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ワタシは滅多に病気や体調不良で会社を休んだり早退することのない健康体の持ち主である。だから、今回のようにごくマレに職場でシンドそうな顔をしていると、しばしば体調不良で休んだり遅刻する同僚(主に女性)たちが「大丈夫ですかあ~」なんて尋ねてきたとしても、その顔は決して100%の心配や同情の表情を浮かべているわけではなく、どことなくウレシそうにしているのをワタシは見逃さない。その表情が言外に表現しているのは、「どうだ、思い知ったか!」と「あなたもやっぱり人間だったのね!」がミックスされた感情である。このような微妙な表情は、ワタシには容易に理解できる。たしかにワタシは、毎週のように「体調不良」を理由に遅刻してくるこのテの同僚に同情しているかというとそうでもなく、どちらかと言えば「運動しろ、運動!」と内心思っていたりする。「しばしば遅刻」組の連中もそれを察しているからこそ、健康を絵に描いたようなオヤジがツラそうにしていると、つい「思い知ったか!」の笑顔が浮かんでしまうのであろう。ところでワタシが「しばしば遅刻」組の同僚にあまり同情していないのは理由があって、それは同情心に乏しいからという理由もあるが(笑)、むしろ「自分は病弱なの…。」という“甘え”が許せないというのがある。ワタシ自身は、幼年期に自家中毒で死に掛けたくらい生来は虚弱で、心臓には持病があるし、すぐ下痢をするし、アレルギー持ちでビールひと口で吐いてしまうくらい過敏な体質で、決して健康優良児ではない。ワタシの見かけ上の“健康”は、走ったり泳いだりの「人工的な努力」によって“意識的に維持”されているものなのである。何を言いたいかというと、自分は虚弱だと決め込むことで「健康への努力」を怠り、周りに“健康そう”な人がいれば「あの人は健康だから…」などと決めつけている連中は、同情に値しない…ということなのである。たとえば、ワタシが何度もフルマラソンを走っているのを聞いて「自分にはマネできない」とか言う連中が必ずいるのだが、そういう連中の言い草には「マラソン完走なんて特別に健康な人だけができること」だと“決めつけ”ている様子がある。そういう人には、ガンで片脚を失いながら義足を着けてカナダ大陸を横断したテリー・フォックスや、ベトナム戦争で両脚を失い腕だけで世界各国のマラソンを完走しているボブ・ウィーランドの姿を見せてやりたいと思う。この人たちの壮絶なチャレンジを見たら、何も努力をせずに「私はあんまり丈夫な方じゃないんで…」などとカンタンに言わなくなることであろう。たしかに「殺しても死なない」と形容されるような強靭な肉体の持ち主というのもいれば、生まれながらに明らかなハンディキャップを背負った人もいるであろう。でも、この世の90数パーセントは(ワタシをはじめ)その両極端の中間に位置しているはずである。その「中間に位置する人」が、「体質」だとか「生まれつき」を理由にして、健康維持のための努力を怠る免罪符にしているとしたら、その人が体調不良で頻繁に遅刻してもワタシは決して同情したくないのだ。ま、健康とか運動に限った話じゃなくってさ、甘える前に努力せいや、コラァ...というのが今日のワタシの主張です。(終)
2007.01.30
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ワタシはかなり健康なほうであるが、ウイルスに感染したらしく久々に病気になって寝ていた。この寒さのせいで抵抗力が落ちているらしい。↑この寒さパンツが2つほどゴミ箱行きになったがまだ「災厄」というほどでもなかろう。さいわいこの病気は数日で回復するものらしいし。
2007.01.29
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しばしば他人がショウベンしているタイミングに重なってトイレに入ってしまうことがある。そういう時には聞こうと思わなくともその人の放尿の音が聞こえてしまうもので、つい「...この人のはスゴイ勢いだなあ」とか「なんて長いショウベンだ。どんなデカい膀胱の持ち主なんだろう」とかいろいろ考えてしまう。さいきんときどきこの“音”を聞いていて気になるのは、「切れ切れに出る人」(「ジョー」じゃなく「ジョロ、…ジョロジョロ、ジョロ、…」)や「出るのにやたら時間の掛かる人」(便器の前に立ってチンポを出してからしばらく沈黙が続く)である。だいたいは中年のオッサンか老齢の方である場合が多い。かつて日記に、加齢によりキレが悪くなる話を書いたことがある。しかし、加齢の症状でも、ショウベンのキレなどというのはどうも序の口であるらしく、年をとるとさらに「連続して出ないようになる」「出るまで時間が掛かる」に加え「放つ勢いが弱くなる(「ジャー」が「チョロチョロチョロ…」になる)」「尿意を我慢できないようになる」「残尿感」「頻尿」などの症状に至ることが多いそうである。日本ではあまり聞いたことがなかったのだが、アメリカではこれは中高年男性にとって深刻な問題であるらしく、テレビのCMでもバイアグラなんかと同じくらいさかんにそのテの治療薬を宣伝している。…で、どうして中高年男性にこのような症状が発生するのかというと、どうも「前立腺」の肥大化が原因らしいのである。前立腺というものが何なのか、それを持たない女性と同じくらい男性自身の多くも知らないのではないかと思うのでここで説明すると、カンタンに言えば「精液の“栗の花の臭い”の成分を含む液体」を作っている腺である。コーガンで作られた精子はシャセイされる前の段階で、まずコーガン上部にある精嚢液(これが精液の7割を占める)と混合され、さらに膀胱の下にある前立腺液(精液の3割を占める)と混ざり合った末、インケイ内の精管を通ってキトウの先端から排出(シャセイ)される。多くの人は「精子」と「精液」を混同しがちだが、精子自体は精液全体のコンマ数パーセントの量を占めるに過ぎず、精液の実質は精嚢液と前立腺液から成り立っているのである。知ってましたかパパママ。…で、膀胱の下にある前立腺が大きくなり過ぎると、膀胱や尿管が圧迫されてショーベンの出が悪くなったり頻尿になったりするのである。…で、ここからがようやく本題である。どうして前立腺が肥大するのか。原因はいまだに不明だそうである。ただ、ワタシのようなシロウトでも推察がつくのは、「出さなきゃ肥大するだろ」ということである。つまり、肥大化の原因の1つに「シャセイの頻度が減る」ということがあると思われるのだ。中高年になり夫婦の営みは減るものの体のほうは液を生産し続ければ、結果的に「肥大化」してしまうという話ではないのか。…そこで思い出したのが、まだ18やそこらの時に大学の友人と話した記憶である。ワタシはむかしも今も「滅多に出さない」男なのだが、それを知った友人が「それでは体に悪い」と言うのであった。ウンコやショウベンと同じように、排泄しないで貯めておくのは体に毒が溜まると主張するのである。それに対しワタシは、ウンコやショウベンはそれ自体が排泄物(=“毒”)であって、尿道や肛門以外に出口がないわけだが、精液の場合は血液とか唾液とかと同じような体液であって「排泄物」ではないのだから、「溜まる一方」ということもなければ「チンポだけが出口」ということもないのではないか、と反論したのであった。要するに、シャセイしなくとも、いずれ古くなった精嚢液や前立腺液は粘膜から吸収されるなどしてリンパ液や血液の一部となって体外に排泄されるのではないか、と主張したのである。実際、ワタシは10代後半や20代の盛りの時期にしばらく出さないことがあっても精嚢や前立腺が破裂することはなかったし(笑)、 出さなくとも「溜まる一方」ということはないことは確信していた。一方、中年になってから、例えばマラソンレースの本番前などに1ヶ月にわたって「出さない」状態が続いた時に「頻尿」「残尿感」「尿意を我慢できないようになる」などの症状を実際に何度も経験したことから、「出さなきゃ肥大する」ことも確かだと思われるのだ。結局、18歳のときに友人とした「出さないアレはどこへ行くのか」という疑問は、実際に “粘膜吸収”されるものなのか、あるいは「満タン」状態を察した体が “生産停止”するものなのか、そのへんは結論が出ぬまま40歳に至っているのである。長くなりましたが、この日記を読んでいるあなた、泌尿器科医や性科学者の知り合いがいたら、「出さないアレはどこへ行くのか」を訊いて、ワタシに教えてください。
2007.01.27
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飼い主と犬【注意】:テーマを選択した場合は、テーマに関連した内容を中心に書いてください。まったくテーマと関連しない記事の投稿はご遠慮ください。猫と飼い主(終)
2007.01.26
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ツーショット3P親の因果が子に報いフリー交尾(セックス)ビデオ
2007.01.25
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昨日の日記には「そんなことを言うと他人から『頭がおかしい』と思われるので、言わずに黙っていること」を書いたのだが、ここで声を大にして言っておきたいのは、みんな健常者のような顔をして日常を過ごしているけれども、実は「そんなことを言うと他人から『頭がおかしい』と思われるから黙っている」だけのことであって、頭の中は「人に言えないような妄想や観念」でいっぱいなんじゃ~ん…ということである。多くの“健常者”の頭の中身は実はキチガイとされる人たちと実質変わりはなく、“健常者”はたんにズルいので「人に言えないような妄想や観念」を他人に話さずに黙っているだけのことで、一方でキチガイはそのへんが実直すぎてそんな「妄想や観念」をつい口外してしまうため(笑)施設に収容されてしまうことがある...というように、両者の違いは実に些少なのである。いつぞやの日記にオイラは「今まで出会った人の誇大妄想ベスト5」を書いたが、あんな「みんなが私に惚れている」とか「オレは特別な能力を持っているらしい」といったレベルの妄想は誰でも心中に抱いているものであって、ただそれを口にすると周りから避けられるようになってしまうので(笑)口外しないだけのことなのである。実際、あの日記に対して「私もかつてこんな妄想を抱いていました」というコメントがいくつか寄せられたが、そのコメントを書いた人はいまや社会の重鎮とでも言うべき人たちであって、“健常者中の健常者”と言ってもいい。だから、キチガイとされる人と健常者の違いなんて質的なものでも根本的なものでもなくって、ただ「黙っているか、つい口外しちゃうか」の差に過ぎないのである。それなのに、「つい口外しちゃう」人たちのことを『頭のおかしい人』だと決めつけるヤツがいるのは、実はソイツにも大いに「身に覚えがある」からにほかならないのであ~る。ついでに言ってしまうと、たまに「自分のことをまさに健常だと思っている人」とか「自分こそが常識を絵に描いたような人物だと自負しているような人」に会うことがあるが、自分が見たくない部分にカンタンに目をつぶれるタンジュンな人なんだろうなあ…と思ってしまう。そういう人には、その人の行動を1日中ビデオカメラで追跡撮影して本人に通しで見せてあげるといい。いかに自分が“異常な行動”や“非常識な発言”を無意識のうちにしているかを思い知り、“健常者”妄想や“常識人”妄想から解放されるに違いない。ホントはいちばん効果的なのは、SF小説みたいな「頭にかぶるだけで、脳内のイメージや考えをそのままコピーできる装置」があれば、そういうヤツらに無理やりかぶらせて、その脳内の状態をラップトップとかにつないでプロジェクターで投影し、みんなで鑑賞してやるのがいい。キチガイ顔負けの妄念や妄言をみんなに公開されて、とっても謙虚な人になるか、自らの異常性を直視して自殺するかも知れない。…ていうか、人間がみんなテレパシーを持つようになれば、お互いの頭の中がいかに妄念や妄想でいっぱいかが分かりあえて、謙虚な人間同士の平和な社会が実現するだろうになあ。ただ、教師とか親とか上司とかが生徒や子供とか部下にイバるのがとっても難しくなることは確かだ(笑)。偉人だとか聖人だとか言われる人たちの数も一気に減って、アイドルだとかセレブもほとんど全滅かも(笑)。
2007.01.23
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こんなことを言うと「頭がおかしい」とか「関係妄想だ」とか思われる場合があるので相手を選んで言う必要があるのだが、ワタシは「機械は生き物ではないか」と思うことがある。まあ、人間機械論なんかの文脈では「(人間も含め)生命体は機械だ」という考え方がフツウにあるくらいだから、逆の「機械=生命体」という発想もそれほど飛躍した考えでもないのかもしれないけど。ワタシが「機械は生き物ではないか」と思うのは、よく「植物に気持ちが通じる」というのと同じように、機械にも自分の思いが通じるような気がすることがあるからだ。まるで人間に話し掛けるかのように植物に語りかけると、まるでその言葉に反応するかのように生長が促進されたり枯れてしまったりすることがあることが報告されているが、同じように機械に対しても「人間や動物を扱うかのように」接すると、人間や動物のような“非機械的”な反応をすることがある。いちばん分かりやすい例を挙げると、「マッキントッシュ・コンピュータ」であろう。マック・ユーザーであれば大多数の人が同意してくれると思うが、ウィンドウズ機は「コンピュータ」に過ぎない一方、マックは「まるで人間のような」反応をすることがある。翻訳仕事を始めてからここ7-8年、マックをまるで使わなくなったのでよい具体例があまり思い浮かばないのだが、覚えているのは、たとえば(まるで人間みたいに)月曜の朝とか金曜日にフリーズが多いとか、何らかのハードウェア・トラブルを起こして起動しないようなときに「頑張れ」とか応援しながら立ち上げると“生き返る”ことがあった。ワタシがかつて勤めていた職場では、サーバ以外はマックを使用していたのだが、ワタシは何度かこの“応援”によって死に掛けた職場のマックを“蘇生”させたことがある。同僚から「一体どうやったんだ」と問われたが、「“頑張れ”と応援すれば通じる」と言っても本気にされなかった(笑)。まあ、そんな個人的な例を挙げなくとも、ウィンドウズ機でそんな人を見たことはあまりないが、マック・ユーザーの中に自分のパソコンに名前を付けて擬人化して使用している人が多数いることからも、ワタシの例は明らかだと思う。あと、マックと言えば、ワタシが愛用している「iPodシャッフル」なのだが、使い込むほど「いいタイミングで」「まさに聴きたい曲が」プレイされるようになってきたように思う。例えば、ジョギング中や水泳中はつねにランダム・モードでiPodを聴いているが、スピードを上げようかというタイミングでハードでハイな曲が再生されたり、リラックスした気分でゆったりと泳いでいるときにニューエイジっぽいメロウな曲ばかりが流れたりするのだ。それはまるでiPodがワタシの気分を読み取って、その場にピッタリのBGMを流してくれているような感じなのである。ほかにも、擬人化しやすい「自動車」などで同様の例を聞いたことがある人は多いのではないか。ある自動車のオーナーが、その車に飽きたなあ…と思い始めたら、まるでイジケたかのように妙に故障が増えてきたとか、あまり故障が多いポンコツ車のことを「そろそろ廃車かな…」なんて思い始めた途端、調子が良くなるとか、そんな経験はないだろうか。まるでオーナーの心を読んでいるかのような反応である。あと、ワタシ個人の経験では「電化製品」にも同様の現象がよく見られると思う。たとえば、ワタシが自宅で使用していたビデオデッキ内蔵のテレビだが、これはビデオ機能が故障していたため、ある日知人から「DVDデッキ内蔵のテレビ」を中古で譲り受けてきた。結果的に「ビデオデッキ内蔵のテレビ」の方はあまり用がなくなったので処分しようかと考えていたところ、ある日処分前に試しにビデオデッキ内蔵テレビを点けてみたら、故障していたはずのビデオ機能が復活したのであった。そこで、テレビは主にDVDデッキ内蔵の方を使用する一方、ビデオデッキ内蔵テレビは「ビデオ再生専用機」として居間に置いておくことにした。すると、そのうちDVDデッキ内蔵テレビの音声に雑音が入るようになったきたので、それを機にビデオデッキ内蔵テレビをためしに復活させてみたら、映像も音声もビデオ機能も絶好調で(笑)、結果的に今ではビデオデッキ内蔵テレビを主に使い、DVDデッキ内蔵テレビの方が「DVD再生専用機」となって放置されることになってしまったのである。まるで、「正妻と2号さん」の争いのようではないか(笑)。むかし誰かが「電化製品に“テリー”とか“ロンちゃん”とか名前をつけて使うと故障せずに長持ちする」と言っていた人がいたが、それなんかも“機械に気持ちが通じる”の好例であろう。「それって、人間やペットみたいに扱えば、自然に“乱暴な使い方”をしなくなって、結果的に故障が減るってだけじゃん!」という意見もあるとは思うが、それはもちろんそうで、動物相手でも人間相手でもいいが、看護する人が患者を“機械的”に扱う方が “人間的”に扱うよりも治癒が長引くという現象を「愛情の有無の差」だと言うのであれば、機械に対し愛情を持って接すれば、その“気持ち”が機械にだって通じる…という理屈になるのは当然である。こうして考えると、決して「機械=人間」論はそれほど狂った考え方でもないと思える。まあ、どっちでもいいのだが、「機械=人間」よりもっとよい説明のある人がいたら、教えて欲しいものだ。
2007.01.22
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週末というと、朝方まで夜更かしして昼頃に起きる…という生活を続けてかれこれ10年近いのだが、朝の9時までしか使えない(9時以降は子供用になってしまう)プールで水泳するために、週末も平日とほぼ同じ時間に起きる生活が続いている。土曜日や日曜日だというのに、まだ外が薄暗いうちから起きて水泳の準備をし、氷点下の中を外出し市民プールまで出向いているのだ。放浪の達人さんではないが、我ながら「よくやるぜ…」と思う。はっきり言って、今の仕事に就いてから、特に中間管理職に就いてからは、週末は午前中に起きて活動する気力がなかった。日が高いうちにベッドから出たら、えらい損をしたような気分になったくらいであった。なんせ10年も続けた習慣だったし、「週末に早起き」なんてすぐに挫折すると思っていたのだが、今年に入ってから3週間続けられたもんで、我ながら少々驚いている。9時までたっぷり1時間弱掛けて1キロ前後泳いだ後は、そのまま銀行に行ったり食料雑貨の買出しなどの用を済ませ帰宅するのだが、それでもまだ午前中である。それからテレビを見たり昼食を作ったりインターネットをしても、まだ午後2時くらい。これまでならモソモソとベッドから出てきた時刻である。それから新聞や本を読んだりしているうちにようやく日が傾き、週末恒例の長距離ジョギングのために外出する。1~2時間掛けて15キロ前後を走り終わる頃にはようやく日が暮れて、帰宅する頃には夕方のテレビ番組が始まる。テレビも2時間見れば飽きるので、いつもなら気の進まない洗濯やアイロンがけや片付けものを始めたりする。サタデーナイトライブだけは毎週欠かさずに見るが、それが終わる深夜1時には心地よい疲労感に襲われ、ベッドに入る。そして、翌朝の寝覚めはすがすがしい。週末の午前中にニュースを見たりするのはすごい新鮮である。あと、午前9時過ぎのスーパーマーケットが老人ホームの爺さん婆さんたちで混雑しているなんてこれまで知らなかったし、土曜は午後3時まで開いている銀行が、朝9時から営業していたことも初めて知った。週末のこんな時間帯に活動していると、なんだか「ふつうの人」になったみたいで、大げさな言い方をすれば、ちょっと生まれ変わったような気分である。水泳の方は、ヘタながらも“トライアル&エラー”を繰り返しているうちに息継ぎや省エネ泳法のコツをちょっとずつ飲み込んできたみたいで、タイムもほんの少し向上したし疲労度も軽減した。アイアンマンの制限時間「100m 3分30秒以内のスピードで4キロ」まではまだ遠い道のりだが。水泳の習慣のおかげで生活全般や仕事にも好影響が出てきたし、あんまり調子がいいので厄年であることを忘れそうなのだが(笑)、きっとそのうち大ドンデン返しのように途轍もない災厄がやってくるんだろう。大厄の占いによると、今年は「積み上げてきたことが無に帰す」そうだから、現在の好調はあとで無に帰すための地道な積み上げ作業なのかもなあ(笑)。
2007.01.20
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ボクは日本で起きているニュースを「Asahi.com」か、会社でたまに読む日経新聞で読むようにしているんですが、昨年の暮れにあったフセイン元大統領の絞首刑の映像、もうあれから3週間も経ちますけど、あれは日本のメディアでも放映されていたんでしょうか。アメリカのテレビ局は、誰かが携帯電話のカメラで撮ったとされるノイズの多い絞首刑の映像を、フセインさんの足元のドアが開いて彼が下に落ちる瞬間以降をカットして放映していました。死刑執行の前日に米軍が撮ったとされる「予行演習」のクリアな映像はどの局でもノーカットで放映されていましたが、この映像なら日本でも放映していたかも知れませんね。鬼畜のボクが、彼が下に落ちて以降をも含めた絞首刑画像をYouTubeで検索して見ていたのは言うまでもありません。これまではOgrish.comのようなゲテモノ・サイトでしか見れなかったこの種の死刑映像ですが、YouTubeのようなメジャーなサイトで見れるようになったことは人類の大きな進歩だと思います。さて、このフセインさんの絞首刑映像ですが、たいしてショッキングなシーンは何も映っていませんでした。「パカッ」と音がして足元のドアが開きフセインさんが下に落ちた瞬間、携帯電話を手にした撮影者が動揺したのか興奮したのか知りませんが大きく携帯電話カメラをブレさせてしまったからです。あとは見学者が騒ぎ立てる声をバックに、遠近も被写体もはっきりしない映像が延々と映っているだけで、たまにカメラのフラッシュが焚かれた瞬間に「これが宙吊り状態のフセインさんかな」と思しき被写体が何度か映りますが、眠そうな表情をしているだけで、たいして感慨は湧きません。「アラーは偉大なり!」…で、この死刑映像を見たボクが何を言いたいかというと、「死ぬ間際のフセインさんは堂々としていて立派だった」ということです。ご承知のとおり、フセインさんはイラクでは少数派のスンニ派でした。おかげで、数の上では多数派だったシーア派の人たちはフセイン政権から虐げられ、フセインさんに恨みを持っていました。だから、死刑の際にはシーア派と思しき死刑執行者や見学者が、ロープに首を通されたフセインさんを囲み、罵声を浴びせかけていました。しかし、フセインさんは、これから自分が殺されるという時に、「地獄に堕ちろ」などといった言葉を浴びせる連中に対し、毅然と「君たちはこれが勇敢な行為だとでも思っているのか」「地獄って、今のイラクのことかね?」などと言い返していました。ボクは、むかし何かのドキュメンタリー映画で、老女を強姦して殺したとされる男の実際の死刑シーンを見たことがあります。電気椅子だったか毒薬注射だったか忘れたのですが、椅子に座らされ体を固定された男は、まるで400mを全力疾走した直後のように肩を上下させて激しくハァハァと息をしていて、爆発直前の機械か何かのように大きくガタガタブルブルと震えていました。たぶん顔中が汗に濡れていたと思います。たぶんショーベンもチビっていたことでしょう。婆さんを恐怖のどん底に陥れて嬲り殺ししたような男でも、死ぬ直前になるとこんな情けない状態になるんだなあ…と思ったのを覚えています。それなのに、フセインさんは殺される直前でも元国家元首としての尊厳を失わず、冷静かつ毅然としていました。彼が単なる権力やエゴや私欲にとり憑かれた独裁者であったなら、これから自分が殺されるという瞬間に、こんなに毅然とはしていられなかったと思います。ボクはこの死刑映像を見ながら、フセインさんは、ジョージwブシュがしばしば揶揄していたような卑怯な人物ではなくて、小っぽけなエゴを超えた理念や信条に基づき国家を統治していた、ジョージなんかよりよっぽどの“大物”だったんじゃないか…と直観したのでした。そういえば、法廷に立ったときのフセインさんも、「こんな傀儡法廷には、自分に対し審判を下す正当な権威はない」と堂々と主張していました。何ら正当な根拠もないのに国際世論を無視してイラクに武力侵攻したwブシュ米統領は、「いずれ歴史が評価してくれる日が来るだろう」と言って自らの強引な決断を正当化していました。しかし、こんな文化的・宗教的に入り組んだ背景を持つ複雑な国家を、多少強引な弾圧に訴えたりしながらも20数年にも渡って統治してきたフセインさんは、wブシュなんかよりよほど評価されるべき大した人物だったのではないか…と世の中が評価し始めていることを、wブシュ自身だんだん気づいているかも知れません。
2007.01.19
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YouTubeで見つけたマリリン・マンソンの『ファイト・ソング』のビデオを先日の日記で紹介したのですが、白いユニフォームを着た選手たちを満面の笑顔の金髪のチアリーダーが応援している「Holy Wood高校」に対し、黒いユニフォームを着てあちこちにピアスをしたシラケ・ムードの選手たちを黒髪のチアリーダーが黒いポンポンを振ってグロテスクな振り付けで応援する「Death Valley 高校」に自分を重ねて見てしまう40歳の自分のことを思い、どうしてこんなに「アンチ・ヒーロー」の世界に惹かれるのか、ちょっとだけ考えてみました。 いちばん古い記憶を辿ると、すでに4-5歳の頃には、ウルトラマンに登場した「ニセ・ウルトラマン」や、仮面ライダーに登場した「ニセ・ライダー」を見て「…カッコイイなあ!」と思っていました。ザラブ星人が変身し、目の端っこがちょっと釣り上がったニセ・ウルトラマンも、腕や脚にホンモノにはない線が入ったニセ・セブンも、紫とかオレンジだののエグい色のネッカチーフをつけたニセ・ライダーにも、悪の化身であるにも関わらず、“ホンモノ”のヒーローよりずっと魅力を感じたものです。まいにち同じようなワンパターンのワザで“敵”を倒し続け、連日の活躍でヌイグルミの表面が薄汚れたヒーローよりも、ヒーローをパロディにしたような“ニセ”にはヒネくれたダンディさがあって、ホンモノより知能指数も高そうで、「ホンモノ+α」の能力があるように見えたのだと思います。ウルトラマンごっこや仮面ライダーごっこをするときも、ヒーロー役はほかの連中に任せて、自分はいつも「ニセ」の役を買って出るのが好きでした。ヒーローの得意ワザを逆手に取ったようなアンチ・ワザでヒーロー役に対抗する自分を、ヒーロー役よりずっとカッコよく感じていたことは言うまでもありません。…ただ、これらのヒーロー物のテレビドラマでは、ニセ・ウルトラマンもニセ・ライダーも“正義を愛する人たち”の援助や協力によってほぼ例外なく“倒される”運命にありました(笑)。“勧善懲悪”の世の中では正統なヒーローが君臨する定めになっており、“悪なるニセ”はどんなにホンモノより能力があったとしても最後は滅びるのです。ホンモノにまさる能力を発揮し、一時は“ホンモノ”を窮地に追い込むものの、大抵はちょっとした油断を突かれるなどして逆転され(笑)、最後には敗北するのがニセの運命です。結局は“能力の優劣”ではなく、“正義を愛する心”が“悪なるニセ”を打ち負かす、めでたしめでたし…というのが“勧善懲悪”の筋書きです。そして、“悪なるニセ”にも、ホンモノを征服して自らが君臨しようという覇気は最初からないのがふつうです。なんせ自分の存在理由は「ホンモノに対するネガ」であるところにあるわけですから、ホンモノ(ポジ)がいなくなれば自分の立場がなくなってしまうのです(笑)。だから、ニセ自身も、ただホンモノを窮地に追い込むことだけを目的にしているようなところがあって、最終的に花火のように散ることを本望としている気配さえあるのです。ボクが「ニセ・ヒーロー」にロマンを感じたのは、登場した時からそんな“滅びの予感”を漂わせているところだったのだろうか…なんて今になって思います。 漂泊者 →甲斐バンド(1980年)氷の世界 →井上陽水(1973年)冬の花火 →NSP(1978年)
2007.01.18
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ボクの住んでいるところは通常であれば今頃は毎日真冬日なのですが、地球温暖化のせいでしょうか毎日氷点下に至らない日々が続いており、今日はたまたま氷点下スレスレのときに雨が降ったら、こんな感じになりました。氷の世界いまボクの住んでいるところの対岸の街では毎年恒例の「オートショー」をやっていて、その客寄せのせいか何か分かりませんが、先日夜にとつぜん花火が上がってビックリしました。 冬の花火最後は、YouTubeで発見したマリリン・マンソンの『Fight Song』をご紹介して終わりにします。 We are happy to live in America… ぼちさん、もう2年以上前になりますが、日記に『ボーリング・フォー・コロンバイン』について書いたのですが、覚えてますか。教師や同級生を20人近く射殺した末に自殺した高校生2人組は、この音楽ビデオを見て犯行を思いついたと言われています。このビデオが描く「メジャー vs. マイナー」「ヒーロー vs. アンチ・ヒーロー」の世界のロマンには、何度見てもいい年こいてシビレてしまうオイラです。しかしアメリカという国も、こんなビデオが売れるわけですから、ある意味ふところが広いですよね。
2007.01.15
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この週末は、土曜に800m 泳いだあとで15キロ走ったら、日曜は疲れて1日寝ていた。YouTubeを見てたら20年前の筋肉少女帯のビデオを発見したので、それを紹介して、終わりにする。♪仲本工事の奥さん、死んだァ~歌詞の間の♪ズンズンドコ、ズンズンドコ...の間奏がよくないか?ついでにLP『仏陀L』から釈迦のプロモーション・ビデオも紹介しておこう。ライブ映像のところだけはスバラシイ
2007.01.14
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ワタシは、自分より明らかに年下や“目下”の人間にタメ口をきかれるのは、あまり平気なほうではない。“上下関係”に極めて厳しい男子校の応援団の出身だし、両親にさえ敬語を使っているくらいなので、いくら冗談でも30そこそこの若造に“呼び捨て”にされたりすると、「殴ったろか、コイツ」とか思ってしまう。例外は、姪が2歳の頃から小学校高学年の現在に至るまでずっとワタシをファーストネームで“呼び捨て”にしているのを積極的に許容していることくらいである。一方、ワタシが仕事をしているアメリカは“タメ口”社会である。社長だろうがペーペーだろうが教授と教え子の間柄であろうが、通常はファーストネームで呼び合うし、敬語も謙譲語もないのでいわば「常時誰とでもタメ口」をきいている。タメ口しかないのだからそれに腹を立てることはもちろんない。微妙なのは、「アメリカにおける日本人との付き合い」の場合である。さいわい、アメリカナイズされた日本人が、日本人と日本語で付き合うときにいきなりタメ口をきいたり“呼び捨て”したりするかというと、あまりそういうことはない。微妙な状況が発生するのは、「日本人と英語で会話する」場合である。たとえば、会話の輪の中にアメリカ人が含まれていて、いつもは日本語で会話している“日本人”に対しても英語で話さざるをえないような状況である。そのような状況では、部下や後輩も、上司や先輩に“タメ口”をきかざるを得ない。最初は「Mr.」や「Ms.」などをつけて“呼び捨て”にすることは避けるよう試みたりはするものの、日ごろの付き合いでお互いのファーストネームしか知らないアメリカ人の前で「ミスター・コバヤシ」とか「ミス・サイトウ」とか言っても誰のことか不明なので、結局は“呼び捨て”になってしまう。...で、いつもは「○○部長。」「…でよろしいでしょうか。」などと謙(ヘリクダ)っている日本人の部下でも、英語で話しているうちに、上司のことを「Satoru is a funny guy!」(サトルは面白いヤツだ)とか言ったり、先輩の言ったジョークに対し「Give me a break, man!」(いい加減にしろよ、オマエ)とか、日本語だったら口が裂けても言わないような言い草を口にしてしまうことが、必然的に発生してくる。英語の文脈ではべつに違和感のない発言だが、日本語に“翻訳”するとヒジョーにナマイキで失礼な発言である。こんな場合に、その日本人に対し腹を立てるべきなのかフツウに流すべきなのかが、「微妙なところ」なのである。ただ、注意が必要なのは、こんなときに英語で出るセリフこそが彼らの「ホンネ」であり、いつもは日本語の敬語に覆われて表面に出てこない部分である...ということである。いつも日本語で付き合っているから口にしないだけで、そのような“言語上の制約”さえ外れてしまえば、こんなことを言っているわけだなあ...という部分が、こんな場面に明らかになるからである。オイラの場合、どうやら言語が切り替わる時点で頭の中の「価値観のスイッチ」も切り替わるらしく、日本語で話しているときに“呼び捨て”にされたら殴っていただろう相手でも、英語でファーストネームで呼ばれても違和感はないし、「おい、ハルジ、こっちにこい!」などと言われたら「...コラ、もういちど言ってみろ。」とスゴんでいた相手に英語で”Hey, Haruji, come here!”と言われても腹は立たないのである。こういう「切り替え」を自然にしている前提には、ワタシの頭の中に「人間の付き合いなんて“ロールプレイ”に過ぎないのだ」という達観があるからなんだろうな、と思う。「上司」に対して“敬語”を使う自分は「部下」を演じているんだし、「お客様」のしょうもないジョークに愛想笑いする自分は「納入業者」を演じているんだし、「父親」のいう理不尽なことにハイと返事する自分は「娘」の役を演じているだけだ。逆に「部下」に“指示”を出す自分は「上司」を演じていて、「娘」にエラそうなことを言う自分は「父親」を演じているのだ。要するに、「誰々の父親」とか「○○会社の部長」とか「○○国の国民」とか性別とか年齢とかいった「自分の属性」は、犬が犬であったり猿が猿であるような実体があるわけではなく、相手との関係の中でその“役割”を演じているに過ぎない...ということである。何で読んだか忘れたが、ある日本の中学の校庭には「らしく。」と大書きされた石碑が置かれているそうだ。教師や親をはじめとするオトナどもは、子供に対してことあるごとに「女らしく」とか「子供らしく」とか「中学生らしく」とか「日本人らしく」とか言うわけだが、これは子供の頃から「○○の役に徹しろ」という“プロとなるための演技指導”をしているわけだ。…で、オトナになるということは、それが“芝居で与えられた役”に過ぎないという自覚を失ってしまうくらい、その役に徹し切った人間になることではないか。もともとは「らしく」振舞おうとして必死で努力していたはずなのに、その“役”が板についてくると、いつのまにか「昔からその役だった」ような顔をし始める(笑)。そして、いつしかそれが“現実”だと思い込み、“ロールプレイ”であるという自覚を失った結果、ほかの“役”が演じられなくなってしまう。...そんな状態が「オトナ」としての完成形なのだろう。...で、この“現実”が“芝居”だという意識のないオトナは、途方もなくダサイよな~と思う。そんな「オトナ」に限って、芝居の“舞台”を降りたときに手元に残る「自分」が何もないもんで、必死で“舞台”にしがみつこうとしているというのがミエミエだし、そういうオトナには、新しい“舞台”で新しい“役”を演じるだけの柔軟性や若々しさや度胸がないからである。いくらオトナになっても、自分は芝居の“舞台”で“役”を演じているに過ぎない...という自覚だけは失いたくないものである。(つづく)
2007.01.12
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先週末から市民プールを利用して始めた水泳であるが、今日で3回目である。25mプールが水泳練習の目的のために開放されているのは朝の時間帯だけなので、朝1時間早く起きて出勤前にひと泳ぎしている。これが、なかなか爽快で、気に入った。たとえば、早朝ランニングもなかなか気持ちのいいものだが、あれは「その爽快さに病みつきになる」…というほどではない。むしろ、目覚ましが鳴って「これから起きて走らなければ…」と考えた時の鬱陶しさのほうが先立つ。何とかベッドから抜け出して、外に出て走り出してからも、しばらくの間は心も体もボーっとしていて、走っていて楽しくない。いざ走り終わってひと汗かいてしまえば爽快なのだが…。一方、水泳のいいところは、寝ボケの延長のままですんなり入っていけるところなのである。ランニングの場合にはそうはいかない。寝ボケのまま走り出したら転んでケガをしかねない。ランニングの最中、脚には体重の3倍の負荷が掛かるし、入念にストレッチをして覚醒してから走り始めなければならない。しかし水泳の場合、もともと水に浸かって泳いでいる状態が半分“夢の中”のような感じがあって、半覚醒状態で泳ぎ始めてもなんら支障はない。支障がないどころか、「夢の延長」みたいな感じでゆったり泳いでいるのは文字通り“浮遊感”があって、マイルドなハイになれる。また、水中では浮力のために筋肉への負担が数分の1で済むので、よほど強度の高いトレーニングでもしない限り、ウォーミングアップ不足でケガをすることもなさそうである。心も体も“半覚醒”のまま、準備運動もそこそこに利用者の少ない早朝のプールに入り、防水イヤホンをつけたiPodでThis Mortal CoilやBen Wattなんかを聴きながら、青い水中の波状の光の乱舞にうっとりしつつ、塩素の清浄な臭いの中でゆったり水を掻いて進むのは実に爽快で、優雅でさえある。一応仕事のためのエネルギーを残しておかなければいけないので(笑)今のところ30分弱(7 ~ 800m)で切り上げるようにしているのだが、もしそのあとに仕事が待っていなければ、延々と泳ぎ続けたくなるような感じである。あと、朝泳(←オイラの造語)の何がいいといって、その日は爽やかな笑顔で仕事を始められるのがいい(笑)。通常であれば、もうひと眠りしたいところを無理矢理起きて、かったるい気分で出勤し、冴えない頭で仕事を始め、昼食頃になってようやくエンジンが掛かってくるところだが(笑)、水泳してから出勤した朝は実に前向きな気分で仕事を開始でき、一日を安定した気分で過ごすことができる。それはなんだか、仕事をしなくても喰えるお金持ちが趣味で仕事をしているような、そんな心の余裕を持って仕事に臨むような感覚である。これが早朝ランニングだと、爽やかな笑顔で仕事を始められるところまでは一緒なのだが、水泳の後と違って始業時のテンションが妙に高く(笑)、そのスタートダッシュのテンションも昼過ぎになると切れてきて(笑)、午後の仕事をダルい感じで流してしまうことが多い。どうも朝ランは水泳と違って心身の覚醒とハイ・テンションを要求するためか、朝泳で感じる「心の余裕」というか「贅沢な気分」に至ることはない。あとは、マラソンを止めてから66キロあたりをずっとウロウロしていた体重もこのところ65キロに落ちたのも、水泳の効果ではないかと思っている。また、マラソンを始めてからすっかり貧弱になっていた上半身がだんだんガッシリしてきて、10年前にはあった広背筋(肩甲骨の両脇の、わきの下につながる筋肉)もちゃんと発達してきたようである。…こうしてメリットを挙げていくと、朝の水泳はまさに「言うことなし。」なのである。まあ、水泳に時間とエネルギーを費やす分、ランニングの頻度と走行距離が落ちてしまっているのは仕方ないだろう。ベテランのトライアスリートには、朝に10キロ走って、帰宅してからジムで1時間泳ぐ…などというツワモノもいるらしいが、いまの自分にはちょっと想像もつかない世界である。このまま朝泳の習慣が続けば、マラソンのときと同じように、制限時間内に泳げるようになるまで上達できるかなあ。
2007.01.11
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この数日、本屋で見つけたアメリカのトライアスロン雑誌を寝る前に読んでいたところだったが、昨日は日本出張から戻った同僚にトライアスロン雑誌を買ってきてもらった。アメリカにはこのテの専門誌が数種類出回っているが、日本の場合はこの『トライアスロン・ジャパン』1誌だけのようである。先日の日記にも書いたとおり、トライアスロンを始めるための条件は「カネとヒマがあること」である。北米にはカネのあるヒマ人が老若男女を問わずそこらじゅうにいるが、日本ではカネとヒマのどちらか一方がある人は大量にいても、両方を持っている人は、トライアスロンのことなど考える気力さえないジーさんバーさんを除けばなかなかいない。結果として、マラソン人口に比べると圧倒的に少ないものと思われる。ウェブサイトなどではよく「日本のトライアスロン人口は潜在人口を含め約20万人以上と言われています」などと書かれているのを見るのだが、この数字はかなり眉ツバものである。どこでそんなことが「言われている」のか、どのウェブサイトでも情報源を明らかにしていないし(笑)、マラソン人口でさえ約100万人と言われているのに、彼らの5人に1人がトライアスロンをしているかと言うと、そんな事実はありえないからである。「約20万人」のほとんどが、実際にはトライアスロンをしていない「潜在人口」だったりしてなあ。再三言っているとおり、オイラはトライアスロン自体には興味はない。雑誌を読んでいても、かつてマラソンをしていて感じたような「同志」の意識はあまり湧かない。とくに興味がないのは自転車野郎のアノ世界である。派手なピチピチのウェアに大げさなヘルメットを被り、ペダルがどうとかいってやたらとパーツに凝る。どちらかというと孤独がちなランナーと違って、お揃いのユニフォームを着て群れているのも気味が悪い。オイラがいちばん呆れたのは、トライアスロン雑誌に付いてきたカタログに載っていた自転車用のジャージであった。注文した自転車もそろそろ届く頃だし1着買っておこうかと思っていろいろ見ていたのだが、マトモなものが1つも!ないのである。交通安全のために目立つ色にしているのは分かるが、このデザインのセンスは異常に思える。こんなシャツを着て得意になっているヤツとはあんまり友達になりたくないと思う (笑)。まあ、何の世界にも「独特のノリ」というのがあって、その世界に属していない人にとってはえてしてそのノリが異常に思えるワケだろうけど、いずれにしても、オイラが自転車野郎の世界に対して感じる違和感は、たとえて言えば、ヘビメタ野郎の世界に対してオルタナティブ・ミュージシャンが感じるであろう生理的な抵抗感に近いものがあると思う。何というか、自転車野郎やヘビメタ野郎の「カッコの世界」は、オイラが愛してやまないストイシズムに反するものがある…ということであろう。ただ、バンドに興味のない連中にとってはヘビメタ野郎もパンク野郎も区別がつかないように、運動に興味のない人にとっては、ジョギングコース上を無目的に延々と走り続けている市民ランナーも、派手な格好でサイクリングコースを走っている自転車野郎も、ただの「奇特な趣味」の「アブナい人たち」に見えているのだろう。いずれにせよ、オイラがまかり間違って今後トライアスロンにハマることがあったとしても、1年後にオイラがこんな派手なジャージを着て走っていることはまずないと思う。オイラの高校時代の応援団の先輩には、校内マラソン大会になんとゲタ履きで出走し上位で入賞したという“伝説の応援団長”がいたのだが、オイラも2年後のアイアンマンでは赤フンで泳いでやろうかと考えている。
2007.01.10
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年末年始に世界一周して帰国したトイモイさんが、連続でアムステルダム官能の旅日記を書いていて、もう話はベルギーに移っちゃったけど、ボクも初めてアムステルダムのことを思い出して書くことにします。いまから19年前の1988年、ボクは大学4年次を休学し、ブラブラしていました。4年生に進級する時点でボクは単位数も足りており、そのままでいたら大学を比較的優秀な成績で卒業してしまうところでした。しかし、大学のサークルの後輩であった鰻坂ワタルや心斎橋ワタルらと始めたバンド活動は本格的になってきたし、伸ばし放題の髪の毛は肩に届きそうだし、春・夏・秋の間は半ズボンしかはかないし、とてもスーツを着て就職活動などできる状態になかったのです。…で、大学に休学届を提出する際、ボクは「休学の事由」の欄に「短期留学のため」と書いておきました。ボクの母校は、休学する場合でも学費を全額納めなければいけないことになっていたのですが、休学事由が病気や留学であれば、休学中の学費が半額免除になったからです。「短期留学」というのはもちろん休学の口実であったわけですが、決して大学をダマすつもりではなく、まあ、休学中に数ヶ月も語学学校に通っておけば、大学から咎められることもあるまいと思っていたのでした。ボクは6月になっても7月になっても8月になっても留学する素振りも見せず、バイトのないときは大学のキャンパスに遊びに行ってはブラブラしていました。そして、ついに9月になって、大学の後期が始まっても大学に遊びに来ていたボクを、ある大学関係者が見咎めて、問いただしました。「オマエ、留学するんとちゃうんか。」ボクは慌てて、「…いま、手続きの最中で、もうすぐ渡英する予定です」などと出まかせを言って、その場をしのぎました。気の弱いボクは「そろそろホントに留学しないとマズい、学費の残り半額を請求されたら困る」と思い、次の日、 (いざというときのために)帰国子女の女友達のアパートを訪れ、『地球の歩き方』に載っていたイギリスの英語学校に国際電話して、口頭で「入学許可」を申請しました。それがボクの「留学準備」でした。それから1週間かそこらでその語学学校から入学関連の書類を受け取ったボクは、スイスのチューリッヒ発着の格安チケットを入手し、9月の下旬になってようやく欧州へ旅立しました。現在はどうか知りませんが、当時はロンドン行きの航空券よりも、いったんスイスやドイツにランディングし、電車でフランスやオランダに移動してそこからフェリーでイギリスに渡った方がまだ安価に済んだからです。よく覚えてないのですが、ボクはチューリッヒ空港からアムステルダム行きの切符を買って電車に乗りました。よく覚えてないのですが、たぶん『地球の歩き方』に、アムステルダム周辺からイギリス行きのフェリーが出ているようなことが書いていたのだと思います。...で、前フリが長くなりましたが、こうしてようやく到着したアムステルダムは曇り空で、とても寒かったのを覚えています。日本はまだ残暑でしたが、こちらはもう霧が出ていてコートがないと寒いくらいだったのです。街の雰囲気も活気が無く沈んでいて、ゴミゴミした感じがしました。何かの本で、アムステルダムはヨーロッパの北の果てであり、南から北へと伝播して行った文明がたどり着いて停滞し沈滞した場所がアムステルダムだといった意味のことを読んでいたせいか、あんまり印象が良くなくて、長居したいとは思いませんでした。駅前を歩きまわって『地球の歩き方』に載っていた安ホテルを探しあて、レセプションでドミトリー部屋を頼みました。何と言って頼んだのか覚えていないのですが、たぶん『地球の歩き方』に載っている英会話フレーズをいかにも流暢っぽく読み上げたのだと思います。ホテルのレセプションの男はそれに対して英語で何たらかんたらと返答しましたが、ボクにはそれが聞き取れませんでした。ボクがそのとき慌てたのは、その英語が聞き取れなかったことよりも、そのオランダ人の英語がイギリス人のネイティブと区別がつかないくらい流暢だったことでした。前年インドをブラブラしたときに会ったドイツ人などとしゃべったときは、スピードといいたどたどしさといい、「ヨーロピアンといえども日本人の英語とたいして変わりないじゃーん」と思ったものですが、オランダ人の英語は当時のボクの耳にはネイティブと区別がつかなかったのでした。翌朝、昼近くにドミトリー部屋で目を覚ましたら、いつの間にか隣のベッドにヨーロッパ人の青年が寝ていました。ボクが目を覚ました様子を察したのか、ベッドの中でムクムクと上体を起こした彼はボクに「グッド・モーニング」と挨拶しました。ボクもいちおう「グッ・モーニン」と精一杯流暢に返答しました。すると彼は、時計を見て昼も近いことを知り、たぶん「もうモーニングじゃなくてそろそろアフタヌーンだよね」というようなことを言ったようです。ボクはそれに対して何か気の利いた返事しようと思ったのですが、何も言葉が出てこなくて、テキトウにニヤニヤしていました。彼はボクから何のレスポンスもないので、「なんだ、この東洋人、英語がしゃべれないのか…」といった気まずい顔をしていたと思います。でも、実際は、気まずい思いをしていたのはボクだけだったのかも知れません。それがボクのオランダ初日のウブな思い出です。ボクのオランダの悪徳の思い出は、それから4年後、アメリカの大学に入学してからのことです。そちらは別な機会に書いたので割愛します。(前フリが長かった割に、期待をハズしてスイマセン)(終)
2007.01.09
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新春インタビュー第3回 「まだやるのかインタビュー」聞き手 こんにちは。郡山 こんにちは。聞き手 …あの、今日はまたずいぶん、何というか、歴史上の人物のようなイデタチですね。今日は目隠ししなくてもいいんですか。郡山 まあ、いいです今日は。あまり気にしないでお付き合いください。聞き手 それにしても、まだやるんですか、このインタビュー。誰もウケてないみたいですよ。郡山 すいません。好きなんです。聞き手 (苦笑)。…でも、「インタビュー画像」は個人的にはウケましたよ。どれもよく似ていますね。郡山 (聞き手のコメントを無視して)今日はですね、先日のインタビューでお話したとおり、週末に数年ぶりに800m泳いだんですけど、筋肉痛は出なかったですね。ちょっと全身の筋肉が妙にダルいですけど。聞き手 40の中年がそれだけの距離を数年ぶりに泳げば、全身がダルくなるというのも容易に予測できた結末ですね。郡山 はい。でも今回は、数年前に泳いだときの経験から、どれくらいの運動強度でどれくらい泳いだらどの部位にどんな筋肉痛が発生するかある程度分かっていたので、今回は「後になってから筋肉痛に困らない程度の強度」のつもりで泳いだんです。泳ぐ前の準備運動も、泳いだ後のケア(アミノ酸とプロテイン)もきちんとしたし。だから、ダルいだけで筋肉痛が出なかったのは、上出来だったかな…と思ってます。聞き手 ああ、一応ご本人にとっては筋肉痛が出なかったのが自慢なわけですね(笑)。ところで、アミノ酸とプロテインというのはやっぱり効くものなんですか。郡山 テキメンだと思います。筋肉痛というのは、その筋肉が耐えうる強度を超えた負荷が係ったとき、筋肉繊維が損傷した状態なわけですから、それを早めに修復してやれば痛みが最小限に食い止められるんです。聞き手 (関心なさそうに)へえ、そうですか。シロウトの感覚だと、プロテインというのはボディビルダーみたいに筋肉をつけようとしている人が飲んでいるイメージがありますよね。郡山 ああ、そうですね。実際、傷んだ筋肉が修復しようとするときに“筋肉がつく”わけですから、結果は同じことですかね。私も今回の800mで肩や胸のあたりがすでに堅く盛り上がったような気がします。聞き手 そうですか。(肩のあたりを見て)先日とあんまり変わったような気はしませんが、気のせいじゃないんですか。郡山 そうですか、そうかも知れません。…あと、水中用のiPodのケースとヘッドフォンですが、ちゃんと機能しました。やっぱり音楽を聴きながらだと、時間が経つのはあっという間ですね。30数分泳いでも、ぜんぜんそんな長いあいだ泳いでいた感じがしないんです。いい買い物をしました!聞き手 (関心なさそうに)そうですか、よかったですね。…ところで、トライアスロン関係の話以外に、もっと、訪問者の関心を引くような話題はないんですか。郡山 …水泳をして肩を痛めるとか、胸筋が攣るとかいったこともなかったし、先日の日記にも書いたとおり厄年らしい災厄はまだないですね。聞き手 今年のこの日記のテーマを満足させるようなネタはないわけですね。ほかには何かないんですか。郡山 …そうですね、そういえば先日、pinkoysterさんからデジタル写真が送信されてきました。10月の日本出張時に2人オフ会したときに代々木公園で見た「謎の男」と「才能のないパーカッション中年カルテット」が、今でも相変わらずほぼ同じ場所で同じ活動を続けているとの報告をいただきました。聞き手 …ああ、公園のベンチに腰掛けて微動だにしない、超越したファッションの謎の男性と、セラピーの一環でやってるのではないかと言ってた中年4人組ですね。郡山 そうです。これがその証拠写真です。郡山 手前で頭をうな垂れているのが超越ファッションの謎の男性、その奥のほうが例のパーカッション・カルテットです。聞き手 …ははあ。「謎の男性」の方は、さすがに冬の格好に変わっていますね(笑)。髪の毛もだいぶ伸びました。カルテットのほうはちょっと格好までは分かりませんが、相変わらずっぽいですね。しかし、人通りがないだけに、彼らのデモンストレーションにも物悲しいものがありますねえ(笑)。郡山 いずれにしても、この報告のおかげで両者に対する謎と関心がちょっとだけ深まりましたね。次回の日本出張時には、勇気を出してインタビューしに行こうかと思ってます。聞き手 ところで、オフ会といえば、楽天広場仲間のオダギリチガさんが日記で、今度大阪に出張するついでに大阪オフ会を提案されていますね。まだ先の話みたいですが。郡山 はい、その日記私も見ました。聞き手 …。何かコメントはないんですか。郡山 そうですね…。(5秒くらい沈黙して)…せっかくですから、単にどっかで顔を合わせて話をするだけでなく、何か企画して欲しいですね。みんなで新世界に行ってホームレスとメシを喰うとか、通天閣に徒歩で上るとか、人通りの多いところに仮装で集合するとか。聞き手 大阪で郡山さん周辺の楽天仲間というと、トイモイさん、心斎橋さん、ぼちぼちさん辺りですか、オダギリチガさん周辺の方は存じ上げませんが。たしかトイモイさん以外は皆さん会社の重役でしたよね。同じ日時に企画のために集まるにはちょっとお忙しそうじゃないですか。郡山 たしかにそうですね。…となると、それぞれ両者の都合のいい時間に単独で顔を合わせるだけになるかも知れませんね。聞き手 そうですね。(やや面倒臭そうに)あとは、何か話題はありますか。郡山 特にありません。聞き手 …じゃ、もう、新春インタビューはこれで最後ですね。郡山 …はい。(晴れやかな顔で) もう満足しました。聞き手 それはよかったです。それでは、また厄年にふさわしい悲惨な日記を訪問者ともども期待しています。
2007.01.08
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新春インタビュー第2回 「ヒマな中年の週末」聞き手 こんにちは。郡山 こんにちは。聞き手 …あの、髪型もそうですけど、昨日のインタビューに比べてまたずいぶんお老けになりましたね。郡山 ま、あまり気にしないでお付き合いください。聞き手 今回は恒例新春インタビューの第2回目だそうですが、第1回目の反響がなかったのにちょっとしつこくないですか。そもそも連続モノだったんですか、これ。郡山 いや、あの、ネタが乏しくって。“バカの一つ覚え”ばかりですね、さいきん聞き手 …。正月の話はもうひと通りお聞きしたんですけど、今日はあと、何のお話ですか郡山 昨日から、ついに水泳を始めたんです。聞き手 ああ、トライアスロンの話ですね…で、どうだったんですか。郡山 泳いだのは何年かぶりだったんですけど、ちゃんと泳げました。30分ちょっと泳いで800mくらいでした。聞き手 先日の日記だと、アイアンマンは3.9キロを2時間20分以内に泳がないといけないんですよね。ハーフだと2キロを1時間10分ですか。そのスピードだと制限時間に間に合わないんじゃないですか。郡山 間に合いません。100mを3分半ペースで泳がないといけないのですが、ボクの場合4分以上掛かってますね。聞き手 しかもハーフ・アイアンマンではその2.5倍の距離を泳ぐんですよ。アイアンマンだと5倍!郡山 ボクはクロールの息つぎが苦手で、クロールで泳ぐとすぐ息切れしてしまうんです。今日は主に平泳ぎと背泳ぎで泳いだので、これくらいのスピードしか出ませんでした。聞き手 なんだか、今年中に出場資格を獲得するのは難しくないですか。郡山 ちゃんとクロールで泳げるようにするか、あるいは平泳ぎと背泳ぎでもっとスピードを上げるほかないですね。でも、ランニングで鍛えただけあって、息はぜんぜん切れませんでした。距離だけなら2キロくらいは泳げそうです。聞き手 そうですか、頑張ってください。自転車はまだ届いてないんですよね。郡山 まだです。あと2週間くらい掛かるはずです。今年はこれまで暖冬だったんですが、どうも来週から本格的に冷え込むらしいんで、雪に降られたら自転車のトレーニングができなくなって困るなあ、と。聞き手 自転車はお得意なんですか。郡山 日本にいた頃はこれが主要な交通手段だったので、自転車に乗ること自体には違和感はないと思うんですよね。時速12キロで42kmを走り切れる体力があれば、自転車に乗って時速25キロで90kmを走り切るのはなんとかなるだろうと思ってるんですけどね。聞き手 なるほど。となると、最大の難関は水泳になりそうですね。郡山 そうですね。近所のスイミングセンターは朝6時半から開いてるそうなので、今年は出勤する前にひと泳ぎする習慣をつけようかと考えてるところです。聞き手 そうですか、頑張ってください。トライアスロン以外の話はないんですか今日は。郡山 そうですね、昨日「Second Life」に登録しました。聞き手 なんですか、それは。郡山 アメリカで流行っているバーチャル・ワールドのサイトです。自分のアバターを作って、名前をつけて、その世界の住人になるんです。「第二の世界」での「第二の自分」です。すでに240万人の住人が居るそうです。聞き手 郡山さんらしいですね、またバーチャル世界だなんて。郡山 実世界と同じようにこの世界だけで通用する通貨もあって、バーチャル店舗で買い物もできるし、自分で店や会社を作って商売をすることもできます。この世界で商売して大当たりして、このバーチャル世界の億万長者になった人もいるそうですよ。この世界の中に「不動産」を買うこともできるし、MITが大学を開いていて、聴講できたりらしいです。聞き手 ちょっと面白そうですね。お話を聞いていると、実世界と何も変わりなさそうですね。郡山 日本のメディアでも紹介されてますよ。日経新聞に載ってましたし。ただ、この世界、モデル並みの若い美男・美女ばっかり(笑)。実世界ではモテないブスとブ男ばっかりなんでしょうけど(笑)。聞き手 郡山さんのアバターはどんなんですか?郡山 まだ編集中なんですけど、デブの黒人のオッサンにしようかと(笑)。和服を着せたりして。名前は「郡山ハルジ」にしようとしたんですけど、ラスト・ネームは選択肢の中から選ばないといけなくて、日本名の苗字は「ナカムラ」しかなかったんで、ワタシのアバターの名前は「ナカムラ・ハルジ」です(笑)。聞き手 「現実=この世/実社会」と思ってる人にはついていけない世界ですね。郡山 まあ、ヒマ人の世界ですよね。40過ぎのオッサンが熱中してたら気持ち悪いです。また何か進展があったら日記に書きます。聞き手 そうですか、頑張ってください。ほかに何か話題は?郡山 いや、以上です。…年始からつまらない話題ばっかりですいません。聞き手 まあ、こんなもんでしょう。誰も期待してないでしょうし(笑)。
2007.01.07
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新春インタビュー 「厄年の正月を迎えて」聞き手 郡山ハルジさん、あけましておめでとうございます。郡山 おめでとうございます。聞き手 …あの、先月の日記で拝見したクリスマスパーティの画像とはずいぶん髪型が変わりましたね。郡山 あまり気にしないで今日はお付き合いください。聞き手 今回は心斎橋ワタルさんの恒例新春インタビューのパクリをご希望とのことですが、でも正月もとっくに終わったいまさら「新春インタビュー」というのもちょっと時期的に遅い感じがしませんか。郡山 すいません、正月から仕事が忙しくて時間がなかったもので。聞き手 ところで郡山さんが最後に正月を経験されたのはいつになるんですか。郡山 …(5秒くらい沈黙し)1997年だったと思います。現地就職で見つけた仕事を辞めてアメリカから6年ぶりに帰国して実家に居候していた時です。聞き手 10年も正月を経験していないわけですね!郡山 大学時代も、年末年始に帰省したのは入学した最初の年だけだったから、その前に経験した正月は1986年ですね。年末年始はいつも人手が足りないので、あの頃バイト先ではいつも引っ張りだこで…。聞き手 郡山さんにとって正月は10年に1度のイベントなわけですね(笑)。ところで、今年が平成何年だかご存知ですか(笑)。郡山 …今日、仕事で同僚に教えられました。社内文書を英訳してたら「平成18年」って書いてあるので、「あ、今年の予定のことか」と思って「2007年」と訳したら、それを見た同僚が「○○(本名)さん、今年は平成19年ですよ」って。聞き手 (苦笑)郡山 …しかしもうすぐ平成も20年目になるわけですねえ。なんせ私は昭和から平成に変わった年末年始にたまたま大学を休学してイギリスに滞在してたもんで、その後久々に帰国したら元号が変わってるわ、買い物したら「消費税」とかいうのを徴収されるわ、浦島太郎のようでした(遠い目)。そういえばあの年は…聞き手 (話をさえぎって)日本に適応できなくなる予兆はもう20年近く前からあったというわけですね。正月の話はこれくらいにして、それでは新年を迎えての今年の目標などを聞かせてください。郡山 はい。先日の日記にも書いたと思いますが、今年は基本的におとなしく過ごそうと思ってます。聞き手 はい、厄年なんでしたね。郡山 はい。大きなイベントは来年以降を目標にして、地道に努力しようと思います。聞き手 でも、トライアスロンを始められるのですよね。郡山 はい。まあ、ご承知のとおり、トライアスロン自体に興味があるわけではなくって、来年を目標にアイアンマンを完走したいのです。だから、今年はその出場資格獲得のために“ハーフ・アイアンマン”に当たる「アイアンマン70.3」の完走を目標にしています。聞き手 そうですか、頑張ってください。ほかに、昨年みたいに行動面などでの目標はないんですか、今年は。郡山 あ、そうそう、今年は「一呼吸置く」という目標を考えました。何かをする前に、いつも一呼吸置いてから、行動するようにしたいと思います。つい、よく考えずに反射的に行動に出てしまい、その結果トラブルになりがちなんですよね。聞き手 そうですか、頑張ってください。ほかには?郡山 そうですね、あとは、「規律正しく」というのを考えました。昨年はマラソンをやめたせいか、自己管理が甘くなったことをちょっとだけ反省しています。今年は何事も計画を立てて、それを意志的に実行に移すという生活を心がけたいと思います。聞き手 そうですか、それは立派ですね郡山 来年「鉄人」になるためには、今年の1年間でセルフ・コントロールを身に付けることから始めなきゃいけないと思うんです。聞き手 そうですか。…ところで、あの、郡山さんというと、排泄物とか薬物とかいったゲテモノのお話を期待していたんですが、そういう鬼畜系のお話はないんですか。郡山 …そうですね、実は、ことしは久々に性交しようかというのもちょっとだけ考えたのですが、厄年であることを考慮して、目標から外しました。聞き手 そうですか。それでは今年もこのまま無性交記録を更新してください(笑)。郡山 …つまらないインタビューですいません。聞き手 まあ、こんなところじゃないんでしょうか、厄年ですからね(笑)。
2007.01.05
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厄年に入って4日が経過しましたが、今のところ、インスタントラーメンを喰ったら下痢した以上の災厄らしき被害には遭っていません。もちろん、年が明けたからといって突然運が変わるわけでもないでしょうから、これから次第にツキが悪化していき、やがて想像を絶するような凶事がこの身に降り掛かるのでしょう。厄年は「何をやってもうまくいかない年」だそうですから、新しいことを始めるタイミングとしてこれ以上不適切な年はないみたいです。でも、トライアスロン用自転車も予約しちゃったし、まあ、新しいことは不運がどん底に達してしまう前に早めに着手するということで、被害が最小限に留められればいいなあと思います。ところで昨日のトライアスロン用自転車の話の続きなのですが、自転車屋に行ってボクが驚いたのは、「自転車選び」の前に、まず体じゅうの寸法を取られたことです。この種の専門的な自転車は、カタログを見たり試乗したりした上で「これください。」と言って買うのではないらしいのです。まず体型を分析し、その体型に合う自転車の絞込みから入ります。店員のおネーちゃんは、身長・体重はもちろん、股下の長さに始まり、それぞれの腕の長さ、手からひじまでの長さ、立ちひざになった時の背の高さ、手の大きさ、足のサイズまで、2-30分掛けていろいろ測りました。結果、広告で見て「これが欲しい。」と思っていたセール中のビギナー向け自転車は、見事にボクの胴長短足体型にピッタリだったことが判明したのでした。店員のおネーちゃんによると、当初の希望どおりの自転車が買えることは珍しいそうです。その後さらに驚いたのは、その場で希望の自転車を調整してくれるのかと思っていたら、まずボクのサイズに合ったパーツをメーカーに注文するところから始めなければいけない、ということでした。ボクの身体部位のサイズをコンピュータに入力すると、適切な規格のパーツが自動的に特定されます。今度はそのデータをメーカーなり流通センターに送信して、それらのカスタム・パーツを自転車屋に送ってもらいます(この間約1~2週間)。自転車屋はそのパーツを「自転車」の形に組み立てたら(これにさらに約1週間)、ボクが再度来店し、試乗した上で各部位を“微調整”して、ようやく「最終製品」としてこの自転車が引き渡されるのです。だから、自転車に乗れるまで約3週間待たなければいけないのです。たとえば、ボクが今乗っている自動車は、自動車屋に行ってその場で選んでその場でカネを払って買ってきたものです。それを思うと、この種類の自転車は、自動車を買うよりもよっぽど手間ヒマが掛かるということです。も1つ驚いたことは、自転車の形状です。とにかく細くて薄っぺらいのです。自転車のフレームは通常、鉄鋼製のパイプというかチューブを組み合わせでできているわけですが、レース用の自転車は空気抵抗を極限まで少なくするためにこのパイプが薄くツブれています。断面を見たら、たぶん「魚を上から見た形」になると思います。フレームだけでなく、タイヤもフラフープみたいに極細です。素人目にいちばん奇矯に思われるのは、やっぱりハンドルでしょう。ドロップハンドルみたいな部分はちょっと形状が変わっていてもまだ理解できますが、実際の走行中には平行に突き出した角みたいな部分を握り、ひじをパッドのところに当てて運転するらしいのです。マニアの世界は、性的ヘンタイにせよ身体改造系にせよ自転車ファンにせよ、部外者にとっては想像を絶するような突出した世界が展開されているのだなあ、とあらためて思い知らされます。ところで、ボクが高校生くらいの頃、転倒したときにドロップハンドルが胸に突き刺さって死んだ少年がいました。厄年のボクがこのトライアスロン用自転車のハンドル形状に慣れず、転倒したりしたら、やっぱりこの平行ハンドルが喉ぶえに突き刺さって死んだりするのかなあ...なんて想像すると、ちょっぴり怖いものがあります。
2007.01.04
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ボクは正月のない国に住んでいるので、1月2日の今日は平日出勤フル稼働です。でも、日本にいた頃からお盆も正月もクリスマスもカンケーない暮らしをしていたため、そんな国の習慣もあんまり苦にならないのがボクの便利なところです。今日は、会社の帰りに自転車屋に寄って、トライアスロン用自転車を予約してきました。あと、昨日の晩は、インターネットで「水中用ヘッドフォン」と「水中用iPodケース」を購入しました。なぜかというと、来年(2008年)アイアンマンに挑戦することにしたので、今年はその準備のためにトライアスロンを始めるからです。そのためにはトライアスロン用の自転車と、あと、遠泳トレーニングに飽きないよう、プールの中でも音楽が聴けるような道具が必要なのです。昨日まで知らなかったのですが、トライアスロンに出るには5段変速くらいのフツウのロード用の自転車があればいいのかと思っていましたが、この世界にはそれ専用の自転車があるそうです。専用自転車のどこがどう違うかというと、トライアスロンは、ご承知のとおり「水泳 → 自転車 → マラソン」の順番なので、長時間自転車をこいだ後さらに長距離を走るための脚筋になるべく負担を掛けないよう、フレームの角度が微妙に違うんだそうです。上がトライアスロン用、下がロードレース用専用車だけあって、安いものでも10数万円します。去年は1年間のお小遣い約7万円でしたが、今年は年が明けるなりいきなりその倍の出費です(笑)。先日ウェブサイトを調べていて誰かが書いていたのですが、トライアスロンを始める第1条件はまず「相応のカネがあること」だそうです。どんなに体力ややる気があっても「自転車&備品を買うカネ」というハードルをクリアできないことにはトライアスロン仲間に入れない…というのがマラソンなどと大きく違う点です。専用自転車10数万円に、ヘルメットだのウェアだのシューズだのが数万円、さらに本番前にはウェットスーツまで購入しなければなりません。トライアスロンの会場や開催時期によっては、海パンで泳ぐには寒過ぎるからです。おまけに、レースの参加料は万単位ですし、自転車を会場まで輸送するにも万単位のカネが掛かるのです。自転車の維持(修理や調整)費用もバカになりません。さいわいボクは別にトライアスロンを趣味にする予定はないし、あくまで来年のアイアンマンを完走することが最終目的なので、自転車のパーツや備品に凝って散財することはないだろうと思います。ただ、来年のアイアンマンの出場資格を獲得するためには、ことし“ハーフ・アイアンマン”(水泳2キロ、自転車90キロ、マラソン21キロ)を制限時間内に完走していなければなりません。もしも今年出場資格を獲得できなければ本番挑戦は2009年になってしまいます。仮に無事出場資格を得て来年のアイアンマンに出場できても、完走できなければやはりその翌年に再挑戦です。それを考えると、向こう数年間は、アイアンマンを完走するのと資金が底をつくのとどちらが先か…という厳しい勝負になるのでしょうか。
2007.01.02
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【訂正】12月29日の日記(『2006年私的イベントベスト10』)で『唯一の買い物らしい買い物は「テント(約2.5万円)」と「バックパック(約3000円)」「登山用ステッキ(約3000円)」「登山ブーツ(約1万円)」これだけ。オイラの年間のお小遣い4万円(笑)。』と書きましたが、10月に寝たきりのお婆さんを撮影するためにデジタルビデオカメラ(約3万円)を購入していたので、『オイラの年間のお小遣い7万円』に訂正します。さいきんはすっかり飽きてぜんぜん撮影していませんが、2006年は一時期このビデオカメラとYouTubeにずいぶんお世話になりましたね。あと、ついでですが、同じ日の日記に『2006年は1枚もCDを買わなかった。』と書きましたが、その翌日にたまたま立ち寄った中古CD屋で、CDを3枚買ったので、『2006年は、年明けの直前になってCDを3枚買った。』に訂正です。ちなみにその3枚というのは、10年前引越しの際に紛失したWeezerのデビューアルバム(いわゆるブルーアルバム)と、オイラがゴシックというか“暗いニューウェーブ”にハマるきっかけの1つになったCureの『The Top』と、しばらく前に踏みつけて割れてしまったJane’s Addiction のUSオルタナティブの金字塔『Ritual de lo Habitual』です。さっそく自動車の中で聴いてジーンときました。(試聴サイトをリンクしたので、ヒマな人は聴いてみてください)年末年始は、前々からしたくても時間がなくてできなかったこと、たとえば本格的な大掃除をしたり、新しく買ったCD音源を用いて「懐かしの曲」コンピレーションCDを作ったり、2007年の目標であるトライアスロンの用品やトレーニングについて調べたり…といったことをしました。あと、昭和13年生まれのパパが2006年いっぱいでついに仕事を辞めて隠居生活を始めることにしたそうなのですが、電気屋の初売の広告で見つけたノートパソコンを買うべきかどうか…と相談の電話をしてきたのに付き合いました。ボクの実家にはパソコンがないので、パパは会社を辞めたらインターネットにアクセスする手段がないし、ダイナブックの基本モデルがプリンタと合わせて10万円というのは悪くない話なので、それを買うよう薦めました。ただ、彼のコンピュータ・リタラシーでは自力でインターネットに接続するのはとてもムリそうなので、楽天広場デビューはおろか、当面は郡山ハルジのウェブサイトも見れないことでしょう。ウェブサイトといえば、大晦日の晩、夜通しでこのサイトのデザインの変更をしました。今年のデザイン・テーマは「厄年」です。ボクの人生の起承転結の「結」にふさわしく「夕暮れの日没」のイメージにしました。なかなか気に入っています。それでは訪問者のみなさん、何のオチもヒネリもなくて恐縮ですが、今年もよろしく。
2007.01.01
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