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おはようございます、ひなこです。を、書き出しの決まり文句にしていましたが、本日は、こんにちはになってしまいました。現在シドニーは午後12時を過ぎてしまい、もうモーニングではなくなってしまいました!というのは、今朝はフィッシュ・マーケットに買い出しに行っていたからです。愛しのフィッシュ・マーケット今夜は、寿司だ!むふさて、今は、インターネットのお蔭で、海外にいても日本のことがよくわかりますが、20年前はそうではありませんでした。日本からいらした方から、「今、日本ではSMAPというジャニーズのグループが大人気なんですよ。その中でもキムタクっていう人が大人気で」などと聞いても全く意味不明でした。キムタクというのが木村拓哉さんの略だなんてわかるはずもなく、「そのキム・タクというのは在日の人ですか」と聞いたら、「ひなこさん、日本国籍はく奪ですね。法律が変わって、これからは、スマップのメンバーの名前を漢字で書けないと日本のパスポートもらえないんですよ!」と言われました。「ええ?!そうなんですか?!」(すぐ騙される人)それから半年ほどで帰国する予定があったので、「日本に帰ったらそのスマップとやらを見る」というのが、私の「日本でやること計画」の筆頭に加わりました。(余談ですが、前回ANAで帰国したので、出発前に、既にシドニー・羽田便を利用した方々の搭乗ブログで、どんな感じか下調べをしたのですが、ある方が日本でやることリストに、「ハッピーターンを食べる」と書いていて、私もなんだか感化されて日本でハッピーターンを購入して食べてしまいました)1996年と言えば、森君が脱退した年です。森君は5月31日で脱退しました。そして、奇遇にも私が日本に着いたのが、翌日の6月1日でした。そして、実家に着いたのが6月2日の朝で、日曜日でした。新聞の日曜版に、カラーでスマップ5人のNTTの一面広告が載っていました。ほほー、これが噂のスマップか。初対面です。当然、前知識が一切ないので、誰が誰かもわかりません。唯一覚えていたキムなんとかさんもどの人なのかもわかりません。パッと5人を見て、この中で誰が好き?と聞かれたら、この人だなと思ったのが、今から思えば中居君でした。その写真では、中居君はオールバックにしてました。中居君、今はもうできませんね、オールバック。そして、次の日の夜、スマスマを初めて見て、動いているスマップを初めて見ました。そして、中居君の声も好きだし、踊りもキレがあってすごく上手いし、やっぱりこの人好きだなと思いました。メンバーの名前なんかは、きっとテレビに沢山出ていたし自然と覚えたんでしょうね。中居君は、フジテレビで『勝利の女神』というドラマもやっていました。あれから、今日でちょうど20年。今でも、中居君は第一線で活躍し続け、23歳だった若造も43歳となり、31歳だった私は、51歳になりました。帰省中、実家で、もう昔の写真とか断捨離しちゃおうということになった時、母が今の中居君くらいの年の写真がでてきて、そうしたら、母がちょっと中居君似だったんです。私の母はかなり美人でした(と過去形にすると怒られるか)。私は残念なことに、母に顔は似ませんでしたがー。で、なんだ、私が中居君の顔が気に入ったのは、無意識だったけど、母に似ていたからなのか?!なんてマザコンなんだろう!と唖然としました。中居君は、「俺はファザコンだった」って言ってるけど、中居君のお父さんは北海道の出身で、生前にテレビに出てらしたのを見たら、喋り方が普通に”北海道のおじさん”で、地元びいきの私は、嬉しくなってしまいました。私の友達の一人で、テレビを見ない人(そもそも家にテレビがない)がいるのですが、私が「中居君、中居君」言ってるのは知っていて、ある日、実家で(実家にはテレビがあるから)、テレビに出ている中居君を見て、「好きになってしまいそうになった」と言うのです。それを聞いてすごく嬉しい反面、複雑なファン心理で、「高校生の時、先生に、四字熟語を書けと言われて、”中居正広”と黒板に書いた男を好きになっていいのか?!」などと言ってしまったのは、私です。同じ質問を自分にも、投げ返されそうですが、そういう機転がきく、頭の回転の早いところが、いいじゃないですか!へへへ。今日で、あれから20年なんだなって思ったもので、今日は中居君ネタでした。では、ご機嫌よう!
2016年06月02日
おはようございます、ひなこです。今日から6月ですね。早っ!「今年は申年かあ~」なんて言ってたのが、ついこの間のような気がしますが・・・。今日は衣替えの日だそうですね。夏服になる日なんでしょうか。学校の制服なんかも一斉に変わるんでしょうか。私は一年中冬服でいいような寒い所で育ったので、学校で今日から夏服なんて規則はありませんでしたけど。さて、また、健康ネタになってしまいましたが、今日は血液型の話です。私が中学、高校とあこがれていた先輩がいます。この先輩が世良さん似だったので、彼のことをふと思い出しました。遠くから眺めて、きゃあきゃあ言ってただけなので、どんな声でどんな性格の人なのかということすらも知らなかったのですが、高1の1学期に、どうやら先輩の血液型がRH-らしい、とある筋(どういう筋だ。私が親しくしていた先輩が中学の時、私の憧れの先輩と同じ塾に行っていて実は仲が良かったと発覚した)から聞き及び、私は、「まあ、じゃあ私たちが結婚したらどうなるのかしら」と思って、調べてみました。とんでもなくすごい発想の飛躍ですが、グーグルがなくても、やる気さえあれば調べられた証拠です。図書館にでも行ったんでしょうね。でも、どれもこれも、母親がRH-で、子供がRH+だと、最初の子で母親に抗体ができ、云々と、母親がマイナスのことしか書いてありませんでした。そこで、身近でそのような知識がありそうな、生物の先生に質問してみることにしたのです。こういうことには本当熱心な私です。ある日、授業が終わって、でも教室から出る前の先生を教壇の所でつかまえて、「先生、質問があります」と声をかけました。先生はたまげたと思います。「よりによってお前が生物の質問があるだと?!」という感じだったと思います。蛙の解剖の時、「絶対蛙には触れません!」と断固拒否して、先生に「だったらお前は留年だ!」と言われても、蛙に触らなかったこのひなこが?!って。「いや、あの授業でやっていることとは関係ないんですけど」「なんだ?」「あのですね、血液型でRH+の女の人がRHーの男の人と結婚したら、どうなるんですか?」すると、先生も「RH-のお母さんが・・・」と私の知ったことを説明し始めました。最初は三人称で話していたのに、これを聞いて、私はいつの間にか一人称で、「いや、私はRH+なんですよ。旦那さんがマイナスの時はどうなるか知りたいんです」とダメ押ししました。すると先生が切れてしまって、「お前はなにか、今日結婚するのか?そんなくだらんことに頭を使わず、ちゃんとテストの勉強でもしてろ!馬鹿者!」と怒られました。とほほ。クラスメートにも、「ひなこ、一体どうしたの?先生に何質問したのお?!」とびっくりされました。はっはっは。先生からも答えはもらえず、憧れの先輩も卒業してしまったので、そのことは忘れてしまいました。それから15年くらいしてから、今度はなんと夫がRH-だったことが発覚しました。(本人も知らなかったという。日本人には少ないですが、外国では結構いるみたいです)でも、息子二人はRH+なのは知っていたので、一体どういう遺伝の仕方何だろう、うちの息子の子供がマイナスになる可能性はあるのだろうかと、新たな疑問が沸いてきました。そして時は流れ、インターネットで簡単に調べものができる時代となり、私はついに答えを発見しました!http://komachi.yomiuri.co.jp/t/2011/0317/395073.htm名ばかり臨床検査技師さんの投稿で、納得しました。私が++だったら、夫がマイナスでも、息子は+の子しか生まれない。でも女の子だったら、+-の+の子が生まれて、彼女がRH-の人と結婚したら、-の子が生まれた可能性があった、ということですよね。これで何十年もの疑問が解けました。「人間、興味のあることには、時間も手間も惜しまない」というのが、よく表れている事例かと思います。え?ひなこの妄想少女時代が垣間見えてしまいましたか?そうですね、今なら「馬鹿者」と怒る先生の気持ちが大変よくわかります。S先生、私を留年させないで、進級させてくれてありがとう。(蛙の解剖はやらなかったんですが、蛙の足の骨を黒い画用紙に貼り付けて出すという宿題は、「本当にこれを出さなかったらお前は留年だ」と脅され、泣く泣くやらされました)ちなみに、S先生には、毎年殺す大量の蛙の呪いがかけられていると高校の先輩に聞いたことあります・・・。怖い。では、ご機嫌よう!
2016年06月01日
おはようございます、ひなこです。昨日、ごはん支度をしている時、突然どこから出てきたのかわかりませんが、頭の中で、♪トゥナイト トゥナイトと世良さんの歌声が響き渡りました。村上春樹さん風に言うと、「それはある日の午後に、透明な弾丸のように音もなく飛んできた」ってところでしょうか。えーっと、歌の頭はなんだっけな。♪あーいそづかしの言葉が だめなアンタに似合いさと いつもお前はそう言った男の心の裏側に 唾を吐きかけなじる そんなことのできるやついや、こういうどうでもいいことは、しっかり覚えてますね。あっぱれ自分。でも、タイトルが出てきません。「トゥナイト」じゃないですしね。(そりゃ、シャネルズだ)こういう時のグーグル先生。はい、タイトルは「銃爪」(ひきがね)でした。おお、そうだった、そうだった。動画はこちら。https://www.youtube.com/watch?v=s70LtnWxsVoいやー、世良さん、若い!実は、私は中学生の頃、世良公則アンドツイストのファンクラブに入っていたんです。ははは。中2と中3の時には、コンサートにも行きました。多分先にコンサートに行って、それからファンクラブに入ったのかな。前から2番目の真ん中で見たので、超盛り上がってしまいました。中学の頃は、既に洋楽を聴いていたのですが、世良さんは好きだったなー。デビュー曲は、ポプコンと世界歌謡祭でグランプリを受賞した、「あんたのバラード」。世良さんが大阪でやっていたラジオ番組があって、私は北海道からキュイーンと周波数のダイヤルを合わせて聞いていたのですが、そのラジオで世良さんの言う決め台詞があって、それが、「あんたの世良が あんたに送る ♪あんたの(ここあんたのバラードの音階)ラジオ」っていうものでした。その頃、大阪では「口裂け女」で盛り上がっていて、私はクラスの同級生に一生懸命口裂け女の話をしましたが、北海道ではまだ知られていなくて、誰も相手にしてくれませんでした。が、それからしばらくして北海道にも口裂け女の噂が上陸したのですが、私的にはもうブームが去ってしまっていたということもありました。ネット世代の人には信じられないかもしれないですね。こんな時間差攻撃。そして、2枚目のシングルが「宿無し」。ザ・ベストテンに友達とリクエストハガキ書いたりしてたな、学校で。黒柳徹子さんの、「今週の第1位!世良公則アンドツイストー!」って声が懐かしいです。そして、3枚目のシングルが、銃の爪と書いてひきがねと読む、「銃爪」だったんですね。この頃発売になった1枚目のアルバムも、持っていました。その中では、リーダーのふとがね金太さんが作った「夜明けの恋」って歌が大好きでした。世良さんの作る歌の男女の世界って、独特のものがあって、中学生の私にはよくわからなかったし、大人になった今でも自分からは遠い世界に感じますが、そんな楽曲の間にこの「夜明けの恋」という軽快な曲があってお気に入りでした。♪誰もいない夜明けの街で 一人車を走らせたのさhttps://www.youtube.com/watch?v=71jMRILFQRMあー、中2の夏休みだあ。別に何かあったというわけではないし、女の友達とお祭りに行ったことくらいしか思い出せませんが、この曲はとにかく中2の夏休みの世界がぶわっと広がる曲です。ちなみに、その後は、「性」(さが)。その次の4枚目が「燃えろいい女」で、資生堂のCMソングでした。5枚目、「SOPPO」はよく知りません。なぜかというと、この頃、中3で、「ザ・ベストテンを見ると高校に落ちる」という噂が学校に広まっていたからです。誰が言い始めたんだか知りませんけど、私も見るのを止めました・・・。高校生になってからは、「LOVE SONG」がJALのキャンペーン・ソングになったり、世良さんが結婚したりして、結局ツイストは解散してしまいました。でも、解散前の最後のアルバム「Hip!」は、よく聞いてました。当時はレンタルレコード屋さんというのがあって、レコードを借りて、家でカセットテープに録音して、レコードは返却し、カセットで聞いていました。私は高2でしたが、このアルバムは、バンドをやっている先輩たちの間でもすごく高評価で、私も先輩たちがすごくほめるので聞いてみて、気に入ってました。世良さんはもう60歳を過ぎ、最近では『下町ロケット』に出演されているのをお見かけしました。お元気そうでなによりです。このブログを始める時、こういうコンセプトで、とか、こういう話題中心で、とか何も考えずに始めました。今までは健康ネタが多かったのですが、これから、こういうミーハーな思い出話、結構出てきそうです。なんせミーハー女でしたから。ある方から、「私の祖母はもう90過ぎなのに、竹野内豊の大ファンなのよ。あれが若さと長生きの秘訣なのかしら」と聞いたことがあって、私もそういうおばあさんになりそうだなと思ったことがありました。とりあえず、きれいな女優さんを見たら、「ばあちゃんの若い頃にそっくりだ」と言うのはやりたいですねえ。では、良い1日を!♪きっときっといい1日が来るような気がして (「夜明けの恋」より)ご機嫌よう!
2016年05月31日
おはようございます、ひなこです。今朝はぐっと冷え込んでます。といっても私は道産子。これぐらい平気ですけど。でも北海道の人は、外の寒さは平気でも、家の中が寒いのに弱いですね。冬にはストーブをガンガン燃やして、汗をかきながらアイスクリーム食べるのが北海道ですから。さて、更年期障害には、大豆や大豆製品が良いとよく言われますよね。大豆イソフラボンが女性ホルモンのエストロゲンに似ているとかで。なので、更年期世代のひなこも、できるだけ大豆製品を取るようにしています。日本にいると、毎日味噌汁を飲み、意識しなくても自然と大豆製品を食べていますが、海外にいるとそうもいかないので。日本製の納豆やオーストラリアで中国人や韓国人が作っている豆腐や油揚げを食べています。あとは、こちらのスーパーで、日本製のオーガニック豆乳が買えます。他の製品より高いですが。中国人のお店に売っている豆乳は、安いですが、原材料に砂糖と書いていないのを選んで買っても、しっかり甘いし、オーストラリアの会社が作った豆乳もどうも美味しくありません。そこで、日本製のボンソイというのを愛飲しています。これは、盆栽とかけているのかな?http://www.spiralfoods.com.au/products/bonsoy-milk?cat=41一番最初は、子宮筋腫の手術をした後、お見舞いに来てくれた日本人のお友達が持ってきてくれて、それでこの製品を知りました。それまでは、ALDIというドイツ系のスーパーで売っているオーガニック豆乳を時々飲んでいました。以前は、原材料に昆布が入っていて、そのせいでヨードが多く含まれ、甲状腺に障害が起こったと商品がリコールされ、裁判になっていたこともあったようですが、http://nichigopress.jp/ausnews/news/46457/今は、昆布は入っていません。ハト麦入ってますけど。この製品は、輸出用で日本では売っていないそうです。愛知県岡崎市にあるマルサンアイという会社が製造しています。私、日本では、豆乳って飲んだことないです。日本では豆乳鍋なんていうのもあるんですよね。いつも冷たいのを飲んでいますが、今朝なんかは、あれです、温めて暖かいのを飲むのもいいかもしれないです。試してみましょう。では、ご機嫌よう!
2016年05月30日
おはようございます、ひなこです。村上春樹さんの短編を読み返してみようシリーズ第4回は『カンガルー通信』です。 これは、カセットテープ小説だそうです。文章ではなく、マイクに向かってぺらぺらと喋るという感じで文章を書きたかったそうで、自分ではこの作品がけっこう好きだということです。この話も、タイトルから始まっているのだけれど、まさかこんな奇妙な屈折した話になるとは思っておらず、もっとのどかな話になるだろうと思って書き出したそうです。タイトル、私好きですねえ。カンガルー通信。カンガルーがお腹の袋に「カンガルー通信」を入れて、びよんびよんとやって来て、「やあ、こんにちは。はい、これカンガルー通信のお届けです」なんて持ってきてくれそうな感じがして。でも、そんなのどかな話じゃないんですけどね。語り手は、デパートの苦情受付係の男の人なんですが、理由は、村上春樹さんがデパートに苦情を言う作業に凝っていた時期があったからだそうです。決して悪意でやっていたわけではなく、苦情を言いたくなるようなことが偶然続いたのだそうですが。その経験によると、苦情の処理についてはデパートによってかなり差があるそうです。そういえば、村上さんのエッセイで、一流レストラン(たしかフレンチだったような)に苦情の手紙を書いたけど投かんしなかったっていうのを載せてたのを読んだことあるかもしれない。これが、さすがにプロの物書きだけあって上手いのなんのって。文章が本当に素晴らしい。ただ、頭ごなしに文句を言うのではなくて、相手のことを褒めることも忘れず、この塩加減が難しいと仰っていたと思います。「前回伺った時は素晴らしい食事とサービスを受け大変満足しただけに、今回のことは非常に残念だ」みたいに主張すると、相手も聞く耳を持ってくれるみたいな。冒頭、この苦情受付係が、今朝、近所の動物園にカンガルーを見に行きましたと言っていて、「オーストラリアなんて気の利かない場所」に住んでいる動物としてカンガルーが登場します。この短編、英訳されてるのかな?オーストラリア人はどう思うんでしょう。結構、自虐的に喜ぶかしら。途中で、「ボギー大佐のマーチ」を口笛で吹いています。「ボギー大佐のマーチ」はこちら。https://www.youtube.com/watch?v=qjoN0yaMDSAこれを聴いてから、頭の中で、このメロディーが反復されています。私は、女だからかもしれませんが、このカセットテープを送られてしまう女性の立場で考えてしまうのですが、こんなの送ってよこす男って、頭がおかしいというか、病んでいるというか、こんなのを送られた日には、超怖いと思います。でも、デパートに苦情を言ったら、こちらの住所も名前も知られているから、何をされるかわからない怖さがあるし、でも苦情を言わなくても個人情報を知られているわけだから、警察に行くかも。でも、警察は何もしないのか。一人暮らしだったら、引っ越しを余儀なくさせるかもなあ。などと考えてしまって、読書の楽しみが味わえませんでした。それとも、こんなことを考えるのは、今が2016年だからで、これが書かれた1981年は、もっとのどかな時代だったのかしら。だって、35年前、私が17歳の頃ですからね。途中で登場するエジプトの砂男の話を読んでみたいなあと思いました。『ダンス・ダンス・ダンス』の中で、これに似た感じの話が出てきましたね、そういえば。それから、VUメーターのVとUが何の頭文字なのか、僕(主人公)にはわからない、と彼は言っていますが、これは、VOLUME UNITの略なんだそうですよ。これも、全作品掲載時に、刈そろえる程度に手を入れたそうです。では、ご機嫌よう!
2016年05月29日
おはようございます、ひなこです。村上春樹さんの短編を読み返してみようシリーズ、第3回は『ニューヨーク炭鉱の悲劇』です。 これも題名から始まった話だそうです。これはビージーズのデビュー曲(1967年)の題名だそうで、小説が始まる前に、歌詞の一部の翻訳も載っています。ユーチューブはこちら。https://www.youtube.com/watch?v=F9Q5_ttJBUI今ググってみたら、彼らは英国人なんですね!オーストラリア人は、「ビージーズはオーストラリア人だ!」って言ってますけどね。アイルランドと英国の間にあるマン島生まれ。マン島は、EUには加盟していなくて、まあちょっと本国イギリスと違うところもあるみたいです。そして、一番上のお兄さんだけ存命で、弟2人(双子だったんだ!)は亡くなられているようです。私にとっては、ビージーズと言えば、『サタデー・ナイト・フィーバー』(当時私は中学生)の人という感じで、あれ以降しか知らないですけど、私が3歳の時から活動してたんですね。初めて↑この動画で、「ニューヨーク炭鉱の悲劇」を聴きましたが、こんな感じだったのが、ディスコでフィーバー!みたいになっちゃったんですね。昔からのファンはたまげたことでしょう。村上春樹さんは、この曲そのものは、あまり好きではないそうですが、歌詞にひかれてこのタイトルの小説を書いてみたかったそうです。が、担当編集者は、「ビージーズはおしゃれじゃない」と言って、この作品を掲載することを渋ったんだそうで、「ビージーズが歌おうが、ベイ・シティー・ローラーズが歌おうが関係ないのだ。人はおしゃれになるために小説を書いているわけではない - と思う。」とおっしゃっています。おお、村上さんの口からベイ・シティー・ローラーズの名を聞くとは!おしゃれといえば、村上さんの作品は、ちょっと洒落た会話が有名ですが、これは、村上さんが関西人であることに大きく起因しているのではないか、と私は勝手に思っています。ご本人も、もし自分が東京に出てこないでずっと関西にいたら、小説なんて書いていなかっただろうと発言されていますが、第二言語で書いているから、ああいう会話になるんじゃないのかしら。北海道出身の人の話として聞いたことがあるのですが、その人が東京の大学に進学して東京出身の親友ができ、親友のご両親が、「一人暮らしだから、たまには家庭料理でも食べたいだろう」と家に食事に呼んでくれたんだそうです。で、東京の一家だから、家族で標準語で話しますよね。それを見て、北海道出身の人は、「なんてよそよそしい家族なんだろう」と思った。仲良くないのかなって。これ、私はすごくわかります。でも、東京出身の友達に言ったら、「でも、普通に話していただけでしょ」となるんですが。北海道で、家族の間では敬語(標準語)は使いません。他人でも、親しみを込めた感じだと方言を使うし、偉い人には、よそよそしく標準語と自然と使い分けています。例えば、二条市場では、「おばさん、このイカ、なんぼさ?いやあ、結構するねえ。少し安くならないかい?」(私、北海道弁上手いなあ)とカジュアルに話しても、札幌三越の店員さんには、「すみません、これ、おいくらですか」と尋ねる、みたいな。全然、小説と関係ない話になりましたね。村上春樹さんの小説の中に、関西弁が出てくると、さすがにネイティヴ、上手いです。「そんなん、当たり前やろ」と言われそうですが。この短編は、「死」を扱った話だと思います。村上さんの作品ではよく扱われている題材かな。お話の中に出てくる、ウォーレン・ビーティーとエリザベス・テイラーの映画とは、「この愛にすべてを」The Only Game in Town(1970)のことのようです。私は観たことないです。「愛にすべてを」といえば、クイーンの名曲、Somebody to Loveしか浮かびません。ウォーレン・ビーティーはエリア・カザンの『草原の輝き』を観たことがあります。妙に気に入って、学生時代、英語の本まで読んだことがあります。高校の同級生が大学の講義で使ったのを持っていると私にその本を譲ってくれたのです。そんなに仲が良かった人でもなかったのに、どうしてそんな「草原の輝き」の話をするようなことになったのか、今となってはその経緯は忘れてしまいましたが。全作品のものは、全体的に、刈り揃える程度に手を入れてあるそうです。では、今日はここまでです。ご機嫌よう!
2016年05月28日
おはようございます、ひなこです。村上春樹さんの短編を読み返してみようシリーズ第2回目は、『貧乏な叔母さんの話』です。これは、まあ、ずばり”貧乏な叔母さんの話”なわけですが。ご本人による「自作を語る」によると、これもタイトルから始まった話だそうです。それも、タイトルから書き始めるという執筆作業自体をモチーフにした小説で、二重構造になっています。「つまりこれは、『貧乏な叔母さん』という小説でありながら、同時に「メイキング・オブ・『貧乏な叔母さんの話』になっているわけだ。」「どうしてまた、『貧乏な叔母さんの話』なんていう奇妙な題の小説を書こうと思ったのか、僕自身にも思い出せない。たぶんそれはある日の午後に透明な弾丸のように飛来したのであろう。」この短編も、全集収録にあたって全体的にかなり手を入れてあるそうです。また、もっと年をとって、もう一度書き直すことになるかなという気もしないでもないそうです。物語冒頭に、一角獣の銅像が出てきます。一角獣と言ったら、『世界の終わり』を連想しますが、これは東京に実在する場所にあるものなんだそうですね。雑誌で読みました。それによると、東京メトロ外苑駅前から徒歩5分の外苑前の銀杏並木には、等間隔にベンチが並んでおり、その先の絵画館には、一角獣の姿が見えるそうです。この小説の中に、エーテルという言葉が出てくるのですが、私は意味が分かりませんでした。カテーテルは医療関係だよな、みたいな。ETHER:エーテルとは、かつて光の波を伝える媒質として仮想されていた物質。19世紀末、マイケル・モーリーの実験によって否定された。小説の終わりの方に、女の子の家に電話をかける場面が出てきますが、村上さんの小説はこのパターンで終わるのが多いような。パッと思い出せるだけでも、『ノルウェイの森』『田崎つくると彼の巡礼の年』とか、逆に女の子から電話がかかってくる『スプートニクの恋人』とか。では、今日はここまで。(あんたの終わり方もどうなの、人のこと言えないでしょ、みたいな)御機嫌よう!
2016年05月27日
おはようございます、ひなこです。昨日の胃カメラhttps://my.plaza.rakuten.co.jp/diary/update/public/?d_date=20160526&d_seq=0からの続きで、今日はピロリ菌検査の話です。 胃カメラを行った後、シドニーででピロリ菌の検査をしてくれるラボのHPを見つけ、ピロリ菌検査をしてみたいなと思いましたが、当時、ピロリ菌検査はオーストラリアの国民健康保険、メディケアの適用になっていなくて、結構料金がかかりました。胃カメラで早い予約を取るため高い料金を払ったばかりだったので、その時は、そのHPをお気に入りに入れただけで、検査は行いませんでした。その後で、日本の友達から、「ピロリ菌検査をしたらピロリ菌がいて、治療をして除去したら、とても胃の調子が良くなった」と聞き、再度、私も検査したいなと思いましたが、日々の暮らしに追われているうちに時間が過ぎ、何もしないままでいました。その数年後、今度は違う日本の友人から、「ピロリ菌検査をしたらピロリ菌がいた」と聞き、私も胃の調子がたまに悪くなるのは、ピロリ菌のせいなのではないか、きっとそうに違いないと思い込みだし、検査を受けたくなりました。そこで、夫に、ピロリ菌検査してもいいか尋ねると、「その検査、この前、俺やったな。ピロリ菌いなかったけど」と言うのです。私の知らない間に、ピロリ菌検査は国民健康保険適用になっていて、無料で家の近所のラボでどこでもやっているというのです。そこで、私も長年の希望であったピロリ菌検査のため、早速GPへ向かいました。「先生、ピロリ菌検査したいんですけど。朝から何も食べてないし歯磨きもしてませんから、今すぐできます」と主張。ネットで、歯磨き粉の成分が検査結果に影響を与えると読んできたのです。準備万端です。GPからもらった書類を手に、そのメディカルセンターの階上にあるラボへ行きました。まず、カプセルを飲まされました。後で調べたら、それは放射性物質らしいです。しばらく待ち、その後で風船のようなものをふくらましました。その中の息の成分で、ピロリ菌の有無がわかるそうです。尿素呼気検査というそうです。検査結果は3日後にGPに聞きに行きました。ピロリ菌はいませんでした。本当にちゃんと調べたのかな、というのが私の最初の感想でしたが・・・。ピロリ菌がいないなら、たまに胃の調子が悪くなるのは、全部自分の食べ過ぎのせいというのを認めたくなかったからです。往生際が悪いですね。オーストラリアの隣の国、ニュージーランドに、マヌーカ・ハニーという蜂蜜があります。この蜂蜜がピロリ菌に良いらしいですね。そういえば、私が胃カメラを飲んだ後、夫が買ってきて、「朝一番すきっ腹にティー・スプーン1杯飲むように」と言っていたのを思い出しました。夫が買ってきたのは、蜂蜜についている番号が大きいやつで(その方が効果があって、値段も高価)、色が黒くて、渋みがあって苦い感じで、こんなもの朝から飲めるか、と私は敬遠し、結局夫が食べたんですが。夫の心妻知らず、という感じですね。国民健康保険適用のついでに、今月頭に受けた子宮頸がん検査のうち、thin prep検査(欧米で普及している液体細胞固定液を使った細胞の採取方法)は保険対象にならない、と家に50ドルの請求書が届きました。細胞診検査は無料だそうです。では、今日はこの辺で、御機嫌よう!
2016年05月26日
おはようございます、ひなこです。私が43歳の時のことです。ある朝、胃の裏側の背中に、今まで感じたことのない痛みが走りました。あたかも刺されたかのような痛みです。幸いなことに、実際に、刺されたことはないので、想像の上での表現ですが。場所は、背中ですが、私は胃の調子が悪いとよくその場所がじんわり痛くなっていたので、これは胃だろうと検討をつけ、GP(一般開業医)へ向かいました。 しかし、GPは、「筋肉痛じゃないの?」などと呑気なことを言っています。おい!それでも、「石かしらねえ」とX線を撮るよう命じました。結果、石はありませんでした。おい!私は、胃だと思っているので、「胃カメラお願いしたいんですが」とお願いしました。胃カメラをするのにも、GPの紹介状がいるからです。胃カメラを飲んだことは一度もありませんでした。初めての経験になります。紹介状をもらい、胃カメラの専門機関へ予約の電話をすると、3か月も先の日付を言われました。「それより早い日はないんですか?!」と詰め寄ると、「そうするともっと料金が高くなりますけど」の返事。え?予約の早さも金次第?でも、もしガンだったら、待っている3か月の間に悪くなるんじゃないだろうか、などと思って、じゃあ、と高い料金でお願いすることにしました。胃カメラ当日、胃カメラの専門機関へ出向くと、まず問診表の書き込みがありました。10年近く過ぎた今でも覚えているのが、英国滞在歴に関する質問があったことです。「あなたは1980年代、90年代(だったかな)、英国に12か月以上滞在したことがありますか?」など2つ、3つあったはずです。胃カメラと英国滞在に一体なんの関連性があるんだろう、とすごく不思議に思いました。後で知ったのですが、それは狂牛病と関連する質問でした。私は1984年に一か月英国に滞在しましたが、それはセーフのようでした。日本で胃カメラをした人からは、「もう苦しくて大変」なんて聞きますが、オーストラリアでは、胃カメラは全身麻酔で行います。私もベッドに横になって待っていると、まず麻酔医がやって来て、麻酔をかけられました。「1から順番に数を数えていって下さい」と言われ、「ワン、ツー、スリー・・・」というところまでは覚えていますが、そこから先は何も覚えていません。目が覚めたら全て終了していて、「帰っていいですよ」でした。「胃にポリープが2つできていたので、取りました。それは悪性かどうか検査に出します」とも言われました。そう言われても、すでに取ってしまったという事後報告なので、「はあ、そうですか」としか言いようがありませんでしたが。結果、それは良性のものでした。胃カメラの結果のカラー写真で取る前の胃の中のポリープ2つを見て、「こんなものが私の胃の中にあったのね・・・」と見入ってしまいました。GPに「この黄色いのは胃液なんだけど、普通こんなところに胃液はないものなのね。だから、胃酸を抑える薬を処方しておきますね。あと、脂っこいもの食べないように、炭酸飲料も飲まないこと、オレンジジュースもダメ、云々」と言われました。そこで、はたと気づきました。あの背中の痛みに襲われた前日の夜、うちはオーストラリアの国民食、BBQをしたのです。はい、肉をたんまり食べました。そうか、もう40過ぎたのに、今までどおりむしゃむしゃ肉なんか食べたからああいう目にあったのか。不惑40歳って、やっぱり一つの区切りなのね、と実感です。というわけで、胃カメラがどうだったかの記憶は「ない」ということしか書けないのでした。すみません。では、御機嫌よう!
2016年05月25日
おはようございます、ひなこです。村上春樹さんには、村上春樹全作品という全集があります。 1979-1989編が、全8巻、1990-2000編が、全7巻の、計15巻です。総額5万円以上します。ずっと欲しいなあと思っていましたが、高いので思っているだけだったんですが(こんなことなら、1年に1冊ずつ買っていれば、今頃手元に全冊揃っていたはず)、前回帰国した折、短編集5冊を入手しました。長編は、単行本と文庫で、何度も何度も読んでいるんで、短編を読みなおそうかなと思って。それに、全作品には、私が未読の短編小説も入っているのです。カズオ・イシグロ氏は、長編作家だと思う、と数日前に書きましたが、村上春樹氏は、長編も短編も(そして翻訳も)どちらも書ける作家だと思います。所持品は増えますが、村上春樹氏の全集なら、私が死んだとしても、こちらの図書館に寄付できそうですし。確か、シドニー中心部の図書館は日本語の書籍も置いているはずです。まあ、日本人経営の古本屋もありますがね。でも、あれか、遺言でもしておかなければ、夫はきっと私の日本人の友達に、「全部持って行っていいよ」と渡してしまうかもな。1979-1989 第三巻 短編集Iより、始めてみましょうか。この巻には、2つの短編集、『中国行きのスロウ・ボート』と『蛍・納屋を焼く、その他の短編』から収録されています。『中国行きのスロウ・ボート』これは、単行本で持っていたので、タイトルを聞くと、安西水丸さんの描かれた洋ナシの絵が色彩と共に、頭にパッと浮かびます。読んだのは、短大時代です。今日は、タイトル作品の『中国行きのスロウ・ボート』についてです。普通、日本語表記だと、スロー・ボートになると思うのですが、敢えて、スロウ・ボートにしたところに、こだわりが現れている感じがします。より発音に忠実にしたければ、”スロウ・ボウト”になりますが、そこまですると、やり過ぎな感じで、意味不明ですよね。これは、文庫で読み返していないので(単行本は断捨離で売ったのでもう持っていない)、私が覚えているのは、主人公の僕が、小学生の時、模擬試験を受けに、遠くにある会場(中国人学校)へ行ったということでした。が、その後に、2エピソードも違った展開の話があったんですねえ。まるで、覚えてなかったので、初めて読んだお話のような気持ちで、お得感がありました。(←感想がとっても主婦だなあ)それから、中国行きのスロウ・ボートって、ジャズのスタンダード曲のタイトルなんだそうです。ユー・チューブ、カモン!https://www.youtube.com/watch?v=ecuD3MLR7GEこれ歌ってる人、素人さんなんでしょうか。上手いですよね。この短編は、まず題から始まったそうです。この曲が好きなので、このタイトルでどんな小説が書けるのか、興味があったそうです。あ、村上さんが大好きなのは、ソニー・ロリンズの演奏で有名なオン・ナ・スロウ・ボート・トゥ・チャイナだそうです。ジャズを知らない私には、なんだかよくわかりませんけど。全作品の1979-1989編には、村上さんご自身による「自作を語る」という小冊子が付録として付いています。↑このソニーなんたら情報もそこから得ました。この巻の付録のタイトルは、『短編小説への試み』。それによると、全作品に収められているいくつかの短編には、大幅に手を加えているそうです。この「中国行きのスロウ・ボート」も、全集収録に当たって中盤以降にかなり手を入れたそう。あら、じゃあ私が読んだ単行本バージョンはこれとは、違うんですね。でも覚えてないけど。「オリジナルの雰囲気を変えないように細部の交通整理をしたつもりだが、やはり少しは色合いが変化したかもしれない。」そうなんですか?そう言われると、思わず文庫をゲットして比べたくなっちゃいますね。それとも、今は文庫も全集と同じバージョンなのかしら。「そもそもここは私の居るべき場所じゃない」というのは、海外在住組としては、ふとした時に、心に浮かぶ思いでもあります。でも、だからと言って、今更故郷へ戻ったところで、同じように感じるのかもしれませんが。根無し草、ひなこなのでした。では、御機嫌よう!
2016年05月24日
おはようございます、ひなこです。このブログでも書きましたが、10日ほど前に、左目に緑内障のレーザー手術であるSLT手術をしました。緑内障とは、眼圧が高くなることで、視神経を圧迫し、それにより視神経がダメージを受け、徐々に視野を失っていく病気です。現在、日本の失明原因の第1位だそうです。緑内障にも色々と種類があって、急性閉塞隅角緑内障というのは、突如激しい頭痛、目の痛み、腹痛、嘔吐などの症状が出るそうですが、私のはこれではなくて、原発開放隅角緑内障と呼ばれる緑内障の90%を占めるものです。これは、自覚症状が乏しく、徐々に視野が減少していきます。自分で、「なんだか見えない所がある」と気づいた時には、かなり進んでいて、一度失った視野は元には戻りません。私も、何も自覚症状はありませんでした。それなのに、何故医者に行ったのかというと、私の父が、75歳くらいで、緑内障で片目を失明してしまったからです。父は、自分が緑内障だとは知らずに、治療も受けていなかったと思うので、気づいた時には手遅れだったのだと思います。そこで、母から電話で、「娘だから、遺伝してあなたも緑内障かもしれないから、一度検査を受けなさい」と言われました。父のことは同情しましたが、でも、あまり深刻に受け止めていなくて、自分は医者には行かずにいました。「眼医者、行ってみたかい?」「いや、まだ」また別の電話で、「眼科で検査してみた?」「いや、まだ」という会話を続けているうちに、ある日母が激怒して、「あんたね、目が見えなくなったらどうするの?!目が見えんのは、耳が聞こえんのより、口がきけんのより、一番大変でしょ!」と、ちょっと広島っぽく言いました。そこで、私も重い腰を上げて、眼科に行ったわけです。これまた、GPで紹介状をもらいというところから始まったわけですが。そうしたら、緑内障と診断されたんです。まず、近視である(これが一番の元凶らしいです)、眼圧が高い、年齢が45歳以上、家族に緑内障の人がいる(それも親)というわけで、どこからみても、立派な緑内障でした。中国系マレーシア人の女医さんなのですが、「自覚症状もないのに、どうして緑内障を疑って受診しようと思ったのか」と聞かれたので、「母に言われました」と答えると、「昔から言うでしょ。母親の言うことは聞いておけって。いや、本当お母さんの言うこと聞いて、受診して良かったわね」とのことでした。その時46歳と7か月。緑内障の目薬を点し始めました。時々、目薬を変えたりして、するとアレルギーが起こったりして、なんていうのを早くも5年続けているわけです。で、左目の眼圧が先生が希望する数値までは下がらず、視神経も左の方が弱いということでダメージを受けやすいからと、先日のレーザー手術になったのです。半年に1回、眼圧チェックに眼科へ行き、1年に1回の視野検査、眼底検査も、6か月毎、交互に行われています。おかげ様で、この5年で視野の欠損は進んでいません。痛くもなんともないですが、緑内障は、こうやって地道に目薬をさして予防するしかないそうです。私の父だって、30年くらいかかって見えなくなったんだと思います。薬は何でも副作用がありますが、緑内障の目薬を点すと、目が充血します。知らない人は、「昨日よく眠れなかったの?」と寝不足を疑います。あとは、毛深くなるんです!まつげがいっぱい増えて長くなりました。日本の若い娘の中には、これが目的で緑内障の目薬を使う(点すのか塗るのか知りませんが)人もいるらしいです。そんなことして、いいんでしょうか?!近視で、45歳以上の方、私の父のようにならないためにも、一度、眼圧検査されてみてはどうでしょうか。もしかしたら、私のように緑内障が発覚するかもしれませんよ。では、今日はここまで。御機嫌よう!
2016年05月23日
おはようございます、ひなこです。なんと、ブログ、ひと月続きました!筆子さんが、30日間チャレンジを推奨されていますが、私もなんとか30日続きました。感慨深く、でもささっと読み返してみたら、誤字脱字が結構ありました。一応、読み返してからアップしてるんですけどね。私は、他人の書いた物の間違いは、ビシバシ見つけるのですが、自分の間違いが見つけられません。「人に厳しく、自分に甘い」、嫌な性格です。15年ほど前に、上司に言われた言葉を思い出しました。(その時は働いていた)「ひなこさんは、きっと自分のことが大好きなんだよ。人間、好きな人の間違いって見つけられないものなの。だから、自分の作った文書を読み返す時は、嫌いな誰かを思い浮かべて、その大嫌いな奴が書いたものだと思って読めばいいんだよ。ひなこさんだって、嫌いな人の一人や二人いるでしょう」そう言われても、誰も浮かばなかったのですが。自分が好きというか、若い頃は「仕事のできる女の子」だったので、未だにその時のままのつもりの自分がいるのかもしれません。そして、他人のことは信用していないんでしょう、きっと。だから、他人の間違いは、すぐ見つけると。ハハハ。特に何も考えずに始めましたが、1か月続いたのは、自分でもびっくりです。これからも、ボチボチ続けていけたら、よいですね。頭の体操にはなっているのかは、不明ですが。先週、冷凍庫と冷蔵庫に「なんだ、これ?」と思ったものがそれぞれありました。冷凍庫にあったのは、サーモンの刺身、冷蔵庫にあったのは、えのきだけから作ったなめたけでした。入っているのをすっかり忘れていたわけです。とほほ。では、今日はここまで。御機嫌よう!
2016年05月22日
おはようございます、ひなこです。今月頭から続いたがん検診やらなんやらに全て陰性の結果が出まして、2年間後まで何もしなくてよくなりました。もちろん、その前に何か異常を感じたら医者に行かねばなりませんが。2年前に初めてマンモグラフをした時、友達から痛いと聞いていたのに全然痛くなくて、私って痛みに鈍感なのかしらと思ったのですが、今回の技師の女の子は、あなたはまだ訓練生?という感じの慣れてない子で、失敗につぐ失敗で何枚も何枚も撮られ、痛いのなんのだったので、そうか2年前のあのおばさんは、慣れてて上手かったんだと今になって知りました。左目のレーザー手術の後、1週間点すよう言われたステロイド目薬も昨日で終了しました。眼圧、下がっているといいんですが。今日の話は、顔のほくろを2つ取った話です。これは、本邦初公開、誰にも言ってない話です。(母と夫を除く)あれは、ちょうど5年前のことですね。46歳の時です。実は、その半年ほど前に子宮筋腫の手術をしました。私は46歳から緑内障の目薬も点すようになったし、子宮筋腫の手術もしたし、急に体にガタがきた感じでした。今だったら怖くてできなかったと思うのですが、その時は、13センチもお腹を切ったのに比べたら、2ミリや3ミリのほくろの1つや2つ取ることなんて朝飯前、ア・ピース・オブ・ケークという感じだったのです。ことの始まりはというと。私の右の眉頭の横にあったほくろが、ぷくっと盛り上がってきて、その後色が抜けてしまいました。すると、ぱっと見いぼのようです。それで、日本に帰ると母が「あら、ひなこ、あなた顔にいぼがあるわよ」と言うのです。ほくろだとそうでもないですが、いぼとなると、人はうつるんじゃないかとか、途端に気持ち悪がります。そこで、「これはほくろだったんだけど、色が抜けたの」と説明しました。ところが、母も高齢なものですから、その次に帰省した時、同じことを言われました。そのうち、左の小鼻の横にあったほくろがぷくっと盛り上がってきて、あろうことかこれも色が抜けてきたのです。これでは、今度母に会ったら、「顔に2つもいぼがある!」と言われてしまいます。それで、皮膚科で取ってもらうことにしたのです。これも、まずはGP、一般開業医へ行きます。確か、眼科医へ行く紹介状が必要だったのでGPへ行った時に、ついでに皮膚科の紹介状も書いてもらったんだと思います。しかし、GPは、見た目がどうしたじゃなくて、皮膚がんの疑いもあるから調べた方が良いという言い方をしていました。はい、オーストラリアは皮膚がんの多い国です。白人には、太陽光線が強すぎますからね。そして、紹介状を持って皮膚科へ行き、初回はほくろを取りたいと説明し、手術の予約を入れました。そして、手術。術後、経過をみるためもう一度行ったと思います。先生に、どうしてこのようなこと(ほくろの色が消えていぼみたいになる)が起こるのでしょうかと聞いたら、一言、「老化です」と言われました。ガーン。切った物は検査に出しましたが、ガンではありませんでした。ちなみに、その次に帰国した時、自分の方から母に、「お母さんがいぼ、いぼってうるさいから、ほくろ取ったのよ」と言うと、母は自分がそんなこと言ったのを全く覚えていなくて、「あ、本当だ。よーく見たら切った痕がうっすらわかる」と言われました。しかし、他の誰にも「ほくろ取ったの?」と聞かれることもなく、他人というのは私の顔なんて、実は見てないものなのだということがよくわかりました!本当に誰一人、何も言いませんでしたよ。自分としては、ずいぶん見た目が変わったなー、お金のある人が美容整形する気持ちもわからなくもないなって思ったんですけどね。それから、手術後に貼られた絆創膏の色が、非常に白くて、これって白人用だからなのか、と疑問に思いました。もっと色の濃いものもあるんだけど、ひなこは色白だからこれにしてくれたのか、それとも肌の色に関係なくこれしかないのか、今でも疑問です。こんな5年も疑問に思うくらいならあの時聞けばよかった。「これ3パターン色の濃淡があるのよー」とか聞けたかもしれないのに。先にも書きましたが、今、もし顔のほくろを取れと言われても、怖くてできません。自分のことですが、5年前の自分に「よくそんなことできたね」と声をかけますね。明日でなんと、ブログ開始から1か月!では、御機嫌よう!
2016年05月21日
おはようございます、ひなこです。タイトルにある言葉は、村上春樹さんの短編小説『午後の最後の芝生』に出てくる一節なのですが、カズオ・イシグロ氏を思い出させる言葉です。 彼の小説は、全作品を近所の区立図書館で借りて読みました。英語の本は、図書館で借りて読むと、「返却日まであと何日!」とプレッシャーがかかって読めるので、私には良いです。日本に帰った時に、日本語訳でも読んでみようかと、書店で文庫を手に取ってはみたのですが、最初に英語で読んでしまったので、「何か違う」と思って日本語で読むのは止めて、特にお気に入りの3冊の英語版を購入しました。その3冊がこちら。↓<私が勝手に決めたカズオ・イシグロ番付>東大関 『A Pale View of Hills』『遠い山並みの光』デビュー作です。昔の日本を舞台にした作品を英語で読むという、ミスマッチ感覚が良かったです。原節子さんの出てくる小津安二郎映画を見ているような気分。西大関 『The Remains of the Day』『日の名残り』ブッカー賞受賞作。英国を舞台にした、執事の話です。アンソニー・ホプキンス主演で映画化もされてます。横綱 『The Unconsoled』『充たされざる者』賛否の別れる作品ですが、私は大、大、大好きです。カフカの不条理へのオマージュなのかもしれません。寝ている時に見る夢の世界のようです。最高作品とよく言われている、『Never Let Me Go』『私を離さないで』が入っていませんが、私は上記の作品の方が面白かったです。関脇を決めろと言われたら、『When We Were Orphans』『私たちが孤児だった頃』を選ぶかもしれません。カズオ・イシグロ氏は、1954年、長崎県生まれなのですが、5歳の時、お父様のお仕事の関係で渡英し、その後は英国で育った日系英国人作家です。デビュー作と、2作目の『An Artist of the Floating World』『浮世の画家』(浮世絵師の話だと信じて疑わず読み始めたのは私です)は、日本が舞台の小説です。彼は、元々ミュージシャンになりたかったそうで、小説家になろうなどとは、思っていなかったそうなのですが、自分の中にある日本の記憶というものを残しておきたくて、小説を書き始めたのだそうです。現在は、村上春樹さんの世界的な活躍などもありますが、1980年代当時、欧米の読者は、イシグロさんの小説を読んで共感するというよりは、一歩下がった視点で、「へえ、日本では、こうなんだ、日本人ってこうなんだ」という風に読まれることが多かったそうです。彼としては、国籍がどうとか関係なく、「わかる、この気持ち」といった率直な共感をしてほしかったそうで、そういう反応にちょっとフラストレーションを感じ、万国共通にわかりあえるものとは何なのか、と考えていた時もあったとか。3作目は、打って変わって、舞台は英国になり、これぞ大英帝国的な執事の話なので、「じゃあ、これは欧米読者の共感を得るための策だったのだろうか」と勘ぐったりもしますが、彼がNHKのテレビに出演した時に発言していたのによると、最初にあったのは、「自分の職業に身も心も捧げている、仕事のためにプライベートなどは捨てているような男の話を書きたい」ということだけだったそうです。その時は、男の職業なども特に考えていなかったんだそうです。その後、職業を執事と決め、執事と言ったらやっぱり英国かなと思い舞台を英国に決め、それから時代設定をしていったとか。4作目の『充たされざる者』は、先に触れましたが、世界共通にわかりあえるものとは、と考えていた時に、奥様が「夢って世界中同じじゃない?国籍とか関係なしに、寝たら夢を見るのは皆一緒」と言ったことがあって、それにインスパイアされて書いたのが、この作品だそうです。なるほど~。代表作と言われる『私を離さないで』も、世間が読んでいる読み方を意図して書いたわけではないそうで、この作品は最初から最後までを3度ほど書き直していて、結局こういう話になったけれども、一番言いたかったことは、誰にとっても人生は短いということ、必ず終わりが来るということ、それから、子供時代というのは誰でもこの小説の中に出てくる子供たちと大差なく、わからないことだらけといということなどだそうです。それから、彼の作品で意識していることは、メタファー。メタファーって「まるで綿菓子のような雲」という文の比喩ではなくて、作品全体がメタファーというレベルだそうです。これは、『The Buried Giant』『忘れられた巨人』に顕著かもしれませんが、その作品の時代背景、場所などがもう全部メタファーって思える作品を目指したいとのこと。ちなみに、この『忘れられた巨人』は、10年ぶりの新作でした。日本の作家だったら、考えられないですよね。これで作家として生計を立てられるというのが。英語を話す人口と日本語を話す人口を比べるのもなんですが。カズオ・イシグロの魅力は、まず文章が美しい!そして、1作1作、それぞれ、違う話なのに、でも、しっかりカズオ・イシグロの世界がある。記憶というのが、大事なキー・ファクターになっているので、私も記憶について考えたりしました。小さい時に住んでいた場所に大きくなってから行くと、「この道、こんなに狭かったの?」とびっくりしたりすることがありますよね。あとは、高校時代の友人と話していて、なぜか二人の記憶が全く違っていたり、ある出来事について、二人の覚えていることが全く別の対象についてだったりして、これは、カズオ・イシグロの世界だ!と思ったこともあります。短編集も読みましたが、彼は長編の方があっているというか、彼は長編作家だなと思いました。イシグロ氏は私より10歳年上だし、この次の新作も10年後とかだと、次作はあるのか、読めるのかわかりませんが、そうなったら他の本も入手して、するめをかむように、じわじわ楽しみましょうかね。では、今日はこの辺で。御機嫌よう!
2016年05月20日
おはようございます、ひなこです。季節感、無視でお送りしております。今日は、盆踊りの話です。『子供盆踊り唄』、北海道で、盆踊りと言ったら、なんといってもこれです。というか、私たちは、これが日本全国、盆踊りのデフォルテだと思っています。私も、これが北海道独自の文化なのだと知った時は、かなりびっくりしました。北海道の百人一首は、取り札が木製で、下の句しか読まないというものなんですが、これは、「内地(本州)では、取り札は紙で、上の句も読むんだよ。北海道は違うんだよ」って、大人が教えてくれましたが、盆踊り唄に関しては、そんなことは全く聞いていませんでした。先日、ユー・チューブで発見して、非常に懐かしかったです。https://www.youtube.com/watch?v=1TqRRjwiGd0歌詞はこちら。http://www.mahoroba.ne.jp/~gonbe007/hog/shouka/kodomobonodoriuta.htmlこんな、フルの歌詞、初めて知りました。盆踊りでは、3番くらいまでをリピートさせてたと思います。これを知らない道民は、いません。当然、北海道の星、大泉洋ちゃんだって知っています。うちの息子も知っています。(私の実家が北海道だから、彼らにとって日本とは、つまり北海道!)先日、帰省した時、長男(成人してます)が言いました。「今度来る時は夏に来て、そして盆踊りに行く!」すると、私の両親が言いました。「もう子供がいないから、ここの町内会で盆踊りなんてやってないよ」え?!そうなの?そうだよな、確かに子供いないもんな。年寄りしか見ません。というわけで、日本の少子高齢化問題を垣間見た一時帰国の出来事でした。では、ご機嫌よう!
2016年05月19日
おはようございます、ひなこです。このブログを始めるインスピレーションをくれた筆子さんは、ミニマリストを自称されておられる方です。私は、自分のことをミニマリストだとか思っていなかったのですが、自分との共通点が結構あったので、そうか、普通の人はこうじゃないんだなと知りました。持っている靴が4足で、その内訳が、夏用サンダル、冬用ブーツ、スニーカー、お出かけ用と同じだったりとか。また、筆子さんは、貯蓄についても書かれています。私の場合、日本にいる時は、海外に行くためにお金を貯め、海外に出てからは日本に帰るためにお金を貯めねばならない生活だったので、自然とお金を使わない生活が身についてしまいました。そのかわり日本に帰った時、私にしては買い物します。日本で、まとめ買いして帰ってくるのです。まあ、日本経済に貢献するほどの額ではありませんけどね。また、海外生活のため、何かあったら自分は日本に帰らねばならないのだという思いから、スーツケース一つで所持品がまとまる生活を目指していました。 以前はエコノミークラスの預け荷物は20kgの重量制限でしたが、現在、シドニー発の日本の航空会社は、紅組JALさんも、青組ANAさんも、23kgのスーツケース2個、46kgが無料となっています。なので、気持ちとしては、ちょっと緩くなって、今はスーツケース2個の気分ですが。しかし、気分は緩んでも、実際の体力は落ちているので、重い荷物を扱うのは段々と大変になってくるから、本当は今でも20kgと思っていた方がいいんでしょうね。なので、実家に帰ると、どうしてこんなに沢山物があるんだろうと思って、「どうしてこんなに物があるの?どんなに集めても、死んであの世に持っていけないんだよ」などと不用意なことを言い、親を怒らせたりしていました。あの頃はまだ、親も60代でしたから若かったんですよね。今は、80を過ぎましたので、母は、せっせと断捨離をしています。でも、もっと若い時に捨てておけばよかった、年を取ると、捨てるのも大変だ、と言っています。まあ、私から見ると、それでも、まだまだまだまだ、沢山物がありますが。父は、断捨離、断固拒否中です。捨てないから当然父の物がすっごく沢山あって、本人はいいかもしれないけど、残された捨てる人(多分、私)が、かわいそうですよね。がんばれ、私!引っ越しすると物が減る、と言いますが、私の場合もそれと同じ理屈で、常に引っ越し(帰国)を意識した生活で、所持品を増やさないでいられていると思います。あ、でもまだ日本にいた若い頃から、雑誌の収納特集とか見ると、「そんなの物を捨てればいい話ではないか!」と思って、どうしてこんな特集が組めるんだろう、と思っていたかも。私が編集者だったら、「読者の皆さん、家を片付けたかったら、物を捨てましょう!」と書くなーって。家を片付けるために、と収納ケースを購入した友人に、「それ、間違ってるって。あんたは、家に余分な物を増やしただけ。すべきことは、何かを買うのではなくて、捨てること!」と言ってしまったこともありました。すまん、友人。日本のちゃぶ台でごはんを食べて、食べたら食卓はたたんでしまえて、布団も起きたらたたんで押入れにしまって、という生活は、家具が少なくて済むし、掃除もしやすいし、いいなあ、と年と共に思います。ソファーやベッドを動かして、それらの裏や下を掃除するのは、年々大変になってきています。でも、足を怪我したりとか、病気で体力が落ちて床から起き上がるのが大変だったりすると、椅子やベッドの方が楽なのか。一長一短ですね。そんな物持ちの少ないひなこさん宅は、さぞや、すっきりしているんでしょうね、と思われそうですが、夫の物が溢れているので、そんなことはありません。旦那さんの物は全てガレージに押し込んで、家の中をすっきりさせている奥さんを知っていますが、私は恐ろしくて、そんな提案はできません!では、ご機嫌よう!
2016年05月18日
おはようございます、ひなこです。昨日、2週間前に行った、子宮頸がん検査の結果が郵送されてきました。陰性でした!次の検査は2年後にして下さいとのことでした。今日のお題は、カルチャー・ショックです。オーストラリアに来たばかりの頃、オーストラリア人に、「なぜあなたは、おつりを受け取る時、サンキューと言わないのですか」と指摘されたことがあります。私は、「え?お客さんである私がお礼を言うのですか?」と聞き返しました。すると、「はっきり言わせてもらえば、おつりを黙って受け取るあなたはとても無礼に見える」とのこと。そこで私は、「日本では、お店の人がお客に対してお礼は言うけど、お客の方がお礼は言わないのが普通だから、私はそんな無礼なことをしていたつもりはないんだけど」と説明。「とにかく、この国にいる間は、日本の習慣は忘れて、おつりを受け取る時は、サンキューと言った方がいい。そうじゃないと感じが悪いわよ」と更なるダメ出し忠告。それから、気を付けて観察してみると、確かに、おつりを受け取るお客さんは、たとえ店の人がおつりを渡す時無言であっても、「サンキュー」とか「タ」とか必ず言っています。ところ変われば品変わる。郷に入っては郷に従え。なるほどー。そして、これに慣れて日本に帰ると、日本では、お店の人があーだ、こーだ言っているのに(「おはようございます、いらっしゃいませ~」、「よろしかったらどうぞ、お手にとってご覧ください~」云々)、お客さんは無言で、「おい、なんか返事してやれよ」と思ってしまいます。コミュニケーションが成り立ってないぞ、みたいな。私が19歳の時、初めて海外に出た時、宿泊していたB&Bのおじさんに階段で出会って「ハロー」と言われ、私は日本から着いたばかりで、日本風に、ニコッと笑って会釈したら、「君には口がないのかい?」と言われたことがあります。そうか、日本のように、頭下げたり、会釈じゃだめなんだ。しゃべらなあかんのや、と学びました。言語によっては、A「こんにちは」B「こんにちは」A「元気?」B「ええ、あなたは元気?」という会話が、最初のAさんと2番目のBさんでは、意味は同じだけど言葉使いが違っていたりするということも知り、これぞ、まさしく、言葉のキャッチボール!と思いました。ちなみに、海外在住経験のある友人は、日本で、お店の人に「いらっしゃいませ」と言われると、いちいち、「あ、どうも、こんにちは」などと返事をするのですが、これも海外で身に着いた習慣だと思います。そういえば、私もモルモンのお兄さんに「こんにちは」って日本語で挨拶されて、「こんにちは」と日本語で答えたら、「あなた英語話せるでしょ」と言われたことがあったな。「どうしてそう思うんですか」と日本語で聞いたら、「普通の日本人は、僕たちが挨拶しても返事しないから」と言われました。うーむ。友達のことを言えません。私も国籍不明になりつつあるのかもしれませんね。では、今日はこの辺で。ご機嫌よう!
2016年05月17日
おはようございます、ひなこです。2年前に、パスポートの更新をするため、韓国人が経営する近所の写真屋さんに証明書写真を撮りに行きました。「あなた、オーストラリア人?オーストラリアのパスポート作るの?」と聞かれたので、「いいえ、私は日本人で、日本のパスポートを作ります」と答えると、「オーストラリアのパスポート写真は眼鏡着用が禁止なので聞いたんですよ」ということでした。はい、ひなこは遠近両用眼鏡を着用しています。眼鏡を取らずに、スタンバイしていると、「でも、やっぱり眼鏡とりましょう」と言われ、「いや、だから私外人なんです」と主張するも、向こうも主張するので、私が折れて眼鏡なしのパスポート写真となりました。今年になってから一時帰国した時、シドニー空港の出入国は、全て機械化されていました。ICチップのないパスポートだとできないと思いますが、日本のパスポートはオーストラリア人同様、機械で全部済みます。私は、すっかりテクノロジーについていけていないおばさんになってしまったので、まずは、シドニー空港での初めての機械による出国にドキドキです。緊張した面持ちで、そっとパスポートを機械に入れると、スーッと戻って出てきたので、「おお?!」と焦ると、後ろの人(息子ですが)に「パスポートの向きが逆」と指摘されました。あれえ~。そこで、気を取り直してパスポートを正しい向きにして機械に入れると、受理され、前に進んでカメラに向かって眼鏡を取って立ち、顔を認証してもらいます。そうか、このために眼鏡を取った証明写真が必要だったのか。私のパスポート写真は、BBクリームをたっぷり塗って若作りしてる写真なので、「どうしよう、このすっぴんの疲れた顔のおばさんと同一人物と見なされなかったら」と心配しましたが、どうやら顔色やらみかけ年齢で認証するのではないようで、なんとか同一人物と見なされ出国できました。ああ、良かった。そして、せっかく記入した出国カードは、設置してある透明な箱の中に入れました。ゴミになったのでしょうか。もう、出入国カード書かなくてよくなったのか?!2年前にパスポートを新しくした折、移民局のHPを見たら「新しいパスポート番号を知らせるように」と書いてあったので、用紙をダウンロードして郵送しました。そして、出国時に、古いパスポートと新しいパスポートを両方持って行きました。すると係の人に「新しいパスポートに情報は入力済みですから、これ以降は古いパスポートを持ってくる必要はないですから」と言われました。それまで、オーストラリアの永住ビザは、シールがパスポートに貼ってあったので、「移民局に行ってシールを貼ってもらわなくていいんですか」と聞いたら、「もうシールはいらないのよ」と言われてしまいました。新制度についていってないひなこです。そういえば、ある歯医者さんが、未だに出入国カードを書かせるオーストラリアの制度に抗議して、入国カードに「職業、配管工」と書いてみたんだそうです。そうしたら、係員に「あなた歯医者なのに、なんで配管工なんて嘘書くんですか?!」と言われ、「コンピュータに俺のデータが入っていてわかっているなら、なぜこんなカード書かせるんだ!時間の無駄だ!」と主張したそうです。いや、歯医者さんだからそれで問題なく入国させてくれたんだろうけど、あのカードに「ここに書かれていることは全て真実です。嘘が発覚したら罰金払います」と署名させられてたはずです。もし、私が「年齢、23歳」とか書いたら、有無をいわせず、即、罰金だったと思います・・・。一方、日本の出入国は、昔ながらの対面式でした。入国日のスタンプをポンと押されるというやつですね。日本の自動ゲートは、登録が必要のようですね。ひなこは登録してません。でも、外国人ブースはすごい人で大混雑していましたが、日本人ブースは閑散としていて、あっという間に入国できました。余談ですが、以前久々に日本に一時帰国した折、成田で、女性の係員の方にスタンプを押しながら、「お帰りなさい」と優しく言われたことがあります。不覚にも、涙が出そうになりました。「わーん、ただいまー!!(涙)」みたいな。他の人に言われたことはないですが、あの人、良い人だったなー。そして、オーストラリアに帰って来て、入国する時は、入国審査の場所に到達する前に、日本のパスポートを持っている人は、この機械を使えますよ、という表示がいくつもあって、係の人が横に立っていました。これも、私は初めて見ます。その機械にパスポートを入れると、日本語でいくつか質問が出てきて(どんな質問だったかよく覚えてませんが、所持金一万ドル以上持っていますか、とか入国カードで聞かれることのような質問だったはずです)(追記:結核にかかったことあるか。犯罪を犯したことあるか。ここ最近アフリカと南米に行ったかの3つでした)、それに画面上で答え、カードが機械から出てきて(出てきたはずです。寝不足で記憶が曖昧ですみません)、それを持って入国審査の場所へ進みます。入国審査のところでは、また機械の前に眼鏡を取って立ち、顔の認証をされ、入国となります。入国スタンプはなしです。なんらかの理由で、出入国のスタンプがいる人は、日本もオーストラリアも、係員に声をかけて押してもらえるようです。(2年後のボケたひなこの話はこちら。https://my.plaza.rakuten.co.jp/diary/update/public/?d_date=20160516&d_seq=0)そういえば、機内で、オーストラリアの検疫カードをクルーが配って、記入した記憶があります。あれは、検疫の人に渡しました。オーストラリアは食品の検疫にうるさい国なので、私は食べ物をほとんど持って帰らないのですが、最近、申告なしのレーンに並ぶと、するっと検査なしで出国できます。以前よりは緩くなってきているのかしら。では、今日はこのへんで、御機嫌よう!
2016年05月16日
おはようございます、ひなこです。こちらオーストラリアは、南半球にありますので、季節が逆で、今は秋です。焼き芋、食べました。美味しかった~。以前は、オレンジ色の水っぽいサツマイモしか売ってなかったんですが、最近は皮が紫で中が白い、甘いほくほくサツマイモが売っています。オレンジ色のサツマイモよりちょっと高いですが。海外に出ると、日本のサツマイモとかぼちゃの美味しさを再確認します。海外のサツマイモとかぼちゃは水っぽいです。あとは、日本の桃!あれは、他者の追従を許さないという感じですよねー。30年前に初めてオーストラリアに来た頃、オーストラリア人が皮をむかずに桃を食べているので、「そんな毛のはえたものをよく皮ごと食べれるもんだ」とびっくりしたのですが、自分で買ってみたら、オーストラリアの桃は日本の桃のようにするっと皮がむけないんです!それで、皆皮ごと食べていたんだ。っていうか、皮はむけないし、不味いし、日本だったら商品として成り立たない代物です。今は、ネクタリンが出回っていて、甘いネクタリンが食べられますけどね。ネクタリンなら皮ごと食べられるし。とうきび(北海道弁)も、30年前は、スウィート・コーン品種ではない、おいしくないとうきびでした。で、皮をむいている時に、なんだか腕がちくちくするなーと、腕をみたら、青虫が2匹歩いてました。ぎえええええ!どんだけ、遅れていたんだろう、オーストラリア。それとも、無農薬で身体には良かったんでしょうか。当時、私が働いていた会社とお付き合いのあった日本の会社の方で、日本の本社の方から「何かオーストラリアから日本へ輸出できる商品を見つけるように」と言われたけど、何がいいだろうと話している方がいました。その方が、「とうもろこしなんて、どやろ」と言うので、「あきまへん。あれは日本では誰も買いません。不味いし、青虫付きです」と答えたことがありました。話がそれました。秋の食べ物の話でしたね。あとは、サンマが無理なので(日本人経営のスーパーに行けば、冷凍ものが売っているかと思いますが)、イワシをフィッシュマーケーットで買ってきました。半分は塩を振って焼いて、半分は煮物にしました。焼いた方が美味しかったです。果物は、柿や二十世紀梨(オーストラリア人はNASHI PEARと呼びます。普通にPEARと言ったら、洋梨のことです)も、秋だなーって感じますね。みかんも、売ってます。種がいっぱいで食べづらいですが。でも、食べ過ぎは厳禁です。腹八分目って言いますが、50を過ぎたら、腹6分目でいいんだそうですよ。では、今日も良い1日を!御機嫌よう!
2016年05月15日
おはようございます、ひなこです。今朝は、ブルーベリーと、最近はまっているトマト納豆(オクラの種パウダー入り)を食べました。米倉涼子さんが、ビストロ・スマップに出演された時に、トマトやアボカドと納豆を混ぜて朝ごはんとして食べると実演して披露されていました。豆腐と一緒に食べたりもすると言っていたけど、ご飯のおかずとしてではなく、彼女はこれだけを食べているのでしょう。その時、木村君が「へえ、トマトと納豆って新しい」と言っていたけど、私も同感で、試してみたら、結構いけたので、最近トマト納豆食べてます。今日は、身体に良いと聞いてきて、夫が仕入れてきた「オクラの種のパウダー」も入れてみました。 さて、昨日、遂に左目のSLT手術を受けました。眼科医に予約時間の5分前に行くと、通常通りの視力検査、眼圧検査を検眼士から受け、その後、瞳孔を小さくする目薬を左目にさされました。この目薬は、眉毛の上のあたりに頭痛を感じる人もいるとかで、「頭痛がしたらパナドール(痛み止め)をあげるから、言ってね」と言われました。「あなたは、すごく落ち着いている」と言われたので、「いや、もうめっちゃ緊張してます。怖いです」と言ったら、「じゃあ、それを表に出さないタイプなのね」と言われましたが、うーん、どうなのかな。その後、頭痛いのは嫌だなー、と待合室で待っていましたが、副作用の頭痛は起きず。30分後くらいに、主治医の眼科医に呼ばれ、レーザーの機械のある小部屋へ案内されました。ここでも、「頭痛くない?」と聞かれ、「大丈夫です、痛くないです」と答えると、「あの目薬さすと、頭痛になる人いるから」とのこと。機械の前の椅子に座り、今度は麻酔の目薬を左目にさされ、しばらく目を閉じているよう言われます。深呼吸。「ここにアゴを乗せて、やさしく視線を下に、下を見て下さい」 はい。「これから、鏡を装着しますね」 鏡?上瞼と目の間に何かが入りました。「はい、では、まっすぐ前を見ていてください」前は暗い中にライトの光が見えるという感じです。「では、始めますよー」ビチッと音がして、赤い光が見えます。それと同時に、上の目の奥の方にじんわりと鈍痛と軽い衝撃。場所が移動しているのがわかります。怖いので、腰がひけていたようで、途中「機械のここにちゃんとおでこ着けて下さいね」と指摘される。一通り終わった後に、また最初の場所に戻って、繰り返している模様。「はい、終わりましたよ」え、これで終わり?左目に眼帯のようなものを付けられ、「これは、ステロイド入り目薬の処方箋です。一日4回、左目だけに1週間さして下さい。一か月後にチェックアップに来るように。帰り受付で予約入れて下さい」そう言って先生は立ち去ろうとしたので(患者が沢山待っているから超多忙)、「あ、あの顔は洗っていいんですか」と尋ねると、「大丈夫です」「そうなんですか?!」「あなたが手術したのは、目のずっと奥ですから」「では、通常の生活でいいんですね」「はい」ここで、もう一度目薬の確認をしました。多分、頭がボーッとしてたんだと思います。「一日4回って言われましたっけ?」「そうです、一日4回です」「それをどれだけ続けるですか」「1週間です」「それで、一か月後に来るんですね」「そうです」「普段の緑内障の目薬はどうするんですか」「通常通りさしてください。片目だと遠近感がわからないから、旦那さんにしっかりつかまって歩いてね」「この眼帯はいつまでつけておくんですか」「家に帰ったら取っていいです」先生は、風のように去っていきました。左目に眼帯をしているので、同伴していた夫は「ひょー」っと怖がり、確かに片目で歩きずらいので、仲良く手をつないで受付に向かい、支払いと次回の予約を入れます。「若い男女がるんるん手をつないで歩くのとは違って、目が見えないから介助として手をつなぐっていうのが、なんかトシを感じさせるねえ」とか言いながら。家に帰って、眼帯を取りました。よく見たら、化粧水をつけるコットン・パッドをもっと大きな楕円にしたようなものに、絆創膏一本で、べたっと張り付けてあるだけでした・・・。左の頭の後ろがちょっと、ジンジンする感じがありましたが、我慢できないというようなものではありません。ステロイドの目薬をさし、寝る前にもう一度さし、少ししてから緑内障の目薬を両目にさして寝ました。そして、今朝。普段と何も変わらない感じです。医療技術の進歩、すごいなー。ステロイドの目薬は左目だけで、1日4回。緑内障の目薬は、夜寝る前に両目にさす。間違えないように、しないと!眼圧が下がったのかどうかは、1か月後でなければ、わかりません。では、今日はここまで。ご機嫌よう!
2016年05月14日
おはようございます、ひなこです。遂に、今日の午後、左目のレーザー手術をします。緑内障の治療の一環です。SLT、Selective Laser Trabeculoplastyの略です。すっごくラブラブで楽しい!とかじゃありません。レーザー線維柱帯形成術のことです。涙の流れを良くするための排水工事のようなものです。それで眼圧が下がるようです。でも、80%の人には効果がみられるけれども、残り20%の人は眼圧が変化しないとかで、やってみないと効果はわからないそうです。目薬がいらないくらい下がったらいいんですけどねー。先週の金曜日にお医者さんからもらったパンフレットをよく読んでいなかったのですが、昨日ちょっと読んだら、医師の許可があるまで、手術後は顔は洗ったりシャワーや洗髪をしたり、身体を折り曲げたり、頭を下にしたりしないでくださいと書いてありました。テスト前夜、一夜漬けのため勉強に励まねばならないのに、急に、本棚の本の並び方が気になって並び替えたり、突然部屋の片づけを始めたりするのと同じ心理で、手術後、「あー、床拭きしたい」とか思いそうな気がして、昨日、せっせと床拭きをしました。玄関前のタイルも拭きました。その後、日本語のサイトを見たら、当日洗顔も入浴も可と書いてありました。あれ、そうなの?先週の金曜日、唯一、こちらの眼科医に言われたのは、「手術後は車の運転ができないから、だれか同伴して、その人に帰りは運転してもらうように」ということだけでした。さすが、車社会。パンフレットにも、そこのところは、まず先に書いてありました。まあ、日帰り手術ですし、絶対安静にする必要はないと思いますが、それでも、私の気分としては、三日間絶対安静ぐらいの気分ですねえ。なにせ初めての目の手術ですから。これから、掃除機をかけて、自転車こぎを1時間して、シャワーをしましょう。あ、ごはんも作らないとなー。では、この辺で。御機嫌よう!追記:目の玉にレーザーをかけたと思われる方が多いのですが、目ん玉にはレーザーはかけてません!息子らにも、「ママ、どうしてまだ眼鏡かけてるの?」とか言われます。視力矯正のレーザーではないんだ、息子よ!
2016年05月13日
おはようございます、ひなこです。マンモグラムと胸部エコー検査、昨日無事終了致しました。結果は、本日午後4時以降に、直接私の婦人科医の元へ送られるそうです。多分メールでしょう。これで、婦人科専門医に命じられた子宮部エコーと乳がん検査は終了したので、また婦人科の予約を入れねばなりません。でも、明日、緑内障のレーザー手術の予定なので、これが終わってから予約いれようかと思います。と、私が健康週間を続けていましたら、夫の具合が悪くなりまして・・・。(私より結構年上)医者に行け!と私が言っているのに、言うことを聞かずにいたのですが、昨日の午後、ついにたまりかねて医者に行ったら、「どうしてもっと早く来なかった。手遅れになったら死ぬところだったんだよ」と言われたとか。どうやら、腎盂腎炎になっていたようです。手遅れになると、敗血病になってしまうそうです。そういえば、すっかり忘れていましたが、私が24歳の時、日本で膀胱炎になって、「熱が出たら入院です」と言われたことがありました。オーストラリアでは、華氏F°は使いません。はい、夫はしっかり熱が出ていました。日本だったら入院です。でも、こちらでは、こんなことでは入院させません!お尻に注射を打たれ、抗生物質を飲むよう言われたそうです。そして、今朝、血液検査をしてきて、日曜日(お休みじゃないんだ)にまた来るよう言われました。というわけで、昨夜から今朝、インターネットで健康情報を集めていました。インターネットのおかげで、むかしより健康情報は手に入りやすくなりましたよね。医者の中には、私たち患者がインターネットで調べるのを快く思わない人もいるようですが。本人には何も言ってませんが、最悪、がんだったりする可能性もあると思うので、今から気持の準備はしておこうと思います。では、そういうわけで取り込み中(?)のため、今日はこれにて失礼します。御機嫌よう!追記:その後、夫は結構な期間、抗生物質のお世話になり、不死鳥のごとく蘇りました。家系的に腎臓や膀胱系統が弱い家系ではあるようです。
2016年05月12日
おはようございます、ひなこです。最近、ネットで日本語を読んでいても、意味不明なことがよくあります。先日、旅ブログのコメントに、「私は紅組なのですが・・・」とか、「青組の僕としては・・・」とか書いてあるのを見まして、「はっ?女性は紅組で、男性は白組よね・・・。青組って何?!」と考え込んでしまいました。皆さん、なんのことだかお分かりになりますか。答えは、JALさんの御贔屓さんが紅組で、ANAさんの御贔屓さんが青組ということでした・・・。こちら青組の飛行機。あと、TDRという略が、「東京ディズニーランドの略なら、TDLだよな。TDRって何?!」と思ったら、『東京ディズニーリゾート』だったとかですね。8年前に、日本在住の友人からのメールに「私もついにアラフィフ」とメールが来た時も、なんのことだかさっぱりわかりませんでしたけど。そうか、最近に始まったことではなかったのか。こういう私が日本に一時帰国すると、日本語の上手い外人のようになってしまいます。とほほ。実は、昨年の12月から、青組のANAさんがシドニー線を再就航し始めまして、現在、シドニーから日本へ行くのに、直行便で、紅組も青組も利用できます。(カンタス便もありますが)違いは、紅組JALさんは、成田発着で、ANAさんは、羽田発着だということと、ANAさんは、シドニー発も羽田発も夜の深夜便なので、飛行中は就寝時間であるのに対して、JALさんは、成田発は夜ですが、シドニー発が朝だということです。先日、ANA便を始めて利用させていただきましたが、羽田発着はやっぱり便利です。北海道までの国内線も込みで発券してもらったのですが、国際線ターミナルからモノレール(無料)で第2ターミナルへ移動するだけで、実家へGO!夜の便なので、ビジネスクラスだったら、とっても良い旅ができそうです。横になれるから。一方、JALさんの良い点は、シドニー発が朝だということです。日中のフライトは、やはり身体が楽です。朝ごはんを頂いて、日本の映画を数本見ているうちに日本に着いてしまいます。噂によると、ANA就航後、日本人は国内線乗り継ぎの便の良いANAに流れているそうで、JALは外国人の乗客率が上がっているようです。私も、どっちか選べと言われたら、やっぱりANAかなー。クルーの皆さんのサービスは、JALさんの方が良かったような気がするし、ドライ納豆も大好きですが、羽田発着を取ります。今日は、これから、乳がん検診(マンモグラフとエコー検査)なので、これにて失礼いたします。マンモグラフは2年前に1度経験済みですが、胸のエコー検査は、初めてです。どきどき。では、御機嫌よう!
2016年05月11日
おはようございます、ひなこです。このブログのタイトルは、「ババァ笑うな、行く道だ」にしたらいいんでないかい、と今ふと北海道風に思いました。今日は湯シャンの話です。私の母が、「年と共に皮膚から水分や油分が減っていくので、お風呂に入る度にシャンプーと石鹸を使うと、肌がとっても乾燥してよろしくない」という話は、前からしていました。当時は、湯シャンだの、ノー・プーだのという言葉はありませんでしたが、母は、お湯だけで髪を洗う日、お湯だけで身体を洗う日というのを設けていました。その頃の私は、「年を取ると色々大変だねえ」と、他人事として聞いていました。 私は、昔から手に湿疹ができていたのですが、色々な塗り薬を塗ったり、患部にヘンナを湿布してみたりしましたが、どうも今一つ完治はせずにいました。そんなある日、ふとしたことからシャンプーの成分が自然派なものを購入したら、手の湿疹が良くなったことがあり、え?湿疹の原因がシャンプーだったってこと?などと考えるようになりました。それから少しして、夫が、インターネット上で、オリーブオイルで頭皮をマッサージして、オリーブ石鹸で洗髪したら、禿の男の人の毛が生えてきたという話を見つけて、「君も抜け毛が多いから、シャンプーを止めてオリーブ石鹸で洗髪するべきだ」などと言い出しました。確かに若い頃と比べれば髪の量は減ったのですが、元々髪の量は多すぎるくらいだったので、そんなに気にしていなかったのですが、第三者からの意見を尊重し、ちょっとオリーブ石鹸洗髪を試してみました。すると、オリーブ石鹸は、洗浄力があり、頭皮がすっきりして良い感じでした。そのことをある友人(かなり年下)に話したら、「もし髪のきしみが気になるなら、お酢を水で薄めてリンスにするとよい」とアドバイスされ、「よく知ってるね」と言うと、「実は私はここ何年、シャンプーを使うのを止め、お湯で洗っている」というのです。ええ?!シャンプーを使わないと臭くならないのか?というのが私の頭に最初に浮かんだ疑問でした。彼女に「臭くならないですよ。ただ、人によって違うけど、私は最初の2か月位、髪が油っぽかった。それを乗り越えたら全然大丈夫」と言われ、ものは試しと私もお湯で洗うようになりました。でも誰にも言いませんでした。頭がおかしいのかと思われるんじゃないかと思って。驚いたことに、お湯だけで髪を洗っても、臭くなることはありませんでした。逆に、シャンプーを使っていた頃の方が頭皮が匂っていたと思います。シャンプー時代は頭もかゆかったし。ただ、髪の根元が、べたっとします。友達から2か月我慢と言われたので、2か月がんばったのですが、その頃季節が暖かくなってきたのと、母に「何もシャンプーや石鹸を絶対使わないと決めることもなかろう。たまには使ったらいい」と言われ、2回に1回とか、3回に1回とか、オリーブ石鹸で洗い始めました。さて、このブログを始めるきっかけともなった筆子さんは、湯シャン実践者です。彼女のブログを読んで、こちらはこれから寒くなる季節ですし、また湯シャンを始めてみることにしました。すると、どうでしょう。今回は、髪の根元がべたっとしないんです。あれ?年を取って、油が減った証拠でしょうか?!喜ぶべきか悲しむべきかちょっと微妙?とにかく、もう1か月近く湯シャンですが、全然大丈夫ですねえ。この調子だと、身体も石鹸なしで大丈夫かもしれないです。良く考えてみれば、顔や体を石鹸でせっせと洗って油分を落として、その後せっせとクリームを塗って油分を補給するというのも、変な話ですよね。資本主義社会をまわらせるためには必要かもしれないですが。というわけで、夏にはどうなるか不明ですが、今のところ、お湯で頭を洗うことに不便がありません。立派に老人世代の入り口に立ってしまった証拠かもしれないですけどね。では、今日はこの辺で。ご機嫌よう!
2016年05月10日
おはようございます。ひなこです。夫が、若い人からもらったチーズやオリーブやらを食べずに置いてあったので、悪くなると思って今朝私が食べました。が!しょっぱくて、しょっぱくて!しょっぱいもの好きのひなこでも、3日分の塩分を一度に接取してしまった気分です。若い人はこれでいいんでしょうが、私はこんな食事を毎日していたら、高血圧への道まっしぐらです。そうか、しょっぱいから夫は食べなかったんですね。納得。ええ、今日は、自己紹介の次の回、ブログを始めた理由のところで、既に登場してしまっている村上春樹さんについて書きます。実際にこのような状況になったら挙動不審になりそうです。ブログに写真やイラストを載せるのに、無料で勝手に使用できるものを見ていたら(今までそんなサイトがあることすら知りませんでしたが)、↑このイラストを発見しました。題して「サイン会」。数十年前の村上春樹さんと私という感じですが、このイラストに触発されて、今日のお題は村上春樹さんです。村上春樹さんも、まず作品のタイトルを決めて、そこから小説を書くということがあるそうですし(例えば、『1973年のピンボール』、短編の『中国行きのスロウ・ボート』などがそうだそうです)、脚本でも、あらかじめ演じる役者を決めておいて、役者さんの個性に合わせて書く、当て書きという書き方があるそうですね。さしずめ、今日の私は、「ジャケ買い」ならぬ、「イラ書き」?!(イラストからヒントを得て書いている)いや、私的には「笑点書き」の方がしっくりくるかも。「えー、さて、次のお題でございますが、ここに1枚の絵がございます。なにやら若いお嬢さんが作家のサインをもらっているところのようでございますな。そこで、皆さん方には、この絵を見て、ここからちょいと面白い話をこさえてもらいたいと。お、早いね、楽ちゃん、もうできたかい」みたいな。村上春樹さんは、1949年生まれ、私より15歳年上です。デビューされたのが私が中3の時ですが、多分高校受験で読書どころではなかったと思うので、高校に入学してから『風の歌を聴け』を読んだと思います。市立図書館から借りて読んだのか、友達に借りて読んだのか今では定かではありませんが、『1973年のピンボール』は、自分で単行本を買ってもっていました。しかし、その当時の私は、一応村上作品を読んではいたものの、ファンというほどではありませんでした。というのも、私は同じ村上でも、村上龍さんのファンだったからです!(村上龍主義者だったわけです)『海の向こうで戦争が始まる』、『コインロッカーベイビーズ』を読み、「村上龍は天才だああ!」などとティーンエイジャーの私は舞い上がっていたものです。村上春樹さんも良いけど、さらっと軽すぎるというか、村上龍さんのおどろおどろしい、ヘヴィーなところがたまらないと思っていました。(当時、聴いていた音楽は、イギリスのパンク、ニューウェーヴでした)そんな私に転機が訪れたのが、1983年の春でした。大学入試が終わり、やっと本が読める~!と思って、本屋さんへ行って、購入したのが、村上春樹さんの『羊をめぐる冒険 上・下』と、村上龍さんの『だいじょうぶ、マイフレンド』の3冊でした。それも全部単行本。きっと受験のせいで、お年玉も何も使わずお金を持っていたんだと思います。当時の私にしたらすっごい太っ腹です。『羊をめぐる冒険』は、地元北海道も舞台として登場し、非常に面白くて、何度も何度も読み返しました。晴れて4月から札幌で大学生になった時には、札幌の電話帳で”いるかホテル”(正式名称はドルフィンホテル)を探してみたくらいです。ありませんでしたけど。それ以降、ずっと村上春樹さんの大ファンになってしまったというわけです。村上龍さんの方は、それとは反対にそれ以降読まなくなってしまいました。すみません。あ、でも『69』は読みました。村上春樹さんの作品で、一番好きなのは、『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』です。次が『羊をめぐる冒険』、次は、『ねじまき鳥クロニクル』と『ダンスダンスダンス』かなー。と書くと、どれも初期の作品ですね。短編は沢山あるので選ぶのが大変ですが、一番衝撃的だったのは『氷男』。国際結婚をして海外暮らしの身には、とてもインパクトのある作品です。ははは。あとは、『午後の最後の芝生』を読んだのが、自分が19歳の時で、作中に出てくる19歳の女の子が「十九というのはとてもいやな年齢です」と手紙に書いていて、そうなのか?!と思って、その個所を書き出してみた記憶があります。というわけで、村上春樹さんの小説は、オンタイムで出版されたらすぐ読むという感じでしたが、エッセイは、「文庫化されてからでもいいかな」という感じだったのですが、最近は「文庫化されるまで生きているかわからないから、今買って読んでおくべきかも」と思うようになりました。年を取るとは、こういうことなんですね。村上春樹さんは、英語の本も沢山翻訳されていますが、私は翻訳物は1つも読んでいません。そこまで手を出すと、収拾がつかなくなるのではないかという気持ちもあったりして。『極北』は、英語の原書を読みましたが。若い頃は沢山本を読んでいましたが、今読むのは、村上春樹さんとカズオ・イシグロだけです。カズオ・イシグロはがんばって英語で読みます。日本のお風呂に入っている時、美味しい日本のご飯を食べている時、そして村上春樹の小説を読んでいる時、「ああ、日本人で良かった」と思える瞬間です。カズオ・イシグロ氏についてもそのうち書きたいと思いますが、今日はこのへんでお開きにしたいと思います。では、御機嫌よう!
2016年05月09日
おはようございます、ひなこです。今日は、母の日ですね。オーストラリアは父の日は、なぜか9月なのですが、母の日は日本と同じです。私の母は、年を取ってからは、「家に物が増えるから、プレゼントとかもらっても迷惑。家の物捨ててるのに、また増える」と言うようになったので、最近は母の日と言っても特に何もしていませんでした。日本に帰る時のおみやげも、食べる物など消えものを渡していました。しかし、今年は小さなプリザーブドフラワーを送ってみました。というのも、なんとなく母の日ギフト特集なんていうのを見ていたら、既に亡くなった母に送る花束というのが売っていて、そんな死んでからもらってもねえ(あげてもねえ)、と思い、じゃあ、今年はまだ生きている母に、生きているうちに何か送っておこうと思ったのです。今、電話してみたら、喜んでいたので、良かったです。家の固定電話から、日本の親の家の固定電話に電話するのが無料になるという、インターネットと固定電話のセット料金に契約したので、母と電話で話すのは無料です。でも、母は毎回、「電話代がかかるからもう切る」と言うのですが。というわけで、今朝は、母と電話で長話をしたので、時間がありません。ということで、今日はこれだけです。すみません。御機嫌よう!
2016年05月08日
おはようございます、ひなこです。昨夜は、長袖のパジャマの上着なしでは、寝ていて寒かったです。というわけで、今は長袖トレーナーを着ています。昨日は、午後から、半年に一度の眼医者の日でした。緑内障のため、5年ほどこの専門医にかかっています。そうしたら、左目の眼圧が目薬であまり下がらないので、来週、レーザー線維柱帯形成術をするよう言われました。以前にも、勧められたのですが、その時は、手術は怖いので、目薬を2つに増やしてもらったのですが、その増やした方の目薬にアレルギー反応を起こし、また目薬を1つに戻したという経緯があります。分かりやすく言うと、涙が流れやすくなるように、排水工事をするようなものらしいです。そうすると、眼圧も下がると。どれぐらい下がるかは、個人差があるので、やってみないとわからないそうです。はあ。目薬が必要ないくらい眼圧が下がれば、手術に払う費用の元は取れるというか、長い目で見たら、安上がりになるんですけどね。というわけで、来週も健康週間、継続します。その眼科医から、2ブロックぐらいしか離れていないところに、大きなショッピングセンターがあって、そこにダイソーが入っているので、気持ちを盛り上げるため、初めてオーストラリアでダイソーに行きました。今までは、「日本だったら108円なのに、なんで、2ドル80セントも払わないとならないんだ」と思うと、行く気にならなかったのです。BGMには、日本の歌が流れていたりして、気分はほとんど日本にいるようでしたが、でも、やっぱり2ドル80セントは高い気がします。確か、オーストラリアのダイソーを運営しているのは、台湾人のビジネスウーマンだったはずです。シドニー以外にも、メルボルンやブリスベーンにもあるようです。ダイソーだけでなく、ユニクロも無印もオーストラリアにあります。ダイソーでは、先日、一時帰国時、日本の100円ショップでは売り切れで買えなかった、ヘアブラシをカバーするシートをゲットしました。慎吾君のスマステで放送したので、売り切れたそうです。テレビでこれが健康に良いと放送すると、その商品が売り切れになるのと同じですね。日本人って、なんかそういうところすごいなあ、と海外在住組としては感心します。では、今日はこの辺で。御機嫌よう!
2016年05月07日
おはようございます、ひなこです。最近は、家の中で半袖Tシャツにカーディガン(日中はカーディガン脱ぐ)で過ごしていたのですが、今朝は、それだとちょっと肌寒く感じます。私は、元々甘い物よりしょっぱい物の方が好きで、あんこもそんなに好きではありませんでした。アンパンなんて、なんでそんな食べ物があるんだろう、と子供の頃思っていたくらいです。そんな私ですが、3年ほど前、急に「小豆が食べたい」と強く思いました。英語でいうところの、cravingです。そこで、生まれて初めて、乾燥小豆を買いに出かけました。中国人の店で、韓国製のあんこの缶詰を見たことがあったので、韓国の人もどうやらあんこを食べるらしい、と知っていたので、韓国人のお店へ行きました。しかし、あんこの缶詰はありますが、乾燥小豆が見当たりません。そこで、お店の人に尋ねることにしました。「すみません」声をかけたのはいいけど、小豆って英語で何ていうのか。しょうがないので、「乾燥アズキ・ビーンズはありますか」とひなこは聞きました。臨機応変といえば聞こえがいいけど、割と行き当たりばったりな性格がよく表れています。すると、お店の人は、「はい、どうぞ」と持ってきてくれました。おお、通じた、アズキ!パッケージには、ADZUKI BEANSの文字が。私の苦し紛れ英語でよかったんですね。でもazukiじゃなくて、Dが入るんだ。ちなみに、豆はオーストラリア製です。(その後、中国人のお店にも、乾燥小豆が売っていると知り、今は近所の中国人のお店で買っています)小豆を自分でゆでるのも初めてで、最初のお水は沸騰した後捨てるなんていうのも全然知らなくて、濃いゆで汁でお赤飯を作ったら、とんでもない色になりました・・・。そして、「こんなに小豆が食べたいと思ったのは、きっと私の身体が小豆の成分を欲しがっているということ。何が足りないだろう」と思ってググったら、小豆は老化防止に良いの文字が。ガーン。老化と戦う私の身体が、小豆食べなさいと指令を出したのでしょうか・・・。昨日、また小豆を買ってきて、かぼちゃと一緒に食べました。美味しい。赤飯といえば、よくテレビなどで、「北海道では赤飯に甘納豆を入れる」とやってますけど、たしかに入れる人もいます。でも、北海道は全国各地からの移民の寄り集まりですから、どこの出身かで、全く違います。たとえば、うちの母は入れません。母方は広島出身です。なので、私も、甘納豆の赤飯は苦手です。あ、そうそう、昨日、小豆を買いに行く途中に、通り道に乳がん検査をしてくれる医療機関があったので、婦人科の先生から昨日もらった用紙を持って予約を入れました。受付の中国系の女性は不愛想でしたが、「これは、あなたのお母さんのための予約?」と聞かれ、なんて良い人なのかしらと思いました!日本で「お前はデブだから老けて見える」と言っていた母に聞かせてあげたいです!!!もっと、小豆を食べよう!では、御機嫌よう!
2016年05月06日
おはようございます、ひなこです。健康ネタが続いたので、今日はちょっと違う話題です。今日は、そもそもなんで私が海外に出たのか、そのきっかけを探ってみたいと思います。私が25歳の時、日本の夏に3か月一時帰国しました。その時、まだ実家の2階の私の部屋は、以前と同じように私の物が残っていました。が、しかし、母に言われました。「あんたはもうここに住んでいないんだから、いらない物は捨てて、部屋を片付けてちょうだい」そこで、片付け始めたわけです。ベイシティーローラーズのアルバムなんかまだしっかり残っていたりして、懐かしかったです。さて、そこに登場したのが、小学校の卒業文集です。こういうものに見入ってしまうと、片付けがはかどらないのは周知の事実ですが、やっぱり見ますよね。だって何を書いたのかすら覚えていないし。自分についてだの、私の夢だの、将来なりたい職業だの、書かされてます。さあ、小6のひなこの夢は何だったのでしょう。自分の書いたものですが、ほとんど第三者の目線です。なんとそこには、外国に行きたい!と書いてありました!マジか。その成れの果ての25歳の私はア然です。小学生の頃、学校の図書館に子供用にリライトされたシャーロック・ホームズシリーズがあり、私はすっかりハマって全部読みました。『赤毛同盟』『まだらの紐』『踊る人形』などなど、懐かしいです。勝手に表紙をジェレミー・ブレットに変更したホームズ全作品。私物です。そして、私は誓ったのです。「イギリス行くぞ!」卒業文集には、シャーロックホームズが大好きなので、英国に行きたいです!他にも、とにかく外国の色々な国に行ってみたいです!と熱く書いてありました。いやー、覚えてなかった。そんなこと書いてたんだ、自分。そして、その後、小6の冬、当時の絶大アイドル、ベイシティーローラーズを好きになり、それ以降もイギリスものの洋楽にはまったので、結局19歳の時に一か月かけて貧乏英国一周一人旅をしました。その旅から戻り、本気でイギリスに戻る計画を考え始め、東京のブリティッシュ・カウンシルにまで行って調べたりもしたのですが、当時私がイギリスに行くには、ある程度の資金を貯め、就労禁止の学生ビザをとって留学するしか手はないことがわかり、ちょっと方角は変わりますが、ワーキング・ホリデイ・ビザという若者向けのビザのあるオーストラリアには、手っ取り早く行けることがわかり、方向修正したわけです。友人たちには、「イギリス行くんじゃなかったの?どこから出てきた、オーストラリア?青い空に青い海、あんたには似合わないって。絶対灰色のロンドンの空が似合っているよ。大体あんた、泳げもしないでしょ?」などと言われましたが、「国旗にイギリスのユニオン・ジャックもついてるし・・・」などと訳の分からないことを言って、21歳の時にシドニーへとやって来たのです。というわけど、夢は叶ったような(一応海外に住んでいる)、叶わなかったような(南半球へ都落ち)なのですが、元々の始まりはホームズだったんです。ホームズ、あなどれません。ちなみに、19歳の時に行ったベイカー・ストリートには、馬車も走っていなければ、ガス灯が灯っているわけでもないし、普通の現代の通りなので、「違う!」と思いました。当たり前なんですけど。そして、現在51歳ですが、年と共に、「あー、日本のごはんは美味しい。英語話すの最近面倒。日本はやっぱりいいなあ」と、増々思う今日この頃です。ちなみに、卒業文集は、読んだ後捨てましたが、BCR(ベイシティーローラーズ)のレコード群は、捨てずにおいたら、母が捨ててしまいました。あれー。では、ご機嫌よう!
2016年05月05日
おはようございます、ひなこです。今、今日の分を書き終えて、貼り付ける写真を無料素材のサイトで探している間に、インターネットの接続が不安定で、書いた物が全部消えてしまいました・・・。信じられない。あせったので、更年期のホットフラッシュの症状まで出てしまいました。昨日、子宮部のエコー検査をしてきましたが、子宮部の検査には経腹エコーというお腹の上からエコーをかける検査と膣内から見る経膣エコーという2種類があるのを、御存知でしたか。あれは、まだ私が30代の初めだった頃(なんだか、これでは、さだまさしさんの歌のようですが)、多分今の私ぐらいの年齢だったと思われるお友達Mが言いました。「この前ウルトラサウンドの検査したんだけど、検査の前に大量の水を飲むように言われるのよ。トイレに行っちゃだめでね。私待合室で待っている時、もう、絶対無理と思って、受付の人に、今すぐ、私の検査をやって下さい、出ないと私は今ここでお漏らししちゃいますよ!って大騒ぎしたんだから、もう大変よ、あれ」はい、私はそれを聞いてゲラゲラ笑っていました。それから時は過ぎ、私もエコー検査をする必要が出てきました。水の飲み方を詳しく書いた紙を渡された時は、「あ、これがMの言ってたやつだ」と思い出しました。予約時間の○時間前になったら、これだけの量を飲みましょう。そしてこの時間になったら・・・」とかなり詳細に記述してありました。そして、私は従順にその指示に忠実に従って水を飲んでいったのですが、何故水を飲まねばならんのか、その理由は分かっていませんでした。でも結果から言うと、私は、我慢できませんでした。予約時間が来る前にトイレへ行ってしまいました。そして予約をキャンセルし、新しい予約を入れました。夫に「君はアジア人なんだから、西洋人向けの指示だと水の量が多すぎるのではないか」と言われ、次の予約の時は水の量を減らしました。そして挑んだウルトラサウンド。「あの、どうして水飲むんですか」と技師の方に尋ねると、どうやら経腹エコーの時に膀胱を満タンにしておくと、画像が見やすいからというのが理由のようでした。しかし、私の場合、お腹の上からは、何も見えず、「トイレ行っていいですよ。経膣じゃないと見えないので」と言われました。一体何のための水攻めだったんだろう・・・。そして、昨日も、予約時間の1時間前に1リットルの水を飲んでから来るよう言われていました。以前に比べると大ざっぱな指示だし、量も減っています。アジア系人口爆発増加のせいでしょうか。でも、私は言われた半分の0.5リットルを飲みました。それだけ飲むのでも大変です。お腹が苦しいです。そして、私は掟を破って家を出る前に、トイレにも行きました。それでも、待合室では、「トイレ!トイレに行きたい!」と貧乏ゆすりをしていました。最初は経腹でぐいぐいお腹を押されると、「あ、止めてくれ~。おしっこしたいんだから~!」という感じです。でも、案の定、「経腹だと何も見えません。トイレに行っていいですよ。経膣でやりますから」と言われました。この次があったら、もう水なんて飲まなくていいかもしれないです。あ、でもエコーで見たら、「あなた、水飲んで来なかったわね」ってバレるのか。小心者なので、それも嫌だなー。昨日のエコーの結果は、午後に出たので、もう取りに行きました。昨日の検査をしてくれた方は、ドクターの肩書をもっているお医者様でした。最近、学歴が高くなってきているというか、フィズィオセラピストでもドクターの肩書の人とか、今まで博士号がない人がやっていた分野でも、博士号持っている人を見かけます。なので、検査結果も検査をした女医さんが書いていて、そこにナボット嚢胞(複数形)があると書いてありました。なんだ、これ?!そう思って、婦人科の先生に電話してみました。「先生、エコー検査今日してきました。マンモグラムは8月じゃないと受けられないと言われたんですが、ナボット嚢胞があるとエコー検査の結果に書いてあるんですが、8月まで待たずにそちらへ行った方が良いですか」先生は、「ナボット嚢胞は心配する必要はないが、乳がん検査がいますぐ受けられないというのは何だ?木曜日に私のところに書類を取りに来なさい。これがあればすぐ受けられます」とおっしゃいました。ほっ。というわけで、今週は本当に健康週間となってしまいました。というところで、今日はおしまいです。皆さま、御機嫌よう!消えないで、日記!
2016年05月04日
おはようございます、ひなこです。昨日は、無事子宮頸がん検査を終えました。結果は、後で郵送されてくることになっています。異常があれば、その前にお医者さんから連絡が来ると思いますが、そうならないことを願います。検査終了後、お医者さんから、「子宮頸官ポリープを取ってから2年になるから、ウルトラサウンド(日本語では超音波になりますが、エコーって言うんですね、知りませんでした)を撮っていらっしゃい、マンモグラムもやって来るように。その後で、また来なさい」と言われました。GP(かかりつけ医)の紹介状は1年間有効なので、1年以内なら今回持参した紹介状で予約が取れます。日本と違ってなんでも分業なので、この婦人科の先生がエコーの検査をするのではなくて、また別施設の検査機関に予約を入れてそこでエコー検査をします。これも、実際にエコーをする技師は、あくまでその技師で、その結果を見て、これこれこうですと診断書を書く医者がいて、その結果が私のかかっている医者へ行くという感じです。また、日本と違うのは、X線やらエコーの結果を患者本人に渡すところです。私は、自分の分は、家が片付かないのでホイホイ捨ててしまいますが、夫は物を捨てない人なので、山のような検査結果が家にあります・・・。そこで、昨日家に戻ってから、検査機関に電話をしたら、今日の午前中の予約が取れました。なので、今日も、お出かけです。乳がん検査の方は、電話をしたら、「あなた、前回2014年の8月に検査してますから、まだ3か月早いです」と言われました。「本日、子宮頸がん検査をしたら、医者からマンモグラムもするよう言われたんですが」と食い下がりましたが、「こちらからリマインドのお手紙が行きますから。それまで待てないにしても、7月にでも電話をくれないかしら」と言われてしまいました。やっぱり、自分の思い通りに、パパッとことは進みません。婦人科の専門医に戻るのは、早くて8月でしょう。まあ、しょうがないです。私は出来る限りの努力はしましたから。実は、この婦人科の女医さんご自身が、何年か前に乳がんであることが分かったそうで、そういう方から、マンモグラムをするよう言われるのって、重みが違います。木曜日は、緑内障のため半年に一回通っている眼科に行く日なので、今週は、日本では黄金週間だそうですが、私には、健康週間になってしまいました。子供の頃から、健康で、医者にはほとんど世話になったことのない私ですが、50を過ぎましたから、自分の身体のメインテナンスには気を配っていきたいと思います。とか言いつつ、歯医者に行くのは、今でも気が重いですが・・・。では、今日はこの辺で。御機嫌よう!
2016年05月03日
おはようございます、ひなこです。 今朝は、早起きです。というのも、朝一番で、子宮頸がん検査の予約をしてあるからです。 私が住んでいるニューサウスウェールズ州では、18歳から69歳までの女性に、たとえ子宮頸がんのワクチンを打っていたとしても、2年に一度の子宮頸がん検査を受けることを推奨しています。 (ちなみに、中学1年生の初めあたりに、子宮頸がんワクチンを無料で、学校で集団接種してもらえます。 日本でのように、副作用などが問題視されたりはしていないようです) しかし、ひなこは、全然そんな検診を受けていなくて、子宮頸がん検査のことをPAP SMEAR TESTと呼ぶことすら知りませんでした。関係ない生活をしていたので、私の語彙にはなかったわけです。 しかし、今から2年前に子宮頸管ポリープがあることが発覚して、ポリープを取る前に行った子宮頸がん検査の結果が、「低度の異常あり」でした。ひなこは昔の人ですから、未だに「ガンといったら不治の病い」という印象を捨てきれずにいます。ですからその時の私は、「私、ガンなんだ・・・」とガクッと落ち込みました。(私よりずっと年上のお友達の娘さんが、子宮頸がんになったのですが、完治して、その後出産をされました。いやはや、時代は変わったものだ。医療は進歩しているんだなあと私はびっくり仰天でした) 先生には、「低度の異常だから、ガンと決まったわけではないのよ」となだめられました。その後、摘出したポリープを検査に出したら、ガンではなかったのですが、2年後ではなくて、1年後に子宮頸がん検査をするよう言われ、去年の結果は、「異常なし」でした。私は、これで安心と思ったのですが、お医者さんには、再び2年後ではなく、来年検査に来るようにと言われたため、今日の検査となったわけです。 子宮頸がん検査は、普通のGP(一般開業医、かかりつけ医)のところでもできるのですが、そういう経緯で、私は専門医の婦人科の先生のところに行っています。 専門医に行くには、まずGPの所に行って、紹介状をもらう必要があります。日本のように、直接「皮膚科医」や「眼科医」に行くことはできません。面倒です。 そして、専門医に予約を入れようと思っても、かなり待たされるのが普通です。今回は、朝一番の予約なので、誰も行きたがらない時間帯で、すぐ予約が取れましたが。(こちらでは、子供の学校の登下校は、親が車で送り迎えするのが普通なので、皆忙しい時間帯です。私は子供が成人しているので関係ないですが) ちなみに、乳がん検査は、40歳以上なら無料で、これも2年に1度、検査してもらえます。 が、これも、ひなこはそんなことを知らなくて、父方も母方も親族に乳がんになった人が誰もいないので、乳がん検査をすることなど、全く考えてもいなかったのですが、2年前に、友達から「乳がんになる7割の人は家族に病歴がないのよ」と聞かされ、初めて無料検査の恩恵に預かり、検査してきました。これも、数か月したら、「前回の検査から2年が過ぎましたから、再検査に来てください」と連絡があると思います。 ついでに、大腸がん検査は、これは州ではなくて国の補助で、50歳以上の人が5年に1回無料で検査を受けられます。郵送で検査キットが送られてきて、指示書通りにブツを取り、指定された通り容器に入れて郵送で返送します。 オーストラリアは、医療費を減らすためには、まず予防、そして早期発見が大切ということで、このような検査を無料にし、人々に検査を受けるように、啓蒙活動を行っているんだと思います。 まあ、私はアラフィフになるまで、全然そのような制度を使っていなかったんですけれどね。 しかし、あれですよね、いくつになっても、婦人科行くのって、嫌ですよねえ。女医さんなんですけど、それでも嫌ですよねえ。 では、行ってきます。 では、今日はこのへんで。御機嫌よう!
2016年05月02日
おはようございます、ひなこです。今朝は、夜明け前にひなこの住んでいるあたりでは、大きな雷鳴と共に雨が降り始めましたが、現在は止んでいます。カラスが、カーカー鳴いてます。さて、昨日、リップクリームの話をしましたが、国際線の飛行機の中で、アングロサクソン系のオーストラリア人女性が、乾燥防止に、ポーポークリームを指で唇にぬりぬりしているのを、大変よく見かけます。ミランダ・カーもお気に入りで使っている!というフレーズが、日本では宣伝文句になっているようですが、こちらに住んでいる感覚では、そんな「おされ感」はなくて、「オーストラリアのオロナイン軟膏」というフレーズの方が、似合います。正式名称は、LUCAS' PAPAW OINTMENT。ポーポーって、♪君たちキウイ パパイヤ マンゴーだね♪のパパイヤですよね。酵素たっぷりで、抗がん作用もあり、身体に良いフルーツ。私も時々食べています。このポーポークリームには、発酵させたパパイヤの実が1グラム中、38mg入っているそうです。また、保存料として、ソルビン酸カリウムが1グラム中、0.1mg入っているそうです。あとは、特に原材料とかパッケージに書いてないんですが(いい加減~)、HP情報によると、残りはワセリンで、グリセリンは入っていないそうです。市販のワセリンにパパイヤが入っているという感じですね。ちょっと甘いフルーツの香りがします。私は好きな香りです。効能として、部分的、局所のできもの、やけど、擦り傷、切り傷、ひび、転んで出来た傷、とげ、開放性損傷、虫刺され、おしめかぶれ、をやわらげ、患部を清浄にすると書かれています。また、30度以下で保存のこと、だそうです。私が購入してみたのは、もう10年くらい前だと思うのですが、ナチュラル志向の知り合いが使っていたので、身体によさそうな感じがして買ってみたのです。今は、日本でもアマゾンなんかにありますね、高いですけど。ねっとりしているので、踵のガサガサなんかによく使いました。寝る前に塗って靴下をはいて寝ると、良い感じでした。でも、一回買って気が済んだのでもう買わないと思うけど。購入後、私も飛行機の中で見かけた人々を真似して唇にも塗ってみましたが、リップクリームとしてというより、リップグロスのような感じで、唇がピカピカします。実は現在も、この時の軟膏が少し残っていて、小さい容器に詰め替えて、完全リップ用になっています。そして、赤い容器の中には、今は、パーマーのココアバターが入っていますが、これももうすぐなくなりそうです。はい、すみません。食べ物の香りに弱い私が露見してしまいましたね。一つのクリームで、顔も体も済ませていますが、特に問題はないようですよ。極々たまーに、「何を使ってお肌のお手入れいるんですか」とか聞かれることがあるんですが(私の肌がびかっと美しいから聞かれるんじゃなくて、日本人なので若く見えるし、日本人の肌はやはり、世界平均で見た場合、きれいなんじゃないでしょうか)、私の場合、「何にもしないのが、秘訣?」みたいな感じですねえ。では、御機嫌よう!
2016年05月01日
おはようございます、ひなこです。今日は、土曜日でいつもより遅く起きました。と、ここでインディアン・バードと呼ばれる鳥が、私の座っている所のすぐ後ろの開いている窓のすぐ向こうで、けたたましく鳴きました。夏の猛暑の頃から、水を置いておいたら、いつのまにか、このインディアン・バードの沐浴と水飲み場になってしまいました。いつも2羽で来るので、つがいなのだろうかと想像しています。五十にして天命を知る、なんて言いますが、ひなこは50を過ぎても知らないことが沢山あります。今日は、最近まで、全然知らなかった!というお話です。私は、かなり唇が乾燥する方です。愛用リップクリームは、メンソレータム薬用リップクリーム。日本に帰った時に、まとめて買います。で、ある時日本の100円ショップセリアで、リップクリームが1個108円で売ってたので、「あ、100円ショップでもリップ買えたのかあ。今まで、ドラッグストアやスーパーでもっと高い値段で買ってたなあ」とカゴへ放りこみました。さて、時はそれからかなり過ぎ、オーストラリアで使っていたリップがなくなりかけてきたので、セリアで買ったリップを出しました。すると、両者の色は同じだけど、デザインがなんか微妙に違います。「ん?!」と思って、よくよく見ると、一つは、メンソレータム(ロート製薬)で、一つはメンターム(近江兄弟社)、と全く別物だったのです!!ちなみに、セリアで買った安い方が、メンタームです。私の母は、いつも「メンターム」という固有名詞を使っていましたが、私は、「年取ってるから、メンソレータムがお母さんの中では、メンタームになっているんだ」と決めつけていたのです。でも、そうじゃなかったんですね。しっかり者の母は、安い方のメンターム派だったわけです。ああ、知らなんだ。今まで、ずっとメンソレータム薬用リップを使っていたと信じていたけど、もしかしたらメンタームリップも使っていたのかもしれません。違いを知ったこれからは、多分安い方のメンタームを買うと思います。この母にしてこの娘あり。追記:メンタームの方がちょっと太い?と思って、グラム数を確認したら、安い方のメンタームは5グラムで、高い方のメンソレータムは4グラムでした!それでは最後に、リップより効く方法でお別れです。冬に、唇の乾燥がひどくなった時には、蜂蜜を塗ってサランラップで覆います。肘のガサガサにも効きますよ。てことは、踵にも効くんだろうけど、踵はやったことありません。では、御機嫌よう!
2016年04月30日
おはようございます、ひなこです。ねこまんがで有名な、くるねこ大和さん、毎日ブログを拝見しています。私の『小確幸』(小さいけれど確かな幸せBY村上春樹氏)を感じる源でもあります。ある日、このようなお話がありました。題して『臭うおます』。http://blog.goo.ne.jp/kuru0214/e/4a8f8b99459faa4cd344abced38fbd02年上の友人二人の加齢臭の告白に笑い転げていた自分の身にも同じことが起こったという。それも、猫に「臭うおます」と告げられてしまったところが、いかにもくるさん。実は、私にも同じ経験があります。私の場合は、五十肩です。私より4歳年上の友人が、「最近、肩が痛くて。天気の悪い日なんて、もうこれ以上(床と平行)上には上がらない」などと言っていたのは、5年ほど前。それを聞いた私は、「えええ、それって五十肩じゃないのおお?!」などと笑っていました。そして、2年ほど前。一つ年上の友達のメールに、「最近、腕が後ろにまわりません。ブラのホックに手を届かすには(バリバリ北海道弁全開ですが、彼女は生まれも育ちも東京23区内なので、こんな言葉は使いません。私の頭の中で勝手に北海道弁に脳内変換されているだけです)、もう涙目です」というようなことが書いてあり、またもや私は、「やだ、それ、五十肩でしょう?!きゃはは」などと明るい返事を出しました。が、去年、私の身にも襲い掛かりました、五十肩。そうです、まさしく、「ババァ笑うな、行く道だ」です。私の場合、左の肩は大丈夫なのですが、右肩がもうだめです。上にも上がらないし、後ろにもまわりません。一番ひどかった時は、ラジオ体操でいうところの「腰に手を当てて」が、右手はできなかったくらいです。肩が痛くて横を向いて寝れないので、常に仰向け寝だったり。人生の大先輩、母にその旨を伝えると、「ああ、あったねえ。私も”前掛け”(エプロンとは言いません)の紐が縛れなかった時があった」と遠い目で五十肩の思い出に浸っている様子だったので、「で、どうやって治したの?!」と詰め寄ると、「時がくれば自然に治る」と言われました。そんな・・・。「オズの魔法使い」(オーズィーのーオーストラリア人のー魔法使いと信じて疑わない人にオーストラリアで会ったことありますが・・・)のブリキ男のように、肩の関節に油がさせたらどんなに良いことか、と思いましたよ、本当。で、どうして今日、肩のことを書いているかというと、今朝気づいたのです。「あれ?なんか右腕が上に上がるんですけど?」私は、以前はよく万歳の姿勢で仰向けで寝ていたものなんですが(雪女のようで恐縮ですが、多分体温を下げるためかと思います。寒いところで生まれ育ったので、暑いのがとても苦手)、当然、肩が痛くなってからは、片手上げしかできてなかったのですが、今朝、万歳してたんですよ、目が覚めたら。それで、「ついに、母のいうところの治る時が来たのか?」と自問したわけです。これで、きれいに治ってくれるといいんですけどねえ。ちなみに、私は胸が平らなので、日本を出てからはノーブラで全然平気で暮らしていたのですが、まあ、お出かけ用というか滅多に使わないブラジャーも持っていたのですが、肩が痛くなった後で捨てました。着用不可能なので。そして、カップ付きキャミソールを入手しました。まあ、滅多に着ないんですけど。というわけで、50歳目前の皆さん、フロントホックブラ、カップ付きのタンクトップ、キャミソールなど、用意しておくと、「あ、私も肩が!」となる日に重宝すると思いますよ。では、御機嫌よう!
2016年04月29日
おはようございます、ひなこです。今日のシドニーの最低気温は、13度。(ちなみに、最高気温は28度の予想です。暑いですね)朝ごはんに、ブラウン・レンティル(茶レンズ豆)のスープを食べました。今日は、最終回、ダイエットシリーズ第三回をお送りします。<前回までのあらすじ>40歳を過ぎ、少し太ってきたので、グレープフルーツダイエットで、30代の頃の体重に戻ろうと目論んだひなこは、2週間で3キロ痩せるも、元の食事に戻った途端、すぐリバウンド。そして43歳の時、3か月間、せっせと踏み台昇降をして、驚異の7キロ減!その後、踏み台昇降を止めると、リバウンドしたが、「なーに、また踏み台昇降すれば痩せるんだから」と変な自信を持って生きていた。が数年後、再び踏み台昇降を始めると、膝が痛くて断念せざるをえなくなった。村上春樹さんによると、体重を減らす3つの方法は、1食べ物を減らす(適当な量にする)2日々適当な運動をする3恋をするだそうです。(『村上さんのところ』25ページ参照)さすが、小説家です。65歳にして、「恋をする」なんて、普通言えないですよね。51歳主婦のひなこだったら、「心配事がある」なんて言いそうです。だって、今となっては、胸がどきどきするのは動悸のせいで、胸のときめきじゃないですもの。心配事があると食欲がなくなるっていう方が、パッと頭に浮かびます。自分に当てはめてみると、グレープフルーツダイエットは1のみ実施して失敗。踏み台昇降は、2だけを実施して失敗ということになります。とほほ。では、今日は膝が痛くなってからのお話です。自覚していないけれど、そして認めたくないけれど、じわじわと老化が進んでいることに気づき、サプリ好きの夫が飲んでいる『ベジタリアン・グルコサミン」を一緒に飲んでみたり、楽天で買ったプロテオグリカンを飲んでみたり、母に楽天から買ってあげた足の痛みに効く漢方薬を全然飲んでいないことに帰省した時気づいて、代わりに私が飲んでみたりしているうちに(溺れる者藁をも掴む)、膝の痛みはいつしか治りました。でも、もう踏み台昇降をする気にはなりませんでした。そして、半年ほど前でしょうか。ある日、左の足のふくらはぎがむくんでいることに気づきました。翌日、医者に行くと(その時はもうむくみは治っていた)「更年期障害じゃないですか」と言われました。ガーン。ネットで調べると、とにかく、痩せましょう、運動しましょうと書いてありました。このままだと、親の面倒をみるどころか、私が誰かに面倒みてもらわないとだめになっちゃう、と思って、生活習慣を変える決心をしました。毎日、ラジオ体操をすることと、家にあるエア・バイクを1時間こぐことにしました。それは、夫が、フィズィオセラピストに膝の痛みに良いと言われて、中古で購入したものです。膝のお皿を支える筋肉を強化することで膝の痛みが軽減されるそうです。でも、夫は仕事で忙しくあまり使っていないし、もったいないので、私が使おうと思い立ったのです。最初の頃は、まだ習慣になっていないので、自転車をこぐ時に、連続ドラマを見ながらやっていました。テレビを見ながらだと、足がおろそかになるのですが、ドラマの続きが気になって、次の回を見ようと思ったら、見てもいいけど自転車もこぐこと、と自分に強制したのです。その甲斐あって、毎日自転車をこぐのが習慣になってくると、こがないと気持ち悪いようになってきました。自転車こぎをするとお腹が空いて食べるので、体重は落ちませんでしたが、段々と足に筋肉がついてきました。体重はそんなに変わらないけど、足が、徐々にがちっとしてきたという感じです。階段も、たたっと軽やかに上がれるし、たたっと下りられるようになりました。膝の痛みとも無縁です。継続することが大事だと思いますので、これからも続けていきたいと思います。これは、「恋をする」とは関係ないですが、『動機』という観点から3に関連するのではないかと思います。今までのように、ただなんとなく若い頃の体重に戻りたい、とか、友達に会うから痩せたい、とかじゃなくて、「健康のため」と動機が変わったのです。それはまた、もう自分が若くない、ということをしっかり認め、自覚したということでもあるかもしれません。ラジオ体操といえば、テレビで放送しているプロのお手本を見ると、私のタラーンとした体操とはまるで別物ですけれども、まあ、タラーンと毎日やっていた成果といいましょうか、前回日本に帰った時に、私の両親はオンタイムで毎朝6時半に家でラジオ体操をやっているので、私も一緒に参加していたら、父に、「この前帰って来た時は、お前がラジオ体操をすると、体中からゴキゴキ音がしてたもんだが、今回は音がしないな」と言われました。「実は、私もこの頃毎日ラジオ体操してるのよ、お父さん」と言うと、「そのせいか」と言われ、なんだか、自分の努力を認められたような気分になりました。やっぱり、タラーンとでも、毎日続けるのが大切なんですね。以上、読んでくださってありがとうございました。御機嫌よう!
2016年04月28日
おはようございます、ひなこです。昨日のグレープフルーツダイエットの流れで、今日は踏み台昇降で痩せた話です。あれは、確か私が43歳の時だったと思います。日本に一時帰国することになり、日本の友達にその旨を連絡すると、20数年会っていなかった友人と会えることになりました。私は、彼女に最後に会った20数年前より、10キロ以上太っていたので、再会時のショックを和らげようと、そう伝えました。その結果、なんと、「私は、あの頃と体重変わってないよ」という、渋い返事が返ってきたのです。マジか?!私は、焦って、「痩せる計画」を立てようとしました。何かを食べないダイエットは、グレープフルーツダイエットで失敗こきましたので、やっぱり運動だな、と思いましたが、私は子供の頃から超インドア派。そんな時、ふと思い出したのが、30代の頃、ある人が言っていた言葉です。「私の会社の同僚の日本人男性がすっごく痩せて、どうやって痩せたのって聞いたら、踏み台昇降を毎日やって、食べ物は、毎日蕎麦とサラダを食べたんだって!」踏み台昇降。家の中ででき、お金もかからず、私に合っているかも。よし、決定だ!それから、私は3か月ほど、毎日、毎日、家の階段の下2段と床の計3段を使って、踏み台昇降をしました。なぜ3段かというと、2段でやると、右足と左足、どっちを使うかこんがらがってしまうからです。なんて鈍いんでしょう、私。あまりに熱心にやるので、しまいには夫に、「会うのは実は元カレか?!」と疑いをかけられてしまったくらいです。いや、こういうのって、女同士の方が、かえって気をつかいますよね。オーストラリアでは、前日のNHKの7時ニュースを、翌日の午前中に放送するので、それを横目に見ながら毎日30分。BGMは、♪重いコンダーラ。気分は星飛馬、汗だくです。(追記:この記事を書いた時は、まだ歌詞を書くことが著作権侵害にあたるということで、こう書きました。歌詞を間違って覚えていたわけではありません。しかし、このすぐ後、楽天ブログで歌詞を書いてもいいですよ!というお知らせがありました。本当の歌詞は、「思い込んだら 試練の道を」です)めらめらめら。脂肪燃焼!最初は、何も変化がなかったのですが、3か月後には、なんと7キロ痩せました。いかに普段運動不足だったかということですね・・・。でも、どんなにがんばっても、20数年前の体重に戻すことは無理でした。それプラス5キロにしかなりませんでした。あの時ばかりは、いつも実家に帰ると、「お前は太り過ぎだよ。健康に悪いよ」と言う母も、「まあ、痩せちゃって、体の具合でも悪いのかい?」と心配していました。母は一体、私にどうして欲しいのかよくわかりません。普段から、帰ると、母の容赦ない「これを食べろ、あれを食べろ」攻撃を受けるのですが、この時も例に漏れず。しかし、その誘惑に負けたら3か月の努力が水の泡なので、耐えましたが。太って着れなくなってしまったズボン(死語?)が3本ほど実家にあったのを発見し、着てみると、面白いようにするっと着れます。なので、オーストラリアに持って帰って来たのですが、オーストラリアに戻ってきたら、すぐ太って着れなくなり、捨てました・・・。なぜ、太ったか。それは、踏み台昇降を止めてしまったからです。しかし、太ったくせに、「なに、また踏み台昇降をやれば、痩せる」という変な自信を持っていました。ところが、人生そんなに甘くありません。数年後に、踏み台昇降をやってみたら、なんと膝が痛くて、痛くて、踏み台昇降のできない身体となっていたのです!ひえええええ!というところで、今日はおしまいです。多分明日も続きます。多分、明日がダイエットの話最終回です。では、御機嫌よう!
2016年04月27日
おはようございます。ひなこです。オーストラリアは、肥満率がとても高い国です。2014年ー2015年の統計によると、なんと成人の63.4%が太り過ぎか肥満だそうです!ちなみに20年前は、56.3%だったそうです。このオーストラリアの統計では、太り過ぎというのは、BMI(Body Mass Index)が25から30、肥満は30以上の人を指すそうです。日本だと25以上は、即、肥満のようですが。日本ではBMIを、ボディーマス指数と呼んでいるようです。BMI=体重kg/(身長m)2 で算出されます。このBMIが男女とも22の時に高血圧、高脂血症、肝障害、耐糖能障害等の有病率が最も低くなるということがわかってきているそうです。ひなこは、日本人にしては大柄のほうですが、まだなんとかぎりぎり標準値に留まっています。つまり、オーストラリアでは36.6%と少数派のBMI25以下グループ所属です。するとどういうことが起こるかというと、周りが自分よりデブばかりなので、自分が痩せているような錯覚に陥ります。「ひなこは良いわねー、痩せてて。やっぱり痩せてると若く見えるわよねー。50歳過ぎてる?冗談でしょう?!」などと言われて、なんだかその気になってしまいます。しかし、その気分で日本に帰ると、実はデブだった、という現実を知ることとなります。オーストラリアとは逆に、「ひなこはデブだから、老けて見えるのよ」などと母に言われたりして。日本に一時帰国するのに、日本の航空会社を使うと、飛行機に乗った時点で、クルーの皆さんの細さにびっくりします。いつもどっしりした胴体に見慣れているので。そして比較対象が変わったため、自分が象のように大きくなった気がします。まあ、象はでかすぎるにしても、女子プロレスの選手か、女横綱ぐらいになった気分です。そして、その後に出てくる機内食の量の少なさ、コップの小ささに驚愕します。そして、「そうか、この日本人の細さは、この食の細さに由来してるのね」と知ります。オーストラリア人だったら、子供でもこれ以上の量を飲み食いすると思います。だから、太ってるんですけど。さて、巷には、「なんとかダイエット」と呼ばれるものが多々ありますが、皆さん、試したことはありますでしょうか。私が唯一試したことがあるのは、グレープフルーツダイエットです。今から10年ほど前に、40歳をちょっと過ぎ、若干増えた体重を30代の頃の体重に戻したい!と思ったのです。メニューはこちら。↓http://alice.pupu.jp/kokuritsu.html上記のメニューを2回繰り返す、2週間のダイエットです。デンマーク発祥だとかで、2週間、ごはんはなしです。でも、途中で挫折して、トーストの代わりに、お茶碗一膳のおかゆに変更しました。そして、ゆで卵。もう、ゆで卵は見たくもない、という心境に陥り、豆腐に変更しました。そして2週間後。私は痩せたんでしょうか。結果をいうと、はい、痩せました。3キロ痩せました。が!!!元の食事を取るようになったら、すぐ元の体重に戻りました!「元の木阿弥」しかし、得たこともあります。グレープフルーツダイエットから私が学んだことは、 1.短期集中には良いが、長期継続は無理。2.砂糖を食べないと、ニンジンが甘い!3.油も必要!4.野菜を沢山食べると便秘しない!5.間食しないのは、歯に良い!以上、5つのことでした。1.短期集中には良いが、長期継続は無理。「披露宴に出席するこの日までに痩せないと、このドレスが着れない」などという状況には良いかと思います。2.砂糖を食べないと、ニンジンが甘い!2週間、一切砂糖を食べませんでした。すると、ニンジンがとーっても甘く感じました。馬やうさぎがニンジンが好物なのがよく理解できました。3.油も必要!砂糖と共に、油も2週間断ちました。そうしたら、途中から、肘の皮が剝けてきました。健康の敵のように言われることの多い油ですが、全く食べないというのもいけないのだな、と思いました。4.野菜を沢山食べると便秘しない!今までより食べる量が減るので、便秘するんじゃないかと思ったのですが、野菜の多い食生活のせいか、全くそのようなことはありませんでした。5.間食しないのは、歯に良い!2週間、一切間食なしでしたから、一食、食べる毎に歯みがきをして、次の食事まで歯はきれいなまま。ちょっと新鮮な経験でした。朝、目が覚めて一番先に思うことは、「ああ、お腹が空いた」、夜、寝る時に心に浮かぶのは、「ああ、お腹が空いた」という2週間でした。これを食べきったら、次の食事まで何も食べられないと思うと、ゆっくり噛みしめて、じっくり食べるようになりました。家にいると、挫折して何かを食べてしまいそうで、外出した日もありました。でも、それ以降2度とやってません。食べないだけのダイエットは、リバウンドすると知ったからです。なんだか、ゆで卵食べたくなってきました。今日は、ゆで卵食べよう。では、御機嫌よう!
2016年04月26日
おはようございます、ひなこです。本日4月25日、オーストラリアは、アンザック・デイで休日です。オーストラリアには、州毎の休日というのもありますが、本日は全国的に休日の日。(今まで、不思議に思ったことはなかったけど、州毎に違う休日って、日本に当てはめると変ですね。「今日は、京都は”祇園祭”でお休みとなっております」とか、「明日、北海道は”開拓記念日”で休みですよ」とかそういう感じですもんね)さて、アンザックという言葉、オーストラリアにいるとよく耳にします。橋の名前とか(アンザック・ブリッジ)、通りの名前とか(アンザック・パレード)とか、アンザック・ビスケットなんていうのもスーパーで見かけます。ANZACは、Ausstralia and New Zealand Army Corps、オーストラリア・ニュージーランド軍団の略だそうです。「石原軍団」とは違って、本当に戦争をした軍団です。本日4月25日は、このアンザック軍がトルコのゲリポリに上陸した日です。1915年のことです。結局、この作戦は大失敗に終わり、連合軍はなんら得るものなく、撤退しました。今では、第一次世界大戦だけではなく、全ての戦争にかかわったオーストラリア兵士を追悼しようという日のようですが、トルコのゲリポリにも毎年多くのオーストラリア人が集まり、追悼行事を行っています。いうなれば、日本人が毎年12月8日に真珠湾に大集合して、国をあげて日本人兵士を追悼しているようなもので、外人の私から見ると、「なんだか意味不明」な気もします。(大体アメリカがそんなことをさせてはくれないでしょうが)移民の国なので、アンザック・デイは、愛国心を煽る良い機会なわけなんでしょうが、そもそも、アンザック軍がわざわざ地球の反対側まで出向いて行ったのは、自国のためというよりは、英国のためだったわけで、「お国のため」というのは、「英国のため」だったわけです。オーストラリアは中東とヨーロッパに30万人の兵士を送り、6万人近くが戦死し、15万人以上が負傷したそうです。当時の人口は500万人だったとか。まあ、今でも、オーストラリアの国家元首は、エリザベス女王ですし、国旗にもしっかりユニオン・ジャックがついてますし、硬貨やお札の一部にもエリザベス女王がしっかりついているし、植民地な感じは拭えません。さて、ここでクイズです。オーストラリアは、今までたった一つの国によってのみ、攻撃を受けたことがあります。では、その国とは一体どこでしょう?答えは、なんと、日本でした!なので、アンザック・デイ、日本人には肩身の狭い日でもあります。第二次世界大戦中、2万2千人のオーストラリア兵は日本軍の捕虜となり、そのうち8千人が虐待によって死亡したそうです。私が初めてオーストラリアに来た30年前は、まだそういう元捕虜だったオージーのおじさんが生きていて、タクシーに乗ったら運転手に「何人だ?」と聞かれ、「日本人だ」と答えたら、つばをひっかけられたなんて話が結構ありました。多分、ほとんどの日本人は日本がダーウィンを爆撃したとか、オペラハウスとハーバーブリッジで有名なシドニー湾に、旧日本軍の特殊潜水艦が沈んでいるとか、知らないんじゃないでしょうか。私はこの国に来るまで知りませんでした。オーストラリアと言ったら、コアラとカンガルーしか浮かばないかもしれませんが、それだけじゃないんですよというお話でした。兵士の人数などは、村上春樹さんが、2000年のシドニーオリンピックについて書かれたエッセイ『Sydney!』から、9月20日と9月28日のシドニー日誌を参考にさせて頂きました。ありがとう、村上さん!
2016年04月25日
おはようございます。ひなこです。今朝は、ブルーベリーとビートルーツ(複数形)を食べました。ブルーベリーは洗って生でそのまま食べましたが、ビートルーツは昨日、皮をむいてキューブ状に切り、茹でて、レモン汁とオリーブオイルをかけておいたものを食べました。日本では、馴染みの薄いビートルーツについて本日は書きます。こちらが生のビートルーツ。日本ではビーツなどとも呼ばれるようです。私が初めてこの野菜に出会ったのは、今から30年前、シドニーでです。オーストラリアのハンバーガーには、缶詰のスライスビートルーツが定番として入っています。目玉焼きが入っているのもありましたが、それよりも、正体不明の紫色の得体の知れないこの物体には「何これ?!」と拒絶反応を示したひなこです。当時、日本の会社で経理事務として働くことになった私を、会社の同僚の年上のオーストラリア人女性が、親睦を深めるということでしょうか、ローカルランチに連れて行ってくれました。そこで出会ったのが、このビートルーツ。「これ、何?!」「ビートルーツよ。日本じゃ食べないの?」「いや、食べない」というような会話がなされたものと思います。食べてみた感想は、茹ですぎの野菜のようなもったりした食感、甘酸っぱい味、まずい。少ししてから、私は道産子なのですが、ビートから砂糖を作るとか、甜菜とか言葉だけ聞いたことがあるけど、もしかしてあれと同じものなのか?と思い当たりましたが、当時、グーグルなんてありませんから、思っただけで調べるようなことはしませんでした。大体、調理前の実際の形も知らないし、缶詰だって自分の食べない物だから、スーパーなどで見かけたこともありません。とにかく、私の頭の中では、スライスされた紫の物体、美味しくもないし、できれば避けたい食品=ビートルーツとインプットされました。そんな私がビートルーツを食べられるようになったきっかけは、とあるレストランでビートルーツのサラダを食べてからです。これはオーストラリアではありません。それは缶詰ではなくて、生のビートルーツを茹でてレモンとオリーブオイルであえてあるものでした。「そうか、生は美味しいんだ」他にも私は、パイナップルやミカンなども、缶詰は苦手で、生は好きです。オーストラリアの缶詰。写真が下手ですみません。40歳を過ぎる頃から、健康に良いというので、ジュースにして飲むようになったりもしました。ロシアの有名料理ボルシチにも入っているそうですね。私は食べたことないですが。「飲む輸血」といわれるほどリン、ナトリウム、マグネシウム、カリウム、鉄、カルシウムなどの栄養素を豊富に含んでいるそうです。でも、私はおかげ様で健康なので、特にこれに効いたというような感覚はありませんが、すごいと思ったのは、ジューサーって使っているうちに、野菜や果物のあくというか渋というか、茶色くなっていきますよね。あれが、ビートルーツを使うときれいに取れるんですよ。ということは、身体に入っても同じ効果でデトックスされるのかなとは思います。皆さまも機会があったら、ぜひ一度お試しください。最後に、スライスされたビートルーツの写真でお別れです。よい一日をお過ごしください。
2016年04月24日
おはようございます。こちらシドニーは、秋。日中は暖かいですが、朝晩は涼しくなってきました。今朝は、大根の梅干し煮を食べました。(大根を輪切りに切って、ほんだしと梅干を入れて煮ただけ。昨日煮ておいて、今、温めた)しかし、こういうものを美味しいと感じるというのが、年ですよねえ。ところで、昨日、夫が、偽50ドル札を持っていたことが発覚しました。いえいえ、彼が製造していたわけではありません!どこかから、握らされてきた被害者です!オーストラリアでも、こんなことあるんだ!?とびっくりです。見た目も手触りも、ごく普通で、怪しさはなく、ちょっと変かなと思えるのは、ところどころ小さく色がはがれていて、下地のピカピカしたプラスチックが見えているところです。気を付けないと!若い頃、アメリカドルの偽札を見たことがありますが、あれも私には本物にしか見えなかったです。怖い、怖い。
2016年04月23日
自己紹介で触れましたが、「筆子ジャーナル」というブログにインスパイアされて、ブログを開設しました、シドニー在住、51歳主婦です。そんな影響力のある筆子さんって、一体その人は誰?と思われますよね。実は、私も数日前まで全く存じ上げなかった方です。昨年、女性雑誌CREA9月号に、村上春樹さんが、東京するめクラブでお馴染みの吉本由美さんと都築響一さんと一緒に、熊本を3人で旅するという『書き下ろしおでかけエッセイ』なるものが掲載され、心優しい私の高校の同級生が、村上主義者の私のために、頼んでもいないのに、わざわざその雑誌を日本から送ってくれたことがありました。(ありがたや~)(ちなみにこのエッセイは、『ラオスにいったい何があるというのですか?紀行文集』に収録されているそうです)その記憶がまだ鮮明に残っており、熊本の地震の後、「確か吉本由美さんって熊本在住だよなあ。大丈夫だったのかなあ」と思い、吉本さんのお名前でググった結果、吉本さんのブログ「吉本由美のこちら熊本!」は、2月21日以降アップされておらず、結局安否はわからずじまいだったのですが、その流れで筆子さんのブログを見つけました。吉本由美さんの本を紹介されていたからです。そこに、『実録!親の家を片付ける』という、老いた親の住む実家の生前整理について書かれていたので、それでまず「おや?」っと興味を惹かれ、読んでいるうちに面白くて、どんどん読んでしまいました。私より5歳も年上なのに、毎日休むことなく、ネタ切れになることなく、書き続ける筆子さん。なんとつい最近、『1週間で8割捨てる技術』という本まで出版されてました。「ああ、私も、ちょっとボケ防止のためにでも、何か始めようかしら」と思った次第です。すぐネタ切れになりそうな気もしますが・・・。ちなみに、村上春樹さんは、”CREA<するめ基金>熊本”という支援活動をされていらっしゃるようです。(ここに↓何も書かれていないので、多分吉本由美さんは大丈夫だったのかな)http://crea.bunshun.jp/articles/-/10400
2016年04月22日
始めまして。ふゆのひなこです。実際は、もうちょっと若い・・・つもりです・・。この名前は、祖母の名前を2つくっつけました。昭和39年生まれ、51歳の主婦です。シドニー在住です。数日前、ひょんなことからカナダ在住の5歳年上の主婦、筆子さんの「筆子ジャーナル」に出会い、私もブログ登録をしてみました!よろしく!
2016年04月22日
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