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1週間後の日本長期出張が決定したので、今日はおみやげを買出しに出掛けた。マラソン関係のシューズとかサプリメントを別とすれば、この年齢(37)になっても高校生のお小遣い以下のカネしかつかわない安上がりな自分としては、かなりの出費をした。会社や実家へのおみやげなんかはいつも空港でテキトウなものを買うのだが、実家の姪(8)と甥(4)へのおみやげを買うときだけは、かなりの時間と多少のお金を掛ける。いわば叔父としての“教育的配慮”を加味し、自分としても姪・甥としてもナットクのいく物を厳選するのだ。ガールフレンドもいないし友人もきわめて少ないオイラは、ひとり海外旅行などに行ってもおみやげを渡す相手は姪と甥くらいしか居ないので、だいたい探す物品は「オモチャ」か「ビデオ・本」か「学習教材」に絞られてくる。珍しい国に行く時はコドモ用の「民族衣装」などを買う時もあるが。今回は娯楽系のおみやげを離れて、姪には顕微鏡、甥には“学習ラップトップPC”を買った。オイラの姪は、日本で放映が開始になる前にすでにオイラがアメリカから買ってくる「テレタビーズ」のビデオを見て、「アッ・オゥッー!(Uh-oh!)」とか言っていた。まだ2歳の時のことだ。幼稚園でようやくひらがな・カタカナを習い始めた頃、「アラビア文字」も練習していた。オイラがエジプトに旅行した際に「アラビア文字の練習帳」をおみやげに買ってきたからだ。姪は幼稚園で、エジプトがどうの、とか言い出すので、先生がどんな特殊な家の子なのか心配していたそうだが。さいきんテレタビーズを卒業した姪には「パワーパフ・ガールズ」http://www.geocities.co.jp/Milano/7232/NewFiles/pp8tousin.html (注.リンクはそのパロディ・フラッシュです)を仕込んでいる。甥には当初「スポンジボブ」(http://www.nick.com/all_nick/tv_supersites/spongebob/main.jhtml)をと考えたが、ギャグが4歳児には高度過ぎるので断念した。今は彼もパワーパフ・ガールズを姉と一緒に見ているようだ。オイラは実を言うと、2人に「サウスパーク」を仕込みたくてウズウズしている。このアニメ番組は、小学校を舞台にした、一見するとカワイイ創作アニメなのだが、アメリカ等のTVで放映されているのはいつも深夜の時間帯で、当然オトナ向けだ。毎回のエピソードが「ホモ教師が『今度学校がホモを理由にクビにしたら、裁判で大金をふんだくれる』と聞いて、ぜひともクビになろうと教室に“愛の奴隷”を連れて行き、子供達の前で…。」とかいった展開なので、姪や甥はもちろんのこと、妹夫婦やオイラの親みたいなまっとうなオトナでもちょっと理解できないだろうなあ(検索してみたら、日本のケーブルチャンネルで放映しとるらしいやんけ)。サウスパークは第2シーズンのDVDセットが2割引セールで売られていたので、こちらは自分用に購入…と。姪や甥といっしょにカートマンだのテレンス&フィリップだのミスター・ヒンキーだのを見ながらゲラゲラ笑える日が楽しみだが…まだ10年は先のことだな…。
2004.01.31
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「北関東と周辺の山や川で小動物や魚を取って子供の頃から自給自足の放浪生活をしてきた群馬県出身の男性(57)が30日、茨城県岩井市で住民登録をした。」インターネット版朝日新聞の記事だ。かなりスゴいゾ、このオヤジ!→http://www.asahi.com/national/update/0130/025.html このオッサン、「中学2年で家出して以来、山や川で暮らし、社会にほとんど無縁の生活を43年間続けた。8人兄弟で、家は貧しかった。14歳の秋、おばの元へ行こうと家を出て、栃木県足尾町に向かった。肩掛けの学生カバンに干し芋や塩を詰めこみ、足尾銅山を目指した。しかし、おばの家は見つからず、放浪が始まった。まず銅山の洞穴に住んだ。持って来た食料は底をつき、キノコやヘビ、ウサギも食べた。 削った丸太を仕掛けた落とし穴でイノシシも捕った。家を出たときと同じ学生服で過ごし、ウサギの皮で簡易の靴も作った」という話だ。 こりゃ、“国内版・小野田さん”だな、こりゃ。オイラより若い世代の人は“小野田さん”なんて言っても知らんのか(笑)。キーワード「小野田さん」で検索してくれ、Googleで!43年前というと、昭和35年か。いくら家が貧しいとは言っても、戦後15年も経っててウサギやヘビを食わなきゃいけないようなヒドい生活をしてたとは思えないぞ。それにしたって、中学生がいくらなんでも「洞穴」に住もうと思うか、ふつう?貧困以外にも、何かよほど家を出たくなる事情があったんだろうなあ。14歳なのに、独立心旺盛だなあ。立派だなあ。実は、オイラもやはり14歳の時に「家出」をしたことがある。…と言っても、オイラの場合洞穴に住むような根性がなかったので、いわゆる家庭内離婚ならぬ「家庭内家出」なのだが(笑)。オイラは当時、毎度のように親から「メシを食わせてもらっているんだから、親の言うことに従いなさい」などと横暴なことを言われるたび、まるで自分が「メシのために自分の信念を売る売春婦」になったような気分がして、生活を親に依存している自分の立場を呪っていた。しかしある日、またお決まりの「オマエはメシを食わせてもらっているんだから…」が親の口から発せられた時、ついに決心した。「ヨシ、分かった。じゃあ、オイラはもう今日から親にメシの世話にはならない。その代わり、親に口をはさませずに自分の思ったとおりに生きるのだ。」と誓ったのだった(笑)。その日から、オイラは食事どきになっても食卓に現れることを拒否し、朝は空腹のままで登校し、その代わり学校の給食をたらふく食い、放課後はお小遣いで駄菓子などを買って空腹をしのぎ、夕食等も一切拒否した。…これって、考えてみたら「家出」というより「ハンスト」の一種か(笑)。1週間もしないうちに見る間に痩せて、血色の衰えてきたオイラの境遇に同情した友人の一部は、部活動の終わった後の放課後、自宅に招いてインスタントラーメンを作ってくれたりしたものだ。…しかしその後、オイラは駄菓子を買う小遣いや「引き出しの貯金」も底をつき、たしか2-3週間で家庭内家出を断念して、妥協の末不本意ながらも「親にメシを食わされる」立場に戻ったのであった。…トホホ。30歳も過ぎてから、帰省していた際に偶然この「インスタントラーメン」の旧友に再会し、“飲み”に行った。その時彼が話してくれたのだが、オイラとの思い出の中でもこの「家庭内家出」の一件がとくに印象に残っているということだった。中2の彼は、断固として親にメシを食わせてもらう立場を拒否してフラフラになっているオイラに、「あれはスゲーなー。」と感心していたそうだ(笑)。…ホントはぜんぜんスゴくなんかない。オイラは洞穴に住んだりイノシシを獲って喰う根性もなく、結局は親の家に住ませてもらった上に、2-3週間で自らに妥協し親に降参した根性ナシなのだ。だからオイラは、何の理由があれ、14歳で家を出てから、家や社会に背を向けて野山で自給自足の生活を続けたというこのオッサンを、無条件に尊敬してしまうのである。…しかし一方で、洞穴に住む根性のない自分でよかったとも思っているのだが(笑)。
2004.01.30
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昨晩、申込みを検討しているあるマラソン大会についてインターネットで調べているうちに、ふとある市民ランナーの「完走記」にハマってしまった。この40代の市民ランナーは2度3度とフルマラソンに挑戦するも満足のいく結果が出せず、「次の大会こそ雪辱を晴らすゾ」とばかりに日々の練習を重ね、ケガや故障を克服してようやく臨んだ大会でついに一度も歩くことなく制限時間の4時間以内の完走を果たすのだが、制限時間内の完走が確実となったゴール数キロ前からすでに涙があふれてきて、ゴールするなり声を上げて男泣きに泣くところは、読んでいて「うらやまシイッ!」と感じてしまった。中年にもなると、「感涙」なんて経験はなかなかできるものではない。“念願の何かを達成して涙を流す”なんて、中高時代ならまだしも、社会人になってから経験したことがあるか?実は、オイラは生まれてこのかた「うれし泣き」も「感動の涙」も経験したことがない。きっと、「うれしい/感動した」→「泣く」という回路が故障しているのだろう。そもそも、悲しかったり悔しかったりして泣いた経験だって、高校2年生の時を最後に過去20年以上経験していない。よくよく考えてみると、「泣いた」ことじたい、幼稚園時代から数えても10回くらいしかないんじゃないか。そういえば小学校1-2年の頃、学校でケガをした時に痛みに堪えきれずうずくまって泣いていたら、同級生が「郡山 (仮名) が泣いてるゾ!」とふれ回って、ほかのクラスからみんなが見物に集まったっけなあ(笑)。オイラは単に「泣かない」だけでなく、人が泣くような場面でひとりで笑ったり、何が悲しいのか理解できずについ不可解な表情をしてしまったりするので、ちょっと困ることがある。今の米国の勤務先で仕事を始めて間もない頃、とある日本人の同僚が退社する日、一部の若い女性社員が感極まって泣いていた。オイラは何が悲しいのかじつに不可解で、泣いている社員の姿があまりにも不思議だったので珍しいものを見るように傍で冷静な顔でジーッと観察していたら、あなたは一緒に働いてきた同僚と別れるのが悲しくないのか!と本気で詰られた。アメリカに向かう飛行機の機内上映で「タイタニック」を見ていた時も、映画の最後の方で沈没する船の乗客がパニックを起こしたり海に落ちていったりするシーンを見ていて、なんとなく可笑しくってゲラゲラ笑っていたのだが、周りの乗客を見たら誰も笑っていなかった。…こんな話ばかり並べると、オイラは単に“情操欠乏”の異常人格者だという印象を与えてしまうかも知れないが(…まあ、たしかにそういう傾向はあるが(笑))、そんなオイラも「悲しくて泣きそう」になったことはちゃんと、何度かある。5-6年前に、祖母の脳血栓が破裂して「9割5分助からない」と診断されたのを集中治療室に見舞いに行ったところ、意識を半分くらい取り戻していた祖母は、巡回に来た看護婦さんのそで口をつかむと、ベッドの傍らに立つオイラを指差し、尋ねられてもいないのに、かすれた声で「これが自分の育てたマゴだ。生まれた頃から頭がこーんなに大きいのを、『お婆ちゃんの頭より大きいね!』とみんなに言われるをおぶって歩いて、育てたんだ。」ということを、回らぬロレツで懸命に主張していた。祖母にしてみたら、それが自分の人生における自慢のようなものだったのだろう。オイラはその晩、実家の布団の中でその場面を思い出し、泣きそうになった(…がいつものとおり泣けなかった。祖母はさいわい健在である)。親友が自殺した時も泣かなかったし、葬式でも平然とした顔で弔辞を読んだものだが、ただ彼が自殺する数週間前にいちど自殺を試みて毒物を摂取し、もうろうとした状態で、しかしヘラヘラ笑いながらオイラの下宿に電話をかけてきた時には、心底悲しくなって泣きそうになった(あんなに悲しかったことはちょっと思いつかない)。そういえば15年くらい前、“泣かせる映画”の禁じ手あるいは最終兵器として名高い『火垂(ホタル)の墓』を後輩と映画館に見に行ったことがある。さすがのオイラもあんなに悲惨な映画を見ながら笑わなかったが(笑)、映画が終わって暗い劇場から外に出ると、後輩をも含め観客の誰もが涙で顔をグシャグシャにして目を赤くしている中、オイラだけがひとり乾いた顔をしていた。オイラはその後、何かのきっかけでこの後輩と口論した際に「あなたには人間らしい心というものがあるのですか!」と抗議された(笑)のを覚えている。ただ、この後でオイラが気づいたのは、この後輩をも含むほかの観客は「泣いてスッキリ」した後はいつもの“明るい日常”へと還っている一方で、オイラはといえば、事実に基づいたその戦争映画のあまりにも悲惨なストーリーがいつまでも脳裏から離れず、それから数ヶ月の間鬱状態に陥ったのであった。要は、オイラが「泣かない」のは“人間らしい心”がないからではなく、「泣いてスッキリ」という人間心理のカタルシスの機能に強烈なブレーキがかかっている、ということではないかと思うのだ。フロイト的に言えば「肛門期への固着」というヤツか(笑)。…単に自分は「フン詰まり野郎」である、という結論を導くために、またしてもクダラぬ日記を長々と書いてしまった。反省。
2004.01.29
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…で、昨日の日記からのつづきなのだが、オイラは大学に入学し、オイラの母親以上に性的にケッペキな母親を持つ友人に出会ったのだった。その友人は美術サークルの後輩で、当時は一緒にバンドを始める計画を立てていた。彼は大学から2時間以上も離れた自宅で両親と同居していたため、大学が冬休みの間はバンドや音楽のことを中心に手紙でやりとりしていた。彼の母親がいかにケッペキ性であるかを知らされたのは、ある日彼から受け取った手紙がきっかけであった。その手紙によると、彼がその日帰宅し自分の部屋に入ったところ、きれいに畳まれた彼の洗濯物の上に、彼の友人が前日訪れた際に部屋にうっかり置き忘れていったと思われる「裏ビデオ」が意味ありげに載せられていた、という話であった。彼の説明によると、彼の家は「ウンコ」「オシッコ」などといったスカトロ系のコトバを発することは冗談の文脈であればある程度許されていたが、「性交」「精液」「勃起」などといった“お下品な”コトバを万が一家の中で発しようものなら、ケッペキな母親が目を三角にして口角アワ飛ばして怒りまくる、という環境であるということであった。彼はその手紙の中で、「どうしよう、もしかして母親はこの“家庭教師モノ”の裏ビデオの中味を見ちゃったのかな、教師役がエンピツの先っぽで局部を刺激したり、生徒役に『やめなさい、そんなことをしたらセンセイ気持ちよくなっちゃうじゃないか、うぐ、うぐ』なんて言っているビデオなんだけど、こりゃ気マズイな、困ったな」などと書いていた(笑)。オイラはその手紙を受け取った時、それまでにもしばしばそうしていたように、自分が彼とバンドで演りたいような傾向の曲をカセットテープに編集したものを彼に送ろうと用意していたのであったが、その手紙を読んだオイラはつい、そのテープを入れた封筒の宛名にフザケて「裏ビデオ友の会 神戸支部長 ○○××様」さらには赤書きで「【秘録テープ在住】」などと書いて送ってしまったのであった。...それから1週間くらいして、彼から返信が届いた。その手紙はたしか、こんな書き出しであった。「朝、母親の騒ぐ声で目が覚めた。部屋のドアを開け放し、何かを手に持ってわめいている。『何、“裏ビデオ友の会”って、あんたまたヘンな会に入って。頭オカシいんじゃないの!』そう怒鳴ると、手に持っていた白い封筒らしきものを私の布団の上に投げつけ、ドカドカと足音を立てて去っていった。…あれ、母は怒っているな、何か怒っているな、…などと思いながら、事態がよく飲み込めずにとにかくその封筒の表書きを見てみた。『裏ビデオ友の会 神戸支部長 ○○××様【秘録テープ在住】』などと書いてある。…そうか、これは郡山ハルジ(仮名)さんのイタズラなのだ、ということをその時ようやく理解した。それにしても、困ったなあ、やっぱりうちの母はあのビデオのことを知っていたのだなあ、勝手に『裏ビデオ友の会』の神戸支部長だということにされてしまったし、だんだんこの家にも住みづらくなってきたなあ」…困り果てていた。彼はその後まもなく母親の嫌疑も晴れぬまま自分の部屋の荷物をまとめ、卒業までの3年間、大学近辺にアパートを借りてヒモジイ下宿生活を強いられることになったのであった。でも彼はその母親から解放されたおかげで、その後は抑圧された情念をバンドで「暗いロシアの小部屋の隅の実験台に寝かされた犬」の歌だの「ヒマワリの歌がカニを捕らえる、句・チャック・結句」という歌だの「ちびくろサンボを読んで、バナナを3つ食べて、涙を流した」だのいった常軌を逸した曲で表現することで、その才能を発揮したのであった。…オイラはというと、そんな困難な環境に暮らしていた彼と母親との不和の原因を作ってしまったにもかかわらず、彼が自宅を出る決心をして大学近辺に引越してきたことを歓んでいた上に、さらには15年も経ってからそんな友人の不幸を、こうして日記に書いて悦に入っているのであった。…ケッペキ性の母親に育てられることによる弊害は、このような性格の歪みとして現れるということなのだろう。…いや、これはたぶん母親のケッペキとはゼンゼン関係ない、オイラの根本的な性格の歪みであるというのが、おおかたの読者の結論であろうか。(終)
2004.01.28
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今から15-20年も前に少女マンガ誌の「りぼん」を購読していた人なら、「お父さんは心配性」などというタイトルのギャグマンガを覚えているかもしれない。溺愛のあまり、自分の娘の日記を読んでしまったり、電話を盗み聞きしたり、ボーイフレンドのことを妙にセンサクしたりして娘を困惑させる父…というモチーフは古今東西に共通しているようで、同じようなテーマのコメディが海外にもよくあったりする。一方で、不思議とクローズアップされないのが「ケッペキ性の母親と息子」というテーマだ。これはもしかすると、“父と娘”ほどの普遍性がないか、あるいは「コメディ/シャレにならない」ところがあるからかも知れない。たしかにリビドーの発露を妨げられた息子の場合、「困惑する」だけでは済まずに、異常行動に走ったり、新興宗教や前衛ゲージュツにハマってしまいそうな気がするよな。有名なところでは、フランスの天才詩人ランボーの詩才及び詩人をやめた後の放浪生活は、母子家庭で狂信的なまでのカトリック信者だった母親による抑圧という背景があったとか、ぜんぜん有名じゃないところでは(笑)、さいきん自殺したゴシック/ポジパンの元祖クリスチャン・デスのボーカル (Rozz Williams) もやはり母子家庭で、母親はあの「セブンスデー・アドベンティスト」という (日本でいう「ものみの塔」系か?)原理主義的キリスト教宗派の狂信的な信者だったらしい。昨日の日記にもちょっと書いたが、オイラの母親も性的なことに関してかなりケッペキなところがあった。古い記憶では、そのうち機会があれば日記に書こうと思うが、たとえばもう30年近いむかしの小学2年生の時、オイラは同級生と「お医者さんごっこ」をしたことが学校さらには親にバレ、母に顔を何度となくシバカれたことがある。…ま、この場合は「たかがお医者さんごっこなのに…」とは一概に言えない面があり、実を言うと「患者1名に対して医者10人」という比率と「患者はもともと医者に見てもらう意思がなく、医師団が自主的に患者宅を訪問した」という特殊な背景があったために、職員会議レベルの問題に発展し、母親の一層の怒りを買ったのだが(笑)。もしかしたら、母のケッペキ性はその事件が引き金になったのかも知れないし、あるいは字が読めるようになった頃からすでに父親の週刊誌をどこかから見つけてきては“金粉ショー”グラビア写真などに興味を示していたオイラの将来を母親が憂えたからかも知れないし、及び/または、営業職で家に不在がちな夫に母親がたんにヒステリー気味だったのかも知れない。いずれにしても、オイラの母は息子の周囲の性的な事象についてはヒジョーに過敏だったことは確かだ。例えば、一家団欒のTVでエッチなシーンになると、母親は「子供の見るもんじゃない!」と言ってチャンネルを変えたし、むかし土曜の夜10時からやっていた「ウィークエンダー」の「再現ドラマ」に小学校高学年のオイラは興味シンシンだったのだが、母親は土曜も10時近くになるとオイラにさっさと就寝するように強制していたし(3歳年下の妹はなぜか起きているのを許されていたのだが)、また『少年マガジン』のようなエログロの要素が排除されているような無害なマンガ誌ですら持ち込むのを許されないような雰囲気さえ自宅にはあった。そんなオイラは大学に入学して、父親と一緒にアダルトビデオを見たり、TVでエッチなシーンになると両親は「<父>うーん、指づかいが甘いナぁ。」「<母>ほんまやねえ。」などと言った会話をしているという学友たちの話を聞くにつけ、オイラの実家がいかに特殊な環境であったかを思い知るのであった。…しかしオイラはその後、「類は友を呼ぶ」の例にもれず、大学でなんとオイラ以上にケッペキな母親に育てられた友人に遭遇したのだった!…あ、また長くなりそうなので、明日につづく。
2004.01.27
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先日、用があって実家に電話した。オイラは用のある時以外は実家に連絡することがないので、電話をするたびにそれまでしばらく何の連絡も入れなかったことを詰られるのが通例なのだが、今回は年初であるというのに母親の反応が違った。「何の用?」といった感じなのである。何かマズイことでもしたかナ…と思ってあれこれ考えかけたのだが、母親が「正月から下痢をしてるみたいじゃないの。病院で医者に診てもらいなさいよ。」などと言うのを聞いて、すぐにその理由が判った。母はこの「郡山ハルジ ウェブサイト」の日記を見て、オイラの近況を手に取るように把握していたのである。そう言えばかれこれひと月半も前に、60歳も半ばになる父親から「会社に近況か何かでも書いてEメールを送って寄こせ」と言われた際に、オイラは近況を書いて送る代わりに、「このHPに仮名で日記を公開していますので」と言って「郡山ハルジ ウェブサイト」のURLを教えたのであった。オイラの父親は、「Eメールの返信ができるようになった」などと自慢している程度のコンピュータ・リタラシーしかないので、このHPのURLを教えたって、息子の実名とはまったく異なる名前を冠したHPを見てもどうせピンとこないだろうし、URLを「お気に入り」に登録したり、リンクをクリックするようなワザも知らないだろうとタカをくくっていたのであった。ましてやウチの母親は、自宅にPCもない上に「Eメール」と「ホームページ」と「インターネット」を同義で用いているような前時代の遺物だ。ところが、父親は定年後に再就職した現在の職場はずいぶんとヒマなようで、仕事中にこの「郡山ハルジ ウェブサイト」に日参しては、社員の影がまばらになるのを見計らってオイラの日記を印刷し、家に持って帰って母親に見せているらしいのだ。...するとだな、年始からアップしていた「北米のストリップ事情(日記)」だの、「女性の愛液の分泌量が産まれる子供の性別を決める(日記)」だの、「オイラが生まれたのは、彼岸前にたまたま暑さがぶり返した日曜日に、ひさびさ見た母のワンピース姿にムラムラした父が、縁側で母を押し倒してコトに及んだ結果ではないか(日記)」などと言ったハレンチな日記をだな、オイラの母親が読んでいたということか。オイラの母親は、息子とエロ話をするなど考えられないようなケッペキ性である上、病的な心配性で、例えば中学時代には、微量の精液のシミが付着したパンツをオイラの部屋のクロゼットから発見し「性病じゃないか」と騒いだり、大学時代には、オイラが入学した学部の過半数を女性が占めていることに驚いたというような話を手紙に書いたら、「決して、同級の女性を辱めるようなことをしてはいけませんよ。」などと達筆な字で書いた手紙とともに県民生協のティッシュペーパーの箱を送って寄こしたり、「ブリーフは睾丸に良くない」などといった説をTVだか雑誌で読んだとか言ってこれまた安物のトランクスを送ってきたりするような人間である。「アメリカのストリップで10数人分のアメリカ人女性の性器を見た」などという日記を読んだら、また「エイズになっているんじゃないか」とか「悪いアメリカ女に引っ掛かってるんじゃないか」とか騒ぎかねないではないか。そもそも日記に書いているような内容に限らず、オイラは自分のことをほとんど親兄弟に話さない人間なので、このHPの「ページ一覧」にアップしているような、オイラが過去にギリシャのヌーディスト・ビーチで白人たちの前でチンポをさらしていた事実も、「死んでも責任を問いません」という旨の誓約書に入場の際に署名させるようなキチガイバンドのライブに悦んで出向いていたことなんかも親には話したことはないし、そんな事実は父親はともかく母親に対してはトップシークレットである。…しかしだな、冷静に振り返ってみると、オイラもいい加減ごく幼い頃から親に心配を掛けないため(?)に「真実」を親の目から隠し通してきたような気がするのだよな。実際子供なんてのは、親が思い描く「純粋無垢な子供」の幻想を壊さないように「コドモらしさ」を演じているものだけども。例えば、親はゼッタイに知らないと思うんだが、オイラは小学4年の時家族とTVを見ていて「生理って何?」などと尋ねて親を“化石状態”にしたことがあるが、オイラはホントはそれが何かすでに知っていた。ほかにも、幼稚園児の頃やはりTVで火山の噴火を見ていて、「フンカ」という単語を知っていながら、ウケるであろうことを意識して「火山がコーフンする」などと“言い間違え”たフリをして親を笑わせては「してやったり。」と思っていたものだ。…そういう記憶、みんなもあるよな。オイラはモノゴコロついてからこの年になるまで、親に“偽りの姿”だけで接してきたのではないか(笑)。…そういったことを考えると、ウチの親としても、カンオケに入る前にこの仮名の日記を読んで“息子の真の姿”を垣間見ることができたのは、ある意味幸せかもな(笑)。三島由紀夫が母親に『仮面の告白』を読ませてたのと一緒じゃないか(笑)。しかも、「仮名」が前提であるところが、その「真実性」をあいまいにしていることで、親としても「信じたくないこと」については「フィクションか、オヒレをつけたものだ!」と断定してくれればいいんだし。…それにしても、今日会社でこれを読んでいるぼくのパパ、やっぱり今日の日記はママの持病の心臓には負担が大き過ぎるような気がするので、見せない方がいいと思います。--以上、業務連絡デシた。
2004.01.26
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昨日は31キロ、今日は13キロ。あわせてフルマラソン+αの距離をこの週末の2日で走った。体重は約1.5キロ減って62.5Kg。マラソンを走るにはほぼベスト体重だな。…いや、ここ半年で筋肉が落ちているから、2ヶ月後のマラソン大会まであと0.5~1キロくらい減ってちょうどいいくらいか。1年半前にマラソンを始めた頃は72-3キロあった。年齢と身長(174cm)からすれば肥満というほどでもなかったので、「痩せよう」などと思ったこともなかった。でも、半年後にフルマラソンの大会に出走する決心をし、そのために月平均2-300Kmを走るのを2-3ヶ月続けただけで、去年の今頃には61キロまで体重が落ちた。もともと粗食だったところに消費カロリーが上回ったからだろう。もともと痩せている人なら話は別だが、そうでなければ痩せるのなんてカンタンだ。摂取カロリー以上を毎日消費すればいいだけのことなんだよな。それまではベルトなしでもズリ落ちることのなかったズボンやジーンズがあっという間にユルユルになって、とくにスラックスのたぐいはベルトを締めると胴回りがシワだらけになって、まるでモンペか“ボンタン”(←もしかして死語か?)をはいてるみたいになってしまった。今はジーンズなら29インチくらいでちょうどいいかも知れない。これだけ胴回りが締まっているのは、37歳にしては上出来だと思っている。かれこれ15-6年前、学生時代はもっと痩せてて、56キロ前後だった。ジーンズのサイズは28インチでもまだ緩かったもんな。ただこれは、メシを喰う代わりにタバコばかり吸っていた結果なので、健康な体重とは言えないよな。1時間ほど軽くジョギングして消費するカロリーは700くらい。同じ時間を気合を入れて走って800カロリーくらいか。これはちょうど、昼飯に喰った親子丼とかカレーライスくらいの熱量だろう。1時間軽くジョギングするだけで、3食のうちの1食を償却できるのだ。実際には喰った分を償却するだけでなく、身体に付いている脂肪をも燃焼してくれる。余分な脂肪が燃焼されてエネルギーに変わるには、運動を2-30分以上継続しないとスイッチが入らないので、筋トレや短距離を全力で走るだけではなかなか痩せないんだよな。「健全な魂は健全な身体に宿る」などという格言は、いかにも優等生的に聞こえるので若い頃はバカにしてたもんだが、太り気味の頃を実際に振り返ってみると、やせた現在の方がやっぱり心理的にも物理的にもたしかに「フットワークが軽い」んだよな。あの頃は掃除とか洗濯とか外出さえもオックウだったもんな。今は仕事をするにもハリがあるし、走る時間を確保するために仕事もテキパキ片付けようと努力しちゃうもんな。仕事へのプラスの効能は当初はちょっと予想しなかったことだ。肥満のマズイ点は、「太る→動くのがオックウになる→カロリーを消費しない→もっと太る→しまいには病気になる」という悪循環に陥りがちであるの加えて、心理的・精神的にも、「太る→動くのがオックウになる→生活が乱れる→仕事も惰性的になる→自信を失う&人生がフォーカスを失う→不幸になる」というコースを得てして辿りがちなことだ。アメリカ社会を見ても、生活保護を受けているようなヤツはなぜかブクブクに太ってるんだよな。本来なら栄養が足りなくて痩せているべきなのに(笑)。逆に、重役連中は早朝にジムでひと汗流してから爽やかな顔で出社してきたりする。貧しいデブや不幸なデブを見るたびにオイラは思うんだ。朝1時間早く起きてジョギングする程度の根性さえあれば、たぶんこの人たちも生活保護を受けるような立場に陥らずに済んだんだろうになあ、…と。
2004.01.25
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快晴なのに、気温はマイナス10℃。太陽のさんさんと差す屋外にハリキって出るが、しっかりと寒かった。週末に目を覚まし外がどんよりと曇っていると、起きるのが鬱陶しくなってついつい二度寝してしまうのだが、晴れていると外が自分を呼んでいるような気がしてベッドから出るのが苦にならないんだよな。今日は1年半ぶりにCDを買った。さいきんVAIOのソフトで「マイCD」を作るのに凝っているのだが、近所に中古CD屋を見つけたので、CD化された懐メロを探しに中を覗いてみたのだ。昔バンドをやってた当時には、毎週のようにレコード屋に寄っては乏しいこづかいの中から輸入版とかインディーもののレコード(当時はCDはまだそれほど流通していなかった。80年代後半のことだ)を買っては悦に入っていたものだが、30歳を過ぎてからというもの、レコード屋に入ることなど滅多になくなった。せいぜい年に2回くらいか。決して音楽を聴かなくなったわけではない。自分が夢中になっていたバンドはみんな年をとって解散するか活動を停止してしまった一方で、新しく登場してくるバンドは世代が違い過ぎるのかどうも自分のテイストに訴えるものがないので、新たにCDを買わなくなってしまったのだ。結局、ここ7-8年はむかし聴いていた曲を繰り返し聴いている。そういう意味で、オイラの音楽のテイストは20代の頃からぜんぜん“進化”していないんだよな。ただ、マラソンをするようになってから、音楽への興味は半減したような気がする。実は、1年半くらい前にマラソンを始めた頃には、オイラはいつもMDプレーヤーを聴きながら走っていた。走っているうちに「苦しい」とか「ツラい」とかいった想念で頭がいっぱいになってくるので、気を紛らわせるためにそうしていたのだ。ところが、走り始めて2-3ヶ月すると、音楽が“邪魔”になってきた。長い距離を走るのに慣れてくると、走っているうちに頭の中が“瞑想状態”になるようになってきて、音楽はまさに「瞑想を邪魔するもの」になってしまったのだ。きっと、音楽への興味が半減したのは、それまでは音楽を聴いて瞑想状態を経験していたのが、マラソンで同じ状態を経験できるようになったので、音楽への依存性がなくなったということなんだろうな。今日は懐メロCDを2枚(NirvanaとCure)と、リリースされてからそれほど経っていないCD(Sundays とStereolab )を2枚買った。うーん、どれもなかなかイイ。これを書きながら Cureの"Disintegration"を聴いているのだが、当時の感動がよみがえり背筋がゾクゾクしているゾ、オイラは。ひさびさにいい買い物をしたよ、オジサンは。これで今晩は「懐メロMix CD」を作るのでアール。
2004.01.24
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今日の昼食はインスタントラーメンだった。おとといは輸入品の缶入りトムヤンクン。その前日はキャンベルのスープ。毎日必ず一食はインスタントラーメンか、そうでなければ缶入りスープを喰っている。オイラは胃腸が弱いのでたかがインスタントラーメンでもしばしば下痢をするのだが、それでもほかに主食として喰うモンがないのだから仕方がない。日本に居ればコンビニで弁当やサンドイッチが買えるし、定食屋だってあちこちにある。こちらのコンビニには弁当なんて売ってないし、サンドイッチは売ってても日本で使用禁止されているような強烈な合成保存料を使った「賞味期限1週間」のアブナいヤツ。しかもマズい。もちろん定食屋なんてない。ひとりでメシを喰うのに毎度レストランに行ってたらチップだなんだで破産してしまう。いちど、身体によくないという理由でカップラーメンも缶入りスープも止めてみたことがある。その結果、何も喰うものがなくなり、結局栄養失調になってしまった。ラーメンと缶スープを止めて何が残ったかというと、手軽に作って喰えるのはインスタント・ライスとフリカケとインスタント味噌汁。あとはたまに冷凍ピザやパスタ。オカズにはツナ缶とかイワシ缶とサラダくらいか。毎日こればっか。オイラはイヌネコと一緒か。料理をしようと思ったらカレーやスパゲッティくらいは作れないでもないのだが、たかが自分ひとりが食べるために料理に時間を費やす気になれない。食事のために湯を沸かすとか野菜をゆでるとか以上のことをするのは週末に限られてくる。結局、まともなモンを喰えるのは、週末に作るカレーだのスパゲッティだの野菜炒めがせいぜいだ。せめてもの救いは、野菜や果物が安いことだ。アボカド、2つで80円。マンゴー、1個60円。グレープフルーツ、4個で100円(!)。キウイ10個入り80円(!)。ブロッコリ、1株70円。カリフラワー、1株120円。トーフ、450g(日本の倍か)で110円。オレンジ・アップル・クランベリーのジュースが2リットルで150円。野菜果物以外では、ツナ缶100円、サケ缶120円、イワシ缶80円。豆乳2リットルで300円ちょい。ハーゲンダッツのアイスクリーム(500g)400円。日本に比べたらまだ安いよな。あとは、サプリメント類が安いので、栄養維持はもはやクスリ頼みだ。マルチビタミン100錠入り700円、ビタミンE100錠入り500円、魚油(EPA/DHA)カプセル100錠入り600円、プロテインパウダー1キロ3000円…。ま、こんな食生活でもふだんは気にならないが、ほかの人の楽天日記でウマい食事の話を聞かされて、自分の食生活の貧しさを振り返った時のわびしさよ。とりあえず、来月日本に出張したら、まずはスシだな、スシ。あとは、「天下一品」でこってりスープのラーメンと...で、コンビニで菓子パン(笑)。
2004.01.23
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外気はもう少しで華氏で0度を切りそうです。キミは華氏0度が摂氏で何度か知っているか。マイナス18度だそうだ。オイラも知らなかった。風があるので、体感温度は摂氏でマイナス30度(華氏で-20F°)だそうだ。カナダで迎える冬は今年で3回目だが、気温が華氏でマイナスまで下がったのはこの冬が初めてだったと思う。これでも、オイラの住んでいる街はカナダ全土でいちばん南にあるんだが。アルミサッシの窓枠についていた蒸気の水滴が、冷蔵庫のフリーザーみたいに真っ白に凍っている。こんな晩にテロリストに発電所だの変電所を攻撃されて停電したら、寝てる間にみんな凍死して、夜が明けたら誰も目を覚まさなかったりしてなあ。前の日記にも書いたけどさ、寒さって、マイナス5℃より下がると、マイナス10℃もマイナス20℃もあんまり区別がつかないんだよな。屋外に出て現在の気温を当ててみろと言われても、マイナス5℃以下はもう判別つかない。これが暑さだと、30℃と35℃の違いは歴然だから、不思議なものだよな。それとも、こんな土地で冬を何度も経験すると、次第にマイナス15℃とマイナス20℃の違いが判るようになるのかなあ。エスキモーやラップ人は、無条件にエライと思うゾ。極端に暑い土地なら、砂漠でもない限りほっといても死ぬことはないが、極端に寒いところだったらボーっとしてたら死ぬもんな。何が楽しくてあんな寒いところに住んでるのかなあ。単にガマンするのが好きな人たちなのか。誰か知ってたら教えてください。↓オイラの住んでいるところのウェブカムhttp://www.clickondetroit.com/wxcam/1807532/detail.html
2004.01.22
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もう20年も前のことか。欽ちゃんが司会をしている「スター誕生」という番組があった。森昌子だの、桜田淳子だの、山口百恵だの、ピンクレディーを生み出した番組だ。…知らんやろうなあ、昭和50年以降に生まれた連中は。そもそも「欽ちゃん」なんて言っても今の若いモンは知らんのか。アメリカでも、同様の趣向の番組がある。「アメリカン・アイドル」という番組だ(カナダにも同様に「カナディアン・アイドル」があるんだが)。この番組で勝ち残ると、レコード会社とかがスポンサーについてくれて、アイドルとしてのプロ・デビューが約束されるらしい。ただ、この番組の高視聴率を支えている大衆は、プロになるかも知れないシロウトのパフォーマンスなんかに興味があってこの番組を見ているわけではもちろんない。「よくまあ、こんなレベルの実力で、この番組に応募してきたよな。」というバカどもを笑うために見ているのである。この番組の見所は、プロになれる実力を持ったごく少数の“ダイヤの原石”に混じって、圧倒的多数のオンチなブスやブ男のど素人が、本人だけはプロになりきったつもりで、あっけにとられるようなコスチュームを身に着けてステージに登場し、開いた口がふさがらなくなるような自己陶酔の振り付けと熱唱を披露し、それに対してプロの審査員が「とっとと失せろ」とか「呆れてものも言えない」とか「こんなヒドい歌を聴かされたのは初めてだ」とか、言いたい放題の批評をするところにある(笑)。オイラは時間のムダなのでこの番組を見たことはないが、このような番組が視聴者にウケるのは分かるような気がする。要は、このテの番組に登場してくる連中というのは、自分の部屋でCDの曲に合わせて歌を歌ったり鏡を見ながら踊っているうちに、激しいナルシシズムに突き動かされて自分も“スター”になれるのではないかという誇大妄想を抱き、無謀にもステージでスポットライトを浴びる自分を夢見て応募してきた「バカな」連中なわけだが、そもそもなぜ視聴者がこのバカな連中を可笑しく感じるかというと、「自分にも身に覚えがある」からに違いないのだ。想像するに、大多数の視聴者だって、自分の部屋で鏡を見ながら歌ったり踊ったりしているうちに、自分もスポットライトの下で観衆の喝采を浴びている姿を妄想したことはあるに違いないのだが、このテの番組に実際に応募する前にその妄想から目を覚まし、応募を踏みとどまっただけの違いではないのかと思うのだ。視聴者は、そんな自分の「愚かな側面」を、“妄想モード”のままでTVカメラの前まで出てきてしまった結果クソミソに批評をされて去っていく「バカな連中」に投影して笑っているわけだ。そんなオイラも、「時間のムダだから」この番組を見ていないとは言ったが、実際にはクソミソに批評されて去っていく連中を見るのが、まるで愚かな過去の自分を見せつけられるみたいで苦痛なだけなのかも知れないなあ。振り返れば、オイラなんていい加減大学4年生にもなってからバンドを始めて、「ひょっとして、オレたち、案外イケるんじゃないかな…」なんて思ったことが…1度や2度ではなかったような…。
2004.01.21
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楽天日記にこそ書かなかったが、ひと月ほど前に、ちょっとツライ出来事があった。詳細は省くが、まあ、あるお役所に申請してほぼ決まり掛けていたことが、直前になって却下になったとか、長期延期になったとか、そんな感じのことだ。相手はお役所なので、オイラはそのツライ事実にどう対処することもできず、仕方がないのである“必殺ワザ”を使ってそのツライ出来事から心理的距離を置くことで対応した。ようやく今頃になって、その出来事に正面から対応できる余裕が出てきたところだ。オイラの世代以上の人なら知っていると思うが、30年以上もむかし、皆川オサムだかいう子供(当時)が歌った「クロネコのタンゴ」というシングルが大ヒットしたが、そのシングルのB面に「ニッキニャッキ」という曲が入っていた。この曲の歌詞は、子供が「ニッキニャッキ」云々という“呪文”を唱えると、“ニンジン”だの“ピーマン”だのいった嫌いなものが目の前から消えてなくなるというものだ。オイラはいい年をこいて、“人生におけるツライ出来事”に遭遇するたび、これと似たような手段を使って対応している。それは、何かそんな出来事が起こったら、ある“決まり文句”をつぶやくことで、その出来事のショックをあっという間に緩和してしまう、というものである。これを読んでいるヒマな人も、自覚の有る無しに関わらず、似たようなことをしているのではないかと思う。オイラの場合、そのショックの激しさ(震度)に応じて、3種類の“呪文”を使い分けている。それは以下のとおりである。 ◆ ツラさの震度1(微震)~2(軽震)の場合 →「ま、いいっか。」これは、仕事上のミスを犯して上司や顧客に叱られたとか、うっかり失言をしてしまい同僚や知人を怒らせたとか、そういう時に使う。ひとりになった時、舌打ちなんかをしてため息をついた後でこのセリフを口にすると、とても効果的だ。オイラ以外にもこの呪文(及びそのバリエーションである「ま、えっか。」等を含む)を使用している人は多いようだ。オイラの場合、使用頻度は月1回くらいか。あんまりこれを多用すると、同僚や友人たちから不信を買うので注意した方がいい。 ◆ ツラさの震度3(弱震)~4(中震)の場合 →「これでいいのだ。」これは、恋人にフラれたとか友人に絶交されたとか、大事な試験に落ちたとか会社からクビを言い渡されたとか、娘の万引きや不純異性交遊を発見してしまったとか、「もう取り返しがつかない」というほどではないが、ショックで頭の中が空白になり、しばらくの間はツラくて涙が止まらないとか、気落ちして食欲が出ないようなレベルの出来事に遭遇した時に使う。オイラの使用頻度は平均年1回くらい。このセリフの元祖はご存知「天才バカボン」のパパだが、オイラの場合、筋肉少女帯の同名の曲(♪どんな夢も不思議じゃない。僕はいつも思うんだ。どんなツライことがあったって、これでいいのだ、これーでーいィーのぉーだ~)を頭の中でループさせることにより、だいたいの場合は自分の置かれた境遇を空笑いして笑い飛ばすことができる。ちなみにひと月前の時もこの“併せワザ”を使った。 ◆ ツラさの震度5(強震)~6(烈震)の場合 →「すべてのことはどうでもいい。」これは、近しい人が死ぬとか廃人になるとか、全財産を失った上に莫大な借金を背負ってしまったとか、あるいは自分の人格が崩壊してしまうようなとてつもなく恥ずかしいことや不条理な目に遭ったなど、そういった「もはや取り返しのつかない」場合にのみ使用する“最終兵器”である。このセリフの元祖は、「唯幻論」で知られる心理学者の岸田秀が、思想家の吉本隆明(吉本ばななのパパ)と対談した際の発言に由来している。このセリフは、すなわち「しょせん、この世の中は“演劇の舞台”のようなものであり、死ぬとか財産や家族を失ったというのは、いわば単に“舞台”がお開きになったとか、着けていたお面をステージの上で落としてしまったとかいうのと同じことである。あるいはタカラの“人生ゲーム”で一文無しになったとか、途中でゲームを降りたということと本質的に変わりはない。」といったニュアンスを込めて用いる。“舞台”やゲームから降りて、「はじめの状態」に戻るだけの話さ…という諦念を表現した、オイラにとっての究極の呪文である。ただ、使い方を間違った結果病院に入れられることもあるので、よほど追い詰められない限り使わない方がいい。ちなみに、オイラはこの“最終兵器”をこれまでの人生でたぶん2回くらい使用している。最期に使ったのは、10数年前、アメリカの大学に在学中のことだ。それは、その話を聞いた人なら誰でも「おそらくこんな恥ずかしいことは、ひとりの人間の人生において、まず起こらないであろう。」というくらい、死ぬほど恥ずかしい事件であった(笑)。(この事件はあまりにも強烈過ぎて、いくら匿名が前提とは言えとてもこのHPに日本語で書く根性はないのだが、この事件を克服するためにコトの仔細を過去に英語で書いたものをHPに掲載している。→ http://plaza.rakuten.co.jp/kameika/010003 )
2004.01.20
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上司が日本出張から帰国した。どうやら、オイラを2月中に日本に出張させ2-3ヶ月ほど東京で仕事させるような話を日本でしてきたらしい。それは別に構わないのだが、日本への出張といえば少しだけ気になるのが、オイラが帰国するたびに親族の誰かが死ぬことだ。7年ほど前、6年ぶりに帰国した直後には、父方の叔父(三男。オイラの父は五男である)が、オイラの帰国を待っていたとばかりのタイミングで死んだ。その翌年、米国勤務から日本勤務に転属になって帰省した冬に父方の祖母が死んだ。また、昨年1年間では2回ほど日本に出張したが、なんとどちらの出張時にも2人の叔父(父方の次男と次女の夫)が死んだ。うち1人が他界したのは、オイラがほんの2-3日間実家に帰省していた際、彼を見舞いに行った翌日のことだったのでビックリした。こう書くと、まるでオイラが親族に対し死神を呼んでいるように聞こえるかも知れないが、実際にはいずれのケースもオイラが帰国する前からすでに病床に臥していたので、オイラは別に自分を親族に不慮の死を招く死神だとは思っていない。…ただ、こういうことは言えると思う。何の本で読んだか忘れたが、特殊漫画家の根元敬だかが、同じく特殊漫画家の蛭子能収(エビス・ヨシカズ)について書いた雑文で、「エビスのような強烈な磁場を持つ独自の宇宙に住む住人に、影が薄く自らの引力の弱い人間が接すると、その人の宇宙に引き込まれてしまう」というような説を語っていた。実は、エビス氏というのは、そのファンクラブの会長をはじめ、懇意にしていたマスコミ関係者たちが次々と死んだり事故に遭うことで知られているそうな(笑)。エビス氏の宇宙というのは、あの漫画を読んだことのある人ならご存知の通り、人が何の脈略もなく殺されたり、身内や友人の葬式で笑ったり、冠婚葬祭だの貧富だの成功だの義理人情だのいった社会常識などまったく視野にない不条理な世界である。つまり、彼の世界に引き込まれたら最期、その人には“エビス宇宙”の論理にしたがった不条理な運命が待ち受けている、というのが根元敬の主張である。この説を仮にオイラに当てはめるとすると、もしオイラがエビスのような“独自の宇宙”に住み、強い磁場を持っているとすれば(笑)、その宇宙の論理はエビスのような不条理なものではないにしても、「人間は究極的には孤独」だとか「人間、いつかは死ぬ」とか「一瞬先は闇」とか「人は引き際が肝心」とか「死は怖くない」とかいった考えから成り立っている(笑)。もしも病床に臥し死期を待つばかりのような人にオイラが接した場合、オイラはたぶんその人に対して「人は引き際が肝心」「死は怖くない」の波動を放射しているかも知れない(笑)。その波動に同調してしまった人は、その論理にしたがって (もちろん無意識のうちに) 自分の死を選択してしまうことはありうるかも知れない。要は、「不慮の死を招く」のではないにしても、「死に掛けている人を後押ししてあげる」程度の波動を放っているとは言えないこともない。さいわい現時点で病床に臥している親族がいるという情報はない。強いて言えば、過去に一度手術を受けている母親の心臓の調子が悪いのと、90歳近い(母方の)祖母の老衰の度合が進行しているのがちょっと気懸かりか。ちょっと近親の死だけは今は困るな。母や祖母が、オイラの波動に引き込まれないだけの自らの強い引力と影を維持していることを祈るばかりである。
2004.01.19
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つい、余計なことを言ってしまい後悔している。これまでにも、言わずに済んだことをあえて言ってしまったがために、後悔したことが何十回とある。若い頃はそんなことが数ヶ月に1回くらいあったような気がするが、さすがにこの年になると、せいぜい年に1-2回くらいか。でも、2-3回後悔する間に「やっぱり言ってよかった」と思うことも1回くらいあるから、この「言わずに済んだことを言ってしまう」クセは、なかなか直らない(笑)。実際には、心の奥底に「言うべきことは率直に言うべきだ」という妙な信念のようなものがあるのだろう。困った信念だが。とくに相手が自分より明らかに権力や腕力のある人間だと、「止めとけ」と主張する自分に対し「言わないのは根性なしだ」とささやく自分の方が勝ってしまうことが多い。中学時代に、意地の悪い教師がいつものようにクドクドとイヤミを並べるのが我慢ならず、ウンザリしている生徒を代表して、アンタの言うことはモットモだが、表現を替えて2回も3回も同じ主張を繰り返さなくとももう分かったから、いい加減授業を始めることを教師に提案したところ、廊下につまみ出された上、その学期は試験でほぼ満点を取ったのに通知表で4をもらった。誰かが腕力や権力を笠に着て、リクツに合わないことを大声でガナりたてて通してしまおうというのを見ると、黙っていられなくなる性癖は今も変わらない。とくに、周りの連中がオイラと同じことを感じていながら、腕力や権力を恐れてオトナシく口をつぐんでいたりすると、「ここは自分が言わなければ。」という妙な使命感に駆られてしまう。こうなるとリッパな強迫神経症の一種だ。子供の頃に読んで印象に残っている本のひとつに『裸の王様』がある。王様は実際には裸なのに、それを指摘することを恐れた国民たちは、みな心の中では「どう考えてもアレは裸だよな…」と思いながらも、「なんて素敵な衣装でしょう、王様!」なんて口々に言っている。ところが、王様の権力など何とも思わないハナ垂らしのガキが、王様を指差し「王様はハダカだー。ワハハ。」などと大声で言ってしまう。それを聞いた国民たちは、「やっぱり自分が思ったとおり裸だったんだ!」と安心し、口々に「裸だ!ハダカだ!」と言い始める。...オイラは心のどこかに「この『ハダカの王様のガキ』になりたい」という強い願望があるらしい。今までも、この「“裸の王様”のガキ」コンプレックスに突き動かされて、痛い目にあった。よくあったのが、子供の頃、これ以上口ごたえしたら父親の“怒りの鉄拳”が飛んでくるのが分かっていながら、自分を抑えられずに主張を続けてしまった結果、猛烈に痛いパンチを喰らった。ところがオイラは鉄拳を振るう父を迎え撃つ根性もないクセに、父親が手を上げると「父に口で勝った」ような錯覚に陥ったものだ。この年になっても、必要以上のことを言ってしまった相手が怒っているのを見て、どこかで「勝った」と錯覚している自分がいるような気がする(笑)。…オイラの「“裸の王様”のガキ」コンプレックスの病理はかくも根深いらしい。
2004.01.18
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オイラの住んでいるところは、この1週間ずっと氷点下でした。向こう1週間も日中も夜もずっと氷点下だそうです。オマケに外は雪で真っ白です。この冬は、ニューヨークとかボストンなんかでも、最低気温の記録を次々と塗り替えているそうですね。こういうところに住んでいると、「寝るところがあってよかったなあ」といつも思います。事実、この時期はどの都市でもホームレスの凍死が大量発生します。教会なんかが運営している「シェルター」なんかも、この季節はいつもホームレスで超満員みたいですね。さいわい、オイラの住んでいるマンションのトレッドミルの修理が完了したので、氷の世界を凍えながらランニングせずに済んでいます。文明というのはありがたいですね。こんな氷河期のような時期でも暖かい室内で走れるし、テレビやインターネットなどの娯楽があれば外に出れないような日でも退屈しないで済みますからね。むかし、テレビもインターネットもプレステもトレッドミルもなかった頃、こんな寒い国の人たちは冬の間ずっと家の中にこもってどうやって退屈せずに生活していたのでしょう。同じ本をくり返し読んだり、夢想にふけったりしていたのでしょうか。…そういえば、この前アメリカのTVのニュースで「各国のセックス頻度の統計」の結果を発表していたのですが、どうやらカナダ人カップルのセックスの頻度は、意外にもスケベなイメージのあるアメリカ人よりも高いそうです。ニュースキャスターの人はこの結果を受けて、「やっぱり寒い国の人は、家の中でベッドにこもっている時間が長くなって、そういう結果になるんでしょうかねえ。」とか冗談っぽくコメントしてました。…そうだよな、セックスは古今東西を問わず、“室内娯楽の王様”なんだよなあ。むかしはテレビもトレッドミルもなかったし、外出できないくらい寒い時期に退屈したら、「家にこもってセックス」することくらいしか娯楽がなかったのかも。カナダのセックス頻度とか、スウェーデンの有名なフリーセックスは、もしかすると寒い国で発達した特有の文化なのかもなあ。実際、英語では「ブリザード・ベイビー(吹雪の赤ちゃん)」という言葉があって、大雪の時期のちょうど10ヵ月後にベビーブームになったりするらしい。「あら、やっぱりオタクもあの猛吹雪の時期に…(照笑)」というヤツだな。すると何か、ブリザード・ベイビーってのは、父ちゃん母ちゃんの“退屈しのぎの産物”か。パパとママが、ビデオにもプレステにも飽きた結果なのか。…イヤだな、もし自分がその結果だったら。ま、じっさい、自分の元になった受精卵がどういう状況下で発生したかなんて、知れたもんじゃないんだけど。オイラは7月生まれだが、オイラの起源が、彼岸前にたまたま暑さがぶり返した日曜日に、父がひさびさ見た母のワンピース姿にムラムラしてしまい、同居していた祖母が外出したスキでも狙って縁側で母を押し倒してコトに及んだ結果ではないと、誰が言えよう。コドモは“愛の結晶”だとか言うが、世界人口の過半数は、実際には“あの日は、雨でタイクツで…”とか“つい、ガマンできなくて…”の結果であると考えた方が妥当なような気がしてきたゾ、オイラは。「♪人間なんてェ~、タララーララ~…」だな。
2004.01.17
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先日の日記にも書いたが、カナダに引っ越した時に持ってきたノートに、7~10年くらい前の間に散発的かつ断片的に記した“日記のようなもの”が書きなぐってある。以下は、そのうち内容的に当たり障りのないもので、かつバカバカしいもののひとつである。この“日記”にはこんなタイトルがついている。 「ぼくの未来」まるで小学生の作文のタイトルだ。あいにく日付が書かれていないが、ノートのページから察して30歳かそこらの時のものだ。 ぼくは、正直に言うと、未来のことを考えるのがあまり好きではありません。なぜならば、ぼくの性格のひとつに「計画性がない」「思いつきで行動する」というのがありますが、これはそもそもぼくが未来があることを確信していないことや、「ひらめき」や偶発的な要因に価値を置いていることが反映された結果です。 「明日死んでも悔いはない」ような太く短い姿勢での生き方。 だからぼくの辞書には「安定」とか「子孫の繁栄」といった言葉はありません。とても30歳になる社会人の考えていることとは思えない。この年齢の時にはすでに子供が2人いた両親が読んだら、涙を流しそうだなあ。 それから、ぼくは身軽でいたいので、家や土地を所有したり、足かせになってしまうような勤務先への“入れ込み”も避けたい。 なぜ身軽でいたいか。 それは、ぼくは「広く浅く」を信条のひとつとしているので、ひとつの場所にとどまらずにあちこちを歩き回り、いろいろなことをカジってみたいからです。どうやらこの日記は、オイラが「通訳・翻訳」を勉強して、それを職業にして食っていこうという決心に到達する前のことで、しかもまだ結婚するつもりでいた頃の話のようである。 結婚はしたいけれども、「家庭」を持たないことに決めているので、配偶者になる人は「家庭人」ではなく「キャリアウーマン」でないとダメだと思います。仕事にコミットメントを持つ気もなければ、家や土地を持つつもりもなく、オマケに相手が「キャリアウーマンでないとダメだ」とか勝手なことを言っているヤツに、相手が見つかるとでも思っていたらしい。バカだ。たしかにその後の数年間、オイラはアメリカの労働ビザをサポートしてくれる会社で「あちこち」にある支店に散発的に投入され、まったく一貫性のないいろんな仕事を「広く浅く」カジることになるのだが、配偶者どころかガールフレンドさえ見つからず、キャリアの方も中途半端な状態であることにやがて嫌気が差してくるのだ。バカめ。いやあ、オイラがもしあと7-8年遅く生まれていて、この時期に楽天広場でこんな日記を公開していたら、ホントに虫のいいことばかり言ってるただの“海外バカ”だな。でも、バカなりに似たような境遇のヤツを見つけては、いい年こいて「オレたちの辞書に『安定』なんて文字はないのさ」とか、「やっぱり相手は“キャリアウーマン”じゃなきゃネ」なんて言って、掲示板で意気投合してたりしたんだろうな、きっと(笑)。...ま、オイラがいまこうして毎日書いてる楽天日記だって、10年後に40代半ばになったオイラがたまたま読んで、「ナニが『柵を越える黒いヒツジ』だ、バカめ。」とか言ってるのかも知れないけど(笑)。
2004.01.16
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楽天仲間のドイモイ氏の昨日の日記に、こんな面白い話が載っていた。以下、ちょっと抜粋。 野生の獰猛なカマスを水槽に入れて、小魚を入れると、ばくばく食い始める。 そこに透明の仕切りを入れて、一方にカマス、もう一方に小魚を入れると、 カマスは小魚を食おうとするが、何度も透明な仕切りにぶち当たる。 やがて、カマスは小魚を追い、食うのを諦める。 そして、透明な仕切りを外す。 しかし、カマスはもう諦めていて、小魚を追うことはしない。 もう仕切りにぶつかって食えないと思っているのだ。うーん。まるで、可能性を摘み取られ、虚勢されておとなしくなってしまった自分たちのことを言われているような気がしないか、みんな。この話には続きがある。以下、ふたたびドイモイ氏の日記から抜粋。 このカマスを蘇らせるにはどうしたらいいのか。 それは、その水槽にもう一匹の野生のカマスを入れることである。 野生のカマスがばくばく小魚を食うのをみて、自分にもできるのではないかと思い、野生の血が蘇るのである。うーん。これもちょっとインスピレーションを掻き立てられる話。そういえば、子供の頃のこんなエピソードを思い出す。学校の帰り道にドブ川があった。この川幅というのが、自分に飛び越えられるかどうかがちょうど微妙な距離。しかしオイラには、このドブ川越えに挑戦してドブにハマるようなリスクを冒す勇気がなかった。ある日、オイラの目の前で、勇気ある友だちがこのドブ川越えに挑戦し、成功した。…すると不思議なもので、「ヤツが飛び越えられたのなら、自分にもやれる」という自信が湧いてきて、自分も挑戦して何なくドブ川を飛び越えられたのだ。…オイラも、はじめから自信を持って挑戦していたら、もっと前にドブ川を飛び越えられていたに違いなかった。アメリカ人のような“アドレナリン中毒”の国民と対比した場合、日本人の多くは人生のいろんな場面においてオイラのように「ドブ川にハマる」リスクを避けたがるような気がする。ドブにハマったって死ぬわけじゃないのにさ。…で、後になって誰かがドブ川を飛び越えたのを横目に見ながら、「自分だってやればできたんだ。」などとつぶやいたりするのだ。あるいは、もはや小魚を襲うのをあきらめたカマスのように、はじめから「あんな川幅、自分には飛び越えられないや。」と挑戦をハナから断念しているんだろう。オイラたちは、柵の外を見ないクセのついた虚勢された羊。オイラはいつだって、この「最初にドブ川を飛び越えたヤツ」を尊敬していた。でもオイラは、いつだって「仲間のカマスがばくばく小魚を食う」のを見るまで、挑戦する度胸がなかった。ただ、羊たちの群れの中で、いつも「柵の外」ばかり夢見ていたような気がする。そんなオイラにしてみれば、15年前、大学4年時に就職活動を一切せずに卒業後もバイト生活を続け、貯めたカネを持って渡米したのが、はじめて「最初にドブ川を飛」んだ経験だったような気がする。それはもしかすると、たんに自分が「黒い羊」だと悟ったからかもしれないけど。…で、柵の向こうの小魚はたしかにウマかったし、栄養があった。将来、食あたりで後悔するかもしれないけど(笑)。今となっては自分が「黒い羊」でもよかったと思っている。それと、じつは“柵”は羊飼いが作ったのではなくて、羊が作ったものじゃないかとも思ってる。
2004.01.15
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オイラは、アメリカのデトロイトと国境を接するカナダの街に住んでいる。この街の主な産業は自動車関連とカジノである。カナダでカジノと言えばナイアガラが有名だが、オイラの住んでいる街のカジノの収益はナイアガラのそれを上回っているそうだ。当然、ギャンブル目当てに国境を越えて訪れるアメリカ人はオイラの住む街の大事なお客様である。ただ、彼らの目当てはギャンブルばかりではない。「アメリカでは許されていないが、カナダではOKないろいろなこと」を求めて老若男女が訪れる。具体的に言うと、まずアメリカのほとんどの州では、酒・タバコが許されるのは成人とみなされる21歳以上だが、カナダでは18歳である(州によって若干の差はあるかも)。また、アメリカでは酒を出す店で“トップレス以上”のストリップは許されない場合がほとんどだが、カナダでは酒には関係なく「全部」見せている(らしい)。きわめつけは、アメリカでは売春は日本同様に非合法であるが、どうやらカナダでは売春が黙認されているらしい(これも地域によって事情は異なるかも)。したがって、まだ成人しないアメリカ人のガキどもやオッサンたちがハメを外しにこの街を訪れことがままあるようだ。以下、アメリカとカナダのそのヘンの事情の違いを親切に表にしてみた。 アメリカ カナダ酒・タバコ 21歳以上 18歳以上ストリップ(酒あり) トップレス 全裸ストリップ(酒なし) 全裸 全裸売春行為 違法 合法…で、オイラは街中のマンションに住んでいるのだが、ほんの2ブロック先にはこの街では有名なストリップクラブがある。街中を歩いていて、アメリカナンバーの自動車に乗った野郎に呼び止められ、そのクラブの所在地を尋ねられたことが何度かある。所在地くらいなら答えられるが、あいにくこのクラブに関するそれ以上の詳細は一切知らないオイラである。でも、そんなオイラもアメリカ中西部に住んでいた時代には、“仕事の都合で”、中西部の主要都市にあるストリップクラブの有名どころはだいたい訪れている。「仕事の都合」というのは、出張で日本人の上司&アメリカ人の同僚に同行する場合、仕事が終わった後はだいたい「食事(&酒)→ストリップ」加えて興が乗れば「→マッサージ・パーラー」というのが定番のコースだったのだが、上司は酒を飲めないオイラをいつも「夜のお抱え運転手」に任命していたのである。オイラの記憶では、アメリカのストリップ・クラブは、だいたいどこも入場に10ドルくらい、ステージにかぶりつく場合にストリッパーの胸の谷間やパンティにはさむ札がせいぜい5ドル前後(特にきまりはない)、ソファに座ってストリッパーに目の前で踊ってもらうのが20ドルくらいだったと思う(ただし、いずれも90年代なかばの話)。気前のいい上司が毎回オイラたち部下のためにどんどん札ビラを切ってソファに送り出してくれたおかげで、オイラはアメリカ人女性の乳はもちろん、性器も10数人分は間近に見ている。しかも、クラブの質が高かったからであろうか、審美眼のキビシいオイラが見ても紛れもない美人ばっかりだったよ。“キャンディ”や“テイラー”は今ごろどうしてるかなあ。…ただ、オイラが「同行」したのはいつも「ストリップ」までだったので、「マッサージ・パーラー」の事情までは直接は知らない。シラフで見ず知らずの女性に金を払って局部を触らせるなどという行為が理解できなかった下戸のオイラは、いつも自動車の中で待つか、時間を決めて入り口で待ち合わせしていたからである。ちなみにこれらの店はだいたいどこも(なぜか)韓国人が経営していたようだ。表向きは「東洋式・健康マッサージ」のようなカンバンを掲げているが、いったん中に入ると、30~40代の韓国系のオバサンが待ち受けている、という仕組みらしい。まあ、アジア人は若く見えるから、そんな“ベテラン”でも仕事が勤まるんだろうなあ、アメリカでは。
2004.01.14
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オイラは楽天日記を始めるまで、過去15年くらい日記をつけたことがありませんでした。ときどき、考えをまとめるために、その日にあったことや考えたことをノートに記したことはありましたが、それもせいぜい年に5回くらいのことだったと思います。オイラはこの非定期的かつ断片的につけた過去10年くらいの“日記”を書いたノートを今も持っているのですが、内容の多くはかなり赤裸々で、自分で読んでいてとてもユウウツになります。いくら匿名が前提の日記であっても、とても楽天広場で公開できるような内容ではありませんね。けっこう他人が読んでも面白そうなものもありますけど、いかんせん「ロコツ」ですからねえ。最後に定期的に日記をつけたのは、大学3年生のとき、大学のサークルの先輩(♀)ふたりと後輩ひとり(「インドで死に掛けた話」に登場するT大学に再入学したM)と4人で、「交換日記」をしていた時だったと思います。あいにくもうこの時のノートは持っていないのですが、ほかの人に読んでもらうことを前提に書いていた日記という点で、内容の赤裸々さの程度では、この楽天日記に近いものがあったと思います。それでも、オイラはけっこう恥じることもなく、「今週は講義にも出ずに100時間以上寝た」とか「10年ぶりにオネショをした」とか書いた記憶があります。ちなみに先輩ふたりは「私は干し芋とチューリップが好きだ」とか「今日はイライラして、ぬいぐるみの首をネジ切って捨てた」とか書いていたのを覚えています。ゼンソク持ちの後輩Mは、「自分は、スミスの曲にあるように、幸せではないが、悲しくもない」とか書いていたのを覚えています。ところでオイラは毎日1500字前後の日記を書いていますが、これって、考えてみたら原稿用紙にして4枚前後じゃないですか。中学の弁論大会の作文とか、高校時代の読書感想文の枚数制限といえば、原稿用紙4-5枚だったと思いますが、当時はその程度の量の作文を書くのに軽く一晩中かかった記憶があります。いまこうして、課題の作文に匹敵する量の日記をほぼ毎日欠かさず書いているなんて、自分でも感心してしまいます。とくに、サラリーマンになった今では毎日そんなに特記するようなこともないですから、よくまあ毎日こうして書くネタを思いつくものですよねえ。ま、今日もそうですが、得てしてPCに向かうまで何を書こうか考えてないことがほとんどなんですけどね。でも、無理してでも何かその日やったことや考えたことを書いてまとめるのは、たぶん良い生活習慣であるような気がします。今後どうしてもネタが思いつかないときは、「赤裸々な過去の日記」を使いまわししようかなあ。きっと伏せ字とか「中略」だらけになるな(笑)。
2004.01.13
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カナダのTV番組で、毎日の通勤電車を舞台にしたコメディ(Train 48)があるらしい。あいにくオイラはこの番組を見たことはないが、いわゆる「予告編」のCMを見たところ、毎日同じ時刻の列車に乗り合わせる白人黒人東洋人、老若男女、肉体労働者・サラリーマン・OL...といったさまざまな背景を持つ連中の繰り広げる車内での会話によって成立するコメディらしい。この「予告編」では、登場人物のひとりであるアジア系の男性が、控えめな喋り方でこんなセリフを語る。「アジア人の男は、女性のパートナーとしてホントに申し分ないですよ。まず大抵の場合、アジア人男性にすでにガールフレンドや恋人がいることはないのでいつアタックしても断られることがないし、…それにアジア人男性は器用なんで、いろいろと身の回りの役に立ちますよ。そして何よりも、彼らをパートナーにしたら、“よこ取り”しようとする人がまず現れないですから。」こう言うアジア人の役者を見て、TVの前の視聴者は「まさに!」とばかりに大笑いするのだろう。オイラもまったく上手いことを言うものだと笑ってしまった。アメリカに住んでいた頃、誰が言っていたのか忘れたが、「アメリカ国内における人種の序列」という話を聞いた。人種を“序列化”した場合、「男性性」に関しては1) 黒人2) 白人3) ヒスパニック・アラブ系4) 東洋人という序列があり(注.経済や政治といった要因を加味したばあい、1位と2位は逆転する)、“男”の魅力としては東洋人男性は最下層にある、という話だ。一方、女性に関しては1) 東洋系(中でも日本人)2) 白人3) ヒスパニック4) 黒人という序列が厳然として存在する(注.映画のようなメディアのイメージでは、1)と2)は逆転する)、というのだ。まあ、極論ではあるにしても、大雑把なところは当たっていると思う。異人種間のカップルを見たらそれは明らかだ。白人・黒人・ヒスパニックの男性と東洋系(とくに日本人)の女性とのカップルは、それ以外の異人種の女性に比べたら圧倒的に多いように思う。ハッキリ言って、比較的おしとやかな東洋人(とくに日本人)女性はアメリカやカナダの都市のような人種のるつぼにおいては、男性からの需要がもっとも高いと言える。逆に、白人女性とヒスパニック男性や黒人男性とのカップルはテレビの画面でも街中でもザラに見掛けるが、「東洋人男性」とのカップルを見掛けることはそう滅多にないよな。結果として、「日本人の国際結婚」といえば、通常は「日本人女性と白人(>黒人>ヒスパニック/アラブ系)男性」をイメージする。一方、日本人男性が国際結婚したといえば、まずイメージするのは「アジアの花嫁」ではなかろうか。比率で言っても、異人種間の国際結婚をした日本人女性と男性の数は余裕で10倍くらいの比率の相違がありそうだよな。「男性性」を具体的に言い換えると、「体格」と「性格的な男らしさ」だろうか。もちろん、体格の中には「性器の大きさ」が含まれる。性格的なことはさておき、性器の大きさを含めた体格において、東洋人男性が全人種の中で最下位に来るのは否定のしようがないことだろう。アメリカのある深夜番組で、ある白人の若い女性が、「『交際する上でチンポの大きさが関係ない。』なんて言っている女がいたら、それはウソを言っているか、快感をまだ知らないだけだ!」と断言していた。まあ、これがテレビを意識した発言であることを差し引いても、まったく的外れな発言ではなかろう。実際、オイラは日本人男性と結婚した、性ケーケン豊富な白人女性に直接聞いたことがあるのだが、彼女は「長さはあまり関係ないが、太さは重要だ。」と真剣なまなざしで語っていた(笑)。結論から言えば、日本人男性は「セックスを主要な目的としてパートナーを求めている(異人種の)女性」とは相性が良くないであろうことは言えそうだ。言い換えれば、日本人男性が白人だの黒人だのヒスパニックの女性と付き合いたければ、「プラトニックな女性」を探すのが得策なのかも知れないな。オイラ自身は、幼少の頃から「自分の性器が大き過ぎるのではないか」と悩んだことこそあれ、短小で劣等感を感じたことがないので、あいにくこの件を裏付けるような切実な体験談がないのだが、なんせそちらの方の欲求に関しては淡白なほうなので、アメリカの学生時代に女友達のひとりが「私は結婚したらセックスは1日おきの頻度でやりたい」と言うのを聞いた時は、「この女とはあまり深入りするのはよそう」と思ったものだ。とくに30代も後半になって、かつマラソンが生活の中心となっている今となっては、週1やるのさえオックウだろうなあ。…ま、相手の居ないオイラにとってはどうでもいいことだけどさ。...あ、海外の女性とのステディ(あるいはアバンチュール)な性関係に関しては、オイラの学生時代からの友人であるロンドン在住の鰻坂氏の赤裸々な日記がよい資料であることを付記しておこう。http://plaza.rakuten.co.jp/unagizakahikaru/diary/
2004.01.12
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NHK北京特派員の加藤高広が、記録的な極寒に苦しむモンゴルの奥地へ取材に向かう途中、ヘリコプター事故で死んだのは3年前の今週のことだ。NHKの朝のニュースとかで、いつも眠そうな顔をしてメガネをかけた、鴻上尚史と「伝染るんです」のかっぱ君を足して2で割ったような顔の男のことは、その名前を知らなくとも、映像を見れば顔を覚えている人もきっと多いと思うぞ。加藤は、オイラの高校3年時のクラスメートだ。クラスメートはみんな、仙台なまりで「タガヒロ」(“ガ”にアクセント)と呼んでいたがな。優秀なヤツだったが、決して天才秀才タイプというわけではない。どちらかといえばコツコツ型の真面目な努力家タイプだった。高校時代は将棋部に所属し、一見すると気弱そうな文化系のガリ勉坊主なのだが、実際には死ぬほど鼻っ柱の強いヤツだった。たとえば、コイツと議論になったらもう止まらない。教師に対してさえひるまないのだ。秋ごろだったか、試験休みだかの1週間を使って社会科や国語科教師などの教師の有志が団体で中国旅行に行ってきた。倫理社会の授業中に、参加した教師のひとりが中国のみやげ話を聞かせてくれた。ひととおり教師の話が終わった後で、加藤は挙手して質問した。「先生、中国滞在中、性欲の処理はどうしたんですか。」彼は、中国で女を買ったんだろ、と教師に面と向かって言っているのである。決して冗談で尋ねているのではない。彼は倫理社会の教師に“倫理の実践”について議論を挑んでいるのであった。そんな一見ハスッパな質問をする加藤であったが、オイラは知っている。コイツは20歳を過ぎてドーテイだった。そもそもオイラたちの通っていた旧制高校の流れを汲む東北の男子校は、例年の進学率が99%くらいだったが、卒業時の童貞率もだいたい同じ数値であった。これはもちろん正確な統計をとったわけではないが(笑)、当時の東北の男子進学校というのがどれくらいウブだったかというと、たとえば高校卒業前に中学の同窓会に行ってきたヤツが翌日教室で「昨日、帰りに中学の同級生を家まで送って行った時、手を握った。」とかうれしそうに自慢している、そういう世界なのだ、ホントに(笑)。卒業後東京外大に進学した加藤は、大学2年の夏休みに京都のオイラの下宿に遊びに来た。どうやら、彼が所属する軟式野球部のマネージャーをしている女の子が奈良の実家に帰省しているので、思い切って会いに行くらしい(笑)。加藤は朝早くオイラの下宿を出て奈良の彼女に会いに行き、その日のうちに京都に帰ってきた。何だか知らないが、オイラの下宿に戻るなり、憤慨している。「オマエが朝食に作ったオニオン・サラダのせいでだな、彼女に『口が臭い』と言われたぞ。」本気で怒っている。こりゃ、彼女とはまだキスにも成功していないな(笑)。その後あいにく加藤とは音信がなかった。オイラは卒業後渡米し、加藤がどこに就職したのかさえ知らなかった。ヤツと“再会”したのは、忘れもしない、6年ぶりに日本に帰国して母を見舞に行った病院で見た朝のNHKニュースのTV画面だ。どこかで見た顔の特派員だなあ、と思ったら字幕に「加藤高広」とある。タガヒロじゃねーか(笑)。それから数年後、オイラは翻訳・通訳のアルバイトとして渋谷のNHKに出入りするようになった。いつかそのうち、日本に帰国した加藤をNHKの廊下で驚かせてやろうと思っていた。…しかし、そんな矢先の1月15日、やはり同じく朝のNHKニュースで彼の訃報に遭遇したのであった。彼が死んだその年の春に、今の会社でアメリカ本社への転属の誘いを受けたオイラは、それまでは日本に腰を落ち着けてマジメに社会人をやろうと思っていたのであったが、いろいろ考えた末また渡米することにしたのであった。…加藤とはもしあの世で会えたら、いろいろと想い出話をしたいと思っている。奈良のマネージャーとはその後どこまで行ったのかとか、中国赴任中の性欲の処理はどうしたのか、とかサ…。-------------------------いつも訪問いただいてる皆さん、毎度おおきに。今後ともよろしゅうに。
2004.01.11
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いやさ、なんか昨日の晩から気管支がヒリヒリするんだよな。まるでガラム煙草を吸い過ぎた時のような感じ。なんでか考えてみたら、やっぱり昨日おとといと氷点下10~15℃の中を1時間も走ったもんで、たぶん気管支が軽い凍傷に近い状態になってたと思うんだよな。ちょっと頭痛もするしさ。今日いちにち寝てたらだいぶ調子よくなったよ。いい年こいてバカだよな、オイラも。いい加減「身の危険」を察知できるようにならないといけないよな。ぜんぜん関係ないけど、昨日の晩インターネットでいろいろ調べごとをしてて我が母校のHPを覗いたんだが、旧制高校の流れを汲むバリバリの男子校だったのを「男女共学」にしようという動きがあるらしい。...これは聞き捨てならん。オイラが生まれ育った宮城県は、実は東京都に次いで「共学率」が低い自治体として知られている。オイラの在学当事はたぶん50%を切ってたと思うぞ。ほら、東京は私立高校の多くが男女別学だから共学率が低いのは分かるが、宮城のばあい、仙台をはじめとして、戦後にアメリカのGHQの指導で男女共学が推進されたときに断固として別学を維持したらしいんだなあ。さすが反骨精神の都市、我が故郷 仙台。オイラの体験としては、「保健室と食堂のおばちゃんをのぞけば、先生も生徒もみんな男」という毎日は、人生でいちばん気楽で自由な3年間だったけどなあ。我が母校の場合とくに「山の上」にあったもんでまるで修道院の状態。主な通学手段は自転車で、通学の際に住宅地の主婦とか小中学生を見掛けるのを別として、家族以外の女と接触した記憶がないんだよな。“共学推進派”の意見の中には、多感な時期に男女を分けた教育をするのは人格形成上好ましくない、つまりは偏った“異性観”をはぐくむ可能性がある、というのがあるらしい。たしかになあ、女子学生が6割を占める大学の某学科にオイラが進学した時、若い女が大量にいるのを見てホントに驚いたっけなあ(笑)。食堂のおばちゃん以外の女と口をきいたことのない3年間は、世の中の半分を女が占めていることを忘れさせる効果があったのはたしかだ。…でも、地方の男子高校出身の硬派なヤツらというのはそれなりの魅力があるもんだし、母校の同級生たちは大学に進学してちゃんとガールフレンドとステディな関係を持っていたぞ。だいたいやね、共学がまともな人格形成を育むかといったらゼンゼンそんなことはなくて、勉学にせよスポーツにせよ、異性の目(=モテたい)をモチベーションにしてしまうという、“偏った”意識を“多感な”若者に植え付けるだけだぞ。別学のいいところは、異性に対する「虚栄心」から開放されて、自分が本当にやりたいことを自由に追求できるところだ。勉学やスポーツに限らず、雨に濡れたらズボンが乾くまでパンツ一丁で授業を受けたりとか、教室でも廊下でもトイレでも裸足で過ごしたりとかいう自由をだな、共学高校出身のヤツは経験したことないだろ。...そんなの経験しなくていいってか(笑)。
2004.01.10
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オイラの住んでいる五大湖周辺では、ここのところ最“高”気温が氷点下10℃という、とっても寒い事態になっています。でも、不思議なもので、あんまり寒くなりすぎると、氷点下5℃も氷点下25℃も感覚的にさほど違いを感じないものですね。-5℃が「メチャメチャ寒い!」だったら、じゃあ-25℃はどんな感じかというと、やっぱり「メチャメチャ寒い!」なんですね、これが。これが逆に30℃と40℃の違いだったら、「すげー暑い。」と「死ぬほど暑イっ!」くらいの違いがあるんでしょうが。…で、マラソンを日課にしているオイラは、この季節はもっぱら室内でトレッドミルの上を走っているんですが、先日オイラが住んでいるジムのトレッドミルが2台とも故障してしまいました。そこで、このところ仕方なく夜間に極寒の屋外を走っております。10キロをウォームアップを入れて1時間くらいで走るのですが、さすがに極寒の屋外に1時間もいると、-5℃と-25℃の違いが判ります。-5℃くらいだと、走っているうちに身体が火照ってきて、2~3度の屋外を走っている時とあまり変わりありません。しかし、氷点下10℃以下になると本来なら体表に発散されるはずの気化した汗が衣服の表面で凍りつきます。で、これが氷点下15℃に至ると鼻毛が凍りつきます。これがちょうど針のような形状になるもんで、鼻で呼吸をすると鼻の中がチクチクして痛い(笑)。それに、あまりのんびり走っていると衣服にしみ込んだ汗が凍り付いて「ブリキマン」みたいになってしまうので、ある程度スピードを維持しないといけないですね。先日、この季節でははじめて夜の9時ごろ川沿いの散歩コースを走った時は、「どうせ夜にこんな寒い中を走っているのはオイラくらいだろうなあ」と思っていたのですが、まだ新年を迎えて1週間やそこらだからでしょう、「今年こそ痩せる!」との決意をしたとおぼしき人たちが3-4人ジョギングまたはウォーキングしていました。自分みたいなバカがほかにもいると思うと、親近感が湧くものです。コース上ですれ違うたびに手を上げると、あいさつを返してくれます。ところで、オイラが昨日記した「男女産み分け仮説」の結論編ですが、思いのほか何んの反響もありませんでした(笑)。オイラとしては、ちょっとした大発見を大発表したつもりだったのですが、誰も感心も関心も示してくれなかったようです。説があまりに飛躍し過ぎていて、呆れられたのでしょうか。オイラ自身は、けっこうイイところを突いた説だと自画自賛していたんですけどでねえ。それとも、仮説自体には関心を持っても、中味がロコツでコメントしづらいだけだったでしょうかね。そういえば、オイラの人生でこれまでにも、「こんなことを発表したら、みんなに感心してもらえるんじゃないだろうか。」と思って意気込んで発表した自説や作品に対し、みんなが怪訝な態度を示したというようなことが、何度かあったような気がします(笑)。さいきんは、このような態度のことを、人が「ヒく(退く)」とか言うんでしょうかねえ。なんだかこの日記の件はオイラの人間性を象徴しているような気がしてきました。(終)
2004.01.09
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いやあ、忙しいね、年始から。年末に退社した部下の後任がどうも当面は見つかりそうもない上に、ヨソの部門でも勤務開始予定日直前の「内定辞退」が相次いだりして、アメリカは年末も正月もないね、まったく。こりゃ、いつ日本に出張できるかもあやしくなってきたゾ。こんな日記を書いてる場合じゃないのかもしれないが(笑)、ちょっと息抜きに昨日のつづきを書こうかあ。そうそう、オイラは男女の産み分けに関してある仮説を持っているのだった(昨日の日記→http://plaza.rakuten.co.jp/kameika/diary/ #2004-01-07)。そのうちわけが、その1):「マラソンランナーには、自分と同性の子供が産まれる可能性が極めて高い。」その2):「年上女房のカップルの第一子は、女児が産まれる確率が極めて高い。」その3):「妻がキャリアウーマンで重役の地位にある場合、男児が産まれる確率が極めて高い。」その4):「美術サークル出身の野郎には、女児が生まれる確率が極めて高い。」 ...である。なぜこのようなことが起こるか。オイラの仮説はこうだ。高校の生物で学習したとおりだな、卵子はみなX染色体、精子はXとY両方の染色体を持っている。卵子にXの染色体を持っている精子が合体すると、この受精卵は“XX”で女児に、Yの染色体を持っている精子が合体すると“XY” で男児になるのだ。で、ある研究によるとだな、同じ精子でも、女性を作るX染色体は、男性を作るY染色体に比べて、酸性に弱いらしいのだ。…ここまで書けば、もう察しのいい人はオイラの説が見えてきたに違いない。これ以降は、もはや生物学の話ではなく、具体的な性行為の話になるので、もうオイラの説が読めてしまった人や、誤ってこの日記にたどり着いてしまった青少年は読まなくてもよい。…そう、女性の愛液と呼ばれる潤滑液は非常に酸性が強い。オーラルセックスをしすぎると歯が溶けてしまうことがあるくらいだ。…と、あるヤクザがある本の中で証言していたよ。つまり、女性が愛液の分泌が豊富な状態で性交してだな、オトコが射精したばあい、X染色体を持つ精子の多くは卵子に到達する前に死んでしまい、相対的にY染色体を持つ精子が多く生き残り、結果的に受精卵が“XY”となって男児になる確率が高くなるわけだ。逆に愛液の分泌の少ない状態で射精すれば、この確率はより五分に近くなる。…で、仮説1)にこれを当てはめてみよう。マラソンランナーはスタミナが豊富だ。これはかなりの程度ベッドの中での営みにも反映されると言える。男性がスタミナ豊富であれば、射精までに時間を要し、結果的にそれまでに愛液の分泌量も多くなる。一方女性の方がスタミナ豊富であれば、女性の準備ができる前に、相手の男が先にイッてしまいがちなわけだ。仮説2)で言えば、姉さん女房の夫婦関係というのは、少なくともその初期においてはさまざまな場面で「女性主導」であることは想像に難くない。夜の営みにおいても、どちらかといえばより経験の豊富な妻が“年下の男の子”の夫を手ほどきをするような形になりがちである。端的に言えば、年下の男の子は、夫婦の初期には姉さん女房を満足させる前にイってしまいがちだということだ。仮説3)は、夫婦関係において、妻の収入と性関係における権力・自主性が比例することと関係がある。つまり、専業主婦で夫の収入に依存している妻の場合、得てして“疲れて帰宅した夫”が「寝ているところにいきなり乗っかって、勝手に果ててしまう」といった不満を経験しがちである。一方それなりの金を稼ぐ重役妻の場合、夫が一方的に妻を「自分の性欲処理の道具」扱いできないわけだ。夫が妻の収入に依存しているような夫婦関係であれば、夫はとうぜん性交の際には妻の性的満足を意識しなければいけない。男が「勝手にイッ」てしまうことがなくなれば、愛液の中でX(女)染色体が死ぬ確率が高まるわけやね。仮説4)については、これはもはや想像でしかないが、美術サークル出身の野郎はセックスがヘタか、セックスに淡白でネチっこくないか、単に男性性に乏しくてソーローか…といったところか(笑)。それに加えて、美術サークル出身の野郎なんかと結婚するような女性は、あんまりセックスに積極的じゃないのかもな。…え、オイラ?そうだよ、美術サークル出身だよ。たしかに淡白だが、決してソーローじゃないぞ、言っておくが。…どれ、仕事仕事…。
2004.01.08
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楽天広場のマラソン仲間のひとりであるWannkorobeェさんは3人の子供を持つご婦人である(http://plaza.rakuten.co.jp/junkland/)。先日彼女の日記を拝見していたところ、その3人の子供がすべて「女児」であることを知った。実は、オイラは“男女の産み分け”に関してある仮説を持っている。彼女に3人の女児が居ることと、彼女のマラソン仲間を調べて判明した事実は、オイラのその仮説を裏付けるものであった。…で、オイラの仮説とは、以下の4つであーる。仮説その1:「マラソンランナーには、自分と同性の子供が産まれる可能性が極めて高い。」例を挙げよう。楽天広場のマラソン仲間であるミノルトト氏とJunh氏にはそれぞれ2人ずつ子供が居るが、いずれも男児である。また、スポーツダイアリーのマラソン仲間で唯一面識のある子持ちの「流星」氏も同様に2人の子供はどちらも男。Wannkorobeェさんの発言を引用すると、『思い浮べただけでも・・・チームの仲間に限っても、女性ランナーのうち、ひとりは娘さんばかり3人、2名は娘さん2人。男性では、息子さんばかり2人いる人が4名いますねェ。逆の場合は、無いですね。』という話だ。どうだ、スゴイだろう。オイラはこれを説明する仮説を持っているが、それについては後で説明しよう。仮説その2:「年上女房のカップルの第一子は、女児が産まれる確率が極めて高い。」オイラの前の職場には、社長をはじめ「姉さん女房」の夫婦がオイラの知っているだけで5組も居た。既婚者で子持ちの社員が10人に満たないこの会社で、姉さん女房のカップルが5組も居るという事実にすでに何らかの必然性がありそうだが(笑)、ここでは子供の性別に話を絞ると、5組のうち4組に子供がおり、その第一子がみな女児なのであった。もちろん、統計的には母集団があまりにも少なすぎるので「科学的」な結論は導き出せないにしても、4組の第一子がすべて女児(または男児)になる確率というのは16分の1(約6%)なのである。仮説その3: 「妻がキャリアウーマンで重役の地位にある場合、男児が産まれる確率が極めて高い。」この仮説を裏付けるオイラの個人的体験はあいにくごく少数なので割愛するが、昨年アメリカの医学雑誌かなんかで実際このオイラの仮説を統計的に証明した“科学的”な論文が発表されたそうだ。オイラはやはりこれを説明する自説を持っている。後で説明しよう。仮説その4:「美術サークル出身の野郎には、女児が生まれる確率が極めて高い。」 これはごく私的な経験に基づく普遍性の低い仮説ではあるが(笑)、あまりにもその確率が高いので紹介しておこう。オイラが日本の大学時代に所属していた美術サークルの同輩や後輩のその後を追跡調査したところ、結婚して子供の居るヤツらは、みなその子供が女児であった。同サークルの歴代の部長をはじめ、心斎橋ワタル氏、イタリア人女性と結婚したK、もうひとりのK、…みんな女児ばっかりなんだ、これが。その確率といったら、もう仮説2なんかより有意性が高いことは間違いない。…さあ、ではここで、「なぜこんなことが起きるのか」について、奥義とも秘儀ともいえるオイラの仮説を開陳しよう。…と行きたいところだが、長くなりそうなので、明日にしようっと。
2004.01.07
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先日、アメリカのNBCの番組で「1年後の高校時代の同窓会までに痩せる!」という決意をした40代のアメリカ人男女6人を1年間追跡取材する特集をやっていた。北米在住の楽天仲間の多くは視聴したのではないかしらん。6人のうちわけは、当時の「ミス××高校」とか「スポーツ万能のヒーロー」をはじめとする男女3人ずつなのだが、当時の卒業アルバムと「今」を比較すると、もはや別人。全員が例外なく肥満化しているだけでなく、「人格」自体が変わっている、と言っていい。もちろん言われてみれば当時の面影はあるのだが、道ですれ違ってもたぶん気づかずに通り過ぎるにちがいない。25年の月日というのは人を別人に変えるのだなあ。そう言えば、このところ日本支店のマネージャー連中の間で、ひそかに「昔の写真」の見せ合いっこがハヤっている。今は組織の“管理職”としてそれなりの威厳のある人たちが、その威厳の幻想をイッパツで崩壊させるような昔の写真を、さすがに部下には見せられないので、マネージャー同士で持ち寄っては見せ合いっこしているのである。まるでトランプのゲームのように、「これでどうだ!」とか「コレは最強でしょう。」とか言って小出しに「強烈な過去写真」を出していき、相手を絶句させたり悶絶させたりしている。ちょっとお茶目だ。今はクリーンで理知的なイメージのあるオフィスマネージャー氏が、昔の同僚の結婚式で披露したという「網タイツのダンサー」姿とか、今ではタダの中年のオッサンになってしまった営業マネージャーが、80年代にブリティッシュ・ロックにかぶれてた頃に「デュラン・デュラン」みたいな髪型&ファッションでポーズをキメている写真は、確かに部下には見せられんわな(笑)。オイラも、今度出張で東京に出社したときにほかのマネージャーをアッと言わせるような過去写真が手元にないか当たってみた。...ダメだ。あいにくオイラは海外に住んでいて、実家にもたまにしか帰るチャンスがないもんで、手元には身分証明みたいな写真しかない。左から、「生後数ヶ月」「高校2年」「大学4年」である。…ふむ。これらの写真で、たしかに見た人は絶句させられるかも知れないが、オイラのばあい「笑いに結びつく」というよりは単に自らの「人格を疑わせる」ような効果しかないな(笑)。それにオイラのばあい、“別人”ではなくて「生まれた時からそういう人」という感じか。...で、写真につけるキャプションは3つとも「なめんなよ。」だな(笑)。...日本に持っていくのはやめよう。
2004.01.06
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「年初から苗字が変わります」という連絡が日本のある女性社員からあった。結婚したわけではない。どうやら、2年も前に離婚していたのだが、これまで社内的に旧姓に戻すタイミングを逃していたらしい。去年も別の社員から同様の案内があったが、彼女の場合は離婚が決まってすぐ旧姓に戻る旨をおおっぴらに社内に周知していた。ある日を境にちがう名前で呼ぶというのは、いつもなんとなく気マズイものがあるものだが、過去2年もの間もはや縁のない他人の苗字で呼ばれていたというのも、本人にとって心地のよいものではなかっただろうナ。苗字なんて、日本のばあいはそもそも明治時代に輸入された概念で、ほんの100年やそこらまでは武士とかヤンゴトなき階級の人以外は「名」しかなかったんだけどな。“その他大勢”の庶民は、「二丁目の鍛冶屋のジロちゃん」とか「松林の小百姓のうちのおトミさん」とか呼び合ってたんだよな。名前は便利な一方で、不自由だ。冒頭の例のように、結婚して苗字が変わるというのがそのひとつ。マキさんは原先輩と相思相愛だったのに、結婚したらマキさんが「ハラマキ」になるからお互いに深入りするのを避けたとか、どちらかというと庶民的な容姿をしている麗子さんが、結婚した場合の“名前負け”を恐れて二階堂氏とのお見合いを断ったとか、国際派女優の満子さんにプロポーズを断られたイタリアのグッチョーネ監督は納得がいかなかったとか、世の中には名前に由来する男女の悲恋の話は多いよな(ホンマカイナ(笑))。国際結婚して「ゴメス仁子(仮名)」になった勇者もいたけど。電話に出るたびに、か細い声で「ゴメスですけど。」(笑)…とにかく、名前のヤッカイなところは、まず自分で選べないということだ。オイラは自分の本名に納得しているが、万が一「ハルジ」なんて名前をつけられていたら、迷わずお笑いの道を選択していたか、単純にグレていたと思うぞ。「ハルジ」なんて名前をつけられたら、もうその時点で知的職業という将来的な選択肢を断たれたようなものじゃないか?あと、明治生まれの父方のおばあさんの名にちなんで「クマ」と名づけられた大阪の女の子の話を聞いたことがあるが、やっぱり非行に走ったらしい。そりゃー誰にもとがめられんわな(笑)。ところで「オイラは自分の本名に納得している」と言ったが、かつてアメリカに来てからファースト・ネームが長たらしくてなかなか覚えてもらえなくて困ったものだ。それに、ローマ字表記にしたとき最後の母音が「a」になるので、女性名みたいでイヤなんだよな。実は、アメリカで働いていたとき便宜上「アメリカンネーム」を試みたことがある。もしオイラの名前が「トモユキ」だったら「トミー」とか、「ショウジ」だったら「シェイン」や「ショーン」といった“モジリ”も可能だったが、オイラの本名の場合モジリにはムリがあったので、いくつかのアメリカンネームを社内で試した上で、最終的にどれかに決めることにした。今週は「ボブ」、翌週は「スティーブ」といった具合だ。そんなある日、アメリカ人の同僚が倉庫の向こうで「フレッド」を繰り返し呼んでいた。誰も返事をしない。すると、彼はオイラのところにイライラした様子でツカツカと歩み寄ってきて、...やっと気づいた。そう、オイラは今週「フレッド」だったのだ(笑)。結局、それ以来アメリカで仕事をする際は、ローマ字表記でたった4文字にしかならない「苗字」の方を使うことで落ち着いたのだった。それにしても、グッチョーネ監督の話じゃないが、少なくとも外国で自己紹介するときに物議をかもすような苗字じゃなくてホントによかったと思う。「今(こん)」さんだったらフランス語圏で自己紹介するのに勇気が要るし、「福屋(Fucku-Ya!)」さんは英語圏で自己紹介するたびに殴られそうだし...。
2004.01.05
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来たぜ、この冬いちばんのスノー・ストーム。日本語でいう「吹雪」のことか。一時、外にスゴイ風が吹いて“ホワイトアウト”状態になったが、1時間もせずに視界が広がった。さっき天気予報を見たら、どうやら北からの寒気の勢いでスノー・ストームの進路がやや南にそれ、直撃をまぬがれたらしい。おかげでデトロイト周辺は積雪はせいぜい5センチ前後。シカゴやミネソタ州は大雪でたいへんみたいですけど。思えば、過去5-6年住んだところではどこも「極端な気候」は経験しなかったなあ。住んだところでいちばん暑かったのは、テキサス州のダラス。夏場の華氏110℃(摂氏40℃)というのは、日本ではまず経験できない。たまたま訪れたところでいちばん暑かったのは、夏場のインドの首都デリーか。公式の気温は知らんが、外に出てる寒暖計は摂氏50℃を指してたぞ。インド北部はカラっとしてるもんで、“暑い”というより皮膚が“痛い”という感じだったがな。いちばん寒かったのは、忘れもしない、1994年冬のニューヨークだ。華氏でマイナスの気温を経験したのはあれが最初で最後だ。摂氏に換算してマイナス40℃以下か。真冬の旭川の最低気温だな。当時オイラは日本食レストランでバイトしていたのだが、道路をはさんで向こう側の食品店に買出しに行って戻ってきたら、その間たった1-2分の間に胸ポケットに入れてた油性ボールペンのインクが凍ってたよ(笑)。スキューバのライセンスを取得するためにオーストラリアのケアンズのYHに滞在してたときは、サイクロン直撃を経験した。YHは安全のためにドミトリーを全部締め切ったので、滞在者はホテル1階のロビーに集まって、突風が吹いて建物が揺れたり一瞬停電になったりするたびに奇声を上げて、まるでパーティーのようで楽しかったなあ。一夜明けて外に出たら、道路は折れた路樹やら曲がった道路標識やらゴミやらで無法地帯のようなありさま。いまだに経験したことがないのが“竜巻”(トルネード)だ。ダラスやオハイオに住んでいたときは、年に数回州内でのトルネードの被害のニュースを聞いたが、直接経験したことはなかった。唯一経験したのは、仕事で車を走らせている時、昼間なのに空が暗くなり、彼方にトルネードが始まる直前の“空のアリ地獄”が形成され、今にも渦を巻き始めんとしているところだった。オイラは慌てて車を飛ばしたよ。オイラはいま、オーロラが見たいと思っている。地震もカミナリも経験したし、流氷も流星群もハレー彗星(あの時はたまたま飛行機の上だった)も見たが、オーロラを見たことがない。なんでも、空気が澄んでいれば、ミシガン州の北端のようなところでも見れるらしい。スゴイよな、アメリカ本土でオーロラが見れたとは。…ということで、今年の目標に「オーロラを見ること」を挙げておくこととしよう。ま、見たところで人生なにが変わるわけでもないがナ(笑)。あ、ちなみにカナダで見るオーロラの話は、楽天仲間のふぐ太郎さんの日記に詳しい。→こちら
2004.01.04
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オイラの住んでいる北緯42度付近ではこの時期マレなことであるが、きょうは日中の最高気温が10℃を上回った。オイラがふだんジョギングに利用している川沿いの公園の散歩道にも、冬場にはマレにしか見掛けないはずのジョガーたちが、いったい何があったのかと思うくらいたくさん走っていた。先週末に2時間走ってすれ違ったランナーはせいぜい数人だったが、今日走った2時間半弱で、おそらく10組20人近くのランナーとすれ違ったはずだ。ふだん見掛けない顔ぶれも少なくなかったので、このうちの半分は年初に「今年こそ痩せる!」と決心した“にわか”ランナーだと思われる。ところで、冬場に外を走るときにオイラがいつも困らされていることがある。それは下痢だ。もともと胃腸が弱いオイラは、ちょっとした内因または外因ですぐに下痢をする。例えば内因の方は、試験を受けたりするような緊張を伴う場面ではしょっちゅうのこと。外因の方は、カップラーメンを食ったり腹を冷やしたりするとすぐに腹が下る。ちなみにインドでは到着した翌日にはもう下痢をしていたくらいだ。冬場のランニングでは、腹回りが汗で湿っても乾かないもんで、1時間も走ると腹が冷え始め、トイレに駆け込むハメになる。冬場にもうひとつ困ることは、公園に設置されているトイレが閉鎖されることだ。オイラがふだん走っている川沿いの散歩道は片道5キロで、その間に6箇所トイレが設置されている。5キロに6箇所ということは1キロ弱間隔の計算になるので、約5分の間シンボウできれば間に合う。しかし、冬場はそれらが比較的人通りの多い1~2箇所を除いてすべて閉鎖される。平均して3キロの距離を走らないと、トイレに到達できないのだ。切実な下痢を堪えながら3キロを走る(ないし歩く)のは、ハッキリ言って不可能である。だからオイラは、つねに「トイレットペーパー」をポケットに入れて走るようにしている。そう、もちろん野グソが前提なのである。今日もやった。コースのいちばん終わりの折り返し地点で屈伸運動をしている時、便意に襲われた。最寄のトイレまで走ったがカギが掛かっていたため、あっさりあきらめて川べりの岩場に下りて用を足した。…思えば、オイラがこのコース上で初めて野グソをしたのもこの川べりの岩場だったよ。その時はペーパーを用意してなかったので、手で拭いて、川の水で洗ったんだったなあ。オイラはこのコースを走り始めて1年数ヶ月になるが、すでにこうしてコース上7箇所にオイラの生きた証を残している。インドもそうだったが、オイラは世界中どこに行っても、周りにトイレが見当たらなければ物陰に「オイラの生きた証」を残してきた。イスタンブールの公園の林、アレキサンドリアの砂浜、ブリスベンの橋の下…下痢持ちである自分だけのひそかな誇りである。
2004.01.03
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「一年の計は元旦にあり」というのは日本(あるいは東洋)固有の考え方だと、10数年前まで思っていた。何かの本で読んだのだと思うが、時間が一年単位で“らせん状”に進んでいくのは日本的な考え方であり、西洋では時間は矢のように“直線的”に進んでいくものだ、と聞いていたからだ。だから、年始にあえてその年の「決意」をするようなことは欧米ではしない、とオイラは思っていた。ところが、実は英語でも「一年の計は元旦にあり」に当たる概念があるのだ。それは”New Year’s Resolution(新年の決意)”というものだ。オイラがそれを知ったのは、忘れもしない、アメリカに来た最初の年のクリスマス・ホームステイに参加した時であった。アメリカではしばしば、クリスマスや年末年始の冬休みを孤独に過ごしがちな留学生のために、キリスト教会のいろいろな宗派がほぼ無料で冬休み限定のホームステイ・プログラムを催しているのだが、オイラはその年南部バプテスト教会の催すプログラムの紹介で、その教会に属するあるジョージア州の家族に1週間ほどホームステイさせてもらったのであった。プログラムも終盤に近い元旦のその日の朝、全米からそのプログラムに参加していた20名弱のオイラたち留学生は、年初の「日曜学校」だということで教会に集められた。その日のテーマが”New Year’s Resolution”であった。「昨年1年間を静かに振り返り、後悔していることを思い起こしてみましょう。そして、今年こそ後悔せずに済むよう、何かこの1年間守り通す決心をしてみましょう。」日曜学校のオバサンは我々にそう言うと、紙とエンピツを我々に手渡し、“一年の計”を紙に書かせた。そうか、アメリカにも同じように「一年の計」の習慣があるのか、とオイラは感心した。...で、オイラは、その前の年にいちばん後悔していたことをすぐに思いついた。それは、アメリカ人の女友達との付き合いでいまひとつ積極的になれなかったことである。だからオイラは、渡された紙に迷わずにこう書いた。”To be sexually more active.” (性的にもっと積極的になる)オバサンは、我々から“一年の計”を書いた紙を回収すると、それをひとつひとつ読み上げてコメントを始めた。...といっても、留学生の「決意」にはたいしてバリエーションはなく、どれも「英語をもっと上達させる」とか「アメリカ人の友達をたくさん作る」とか、そんなものばかりだった。「英語が上達したら、きっとアメリカ人の友だちもたくさんできるでしょう。」メガネをかけたオバサンはクリスチャンの微笑みをもって留学生に言った。…そして、彼女が次の紙を途中まで読み上げて、表情を曇らせた。”To be sexually more… a…”彼女はオイラのその“一年の計”に対し、コメントせずにお茶を濁し、次の紙に移ってしまったのであった。…アメリカに来て一年しか経っていないオイラは、その時自分が書いたことが意味するところをイマイチ分かっていなかったのだが、実は英語で「sexually active」というのは、平たく言うと「誰カレ構わずセックスしまくる」という意味なのであった。教会の、しかもキリスト教の宗派の中でも特に戒律の厳しい南部バプテスト教会の日曜学校で、「一年の計」に「誰カレ構わずセックスしまくる」などと言ってのけたのは、たぶんオイラが最初で最後だったであろう。…で、オイラはその年、たしかにこの「一年の計」を実行に移し、おかげで後悔のない1年を過ごすことができた。…誤解のないように言っておくが、決してその1年「誰カレ構わずセックス」しまくった、というわけではない。オイラが当初意図したとおり、アメリカ人の女友達に対して「性的にもっと積極的に」行動した、という意味である。ところで、オイラはそれ以来の過去10数年間、「一年の計」を立てた記憶がない。アメリカに居ても、日本に居ても、周りを見ていると「一年の計」なんてどうせ“飾り”のようなものであるような気がしてならないのだ。毎年はじめのうちは「今年こそ痩せる!」とか「今年こそ○○を勉強する!」とか意気込んではいるものの、いずれ三日坊主で、「明日からやろう」とか「来月こそは!」とか言ってるうちに、3ヶ月が過ぎ、半年が過ぎ、...また新年が来てしまうのだ。毎年コレの繰り返し(笑)。洋の東西を問わず、みんなどうせホンモノの餅をゲットするより、「絵に描いた餅」を飾って眺めている方が好きなんだよな。ひとはその“餅”を「夢」とか「希望」とか呼んで、ボケて死ぬまで手つかずのままとって置くのだなー。
2004.01.02
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年末年始の唯一の休日である今日は、掃除・洗濯と、軽く20キロ少々をジョギング。北米の、しかも日本人コミュニティの存在しないような陸の孤島にひとり住んでいると、休日だという以外、周りに日本でいう正月らしいものは何もない。…まあ、毎年のことだ。たまたま去年の年初につけていた「ジョギング日記」を見つけたので、去年の元日に何をしていたか見てみたら、トレッドミルの上で31キロを走ったらしい。バカだ(笑)。ランニング仲間と毎年恒例の「元旦ラン」なんて話はよく聞くが、元日にトレッドミルの上を延々と3時間も走り続けた自分自身のバカさには呆れかえる。それにしても、こうして振り返ってみると、マラソンの方はここ1年であんまり成長がなかったなあ。退化もしてないが、さして進歩もしていない…といったところか。…いや、マラソンに限らず、この1年で劣化・退化したものこそあれ、「進歩・成長」したものなんて、何かあるかな。もしかして、この年齢になると、何かで「この1年でとても成長した」なんてことは滅多になさそうな気がするな。(…まあ、はじめて子供を持ったりしたら、子供の成長に合わせて自分も“父”または“母”として成長するとか、会社で何か新しい役職に就いて、「管理職として成長した」なんていう“限定つき”の成長はあるんだろうけど。)考えてみると、子供の頃の「1年」とか「1日」ってのは、エライ中味が濃くなかったか?例えば「幼稚園児」と「小学1年生」というのは1年しか違わないが、ようやくひらがなを覚えてお絵かきしたりして1日じゅう遊んでいる日々と、時間割にしたがって漢字を覚えて作文を書いたり足し算引き算する毎日は、もはや別世界だよな。10代になってもそうだ。「中1」と「中2」とか、「高1」と「高2」というのは、先輩・後輩関係でいうと「奴隷」と「平民」の違いだもんな。毎日シゴかれて死にたくなっていたのが、1年経つと「シゴいて死にたくさせる側」になってたりするわけで(笑)。「1日」をとってみても、たった1日のうちに、学校で5科目も勉強したり、放課後にいろんな場所でいろんなことをして延々と遊んだり、家に帰って複数のテレビ番組を見たり、宿題をしたり…と、コドモのころは同じ日のうちに死ぬほどたくさんのことをしたような気がしないか?…ほんと、そういう意味で、人生は20歳くらいを境に「時間の流れる速さ」というのが一気に加速するよな。たとえば同じ学生でも、「高校生」と「大学生」では時間の密度や速さはすでに倍以上は違ったような気がするぞ。ましてや社会人になったら最期、「昨日」と「今日」、「先週」と「今週」、「先月」と「今月」は“金太郎アメ”みたいにソックリだし、「年」単位で言っても、役職や勤務先なんかで年によって多少の「変化」こそあれ、「劇的な成長」なんてなかったような気がしないか。…いわば、コドモの頃に1年間で経験したのと同じだけの進歩・成長を経験するために、オトナは5年とか10年とかを要している。わかりやすく言えば、コドモが小学1年時に1年前の幼稚園児の自分を振り返って自分の成長ぶりを感じるとすれば、オトナはそれと同じ感慨を得るためには5年前とか10年前を振り返らなきゃいけない、ということだ。これって、端的に言うと、時間の流れる速さがコドモの頃の5倍や10倍になっている、ということだよな。密度換算でいうと、時間(人生)の濃さがコドモの頃の「5~10分の1」の希釈で薄まっている、ということだ。…次第に薄まっていく、オイラの人生(笑)。ただ、オイラの場合、仕事はほぼ“金太郎アメ”状態だが、異国で生活することに関してはまだ「大学生並み」の時間の速度を維持できているかな。いまだにほぼ毎日「新しい単語」に接するしな(笑)。…こうして考えると、オイラがランニングにはまっているというのも、もしかしたらトレッドミルの上を走っているのと同じように、加速する時間の流れに無意識のうちに逆らっているのではないか、という気がしてきたぞ…。加速する流れに逆らうつもりで、実はその場に留まっているだけの中年のオイラ(笑)。
2004.01.01
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