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2006年 3月21日(火) 小石川植物園D・東京旅行(9) 春曙光のすぐ左となりで、「曙」が淡いピンクの大きな花を沢山咲かせている。 曙(あけぼの) 関西古花。 淡桃色の一重、椀咲き、筒しべ、大輪で蕾が丸 い。 その近くで、「太郎冠者」がピンクの花を高い所まで、付けている。 太郎冠者(たろうかじゃ) 関東で太郎冠者、関西で有楽椿(うらくつばき)と云う。 織田 有楽のゆかりのある京都月真院に、太郎冠者の古木がある。 一般にワビスケ(侘助)と呼ばれている品種の一つで、桃色の ほか、白や濃桃色などが知られ、とくに白花は茶花に多く使わ れる。 花は6~8cm位のラッパ形、青みを帯びた桃色の一重・小輪 で、微香がある。 その近くで、素敵な花を咲かせているのは、「菊冬至」である。 菊冬至(きくとうじ) 濃紅~紫紅地白斑、千重、中輪。 斑の模様で、花の雰囲気 が変わる。 菊冬至の名は、この椿の花期が、晩秋から春までと長いことを 表しているという説や、「菊綴じ」から転訛したという説などがあ る。 -つづく- 画像は下記をクリックして下さい。 小石川植物園D ※名古屋のソメイヨシノ速報(7)[鶴舞公園] 「6分咲き」 ※ザ・サクラの開花速報(5)[我が家の前のサクラ] 「1.5分咲き」
2006年03月31日
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2006年 3月21日(火) 小石川植物園C・東京旅行(8) 紅唐子の左となりで、白い花を咲かせているのは、「天の川」である。 天の川(あまのがわ) ツバキ科・原産地は江戸で、常緑中・高木。 白色の八重、抱 え咲き、筒しべ、中~大輪。 葉形は楕円~長楕円で中形。 樹形は横張り性で、強い。『椿 伊呂波名寄色附』(1859)に記載されている。 その隣で、素敵な花を付けているのは、「古今欄」である。 古今欄(こきんらん) 白色の花弁に紅色の小絞りが入る。 牡丹咲き、筒しべ、中輪。 惚れ惚れとするくらい美しい。 その近くで、「春曙光」がピンクの花を沢山付けている。 春曙光(はるしょこう) 江戸時代からの品種。 淡いピンクが、その名の通り春らしい。 15弁ほどの、抱え性の八重咲き、中輪。 -つづく- 画像は下記をクリックして下さい。 小石川植物園C ※名古屋のソメイヨシノ速報(6)[鶴舞公園] 「5分咲き」※ザ・サクラの開花速報(4)[我が家の前のサクラ] 「1分咲き」
2006年03月30日
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2006年 3月21日(火) 小石川植物園B・東京旅行(7) サクラ園の手前、右手(北側)に大きなツバキの樹があり、この時期にまだ花を付けている。 その樹の後ろに、カンヒザクラが満開で、ツバキとサクラを同時に撮影することが出来た。 サクラ園の一番奥(西側)の右手に、ツバキ園があり、いまだに綺麗な花を沢山付けているので、嬉しくなる。 「光源氏」が、何とも素敵な花を咲かせていた。 光源氏(ひかるげんじ) 江戸ツバキで、淡紅色に紅の縦絞りや白覆輪がはいる牡丹咲 き、散しべ、大輪。 葉形は長楕円、中形。 その左となりで、面白い形の花を付けているのは、「紅唐子」である。 紅唐子(べにからこ) ヤブツバキ系の園芸品種。 花の中心部にぎっしり詰まっている のは、花弁化した雄しべで、このような花形を唐子(からこ)咲き という。 江戸時代の子どもの髪型、「唐子」に見立てたものとい う。 「唐子」とは、左右の頭頂、あるいは前髪を残して剃った、主 に女の子の髪型。 京都などでは、「日光(じっこう)」と呼ばれるが、これは日輪に見 立てた名である。 先端近くで、急に細くなって先が尖る葉、褐色の蕾など、ほかの 園芸品種にはあまり見られない特徴を持っていて、開花していな い時でも見分けやすい。 -つづく- 画像は下記をクリックして下さい。 小石川植物園B ※名古屋のソメイヨシノ速報(5)[鶴舞公園] 「4分咲き」 ※ザ・サクラの開花速報(3)[我が家の前のサクラ] 「0.5分咲き」
2006年03月29日
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2006年 3月21日(火) 小石川植物園A・東京旅行(6) 正午近くに東京都美術館を出て、JR上野駅の近くで昼食をとる。 祭日ということもあり、レストランは結構混んでいた。昼食後、山手線で巣鴨経由地下鉄利用で白山へ。徒歩約15分で、小石川植物園に着く。 園内に入ったすぐのところに、ソメイヨシノの樹が沢山あるが、残念ながら21日現在では、開花して居なかった。 といっても、他品種のサクラが開花していることは、何回もこの植物園に来て知っているので、がっかりしないで、奥へ進んで行く。 園のほぼ中央部に、大きなサクラ園があるが、殆どはソメイヨシノの樹なので、ここも全く咲いていない。 その一番奥で、白っぽい花を沢山付けているのは、「カンザキオオオシマ」である。 カンザキオオシマ(寒咲き大島) バラ科・サクラ属、原産地は伊豆大島・伊豆半島で、落葉高木。 オオシマザクラのうち、特に早咲きの系統である。 白い花を咲 かせる。 緑色の葉が、花と同時に出るのが特徴。 もともと、 海岸近くで自生しているため、潮風に耐える。 大木になるため、一般家庭での栽培は、広い庭がある場合以外 は、やや手間がかかる。 そのすぐ傍で、濃いピンクの花を咲かせているのは、「ソウシュンザクラ」である。 ソウシュンザクラ(早春桜) 日本の桜は変種、園芸種を含めると300を超すと云われている が、もともとの自生種は、ヤマザクラ、オオヤマザクラ、カスミザ クラ、オオシマザクラ、マメザクラ、タカネザクラ、チョウジザクラ、 エドヒガン、カンヒザクラ、ミヤマザクラの10種類である。 このソウシュンザクラは、マメザクラの園芸品種である。 -つづく- 画像は下記をクリックして下さい。 小石川植物園A ※名古屋のソメイヨシノ速報(4)[鶴舞公園] 「2分咲き」 ※ザ・サクラ開花速報(2)[我が家の前の桜] 「開花・パラパラ」
2006年03月28日
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2006年 3月21日(火) 東京都美術館B・東京旅行(5) 東京都美術館正面入口のゲートで、「プラド美術館展」のPR看板が目に付いた。 3/25からなので、今日は観ることは出来ないが、丁度2年前のスペイン旅行時にプラド美術館へ立ち寄っているので、懐かしく思い出す。 さて、B1Fへと降りて、展示室に向かう。 大調和展は2Fで開催している。 今回で11回目だろうか。 毎年のことであるが、100号近い大作が数多く展示されているのには感心する。今回も例外ではない。 大調和展 武者小路実篤(1885-1979)が、岸田劉生(1891-1929)を画壇 に復帰させるため、昭和2年(1927)に設立した。 白樺派の画 家、彫刻家達が参画したが、闘病中だった劉生が2年後に死 去したため、第2回展で解散した。 昭和37年(1962)に武者小路実篤を会長に、復活第1回展を 開催し、現在は復活後第45回展である。 会場は、1号室から12号室まである。 ゆっくりと観て回ると半日はかかってしまう。 先ず、お目当ての絵を観て、後は花の絵や人物画を中心に観賞する。 -つづく- 画像は下記をクリックして下さい。 東京都美術館B※名古屋のソメイヨシノ速報(3)
2006年03月27日
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2006年 3月26日(日) ソメイヨシノ名古屋開花・鶴舞公園 昨日、名古屋のソメイヨシノが開花するのは今日だと確信していたので、午前中に公園へ行きたかったが所用があり、到着したのはやっと午後3時半であった。 日曜日ということもあり、既に大勢の人達が場所取りをして、サクラの樹の下で、宴会をしている。 沢山のソメイヨシノの樹があるが、毎年真っ先に開花する樹は何故か決まっている。 とりあえず、そこに行って見る。 やった! ぱらぱらと咲いている。正式情報はともかく、勝手に鶴舞公園のソメイヨシノ開花を宣言する。 明朝の新聞が楽しみである。 園内では、ソメイヨシノ以外で満開のサクラもあり、当然のことながら、その下が一番混み合っている。 花が小さいので多分コヒガンザクラであろうか。 正式な品種名は分からない。 道を距てた反対側にチューリップ畑があり、ソメイヨシノに協賛する形で、咲き始めているのが面白い。 鶴舞公園 明治6年(1873)の太政官布告により公園制度が出来、名古 屋にも「大公園を」との市民の強い要望があったが、なかなか 実現しなかった。 名古屋市設置の第1号の公園は、明治42年(1909)に名称が 「鶴舞公園」と定められ、翌年には共進会(博覧会)が盛大に行 われている。 共進会の終了後、公園の整備が行われた。 そ の当時の噴水塔や公会堂は、現在も残っている。 因みに、当初は「つるま」であり、「つるまい」となったのは戦後 である。 -つづく- 画像は下記をクリックして下さい。 ソメイヨシノ名古屋開花
2006年03月26日
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2006年 3月21日(火) 東京都美術館A・東京旅行(4) 東京都美術館の東門を入ったところに、面白い彫刻がある。 一見、ただの石に見えるが、その題名がユニークである。「イロハニホヘトチリヌルヲワカヨテレソツネナラムウ井ノオクヤマケフコヘテアサキユメミシヱヒモセスン」とは、実に長い名前である。 多分イロハ48文字が彫刻されているのだろう。1979年、最上寿之(1936~ )作である。 この彫刻を見て、正門側にもステンレス製の彫刻があったのを思い出し、絵画展見学に先立ち、そちらへ移動する。 正門を入ったど真ん中に、巨大なボーリングの球が置かれている。 題名は、「my sky hole 85-2 光と影」で、1985年、井上武吉(1930-1997)作。 彼は奈良県の出身で、国内はもとより、海外でも度々個展を開催している。 1979年には、第一回ヘンリー・ムア大賞展・優秀賞を受賞している。 東京都美術館設立までの沿革 明治・大正にかけて日本の美術界では、美術館、特に明治以 降の日本画や洋画など同時代の美術を展示する近代美術館 の必要性は兼ねてから論議されていたが、文部省の美術館構 想は予算不足により頓挫していた。 そうした折、北九州の石炭王と云われた佐藤慶太郎から100万 円の寄付金が申し出され、それをもとに大正15年(1926)、東 京府美術館が建設された。 -つづく- 画像は下記をクリックして下さい。 東京都美術館A※名古屋のソメイヨシノ速報(2)
2006年03月25日
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2006年 3月21日(火) 上野のアサツユザクラが満開・東京旅行(3) 東京都美術館へ行く途中、東京国立博物館を望む地点で、右手に紅色のサクラが、そして左手にピンクのサクラが、今を盛りと咲き誇っていた。 右手のものは、「カンヒザクラ(寒緋桜)」である。 カンヒザクラ バラ科・サクラ属、原産地は台湾~ヒマラヤで、落葉高木。 Prunus(サクラ属)は、ラテン古名のplum(すもも)が語源。 花弁の色が濃紅色が特徴。 2/下旬から、3/初旬にか けて各種のサクラにさきがけて開花する。 花は鐘形(ベル 形)で、下向きに咲く。 1月下旬頃、「沖縄で全国初の花見!」のニュースが毎年 あるが、ここでいう花見の花は寒緋桜である。 別名「緋寒桜」で、これとは別に「彼岸桜」があり、「か」と 「が」だけの違いで間違いやすいので、混同を避けるため に、「寒緋桜」と変えたいきさつがある。 博物館に向かって左手で、ピンクの花をびっしり付けているのは、「アサツユザクラ(朝露桜)」である。 アサツユザクラ 真鶴半島西斜面の海岸に近い藪の中で自生している。「マメ ザクラ」に最も近いが、小花柄が長く、花が大きく、樹が大木 となる点が異なる。 花は枝に群がり咲き、開花は不揃いで あるが長期にわたり咲き続ける。 思いがけず、お花見を満喫出来、いい気分で、近くの東京都美術館へ向かう。 -つづく- 画像は下記をクリックして下さい。 上野のアサツユザクラが満開※名古屋のソメイヨシノ速報(1)[鶴舞公園] 残念なながら、開花寸前、蕾膨らむ。
2006年03月24日
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2006年 3月21日(火) 上野のオオカンザクラは満開・東京旅行(2) 静養軒の方へ移動する。 食事のためではなく、その近くで「オオカンザクラ」が咲き誇っていると聞いていたからである。 道路の両側には、ボンボリが沢山ぶらさがっており、お花見の準備は整っている。 遠目にも、オオカンザクラが満開状態であることが、よく分かった。 オオカンザクラ(大寒桜) 寒緋ザクラと大島ザクラとの交雑種とされる本種は、比較的早 く開花する早咲き種である。 別名を安行寒桜といい、川口市安行の田中一郎宅にあったも のを、同じ安行に住む小清水亀之助がもらいうけ、接ぎ木をし たのが最初である。 花色は淡紅色であり、中心部は濃い。 花は半開状で下を向 いて咲く。 桜に歴史ありで、ソメイヨシノが作出された「染井村」同様、「安 行」でも数多くの品種が作られたという。 近くの五条天神社前で、ウメとサクラを同時に撮影することが出来た。 もっとも、白ウメは残念ながら殆ど散っていたが。 ソメイヨシノの開花ノ間に合っただけでも、幸運であったが、他のサクラの満開を見ることが出来、満足満足である。 気分を良くしながら、東京都美術館へ向かう。 -つづく- 画像は下記をクリックして下さい。 上野のオオカンザクラは満開
2006年03月23日
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2006年 3月21日(火) 上野のソメイヨシノ開花・東京旅行(1) 地下鉄を利用して新幹線名古屋駅上りホームへ。 07:57発のひかり号で東京着は09:43。 真っ先に目指す所は、上野公園である。 ここ、10年毎年3月20日前後に上京するのが恒例となった。 主たる目的は、東京都美術館で大調和展が、この時期に開催され、姪が100号近い大作を出品するからである。 東京都美術館へ行くには、必ず動物園前を通り、ソメイヨシノが咲いている年もあれば、まだ蕾の時もあったが、2002年にデジカメを購入して以来、必ず桜の木を撮影している。 2002年3月20日は、驚いたことに上野のソメイヨシノは満開であった。 今年も、夢よもう一度と期待したのであるが、当初寒冬のため26日頃開花予定と発表され、その後22日に早まるとの情報をこのネットで頂いた。 絵画展の会期の関係で、1日早く、半ば開花寸前の撮影となると、半分諦めていた。 さて、午前10時過ぎ上野駅に着き、動物園の方に向かった時、遙か向こうのソメイヨシノがピンクに色づいているではないか。「開花した」と直感的に分かり、走りたいところを我慢して、急ぎ足で、お目当ての樹に近付いた。 やった! パラパラと咲いておりました。 上野のソメイヨシノの開花初日を撮影するのは初めてで、いささかエキサイトしながら、シャッターを押しまくったことは、云うまでもない。 22日の開花予定より、1日早く撮影して、私が勝手に開花宣言をして得意がっていたが、夕方ホテルに入ったら、ニュースで「本日東京地区のソメイヨシノが開花しました」と宣言していた。 -つづく- 画像は下記をクリックして下さい。 上野のソメイヨシノ開花
2006年03月22日
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お 知 ら せ3/21(火)~22(水)まで、東京へ行ってきます。 従いまして、花紀行(1233)の掲載は3/23(木)になります。お越しの節は、足跡を残しておいて下さい。3/23に、そちらにお伺いいたします。
2006年03月21日
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2006年 3月15日(水) 福山城B・福山旅行(4) 天守閣内は、博物館となっており、地階から最上階まで、福山の歴史と文化を伝える資料を豊富に展示している。 水野勝成・徳川家康像(蝋人形) 徳川家康(1542-1616)の生母於大の方は、福山藩初代藩主・ 水野勝成(1565-1651)の父忠重の姉であることから、家康の 従弟にあたる。 展示品は鎧(よろい)、兜(かぶと)を中心とした具足類が多いが、その中で「黒漆塗兎耳形兜」が興味深かった。 文字通り兎の耳の形をしたユニーク兜で、実戦に役立ちそうだと感心した。 江戸時代の櫛(くし)、笄(こうがい)、簪(かんざし)も勉強になった。当時の生活に密着したものとして、地場産業として成長していった備後絣が特に目を惹いた。 備後絣(びんごがすり) 江戸時代の機織りには、農閑期の余業として女性達がたずさわ っていた。 それが、余業から副業へと変化していくのは、江戸 時代中期以降のことである。 その背景には、福山藩が木綿(きわた)植え付けを奨励し、生産 を拡大していったこと、そして地域の販売網が活かされたことに よる(陸運・宿場町神辺「かんなべ」、海運・鞆之津「とものつ」)。 先染め織物である絣・飛白(かすり)は、たて糸、あるいはよこ糸 を束ね、模様となる部分を糸でくくり、藍で染める。 防染されたと ころが、白の地色で残る。 この時染料が、くくられたところにも浸 透したりして予定外の個所が染まる。これは織りの段階でも模様 のズレを生じさせ、「カスレ」と呼んだ。 「かすり」という言葉は、こ のカスレから来たようだ。 因みに、日本三大絣と云えば、九州の久留米絣、四国の伊予絣、 そして備後絣である。 天守閣の最上階(4階)からの眺望が素晴らしかったことはいうまでもない。 1時間くらいでお城の見学を終え、宴会場のあるホテルへと移動する。 福山旅行 <完> 画像は下記をクリックして下さい。 福山城B ※お知らせ 3/21~22、2日間東京へ行って来ます。 従いまして、次回花 紀行(1233)の掲載は3/23(木)となります。 お越しの節は、足跡を残しておいて下さい。 23日にそちらへ、 お伺いいたします。
2006年03月20日
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2006年 3月15日(水) 福山城A・福山旅行(3) 定刻14:00、ミニクラス会出席の全員が福山駅改札口へ集合する。 半数は毎月、或いは2ヶ月に1回会っているが、東京や九州からの友人とは久しぶりである。 やあやあの挨拶もそこそこに、早速福山城見学に、ぞろぞろと歩いて行く。 各地のお城を今まで見てきたが、駅のすぐそばにあるお城はここだけではなかろうか。駅を出れば、すぐ目の前に石垣がある。緩斜面を上れば「筋鉄御門(すじがねごもん)」がある。 間口10間X梁間3間の入り母屋造り、脇戸付きの渡櫓門である。門内に入れば天守閣が望める。 福山城 徳川幕府から西国鎮護の拠点として、譜代大名の水野勝成が 元和5年(1619年)に備後10万石の領主として入府し築いた 城である。 歴代の藩主は、水野氏5代、松平氏1代、阿部氏10代と続き、 廃藩置県に至るまで、福山城が藩治の中心となっていた。 昭和20年(1945年)8月の空襲により、天守閣と御湯殿は焼 失したが、昭和41年(1966年)の秋に市政50周年記念事業 として復元された。 焼失をまぬかれた、筋鉄御門と伏見櫓は 国の重要文化財に指定されている。 戦災焼失するまでの天守閣は、3方は漆喰総塗籠めであったが、 防備の弱い北面だけは、類例のない総鉄板鎧張りであったとい う。 現在の復元天守閣には鉄板は張られていない。 -つづく- 画像は下記をクリックして下さい。 福山城A
2006年03月19日
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2006年 3月15日(水) ホロコースト記念館B・福山旅行(2) 館内展示物の1/3を占めるかたちで、「杉原千畝」コーナーがある。 杉原千畝(ちうね、1900-1986) 世界中のユダヤ人から、日本のシンドラーと呼ばれて、全世界 の人達から尊敬の念を向けられている外交官(岐阜県八百津 町出身)。 1940年7月18日、第二次世界大戦のさなか、リトアニアの日 本領事代理をしていた杉原は、異様な雰囲気の中で目をさまし た。 領事館から外を見ると、周囲を沢山の人達がとりまき、血 走った目をして何かを叫んでいる。 日本通過ビザを求めて集 まった人々である。 この時、日本とドイツは同盟関係にあり、ユダヤ人を助ければ ドイツに対する裏切り行為になる。 杉原はビザ発行の許可を 求めて日本の外務省へ電報を打つが返事は無い。 何回も電 報を打って、やっと返ってきた回答は「ノー」。 杉原は、「私の一存で彼等を救おう。 そのために処罰を受け ても仕方がない。 人間としての信念を貫こう」と懸命にビザを 書き続けた。 このことにより、約6千人もの尊い命をナチス・ド イツの迫害から救った。 館外で、「アンネのバラ」の苗を、近くの小学生達が育てている。日本全国の小・中学校に呼びかけて、育てた苗を送っている。平和教育の一環として、大いに評価されているのは嬉しい。 実は、私が福山にホロコースト記念館があることを知ったのは、昨年4月29日可児花フェスタ記念公園において、「アンネのバラ園記念碑」の除幕式に出席したのがきっかけである。 ささやかな平和運動であるが、実りあるものとなってくれるよう祈念しながら、ホロコースト記念館を後にする。 -つづく- 画像は下記をクリックして下さい。 ホロコースト記念館B
2006年03月18日
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2006年 3月15日(水) ホロコースト記念館A・福山旅行(1) 早朝起床、地下鉄を利用して名古屋駅新幹線下りホームへ。07:30発のひかり号で、福山到着は09:48。 実は、今日のミニクラス会の福山集合は14:00であるが、その前に立ち寄りたいところがあるので早く来た次第。 福山から北へ走っている福塩線に乗り換え、二つ目の横尾へ10:30頃着く。 無人駅で、出口は1ヶ所しかない。 生憎目指すホロコースト記念館は線路の向こう側にあるので、踏切を探さなければならない。 線路は盛り土で小高くなっているので、どの方向へ行けばよいのか見当もつかない。 聞く人も見あたらないので、福山側へ歩いて行く。 3分歩いても踏切り又は地下道はない。 結局更に3分あるいた所に、下を車が通れる立体交差になっているところがあり、ほっとする。 線路の反対側にやっと出たところで、記念館の場所を通りすがりに人に聞く。 親切に教えてもらい、要するに反対側の踏切から10分くらいらしい。 高屋川の堤防に出れば、記念館の建物はすぐ分かるとのこと。 ということで、10数分ですむ所を30分近くかけて、やっと目指すホロコースト記念館へ到着した。 ホロコースト記念館 ナチ・ドイツにより迫害された600万人のユダヤ人、特に150 万人の子ども達が受けた人種差別を学ぶために、アンネ・フラ ンク没後50年を記念して、1995年に設立された。 館内には、ユダヤ人大虐殺や戦争の悲惨さを伝える写真や遺 留品が展示されているが、「ガス室で殺された子どもの靴(15 cm)」が、ひときわ涙を誘う。 ドイツ生まれのユダヤ人少女アンネ・フランクは、1945年3月 ベルゼン強制収容所で15歳と9ヶ月の生涯を終えた。 生きな がらえていれば、私と全く同年齢で身につまされる思いである。 holocaust はユダヤ教の祭事で獣を丸焼きにして、神前に捧げ る生け贄(にえ)で、転じて「大虐殺」を意味するようになった。 -つづく- 画像は下記をクリックして下さい。 ホロコースト記念館A
2006年03月17日
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お 知 ら せ3/15(水)~16(木)まで、福山へ行ってきます。 従いまして、花紀行(1229)の掲載は3/17(金)になります。お越しの節は、足跡を残しておいて下さい。3/17に、そちらにお伺いいたします。
2006年03月15日
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2006年 3月11日(土) 竹島・蒲郡旅行(3) 10:00 ホテルのマイクロバスで名鉄・西浦駅へ。 最初の予定では、このまま名古屋へ帰る積もりであったが、お天気がいいので、竹島へ立ち寄ることにした。 何と云っても、竹島は蒲郡観光のシンボルである。 10:30 蒲郡駅に到着。 タクシーで蒲郡Pホテルへ向かう。竹島を撮影するには、小高い所にあるこのホテルから俯瞰するのが一番だからである。 蒲郡Pホテル 旧蒲郡ホテルで、日本を代表する文豪(谷崎潤一郎、川端 康成等)達が愛した「常磐館」という旅館の別館として昭和9 年(1934)にオープンした。 西洋式ホテルの日本第一号 である。 城郭風の重厚でクラシカルな建物は往時の面影をそのまま 残しており、内装・調度品にはアールデコ様式が生きている。 敷地内の日本庭園とあいまって、洋と和が調和した絶妙の美 しさがある。 ホテルのすぐ下に、「海辺の文学記念館」があったので立ち寄る。 蒲郡に関わる文学作品の紹介・展示が主であるが、旧蒲郡ホテル時代の資料が沢山展示されていて、オープン当初の宿泊料が5圓とあり興味深かった。 当時の旧制大学出身者の初任給は10数円だったことから考えて、まさに超一流ホテルだった。 文学記念館のすぐそばから、竹島橋が竹島に向かって延びている。 橋の長さは387m。 竹島は温暖性の常緑樹におおわれた島で、国の天然記念物に指定され、島には平安時代に琵琶湖の竹生島から勧請したといわれる弁財天が祀られている。 島の緑、海の青、そして橋の白さのコントラストは、一刻一刻その姿を変え、その風景の中にとけ込む感じで、しばし時のたつのを忘れさせてくれる。 蒲郡旅行 <完> 画像は下記をクリックして下さい。 竹島 ※お知らせ 3/15(水)~16(木)まで2日間、福山へ旅行します。 従いまして、次回花紀行(1229)の掲載は3/17となり ます。 お越しの節は、足跡を残しておいて下さい。 17日(金) にそちらへお伺いいたします。
2006年03月14日
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2006年 3月10~11日(土) 西浦温泉B・蒲郡旅行(2) 16:00 大浴場から部屋へ戻ってくる。 私は1Fの大浴場で、家内は3Fである。 翌朝5時からは逆になる。 当然の事ながら3Fの方が、三河湾の眺望はより良い筈である。 さて、部屋に戻って来ても、雨が降っていては外へ出るわけにも行かず、手持ちぶさたで、TVを見るだけである。 係りへ電話して、最も早い夕食を頼む。 17:30 待望の夕食がやってきた。 どうやら、メインは「アワビのバター焼き」と「伊勢エビの蒸籠(せいろ)蒸し」のようだ。 アワビは思いの外柔らかくて、実に美味であった。 アルコールが進んだことは、云うまでもない。 40分間で夕食は終わり、さてその後することは何も無い。我が家なら、PCのスイッチ・オンであるが、ここは残念ながらインタネット・ルームはない。 ホテルの案内書を見ると、どうやらカラオケ・ラウンジがあるようだ。 しかし、オープンは20:00で、それまでTVを見るしかない。 オープンを待ちかねるように、定刻にカラオケ・ラウンジへ行く。既に2組の先客があった。 4人席のボックスが10位と、カウンター席もあり、結構広いので驚く。 ステージもあり、気分良く歌えそうだ。 家内と珍しく、イタリア民謡をデュエットした。 これもアルコールの勢いか。 蛮声をはりあげて歌ったおかげか、翌朝目覚めたのは、何と7時である。 朝食は07:30に頼んであるので、慌てて洗面を兼ねて3F大浴場へ行く。 大きな露天風呂もあり、昨日と打って変わって快晴なので、素敵な風景を満喫しながら、まさに気分爽快である。 -つづく- 画像は下記をクリックして下さい。 西浦温泉B
2006年03月13日
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2006年 3月 10日(金) 西浦温泉A・蒲郡旅行(1) 地下鉄経由金山駅コンコースへ。 ここは、花紀行(0001)の第一映像という懐かしい場所である。 約4年前のことを思い出しながら撮影する。 卒業式を終えた女子学生達が花を添えてくれた。 花紀行(0001)の時は、画面に向かって左手の名鉄電車で知立(ちりゅう)へ行ったが、今回は右手のJR改札口に向かう。金山発12:00の新快速で、蒲郡到着は12:32。 西浦へ行くには、バスにしようか、電車にしようかと迷っているうちに、電車が出てしまった。 後30分待たなければならない。 宿泊予定のホテルへ電話して、名鉄・西浦駅へ迎えに来てくれるよう頼む。 迎えのマイクロバスで、ホテル到着は13:40、15:00のチェックインまで、まだ1時間20分もある。 生憎雨は降り止んでいないので、ロビーで待つことにする。 ロビーから三河湾が一望出来るが、生憎靄(もや)っていて、ぼんやり見えるのは、「さるが島」と「うさぎ島」だろうか。 ロビーは広々としていて、山側の方に素敵な「紅白梅の屏風」や、「湯浴み人形」などが展示されていて、目を楽しませてくれる。30分位経ったところで、客室に案内してくれた。 客室はロビーの真上にあるので、より素敵な展望を楽しむことが出来る。 何よりも驚いたのは、どうやら各客室に「五右衛門風呂」風の露天風呂があることで、しかも内風呂もあり、屋内外に2つも風呂があった。 もっとも、我々はそれらの風呂は使用せず、早速大浴場に向かった。 1Fと3Fの2ヶ所にあり、17:00を境に男女用別々に切り替わるようになっている。 しかも、ホテルは西浦半島の突端に建っているので、何れの大浴場からも300度近いパノラマ展望を楽しめる。 -つづく- 画像は下記をクリックして下さい。 西浦温泉A
2006年03月12日
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お 知 ら せ西浦温泉(蒲郡)へ行ってきます。従いまして、花紀行(1226)の掲載は3/12(日)になります。お越しの節は、足跡を残しておいて下さい。 3/12に、そちらにお伺いいたします。
2006年03月10日
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2006年 3月 4日(土) デンドロキルム・ランの館(5) アトリウム(大温室)の南西コーナー附近で、穂状の白い花を沢山付けているのは、「デンドロキルム・グルマケウム」である。 デンドロキルム・グルマケウム ラン科・デンドロキルム属、原産地はフィリピンで、着生原種 ラン。 花径1~1.5cmの白い小さな花が、2列に整然と咲く。花房 の長さは約15~20cm、1房の花数は40個くらいで、花房が 弓状に垂れ下がる。 バニラの香りがする芳香種。 葉は広 線形で、やや革質。 寒さには比較的強く、最低7℃あれば越冬出来る。 フィリピン の標高500~2000mの山地に分布している。 種名は「苞えい(二枚の苞葉)状の」という意味で、花のように 見える苞葉が目立つことから名付けられた。 なお、デンドロビ ウムと名前が似ているが、何の関係もない。 その近くで、同属の「デンドロキルム・コッビアヌム」が変わった花を付けていた。 デンドロキルム・コッビアヌム ラン科・デンドロキルム属、フィリッピンの海抜1200m以上の所 にある、苔むした樹木の洞の中に着生し、または石灰岩上に岩 生して生育する原種ラン。 花径は1cm位、白地に黄色い唇弁である。小さな花をよく見ると、 まさにランそのもので、原種ランであることが納得出来る。 -つづく- 画像は下記をクリックして下さい。 デンドロキルム
2006年03月09日
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2006年 3月 4日(土) プリンセス・キコ・ランの館(4) アトリウム(大温室)のほぼ中央で、「プリンセス・キコ」が特別展示されていた。 このランは、一昨年5月秋篠宮がランの館で手植えされたものである。 2鉢あるうち、横地館長が植えた1鉢は昨春から咲いたのに対し、宮さまが植えられた鉢は開花が遅れていた。 紀子さまの第3子ご懐妊の報道があった直後の2月7日夜から8日朝にかけて開花した。 館長は「おめでたい偶然でびっくりしている。 秋篠宮さまの思い出深い花なので、とても嬉しい」と話している。 プリンセス・キコ ラン科・カトレア属、原産地は中南米で、着生ラン。 ランを代 表するカトレアの改良種で、和歌山県の育種業者が1990年 2月に開発し、同年秋に大阪市で行われた展覧会で銅賞を受 賞している。 紀子さまをイメージしたような清楚な姿で、白地に縁に薄紅色 がほんのりと入っている。 草丈は約30cm。 平成2年(1990)6月、秋篠宮ご夫妻のご結婚に因んで命名 された。 なお、属名のカトレアは、英国の園芸家、ウイリアム・カトレイ 氏が、1816年にブラジルから送られてきた、葉の異常に厚い 植物に目をとめて育てたところ、1824年に開花を見たので、 育て親を記念して「カトレア」と命名された。 -つづく- 画像は下記をクリックして下さい。 プリンセス・キコ
2006年03月08日
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2006年 3月 4日(土) コチョウラン・ランの館(3) ランの館の、目玉展示物は何といってもコチョウランであろうか。 雛飾りでは、一段目がカトレア、二段目がコチョウランとなっていたが、私自身にとってはコチョウランがランの王様で、カトレアは女王様である。 コチョウランは私のHPの原点で、バラに変わるまでは、約3年間トップページを飾っていた。 ランの館へは、年数回来るが、いつも真先にアトリウム(大温室)入口正面にあるコチョウランを撮影していた(今回は、カワヅザクラ、雛飾りの後となったが)。 コチョウラン(胡蝶蘭) ラン科・ファレノプシス属、原産地は東南アジアで、非耐寒性 多年草。 花の形が蝶のように見えることから胡蝶蘭と呼ばれている。 お祝い事やお見舞いのギフトとして、コチョウランの花鉢は 人気がある。 高温多湿を好み、株分けが難しいことから、以前は可成り 高価であったが、成長点培養の技術と東南アジアからの苗 の輸入が増えて、求めやすくなった。 特に台湾がコチョランの生産、輸出に力を入れている。 原 種である「ファレノプシス・アマピリス・ホルモーサ」の故郷だ けあって、気候が適しているのだろう。 我が国は、普通の苗 だけでなく、開花寸前の大苗も大量に輸入している。 真冬でも最低温度は17℃は欲しい。 ミニコチョウランは比 較的低温に強いので、家庭の栽培に適している。 花色は、 白、桃、黄、橙、緑と多彩なのも嬉しい。 -つづく- 画像は下記をクリックして下さい。 コチョウラン
2006年03月07日
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2006年 3月 4日(土) ランの雛飾り・ランの館(2) サクラとウメの木の下でも、多数のランが咲き乱れていたが、その撮影は後回しにして、別棟の「ランの雛飾り展示場」へ急ぐ。 2月16日から展示されているようだが、ランの雛飾りを見るのは初めてで、興味深かった。 第一段目 : 金屏風を背にして、女雛(お雛様)と男雛(お内裏 様)が並んでいる。 主役はカトレアがつとめてい る。 第二段目 : 三人官女はコチョウランである。 第三段目 : 五人囃子はパフィオペディルム。 第四段目 : 左右大臣はリカステ。 古来右に男雛、左に女雛という配置であったが、大正天皇の即位の礼の時に西洋式に、天皇陛下が左、皇后陛下が右に立たれたのを、関東圏の人達が真似をし、その結果関東では一般に左男雛、右女雛という逆の配置が行われるようになった。 なお、四段目のリカステは、私の好きなランの一つで、別室に鉢植えがあり嬉しくなる。 この後、アトリウム(大温室)へ戻り、「リカステ・もえ」を写したが、何とも清楚な素敵なランである。 リカステ ラン科・リカステ属、原産地は中南米で、地生または着生している。 日本のエビネのような葉を持ち、大きな萼片が三方向に開く、三角 形の花姿が印象的である。 花色は、白、赤、黄、ピンクが一般的 である。 現在、日本のリカステの育種は、世界の中で群を抜いて進んでいる。 その清楚な雰囲気が、日本人の感覚に受け入れられ、近年人気の あるランの一つになった。 花名は、ギリシャ神話に登場する、トロイ最後の王・プリアモスの美し い娘リカステの名に因む。 -つづく- 画像は下記をクリックして下さい。 ランの雛飾り
2006年03月06日
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2006年 3月 4日(土) サクラとウメ・ランの館(1) 昼食後、地下鉄を利用して「ランの館」へ。 1月2日以来、2ヶ月ぶりである。 改札口を入ったところに小展示室がある。アトリウム(大温室)は更に奥にある。 小展示室に入った途端、ランの香りにむせんだ。 この室は、ふだんはランの展示即売会やラン関連の展示会に利用されているが、今回は多分入れ替え直後なのだろうか。 こんなに強烈に匂うのは、初体験である。 先ずは匂いに直撃されたが、次に目を驚かせたのは、「サクラとウメ」の同時開花である。 まあ、温室内であるから別に不思議ではないが、今年はウメの開花が遅れ、サクラは早まるとかなので、ひそかに目の前の光景を予想していただけに、嬉しくなって、慌ててカメラを取り出す。 サクラの木には、「河津桜」の表示板がぶら下がっていた。 河津桜(かわづざくら) 静岡県加茂郡河津町で、毎年3月上旬に満開になる。 2月 上旬から咲き始める早咲き種である。 オオシマザクラ(大島 桜)系と、カンヒザクラ(寒緋桜)系の自然交配種と推定されて いる。 河津桜の原木は、河津町田中の飯田勝美氏(故人)が、1955 年頃の2月のある日、河津川沿いの雑草の中で芽吹いている 桜の苗を見つけ、現在地に植えた。 1966(昭和41)年から開 花が見られ、1月下旬頃から淡紅色の花が約1ヶ月にわたっ て咲き続けて、近隣の注目を集めたという。 -つづく- 画像は下記をクリックして下さい。 サクラとウメ
2006年03月05日
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2006年 2月10日(金) フキタンポポ・東山植物園(21) ユキワリソウと反対側のコーナーで、黄色い花を咲かせているのは、「フキタンポポ」である。 フキタンポポ キク科・カントウ属、多年草。 ヨーロッパ、シベリア、インド、 中国などに広く分布し、日本へは明治中期に渡来した。 本種のタンポポではないが、花がタンポポによく似ていると ころから、「フキタンポポ」と呼ばれている。 花は2月頃に 咲くが、葉がフキ(蕗)に似ていることからこの名が付いた。 しかし、花が咲く時期には、葉はまだ出ていない。 葉は款冬花(かんとうか)という生薬で、鎮咳去痰作用があ り、薬用植物の一つである。 そのそばで、「セツブンソウ」が何とも可愛い花を沢山付けている。 セツブンソウ キンポウゲ科・セツブンソウ属、多年草。 本州の関東地方 以西に分布している。 原産地は日本と思っていたが、学名 は 「Adonis amurensis」 なので、アムール川流域、つまり中 国東北部と考えられる。 白い花びらのように見えるのは萼で、花は退化して密腺とな っていて目立たない。 和名は節分の頃に開花することに由 来するが、山地での開花は3月上旬頃である。 草丈は僅か10cm、花径は2cmで、山地のブナ林など、落 葉広葉樹林の林床に生え、石灰岩地を好む傾向がある。 その左となりで、「福寿草」が黄色い花を付けている。 福寿草 キンポウゲ科・フクジュソウ属、原産地は日本で、多年草。 春一番に咲く花径は3cmほど、花弁は多数あり、黄金色に 輝いている。 福寿草は、新年を祝う花として喜ばれ、別名はガンジツソウ (元日草)である。 福寿とは、何とも縁起の良い名である。 栽培の歴史は古く、江戸時代に遡ると云われている。桑畑 で、桑の木とともに栽培する方法がとられたので、養蚕農家 の副業として広まり、養蚕が盛んであった埼玉県が福寿草 の生産地として知られるようになった。 他にも多数の山野草が展示されていたが、時間の都合で割愛し、帰途につく。 東山植物園<完> 画像は下記をクリックして下さい。 フキタンポポ
2006年03月04日
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2006年 2月10日(金) ユキワリソウ・東山植物園(20) 正門近くに、「花のボード」があり、パンジーが目を楽しませてくれる。 その隣で、「山野草展」を行っているので、早速入る。ユキワリソウ、セツブンソウを始め、沢山の山野草が展示されている。 ユキワリソウ(雪割草) キンポウゲ科・ミスミソウ属、原産地は日本で、多年草。 艶 のある葉は3つに分かれていて、先が一寸とがっていて、トラ ンプの「クラブ」に似ている。このため、「ミスミソウ(三角草)」 と呼ばれることもある。 早春の、まだ雪の残っている2~4月頃に咲くので、雪割草 というのも頷ける。 花の色も、赤、ピンク、紫、白など多彩で、 花の形も様々、変種が多いので、コレクターズ・アイテムとな っている。 ハート型の葉っぱの形から、英語で 「Liver leaf(肝臓の葉)」 とも呼ばれる。 学名の「ヘパティカ」は、ラテン語の肝臓が語 源である。 -つづく- 画像は下記をクリックして下さい。 ユキワリソウ
2006年03月03日
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2006年 2月10日(金) バンダ・ラメラタ(ラン)・東山植物園(19) ランのコーナーの真ん中で、「バンダ・ラメラタ」が変わった花を咲かせている。 バンダといえば、主に青色系(一部ピンク)の網目の入った花しか知らなかったが、いわゆるバンダとは、まるで違う花の形と色である。 バンダ・ラメラタ ラン科・バンダ属、原産地はフィリピンで、地生ラン。 花色は、 白地に淡黄緑が入るツートンで、唇弁基部が褐色で鼻の頭の 感じが面白い。 見慣れたパンダとは、雰囲気が全く違う。 花径は3cm位、草丈は30cm前後である。 そのすぐ右手で、ピンクの花を垂れ下げているのは、「デンドロビウム・エレン」である。 デンドロビウム・エレン ラン科・デンドロビウム属、原産地は東南アジアで、着生ラン。 デンドロビウムには、ノビル系(直立した太いバルブの節に花 を密集して付ける)、そしてデンファレ系とか色々あるが、エレ ンは花姿がファレノプシスとは異なるが、茎の先端から長い穂 状花序を伸ばしているので、デンファレ系に近い。 ピンクの花を下垂気味に咲かせる。 花弁は細長く、先が尖っ ていて、デンドロビウムの中でも特異の存在であろうか。 因みに、デンドロビウムとは、ギリシャ語の「デンドロ(木)」と「ビ ウム(生ずる)」に由来し、野生では木に着生する。 以上で、温室内の撮影を終えて、外に出る。 正門近くの会場で、「早春の山野草展」が行われているとかなので、そちらに向かう。 -つづく- 画像は下記をクリックして下さい。 バンダ・ラメラタ(ラン)
2006年03月02日
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2006年 2月10日(金) カランテ(ラン)・東山植物園(18) ランのコーナーの一番右手で、「カランテ・ブライアン」が素敵な花を沢山咲かせている。 カランテ・ブライアン ラン科・カランテ(エビネ)属、原産地は東南アジアで、地生 ラン。 和名はツルランで、白色の花弁と、唇弁基部に紅色 の隆起があり、この姿をタンチョウヅルに見立てたという。 カランテ属は、およそ100種が東南アジアを中心にオセニ ア、東アフリカからマダガスカル、中国、日本に及ぶ広い範 囲に分布し、離れてメキシコからコロンビアと西インド諸島 に1種が自生している。 カランテとは、ギリシャ語の Kalos (美しい)と、 anthe (花) の合成語で、美しい花を意味する。 かっては、日本にも約20種が自生していたが、近年は乱獲 により激減し、限られた地域以外では殆ど見られない。 絶 滅危惧種二類に指定されている。 その右手にタコノキが立っていて、根元近くで、「シンビジウム・トラキアナム」が素朴な花を付けている。 シンビジウム・トラキアナム ラン科・シンビジウム属、原産地は東南アジアで、原種ラン。 花弁は褐色で、唇弁に褐色の斑点が入っており、唇弁は袋 状では無いが、花姿はパフィオペディルムに似ている。 現在の園芸品種の交配親となっている。 シンビジウムの花 茎は直立するものが多いが、最近は下垂する品種に人気が ある。 -つづく- 画像は下記をクリックして下さい。 カランテ(ラン)
2006年03月01日
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