再出発日記

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2009年09月17日
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カテゴリ: 山大新聞会

ついに明かされる「再出発日記」ブロガーの過去
30年前の地方国立大学の実態

三流雑誌並みのあおり見出しを作ってみました。明日ぐらいに70万アクセスを達成すると思いますが、今回は踏んだ方には別に「記念品」はありません。ご了承ください。その替わりと言ってはなんですが、めったに「自分のこと」を語らない私が赤裸々に過去を語りたいと思います。とはいっても、私の大学時代の思い出です。しかも四年前に書いた文章を加筆訂正して紹介するので、あまりすごいということでもないのですが‥‥‥。
一部差しさわりのある人も出でくるかなと思い、あまり公にしていない文章なのですが、良く考えたら30年前のことです。大学名も、団体名も出してももういいでしょう、と思ったのです。もちろん文責は私にあります。

まえに50万アクセスだったかな、記念に私の過去を書いたときに、大学時代に新聞会に入ったことが大きな転機だったこと、本多勝一「事実とはなにか」に大きく影響されたことを書きました。そのことを今回(おそらく)数回に分けて全面的に展開したいと思います。同時に私の過去の失敗に付いて懺悔と反省をしたい。飛び飛び連載になると思いますが、左のカテゴリー「山大新聞会」を設けますので、まとめて読むときはそこをクリックしてください。(出来るだけ集中連載にしたいと思います)

‥‥‥と前置きが長くなりました。
先ずは私が1979年春、第一回目の共通一時を終えて国立の山口大学に入学して、(今まで部活動は柔道ばかりだったので、今度こそは文科系のサークルに入ろう、一番候補は新聞部だ)と思って新聞会の説明会に顔を出したところから始めます。

そのとき、教養学部の一室を借りた説明会に顔を出したのは、私を含めて初々しい顔が四人でした。編集長だと名乗った三回生のK氏は一通りの説明を終えた後、「実は部室はここから少し離れたところにあるんよ。今日はそこでちょうど新聞理論の学習会をしているんだけど、ちょっとだけ覗いてみないか」と言うわけです。もうまるきり学生だけで、立派な新聞を作っているというだけで興味しんしんだった私はいちもにも無く付いていったわけです。

新聞会の部室は大学の中にはありませんでした。(もう30年前の話です。今はどうなっているのかぜんぜん知りません。)大学から五分くらい歩いたところの普通のアパートの一室に部室はあったのです。あまり違和感を覚えなかったはずです。それまでにすでに「大学とは変なところだ」というカルチャーショックを充分受けていたせいかもしれません。緑色の鉄製の扉を開けて入るとそこは「部室」そのものでした。一部屋六畳の空間の中、左脇には本棚があり、いろんな本とともに、「78年総括」やら、「文化部」やら背表紙のあるファイルがはみ出しながら雑然と並べてあり、長机をはさんで、先輩の編集部員たち6人ほどがニコニコしながら座っていました。そいう雰囲気の中でおもむろに「定例の学習会」が始まり、その日はジャーナリズム論のバイブルというべき(私はもちろん知らなかった)本多勝一の本を読んでいたというわけです。

本多勝一著「事実とは何か」 でした。

この本はジャーナリスト論の短文を集めたものです。私が最初に接したのは未来社刊の単行本です。しかし、学習会のレポートに出てきたのはそのうちの二編だったと思う。この本と同名の「事実とは何か」(「読書の友」1968)と「事実と『真実』と心理と本質」(日本機関紙協会『機関紙と宣伝』1969)。話の筋上、この二編の内容をまず詳しく紹介します。


新聞社に就職して教えられたことに「報道に主観を入れるな」「客観的事実だけを報道せよ」がある。そのことは「その通り」ではあるが、本多勝一はベトナム戦争の取材で、そのことに違和感を抱くようになる。「客観的事実などというものは仮にあったとしても無意味な存在である。」「主観的事実こそ本当の事実である」。
つまり戦場には、無限の事実がある。砲弾の飛ぶ様子、兵士の戦う様子、その服装の色、顔の表情、草や木の土の色、土の粒子の大きさや層の様子、昆虫がいればその形態や生態、……私たちはこの中から選択をしなければならない。選択をすればすでに客観性は失われてしまいます。
そして、そうした主観的選択はより大きな主観を出すために、狭い主観を越えてなされるべきです。米兵が何か「良いこと」をしたとする。それは書いてもいい。それは巨大な悪の中の小善に過ぎないこと。小善のばからしさによって、むしろ巨大な悪を強く認識させることができます。警戒すべきは「無意味な事実」を並べることです。戦場で自分の近くに落ちた砲弾の爆発の仕方よりも、嘆き叫ぶ民衆の声を記録するほうが意味ある事実の選択だと思う。
そしてその主観的事実を選ぶ目を支えるものは、やはり記者の広い意味でのイデオロギーであり、世界観である。
「ジャーナリストは、支配される側に立つ主観的事実をえぐり出すこと、極論すれば、ほとんどそれのみが本来の仕事だといえるかもしれません」

この最後の言葉にジャーナリスト論の「ジ」の字もかじったこのない私は痺れました。

その意見に私は「反論する余地」を持ちませんでした。彼の文章のどこに反論できるというのでしょう。そうやって見ると初めて、そのころ起こっていた中越紛争、あるいは世の中の対立の「謎解き」ができるような気がしたのです。私は大学に「何か真実みたいなもの」を求めて入っていったのだろうと思います。研究室は「国史」にはいるつもりでした。歴史が好きでしたし、歴史的事実を探し出すことで真実に近づける、そんな期待を抱いていたのかもしれません。しかし、私はこの学習会でそういうものは幻想であることを突きつけられたのです。

ここにあるのは「偏見のすすめ」です。でもそういう風に世界を見ることで初めて私は「世界」を見る目を「開いた」ような気がしていました。「客観的事実というのは無いんだ」。「支配される側に立つ」とはどういうことなのか。私は「ワクワク」していました。

なぜ新聞会の部室が大学の構外にあったのでしょうか。それこそ、世の中の「対立」のひとつの例がそこにありました。

私は本多勝一の言葉に感動したのですが、大学の中では「支配される側に立つ」というような抽象的な言葉では片が付かない様な事が山ほどありました。

私はどういう立場に立てばいいのか。
そのことが私の前に立ちはだかっていました。


以下次号。





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最終更新日  2009年09月17日 23時47分08秒
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