相手の本音を探り、相手の現在の状況や提案内容の何に興味があるのか、もしくはないのかを察知し、営業マンとの商談アポへとなんとか結びつけるわけである。もちろんこちらの思い込みや判断ミスで相手の真意を見抜けないこともあるが、相手がこう来たらこう切り返すとか、頭の中で始終クルクルといろんなことを考えながら話さなければいけないので、非常に精神的に消耗する仕事なのだ。だから、1時間のうち電話をするのは50分間。残りの10分間は休憩だがこれも給料の内だった。他のテレマ経験者に聞いても、やはり1時間か1時間半の内に5~10分間の休憩があるのが普通らしい。ところで今回のテレマの仕事は某大手電話会社の孫請けの仕事だったのだが、そのいい加減というか雑な電話内容に私は非常に驚いた。期間内に数万件のリストを処理するということが至上命令なので、丁寧なフォローをする余裕がない。というよりも、その必要はないらしい。アプローチの電話とフォローの電話は、つかまらなければそれぞれ3回まで(原則的に別の日に)かける。呼び出し音を聞くのは5回までで良い。3回目は3コールで切って良い。・・・・と実に簡単なアッサリした電話である。たまたま留守にしていたり話し中だったりすると、それでもうそこの家や企業には電話しない。フォローも極めて軽いアポ取りで、「これで営業マンが後から電話したら、一から営業せなあかんのと違うの?」と思うような内容が実に多い。話を煮詰めるどころではない。前の会社の場合は全国津々浦々に電話していたが、すべて本社からの訪問になるので、営業の経費がかかるからそうそう簡単にアポ取りはできない。相手企業の状況やキーマンの意向を聞き出し、反応が思わしくないと思えば時期を待つ。何年も何年もしぶとく時期を待つのである。それに比べれば今回の仕事の淡白さは信じられないほどだ。もっとも前の仕事が濃すぎたとも言えるけど。(^^;それにしても、それで良いと上の会社が言うんだから良いのだろうが、本当にもったいない電話のかけ方だなぁと思った。下請けっていうのはそんなものかもしれないが、私から見ると実に無責任な仕事である。会社の方針がそんなだから、パート一人一人も機械的に電話するだけで、やりがいもなければ責任感も湧いてこない。そうそう、おまけにこの会社、昼の45分間と午後の15分間以外にはまったく休憩がない。トイレに立つこと位は構わないけど、休憩時間としては設けていないのでリフレッシュする間もなく、ほんとに電話かけマシーンのようにかけ続けなければいけないのである。だんだん頭が朦朧としてくることもあるし、電話の内容などそれほど考えていられなくなる。テレマの会社によっては、受話器そのものを置かせてもらえないところもあるし、トイレにもなかなか立てないというところもある位だから、今回の会社はまだマシな方なのかもしれない。しかし今回の仕事は反面教師で、とても勉強になった。なぜなら、テレマーケティングあるいは電話営業は、絶対に自社でやった方が良いとわかったからだ。自社開発なら大切なお客様だから1件1件丁寧に電話するし、継続的に電話していれば状況が変わって話を聞いてくれるところも出てくる。新しいサービスや商品を案内すれば、また興味を持ってもらえることもある。とにかく粘り強く(しつこいと思われるとまずいけど)、顧客とのコンタクトを絶やさないということが大切なのだと思う。電話を使うというと、個人宅への商品やサービスの売り込みというイメージが強いかもしれないが、法人向けのサービスや企画提案、新製品の売り込みにももちろん有効である。ちなみに私は前の会社で、法人向けのキャンペーン企画の提案をしていた。既存顧客の掘り起こしはもちろん、新規顧客の開拓にも電話は非常に効率的なツールである。わざわざ電話要員を雇わなくても、自社従業員をトレーニングすれば費用はかからない。業務の都合上、あるいは従業員の性格上(向き不向きがあるので)無理な場合、数名のパートを雇えば社員一人雇うよりも福利厚生費を考えれば安上がりである。それほど大した費用もかからないので、営業で伸び悩んでおられる企業や店舗は電話戦略の導入を考えられてはどうだろうか。☆ テレマーケティングに興味のある方は、私書箱までメール下さればご相談に乗らせていただきます。
2004.02.27
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数日前に、大阪天満宮に梅見に行って来た。いや、今の仕事場のすぐ近くが天満宮だということに気づき、駅にも天神さんの梅祭りなんてポスターが貼ってあるものだから、仕事帰りに寄ってきただけ。(^^;盆梅展は4時で閉まるらしく、残念ながら見られなかったので、確か境内に梅の木があったはずとキョロキョロするも、たった1本あるだけ。おかしいなぁ?と思いながら諦めかけると、一緒に行った仕事仲間がどうもあっちにあるみたい、と境内を抜けたところにある小さな社へ。星合の池という池があって、小さな橋を渡ったところの小さなお社の境内に数本の梅の木があった。赤色、桃色、白と、花の色によって(?)それぞれ微妙に香りが違う。私は梅の香りが好きだ。あたりの空気が清清しくきれいになるような気がするから。桜は桜で美しいけど、邪気を祓うような梅の香りが大好き。昔の人が梅の香を愛したのもよくわかる。そういえば、天満宮に祀られている菅原道真公は「東風(こち)吹かば 匂ひおこせよ梅の花 あるじなしとて 春をわするな」という有名な歌を詠んだのだったっけ。なかでも私が一番好きなのは蝋梅なんだけどね~。でもこのロウバイ、梅の仲間じゃなくて、バラ科らしい。この蝋梅がまた、なんとも高貴な香りを放つのだ。透けるような薄黄色い花びらも、地味だけど美しい。だけどこの木は育ちにくいからなのかどうなのか知らないけど、見かけることが少ない。というより、ほとんどないと言っていい。それが残念だ。もし広い土地付きの家を買えるような身分になれたら、そこにはたくさんのハーブの他に、蝋梅と沈丁花を植えよう。金木犀は甘ったるすぎて、少々苦手だ。話は戻って、その境内で梅の香りをクンクンと嗅いで楽しんでいたら、その横で中高年のカップルが2人して話をしながらタバコを吸いだしやがった。ハッキリ言って迷惑!以外の何物でもない。(!怒怒怒!)梅の香りを嗅いでいる横で、無神経によくタバコなんか吸えるもんだ。ほんとにマナーがなってない。そういえば先日新聞に、タバコが肌や歯茎にも悪影響を与える、という記事が載っていた。タバコを吸っている人の顔は一目でわかるんだって。スモーカーズフェイスって言って、肌に細かい皺があり、年齢よりも老けているらしい。どんなにエステに通っても、タバコを吸ってたら無駄だそうな。自分が吸うだけじゃなくて、受動喫煙の場合でも煙が肌に付いているだけで老化するようなことが書いてあったな、確か。吸わない人間にとってはほんとに迷惑な話だ。(- -;喫煙者の方。ご自分が老化するのは勝手ですが、せめて分煙を心がけてくださいね。信じられないかもしれないけど、あなたの服に付いている臭いだけでも気分が悪くなる人間もいてるんです。狭い電車の中で隣の人がヘビースモーカーだったりしたら、ほんと最悪な気分なんですよ。年々タバコの臭いに敏感になる私。最近ではほんとに耐えられない。タバコのない世界に行きたいわ。
2004.02.19
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今日の日記は、ゆん&玉吉のメッセージです。***************************************************人は安らかな眠りを得られれば、それだけで癒されることが多い。それほど眠りには大きな癒しの効果がある。肉体が眠っている間、魂は向こう側の本来の世界へ還って、エネルギーを補充したり、新たなインスピレーションを受け取ったりしてこちら側に帰ってくる。安らかな眠りが得られなければ、魂は栄養不足のような状態に陥ってしまい、精神的な不調の原因にもなる。夢でも恐怖体験をし始めると、それはかなり危険な兆候であると言える。玉吉は妹を若くして病気で失ったが、死を前にした妹の夢は、死神に追いかけられる夢だった。リラックスするために、ぬるめのお湯でゆっくり半身浴をしたり、お香や精油を焚いたり、ハーブティーを飲んだりといろんな方法があるが、寝る前にはできるだけ幸せな気持ちになるようなイメージを思い浮かべた方が良い。そうすれば、魂は向こうの世界で心置きなく遊んで英気を養ってこちらに帰ってこれる。結果的に、明るい「今日」を選択しやすくなるのである。
2004.02.15
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今日の日記は、私のパートナー、玉吉からのメッセージです。(^^)********************************************************私達は、日々死んでいる。そして日々生まれ変わっている。今日という一日を過ごすと、私達の魂は眠りの中で故郷である向こう側の世界に還る。朝になれば、また向こうの世界からこちらの世界にやってくる。魂にとっては、この現実世界は学校のようなものだ。学校だからいろんなことが起きて、そこから私達はたくさんのことを学ぶ。仕事や人間関係、愛情、お金の苦労など様々な問題。悲しみ、憎しみ、怒り、喜び、感謝、畏敬、忍耐等々、様々な感情。人はそれぞれの人生でそれぞれ学ぶテーマを選択している。学校にも英語専門校やコンピュータ専門校、農業専門校などといろいろあるように、私達の人生のテーマも人それぞれに違っている。自分が決めたテーマを学び終えた人は、もうこの肉体に留まっている必要はないので肉体を捨てる。一度で無理なら、何回も生まれ変わって同じテーマを学ぶ魂もあるだろう。中にはあまりに学校(自分が選択したにも関わらず)に行くことが嫌でたまらなくなって、自ら家に帰ることを選ぶ人もいるのだけど。現実の世界が学校であるなら、向こうの世界は我が家のようなものだ。学びの場である学校と居心地の良い家とを、私達は毎日往復している。だから人間にとって眠りは大切なのだ。魂が我が家にもどって一番リラックスできる場所だから。自分が一番好きなことをしている人は、どんなに忙しくて睡眠時間が短くても大丈夫だと言える。なぜなら起きている間も我が家にいるようなものだからだ。しかし、好きでもない仕事をいやいやしている場合には、最低限の睡眠時間はどうしても必要だ。そうでなければ心身共にもたない。私達の魂は日々死に、日々生まれ変わっている。この世とあの世を往復しながら、絶え間なく成長を続けている。(中には堕落していく者もいるのだろうが。)だから、昨日の魂と今日の魂は同じではない。もちろん同じ部分もあるが、イコールでは絶対にない。A、A’、A”……というように、微妙に、しかし絶対的に違うものである。魂は変化し続けているのだ。とするならば、昨日の私はもはや存在しない。なぜなら、決してそれは今日の私ではないから。明日の私もまた存在しない。あるのは、ただあるのは、「今日」この時の私だけである。過去にどれだけ苦労して辛酸を嘗めたとしても、悲惨なトラウマを抱えたとしても、それはすでに終わってしまったことだ。現在という時間にそれはもう無いのである。貧乏で苦しんでいた自分はすでに存在しない。誰かを憎んでいた自分もすでに存在しない。ところが、現在覚えている過去の記憶を、実在していたかのように人はよく錯覚する。しかし、当時の真実は、現在から過去を照らした時にすでになんらかのフィルターがかかってしまっているわけで、擬似的な過去に過ぎない。その擬似的な過去にこだわり、いつまでも引きずっていると、いつまでも光の方向へ進めなくなってしまう。過去の憎しみや悲しみなどは、ただの残存エネルギーであり真実ではない。その残存エネルギーに囚われていると、現在に影響を及ぼし、現在が歪んでしまうのだ。「神との対話」にもあったが、「過去・現在・未来」という垂直な時間軸は便宜的に人間が作り出したもので、すべての時間は同時に今この時に並行して存在するということが、この世界の真実だと思う。そして、同時に存在しつつ、変えられるのは「今この時」だけである。実に、私達は日々新しく生まれ変わっている。過去は、ない。過去の苦労も憎しみも、ない。あるのは「新しく生まれた今日の私」だけであり、時はまさに「今、この瞬間」しかない。そして、今のこの瞬間、瞬間に、私達は人生を選択し続ける。何を、どういう現実を選択するかが、何よりも大切なことだ。日々、輪廻転生を繰り返す存在。それが私達人間であり、魂の本質である。
2004.02.11
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夕べ、12時40分頃、パソを切る前にウイルスソフトのup dateをして、もう終わるという時にいきなり停電!あらま、パソのせいでブレーカー落ちたのか?!ヤバッ!と慌てて階下に下り、懐中電灯を探してると家族も起き出し、ブレーカーを調べてくれたもののなんともない。外を覗くとどうもあたり一体が停電のようで、早くも懐中電灯を持ってウロウロしている人の姿が。関電に連絡はついたがすぐには復旧しそうにもない。仕方がないので夕べはロウソクの灯りでお風呂に入った。追い炊きもできないので、かなり寒かった。(+ +)考えれば、私達の生活は今更ながら電気に囲まれているわけで、一旦災害が起これば、たちまち普通の生活が送れなくなってしまう。お風呂のガスは使えるはずだが、電気のマイコンがついてるからお湯を沸かすことはできない。電気の暖房器具しかない家なら、寒さに震えることになる。電話もかけられないので、携帯頼みとなる。まさに阪神大震災の時のことを思い出してしまった。災害の時の最低限の用意はしておいた方が良いよね。
2004.02.09
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大分日が立ってしまったので、間延びしちゃったけど。1月22日・24日の続きです。それと、改題しました。ヒーラーの品格次第と書いたが、品格の低いヒーラーは得てしてカリスマになりたがる。いや、それを意識してはいないのかもしれないが、祀り上げられるうちに、段々感覚が麻痺するようだ。そのうち相談者=崇拝者達が自分の言葉一つで動くことに喜びを感じるようにさえなることもある。崇拝者達はどんなことでもヒーラーに相談するようになるから、当然お金も入ってくる。これは言うまでもなく、新興宗教の教祖と信者との関係に等しい。いや、何もこれは一部の特別な人達だけの心理状態ではないと思う。誰の心にも他人から認められたいという欲求がある。本当の成功というものは他人に認められることではなく、自分自身の心の満足度によって決まるはずだが、凡人は他人の目や価値判断によって自分の成功・不成功を測るものだ。人助けのための仕事についているからには頼られれば嬉しいものだし、取り巻きや支持者が多ければ多いほど、自分の成功が実感できるというものである。これは多かれ少なかれ誰の中にもある感情だと思うので、一概に非難するつもりはない。ただ、本物のヒーラーなら常に自分を客観視し、傲慢さがそこにないかどうかという厳しい反省と、自身を律する気持ちが必要なのではないかと思うのだ。昔出会ったスピリチュアル・ダンスのセラピストは、以前はその霊的能力でチャネリングやヒーリングをしていたらしいが、気がつくと自分を中心とした取り巻きができていたという。そのお蔭で物質的には十分潤っていたが、「これではいけない!」と思ってそれまでの仕事はキッパリやめ、一からフラワー・エッセンスやダンス・セラピーの勉強をしてセラピストになったそうだ。私はその勇気に感動した。しかし、こういう人は実に少ない。有体に言えば、それほど優れた霊能力やヒーリング能力がなくても、この世界で生活していくために自分の能力を誇示する人間は少なからずいる。さりげなく、あるいは露骨に。そこに、そのヒーラーの品格や成長のレベルが現れる。それともう一つ。よく錯覚しがちなことなのだが、霊能力やヒーリング能力の強さ=ヒーラーの人格や品格ではない。非常に能力的には高くても、人間としては最低なヒーラーというのも存在する。この世界のことをあまり知らない人は、それをよく頭に入れてヒーラー探しをした方が良い。能力的に高くて品格の低いヒーラーにひっかかってしまったら、気づかないうちに崇拝者の一人にされてしまいかねない。物質的な欲望や権力欲に取り付かれた能力者など、百害あって一利なしというものだ。能力も品格も優れているヒーラーに出会えればそれに越したことはない。でもどちらかといえば、私は能力の高さよりも、人間的にまともでハートの温かいヒーラーの方が素晴らしいと思う。まさにそういう人こそヒーラー=癒し人であるべきだ。心の眼で相手を見ることを忘れないようにしたい。
2004.02.08
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今日は中医学健康アドバイザーの最後の講座だった。3回受講したので、アドバイザーの認定証がもらえるのだ。経絡やら経穴、症状ごとに食べた方が良い食物や、病気を癒すそれぞれの色についての話など、時間が短いので大雑把なさわりだけの話だけど、なるほどと思うことも多かった。今日の最後は意識エネルギーの話で、波動やらテレパシーやらという話になった。この意識エネルギーがどれだけ病を癒すのに力があるかということを講師は力説し、患者さんに良性の波動を与える声掛けをすれば、共振共鳴して病が治るのだと話された。そして「仕事」とは「志事」であり、「志事」であればいくらやっても疲れない、という話にはその通りだと感じた。でもこの世の中で、どれだけの人が「志事」をすることができているのだろう?最後に講師はトルストイの書いた一つの話を引き合いに出してこう説明した。一番大切な時というのは、今この瞬間である。一番大事な人というのは、自分が現在関わっている目の前の人である。一番大事なしごとというのは、人のために尽くすということ、奉仕することである。この講座は医療者向けの講座なので、それに関する話が多いのだけど、上の話は誰にでも通じることだと思う。今日はこれでおやすみなさい。。。
2004.02.07
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書きかけのやつをほっといて、精神世界に関する私の独断的な感想。この世界の人達(っていうのもおかしいし、好きだという意味では自分も同類なんだけど)同志のやりとりって、妙にベタベタしていて、客観的に見れば気色悪いことが往々にしてある。言葉遣いがミョーに丁寧というか、一体どこのお嬢様だお前は!って突っ込みたくなるような感じであったり。はたまた、相手を褒め上げる褒め上げる。褒め殺しか?!と思う位、お互い褒め合ってたり。「奥様のお着物、ステキですわ~!」「あーら、そういう奥様のドレスの方こそステキですわよ~!」なーんてのとあんまり変わらんなーと思えてしまうことも。お互いを認め合うのが素晴らしいという教え(?)を実践してるんだか、ただのお世辞の言い合いなんだか、本気で思ってるんだか、私にはようわからん。ただ、そのミョーなベタベタ、ネチネチした、乙女チックでもありオネエな雰囲気を感じると、なんか首筋がカユークなったり、「サブッ!」という悪寒が私を襲う。感覚が繊細で夢見がちな人が多いせいかもしれないけど、それが不自然なまでに感じられるとダメなのよねぇ。勿体つけてる感じが気持ち悪いんだな、多分。私のパートナーは、私よりももっと敏感だ。対人関係で虚飾の匂いを感じると、途端に不機嫌になる。相手の言動に心がこもっているかどうか、動物的なカンが働くらしい。残念ながら、鈍感な私にはそこまでのアンテナは働かないんだけど。私のまったく個人的な感想でした。
2004.02.02
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