猪突猛進ダンサー日記

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chiichan60

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2024.06.04
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カテゴリ: 旅行記





3泊4日の旅も過ぎてしまえばあっという間ですね。

最終日は早めに朝食と片付けを済ませチェックアウトしましたが、

やはり慌てていたんでしょうか、ホテルにカメラを忘れたまま

出かけてしまい、遊覧船に乗ってからもまだカメラは車の中に

あると思い込んでスマホで撮っていました。

加茂川・中海遊覧船乗り場をナビに入れても出てこないし、

ガソリンスタンドで聞いてもあまり詳しく知らないので

行き当たりばったりで見当を付けて運転してもらいました。

乗り場についても誰もいないし、いるのはカッパだけ。

それで出発時間まで待つことにしました。

右上のスイカを食べているカッパは確か水木しげるさんの作だった気がします。




するとおじいちゃんが一人どこからか自転車でやってきました。

10時近くになってやっと準備開始し、船頭さんと水先案内人さんと

乗船するのは私達2名の計4名だけ。

桜の季節とGWはお客さんがもっといたそうですけどね。




加茂川沿いは江戸時代に水運業で栄え、

かつては米子港へ物資を運ぶ物流拠点だったそうで、

美しいなまこ壁の土蔵も残っていました。(右下の写真にちらっと見えます)




米子白壁土蔵前の天神橋付近から

約50分の船旅に出発しましょう。

頭上すれすれを通るので頭を下げて橋の下をくぐります。




この石橋は京に向かう道だったので

橋の欄干も京都に似せてあります。




加茂川沿いには江戸時代に水運業で栄えた

廻船問屋が並んでいました。

このお屋敷もそうだったようで白壁土蔵が続いていました。




加茂川を出発して中海に入ります。




砂州(さす)で日本海と隔たれた汽水湖・中海は

日本第5位の面積がある湖です。

海水と真水が半々の湖だそうです。

そしてあの山の向こうには出雲の神様たちがいた島があるそうです。






二つの小さな島が見えてきました。




以前はあの島で宴会を催すお金持ちもいたそうですが、

今は誰もやらないそうです。




船は左手にみえる竹林を眺めながら方向を変えていきました。




そして今来たのとは反対方向に進み始めました。

向こうの方に大山が見え(高い山)

左側から女性の寝姿にみえるそうです。




左側の高い山は女性の胸だそうですが、そう見えますか?

遠くでカヤック(カヌー?)の練習をしていました。




橋をくぐって進みました。




この石垣は米子城跡です。

標高約90mの湊山の頂上にあった戦国末期から近世までの城跡です。

当時の形態をよくとどめる遺構として

国史跡に指定されています。




大学生がカヌーの練習をしていました。

二艘いたのでぶつからないように私たちの船がよけて航行しました。




しばらく行くと鳥取大学の医学部の校舎がありましたので、

多分その学生さん達だと思います。

約50分の船旅でしたが、とても満足できました。


そして船を降りるとすぐにホテルから電話がありました。

わたしとしたことが・・・部屋にカメラを忘れるなんて。

その後、また皆生温泉のホテルまで引き返し

カメラを取りに行ってきたのでした。


その後「お菓子の壽城」に立ち寄って

昼食を食べ、お土産を買って帰ったのでした。




帰りは鳥取、岡山、兵庫、大阪、京都、滋賀、岐阜と

高速を乗り継ぎスイスイ走って来たのですが、米原~関ヶ原区間で

ちょうどその日から始まった名神の集中工事に引っかかって

結局午後7時過ぎにやっと当市へ戻ることができ、

国際交流協会の総会に遅刻して滑り込んだのでした。


長らく旅行記にお付き合い頂きありがとうございました。

(完)








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Last updated  2024.06.04 06:00:18
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