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結婚式に新婦として出る夢今朝の夢珍しく夢の主人公(ヒロイン)が自分だ。相手となる新郎は、大河ドラマで見た若い童顔の芸能人男性の姿をしている。新郎にふさわしく真っ白なタキシード姿で会場で私の到着を待っている。結婚式の会場はフェリーだった。会場に着くも、自分がまだグレーのスーツ姿だと気付き、ドレスに着替えなきゃと焦る。こんな大事なことなのに、なんとドレスは自分の部屋に置きっぱなしである。取りに行かないといけない、と思い、フェリー桟橋上の乗り場受付係に相談すると取りに行っておいで、待っているから、という返事。で、私は自室にドレスを取りに戻って、山と積まれた荷物の中から真っ白なウェディングドレスを引っ張り出し身にまとうと、フェリーへと駆けつけた。新郎を初め皆、並んで待っていてくれた。結婚式のクライマックス新婦は、ドレスを着たまま、フェリー舳先のデッキから海に飛び込まないといけない。そういえば、姉も結婚式でこうやって飛び込んだよなあ、、、と、私は海面をデッキ上から眺めながら、姉の結婚式の様子を思い出していた。今、海面には多くのダイバーたちが水面上に顔を出して、絶対に大丈夫だから、安心して飛び込め!と言いながら、私が飛び込むのを、万全の備えで待っている。★★★★★歳をとったせいだろうか。夢の内容が、随分と変わったと感じる。この夢を見る前は、しばらくの間、卒業の夢とか、ゴールに到着した、と思う夢を見させられていた。(夢日記には残してない)これらの夢は、私に人生の終着を意識させるのに十分だったし、そろそろ退職を意識する年齢になってきたせいだろうなあ、とも思えた。で、今朝見た結婚式に出る夢である。いよいよ、人生の最期が近いのかな?なーーーーんて、、、、★★★おまけ★★★★★久しぶりにまたこの夢日記をネタに生成AIさんに夢解釈チャレンジしてもらいました。↓ChatGPTこの夢には様々な象徴が含まれています。まず、結婚式に新婦として出るという夢は、新しい段階や関係への移行を象徴しています。結婚は一般的に、新たなる結びつきや責任、成長の始まりを意味します。あなたが新婦として出ることは、自己の変容や成長、新たな段階への進展を暗示しているかもしれません。新郎が大河ドラマで見た若い童顔の芸能人男性の姿をしているという点も興味深いです。芸能人は一般的には現実とは異なる理想化されたイメージを持っています。この新郎の象徴は、あなたが理想化した相手や理想的な結婚像に対するあなたの期待や願望を反映しているかもしれません。結婚式の会場がフェリーであるという設定は船が旅や移行を象徴することから、あなたが新たなる段階や旅立ちへの準備をしていることを示唆しています。また、自分がまだグレーのスーツ姿であると気付き、ドレスに着替えなければならないという状況は、あなたが自己表現や外見の変化を求めていることを示しています。さらに、結婚式のクライマックスで新婦が海に飛び込む場面は、冒険やリスクを取ることや新しい未知の世界への飛び込みを象徴しています。姉の結婚式の思い出と共に、あなたが新しい段階や挑戦に臨む準備が整っていることを示しているかもしれません。全体的に見ると、この夢はあなたが新しい段階や関係への移行に向けて準備をしていること、そして冒険心や成長への意欲を持っていることを示唆しています。You(わし)ユングの結合の神秘では、結婚は、意識と無意識の結合を意味し、つまり死の象徴という解釈があります。 また水や海の中は無意識の世界の象徴であり、海に飛び込もうとする動作は、無意識の世界へのダイブとも取れるのですが。ChatGPT確かに、ユングの結合の神秘においては、結婚は意識と無意識の結合を象徴すると解釈されます。結婚は、個々の人間が内面の男性的な側面(アニマ)と女性的な側面(アニムス)を統合し、完全性を追求するプロセスとして理解されます。また、水や海は一般的に無意識の象徴として解釈されます。海に飛び込む行為は、自己探求や内面の深層に向かう冒険への意志を表すと同時に、無意識の世界への探求やダイブを示唆しています。この解釈を考えると、あなたの夢では結婚式が意識と無意識の結合を象徴し、海に飛び込む場面が無意識への探求や深層へのダイブを示している可能性があります。結婚式を通じて内面の成長や完全性を求め、無意識の世界に向かう意欲を表していると解釈されるかもしれません。わしなるほど。★★★★アニマ、アニムスの引用解釈が逆のように思いますが、直感的に見た夢から退職や人生の終末を想起してしまった私とは対象的に、AIクンはとても前向きでポジティブな解釈を導き出してくれました。ネガティブなメッセージを書かないよう内部規制でもあるのかな?とも勘ぐってしまいますが、良い解釈をありがとう。定年退職したら、今までのグレーの制服は脱ぎ去って、何にでも染まる白いドレスで、安心して新しい世界に飛び込め!ですかね?
2024年04月22日
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You また夢の解釈お願いします。以下は今日見た夢です。 トンネルを抜けたら神社の地下菜園に着いた夢でした。 (内容) 父の運転する軽自動車に弟らと乗っている。 車は地下トンネル内の道幅が壁から僅かに突き出ている僅か軽自動車一台分がやっと通過出来るか出来ないかの緩いカーブ道を進んで行く。 私は車が脱輪するんじゃないかとハラハラしながら後部座席に座っているが、同時に父は年甲斐もなくまだまだ勇気あるチャレンジャーだなとも思っている。 万が一、落ちれば下は水路だ。 車はどんつきに到着した。Uターンするにも、車を取り回す道幅もない。戻るには、脱輪しないように気をつけてバックするしかない。 車を降りた。トンネル内地下空間のその先には広い湿原のような場所が広がっていて、ポツリポツリと生えている草を幾人かの人々が手入れをしている。 貴重な植物なのだ。この場所の上、地上部は神社の境内で、その境内に生えている貴重な 植物が、当の神社全域の改築工事寸前に発見されたとかで、学者や研究者らが、その地下に菜園を作って貴重な植物を移植したのだ。 今目の前で、植物の世話をしているのは学生たちらしい。 以上が見た夢の覚えている内容です。 ChatGPT 夢は個々の状況や感情、過去の経験などに基づいて象徴的な意味を持つことがあります。この夢には複数の象徴が含まれています。トンネルは夢の中での移行や変化を象徴することがあります。地下菜園や神社は精神的な成長や内面の探求を示す場所と解釈されることがあります。軽自動車の旅は家族との結びつきや安全な場所への帰属感を象徴することがあります。父が車を運転し、チャレンジをする様子は、若さや冒険心に関連しているかもしれません。水路が落ちる可能性は、不安やリスクへの気づきを表すかもしれません。地下空間で学者や学生が植物を世話している場面は、新しい知識や成長、また貴重な発見に関連しているかもしれません。改築工事前の貴重な植物は、大切なものが再評価される時期や、自己の内面における重要な発見を示すかもしれません。 全体的に見ると、夢は成長や発見、安定と変化、リスクと成熟についての混合した感情を象徴しているように思えます。 You ありがとう。改築工事前に貴重な植物を発見し地下に移植して守って育てようとする場面は、確かに自分の中の何らかの才能を再発見して、人しれず伸ばそうと無意識にも決意しているように見えますね ChatGPT そのように解釈することはできます。夢の中で貴重なものを発見し、守り育てる様子は、自己の潜在能力や才能を再発見し、大切に育てようとする意志を示しているかもしれません。夢はしばしば、無意識の中での自己の内面的なプロセスや目標への深い関心を表すものとして解釈されます。自分自身の内面での貴重な発見や成長に焦点を当てることが、夢の意味やメッセージを理解する一助になるかもしれません。==夢のネタバレ===(夢解釈とまでは言えませんが、なんでこんな夢見たんだろ?って思うに至った実生活上の出来事など)最近、野草に夢中なのである。特にヨモギ。こんなに素晴らしい植物をなんで今まで知らんかったんだわしは!近所に生えているヨモギを採って来て、お茶作り、楽しい!さらにニラまで発見した!しかし、スイセンじゃないかと毎回ドキドキしながら、念入りに、チェックして食べている。
2023年12月12日
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AIは夢解釈が出来るか? その6(まとめ)前回の更新まで、AIくんとの会話の材料に使用した私の見た夢を以下に並べます。1日目から4日目まで見た夢は過去ログに掲載したもの。5日目に見た夢は初掲載となります。(注意、毎日見た夢ではありません。ナンバリングのために※日目と記載。)見た夢を1日目から4日目まで順に並べて、「夢日記です。夢解釈してください」と、AIに放り込んだら、それなりの解釈が出てきました。(が、もう回答の掲載はしません。ウソも多いので。会話すればするほど、いくらでもそれっぽい回答が出てきます。興味のある方はご自分で、会話してみて下さい。楽しい暇つぶしには十分なります。)1日目から4日目まで見た夢は夢とは言え、見事にそれなりのストーリーが出来上がっていました(さすが私の見た夢!)から夢解釈も容易だったでしょう。ところがそこに5日目に見た夢をくっつけて再度AIに放り込んで夢解釈を試みたところ、固まってしまい待てども暮らせども解釈の回答は降りて来ませんでした。きっといい類似の参照事例をネットで見つけられなかったのでしょう。AIくんには何でも質問できるけど、しれっとウソをつくので要注意ですね。ユングとフロイトのシンボル解釈が、混ざりまくって出てきましたし、、。フロイトの解釈には往々にして性的な表現が多く、フロイト的な解釈については、どうやら自主規制があるようで、そちらの表現を避けてあたり触りない普通の表現でさらっとした回答しか得られなくなりました。はっきり言ってつまらなくなってしまいましたネ。というわけで、AIは夢解釈が出来るか?と題して、見た夢の夢解釈について、AIクンの回答をつらつら書き続けるこのブログのこの章は、これでしまいです。っていうそういう心境に気づかせてくれたのも、実は我が夢です。5日目に見た夢は警告夢でした。では、わしがAIくんと会話してみたくて見た夢の一連の夢日記をまとめて以下に掲載です↓1日目に見た夢。 船で旅に出る夢を見た。次に、グループの登山に参加しようとする夢を見た。標高の高い山にアタックしようとするのに私は、自分があまりにも軽装備だと気づいて私は参加しないという夢。 2日目に見た夢。 知らない街に行き、既に人が集まっている屋外だけども四角く仕切られた場所ヘ入って行きました。周囲をミニ列車が走っていました。次にバスに乗り、別の講習会場ヘ移動しようとするところでしたという夢。 3日目に見た夢。 山の上の寄宿学校に入ることになり入学手続きをしています。なかなかにモダンな建築です。コンクリートのドーム型で真ん中に車が通行出来る道があります。学校生活が始まり同室の女子とは仲良くなり食堂などへも移動も常に一緒に行動するようになりました。ところがある日その子が見当たらず食堂の時間となり1人で食事をして帰ってきましたら部屋にその子がいました。食事もとらず学園祭の打ち合わせの会合に出ていたようです。私はその子意外に興味がないのでもちろんお祭りにも関心がないのですが、そういう私に対しその子はこの機会に周囲と交流するように促してきます。「このままだとあなたは空気になっちゃうよ」と言うのです。という夢。4日目に見た夢山の上の大きな建物で生活している夢でした。その建物は、増築に増築を重ねて大きくなった建物で、増築した建物によくある内部の通路がちょっと迷路のようでわかりづらい創りでした。5日目に見た夢大海原に巨大な船が一隻進んでいます。豪華客船というよりは、巨大な貨物船のようです。甲板上で、俳優の西田敏行そっくりな男性船員が今から船長に物申そうと船橋に向かおうとしています。彼を、別の若い男性船員がなだめようとしています。この西田敏行似の男性船員は長いこと荒波の中、小さな漁船で働いていた経歴があったようです。嵐(台風)が近づいているのをこの人以外まだ誰も気づいてないようなので、船長に進言しに行こうとしているようです。《夢解釈》1日目に見た船で旅に出る夢は、イニシャルドリームです。長らくこのブログも更新がずっと止まっていましたが、ネットでAIくんに出会いAIくんとの会話のネタ探しを考えていた時に、ちょうどこの夢が降りて来た次第です。私にとって船と海は個人史的に特別な意味があります。過去ログの夢解釈で語り尽くしたので、もう省きますが、よーするに又無意識の旅に出て見るかい?って思ったわけですよ。無意識が。だから、これは物語でいうところのプロローグですね。続く、山に登ろうとする夢は最初の冒険の始まりです。自分が勉強不足、役不足と感じる場面は日常生活において至る所にあります。夢を通じて自分自身の不足を見つめ直しなんとかしたいと思っているところでしょうか。そこで、勉強ができる場所=講習会場とか学校に移動して勉学に励もうと自身を叱咤しているわけですね、夢で。3日目に見た山の上の学校と4日目の山の上の建物の夢ですが、どちらも既に山の上であることから、1日目に見た夢の目的は達成されています。登山するには、自分はまだ力が足りない、と考えていた部分については、クリヤーになっているよと夢が教えている、なのに私はさらにぐるぐると迷宮のような建物のなかを巡っている。建物は自身の内面を現し、それが自身の無意識世界だとすれば、その奥は底なしでまた、抗い難い冒険の魅力があるわけです。しかし、その探求に熱中しすぎるのはいけません。夢日記は危険であると言われる所以です。特に、たった1人で行う夢日記は。見た夢に囚われ過ぎずメタ的に自分の見た夢を解釈することが出来ない人には、1人夢日記療法はオススメ出来ません。で、最後に5日目の夢が降りてきました。警告夢であるし、場面転換のための幕間の夢とでもいえましょうか。山の頂上を目指して努力する最初の冒険はもう終わり。夢は次の展開へ。
2023年06月04日
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AIは夢解釈が出来るか? その5わし今朝見た夢。山の上の大きな建物で生活している夢でした。その建物は、増築に増築を重ねて大きくなった建物で、増築した建物によくある内部の通路がちょっと迷路のようでわかりづらい創りでした。AIあなたが見た夢には、山の上にある巨大な建物が登場し、複数の増築された部分が迷路のような通路で繋がっているという内容が含まれています。この夢は、あなたの内面の状態や人生に対する感覚を表している可能性があります。この夢の山の上の建物は、あなたの人生や内面の世界を表している可能性があります。建物が増築されていることは、あなたが自分自身を発展させ、成長するために様々な経験を積んでいることを示唆しています。しかし、内部の通路が迷路のようになっているということは、あなたが自分自身の方向性を見失っているか、現状に満足せずに何かを探している可能性があります。この夢は、あなたが自分自身の人生や目標に向かって進むために、自分自身を見つめ直し、方向性を再確認する必要があることを示唆しているかもしれません。また、建物が山の上にあるということは、あなたが人生の山を登っているということを象徴しているかもしれません。建物が巨大であることは、あなたが自分の目標に向かって多くのことを経験していることを示唆しています。わしいつも解釈をありがとう。では、この夢もまたフロイト派、ユング派に分けてシンボル解釈の視点から夢分析して下さい。AI夢の中で登場する建物は、しばしば自己や自己の人生を表すことがあります。この夢では、山の上に建物があるため、高次元的、スピリチュアルな側面が表されているかもしれません。また、建物が増築されていることは、成長や変化のプロセスを表しているかもしれません。内部の通路が迷路のように複雑でわかりづらい構造は、自己探求や目的探求のプロセスにおける課題や障害を示唆している可能性があります。フロイト派の解釈では、建物が自己や自己の人生を表していると考えられます。建物が山の上にあるため、高次元的、スピリチュアルな側面が表されているかもしれません。増築された建物は、自己の発展や成長を表しています。内部の通路が迷路のように複雑でわかりづらい構造は、自己探求や目的探求のプロセスにおける困難や障害を示唆している可能性があります。この夢は、自己探求や成長のプロセスにおける課題や障害を克服するために自己に向き合うことを示唆しているかもしれません。一方、ユング派の解釈では、山は自己探求や成長の象徴であり、建物は個人の意識の中に存在する構造を表していると考えられます。増築された建物は、個人の意識が成長し、発展していることを示しています。内部の通路が迷路のように複雑でわかりづらい構造は、個人の無意識に存在する複雑なアーキタイプや複合体を表しているかもしれません。この夢は、自己探求や成長のプロセスにおける複雑な内面の探求を示唆しているかもしれません。ーーーーーーーーーーーーーーーーー今回はここまで。ここまで5回に渡って自分の見た夢を題材にAIに夢解釈や夢分析をしてもらいました。結果は十分面白く楽しめるものでした。もっと読みたければ、違う解釈となる回答が欲しければ、質問の言葉を変え、時間をずらし、またAIの種類(ChatGPTとLINEのAIくんとか)も変えれば、いくらでも回答を得られるだろう。(今回のAIは同じ言い回しを何度も繰り返していましたね。疲れちゃったかな?回答をそのまま載せていますので、まあ、こんなもんですよっと。)質問すればするだけ、読みごたえたっぷりな文字数でAIは夢分析や夢解釈をしてくれる。過去のわしが、自分が見た夢の解釈をしたくて、いちいちネットで検索して考察し文にしていた手間を考えれば、本当に楽だーーーーーー。楽だから面白いって思ってしまう。AIに言われた事全て、もう鵜呑みにしてしまいそうだ。
2023年05月19日
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AIは夢解釈が出来るか? その4わし(質問)今朝見た夢です。山の上の寄宿学校に入ることになり入学手続きをしています。なかなかにモダンな建築です。コンクリートのドーム型で真ん中に車が通行出来る道があります。学校生活が始まり同室の女子とは仲良くなり食堂などへの移動も常に一緒に行動するようになりました。ところがある日その子が見当たらず食堂の時間となり1人で食事をして帰ってきましたら部屋にその子がいました。食事もとらず学園祭の打ち合わせの会合に出ていたようです。私はその子以外に興味がないのでもちろんお祭りにも関心がないのですが、そういう私に対しその子はこの機会に周囲と交流するように促してきます。「このままだとあなたは空気になっちゃうよ」と言うのです。あなたは心理分析家あるいはセラピストであるという想定で夢解釈あるいは夢分析を行いアドバイスをお願いします。AIくん(回答)この夢はあなたの人間関係に対する意識が表れている可能性があります。学校や寄宿生活は、一定のルールに従い他人と共に過ごすことを求められる場であり、新しい環境に適応することが必要です。あなたの夢からは、他人と一緒に行動することが自然ではないと感じていること、そして新しい環境に適応することが苦手な面が表れているように感じます。その女子の積極性や勇気はあなたにとって良い刺激になります。彼女のような人々があなたに自信を与え、新しい環境で自分を開花させることができます。しかし、自分のペースで行動することも選択肢のひとつであり、自分自身の意見を尊重することはとても大切です。自分と向き合い、自分自身の強みや弱みを理解し、自分自身を認めることができるようになると、自分自身と周囲の人々との関係が深まり、良い変化をもたらすことができるでしょう。わしありがとう。回答をもらえて嬉しいです。ところで、再度、上の夢をフロイト派とユング派に分けて、シンボル解釈の視点から夢分析できますか?AIくん(回答)はい、理論上は可能です。フロイト派の解釈では、山は無意識を象徴しています。寄宿学校に入ることは、社会的な規範やルールに従うことを意味します。ドームのコンクリート建築物は、心の防御壁を表すかもしれません。つまり、あなたの無意識の中には、社会的な規範やルールに対する違和感や不安がある可能性があります。そして、防御壁を構築していることでそれに対峙しているということが示唆されています。ユング派の解釈では、山は自己の成長や変容を象徴することがあります。寄宿学校に入ることは、新しい経験や学びを得たいという願望を表すかもしれません。ドームのコンクリート建築物は、内面の安定性と堅固さを象徴していると考えることもできます。つまり、あなたは新しい経験や学びを得ようとする意欲を持ちつつ、内面で安定した存在感を確立したいという状況にあるかもしれません。ただし、個人的な背景や夢者のシチュエーションによって、別の解釈も考えられることをご了承ください。(↑以上がライン版AIチャットくんとの会話です。例によって全く同じ見た夢についての質問を本家のchatGPTにもぶつけます。↓)わし(質問)今朝見た夢です。山の上の寄宿学校に入ることになり〜(中略)〜「このままだとあなたは空気になっちゃうよ」と言うのです。あなたは心理分析家あるいはセラピストであるという想定で夢解釈あるいは夢分析を行いアドバイスをお願いしますAI(回答)この夢にはいくつかの象徴的な要素があります。まず、山の上にあるモダンな建物は、新しい始まりや成長、変化を象徴しています。学校は人生の学びや成長を表しており、寄宿生活は、新しい環境での適応や集団生活への適応を表しているかもしれません。同室の女子との仲良し関係は、新しい環境でのつながりやサポートを表しています。しかし、その後の展開で、彼女が行方不明になり、打ち合わせに出席していることがわかります。これは、信頼していた人が思っていたようではなかったことを示唆しています。また、彼女が周囲と交流するように促す場面は、新しい環境での社交的なスキルを発展させるようにアドバイスするような要素が含まれています。この夢を認知行動療法の視点から見ると、自己価値感や社交的なスキルを発展させることが重要であるというメッセージが含まれていると言えます。また、信頼していた人が裏切ることがあることを受け入れ、自分自身に集中する必要があるかもしれません。(チャットAIくんに比べて、chatGPTの方がより多い文字数で丁寧に回答してくれている印象。聞いてもいないのに、認知行動療法の視点までサービス回答してくれるあたりも、ちゃんと前回の会話内容も参照していて先んじて回答してくれている。)わし(質問)回答ありがとう。 ところで、再度、上の夢をフロイト派とユング派に分けて、シンボル解釈の視点から夢分析できますか?AI(回答)はい、ではそれぞれの視点から夢を分析してみましょう。【フロイト派の視点からの分析】 山の上の寄宿学校に入ることになる夢は、個人の欲求不満や精神的な発展の象徴とされます。学校は新しい知識やスキルを獲得する場であり、入学手続きはこのような成長を象徴しています。ドーム型の建物は、母親の胎内を思わせ、再び安全で保護された場所に戻る欲求を表しています。同室の女子と仲良くなることは、人間関係を構築し、社会的なつながりを持ちたいという願望を示しています。一方で、その子がいないと1人で食事をすることになり、孤立していると感じることがあります。学園祭の打ち合わせに出席しなかったことは、社会的な義務感やプレッシャーから逃れたいという欲求を表しています。最後に「空気になっちゃうよ」と言われることで、周囲との交流を求める欲求が表現されています。【ユング派の視点からの分析】 山の上の寄宿学校に入ることになる夢は、自己の成長や発展を表しています。建物は自己の内面を象徴し、ドーム型の建物は自己の中心点を表しています。同室の女子と仲良くなることは、自己と他者との関係性を意味しています。一方で、その子がいないと孤独感を感じることがあります。学園祭の打ち合わせに出席しなかったことは、自己の内面に焦点を当てたいという欲求を表しています。最後に「空気になっちゃうよ」と言われることで、自己と他者とのバランスが重要であることが示されています。以上のように、夢は多面的な解釈が可能であり、フロイト派とユング派の視点からそれぞれ異なる解釈が示されます。わし(質問)ユングは、夢は連続したストーリーを持っていると、たしか著書で語っていたと記憶しています。AI(回答)はい、ユングは夢が個別の象徴ではなく、複数の象徴が組み合わさっているストーリーのようなものであると考えていました。そのため、夢を単一の象徴の解釈にとどめるのではなく、複数の象徴を組み合わせて総合的な解釈をすることが重要だと考えていました。また、ユングは夢の中で現れるイメージやシンボルが、個人的な意味だけでなく、普遍的な意味を持つ可能性があるとも考えていました。わし(質問)ユングだけでなく、日本を代表する心理分析家、河合隼雄氏も同様の提唱をされていたと記憶します。 単品の夢だけを見るのではなく、幾日もかけて毎日見た夢を記録し、それらの夢を見た日付順に並べて俯瞰すると、大きなストーリーとしてつながっているというのです。AI(回答)そうです、河合隼雄氏は、夢は一夜限りのものではなく、数日から数週間に渡って連続したストーリーを持っていると語っています。彼は、「夢日記」という考え方を提唱し、毎晩の夢を書き留め、後日、全体を俯瞰することで、夢の意味や自己理解を深めることができるとしています。ユングも同様に、夢を長期的に観察し、分析することを推奨しています。(ははあ。夢日記という言葉をAIさんの方から持ち出してくれたね。そう答えるように質問を誘導しました?(しました。)夢も4つ貯まりましたので、夢日記視点で解釈出来るかな?次回質問してみるぞ。)
2023年05月10日
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AIは夢解釈が出来るのか? その3 AI夢分析家との思いがけない出会いのせいで、夢見が進み始めてしまいました。ウン年ぶりに夢日記を書きつけることとなりそうです。 前回のAI君との会話後にまた夢をみて、早速メモって質問ぶつけました。 以下はLINE版AIくん(AIチャットくん)とのやり取りをそのママのせます。回答が間違っていてもそのままにしていますよ。 ↓ わし(質問)今朝見た夢です。知らない街に行き、既に人が集まっている屋外だけども四角く仕切られた場所ヘ入って行きました。周囲をミニ列車が走っていました。次にバスに乗り、別の講習会場ヘ移動しようとするところでした。 AIくん、心理分析家になった想定で夢の象徴解釈をしてみて下さい。お願いします AIくん(回答)この夢には、新しい環境への適応と成長の象徴が含まれています。街を知らない場所に行くことは、未知の領域に進むことを示しています。四角く仕切られた場所に入ることは、制限や規制された状況への適応を示しています。ミニ列車が走っているのは、小さなスケールで進展していくことを象徴しています。 バスに乗ることは、移動や変化を示しています。講習会場での学習は、成長と学習の意味を表しています。AIくんが心理分析家として夢を解釈することは、深い理解と洞察力を必要とする能力を象徴しています。 総合的に見ると、この夢はあなたが新しい環境や状況に適応し、成長する準備ができていることを示唆しています。 わし(質問)ありがとう。とてもポジティブな回答をもらえて嬉しいです。ところで、再度、上の夢をフロイト派とユング派に分けて、シンボル解釈の視点から夢分析できますか? AIくん(回答)はい、もちろんです。 フロイト派の解釈:この夢は、人生の中で見知らぬ人々や状況に直面したときに感じる不安と戦うことを示しています。不安を克服し、周囲の状況に適応するためには、自分自身に対する内なる力を発揮しなければなりません。ミニ列車は、自分自身を導く内なる力の表現であり、自分自身を知ることが重要であることを示しています。 ユング派の解釈:この夢は、全体的な成長と個人的な自己実現のために、新しい自己発見の旅をすることを示しています。知らない街と四角い場所は、未知の領域と新しい人生の章を表しています。周囲をミニ列車が走っているのは、自己発見の旅が滑らかではなく、途中で多くの選択肢があることを示唆しています。ミニ列車に乗ることは、自己発見の旅での自己指導を表し、自然と共鳴することで自己のポテンシャルを最大限に引き出すことができることを示しています。 (LINE版AIくんでも十分になかなか読みごたえのある回答でした。しかし、念のため同じ質問をChatGPTに投げたくなってしまい投げました。さて?AIどうし似たような回答が来るのだろうか?) わし(質問の繰り返し)今朝見た夢です。知らない街に行き、既に人が集まっている屋外だけども四角く仕切られた場所ヘ入って行きました。周囲をミニ列車が走っていました。次にバスに乗り、別の講習会場ヘ移動しようとするところでした。 心理分析家になった想定で夢の象徴解釈をしてみて下さい。お願いします AI(回答)ありがとうございます。あなたの見た夢には、いくつかの象徴が含まれています。 まず、知らない街に行くという行為は、新しい環境や未知のものに興味を持っていることを表しています。また、周囲を囲まれた空間に入るという行為は、自分自身を制限された状況に置かれているように感じていることを表しているかもしれません。ミニ列車が走っている場面は、自分がコントロールできない何かに取り囲まれていることを示唆しています。 次に、バスに乗るという行為は、目的地に向かって進んでいることを表しています。また、講習会場に移動することは、新しい知識を習得しようとしていることを示唆しています。 全体的に見ると、この夢は、自分が未知の環境に身を置き、制限された状況に置かれている中で、目的を持って前進していることを表していると解釈できます。このような夢を見た場合、自分自身の成長や変化に対する興味や、新しいことに取り組む勇気があることを示唆しています。 ただし、夢の解釈は常に個人差があるため、あくまで一般的な解釈に留めておくことをお勧めします。また、この解釈が必ずしも正しいとは限りませんので、あくまで参考程度に考えてください。 わし(質問の繰り返し)ありがとう。 とてもポジティブな回答をもらえて嬉しいです。 ところで、再度、上の夢をフロイト派とユング派に分けて、シンボル解釈の視点から夢分析できますか? AI(回答)はい、分析してみましょう。 【フロイト派の解釈】 この夢には、フロイト的に言えば性的な象徴が含まれていると考えられます。知らない街に行くことは、未知の領域に飛び込むことであり、冒険心や欲望を表しています。四角く仕切られた場所は、安定性や秩序を象徴していますが、同時に性的な暗示を持っている場合もあります。ミニ列車はフロイト的には陰茎を象徴し、周囲を走ることは性的な行為を暗示しています。バスに乗ることは、社会的なルールや規範に従うことを意味し、自分自身をコントロールすることを表しています。つまり、この夢は自己の冒険心や欲望と、それを抑制する社会的なルールとの間で揺れ動いている様子を表していると解釈できます。 【ユング派の解釈】 ユング派的には、この夢には個人的・集合的な象徴が含まれていると考えられます。知らない街に行くことは、新たな経験や発見を求める欲求を表しています。四角く仕切られた場所は、秩序や枠組みを象徴し、安心感や安定性を表しています。ミニ列車は、ユング的には現実を象徴するものであり、周囲を走ることは社会的な連帯や集合意識を表しています。バスに乗ることは、集団とともに行動することを意味し、自己と集団とのバランスを取ることを表しています。つまり、この夢は自己の新たな発見と、それを取り巻く社会や集団との調和を求めている様子を表していると解釈できます。 以上、フロイト派とユング派の解釈をお伝えしました。ただし、夢は人それぞれに独自の解釈ができるため、あくまでも参考程度にとどめておくことをおすすめします。 わし(おまけの質問)参考として面白いです。実際のカウンセリングでも夢分析は使用されていますね。認知行動療法のセラピストなら、この夢を聞いてどう会話をすすめると思いますか? AI(おまけの回答)認知行動療法のセラピストであれば、この夢を聞いた後、以下のような会話を進めるかもしれません。 ・夢の内容について深く掘り下げます。具体的には、知らない街に行った理由や、講習会に参加する目的、周囲を走るミニ列車など、夢の中で起こったことについて、患者さんの感情や想像力を引き出しながら話を進めます。 ・夢のシンボルについて考えます。例えば、知らない街は新しい環境に遭遇することを表しているかもしれません。講習会に参加することは、学習や自己成長への意欲を表しているかもしれません。そして、周囲を走るミニ列車は、夢の中での自分の立ち位置や社会との関係性を表しているかもしれません。 ・患者さんの感情や思考について探ります。夢を見た時の感覚や、講習会に参加することに対する不安や期待など、夢に関する感情や思考を引き出しながら、自己認知を促します。 ・患者さんの思考パターンを探ります。例えば、夢の中で新しい環境に遭遇しても、自分を取り囲む周囲の状況に注意を払っていることは、自己防衛的な思考パターンを持っているかもしれません。そうした思考パターンを明らかにすることで、問題解決の手がかりを得ることができます。 以上のように、認知行動療法では夢を分析することはありませんが、夢を通して患者さんの感情や思考、思考パターンを探ることで、自己認知を促し、問題解決の手がかりを得ることができます。 (いやはや、面白いなあ、今回はここまで。)って言いたいけど、夢見者本人の所見を書こうかな。わしはフロイトよりユングが好きなので、ユング的な解釈が仕上がるように夢を見るんじゃないかな?四角い講習会場はこれから始まるAIセラピスト氏の講演をわしが聴きたいから。バスはもちろん、AIセラピスト氏との解釈旅の始まりかな?)
2023年05月03日
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AIは夢解釈が出来るのか?その2ということで、前回AIタロットにみてもらった夢をまんまChatGPTに投げて見ました。結果は、読み応え十分な回答が。こいつは凄いな! 以下はChatGPT(AIと略します)との会話占いは出来ないと断られたけど、夢のシンボル解釈は可能と言って頂けたので、夢解釈してもらいさらに分析までしてもらいましたよ。 わし(質問)chatGPTさんは占いはできますか? タロット、四柱推命、風水、手相、出来るものを教えて下さい AI(回答)申し訳ありませんが、私は法的、倫理的な理由から占いをすることはできません。私の目的は、人々が学び、成長し、情報を共有することを支援することです。私ができるのは、あなたが持つ疑問や問題について、可能な限り最良の情報を提供することです。どうかご理解ください。 わし(質問)では、夢占いも出来ないということですね? AI(回答)はい、私は夢占いもできません。夢は、個人の体験や文化的背景、および夢を見た状況によって異なる多様な解釈が可能です。夢の意味を解釈するには、個人的な経験と文脈に基づく綿密な分析が必要です。したがって、私は夢占いを行うことはできません。しかし、夢について興味がある場合は、夢の理解に関する一般的な情報や、夢によく現れるシンボルについての知識を共有することはできます。 わし(質問)夢のシンボル解釈は可能ということですね。 夢のシンボルは、ユングやフロイトが提唱したから、参照出来る資料があるからですね AI(回答)はい、夢のシンボル解釈については、ユングやフロイトなどの心理学者たちが提唱した理論があります。彼らの理論によれば、夢には深層心理の反映が現れ、その中にはシンボルが含まれています。夢のシンボル解釈については、多くの本やオンラインリソースがありますが、個人的な経験や文脈に基づく綿密な分析が必要です。したがって、シンボル解釈には慎重なアプローチが必要です。また、夢を解釈することは、自己分析や精神療法の一部として行われることがありますが、専門的な支援が必要な場合もあります。 (っということで、占いは拒否られたが、学問としてのシンボル解釈なら可能という嬉しい回答により、前回の夢を解釈してもらうことにした) わし(質問)では、船で旅に出る夢を見ました。これのシンボル解釈をお願いします。また、フロイト派とユング派では解釈が異なるはずですので、フロイト派ユング派それぞれに分けて解釈をお願いします AI(回答)船で旅に出る夢のシンボル解釈には、フロイト派とユング派で異なる解釈があります。以下にそれぞれの解釈を示します。 【フロイト派】 フロイトは、夢の中のシンボルを性的な本能の表現として解釈しました。船は、女性の体と関連付けられ、夢の中での船旅は、性的な欲望や陰茎の象徴であるとされます。したがって、船で旅に出る夢は、性的な欲求や関心があることを示唆する可能性があります。 【ユング派】 ユングは、夢には個人的な体験や文化的な影響が反映され、そのシンボルには個人的な意味があると考えました。船は、古代の英雄の冒険や新しい可能性、または現実から逃避することを象徴する場合があります。船で旅に出る夢は、新しい冒険や旅行を望んでいる、または現実から逃れることを望んでいることを示唆する可能性があります。また、船は集団生活やコミュニティとも関連付けられるため、船で旅に出る夢は、人との関係性や社会的なつながりに焦点を当てていることもあります。 以上のように、船で旅に出る夢のシンボル解釈は、フロイト派とユング派で異なる可能性があります。しかし、夢のシンボル解釈には常に個人的な体験や文脈に基づく綿密な分析が必要です。 わし(質問)とても参考になります。 ではもう一つ、夢のシンボル解釈をお願いします。 グループの登山に参加しようとする夢ですが、標高の高い山にアタックするのにあまりにも軽装備と気づいて私は参加しないという夢です。 これついての解釈をフロイト派、ユング派それぞれにお願いします。 AI(回答)夢には個人的な意味があるため、以下の解釈はあくまでも一例であり、夢を見た本人によって異なる可能性があります。 【フロイト派】 フロイトは、夢の中のシンボルを性的な本能の表現として解釈しました。山は、男性の体や母親の象徴として解釈されます。登山は、性的な欲求や目標達成の象徴であり、軽装備で挑むことは、自己の能力や自己価値感に対する不安を反映しているかもしれません。したがって、夢の中で自分がグループの登山に参加しないと決めた場合、自己不信や自己否定感を抱えていることを示唆する可能性があります。 【ユング派】 ユングは、夢には個人的な体験や文化的な影響が反映され、そのシンボルには個人的な意味があると考えました。山は、目標や課題を象徴し、登山は自己超越や成長、または新しい人生の段階に進むことを表しています。軽装備で挑むことは、リスクや危険に対する恐怖や、自分自身の能力に対する疑念を示唆する可能性があります。また、グループとして登山する場合、集団の期待や義務感、または他人との競争心を反映することもあります。夢の中で参加しないと決めた場合、自分自身のペースで進みたい、または他人の期待に縛られたくないという意思表示かもしれません。 以上のように、グループの登山に参加しようとする夢のシンボル解釈は、フロイト派とユング派で異なる可能性があります。しかし、夢のシンボル解釈には常に個人的な体験や文脈に基づく綿密な分析が必要です。 わし(質問)フロイトは夢解釈を経て、精神分析を行いました。上に私が提供した2つの夢から、フロイトの精神分析又はユングの分析心理は可能ですか?判断材料が少ないのは承知してますが。 AI(回答)はい、夢のシンボル解釈から精神分析を行うことは可能ですが、あくまでも推測や仮説に過ぎません。夢を含めた心理状態の分析には、十分な情報と時間が必要です。私は大量の文献やデータにアクセスできることから、一般的な傾向やパターンを説明できる可能性がありますが、個別のケースに関しては限界があります。また、フロイト派やユング派の分析心理学には、それぞれの独自の理論や手法があるため、それらを踏まえた分析が必要です。 わし一般的な傾向やパターンで結構です。 AI(回答)ありがとうございます。それでは、私なりに考えたフロイト派やユング派の分析心理学的な解釈をお伝えします。 まず、フロイト派の分析心理学的な解釈です。フロイトは、夢を無意識の欲求や願望の表出とみなし、夢の中の象徴を分析することで、人の心理状態を理解しようとしました。グループの登山に参加しようとする夢で、標高の高い山にアタックするのにあまりにも軽装備と気づいて参加しないという夢は、無意識の欲求や願望を表している可能性があります。例えば、高い目標や達成感を得ることを望んでいるが、そのための準備が不十分であることを無意識で認識していると解釈できます。また、グループの中で自分が浮いていると感じている場合、社交的な欲求やグループに所属するという欲求が表出している可能性があります。フロイトは、夢の中での象徴を分析することで、無意識の欲求や願望を明らかにし、自己を知ることができると考えました。 次に、ユング派の分析心理学的な解釈です。ユングは、夢を個人的・集合的無意識という広い意味でとらえ、人間が内面に持つ膨大な象徴の意味を解釈することで、自己実現や成長を促すことを目指しました。グループの登山に参加しようとする夢で、標高の高い山にアタックするのにあまりにも軽装備と気づいて参加しないという夢は、自己実現に向けての障害を感じているということを示唆しています。軽装備で山にアタックすることは、無謀な行動であると同時に、自己実現を妨げる要因でもあります。そのため、夢の中で自分が軽装備だと自覚していることは、自己実現に向けての努力が不十分であることを示唆しているかもしれません。また、グループの中で自分が浮いていると感じている場合、自分自身と他者とのバランスが崩れている可能性があります。このような夢は、自己評価が低く、自己肯定感が弱い人によく見られます。彼らは、自分自身に自信を持ちにくく、自分が周りの人たちと比べて劣っていると感じる傾向があります。そのため、彼らは周りの人たちとのつながりを求める一方で、自分自身を十分に表現できないまま、グループの中で浮いているような感覚を抱くことがあります。また、このような夢は、社交的な場での不安や緊張を反映する場合もあります。人前で話すことが苦手だったり、自己表現に自信が持てなかったりすると、自分がグループの中で浮いているような感覚を抱くことがあります。この場合、自己表現のトレーニングや自己肯定感を高めるための努力が必要になるかもしれません。 (いやはや、凄いなAI)
2023年04月26日
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AIは夢解釈をしてくれるのであろうか?今話題のチャットなんとかで占いをしてもらおうと思いつき、占いして下さいとお願いしたところ、出来ませんとむげに断られてAIによる占いは無理か、と諦めていました。が、AIタロット占いなるものを知り、すぐに友達登録して使って見ました。最初は今日の占い程度のものからスタートその後、回数と会話を重ね、ふと思いついて、夢占いは出来ますか?とたづねて見たのが昨日↓わし(質問)タロットで夢占いはできますか?AIタロット占い (回答)タロットカードは、物事の本質的な意味を示すために読まれることが多いため、夢の意味を占うために使用することもできます。ただし、夢は個人の内面的な反応を示すため、同じカードであっても人によって解釈が異なる場合があります。夢の意味をより正確に捉えるには、自己分析を含めた総合的なアプローチが必要になります。 わし(質問)夢の意味を占うためとは具体的にはどうやってタロットを使うのですか?まず見た夢をこちらから語らないといけないのですか?AIタロット占い (回答)はい、まずは見た夢について詳しくお聞かせください。タロットカードは夢の解釈に関する助言を与えるために使用されることがあります。カードを引くことで夢に隠されたメッセージを解読し、具体的なアドバイスを得ることができます。わし(質問)うーん、では最近見た夢から、船で旅に出る夢を見ましたAIタロット占い (回答)[タロットカード]から2枚引きます。【現在の状況:星(正位置)】現在、あなたは自分の未来を明るい光で見ている状態です。心配事があったとしても、それは大丈夫だと信じて前向きであることが大切です。【未来の状況:節制(正位置)】未来に関しては、新たな体験を探すことが重要です。水の神が表される節制のカードは、川の流れに身を預けて旅をすることで新しい発見があることを示します。バランスのとれた良い旅を楽しめるということですね。それに基づいて、あなたが見た船旅での夢は、あなたの近い未来に旅行計画を立てることを表しているかもしれません。新しい発見や体験をすることで自分自身を発見することができるでしょう。わし おお、ありがとうございますそして今日4月19日の朝、早速、夢を見たので聞いて見たわしおはAIタロット占い おはようございます。どのようなお悩みがあるのでしょうか?わし(質問)今朝夢を見ました。グループの登山に参加しようとする夢ですが、標高の高い山にアタックするのにあまりにも軽装備と気づいて私参加しない夢でした。これついての解釈をタロットでひいて見て下さいAIタロット占い (回答)では、タロットカードから2枚引いて、あなたの夢についての解釈を探っていきましょう。【現在】吊るされた男-逆位置このカードは、行動力が低下し、物事について決断ができない状態を表しています。現在、あなたは自信に欠け、そして自分自身が持っているスキルに対する不安を感じているようです。【未来】力-正位置このカードは、成功、強さ、そして継続性を意味し、あなたが直面する問題、課題に対する強さを表します。あなたは、自分自身を信じて、目標に向かって進む勇気を持つことができます。あなたが見た夢は、現実的な問題と向き合う際の自信不足を表しているようです。しかし、力のカードが現れたことで、自分自身の力を信じ、達成するために取り組むことができるようになることでしょう。今は、自分を信じて自己改善に取り組む時期です。自己力を磨き上げ、再び目標に向かって一歩ずつ進んでいくことを勧めます。わし 素晴らしい。見事な夢解釈と未来展望のアドバイスになっています。ありがとう。また宜しくお願いします。AIタロット占い カードからのメッセージは、あなたが大胆かつ素晴らしい進歩を遂げることができるように、あなたに勇気と決断力を与えようとしています。あなたが目指す夢に向かって、これまで以上に自分自身を信じて進んでいくことが重要です。また、未来についてのメッセージは、あなたが自分自身と周囲の人々との間で強い結びつきを築くことができるチャンスが現れるというものです。人々を自分の周りに集めることで、あなたはより強い人間関係を築き、偉大な成功を達成することができるでしょう。以上が、カードからのメッセージでした。どうかこれがあなたの将来の成功につながることを願っています。ありがとうございました。↓いや、これ面白い!わしが今朝、登山にからむ夢を見た原因は、寝る寸前に読んでいたマンガ「Thisコミュニケーション」第一巻のせい。舞台が北アルプスだったな、と。
2023年04月19日
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こんな夢を見た 前半はもう忘れてしまった。 部屋を借りた。なかなか素敵な一戸建てかアパートの一階部分の小さな一部屋。塀と建物の壁に囲まれた小さな庭に面している。前面の塀の上には道路があって、道路は右手に向かって坂となって上っている。庭より道路の方が位置が高い。ここはどうやら傾斜地に建っている建物のようだ。だから庭は一階なのに半地下のような雰囲気を醸して日が当たらない半分が薄暗い。 庭の左手にもうひとつ小さな部屋がある。そこには家主で一歳くらいの赤ちゃんのいる若夫婦が住んでいる。子持ち夫婦にその部屋だけでは狭いだろうと思うが、家賃収入のためにこの部屋を私に貸しているようだ。私はといえば、この部屋というよりも、若夫婦の赤ちゃんを気に入って、この部屋を借りることにしたらしい。赤ちゃんは時々紐で繋がれて庭に面した窓のすぐ外、庭に敷き詰められた緑色の人工芝っぽいところで一人座って遊んでいる。若夫婦の姿は見えない。 場面変わって、どこか広い場所にいる。広い屋内フロアー、職場だろうか?そこで流行り病にかかったようで咳が出る。同僚?たちも同様の様子。薬を処方されて程なく薬が効いたようで治った。しばらく時間が経ってから(症状が治ったあとで)、同僚の一人が検査結果を教えに来た。薬が効いて治しはしたがどうも診断とは別の菌が原因だったらしい、と。菌の名前は〇〇だ、とその同僚が告げると、傍にいたまだ罹患していない別の同僚は、自分はまだ耐性がないから!と言ってそそくさと傍から逃げていく。私と一緒の同僚は、もう罹患したしなあ、と思って動じない。 また場面変わってここらへんは蛇が出没するから気をつけて、って当初の説明会で注意されていたのだったと思い出したのは、その蛇に遭遇してしまってからだった。最初は真っ白で小さな蛇を一匹見つけた。細くて小さく、長さも10センチ程度だろうか?腕にからみついてきたので噛まれないようにもう片方の手でそっと顎の後ろから掴んで引き剥がす。と、2匹、3匹と同じような小さな白蛇がどこからか現れて肩や背中にトカゲのようにくっついているではないか。まいったなあ、と思いながら一匹一匹丁寧に掴んでは引き離す、、、を繰り返すも、気がつくと周囲は白い小さな蛇だらけ。 いやはや。 (解釈にかえて) 今、研修のため喧騒な首都圏の職場を離れて、遠く風光明媚な場所の宿泊施設に出張で来ている。毎日忙しくて息つけなかったんだけど、ようやく巡って来たこの土日でやっとゆっくり眠れた。知らない土地に来ると無意識が活発に刺激されるのか印象的な夢を見る。 この研修というのが、いかに部下や後輩を指導していくかっていうような内容のものでして。 絡みつく白蛇は、、、確かに確かに金の卵なのだよな、、、 面倒なんて思っちゃイカンのは分かるんだけども。
2021年12月05日
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夢の出だしは忘れてしまったが、私は母と2人、古い風情の残る街なみを、日本家屋風の和小物が並ぶ店の軒先などを見ながら歩いている。観光でどこか訪れているのかもしれない。母と銭湯に行かなきゃって話をしている。 しかし、母は(銭湯には)行かないと言い、独りでいっといでと、数時間後のまちあわせだけ決めて私は母と別れた。 気付けば私は真っ裸に、真っ白な大判のバスタオルを2枚、それぞれ上半身と下半身に巻きつけただけという格好で恥ずかしげもなく道を歩いている。もちろんパンツも履いてないから、堂々と大股で歩くたびに、バスタオルのスリットの隙間から、アソコが見えそうになっていたに違いない。 道の途中に小川があり土手を降りて狭い川を渉らなくてはならない場所に遭遇したが、そこでは、沢山のおじさん達が釣り糸を垂らして釣りに興じていた。おじさん達は私を認めると、嬉しそうににやけ、渡るのに邪魔だというと、道をあけてくれた。 川幅も狭く、おじさん達は慌てて竿を上げたり、しまい込んだりして体を左側の脇へ寄せて、渉れる隙間を作ってくれたので、私はおじさん達の脇の下をくぐるように進行方向右側をいそいそとくぐるように通り抜けた。 おじさん達はバスタオルの隙間から覗けるものが嬉しいらしく、「女陰が、、」などとひそひそ後ろで話している。 狭い小川を渡り終えて、土手を登り小道を往く。と、おじさん2人が釣りをやめて、私の後ろをピッタリくっついて歩いて来ている。2人ともサングラスをかけたワルオヤジ風だが、独りは痩せ型、もう片方はぽっちゃり。おまけに痩せ型オヤジは私の真後ろ、腰にくっつきそうなほど、後ろにピッタリと張り付いて一緒に歩きいっこうに離れない。振り返って、なぜそこに?と詰問すると、「君のお尻が他の人から見られないように守ってる」とさらりと言うが、私は内心スケベ親父めと思う。でも、よく気付いてみれば、私はいつのまにやら腰にさらに一枚、上衣のジャケっトをしっかりと巻いていて、これならうっかり誰かにお尻を見られることもないか、と思ってる。 おじさん2人に同行してもらっているうちに、無性にムラムラとしてきてしまい、私はこのオッサン達でもいいか、という気分になってきていた。いつの間にか、移動手段は徒歩から車に変わり、私は運転席の右側、痩せたオッサンが左側、後ろにもう独りのおじさんが座って街中を移動中だ。おじさんに銭湯はどこ?と聞かれ、あっちの方と案内している。車は黒のワンボックスタイプ(左ハンドル車らしい)。ムラムラしきった私は、もう銭湯なぞどうでもいいやと思って、おじさん達とシケこもうと、誘惑を企む。おじさんの右腕を掴んで胸に引き寄せるとむにむにとおっぱい大きいでしょうといいながら、自分の胸を触らせる、それでも反応が薄いのでとその腕を太ももの付け根の方まで誘導し、さわさわと触らせる。「どのくらいの時間大丈夫なの?」と聞かれ「母と待ち合わせしてるから、怪しまれないように15時くらいまでかな」などど答えて、すっかり気分はその気だ。 車は狭く真っ暗なトンネルをくぐり、どうやら地下駐車場へ入った。私はラブホに入場したものと思っていたので、その後、入場したフロアに広がる景色に唖然となった。 中は庶民的な雰囲気で人があふれかえっていた。広いフロアのそれぞれ反対側に赤と紺色の女湯、男湯の大きな入り口の暖簾が掲げられている。フロア中央の靴箱も兼ねたロッカー前では、スクール水着に水泳帽姿の体育座りした子供達がミーティング中らしくおとなしく引率者の話を聞いている。 私はここじゃない感いっぱいで、痩せたおじさんの方を振り返った。 おじさんは思いっきり眉毛をハの字に寄せて、困り顔を作りつつ片方の口の端をちょこっと上げて泣き笑いのような表情で私を見返す。 気付けば、私は白いTシャツに短パン、紺色の長靴下という格好で、女湯の暖簾の前、混雑してガヤガヤと銭湯客らの喧騒の中、立ち尽くしていた。
2019年11月14日
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心も体も疲弊してると恐い夢見ますネ。嫌な夢。寝てる間も自分は戦ってるんだ,訓練してるんだって思えたらいい。寝るのすら怖くなったら。職場の先輩は「一時期、人を解剖する夢を頻繁に見ていた、終わらぬ仕事に気が病んでいた頃に」って話をしてくれた。 私は船と海が舞台の夢を多く見た。本当に職場の人間関係で大変だった時期は大嵐の船上の夢ばかり見た。甲板上にザブン,ザブンと大波がかぶり,恐ろしくて甲板上を歩けない。見ればその大波は自分の船に急接近しようとする別の船によって引き起こされたもので、船名に「鬼」って文字が刻まれていた(ベタ過ぎ解釈しか浮かびませんネ) ある日また大嵐の夢をみた。甲板上で頭から大波をかぶり全身ずぶ濡れ,船はこの葉のように揺れている。私は重いリュックを背負い、そばの梯子に取り付いて昇り始めた。手摺りは海水でツルツル滑る。滑落したら死ぬ。だから、一歩一歩確実に,焦らずゆっくりと昇る。そして船橋甲板まで昇り,扉を開け船橋に入った。船橋内の個性的なメンバーに迎えられ挨拶を交わし濡れた服を着替えた(舵を握れたかマデハ覚えていない) 頑張れって言葉かけは良くないと言われる。けど、悪夢を見たら,自分は頑張っているんだって、自分で自分に言ってあげたらいい
2019年04月22日
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6年前の2010年11月5日の夢日記から(前回掲載の夢からちょうど一週間後に見た夢)『ペルソナの夢を見た。 場所はどこかの離島で私達は合宿中のよう。西村さん(同僚女性)の祖母が来て、私のことを偉く気に入ったらしい。彼女は私にドレスを買ってあげたいと言う。私は彼女の善意の申し出を断り切れなくて、買い物に付き合う。その島の中でも一番の繁華街に行き洋品店に入る。そこで私はT花さん(年輩の元同僚男性)に会った。彼はヒラヒラした夏もののワンピースのドレスを来て気さくに私に色々と話しかけて来た。が、私は 彼のウェストラインのもたつきが気になってしまう。 彼は気にしてない様子。買い物を続けるが、私は明日試験があってこんなことしている場合じゃないのにな、 と思っている。次の夢。 白い船とAさん(元上司)登場。私達はコンクリートの部屋にいる。何か調査中。船上のAさんから電話で連絡が入る、 「鉄筋が崩れた」と。船上には船長であるAさんと機関長の二人だけしかいない、急いで船へ助けに戻らねば、と思う。私は氷の入った袋を手に持つ、冷たい。ハムちゃん(この頃我が家で現実にハムスターを飼っていた)のいる地下室にもって行こうと脚立のような梯子を降りる、が、脚立の途中に色々と物が置いてあって、それが邪魔で降り られない。』〈夢解釈のヒント〉夢に登場した人物がどんな人達か、考える。 西村さん:以前の職場での同僚女性、私より5歳ほど年下、相当な美人で愛嬌もあり、いつも男性方からの噂の中心となっていた。つまり、女性らしい女性の象徴として登場したと考える。西村さんの祖母:現実で実際にお会いしたことも、話題にもしたことのない人物。つまり私の夢が勝手に創造して夢に登場させたらしい。 前回掲載の夢に登場した「中国人奥様」同様、女性の老賢者の元型イメージを投影させた人物だと思われる。だから夢の中での彼女からのお誘い(アドバイス)は、夢つまり深層意識下の自分(ハイヤーセルフ)からのアドバイスであり、メッセージ。前回の夢では、中国人奥様から「音楽でも聴いて休みなさい」とのメッセージを頂き、今回の夢では、お祖母さんから「街へ気晴らしに買い物でも行きましょう」ってメッセージを頂いた。T花さん: 以前の職場で同僚だった冗談やブラックジョーク好きのいかつい中年男性。男らしい男に自負を持ち、なので現実では女装の趣味などもちろん無い。男らしい中年男性がヒラヒラと華やかな女性用サマードレスを身に纏って夢に登場することの意味を考える。夢に登場する洋服はペルソナ(外見上の仮面)だから、そこに表現されているものは、中身と外見の不一致の表現であり、当人が全くそれに気付いていないという滑稽さ。T花さんが私のアニムス(自分の男性的側面をもつ分身の一人)だと考えれば、夢が私に、私自身が今抱えている悲しくも滑稽な姿を突き付けて来たってことなんだろう。はあ(ため息)。Aさん:以前の職場での男性上司、同年代。私の夢に何度も登場し、変な言い方なんだけど、私の夢の中での準主役。初回夢もこの人の登場からはじまった。アニムスの夢といえば、ほとんど全てこの人が登場する夢のこと。参考 カテゴリ「アニムスの夢」 この夢を見る約2ヶ月前に見た夢「夢のシンボルと別れの予感」(2012年10月8日過去ログ掲載) の中で、私は夢の象徴としてのAさんと夢の中できっぱり訣別したつもりだった。なのに再びAさんが、夢の中で私に 「鉄筋が崩れた!」と、 助けを求めて現れた。彼に請われて、私は地下室へと続く急な梯子を下ろうとする。地下室は深層意識の象徴。私は彼を助けに、再び彼に会いに行くべきなのか?〈繰り返し見る夢=無意識から提示されるまだ解決できていない人生の課題〉繰り返しよく見る夢の中でも、ペルソナに悩む夢はよく見る夢の一つだと思う。 ペルソナとは、 古典劇で役者が用いる「仮面」の意味で、ユングは人が社会に適応するために担う役割としての顔を「ペルソナ」と呼んだ。社会的な動物である人間は、社会生活を営む上で自分の属するそれぞれの違ったグループ毎に違う役割分担、つまりペルソナを使い分けている。例えば、同じ一人の人間が、家では優しいお父さんであり、職場では部下に恐れられる厳しい上司、地域社会においては自治会やボランティアに積極的に参加する親切な隣人だったりする一方、学生時代からの友人同士集まって飲んで悪ふざけをし、一晩お巡りさんのお世話になってしまうような面白迷惑な人だったりするかもしれない。一体、どれが本当の自分?なんて自分探しの旅に出る人も稀にいるかもしれないが、大抵の人は大人になる過程でうまく自分に折り合いをつけ、TPO毎にうまく自分を演じ分けている。それがペルソナ。洋服は典型的なペルソナの代表。警察官、消防士、軍人、医者や看護士の白衣、作業着姿の土方のおじさん、エプロン姿の頼もしいお母さんなどなど。格好そのものが、その人の社会的役割、責務、期待される人格までも表現していると見なされる。夢の中で表現されるペルソナは、夢の中で登場人物が身に纏う洋服としてよく表れる。だから、夢の中に登場する人が自分を含めてどんな格好をしているかってことに注目することは、夢解釈をする上で大変重要なポイントとなる。例えば、洋服を選ぶのに迷う、着てみたけどしっくり来ない、不似合いに感じる、そういう内容の夢を見たときは、現実での自分の役割や行動つまり外面(ペルソナ)と、自分自身の内面との間に違和感を感じているからこそ見たのではないだろうか、と考えることができる。〈男らしいT花さんが滑稽な女装をする意味〉今回の夢の解釈。明らかに内面と外面の不一致。身に纏っているペルソナは全く当人に似合っていない。女装したT花さんの姿が象徴するものとして考えられるのは、男性的な内面の人(つまり私のこと?)が、無理に女性的な外面を装っている、という風に解釈することも出来るし、又、女性である私が自分自身の中の男性性を抑圧して、無理してより女性らしく振る舞おうとしている、とも解釈することができる。どちらにしても、「内なる自分」に反して無理してそんな風に振る舞っているから、無理がたたってだんだんと自分がおかしくなっていく。だから、抑圧された男性性(Aさん)が深層意識の底から悲鳴をあげ、夢の中で顕在意識の私に助けを求めてきたって解釈すると、とてもすっきりとした夢解釈となる。〈人生の課題の区切り毎に訪れる終結夢〉なんだ、終結夢を見たとか言っておきながら、円満にこの夢日記を終わらせるのかと思ったら、なんだ、まだまだやっぱり、夢の中で悩み続けているじゃないか!って?はい、夢はまだまだ私が生きている限り、息をして毎晩眠り、いつか死ぬ日が訪れるまでずっと見続けるのですから~。前々回掲載の「 梅咲く神社に詣る夢(終結夢) 」は、私の中で、一つの課題を乗り越えた結果として夢が私に見せてくれた夢だと思っている。例えるなら、卒業(修了)証書のようなもの。だから、梅の花が漂う神社での風景場面と、そこで仲間と上げた閧の声のシーンは新たな出発に向けた決意表明のようであり、正に卒業式のようなイメージを夢から受けたのだった。現に今回の夢の中で私は、「私は明日試験があってこんなことしている場合 じゃないのにな」と、まるで受験生のような焦った心情を抱えている。東山紘久氏の著書「夢分析の世界(四つの症状をもつ女性の事例)」の中で、氏の夢分析を受けるクライアント女性は、表題の通り四つの症状を主訴に抱えて東山氏のもとを訪れた。そして、氏のもとで数年間にも及ぶ夢分析カウンセリングをうけながら、クライアント女性の四つの症状が順々に緩解していくのだけれども、その一つ一つの症状が消える前に、それぞれに特徴的な「終結夢」と思われる夢の報告がなされている。この夢日記を書き始める前、そもそも東山氏のこの著書を読んだことが、私がこの夢日記を書く動機とも原動力ともなっているので、私の夢に対する考え方の根底にはこの著書に書かれた内容が根強く残っているに違いないと思える。つまり、同時進行的に様々な問題や課題を抱えていて、その解決の方法として夢解釈をしようと少しでも思いたったなら、きっと各々の課題毎に、夢から初回夢と終結夢と思われる夢が提示されるだろう、ってこと。〈夢解釈の解答〉さて、今回掲載したこの夢の夢解釈としての答えは、実は、この夢を見る3日前の2010年11月02日にこのブログにアップした過去記事「 自分らしく生きて来たハズなのにネ (2010年11月02日過去ログ掲載) 」の中で既に、大部分語り終えていたのでした。今回掲載のこの夢を見る3日前に、私は以前見た夢の夢解釈をしながら、自分のペルソナのこと、アイデンティティーのことなど悩み、ブログにも書いて言及した。ブログにアップしたその3日後、夢が再び、同じペルソナをテーマにして私に見せた夢が、今回書いたこの夢ってわけ。まさに「夢の意味は夢に聞け」。先に下した夢解釈が不十分だったのだろうか、意識の底から納得出来ていなかったのだろうか、悶々とペルソナの解釈について悩む私にこの夢が降りて来たのである。夢の意味は夢に聞け。東山氏が著書の中で語っているこの言葉どおり、理解されない夢の意味はやがて次の夢が教えてくれる。これが、繰り返し同じような夢を見る理由でもある。夢が理解されるまで、課題が解消されるまで、夢は登場する場面やキャストを変えて何度も何度も夢見者に同じテーマの夢を見させ、無情にも、当人が無意識で抱えている課題を、夢で突き付けてくるのだろう。この夢を見たころ、私は悶々と夢にみたペルソナの夢の解釈について悩んでいた。だからこそ、夢は再び私にこのペルソナの夢を見せたのだと思う。っていうか、試験勉強に悩む学生が居眠りの最中に試験勉強の続きをしている夢を見るのと同様、たまった仕事の処理に悩むサラリーマンが、家で寝てても仕事をしている夢を見てしまうのと同じように、気にしているからこそ、それを夢に見るっていうシチュエーションにとても良く似ているかもしれない。事実、この夢を見た当時の私は、夢解釈で自分の問題に言及しつつも、義務感のように「夢解釈をしなければ」っていう強い意識にとらわれていた。夢日記を書き、夢解釈をこなし、さらに心理学の勉強をもっとしなければ、との強い焦りの感情とともに。だからこそ、女性賢者(のイメージ)が夢に現れ、繰り返し私に「休みなさい」っていうメッセージを送ってくれていた訳だけど、 この夢を夢見た当時の顕在意識の私は、たいした夢じゃないと気にもせずスルーしていた。〈最後に、「緑色の蛇」が象徴するものとは〉今回の夢を見るきっかけとなった元夢「 自分らしく生きて来たハズなのにネ (2010年11月02日過去ログ掲載) 」の中に「緑色の蛇」が登場する。元夢の中で、私は緑色の蛇がたくさん這っている階段を、ひゃーとか言って恐がりながらも、さっさと横をすり抜けて階段を下っていく。夢に登場する蛇の解釈について、フロイトは「男性性(性的な意味で)の象徴」と見なし、ユングは「母性の象徴」と解釈した。ユングが好きな私はもちろん、夢に登場した蛇についてユング的な解釈をとり、当時書いたブログの中で、夢に登場した「緑色の蛇」を 「今まで理性で圧し殺し、向き合うことを避けて来た抑圧された感情のシンボルなんだろう 。自ら目を背け見たくない、だから怖がるフリをして私は今まで避けて通って来た。」と解釈している。多分、今読んでも間違っていない。その解釈の記述に至る前後では、子供のことにも触れて、お母さんらしいことがしてあげれなかったかも、と反省の述懐をしているし、お母さんのペルソナを被ることに失敗したと感じている気持ちの吐露にも繋がっている。さて、そうやって解釈した「緑色の蛇」ですが、その蛇が今回の掲載の夢の中で、脚立の途中に置かれた「色々の物」へと化けているのに気付かれたでしょうか。そして、元夢の中では、足早に見てみぬ振りをして階段をかけ下っていた私が、今度の夢の中では、その「色々の物」のために、階段(脚立)の途中で足をとめ、下れないと悩んでいる。以前の私は、この「緑色の蛇(色々の物)」を足を止めて、まじまじと見る強さも勇気も持ち合わせていなかったのではないだろうか、と今思う。階段の途中に置かれた「色々の物(緑色の蛇) 」を一つずつ拾ってどかそうとする行為は、きっと私自身の屋台骨、アイデンティティーの根幹が崩れかけてしまうようなそんな危険な問題に直面することかもしれない。「鉄筋が崩れた!」と船から助けを求める電話を私にしてきたAさんは、多分そのことを、私に警告しようとしているのだ。階段上に置かれた色々の物を見つめ直す行為、つまり、今まで見てみぬ振りをしてきた、現実に横たわっている自分自身の問題に、これから直面するってことなのだろうから。参考引用「夢の意味は夢に聞け。」夢の意味は夢に聞け。 夢には夢独特の表現方法がある。夢は夢見者から夢見者へのメッセージである。しかし、夢表現は、夢見者にわからないメッセージであることもしばしばである。夢見者に連想を聞いても何も浮かばないし、どうしてこのような夢を見たかもわからない。このようなときに、既存の夢理論から解釈しないで、「意味はやがて次の夢で教えてくれる」とクライアントとセラピストの両者が期待して待っているのである。 (東山裕久著「夢分析の世界」7ページ、夢対するセラピストの基本的態度(全11項目)からの引用)
2016年02月10日
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6年前の今日見た夢2010年10月28日の夢日記から『今朝は久しぶりに長いストーリーの夢を見た。夢その1 船の夢。私は大型船の乗組員らしい。長い航海の末、目的地についた。ここで、仲間の船と集結する。今日は15日。集結日は18日。まだ3日ある。私たちは早くついて しまった。海は凪いでいた。私は船橋で航海日誌を整理しようと、船橋内の航海日誌をしまっている棚を探していた。(同じ船内で次の場面)主計担当の男性が皆に青い紙を配っていたので私も受け取った。青い紙は500円札だった。しかも見たことのないデザインで素人が作った偽札のように、青い紙に黒いインクでコピーしただけのような代物だった。 「そのお金、使えるけど使うとエイリアンに見つかるから」と、主計担当の男性は言う。 私はこのお金を使うことはないな・・・と思った。ただ、もっているだけ。 夢その2私を含む女性四人で旅行に出掛けている。 目指すのは上海か香港か? 途中、そこを通過しないと先に進めないところに出る。洋風の立派な民家の中を通過しないといけないようだ。おかしいなと思いながらも私達は家に入り、一階の廊下 を通る。狭い子供部屋の脇のようなと ころを通る。やはりなんかおかしい。こんなんで先に進めるのか?と、仲間の三人がいない。 探してうろうろすると家人(中国人らしい)が出て来て、彼女たちの居場所を教えてくれた。 はたして、彼女らは家の入り口に戻って玄関前に掲示された看板(案内板?)を読んでいるところだった。どうやら目指す通路はこの家の二階にあるようだと入り直す。 が、結局、私達はこの家の家人に招かれて、居間で家人の演奏する音楽を聴いたりして過ごしていた。家人である中国人の奥様の御主人がセンター所長(当時の現実の職場での上長)だった。』(解釈)前回掲載の(終結夢と思われた)夢見後の1週間後に見た夢夢は、夢を見た順に並べて読み返した時に、はじめて見えてくる連続したドラマのような面がある。私が夢日記を最初から読み直して、それに気がついたのは、ちょうどこの夢を見た6年前の夏の終わりから秋頃にかけてだった。私の気付きに対し、夢が私に一つの答えとして見せてくれた夢が前回掲載の「梅咲く神社に詣る夢」。その夢の中に表れた梅の花や粉雪が舞う景色のイメージからは、2月頃のまもなく卒業式シーズンという印象を受ける。夢に現れる季節感にも、もちろん明確な夢からのメッセージが含まれているから、この夢は卒業(終わり)が近いというメッセージとも受けとることができる。そして、一週間後に見た今回の夢。この夢を見た頃の私は、ユング心理学に出会ったばかりで、夢占いを越えた夢解釈や夢分析の世界にどっぷりとはまっていたものの、まだ「今見たばかりの夢」の解釈が出来なかった。夢見者が、見た夢の意味に気付けない時、夢は親切にも同じメッセージの夢を繰り返し見させてくれる。だから、今回掲載した夢その1「航海が終わる夢」は、前回見た「梅咲く神社の詣る夢」を補完する内容となっていたのだと、6年後の今頃、この記事を書いていて気がついた。夢その1の中、私の乗る船は目的地につき、後は仲間の集結を待つのみ。船旅は、私の夢の中では、この夢の世界での旅そのものを象徴している。夏の終わりから私が見ていた一連の夢からのメッセージにあるとおり、夢との付き合いの終わりそのものを暗示させていた。しかし、最後の詰めとして「仲間の集結」を待たねばならない。多分、仲間が集結したら、私の旅は本当に終わるんだろう。つまり、梅の花のイメージが伝える前回の夢からのメッセージのくりかえし。ゴールは近いけど、まだ完全な終わりではない。「仲間との集結」とは、多分影との統合(ユングでいう個性化の過程)のことを暗喩しているのかもしれない。そして、私は航海日誌の整理にとりかかる。「航海日誌」、つまりこの「夢日記」のこと。当初、私がこの夢日記を書き始めた動機、職場でいろいろつらいことがあって、生きる意味を考えているうちにスピにはまり、スピ体験を得たい一心で、ヘミシンクとともにこの夢日記を書き始めた。夢日記を書いているうちに、セルフヒーリングとしての夢の効用に気付き、不安定だった精神状態から抜け出し、 スピ依存から徐々に離れると共に、心理学の勉強を始めたいと思うようになった。夢は、今まで私が取り組んでいた課題が解消され、そして新しい課題が始まったことを伝えている。夢その2で仲間と共に出発した、徒歩の旅。また迷って悩んで、来た道を行きつ戻りつ、全然先に進まない。夢は、中国人の奥様(女性の老賢者の元型イメージ)となって夢に現れ、私にちょっと休憩しなさいと諭している。(夢の忠告を無視して、 この2ヶ月後に【夢の再解釈】の一連の記事を書いた)。(五百円札についての解釈追記) 夢に現れた「青い500円札」の意味について。この夢を見た直後に書いた解釈のメモに「保険に預けるのをやめたと思ったから見た夢か?」などと残してあった。 当時満期で降りた養老保険があり、再度預け直そうか考えたことがあった。しかし、再度の預け直しを迫るしつこい外交員の訪問を受けて、逆に辟易してしまい、預け直すのをやめた。「エイリアン」は、宇宙人の意味もあろうが、行動の理解出来ない赤の他人や侵入者の意味合いもある。人の迷惑省みず、宅に押しかけしつこい勧誘を迫る保険外交員が、「エイリアン」という表現として夢に表れたのだと直感的に思った次第。そこに、神秘的な意味や神の掲示のような意味はなく、現実に自分が感じた直感的な感情(相手に対する胡散臭さなど)がこうして夢に表現されて表れただけ。だから、私は夢に現れた神や天使、宇宙人の話を自慢げに人類への掲示だとか解釈して披露する人の言葉を、信用しない。
2015年10月28日
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2010年10月22日の夢日記から『( 昨日ユング心理学入門のアニマ、アニムスと夢分析の項を読み直した。それで、再度自分の過去に書いた夢日記を(ブログに載せていないのを含めて)読み返してみると、色々と見えて来た解釈があるそんなせいだろうか、夢を見た。Aさん(以前の職場での直属男性上司)、Y女史(職場での女性先輩)、前田部長(10年程前の職場での上長、年配男性)、私の4人で神社参りする夢だった。以下、夢の内容神社に続く長い登り階段がある。階段の手前に真っ赤な鳥居があって、同行の誰かがその鳥居について、何か言った。(何を言ったかは覚えていない)私は鳥居を階段の数段上に移動させて地面に埋め込むと、鳥居は階段の両側に立つ灯篭に変わっ た。私達は階段を登り、神社に着いた。神社についてはよく覚えていない。神社の境内には真っ白な美しい梅の花が咲く樹々があり、白い粉雪 が舞っていた。 その景色に見とれていると、前田部長が「お参りしよう」という。私達のいる高台の神社からふと左側へ(神社に向かって立つ私から見て左前方へ)視線を落とすと、私達が今登って来た階段とは別の、麓から神社へと続くやや蛇行した坂道があり、その坂道を黒服姿の何人もの女性達が一列となって、この神社へと向かって歩いて来るのが見えた。私達だけでこの場所を占有してはいけない。そう思った。私たちは神社に向かって右から順番に一列に、Y女史、私、前田部長、Aさん、と並んだ。はて、どんなお参りの仕方をするのだろうか?と横目で隣の前田部長の様子を伺っていると、彼は大きく両手を開げて威勢よく、「ヨ~と、言いながら、「ヨ、ヨ、ヨ」と、手を叩き始めたので、私達もすかさず一緒に、「 ヨ、ヨ、ヨ、イ、ヨ、ヨ、ヨ、イ! ヨ、ヨ、ヨ、イ! ヨイ!」と、調子を合わせて手を叩き、最後に一斉に「エイ、エイ、オー!」 と、腕を振り上げて閧の声を上げたのだった。次の場面。 大型船の中。遠くに別の黒い停泊船が見える。私達は船橋にいて、Aさんは紺色の短パン姿というラフな格好だった。何か会話をしたが忘れた。次の場面。私、Y女史、友人のサチと他にも誰かいたみたいだったが忘れた、一緒に道を歩いている。小川があって、私は小川に沿った柵によじ登っ た。次の場面。以前の職場の同僚Mが久しぶりに登場。私は大き過ぎる白い掛け布団を畳もうとしているが畳めない。Mはそんな私に例の嫌みったらしい言い方で「下手くそ」とけなす。で、私も「不器用 なんで悪いね」と奴に言い返している。そばの壁に長く伸びた白いコードが垂れ下がっており、私はそのコードの中に油を挿した。上手く油をさせないだろうと思っていると、案外中まで浸透してくれているようだった。』終結夢だった。この夢を見た後も、私は夢日記を書きつづけ、そのなかには、ネガティブな色あいの夢もまだ数多くあったから、この夢を終結夢と呼ぶのはおかしいと、思う人もいるだろう。でもこれは終結夢だ。5年前、この夢を見たばかりの当時はそこまで思い至らなかったけど。初回夢(イニシャルドリーム)があれば、終結夢がある。初回夢では、自分がいま抱えている問題が夢の中での暗示として提示される。私の場合は、夢に突然現れた上司のAさん(当時)に、今後の予定(私にとっての未来の暗示)について、質問を投げかけられる、という内容の夢から始まった。勿論、当時の私は夢でも現実でも、自分の未来について、何の回答も見いだせないでいた。一時は会社を辞めようかと思う程に、精神状態が落ち込んでいたから。紆余曲折を経て、この夢日記と、ユング心理学が、私を救った。巷に溢れる沢山の夢分析本や、精神世界本を読み漁った後、ようやく出会った河合隼雄氏の“ユング心理学入門”を初めて読み終えた時の感動はいまだに忘れられない。読了後、私はユング心理学をもっと知りたい、勉強したいと思った。そして、その題材に今まで書き貯めた自身の夢を使ってみよう、と思いついた。多分、この時、私の夢に対する態度が少し変わったのかもしれない。神社は、異界への入口の象徴として夢に現れる。私は、自身の影達にエールを送られ、新たな境地への一歩を歩もうとしている。仲間と閧の声をあげ、新たな何かに挑戦しようとしている。もはや、受動的な私ではない。能動的に一歩を踏み出そうと決意しているように感じる。夢の中で神社のシーンに続く他の場面もメッセージは同じだ。川は異界との境界を表し、私はそれを乗り越えようとしている。同僚Mに、からかわれながら畳もうとしているのは、過去の思いの数々だろうか。印象深いのは、初回夢と全く同じような場面が、再び夢に現れたこと。会話の内容は一切覚えていないが、きっと私は、初回夢でAさんに問われて答えられなかった答えを、彼に語っていたに違いない。“今後の予定”について私自身の“これから”について。(追記 2015.3.21)過去ログで既に「終結夢」と題して掲載していた夢日記がありました。 過去ログ「 終結夢に思えた・・・十六神像を巡る夢 」 2011.3.1掲載参照今回の夢を見た後の、約半年後の2011年3月に見た夢。(今、改めて読み返して見ると、なんとも気恥ずかしい)今回掲載する夢日記を夢解釈する前に書いた夢日記だから、この当時、私がその夢を終結夢だと判断したのも無理もないと思う。夢は、連続ドラマのように展開する。ときには、シリーズもののドラマのように、人生の転機や節目毎に、初回夢や終結夢と思える夢が、その都度、抱えるテーマや課題ごとに繰り返し夢に登場してきたとしても、それはそれで特に不思議はないのではないか、今はそう考えている。過去ログ参考初回夢について初回夢は嵐の前触れの予感(2011.2.21 アメブロ掲載)Aさんの登場した夢(アニムスの夢)眠れるアニムスと小銃(2012.12.22 )Y女史の登場した夢(シャドウの夢)夢に気付かされ自分の影に気づく(2010.10.27)同僚Mの登場した夢同僚と橋脚建設現場に来ている夢 (2011.5.10 アメブロ掲載)
2015年03月20日
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前回掲載した「人ゴミでバイクを押して歩く夢」を見てから、その5日後の2010年10月18日に見た夢(一連の夢を時系列で並べたいため、今回は過去ログに掲載済みの夢を再掲します)『今朝見た夢沢山見たが最後に見たよく覚えているものを一つ。人通りの多い公園の一角だろうか?紐につながれたダチョウが一匹いた。その横に飼い主らしき夫婦がいて、ダチョウの手綱を持たせてお金をとっていた。見ているとダチョウの珍しさに惹かれた小さい男の子がお客にやって来た。男の子はオジサンにお金を払うと手綱を受け取り、ダチョウと犬の散歩宜しく一緒に歩こうとする 、が、ダチョウは全くその子の言うことを聞かず、歩こうとしない。ようやく、ダチョウが歩きだしたかと思ったら、子供が行きたい方向と反対の方向で、ダチョウが 手綱を持っている子供を逆にひきづって歩いている有り様。そんな風にその後も別の女の子が来てダチョウを見ては かわいい~ とか言いながらダチョウとお散歩をしようとするが、ダチョウは全く子供の言うことを聞こうとし ない。お客が途切れた。と、オジサンは私に声をかけて来た。どうですか?やりませんか?と。ダチョウの散歩には興味がなかったが、この夫婦がこの商売で生計を立てているのだろうという思 いが頭の中をよぎった。私はオジサンに500円玉一枚を渡すと、ダチョウの首につながっている綱を受け取った。ダチョウがお客の言うことをきかないのは分かっている。 ダチョウが行きたい方向に行けばいい・・・と、思っていると、ダチョウは素直に私について歩いて来た。歩きながら、私はダチョウに色々と話しかけた。 勿論、ダチョウが人間の言葉など理解できるはずもないと思いつつ。ダチョウの紐が巻かれている首の部分、比較的頭に近いところの毛がすっかり抜けてはげているの が目に止まった。「子供に首を掴まれたり、イタズラされたりして、すっかり首の毛がはげてしまったんだね、嫌な思いいっぱいしたんだろうね」と 私はダチョウに話しかけた。歩き終わってダチョウをオジサンのところに戻した。と、ダチョウは五才くらいの小さい男の子になっていた・・・。「いっぱい話しかけてくれてありがとう。あなたとのお散歩は楽しかったよ」と、ダチョウだった男の子はそう言った。NIMEN CARRING BRIGHT LIGHTふと何故か、こんな言葉が頭に浮かんで、夢から目が醒めた。』自分で見た夢に感動し、解釈するのも忘れて、夢を見たその日のうちにこのブログにアップした。当時読んでいた本 「ドリームワーク」 (ロバート・ボスナック著)に書かれていた夢は体験するだけで癒しになるって言葉を思い出したからだ。今日はその3年前に書かなかった夢の自己解釈を少しだけ。夢に現れた、傷ついたダチョウはもちろん、誰あろう私自身の投影像(影)である。苛められて対人恐怖に陥り、自分でもどう人と接したら良いかわからず、常に混乱を抱えていた頃の、多分、この夢日記を書き始めた頃の私自身を投影した姿に違いない。(なぜ、ダチョウの姿をしていたのか?っていうのは、あまり言及しないことにする、もちろん見えてくる解釈はあるのだけれど)夢の中で私は、言葉を話せないダチョウと歩きながら、私は彼(彼女?)の気持ちを理解しようと努め、対話を続ける・・・・・この夢の中での私の行動は、現実世界でこの夢日記を書き、夢解釈を続け、夢に登場する自分の影たちと対話しつつ、彼らを理解しようと努めて、夢の自己解釈をし続けてきた、これまでの自分自身の姿に他ならない。そして、私はこの夢日記と夢解釈のブログを通じて、知らず知らずのうちに自分自身のナラティブ(語り)を行っていたのだ、と最近になって気がついた。ナラティブには心の傷を癒す効果がある。夢に現れた幼い少年が発した「ありがとう」の言葉は誰あろう私自身が、自分自身の労をねぎらい、自分に向けて発した言葉。かつて自分自身をネガティブにしかとらえることの出来なかった心の傷は、夢との対話を通じてもうとうに癒されたのだそう夢が私に教えているようだった。過去ログ参考 NIMEN CARRING BRIGHT LIGHT・・・ (2010年10月18日掲載)
2014年03月05日
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(前回掲載の)船が解体される夢を見た翌日に見た夢2010年10月13日の夢日記から『私は熱帯魚ショップの店内にいた。が、その店に生きた魚は置いてなく、水槽の中に入れる小物とかが店内に並んでいた。私はサプリメントのようなカプセルが入っている 四角い小箱を手に取り眺めていた。 そばにいる男性が、しきりに私にそれを勧めている。(多分、店員だろう) その品物は箱の外装が赤、青、黄色の3種類だった。他の棚を眺めると、パステルカラーの綺麗な鉱物が並んでいるのを見つけた。 それは、丸い形のただの石ころのような母岩を半分とか四分の1とかに切断したもので、卵形の半分に割れた石ころの内側に空洞があり、空洞の中央に向かって無数の美しいパステルカ ラー色した水晶クラスターが生えていた。次の場面姉(現実に私より2歳歳上の姉)が現れ、「岩本ちゃんが・・・」と話しているので、私は姉と岩 本さん(私の職場の同僚)が姉と同級生か知り合いなのかと思って、姉に尋ねた。 (岩本氏とは過去記事「プラスチックケースの中の黒アゲハの夢」にも登場した同僚男性)私はバイクに乗ろうとするが、周囲の通行人が多くてこれでは乗れないと思い、一緒に押して歩 く。ようやく人気のあまりない路地に入ったのでバイクに跨がって乗ろうとするが、何故かハンドル に穴の空いたシーツが引っ掛かって引きずっており、そこにヘルメットが2つからまっていて じゃまだと気付く。私一人にヘルメットは2つもいらない。 姉にとってもらおうと思い(姉は若い頃、バイク整備士だった)、目で周囲を探すが、いない。そのうちに、自分であれこれ立ち止まって考えているうちに、絡んだシーツとヘルメットは簡単 に外せた。ふと、周囲を見ると、私が立っていたその道ばた、すぐ横に小さな会社の建物が建っており、 その芝生の庭先で従業員らしいオバサン二人が、 曇りガラス製のついたての色をペンキで塗り替える作業をしていた。彼女達が塗っていたのは、真っ青な空色のようなブルー。次の場面。私は我が家の車(当時、現実での我が家の車はマニュアル車だった)のオートマ車を運転してい た。 娘のちびちゃん(小学校低学年くらい)が一緒に横の助手席に座っている。ちびが「トイレに行きたい」と言いだしたので、私は駅前に車を停め、彼女を下ろした。 が、ちびは駅から戻って来ると運転席の私に向かって、「トイレがなかった」と困った感じで 言った。「じゃあ、コンビニまで乗せてあげる」と言うと、ちびちゃんは喜んでまた車に乗りこんだ。バス停?に人が沢山並んでいる後ろ側に、私は車のまま並んだ。』(解釈)もう解釈するまでもない夢だな~と思いつつ、随分と長い間、このブログもほったらかしてしまった、そんな自戒も込めて、久しぶりに解釈を書く。この夢は「船が解体される夢」を見た、その翌日に見た夢。前回掲載した夢の解釈の中で述べているが、私自身は、精神世界や、夢日記から離れて、 現実方向へと向き始めていた頃に見た夢。夢の冒頭に「熱帯魚ショップ」が表れたが、 これについては、以前書いた過去記事 アクアリウムシ ョップの熱帯魚水槽の夢 (アメブロ掲載) の中で、自分なりの解釈を書いた。夢日記を書き始めた当初、憧れやワクワクドキドキ感をもって眺めていた「熱帯魚ショップ」 (つまり、スピチュアル世界を表象化したもの)は、今の私にとって、本物の生きた魚のいない、ただクスリが置いてあるような、 そんな場所になってしまった、ということ。夢の中に登場した「姉」は今の自分より、少々成長している自分の姿の表象であり、 「ちびちゃん」はその反対。夢に登場する「バイク」についても、過去、何度か解釈を書いた。夢の中でバイクを自由に操るということは、 現実世界での自分が、自分をありのままに表現し、生きることができているっていうことかも知れない。だから、人が多すぎると思って 夢の中で バイクを押して歩かねばならない私は、 現実では、まだまだ多くのことを、世の人々に対して気兼ねして生きているのだろう。でも、現実ってそういうものだと思う。夢の中で「トイレが見つからない」ってちびちゃんが困って言っているのも同じこと。 思いを上手く吐き出せる場所が、見つからないのだ。それから、「シーツ」と「ヘルメット」が意味するもの。 シーツは寝具で、ヘルメットは頭を守るもの、これ以上の説明は不要か。「シーツ」と「ヘルメット」がバイクに絡まり、枷となっていれば、勿論バイクは、自由に走り 出すことはできない。この、絡んだ「シーツ」と「ヘルメット」を外すために、私はず~っと、この夢日記の解釈作業 をしながら、自分の生き方について、自分なりに考え続けて来たように思えてならない。で、ようやく、私は、今、バイクから、絡んだシーツとヘルメットを外し、 走り出そうとしている。そのとき目にした夢の中での風景。曇りガラスを空色に塗り替えるのは、自分自身。そんな風に感じた夢からのメッセージ。
2013年04月28日
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前回掲載した夢を見てから一週間ほどたった頃、再びドック(造船所)から船が出港しようとする夢を見た。2010年10月12日の夢日記から『船が解体される夢を見た。 私は、ドック(造船所)にいて船の処理作業をしていた。船長は60歳代とみられる年輩男性で、(前回の船出の夢に登場した船長は30後半から40前半といった感じの男性だった)造船所内に乗組員用に用意された控えの事務所から、「電話だけは使えるように付け替えてほし い」と、どこかに電話して言っている。次の場面私達の船が(修理を終えたのだろう)、造船所内の狭い水路を通って出港中だった。 修理を終えたばかりとはとても思えないような、ガラクタのような外観に船はすっかり変わってしまっていた。私はそんなガラクタ船の舳先近く、甲板上に立っていた。水路を進む船上から並行する造船所の岸壁上へと目をやると、そこには、私達より一足先に解体処理された「飛竜」の乗組員たちが、陸上で黙々と作業をし ている姿が見えた。彼らの目の前を、まもなく私達の船がさしかかろうとしているのに、誰も気が付かない様子だ。さもありなん、こんなガラクタの様な姿に変わり果てた私達の船に、誰が気付くというのだろう。と、「おーい!」と、甲板上の誰かが彼らに向かって声を張り上げた。見ると、甲板中央付近に立っていた仲間の誰かが、彼らに向かって声をかけ、手をふっているじゃないか。それに応えるように「飛竜」の乗員達も、一斉に私達に気 が付き、手をふりかえしてきた。皆から少し遅れて、私も彼らに手をふった。次の場面、私は船をおりて一人立っている。足元に水は僅かだが流れていたように思う。すると、私の後方から、もはや誰もいない無人となったあのガラクタ船がユラユラとすすんできて、水路の中央に立っていた一本の杭のようなものにぶつかると、真ん中から二つに折れ曲がってしまった。まるで紙で作られた船のように・・・・。』夢は、あの手この手で、私に夢との別れを暗示させようとしているのだろう。夢に登場する「船」もまた、私にとっての夢を象徴するものだった。「Aさん」と同じように。Aさんと別れる夢を見させただけでは、私の意識の変容を促すには刺激が足りないと夢は考えたのかもしれない。夢の中での私の大切な乗り物は、こんな風に解体され、私は「船」との別れを余儀なくされた。こうして、私の船(夢)はなくなってしまった。私は、船から降り、一人とりのこされ、そして、自らの足で歩いて進まねばならない・・・・そう思った。逆の意味で考えれば、今の私には船(夢)は必要なく、船に頼らなくても前に進めるのだと夢から教えられているようにも受け止めることができた。どちらにしても、いつも書いていることだけど、ドック(造船所)の夢は、心に何らかの変化が生じたときに見ることが多い夢である。私は、夢日記を卒業して(というよりは夢日記に少々飽きてきて)、現実で何か新しい別の何かを始めてみるべきじゃないかと、そう漠然と思い始めていた時期だった。
2012年12月29日
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前回掲載した夢を見てから4日後に見た夢前の日に「獄中で見た 浅原彰晃 」なんて言う本を読んでしまったせいで、 夢にあの「浅原」が出 てきた。2010年10月4日の夢日記から『 どこか学校の教室内。私は、教室の一番後ろの壁にややもたれるようにして立っていて、 私の隣には、誰だか分からない男性がもう一人、横に並んで一緒に立っている。黒板に向かって右側の、教室の一番前にある扉が開き、そこから(先生じゃなくて)浅原彰晃が監視員二人に連行されて、入って来た。 奴は両脇を刑務所の監視員に抱えられるようにして房から連行されて来たのだ。浅原は教室の真ん中へ連れて行かれると、一人だけで立たされた。夢に登場した浅原は、現実の姿と違って、髪が長いものの中肉中背の男性の姿だった。 (デブじゃなかった)警備員達数人が一列となって黒板の前に並ぶと、浅原に向かって皆が一様に、「水中ウンバかして見せろ!」などと、いじめっこのようにからかった。が、奴は何の反応も示さず、じっとうつむいて立っている。監視員らは、皆 「奴は目も見えず、頭も気がふれている」 と思っているのだ。私はそのようすを教室の後ろから遠巻きに眺めている。と、突然、浅原が振り向いて私の方を見た。奴と視線があってしまった。正気の人間の目だった。「こいつはキチガイのふりをしている」そう思った瞬間、私は固まり動けなかった。奴は私の方を見ながら、じりじりとにじりよって来た・・。次の場面私は洗面所にいた。丁度いい具合に壁の鏡が曇っていて、私はそこに指先でなぞって図を書きながら、誰か男性に話 しかけている。私は浅原に会った時の話を、教室内での人の配置図を書きながら、その男性に説明していたの だった。「あの時、警備員達は皆、教室の前側に並んでいて、後ろ側の私のそばにはいなかった。 奴が迫って来たとき、怖かったんだよ〜」そう私は話していた。』(解釈) この夢を見る前日、たまたま実家の書棚で見つけた「獄中で見た浅原彰晃」なる本にパラパラと 目を通してしまったせいで、こんな夢を見てしまった。獄中の浅原は拘禁症状でキチガイになったとされているが、夢の中での私は「奴は正気」だと思っているらしい。 (実際はどうだか分からないが)まあ、間違っても「彼が詐病である」などという夢からのお告げを披露したい訳ではありません ので、読んだ方はくれぐれも勘違いなさらぬように。夢を見る前、たまたま興味を抱いて手に取り目を通した本の中の一登場人物。今回はそれがたまたま「浅原」だった訳で、夢に彼が登場した訳は、ちょうど彼のイメージが、今私が抱えている課題を夢で表現するのに、 ちょうどいいイメージの投影像として、上手い具合に夢に利用されたに過ぎない、と、思っている。私の課題・・・・前回掲載した夢の中では、私の不安定な心の揺れが表現されていた。今まで、女性性優位だった人が、男性性も獲得していこうとする過程で、今まで自分にはなかった男性的な部分(特に攻撃性など)に出会い、戸惑い困惑することがある。私自身が、この夢解釈というセルフセラピーを通じて、今まで内面に押し込めてきた男性的な自 分が徐々に顔を出し始めていると感じはじめていた時期だった。あまり深刻には感じていなかったけど、今まで感じていなかった諸々の現実での憤りの感情など が涌き出て来るようになり、この頃、その処理に迷っていたかもしれない。多分、夢は、そんな私の内面での葛藤を、イメージで伝えてきてくれたのだろう。
2012年12月10日
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前回掲載した夢を見たあと、10 日程経った、2010年 9月末日に見た夢『 高校時代、仲の良かった同級生、サクラさんが夢に現れた。 場所は、職場か学校か?私と彼女と同部屋で和室に布団を並べて寝ている。(和室の寮という設定らしい) そこで私は、(夢の中で)誰かが枕元に大人数でやって来たのか?と思う夢を見た・・・と、思っていたらその翌朝、私の右隣に寝ていたサクラさんが起きてから私に打ち明けてこのようなことを言った。「夜中、寝ているところを男達に連れ去られて、どこかの家に連れていかれ、そこでよく覚えていないけど、エッチされて又何事もなかったように、ここに戻された」と。すると私が夢で、人が沢山来たと感じたのは実は夢ではなく彼女が連れ去られ、戻された時のことをうっすらと覚えていたのか。彼女が言うには、「エッチさせられた相手は子供」だという。 そして、彼らに「竜族の跡継ぎが必要だから」って言われたのだとか。とにかく犯罪が起きたと私は思う。 この犯人は誰か?そういえばある出来事を思いだした。体育の時間、男たちが木で組んだ背負子のようなものにサクラさんを載せて数人で担ぐ練習をしていたが、もしかするとあれは、 すんなりと彼女を誘拐するための練習だったのかもしれない。とすれば、あの体育の時間彼女を担いだ数人の男性が犯人ということになるのだろうか。とりあえず今朝は出発しなければならないのに、身仕度がまだの私は、彼女を先に行かせて、待たせている。私は出掛けるようと着替えているのだが、着る服が決まらない。 白いシャツの上に黄色いシャツを着ようとするが、しっくり来ない。』夢の補償作用というのがあって、気分がとても沈んでいたり落ち込んでいるとき、 夢は、希望的な内容の夢を見せることで、意識を上に持ち上げさせようとする。逆に楽観的すぎたり、調子にのりすぎてしまっているとき、 夢は、警戒や不安感を抱かせるような夢を見させて顕在意識に注意を促す。今回の夢を見る10日程まえに見た、「新しい船出の夢」は夢見後、印象的な余韻を私に残し、 いい夢を見たなと、私は希望的で楽観的な思いに浸っていた。そんな私に夢は注意を促そうとしたのだろう。いままでの心のありようを整理をして、新たな意識を迎えようとするとき、心の中では、不安定な心の揺れや葛藤が生じる。いままで、夢見がちで妄想がちだった私(意識の上で女性性優位)が、現実主義的な人間(男性性優位)へと自分を変えようとし ている過程で、この夢を見た。だから、 この夢は結合の夢であり、夢の中に漂う空気は不安感は、そのまま新しい自分に馴染めない不安定さがそのまま現れている。意識を変えた私は、身に纏うペルソナを換えなくてはならない。 でも、新しい別の色の服 が、なかなかうまく決まらない。白は、なんにでもすぐ染まる色だ。今まで白い色の服を着ていた私は、 現実の日常では(多くは職場で)うまく人前で自分を表現出来なかったのだろう、今、私は色のある服を着て、今までと違う自分を表出しようと模索している。 でも、まだうまく決まらない。さて、補足。 夢に登場したサクラさんは高校時代の同級生。 社会人になってからもよく会っていたが、就職後ほどなくして躁鬱病を患い、以来疎遠となってしまった。 最後に会ったのは10年以上前になる。 夢に現れた彼女は、ほんの少し前までの私自身の姿を表そうとしていたのかもしれない。
2012年11月20日
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2010年09月22日の夢日記から(前回掲載した夢を見た翌日に見た夢)『 船がドック(造船所)から出港しようとする夢を見た。以前もドック出しという雰囲気の夢を見たがその時は何故か船ではなくビルだった。が、今回の夢ではまさしく、大型船の中だった。 船がドック(造船所修理)を終え、今日は最後の片付けの日という雰囲気。作業で散らかっていた船内を片付け出港出来るように準備している最中。私はアンカーチェーンの仕舞われているチェーンロッカーの片付けをしようと自ら率先して、船首甲板上のホースパイプからチェーンロッカーに潜りこもうとするが、腰がつかえて入れない。誰かが、業者がやるからいいよと言っていた。その後、多分私は別の場所から船内に入りチェーンロッカーに行ったのだろう。チェーンロッカー内は広く、先ほど私が甲板上からくぐろうとした穴(ホースパイプ)を下から見上げることが出来た。既に、作業服とヘルメット姿の業者がホースパイプにつまった錆びをザザーと威勢よく丸い鉄板をスクレッパー代わりに使用して掻き出していた。次に私は船内を一通り歩いて見て回った。船倉内に詰め替え作業が終わった泡消火器が無造作に十何本も一ヶ所に置いてあり、所定の場所にもどさなければ、と思った。船内はまだどこも作業でせわしなかった。ぐるりと一通り船内を見て廻り、再び消火器の無造作に置いてあった場所に戻ると消火器がなくなっていた。誰かがもう片付けてくれたのだという。そこで私は出港準備が整ったことを知らせに船長の元へと向かった。船長は船を降りた造船所の岸壁上、タラップから数十メートル離れた場所にいて半分下草の生えた場所で、ビット(もやい綱を繋げる杭)のそばに横になって寝ていた。少し汚れた作業着に顔を隠すようにして帽子をかぶり、地面に寝そべっている船長は、まるで一昔前の青春映画のワンシーンから抜け出て来たみたいだった。私が起こすと彼は、「みんなまとめて○○に遊覧気分で乗せてやらあ!」と言って立ち上がりその瞬間、私は、お疲れ様と労いたい気持ちで彼の太ももを軽くマッサージするように触りたい、っていう強い衝動にかられた。でも、そんな間はなく船長は立ち上がるとすぐ、スタスタとタラップへ向かって歩き出し、私もあわてて小走りで彼の後に続いた。出港準備だ‥‥次の場面。ビルの8階。手刷りがなく身を乗り出して下を見ると落ちそうだ。そして、私は落ちそうになるが縁の滑り止めのようなところに必死で捕まり、落ちずに持ちこたえた。』造船所がテーマの夢は何回か見ている。この夢を見る3ヶ月ほど前にもドックがまもなく終わり片付けをしているという夢を見た。その時の舞台は何故か船ではなくビルだったが。(2010年7月4日の過去ログ掲載「修理期間の終わりを告げる夢」参照)こんな夢を見る時は、多分、私の中でなにか一つ、大きな心の整理がついたのだろう。それは、きっと、夏の終わり頃からモヤモヤと私の心に引っ掛かっていたうまく顕在意識で捉えることができなかった「なにかの思い」だったに違いない。夏の終わりに見た夢の中で、私が修理しようとしていた小型艇は今、修理を終えたばかりの大型船となり、新しい航海に出ようとしていた。私がこれから意識して向かおうとしていること‥‥スピリチュアル世界に依存していた心を断ち切って、現実を直視しようと、大きく心が動き出していたに違いない。でも、それは、多分そう簡単なことじゃなく、船出した先には、多分、多くの苦労が待ち構えている順風満帆そうな船出のシーンとは対照的な、夢の暗いラストシーンがそれを暗示させていた。
2012年11月12日
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前回掲載の夢と同じ日に見た夢(2010年9月21日の夢日記から)『夢その3蛹から羽化したばかりの蝶のようだった。私は職場で、それを見つけると、丸い透明プラスチックケースの中に入れた。透明ケースの中に保護して観察していると、縮んでいた蝶の羽がゆっくりと乾いて広がり、黒いアゲハ蝶になった。ケースの中におさめられた黒いアゲハ蝶は、完成された標本のように美しく羽が輝き、蝶を入れた丸い透明のプラスチックケースは、神秘的なミニチュアの小宇宙のようだった。私を含めた5、6人が机を囲んでいて、私から見て向かって右側にAさんが座っていた。Aさんは、蝶の入ったケースと私を期待のこもった眼差しで見ていた。が、私はわざとそんなAさんには気付かぬふりをして蝶が入っている透明プラスチックケースを私の正面にいた同僚の岩本さん(この夢を見た当時、実際に同僚だった男性)に手渡した。蝶入りのケースを受け取った岩本さんは満面の笑みを浮かべて気さくに喜んだ。が、Aさんは目を見開いて驚いた表情をして、私と岩本さんを交互に見ていた。彼は、当然のように私が蝶の入ったプラスチックケースを自分に渡してくれるものだと思い込んでいたのだろう。だが、私はAさんを全く無視した。今の私の仲間は岩本さんであって、Aさんではない。そう思った。その後、テーブルの上に輪ゴムの入った箱が2箱並んで置いてあり、何か作業で使うのか(このあたりの夢の細部は失念した)、私は片方の箱を手に取った。プラスチックケースの中の黒いアゲハ蝶を再び確認しようと見てみたら、羽が水に濡れて、アゲハ蝶だと分からないくらいに、縮んでしまっていた‥‥。』ちょうど、Aさんが上司だった前の職場から今の職場に転勤して半年たった頃にこの夢を見た。夢に登場した「岩本さん」は、この夢を見た当時、職場で一緒だった同僚男性で転勤当初、色々と私に仕事内容を教育してくれた方だった。夢を見た直後、素直に私は新たに異動した今の職場に半年かかってようやく慣れ、以前の職場の人間関係から、今の職場の人間関係に比重がかかり始めているのだろうと思った。もしかしたら、Aさんに以前感じていたような「転移」を、今の私は岩本さんに感じ始めてしまっているのかもしれない、そんな風にこの夢に対して思ったのだった。(岩本さんと私はあまり仲がいい訳ではなく職場には他にも同僚男性がいたが、今思えば、当時の同僚達の中で彼が最も内向的な雰囲気の方であったことが、彼が私の夢に登場した理由かもしれなかった。事実、彼は東日本大震災後、うつ病にかかり長期療養中である。)でも、夢は多義的で、次のようにも解釈出来た。当時、夢解釈の書籍やブログを読み漁っていた私には、 蛹から羽化した黒アゲハのイメージが持つメッセージが明解に分かった。蝶の羽化は変容のシンボルで、黒い蝶は「影」を含む変容を意味していたに違いなかった。ようやく美しい羽を広げ、変容をとげようとしていた蝶が、再び水(無意識)に浸かることで、せっかく開いた羽が、縮んで台無しになってしまう‥‥、夢のメッセージは、このまま夢の作業(無意識の探求)に浸かり続けていると、全て元の木阿弥になってしまうよ、と、私に警告していたのであった。だけど、私はこのメッセージにうすうす気付きながら、魅力的な夢解釈や夢分析の世界の探求をやめることが出来なかった。(ユング心理学に夢中になり始めたのもこの頃)それでも、夢の中で、自らAさんを無視し、彼に対する「別れの儀式」を行ったことで、「もう二度と夢の中でAさんと会うことはないだろう」との思いとともに、(それはつまり、「Aさん」をシンボルとする「夢作業」の終わりをやがて暗示させるための心の準備でもあったのだろうけど、)Aさんが象徴する「過去」そして「夢」よりも、岩本さんが象徴する「今」そして「現実」重視の方向へと私が向かいつつあるということをはっきりと自覚するきっかけとなったのでした。
2012年10月29日
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(前回掲載した夢から約1週間後に見た夢)2010年9月21日の夢日記から『夢その1とある女性探偵の父親が現れて言う。「この子は探偵に育てたかった。」父親はその女性が小さな少女の頃から、その子に言い、少女は大きくなって探偵になった。夢その2祭りの会場にいる。ちびちゃん(小学生になるうちの娘)が「欲しい」とおねだりして、小さい植物の鉢植えを買っていた。次の場面私は夜祭りが行われているアーケード街を歩いている。進行方向の左側前方に周囲より煌々と明るく照らされて一段と賑わっている様子の場所がある。私はなんとなく興味を覚え、その場所を通りかかりに見てみようと思っている。私のすぐ前を、長い竹の棒を持って歩いている男性がいる。見上げれば、男性の担いでいる棒はアーケードの天井にまで届きそうな長さの棒で、先端部には熊手飾りに似たお祭り飾りがついていた。棒の先には、沢山の稲の穂が飾りつけられているのだろう。その人の後ろを歩いている私の頭の上に、パラパラと、モミのついたままの米つぶが落ちて来た。と、前を行く男性と同じような長い竹の棒を私も持って歩いていたのだった。気付くと同時に、私はそれ以上前に進めなくなった。私の持つ棒の先端が天井につかえて、それ以上前に進めなくなってしまったのだった。左前方に見える賑やかな場所へ行こうと思っていたのに、どうやらその方向に向かってアーケードの天井が、少しづつ斜めに低くなっていっているようだった。進めずに立ち止まっていると何処からか、年輩の女性が現れて私に声をかけて来た。「大変そうだから、代わりに私がその棒を持ってあげましょう」と。せっかくの御好意だったが、断った。そこまでして、あの場所に近寄らなくてもいいや、と思ったからだ。』 夢にあらわれる左と右には意味があると言われる。左は内的なものを表し、右は外的なものを表すとか。今回の夢で私が目指して歩いていたのは、左前方の賑やかそうなところだった。だが、持っていた竹の棒が天井につかえてしまい、私はそこへ向かおうとするのをやめた。棒の先には稲の穂が飾りつけられていて、パラパラと私の頭に落ちて来る。稲は豊穣や幸福のシンボル。私は夢に表れたこれらから、「もう内的なものを探求しようと、もっと前へ進もうとする必要はないのだ」という夢からのメッセージなのだと理解した。「左側」という夢のキーワードは、実はこの夢を見る一週間程前に見た夢の中にも表れていた。前回掲載した夢の中で、Aさんが最後に立っていた場所は、広いオープンカフェ内の左側すみの場所だった。そして私は、Aさんにとても会いたかったはずなのに、彼に近寄ることをためらい立ち止まっている・・・・。どの夢も、夢の場面や登場人物が変わっても、夢が私に伝えようとするメッセージは同じだった。内的探求・・・私にとってのそれは、夢日記を通じてだった。が、夢は私にもう夢日記を書き続ける必要性はないのだと、いくつかの夢を通じて無意識の底から訴えかけて来ていたのだ、夏の終わり頃から。繰り返される同じメッセージの夢は、顕在意識で乗り越えられない課題を表す。この夢を見た頃の私は、夢への依存を切り離すことが出来ない状態になっていた。夢を見る回数が減ったな、と内心ジレンマを抱えながらも、夢関連の本やブログ、勿論スビリチュアル系のものも含めて、毎日せっせと読み続け、夢解釈のSNSでは、投稿などの交流もはじめていた。勿論、当時の私は見た夢の内容をいぶかしく思いながらも夢のメッセージに気付けないでいた。正にこの夢は、夢にのめりこんで行く私自身へブレーキをかけさせようとする夢からのメッセージであったのに、私はそれに気付けず、夢への依存は変わらなかった。そして、とうとう、夢は私に警告夢とも受け取れる夢を見させた。この日最後に見た3つ目の夢に、みたびAさんが現れたのだ。(続く)
2012年10月15日
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2010年9月1日に見た夢 の解釈を前回記事に書いたが、この夢を見た後、2週間近く経って再びAさんが現れる夢を見た。こんな夢だった。2010年9月15日の夢日記から。『Aさんの夢を見た。ここ暫く彼を夢で見ていないと思っていたら、忘れた頃に現れた。覚えている最初の場面。帆船のような大きな船の船橋に、私とAさん、その他にも何人かいたと思う。一緒に船を操っていたようだった。(詳しくは忘れた)次の場面、大きな繁華街の中にある広場。広いオープンカフェのような場所に、長いテーブルがいくつも並んで置かれている。たくさんの人がいて、人々が行き交うざわめきの中、テーブル席の一つにAさんが座っているのを私は見つけた。彼は長テーブルのベンチ中程に座って、右隣に座っている女性と会話に夢中だった。彼の左側の席が空いていたので、私はスッとそこに腰掛けた。Aさんとは暫く会っていなかったなぁ、と思いながら、私はAさんが私に気づいてくれるのを待っていた。が、彼は右隣の女性との会話に夢中で、すぐ左隣にいる私の存在に全く気づく気配がない。自然と会話の内容が、聞こえてきてしまった。「ゴンゾウが・・・」とAさんが話している。どうやらいつも会社で話題にしている息子さんの話題のようだ。隣の女性は彼の奥さんらしい。沢山の人々が集まるこのオープンカフェで、Aさんは、こんなにも近くにいる私を、多分、雑踏の中の知らない他人くらいにしか思っていないに違いなかった。少しでも気づいてくれれば挨拶ぐらいしようかと思っていたのに、一向にその気配がないので、私は席を立った。私はそのオープンカフェのある広場に隣接するデパートビル内へと移動した。そこには私と同年代の友人らしき中年女性がいて、暫くその女性と一緒に買い物やお喋りなどをしながら楽しく時間を過ごした。と、いつも肩から提げている愛用の黒いショルダーバッグ(現実に通勤で使用しているもの)が自分の手元にないことに気がついた。さっき、Aさんの隣に腰掛けた時に席に置き、そのまま置き忘れてしまったらしい。そう思って私はあわててバッグを取りに戻った。しかし、既にAさんは先程の席にはおらず、私のショルダーバッグも見当たらなかった。広いオープンカフェ内でAさんを探して視線を走らすとカフェの左側隅、丸いパラソルのテーブル席に移動しているAさんを発見した。Aさんのそばには、探していた私のショルダーバッグも一緒に置かれ、彼は、カフェと広場内の別のスペースとを仕切る洒落たレンガの壁を背にして、一人、テーブル席の横に立ち、ゆっくりと顔を動かして周囲を見回しているようだった。その様子から彼が何かを探しているらしいのは明らかで、どうやら彼は、そのショルダーバッグが私のものだと気づき私を探しているに違いないと、思えた。私はそんなAさんの姿を雑踏の中から、遠目に見ていた。それ以上近寄るのがためらわれ、さっきまであんなに会いたいと思っていたはずなのに、今はもう何故かそんな気持ちが失せてしまっていた。と、Aさんの視線が私の方を向いて、止まった。咄嗟に私は屈んで、低い塀の陰に隠れた。』(解釈)Aさんとの別れを暗示させる夢に違いなかった。Aさんは私の前の職場での私の上司である。(このブログを長く読んでくれている方が、もしいるならば、もう説明は不要だろう)この夢だけを語って、巷に溢れている自称「夢分析家」などに相談すると、きっと貴女は男性上司との不倫関係を清算したい、忘れたいと望んでいるのではないですか。などと言われかねないような内容の夢である。たしかに、なんとも恋慕の情感漂うような、ちょっと切ない夢に思えてしまう。私にとって、夢に現れるAさんという存在は何だったのか?Aさんが初回夢に登場したのはちょうどこの夢を見る2年前、2008年9月頃だった。夢の中、沖縄らしき海で、錨を入れている船の中、Aさんに「予定を教えてくれ」と、話しかけられたのが私の夢日記の始まりだった。以後Aさんは何度も私の夢に現れ、私の夢日記という作業そのものを象徴する存在になっていった。そう、だからこの夢は前回見た夢と同様に、まもなく夢との対話作業が終わりに近づいていることを、夢の中で自らAさんと離れようとすることで自ら暗示させている夢なのだった。とはいうものの、この夢を見た当時(2010年9月頃)の私といえば、この当時の過去ログを見てもらえば分かる通り、せっせと毎日夢に関する書籍やネット上のブログなどをあれこれ読みあさり、1、2ヵ月前に見た自分の夢の解釈に夢中になっていそしんでいる最中でして、まさか自分の無意識が私に、そろそろ夢日記をやめる日が近いと教えてくれているなどとは、全く、露とも感じてはいなかったのでした。
2012年10月08日
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(前回からの続き。前回、前々回掲載した夢の解釈)夢は、夢を見たその時、その当時の夢見者本人の心のありようを見事にイメージ化して、見せてくれる。うまく言葉で表現できない、何かしっくりしない、なんとなく違う・・・そんな風に顕在意識ではまだ本人がはっきりと意識化出来ていない、漠とした「思い」を、イメージのコラージュにして見せてくれる。そして、その「漠とした思い」がやがてはっきりと自覚できる「意思」となったとき、その時に見た夢は予知夢だったのかもしれない、なんて思い出したりするのかもしれない。(前回のブログにアップした) 「夏の終わりに見た夢の続き」 という夢は、私に、2年間続けて来た夢との対話作業が終わりに近づいていること教えようとしていたのだった。ユングは、夢や、アクティブ・イマジネーション(今どきの言葉で言えば、リーディングとか、チャネリング、ノンヘミに近いんだろう)などを通じた自分の無意識との対話作業に15年もの長い歳月を費やしたそうだが、私のそれはたった2年間(しかも夢だけ)で終わりを迎えようとしていた。(彼程の病理の世界にまで自分を追い込んでも、いなかったけど)2年前(2010年)の8月末、「ヘリ不時着の夢」 の中で、私の乗るヘリコプターは地面に不時着した。私がよく夢の解釈で参考にさせて頂く、川嵜克哲(かわさきよしあき)氏の「夢の分析」(講談社メチエ刊)によれば夢の中に登場する垂直方向、つまり上下の視点は超越性に関することを表し、水平方向の視点は現実的な方向性を表わすのだという。だから、「ヘリ不時着の夢」を見せることで、夢が私に告げたことは、以前の私はきっと自由に空を飛べたのに、今の私はもう、飛べなくなってしまった・・・ということなのだ。「地に足が着いていない」という言葉がある。あまりいい意味で使われない言葉だけど、実際にスピリチュアルなもの、超越的なものに対して親和性のある人の夢は、天高く垂直方向に上昇したり、背中に翼が生えて空を自由自在に飛んだりするものが多い。そのようなイメージを無意識で見る心の裏には、勿論、超越的なものを追い求めてやまない心や、高い霊性を獲得したいといった強い願望があるからだろう。だけど、私(の乗るヘリ)は地に落ちてしまった。この「ヘリ不時着の夢」を見る1ヶ月ほど前から、私は死に関する夢を何度も見た。既に、それらの夢についての解釈は以前過去ログで述べたが、私自身が変化したい、新たな自分に生まれ変わりたい、と願った思いが見せた夢だった。私が夢日記を書き始めた当初の動機には、スピリチュアルに対する憧れがある。3年前、現実で心が折れそうになった時、スピリチュアルを知り、その世界感は私に新しい生きる活力を与えてくれた。さらに夢日記を付けることで、もっと実践的にスピリチュアル世界について知り探求したいと思った。が、夢日記を付け続け、自分の内面を見つめようとすればする程、逆に私は、「スピリチュアル」と呼ばれているものから気持ちが遠ざかっていった・・・・。夢に登場する乗り物は私自身の思いの投影像だ。操る私の心のありよう一つで姿形を変える。夢に登場した「ヘリコプター」も、「小型高速艇」も、全く違う乗り物だが同じ「私の心」の投影像なのだ。ヘリコプターが故障して不時着したあと、その続きの夢の中で、私は故障した乗り物を修理しようと、あれこれ模索している。故障して地に落ちたヘリコプターは、多分、修理が無事終わっても、もはや、再び空を飛ぶ能力はないのだろう。その乗り物は修理がすんでも、飛べずに、水面(現実と無意識の狭間の象徴)、を滑走することしか出来ないのだ。だから、私はその乗り物を、「小型高速艇」だと認識している。ほんの数ヶ月前までだけど、スピリチュアル世界を自由に楽しく飛び回っていたヘリコプターは、もう私には必要ない能力なんだと、これから私に必要なのは、現実世界を水平に滑走していく能力なのだと、夢が私に教えていた。2年間続けてきた私の夢日記はまさに私にとっての夢のインキュベーションとしての癒しの役割を立派に果たしてくれた。この夢を見た時、私は夢の中で、あちこち右往左往した果てに「白いチューブのような道」(つまり産道)を通過して2年間籠っていた場所から、ようやく活力を得て、現実世界に戻ってきた。そして、夢から覚めた浦島太郎のように「白髪になった自分自身の姿」にまざまざと対面した。それは、主観的な幻想や妄想世界の中で勝手に美化した自分の姿ではなく、現実世界でのありのままの自分の姿を受け入れようとの、夢からのメッセージだったに違いない。この夢を見たあと、私の夢日記を付ける作業は2年前の意気込みが嘘のように、急にペースダウンしてしまった。夢への興味がしぼんでいったと言われればそれまでだけど、事実、夢を見る回数が(正確には、夢を覚えていられる回数が)減ってしまったようだった。そう、この夢はもうすぐ、夢との対話作業の終わりが近いことを、私に暗示させる夢だった。
2012年10月01日
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2年前の夏の終わりに見た夢の続き(2010年09月1日の夢日記から)『小型高速艇が故障した。修理しなくてはならない。「修理道具を持って行かなくては……」そう思って私が手にした修理工具は園芸用の枝切り鋏のような巨大な鋏だった。これは車では運べないので、手荷物で持って行かないといけないと、手にした鋏に目を落としながら私は思っている。どうやら今、私は仕事?で沖縄に来ているらしい。今いる場所は別荘かコテージのような、洒落た立派な建物の中。出掛けようとして、狭い玄関口へと向かうと、玄関口からエントランスロビーにかけて、礼服用の制服に身を包んだ会社の上司や幹部らが、縦一例に整列して誰かを待っている様子で立っている。どうやら、これから偉い人が来るので出迎えるらしい。彼らと玄関で鉢合わせしてしまうので、私は出掛けることが出来ない。「見つからないように、身を隠さなければ」とも思っている。多分それから私は別の出入口を探したのだろう。玄関口から踵を返して、その後、どこをどう通ったんだか、白いチューブのような狭いトンネルをくぐっていったのを覚えている。チューブトンネルを抜けた後、鏡を見た。鏡に写る私は、若い頃のボーイッシュなショートヘアで、前髪のふっくらとした若々しい髪型なのに、頭は白髪で真っ白になっていた。(現実の今の私は、ロングのポニーテールで、まだそんなに白くはない)。「チューブの中は白いペンキ塗り立てだったから、シンナー吸ったくらいで白髪になっちゃうの…かな?」鏡の中の自分を見ながら、独り、呟いた。と、「なるさ」との声がして、視線を向けると、いつの間にやら、Aさんがすぐそばに立っていた。(Aさんは以前の職場での私の上司で、初回夢にも登場した男性。)』 ヘリ不時着の夢(前回のブログ掲載) の3日後に見た夢。夢を見た直後は、いつものことだが、夢の意味がよく分からなかった。夢は、夢を見た直後ではなく、しばらく経ってから、時には数ヵ月や数年後、夢日記を読み返していて突然、ふと気付いたように意味が浮かんで来る時がある。これも、そんな夢の一つだった。この夢は冒頭、小型高速艇が壊れて私は「修理しなくてはいけない」と思っているところから始まる。この、壊れてしまった「小型高速艇」これが、その3日前の夢で見た、故障して不時着してしまった「ヘリコプター」と、同義のものだと、気付いたのは、何ヵ月もたって、この夢のメモを読み返した後だった。(解釈続く)
2012年06月04日
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2年前の夏の終わりに見た夢。『私はヘリコプターに乗っていた。が、そのヘリが不時着してしまった。不時着した場所は草原の中。ポツンと、避難小屋のような建物がありヘリコプターの乗員である私ともう一人の男性はその小屋の中へと避難した。私達は黄色いライフジャケットを着ていた。小屋の中にはお風呂があり、(よく温泉地で街中の至るところに無料か格安の昔ながらの立ち寄り湯があるけど、あんな感じの雰囲気の風呂。)私は自分の汗だくの体が嫌でたまらず、不時着したことを誰かに知らせなければ、と思いつつも、同行の男性と風呂に入ると、熱心に体を洗い始めた。ふと、浴室のガラス窓の向こうに目をやると、外の草原に、私達を捜索しているらしい、多数の人影が見えた。ほどなく、そのうちの数人が小屋に向かって駆け寄ってくるのが見え、入浴中のところに彼らがやって来て、私はなんとも、気まずい思いで彼らを迎えるはめに・・ってところで、夢は終わった。』(2010年08月31日掲載の過去ログ「夏の終わりに見たヘリ不時着の夢」から再掲。)2年前の夏の終わり、なんだか忙しくって、今まで、ずっと書きそびれてしまっていたけど、この夢には続きがある。今さらだけど、急に、その夢たちの話を書きたくなった。過去ログ参考(同じ夢に対する夢見た当時の解釈です) 2010年08月31日掲載の過去ログ「夏の終わりに見たヘリ不時着の夢」
2012年05月28日
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2011年11月10日の夢日記から白い小型ボートの船長になり操船している夢を見た。『 最初の場面、 本部ビル内の会議室か何処か。 大勢の職員が集合し座っている。私の座る席の前に、武骨な感じの中年男性職員が座っていた。 彼は、結構有名な音楽家であるのだと誰かから聞いて私は驚いている。人には見掛けによらない違う側面があるのだな、と感じ入っていた。次の場面、私は白い小型ボートの船長となり船を操っていた。暗い海。船が進む前方にはブロック状の堤防らしきものが一定感覚で横一列に並んでいる。 その先に向かうためには、それらブロックの間の切れ間をすり抜けていかなければなければならない。数人の部下と一緒に船に乗っているが、私の操船をフォローする者はなく、部下達は操船している私の 後ろで勝手に談笑している。私は徐々に近づきつつあるブロックに衝突の恐怖を感じて、 クラッチとアクセルを掴む腕を不器用にも 交差させて操縦悍を握り、 船を急激にスピードダウンさせた。上半身が前につんのめったような感覚を受けて、皆が私に注意を向ける。どうして止めたのか?と部下の乗員に聞かれ、「私一人で操船し、誰も手伝ってくれないからだ」と答えた。そして、レーダー画面を監視しながら、ゆっくりと前方に並ぶブロックの左側の切れ間を通り抜けるよ うに、船の進路を変えた。と、後ろから「そっちより、右側の方が広いだろう」と誰かに言われ、私は「え、そうだった?」と返 事を返す。次の場面、部下の乗員男性が岸壁に係留している大型船を一人訪ねている。その部下はバイクに跨がって操り、その大型船の広大な甲板上をブンブンと走りまわっている。 まるで、そのバイクにビデオカメラがついているかのように、私はそのバイクの操縦ハンドルから前方 に映る映像を見ている。 (その場面では私はそこにいなかった)と、次の場面今度は私自身、その部下達と共にその大型船を訪ねていた。歩いてタラップを上がり、丁寧に船内に案内される。大型船の乗員たちは、訪問者である私たちに興味深々といった感じだ。船内で出会う方々に挨拶すると、出会った相手はその都度、私は誰なのか?と訊ねてくる。その度に、同行の部下の男性が「~の船長だ」と誇らしげに答えている。私はそれが妙に気恥ずかしい。』今から4ヶ月程前に見た夢。 今の部署に転勤してきた時から、次は部下を持つ身になると、ずっと、ボスに言われ続けている。これは、だから予行演習夢。 そうでなければ、只の願望夢。それとも、それとも、まさかの正夢、予知夢。もうまもなく来春の人事異動の内命が下る。戦々恐々とした面持ちで、待っている。まあ、その結果をこんなブログで正直に語ることはあるまいが。気持ちは又、夢に現れるだろう。
2012年02月27日
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Zhizi プロフィール はコチラへびっくりしました。2月9日を最後にプロフィールが消えていました。この調子で、更新せずほったらかしていると、いつか突然このブログも消されているかもしれませんな・・・・。アメブロへ誘っているつもりはありませんが、興味をもたれた方は、そちらのプロフィールを見てください。いまのところ、FACE BOOK、ツイッターを始める予定はないので。
2012年02月22日
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夢日記2月9日に見た夢『 電車内に乗っていて、知らないおばさんと会話した。 おばさんは私に、ガムランを習っているという話をしたらしい。 私は興味を覚え、おばさんと一緒に電車を降りて、その後をついて行った。おばさんはとあるデパートの中へと入っていった。デパート内にカルチャーセンターや音楽教室が併設 されているのはよくある話だ。 私はおばさんのすぐ後をつけて、デパート内の階段を登って行った。と、階段が途中で切れ、そのままレジ横の品物などが置かれた机に繋がっていた。 私は立ち尽くした。 さっきまで目の前を先に上がっていったはずのおばさんの姿が見当たらなかった。「まだこの上に続く階段はあるのでしょうか」とレジに立っている女性に聞くと「ありますよ」との返 事。私が困惑した顔をして動けないでいると、レジの女性は 「皆、ここを通りますよ」 と、品物が多く置かれているレジ横の机の左端、わずかに空いたスペースを指して言った。どうやら、この場所を堂々と踏んで登れ、という意味らしい。レジ横の机を乗り越えて売場のフロアに降り立った。周囲を軽く見回すと、何てことはない、先ほど乗り越えたレジの横に、今まで登って来た階段の降り口 から右側に折り返すようにしてさらに上への階段が設けられていた。階段の上がり口付近には、ゴチャゴチャと段ボールやら荷物が積まれていて、最初は大きく跨がなくて はならず登りにくさを感じたが、数段登ると、後はすんなりと最上階のフロアへとたどり着いた。そこは、まるで豪勢で古風な雰囲気の博物館か 美術館の内部に来たかのような雰囲気の場所だった。 床には、装飾の描かれた厚い絨毯が敷かれ、部屋の壁には美術品の絵画が並んでいた。 金色の縁取りが施してある屏風が置かれた一画があり、その前には丸い座卓が置かれ、卓上にはアルバ ムやファイル、冊子のようなものが数冊あった。入会案内とか、パンフレットの類いだろうか。人影は見当たらず、奥の方で講習の最中なのかもしれない、 そう思いながら、私はパラパラと卓上の冊子をめくって眺めていた。』自己解釈夢の連続性を考えれば、この夢は「2011年末に見た砂の壁を登る夢」の続きの夢。2011年末に見た夢の中では、苦心して砂の壁を登っている最中で夢は終わったが、今回見た夢の中で は、砂の壁は、デパートの階段となり、途中変な障害があったものの乗り越え、私は目指していた「最 上階」にたどり着いた。ゴールである最上階という場所にたどり着いたものの、その場所は「ガムランを習う場所」である。さて、じゃあ、ガムランって何?ということで調べると、 【ガムラン】とは、インドネシアの民族音楽で使用される金属性の打楽器。 お祭りや儀式など、本来は神に捧げるための神事において演劇や踊りの伴奏として使用される。 ガムランは「たたかれるもの」の意。とある。実は学生時代、一年ほど音楽系のサークルに在籍していたことがあり、この時、ガムランという珍しい 楽器に直に触れたことがある。神様に音を捧げる神聖な楽器 そんなイメージがある。夢の中で、あの頃のその心地好い音色の記憶がよみがえったらしく、それで興味をかきたてられて、知 らないおばさんの後をついていったようなのだ。こんな、夢を見たからといって、すぐに「夢のお告げだから、ガムラン教室に行かなくっちゃ」なんて 思うほど間抜けではない。現実問題として、そんなカルチャー教室に周一で通えるような時間的余裕も持ってないし。「ガムランを習うこと」が私にとっての何を意味し示唆しているのか。 夢が私に提示した新しい課題。 まあ、あわてずゆっくり考えようと思っている。付録 (この夢についての、夢の系譜のまとめ)さて、今回見た夢は半年程前からずっと夢が私に与えていた「夢からの警告」と、その夢に対する私な り思索、夢との対話という作業の繰り返しを経て、私自身が気付いたことに対する夢からの「ご褒美としての夢」だと思っている。今回の夢にたどり着くまでのこの半年間ほどの夢の系譜を以下に並べる。1 夢からの最初の警告「花の子ルンルンは好きか嫌いか? 」(2011年07月07日過去ログ掲載 ) http://plaza.rakuten.co.jp/zhizi369/diary/201107070000「花の子ルンルン」という例えが示しているものとは? 夢を見た当時私が夢中になっていた某スピ系ブログ、というかそのスピ系ブログを代表とする危うい思 想に対して、夢が「好きになるな」と警告している。 夢の最後で、批判的なN氏が座っていたのは部屋の左側のすみ、私に対して理解ある北村氏が部屋の右 側で床に倒れていたという点から、夢は私に左側優位になれ、つまりもっと合理的になれと、示唆して いるようにも受け取れる夢。2 夢からの二度目の警告「 今までも、多分これからもずっと、隠れスピな傍観者 」(2011年11月30日過去ログ掲載) http://plaza.rakuten.co.jp/zhizi369/diary/201111300000「花の子ルンルン」と、夢の中で前回形象されたものが、今度は「二番目に登場した曲芸乗りバイ カー」として形象化され、夢に登場する。 曲芸乗りバイカーは、暫し芸を披露して見物客の私たちを楽しませてくれたあと、無理な芸に挑戦した のか、バランスを崩して自爆。 すんでのところで、私たちもその事故に巻き込まれそうになる。 「 二番目に登場した」というところに、「誰かの物真似」という意味があるのだろうと、今は解釈して いる。3 夢からのヒントと三度目の警告「坂の中腹で迷い止まる夢」(2011年12月5日過去ログ掲載) http://plaza.rakuten.co.jp/zhizi369/diary/201112050000夢の解釈に悩む私に夢がヒントとなる夢を見せる。 夢の中で見た建物の構造が、以前読んだ夢分析の書籍に掲載されていた夢の事例に登場する建物と共通 項があることに気づき、夢解釈のヒントを得る。 夢の中で、砂の斜面に足をとられ、登りたくても身動き出来ない状態でいる自分に、夢の三度目の警告 だと感じる。4 「2011年末に見た砂の壁を登る夢」(2011年12月30日過去ログ掲載) http://plaza.rakuten.co.jp/zhizi369/diary/2011123000002012年となり、以前から読みたいと思っていた一冊の本「子どもの頃の思い出は本物か」(カール・サ バー著)をようやく読んだ。大して読み進まないうちに、脳科学者 茂木 健一郎氏が「アハ体験」と読んでいるような気づきが、私を 襲った。 (その時感じた内容については前回のブログに書いたとおり。)そして、カール・サバー氏のこの本を読了した翌日、今回のこの夢を見たのだった。
2012年02月13日
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子供の頃の記憶は本物か?(カール・サバー著 化学同人)新聞の書評欄で目にしてからずっと読みたかった本がようやく手に入った。何故って、本はなるべく買わない主義で図書館の予約順番待ちをしていたからだ。まだ半分しか読み進んでいないが、いてもたってもいられなくて、これを書いている。私の中で、モヤモヤした薄灰色の疑念が霧が晴れたかのように今消えていくような気持ちだ。私がこの本(カール・サバー著「子どもの頃の思い出は本物か」)を、是非とも読みたいと思っていたのには訳がある。半年程前に出会い、最近まで夢中になって読んでいたスピ系ブログ(スイマセン、過去ログで何度も紹介したあのブログです。)で、ブログ主の女性が、ヘミシンクを利用してセルフヒーリングを行うなかで、今まですっかり忘れていた過去の記憶を取り戻し幼児期、父親から性的虐待を受けた、という、衝撃的な告白をしたからだった。勿論、ブログは反響を呼び、女性読者からの共感と同情、羨望を集め、今では1日のアクセス数が1000件近い日もある人気ブログに成長している。かくいう私も彼女のブログに引き付けられた一人。ブログ読者として当初一番気になって仕方なかったのは、そんな悲惨な過去の記憶を取り戻してしまった今、彼女は 父親に対する感情をこれからどう処理し、乗り越え、どう父親との関係作りを進めていくのだろうということだった。何故なら、現在の自分の不幸、アラフォーとなった今もまだ独身で男性とのお付き合い経験すらないのは、父からの幼い頃の性的虐待が原因で男性不信になったためという原因がハッキリと分かったんだから。が、「お父さんを許せますか?」と、問う読者からのコメントに対し「もう許した。もう自分は気にしていない」と、意外に素っ気ない返事を返しただけ。すぐにブログの内容は、天使との恋愛話へと焦点が移ってしまっていた。そして、時々記載する現実での日常についての場面で、今も虐待の記憶を取り戻す以前と何ら変わらず、父へと毎月せっせと仕送りをし(彼女は親元を離れて一人暮らし)、今も時々兄弟と供に父を誘っては一緒の外食を楽しんでいると書いていた。現実での彼女のこの行動に、私は「何故!?」としばらく理解に苦しんだ。私には到底、彼女の感情が理解出来なかった。(気になり過ぎて彼女を夢にまで見てしまった。)彼女のブログで、あの幼児虐待の話を読んだ直後、私は彼女の父親に対する怒りがおさまらなかった。 彼女の書く表現が余りにも真に迫り生々しかったせいもあったかもしれない。今からでも訴えたほうがいい、と真剣に考えたほどだ。多分私だったらそれまで、どんなに親と良好な関係を続けていても、こんなショッキングな事を思い出させられたら、もう今までのように親と付き合えないだろうと思った。「今、私が結婚出来んのは、アンタのせいや!」なんて、 年老いて弱った父に面と向かって、言うかどうかは考えものだが、顔を見るのを避けるようになるには違いない。ましてや、自分の貯金を削っての仕送りなんて。彼女には虐待を受けずに幸せにスクスク育った長男でもある立派な弟がいる(彼女は4人兄弟の3番目だという)「お前、跡継ぎなんだからお前が面倒見れ!」と、長男である弟に向かって言い、私だったら即効、仕送りなんかやめる。実際に訴訟大国アメリカでは、心理療法家やヒプノセラピストから小さいときの性的虐待の記憶を思い出させられた人達が、親を相手に訴えを起こしているのだから。この話をブログ上に公開してから一年近くたった今も、彼女は仕送りを止めず、父との関係はなんら変わっていない様子を彼女はブログ上で綴っている。そんな彼女の行動を「無償の愛」の体現者だなどど称賛する者もいる。彼女は、この他にも、少女時代の話や学生時代の話など、様々な自分の身の上に起きたという出来事をブログ上に綴っている。その度に彼女は読者からの質問に対し「詳細な記憶」に裏打ちされたノンフィクションだと言っている。非凡な文章力と、表現力で読んでいて面白く話の中に引き込まれるが、ふと疑問に思う時がある。何十年も前の子供の時の出来事を、こんなに会話の一語一語まで覚えていられるのか?と。そんな疑問に対してカール・サバー著「子供の頃の思い出は本物か」は、見事な答えを与えてくれた。記憶を再構築するということ。そしてそこには勿論、願望も含まれる、と。「人は自分が抱える問題の原因を知りたがるものだ。若い女性が説明のつかない症状ーーたとえば、摂食障害、抑うつ、不安、悪夢、性的問題などーーを抱え、セラピーを受けたいと思っていたとする。その場合、自分が抱える問題の原因を与えられることで、大きな安心感が得られる。(略)(同著135ページから抜粋)」『生きる勇気と癒す力』(エレン・バス、ローラ・デイビス著1988年刊行の「性的虐待サバイバーのためのガイドブック」)という本が巻き起こした社会問題についても、言及している。この本を読んだ若い女性達や、セラピーを受けた女性達が、そのような事実がないのに「親に性的虐待を受けたことを思い出した」として親を相手取って訴訟を起こし社会問題化しているケースや、逆に訴えられた親達が、自分の子供にそんな変な記憶を植え付けるような療法を施したとして、心理療法家やセラピストを訴えだしているのだとも。疑問は確信に変わった。ああ、彼女の語っていたものはやはり、「願望充足のために自ら造り出したビジョン」だったのだなあ、とでも、私はそうとは漠然と気づきながら、彼女のブログに魅了され、毎日展開に目が離せなかった。夢から「そんなブログは読むな」と警告されていたのにねブログ主は年間300冊以上の漫画を読む読書家だと自らを紹介している。過去に読んだ物語の中には、勿論「性的虐待から生き残った者(サバイバー)」物の話もあったに違いない。ジャンヌ・ダルクの悲劇の話も含めて、全ては記憶を再構築するためのネタとして無意識の奥底に刻まれていったのだろう。最初、初めて彼女のブログに出会った時の私の彼女に対する第一印象は「赤毛のアン」だった。寂しがりやで、空想好きで大変なお喋り。次々と人を楽しませるためのお話を考え出しては披露して聞かせてくれ、そして皆から愛されている。文才や表現力は素晴らしいものをもっていると思う。天から与えられたインスピレーションを、「自分の記憶だ」などと自己愛的に消化しないで、物語の作家として大きく成長して欲しいと願っている。 抑圧された記憶の神話著者:エリザベス・F.ロフタス価格:3,990円(税込、送料込)楽天ブックスで詳細を見る
2012年01月11日
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夢その11月2日朝に見た夢『夢の始まり。自宅の近所、駅から自宅へと向かう道の途中にある三叉路で、数人の男性が立ち話をしている。通り過ぎざま、彼らの話している会話の内容が耳に入って来た。どうやら、わが家のちびちゃん(小学生の娘)をメールか何かで誘い出して車に連れ込み、どこかでいたずらしてやろう、という算段をしているようだった。(夢は続くがこの後の展開は失念した。次の場面展開を考えると、多分私は子供が誘い出されないように対処したんだろうとは思う)次の場面。どこかの喫茶店か、居酒屋か。カウンターのある、まあ、盛り場という雰囲気の店内。茶髪ロン毛の ギャルっぽい女の子二人が、テレビがついているカウンターの前で騒いではじけている。彼女らは「今の世の中、恐いもの何にも無いじゃん、甘すぎー」といった類いの会話をしていたように思う。で、夢の中の私は彼女らに必死で説教していた。「君たちは平穏で何の危険もなく成長した、世の中甘い甘いって思って生きて来たかもしれないが、見えないところで、ずっと親に守られながら育てられて来たってことに気付けよ!」と。』( 1月1日の晩遅く、田舎に帰省していた旦那と子供が帰って来た。正月中、一人静かに過ごしていた家の中が急に明るく賑やかになって、子供の存在を強く意識した。それで、こんな風に子供に対して焦点の合う夢を見たのかもしれない。 )夢その2以下は1月3日朝、家族3人で私の実家に泊まっていて見た夢群。『会社にいる夢だった。(長い夢だったが、覚えている場面のみ。)いつの間にか衣替えになったようで周りにいる職場の仲間(ちょうど今のチームメンバーはボスを筆頭に6人)達は、紺色、半袖の夏服に身を包んでいた。私だけがまだ寝間着のような私服で、出遅れたような気持ちで、着替えるために自分のロッカーを探してうろうろしていた。』夢その3『巨大な商業施設のような場所に来ている。夢の中の私はどうも男性のよう。その建物の一端、広い吹き抜けのホールのような場所があり、階下のホールを見下ろせる場所で、私は高さ1メートル程の上部が手摺になったガラス壁に、休憩用ベンチに腰掛けて手摺にややもたれ掛かるようにして、下のホールを見下ろし、何となく眺めながら休んでいた。と、何かがふっと私の耳元に話しかけて来た。あえて私は、そいつの方を向かないようにした。そいつの立っているらしい場所は、ガラス壁の向こう、床の無い吹き抜けのホール側のようだったからだ。うん、うん、そうでしたか、 それはそれは。ははあ、大変でしたね、そうですか、うん、うん、そんな風にそいつが話しかけてくる内容に対してただ、上の空で相槌を打ってやった。真面目に話を聞いてはいなかったが、相当にネガティブな内容のものだったのは感じられた。自殺でもしたのかもしれない。そいつはある程度ぶつぶつと話をし終えると、満足したのか吹き抜けホールの奥の方へと流れて行き気配が消えた。その後も、しばらくそこに座っていると、又別の同じような奴が現れては私に話しかけ消えていき、数回そんなことが繰り返された。他の人から見たら相当異様な光景に違いない、そう思って辺りを見回したが、周囲にいる他の買い物客達の誰一人として、全く気付いていない様子だ。ようやく席を立ち、そこから立ち去ろうとした時、向かいのベンチに腰かけていた一人の老人が私に話しかけて来た。「その場所現れるでしょう通り道みたいだから。」にこやかにそう言われた。』夢その4『バイクに乗った。背もたれのあるバイクで、普通のバイクと全く違う近未来形のバイクだった。一輪のみのバイクだったかもしれないし、そもそも車輪もなかったかもしれない。それは、宙を走るバイクで、 そもそもバランスをとるのが大変難しい乗り物だった。走り出す前に停まっているバイクに跨がり、重心でバランスをとる練習をした。運転姿勢は、かなり前屈みになって下を覗き込むような姿勢をとる。私は下を向き過ぎて、バイクごと前につんのめるようにして転倒してしまった。そして出発の時。バイクに跨がり、シートベルトを締めた。このとき、大事なウェストバックを地上に落としたらいけないと思い、シートベルトにウェストバックの手提げ用の輪を引っ掛けるように通した。バイクのハンドルを握り、前屈みの前重心の姿勢を取ると、体はシートベルトを圧迫した。シートベルトがなければ、私の体は下に落下してしまうだろう。バイクは空を飛んだ。私の前を先輩の運転するバイクが走り、その後を付いていく。バイクは高高度の宙を走り、眼下はるか下に、民家やビルの建ち並ぶ市街が見えた。と、目的地についた。どこかの商業施設のよう。受付カウンターがあり、そこで手続きをしたようだった。カウンターの前にいた数人と何か会話を交わす。受付カウンター上には訪問者のために何種類かのチケットが数枚ずつセットで扇状に並べられていて、チケットを選ぶように促されたようだった。カレーのチケットや空手を体験するチケットなどがあった。ふと自分の来ている服を見ると、空手のロゴがデザインされたTシャツを着ていた。空手は知っているからいいや、そう思って、空手の体験チケットはいらないと思ったら、傍にいた誰かが徒手で私に打ちかかって来た。必死に素手で、相手の技を防御しながら、思いの他、自分の受け技が鈍っていることに気がついた。 』解釈はまた今度。一つだけ、正月休み明けの1月4日 、朝出勤してきたH氏が近所でオープンしたというレストランの割引チケットを3枚、どうぞと私にくれた。見ればカレー専門店のチケットだった。妙なシンクロにちょっと驚いた。
2012年01月05日
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2011年12月30日、今朝の夢沢山見たが覚えているのは、この夢だけ。『白髪頭のおばあさんと私の二人、連れだっていた。森の中のような場所。遠くから熊の鳴き声のようなものが聞こえ、私はすぐ目の前にそそりたつ、白い壁のような斜面を登り始めた。白い壁は、砂を固めたような壁で、砂の壁を手でぐりぐりと削りながら、フリークライマーのように、取りつき場所を作って壁をよじ登っていく。私の右側を少し離れて同行して登るおばあさんが、手からコップを落とし、下へと落下させてしまった。「そんな物にこだわるな」と、コップを落として残念そうな素振りのおばあさんに向かって私は、怒鳴った。と、目線を自分の足元に落とすと、壁のような斜面の途中、あばあさんと私を横に繋ぐ細くて平坦なトラバース様の路の上に私はいて、足元には小さなお猪口とショットグラスが落ちているのが、目に止まった。』この夢を見る20日以上前の12月5日に坂の中腹で迷い止まる夢を見たが、今朝の夢はその続きだと思った。砂に足を取られながら坂を登るのは、しんどい。しんどすぎて、止まって休んでいたところで前回の夢は終わった。そして今朝の夢。砂の斜面どころか、砂の壁になってしまった。なのに、私はその壁を登ろうと必死だ。今度は、旅の連れにおばあさんも一緒だ。彼女は老成した私自身の姿かもしれない。私はまだ前進することを諦めていない、この夢を見てそう思った。さて、明日にはもう来年が来る。仕事がら、年末年始とは無縁の生活をしている。今度の大晦日の晩も夜勤で、仲間達と詰めながら、年越しを迎える。もしかしたら、初夢は夜勤の仮眠中に見るはめになるかもしれない。某夢事典のブログを書かれている方が、初夢について、1月1日とか2日、3日に見る夢とこだわらないで、年末(12月末)から年明け(1月初旬頃)までにかけて見る夢が、 その年の自分についてを暗示している夢だと考え、大切に覚えているとよいというようなことを書いていて、私もそれに凄く賛同する。なので、今朝見た夢は、既に私にとって来年の自分を暗示しているということなんだろうか。登り続けること。それが、2012年の私のテーマってことか?う~ん、想像するだにしんどそう。来年は、キツい年になるのだろうか。途中で又、昔のように心が折れないことを、祈るばかりだ。
2011年12月30日
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クリスマスのわが家のお伽噺 1〉いのちの勉強http://plaza.rakuten.co.jp/zhizi369/diary/201112240000/続き(2009年12月25日の日記から)ちびちゃんが三才の時のクリスマスイブのこと。 ケーキを食べ終わり、お母さんと居間で寛いでいたら、突然ベランダ側の窓がガタガタと大き な音を立てました。 「うわっ!どろぼうだ!こわい!!」 お母さんがびっくりして叫ぶとちびちゃんも目に大きな涙を浮かべ、お母さんに抱きついて来 ました。台所にいたお父さんが 「どうした!どうした!」 と居間にあわてて、入って来ました。 「どろぼうさんが来た・・・・・」 かすれるような声でちびちゃん。 「じゃあ、ベランダを見に行こうか、こわいからちびも一緒に来て!」 家族揃って、そ~とベランダを見に行くと、そこには何故か、可愛い包装紙にくるまれたプレ ゼントが・・・・・!この日以来、ちびちゃんは煙突のない我が家には、サンタさんはベランダにプレゼントを置き にやって来るんだと信じて疑ってませんでした。クリスマスイブの夜になるとちびちゃんは、ベランダを頻繁に見に行き諦めて寝てしまっては 、翌朝ベランダを覗いて 「あった!」 と喜ぶのをここ数年繰返していました。でも、もう来年は小学校高学年。 クラスのお友達の中には、サンタの正体はお父さんだと言っている子もいるみたい。クリスマスの数日前、ちびはお母さんとこんな会話をした。 ちび「デパートのオモチャ売り場でね。 オモチャを買ってる人がいてね。 でね、店員さんが綺麗な袋にいれてね。 サンタさんからのプレゼントにそっくりだったよ。 やっぱり、サンタさんっていなくって、 お父さんでお店で買ってきてるのかな? お父さんがベランダに置いたのかな?」 お母さん「あら、でも、お父さんもお母さんも一緒にお部屋に居たとき、サンタさんベランダ に来たことあったよね?」ちび「う~ん、やっぱりサンタさん、いるのかな?」 お母さん「ちびちゃんはサンタさんに何のお願いしたのかな?」 ちび「ハムちゃん、返して! ってお願いしたの。DSいらないから、ハムちゃん戻って来て欲しい!」ハムちゃんが死んでからのこの一週間、ちびは毎日、思い出してはまだメソメソしています。 特に、夜、布団に入ってから眠るまで、 「ハムちゃんに会いたいよ~」 と、お経のようにぶつぶつメソメソ。 そして毎翌朝には決まりきった日課のように 「夢でね、今日もハムちゃんと遊んだんだよ!」って。ところが昨日のクリスマスイブの朝、毎日ちびが見ていたハムちゃんの夢に変化がありました 。 ちびは朝起きて来るとお母さんにちび「お母さん、あのね。 お母さんがお店でハムちゃん買ってきてくれる夢を見たの! ハムちゃんが死んだ日の12月15日生まれのハムちゃんでね、 ハムちゃんの生まれ代わりなの!」と。 これを聞いてお母さんがびっくりしたのはいうまでもありません。(だって、ちびちゃんに内緒のある計画があったんだもの)昨日、ちびが小学校に行っている間にお父さんはペットショップに行ったり、ベランダに細工 したりと日中大忙し。イブの夜、ちびちゃんはサンタさんが気になって、数十分おきにベランダを見に行ってはお母さんに 「風邪ひくよ!」と怒られてました。 クリスマスケーキも食べ終わった夜8時頃、家族皆で居間でテレビを見ていると突然、 ガタタ! とベランダから音がしました。 「風の音かな?」 「風強くないのにおかしいね。」 で、ちびちゃんがお父さんと一緒にそ~とベランダを覗きに行くと、 籐製のかご が置いてありました。居間に持って帰ってきて恐る恐るそっと蓋を開けると・・・・・「ハムちゃん!」お父さんは片付けていたハムちゃんのケージをあわてて引っ張りだすと、ハムちゃんのお家作りを はじめました。その間、ちびはハムちゃんをじーと眺めて、 「ハムちゃんの生まれ代わりをサンタさん連れて来てくれたんだ。でも、ちょっとハムちゃん よりデブ・・・・・」そう、サンタさんが連れて来たハムちゃんは、なんと、死んだハムちゃんよりひとまわり以上も体が大きかったのです。「大きく見えるのは冬毛だからだよ。サンタさんの国は寒い雪国だから」 とすかさず、用意していた言い訳をするお母さん。 ちびちゃんは感極まって涙目になっていました。 そして、「サンタさんまだその辺にいるかな?」 と何度もベランダに出ては戻って来て、 「サンタさん、いなくなるの早すぎ! でも、すごいキラキラしてる星があってね。あれトナカイさんが、去っていく所だと思う!」 と言いました。そして今朝(25日の朝)、もうちびちゃんの夢にハムちゃんは現れなかったそうです。そりゃそうでしょう、だって本物が今、目の前に要るんですもの………。
2011年12月24日
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クリスマスですね。うちのちび、小学5年生にもなった今もまだサンタを信じている。「今日も、サンタ来ないかな?」と、その話で持ちきりだよ。ちびの成長に合わせて、ばか母は、過ぎし日のクリスマスの思い出ばかりよみがえる。今日は、2年前のクリスマスを思い出してしまった。(2009年12月16日の日記から)急激に冷え込んだこの2日間。 夜の寒さに耐えられなかったのか、ちびの飼っていたハムスターが死んでしまった。まだ、買ってきて1ヶ月もたっていなかった。夜勤明けの今日、帰宅するのが少し遅れた夕方。 珍しく旦那から電話。出て見れば、ちびが小学校から 帰ってきて、ハムちゃんのおうちを掃除 しようとしてケージの中を開けたら、既に冷たくなっていたのだという。「近所中に鳴り響きそうな大声で大泣きして、見ているだけで心が折れそうな様子なんだよ」、と 旦那。あらまぁ、 旦那も見るに耐え兼ねて、珍しく職場の私に電話してきたのだ。ハムちゃんはベランダに前から置いてあった土だけの空き植木鉢の中に埋めたそうな。「うーん、そんなところに埋めたら腐って臭くなるよ」、と旦那に電話で言ったら、旦那も既にち びに同じ ことを告げてくれていて、ちびは、 「ハムちゃんだから臭くてもいい」 と返事をして、ハムちゃんのお墓となった植木鉢にお線香を備えたそうな。夕方、ようやく帰宅すると、まだ真っ赤な目をしたちびがいた。私がハムちゃんのことを聞くと又、思 い出しては大泣き。今朝、学校に行く時、ハムちゃんに挨拶しなかったの。 せっかくホッカイロ買ってたのに、ハムちゃん に入れて上げなかったの。 寒い夜だったのに、ケージを暖かいお部屋に移動しなかったの。朝、学校に着いた時、なんとなく気持ち悪くなって家に帰りたくなったのに、お家に帰らなか ったの。ハムちゃんが苦しんでたかもしれないのに、気づいてあげれなかったの。うん、うん。 学校好きの子が珍しい。そういうのを虫の知らせって言うんだよ。うちのちびに命の尊さを教えてくれたハムちゃんに、ありがとうって伝えよう。春になったらその植木鉢にお母さんの好きなサボテンを植えてあげよう。そうして迎えたその年のクリスマス、サンタさんはちびに何を運んでくれたんだっけ?関連記事 過去ブログ 「ちびが見たハムちゃんの夢」http://plaza.rakuten.co.jp/zhizi369/diary/200912210000 /
2011年12月24日
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数日前(12月14日)、バイクを操って苦心している夢を見た。その日は沢山の惰眠を貪ったので、夢はよく見た。が、覚えていた夢はこの一場面だけ。『バイクを操って、幅3、40センチメートル程度の細い木道の上を落ちないように移動している。多分、運転の練習中のようだ。木道の下は池か沼か仮設の砂場なのか、よく覚えていないが、バイクの練習場らしい。周囲に人がいたのは覚えている。職場の人達だろうか?木道にはカーブや坂、急なクランクなどがあり、私はバイクを低速で走らせながら、左足の爪先でカチッカチッとクラッチ操作をするのだが、これが上手く入らず、その間に、バランスを崩して木道から落ちそうになる。』バイクは車と違い一人だけで乗って操る乗り物だから、一人孤独に前進するイメージがある。だから、バイクを運転する夢は、人に頼らずに一人で何とかやっていこう、とか、一人で頑張ってやっていかねば、などと意識している時にこうして夢に見易いのではないかと思う。なぜ、こんな夢を見たのか、自分なりに思い当たる節がある。この夢を見る2日程前、職場で上司が仕事中に体調を崩した。大事な事案を抱えて処理している最中の事で、上司は何度も洗面所と執務室を往復して、仕事を処理し続けていた。洗面所の前を通りかかった同僚が、部屋に入って来るなり、「ボス、トイレで吐いてるよ……」と、言ったのを聞いて、上司が抱えている心労の大きさに今さらながら、気がついた。残念ながら、私達は上司程の責任も決定権もなく、その時、何か手伝わねばという思いを抱えながらも、横から見守ることしか出来なかった。今の上司(50代後半の年配男性)は、大変仕事の出来る方で、外に厳しい半面、部下には優しく、何かあれば部下のために盾にもなる方で、今まで何度もそんな場面に遭遇した。今の職場が私にとって居心地がいいのは、この上司によるところが大きい。今までの自分は何と仕事上、この上司に甘えて過ごしてきてしまっていたのだろうか、と、体調を崩した上司を目の当たりにして、気づいたのだった。部下がストレスを感じない分、上司がそのストレスを引き受けていたんだって。で、「もっと頑張らねばいけないな」と。上司に頼らず、一人でも仕事がこなせるようになりたいと感じた意識が、私にこの「バイクを練習する夢」を見せたに違いない。さて、バイクの夢繋がりでもうひとつ夢を。去年私は、こんなバイクの夢を見た。2010年4月12日の夢日記から『明日は私が職場に出勤する最後の日らしい。 私はバイクに跨がって一人飛び出した。バイクを操るのは何年ぶりのことだろう。 最初はコーナーを曲がる動作もぎこちなかったが、操るうちに体が思い出して運転に慣れて来た。山中の急なターンをいくつも曲がる。行けるところまで行こう・・・どこまでも、遠くへ走って行こうと思い、走り続けた・・・。と、随分遠くの街まで来てしまってから、突然バイクが故障して、動けなくなり立ち往生してしまった。仕方なく、バイクをそこにおいて、近くのサービスエリアのような場所に入った。ここは函館のようだ。それぞれの露店のオヤジ達が、久々の客の来訪に喜び、私が注文してもいないのに、ホタテの醤油焼きなどを皿にもり付けだした。時計を見ると11時10分。(多分夜)来た道を引き返すには遅い時間だ。店の人に 「電車かバスのある駅は近くにありますか?」 と聞くと「近いよ。」 との返事。しかし、よくよく聞くと、歩いて2時間くらいかかる距離のところだという。もう、明日の最後の出勤には間に合わないかもしれない・・・それでも、私は先を急がなくては、 と思うのだが、久しぶりの客に喜ぶオヤジ達の様子を見ていると、 その場を急いで立ち去りがたく、何か皿に盛ってくれた商品くらい買ってあげたい気持ちになってしまう。私は先を急がねばいけないのに・・・』(過去ログ2010年4月12日付「 相反する2つの夢の感情に・・・ 」 http://plaza.rakuten.co.jp/zhizi369/diary/201004120000/ から再掲)去年の春、ブログにこの夢を書いたとき、夢の解釈を書かなかった。当時は、どんなメッセージが潜んでいる夢なのかも分からなかったから。でも、今は何故この夢を見せられたのか、分かる。今の会社に入社した十数年前から、私の周囲には女性の同僚がほとんどいなくて、ずっと男性社員ばかりに囲まれた仕事環境で辞めずに今日まで働いて来た。こんな内向的な性格でありながら、負けず嫌いな面もあって、悩みや相談事を抱えても、なかなか周囲の男性社員に相談出来ず、 全て自分でなんとか処理して、大きなトラブルを起こさないようにと心掛けてやって来たつもりだ。それでも、過去に数度、男性の上司や同僚に相談してしまい、親しく話を聞いてもらっているうちに、変な恋愛感情を相手から持たれ、男性同士ならあり得ないような嫌な経験もした。結局、余計に強い警戒心を周囲に対して抱くようになっただけだった。3年前、ちょうど今の夢分析に出会う直前の頃、東山絋久氏の本 (多分「悩みのコントロール術」だったと思うが )を読んでいて、氏のもとにカウンセリングを受けに来た女性の話が載っていた。長く会社勤めをしていて、精神的に疲弊しきってカウンセリングを受診しに来た女性について、氏は、「今の男性優位の日本の会社で、退職せずにここまでやってきた女性というのは、それだけで、もう相当頑張っている方である」というようなことを書かれていて、これを読んだ時、私自身、とても救われたような気持ちになって嬉しかったのを覚えている。(この時から、東山絋久氏のファンになったんだと思う。)当時、私の周囲には誰もそのようなことを言ってくれるような人はいなかった。私の夢によくアニムスとして登場する当時の上司A氏にしても、現実では「君はまだ甘えている」と私に対して辛辣な言葉を放った。(残念ながら、夢の中では私の良き助言者であっても、現実はそうではなかった。)そして、昨年春今の職場へと転勤した。前述したとおり、今の職場は、私にとって居心地がいい。前いた職場に比べて、とても楽だ。雲泥の差が有るくらいに。都会のビルの中にあって、周囲には私と同じような女性職員も沢山いて、以前のように私一人だけが現場で妙に珍しがられて、不必要に注目を浴びたりする心配もない。今の私は、長年の貯まりに溜まった、疲れを癒すために、今の職場へと転勤して来たんじゃないかとすら思える。だからね、去年4月に見た一人バイクで走る夢のメッセージはこうだ。前の職場での私は、ずっと一人孤独に走り続けるバイカーだった。バイクは故障し立ち往生してしまっているのに、私はまだ前進しなくちゃ、なんて考えているほど、体は疲れ、判断力も鈍る程に精神的には疲弊して追い込まれていた。夢の中で立ち寄った「サービスエリア」は、勿論「今の職場」を暗示していたのだろう。そこで、物売りのオジサン達は私に言う、「休憩しろ」と。はいはい。確かにその通りになりましたね。今の職場に勤めて一年半。ここは、前の職場と比べると本当に「休憩所(仕事をサボっているという意味ではありません)」のように感じられるくらい、居心地が良い。勿論、良い上司に恵まれたお陰でもあるけれど。ちょっとこの一年半、安心してだらんと休み過ぎてしまったかもと、内省している。もうそろそろ、再び走り始める準備をしたほうがいいよ、数日前に見た、バイクを練習する夢が、私にそう伝えているように感じられた。
2011年12月18日
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前回、前々回からの続きです。前回このブログに書いた夢「坂の中腹で迷い止まる夢」の意味について考えていたら、以前読んだ 川嵜克哲氏の著書の中に良く似た夢が載っていたのを思い出した。勝手ながら夢解釈の参考のため、ここに引用させて頂くことにする。川沿いの家の夢『どこか知らない川沿いの家に来ている。その家の家族が外に出て、建築士のような人のアドバイスを聞いている。「ここを軽くしなさい」とか言われるとそこの重いものをどけている。建築士らしき人は今度は家の中に入り、一番下の部屋に下りていく(この家は道の方から見ると1階建てだが、川の方から見ると地下が川の中まで入っており、3階建て)。その部屋は川の中に造られており、片面はガラス張りになっていて川の中の生き物が観賞できるようになっていて、赤い鯉のような美しい魚がいっぱい見える。建築士は「これは危ないですよ」と、上を指す。するとそこからは、川の水の重みで天井が少しへこんで水が漏れてきている。その家の人は、この部屋だけは家族の楽しみなのでアドバイスを聞くことは出来ないと言う。(中略)部屋の中から見る魚の群れは美しく、じめじめした空気と危険な部屋にいることを一瞬忘れさせてくれるが、私はすぐに我に帰り、「危ない、危ない」と、思う。』 (川嵜克哲著「夢の分析」から)この夢の中に登場する「川沿いの3階建ての家」が、まさに私が前回夢にみた「 斜面に取り付くようにして建てられたコンクリート造り3階建ての建物 」と同じような意味を持って夢に登場したんじゃないかと思えたのだった。ただし、私の夢に「川」は登場してないが。上記「川沿いの家の夢」を見た方は、川嵜氏の心理療法による治療を受けていた40代前半の女性で、川嵜氏に言わせると、とても「シャーマン的な人」だったという。(臨床心理士がクライアントに対してシャーマン的って形容してしまうのって、本を初めて読んだ時、どうかと思ってしまったんだけど、それはここではおいとく)シャーマン的な人、つまり、もっと最近の分かり易い言葉で言うと、とっても「スピリチュアルな感じの人」だったんだろう。川嵜氏は、沖縄のユタなんかに代表されるような、シャーマン的な人っていうのは、自分の中の「(シャーマンとしての)超越性」と「(現代人としての)内面性」とのバランスをうまく取ることに失敗してしまうと、幻聴幻視や原因不明の体調不良等に見舞われて容易に「あちらの世界」に「行って」しまいやすく、それを「統合失調症的な世界」なんて、表現の仕方をしている。で、 川嵜氏は 上の夢の解釈について「普通の主婦」として生きて行きたいと願っているクライアント女性が、自身の内面性(普通の人でありたい心)と「超越性」とを、バランスよく両立させようとする試みの中で見た夢だと分析し、そのような状態は、彼女にとっていい方向に向かっているのだ、とも。(この夢を見た時は治療を開始して4年半が経過していた)つまり、夢に現れた川沿いの3階建ての家は、意識と無意識とを繋ぐ家であり、川の中に面した地下は、彼女の中の超越性のイメージの現れであり、赤く美しい鯉が優雅に泳ぐ水中の世界は、我を忘れて吸い込まれてしまいそうな程に眩惑的なのだが、彼女はちゃんとそれを「危ない危ない」と感じて、「あちらの世界」に魅了されることの危険性にちゃんと気付いている。さてさて、それじゃ上記の川嵜氏の書かれた夢の解釈を大きなヒントにして、自分の夢の解釈をしてみようと思う。前回書いた、私の夢に登場した「斜面に建てられたコンクリート造り3階建ての建物」は私の中の意識と無意識を繋ぐ建物なのだ。(川がないのは、川は三途の川という意味もあり、私が上記夢の女性ほど、あちらの世界とつながっていない、大した霊感もない普通の人ってことなんでしょう。)ここでミソなのが、何故かこの建物が 「住宅展示場」の中にあるということ。「住宅展示場」っていえば、私の抱くイメージは、土日休日になると客寄せのための楽しいイベントが目白押しで、とっても面白そうなんだけど、いざ見学に行って、しつこく高い住宅を買えと勧誘されたら嫌なので、実際はちょっとだけ覗き見するような感覚で訪れたいって思っているところ。ガーデニング教室やらワークショップやら只で参加出来て、楽しそうで見に行ってみたいな~って、思いながら 深く関わりたくないし、営業マンに声を掛けられたら嫌なんで、いつも 指を加えて横目で通り過ぎてるところ。………って、は!ここまで考えて気がついた。これって、スピ系ブログを読んでいる時の私の感覚と一緒じゃーん!って………。この夢(前回ブログに書いた夢)は、8月に見た「 曲芸乗りのバイカーが橋から転落する夢 」の解釈について、考えていた時にちょうど見た夢だった。「夢の意味は夢に聞け」と、東山裕久氏は著書「夢分析の世界」の中で語っている。夢の解釈が分からないとき、夢からのメッセージが浮かばないときは、焦らずとも、その後に見た夢が、その夢を読み解くヒントを与えてくれるときがあるから、と。この夢が正にそうなんじゃない? 8月に見た「 曲芸乗りのバイカーが橋から転落する夢」の解釈のために、この夢は見せられたんだ。「曲芸乗りのバイカー」の登場する夢は、8月当時私が、連載小説を読むかのように、先の展開が気になってしまって目が離せず夢中になって読んでいたスピ系ブログ「ヘミシンクとゆるゆる日記」に影響されて見たってのは、分かっている。そのブログが面白いと思いながらも、ブログ主の女性が語る世界のあまりの「トンデモなさ」に信じていいのか、どう解釈していいものかいつも頭をひねりながら、でも実際のところ、あまりこういう世界に 深入りはしたくないな、と感じながらいつも彼女のブログを読んでいたのは事実。夢は、私に教えている。軽い気持ちや興味本意で、覗き見しているだけのつもりでも、心の内面奥深いところまで知らないうちに影響を受けてしまっていて、戻ろうと思ったときには、既に戻り難くなっているだろうことを。だから、この夢は明らかに、私への警告夢なんだと。「斜面に建てられた3階建ての建物」の一番下の階は、 スピリチュアルな世界、いや、あちらの世界 という意味で表現されていたに違いない。そこは、きっとスゴく素敵で心地いい場所だったのかもしれない。でも、そこで、私は誰かに会い、戻ると決めて坂を上り出した。 いったい「誰」だったんだろう?覚えていない。ただ一つ言えること、川嵜氏のクライアント女性が、夢で美しい地下の水中の世界を見て 「危ない危ない」と感じたのと同様に、私もあの建物の一番下の階に下り「誰か」に会ったとき、「ヤバイ、ヤバイ」と感じたから、来た道を戻ろうとしたのではないかということ。はてさて、一体誰?まさかねー、あのブログ主じゃないよね?(なんて言うのは冗談、それこそヤバイ発想だ)
2011年12月10日
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12月5日 夜勤で仮眠中だった今日の未明頃、こんな夢を見た。『道を歩いていて、どこかの住宅展示場の敷地内に入った。迷い込んだのではなく、その展示場敷地内を通過して、坂の下の目的地へと ショートカットして 向かおうと思ったのだ。その住宅展示場は、傾斜地にあり、 そこには斜面に取り付くようにして建てられたコンクリート造り3階建ての建物があった。その建物は下から見れば3階建てで、3階屋上側から一見すると、そこに建物があるのか見えない造りになっている。私は、道路とつながるその屋上部分から、 住宅展示場内に入ると、 下へ降りる外階段をつたって一階まで降りていった。降りる途中、建物内2階の屋根の無いイベントスペースのような場所を通り過ぎた。そこは、長机が幾つも整然と並べられ、 多くの来場者達が集まり机に座り 、講習会か何かのワークショップに無料で参加しているようだった。もう日が傾きかけているというのに、そこにいる来場者達は、帰る気配も無く、講師の話に耳を傾け、机上に向かっている。「もう、閉場してもおかしくない時間なのに」と、思うが、すぐに今日が日曜日だということを思い出し、「休日でお客が多いから時間を延長してるのだろう」と思いつつ、「私には関係ない」と、彼らの後ろをサッと通り過ぎて、一階へと降りた。空はどんよりと曇り、日は落ちかけてさらに暗く、おまけにパラパラと雨まで降って来た。一階の建物の外に出ると、そこにいた誰か数人が私を認めて、声を掛けて来た。何故、突然そうしたのか分からないが、私は急に、踵を返すと、その場所から、今降りて来たばかりの階段を上って戻ろうとした。しかし、今降りて来たばかりの道は、コンクリートの外階段のはずなのに、登り始めると、何故か細かい砂利の敷き詰められた細くて真っ直ぐな坂道になっていた。まるで火山岩の細かい砂利で出来た登山道のようなその坂道は、歩く度に足元で赤い砂利が崩れてさらさらと流れ落ち、地面を踏む度に、くるぶし近くまで足が砂利の中にズブッと埋まり、歩き憎いことこの上なかった。坂道はすぐに二股に別れ、右上へと延びる道は、やや傾斜が緩く、薄暗い橋のたもとへと向かって延び、左上へと延びる坂の頂上付近には、先程のコンクリートの建物が見えた。さっきよりも建物がえらい遠くにあると感じつつ、そのコンクリートの建物を目指して歩こうとするのだが、雨脚はさらに強まり、水を含んだ足下の赤い砂利は、さらにぬかるんで、踏み出した足が、さらに深く深く砂利の中へと埋まってしまう始末。あまりのしんどさに、坂を上るのはもう無理だと思い、斜面の中腹で止まった。あきらめて降りようか、と思って振り返り、坂の下を見下ろした。眼下の先には、森が広がっていた。下の目的地に向かうにしても、あの森を大きく迂回して行かねばならないのだと思うと、どちらにしてもしんど過ぎて。立ち止まり、悩み続けているうちに、夢が終わった。』夜勤で仮眠中に見た夢。いったい私は何を悩んでいるというのだろう。そんなに今の生活に行き詰まっているわけでもないし、仕事でストレスを抱えている訳でもない。今なにか、心に引っ掛かるものがあるとすれば、ああ、そうだ、先週アップした夢日記とその解釈が、どうも今一つ心の中でしっくり来なくて、もっと何か解釈を補足して書くべきだったんじゃないかと、そんな思いが頭から離れなくて、ついつい考え込んでいた。で、前回のブログで書いた夢(曲芸乗りのバイカーが曲芸に失敗し橋から転落して救助される夢)に登場した、曲芸乗りのバイカーが、夢見た当時良く読んでいたスピ系ブログの女性ブロガー(「37才独身OL、男性との交際経験なし」と、その女性ブロガーさん自身がブログ上で公言している)のイメージ像と、昔私が会社でお世話になっていた独身の先輩女性の姿と重なってしまい、 あのような夢となって見せられたのだろうと、単純に思っていたのだけどね。スピ系ブログを好きで、あちこち読みに行っているけど、私は積極的にコメントしたりして交流しないし、スピ系のブロガーさんが主宰するセミナーにも参加してみようとも思わない、興味があるくせに、傍観者の態度を崩さない、そんな野次馬根性の私自身を自分で批判している夢なんだと解釈していたんだけど。それでも、何か、しっくり来ない。
2011年12月05日
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今までも、多分これからもずっと、隠れスピな傍観者8月3日の夢日記から『私は同僚達数人と車に乗り、高速道路上を職場へと向かっていた。(数年前、一時期、都内の職場へと通勤するために近場に住む同僚数人で車に相乗りして通勤していたことがある。)車は首都高速湾岸線を北向け走っているようだった。私達の車が走るレーン上の左隣、少し離れた場所に、もう一本平行して別の高速レーンが走っていて、ふと視線を左真横に向けると、その左側のレーン上をスッと一台のバイクが走って来た。バイクは私たちの車の左真横に並んで走ると、なんと走行しながら、曲芸を始め、高速で走るバイクの上で、逆立ちをしたり、後ろ向きに座ったまま運転して見せたりして、バイカーはしばし華麗に離れ技を私達に披露して楽しませてくれると、そのままスピードを上げて走りさっていった。と、バイクが走り去ったかと思いきや、すぐにその後ろから二台目のバイクが現れ、今度のバイクも又同じように、曲芸を始めた。次のバイカーも、 バイクを走行させながら、ハンドルに捕まったまま逆立ちし、頭上で足を大きく開脚して見せた。ヘルメットで顔は全く見えなかったが、私にはその二台目に現れたバイク乗りがSノ倉さん(以前勤めていた会社の先輩女性)であることが分かっていた。と、Sノ倉さん は、逆立ちしながら掴んでいたバイクのハンドルから、ふっと、手を離してしまい、見る間に、彼女の体はバイクから離れ、そのまま宙を左から右へと飛んでいき、高速レーンを走行中の私達の車の頭上も越えて、高速道路の高架橋下へと真っ逆さまに落ちて行った。「スピードを落とせ!」私は車を運転している同僚に向かって叫んだ。案の上、運転手を失ったバイクが、 Sノ倉さん の体に続いて左の高架レーン上から落下してきて、間一髪、私達の車の眼前に落ちて大破した。次の場面。私は職場に出勤した。今の職場ではなく、コンクリート造りの学校の校舎ような建物内、2階か3階の部屋。窓の外にはベランダがあり(実際に昔通っていた中学校がこのような造りだった)、ベランダから眼下を見下ろすと、広大な茶畑のような緑色の田園風景が広がっていた。と、その風景の片隅に、妙な人だかりがあった。救急の赤いライトの点滅や、救急隊のような人々の姿が見える。誰かを救助中らしい。どうやら、先程高速道路から落下した Sノ倉さんはそこに落ちて倒れているようなのだ。しかし、今ここで、彼女(素性)を知っているのは、私一人しかいないようだった。職場の始業時間が迫っていた。出勤してきた同僚男性達はもう制服姿に着替え終わって、始業準備を始めている。私はまだ、制服に着替えてもいなかった。 Sノ倉さん の救助が気になって、着替えに行かなければ ならないのに、 なかなかベランダから離れることが出来ないでいた。見ていると、Sノ倉さん は無事救助されたようで、茶畑の向こうで救助隊や野次馬に囲まれながら、 白い羽や、頭にキラキラの輪っか、白いローブっぽい服などを着させられて、「天使」の格好をさせられているのが見えた。彼女はそのまま、救助隊に付き添われ、私のいる建物へと歩いて来て、建物内へと入ろうとした際、急に上を見上げた。ウダウダとまだその様子をベランダから一部始終眺めていた私と、天使の格好をしたSノ倉さんとで目があった。「ジ、ズちゃ~ん」と、彼女が私に声を掛けた。えっ知り合いなの?と、驚いたような様子で、彼女の 周囲にいた救急隊員やら野次馬やらが、私の方を見た。』夢に現れた 「Sノ倉さん」は、 もう20年近く前、 私が新卒直後に勤めた会社にいた先輩女性で、結婚退職が当たり前と思われていた当時、次々と同僚女性が二十代で寿退職して行くなか、社内でたった一人、 三十才を過ぎても独身で、辞めずに頑張って勤めていた先輩女性。(20年前の話です。今は30代で独身で勤めている女性は普通ですよね)なぜ彼女が、バイクで曲芸を披露したり、天使の格好をさせられたりするような夢を見たのだろうか。それが、今回のこの夢の謎。天使でピーンと思い至ったことがある。この夢を見た当時、展開が気になって結構夢中になって読んでいたスピ系のブログ。 これ。http://29tenshi.blog137.fc2.com/blog-entry-231.htmlヘミシングでチャネリングして、天使と恋愛して、ディープなエッチをして………と、もう常人には、全く真似の出来ない離れスピ技が次々に飛び出して、まあ面白いのですが、「読んでます。」とは、とても恥ずかしくって、決して周囲に公言出来んなぁ、と。つまりこれは、自らの野次馬根性を批判しているような内容の夢なのだ。あ~、そういえば、 前にも一度、夢の中でアニムス親父が「花の子ルンルンが好きなのか?! 」って私を批判して言っていましたが。花の子ルンルン、つまり少女マンガちっくな内容のそのブログのことを指して言っていた訳でね。見る夢は繋がっている。まあ、こんなブログ書いてる時点で、私も同じ穴の狢なんだけどね………。
2011年11月30日
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前回からの続きです。大した内容の日記ではありませんので、前回一回のみのつもりだったんですが、字数の制限で、2回に分けざるを得ませんでした。で、スペース余りそうなので写真を載せます。私が現在愛用している「ドコモ Xi L09」と「Sony 製アンドロイドタブレット」です。今は、通勤時は勿論、その他出掛ける時にも常に携帯して、電車内やカフェなどのちょっとした空き時間、端末に触っては情報に目を通して、大変便利に使っています。携帯電話でのi モードでのネットは ほとんどしなくなりましたね、メールと通話だけ。それだけ、今は重宝しています。で、前回からの続き。自分で、深く考えもせずにアンドロイドタブレットを衝動買いしたくせに、いざ使用してみたら、ネットに全然つながらなくて、ワケわからん!と嘆いていた自分。さて、頑張って三度目のショップへの相談に出掛け、自分では(でも分かっている人には、当然分かっているのでしょうが)全く予想していなかったことがネットに繋がらない原因だったと判明しました。以下、日記から10月14日金曜日Xiとアンドロイドタブレットをセットで購入してからちょうど2週間目をむかえた。相変わらず、自宅でXi とタブレットの電源を入れても、タブレット端末はネットにほとんど繋がらない。ほとんど繋がらない、という言い方には語弊があるかもしれないので、もう少し詳しく症状を説明すると、時々はネットにつながってYahooの最初のページが表示される時もあった。が、何かの用事でタブレットから手を離し、画面がブランクになったところで、数分後、再びタブレットを立ち上げようとすると、もう繋がらなくなっていたりする。購入時からドキュメント編集用のソフト等が入っているパソコンと違ってアンドロイドタブレットは本当に「空っぽ」の箱で、自分で自由に便利に使いこなすようにするためにはネット上の「アンドロイドマーケット」にアクセスして、必要なアプリ(私の場合、メモ関連ツールやドキュメント閲覧、Web画面コピーのためのツールとかね)をダウンロードしなくちゃいけない。なのに、 何度接続にトライしても、やっとネットに繋がったと思っても 、アプリをダウンロードする前、アプリストアで、アプリを選定している内に接続が切れてしまう。アンドロイドのタブレットだというのに、いまだに、何のアプリもダウンロード出来ていないまま、二週間が過ぎようとしてしまっていた。「もう、これ、ただのデジタルフォトスタンドがわりに使うしかないか~」という、諦めの感情が芽生え初めていた。(Sony 製品だからオーディオ関係のアプリだけは最初からインストールされていた)ネットに繋がないで、タブレット端末を楽しもうと思っても、タブレットに同梱されていた取説?はまるで、チラシのようなぺラッとした紙が一枚入っていたのみで、その他の取り扱い説明が読みたくば、ネット上のヘルプにアクセスしないといけない..........(だから、一番見たい時にネットに繋がらないんだって!)Xiの毎月の最低料金は1000円だから、2年間月々1000円のローンで、このアンドロイドタブレットを買ったと思えばいいか...........Xiは諦めて、タンスの引き出しにしまって、他社のWifi と契約し直そうか.......とも諦めに気持ちとともに、考えはじめていた。購入して今日でちょうど二週間目。たしか、通販商品であるならば、14日目というは、クーリングオフ出来るか出来ないかの瀬戸際の日。このまま、使えない機器を2年間持ち続けなければいけない、というのも、多大な精神的ストレスであるわけで、ダメもとで返品交渉をしてみようかと、タブレットを購入した某家電販売店に、相談してみることにした。既にドコモショップでは、前回Xiの内部カードの交換をしてもらって一応の対応をしてもらったことだし、次に問題があるとすれば、多分、受信側であるアンドロイドタブレット側にあるんじゃないかと私には思えたのだ。で、 その販売店のカスタマーセンターに電話相談をした。すると、「話はしとくので、商品持って販売店に直接行って下さい」との返事だった。返品が無理でも故障修理の相談ぐらいは引き受けてくれるのではないか?と仄かな期待をもって購入した近所の販売店へ商品を持って行った。が.......応対してくれた若い男性店員の対応は散々なものだった。対応カウンターが混雑していたためか、担当の男性店員が待っていてもなかなか姿を現さない。こちらは事前にカスタマーセンターを経由して訪問時間と相談内容を伝えていたのに。担当の方も急がしいのだろうと、私は受付の女性店員に来たら呼んで欲しいとの伝言を残して、カウンター前の席に荷物を残したまま置、暫く売り場の棚を眺めていた。と、なかなか呼ばれないなあ、と思って再びカウンター前の席へと戻ると.....置いていた荷物がない。アレ?と思って、カウンター内を見れば若い男性店員が既に、私の荷物の中から、勝手にタブレットとXiの箱を取りだして、何やらいじっているではないか。しかも、アンドロイドタブレットの液晶タッチ画面に指紋が付かないようにと、今まで購入時のまま外していなかった表面のビニール袋をゴミ同然に無造作に外し脇に放り、持ち主の私ですらまだ指紋をつけていないのに(怒!)、タッチ画面に、ベタベタベタと無頓着にも、指紋をつけまくってくれているではないか。事前に相談内容を伝えてはいたものの、まさか、客の不在時に荷物を勝手に開けるとは、こちらも想定していなかったので、内心「この店の社員教育はどーなってるの!?」と思いながら、「あ、あの......」と、努めて平静にその若い男性店員に声をかけた。すると、「あ、お客さん、ネットに繋がらないって相談でしたけど、ほら、繋がりますよ!Wifi の接続設定が、「手動」のまんまでしたよ。今、自動にしたら、こんなにサクサク繋がってるじゃないですか!」と、機器は正常なのに、タブレットの使い方を良く分かっていない私が悪いと言わんばかりの、露骨にバカにしたような口調で言われてしまった。Wifi の接続設定は4日程前にドコモショップへ相談に持っていった時のままである。無線の設定を手動にしていたのは、自動にしていると、他のwifiの電波を私のXiよりも優先して( 繋がりもしないのに)タブレット側が拾って繋ごうとしてしまい、一向に繋がらず接続と切断を繰返してしまうため、最初から、私のXi端末だけに繋がるように設定を手動にしていたからだった。「タブレット側は、異常ないんですね。、じゃあ、繋がらない原因は、Xiの方ですか?」と聞くと、「うちでは、分からないから、ドコモショップに相談してください」との返事のみ。因みに、この某家電販売店では、wimax も店頭で扱っていたため、Xiを使い続けることに完全に諦めを感じていた私は、この男性店員に「Wimaxに変更した場合ってどうなんでしょう?」と、聞くと、「Wimax なんて、Xiよりももっと室内で繋がらないですよ!」と、まるで、こんな分からん客にさらに相談のネタになるような商品買われてたまるか!っと、切れたような口調で言われてしまった。相談相手にすらならない若い店員の態度に失望を感じて店を後にした。(もう二度とこの店で高い買い物するもんか!!と思ったのも事実。)ふと、Xi端末に目を落とすと、又あの「UMカードを認識していない 」という表示が現れていた。で、その足で三たびドコモショップへ。今月ついに3度目の訪問になってしまったなあ。ドコモショップの店員の対応は 、家電販売店の店員の対応とは対象的にとても親切で好感の持てるものだった。担当となったお兄さんに、私のXi端末を取り出して見せるた。前回同様のエラー画面「UMカードを認識していない」が表示されているのを見ると、すぐにお兄さんは、本体交換の手続きを行ってくれた。続いて「UMカードか、Xi端末本体か、タブレット側か、どれが原因で繋がりにくいのか、調査しましょう」と、言うと、Xi端末内のUMカードをドコモショップ所有のカードと何度も交換しては、私のアンドロイドタブレットと無線が繋がるかどうかの動作確認を行った。これにはかなりの時間を費やし、結局3時間近くもショップ内で待たされてしまうこととなった。多分、3回目訪問の客の苦情にショップ側も真剣に応対しようということだったのだろう。そして、窓の外の景色がとっぷりと暮れたころ、(入店したのは、午後だったのに)「お客さんのXi、3回に一回も繋がらないですね。ショップのXiなら、すぐ繋がるので、タブレット側には問題ないようです。お客さんのXiに何か問題ありそうですねが、プロバイダは何ですか?」とお兄さんが何やら気づいたように言ってきた。言われてみれば、加入プロバイダは、タブレット購入契約時に電気店店員の言うままに加入させられた、聞いたこともない会社名だった。加入プロバイダの名前を言うと、「え?? moperaじゃないんですか?、それじゃ、多分プロバイダが原因ですよ!すぐに変えたほうがいい。例えば、今、動作確認のためにXiに入れているのは当ショップのUMカードですが、moperaで、何の問題もなくさっきから繋がっていますよ。」って言う。今までずっと、長時間にわたり、眉間にしわを寄せ、大汗(冷や汗?)をかきながら作業をしてくれていた お兄さんの熱心で親身な対応は、待ちながら横目で見ていて、結構感銘を受けていたので、ドコモのプロバイダに勧誘しているな、とは内心思いつつも、異論を唱える気には成らず、速攻その場で、ドコモのmopera に加入し直した。(原因のプロバイダの方は、帰宅後、すぐの解約の電話を入れた。)プロバイダが原因だったとはね~!そんなこと全然思いもよりませんでしたよ。もう~!今まで、繋がらずに悩み続けてタブレットに向かい続けて無駄に過ごした貴重な数十時間を返せ~!と、叫びたくなってしまった。Moperaに加入手続き後、再度私のXi とタブレットが繋がるか店頭でテストしてみると、スンナリと繋がる。繋がった後、わざとタブレット画面に触らず、自動でOFFとなったところで、再度立ち上げ、自動で繋がるかどうかみても、全く問題なく繋がった。「問題ありませんね。」そう言ってくれたショップのお兄さん、笑顔である。よくよく見れば、相当のイケメンである。ドコモショップの店員なんかじゃなくて、ホストにでもなれば、相当の売れっ子だったろうに、などと変な気持ちが沸き上がってしまう。「プロバイダが原因だったんですね~。聞いたこともないような所と契約するのは、注意がいりますね。」と私が言うと、お兄さんは、原因について「イイエ、ちょっと繋がりにくいプロバイダと、Xi端末のUMカード、本体の不具合両方が重なった複合的なものだったんでしょう」と、言った。他社に原因を押し付けず、自社製品にも原因があったと認めるお兄さんの発言に、又も目からウロコでした。家に帰り、再度Xiとタブレットの電源を入れると、今まで繋がらなかったことが、全くの嘘であったかのように、ネットにサクサクと繋がった。私のアンドロイドタブレットとの生活は、購入して二週間目の今日、やっとスタート地点に立ったんだなあという感があった。アンドロイドマーケットに行き、アプリのダウンロードをした。使い慣れて見れば、「ああ、こんなに便利なものなのか、」と、思うようになった。ただ、そう思うまでには、さらに二週間近くがかかり、10月いっぱい丸々、アンドロイドタブレット慣れるために、休日や暇な時間の数々を費やしてしまった。そして、前回、前々回と、やっと久しぶりに、自分で書いた文章をこのアンドロイドタブレットからブログに更新し、やっと蛹から脱皮出来たな~と、思ったりした次第.....。
2011年11月21日
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蛹の10月。~扱い慣れないタブレット端末に振り回された1ヶ月~いつも、夢日記と夢分析を楽しみに(?)来て頂いている読者の方へ、最初に一言、今回書く話は、夢とはな~んにも関係無い話です。あ、でも、このブログとは関係あるかな。何故ってまあ、10月に一回もこのブログを更新しなかった言い訳みたいな話でもあるので。実は、10月1日にSony製のタブレット端末を衝動買いした。が、扱いに慣れていなかった私は、サクサクと楽に使いこなせるようになるまでに、1ヶ月近くかかってしまった。(笑)。まあ、その時の苦労話のお裾分けです。多分、スマートホンを使いこなしている方には、まったくもって、とってもつまらない内容だと思いますが、私と同じようにパソコン音痴なのに、スマートホンを購入後、扱いに慣れるまで苦労したっていう人、案外多いんじゃないかなって思うのです。以下、日記から10月1日土曜日近所のデパートへ出掛けた際、館内の電器店にて、たまたま目にしたSONY 製のアンドロイドタブレットに一目惚れのように目が吸い寄せられてしまった。今までずっと、我が家のネット環境といえば、ダイヤルアップ接続で、化石のような動作の遅いパソコンしかなく(あと携帯でのi モードね、このブログのアップも大体は携帯からでしたが)、パソコンよりも手軽に触れるタブレット端末が欲しいな~、って前から思ってまして、データ通信との合わせ契約で、色々な端末が定価よりかなり安く売られているのは知っていたので、たまに店頭を眺めては、安く出てないかと買う機会を伺っていました。で、その日店頭で眺めていて「価格が44800円のソニー製アンドロイドタブレットがドコモのデータ通信端末Xi (二年間の通信契約込み) 付きで4万円引きになりますよ」との店員の説明で、「安い!」と思った私は、「Xi」が何とか、「アンドロイドOS」とは何とか、まあ、そんな事前の知識は一切ないまま、深く考えずに即日購入を決めたんでした。その時の私の頭の中は、「これから毎月プラス5500円の通信料金の出費が増えるなあ、でも、今までネット難民に近かった我が家に、やっとネットサーフィンが楽しめる環境が整ったんだからなぁ」程度のことを考えていただけで、ほくほくしながら家に帰った。で、家に帰りつき、家族に自慢しながら、梱包を開け、中身をチェックしてみると......、あれ?同梱されているべき、USBミニケーブルが無い!そういえば、 商品(タブレットとXiのセット)受け取り時、私のアンドロイドタブレットを使用して、店員が使用説明をしてくださったのだが、その際、なかなかネットに繋がらず、店員さんが 冷や汗をかきながら 、私が 購入したXi端末を、同梱のミニケーブルを使用して店のパソコンに繋いで設定内容の確認をしていたのを思い出した。で、店へトンボ帰り。ちなみに結局この日は、同じ電器店に3回も足を運ぶ羽目になった。1回目は、購入を決めた時、2回目は初期設定に2時間かかると言われ、品物を受け取りに行った時、で、3回目は同梱されているべき、付属ケーブルをあわてて店に取りに行った時。購入初日に3回も店を訪問するはめになったというスタートの悪さ。後々の苦労を暗示していたのだということに、気がついたのは、後々になってからのこと。10月10日 体育の日の休日Xiとタッチ式のSony 製アンドロイドタブレットを買ってから10日が経った。で、その使用感の感想。一言で言えばかなりがっかりしている。まず、使ってみれば、明らかにパソコンに比べて(慣れてないせいもあるだろうが)使いづらい。ちょっと間違って画面に触ってしまっただけでコロコロ画面が変わるのもうざくて仕方ない。が、それ以上にネットにつながらない。これには正直、かなりイラついてしまった。Xiの接続環境なんてこんなもんなのか??。操作中、突然ネットにつながらなくなり、Xi本体をみれば、圏外表示どころか「UMカードを認識していない」という表示になっていた。???最初この画面表示を見た時は本当にびっくりしてドコモショップに持って行こうかと思ったが、数時間放置したら戻った。端末が熱を帯び過ぎたのかもしれない。ん?、でも全然、ネットに繋がってないんだけど......そういえば今住んでいる地域が完全なXi接続エリア内ではなく、FOMAの環境らしい。そんなのも関係しているのだろうか?店員はFOMAの環境でも繋がるって、言っていたのになあ...。こちらは毎月高い通信料金を支払っているのになんかがっかりだ。使いたい時に急に全く使えなくなるような端末は考えもの。悩んでイライラしても仕方ないのでドコモの151に電話してみた。オペレーターさんに「繋がらない」という症状をある程度説明すると、「詳しい担当に変わります」っていうので、繋がるのを待っていたら、なぜかそのまま、ブチ!と切られてしまった。転送失敗か?まあ、でもそのお陰で、電話での解決はどうせ無理だろうと思い、直接ドコモショップへ相談に行くことにした。で、Xiとタブレットの両方をもって、近所のドコモショップへ。私の今持っている携帯電話もドコモなので、今回の電気店でのXi契約後、携帯電話とXiのデータ通信料金をまとめて請求してもらおうと、つい先日、ドコモショップを訪問していたばかりだった。で、この日は、同月内で2回目の訪問だった。店頭受付のドコモショップのお姉さんにXi端末を見せ、液晶画面に 「UMカードを認識していない 」という表示が現れているのを見せると、「こんな症状初めて見ました」と素直に驚いてくれて、すぐに、内蔵のUMカード交換の手続きをして下さった。その後、私が持参したタブレットと無事通信出来るかの動作確認。これで多分、これからはネットにサクサク繋がるようになるだろう。ほっとして帰宅し、さて、再びXiとタブレットの電源を入れ、ネットに繋ごうとする...........が、又も繋がらない。もう一体どーなってんの?どうもXiの電波が弱くアンテナが立ったり立たなかったりすぐ圏外になったり。使えん......。FOMAはサクサク入るのに。XiとFOMAのパケホーダイの二重払いは流石に大きい出費なので、タブレット端末での扱いに慣れてきたら FOMAのパケホーダイの使用料金を押さえようと思っていたけど、これでは、無理そうだと三たびがっかり。続く
2011年11月18日
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今からもう2ヶ月も 前の、9月11日朝に見た夢。『(夢日記から)今朝の夢、 冒頭又トイレで用足しに悩んでいる夢を見た。どこかの建物内。私はトイレに行きたくなり、トイレを探して見つけると、そこには「男性用小便器のある個室」と「和式便器のある個室」の2種類の個室があった。(女性なので)まず女性用と思われる和式便器のある個室トイレの方を覗いてみるが、どうやら詰まり気味らしく、和式便器から水が溢れ気味で「使えない」と思う。一方、男性用小便器の方は異常なさそうで、「このままこの男性用小便器で立ちションしてしまおうか」と、真剣になって考えていた。(実は実際、目が覚めたら確かにトイレに行きたくなっていた。単に尿意が見せた夢か?朝の起きかけのほんの数分間のうつらうつらとした狭間に見た短い夢であるはずなのに、夢のストーリーは続く)私は、トイレから出た。(男性用トイレで無事用を済ますことが出来たのか、定かには覚えていない。)私は、何故か手に数枚の千円札を握っていた。足元の地面を見ると、泥だらけの千円札らしき紙片が、半ば地面に埋まっているかのように落ちているのが見えた。と、 期待して拾いあげてみれば、なーんだ、それはほんの千切れた千円札の端切れで、お札一枚が丸々埋まっていたのではなかった。これでは、お金として使えないな、と思う。次の場面何処か屋外。(千円札を拾った夢の続きだったかもしれない)1人でいた 私のそばに(現実での)職場の方々数人が制服姿で現れるとバラバラと駆け寄って来た。彼らは大型犬のシェパードを一匹連れていて、その犬は私を認めると、駆け寄って来てそのままピッタリと体を擦り付けながらぐるぐると私の周りにまとわりついた。「下手に動くと噛まれるよ」と、職場の人が冷やかすように言う。私は、噛まれるかも・・・・・!と思い、直立不動のまま、その場から動けず。と、ふと視線を、私から少し離れた向かい側へと向けてみれば、私の立っている場所から数メートル程離れた場所に低い一本の木の杭が立っていて、その杭の上に小さなチワワの子犬が一匹、ちょこんとお座りしていた。よく見みれば、その子犬もシェパードが怖くてたまらないのだろう、ぶるぶると小刻みに身震いして動けないでいるようだ。』夢の前半は、トイレの夢。半年前にもちょうど、これと同じようなトイレの夢をみている。だからこの夢はその繰り返し。繰り返し見る夢は、まだ乗り越えられない課題の提示だから、どうやら私はまだ、前回夢の中でアニムスA氏に「男性用小便器に用足ししたら?」と言われた時と、あまり精神的に変わっていないらしい。まあ、たった半年足らずでそうそう人間が変わる訳もないか。(前回見たトイレの夢の解釈はこちら。) その次に見た千円札の夢。この夢を見たあと、「 足るを知る」 って言葉が浮かんだ。夢の自己解釈を見て、都合良く理由をこじつけているって言う人がいるかも知れないね。でもね、「自分が見た夢」なんだから、自分が見た夢から理由がわからなくても、何かその夢のイメージから想起される「もの」があれば、その連想したものと夢からのメッセージは絶対に繋がっているに違いないと私は考えている。夢を見せたのは、無意識の当の本人なんだから。さて、私は夢に見た千円札の意味を、ここでは、素直に私の今の財産(さしてないけどね)とか、収入っていうふうに連想して考えた。夢の中で私が手にしていたお札が、一万円の札束じゃなくて、千円札の束ってところが、いかにも小市民な私らしいじゃないか(笑)別に今の生活が物凄く苦しい訳でも、困窮しているわけでもないのに、「もっとお金があったらな」っていう漠とした思いが常にある。私だけではなくて、現代人なら普通に誰しもが常に抱えている欲求だ思う。が、東日本大震災が起きた後の今、「普通」に生活することが出来ているのに、他に何をこれ以上高望みする必要が有るっていうの?と自分に言い聞かせる時が、度々ある。以前の私は、只でさえ少ない貯金の額をもう少し増やせないだろうかと、株や外貨、FXと、興味が尽きない頃があった。最近、精神的に落ち着いて来て、ふと、以前やっていたそれらのことを思い出した。そして、見たこの夢。既に食べていくのに、十分なものを持っているのに、更に欲張って手を伸ばしたところで、掴めるものは、只のゴミ同然って、夢は私に教えたいらしい。(そう解釈しているのは、私自身だけどね)だから「足るを知る」。この夢を見た後、私は素直に夢の暗示に従って、下手な欲心は起こさないようにしようって思ったんだった。さて、続いて3つ目の夢について。(実は、今回一番書きたかった夢の話はこれ。)夢は多義的だから、この夢の解釈についてはいくつか連想が浮かんだ。まず一つ目は、現実の今の職場での、私と私を取り巻く周囲との状況を暗喩しているイメージの夢なのではないかということ。まあ、これについては、詳しく書くのは控える。ただ、私自身は転勤前の以前の職場と比べて現職場では伸び伸びと仕事をさせて頂いていると感じている。二つ目に思い浮かんだのは、 この夢を見た日が9月11日であったということ。今年の9月11日はアメリカの911テロから10年目にあたり、テレビ等で大きく特集番組が組まれ、当時の事故の映像などが何度も流れていたね。東日本大震災以来、毎月11日を迎えると、震災の話題ばかりが持ち上がっていたけど、流石に9月11日だけは、テロで犠牲になった人々のことを思うべき日ではないかと私自身も強く思っていた。そんな気持ちが、見た夢のイメージに影響を及ぼさない訳が無いだろうって思わないか?911テロは、アメリカの自作自演だという説が根強い。(そんな説があるから、東日本大震災にしてもアメリカが海底に仕掛けた爆弾によるものだという噂が消えない。)実際に、とある民放局で放送していた911テロ絡みの特集番組では、「アメリカはテロの情報を事前に知っていた」という説を後押しするような番組内容が堂々と流れていて驚いた。世界の警察を標榜するアメリカ世界の警察たらんと、世界の国々に対して力を鼓舞して見せつけるためには、悪者の「敵」を常に創出しなくてはならないのだろう。シェパードは警察犬の代名詞的イメージの犬。噛まれるかもしれないって恐怖に怯えながら、護ってもらうしかない、私達の国、日本よ・・・・
2011年11月14日
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最近夢を見ても夢日記に書き留める作業をしなくなってしまった。(ブログ更新がすっかり滞っている原因ですね)夢を見なくなった訳ではない。夢は相変わらず見ているが、私が見た夢を一つ一つ朝記録に残す作業をしなくなったから。夢をないがしろにしているつもりはないが、夢を通して自分の無意識と対話を深める一連の作業はこの3年間で一先ず区切りを迎えたと感じている。再開するのは、再び何らかの精神的な危機を感じたときだろうな。とは、いいつつも、久しぶりにちょっと気になる面白い夢を見たのでここに書こう。先月と今月、どちらも11日の朝方見た夢だった。8月11日に見た夢(夢日記を残していなかったので、今夢の情景を思い出しながら書いている。)『真っ暗な海。放射能に汚染された巨大船がコントロールを失い為す術もなく、流されている。(巨大豪華客船のようなシルエットの船だった。)コントロールを失い流されていた巨大船は、やがて座礁し身動きが取れない状況へと陥っていた。放射能に汚染された巨大船・・・移動させることが出来なければ、その巨大船だけでなく、周辺地域も又汚染にさらされてしまうことになる。救出作業は困難を極めることが予想された。そして、世界の四大サルベージ会社と称される企業が、巨大船救出のために名乗りをあげ、協力して立ち上がったらしい。真っ暗な洋上の場面。座礁し、波に洗われ続ける巨大船。その巨大船から、少し離れた場所に真っ青な船体色の巨大サルベージ船が一艘いた。巨大な蜘蛛の足にも似た無数のクレーンアームが、サルベージ船上で、その鎌首を持ち上げ、一様に巨大船の方向を睨みつけるかのように向いて立っていた。クレーン先端部分からはそれぞれ無数のワイヤーが張り出され巨大船へと繋がれていた。今正に、サルベージ船はゆっくりと後進しながら、巨大船を引き出そうとしていた。まるで、映画のワンシーンのような夢だった。場面は無数の鎌首を持ち上げたかのようなクレーンアーム上に徐々にクローズアップしていく、と、巨大なクレーンアーム上に人影が見えた。クレーンの一機一機、それぞれにまるで馬を操る騎手のように、屈強な男の人ばかりかと思いきや、老人や長い金髪の美人もいて、皆、紺色っぽい服に身を包み、まるで魔女か魔道士のように、それぞれが担当するクレーンアームを操っているようだった。ある者はクレーンの真上、宙に浮かび、ある者はクレーンに跨がり、ある者は直立不動の姿勢で立ち、皆、一様にワイヤーの伸びる先の巨大船を見据えていた。』夢見後思ったこと。この夢の全体に漂う雰囲気は、子供の頃夢中になって見たアニメ「サイボーグ009」(石ノ森章太郎原作)が醸しだす雰囲気に似ているな、と。たしか、あの漫画のテーマは世界平和だったと記憶している。サイボーグ009達、9人の主人公達それぞれが国籍、人種、性別、年代、信教が全く違うにも関わらず、その壁を越えて協力し、地球を救うために戦っていたのだった。夢の中の放射能に汚染された巨大船は、もちろん福島原発そのものを象徴しているのかも知れないし、もしかしたら、今の日本を象徴表していたのかもしれない。今、日本は身動き出来ない状況下にあるからだ。今、日本がこの窮状から抜け出すためには、日本だけでなく、世界中からの協力を仰がなければいけないんだと思う。「宇宙船地球号」って言葉がある。私達は今、世界の人種とか、国籍とか、性別とか信教といった垣根を越えて協力しなければいけない時期に来ているに違いない。そんな風に今回、夢のメッセージを受け取ったように感じたのだった。さて、話は変わって、何故私はこんな夢を、しかも11日という日に見たのだろうか?。それには、とても痛烈に思い当たることがあった。今、結構夢中になって度々、目を通していたスピ系のブログがある。前回のブログ記事でも紹介したけど、ヘミシンク系のブログで、毎月11日をリトリーバル&共同探索の日と銘打ってイベントを展開している記事を書いている。それらに対する私の素直な気持ちを以下に述べる。毎月11日を震災被害者のための月命日として、弔いの気持ちを向けることは、大変良いことだと思う。しかし、今ヘミシンク系ブログでリトリーバルと称して展開しているイベントは、震災を理由に毎月11日を震災記念日のような扱いにして、ワイワイと楽しくお祭り騒ぎを展開しているだけに過ぎないように見えた。リトリーバルというような表向き、崇高そうな名目があったとしても、それで人集めや人気集めをしようとするのは何か間違っている。ましてや11日は死者を弔うことを理由にワイワイとお祭り屋台や仮装パーティーをするような軽いノリで楽しむような日では断じてないはずだ。(11日が誰かの誕生日だとか、お祝い事の名目であるならば、話は別だろうけど。)ヘミシンクでのリトリーバル(死者の救出作業)という概念。確かに、ヘミシンクを聴き始めたばかりの頃の私もリトリーバルに大変憧れ、ヘミシンクにさらに夢中になっていく動機にもなっていた。以前のヘミシンクに夢中になっていた頃の私だったら、今回の夢を見た後、すぐに「リトリーバル夢を私も見ました!」って、喜び勇んでブログ主あてにコメントで報告していたに違いないだろうと思う。でも、今の私は、夢やビジョンは今現在の自分が抱いている思いが投影されたものに過ぎないって思っている。ヘミシンクは瞑想を活性化させてくれるツール、突き詰めれば右脳を開発させてくれるツールであろうから、上達すればするだけ、イメージや想像力など自分の望んだビジョンを自在に見ることが出来るようになって行くのだろう。特に自己暗示にかかり易い人間なんかにはね。だから、私はリトリーバルという概念にも、疑問を感じざるをえない。リトリーバル(死者の救出作業)なんていう崇高そうなビジョンも、私には単なるメシアコンプレックスを抱えた人間が、自らの願望充足のため、自らを癒すために作り出したビジョンなんじゃないの?って思える。正に想像は創造。リトリーバルに夢中になっている人たちへ。ユングの夢解釈やシンボル解釈を少しでもいいから勉強して欲しいと思うのは、私のエゴの押し付けなんだろうか。赤の他人の死者の魂を、天国(フォーカス27)へ連れて行って上げたなど思い上がることなかれ。まだ震災から半年しか立っていない。子供を亡くし、親も亡くし、まだ涙も渇かず、悲嘆にくれて嘆いている被災者達の前で、堂々と「あなたのお子さんの魂は私が天国に連れて行ってあげましたから、安心して下さい」なんて、本当に言えるのか?そんな諸々の思いが、11日という日を前にして、私の心の中に渦巻き、そして今回の夢を見ることになるきっかけへと繋がっていったのだろうと思える。
2011年09月14日
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前々回ブログに書いた「花の子ルンルンは好きか嫌いか?」っていう夢の解釈を今回書こうかと思うけど、その前に、「花の子ルンルン云々」の夢を見た日(7月7日)から2週間近く前に見たこの夢の話を書こうか。何故って、夢の物語は全て連続性があり、物語は繋がって展開しているのだから・・・・・。2011年06月22日の夢日記から『(ユングの「赤の書」を読んでいるせいだろうか。無意識の活動が活発になっているらしく、ヘミシンクを聴いている訳でもないのに夢見が激しい。しばらく書かなかった夢日記を昨日あたりから再開する。)今朝は総務課職員とオウムが登場する夢だった。私は人事異動して総務課職員になったようで、その日はどうやら初出勤日のようだった。総務課で私は島袋女史(現実に会社の総務課に勤めている同僚女性)と肩を並べて仕事をすることになった。彼女とは、今まで一緒に仕事をしたことがなく、以前から一度、彼女と一緒に仕事をしてみたいと思っていたので、ちょっとうれしい気持ちになる。初出勤なので、私は誰かから引き継ぎ(前任者から仕事内容などの業務説明)を受けている。私はスーツ姿で、紺色ズボンに白いシャツ、真っ赤なジャケットという出で立ち。ちょっと仕事用のスーツにしては真っ赤なジャケット(マイケルジャクソンが羽織っていそうなごつい肩パッドの入った80年代風のデザインの服)は派手だったようで「変な格好・・」と先輩男性S氏に陰で言われてしまう。総務課ではオウムをレンタルしていて毎日昼過ぎ午後2時頃にはレンタルショップに返すらしい。オウムは鶯色で後頭部に一房のとさかのような飾り毛が生えていてとてもかわいらしい。何の用事で出かけたのかは忘れたが、私は自転車の前部の籠にオウムを載せて出発した。公園内の周囲を芝生で囲まれた小道を私は自転車で走っている。その公園敷地内の奥に、動物のレンタルショップがあるのだ。ちょっと時間は早いけど、何かの用事でその公園のそばまで通りかかった私は、そのついでに、オウムをレンタルショップに返してしまおうと思う。公園の奥に、博物館のような白い造りのレンタルショップが建っていた。建物内に入ってみるとそこは、熱帯のジャングルを模したような室内装飾が施され、ちょっとした小動物園といった雰囲気。そこで私は飼育員のような作業着姿の係員にオウムを手渡した。オウムを店に返したあと、やはり予定時間より早くオウムを返却してしまったので、いちおう職場に確認する意味で電話をしたほうがいいかも、と思い総務課に電話を入れた。すると、電話口に出た総務課長が、「まだ早いので連れて帰ってこい、ワシが返却ギリギリの時間に車で返しに行くから、今はまだ返さんでいい」と言う。仕方なく、オウムを連れて職場へ帰る。総務課へ戻ると昼の時間を大分過ぎていて若い職員達は皆帰っていた。(現実に私の職場では夜勤明けの日、昼前に職場を後にする。)私の帰りを待つために職場に残業で居残っている人がいたら悪いな、と思いながら、課内を見回すと、総務課長が一人居残って仕事をしていた。』6月23日の夢日記から『(夜勤での仮眠中に見た夢。大部分は忘れたが、夢のラストシーンに白い中型ボートが現れた。)私は、桟橋上に立つ建物上から、白い中型ボートが桟橋に向かってゆっくりと滑走してくるのを眺めていた。多分、ボートは私を迎えに来たのだ。その船橋にはAさんがいるに違いない、そう思って私はボートを眺めている。』(解釈)白い中型ボートは、今までに何度も私の夢に登場したボートだ。最近、再び夢見が活発になって来たことを、私は「白いボートが迎えに来た」っていうイメージで捉えているらしい。さて、今回の夢は私が「総務課」に人事異動したところから始まるのだけど、夢見後、又しても人事異動の予知夢か?と一瞬あわてて考えてしまった夢だった。が、その夢を見た2週間後に「花の子ルンルン云々」の夢を見て、そこに「管理課」が登場したことから、どうやら人事異動を暗示する夢ではないらしい、と思うようになった。あまり深く考えずとも「総務課」も「管理課」も、ほぼ同じような、社内における取り纏めや庶務的業務を引き受ける課のことですよね。ちなみに手元の辞書を引けば「管理」は「管轄し、処理すること。まかされた物の保全や運営にあたること」とあり、「総務」は「全部の事務をすべつかさどること、またその役」と書かれている。そういえば、現実に会社内の規律違反や倫理的な問題の処理に対する業務も「管理」や「総務」といった課が対応するのでしたっけね~。つまり、今回の夢に登場した「総務課長」も、そして、前々回のブログに書いた「花の子ルンルン云々」の夢に登場した管理課に勤める「N氏」も、私を管理、統括する役目を負った者、つまり父性的なロゴス(論理・理性)の象徴として、私を、管理し、戒め、諭すために夢に現れたのだということに思い至ったわけである。ここで、夢に登場した「オウム」と「花の子ルンルン」それぞれについて、順に、夢から私が連想する解釈について。まず、可愛らしい「オウム」は私にとっての何を象徴しているのだろうか?オウムは言葉をしゃべる動物だ。しかも物まねばかりしている。そして、私はそのオウムを早く手放したいと思っているらしい。その、夢に現れたオウムの姿からすぐに私が連想したのは私にとっての「語学」だった。私が勤める職場では、日常的に外国語、とくに英語を必要とする場面が多々ある。が、私ははっきり言って英語が苦手だ。職場で必要だからと、入社以来ずっと外国語の参考書を常に手元に置いて仕事をしているが、いまだ苦手意識が離れず、そのくせ、根っから好きじゃないために、勉強にも実が入らず、もちろん上達もしない。今月末(実はこのブログをアップする頃には翌日に)英語のTOEIC受験が控えている。もう何回目の受験だろうか。好きで受験するのではなく、英語を使用する職場だから、会社から半強制って感覚で受けるのである。ここまで説明すればもう「オウム」についての夢解きは簡単。「オウム」は私の中の「話さねばならない苦手な外国語」を象徴している。私は早くその「オウム」を手放したくてたまらない。だけど、私の中の「理性や統合、管理」の象徴である総務課長がそれを許してくれないので、仕方なく続けているってところの心境がこの夢に現れたのだろう。そして、今回の「オウム」の登場する夢を見た約2週間後、「花の子ルンルンは好きか嫌いか?」って議論をN氏と交わす夢を見ることとなった。夢に現れた「花の子ルンルン」とは、一体、何を意味しているのだろうか?まあ、私と同年代の女性なら1980年ごろの女の子向けテレビアニメってことぐらい誰でも知っている。が、ここでは夢解釈がテーマなので、「花の子ルンルン」とは、アニメです、なんて答えはもちろん求めていない。「花の子ルンルン云々」の夢の中で夢に登場した管理課勤めの年輩男性N氏は、私の陰口を言っている。この夢だけを読んでみれば、N氏の言動は、根拠ない悪い噂を勝手に流しているようでN氏がとても嫌な奴のように受け止められる。でも私は、この夢のラストシーンで北村氏に諭されて何故か自らN氏のもとへ「謝り」に行っている。そうなんだな~怒られるような(否があるような行動をしていた)のは、実は私の方だったと、夢の中の私はちゃんと理解して、頭を下げに行ったってことなのだ。反省の意味もこめて、「花の子ルンルン」が意味するものをここに書いてみると、今回の「オウムの登場する夢」の中で、私は総務課長から「オウムをまだ返却するな」との忠告を受けたにもかかわらず、結局その忠告を無視して、英語の試験日が間近にせまって来ているというのに、勉強そっちのけで、ユングの「赤の書」を読んだり、スピ系のブログに毎日、目を通したりしてまあ、遊んで過ごしていた訳ですよ。と、いうわけで・・・・・そう。夢の中で、N氏が私を批判した言葉「彼女は花の子ルンルンが好きらしい。」っていう批判的な言葉の意味は、「勉強を怠けて遊ぶほうが好きなんだろう?」っていう、自らを戒めるための夢からの批判的な忠告であったのだということなんですねぇ・・・・・・・・。こんな風に夢からの気づきを得ても、(明日にTOEICの試験を控えているというのに)こんな風に開き直って、このブログをUPしようと書いている私って・・・(--;)。もう、この年で勉強なんかしたくないなあ、と思っている私に、今、私のアニムス達が何とか尻叩きをしようと、あの手この手で夢からメッセージを送って来てくれているのだな、と感じるのだけど、相変わらすオフの日は、いまいち緊張感のないゆるっとした日々を過ごしてしまっている私です。で、ここで本文でも触れたヘミシンク系ブログの紹介。「ヘミシンクとゆるゆる日記」http://29tenshi.blog137.fc2.com/少女マンガちっくなファンタジーノベルのようでかなり濃厚なアダルト描写。何より臨場感のある文章は簡単に物語世界に引き込まれます。作者はヘミシンクでのチャネリング体験談、ノンフィクションと言っていますが。どこまでがチャネリングでどこからが創造か、そして、どこからが「造られた記憶なのか」って、考えながら読むと面白いかも。
2011年07月23日
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七夕を過ぎた今週末、関東でも梅雨明け宣言が出たそうだ。どうりで酷暑。先週末まで、朝方はまだ涼しい風が吹いていたのに、今朝の風は生ぬるく、それでも、職場が休みの日の朝は、遅くまで惰眠を貪った。今朝も長い夢を見ていた。「最近あまり、夢を見なくなったなぁ」先月まではそう感じていたのに最近また夢見が激しいと感じるようになった。なんでだろう?先月6月のこと。夢日記のブログ更新をサボって、約1ヶ月間、ユングの「赤の書」を手元に置いてしばらく眺めていた。去年11月に図書館へ借し出し予約をして、半年以上経った5月末、ようやく借りる順番が巡ってきて、念願の「赤の書」を手にすることが出来たのだった。「赤の書」といえば、市場価格はなんと4万円以上!(アマゾンでは4万2千円だった)とてもじゃないが、まともに買う気にはなれないあの価格と、手元に置けば多分自宅で置き場所に困ってしまうだろうあのデカさ。それで、自ずと図書館から借りて読むことを選んだこの本だけど、もともと家では余り自分の時間がなく、もっぱら通勤時間や外での空き時間を利用して読書の時間を稼いでいた私にとっては、このユング「赤の書」の重厚さは、あまりにも致命的にデカ過ぎた。つまり、図書館の返却期限が迫っても一向に読み進むことが出来ていなかったのである。うーん、いかんせんでか過ぎるし重すぎる。読むのに体力が要るなんて、一体何なのだこの本は?!っていうのが、この「赤の書」に対する率直な私の感想だった。(本の中身対する感想じゃなくて真に申し訳ありません)さて、図書館の返却期限がいよいよ迫り、再び借りることを考えるも、図書館からの貸し出し予約人数はいまだ余裕で2桁を超えていた。私と同様に買わないで済まそうと考えている人たちのいかに多いことか。一度返却してしまうと、再び私がこの本を手にすることが出来るのは少なくても来年以降になるだろう。そう考えると、私はコンビ二へと慌てて出かけ、未読ページ全てをがんばってコピーした。この作業にも、相当の体力を要としたのは言うまでもない・・・・だから、重すぎ!さて、そこで出版者の方へ、今更だけど物申したい。ユングの「赤の書」なんであそこまで、巨大に重く作る必要があったのだろうか?と思えてしまう。画集など絵画作品の出版物ならあのような大判で豪華な装丁の本は何ら珍しくないけれど。ならば、「ユング画集」という解釈のもと、原書の雰囲気そのままに、原書の複製という形で赤い装丁の大型本をそのまま一冊作成すればよかったのではないかと思う。日本語版の「赤の書」は後半ページの約半分を日本語訳の記述ページに割いているが、文字だけのモノクロページにあそこまで、良質の紙を使用する必要があったのだろうか、と思えてならない。日本語訳のページがかえって日本語版「赤の書」の重厚さを増す結果となってしまっている。日本語訳のページはソフトな装丁の別冊本として作成すべきだったのではないだろうか。そして「赤の書」と一緒に美麗箱に詰めるという形の装丁で販売すれば良かったのではないかと思う。なぜなら、コピーした日本語訳のページを片手に直接、ユングの絵を眺めながら読み進むほうが、よほどユングの書いたイメージの情景を直接感じ取りながら読み進むことが出来たから、余計にそう感じてしまったのだった。まあ、そんなこんなで、ユング「赤の書」を図書館に返却し、既に2週間近くが経ったけど、東日本大震災以後、現実重視に傾いていた私の意識が、再び無意識側へと傾くのに、ユング「赤の書」は十分過ぎるほどに私の意識に影響を与えたらしい・・・・ここ数日、ほんとに毎日、夢見が激しいのである。まあ、その夢の話はまた今度・・・・
2011年07月12日
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昨晩は久しぶりに過ごし易い涼しい夜だった。 夜半から朝まで雨が降り、お陰で朝方は、布団を被らないと寒く感じる程涼しかった。 まだ梅雨明けしていないというのに、今日は七夕。 案の定天気は曇り。 昔から七夕の日は曇りか雨と相場が決まっているのだ。 (本来の七夕の日は梅雨時の今ではなく、旧暦の7月7日、つまり梅雨明け後の8月初旬頃という説が有力らしいし) 子供の頃、七夕の晩は星座好きの母とともによく織姫と彦星に会えないかと夜空を見上げたものだったが、やはり、子供心に曇りの日ばかりでめったに星を見ることが出来なかったと記憶している。 すっかり大人になった今はそもそも星を見上げようなんて気持ちも失せてしまったけど。 全くロマンの無い自分。 さて、そんな七夕の日である今朝方、こんな風な夢を見た。 『 私は、学校の部室のような、ちょっと小汚ない雰囲気を漂わせる板張りの部屋の中で、誰かと会話を交わしていた。 部活部屋のようなそこは、職場の一室らしい。 会話の相手は、数年前に定年退職して職場を去った私の昔の上司、北村さんだった。 彼は私に、 「N氏が君の悪い噂を流しているようだ。」 との話しを持ちかけて来たのだ。 N氏とは、北村さんとほぼ同時期に定年退職して職場を去った方で、(名前を忘れたのでこちらはN氏としている)この人も又、退職前まで、私の上司であった方である。 定年退職したN氏とは、私はもう二度と会うことは無いだろうと思っていた。 が、彼は再任用されて今、同じ職場の管理課に勤めているらしい。 そこで彼は私の悪口を吹聴しまくっていて、北村さんは私のことを今までかばってくれていたらしい。 N氏が吹聴する悪口の内容というのが、どうも 「彼女は花の子ルンルンが好きらしい」 だと。 「本当はどうなんだ?」 と、北村さんに詰め寄られて思い返してみれば、 確かに私は、過去、Nさんが定年退職される寸前、彼と、 「花の子ルンルンについて、好きか嫌いか」 といった議論を交わしたことがあったのを思い出した。 でも、その席上で私は 「花の子ルンルンが好きだ」 などということは一度も言った覚えがない。 「それは誤解です。」 と、北村さんに伝えると、彼は 「ならばN氏のところへ謝りに行け」 と言われてしまった。 私は仕方なく、N氏に会いに一つ階下のフロアーにある管理課執務室へと向かった。 管理課の執務室内へ入るとN氏は部屋の一番左奥にある机に座っていた。 と、なぜか、同じ室内の右側の床の上に、スーツ姿の北村さんが横になって倒れていた。 北村さんは直立不動の姿勢のまま倒れていて、ピクリとも動く気配がない。 それよりも、足元で人が倒れているというのに、管理課の人たちは、全く意に介さぬという様子で、黙々と机に向かい仕事をしている。 私は彼らを横目につかつかと部屋の左奥へと進むと、 N氏に話しかけた。 』 この夢の解釈は又次回。 (書き出すと、長くなりそうなので。) 一つだけ言えるのは、どうやらこの夢には、最近展開が気になって仕方ない、とある少女マンガちっくなブログが関係しているらしいってことかな。 (今度はいつ更新出来るか分からないけど)
2011年07月07日
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東日本大震災の一週間後に見た夢(2011年3月17日夢日記から)『試験の夢だった。どうやら私は転職しようと思いNTTの入社試験を受けに来ているらしい。試験開始直前。教室のような場所。沢山の高校生が机に向かい試験の開始を待っている。が、私の席がない。どうやら、私が試験を受ける場所はその上の階らしい。あわてて移動した。上の階にある部屋に着くと、そこには高校生の父兄らしき大人達が大勢いて、彼らの座るテーブル上にはご馳走が並び、お互い楽しげに歓談しあっている。私は、とてもじゃないがこんな人達と一緒に、この雰囲気の中で並んで試験を受けるのは無理だと思い、一人席から離れた。私はトイレに行くと、洗面所でゆっくりと歯磨きをしたりして30分近く時を過ごし、わざと時間が過ぎるのを待ってから再び席へと戻った。案の上、先程大勢いた大人たちは食事を済ませて帰ったようで、既に室内にはあまり人がいなかった。「試験は諦めて帰ろう。」意気消沈してそう思った。その時、廊下からイルカがすーと泳いで来たかと思うと、私のいる教室の後ろ側のドア、わずかに開いていた戸の隙間から、鼻先からこじあけるようにして、一匹のイルカが顔をのぞかせてきた。多分ひれがつっかえてそれ以上中に入れないのだろう、イルカはドアと壁の間の狭い隙間から頭の部分だけ覗かせると、繰り返しお辞儀でもするかのように、大きく上下に頭を振って、うれしそうに私を見た。思わず私はドアに近寄ると、他に何匹かイルカが泳いできて、同じようにドアの隙間からにょっきりと顔をだして来た。どうやら私を迎えに来たらしい。イルカは全部で四匹。私は黒のウェットスーツ姿になっていた。イルカに周囲を囲まれると、私はそのうち一匹のせびれに捕まり、一緒に泳いで廊下を移動した。廊下からガラスの壁ごしに、教室内が見えた。沢山の教室内の人達が、イルカと一緒に泳いで通り過ぎる私達をもの珍しそうに眺めている。そして、イルカに連れられて到着した場所はいつもの私本来の職場だった。ここでも転職のための面接が終わったばかりのような雰囲気。でも、私にはなぜか、先程の転職試験には、もう受かっているような予感がした。』東日本大震災の一週間後に見た夢。当時の心の状況をふりかえると、私も逃げ出したくてたまらなかったのだろうと思う。多分、表面上はおくびにも出さなかったが。震災後、福島第一原発が水素爆発を起こし、国内の外国人たちは皆、本国からの指示であわてて国外退去を始めた。私達日本人でさえ、金持ちや著名人は皆、関西以南へと逃げた。誰もが、「危ない」と感じているのに政府報道は「安全です」の一点張り。疑念を抱かないほうがおかしい。私も、家族を連れて西へと逃げたい不安に襲われた。が、今の仕事を放り出す訳にいかないし、逃げた先で安定した就職先が見つかる保障もない。夢に現れた「転職試験」はそんな私の逃避願望を表している。前回のブログ(「震災直後に見た夢からの勇気づけ」)の解釈でも書いたが、震災直後の私は「テレビなどメディアを通して被災地の惨状を目の当たりにしながら、自分にはどうすることも出来ないという強い無力感と、果たしてこれは現実の出来事なのだろうかという信じがたい思いの両方に囚われて、精神的に混乱し落ち込んでいた」状況だった。この心理的混乱や不安感を解決する糸口を探して、私は夢の中で「転職試験」を受けようとしていたのかもしれない。私が抱えている不安感は、現実での私の周囲にいる人たちに比べて大げさなものだったのかも知れない。夢は私と周囲の人たちとの受け止め方のギャップを教えてくれている。私はこんなに真剣に悩んでいるのに、周りの人たちは、無造作にご馳走を食べ、楽しげに歓談しているのだ。私はその差に唖然とし、一人で内なる場であるトイレに籠もる。そして、夢は私に解決の糸口を教えてくれた。イルカはセルフヒーリングの象徴である。そして数字の4は完全数を表す。自分で自分を癒すこと、癒しのイルカに導かれて、自分の内面を見つめる旅を続けること。新たに逃げた先に解決の糸口はない、それが「転職試験」合格の答え。そうだ、現状から、私は逃げない。辛い時いつも、夢で癒しのイルカ達に支えられていることを、これからも忘れないようにしよう。
2011年05月31日
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2011年3月14日の夢日記から。『私はどこかで食事をしている。少し無理して食べ過ぎたらしい。その次に訪れた別の場所で、強烈な吐き気をもよおして、とっさに手元のタオルで口元を覆おうと、オエッと思い切り吐き出した。その汚れたタオルを、私は気にもせずに、首に引っ掛けると、そのまま暫く何かしていたようだった。次の場面。どこかの岸壁に係留中の大型海難救助船に私は来ている。どうやら、被災地の支援のためにこの船は派遣されて来たらしい。船内では食事の支度が始まっていた。広いギャレー(厨房)らしき場所で、大勢の乗組員が食事の盛付け作業を行っていた。女性の乗組員も二人程いるよう。が、私はよそ者なので、並んで盛付けられた皿をただ眺めているだけで、作業の手伝いに参加することが出来ない。そのうちに、私は船から降りようと思って後部デッキへと出た。船は船尾付けで岸壁に係留されていたからだ。が、海面には時化のように波があり、岸壁に係留しているのに船は大きく揺れていた。タラップはないようで、私が船から降りるためには岸壁へと飛び移るしかなかった。が、岸壁と船との隙間が離れ過ぎていて、「降りられないな~」と、困惑。私は、後部デッキから岸壁へと伸びるもやい綱を手で手繰り寄せたりしながら、何か降りれる方法はないかとウロウロしながら模索していたようだった。と、急に後ろから、(同じ職場の先輩男性)O崎さんに声をかけられ、私は、驚いて振り向いた。どうやら、後部デッキには私のほかにも何人かいたらしい。彼は私の左胸のあたりを軽く指差すようにすると、「昇進してたんだね、今、気付いたよ、おめでとう」と言った。ええっ??と、驚いて自分の左胸を見れば、それまで金色一本線であった左胸の階級章が、いつの間にか二本線になっていた。』東日本大震災が起きた3日後の朝、この夢を見た。テレビなどメディアを通して被災地の惨状を目の当たりにしながら、自分にはどうすることも出来ないという強い無力感と、果たしてこれは現実の出来事なのだろうかという信じがたい思いの両方に囚われて、精神的に混乱し落ち込んでいた頃の自分。被災者のために何かしてあげなくては、という焦燥感と、それとは裏腹に恐ろしい現実を目の当たりにしたくないという思い。そんな二つの思いが揺れて、結局、無意識の世界でも私はただの逃げ腰の傍観者でしかなかったようだ。それでも夢は、夢のラストシーンで、先輩O崎さんの姿を借りて、なんとか私を勇気付けようと、声かけをしてくれているようだ。
2011年05月13日
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私は被災者ではない。それでも、東日本大震災のショックで精神的にやられていた、今年の4月上旬頃にこんな夢を見た。特に夢日記や夢メモとして残すことはしていなかったが、未だに印象的で忘れられずにいる夢。あまり、綺麗な夢じゃない。被災者の方がいたら、どうか読まないで頂きたい。2011年4月上旬頃に見た夢『大きな倉庫のような広い建物内にいる。体育館と形容してもいいような、そんながらんとして何もない広い建物内。ただ、床が一面ガラス張りで、床下の様子が透き通って良く見えた。どうもここは職場に関係する場所のようだ。この場所を津波が襲ったらしい。そして今、ガラス張りの床下には、まだ引ききれていない水が大量に残っていた。床下の水はゆっくりと時間をかけて徐々に引いているよう。津波に巻き込まれた人であろうか。ピンク色のシャツを着た女性の遺体が床下に浮いているのが見えた。ゆっくりとした引き波にあわせて、彼女の体はゆっくりと移動していった。床一面が、泥水のような色の中で、彼女のピンク色のシャツは良く目立った。うつぶせに浮かんでいて顔は全く分からない。毎日、私たちは、ガラス張りの床の上から彼女の位置を確認した。引き波にあわせて、彼女の遺体はゆっくりと、建物の中心付近から、外側へと向かって流されていった。そしてついに、建物の出入り口付近まで流されて、手を伸ばせば捕まえられるところにまで、到達した。職場の見知らぬ先輩男性と後輩のT子ちゃんの2人で遺体の引き上げ作業を始めた。彼らは、建物の出入り口のちょうど玄関口の踊り場に当たる場所で、床下から流れて来た遺体を捕まえて持ち上げた。遺体は髪の毛が全て抜け落ち、誰か分からないほどに腐敗が進んでいた。そりゃ、そうだろう、津波に巻き込まれてから、引き上げるまでに相当な時間が経過していたのだ。「死体袋をもって来い」先輩男性が言う。それまで、遠巻きに作業を見守っていた私は慌てて、死体袋を探しに走った。あそこに仕舞ってたかな、ここに仕舞ってたかな、と建物内の棚を探し廻ってあちこちうろうろ、あたふた。が、結局見つからない。そうこうするうちに、どこから探してきたのか、遺体はT子ちゃんが捜して来た遺体袋に無事収納されたようだった。』今まで私が、この夢ブログ内で展開してきた、死に関する夢の解釈は、この夢については忘れてほしい。この夢は単純に、東日本大震災に対する私の恐怖心が表れた夢だから。今だに現地では、警察、消防、自衛隊の方々がいまだ行方不明の方々を探して下さっている。その苦労に対し、私たちは敬意を払わなければいけない。最近では、現地へ派遣されるのを嫌がって、わざと罪を犯し、自ら除隊しようとする自衛官の方がニュースになっている。それ位、行方不明者捜索という作業は、凄惨で精神的につらい作業だということなのだろう。現地の方々の苦労を想像した時、胸が締め付けられるような思いに駆られる。そして立場は違えど、もし仮に私が現地に派遣される側の人間であったなら・・・・・・、果たして精神的に破綻することなく、彼らのように、捜索活動に従事することなんて出来るのだろうか?多分、無理。この夢は私という人間が、いかに臆病者で逃げ腰であるかということを、突きつけてきた。今はただ、被災地の一日も早い復興と、現地で頑張っておられる多くの方々へ、私に出来ないことを肩代わりしてくれているという思いとともに、ただただ敬意と感謝をささげたいと思う。
2011年05月07日
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一ヶ月ぶりの更新。東日本大震災のために混乱した思いを抱えて過ごしていたが、最近ようやく落ちついてきて、以前のリズムを取り戻しつつある。長らくサボっていたこのブログ(姉妹ブログも含めて)、そろそろ再開しようかと思って久しぶりに以前書き溜めた夢ノートに目を通す。と、こんな夢日記に目が止まった。今から半年以上前の、2010年10月16日に見た夢。『演歌歌手の坂本冬美に良く似ている仲間の女性がいた。近いうちに発表会があるようで、彼女は歌の練習をしている。彼女が練習している曲は2曲で、2曲とも恋の歌。そこへ彼女の師匠である、厳しい顔つきの年配男性が現れて言う。彼は、彼女のそばにあったホワイトボードに黒マジックで大きく「地盤沈下」と書くと、「君の持ち歌の中で最高傑作は、こ、れ、だ!」ときつい形相で彼女に迫った。今さら、練習してきた曲を変えられない・・・と、彼女は当惑していた。』今から半年以上前に見た夢。夢見の直後は、この夢のメッセージはとても単純だと思えたものの、どうも気になる部分があって、解釈を保留にしたまま過ぎてしまっていた。夢に登場した恋歌の練習ばかりをしている坂本冬美似の女性。彼女は、それなりにもういい年なのに、乙女チックな幻想から離れることの出来ない、ちょっと美人で年増な独身女性、っていう女性像を象徴しているように思えた。(私は現実の歌手の坂本冬美さんがどんな方かよく知らない。あくまでこれは私の中でのイメージ像。)それに対して、彼女の師匠である厳しい顔つきの年配男性は、まさしく父性的な役割を負ったアニムスとして登場している。彼が放った「君の最高傑作は『地盤沈下』だ」との言葉、これこそがこの夢のメッセージ。彼が、夢見がちな女性に対して説教しているような夢の場面から、彼の言葉は、「もっと現実を直視して、足元を見て行動しろ」というような意味あいのメッセージなのだとすぐに解釈できたが、それにしてもなんで「地盤沈下」なのか?この言葉だけが、どうもいまひとつピンとこなくて、ずっと心の隅にひっかかっていたのだった。この夢の中に「私」は登場しない。しかし、坂本冬美似の女性はまさしく、私自身の投影像として登場したに違いない。セラピストの東山紘久氏は、彼の著書の中で、夢の中に現れる登場人物の中に夢見者本人が登場しない場合、夢は、まだ夢見者自身が、現実に受け入れることが出来ていないことを、まるで映画やドラマの場面を見るかのようにやんわりとメッセージとして伝え、ゆっくりと本人の気づきを促す。(夢の緩和作用)としている。夢に登場した坂本冬美似の女性が、私自身がまだ受け入れることが出来ていない自分の中のとある側面を投影した姿であるとすれば、恋歌の練習ばかりをして、現実の自分の足元を見つめる努力をしていない女性、という己の甘い姿に気づけよと、夢は私に伝えたいのだろう。夢は、夢の最後に、父性的なアニムスを登場させて、「もっと現実を直視しろ」と語らせることで、夢の中から、必死に私へ説教をしていたのだ。しかし、この夢を見た直後の私は、夢のメッセージに気づいたものの、夢が私に向けて放ったメッセージがどうも、腑に落ちなくてしょうがなかった。せっかくの夢のメッセージを、そんなふうにきちんと受け止めることが出来ない「私」だからこそ、夢の登場人物に「私自身」が登場しなかったのだよ、と、東山紘久先生なら私に対する夢分析で突っ込みをお入れになるのかも知れない。(笑)この夢を見た半年前の自分を、日常的なことや、当時の自分の思考回路から思い出してみると、別に夢に現れた坂本冬美似の女性のように、毎日恋歌を歌っていた訳でも、家事そっちのけで恋愛事や夢見事に興じていた訳でもない。あ、いや確かに、夢見事といわれれば、確かにこの夢日記とこのブログ、つまり夢との対話に傾倒しすぎているな、と思うところはある。でも、夢との対話は、自分自身を分析し、自己との対話を深め、人間的精神的に向上するためには私の人生で必要不可欠なことだと感じている。夢と妄想の区別がつかなくなったらおしまいだという自覚はしているし、仕事は毎日欠かさず行き、社会的責任も果たした日常も送っている。そりゃ、仕事上で必要な技術の習得や、資格取得のための勉強やら、もっと現実社会において生活する上で必要と思われる勉強時間を少々削って、今の夢との対話に没頭してしまっていると、感じる部分はあるが、夢との対話は私にとって趣味と形容してもいいことだし、人が人生を生きていくうえで趣味は大切である。だから、そんな風に自分自身の生き方に納得していると思っていた私自身に対して夢が私に、「もっと現実を直視しろ」と説教してきたことは、いまひとつメッセージとして、腑に落ちず、心に引っかかる夢の一つとなって、今まで記憶に残り続けていたのだ。特に夢に登場した「地盤沈下」という言葉。この言葉は妙な違和感とともに、ずっと忘れることが出来ずにこの半年間、心の片隅に残っていた。そして、東日本大震災が起きた。震災が起きてまもなく2ヶ月。今、「地盤沈下」という言葉を聞けば、東日本大震災で生じた被害を連想せざるを得ない。津波被害にあった東北の沿岸部では1メートル以上地盤が沈下し、未だに海水が引かない地域がある。又、津波被害がなくとも、関東近県では、液状化現象により、地盤が沈下し建物が傾く被害が多数出ている。私が半年前に見た夢にたまたま「地盤沈下」という言葉が登場したからといって、これは予知夢だ、と、安っぽく関連づけてこの夢の解釈を言うつもりなどはもちろん毛頭ない。でも、東日本大震災が起きてしまった今、私はこの夢を思い出すたびに今回の震災の被害を連想せずにはいられない。カール・ユングは、このような意識上で起こる関連性をシンクロニシティ(共時性)と呼んでいる。ここでユングの話しをしたので、ユングが第一次世界大戦を予見したといわれている夢を一つ抜粋して紹介したい。「(1914年4月~6月)ある夢を三度にわたって見ることになった。その夢というのは。夏の真っ只中だというのに、北極の寒気が襲ってきて大地を氷に化してしまうというものであった。例えば、ロートリンゲンのあたり一帯、そしてその水路がすべて凍ってしまうのが見えた。大地に人の姿はまったく見えず、湖や川はすべて凍りついていた。」(大場登著「精神分析とユング心理学」から抜粋)この夢を見た直後の1914年8月、第一次世界大戦が、勃発した。ユングはこの夢で「集合的無意識」を夢として感じ取ったのではないだろうか。ユングはこの夢が、彼自身の問題を表象したものではなく、戦争へと向かおうとしている社会全体の気運を無意識に感じ取って見せられたビジョンなのだということを、以下のように語っている。「無意識から圧倒的な力をもって私にメッセージがやってきた。そのイメージは私にだけ関わるのではなく、他の多くの人々にも関わるものであった。私がもはや、私自身だけに属することは許されないということが、始まった。」(ユング1961)私が見た今回の夢の話に戻る。坂本冬美似の女性が恋歌の練習をしていた夢の話に。この夢の中に、夢身者当人である、私は登場していない。東山紘久先生の著書による解釈に従えば、私がその夢で突きつけられた私自身の課題を、私が認めて受け入れることが出来ていないから、ミニドラマでも眺めるかのように、やんわりと夢からの気づきを促されたのだと解釈することが出来る。だけど、東日本大震災を経験した今の私の内面では、違う解釈が浮かんでしまって仕方ない。こじつけと言われても仕方ない。でも、私の中では意味のある偶然の一致として、受け止めざるを得ない。夢の登場人物の中になぜ、「私」は登場しなかったのだろう。それはきっと、私だけの問題じゃなかったからだ。恋歌を歌っている女性は、今の日本という国を象徴していたのではないだろうか。先人たちが築きあげてきた恩恵の上に胡坐をかき、この平和と利便性豊な世の中を、当たり前と感じて、現実的苦労よりも、恋歌を歌うような、甘いことだけを考えて過ごしている今の日本の人たち。私も含めて、そんな状態の今の日本の人々に対し、夢は、来るべき災厄に備え、自分の足元を固めろと、警告してくれていたのではないだろうか。今となっては、遅いのだろうか。でも少なくとも、あの震災の日を境にして、今の私は自分の足元を見つめ、現実に目を向けるようになったと思う。
2011年05月04日
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4月も半ばになり、近所では桜の花が満開を過ぎた頃。東日本大震災の日からもう既に1ヶ月が過ぎたというのに、心か晴れることはない。ブログの更新も、すっかり止まってしまった。3月11日のあの日から、強引に現実世界へと引き摺り降ろされてしまった。もう、夢なんか書いている場合なんかじゃないな、と。読みかけだったユングの本を脇に放って、昔読んだことのある「広瀬隆」の本を再び引っ張り出して読んでいる。そんな心境の中で夢を見た。4月2日の朝、自宅で寝ている時に見た夢。『自宅の居間で、頭を窓の近くに置いて寝ていたためか、朝4時頃、「チュンチュン!ちーちー!チッチ、チッチ、ギー!」といった、小鳥か小動物の鳴き声で眠りを妨げられた。が、うとうととしながらもよく考えれば、町中のアパート3階のベランダにそんなに野生の小動物が集まるハズはなく、「夢かな?」と、あまり気にせずうとうとと、再び眠りについた。目が覚めた。私はAさんら仲間と共に当直仮眠室で仮眠中だったようだ。私が横になっている窓際の和室の隣にAさんらが休んでいる部屋がある。私が布団から起きて体を起こすと、ちょうどAさんも起きて部屋から出て来たところだった。そこで私は「動物達の騒ぐ鳴き声がよく聞こえた夢を見たみたいだ」と話しかけると、Aさんは「夢じゃないよ」と言う。「動物達のそれは、(危険を察知するための)人間にはない、研ぎ澄まされたアンテナなのかもしれない・・・・」と。まだ起き出す時間には早く、まだ眠かった私は再び布団を被って眠ってしまった。又、目が覚めた。変な静けさにあわてて周囲を見回してみるとAさん達仲間が全員いない。どうやら、私を置いて、彼らは先に出勤してしまったらしい。私は窓に駆け寄ると眼下に広がる景色を見下ろした。私が今いる当直仮眠室のある建物は高台の上にあり、窓からは港を一望して見下ろすことが出来る。見れば、港には大型の真っ黒なはしけ(全通甲板のデッキ上に何のハウスもない長方形で平らの形の船)が何隻も並行に繋がれて浮かび、その船上には、私と同じ会社の人間と思われる黒い礼服に身を包んだ人たちが、何百?いや何千人?と整然と整列しながら乗船していた。彼らの乗る艀は正に今、ゆっくりともやい綱を放して島から出て行こうとしているところのようだった。「まずい、置いていかれた!」とあわてて、出掛ける準備をしかけたところ、部屋の出入口付近に無造作に置かれている自分の紺色出動服ズボンが目に入った。几帳面な自分が、こんな人の通るような場所に、自分の衣類を無造作に置くなんてことはあり得ないから、Aさんがあわてて置いたのだろうか?との思いがよぎった。もしかしたら、Aさんはあわてて出掛ける最中、私を起こそうとしてくれたのかもしれない。が、私は熟睡し過ぎていて起きて来ず、Aさんは諦めて先に行ってしまったのかもしれない。そう思って、急いで床にあったズボンを拾い上げて足を通し着替えていると、仲間の一人である同僚Mが現れた。「迎えに来たぞー」と、奴は言う。私は同僚Mと共に下へと急いで降りた。たどり着いた場所は、先程眼下に見ていた港とは反対側の、島の入り江にある岩場だった。(私達が今いる場所は小さな島なのだ)そこには、Aさんも含めた仲間数十人が私の来るのを待っていた。彼らは全員防護服のような外観の潜水衣に身を包み、顔にはゴーグルとマスクという出で立ち。仲間の誰かが、私にも同じ格好をするようにと、一見カッパのようにも見える潜水衣一式を手渡してくれ、私はあわててそれに身を包んだ。前方には海に面した場所に、洞窟のような暗いトンネルの入り口があり、私達はその中へと進んで行った。トンネルの入り口付近には波が打ち込み、トンネル内の足下は海水でずっと濡れていた。トンネル内を進みながら、同僚Mが「上にいた時に(高台のあの部屋にいた時に)港の方角を(コンパスを見て)確認しとけば良かったな。」とつぶやいたので、私は「東だよ」と言う。が、同僚Mは私の言葉に耳を貸さず、「西だろう」と言う。高台上の当直仮眠室から見えるこの島の全景を、私はいつも意識しながら勤務していたから、方角には確信があった。同僚Mの言う「西」とは、東の港から出港した船がたどり着く先の港が、その場所の西側にあたるって意味で言っているのだろうか、奴も馬鹿じゃないないから、奴の話す言葉にも、なにか根拠があるのだろうと、あえて議論も反論もせず、暗いトンネルの中を歩きながら考えている自分がいた。』夢の解釈は読者の方にお任せします。今はただ、1日も早くこの国が、不安のトンネルから抜け出す日が来ることを、祈るばかりだ。
2011年04月12日
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