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2003年08月12日
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カテゴリ: カテゴリ未分類
 今日も朝まで。そのまま起きているには疲れていると思って横になった途端寝てしまった。結局今日は編集者、ライター氏はこられず一度東京に戻って叩き台を作り、それから相談するということになった。

 明日は夕方本のことで編集者と会う。いよいよタイトルを決め、後はゲラで細かいところの修正することに。

 先月末大阪でギリシア哲学の講義をすることになったり、今書いている原稿の準備のためにギリシア関係の文献をあれこれ読み返すことになった。プラトンだけでなくアリスとレスのテキストまでもが今も机の周辺に散乱している。研究者のものでは学生の時お世話になった藤澤先生の『藤澤令夫著作集』(岩波書店、全7巻)を一番参照することが多かった。

 連日の徹夜の仕事の中、ふとタイプの手を止めてこの著作集の月報を読むと先生方のとんでもないエピソードがいろいろ書いてあって楽しめた。…当時、『道程』という雑誌があり、その合評会が開かれた。「ある夜、当時寺町通にあった森君の家の二階で、創刊号に掲載されていた梅原猛君の「闇のパトス」をめぐって、同君と藤澤君の間に大論争が、いや、取っ組み合いの大喧嘩が起った。わたしは仲に入ってこれを制止し、ために馬乗りになって梅原君を抑えつけることにもなったが、梅原君は悔し涙を流しながら深夜の町を歩いて…」(加来彰俊「往時寸描」)森君とあるのはHPの一行掲示板で話題になっているプラトンの『饗宴』の訳者でもある森進一先生。

 梅原氏は「藤澤氏と友人になり、しばしば深酒をし、果ては喧嘩口論をしたこともあったが、やがて和解し、今日まで、同世代の哲学の友人として藤澤氏の仕事を見続けてきた」(「田中ゼミのころ」)と書いている。

 梅原氏の自筆年譜には(『哲学のする心』講談社文庫所収)、「昭和二十三年 一九四八年 二十三歳 九月 京都大学を卒業、卒業論文は「時」。直線的な時間観は成り立たず、深い主体的時間を省察しなければならないという趣旨の論文であるが、西洋哲学の学習の結果を示すというふつうの卒業論文ではなく、勝手に自分の思想を書いたという論文であった。田中美知太郎先生に、心境小説といわれ、多いにムクれたが、その趣きは十分だった」とある。

 田中先生の演習に半年出たが、半年足らずで落伍したとのこと。「「悪い酒ばかり飲んで」、お互いに毒づき合い競い合っていた」(加来彰俊「往時寸描」)。この頃の先生方の様子を思うと、僕がいた頃はこんなひどいことはなかった。いいのか悪いのか。

 前にどこかで書いたが、ケーベル博士の言葉にPhilosoph muss rauchen(哲学者は煙草を吸わねばならない)という言葉がある。その後に、und trinken(そして飲む)と付け加え藤澤先生の研究室に入るためにはお酒が飲めないといけないと先輩に聞かされ、僕は心が曇った。もちろんそんなことは何も関係なかったことはすぐにわかったし、論文が書け、ギリシア語ができることだけが必須条件だった。お酒を飲めればいいなどという甘い話はなかったわけである。





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最終更新日  2003年08月13日 00時05分04秒
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