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主張したいことに沿ったテーマがなかったので、自分でテーマUPしてみました。説明が、なんとも乱暴な言い方になりましたが、私がこのブログをはじめてから一貫して主張していること、主張したいことです。写真好き・・・その気持ちが大切。 きれいに撮りたい、そのままを撮りたい、 自分だけの表現をしたい。そのためだったら、デジタルもフィルムも、どっちもいい、どっちでも良いですね!さて、4月8日の記事http://plaza.rakuten.co.jp/ilpatio/diary/200604080000/で紹介した、30年前のフルマニュアルカメラ(オリンパスOM-1)で撮った写真が現像から戻ってきました。結果は、失敗ありです。1)光漏れ がありました。 中古で買った状態で、モルトがボロボロだったので、修理しようと、古いモルトの カスを取り去った状態で(モルトなしで)使っていたのです。 大丈夫だろう! という油断でした。 (モルトとは、裏蓋と本体の隙間に張ってあるスポンジ材です) 結果は、フィルムの縁の方にカメラの裏蓋の隙間から光が入ったと思われる像が 写って、写真プリントの縁の方がオレンジ色になっているものが多数ありました。 全く見られない写真ではありませんでした。2)露出アンダー が多数ありました。 これまでメインで使っている最近のカメラの評価測光(多分割測光)方式に慣れて しまっていて、昔のカメラの(中央重点平均測光での)露出補正の感覚を忘れていた。 これも、甘く見ていた結果です。 多少の露出不足、過度は、ネガフィルムで撮る限り大丈夫です。ちゃんとした写真屋 さんなら、調節してプリントしてくれます。 ところが、今回のミスでは、+2EV以上露出補正が必要なところを。+1EVかそれ以下 ぐらいで撮っており、2段階ぐらいアンダーで撮っているものがあり、プリント時の 補正では限界を超えていた訳です。3)逆光に弱かった・・・(推測です) どうも、逆光気味で撮った写真が、白っぽかったり、コントラストが悪いような出来 でした。 これは私の経験から、太陽光が直接レンズ内に入り込んで起こる ハレーションではないかと思います。 標準レンズには、実は、カッコイイ!「メタル・フード」を持っていますが、 人に会わないときは、フードの出っ張りや傷付きを気にして、付けていなかったことが あったのです。 (フードを付けると、レンズ内への光の差込みを低減できます) また、レンズが古いので、最近のレンズに比べて、コーティング技術による逆光への耐性 が劣っている可能性があります。 実は、このレンズを強い太陽光下で使ったこと初めて。どれも、失敗経験を積んで、対策を打つことで、ほぼ軽減されますので、使えないカメラということではないと思います。すぐに、モルト貼りを行いました。モルト材は、大きなカメラ専門店なら置いてあると思います。または取り寄せ。厚みがいろいろあり、カメラに合わせて選ぶ必要があります。下の写真のように、蓋の上限の縁に沿って、本体に彫ってある溝の中に貼ります。線状ではなく、大きなモルト材を買った場合には、自分で切ります。が、今回、失敗気味です。 少しでも太過ぎると、溝の奥まで入りにくいです。すると、モルトが出っ張ってしまい、蓋がきちんと締り難くくなります。私のカメラも、裏蓋が、少し湾曲して締り難くなってしまいました。剥して貼りなおすのは面倒なので、これで暫く使ってみます。また、ヒンジ(ツガイ)の部分にも、大きめのモルトが要りました。いずれも、古くてほころんだモルトをきれいに除去してから貼りますが、これが結構大変です。 私は、アルコールと、木を削って作ったヘラ状の治具を使いましたが、一部塗装が剥がれてしまいました。 溝の中なのでよしとしました。モルトを埋め込む時も、金属ピンセットのような鋭利なものを使うと、塗装に傷を付けます。下手でも、自分で手を掛けると、古くても道具に愛着が沸きますね ^^
2006.04.27
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あしからず、ご了承下さい。最近、けしからん業者のトラックバックが増えてきて、イタチゴッコになりつつあるので手を打ちました。実質、正統なトラックバックをしていただいた方は、1回きりで、あまり機能していないようの思いました。楽天さんのシステムの不備のためと思います。 今後、楽天も改善しなくてはなりませんね! 実は、コメントに書き込む新手の業者も前回1回遭ったのが気になります。
2006.04.25
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とある質問への回答(になっているのかな?)として、例を上げます。Lサイズ (89 X 127 mm) 768 X 512 ピクセル以上 ⇒約40万画素2Lサイズ (127 X 178 mm) 1024 X 768 ピクセル以上 ⇒約80万画素A4サイズ (210 X 297 mm) 1536 X 1024 ピクセル以上 ⇒約160万画素A3サイズ (420 X 297 mm) 2048 X 1536 ピクセル以上 以上は、某メーカーのオンラインプリントラボの最低必要値を載せました。これより大きめでも構いません。が、私はLサイズ以上にプリントすることは絶対にない! と言う方は、メモリーや保存するハードディスクの容量を取らないように、過剰に大きいサイズを設定する必要もありません。ちなみに、私は子供を撮るスナップ撮影程度では、2L以上は想定していないくて、160万画素で撮る場合が多いです。一方、プリントではなく、パソコンのディスプレーで見ることを前提とする人は、モニターの解像度とモニターサイズが最大表示画素数となりますので、それ以上大きくしてもムダということになります。なお、世の中には、数字は大きいほどいいとう思想の人もいて、モニターで画像を拡大表示して、画素数の高さを楽しむ方も居ます。 ご自由に!(注意)ラボなどでのプリントについては、プリント機械の出力能力(普通は300~400DPI)が関係しますので、細かい方は、詳細確認が必要です。 ここでは初心者向きに一般的な目安を書きました。●ここからは、私の勝手な分野ですが、 解像度を半分に落すと、ノイズも半減する という理論から、ノイズが出やすい感度で撮る場合は、 画素数を落す、あるいは、後から変換して落す という技があるようです。 (実は、他から得た情報であって、自分でノイズ量を確認したわけではないのでアシカラズ)
2006.04.25
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いつも戯言、また偏見で恥かしいことを書いているので、今回はテーマを上げなかった。私なりの考え方でして、他人の批判でもなく、違った考えも尊重しますので、気にしないで下さいね!WEBのおかげで、いろんな写真家の方々の作品や考え方を知ることが出来ます。私も多少書いてしまっていますが、「撮り方」のようなものも良く見うけられます。私もそうですが、あまりに不適切な撮り方、いや、機材や写真の基礎知識不足から上手く撮れない方がいらっしゃるので、そういう方には教えて上げたいと思うわけですね ^^ところが、先日私が遭遇した”桜公園おじさん”のように、余計かつ不適切なレクチャーはどうでしょう? 余計なお世話というか・・ (私も、よく他人のサイトに書き込んで反省しています ;;)結局、撮り方は人それぞれなんです。 よいと思う写真も人それぞれ ですね。旅行、子供、ペット、自然、、、それらと遭遇した人だけが持った感動の記録なのですから、他人が見て、あまり感じるわけがありません。現に、私も他人の旅行の写真、子供、ペットの写真を見てもほとんど感動しません。ただ、キレイな写真だな と思うことは、特に自然の写真などで思うことがありますが。キレイな写真って何だ?黄金分割とか言われる構図かい? 鮮やかな発色かい?朝日や夕日のような美しいと言われる景色の上手い表現かい?ひねくれ者ですが、私が撮りたい写真は、実はそういうレベルではないのです。(完璧なテクニック、表現品質、等々を望むなら、プロの作品を額縁付きで居間に飾ります、私は)(もちろん、自分のレベルで頑張った証に誇りを持って飾る人が居てももちろんいいことです)なんなんでしょう? 今だ納得のいく写真は、ほぼ一枚も撮っていないように思います。強いて、撮れて良かったと思う写真は、旅行の思い出、子供の忘れられないシーンで、そういう視点になると、撮れていれば良いわけで、願わくば美しく写っていればいいのです。そうなると、他人様の写真の批評などは全く無意味で、強いて教えて上げたいのは、撮り方なんかより、残し方です。既に記事に挙げているように、データ消失を防ぐこととか、下手なプリントにより「ばっちい」プリントに仕上げないこと などです。これは私の意見ですので、同意していただく必要はありませんし、負け惜しみのレベルと思って下さい。私の上記の視点では、高精度なレンズなんか要る筈もなく、写真を撮りたいタイミングに「使える」機材を持っているというタイミング的なことが重要です。願わくば、常にカメラを持っていること、バッテリーや撮影枚数に制約され難いこと、重いから、持ち歩き難く、「持ってくれば良かった」では話になりません。少し批判的に書いてきた、デジカメのシャッター回数(乱撮り)ですが、(シャッター)切らないより、切った方がいいに決まっていて、現像コストなどの制約から、撮り渋って、機会を逸してしまっては何にもなりませんね。そういう点では、デジカメの普及は、初心者層には確実にシャッターチャンスを(多く)与えていて良いと思います。一方、レリーズラグというか、撮ろうと思って指を動かしてから実際に撮像されるまでに0.5秒とか1秒とか掛かってしまうカメラでは、動く被写体は上手く撮れないし、白けてしまいます。(その点は、使い捨てカメラの方がずっと速い)さてさて、まとまり無く書いてしまったので、締めくくりますと、いい写真とは・・・ 自分の中にだけ答えがあるのでしょう。こういう話をすること自体おかしいんですね ^^;写真好きなみなさん、初心者のみなさん、気にせずどんどん撮りましょう!!(デジカメの時代ですし)
2006.04.23
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前回までで、心に傷を負った私と、長旅で疲れ切ったフランス人バックパッカーとの出会いを書きました。 ここから、私と彼らとの友情の旅が5日間始まります。●彼らはなぜ私と気が合ったのか?私の推測の範囲ですが、彼らの旅のスタイル、服装は、私とほぼ同様でした。バックパック(大型リックサック)に、スニーカー、半ズボンなどの軽装の安宿旅行者です。バックパッカーという言葉で当てはまります。 もともとドイツ人などが好きなスタイルで、日本人などは後追いの真似っ子な訳です。彼らの旅のスタイルは、基本的に、チープです。彼らのガイドブックは、おそらくフランスでは有名であろう「Routard」という本で、日本では「地球の歩き方」が似ているようですが、もっと簡潔に、良い宿と観光地の紹介が書かれているようでした。Routardというのは、なぜか私は「小銭旅行者」と略していますが、どうしてそう思ったのか記憶がありません。http://www.routard.com/(フランス語で分かりませんが)実は、その本を彼らは大変信頼していたので、会って以降、私はそれに合意して、その本に載っている宿のみに泊まりました。彼らも、トルコに多少驚いて、危険を感じていました。 そんな状況の中、日本人はフランス人と価値観が似ていたのかもしれません。彼らは、フランスからほぼノンストップのバスに乗ってきて、体は疲れ切っていました。テントも持ってきましたが、イスタンブールのオトガルに着いて、多少危険を感じたのか、野営はほぼあきらめたようです。 おそらく5kg以上あるテントは、やや体格がいいオリビエ(カッコイイ方)が当番で背負っていました。彼らは、「真面目な」タイプでした。特にメニュー(背が小さい方で、少し目の回りにクマのような特徴が有る方)は聡明なタイプでした。大学のレベルや何を専攻しているかなどは話題にしませんでしたが、しっかり物で英語も話せます。オリビエは、見掛けによらず、優しいタイプで、不得意な英語でも私とコミュニケーションを図りました。私は、過去に、何回か外国人学生と部屋をシェアしたことがありますが、人あるいは人種はいろいろで、いろんな面で「不真面目」というタイプも居りましたので、彼らは偶然だったと思います。例えば、相部屋のユースホステルに行くと、脱いだもの、食べた後の片付けは出来ていない輩も多数いますが、彼らはそうではありませんでした。清潔好きかどうかは、体臭に繁栄しがちです。●少し体臭のことに触れさせて下さい。 生まれながらにして決められた体の特徴についてとやかく言うのは良くないことです。 しかし、私は幾度か外国人と生活して見た経験から次のように思っています。 よく西洋人は体臭が強いといいますが、確かに、体臭を持った率は多少高いと思います。 それよりも、影響度が大きいのは、入浴や洗濯の頻度だと思います。 中には、 毎日シャワーを浴びない人、汗の付いたバスタオルを洗濯しない習慣の人がいます。 これらは、強烈な結果となる場合があるからです。実際メニューは体臭を多少持つタイプでした。しかし、毎日宿に着くと、3人とも交代でシャワーを浴び、彼は消臭剤も使っていたようでしたので、まったく問題はありませんでした。●さて、一緒に行動するということは・・・言わば衣食住(生計)を共にしたようなものでした。食事を一緒(の店で)に取る、同じ宿を選ぶ、風呂に順番に入る、どのベッドを誰が使うか決める(安宿では、3つベッドがあっても、一つはエキストラベッドだったり、差が生じます)などなど、いろんな関わりが生じてきます。また、観光に行くにしても、別々に行っても良いわけですが、私達はほとんど24時間一緒に居ました。記憶が定かではないですが、メニューが、私も一人より安全だろう、というような提案をしたと思います。こうして、このフランス人二人とは、何の違和感もなく5日を心地よく過ごせたのです。つまり、不思議なほど価値観は合いました。 それは、なか日のベルガマでの夜に酒を飲んで、じっくりといろいろ語り合った時に、しっかり感じました。トルコのような国が我々にとって、先進国とは違う、「違和感」があっただけに、余計に、先進国の常識のようなもので一致したところもあります。例えばですが、トルコの一般のトイレは水洗ではありません。手桶で、少しの水を流して終わりです。長距離バスで、予備のドライバーが運転したまま(高速走行したまま)交代するような、アンビリーバブル(信じがたい)トルコの行為についても、我々はアンビリーバブルで共感したわけです。また、イスラム国であることもしかり。確か朝の5時に、街の数カ所にある拡声器から、コーランと思われる声が流されるのです。 いやでも一度5時に目が覚めます。 それも日仏人には驚きでした。この写真は、合った次の日の夕食ですが、店を探すのに手ごろな値段の店を探しましたが、その値段のレベルが偶然にも私のイメージと一緒でした。 例えば、現地で一色1000円は高く、600円ぐらいの店を探した記憶ですが、衛生面や店構えも彼らは重視しておりましたから、おかしくない訳です。また、一緒に食事した時の立替、割り勘の仕方で、一切違和感がありませんでした。細かい話かもしれませんが、飲んだモノの値段が若干異なったり、一皿のデュイッシュをみんなで突ついたりするので、割り勘時には、細かな気配りがないと違和感を感じるはずです。この写真は、会って二日目だと思うのですが、オリビエは、靴ずれで悩んでいました。重厚なスニーカーを長時間履いているので、蒸れたりして、「臭い」とメニューが突っ込んだり、そのうちその学生っぽい冗談が、3人の間で流行りました。旅程は、イズニックーブルサーベルガマーエフェソス でした。ブルサは中間乗り継ぎ点に過ぎませんが1泊しました。その夜は、中華料理店に入った記憶です。次の写真は、三日目のオトガル(バスターミナル)で待ち時間ですが、もうこの時は共同旅行者意識でした。一人でないということは、大変便利です。商売人と交渉するときには、一人だと弱い立場ですが、人数が多い方がいいです。また、どこにいても自分の荷物を多少監視していないと行けないのですが、3人だと3倍の視野を持つことになります。ブルサで夕方、目的の宿に向かう途中で、忘れられない行動がありました。長距離バスを降りて、路線バスに乗っていて、あと10分ぐらいで降りる前です。私は、急激な腹痛を覚えました。ただの下痢であることは認識できて、とりあえずトイレが必要だと思いました。まだ2、3日目の関係なので、少しは我慢しておりましたが、生理現象なのでもう限界が着ました。脂汗がにじみながら、メニューに腹痛を伝えました。俺だけここで降りてトイレを探すから、先に宿に行っていてくれと。 すると、メニューは直ぐに降りようといい、「俺達は共同旅行者だ」だったか、「仲間だから」のどちらかの内容の英語を答え、3人一緒に降りました。降りた後は、私はもう走って店舗のトイレを借りないと行けない状態でしたので、彼らは、荷物を見ていてくれると言って待っていてくれました。まあ、共同旅行者では当たり前かもしれませんが、まだ、彼らとは1泊偶然に泊まっただけで、完全な信頼関係はできていなかった時間なので、私には、嬉しいとうか、驚きのレベルでした。それ以外のときにも、やや体が大きいオリビエは私をかばって荷物を一部持ってくれたことがありました。 写真でも分かるように私が一番細いですし、歳も取って体力的にしんどいところを分かってくれたのでしょう。もう二つだけ、自慢話のような彼らの話を・・・3日目ぐらいからもう「臭い足」の冗談を飛ばすような関係になった我々は、水や食い物も分ち合う関係になりました。私達が使う安宿では、朝食がついていないこともありましたし、早朝に出発するときは、時間を惜しむので、どこかで簡単なパンケーキとジュースなどを買い込んで来ます。その時、3人でやや大きめのパンとペットボトルを買い込んで、分け合いました。実に合理的です。今から考えれば、メニューの節約的な提案であったと思います。私はいっぱし稼いでいる身なので、もう少し贅沢しても良かったのですが、バックパッカーの真髄である(贅沢しない)ことには一致しました。また、最後に近い日に、オリビエが大切に持ってきた「サラミ・ソーセージ」をみなで食べました。これは表現できないぐらい美味なものでした。おそらくフランスで手作りのものだからでしょう。近所の肉屋で買ってきたと言っていました。高温かつ衛生的ではないバックパックの中で、大丈夫か?の私の質問に対し、メニューは、「神がやどっているから」腐ることはない! とほぼ真顔で言うのでした。なんか私も感化されて、信じてしまい、舌鼓を打ちながら歓談して食べました。次の編では、ベルガマで遺跡に行く時に起きた事件になります。実際被害はありませんでしたが、危機一髪だったかもしれません。いや状況からして、救いが無ければヤバかったでしょう。(あと2編で〆るつもりです。 締りの無い文章でご勘弁を)
2006.04.23
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デジカメのテーマを選んでいるので、多少前置きをば・・・使う捨てカメラというのが、1990年ごろから出てきましたね!私は、その登場に価値を感じます。軽量小型のカメラが、女性などのバッグに忍ばされ、手軽にスナップ写真を撮ることが広まったからです。良い写真とは、決して高価なカメラだけが作りうるものではないと思っています。ところが、デジカメが登場して、軽量小型で、いわゆる「底辺」のカメラマン層拡大は、デジカメで置きかえられつつあります。あまり話の繋げ方は上手くないですが、私がひょんなことから入手したカメラは、これ! 使い捨てない簡易カメラ。メーカーなど詳細は一切不明、Made in China とシールが貼ってあります。使い捨てカメラとほぼ同等な簡素な機能。 プラスチックレンズ、絞りもシャッター設定もピント設定もないパンフォーカスで撮ってしまうカメラ。 もちろん電池もなし(ストロボは付いていない)ただ、違う点は、フィルムを入れ替えて何回でも使えること。このカメラの価値は・・・!?発展途上国でしょう。 といっても、中国などではもう日本なみに進歩していてデジカメでしょう。もっと貧しい方々にも、写真の恩恵を広げようとすると、こうした電池も要らないカメラがいいでしょうね。私は、海外旅行に出掛けるときには、トランクに(予備の予備として)忍ばせることにします ^^
2006.04.22
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お散歩カメラとして使っているコンデジですが、少々課題があります。液晶がある面の一番左下にある「測光モード」切り替えボタンを、よく誤操作してしまうのです。これはメーカーの責任! 配慮が足りません。といっても、このクラスのカメラでは仕方がない・・・いやいや、私が言っている、「使い安さ」、「必要でムダのない機能の配列」を十分考えていればこんなことには成らなかったはず。【測光モード】について解説しておきましょう。1)評価測光・・・分割測光 と称するメーカーもありますが、画面の真中辺りのメイン測光点を重視 しつつ、背景部も何分割して、逆光の場合との判断などを(プログラム)が 「勝手に」して、演算、補正しながら露出を決める方式です。 カメラメーカーの膨大な経験(データ)から、この場合は、逆光だろうとかを 「勝手に」判断して決めます。 よって、経験量の多い老舗カメラメーカーが有利 かとも思います。 問題は、「勝手に」決められることと、よく間違ってくれることです。 プログラムは万能ではなく、私などは、自分の経験からさらに補正します。2)中央重点平均測光・・・古いタイプの一眼レフカメラでは、この方式でした。単純に中央部の 円形部分の明るさを強調しつつ、周囲の部分の明るさも単純比率で演算するもの。 この場合、逆光などがある場合、撮影者は経験により判断して、 露出補正をします。 (旧式カメラで慣れた人には、使いやすいモード)3)部分測光、スポット測光・・・中央部の数%の部分の明るさだけを測るモード。 スポットと呼ばれるものは、本当に小さなエリアであり、上級カメラで持ちうる。コンパクトデジカメで、お気軽に撮る場合は、1)のモードで良いわけで、また、それ以外のモードに 変えられない機種もあると思います。で、私が困るのは、この測光モードを間違えて設定して使ってしまった場合、また、ボタンを操作したつもりが無いのに、勝手に変っていたという「誤操作」。もし、評価測光のつもりで、ほとんど補正せずOKだと思っていても、実は他のモードになっていた場合には、大きく露出が狂ってしまっています。このミスを大事な場面でも、何回もやりました。★ この原因は、ボタンの位置 です。メーカーに苦情を言ったところで、SCで今後の参考にする程度であ、何も対処してくれないでしょう。よって、自分で改良してみました。問題のボタンをご操作しないように、「魚の目パッチ」のように、周りに盛り上がりのようなモノを貼りました。とても、不細工です! でも、これで例の失敗は、ほぼ無くなるものと思われます。
2006.04.22
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特に言うことはありません。 これを撮ったカメラは壊れてしまったので、今は遊べません。この写真のタイトルは、「水面凸凹赤系」です。 赤系以外もあるということですね ^^Nikon COOLPIX4500ストロボ使用シャッター1/2000-0.3EV補正 色調などをソフトでいじっています
2006.04.17
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子供とOM-1を連れて桜のきれいな公園に行った時のことです。些細なことで、目くじらを立てるほどのことではないですが、とあるオヤジのことです。 (OM-1とは、オリンパスの古いカメラでして、概略は4/8の「最近のパパママ・カメラ事情 」にて記しております) http://plaza.rakuten.co.jp/ilpatio/diary/200604080000/風が吹くと桜の花びらが散って、とてもきれいな場所がありました。そこで、結構大きめのデジタル一眼レフを持って、地面に這いずくばっている中年男性が居ました。よくある光景です。桜などがきれいな公園などで、デジタル一眼(に限らなくてもいいが)をもった中年オヤジが写真を取っていることなど、最近はとても増えてきましたね! ^^私も、どちらかと言えばオヤジの部類に入ってます ^^;たまたま、子供がそのおじさんのそばに言って、おじさんも子供が視野に入ってもいいよ!って言ってくださったので、私は軽い会話をしました。デジタルは長いんですか? (その年齢なのでフィルムから最近デジタルに変って来たものとの 思い込みがありましたから)ええ! (答えはそれだけでした)良く見ると、カメラは、FujiFilmのファインピクスで、レンズはNikonの大口径が付いていましたから、結構お金は掛かっている訳ですね。帰る時間も近づいてきたので、私が、フィルム残りあと2枚だーーとつぶやくと、そのおじさんは、「ここにカメラを置くといいよ!」 と構図を教えてくれました。別に私は、風景写真を撮りたかったわけでもないですが、まあお付き合いでファインダーを覗こうとしましたが、あまりに低い位置だったので、このおじさん、そこまで気合入れて撮るなら「アングルファインダー」と三脚を用意すればいいのに・・・と心の中で思いました。そこから、頼んでもいないのに、そのおじさんは、絞りとか露出を教えてくれようとしました。絞りを6.7に、と言い、私のOM-1の軍幹部をダイヤルを見て、ISO400か!とか呟いたので、私は「ISOは100に設定ですか?」と聞いたり、シャッター速度のインジケーターを除いたり、聞いたりしたのですが、、、、そこから話が通じません!!?どうやら、おじさんの頭にあるのは、絞りを設定して、あとはAEが決めてくれるということらしく、私のカメラでも、シャッター速度は気にしなくていい! という示唆のようでした。ということは、仮にニコンFM2を持っていようが、Pentax SPだろうが、CONTAX137MTだろうが、AEを搭載していると思うのでしょうか?仕方がないですね、時代ですから。ちなみに、そのアングルで撮ろうとすると私がつけていた50mmの標準レンズでは、地面が写り過ぎます。なんかいろんな点でモノサシが違うんですよね ^^;ボヤキで失礼しました。追伸: 私のカメラの絞りリングには、絞り6.7というのは無いのです。F4の次は、1.4倍の5.6、 次は、1.4倍の8でした!
2006.04.16
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さて、いよいよフランス人・バックパッカー二人との合流(出会い)に入ります。一旦、ハンガリーへ飛行機で飛んで、数日間気分転換してイスタンブールへ戻って来た感じです。気を取り直して今度はトルコ国内をバス旅行です。トルコ国内には、数々の遺跡など見所があります。ところが、地図で見ると分かりますが大変国土は広く、一部の高級な旅行パックでは飛行機を使いますが、周遊する場合は、バスが移動手段となります。私も、旅行案内本などを読んで、バスの旅を企てました。しかし、それはそうは簡単でなく、都市にあるオトガルと呼ばれるバスターミナルに行って、自分の目的地へのバスを見つけることになります。しかし、英語はあまり正確に通じず、紙に目的地を書いて、見せると、勝手に「こっちに来い」と言う感じで連れられて行ったり、バスに乗せられて行く感じで、正直、不安いっぱいです!!オトガルには、複数のバス会社があり、バスの車掌(バスガイド?=男性)に聞くと、「勝手に」違うバス会社を紹介したり・・・と、きわめてシステムが分かりません。値段は、日本の長距離バスに比べたら、3の1ぐらいの感覚です。この乗合バスの面白いところは、おやつや食事が付くところです。おやつは、パンケーキが多く、ジュースは紙コップを配って、ペットボトル(大)から注いでくれるのです。全て、やや若い車掌が愛そうよく世話します。バスが揺れて、こぼれる事なんか気にしません。イスタンブールから比較的近い、イズニックというタイルで有名な田舎町に行くことにしました。途中何処を通るかなんて知りませんし、まず一発目のバスでしたので不安一杯です。途中で、バスが港からフェリーに乗ったのですが、イスタンもイズニックも陸続きなので、「俺は、ちゃんと行けるのか? 違うバスに乗せられているのでは?!!」 ・・・でも、ちゃんとイズニックに付きました。 フェリーの上から、離れ行く陸地を見て、私は何処へ行くのだろう?? って不安なところですイズニックに付いたのは、暗くなっていました。宿を現地で探す旅では、遅くに着くのはタブーです。私の経験の中でイタリアでは夜には客を入れたがらないホテルもありますし、空き宿を見つけ難くなる確率は増え、道も分からず、治安も悪くなり良いことは一つもありません。この日私の不安を倍増させたのには、もう一つ事件がありました。詳細は省きますが、イスタンでオトガルい行く途中の人ゴミの中で、「スリ」に遭ったのです。 荷物で手が不自由、走れないのを狙われ、気がついたら、ポケットを探られていました。驚きと恐怖で声は余り出ず、なぜか「Hey!Hey!」と叫んでいました。幸い、財布がポケットに引っかかり、スリはあきらめましたが、周り数人はグルで囲まれていたようでした。その瞬間は、心拍数が200ぐらいになっていたと思います。そんなこんなで、バスの中やオトガルでも日本人は一人も居ず、夜のイズニックでバスを一人降りました。宿はどうするつもりだったか記憶にありませんが、ガイドブックを頼りに宿街に向かうのが普通なのでしょう。バスの荷物を下ろしてもらった時、同じバスから降りてきた、私と同じようなバックパッカ-(リックサックを背負った小銭旅行者)が居ました。 どうやら白人二人です。初めどうやって話し出したか覚えがありません。多分、「君も宿を探すのか? 同じだね!どっちに行けばいいんだろう?」 って感じだと思います。多分、道案内の主導権はメニュー(そのフランス人の一人)だったと思います。気がついたら、私も含め3人は、同じ小さなペンション(個人経営の小さな宿)のフロントで、宿のオヤジに部屋を見せてもらったりと交渉をしていました。多分、彼らのガイドブックにも、私のガイドブックにもその宿のことは載っていたのだと思います。次の会話で覚えているのは、オヤジの「3人部屋か?」の質問に対して、お互い顔を見合わせ「いいかな?」というやり取りです。 オヤジは、我々が一緒に宿に到着したので、ご一行様と思ったのでしょうが、私達からすれば、さっき会ったばかりで、一緒の部屋に泊まるのはきわめてあり得ない話!!その瞬間にも、私の中では、向こうから声を掛けてきたわけでもなく、偶然同じバスから降りて、しかも、怪しいところはなく、とても親切そうで英語も通じる。宿は人数が増えるほど一人頭が安くなるし、、、そんなきちんとした計算をする余裕はなく、勝手に神様が決めた出会いだった と思います。そこから、先は、部屋の中で「重い荷物」を下ろし、疲れた足を伸ばし、、、多分、持っている僅かなお菓子など夕食代わりに食べながら、お互いどうやってここまで辿りついたかの苦労、など順番にシャワーを浴びながら話しました。また、今後行きたい目的地についても概ね同じ方向だね、とか。実は、彼らはフランスを出発してから数日間、そこまで一度も横にならず長距離バスに揺られ、精神的にも疲れ切っていたようです。そこで仲間が増えたことは、彼らも大変喜んでいた様子でした。こうして、理由なく私は二人のフランス人と合流し、3人のバックパッカーグループとして、この後、3都市、約5日間の旅をすることになりました。また、その旅の中で彼らも巻き込む危険が待って居ようとは・・・?!! 想像できるはずもありませんでした。寂しく不安だったトルコ国内周遊に出来た仲間です。この写真は出会って次の朝の街の散策中(補足)前回の衝撃的な事件にも関わらず、またしても見ず知らずの他人(外人)と行動を共にしてしまったのは、やはり私の甘さだったのかもしれません。しかし、他の今までの旅も含めて、私は旅でしかできないよい出会いを幾つも経験していて、これに限って・・・とは思えませんでした。結局、蓋を開けて居見なければ判らないリスクを犯しているのかもしれません。しかし、傷を付ける者あれば、傷を癒すものがあるわけで、前編のヌリもそうですが、人を疑いっぱなしでは生きていけないのでした。
2006.04.15
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長引いておりますが、読んで頂いている方には、深くお礼申し上げます!少し詳細に書かないと状況がわかりにくい内容になってきたため、長引き、また更新にも時間が掛かっています。 ご了承下さい最後の・・・3、と4に 現地の(観光用)食べ物の写真を追加しました。
2006.04.15
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画素数は、480×640、明るさ+1、ホワイトバランス曇天にしました。子供の頭がブレています。 ファイルのデータではシャッター速度159分の1とのことですが、少し信じにくいです。絞りはF4となっていました。これも、本当の絞りではないですから、被写界深度の調節はできないでしょう。結論は、 私には、お散歩カメラとしては不十分ということ でした。もうちょっと、違う使い方が適しているのでしょう。 その内、付いていて良かったと思うケースも出て来ることを期待します。
2006.04.15
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さて、旅行初日にして、軽度であるが詐欺という犯罪に合い!、それはもし運が悪ければもっと危険な目に遭いかねないミスを犯した! というショックが次の日から私に襲いかかりました。朝からどういう思考をしたかよく覚えていませんでしたが、当時のガールフレンドに電話して話しました。どうも状況がよく伝わらず、あまり心の支えにはなりませんでした。そうです、心の支えが欲しかったのです。人間不審と自信喪失により、方向性を全く失ったのでした。もう、こんな危険で不安な旅は早く切り上げようと、航空会社のオフィスを探して手続きを試みましたが、休みなどで上手く行かず(それで良かったのです)。肩に力もなく、しょぼくれて歩いていると、分かる人には分かるんですよねー。偶然にか、二人のトルコ人に「どうしたんだ?」と声を掛けられました。しかし、もうその時は、声を掛けてくる人間を直ぐには信用できなくなっていました。初めは、ヌリという絨毯の貿易商を営む40歳ぐらいの男でした。彼は、他にも日本人旅行者を助けたことがあるそうでした(初めは彼の話しを全て信用しなかったが)。まず、彼は私の尋常ではない表情から、何か被害にあったと見ぬきました。私のオフィスにおいで・・・と。しかし、私は直ぐには、彼のオフィスに入れませんでした。怖いと彼に言うと、彼は全て私を安心させる材料を見せはじめました。冷静に聞いても、彼の話はウソでなく、少しずつ彼に心の内を話していると、心が楽になってきました。彼が助けた日本人学生は、「睡眠薬強盗」にあって、瀕死の重傷だったそうです。この睡眠薬強盗に自分も出会うことになろうとは、この時想像だにできませんでした。本当に居るのです。しかも、簡単なクスリを盛られるだけで、1週間眠りつづける可能性もあり、放置されると大変危険だと。 ヌリが話した関東の日本人学生は、身包みはがれて放置されたために、危険な状態で発見され、米軍の助けを得て、病院に収容されたそうです。その話しを少しずつ信じだすと、自分が人に付いて行って飲食したことの危険性がより分かってきたのです。ヌリは、そういう犯罪に大変立腹していました。日本人はトルコにとって大切なお客さんなのに、そういう犯罪があると、観光客が減ってしまう! 実際、犯罪はトルコ人以外の周辺諸国からの出稼ぎ者が殆どだと言っていました(実際、私が遭ったボッタクリと、睡眠強盗もトルコ人ではありませんでした)。その後、ヌリは、警察署長が知り合いだから、行って見ようと言いました。警察署まで行って、調書を取られましたが、私が連れて行かれた場所もハッキリ言えないし、担当の警察官も、よくある事件で水掛け論になるからと、進捗はしませんでした。ヌリは仕事があるので、その辺で分かれましたが、彼が一生懸命に私に対応してくれたことが大変支えになりました。警察に行く前に、ヌリの友達の絨毯屋にも世話になりました。ここでトルコの絨毯屋事情を説明しなければなりません。トルコの特産物として有名な絨毯(じゅうたん)は、本物は結構高価なものです。私が少し知った数件の絨毯屋を見る限り、日本でいうヤ●ザのようなファミリーに類似するのではないかと私は見ました。売れればむちゃくちゃ儲かるでしょう。決して、恐喝的な商売をしているわけではなく、占有権、つまり商いの場所や権利をし切っている感じです。店の前にはベンツを置いたりしている点、彼らが黒を基調とした渋い装いをしている点、雰囲気などから独特の雰囲気を感じました(イスタンブールだけかもしれません)。そして、店の外には、トルコ人と結婚した日本人女性などが客引き・説明員として居たりしているところも多いようです。世話というのは、そのファミリーの日本人女性に通訳してもらったからです。この日は、そんなことでうろうろして、人と話したりして観光もせずに終わった記憶です。この日か次の日か覚えがありませんが、もう一人トルコ人に声を掛けられました。ヌリと同様に、初めから信じたわけではありませんが、蓋を開けて見ると、絨毯屋で日本人には親善的な連中でした。声を掛けたのは、小学5年生ぐらいの少年で、私が国際電話を掛けられず困っていたところを見て、うち(絨毯屋)においで、日本語が話せる奴も居るから助けてあげるというのでした。その絨毯屋もやはり、ファミリーです。出てきたのは、中学生の少年でしたが、日本語がぺらぺらです。絨毯屋のような豊かなファミリーでは、若い息子達を日本語学校に通わせて、将来の仕事に直結させるのでした。彼らは日本が話せる上、その絨毯屋の次の世代ということで、中学生にして、他の大人の従業員に指示を出すほどの権限と能力を持っていました(これだけで、驚きの社会ですね!)。結局、彼らには、電話を借りて、話しをしただけでしたが、人にはいろいろ居て、見方も居れば、敵も居る! 単なる人間不審をしている場合ではなく、自分の判断力と交渉力が大切だと思い出すことが出来たのです。この日と次の日に掛けて、現地旅行代理店で、ブダペスト(ハンガリー)行きの往復航空券を取り、予定どうり、一旦、4日目から4日ほどのハンガリー小旅行をすることができました。3日目は、衝心旅行とでも言いましょうか? ボスポラス湾のクルーズに出掛けました。エミノニュという埠頭から、フェリーに乗って、黒海付近までの観光船です。黒海が見えたことに感動しました。他は、エミノニュには、名物の「鯖サンド」という食べ物が売っています。ボスポラス湾で取れた鯖を船の上で塩焼きにして、フランスパンのようなパンに挟むのです。味は、日本の鯖とまったく同じ。それのパン挟みを想像してもらえばいいのです。まあ、美味しいです。臭み取りとして、生の玉葱刻みとレモン汁が置いてあり、好みで使うのです。私は、この旅行で3回ぐらい食べました。観光客目当てなので、200円ぐらいと高めには思いました。他には、ムール貝を調理して露店で売られていますが、、、これも名物!一度は食べて見よう!・・・ 少年が汚そうな手で触っていて、数時間は炎天下なので嫌な予感はしましたが・・・ 案の定、宿に帰ってから下痢が来ました。これも幸い数時間の下痢で済みました。そんなこんなで、初めてのイスタンブールでの3日は、ムダにか、あるいは波乱万丈にか過ぎて行きました。
2006.04.09
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今日は、子供の式でした。子供の行事というのも、もう、両手で数えられないほどの回数に参加して、もういいやって感じ。毎回同じなので。それにしても、周りの人を見ていると、写真やビデオ好きですねー。特に、ビデオの方が目立ちます。カメラより、高価なのですが。(この写真は、単なる例です。今回撮ったものでもなく、本記事とは直接関係ありません)現場で、知り合いの人から記念写真のシャッターを押すのを頼まれました。コンパクトデジカメを渡され、、、何の説明もなく、でした。○シオの□クスリ△の新しそうな機種でした。液晶画面が大きいんですねー!でも私は、癖で、ファインダーを覗こうと、カメラを目の前に持ってきて、、、ない!!!あっそうか、コンデジでファインダーを覗く人は居ないんだ!と気付く。(ファインダーというのは、カメラの視野を覗く小窓です)。いいんですけど、、、、 炎天下で明る過ぎて、液晶が見えない時はどうするの?私が、自分のコンデジでもファインダーを覗く理由は、主にこれです。明るいところだと、液晶が見えないからです。それから、シャッターを押したけど、機体が薄っぺらくて、持ち具合が悪いので不安定!手ブレ防止が要るはずだわ!と思いました。念の為、ストロボあり/なしの両方で撮っておこうとしましたが、ストロボON/OFFの設定がメニューボタンから、設定の中に入り込まないとできないようでした。私としてはストロボ、ON/OFFは瞬時に切り替え判断が要るので、それ専用のボタンを全面に出していてほしいのです(私のPower●hot)はその変はできます。まあ、そんな機械を使っている人が大半なのだと思いました。 別に批判ではないです。そういう時代なんだと・・・。 少し寂しい気がしましたけど。今に、ファインダーって何? そんなの要るの? って人が大半になるのです。一眼デジタルカメラでさえ、ファインダーを覗かない人が増えてくるのではないか・・・もう懸念の域です。御託を並べても仕方がないのですが、私にとってはファインダーは命!目が見えなくなったら写真を辞めるのと同じように、つまり自分の目とファインダーは直結しています。今日も持ち出したカメラは、これ! オリンパスのOM-1。 約30年前の軽量、一眼レフです。自慢のフル・メカニカルのマニュアル機です (シャッターも、絞りも全部機械式で動くので、電池なしでも撮れます)レンズは、f1.4という明るさで、普段は常に絞り開放状態なので、大変明るく見えます。私の劣った視力でも、まだ、ピントはしっかり合います。(f4のレンズと比べると、一番絞りを開いたときには、3段階、 つまりシャッター速度8倍分の有利ということになります)運動会のような動きの速い行事では、オートフォーカスの一眼レフ(●ヤノンE○S)で、しかも、サーボAFとかいう、動きに追随、予測してAFを動かす機能を使う私ですが、記念写真とかだと、このマニュアル機で十分。カメラ本体のメリットは、軽さと、シャッターの感覚のよさです。シャッターは、完全機械式のシャッターなので、押してから実際にシャッターが切れる時間が正確に決まっていて、短いのです。 ですから、人が「まばたき」をしそうになったら、指を止めたりと、瞬間を自由自在にコントロールできます。 一番嬉しいのは、これですね!残念ながら、コンパクトデジタルカメラのレベルでは、まだシャッターラグと呼ばれる時間差が大きくて、そういう使い買っては悪いのです。それから、50mmのレンズを付けていますが、これも軽いです。私の持っているAF一眼レフに、大口径と呼ばれる大型の標準ズームと縦位置グリップを付けたものに比べて、上記のオリンパスOM-1は、半分ぐらいの重さです。 まあ、ポケットやハンドバッグには入りませんが、肩に掛けていても、肩こりはしません。さて、また話しが散漫になりましたが、今後、パパ・ママにジジ(おじいちゃん)も合わせて、カメラ事情は二分されるんじゃないでしょうか?前者のような、フルオートの軽量デジタルカメラ(一眼レフも含む)と、後者の私のようなマニアの旧式フィルム(銀塩)カメラ。残念なが、その中間のような、コンパクトフィルムカメラや、AF軽量フィルムカメラと使い捨てフィルムカメラはどんどん減ってゆくんじゃないでしょうか?(その裏の背景は、私が日ごろからチクチク書いている、フィルム+DPEによる「きれいな写真」作りに対して業界が手を抜いてきたことがあることを示唆しておきます) 修正⇒ 正しい努力方向からそれてしまったという課題追伸: 機材の自慢のようになってしいました。 自分が使いやすい機能だけが詰まったものを選べばいい ということですね ^^
2006.04.08
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今回は、いよいよ、衝撃の事件になります。(前回、だらだら長くなり、退屈でメリハリのないものであったことを反省しています)初日、イスタンブールダウンタウンにて宿探しに入りました。この宿探しというのが、小銭旅行者の醍醐味ではありますが、考え方によっては大変ムダ仕事です。(番外編で書くかもしれませんが、今回詳細省略です)宿に荷物を置いて、まず腹ごなしを。 なんせ、早朝に空港についてから重い荷物を持って宿探しでしたから既に普通なら疲れています。メイン通りには、数々の土産物屋や、食事屋がありますが、なんせ初めての国、初めての街で目がきょろきょろします。 まずは、ガイドブックでも有名な『ドネル・ケバブ』を食しました。申し忘れましたが、じゅりあすは、『買い食い』フリークです。旅先の、露店で売っているような現地のものをその場で食べるのが大好き! 良く分からない国では衛生上気になることはありますが、基本的には火が通っているかどうかが見極めポイントです。現地での初めての食としてのドネルケバブは、80点の美味でした。観光は、アヤ・ソフィア、地下宮殿、ブルーモスクと近くにあるので、その日中に回れました。今から考えると、建造物と美術は凄いけれど、観光名所と呼ばれるものへの感動は、私の旅行の醍醐味とは少し違うものだと思います。土産物屋物色、買い食い、散策、観光・・・はじめての、しかも西洋と東洋の中間の珍しい国で見るもの見るもの珍しく、私は、この時既に、気が緩んで浮いていたのだと後から思います。観光を済ませホテルに戻っても、興奮冷め遣らず、疲れているのも忘れて夜の街を散策に出かけたのでした。(この日、疲れを癒すために出掛けず大人しく寝ていれば、、、、この日記は面白くならなかたでしょうね)夜のダウンタウンにはあまり興味を引くものはなく、人も少なくなり、ホテルに帰る途中でした。どうやってそうなったか分かりませんが、同じ方向へ歩く現地の人と思われる人と道すがら話し出しました。(英語です)。どうやら彼は、近所でペンション(宿)を経営しているそうで、帰る途中だけど、もし良かったら、お茶でも飲んで行かないか?みたいな話しになったのです。もうお気づきの方が居ても不思議ないですね!!こんな怪しいことについて行くバカが何処にいますか?! はい、ここに居たのです。一人旅暦、4回目。声を掛けられた場合について行くなんて愚かなことは、ガイドブックにも書いてあり、常識中の常識。 ところが、私には、自分が『ツワモノ』のような錯覚があったのですね。 ちょっととっと!と声を掛けてくる怪しさもなく、偶然に方向が同じになったようなケースでした。その犯人は、実はロシア系でした(後で気付く)。初めは、現地人が入るような煙草屋でお茶(チャイ)を飲みました。観光客が入れないような雰囲気の店で、水煙草を吸う現地の人などが居て、私は「貴重な経験をした」と得意でした。もう、こうなると冷静さを欠いていて、その先の誘惑にも付いて行ってしまうのでした。 その犯人は、常に親切そうに振るまい、次は、トルコダンス(女性のヘソ出しダンス)を見に行こうという話しになりました。(私が、そういうのに興味があると話したので、当たり前のように餌につかったのでした)ダウンタウン(旧市街)から、新興市街までタクシーで約15分。もう私一人では帰れない場所です。その街は、旧市街とは違って、飲み屋やら夜の華やかさがあったようです。彼は迷うようなところなく、ある地下1Fの雑居店舗に私と入りました。飲み屋でした。はい!長くなるので、簡単に白状します。そこは、【ボッタクリ・バー】だったのです。 そして彼は、客引きというか連れ込み人でした。私がそれに気付いたのは、店に入って、20分ぐらいしてからで、何か雰囲気・・・と感じ始めても、もうそれは遅いことでした。 左右には、美人のロシア女性が居ました。飲んだこともない「シャンパン」と呼ばれるような瓶も2本開いていました。ふと我にもどり、まず、会計を持って来いと店員に言いました。確か、300ドルぐらいの数字。その時席から離れていた、その男を呼んできてくれ、と騒いだけれど、その男も、店員も落ち着いた表情で来て、、、、それから、いろんなやり取りをしました。彼が連れ込んだんだ!とか、私は知らなかったとか・・・全て後の祭りというか、遠吠えというか・・・ なぜなら、既に出口方向に数人の体格のいい男達がスタンバイして、軟禁状態に近かったからです。金を払わないと帰れないな! 半ば冷静。でも、恐怖で漏らしそうなほどでした。 この後起こりうることを想像、そして被害を最小限に抑えることに対して、私は、やっとその時になって、今まで勉強してきた全ての知恵を高速演算しはにめました。まず、漏れるからトイレに行かせてくれ!と要求。 行かせてくれました。トイレの窓から脱出することは不可能でした。出たところで、右も左も分からない、捕まることは見えています。次に、持っているお金を隠そうとしまいた。多分何百ドル分のトラベラーズ・チェックを持っていましたが、300ドルぐらいを財布に入れ、後は、靴下の中に押し込みました。少し落ち着いて、出てきた後、もう一回交渉です。「よし分かった、払うよ! でも、私も可愛そうだろう? 負けてくれ! 旅行を続けられなくなる」などと、相手の同情も引きつつ、また、彼らの焦り、怒りとの加減を見ながらギリギリのところまで。それが200ドルでした。彼らにとっては、大の大人1ヶ月分以上の稼ぎと思われます。もちろん、店、男、下っ端も含めての山分けとなりますね。よし、帰れ! みたいに店を出て、下っ端の男が店の外でタクシーを呼びました。私はガクッっと力を落していましたが、もう一回芝居です。その下っ端の男に、「帰る金がないよー」などと泣きそうな顔で言ったところ、多分300円分ぐらいの札をポケットから出して私にくれました。後でタクシーの運転手にも俺は被害者だから負けろと言いましたが、それは無理でした。こうして、長い長い一日は終わりました。翌日から、数日間、私は、ひどい【自己嫌悪】に陥り、自信喪失、人間不審により、帰りの便を早める手続きまでしたぐらいでした。(補足) 私が愚かだったことは隠すつもりはありません。 ただ、ガイドブックに載っているような初心者ではなく、各地の情報も危なさも多少知って いるはずの人間でした。半ば英語が通じたので着いて行くことになったのかもしれません。 自分は「クロウトだ」などということは、このような場合では命取りです。 油断大敵! 私は、たった200ドルの出費で、しかも、それは現地のそのようなバーでは相場に近いとの 話しもあり、美人と飲んで遊んだと思えば・・・いやそんなことを言っている場合では ありません。 このような犯罪は、場合によっては命にまで関わるケースがあるそうです。 ウソではありません。 実は、この旅行で私はさらに3種の犯罪に触れることになったのでした
2006.04.02
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これだけ言っているこの私がやりそうでした。PC上でのファイル消失。でも、ありました。違うフォルダー内に行っていただけだったのでエクスプローラーでそこら中探したら、出てきました。(半ばあきらめ掛けていたところ、最後の望みでしたが)子供のデジカメ写真のデータで、2006年になってからの239枚、231MB分です。普段、撮ったデータは、PCのデスクトップに一度落し、次に外付けのハードディスクに整理して移します。最近は、この時点でデスクトップのファイルはゴミ箱へ。ゴミ箱内データは、気分次第で約1ヶ月で消えます。外付けHDは、3つにパーティションを切っていて、第一パートをメインに、数ヶ月に一度、第二、第三HDへバックアップします。さらに、3~6ヶ月ごとにCDRに焼きます。ところが、この頻度が段々と長くなっているではないですか! 手抜きです。今回は、第一パーティションに唯一しか入れていなかった1月からの3ヶ月分のデータを、第二にコピーしようとしたときに、システムエラー!!!第一の中にも、第二にもない! と一旦は焦りました。(実際は、間違ったフォルダーに移っただけでした)こうした操作間違いや、コピー中でのエラーで、どこからもデータが無くなることはあり得ることを知っているのに・・・CDRやそれの実家への移動も、段々と周期が長くなっていて、油断は大敵です。3ヶ月ぐらいならまだいいですけど、二度と撮れない写真ですからね ^^;
2006.04.01
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彼らとの出会いを引きたてるのは、その5日ほど前(日本を立ちトルコについた初日)の出来事でした。今回は、その長い初日について書きます。なんと長い道程であったか!台風が来ていたため早めに関西空港に着いたこともあって、まず、空港での待ち時間からして、(いつも通り)長く、退屈で寂しい。 この時は、飛行機に乗るまでに3時間ぐらいあったと思う。そんな寂しい旅行をなぜするのか? 分かっていても、同じようなことを既に3回はしていたのだった。旅費をケチったのと、シンガポールエアの評判が良かったことで、シンガポール経由のイスタンブール行きを選んだのだが、なんと日本を離陸してから、イスタンブールまで24時間近かった記憶だ。台北で一度降りたような、そして、シンガポールでの待ち時間も4,5時間だったような。そのレベルというか、この(私の)レベルになると、空港の人の少ないところに行って、地べたに横たわって体を休めたりするのだ。そうしないと、足腰がむくれて体がもたないからだ。アラブのドバイにも降りた。 正直言って、自分が何処を通って行こうとしているのかよく分かっていなかった。 しかし、乗り継いでくる乗客の中に違う雰囲気を感じた。 きっとかなりの金持ちだろう(??)。新婚旅行にトルコに行くのだろうか?カップルだが、女性は黒装束。厳格なイスラムだろう。女性の顔には、黒いレースが掛かっており、肌は手以外は一切見えない。どうやって機内食を食べるのだろうか???蛇足だが、金持ちであろうという理由の一つに、着ているものがあった。黒装束に、確かモリ・ハナエのブランドの刺繍がしてあった。 モリハナエがそこまで進出していることへの驚きもあったが、それは高級ブランドの一つであると私は見た。長い長い旅程でイスタンブールに到着です。空港で両替! これをしないとバスに乗れません。 本には書いてあったが、桁の多い紙幣です。確か、当時、日本円よりゼロが3桁多く、さらに1.5倍ぐらいするといったレートです。つまり、450000(四十五万)トルコリラ⇒300円。 食事をするのに、45万トルコリラぐらい要ります。 現地に安いコーラを売っている店があって、10万コーラと呼んでいました。・右下が、5万トルコリラです。 左上は今は無きイタリアリラです 右に縦にしてあるのが、ドイツマルクですが、10マルクがこの中で一番高額紙幣です。バスに乗って、イスタンブールのダウンダウンの近くまで。この辺はガイドブックに書いてあります。バスを降りてから、??? どっちへ行ったらいいんだ?? 早朝でしたし、英語圏以外の人種に聞くこともできず、、、人が流れる方へという経験から、路面電車の駅に辿りつきました。いろいろ苦労して、路面電車に乗り、ダウンタウンに着きました。まだ、このころは元気でしたね、きっと(他人事のように思い出しているが)。荷物は、バックパックとデイパック。何をそんなに入れていたか覚えがないですが、私のきゃしゃな体には重かったです。 この重さが、また彼らとの思い出に関わっていました。だいたい、小銭旅行者といのは、このレベルの目的地では一人ということはなくて、他に日本人も数人います。お互いにはじめは相手をさぐりったりします。どちらが旅クロウトだろう?とか。でも、お互い情報交換など助け合う気持ちがあることには違いなく、敵とは思っていません。状況によっては仲良くなり、食事を一緒にしたり、デイトリップを一緒にしたりもします。一線引いているので、女性でもOKです。 女性の一人旅については、いろいろと考えるところがありますが、逸れるのでここでは割愛します。ダウンタウンについてからは、あまり良く覚えていませんが、、、一つトルコ独特のことが、その時から私の身に振りかかってきました。それは、人です。 いろんなトルコ人が話し掛けてくるのです。 挨拶は日本語。その後、知っている日本語を練習するかのごとく、何処へ行くのか? トルコは初めてか? 私には日本人の友達が3人いる・・・・ なんでもいいから話してきます。歩いてもついてきます。 断わっても着いて来ます。この背景は説明しなければなりません。トルコはインフレ国です。また、国内産業が少なく、観光業、そして観光客は、とても大切なのです。観光客からお金を落してもらう、あるいは、外国人(特に日本のように豊かな)とコネをつける、あるいは、その外国語を習得すること、、、は自分達が生活して行く糧として大変重要なのです。ですから、貪欲なまでに、ついてきて、話し、引きよせ・・・・もう一つ背景はあり、トルコ人は日本人が好きなようです。それは過去の戦争時に日本を仲間と考えていたような逸話があるようです(詳しくはありません)。さらに、補足しますが、前者の商売に直結したような着いて来たり話すトルコ人は、イスタンブールや観光名所だけで、注意が必要ですが、田舎に行くと、後者の日本ビイキの背景の方がつよくなるようです。 (すみません、大変長い話になっています。 彼らと出会うまでに、まだ道のりがあります。この初日の夜の出来事です。 お付き合いいただけたら幸いです)
2006.04.01
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