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第二十二回※『山椒太夫・高瀬舟』(新潮文庫)では、全12篇が収められている。ここでは表題作の2篇を要約してみた。◆山椒太夫(さんしょうだゆう)昔、新潟県の春日から今津に向かう道を、母(30歳ぐらい)とその子ども2人(姉と弟)、そして女中(40歳ぐらい)が旅をしていた。主人がお役目で九州へ行ったきり帰らないため、様子をうかがいに訪ねるためだ。日も暮れようとしていたので、主従4人が泊まれる宿を探してみたところ、土地の女が言うには宿屋は一軒もないと。しかもむやみに旅人を泊まらせるなと言う掟もあるのだとか。と言うのも、悪い人買いが横行していて、お上が目を光らせているのだと言う。仕方がないので主従4人は橋の下で野宿することにした。そこへ船乗の山岡太夫と言う男が現れた。親切にも泊まる宿を用意し、芋粥などを食べさせてくれると言う。母は喜びその親切な提案を受け入れるが、一人女中だけは不安な表情をしていた。山岡太夫が言うには、西国まで陸を行くには、子どもの足では難しいという。その点、船なら問題はないとのこと。結局、急かされるように太夫の言いなりで、主従4人は船路を選んだ。ところが2人の子どもは宮崎方面の舟へ乗せられ、母と女中は佐渡方面の舟へ乗せられてしまった。北へ漕ぐ舟と南へ漕ぐ舟が、あれよあれよと分かれていく。母は子の名を、子は母を呼ぶが、その距離は縮まらない。女中はその様子を見て船頭に交渉するが、それも叶わず、終いにはあきらめ、一人海に身を投じてしまった。海に身を投じてしまった。2人の子ども、安寿(姉娘)と厨子王(弟)は、山椒太夫と言う人買いのところに売られて来た。そして安寿には汐汲、厨子王には柴刈を命じられた。過酷な労働の中、2人は身を寄せ合って過ごし、どうしたら良いものかと逃亡の方法を考えていた。ところがそれを山椒太夫の息子に聞かれてしまい、罰として安寿と厨子王の額に十文字の焼きごてをあてられる。その後、安寿は人が変わったようになり、ある日、それまでやっていた汐汲ではなく、厨子王と同じ柴刈に行かせて欲しいと願い出た。その願いは聞き入れてもらえたものの、女子が男の仕事をするのに髪の毛は不要だと、安寿の長い黒髪はバッサリと切られてしまう。それまで何事かを思案してきた安寿だが、いよいよ実行に移すときがやって来た。2人して山に柴刈に行った際、意を決した安寿が、厨子王に逃げる方法を伝授した。厨子王はあとに残る姉のことが心配でならない。だが安寿は、厨子王がまず先に逃げて父に連絡を取ってから自分のことを助けてくれるようにと言った。厨子王はその提案を聞き入れ、まず自分が先に逃げ延びることにしたのだ。その後、厨子王は寺の和尚に匿われ、事なきを得た。さらに、安寿が入水したことも聞いた。厨子王は姉から譲り受けた守本尊を肌身離さず持っていたおかげで、それが百済国から渡った高貴な地蔵菩薩の金像であることが知れ、由緒正しい家柄の嫡子であることが判明した。大人になった厨子王は、正道と名乗った。父の正氏はすでに亡くなっていた。正道は丹後の国守となり、まずは人身売買を禁じた。さらに山椒太夫に奴婢の解放と給与の支払いを命じた。佐渡にいるはずの母の行方はなかなか知れなかったが、やっとの思いで見つけた。母は盲人となっていたが、正道が近づくと、目が開いた。そして2人はひしと抱き合った。◆高瀬舟(たかせぶね)京都町奉行の同心は、罪人を高瀬舟に乗せて大阪まで護送していた。罪人は喜助と言って、弟殺しの罪だと言う。同心、羽田庄兵衞は、この喜助の様子が他の罪人とはだいぶ違っているので不思議に思った。と言うのも、喜助がまるで鼻歌でも歌い出しそうなほどに、いかにも楽しそうだったからである。庄兵衛はついに、役目を離れた対応とも思われるが、喜助のここまでに至った経緯やら身の上を問うた。喜助が言うには、これまで骨を惜しまず働いて来たが、いつももらった金は右から左だったと。ところが罪を犯して牢に入ると、とくに働かなくとも食べさせてもらえ、しかも牢を出る時には二百文の銭をもらうことができ、何にも増して嬉しいことこの上もないと。両親は喜助が幼い頃、流行病で亡くなってしまい、それからは弟と2人、身を寄せ合って生きて来た。ところが弟は病気で働けなくなってしまった。弟は兄一人に働かせていつもすまないすまないと謝るばかり。ある日、喜助が仕事から帰ると、弟は布団の上でのど笛を切って血だらけになっていた。聞けば、弟は早く死んで少しでも兄に楽をさせたいと自殺を図ったところ、なかなか死にきれない。頼むから手を貸してこのまま逝かせて欲しいと。喜助はしばらく逡巡したあと、弟の望むように、突き刺さったままの剃刀をのど笛から抜き取ってやることにした。だが、こうすることで喜助は弟殺しと言う罪人になってしまったのである。庄兵衛は、果たしてこれが人殺しになるのだろうかと腑に落ちなかったが、こればっかりはお上の判断に委ねるしか仕方がない。2人を乗せた高瀬舟は、夜更けの黒い水面を滑っていった。(了)(了)《過去の要約》◆第一回目の要約はこちらのです。◆第二回目の要約はこちらのです。◆第三回目の要約はこちらの~(上)~です。◆第四回目の要約はこちらの~(下)~です。◆第五回目の要約は、こちらのです。◆第六回目の要約は、こちらのです。◆第七回目の要約は、こちらのです。◆第八回目の要約は、こちらのです。◆第九回目の要約は、こちらのです。◆第十回目の要約は、こちらのです。◆第十一回目の要約は、こちらのです。◆第十二回目の要約は、こちらのです。◆第十三回目の要約は、こちらのです。◆第十四回目の要約は、こちらのです。◆第十五回目の要約は、こちらのです。◆第十六回目の要約は、こちらのです。◆第十七回目の要約は、こちらのです。◆第十八回目の要約は、こちらのです。◆第十九回目の要約は、こちらのです。◆第二十回目の要約は、こちらのです。◆第二十一回目の要約は、こちらのです。
2023.07.15
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第二十一回米にコクゾー虫がわかなくなった原因は、DDT、BHC、ドリン系農薬によるものだ。(いずれも昭和46年に使用禁止となった)それらの農薬は微量でも、長期にわたって食べ続けた場合はどうなるのか?汗や尿で体外に排出されることがなく、体内に蓄積されるのだが、その結果を知る科学者はいない。ところが日本人は主食を米とし、広大な米作地帯を有する。そこで長きにわたり使用されて来た農薬がBHCと言う殺虫剤であり、実にアメリカ人の数十倍のものを体内に蓄積しているのだ。幸か不幸かーーこれまでに人間での臨床実験データがないためーー世界中の科学者が日本人の人体にどのような影響を及ぼすのか、固唾を飲んで見守っているというのが事実である。(これは、BHCを口にした本人のみならず、その子孫に及ぶ害を含め、世界中の科学者がデータ待ちの状況である)複合汚染と言うのは、二種類以上の毒性物質によって汚染されることを言う。分かりやすく言えば、排気ガスで汚染された空気を吸い、農薬で汚染されたご飯や、どんな農薬が使われたのかわからない輸入小麦で作られたパン、殺虫剤の入った緑茶などを口にし、その相加作用、相乗作用が起こることである。農薬の恐ろしさを誰よりも知っているのが農家の人たちだった。農薬を使うことで、その弊害に気づいたからである。だから農家の人々は、自分の家で食べる野菜や果物には農薬を使わない。多少、虫に喰われていたり、形がいびつであっても、かえってその方が安全で安心して口にできるものだからである。世界では、レイチェル・カースン女史により、農薬(殺虫剤)が生物界の秩序を乱すと警告した。(昭和37年)だが日本では、その一年前に奈良県五条市の一開業医が「農薬の害について」と言うパンフレットを自費出版していた。その医師こそ、梁瀬義亮先生である。梁瀬医師は、診療のあと毎晩遅くまで農薬に関するデータを研究、解析した。だが、農薬中毒の治療法は見つからなかった。予防策として、農薬のかかっていない食物を食べる以外に方法がないと結論づけた。梁瀬医師の提言を信じ、協力した農家は、さっそく無農薬野菜の栽培に切り替えた。もちろん、すべてが順風満帆ではなかったが、農薬の恐ろしさを知った農家は、多少の困難にもめげず、人間の健康と生命のために立ち上がったのである。そこで発足したのが「慈光会」なのだ。明治維新の後、日本政府は積極的にヨーロッパ文明を取り入れた。だが、日本人気質でもある短兵急な当時の政治家は、学問の分野ですぐに即効性のある利益に繋がるもの以外は、切り捨てたのではなかろうか。と言うのも、例えばイギリスでは国を支配する者にとって必須である博物学の知識は、日本では見向きもされなかった。英国紳士にとって、野鳥観察や園芸は大自然の動きを知るための大切な趣味であり嗜みである。土中の微生物と土上の植物、野鳥と果実そして人間とがどのように関わり合っているのかを、彼らは知識として心得ていたのだ。水俣で猫が狂ったとき、イギリスのような博物学が進んでいれば、すぐに原因究明にとりかかり、人間に症状が現れるまでに何かしらの手を打つことができたのではと悔やまれる。日本における水俣病の発見が遅れたのは、正にそれであろう。全国で、有機農業や無農薬栽培の気運が高まって来ると、次に出て来るのが販売ルートの確保だった。無農薬がいかに健康的であるとは言え、形がいびつで虫喰いのあるものを、市場には出せず、一体どこで誰が買ってくれると言うのか。その点、メシア教(世界救世教)は自然農法が基点となっているため、全国的なメシア教の健康食品販売網によって売りさばかれていた。一般消費者の知識が、メシア教の信者までの水準に達すれば、かなり販路は広がるのだが。昭和37年、合成洗剤を一口飲んだ男性が亡くなった。その後、誤飲事件や自殺未遂事件などを回避する目的で、合成洗剤をやめて石けんに切り替えようと言う市民運動が起こった。昭和42年には川崎病が発症。原因は不明だが、日本だけに多発している奇病である。赤ちゃんのおむつかぶれや大人の皮膚湿疹だが、肌着を洗うのに合成洗剤から石けんに切り替えたところ、ケロリと治ったという例が多く見られた。人類は人間の限界を忘れ、石油も、空気も、水にも限界があることを忘れている。人間が絶対者であるかのような錯覚が、科学を支配したとき、人間は科学によって支配され、日本のような物質文明の危機にさらされることになった。大自然の中で、人間は他の生物と同じように、折り合って暮らしていく智恵を身につけるべきである。(了)《過去の要約》◆第一回目の要約はこちらのです。◆第二回目の要約はこちらのです。◆第三回目の要約はこちらの~(上)~です。◆第四回目の要約はこちらの~(下)~です。◆第五回目の要約は、こちらのです。◆第六回目の要約は、こちらのです。◆第七回目の要約は、こちらのです。◆第八回目の要約は、こちらのです。◆第九回目の要約は、こちらのです。◆第十回目の要約は、こちらのです。◆第十一回目の要約は、こちらのです。◆第十二回目の要約は、こちらのです。◆第十三回目の要約は、こちらのです。◆第十四回目の要約は、こちらのです。◆第十五回目の要約は、こちらのです。◆第十六回目の要約は、こちらのです。◆第十七回目の要約は、こちらのです。◆第十八回目の要約は、こちらのです。◆第十九回目の要約は、こちらのです。◆第二十回目の要約は、こちらのです。
2022.10.29
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第二十回※『檸檬』(新潮文庫)には、20編の短編作品が収録されている。ここでは、表題作を含む3編を要約した。『檸檬』私にはまるで金がなかった。生活がまだ蝕まれていなかったころの私は、丸善が好きだった。丸善で様々な雑貨を眺めることが。当時の私は、何かが私を追い立てるような錯覚に襲われていた。友達の下宿を転々としていたのだ。私にはお気に入りの果物屋があった。京都は二条通に接している街角にあるのだが、妙に暗くて、私を誘惑した。私は店で買い物をした。珍しく檸檬が出ていたのだ。私はそれを一つだけ買った。握った瞬間、非常に幸福な気持ちになった。私は肺尖を悪くしていたので、度々熱が出、掌がいつも熱かった。だが檸檬を握っていると、掌からその冷たさが染み透ってゆくように快いものだった。気分が良いので思わず久方ぶりに丸善に入ってみた。ところがにわかに心は憂うつになった。もしかしたら歩き回って疲れが出たのかもしれない。私は棚から画集を一冊ずつ抜き出してはペラペラとめくった。そしてそれを繰り返した。私は積み重ねた画集の群を眺めた。「あ、そうだそうだ」私は持っていた檸檬を画集の城壁の頂きに置いてみた。しばらく眺めたあと、何食わぬ顔をして丸善を出た。もう10分後には、あの丸善が大爆発をするのだったらどんなに面白いだろうと思った。『桜の樹の下には』桜の樹の下には屍体が埋まっている!桜の美しさは信じられないけれど、桜の樹の下には屍体が埋まっていることは信じていいことだ。馬や犬猫、人間のような屍体が腐乱して、水晶のような液をたらたらと垂らしている。桜はその液体を吸って、爛漫と咲き乱れているのだ。俺は何万匹とも数の知れない薄羽カゲロウの屍体を見た。石油を流したような光彩が水に浮いていた。そこが産卵を終えた彼らの墓場だった。俺はそれを見て、惨忍な悦びを味わった。美しい風景だけでは俺は喜べない。惨劇が必要なんだ。そのバランスこそが俺を和ませる。桜の樹の下には屍体が埋まっている!今なら俺は普通に花見の酒が呑めそうだ。『交尾』〈その一〉人々が寝静まったころ、私は家の物干場から露路を見ていた。二匹の白猫が追っかけあいをしていた。そして寝転んで組打ちをしていた。彼らは抱き合い、柔らかく噛み合っている。これほどまでに可愛い、艶めいた猫の有様を、私は見たことがなかった。そのうちあちらの方から夜警の杖の音が響いて来た。猫は相変わらず抱き合っている。夜警はだんだん近付いて来て、猫に気づいて立ち止まった。猫は図々しくも逃げ出さない。すると夜警は持っている杖をトンと猫の間近で突いて見せた。たちまち猫は逃げてしまった。夜警は物干の上の私に最後まで気づかず、露路を立ち去った。〈そのニ〉街道から杉林の中を通って、いつもの瀬のそばへ下りて行った。河鹿の鳴き声が街道までよく聴こえたからだ。眼下には一匹の河鹿の雄が喉を震わせていた。さて相手はどこにいるのかと探してみると、一尺ばかり離れたところに一匹の雌がいた。雄がひたむきに鳴く声に応えるように、雌が「ゲ・ゲ」と呑気に鳴いた。雄の情熱的なのに比べると、雌はずいぶんあっさりしたものである。雄はひたすら烈しく鳴いていたところ、ひたと鳴き止んだ。そして水を渡り、雌を求めて駆け寄っていった。こんな可憐な求愛があるものだろうか。私はすっかりあてられてしまった。雄は雌の足下へたどり着き、交尾した。それは爽やかな清流の中で。私は世にも美しいものを見た心地だった。(了)なお、次回の要約はを予定しています、こうご期待♪《過去の要約》◆第一回目の要約はこちらのです。◆第二回目の要約はこちらのです。◆第三回目の要約はこちらの~(上)~です。◆第四回目の要約はこちらの~(下)~です。◆第五回目の要約は、こちらのです。◆第六回目の要約は、こちらのです。◆第七回目の要約は、こちらのです。◆第八回目の要約は、こちらのです。◆第九回目の要約は、こちらのです。◆第十回目の要約は、こちらのです。◆第十一回目の要約は、こちらのです。◆第十二回目の要約は、こちらのです。◆第十三回目の要約は、こちらのです。◆第十四回目の要約は、こちらのです。◆第十五回目の要約は、こちらのです。◆第十六回目の要約は、こちらのです。◆第十七回目の要約は、こちらのです。◆第十八回目の要約は、こちらのです。◆第十九回目の要約は、こちらのです。
2022.08.27
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第十九回14歳と9ヶ月のモーリス・ホールは、もうじきパブリック・スクールに進級しようとしていた。小学校最後の遠足の際、父親のいないモーリスに、デューシー先生が「父親になったつもりで話をするぞ」と、性の神秘について解説した。モーリスがわかりやすいように砂浜に杖で絵を描いてみせ、何か質問があるかと様子を窺うが、特に何もないようだった。結局のところ、先生は、高貴な女性を愛し、守り、仕えること、それこそが人生の頂点だとモーリスに教えたかったのだ。サニントンがモーリスの人生の次の舞台だった。サニントンの校風は高潔だったが、体の成長とともに性欲が湧いてどうしようもなかった。敬愛の念を抱くのは少年ばかりだった。モーリスの感情は常に混沌としていた。19歳になると、モーリスはケンブリッジ大学へ入学した。1年目のときは、他のサニントンの卒業生たちと小さくまとまり過ぎていたが、2年目になると変化が訪れた。リズリーという博識で気取った男だったが、どこか女々しい表現を使う学生で、モーリスはその男に興味を持った。リズリーは弁論部に所属していることでも有名で、モーリスはリズリーに倣って自分も奔放に生きようと思ったのだ。己の苦悩を解決する糸口が見つかるかもしれないと思ったからだ。ある夜、モーリスは仲間に知られるこもなくリズリーの部屋を訪れた。だがあいにく彼は不在で、モーリスと同じコレッジで1級上のクライヴ・ダラムがいた。そしてこの男こそ、後のモーリスを魂の底から夢中にさせるのだ。クライヴは単に賢いだけでなく、冷静で秩序立った思考ができた。また、自分の弱点も理解していて、皆が信頼しきっているような教師でさえ無条件には誉めない客観性を持っていた。モーリスはもうふだんの生活には戻れないと思った。次の機会にリズリーに会ったとき、(あれだけ気になる存在だったのに、クライヴを前にして)すでに関心は湧かなかった。モーリスとクライヴは一気に親しくなった。休暇に入ったのでモーリスは帰省した。クライヴという特別な存在ができたことが嬉しくて、母と2人の妹たちエイダとキティに、彼のことをしゃべり続けた。家族はモーリスにもやっと友人ができたのだと理解したが、モーリスの言う「無神論」(クライヴの思想による影響)については「これほど不幸なことはない」と、母親は納得しなかった。だがモーリスは頑なにも教会にはもう行かないと宣言したのである。休暇が終わって大学に戻ると、モーリスはクライヴと再会し、固く抱き合った。クライヴは周りに人がたくさんいるのも省みず、痛いほどの青い眼で見つめ、ささやいた。「君を愛している」モーリスは衝撃を受け、震え上がった。思わず「くだらない!」と言ってしまった。クライヴは去っていった。2人はそれから2日間話さなかった。モーリスのように性格がのんびりしていると、自分の本当の気持ちに気づくことさえ時間がかかる。モーリスはベッドに横たわると、声を殺して泣いた。もう己を欺くのはやめようと思った。女性を好きなフリをするのはやめよう、自分が惹かれるのは同性だけなのだから、男が好きなのだ。モーリスははっきりとそれを認めた。3週間後、今度はモーリスの方からクライヴに「愛している」と告白した。だがクライヴはその言葉を信用しなかった。モーリスも引かなかった。やっと自分の本当の気持ちに気づくことができたのに、それをなかったことにはできないからだ。深夜、モーリスは雨でびしょ濡れになりながら、クライヴの部屋を見上げた。夜明けとともにクライヴの部屋に忍びこむと、クライヴの見る夢の中から「モーリス」と名前を呼ばれた。モーリスは感情が満たされ「クライヴ!」と答えた。ある晴天の日、モーリスとクライヴは講義をサボって遠出することにした。サイドカーのついたオートバイで走っていると、途中、学生監に呼びかけられた。だがモーリスはろくな返事もせず、静止するのを振り切った。オートバイはずいぶん遠くまで走ったところで故障した。ケンブリッジに戻ると、学生監はモーリスを停学処分にした。一波乱あった後、モーリスはクライヴ邸を訪れ、あるいはクライヴがモーリス邸を訪れたりするうちに両家は昵懇になっていた。クライヴは司法試験に見事合格した。ゆくゆくは政治の世界に入るつもりだったからだ。そのころクライヴはインフルエンザに罹って寝込んでしまい、見舞いに出向いたモーリスまで感染してしまい、やはり寝込んだ。回復したクライヴがモーリスの様子をうかがいに来たところ、モーリスよりかえってクライヴの顔色の方が悪く、何かに苦悩しているようだった。案の定、クライヴはモーリスの家族と歓談中に倒れてしまい、モーリスの世話になった。モーリスはかいがいしくクライヴの面倒をみた。クライヴの吐瀉物の始末からそれこそ下の世話まで。症状は重くなかったので、クライヴは帰ることができた。そのころを境に、クライヴのモーリスに対する態度は冷えていった。それの意味するところは一つだった。「ぼくは普通になった。他の男と変わらなくなった」とクライヴは言った。クライヴは女を好きになった。かつて愛したモーリスとは二人だけになることを嫌がり、抱きしめられることに抵抗を感じるようになったのだ。「ぼくは変わったんだ。本当に変わった」モーリスは混乱し、それを受け入れることなど到底できなかった。あれこれとクライヴを追求し、その理由を探ろうとしたが、そのときのモーリスに冷静な判断など不可能だった。本当の意味での破局は春に訪れた。クライヴが婚約したという手紙が届いたのである。最初、モーリスはクライヴが訪れた際に、妹のエイダと何かあったのではと疑惑の目を向けたが、それは見当違いであった。クライヴの婚約者は上流階級の令嬢だった。モーリスは孤独だった。神も恋人もいなかった。もう自分の偏った性癖は医師に相談するしかないと思った。自力で己の性欲を抑え込むことのできない今、どんな治療でも耐えてみせると決意したのであった。だが、そんなモーリスの意気込みも虚しく、医者の力でも彼の苦悩はどうすることも出来なかった。一方、クライヴは身を固めたことで、いよいよ政治家として忙しく動き回っていた。女性と結婚したことで精神が安定し、それこそ肉欲も満たされた。気がかりなのはモーリスのことであった。真の友を地獄の底から救い出したいと思った。異性との結婚がいかに素晴らしいものか伝えたいと思った。自分は忙しく選挙運動で屋敷を出払っているが、その間、自由に宿泊し、ゲームをしたり狩りをするなどして休暇を楽しむようにと、モーリスに勧めた。せっかくの厚意も無碍に出来ず、モーリスはクライヴ邸にやって来たが、クライヴが気遣うほどにはクライヴのことを気にしていなかった。モーリスはもう以前と同じ人間ではなかった。自分という存在の再構築が始まったのである。クライヴ邸の使用人の1人であるスカダーは、堅信礼を済ませていないことで、牧師やダラム夫人の議論の的となっていた。ここの庭番であるスカダーは、兄の誘いを受けて、近々移住の予定があった。ダラム夫人は、スカダーの移住先であるアルゼンチンの聖職者宛に、紹介状を書いてあげたらどうかと牧師に提案した。モーリスはくだらないと思った。身分の高い連中は、暇潰しか何か、スカダーのような使用人という立場にある男の魂にケチをつけたがるのだ。モーリスは、スカダーを庇うような形で、「教会の落ち度であってスカダーは悪くない」と言ってやった。彼らの会話が聞こえたのか否か、スカダーは壁にもたれて立っていた。モーリスはスカダーに親しみを覚えて話しかけた。平凡な会話、取るに足りない出会いではあったが、モーリスを和ませ、幸福感を抱かせるには充分なものだった。夜、モーリスは眠れなかった。寝られないことには慣れていたが、辛いものになることがわかった。モーリスは夢うつつでベッドから飛び起きて、窓のカーテンをサッと引き、「来い!」と叫んだ。日中、屋根の修繕をしていた男たちが梯子をかけたままにしていた。そこから登って来た誰かがモーリスの眠るベッドのすぐ横に跪いた。そして彼に触れた。男は、アレック・スカダーだった。クライヴ邸の使用人の。モーリスは満たされた。クライヴとは精神的なつながりはあったものの、肉の喜びは知らなかった。モーリスはアレックを貪ることで、肉の喜びを知った。つかの間の情事の後、アレックは静かに梯子を降りて行った。モーリスはクライヴに駅まで送ってもらい、帰路に着いた。モーリスは帰って早々、電報を受け取った。アレックからだった。己があの庭番の少年に何をしたのかを考えれば、強請られてもおかしくない。その後も何度か手紙が届いた。内容は「会いたい」というものだった。モーリスは恐怖と怒りで打ち震えたが、結局、会うことにした。大英博物館で再会した2人だったが、なぜかモーリスは不快になることも腹を立てることもなかった。もちろんアレックは精一杯の強がりを見せ、モーリスを恐喝しようとしている形を見せたが、それもわざとらしく思えた。事実、アレックはロンドンを離れ、兄とともにアルゼンチンへ行く前に、ひと目モーリスに会いたかっただけなのだと言った。モーリスは見知らぬホテルにアレックを連れて行き、2人は幸福感に包まれた。2人だけの休日。彼らは惰眠を貪り、グズグズ過ごし、ふざけ、愛し合った。モーリスは「また会おう」と言ったが、アレックは出航しなくてはならないと言った。この先二度と会うことはない、と。モーリスは「イギリスに残ればいい」と言ったが、アレックはムリだと言った。後日、モーリスはアレックを見送るためにサウサンプトン港まで出向いた。しかし、船内を隈なく探したところでアレックはいなかった。モーリスはもしやと思った。アレックはアルゼンチンには行かず、イギリスに残るのではと。モーリスは狂喜した。モーリスはその足でクライヴ邸を訪れた。過去の恋人であるクライヴには包み隠さず事実を話した。クライヴ邸の使用人である少年と恋に落ちたこと。体を含めすべてを分かち合って満たされたこと。さらに、アレックが自分の将来を犠牲にしてアルゼンチンには行かず、イギリスに残ったことを伝えた。クライヴが何かを言い返そうとしたとき、そこにモーリスの姿はなかった。クライヴは、モーリスがどの時点で彼の心がクライヴから離れていったのか、生涯わからなかった。(了)なお、次回の要約はを予定しています、こうご期待♪《過去の要約》◆第一回目の要約はこちらのです。◆第二回目の要約はこちらのです。◆第三回目の要約はこちらの~(上)~です。◆第四回目の要約はこちらの~(下)~です。◆第五回目の要約は、こちらのです。◆第六回目の要約は、こちらのです。◆第七回目の要約は、こちらのです。◆第八回目の要約は、こちらのです。◆第九回目の要約は、こちらのです。◆第十回目の要約は、こちらのです。◆第十一回目の要約は、こちらのです。◆第十二回目の要約は、こちらのです。◆第十三回目の要約は、こちらのです。◆第十四回目の要約は、こちらのです。◆第十五回目の要約は、こちらのです。◆第十六回目の要約は、こちらのです。◆第十七回目の要約は、こちらのです。◆第十八回目の要約は、こちらのです。
2022.07.30
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第十八回安永3年の秋のこと。市九郎は主人の寵妾と非道な恋をしてしまった。そのせいで主人から不義を責められ斬りつけられた。どうせ死ぬのだと思ってヤケになった。気づいたら市九郎は主人を殺していた。急に我に返った市九郎は自害も考えたが、女(お弓)から「逃げよう」と言われて再び活気づいた。女の提案で、この屋敷にある在り金すべてをさらって逃げることにした。台所の方では乳母がガタガタと震えながら、この家の主の一子、実之助(3歳)を懐に抱いていた。江戸を逐電した2人は上方へ向かった。おもしろおかしく暮らしていこうじゃないかと度胸を見せたお弓にそそのかされ、市九郎はついに悪事の面白さを味わい始めたのである。それから深みにハマっていくのは早かった。旅人を狙い、殺して金を奪い、死体を片付けるまでになった。その汚れた金で峠の茶屋の主となった市九郎は、そろそろ稼ぎたいと考えた。そんな折、市九郎の茶屋に信州の豪農の若夫婦が一服して旅立っていくと、お弓はもうこの2人からすべてを奪うことを考えていた。市九郎にそれ行けとばかりに合図した。だが市九郎は躊躇した。若い2人の命を奪うことまではしたくなかったからだ。2人が大人しく金と衣装だけ差し出してくれさえすればと思った。だが若い男は妻をかばって抵抗して来た。市九郎は仕方がないとばかりに斬り捨てた。その妻も殺した。その行為のあと、市九郎はこれまでにない良心の呵責に囚われた。一方、お弓は市九郎の持ち帰ったものだけでは足りず、自ら現場へ出向いて行った。市九郎はそんなお弓の後ろ姿を見て、浅ましさから嫌悪感でいっぱいになった。もうこの女とは一緒にいられないと思った。市九郎はすべてを捨てて、逃げることにした。懺悔の心は、やがて真言宗の寺に向かった。寺の上人の助言から出家得度し、了海という法名をもらい、修行することになった。やがて師の許しを得て、旅に出ることにした。その間、絶えず半生の悪業を悔いる了海であった。仏道に帰依し、一人でも多くの人々のために何かしたいと願った。それこそが罪深き己の万分の一でも償いになるのではと思ったのだ。了海が杖を頼りに筑紫に差し掛かったとき、これまでにない難所を発見した。山国渓谷は、年に何人もの遭難者を出している危険な難所であった。了海はこの難所を除こうと決意した。二百余間の絶壁にトンネルを掘り、人々を救おうと思い立ったのである。そう決意してからの了海の行動は早かった。石工の持つ槌とノミを手に入れて、ひたすら大絶壁に立ち向かった。人々は、その姿を見てムダだと嘲笑った。だが了海の決意が揺らぐことはなく、一途に真言を唱え、懸命に槌をおろした。一方、市九郎のために非業の死をとげた主の一子・実之助は13歳になったとき、自分の父親の最期についてを聞かされた。復讐を誓った実之助は柳生道場で鍛練を重ね、やがて免許皆伝を許された。それからは諸国を遍歴し、憎い市九郎の影をしらみ潰しに追った。やがて九州までたどり着くと、実之助は了海の噂を耳にし、それこそが仇である市九郎その人であることを確信したのである。了海とおぼしき乞食僧が洞窟から這い出て来たところ、それを見た実之助は拍子抜けした。その姿は骨と皮だけで、足腰はほとんど役に立たず、目はもう見えていないようだったからである。とは言え、実之助は己の身分を明かし、敵討ちにやって来た仔細を口上した。ところが了海は少しも驚くことはなく、逃げも隠れもしないと言って、その身を差し出したのである。実之助はそんな了海を前に、躊躇する気持ちが迫り上がった。折よく、了海の作業を手伝っていた石工らが「待った」をかけた。敵討ちなら、せめて了海の大願成就である貫通まで待って欲しい、と哀願したのである。実之助は逡巡しつつも、それを受け入れた。だが夜になって他の石工たちがいなくなったらこっそり了海を討ってしまおうと考えた。了海を狙って打ち果たすことは簡単であったが、実之助にはどうしてもできなかった。ひたすら真言を唱えながら岩壁に向かって槌をおろし続ける孤高な背中に、刀を向けることなど出来なかったのだ。実之助は覚悟を決めた。了海の大願を成就するためにその作業を手伝うことを。それから実之助は仇である了海と並んで槌をおろし続けた。それは昼も夜もなく、ひたすら黙々と。もはや復讐の大業を忘れてしまうほどに。了海が槌とノミを持って穴を掘り始めて20年、さらに実之助と了海がめぐりあって1年半後、ようやく開通した。了海は歓喜の声をあげて、実之助に「約束の日だ、お斬りなされ」と告げた。だが実之助は老僧を前に復讐の執念は消え失せ、手を取り、その偉業に対する感激の涙に咽び合った。(了)なお、次回の要約はを予定しています、こうご期待♪《過去の要約》◆第一回目の要約はこちらのです。◆第二回目の要約はこちらのです。◆第三回目の要約はこちらの~(上)~です。◆第四回目の要約はこちらの~(下)~です。◆第五回目の要約は、こちらのです。◆第六回目の要約は、こちらのです。◆第七回目の要約は、こちらのです。◆第八回目の要約は、こちらのです。◆第九回目の要約は、こちらのです。◆第十回目の要約は、こちらのです。◆第十一回目の要約は、こちらのです。◆第十二回目の要約は、こちらのです。◆第十三回目の要約は、こちらのです。◆第十四回目の要約は、こちらのです。◆第十五回目の要約は、こちらのです。◆第十六回目の要約は、こちらのです。◆第十七回目の要約は、こちらのです。
2022.07.09
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第十七回ジェイン・エアはまだ10歳だったが、両親はすでに亡くなり、母方の伯父に引き取られていた。だが、血縁である伯父も亡くなると、その妻であるリード夫人とその子どもたち3人の中にあっては、ただのお荷物でしかなくなった。伯父が今際の際に、妻に「ジェインを頼む」と言い残してこの世を去ったにもかかわらず、リード夫人はジェインをこれでもかと言うほど傷つけ、虐げた。ジェインは小柄で、いつもお腹を空かせていたせいか顔色も悪く、器量が悪かったせいで、使用人たちからも厄介者扱いされていた。それでももしもジェインがおべっかの一つも言えて、要領の良い娘だったら、また違う対応がされていたかもしれないが、彼女は己の気持ちをできるだけハッキリと伝えるようにして、嘘を好まなかったため、他人からはその態度が生意気に思われたのだ。そのせいでリード夫人からはずいぶんと嫌われてしまい、結局、ローウッドの厳しい寄宿学校に入れられることになった。学校はキリスト教精神に則り、制約しかない環境の中で、ブタも食べないようなマズくて少ない量の食事を与えられ、いつもひもじい思いをしながらの生活を強いられていた。教師もろくな教え方をしない者もいる中で、不幸中の幸いにも、マリア・テンプル校長のおかげで、ジェインは勉強の楽しさ、素晴らしさを学ぶことができた。そんな折、悪質な環境下にある学校内にチブスが流行した。その猛威によって生徒が激減してしまったことで世論が動き、その経営管理体制が見直されることになった。こうして制度が改良されたこともあり、ジェインは質の高い教育を受けることができた。生徒として6年、先生として2年、このローウッド施設において日々を暮らした。だが、マリア・テンプル校長が結婚のためローウッドを去ることが決まり、ジェインは深い悲しみに襲われた。もはや自分がローウッドにいる意味を感じなくなったのだ。ジェインはしばらく思案し、そして決断した。この限られた環境の施設から飛び出し、外の世界に触れてみようと。結果、ジェインは遠く離れたソーンフィールドのロチェスター氏が後見人となっている子の家庭教師として、住み込みで働くことになった。ロチェスターは三十代後半で、背は高いが愛想はなく、お世辞でも優雅とは言えなかったが、ジェインにとってはかえって安心の材料となった。人間的に信用できると、本能的に感じたのである。18歳のジェインは、20歳も年の離れたロチェスターと、日々会話を重ねていくうちに惹かれずにはいられなくなった。同様に、ロチェスターにとっても、ジェインがこれまで出会って来た何人もの美人と称され、もてはやされて来た女性たちと一線を画す存在であることを認めないわけにはいかなかった。ジェインは、口先だけの、財産目当てのくだらない令嬢などとは違ったのである。あるとき、社交の一環として、身分の高い紳士・淑女がロチェスター邸に集まった。そして彼らはしばらく滞在し、余暇を楽しんだ。その中には、ロチェスターと結婚の予定があると噂される、美人のブランシェ嬢もいた。ジェインは切なく思った。自分はただの家庭教師に過ぎず、不細工で貧しい現実の自分を省みる必要を感じた。ロチェスターほどの人が、自分なんかに好意を持っているはずがないと、心の中で激しく打ち消すことに専念したのである。そんなジェインの胸中を見透かしたように、ロチェスターは言った。「ずいぶん顔色が悪いようだが?」「いいえ、どうもしません」「元気がない。何かあったのかい? 話して」「いいえ、何も」「でも私がもう少し何か言えば、君は泣き出すだろう? 君の眼は涙で溢れてる。そら、そこに一つ落ちた」何週間かの滞在のあと、貴人たちは各々の帰るべきところへ帰っていき、賑やかだったロチェスター邸はまた平穏な日々に戻った。ブランシュ嬢の住む屋敷は、州の境にあったが、もしも愛する婚約者であるならそんな距離など苦にもならないはずだった。だがロチェスターがブランシュ嬢宅と行き来している様子は微塵もうかがえなかった。ジェインは、これがどういうことなのか考えずにはいられなかった。ある晩、月の光に誘われて、ジェインは庭園を散策していた。するとどこからか、葉巻の匂いが漂ってきて、すぐにそれがロチェスターのものであることがわかった。ジェインは何となく気まずくて、ロチェスターに気づかれないように去ろうとしたが、気配を察したロチェスターから声をかけられてしまった。「ジェイン、少しはここが好きになったかい?」「はい」ロチェスターはブランシュ嬢と一ヶ月もすれば結婚するのだと話し出した。だから妻となるブランシュ嬢が、よけいな疑いを持たないように、若いジェインにはこの屋敷から立ち去ってもらう必要があるのだと続けた。だがその話ぶりは、まるでジェインの様子をうかがいながら、彼女を試しているかのようだった。ジェインはあまりに悲しい宣告に、涙がほとばしり出た。こんな想いをするなら、ソーンフィールドなんかに来なければ良かったと思った。そしてついに、ジェインは咽び泣いた。「あなたともう二度とお目にかかれなくなると思うと悲しくて、どうしていいかわからないんです」ロチェスターはジェインを胸に抱き寄せて接吻した。「私を離してください」「ジェイン、静かに。君は興奮している」「あなたには結婚をお約束された方がいらっしゃる」「ジェイン、私の花嫁はここにいる」と言って、ジェインを引き寄せると、「私と結婚してくれませんか? ジェイン」と言った。ジェインはロチェスターの言動が信じられず、離れようともがいた。するとロチェスターは、声を高らかにして真実を言い始めた。それはブランシュ嬢との結婚などあり得ないということだった。ブランシュ嬢に、自分の財産が世間で噂する額の三分の一にも満たないと言ってみたところ、母親と2人して掌を返すように冷たくあしらわれ、彼女はロチェスターのことを何とも思っていないことをハッキリと確認したのだと。「ジェイン、君を私のものにしなければならない」「あなたは本気で言っていらっしゃるの?」「誓えというなら誓ってもいい」「では、あなたと結婚します」それから急に天候が悪化した。雷鳴が轟き、土砂降りになった。2人は慌てて家に入ったが、ずぶ濡れだった。時計は12時を打っていて、「おやすみ」とロチェスターは言いながらも、ジェインを抱きしめ、何度も接吻した。それからジェインにとってはバラ色のような日々が過ぎた。両親以外にこれほど愛され、優しくされることは、この上もなく幸せであった。一方、ロチェスターはなぜか挙式を急いだ。一日でも早く婚姻届を提出し、新婚旅行へと連れ出したいようだった。それはまるで、この屋敷から一刻も早く逃げ出したいような雰囲気さえ感じられた。挙式当日、教会で、正に誓いの言葉を交わそうとしたとき、事件は起こった。背後から大声で「この結婚式が行われてはなりません!」という「待った」がかかったのである。「ロチェスター氏にはすでに奥さまがいらっしゃいます!」という申し立てであった。ロチェスターはそれに対し、否定はしなかった。ジェインはどうにか気絶しないでいたが、真っ青になった。結婚式は中止となった。ロチェスターは、ジェインには一切の罪はなく、自分だけが悪いのだと言い添えて、洗いざらい話した。エドワード・ロチェスターが若かりし頃、兄と父親の言いなりに結婚した女は、確かに美人だった。だが、その女の家は三代に渡って精神疾患を持つ家系だったのだ。それを知らずに結婚したロチェスターは、狂人と化した妻を監禁することで、どうにか事なきを得ていた。手荒なことはしたくなかったが、あまりの暴力行為と、何度も妻に殺されそうになった前科を鑑みて、屋敷の一室に閉じ込めるしかなかったと。すべてを知ってしまったジェインは、奈落の底に突き落とされたように絶望的になったが、ロチェスターを嫌いになるなど、とうてい不可能だった。愛する気持ちに変わりはなかった。だが、この屋敷から去らねばならないという衝動に突き動かされ、ロチェスターに気づかれないように、人知れず家を出たのである。それからジェインは、流れ着いた先で、3人の兄妹たちに助けられた。その中のシン・ジンは、敬虔なクリスチャンで、牧師だった。将来的にはインドに渡って布教活動を行なおうと、着々と準備しているのだった。シン・ジンの2人の妹たちは、ジェインとも年が近く、すぐに打ち解けて仲良くなった。ジェインは、シン・ジンの紹介で、貧しい子どもたちの通う学校の先生をすることになった。だが、一日たりとも忘れることができなかったのは、ロチェスターのことであった。しばらくそこでの生活をし、慣れて来たころ、ジェインのもとに、シン・ジンを通して遺産相続の連絡が届いた。ジェインの父方の叔父が亡くなり、独身だった叔父は2万ポンドもの大金をジェインに残したのであった。聡明なジェインは、なぜ身元を知らせていない自分の親族のことをシン・ジンが知っているのかを不思議に思い、問い質してみたところ、なんとシン・ジンたち兄妹と、ジェインは従兄弟であることが判明したのだ。というのも、ジェインの父親は3人兄妹で、ジェインの父親とシン・ジンたちの母親は兄妹だったのである。ジェインはずっと身寄りがいないと思っていたので、親族ができたことを大そう喜んだ。2万ポンドの相続より、そのことの方を幸福に感じるのだった。ジェインは、何のためらいもなく2万ポンドの遺産を、シン・ジンら3人の兄妹と4等分にして分け与えることにしたのだ。シン・ジンは、いよいよインド行きを現実のものにしようとしていた。ある日、シン・ジンはジェインを散歩に誘った。そこでシン・ジンは彼女に求婚し、一緒にインドへ行く決心をして欲しいと言った。ジェインは戦慄を覚えた。シン・ジンはとても尊敬できる完璧な宣教師であったが、夫となる人ではなかった。その心は氷のように冷たく、すべてを神に捧げた仕事人間であった。その証拠にシン・ジンは、彼の妻ではなく、「宣教師の妻」になってくれと要求して来たのである。自分が正しいと信じて疑わないシン・ジンは、しつこく求婚して来たが、どうにかしてジェインはそれを断った。だがあまりにも執拗に食い下がって来るので、思わず結婚を承諾してしまいそうになった。そんな折、ジェインの耳もとで「ジェイン、ジェイン、ジェイン」と呼ぶ声が聴こえた。ジェインは思わず「いま行きます。待っていてください」と答えたが、その声の主の姿はどこにもなかった。だがその声は間違いなく愛する人、エドワード・ロチェスターその人の声だった。ジェインはインドへ行くにしても、ロチェスターに一目会ってからにしたいと強く思った。彼のことが心配でたまらなかったからだ。ジェインはソーンフィールドに戻って、ロチェスターの消息を確かめることにした。36時間もの長い間、馬車に揺られ、ソーンフィールドに戻った。ジェインが目にしたのは、黒焦げになった廃墟だった。呆然とした彼女は、すぐに宿屋に駆け込み、そこの主人に事情を尋ねた。すると宿屋の主人は詳細を語った。正気を失ったロチェスターの妻が、部屋から抜け出し、屋敷に火をつけたのだと。これまでも彼女の放火癖で何度となくボヤ騒ぎを起こしていたのだが、今回はそれを防ぐことができず、全焼したのであった。ロチェスターの妻は、狂って大声をあげながら屋根から飛び降り、絶命してしまったが、最後まで残って使用人たちを助けようと誘導していたロチェスター氏は、その際、左腕を切断し、片眼を潰し、もう片方の眼も炎症を起こして、ほとんど失明状態であるというのが現状であった。ジェインは、さらにロチェスターの現在の居場所を聞き出すと、少しの迷いもなくロチェスターのもとに駆け付けることにした。ロチェスターの住むファーンディーンの別宅に到着したジェインは、すぐに知り合いの使用人から水さしとコップと蝋燭を盆に乗せたものを受け取り、ロチェスターのもとに出向いた。ジェインがロチェスターに水を差し出しても、目の見えない彼には、そこにジェインが立っていることには気づかなかったが、「もう少し水を召し上がりますか」と声に出したことで、ロチェスターは「だれだ、だれがそう言っているのだ?」と、半ばその声の主がジェインであることに気づいた様子だった。「私はジェイン・エアです。あなたを見つけてあなたのところに戻って参りました」「これは夢だ。何度も見た夢で、その中でジェインを抱きしめて、接吻し、いつまでも私といてもらえると思っていた」「これからはいつまでも」「私を抱きしめてくれ」こうして2人は再会を果たし、これ以上のない深い愛によって結ばれた。その後、ロンドンに行ってロチェスターはさる有名な眼科医に診てもらい、やがて片方の眼は見えるようになった。さらには男児も誕生し、ロチェスターはその大いなる祝福を感謝せずにはいられなかった。シン・ジンからは、インドから手紙が届いたが、結婚はせずにいるようだった。不屈な開拓者である彼には相応しい生き方で、その仕事も終わりに近づこうとしていた。きっと、シン・ジンの最期のときでさえも、その精神は揺るがず、希望に満ちて、彼の信仰も少しも変わることがないだろうと思われた。(了)なお、次回の要約はを予定しています、こうご期待♪《過去の要約》◆第一回目の要約はこちらのです。◆第二回目の要約はこちらのです。◆第三回目の要約はこちらの~(上)~です。◆第四回目の要約はこちらの~(下)~です。◆第五回目の要約は、こちらのです。◆第六回目の要約は、こちらのです。◆第七回目の要約は、こちらのです。◆第八回目の要約は、こちらのです。◆第九回目の要約は、こちらのです。◆第十回目の要約は、こちらのです。◆第十一回目の要約は、こちらのです。◆第十二回目の要約は、こちらのです。◆第十三回目の要約は、こちらのです。◆第十四回目の要約は、こちらのです。◆第十五回目の要約は、こちらのです。◆第十六回目の要約は、こちらのです。
2022.06.25
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第十六回※表題作より2篇の掌篇小説を要約することにした。◆救急病院にて回診の際、認知症病棟の彼女は、初対面の私に自分の身の上について話して来た。実は彼女の実家は、神田の本屋街にある薬屋で、隣は医学書専門の有名な松野書店であると。私は以前、松野書店にはよく出かけていた。裕福な家庭に育ったおかげで頻繁に医学書を買い求めたり、立ち読みをした経験があったのだ。正直、私はその書店の隣に薬屋があったかどうかは覚えていない。だが認知症の彼女は、松野書店に出入りしていた私のことをよく見かけて覚えていると言う。驚いた私は問い直そうとしたところ、傍のヘルパーに遮られ、「先生もあなたのお店を覚えているそうよ」と、彼女に話を合わせる形となった。それ以来、彼女にとって私は昔からの知り合いという存在となり、後からヘルパーに聞いたらしく、私の名前もはっきりと口にするようになった。新しい「認知」と言う喜ばしい現象だった。そんな彼女が転倒し、右の股関節の骨を折った。そのショックのせいで、駆けつけた私をもはや認知することができなくなってしまった。幸い、私が執刀した彼女の股関節の手術は成功した。とは言え、やっかいなのはこれからである。果たしてこの先、老い先短い彼女は、どんな人生を送っていくのだろうか?寒い上に冷たい雨が降り出した。こんな日は事故が起き易いなどと同僚の医師と話していた矢先、救急車から連絡が入った。交通事故だった。バイクがトラックに突っ込み、バイクに乗っていた男の首が刀で殺いだように切り裂かれてしまったのだ。状況からすれば、すでに死亡しているだろうが、現場の救急隊員は死亡とみなすことはできない。もちろん警察でさえも。当事者の死亡を判断できるのは医師だけなのである。若い事故者の体は無残極まりなかった。私にできるのは死亡宣告と、遺族が駆けつけて来るまでに、皮一枚の首を胴体に繋いでやる作業ぐらいだった。その晩、再び救急車から報告が入った。今度は女性が電車とホームの間に落ちて挟まり、片足が引きちぎられたと。運びこまれた患者は二十歳そこそこのまだうら若き女性だった。医師たちは合議し、大腿骨を切断せずになんとか繋ぎ止めようと決めた。足の機能は損なわれても、五体揃って生きていれば、これから恋愛もし結婚もできるはずだろうと考えたからだ。十時間にも及ぶ大手術だったが、成功した。医師と言う個人の感慨などではなく、つくづくこんな病院があって良かったと実感したものである。◆一途の横道私の母は父と別れてから、小さな会社を経営する男の囲い者となった。私は勉強こそ成績は良かったものの、スポーツが得意で、それもあって梶原一騎の『空手バカ一代』にハマっていた。空手への憧れから東京の極真大山道場から通信教育を受け、単独で練習に励んだのである。高校生のころ諏訪の田舎から上京した私は、道場で大山師範と出会ったことで人生が決まった。この道で身を立てていく決心をした瞬間でもあった。高校卒業を待てず、私は松山の芦原道場に寄宿入門した。そこを選んだ理由は他でもなく、当時、大山門下で最強の弟子と言われていたのが芦原師範だったからである。松山ではその筋の連中を相手に技を試して己を磨いた。師範は、相手を必ず15秒以内で倒せと教えた。その筋の輩が相手でも、15秒以内なら顔を覚えられることはないからである。激しい稽古で修得した私の強さは評判となり、やがて夜の商売の用心棒として雇われるようになった。そんな折、本気で始末してやろうと思った相手がいた。その男は店で飲み食いしても料金を払わずにいたから取り立ててやろうと思った。すると男は「自分は組の者だぞ、お前はバカか? 相手を見ろ。お前を生んだおふくろも頭がおかしいんじゃないか」と言ったのである。その瞬間、私は激怒した。無意識のうちに手が出ていた。「いいか貴様、次におふくろのことを口にしたら必ず殺されると思え」と言い放ってそこを出た。私にとって母親のことは逆鱗だったのである。その後、その男の姿を見かけなくなった。聞けば男は、交通事故で死んだということだった。遠方から出て来た母親を迎えに出かけた途中の事故だったらしい。私は、あんな奴にも母親がいるのかと、しみじみ気の毒に思った。ある夜、用心棒をしていたスナックで、酔ったチンピラが店の女の子に手を出し、あげくアイスピックを持ち出した。私はその凶器を払ったときに初めてケガをした。(相手は言うまでもなく倒したが)近所の外科で二針縫った。その際、スナックの持ち主(助けた女の子の姉)が治療費の支払いをしてくれた。それが縁となり、彼女と深い関係になった。彼女は私にとって初めて肉体的に結ばれた相手であり、私は耽溺した。だがその彼女には私以外にも愛人がいることを知り、私はしらけた。思わず、私は母親のことを思い出してしまったのである。結局、彼女とは別れた。そのころ私は定時制高校を首席で卒業した。学校の推薦で東京の一流私学への入学が内定していた。だが同時期に、四大全国紙の一つである新聞社で、新聞記者の募集広告が出た。学歴不問だったので応募してみたところ、採用通知が届いた。私は上京して人生を試す決心をしたのだ。それを促すきっかけとなったのは、母の死だった。スナックの彼女との別れとも重なり、女なるものから完全に払拭された瞬間でもあった。上京のため、松山を離れる前に師範から「俺が教えた技を絶対に使ってはならぬ」と言われ、その戒めだけは今も守っている。(了)なお、次回の要約はを予定しています、こうご期待♪《過去の要約》◆第一回目の要約はこちらのです。◆第二回目の要約はこちらのです。◆第三回目の要約はこちらの~(上)~です。◆第四回目の要約はこちらの~(下)~です。◆第五回目の要約は、こちらのです。◆第六回目の要約は、こちらのです。◆第七回目の要約は、こちらのです。◆第八回目の要約は、こちらのです。◆第九回目の要約は、こちらのです。◆第十回目の要約は、こちらのです。◆第十一回目の要約は、こちらのです。◆第十二回目の要約は、こちらのです。◆第十三回目の要約は、こちらのです。◆第十四回目の要約は、こちらのです。◆第十五回目の要約は、こちらのです。
2022.05.22
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第十五回1.地下室心も痛み、肝臓も痛めている俺は、ペテルブルクの地下室に暮らしている。もう20年ほどになる。今は40だ。昔は役所勤めをしていて、意地悪な人間になれなかっただけでなく、善良にも、英雄にも、虫けらにさえなりえなかった。賢いやつこそまともではなく、逆に愚か者だけがまともなのだ。やり手タイプは浅はかな存在だ。それが俺の確信だ。皆は俺を単なる〝ええカッコしい〟だと思っているだろう。何でもスマートにやってのけるやり手タイプを皮肉るための悪趣味な気取り屋だと。意識しすぎている俺は完全に病気だ。俺はこの病気との闘いでかなり苦しんだ。そして恥じていた。だがそれが昂じて秘かな快感を覚えることもあった。痛切に意識をしてしまう自分。我が身をのこぎりで八つ裂きにしたいと嫌悪しながらも、その恥ずべきものが甘美となり、終いには快楽に変わってしまうのだ。この快楽というものは、ありありと意識することから生まれるものなのだ。俺にはもはや出口はない。強烈な自意識を持つ人間というものは、自分とは正反対のものを前にすると、すっかり怯んだあげく、自分は人間ではなくネズミなのだと考えたりする。不幸なネズミは周囲に疑問だの疑惑だのをうず高く山積みにしていく。そしてそれは宿命的な悪臭やぬかるみのように溜まっていくのだ。そんなネズミを、裁判官だの独裁者だのの姿をしたやり手タイプが侮辱し、笑い物にするというわけだ。もちろんネズミとしては、シニカルに笑うなどして自分の穴にすごすごと潜り込むしかない。率直なやり手タイプは、場合によってはあらん限りの唸り声をあげる。だが不可能を目の前にすると途端に大人しくなってしまう。それは例えば数学のことである。何しろニ、ニが四は数学なのだから仕方がないと受け入れてしまうのである。反論などしようものなら「反対するとは何ごとだ」とドヤしつけられる。誰が何と言おうとニ、ニが四なのであるというわけだ。俺の敵意はニ、ニが四の法則の結果、対象は消え失せ、誰を責めるわけにもいかない状況となってしまう。人間が悪事を行うのは、ただ自分にとっての本当の利益を知らないためである、などと誰が最初に言ったのか? 何というおめでたい夢想なんだ。人間がただ己の利益のためだけに行動したことなどあるのか? リスクを冒し、運に任せ、困難なとんでもない道を切り拓いて来たという紛れもない事実をどう扱えば良いのだ?そもそも利益とは何ぞや?人間はともすれば自分にとって有利なことではなく、不利なことを望む場合も当然あるに違いないとしたらどうする?人間の利益は、計算されているものなのだろうか?統計数学や経済学の公式にはない、いずれの分類法にも収まり得ないような利益というものがあるはずだ。ナポレオンを見てみろ。北米での南北戦争もそうだ。血は河のように流れている。文明が我々のどこを穏やかにしているというのだ?昔は大量殺戮の内に正義を見ており、良心の呵責なしに相手を殺していた。今の我々は大量殺戮は忌まわしい行為であると見なしていながら、以前にも増して、この忌まわしい行為を営んでいるのだ。わざわざ指摘するまでもないが、人間はいついかなる時も、決して理性や利益が人に命じるようにではなく、自分の望み通りに行動することを好んで来たのだ。要するに、自己の利益に反することを望む場合もあるということだ。俺の話を聞いて笑う輩もいるに違いない。科学こそが人間を解剖し分析を進めるのだと。そして欲求や自由意志を否定するだろう。しかし俺の屁理屈を赦してもらいたい。何しろ地下生活40年なのだから。俺は人間に相応しい定義は、恩知らずの二本足だと思っている。悪行の連続だ。そしてその結果が無分別である。人類の歴史を見てみるがいい。戦いにつぐ戦い、今も戦争、以前も戦争、今後も戦争だ。だからこそ人間に古い習慣を棄てさせるというのか?科学と良識に従って意志を矯正しようというのか?なぜそれが必要であるなどと決めてかかるのか?人間が創造を愛し、道を切り拓くことを愛する、というのは事実だ。だがその一方で破壊と混乱をも愛するというのも事実である。平穏無事な幸福だけが人間にとって有利なものではない。人間は同じくらい苦しみも好むのである。時として、苦しみを猛烈に熱愛することもあるのだ!俺は水晶宮(未来の社会主義社会のユートピア的建造物を示唆する)を怖れている。雨露をしのぐことができる存在なんて、鶏小屋だって同じものだ。雨から俺の身を守ってくれたからと言って、鶏小屋のことを宮殿だなどと思い込んだりはしない。最低限の物質的な満足を与えてくれるものにすぎないからだ。人はそのためだけに生きているのではない。それにどうせ住むなら鶏小屋ではなく、大邸宅に住みたい。それが俺の願望なのだ。そんな俺の欲求を取り去りたいと言うのなら、俺に別の理想を与えてくれ。なぜなら俺は水晶宮なんてものは、こけおどしにすぎないと思っているからだ。2.ぼた雪に寄せて俺が24歳で役所勤めをしていたときのこと。俺はまともに相手の目を見ることができなかった。いつだって俺の方が先に目を伏せてしまい、相手の眼差しに耐えられなかった。他人と違うマネなどできない、群れの中の羊みたいに周囲とそっくりでいる必要があった。俺は確かに臆病な奴隷だった。孤独を感じる一方で、誰とも話したくないときがあり、役所へ通うのがどうしようもなくイヤだった。ところが不意に誰かしらと親しい付き合いがしてみたくなる。何事につけ、万事が時期を置いて、己のロマン主義を非難することになった。俺は心から役所勤めを嫌悪していた。だが一度はやつらと親しい友だち付き合いがしてみたいと、実際にお近付きになったことはあるのだ。言うまでもなく、そんな友人たちとの親交なんて長続きしなかった。まるで絶交のように挨拶さえするのをやめた。こうして孤独な俺は家では読書三昧だったせいか、たまには動き回りたくなった。俺は薄汚れた淫蕩に身を沈めた。夜ごと人目を忍ぶいかがわしい場所に通ったのである。俺はいつも高位高官と道ですれ違うとき、相手に譲ってしまうのだ。法律で決まっているわけでもないのに、いつだって道を譲るのは俺なのだ。礼儀正しい者同士がすれ違うなら、相手が半分、こちらも半分譲って上手くすれ違うのに、だ。俺はあいつらと対等になれないことで苦しんだ。だがふと思いついた。俺が道を譲らなかったら・・・脇へどいてやらなかったらどうなるのだろうかと。俺は絶えずそのことを空想し、この計画を実行してみたいと固執した。ある晩、ついにその計画は遂行された。以前からの仇敵であった将校とすれ違う機会に恵まれたのだ。俺は道を譲らなかったので肩と肩がしっかりとぶつかった! 俺の方が痛い目にあったが、大事なのは俺が目的を達成したことである。俺は一歩たりとも譲らなかったことで、俺を将校と社会的に対等な立場に置いたのである!あれから14年経ったが、ヤツの姿は見ていない。あの将校はどこかへ転任したのだろう。俺には2人の知り合いと言えるような人物がいた。1人は役所の上司であるアントン、もう1人は学生時代の友人であるシモノフだ。シモノフは学校では何一つ際立った点がなかった。ただ物静かな男だった。俺はヤツから酷く煙たがられているようだと思いながらも、ヤツのところに通い続けた。ある日、俺は孤独に耐えきれず、シモノフのところへ行った。そこにはすでに2人の友人が来ていた。シモノフは俺がやって来たことに呆れた顔をした。ヤツらは俺の存在をないものとして3人で話していた。話題になっていたのは、俺たちの学校時代の友人であるスヴェルコフが、遠い勤務地に栄転するため送別会をやろうというものだった。3人はオテル・ド・パリで5時集合、1人7ルーブルずつ集金ということまで決めた。だが俺のことはそっちのけで!俺は憤慨した。シモノフは俺が金のないことを知っているから不満げだ。(しかも俺はヤツに借金をまだ返していない)俺がごねたせいで、ヤツらはそんなに来たいなら来れば良いというような態度を取った。送別会当日、待ち合わせ時間をわざと変更され、俺はオテル・ド・パリにあるカフェレストランで待ちぼうけをくった。1時間待たされたあげく、ひどく皆からぞんざいな仕打ちを受け、侮辱された。誰も俺を見ようとしないし、歯牙にも掛けない様子なのだ。完全にうっちゃらかされたのである。だが俺は意地でも最後まで居座って飲んでやろうと思った。俺が帰ればヤツらが喜ぶのはわかっていたが、絶対にそうはさせまいと思ったのだ。ひどく鷹揚で独裁者然としたスヴェルコフにくってかかった俺はその場を白けさせ、皆から非難された。そしてそのうち、また誰一人として俺に話しかけてくれなくなった。11時になるとスヴェルコフが俺以外のヤツに「例のところへ行こう!」と言い出した。身も心も疲労困憊の俺は「赦してくれ!」と謝罪した。だが1人としてそれを受け入れず、「君にはもううんざりだ」と言い残し、去って行った。俺は、給仕にチップを渡しているシモノフを呼び止め、出し抜けに金を貸してくれと頼んだ。ヤツはまったく呆れ顔で金なんか持っていないと言い張ったが、俺は「君が金を持っているのを見た」と言ってやった。ヤツは金を取り出すと、恥知らずと言い捨てて、投げつけんばかりによこした。俺を1人残して連中は消え失せたが、ヤツらがどこへ行ったのかは知っていた。俺は馬車を飛ばした。役所をクビになっても決闘を申し込んでやろうと思ったのだ。着いたのは〈モード・ショップ〉だった。俺は「ヤツらはどこだ?」と女将に尋ねたところ、何も答えず、代わりに若い女が入って来た。美人とはとても言えないが、俺は一目で気に入った。それは、愛もなく乱暴に、そして恥知らずに行われた。俺たちは長い間、じっと執拗に見つめ合っていた。女はリーザという名の無愛想なロシア人だった。本人は20歳だと言った。ピロートークよろしく、俺はいろんな話をリーザにしてやった。リーザはつっけんどんで、ぞんざいな調子だったので、俺は熱中して話している自分が傷つけられたような気分になった。俺は哀れな商売女の末路を話してやったのだ。1年ぐらい経って女の価値が下がれば、もっと程度の低い娼館へ移されて、さらに1年経ったらますます酷い娼館へと移らねばならない。あげくの果ては肺病を患って地下室で孤独に死んでいくのだ、と。俺はリーザに家族のもとで暮らすことがいかに平穏無事であるかを説いた。知人が娘を溺愛していたことを話してやった。父親というものは息子には厳格でやかましくても、娘に対しては目に入れても痛くはないほどにキスの嵐を降らせるものなのだと。俺はリーザにこんなところにいてたまらなくはないのか聞いた。俺は嫌でたまらなくなったと言った。酔った勢いでもなければ、とてもじゃないがこんなところで君といられないと。もしももっと別の場所で善良な暮らしの中でリーザと出会っていたら、本気で夢中になっていただろう。今の彼女は、自分の愛をそこらへんの酔っ払いに晒してしまっている。完全に金で魂を身体もろとも買われてしまっているのだ。俺はリーザの様子を見て、彼女の心を打ち砕いてしまったことを実感した。これは駆け引きのゲームであり、俺はそのゲームに夢中になっているにすぎない。俺はうろたえた。不意に怖気付き、絶望を目の当たりにした。リーザは枕を両手で抱きかかえたまま全身を震わせ、号泣したのである。俺は何とか落ち着かせようとして「俺がいけなかったよ、赦しておくれ」と声をかけた。そして俺の住所を書いたメモを渡して「リーザ、訪ねておいで」と言ってやった。すると彼女は大急ぎで宝物箱らしきものを取りに行き、大切にしまってあった手紙を見せてくれた。それはリーザが過去に医学生からもらったラブレターだった。彼女は無邪気にその手紙を自慢したかったのだ。それは彼女にとって唯一の己の誇りであり、己を正当化してくれるものであった。〈モード・ショップ〉から帰宅した翌朝、俺はリーザに住所を渡したことを後悔していた。さんざん彼女の前ではヒーローぶっていたものの、実際の俺はどん底まで落ちぶれた暮らしぶりだ。とは言え、昨日の俺はリーザの中の高潔な感情を呼び覚ましてやりたかったのだ。それは俺の中の本物の感情がさせた行為なのだ。果たしてリーザはやって来た。ちょうど俺が下男のアポロンと給金のことで揉めている最中だった。俺が取り乱すと彼女までが困惑して取り乱した。俺はヒステリーの発作から咽び泣きながら叫んだ。「何のために、君は来たんだ? 答えろ! 答えてみろ!」俺の八つ当たりの矛先はリーザに移った。俺は洗いざらい吐き出した。なぜあの晩リーザのいる店に行ったのか。なぜ憐れっぽい言葉を彼女にかけたのか。本当は心の中で彼女のことを嘲笑っていたこと。彼女の店に行く前、友人らからさんざん侮辱され傷ついていた己のこと。だから自分も同じように誰かを嘲笑い、恥をかかしてやりたかったのだと。すると彼女は驚くことに両手で俺を抱きしめると、わっと号泣した。彼女はそのまま暫くは身じろぎもしなかった。不意にその時、俺は情欲を掻き立てられた。そしてリーザの両手をきつく握りしめた。事が終わってリーザが去ろうとしたとき、俺はとっさに彼女の手に金を握らせた。こんな残酷なマネをしでかしたのは、俺の悪しき頭のせいだった。やがて羞恥心と絶望に苛まれた。俺は慌ててリーザを追いかけたが間に合わなかった。部屋に引き返すと彼女に握らせたはずの5ルーブル紙幣が投げ捨てられていたのだ。それを見た俺は再び彼女を追いかけた。気が狂ったように大慌てで上着を羽織り、外に出た。歩道も人気のない通りも静かで、ぼた雪が降っているだけだった。あれから何年も経った。リーザには一度も会っていないし、彼女の噂も何一つ聞いていない。心の痛みで息も絶え絶えだったあの晩、あれほどの苦痛と後悔に苛まれたことは、その後、一度もない。(了)なお、次回の要約はを予定しています、こうご期待♪《過去の要約》◆第一回目の要約はこちらのです。◆第二回目の要約はこちらのです。◆第三回目の要約はこちらの~(上)~です。◆第四回目の要約はこちらの~(下)~です。◆第五回目の要約は、こちらのです。◆第六回目の要約は、こちらのです。◆第七回目の要約は、こちらのです。◆第八回目の要約は、こちらのです。◆第九回目の要約は、こちらのです。◆第十回目の要約は、こちらのです。◆第十一回目の要約は、こちらのです。◆第十二回目の要約は、こちらのです。◆第十三回目の要約は、こちらのです。◆第十四回目の要約は、こちらのです。
2022.04.23
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第十四回ハンス・ギーベンラートはずば抜けて頭が良かった。彼の住む小さな田舎町では、裕福な家庭でない限り国家の費用で上の学校へ進むしかない。それは州試験に合格して神学校に入り、大学の神学部に入るのだ。ハンスは、彼を取り巻く地元の教師、校長、隣人、それに教会の牧師らの期待を一身に受けて受験することになった。受験までは深夜まで勉強漬けだった。大好きな釣りは禁止されていた。一番の楽しみを奪われた少年は激しく泣いたがどうすることもできず、毎日が憂うつだった。受験に付き添ったのは父である。ハンスの母はすでにこの世の人ではなかった。試験はラテン語から始まり、ギリシャ語、ドイツ語と続いた。翌日には数学と宗教の試験があり、その後ようやく帰路についた。せっかく受験から解放されたと言うのに、ハンスは不安で胸が張り裂けそうだった。もしも合格できなかったらという激しい不安と、試験に対してもっといい回答ができたはずなのにという後悔で、頭痛に苦しんだ。あれだけ不安に苛まれた合否だが、州試験には合格した。二番という好成績だった。これまで心のどこかで軽蔑していたチーズ屋の見習いや小さな工場の職人にならずに済んだことに安堵した。ようやく地獄のような受験勉強から解放されたのだと思っていたのも束の間、次は神学校で遅れを取らないためにと、牧師や教師、それに校長から勉強を教えてもらうことになった。毎日が学校とマンツーマンでの課外授業、それに宿題の繰り返しだった。神学校では親もとを離れ、寄宿舎での生活が始まった。ハンスの割り当てられた部屋は「ヘラス」と名付けられていた。そこには10名が寝起きすることになった。ハンス以外の9名のうち、5名までは平凡な少年たちだったが、4名は明らかに個性的だった。一番の変人はエミールだった。彼は決して貧しい家庭に育ったのではなく、裕福な家で育ったのだが、とにかく筋金入りのケチで、皆驚きを隠せないでいた。それでいておかしな価値観に囚われていて、音楽は人生の糧になると考えて、ヴァイオリンの授業を受け始めたのだ。(ヴァイオリンは学校より貸し出し可。無料)ところがエミールは酷い音痴で、演奏は最悪だった。ヘラスのルームメイトたちはヴァイオリンのうめき声にやられて、練習はこれっきりにしてくれと禁止した。寮内では徐々に互いの性質を知り得ていくうちにグループが出来上がっていった。それは友情の締結に発展することもあれば、敵対関係になることもあった。ある日、ハンスは美しい森を散策していた。船着場には詩人の才能のある同部屋のヘルマンがホメロスを読んでいた。二人は並んで座り、仰向けになって長々と寝そべっていた。そして秋らしい風景の中で、穏やかに流れる雲を眺めていた。ヘルマンは夢見る人で詩人だったが、危険な香りのする少年でもあった。その日の晩、ヘルマンは同級生のオットーと殴り合いのケンカをした。オットーは口先ばかりで気の小さい少年だった。同級生たちは緊張しながらも二人のケンカが収まるのを待っていた。むろん、ハンスも座ったままずっと怯えていた。オットーはしつこくヘルマンに殴りかかろうとしたが、ヘルマンは腕を組んでやっと立ち上がり、「殴りたければ殴るがいいさ」と高慢に言い放った。そこでオットーは悪態をつきながら出て行った。しばらくするとヘルマンは泣いた。神学生にとって最も不名誉なことにもかかわらず、それを隠そうともしなかった。その後、彼は部屋を出て行った。しばらくしてハンスはヘルマンを探しにその後を追った。ハンスはヘルマンを見つけた。二人は互いに見つめ合い、互いに持ち合わせる特別な魂を想像した。ヘルマンはゆっくりとハンスに手を伸ばし、その唇を重ねた。ハンスはこれまでにない衝撃を受けた。同時に、こんなところを誰かに見られたらどうしようという恐怖も感じた。それから二人の友情は特別なものとなった。ヘルマンにとって友情は楽しみであり贅沢でもあったが、ハンスにとってみれば抱えがたい大きな重荷ともなった。なぜならそれまでのハンスにとっての勉学の時間を、ほとんど毎日ヘルマンとの時間に当てられることになったからだ。ヘルマンは感傷的で、学校や人生について革命的な演説をし、しばしば詩人となった。一方でハンスは、勉強がどんどん難しく思えて来て、頭痛に悩まされることになった。だが友人であるヘルマンが憂うつなため息をつくと気の毒になり、放っておくことができなかった。秋も深まると、ヘルマンはますますふさぎ込み、ハンスの側にいるより一人になって不機嫌さを露わにした。折悪く、変わり者のエミールがヘタなヴァイオリンをかき鳴らしているところ、ヘルマンがキレた。練習をやめるように言ったのだがエミールはやめなかったため、ヘルマンは乱暴にも譜面台を蹴飛ばしたのである。このことが校長の耳に入った翌朝、ヘルマンは重い謹慎処分を言い渡された。この処分を受けた者は、神学校では烙印を押されたも同然だった。そのため学生たちは皆ヘルマンを避けた。だがヘルマンはハンスのことだけは信じていた。ハンスだけはいつだって自分のそばにいてくれると思ったのだ。だがハンスは皆と同様、ヘルマンの側には行かなかった。自分の臆病な感情に苦しみ、もがきながらも、勇敢さを示すことができなかったのである。「きみはつまらない臆病者だよ」と言って、ヘルマンは立ち去った。クリスマスの帰省が終わり、神学校では新学期が始まった。ハンスと同部屋のヒンディンガーが、小さな湖に落ちて亡くなった。小柄で体重も軽かったのだが、湖面の氷が割れてしまったのだ。「ヘラス」の住人は、文句の少ない善良なヒンディンガーを失ってはじめて彼の存在の大きさを感じた。ハンスはその死を目の当たりにして深い痛みを覚えた。それによって覚醒したわけでもないが、突然ヘルマンに対する罪の意識に囚われた。ヘルマンは風邪をひいて孤独のうちに病室で寝ていた。ハンスはおずおずと見舞いに出向いた。しかしヘルマンは頑なにハンスを見ようともしなかった。だがハンスはヘルマンの手をしっかりと握り、かつての親友を見つめた。そしてヘルマンに許しを乞うた。ヘルマンは瞠目した。しかしハンスはあきらめずに言った。「こうやってきみの周りをうろうろするくらいなら、むしろ最下位になりたいんだ」こうしてヘルマンはハンスの手を握り返し、その友情を取り戻すことに成功したのである。二人の早熟な少年の友情は以前のそれとは形を変え、初恋のほのかな秘密のようなものを味わっていた。ハンスが心からこの友情に執着すればするほど、これまで非の打ち所がない生徒であったはずなのに、問題児に変わっていった。ハンスの成績はみるみるうちに下がっていった。同級生たちはハンスが転落し、首席であることを断念したのだと確信し、遠巻きに眺めているに過ぎなかった。校長も教師も、もはやハンスには何の期待も寄せなくなった。その後、ヘルマンは校長とトラブルを起こして再び謹慎処分を受けることになり、今度こそ退学という顛末になってしまった。ヘルマンは最後の最後まで自分を曲げず、学校にも校長にも謝罪をせず、頭を高く上げたままだった。ただ、親友のハンスとは握手して別れを告げることができた。他に友人のいないハンスは、神学校で完全に孤立した。つまらないことで教師から激しく叱責され、そのたびに目まいや全身の震えに襲われた。校医はハンスを神経症の疑いがあるとし、休養のための長期休暇を提案した。校長はハンスの父親に長い手紙を書いた。これでハンスは二度と学校には戻ることがないだろうと、校長も同級生たちも確信していた。田舎に帰るとハンスは悪夢にうなされた。森のどこかで首を吊って死んでしまおうと思った。縄をかける枝も決まり、強度も試した。遺書も書いた。この死への意欲が生きる気力となったのか、父親の目にはかえってハンスの体調が良いように思えた。季節の移り変わりとともに、ハンスの自殺への願望が薄れつつあった。いつまでもぶらぶらと過ごしているわけにもいかず、ハンスは機械工の作業場に勤めることになった。この町で唯一選抜され、州試験にまで合格した身なのに、今や同級生より遅れ、一番下の見習いの身となってしまった。「州試験工員!」とハンスを笑いものにする輩も一人ではなかった。仕事は朝から晩まで立ち尽くし、両手には赤いマメができて燃えるように痛んだ。ハンスは泣きたくなった。ある日、同僚から日曜日の遠出を約束させられた。ハンスはくたくたに疲れていたので休みたかったのだが断れず、結局、付き合うことになった。機械工たちのお遊びというのはとにかく大々的にとことんまでやった。たくさんビールを飲み、よく食べ、葉巻を吸い、そしてダンスまでやるのだった。ハンスは皆のペースに付き合い、杯を重ねていたが、それまで陽気に楽しげな気分を味わっていたのに、段々としゃべったり笑ったりするのが困難になった。しだいに頭も痛くなってきた。同僚が勘定を済ませたが、そのころにはハンスはもうまっすぐに立っていることもできないほどだった。誰かがもう一杯だけ飲んでいけとハンスに声をかけ、ハンスはたくさんこぼしながらそれを飲んだ。酷い吐き気で体が震えた。どうやって歩いたのか、たどりついたのは一本のりんごの木の下だった。ハンスはそこに横たわった。一時間後、ハンスはすでに冷たく静かになって黒い川をゆっくりと下流に向かって流れていた。ハンスがどうして川に落ちたのか、知る者は誰もいなかった。 (了)《過去の要約》◆第一回目の要約はこちらのです。◆第二回目の要約はこちらのです。◆第三回目の要約はこちらの~(上)~です。◆第四回目の要約はこちらの~(下)~です。◆第五回目の要約は、こちらのです。◆第六回目の要約は、こちらのです。◆第七回目の要約は、こちらのです。◆第八回目の要約は、こちらのです。◆第九回目の要約は、こちらのです。◆第十回目の要約は、こちらのです。◆第十一回目の要約は、こちらのです。◆第十二回目の要約は、こちらのです。◆第十三回目の要約は、こちらのです。
2022.03.05
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第十三回男は大手広告代理店に勤務していたが、40才のとき独立を考えた。リーマンショックのせいで広告業界も大きな打撃を受けるだろうと、知人らに反対されてもなお、独立に踏み切った。順調だったのは最初の2年ほどで、開業から3年目に会社をたたんだ。妻とも離婚した。昔の知人に頭を下げて再就職の世話を頼んでみたものの、音沙汰はなかった。残ったのは莫大な借金だけだった。岐阜の田舎に住む父とは折り合いが悪く、気が進まなかったが、すでに貯金は底をつき、他にあてはなかったのだ。父は市役所を定年で退職したあと、年金暮らしをしていた。寡黙で、一人息子への干渉と束縛は酷く、否定的なことばかりを言う性質だった。「恥ずかしいやつや」と言われ、自分が心底情けなく思った男だが、住んでいたマンションを売却したところでとうてい借金返済の目処は立たなかった。父は田んぼを売りに出した。しかしそれを借金に当てたところで、まだ2500万円ほど残っていた。その後、母が急逝した。それからすぐ父は認知症の症状が出て、手に負えなくなり、老人ホームに入れた。男は、漠然と死のうと思った。浜松で有名なうなぎを食べてから死に場所を求めようと思った。とは言え、好物のうなぎにもろくに箸をつけることなくタクシーに乗った。高速に乗って富士の樹海まで行ってもらいたいと頼んだが、体よく断られた。人の良さそうな運転手が、何か思うことがあったのか、青木ヶ原はムリだが浜松にも似たような場所があるからと、車を出してくれた。運転手は自殺の名所だと言って、天竜川の佐久間ダムの話を始めた。男は、運転手が佐久間ダムへ連れて行こうとしているのかと思ったが、そうではなかった。運転手は、前日が中秋の名月だったと前置きをした上で、月についてのあれこれを話し出した。その詳しさと言ったら学者並みだと思うほどだった。運転手はこの先に、月に一番近い場所があるのだと教えてくれた。男は、おかしなことを言うものだと、それをぼんやりと聞き流した。天竜川沿いを北に走って行くと、前方にトンネルが見えた。トンネルの手前で左にウィンカーを出し、左側の側道へと入った。すると、青い金属板の道路案内標識が目に入った。〈月 Tsuki 3Km〉月まで3キロ、と書いてあった。運転手は種明かしをするように笑顔で言った。「月」と言うのは浜松市天竜区月という珍しい地名なのだと。運転手は、なぜ男をそこへ連れて来たのかをポツポツと語り出した。運転手は、たった一人の息子を自殺で亡くしていた。しかも15歳という若さだった。当時、運転手は高校の理科教師で、天文部の顧問をしており、月は身近な教材だった。一人息子のために買ってやった望遠鏡で、二人して毎晩のように月を見たのだと話した。その息子が中学2年のとき、いじめを苦に自殺。運転手は、人生には乗り越えられない悲しみがあるのだと言った。だが、満月を見たとき、それが息子なのだと思うことにしたと。だから地球で一番月に近い場所までやって来て、息子に語りかけるのだと話した。男は、運転手の話を聞き終えると、老人ホームにいる認知症の父を思い出した。ワイシャツの胸ポケットからタバコを取り出し、火を点けた。 (了)※『月まで三キロ』は他に5編の短編小説が収められている。今回取り扱った要約は、表題作である。追記:吟遊映人は〈月 Tsuki 3Km〉の道路案内標識を見に出かけました。その模様はをご覧くださいね。なお、次回十四回目の要約はを掲載予定です(^_-)みなさま、こうご期待♪《過去の要約》◆第一回目の要約はこちらのです。◆第二回目の要約はこちらのです。◆第三回目の要約はこちらの~(上)~です。◆第四回目の要約はこちらの~(下)~です。◆第五回目の要約は、こちらのです。◆第六回目の要約は、こちらのです。◆第七回目の要約は、こちらのです。◆第八回目の要約は、こちらのです。◆第九回目の要約は、こちらのです。◆第十回目の要約は、こちらのです。◆第十一回目の要約は、こちらのです。◆第十二回目の要約は、こちらのです。
2022.02.05
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第十二回宮城県在住の高村英(たかむら えい)には、幼いころより、他人には見えないのに自分だけに見える存在があった。それは幽霊というより、もっとリアルなものとして見えたので、生きているのか死んでいるのか見分けさえつかなかった。例え霊が見えたとしても、とくにそれが悪さするわけでもないので、自分の部屋につれ帰って共同生活をしていたこともあった。ところが高校時代、英の父が亡くなったことで状況が一変した。父の死をきっかけに霊たちが大暴走を始めたのだ。それまで英の周囲には悪い霊というものは存在しなかったのだが、霊の中にも怖い霊がいるのだということを知った。高校時代、成績は常に上位をキープしていたが、金銭的な理由から大学進学をあきらめ、看護師の学校へ進んだ。東日本大震災に見舞われたのは、英が社会人となって3年後のことである。震災の翌年の5月に入ると、自分の体に鬱症状が出て来た。死にたくないのに強い自殺願望に囚われるのだ。それまでどうにかコントロール出来ていた霊も、もはやコントロール出来なくなってしまった。英の頭の中では、何人もの他者の声が響いていた。そうなると自分は精神病なのではとさえ思うようになり、本心から怖くなった。わらにもすがる思いで、パソコンで除霊をしてくれるところを検索したところ、宮城県栗原市にある通大寺がトップに出て来た。英は2012年6月から翌年の3月まで通大寺に通い、金田住職による除霊を受けた。憑依現象は英にとって過酷なもので、いつも自分は精神病なのではと不安でたまらなかった。ところがある霊との出会いにより、やはり自分は病気などではないと、改めて思うに至った。それまで英の肉体は、酷い暴言を吐くヤクザや10歳の女の子から犬、猫に至るまで憑依されたが、17歳の男の子が現れたとき、英にはその少年の強い心残りを感じた。17歳の男の子は震災で亡くなったわけではなく、部活の朝練に行く途中、交通事故に遭い、亡くなった。金田住職がその高校生に話を聞くと、「おにぎりが食べたい!」と、嗚咽を漏らして叫んだ。その高校生の母親は、毎朝、昼の弁当とは別に、部活でお腹を空かせる息子のためにおにぎりも握って持たせていた。17歳の男の子は、そのおにぎりを食べることなく事故に遭ったので、母親への申し訳なさと、おにぎりを食べたいという強い心残りで英の肉体を頼って来たのだ。傍で状況を見守っていた住職夫人は、急いで大きいおにぎりを作って供えてあげた。高校生は涙をポロポロと流し、お礼を言った。最後は金田住職の読経とともに、英の体から離れていった。そもそも通大寺の金田住職は除霊を専門にしているわけではない。たまたま高村英という若き女性が苦しむ姿に、このまま放ってはおけないと、見よう見まねで始めた儀式だった。通大寺の宗派は曹洞宗だが、他の宗派でも少なからず除霊は行なわれている。(浄土真宗を除く)著者は取材しながら考えた。合理的でしかも科学的であることが正しいとされる現代とはいえ、近代科学など人類の歴史の中ではたかだか400年ほどに過ぎないではないか、と。だとすれば霊的な現象を非科学的と断定するのではなく、そのような考え方も尊重されるべきであると。(このあと、高村英サイドの話、金田住職サイドの話と、交互に進められていく。同じ除霊という儀式にあっても憑依されている側の感覚と、成仏に導く住職サイドとでは、相違点も出てくるため)英は除霊に対して少なからず罪悪感を抱いていた。というのも、死者が英の体を乗っ取ったあと、その肉体を取り戻すためには、入ってしまった死者に再び死んでもらうことでしか方法がないのだ。これを住職サイドの言葉であらわすと、「成仏する」ということなのだ。津波で死んだことがわからない霊は、死者の霊とリンクする英に、亡くなる寸前の場所からスタートさせる。なので英は、溺れ死ぬところを死者に代わって体験するところから始まる。口の中、耳の中、穴という穴に泥水が入り込み、息ができない。水の中で必死に手足をバタつかせ、溺死するのだ。津波で家族を喪ったことに耐えられなかった男性、不妊治療の末、やっと授かった妊婦、妻を残して亡くなった80代のおじいさん、地縛霊になろうとしている大学生。皆が皆、震災による被害者だった。金田住職はそれらの霊と向き合うと、「光をさがしなさい」と言う。そして天地の理(ことわり)なので死を受け入れるようにと諭すのである。英が通大寺で除霊を受けた10ヶ月間に30人以上の死者が憑依して来たが、そのトリを担ったのは12歳の男の子だった。その男の子は父子家庭で、地味だが、とても行儀が良く、好感が持てた。例外でなく震災で亡くなったのだが、男の子は泣きじゃくりながら訴えたのは、父より先に逝ったことで親不孝ではなかったかというものだ。住職は絶対にそんなことはないと否定すると、男の子は安心し、「寺の子になりたい」と言った。住職はそれを了承した。男の子は光の世界にいくことなく、毎朝住職の傍で手を合わせることになった。先に逝った息子の位牌に手を合わす父のために、ただひたすら祈りを捧げるのだった。この12歳の男の子との体験が、英を救ったのである。その後、高村英は憑依した霊をすべて成仏させたあと、家庭の事情で宮城を離れることになった。以来、彼女を苦しめる異変は一度も起こっていない。 (了)なお、次回十三回目の要約はを掲載予定です(^_-)みなさま、こうご期待♪《過去の要約》◆第一回目の要約はこちらのです。◆第二回目の要約はこちらのです。◆第三回目の要約はこちらの~(上)~です。◆第四回目の要約はこちらの~(下)~です。◆第五回目の要約は、こちらのです。◆第六回目の要約は、こちらのです。◆第七回目の要約は、こちらのです。◆第八回目の要約は、こちらのです。◆第九回目の要約は、こちらのです。◆第十回目の要約は、こちらのです。◆第十一回目の要約は、こちらのです。
2022.01.16
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第十一回 男が一人、行方不明になった。男の妻から捜索願が出されたが、情報はなしのつぶてであった。男は休暇を利用して昆虫採集のために海岸へ出かけたのである。砂地に棲む、新種のニワハンミョウを発見するのが目的だった。 男は目指す砂丘の頂上にようやく到着した。家並みが砂のくぼみの中に見えた。その小さな村は、すべての家が砂の斜面を掘り下げ、くぼみの中に建てたようだった。 男は均衡の取り辛い砂丘の稜線を慎重に歩いた。虫らしきものの影一つもなく、根気よく歩き回るしかなかった。靴の中にもズボンのひだにも砂が入り、唾を吐くと口の中もざらついた。 気がつくと日が暮れて、最終のバスも逃してしまった。村の老人から宿泊先を案内された。 砂丘の稜線に接した穴の中の一つに、縄梯子がおろされ、男はそこに降り立った。ランプを捧げて迎えてくれたのは、まだ三十前後の色白で小柄の女だった。 女は未亡人だった。他に人の気配はなく、一人暮らしのようだったが、男はふと、疑念を抱いた。なぜ女一人のところにわざわざ行きずりの旅行者を世話したりするのだろうかと。 女はサラサラと流れてくる砂をスコップですくっていた。その砂を石油缶に入れて、モッコで上げ下ろしをする。男は翌日にはそこを出るつもりでいたので、女のやることを好奇心から眺めていたが、何気ない会話の中で、まるで男がここから二度と出て行くことはないような言い回しをされ、不愉快を感じた。 女の話によると、砂は決して休んだりはしてくれないので、来る日も来る日も砂かきをしているのだと。もしも自分たちがこの仕事を放り出してしまったら、十日もたたずに埋まってしまうのだと言った。村の連中はそれぞれ分担して、モッコもオート三輪も、夜っぴて動いているらしかった。そして役場からわずかな日当をもらい、生業を立てていると言う状況だった。 翌朝、ニワトリの声で目を覚ました男は、砂にまぶされた全裸の女を横目に、足音を忍ばせて穴から出ようとしたが、昨夜あったはずの縄梯子が消えていた。男は呆然とし、こみ上げてくる不安をどうすることもできないでいた。 よじ登れそうなところをくまなく探した。努力すれば登って行けそうなところを見つけ、必死になってよじ登ろうするが、足が砂の中にめり込み、しまいには膝の上まですっぽり埋まって身動きが取れなくなった。 叫び出しそうになるのを我慢し、男は寝ている女のところに戻った。ムリに女を起こすと、縄梯子がないことを詰った。どこに隠したのだ、ふざけるのもいい加減にしろと怒鳴りつけてみたものの、女は首を左右に振るだけで黙っていた。 男は「不法監禁じゃないか」と怒りをぶちまけた。女は、男の際限のない怒りを存分に受け止めたあと、労るように「ごはんの支度にしましょうか?」と言って、芋の皮をむき始めた。 その後も男はあの手この手で砂穴からの脱出を試みるものの、どれも失敗に終わった。男には親しくしている友人も同僚もいなかった。妻には行先も告げず出て来てしまったので、ただただ後悔に襲われた。この砂穴から救い出してくれる人など誰もいないのだと、改めて自己嫌悪に陥ってしまった。 村人たちは一枚岩となってよそ者を砂穴に捕らえ、砂かきをさせていた。産業もなく、おりからの人手不足もあり、働きがいのある者は次から次へと村を出て行ってしまったからだ。これまでも男以外に何人か村を訪れ、捕まった観光客やセールスマンがいたが、逃げ出すことにただの一人も成功していなかった。 こんな砂かきの仕事に追われる毎日に、どんな夢や希望があるのかと、男は女を哀れんだ。だが女は意外にもケロッとして、貯金をし、ゆくゆくはラジオと鏡のある生活をしたいのだと語った。まるで人間の全生活を、ラジオと鏡と言うその二つだけで組み立てられていると言わんばかりの執念だった。 男は女と違い、外の世界を知っている。こんな自由のない生活なんてまっぴらだった。とにかく何とかして砂穴から脱出したい。そればかりに執着した。 とは言え、やはりどんな手段を使っても、男はその砂穴から脱出することができなかった。男の願いは、もはや脱出できなくても、たとえ三十分でもいいから崖に登って海を眺めることができたら、というものになっていた。砂の味がしない、新鮮で軽い空気を吸いたいと思ったのだ。 男は最後の足掻きのように、モッコ運びの連中と一緒にいる老人に、どうしたら縄梯子を砂穴におろしてくれるのかを交渉した。すると老人は言いにくそうに、みんなが見物している前で「あれ」をやって見せてくれたらいいと言う。男は老人の言ってる意味がわからず聞き直すと、どうやら男と女がまぐわっているところをみんなに見せてくれるのなら砂穴から出してやると言うことらしかった。男はその提案がさほど驚くようなことではない気がした。ゆっくりと女の方を振り返ると、体ごとぶつかっていった。 女はすさまじく拒絶した。崖の上に獣じみた熱狂を引き起こし、口笛や手を打ち合わせる音、言葉にならない卑猥な喚き声があがった。女は体をよじって男をふりほどこうとするが、すぐまた男はむしゃぶりついて女に追いすがる。「たのむよ・・・まねごとでいいんだからさ・・・」 と、男は女にすがりつくが、女は全身の怒りで男の下腹を突き上げた。その結果、崖の上の興奮もみるみる萎んでしまった。男は砂にまみれ、うちのめされた。 男にはまた、変わり映えのしない砂と夜の生活が戻ってきた。砂かきの仕事と内職で、やっとラジオを手にすることができ、女は幸せそうに驚嘆の声をあげた。男も砂穴の中で溜水装置の研究に没頭し始め、いつのまにか外の世界への関心が薄くなった。 そんな折、女が妊娠した。ある日、突然女が下半身を血に染めて、激痛を訴えた。男は女に寄り添い、腰のあたりをさすり続けてやった。町の病院に入院させることが決まり、砂穴に縄梯子がおろされた。 女がオート三輪に乗せられて行ってしまったあとになっても、縄梯子はそのままになっていた。男はこわごわ手を伸ばし、ゆっくり登り始めた。まんまと砂穴から出たところで、男はあわてて逃げ出したりする必要性を感じなかった。 こうして七年が経過し、民法第三十条によって男は死亡の認定を受けることになった。戸籍上の妻が申し立てた失踪宣告が受理され、すでに七年以上生死がわからなかったことによる審判であった。 (了)なお、十二回目の次回は 、を掲載予定です(^_-)みなさま、こうご期待♪《過去の要約》◆第一回目の要約はこちらのです。◆第二回目の要約はこちらのです。◆第三回目の要約はこちらの~(上)~です。◆第四回目の要約はこちらの~(下)~です。◆第五回目の要約は、こちらのです。◆第六回目の要約は、こちらのです。◆第七回目の要約は、こちらのです。◆第八回目の要約は、こちらのです。◆第九回目の要約は、こちらのです。◆第十回目の今回要約は、こちらのです。
2021.12.13
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事の発端は・・・!こんな感じで新カテゴリー《要約の森》を作りました\(^o^)/第十回目の今回要約は、こちらのです。どうぞご覧ください♪なお、第十一回目の次回要約はを予定しております。皆様、公開をお待ちくださいね♪そしてこうご期待(^_-)-☆《過去の要約》◆第一回目の要約はこちらのです。◆第二回目の要約はこちらのです。◆第三回目の要約はこちらの~(上)~です。◆第四回目の要約はこちらの~(下)~です。第五回目の要約は、こちらのです。第六回目の要約は、こちらのです。第七回目の要約は、こちらのです。第八回目の要約は、こちらのです。第九回目の要約は、こちらのです。
2021.11.15
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第十回 「私は」10歳の男の子を女手ひとつで育てるシングルマザーである。親子二人で食べていくため家政婦として働いている。 今回、家政婦紹介組合から派遣された先は、ワケありだと予想がついた。私の前に派遣された九人もの家政婦らが次々とクビになっていたからだ。 派遣先は六十四歳数論専門の元大学教師(博士)のお宅だった。面接の対応をしたのは博士の義姉に当たる老婦人で、母屋に住んでいた。(博士は離れに住んでいた) 聞けば博士は十七年前に交通事故に遭い、それ以降、記憶が不自由であると。認知症とは違い、脳細胞は機能しているが、事故当時以前の記憶はあるものの、それ以降の記憶はなく、新たな記憶を積み重ねようとしても八十分しかもたないとのことだった。 博士は、昔は美男子だったに違いないと思わせる顔立ちをしていた。だが、数学以外には全く興味がなく、自分の見かけにはこだわりがなかった。毎日三着の背広を着回しているだけだった。 背広のあちらこちらにメモ用紙がクリップで止められていた。八十分の記憶を補うために、忘れてはならないことをメモしていたのだ。 私は毎朝、博士のお宅に出勤すると、いつもの通り自分が何者であるかを名乗るところから始めた。勉強中ではない博士が話題にするのは、専ら数学のことばかりだった。友愛数の話や美しい証明の公式についてだった。 博士から教えてもらいながら折り込み広告の余白に計算することもあった。そのひとときは苦痛ではなく、博士は優しさに溢れた口調なので、むしろそれを楽しむことができた。 ある日、博士との何気ない会話の中で、私の息子が家で留守番をしていることを話すと、博士が動揺し出した。たった十歳の子どもが孤独に耐えながら母親を待つのは良くないと言った。今後は子どもも博士のお宅につれて来るようにとのことだった。 博士は自分の提案したことを忘れないために、さっそくメモ書きをして背広にクリップ止めをした。翌日から私の息子は学校から真っ直ぐ博士の家へ来るようになった。ランドセル姿の息子を前にした博士は満面の笑みで迎えてくれた。そして息子のことを「ルート」と言う愛称をつけて呼んだ。息子の頭のてっぺんが平らだったので、ルート記号のようだとのこと。息子はまんざらでもでもないようすで嬉しそうにしていた。 博士はルートの「ただいま」と言う声が聞こえると、どれほど数学に集中していても中断し、ルートの算数の宿題に付き合った。分数や割合や体積を、それはもう見事なやり方で教えてくれた。 ルートはタイガースファンでその帽子を被っていたが、果たして博士も江夏豊のファンで、それもあってなのか話が合った。 私は博士の記憶障害についてはすでにルートには話して聞かせていた。そのためルートは現役時代の江夏は知らなくても図書館で情報を調べ上げ、博士と同じ記憶を共有することに成功した。それもこれも博士がパニックに陥らないための、子どもなりの思いやりだった。 ある時、私はサラダ油を切らしていることに気付いた。わずかな間でも私が買い物に行くと、博士とルートの二人だけになるが大丈夫だろうかと思った。いつもはそんなこと気にもしないのに。 虫の知らせというものなのか、その日はなぜか不安を感じてしまった。案の定、二十分ほどで買い物を済ませて帰ってみると、ルートが手から血を流していた。博士はそばで満足に喋ることもできず、動揺している。 ルートはおやつにリンゴを剥こうとして切ってしまったのだ。博士は自分の責任だと言って主張するが、ルートはルートで自分が勝手にやったことで博士は悪くないと言い張った。 結局、思いのほか傷口が深いことを心配し、病院へ駆け込むと、二針縫ったことでふさがった。博士は自分を責め続け、汗と鼻水と涙で顔を濡らした。不幸中の幸いなのは、翌日にはすでにこの一件も博士にとっては忘却のかなたであることだった。 五月になると、私たちの住む町にタイガースが遠征して来るのを知った。対戦相手は広島だった。日ごろ贅沢を知らない息子と一日中数の世界に浸る博士に野球の試合を見せてやりたくなった。 三人で出かけた野球観戦は、少なくとも私にとってはとても特別なものとなった。後年、私とルートは折に触れその日のことを思い出しては語り合ったが、博士にとって喜ばしいものだったかどうかは自信が持てなかった。もしかしたら母子二人の単なるお節介を働いただけの、自己満足に過ぎないものだったかもしれない。 ルートの十一歳の誕生日は、博士も含めて三人でささやかなお祝いパーティーを楽しんだ。博士はルートにグローブをプレゼントしてくれた。ルートは大喜びで博士にキスして抱きつかんばかりだった。博士といえば、そのようなことに慣れていないせいで、どうしていいのか分からないようすだった。 博士が専門の医療施設へ入ったのは、それから翌々日のことだった。博士のお宅で家政婦としての勤めは終わってしまったが、私とルートは友だちとして博士に会いに行った。その訪問は博士が亡くなるまで何年にも亘って続いた。その間、ルートは中学、高校と進み、大学に入って膝をケガするまで野球を続けた。 博士のところに最後の訪問となったのはルートが二十二歳のときだった。ルートは中学校の教員採用試験に合格した。それを聞いた博士は身を乗り出し、ルートを抱きしめようとする。博士にとって、ルートはいくつになっても庇護するべき愛する子どもだったのだ。 ルートは博士の腕を取り、肩を抱き寄せた。 (了)なお、次回は を掲載予定です(^_-)みなさま、こうご期待♪
2021.11.14
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第九回なお、次回は を掲載予定です(^_-)みなさま、こうご期待♪
2021.10.16
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第八回なお、次回はを掲載予定です(^_-)みなさま、こうご期待♪
2021.07.31
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第七回なお、次回は満を持して大文豪の、を掲載予定です(^_-)みなさま、こうご期待♪
2021.06.13
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第六回なお次回公開は、を予定しています。皆様こうご期待(^_-)-☆
2021.05.16
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第五回※お詫び事情により原稿をPDFからJpegに変換した後にアップロードした影響で、空欄が生じて読みにくくなりました。何卒ご了承くださいませ。なお次回公開は、を5月8日に予定しています。皆様こうご期待(^_-)-☆
2021.04.24
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第四回~(下)~なお次回公開は、を4月17日に予定しています。皆様こうご期待(^_-)-☆
2021.04.03
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第三回※はじめに・・・管理人です。文章の内容が楽天の倫理規範に抵触するようで、通常のテキストのままではアップロードが出来ません。そのため、原稿をPDFにし、さらにjpegに変換してアップロードしました。文字の大きさや段落が入り見苦しいところがあり、特に最後では著しい空欄が生じざるを得ませんでした。読者の皆様、何卒ご理解くださいませm(_ _)mそれでは渾身の「要約」をお楽しみくださいね(^o^)/~(上)~なお《ノルウェイの森・下》の公開は4月3日を予定しております。こうご期待(^_-)-☆
2021.03.20
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第二回 《序文》 数多の翻訳家がカフカの「変身」を和訳している。その中から、私はあえて池内紀(敬称略)の「変身」を選んだ。そして折にふれ何度となく読んだ。訳者のあとがきまで余さず読了した。(むしろ、そのあとがきが読みたくて「変身」を読み直したのかもしれない。)池内紀のつむぐやさしい翻訳は、敬遠しがちなドイツ文学を私たちの身近なものにした。私などは池内紀の翻訳のおかげで、一気にカフカのファンになったほどである。とは言え、人にはそれぞれ好みというものがある。自分に合った翻訳を見つけ、海外文学を楽しめたらと思う。変身(フランツ・カフカ 訳:池内紀) ある朝、目を覚ましたら一匹の虫になっていた。グレーゴル・ザムザが頭を少しもち上げてみると、こげ茶色の丸い腹が見え、無数の脚がワヤワヤと動いている。「どういうことだろう?」と彼は思った。自分の部屋であることは間違いない。グレーゴルはセールスマンなので、部屋には布地の見本が散らかっている。今日も朝イチで仕事に出かけなくてはならないのだが、虫である自分の体を思うように動かせず、寝返りを打つことさえままならない。 「ウッヒャー!」彼はたまげた。もう6時半。乗るはずの5時の列車には間に合わない。職場への言い訳をあれこれと考えていると、起きて来ない息子を心配した母が「どうしたの、グレーゴル」と声をかけて来た。次に父が、さらには妹までもが心配して呼びに来た。だがグレーゴルは習慣でドアにカギをかけて寝ているため、家族が部屋に入って来られないのだ。 とりあえずベッドから出なくてはと思うものの、そう簡単には起き上がれない。 時計が7時を知らせた。そろそろ職場の誰かが様子を見にやって来るに違いない。 そんな折、玄関のベルが鳴った。支配人が直々にやって来たことを知った。 家族が代わる代わるドアをノックし、グレーゴルに開けるよう催促する。「ザムザ君、いったいどうしたんだ? 部屋に閉じこもってしまって。まったくもって、あきれはてた。もっとしっかりした、ものごとをきちんと考えられる人間だとばかり思っていた。ところが突然、こんな気まぐれをやらかすとはどうしたことだ」「だから支配人」グレーゴルは我を忘れて声を上げてしまった。「すぐに、いますぐに支度をします。ちょっと気分が悪かったのです。目まいがして、起き上がれなかったのです。いままだベッドの中ですが、もう大丈夫です。ベッドから出るところです。もう少々、我慢してください!」 自分でも何を言っているのかほとんどわからないまま、一気呵成にしゃべり立てた。ところがそれに対し支配人は「ひとことぐらい、わかりましたか?」と傍にいる両親にたずねている。「獣の声でしたよ」 両親はあわてふためき、医者と錠前屋をつれてくるよう叫んだ。 グレーゴルは錠前屋が来るのを待たず、自力でどうにかカギを開けることに成功した。「みなさん、(わたしに)早いとこ(仕事に)出かけてもらいたいんでしょ? わたしは強情じゃない、大の仕事好き。」 支配人はグレーゴルの最初のひとことで背を向けた。グレーゴルは支配人に詰め寄った。支配人はその気配を感じ、階段を何段かひとっ跳びして逃げ出した。見かねた父は、ステッキと新聞を振り回しながら「しっ、しっ」とグレーゴルを部屋へ追い戻そうとする。しまいにはグレーゴルを後ろから思うさま突き押して部屋に閉じ込めてしまった。 夕方、重苦しい眠りから目を覚ましたグレーゴルは、ゆっくりと這い出した。触角が役立つことに気付いて、おずおずと辺りをさぐってみる。事のしだいを確かめるためドアのところに来てみると、食べ物の匂いがする。小さくカットされた白パンの浮かんだ甘いミルクが置かれていたので、すぐさま頭を突き入れた。だがまるで舌に合わない。これまではグレーゴルの好きな飲み物だったのに。今やほとんど嫌悪しかない。彼はこそこそとソファーの下に這い込んだ。 翌朝早くドアを開けたのは妹である。グレーゴルの存在に緊張しながら、おそるおそるミルクの注がれている鉢を見た。まだたくさん残っていたが、妹はすぐさまそれを外に運び出した。 グレーゴルは空腹のため、妹が何か代わりの食べ物を持って来てくれることを願った。だが妹が持って来たものはグレーゴルの予測を超えていた。腐りかけた古い野菜、夕食から出た骨、何粒かの干しぶどうとアンズ、とても食べられたものではないチーズ、乾いたパンなどが古新聞に乗せられていた。妹はそれを置くと、慌ててそこから離れ、カギをかけた。「繊細さってものが薄れたのかな?」 そんなことを思いながら、グレーゴルはガツガツと貪り食った。 時折、隣室から話し声がもれてきた。彼はすぐさま声のする側のドアへ急ぎ、全身をドアにはりつけた。これからどうするべきかが話題になっている。 5年前、父の商売が破産した際、身を粉にして働いたのはグレーゴルであった。つましい事務職から旅廻りのセールスに転じたのも、格段に稼ぎが良いからである。その後、家計の柱となったグレーゴルは給料をほとんどそっくり渡し、家族から感謝されたが、そのうちそれが当然のようになった。父は就活を辞め、喘息持ちの母は専業主婦となり、妹はバイオリンが得意なので音楽学校への進学を口にするようになった。グレーゴルは妹のためにその学費を工面してやろうと思っていたところ、今やそれも叶わなくなり、頭をドアに打ちつけるしかない。その音で隣室の声がやむ。「あいつ、また何をしていることやら」と少し間をおいて父が言った。 グレーゴルの変身からひと月あまりが経った。彼の部屋の掃除は専ら妹の仕事となっていた。母はグレーゴルに会いたがって、「グレーゴルのところへいかせて。わたしの可哀そうな息子なのよ!」と叫んだ。それを聞いてグレーゴルも母に会いたいと思った。だが、父と妹はもっともな理屈を並べてそれを阻止するのだった。 グレーゴルは、数平方メートルの狭い床をのべつ這い回っていることも、じっと寝そべっているのもうんざりした。食事には少しもよろこびを感じなくなった。そこで彼は、気晴らしのために、壁や天井をあちらこちらと這い回ることにした。這い回る際にネバネバした足あとをあちこちにつけていた。 16歳の妹は、すぐさま兄の新たな奇行に気が付き、家具類を取り除くことを考えた。だが重みのある戸棚や書き物机をたった一人で動かすことは難しい。だからと言って父に頼むわけにもいかず、女中もあてにならない。そこで、父が外出している間に母の手を借りようと思った。 2人は部屋の戸口まで来ると、妹がまず中の様子を確認した。「さぁ、入って」と妹が言った。か弱い2人の女が、重々しい戸棚を動かそうとする音を、グレーゴルはじっと聞いている。そのうち母がささやくような小声で言った。「家具を運び出すと、よくなる希望を捨ててしまって、すっかりあの子を見捨てたように見えないかしら?」 母の言葉に耳をすましていたグレーゴルは思った。部屋が空っぽになれば、それだけ自分は自由に這い廻ることができる。しかし、同時にそれは、人間としての過去を急速に、あまさず忘れていくことにならないか? そうこうするうち、女たちが彼の部屋から家具を残らず運び出していく。グレーゴルは這い出て来た。とにもかくにも何を守るべきか、自分でもはっきりしていなかったが、壁にかかる婦人像の絵に目がいった。グレーゴルは大急ぎで這いのぼり、その額にぴったりと体を押しつけた。少なくともこれは持っていかせないと思ったのだ。 隣室でひと休みしていた母と妹が戻って来た。壁にへばりつくグレーゴルと妹の目が交叉した。彼は絵の上にドッカと腰をおろした。決して渡すものかと思ったのだ。 母は、目にしたものがグレーゴルだとわかった瞬間、「ああ、何てこと!」と絶望したようにバッタリとソファーの上に倒れてしまった。「グレーゴル、あんたのせいよ!」 妹がこぶしを振り上げ、刺すような目でにらみつけた。 その後、父が帰宅し、妹から経緯を聞いた。だが妹の言葉たらずの報告を誤解し、グレーゴルが何らかの暴力をふるったととらえた。 父はグレーゴルめがけてリンゴを投げつけた。食器棚の果物カゴから取り出し、ポケットにつめこみ、次々とリンゴを投げつける。背中に命中したことで思いもかけない痛みに驚いたグレーゴルは、這いずって逃げようとしたが、結局そのままつっぷしてしまった。かすむグレーゴルの目に映ったものは、彼の命乞いをする母の姿であった。 夜も昼も、グレーゴルはほとんど眠れないままに過ごしていた。家族はグレーゴルのことでいさかいが絶えず、あさましい言い争いをくり返している。グレーゴルは腹立ちのあまり鋭い声をもらした。 家計を助けるため、住居内の一部屋を3人の男に貸した。3人の間借人たちは、かつて父と母とグレーゴルが座っていたテーブルの上座に席を取り、夕食を平らげた。代わりに家族の者たちは皆、台所で食べた。 食後、台所で妹がバイオリンを弾いているのを聴いた間借人が、居間で弾くようすすめた。妹が台所から居間に移動して、バイオリンの演奏を始めると、その演奏に引き寄せられて、グレーゴルが頭を居間に突き出した。手伝い女が居間へのドアを少し開けたままにしていたのだ。 グレーゴルは全身、ホコリだらけで、糸くず、髪の毛、食べかすと言ったものが背中や脇腹にへばりついている。その姿に誰も気付かない。両親はバイオリンの演奏に夢中になっていたが、間借人たちはすでに飽きていた。ただ礼儀上から我慢しているにすぎない。 グレーゴルはまた少し前へ乗り出した。妹を音楽学校へ行かせてやろうと決めていた。このたびの災難がなければ、(両親から)異議が出ようとも取り合わず、クリスマスにでもそれを打ち明けようと思ったのだ。「ザムザさん、ほら!」 男が父に向かって叫ぶと、グレーゴルを指さした。バイオリンがやんだ。父はあわてて間借人たちを部屋へと急き立てながら、同時に自分の体でグレーゴルを見させまいと努めた。「いま、はっきり言っておく。ただちに部屋の解約を通告する。これまでの間借代は、いささかも支払うつもりはない」 1人の男がそう言うと、すぐに他の2人も同意し、大きな音を残してドアを閉めた。父はよろけながら椅子に倒れこんだ。「もうこのままではダメ。このへんな生き物を兄さんなんて呼ばない。だから言うのだけど、もう縁切りにしなくちゃあ。人間として出来ることはしてきた。面倒をみて、我慢したわ。誰にも、これっぽちも非難されるいわれはないわ」 妹がきっぱりと言った。父も、「まったくこいつの言うとおりだ」と同意する。 それまでじっと立っていたグレーゴルが動き出した。妹が悲鳴をあげたが、単に向きを変えようとしただけで、家族を怖がらせるつもりなど毛頭なかった。途方もない空腹によって体力が落ちているせいで、グレーゴルの動きはひどく緩慢だった。荒い息づかいを抑えることができず、何度も休みながら部屋へ向かった。だがその道のりの遠いことに驚く。 やっとグレーゴルが部屋へ入るやいなや、ドアが激しい勢いで閉じられ、錠が下ろされ、カギをかけられた。 グレーゴルは暗闇の中で、家族のことを懐かしみと愛情を込めて思い返した。消え失せなくてはならないと思った。鼻孔から最後の息が弱々しく流れ出た。 早朝、手伝い女がグレーゴルの部屋をのぞいて、その死を夫妻に知らせた。ザムザ氏が「神さまに感謝しなくては」と十字を切った。他の女たちもそれに倣った。 3人の間借人たちが部屋から出て来て「朝食はどうした?」と不機嫌にたずねた。手伝い女は、黙ったままグレーゴルの部屋へ手まねきし、その死骸を見せた。「すぐに出ていってもらおう!」 ザムザ氏は言うなり、ドアを指さした。 3人は黙って一礼し、住居を出て行った。 父と母、それに妹は、晴れ晴れとした気持ちで、今日という日を休息と散歩にあてることにした。 それから3人は、そろって電車で郊外へ出かけた。のんびりと座席にもたれ、将来の見通しを話し合ったりした。生き生きしてきた娘を眺め、夫妻はそろそろ娘にいい相手を見つけてやるころあいだと思った。電車が目的地に着いたとき、娘の一挙手一投足に、自分たちの新しい夢と、楽しい将来を見たような気がした。(了)
2021.03.06
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第一回 田舎の素朴な僧侶である父は「金閣ほど美しいものはこの世にない」と私に教えた。リアルな金閣を知らない私にとっては、父の語る金閣こそが最高のものであった。 近くに適当な中学校がなかった私は親元を離れ、叔父の家に預けられた。そこから東舞鶴中学校(現・京都府立東舞鶴高校)へ通った。私は体も弱く、吃りがあり、さらにはお寺の子だと言うので毎度イジメを受けた。 近所に有為子と言う美しい娘がいた。女学校を出たばかりで舞鶴海軍病院の特志看護婦である。私は度々有為子の体を思ってそれに触れるときの指の熱さ、弾力、匂いを思った。 ある晩、その空想に耽ってろくに眠ることのできなかった私は外へ出た。そして、とある欅の木陰に身を隠す。有為子がここを自転車で通勤するのを知っていたからだ。 私は有為子の自転車の前へ走り出た。自転車は急停車をした。 言葉こそがこの場を救うただ一つの方法であるのに、私の口からは言葉が出ない。「何よ、へんな真似をして。吃りのくせに」 有為子は石を避けるように私を避けて迂回した。その晩、有為子の告口で私は叔父から酷く叱責された。私は有為子を呪い、その死を願うようになり、数ヶ月後にはこの呪いが成就した。 と言うのも有為子は憲兵に捕まったのである。海軍病院で親しくなった脱走兵と男女の間柄となり、妊娠し、病院を追い出されたのだ。 その脱走兵の隠れ家を吐かせるため、憲兵らは有為子に詰め寄った。微動だにせず押し黙っている彼女は拒否に溢れた顔をしていたが、突然変わった。有為子は鹿原の金剛院を指差したのだ。憲兵は有為をおとりに脱走兵を捕まえようとした。有為子は御堂に潜む男に何かを語りかけた。男はそれを合図に手にしていた拳銃を撃った。有為子の背中へ何発か撃ち、今度は自身のこめかみに当てて発射したのである。有為子は憲兵らの詰問に負け、男を裏切ったかに思われたが、結局は一人の男のための女に身を落としてしまったに過ぎない。 父の死後、その遺言通り私は金閣寺の徒弟になった。「金閣よ。やっとあなたのそばへ来て住むようになったよ」と私は呟いた。日に何度となく金閣を眺めにゆき、朋輩の徒弟たちから笑われるほどだった。 私は東舞鶴中学校を中退して、臨済学院中学へ転校したのだが、そこで鶴川と言う少年と出会う。鶴川の家は東京近郊の裕福な寺で、ただ徒弟の修業を味わわせるために金閣寺に預けられていた。東京の言葉を話す鶴川はすでに私を怖気づかせ、私の口は言葉を失った。ところが鶴川は初めて会ってから今まで一度も私の吃りをからかおうとしない。「なんで」と私は詰問した。私は同情より、嘲笑や侮蔑の方がずっと気に入っている。鶴川は「そんなことはちっとも気にならない」と答えた。私は驚いた。この種の優しさを知らなかったからだ。それまでの私と言えば、吃りであることを無視されたら、すなわち私と言う存在を抹殺されることだと信じ込んでいた。 終戦までの一年間は、私が金閣の美に溺れた時期である。私を焼き滅ぼす火は金閣をも焼き滅ぼすだろうと言う考えは、私を酔わせた。昭和19年11月に東京でB29の爆撃があった時、京都も空襲を受けるかと思われた。だが、待てども待てども京都の上には澄んだ空が広がるだけであった。 父の一周忌、母は父の位牌を持って上洛した。父の旧友である田山道詮和尚に、ほんの数分でも読経を上げてもらおうと考えたのだ。「ありがたいこっちゃな」 まともにお布施の用意もままならない母は、ただ和尚のお情けにすがったに過ぎない。母が言うには寺の権利は人に譲り、田畑も処分し、父の療養費の借金を完済したと。今後自身は伯父の家へ身を寄せるべくすでに話をつけてあるとのこと。 私の帰るべき寺はなくなった! 私の顔に、解放感が浮かんだ。「ええか。もうお前の寺はないのやぜ。先はもう、ここの金閣寺の住職様になるほかないのやぜ」 私は動転して母の顔を見返した。しかし怖ろしくて正視できなかった。 戦争が終わった。敗戦の衝撃、民族的悲哀などと言うものから、金閣は超絶していた。とうとう空襲に焼かれなかったのである。「金閣と私との関係は絶たれたんだ」と私は考えた。敗戦は絶望の体験に他ならなかった。私には金もなく、自由もなく、解放もなかった。せいぜい老師に巧く取り入って、いつか金閣を手に入れよう、老師を毒殺してそのあとに私が居座ってやろうといった他愛もない夢ぐらいしかなかった。 日曜の朝、私は泥酔した米兵の案内を頼まれた。私は鶴川より英語はよくできたし、不思議なことに英語となると吃らなかったからだ。米兵は女をつれていた。女は外人兵相手の娼婦で、酷く酔っていた。私は型通りに金閣を案内した。そのうち男女の間に口論が起こった。激しいやりとりだったが私には一語も聴き取れなかった。女は米兵の頬を思い切り平手打ちにした。駆け出した女に米兵はすぐに追いつくと、女の胸ぐらを掴み、突き倒した。女は雪の上に仰向けに倒れた。「踏め。踏むんだ」 米兵が英語で言った。私は何のことかすぐには理解できないでいたが、やがて命じられるがまま、春泥のような柔らかな女の腹を踏んだ。女は目を瞑って呻いていた。「もっと踏むんだ。もっとだ」 私は踏んだ。私の肉体は興奮していた。米兵は「サンキュー」と言って私にチップをくれようとしたが、私は断り、代わりにタバコを2カートン受け取った。私は命ぜられ、強いられてやったに過ぎない。もし反抗したらどんな目に遭っていたかしれないのである。その後、私はタバコ好きの老師に2カートンのチェスターフィールドを差し出した。老師はこの贈り物の意味を何も知らずに受け取った。「お前をな大谷大学へやろうと思ってる」 退がろうとする私を引き止めて老師が言った。 後でそのことを知った鶴川は、私の肩を叩いて喜んでくれた。(彼は家の費用で大谷大学へ行かしてもらうことになっている。) しかしこの進学については一波乱ある。大谷大学の予科へ入った時だ。皆の態度が常と異なるものを感じた私は、渋る鶴川に詰問した。するとこうだ。大谷大学進学の許しが出て一週間後、例の外人兵向の娼婦が寺を訪れたと言う。住職と面会した女は、私が女の腹を踏みにじったくだりを具に話し、あげく流産したとのこと。幾ばくかの金をくれなければ鹿苑寺を訴えると言ったのだと。鶴川は涙ぐんで私の手を取り、「本当に君はそんなことをやったのか?」と聞いた。私は公然とこの友に嘘をつく快楽を知った。「何もせえへんで」 鶴川の正義感は高じて私のために老師に釈明してやるとまで息巻いた。だが私はこれを止めた。老師はすでに見抜いていたかもしれない。私の自発的な懺悔を待ち、大学進学の餌を与え、それと私の懺悔を引き換えにしたのかもしれない。すべてを老師が不問に附したことは、かえって私のこの推測を裏書きしている。 こんな経緯がありながら、結局、私は大谷大学へ進んだ。鶴川には新しい友が増える一方で、吃りの私はいまだ独りだった。私以外にも皆から一人離れる厭人的な学生がいた。柏木と言う男で、両足が内飜足であった。入学当初から彼の不具が私を安心させた。私は思い切って柏木に吃り吃り話しかけた。講義で分からないところを教えてもらおうと思ったのだ。「君が俺に何故話しかけてくるか、ちゃんとわかっているんだぞ」 柏木は二の句を継げずにいる私に向かって「吃れ!吃れ!」と面白そうに言う。「君はやっと安心して吃れる相手にぶつかったんだ。そうだろう? 人間はみんなそうやって相棒を探すもんさ。それはそうと、君はまだ童貞かい?」 私は頷いた。すると柏木は不具の自分がどうやって童貞を脱却したかを話し出した。 柏木は自分の村に住む老いた寡婦に目をつけた。臨済宗の禅寺の息子である柏木は父親の代理でその老婆のところへ経をあげに行った。読経が済んで茶をご馳走になった時、折しも夏、水浴びをさせてもらいたいと頼んだ。柏木の心には企みが浮かんだのだ。水浴びを済ませて体を拭いている際、それらしいことを語り始めた。「俺が生まれた時、母の夢に仏が現じて、この子が成人した暁、この子の足を心から拝んだ女は極楽往生すると言うお告げがあった」 信心深い寡婦は数珠を手に柏木の目を見つめて聴いていたのだ。柏木は裸のまま仰向けに横たわり、目を閉じ、口だけは経を唱えていた。笑いをこらえながら。 老婆は経を唱えながら柏木の足をしきりに拝んでいる。この醜悪な礼拝の最中に、柏木は興奮し、起き上がり、老婆をいきなり突き倒した。それが柏木の童貞を破った顛末だった。私は柏木についてもっと知りたいと思った。初めて午後の講義を怠けたのである。 その後、私は柏木が言う「内飜足の男を好きになる女」と言うものを知った。世の中にはそう言う趣味のある女がいて、柏木にはそれがカンで分かるのだそうだ。実際、柏木は自分の不具を利用し、女に一芝居打って自身に惚れさせるという現場を、私は目の当たりにした。 鶴川はそんな私と柏木との付き合いを快く思っていなかった。友情に充ちた忠告をして来た鶴川を拒絶したことで、彼の目に悲しみの色が浮かんだ。 5月、柏木と私は平日に学校を休み、嵐山へ出かけた。彼は令嬢を伴い、私のためには下宿の娘を連れて来た。二人とも柏木と体の関係のある女だが。 途中、男女ペアに分かれた。もちろん私の方には「下宿の娘」がついて来た。私たちは花陰に腰をおろし、長い接吻をした。ずいぶん夢見ていたはずのものでありながら、現実感は稀薄だった。その時、私の前に金閣が現れた。金閣自らが化身して私の人生への渇望の虚しさを知らせに来たのだと思った。 そんな惨めな遊山の後、老師宛に訃報が届いた。鶴川が事故で死んだのだ。柏木と付き合うようになり疎遠になっていた私だが、失って分かるのは私と明るい世界とを繋ぐ一縷の糸が、その死によって絶たれてしまったことである。私は泣いた。そして孤独になった。私は鶴川の喪に一年近くも服していた。孤独には慣れていて努力は不要だった。生への焦燥もなく死んだ毎日は快かった。 私は金閣の傍らに咲くカキツバタを2、3本盗んだ。それは柏木から貰った尺八の礼であった。金のかかる礼はいらないが、せっかくだからと柏木が私に小さな盗みを示唆したのである。柏木はカキツバタを器用に活けた。どこで習ったのかを聞くと、「近所の生花の女師匠だ」と言う。柏木と女師匠は付き合っているのだが、自分はもう飽きたから私にくれてやると言うのだ。しかし私にはその女師匠については過去の記憶があった。3年前、鶴川と二人で南禅寺を散策していた時のことである。天授庵の一室で女と若い陸軍士官が対坐していた。女は男の前に茶を勧めた。ややあって女は乳房の片方を取り出し、男は茶碗を捧げ持った。女はその茶の中へ乳を搾ったのである。私はその女の面影に有為子を見たのだ。その女こそ柏木から捨てられる予定の女師匠なのだ。 さて、女はやって来て、柏木から「もう、あんたに教わることは何もない。もう用はない」と、こっぴどく捨てられた。女は錯乱し、柏木から平手打ちをくらい、部屋を駆け出して行った。「さぁ、追っかけて行くんだ」と子どもっぽい微笑を浮かべた柏木に押され、私は女を追った。 女の愚痴を聞いただけで大した慰めもしたわけではないが、女は帯を解いた。私の前に乳房を露わにしたのである。だがそれは私にとって肉そのものであり、一個の物質に過ぎなかった。するとそこにまた金閣が出現した。と言うよりは乳房が金閣に変貌したのである。私は女と関係することなく寺へ帰った。金閣は頼みもしないのに私を護ろうとする。何故か私を人生から隔てようとするのだった。 昭和24年正月、私は映画を見た帰りに新京極を歩いた。その雑沓の中で見知った顔に行き当たった。明らかに芸妓と分かる女と歩いていたのは、他ならぬ老師であった。私にはやましいことはなかったが、老師のおしのびの目撃者となることを避けたかった。たまたま雑沓に紛れて歩く野良犬に気付いた私は、その犬に導かれるように歩いた。 こうして私は暗い電車通りの歩道へ出た。すると目の前に一台のハイヤーが止まった。思わずその方を見ると、女に続いて乗ろうとしている男に気付いた。老師であった。老師はそこに立ちすくんだ。私は動転した。吃りのせいもあって言葉が出ない。すると私は自分でも思いがけず、老師に向かって笑いかけてしまったのである。老師は顔色を変えた。「バカ者! わしをつける気か」老師は、私が嘲笑ったのだと誤解した。 翌日、私は老師からの呼び出しを待った。だが、娼婦の腹を踏んだあの事件のときと同様に、老師の無言による拷問が始まったのだ。 その年の11月、私は突然出奔した。直接の動機は、その前日、老師から「お前をゆくゆくは後継にしようと心づもりしていたこともあったが、今ははっきりそういう気持がないことを言うて置く」と明言されたことによる。私はその時、自分の周りにあるすべてのものから暫くでも遠ざかりたいと思った。柏木に三千円の借金を申し込んだ。「何に使う金なんだ」「どこかへ、ぶらっと旅に出たいんだ」「何から逃れたいんだ」「自分のまわりのものすべてから逃げ出したい」「金閣からもか」「そうだよ。金閣からもだ」 敦賀行きは京都駅を午前6時55分に発つ。あまり混んでいない三等の客車で、私は死者たちを追憶していた。有為子、父、そして鶴川の思い出は私の中に優しさを呼びさました。 舞鶴湾。それは正しく裏日本の海。私のあらゆる不幸と暗い思想の源泉。醜さと力との源泉だった。海は荒れていた。突然、私に想念が浮かんだ。「金閣を焼かねばならぬ」 明治30年代に国宝に指定された金閣を焼けば、それは取り返しのつかない破滅である。一見、金閣は不滅と思われがちだが、実は消滅させることができるのだ。どうして人はそこに気がつかぬのだろう、と思った。 その後、三日に渡る出奔は打ち切られた。一歩も宿から出ない私を怪しみ、通報されたのである。私は警官の尋問に答え、学生証も見せ、宿料も支払った。私は私服警官に送られ、鹿苑寺まで帰ることとなった。 それから私が悩まされたのは、柏木からの再三の督促であった。利子を加えた額を提示し、私を口汚なく責め立てた。だが私は黙っていた。世界の破局を前にして借金を返す必要があるのだろうかと思ったからだ。しびれを切らした柏木は、結局、老師に告口をしたのである。 老師から呼び出された私は、「もう寺には置かれんから」と言われた。代わりに柏木には利子を差し引かれた元金のみが老師によって返済された。 柏木は郷里へ帰る前日、鶴川からの4、5通の手紙を見せてよこした。鶴川は私の知らないところで柏木と親しくしていたのだ。彼は私には一通も寄越さなかったが、柏木には書き送っていた。私と柏木との交遊を非難しながら、自分は死の直前まで密な付き合いをしていたのである。手紙を読み進むにつれて私は泣いた。鶴川は、親の許さぬ相手との不幸な世間知らずの恋に苦悩していたのだ。私は泣きながら、それに呆れてしまった。鶴川の死は事故などではなく、自殺だったのである。私は怒りに吃りながら「君は返事を書いたんだろうな」と聞いた。「死ぬなと書いた。それだけだ」 私は黙った。 柏木とのことがあって五日後、私は老師から授業料等550円を手渡された。まさかその金をくれるとは思いもしなかったのだが。 私はその金を持って北新地へ出かけた。金閣を焼こうとしていることは死の準備にも似ていた。自殺を決意した童貞の男が廓へ行くように、私も決行の前に廓へ行った。 その日が来た。昭和25年7月1日である。私は最後の別れを告げるつもりで金閣の方を眺めた。 私は火をつけた。火はこまやかに四方へ伝わった。渦巻いている煙とおびただしい火の粉が飛んでいるのを見た。事前に用意していた(ポケットの中の)カルモチンや短刀のことを忘れていて、突発的にこの火に包まれて死んでしまおうと思った。だが死場所と考えた三階の究竟頂の扉が開かない。鍵が堅固にかかっていたのだ。私は拒まれているという意識が起こった。身を翻して駆けた。左大文字山の頂まで来ていた。ここから金閣の形は見えないが、爆竹のような音が響くとともに空には金砂子を撒いたような光景が見えた。私は短刀とカルモチンの瓶を谷底めがけて投げ捨て、一服した。生きようと思った。(了)
2021.02.23
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