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Myツィッターでのツイートのほとんどは、私はブログのリンクを貼った上で20字から120字ほどのブログの内容の紹介に終始している。ブログを週に5-6回更新しているからツィッターもそれぐらいツイートしている計算になる。 ブログの文章さえ作れば、あとはほとんど事務作業であり手間はかからない。ブログの文章は好きで書いているのだから苦にならない。よっていつのまにか16年以上(ツィッターを使い出したのはこの10年ほど)続いている。 言いたいのはそのことではない(益子徳一オジいサンみたいに回りくどい言い方になってしまった)。 ツイートすれば、何故かブログの「閲覧」計測器が20ほど回る。基本的にツイートに「いいね」は付かない。それでも、ツイートにはリンク先を「触る」ような機能?がついているのかもしれない。仕組みはわからない。まさか20人、無言のツィッター経由のブログ読者が居るとは私は、夢夢思ってはいない。 私は「ブクログ」という読書サイトにも登録していて(kuma0504で登録)、最近ブックリストという機能ができたので、もうこの2ヶ月でセッセセッセと10数回自分や気に入ったレビューの「リンク」を貼ってきた。それによって、もしかしたらリンク先のレビューを見た人はいるのかもしれないが、いわゆるそのレビューに「イイネ」をポチッとしたのは、1-2人なのである。ブックリストという紹介そのものに「イイネ」をポチッとしたのは総数100以上あるのに、である。 もはや日本人における「イイネ」は、「こんにちは」の挨拶程度なのだろう、と私が考えてもおかしくはない。ブックリストには、「是非リンク先を読んで欲しい」と書いているのに、「イイネ」しながらそれ以上リンク先に進まない。もし本当に読んだならば、気に入らない人以外は、その労力の証に「イイネ」するものだと私は思っている。 何が言いたいのか。 「今の人たち」は老若男女、140字ぶんしか読む気が無いのだ。いや、140字は多すぎる。せめて100字分しか読まない。 リンク先まで読む人は、そのうちの多く見積もって2/100!! 当たり前だろ! もっと先に結論言えよ! そういう声さえ聞こえる気がする。 何でみんなそんなに結論を急ぐのか? 詩人の宮尾節子が11月2日のツィッターで言っていた。 ハロウィーンの渋谷で化け物に変装した若者が、インタビューに答える。「僕のように何もわからないものが、一票を入れてはいけないような気がして」となりの化け物もウンウンと頷いている。物凄く気持ちがわかる。まともだと思う。でもそのまともが参加しないことによって。政治が暴走するのが悲しい。 ツィッターで内田樹さんが選挙分析で面白いことを書いていた。(21.11.1) 朝一の原稿書きは明日締め切りの1500字。選挙結果について書きました。最大の問題は戦後ワースト3という低投票率です。「なぜ人は棄権するのか?」。 僕の仮説は「教育の成果」というものです。子どもたちは学校で「先生が出した問いに正解する」ことが知性の運用だと刷り込まれます。 先生は問いを出した後、少し子どもに考えさせてから正解を開示します。子どもたちは問いと正解を「セット」で記憶することを求められる。問いを出されて正解を知らない場合には「黙ってうつむいている」のが正しいマナーです。誤答するより沈黙の方が「まし」と教えられる。 会社に入っても同じです。上意下達的組織では、上司の出す業務命令の適否について下僚には異議を唱える権利はありません。勤務考課についても異議を唱えることはできません。現場で遭遇した想定外の事態についても自己裁量で判断することは禁じられています。 「どうしていいかわからない場合は何もしないでフリーズする」というのが日本社会が子どもたちに刷り込んできたマナーです。 選挙は「誰に投票するのが正解かわからない」選択です。正解がわからない場合には誤答するよりうつむいて黙っている。棄権者たちはそのマナーに忠実なのだと思います。 今回選挙は、SNSでバズったところは成果を得た。良くも悪くも。 だから、「今の人たち」はテレビよりもSNSを「見て」いるのだ。けれども、深くは絶対見ない。バズらないと、炎上しないと、見ない。 そしてわからない時は、「うつむいて黙っている」つまり棄権する。そして、それが自公政権を長続きさせる。 何が言いたいのか? 「イイネ」した人のうち80/100ぐらいは、 リンク先を追え! そうじゃなければ「イイネ」するな!! いや、ホントに言いたいことは、そんなことじゃないんだけどね。 投票率が上がれば、野党共闘が勝利する。その明確な根拠が以下である。
2021年11月05日
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若い方へ 選挙には行きません。 時間がないから ではありません。 よくわからないからです。 そう言った貴方へ でも投票してみてください のお薦めです。 私だって 日本がこれから何処へ行けばいいのか きっちり答えられません でも一度も欠かさず投票してきました。 企業に忖度したり 人のお願いに折れたことは 一度もありません。 これぞ、という人に入れてきました。 秘訣があります。 ネットで 政策の比較表を見つけてください。 ひとつで良いので 自分の気持ちに1番ピッタリ来る政策を持つ 候補者(小選挙区)と政党(比例区)を 決めてください そこに投票します そこが当選しなくても良いんです 政策が結果的に正しくなくていいんです これから数年間 投票した候補者が約束通りに動いたか 投票した政党が約束通りに動いたか その政策が 正しかったのか 間違っていたのか 少しずつ少しずつ 検証してみましょう たったひとつで良いんです 次の選挙の時に 答えが見つからなくても良いんです 私でも未だ見つからない答えがあります 貴方は若いから きっと見つかります。 その過程で だんだんとぴったりの候補者、政党が 見つかってゆきます。 大変かもしれません。 でも間違っていいんです。 貴方は若いから きっと直ぐに確信持って 選ぶことが出来るようになります。 そんないい加減な選び方 邪道じゃないか! と貴方は言うのですか? 民主主義は多数派が政策を決める 正しい政策はそこにある そこに行き着く「行き方」を教えて欲しい と貴方は言うのですか? 周りの大人にいろいろ聞いてみてください 邪道じゃないし、 民主主義はそんな簡単ではないです。 むしろ 直ぐには答えが見つからない このやり方こそが 民主主義の大道なのです。
2021年10月31日
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小池共産党書記長が倉敷駅前に街頭宣伝に来たので聴きに行った。 立憲民主党の柚木みちよしが野党共闘で挨拶していた。 以前は消費税減税は間違っても言わなかったのに、コロッと消費税は5%にと言っていたのが印象的。 DVで離婚寸前の橋本岳をなんとしてでも落とし、LGBTは生産性が無いとのたまった杉田水脈の比例当選を落とすために、なんとしてでも柚木みちよしさんには勝ってもらわなくてはならない。 そして小池さんの主張の中では、 「岸田首相は成長と分配の好循環と言うが、問題は分配の中身が歪んでる。アベノミクスの9年で、大富豪の資産は6兆から24兆の4倍、内部留保を133兆積み増した。ところが、働く人の実質賃金は22万円減った。庶民の暮らしを底上げし経済を良くする、この道に切り替えよう」「命と暮らしを守る政権」へ、というのが1番心に残った。
2021年10月29日
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この間の「新型コロナの科学」という書評を、ほかのサイトでも書いたところ、 ある方からこういうコメントを頂いた。「私は科学に惑わされない。時には勘に頼ったほうがいい」この方はほかのところで「科学とは擬似宗教だ」とも書いていた。 また、ほかの方から、外岡秀俊さんのブログを教えてくれて「科学報道の落とし穴」という論文を紹介された。それを私はみて、「長々と当たり前の事を書いている」から「信頼する人」に「私の中には入らない」と返事したら、気を悪くされたのか、ほかの科学論文を紹介してきた。それを読んで、私は以下の長い説明を書いた。ちなみに、一応誤解は解けたようです。とりあえず、私のコロナ情報に対する態度が、ここに書いているので、紹介するということです。 ◯◯さん もし、◯◯さんの紹介した言論人を「私が人格否定した」ととったと思ったのならば、誤解を与えてしまいすみません。 私は書いたように、外岡さんの主張を「間違っている」と書いたわけではありません。罵詈雑言も投げてはいないと思っています。むしろ正しいことを長々と書いていると表現し、その書き方が気に食わない、だから「私が信頼する」候補にはあげないと書いたのです。(今気がつきましたが、「一般的に信頼できない人」と言ったつもりではありません) この度紹介してくれているサイト含めて、コロナに関しては日々いろんなところから情報発信されていて、玉石混交です。政府機関も、全く当てになりません。むしろ、政府機関が当てにならないところが、物事を複雑にしています。 私のように、日々コロナ情報を追うこと叶わない人間にとって、web情報やテレビ情報、雑誌情報はあまりにも情報が雑多になり過ぎて避けるべきだと「私は」判断しています(無視しても、ある程度は入ってくる。囚われないということです)。出来るだけ一冊の書物を読むだけにしたい。その一冊を私は「新型コロナの科学」に定めたのです。「本書に全幅の信頼を置く」と書いたのはそういうわけです。決して1人しか信頼しないわけではないのですが、そう軽々に「信頼する人」を決めたくなかったのです。 科学的な根拠を持って情勢を見ること自体は、とても大切だと思います。情報過多だから勘に頼る。或いは宗教を頼りにする、という方向には行きたくないと「私は」思っています。それは宗教が間違っていると言っているのではありません。これは私の「信条」だからです。若い頃から、唯心論ではなく、唯物論の立場に立つと、私は自分の信条を決めています。「神の不在は証明できない」のだから、宗教を否定することはできない。けれども、私は科学の力を信じることに「賭けた」のです。それは「科学を宗教にしていることと同じだよね」ということではありません。時々かなり厳しい判断をしますが、私は自身の責任で未来に賭けているのです。言うなれば、須藤凛々花と同じような決心です(^ ^;)。話がずれました‥‥。 山中伸弥さんの主張は世界基準である。 黒木登志夫さんの本書の内容も世界基準である。 この1年間のコロナ情報に接していて、私はそう思いました。(例えば、台湾やニュージーランド、ドイツの指導者を高く評価して、日本やトランプ、スェーデンを評価しない態度、PCR検査を拡充することが感染防止の基本であるということ)それらを見ながら、私はこの本を「基準」にしたいと思っています。もちろん、間違っていることも書いているかもしれない。でもそれは後で検証する姿勢が本書にはある。科学的な態度とは、そういうことです。 せっかくのおすすめしてくれたサイトなので、ざっとは読みましたが、そういうわけで「信頼する」候補には入りません。 ぐだぐだと長々とすみませんでした。 このように、万が一間違っていないことだとしても、 ぐだぐだと長々と読まされると、嫌になるものです。「わかりやすく書いている」もうそれだけで、その人の基準はかなり高い方だと私は思います。
2021年02月27日
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(記事とは全然関係ない岡山市の柳川冬のイルミネーション。コロナ禍で観光客誘致には繋がらなかった) 5日前の記事です。私が問題にするのは、Yahoo記事になった後の、これについてくるコメントです(山本カメラマンの行動の是非については、話が長くなるので此処では俎上に乗せません)。コメントは酷いものでした。よって私(tek‥‥)は、正当な反論を書いたつもりです。そうしたら、普段は1-2反応が来れば早い方なのに、1時間後に12も「悪いね」が付いたのです。 武装米兵が民間カメラマンに撮影中止を要求 施設外から米軍訓練を撮影 2/6(土) 11:44 琉球新報 【金武】金武町の米軍ブルービーチ訓練場で4日午前10時10分ごろ、施設外から訓練の様子を撮影していた民間のカメラマンらに対し、訓練場内にいた武装米兵が撮影中止を求めた。カメラマンらは中止要求には応じなかったという。 カメラマンらは米兵10人が武装警戒訓練をしている様子を撮影していた。うち3人の米兵が小銃を持ったまま撮影地点に近づき「訓練を継続できない」などと撮影中止を求めた。現場にいた写真家の山本英夫さん(69)は「島しょを戦場と想定した訓練をしており、撮影されたくなかったのではないか」と推測する。 米兵らの小銃に弾倉は装着されていなかったが、弾倉とみられるものを携帯している様子は確認された。日米両国が在沖米軍基地の使用目的・条件などを定めた「5・15メモ」では、同訓練場での実弾射撃は認められていない。 沖縄防衛局は本紙取材に「詳細は承知していない」とした上で「米軍が訓練などで公共の安全に配慮をすることは当然だ。訓練実施で地元への影響が最小限にとどまるよう、適切に対応する」と回答した。 更には、当日の16時間後には、このように推移します。これからどんなことがわかるか。 1時間のうちに「悪いね」を押した人たちは、おそらく「琉球新報」ウォッチャーという「コアな暇人or 雇われ情報操作者」だろうし、12人よりも数が少ないことが予想されるということです。米兵がもしかしたら実弾射撃をしていた可能性があることを「意図的に軽視するコメント」であっという間に埋め尽くし、それに反するコメントを出来るだけ早くコメント欄上位から駆逐することに生き甲斐か業務上の任務を感じている人たちだろうと推測するからです。エビデンスはない(笑)、ただそう考えればこの素早さはしっくりくるし、それに追随する全国数百人ぐらいはいるかも知れない「ネットウヨ」と言われるかもしれない人たちが書き込みをして、琉球新報のいわゆるスクープを「ニュースの森に埋もれさせる」効果があることにも納得いくのです。 こうやって「本土の人は知らない」が「沖縄の人はみんな知っている」構図が出来上がる。 こんなことを書けば(tek‥‥)が私だとバレちゃうじゃない?と心配してくれる貴方、ありがとうございます。私ぐらいになると、当局はみんな知っているだろう、と諦めているので大丈夫です。因みに、これが今日の状況です。当然のことながら沖縄では、共産党が沖縄県政に指示できるほどの票をとっているわけではないので、言わずもながですが、ホントに酷いデマです。その他の山本さんと共産党が結びついているかのような書き方をしていることも、その他いろいろ、これがフェイクニュースの典型だと思われます。これに対して600もの「いいね」が付いていること自体が、この記事に対する「エビデンス」になるのかもしれません(笑)。
2021年02月11日
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成田悠輔さんという方が、こういうことをYahooニュースで「コメント」していた。 あるメッセージを発しながら同時にそれを否定するようなメッセージも発することをダブル・バインドと呼びます。英語でdouble bindで, 二重の拘束というような意味です。 この概念を1956年に発表したグレゴリー・ベイトソンは、親からダブル・バインド状態に置かれた子どもは統合失調症などの症状を示しがちであることを様々な事例から指摘しました。統合失調症などは個人の内部からのみ生まれる問題(「心の病」)ではなく、むしろ他者との関係性の中で生じるもの(社会の病)だという発想の転換です。 「会食は自粛すべきだが会食は大事だ」という政府によるダブル・バインド・メッセージ。日本国民が統合失調症を発症してしまうのではないかと心配です。 言うまでもなく、コロナ禍のもとでの菅首相の「忘年会」を批判するメディアに向かい、加藤官房長官が菅義偉首相の夜の会食について、『感染防止策に留意しつつ継続する方向だと説明した。「感染対策と同時に、いろいろな皆さんから話を聞くのは首相にとって大切だ。批判も考慮しながら進められるだろう」と述べた。』(18日時事通信)ことを解説している。 要は社会的な『病気』なのである。個人ならば同情するが、国家の責任者が『ことごとく』このように菅首相を擁護しているので、看過できない。毒親のせいで、子供(我々)が心の病になっている。「(感染者のことは言いふらさないという事を言われているのにも関わらず)あの人たちを許すことはできない」と憤る人も私は知っている。当然何処の人かはその人は知っている。理性と感情は、国民規模で分離している。毒親の責任は、極めて重い。
2020年12月24日
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いわゆる「呪い」には、科学的根拠のないものも多いが、何千年もつかられたのだから!当然「ある」ものもある。それを科学的に説明できている、数少ない「呪い(のろい、ではなくて、まじない、と読みます!)」のひとつだろう。 のろい、と、まじない、を同じ読み方をするのを今回初めて知った! 昨晩の満月 「痛いの痛いの飛んでけ~」でホントに飛んでくワケ 10/2(金) 12:22 読売新聞(ヨミドクター) 森本昌宏「痛みの医学事典」 世の中は痛みにあふれている。多くの方々を長期間にわたって悩ませ続けている慢性痛、切り傷、やけど、打撲などの急性痛……と枚挙にいとまがない。痛みを引き起こす危険は、あちこちで息を潜めて待ち構えている。私たちは、物心がついた頃から、ドアで指を挟んだり、転んだりする度に痛みの存在を知り、その危険から身を守るすべを学習してきた。痛みを数え切れないほど経験して大人になったわけだ。 痛みの伝達には“門番”がいる 「痛いの痛いの飛んでけ~」でホントに飛んでくワケ さて、幼い頃、頭を机の角にぶつけ、母親に「痛いの痛いの飛んでけ~」のおまじないとともに頭をさすってもらっていると、目から火が出るくらいだった痛みが不思議と楽になった――そんな経験をお持ちの方も少なくはないだろう。私は、痛みの診療を専門としているものの、向う脛(ずね)を打ちつけた時などには、今でも思わず「痛いの痛いの飛んでけ~」と心につぶやきながら脛をさすってしまう。 この痛い部位をさする、圧迫するといった無意識の動作は、実は理にかなっている。こうした“おまじない”は、痛みの情報が脳へ伝わることを抑えるのだ。 1965年に、メルザックとウォールが発表した学説「ゲートコントロール説」がこの不思議を解き明かした。頭をぶつけた、向う脛を打ちつけたことによる刺激は、侵害受容器(末梢(まっしょう)神経の端に露出している痛みの受け皿)を興奮させる。その興奮は末梢神経によって脊髄の入り口(脊髄後角)へと運ばれ、さらには脊髄を通って脳の痛みの中枢である視床、大脳皮質へと伝えられる。しかし、すべての情報が脳に伝わるわけではない。 脊髄後角には門番が待ち構えていて、ゲートの開け閉めをしている。この門番とは、膠様(こうよう)質細胞と呼ばれる神経細胞で、痛み情報の脊髄への伝達を調節している。通常は、脊髄後角のT細胞の興奮がある強さに達し、痛み情報の受け渡しが行われるのだが、膠様質細胞がT細胞の興奮を静めると、この受け渡しにストップがかかる(シナプス前抑制と呼ぶ)。門番によってストップをかけられた痛み情報は、脳の痛み中枢には伝わらなくなる。 その仕組みを説明するとこうなる。侵害受容器が受け取った痛み情報は、末梢神経のAデルタ線維、C線維と呼ばれる細い神経線維によって脳へと伝えられる。一方で、「さすられている」「圧迫されている」との感覚は、Aベータ線維と呼ばれる太い線維によって伝えられる。Aベータ線維が刺激されると、門番は、「いっぱい働いたから、もうゲートを閉めちゃおっかな」と、痛みを伝える細い線維からの情報に対して門を閉じてしまうのである。 刺激の強さと痛みは必ずしも相関しない 17世紀、フランスの哲学者・デカルトは、刺激の強さと痛みの強さが比例することを唱えた。以降、これは「教会の鐘理論」と呼ばれ、支持されてきた。しかし、このデカルトの理論に反する臨床的、または生理学的事実も多く存在した。その問題を解明したのがゲートコントロール説である。たとえば、神経障害性疼痛(とうつう)の一つである「複合性局所疼痛症候群」では、末梢神経が障害を受けることにより、Aベータ線維からの情報量が少なくなって膠様質細胞の活動が低下する。その一方で、Aデルタ線維、C線維からの情報がT細胞を盛んに興奮させるため、強い痛みが生じる。つまり、この場合の痛みは、刺激の強さとは相関しないことになる。 いろいろな部位に門番が なお、慢性痛に悩まされている方は、何か別なことに集中していると痛みが軽くなることを、知らず知らずのうちに体得されているだろう。このことは、脊髄の入り口以外にも、中枢神経系のいろいろな部位に門番が存在することを示唆している。つまり、精神活動や記憶などによって、多くの門番が痛みを変化させているのである。 その他にもさまざまな痛みを和らげるシステム(生体内疼痛制御機構)が存在する。その一つに「下行性抑制系」と呼ばれる脊髄の伝達経路がある。この経路は「痛みを和らげなさい」との命令を、脳の痛み中枢から末梢に向かって逆行性に伝えているのである。また、体内には痛みを軽減する化学物質であるエンドルフィンやエンケファリンといった内因性オピオイド(モルヒネのような物質)が存在している。これらの分泌により“ランナーズハイ”がもたらされることは有名だ。 痛ければ、まずはその部位をさすってみよう。 どうしても治せぬ痛みに矢も尽きて「痛いの痛いの飛んでけ」となる 馬左宏 森本昌宏 大阪なんばクリニック本部長・痛みの治療センター長。 1989年、大阪医科大学大学院修了。医学博士。同大学講師などを経て、2010年、近畿大学医学部麻酔科教授。19年4月から現職。日本ペインクリニック学会専門医、名誉会員。日本東洋医学会指導医。著書に『ペインクリニックと東洋医学』『痛いところに手が届く本』ほか多数。現在、大阪市北区の祐斎堂森本クリニックでも診療中。 縄文時代のもので、ジンジャークッキーのような人形が複数出たが、手や足が折れていて、その破片が見つからなかったが、遠く離れた遺跡で、その破片が見つかった。 怪我や病気をしたところと人形の同じところを折って遠くのお山に捨てたと思われる。 縄文時代から「痛いの痛いの、遠くのお山へ飛んで行け。」が受け継がれてるんだなぁって思った。
2020年11月01日
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朝日新聞の連載記事。朝日は「改憲は遠のいた。それは安倍政権が自ら潰したのだ。それは傲慢があったからだし、それが世論の反発を招いた」という趣旨の記事を昨日配信したようだ。「ようだ」と書いたのは、有料記事なので、下記以外は読めないからである。 だから具体的に批判できないが、私は「傲慢(ごうまん)」のせいとは思わない。それは国民が「明確に安倍首相は戦争できる国を目指しており、国民はそれを目指さない」と自覚していたからだ。ということだと思う。 その上で、安倍首相側に「事実を誤魔化して国民をコントロールできる」という「傲慢」があったかというと、あったと思っているけど、根本はそこではない。 でも、歴史は次第と引きずられるように戦争に入ってゆくことはあったし、これからも、特に日本人はあり得ると思うし、その危険はあまり減じていないとも思う。 ともかく、今朝の朝日のリード文を見て、私の思ったことはそれだけ。 連載考 最長政権 第1回改憲機運、自ら潰した安倍政権 傲慢が招いた世論の反発 編集委員・国分高史、星野典久、菊地直己 2020/8/30 5:00 有料会員記事 絶頂期は4年前だった。 2016年7月10日の参院選投開票日。自民党本部で当選者の名前に花をつける安倍晋三首相は、カメラに満面の笑みをたたえていた。最終的に3分の2を超える「改憲勢力」を衆参両院で確保した首相は、悲願の憲法改正について「しっかりと橋がかかったんだろうと思っている」との手応えを示した。 「2020年を新しい憲法が施行される年にしたい」。こんなビデオメッセージを改憲派の集会に送ったのは、その次の憲法記念日のことだった。 だが、その橋を渡ることはなかった。06年からの第1次政権で改憲手続きを定めた国民投票法を成立させた安倍首相だが、2次政権では具体的な改憲案を国会で議論することはできなかった。28日の退陣表明の会見では、「憲法改正、志半ばで職を去ることは断腸の思いであります」と無念を語った。 なぜ首相は憲法改正を進められなかったのか。 12年末の政権奪還直後は、参… https://www.asahi.com/articles/ASN8Y7HGGN8YULZU003.html
2020年08月31日
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南スーダンの日報を隠微して、「戦闘」を「衝突」と言い逃れしたあの頃から1ミリも変わらぬ伏魔殿体質。 やがて、参加者からの発言で内容がバレてゆき、来年あたりに議事録開示となるのに違いない。 【独自】新型コロナ専門家会議の発言録入手 “検証”阻む黒塗りの壁 0 8/21(金) 12:06 配信 FNNプライムオンライン FNNは、分科会の前身で、政策決定に大きな影響を与えてきた専門家会議の発言記録を、情報公開請求で入手した。 現物は、ほとんどが黒塗りで、検証に課題が浮上している。 黒塗りばかりの文書。 これは、2020年2月の、政府の第2回専門家会議の速記録。 38ページ、1,352行にのぼるが、専門家の発言として開示されたのは、脇田座長が議題を伝えたことや、「ありがとうございます」といったあいさつなど、ごくわずか。 この会議の翌週には、政府は、全国一斉の臨時休校を政治判断として要請していて、この会議でも、何らかのやりとりがあった可能性もある。 少ない開示部分から、議題として、「学校におけるコロナ対策」が上がっていたことがわかったが、公表された箇条書きの議事概要にも関連する記載はなく、会議の内容がきちんと公表されていたかどうか、疑問が残るものとなっている。 黒塗りの理由について、内閣官房は「公表すると、率直な意見の交換が損なわれるおそれがある」としている。 「3密の回避」に「新しい生活様式」。 専門家会議は、政府の目玉政策を生み出していて、意思決定を専門家が行っているとの指摘も一時あった。 それだけに、議事録は、政策決定のプロセスを示す重要な記録となる。 しかし、会議の重要性とは裏腹に、議事録については、率直な意見交換をすることを優先し、初回の会議で概要のみ公表することを決めた。 今回、FNNでは、公開されている箇条書きの議事概要では、そのもととなった議論の詳細がわからないため、記録を情報公開請求した。 しかし、開示された速記録は、ほぼすべて黒塗りだった。 西村経済再生相「まさに歴史的緊急事態ということでありますので、記録をしっかりと残して、将来の検証、また、今後来るであろう、感染症対策にも備えていかなければいけない」 西村経済再生相は、速記録を将来的に公表する意向だが、国立公文書館に移す10年後となる見通し。 わたしたちがこの黒塗りの下を目にするのは2030年代になりそうで、歴史的事態をどう検証するのか、検討を続けることが求められる
2020年08月23日
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今月18日に、私は次のようなツイートをした。 あともう一歩。Twitterでも世論をつくれる、という実績にもなる! #週明けの強行採決に反対します #検察庁法改正案を止めよう 検察官の定年延長、法改正案の今国会成立見送り検討…世論反発に配慮(読売新聞オンライン) #Yahooニュース 結果は見ての通り。改正案も止めることもできたし(撤回はできていない)、ことの発端だった黒川検事の退職も勝ち取った(6000万円の退職金は分捕られた)。直近の内閣支持率も27%まで落ちた。 これはお隣韓国では出来ていたが、日本では出来切れていなかった、SNS世論作りの発端にすることができたということで、法案阻止以上の「成果」なのだと思っている。 ただ、不安なことがある。 「緊急対談 パンデミックが変える世界 ユヴァル・ノア・ハラリとの60分」で、紹介したハラリさんのこういう言葉がある。 民主国家は平時に崩壊しない。崩壊するのはこのような(コロナ・ショックのような)時。 「このような時」には、二つの異常事態が起こるらしい。 ・命と生活の危機。 ・権力への移譲。間違いを隠微できる。ますます権力を強化していく。チェックが出来ない。 世界では、それを裏付けるような出来事が起こりつつある。 例えばハンガリーでは、オルバン首相権限を拡大、緊急事態宣言を無期限延長をした。メディアへの威嚇も行った。 香港の運動家・周庭さんが5月22日、次のようなツイートをした。 中国政府による香港の完全破壊が始まった。昨日、中国全人代が香港に直接「国家安全法」を立法することを発表した。これは、香港の立法会で審議せず、中国政府が直接香港の法律を制定するということ。デモ活動や国際社会との交流などがこれから違法となる可能性が高い。一国二制度の完全崩壊です。 日本はそれに「くさび」を打ち付けたことで、世界史的には、事実以上の「意義」があるのではないかと思うようになってきた。 しかし、「油断」は出来ない。 個人情報が民間企業にダダ漏れになるスーパーシティ法案がやはり火事場泥棒的に参院委員会を通ってしまった。 せっかく作った「成功体験」を落としてはならない。 #スーパーシティ法案に反対します
2020年05月24日
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「十二国記シリーズ」の最終章の最終巻「白銀の墟 玄の月(4)」にこのような一節があるのを見つけた。戴国の王を補佐するNo.2のような役人が、自分の身を守る為に自分さえも誤魔化している心理を、その側近の呟きでこう表現していた。 結局のところ、嘘をついている自覚がないから、嘘そのものが粗雑なのだ。ただひたすら大声でわめくしかない。相手が根負けするまで喚き続ければ、嘘も本当になると思い込んでいる。(44p) この描写に、某国の首相を思い浮かべるのは私だけなのだろうか? 2月29日、安倍首相は、コロナウィルスに対して、突然全国小中学校の一斉休校を命じた。そして、様々な「自粛」を「要請」するという日本語としておかしなことを国民に訴えた。その時に言ったのがこの文句である。 「私が決断した以上、私の責任において、様々な課題に万全の対応を取る決意」 ところが、4月7日、質問逃れをしていると批判された次の記者会見で、珍しく外国人記者の質問に安倍首相は答えた。 「今まで世界はほとんどロックダウンしており、日本だけ天国に見えると思います。成功だったら、もちろん国民だけではなくて世界から絶賛だと思いますけれども、これまで対策を講じた中で、一か八かの賭けが見られます。失敗だったらどういうふうに責任をとりますか?」 これに対し安倍首相は「これは例えば最悪の事態になった時、私が責任を取ればいいというものではありません」と発言したのである。 彼の心の中では、「嘘をついている自覚がないから、嘘そのものが粗雑なのだ。」 この嘘自覚無し病は、コロナウィルスのように、官邸とその周りに伝染しており、科学者である専門会議でさえ、その傾向が見られる。 1日2万件のPCR検査は可能だと首相にアドバイスしたのは、もちろん科学者だろう。しかし、やっぱり無理だった。4日の発熱があってやっと検査のための電話ができるようにしましょう、とアドバイスしたのも専門家のみなさんだろう。しかし、それも2か月以上経って無しにする。 それを決めた経緯は、議事録がないらしい。よって少しずつ嘘をつき、自信満々に答えていれば、やがて本当になると信じている。責任なんて、誰がとるの? 「白銀の墟」では、次第に無気力、言われたことだけをする人間に変えてゆく妖魔が宮廷に棲みつくようになっている。その妖魔は、なんと「平和」の象徴によく使われる鳩の鳴き声に似た鳴き声によって人を変えてゆくのである。そういう伏魔殿に、官邸もなっているのではないか?そういう某国に住む国民は、ホントに不幸だろうと思う。
2020年05月10日
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2020年4月25日のETV特集 「緊急対談 パンデミックが変える世界 ユヴァル・ノア・ハラリとの60分」 が、とても面白かった。 再放送決定! 4月30日(木)午前0:00〜午前1:00 私的にメモしたことを載せる。文責は私にある。 (リード文) パンデミックのただ中で今、何を考えるべきか。先日ETV特集の中で行った海外の知性への連続インタビューの中でも、特に大きな反響が寄せられたのが、イスラエルの歴史学者ユヴァル・ノア・ハラリからの警告だった。今回はこの反響にお答えし、1時間に及んだハラリ氏へのインタビューのほぼ全体をお送りする。世界が注目する知性からの多岐にわたる現状分析と警告。そしてあるべき未来を手にするための渾(こん)身のメッセージ 出演者 歴史学者(『サピエンス全史』著者) ユヴァル・ノア・ハラリ (インタビューした日は4月2日だったと思う) パンデミックは世界の変化を加速する。 オンライン化で、世界の安い労働者が雇用されて(インドの学者がアメリカの大学の授業をする等)地元は減るかも。 組織労働者は危機にさらされる。 民主主義における危機。 (ハンガリーでは、オルバン首相権限拡大、無期限延長をした。メディアへの威嚇) 民主国家は平時に崩壊しない。崩壊するのはこのような時。 二つの異常事態。 ・命と生活の危機。 ・権力への移譲。間違いを隠微できる。ますます権力を強化していく。チェックが出来ない。緊急事態こそ、権力への監視を怠ってはならない。 テクノロジーと監視技術 パンデミックが監視の歴史を変える大きな分水嶺になる。民主国家が、こぞって監視を導入。これはコロナが去っても、次のコロナのために続く。 監視のあり方が変わる。血圧・体温、心拍数までの大規模な監視システムに変わる。私たちの感情まで知る。何処にどんなクリックしたのかどんな本を読んで、どう血圧が上がったか?ジョージ・オーウェルさえ考えなかったことだ。そのためのテクノロジーは既に存在する。ブレスレットや指輪をつければそれは可能だ。 イスラエルでは、感染拡大の防止を理由に、一般国民の情報を収集して、逮捕も出来る。私たちは、情報を政府に渡すべきではありません。もちろんパンデミックと戦うには、100%の協力が必要。イスラエルのパレスチナも政府ではなく第三者機関ならば協力するでしょう。 緊急事態が終わっても規制は続く。2011年にプディング令(贅沢品のプディングなどを規制する法律)が出された。これが未だ続いている。緊急措置は危機が終わっても一人歩きする。監視・規制は必要だ。民主的にバランスを取るのが必要。個人に渡してはいけない。必要なのは、「市民に力を与えること(エンパワーメント)」。個人に情報を公表しなくてはならない。 市民にも責任。 科学的な指針を取って判断する。 グローバリゼーションは関係ない。パンデミックはグローバリゼーションが進む前から発生していた。防ぐならば、石器時代まで戻らなくてはならない。 むしろ今は、ウイルスは世界で協力できないが、人類は世界的に協力できる点で進んでいる。危機に立ち向かうのには、情報の共有と連帯が必要。 現代は敵意や分散が拡大している。アメリカのリーダーシップはなくなった。集団的なリーダーシップを期待する。 戦争と考えるべきではない。人のケアが大切。勝利は必要ない。人を命や生活破壊から守れば、それが成功だ。 人類にとって、今回のパンデミックは? 乗り越えることはできる。結末を選ぶの私たち。、独裁をえらんだらダメ。 グローバルな民主主義を選ぶならば意味ある時だったことになる。 心をいたわり、科学を信頼したら、この危機は乗り越えられる。
2020年04月27日
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今読んでいる伊藤順子「韓国 現地からの報告」では、2017年に失脚した朴槿恵大統領のスキャンダルを詳しく解説していた。 「秘腺」(外部相談役→司令塔)の存在をJTBCテレビが、何処からか崔順実のPCを入手して一挙に広まったらしい(2016年10月24日)。 光化門広場で大統領退陣を求める蝋燭集会3万人(10月29日)。 崔順実緊急逮捕(10月31日)。 朴槿恵第二回謝罪会見。第二回蝋燭集会、20万人(11月4日)。 全国で200万人が退陣を訴える(11月26日)。 この時までは、韓国左派と右派は拮抗していたらしい。しかしこれで一挙に中間層が動いた。結局は、「ムーダン(韓国のシャーマン)に操られる国は嫌だ」「せっかく大統領に選んでやったのに」「父親が泣いている」「今こそ学生が立ち上がるときだ」という様々な、しかし殆どの韓国人を包む世論が作られたらしい。 いろいろと感想はあるが、それは本の書評の時に書きたい。言いたいのはそのことではない。日本のことだ。 アベノマスク決定の経過は、未だ闇の中ではあるが、次々とその杜撰さが露呈している。内田樹氏はTwitterでこう言ったらしい。(by中日スポーツ) フランス文学者で神戸女学院大学名誉教授の内田樹氏が22日、ツイッターで「アベノマスク」を批判した。新型コロナウイルス感染防止対策の一環で政府から全世帯2枚ずつ配布されはじめたマスクに、不良品が続出していることに感想を述べた。「こんな屑マスクを466億円も出して買った理由は、誰が考えても『日本政府が浮足立っているのに付け込んで不良在庫をつかませて大儲けしようとしたやつ』が日本政府の政策決定に関与していた、ということですよね。なんかだんだん官邸が伏魔殿みたいになってきたな…」とした。 ほとんど、アベノ官邸に、無数の崔順実がいるかの如くだ。アベノ官邸は伏魔殿である。 それでも、国会前に50万人規模のデモは起こらないだろう。と、私は断定する。ここが、韓国と日本の決定的な違いである。 こういう記事もあった。 アベノマスク、なぜ不評か 「安倍政権の議論も換気を」 安倍政権でそれができないのは、議論ではなく、忖度(そんたく)で政策が決まっているからではないでしょうか。首相はリーダーシップを発揮しようとしていますが、周りの官僚は首相が「いいね」といいそうなことばかりにとらわれて、思考放棄している。そして、民意は置き去りにされます。 優しい言い方をしているが、もはや官邸は汚染されているだろう。十二国記の中で、戴国の腐敗は、案外アベノ官邸と同じかもしれない。政権を取るまでは電光石火、凄かったが、その後の6年間は、何もせず国は滅亡一歩手前まできている。 (‥‥あ、日本のことじゃないです。戴国のことです)
2020年04月24日
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平和新聞3月5日号にショッキングなことが書かれていた。「米軍基地汚染」というと、真っ先に思い浮かぶのは原子力潜水艦の放射能汚染なのだが、権力によって完全に隠されているそういう汚染よりも、英国人ジャーナリストのジョン・ミッチェル氏が参議院院内集会で講演したソレは、一定データでも裏付けることのできる、日本国民の将来に影響を与える深刻な汚染だった。 米軍基地の汚染も、米国内では調査結果を常に公表しているが、日本ではされていない。深刻なのは、有機フッ素化合物汚染である。「泡消化剤」に使われている。PEOSとかPFOAと言われる。決してなくならない物資である。発がん性があり、幼児や胎児への発育への影響が大きい。米保健福祉省は、18年PEOSの含有上限を7ppt、PFOAの含有上限を11pptに抑えるように勧告した。そして、沖縄北谷浄水場の水道水から最高で120ppt、年平均でも44pptが検出された。現在特別なフィルターを用いて低減しているが、それでも30ppt近くある。厚労省の水質基準は、この4月から50pptにするらしい。学者は暫定目標を10pptにするように求めている。 詳しくは平和新聞を読んで欲しい。お求めは、お近くの平和委員会会員へ。
2020年03月06日
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赤旗(19.08.28)が「表現の不自由展」で中止に追い込まれた「平和の少女像」の作者キム・ソギョンさん キム・ウンソンさんのインタビューを掲載している。 この前、私が書いていることを裏付ける記事であるばかりではなく、大事なことも言っていた。詳しくは実際に読んで欲しいのだけど、該当箇所をコピペして、のちに私の意見を述べる。 金学順(キム・ハクスン)さんが実名を公表し、被害を告発したのは1991年8月でした。その時、私たちは、その事実に心を痛めつつも、被害者がいて加害者もはっきりしている、解決はそう遠くないだろうと考えていました。 しかし2011年1月、水曜集会に遭遇しました。まだ解決していなかったのかという驚きと、そのことを知らなかったという申し訳なさが募りました。集会の主催団体を探し訪ねると、支援者から寄付を募り「平和の碑」建立プロジェクトが進行中で、芸術家としてできることをやろうと決意しました。 再展示求める声に希望 芸術家たちの表現の自由が守られることは民主主義の基本です。「表現の不自由展」で、少女像が最後まで展示することができれば、日本に民主主義があるということが証明されると考えていましたが、そうはなりませんでした。 短い時間でしたが、私が会場にいて感じたのは、日本の市民の成熟した姿勢です。 説明を熱心に読みメモをとる人や、ハルモニたちの境遇を思って涙しながら鑑賞する人もいました。多くの人から「展示してくれてありがとう」「反日の象徴だと誤解していた」と声をかけられました。中断している「不自由展」の再開を求め行動する市民もいて、被害者の人権を無視している安倍政権とは違うと感じ、本当にうれしく思いました。 反日ではなく共感 少女像の隣には誰も座っていない椅子を置きました。亡くなったハルモニたちが隣で見守っているよ、という意味があります。そして通りかかった人が、なぜここに椅子があるのかと考え、座って少女像の手を握り、ハルモニが夢見る平和を想像したとき、この作品は完成します。 実際に作品を見た人が「反日の象徴だと誤解していた」と感想を言ったことは重要である。少女像は貴方を嫌っているのではない。「私を知って」と願っているのだ。 「反日ではなく共感」の小見出し通りである。 「 芸術家たちの表現の自由が守られることは民主主義の基本です。「表現の不自由展」で、少女像が最後まで展示することができれば、日本に民主主義があるということが証明されると考えていましたが、そうはなりませんでした。」 ホントにそうだったと思う。反対に言えば、現代日本は民主主義の基本が損なわれていることを明確に自覚しなければならないということだ。ある程度は「そうではないかな」とは思っていたが、結果をこのように示されると少なからずショックだ。普通理系ではなく社会系のことは、リトマス試験紙みたいなもので検証することは不可能だが、これはそれが出来たということだろう。 日本は表現の自由が守られていない、民主主義実現未満の国である。 私たちは、この認識をしながら生活をしなくてはならない。
2019年09月08日
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あいちトリエンナーレで「表現の不自由・その後」に出品されていた「平和の少女像」(俗称・従軍慰安婦像)の展示等が、大阪市長や名古屋市長などの公権力からの圧力と「ガソリンまくぞ」という脅しFAXが直ぐに警察が動かない事を知らされて、遂に中止に追い込まれた。表現の自由への侵害と公権力からの検閲・圧力という点で、憲法違反の事案だとは思うが、今回は展開しない。 取り上げるのは、中止するかどうかが懸念されていた時に、ツイート上に展開されていたフェイクニュースが、今も根強く拡散され続けていることである。 それは例えばこんなツイートだ。 アメリカ軍装甲車にひかれた少女は2人いて、空いてるのはもう1人のひかれた少女の像を作って座らせるところだったのが、作りかけで世に出されて、なぜか反日プロパガンダに使われているかわいそうな少女というのは結構知られています。学生ボランティアの方に伝えていただければと思います。 このツイートは、私が(平和の少女像に)「昨年冬に初めて逢いました。学生ボランティアが24時間体制で、ガイド兼守っていました。隣は、一緒に座るために椅子があることを知っている日本人が如何に少ないことか。」と、本当の意図をツイートしたものに対して某氏がツイートしてきたものです。この写真は悪質だ。あたかもこのように展示されるのが意図されていたかのように加工したものである。同じオカッパだし、隣の椅子が空いているのはわけわかんない、と思っている若者にストンと落ちるように作っている。 完全なデマである。写真でしか見たことがない人はコロリと騙されるかも(この某氏もホントに信じてツイートしてきた可能性が高い)。しかし、芸術作品は、直に見ないとわからないことが多い。この作品はその最たるものだと思う。 私の意見を言う前に、この「噂」に対してちゃんと反証した記事がある。そこには、根拠のない噂であるし、いろんな証言からデマであることを立証している。 文春も報じた「慰安婦像の正体は米軍事故被害者」は完全なデマだった! 官邸とネトウヨ情報に丸乗りし印象操作 (2017年12月7日) - エキサイトニュース しかし、そんな記事を読む前に私はこれがデマだと直ぐにわかった。なぜならば、2点の点で(前掲記事に触れられていない)、他の塑像を作り変えたとは到底思えないからである。 1つは、この彫刻の後ろには明確に中学生ではなく「老女」の姿の影が刻印されているからである。しかも、自由の象徴である蝶を胸に潜ませている。この像が、元従軍慰安婦を表していなくて何なのだというのであろうか? 1つは、あの米軍装甲車女子中学生事件は、私もよく覚えている。私が韓国によく行き始めた頃の事件で、街中で何度もソウルの人たちのデモに遭遇したからだ。それは2002年の秋、21世紀に入った時のことだった。しかしながら、この像はチマチョゴリを着ているのだ。明らかにおかしいだろう。21世紀の女子がチマチョゴリを着て通学するか?万が一頭だけが、作家が彼女をモデルに作りかけていたとしても、ここまで違えば、それは芸術の常識として「作りかけで世に出されて」ということでは絶対にない。もちろん、先のエキサイトニュースを読んだらわかるように、作りかけを流用したというのは、何処にも根拠のない、オカッパだけの頭が似ているだけの、「デマ」なのである。 芸術作品は、直に観てどう感じるか、が全てである。直に観たらわかるように、少女はまるで生きているかのようであり、しかも品がある。全ての無垢な少女の象徴なのだ。観てもないのに、反日だと「批判」する輩は、映画を観てもないのに「面白いはずがない」という輩と同じ穴の貉である。そういう輩を私は軽蔑する。私は映画を直接見ないで批評したことはない。その他の芸術作品も同じである。 こういう「フェイクニュース」が、何度否定されても、まるで鬼の首を取ったように、今回何度も何度も拡散されている。その拡散が、今回、戦後最悪の部類に入る「表現の不自由」の結果になった。 おそろしい、と思う。 おそろしい時代になっている。
2019年08月10日
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個人的な話から始めて申し訳ない。「東京の子」を読んで思い出した。私の奨学金の話をすると、最近の人たちはみんな「ウソでしょ」という顔をする。「私の貰った奨学金は当然無利子だったし、半分ぐらいはタダだった。だから、確か年間9万円ぐらいしか返さなかったし、ボーナスの一部を充てるだけで済んだし、最後の3年はいっぺんに返したから30歳前後で返し終えた」「月いくらもらっていたの?」「確か5万円だったと思う」「それ!よっぽど優秀だったんでしょ?」「そんなことないのは、今の私見たら分かるでしょ」「家はそんなに貧乏だったの?」「確かに汲々だったけど、苦学をした覚えはないよ。あと3万円も仕送りをしてもらっていたし、月1万円の借家に住んで一切バイトはしなかった」(どうやら80年代始めの日本育英会特別奨学金制度・国立大自宅外通学の枠に潜り込めたらしい)この無利子給付型奨学金が今は無くなっているのは、最近姪のために奨学金保証人の判子をついたことで思い知った。現在の奨学金制度は、もう完全にサラ金じゃないか!奨学金って、国民の教育の権利を守るための制度じゃないの?教育の保証は国の根幹制度じゃないのか?現在国立大の学費は四年間で242万円、私立系大学は395万円、私立系理系大学に至っては538万円だ。私の時は、四年間で30ー50万円だったと思う。それでも、両親にとってはかなりの負担だったはずだ。私の大学3年の頃に、学費値上げ反対運動があり、13数年ぶりに大学教授会と共闘をしたことがある。何故覚えているかというと、その時私は新聞会部長として、生涯初めて人前で演説をしたからである。それなのに、なんとかなるだろうと思って一切原稿を用意しなかった。グダグダになって、教授会からかなり叱責された。もう二度と演説なんて止めようと思った。教授の誰かが、「初めてなんで仕方ないよ」と言ってくれたのを覚えいなかったら、ホントに全ての運動から手を引いていたかもしれない。閑話休題(^^;)。それでも、そのあと学費値上げは実行に移され、そのあとどんどん値上げされて現在に至る。あの時の、値上げ反対運動は、ものすごく重要だったのだ、私は事前にきちんと準備して演説しなくてはならなかったのだ、と今更ながらに思う。自公政権が続けば、本気で教育を受ける権利を保障するという政策はとらないだろう。もしあるとすれば、政府の都合のいい人間を作るための奨学金制度しか作らないだろう。こういう政府は変えなくてはならない。その意味でも、若者いや全ての国民は、自公維以外に投票して欲しい!
2019年07月17日
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参議院選挙が始まった。私は始まる前に「選挙で棄権しようと思っている貴方に 」と題し、ともかく投票に行ってほしい、と訴えた。「誰に投票していいかわからない」という方は、「安心して」自民党、公明党、維新の党以外の政党に、「目をつぶって」投票して欲しい。と、訴えた。もちろん、インターネットで政策を比較検討できる人はぜひそれをしてもらいたいが、それがどうも面倒で結果投票に行かない、という方にむけて再度お願いする。わかりやすい表を手に入れたので、お見せする。現在の国政選挙の投票率はずっと52-53%で低迷している。それでどういうことが起きているのか。事実を見てほしい。自民の「絶対」得票率はわずか17%で自民の議席獲得率は60-61%とおおきく過半数以上を獲っているのである。結果、自民の大勝が続いている。もう一回見てほしい。自民党に対しては83%の投票者は投票していないのだ。それなのに、この7年間自民党の圧倒的多数の議席に依拠した強行採決に次ぐ強行採決の暴力的政治が続いているのである。貴方はこれをおかしいとは思いませんか?この不思議なからくりのネタは小選挙区制度というもののせいである。詳しいことは、インターネットの中にいくらでも解説がある。注目すべきは2009年だ。投票率が69%と17%高いだけで、自民党の絶対得票率はほぼ変わらないのに、議席獲得率は24%と激落ちしているのである。貴方の一票一票が得票率を上げる。できたら、貴方だけではなく恋人や家族を誘って投票してい欲しい。現在は期日前投票はかなり気楽にできるようになっている。その一票一票は「投票していも政治は変わらない」と思っている貴方の価値観を大きく変えるだろう。ぜひともお願いしたい。投票場に行ってほしい。こんなに減った会社員の手取り(ニュース23 より)7党の党首討論において、冒頭安倍首相の発言「現役世代の勤労世帯については、月、3万円増えてますから」 ホントか?
2019年07月10日
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私はなかなか世間話として選挙の事を話すことが出来ない。社会に関心ない人にも、社会は容赦なく影響を及ぼす。それをなんとかすることができるのが「選挙」という制度なのだが、そういう事をストレートに言いそうになって、何度か「白けた」経験があって、つい言葉が少なくなるのだ。けれども、最近2度ほど「選挙はいつも棄権している」という人の意見を聞いた。何故行かないのか。「だって、選挙に行っても何も変わらないでしょ」。やはり、私は「それは現政権を追認することなんですよ」と言った。場は白けた。あと議論も含めて、10-15分時間あれば、有意義な時間が持てたとは思うが、それが出来そうにないので悩ましい。以前にも同じことをこの場で書いたことがある。この時は選挙の後に書いた。今回は、選挙の前に書く。5分私に時間をください。棄権あるいは白票を投じた人たちへ(2017年10月23日 )この棄権有害論については、今も同意見だ。 また、白票についても「白票で政治家を変える」というツイッターアカウントでは、以下のように主張しているのを最近読んだ。投票しなければ意思は伝わらないのに、若者の棄権者は多い。それは投票のハードルが高いから。もし棄権者全員が白票を入れれば、選挙への関心が政治家に伝わり、政治家は若者向けの政策を打ち出すだろう。その結果、若者にとって政治は親しみやすいものとなる。それからでも政党を選ぶのは遅くない。だから、白票は意味があるのだ、ということだ。もちろん、意味がないわけではない。でも、「白票のおかげで」棄権者の投票率が目に見えるように向上しない限り、「政治は一切変わらない」ことも知って欲しい。私は白票は、反対だ。今回、47%という投票率を絶対に下げさせてはいけない。必ず自公政権の勝利に繋がり、それは「年金以外に2000万円用意」を追認すること、その他「最低最悪の自公政権」を追認することになるだろうと思うからである。投票率は絶対あげなくてはならない。「入れる政党がない」という気持ちもわからないでもない。でも、少し考えて欲しい。安倍晋三とメディアは、「民主党の最低最悪の3年間」と言って、根本的な検証もしない。多くは、自民党政権時代の負の遺産を3年間では解消できなかっただけというのに。残念ながら、「今回の選挙では」いくら野党が勝っても、政権交代の可能性はない。それは私が保証する。もし、今回の選挙で政権交代が起きたならば、このブログを閉鎖してもいい。だから、「誰に投票していいかわからない」という方は、「安心して」自民党、公明党、維新の党以外の政党に、「目をつぶって」投票して欲しい。それで、投票率が60%を越えれば必ず「選挙に行けば政治は変わる」ことが経験できる。貴方は歴史に爪痕を残せるのです。市民連合のパンフレット表紙があったので、それを付す。
2019年06月30日
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以下に掲載したような記事を見つけたので、コピペしたうえで、私の感想を述べる。東京23区内だけでも、「1987年には、男性788人、女性335人であったものが」「2015年には、男性4995人、女性は2683人」に膨れ上がっていることにびっくりした。それを敷衍すれば「わが国では、年間孤独死3万人、1000万人が孤立状態」というとになるのだろう。様々な要因が考えられるとは思うが、それはレポーターの著書を読んだときにまたコメントしたい。記事を読んで思ったのは、「若年孤独死」は、私にもあり得るなということだ。さゆりさんは約10年で「ボランティアもしたい」という意欲から「ボツコミュニケーション」になって三ヶ月死を知られなかったという状態になった。それほどまでに、現代は一人になっても気づかれないということなのか。今でこそ、私は今現在突然連絡が取れなくなったら(仕事関係から)一日で探し始められるという自信がある。SNS関係で、一週間で周りの人が動き出す可能性もあるだろう。そういう意味では、私は知らぬ間に「セーフティネット」を構築していということなのだろう。反対に言えば「スマホを落としただけなのに」で描かれたように「なりすまし犯罪」に巻き込まれる可能性もあるわけだが。しかし、実際はそんなにひどいことにならない間に気づかれる関係性は築いている。やはり、人間は人と人との間に生きる生物なのである。孤独死した40代女性が日記に綴った叶わぬ願い男性より見抜きづらい、女性の孤立2019/05/26 16:00「週刊女性PRIME」編集部わが国では、年間孤独死3万人、1000万人が孤立状態にある──。自著『超孤独死社会特殊清掃現場をたどる』(毎日新聞出版)の取材において数々の特殊清掃現場を取材したが、とくに、高齢者と違って地域による見守りなどがない60代以下の現役世代の孤独死は深刻だ。孤独死の8割はセルフネグレクト(自己放任)だと言われている。ゴミ屋敷に代表されるような、自分で自分の首をジワジワと絞めていく、いわば自らを殺すような緩やかな自殺行為だ。ある40代女性の悲しき孤独死今回は、ある40代女性の孤独死の一例をご紹介したい。八王子市の一軒家に住む40代の牧田さゆりさん(仮名)は、孤独死して3カ月以上も発見されなかった。当記事は「週刊女性PRIME」(運営:主婦と生活社)の提供記事ですさゆりさんは両親が亡くなった後、実家で独り暮らし。東方神起の熱狂的なファンで、ポスターが壁の隅々まで飾られていた。部屋のいたるところに、CDやDVDなどの東方神起のグッズがみっちりと詰まった段ボールが山積みになっていた。この現場の特殊清掃を手がけた武蔵シンクタンクの塩田卓也氏が、遺品を1つずつ整理していくと、棚には、ホテルの領収書や新幹線のチケットがバインダーに丁寧に整理されている。どうやら、さゆりさんは、元気な頃は熱心に地方公演の遠征をしていたらしい。棚にあったアルバムをめくっていくと、ハワイ旅行でピースサインをする無邪気なさゆりさんの姿がそこにはあった。20代後半には、彼氏と思われる男性とともに、満面の笑みを浮かべている。アルバムには、彼氏にあてたラブレターや記念日のカードが挟まれていた。そしてその横には、4冊にもわたる数年分の日記帳が立てかけられていた。日記帳によると、さゆりさんに異変が起こったのは、30代の前半だった。肝臓に疾患が見つかり、最愛の彼氏との結婚を断念。その頃から、病弱になり徐々に家に引きこもり、セルフネグレクトに陥っていく。さゆりさんの両親はすでに他界していて、兄とも長年疎遠、誰も頼れる人はいなかった。そのため、さゆりさんは、たった独りで病魔に向き合わなくてはならなかった。LDKには、かつて思いを寄せた男性を描いたと思われる絵が残されており、さらに男性にプレゼントしようと思ったのか、男物の毛糸のセーターや、マフラーなどの編み物がホコリをかぶっていた。たった独りで闘病生活を送っていた初期の日記には、彼女の闘病への決意が綴(つづ)られていた。『病気を乗り越えて、人のためになれるようなボランティア活動をしていきたい。そして、幸せな家庭を築きたい』しかし、その思いは日を追うごとにトーンダウンしていく。『もっと私が元気だったら……生まれ変わったら、今度は、結婚したい』さゆりさんのあまりにはかない、そしてささやかな願い──。しかし、それはかなうことはなかった。そして、亡くなる1カ月前には、自らの病への苦しみや戸惑いを記したものが多くなっていく。『お腹が痛くて、下痢が止まらず、身動きがとれない……。これからの自分は、どうなってしまうのだろう……』日記は死亡推定日時の4日前で途絶えていた。『今日は、お腹が痛くて、あまりよく寝れなかった。倦怠感もひどい……』それは、さゆりさんが力を振り絞ってしたためた最後の文章だった。さゆりさんは、病気のことを誰にも告げずたった独りで闘病し、最後はトイレの中で崩れ落ちるように息絶えていた。直接の死因はトイレで排便中にいきんだことによる、急死。しかし、誰も頼る人がいないという状況が彼女をむしばみ、死期を早めたのは明らかだ。さゆりさんの遺体が見つかったのは、真夏を過ぎて、秋に差しかかった頃だった。2階の窓から、大量のハエが見えることを心配した近所の住民が、警察に通報して孤独死が発覚。死後3カ月が経過していた。ひと夏を過ぎたさゆりさんの体液は、トイレと脱衣所の床一面に染み渡り、大量のウジとハエが発生していた。さらに体液はクッションフロアをとうに突き抜けて、ベニヤや断熱材、建物の基礎部分まで浸透していた。遺体が長期間発見されなかった場合、このように、建物の深部まで体液が浸透するケースも多いのだという。塩田氏は、さゆりさんの死について、無念な思いを語る。「さゆりさんが愛していた彼氏と一緒に人生を歩めなかったこと、肉親を頼れなかったことが、病気だけでなく彼女の精神をむしばみ、死を早めてしまったんだと思います。さゆりさんは、40代という若年層ということもあり、地域包括支援センターなどの見守りの対象者ではない。また、戸建て住宅は、賃貸物件と違いプライバシーの問題で、近隣の住民が立ち寄らないことも多い。それがなおさらご遺体の発見を遅くしたんだと思います。ご本人の孤独な境涯が死を早めるんです。心を閉ざして、人生さえ早く幕を閉ざしてしまう。本当に切ないです」現在、この住宅はリフォームされ、別の住人が住んでいるという。東京23区では1日あたり約21人が孤独死東京都監察医務院では、孤独死を「異常死の内、自宅で死亡した一人暮らしの人」と定義している。通常、人が亡くなった時点で病死と判明している場合は、自然死として処理される。異常死とは、そもそもの死因が不明な遺体のことだ。この異常死に該当すると、解剖などが行われることになる。東京都監察医務院は東京23区内で異常死が出た場合に解剖を行う機関だが、そこでは、この「異常死」のうち、自宅で亡くなった数を孤独死としてカウントし、その統計を毎年公表している。この統計が孤独死の数を知る数少ない手がかりとなっている。それによると、東京23区において1987年には、男性788人、女性335人であったものが、ほぼ20年後の2006年になると、男性では2362人、女性では1033人となっており、20年前に比べて約3倍にも膨れ上がっている。2015年には、男性4995人、女性は2683人とある。1年間に、東京23区において、総数7678人が孤独死しているということになる。東京23区に限定しても、1日あたり約21人が孤独死で亡くなっているのである。女性の孤独死の特徴としては、部屋の洋服や紙などの物量が多いという特徴がある。心が雪崩のごとく崩壊し、家の掃除をしなくなり、部屋の中を徐々にゴミが占拠していく。なかには、衣類を天井ほどまでためこんだ女性もいた。女性の孤立は男性より見抜きづらい部屋が汚くなると、人を招き入れなくなるという悪循環が起こる。とくに現役世代は、健康を害してしまうと誰にも気づかれず、セルフネグレクトに陥り、命を脅かすようになる。身内との縁が切れていたり、近隣住民からも孤立しているという特徴もあり、なかにはペットとともに亡くなっているケースもある。行政も捕捉が難しいのが現状だ。度重なる遺族や現場の取材から、男性がパワハラや失業などいわば、社会との軋轢(あつれき)から、セルフネグレクトに陥るケースが多いと感じた。しかし、女性の場合は、さゆりさんのように、失恋や離婚の喪失感、病気など、プライベートな出来事をきっかけに、一気にセルフネグレクトに陥りがちだ。また、責任感の強さから、誰にも頼れずゴミ屋敷などのセルフネグレクトになり、孤立してしまう。数々のエンディングサポート業務を行っている遠藤英樹氏は、女性の孤独死についてこう語る。「女性が1度、世間から孤立すると他人が見てもわかりづらいのは確かです。まだ自分は大丈夫だと仮面をかぶるからです。しかし実際は、雨が降ると外に出たくなくなり、身体がだるいと動きたくないという狭間で、そのギャップに苦しむ。そんな自分に嫌悪感を覚えて自己否定が始まり、最後に精神が崩壊する。女性の孤立は、男性の孤立より、見抜きづらいと思います」孤独死の現場を目の当たりにすると、筆者自身、同じ女性としていたたまれない思いを抱いてしまう。それは、孤独死は筆者とも無関係ではなく、むしろ、誰の身に起こってもおかしくないという思いを強くするからだ。筆者自身も含めて、誰もが人生の些細なつまずきをきっかけとして、孤独死という結末を迎えてしまう。さゆりさんの死は、孤独死は決して他人事ではないということを私たちに突きつけている。■プロフィール菅野久美子(かんの くみこ)1982年、宮崎県生まれ。ノンフィクション・ライター。著書に『大島てるが案内人 事故物件めぐりをしてきました』(彩図社)、『孤独死大国 予備軍1000万人時代のリアル』(双葉社)などがある。最新刊は『超孤独死社会 特殊清掃現場をたどる』(毎日新聞出版)。また、さまざまなウェブ媒体で、孤独死や男女の性にまつわる多数の記事を執筆している。
2019年05月27日
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千歳楽というのは、この地方に伝統的に伝わる山車(だし)のことである。秋のお祭りに毎年出されるが、今年はこういうとをするらしい。もちろん各町内会で「自主的に」決まったことだろうから、表現の自由の観点から私ごときが「出すべきでない」とか云々いうような筋合いではない。実際行ってみると、みんな愉しんでいたので、大いにやるべきだとさえ思う。ただ、このチラシにはひとこと言っておきたい。1937年の南京陥落をうけて、日本各地で行われたというちょうちん行列、あるいは全国各地で行われた青年の出征行列と、その精神構造において、ほとんど変わっていないのではないか?もちろん戦中に生きていた人間が町内会で意見を言うようなことはない。今生きて町内会の役員をしているどんな人たちも戦争を知らないはずだ。だから、このチラシは、当時の精神を知らない人間が「ものまね」をしたのである。しかし、その間の70年近くの「民主教育」「平和教育」とはいったい何なんだったのだろうか。気になって、集合場所に行ってみた。連島町どころか、水島地区全体の千歳楽が二つの子ども神輿含めて11体集まっていた。人出は乗り手とその家族含めて200人程度だろうか。このあと各町内会に戻って午後にかけて町内を引いていく。幾分酒も入ってみんな楽しそうだったが、予想通りの人出だと思う。神社ではこの日のためだけに新調したのぼりがはためいていた。地域からご祝儀がどのくらい集まるかで、実際の成功失敗が決まると、私は思うが、もちろんそこまで調べる手立てはない。
2019年05月01日
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元号が決まった日は、一日中映画を観ていた(三本ハシゴをした)。テレビも何もかも元号一色になるのが嫌だったからだ。案の定そうなっていた。私には既視感がある。1989年の1月の数日間である。あの時は、CMも「自粛」されていたから、余計に息苦しかった。私は「元号なんて、もう二度と使わない」ということを謳った「詩」を書いて、職場の「職員交流」を目的にした会報に投稿して、それが載った。自由な職場だから当然だと思っていたが、あとあと私ではなく、会報担当者が上司から叱責されたということを聞いた。「取引先にも配られてているのだから、こんな詩を掲載する時は気をつけるように」と言われたらしい。思えば、この経験があの職場に見切りをつける始まりだった。実際に去るのは、それから16年も経った後なのではあるが。私はホントにその後ずっと元号は頑なに拒否した。けれどもある時からは使い分けるようにはなった。公文書作成で、選ぶことが出来ない場面が増えたからである。加藤周一は、「廃元号論または『私と天皇』の事」(『言葉と人間』(1977年))において、元号を廃止した方がいいだろう、と述べる。根拠は3つ。(1)元号の存在が人民主権から逸脱していること。(2)元号の文化的歴史的印象が西暦でも代替できること。(3)西暦の方が便利であること。(1)については、日本共産党も「元号は、時を皇帝が支配するという中国の考え方からきているので、国民主権の憲法に馴染まない」と言っている。私は規模的に賛成だ。(2)については、「平成の時代」という表現は必要だから、元号は残した方が良いと言う人もいる。。加藤周一は言う。「しかしそういう反論をする人々の何人が、たとえば美術史家のしばしば用いる「弘仁仏」「貞観仏」という表現と、「九世紀の前半および後半の仏像」という表現の、どちらを容易に理解するだろうか」。「〜の時代」という言い方は、私は必ずしも元号は必要ない。と思う。江戸の庶民には元号は全然一般的ではなかった。一般に使われていたのは元号ではなくて、干支である。丙午などの歳は、60年に一度やってくる。それならば、文章前後の意味で誰でもわかるからだ。江戸時代では、元号は幕府の意向できまったので、4人の天皇の代始めの改元はなかったらしい。改元のお知らせなどは、庶民までは届かなかった。代始改元が決まったのは、明治からである。「平成の時代」は、現代メディアが作った「幻想」である。テレビの製作者も、それを重々承知しながら、視聴者にミスリードさせている。私は、それが気持ち悪くて仕方ない。(3)は、圧倒的に西暦の方が便利だ。「西暦もキリストの誕生日を記念して作られたに過ぎない」という批判がある。その通りだ。でも「時を支配者が支配する」という思想はない。それでも、メディアは、改元が当たり前という前提で報道する。それが気持ち悪くて仕方ない。
2019年04月03日
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昨日は急きょ400万アクセス達成お礼の記事を書いたので、この記事が一日遅れましたが、まあ急ぐことでもないのでそのまま載せます。 ブログなどに、一回だけ写真や記事をコピペする「軽微な著作権物のコピー」の全面違法化(DL規制拡大)は、今国会には見送られる公算になった。「『なぜ自民は了承したのか 首相の「鶴の一声」で違法DL項目削除へ』2019.3.8 07:27(産経新聞)」によると、以下のように書いている。 首相「漫画家を保護するための法律のはずなのに、別の意図を持った法律になっているじゃないか」 首相は即座にDL規制拡大の項目削除を指示した。このまま総務会の了承を得て改正案を閣議決定すれば「首相はネットでの言論弾圧を狙っている」との批判を浴びかねない。そう考えたからだ。まるで安倍首相が、悪法を水際で止めたかのような書きぶりだ。しかし、この水際が明らかになったのは、ほんの四日前に「「賛成意見を水増し」DL違法化、専門家が文化庁を批判 上田真由美 2019年3月4日5時2分」という記事が出たように、審議の異常がメディアによって明るみになり、自民党総務会での閣議決定の了承が見送られたためだ。「ギゾー・ネツゾー・安倍晋三」の真っ当な批判をかわすためである。言うまでもなく、今まで何度も発覚した「偽造・ねつ造」は、首相の関与・不関与関係なく、首相の政治方針がもたらした、首相の責任結果である。今回の水増し偽造も、それがわかった段階で、首相の責任には免れない。産経記者も、それは気になったのか、自民党の文部科学部会や政策審議会議員の不手際だと責めている。「安定政権が続き、自民党に慢心が広がっているのではないか。わけても「言論の自由」に関わる法案にはもっと目を光らせてほしい。」と苦言を呈している。責任問題を首相まで持っていかないための書き振りであるが、今までの産経の姿勢と比べると少し切り込んでいるかな、とも思う。否、そう書かざるを得ないほどに、追い込まれていると言う見方もできるのかもしれない。全国のブロガーよ、まだ法案が完全に潰れたわけではない。統一地方選挙や参院選で息の根を止めよう!
2019年03月10日
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一体どこまでアベシンゾーのために忖度していけば気が済むのか。しかし、今回の企みはブロガーにとっては看過すること能わずの事件である。「軽微なスクリーンショットやコピー&ペーストなどは適法と考えられている」という国際的潮流を無視して、機械的にすべてを違反にしてしまえば、今までのようなこんな記事の紹介もできなくなるのではないか。そんな疑問も、解消されないままに、またもや「強行採決」されたらたまらない。全国のブロガーよ、団結せよ。貴方たちの問題なのだ。「賛成意見を水増し」DL違法化、専門家が文化庁を批判 上田真由美2019年3月4日5時2分ダウンロード違法化拡大、自民総務会が了承先送り 権利者の許可なくインターネットに上げられたと知りながら漫画や写真、論文などをダウンロードすることを全面的に違法とする著作権法改正を進めようとしている文化庁が、自民党に正確ではない説明をしたと指摘する「検証レポート」が3日、明治大学知的財産法政策研究所のホームページで公表された。 自民党の文部科学部会などは先月こうした説明などをもとに法改正を了承したが、反対意見も根強く出ている。党の最高意思決定機関である総務会は1日の会合で、関係者への説明不足などを理由に異例の了承先送りを決めたばかり。与党に不正確な判断材料を提供していたとの指摘は今後の議論に影響を与えそうだ。 今回の検証は、違法とする行為をもっと絞り込むように緊急声明で求めていた著作権法の専門家らの一部が行った。法改正について議論した昨年10月から今年2月までの文化審議会の会合でどんな意見が出たのか、自民党議員らに説明するために文化庁が配った資料を入手して分析したという。その結果、自民党への説明で主に以下の問題点があったと指摘した。賛成意見を水増しした 文化庁は、法改正の方向性をまとめた2月の文化審議会著作権分科会でどんな意見が出たのかを紹介するため、発言者の名前を伏せて「慎重な意見」を三つ、「積極的な意見」を七つ、説明資料に載せた。 慎重な意見については、8人の委員の連名で慎重な検討を求める意見があったことも付記されてはいたものの、分科会の議事録と照らし合わせると、法改正に「積極的な意見」のうち【学者】の発言とされた四つが、1人の2回にわたる発言を論旨ごとに四つに分割したものだったという。 また、文化庁が示した方向性に賛同している委員の意見は余すところなく紹介しているのに、「慎重な意見」を出した4人の意見は省略し紹介すらしていない▽紹介した慎重派2人の意見についても重要な部分を省略している▽別の慎重派2人の意見の一部を切り取って、積極派であるかのように誤解させている――とも言及。全体として「積極的な意見は少数派であるにもかかわらず、多数派であったような誤解を誘っている」と指摘した。 「政策判断を行う上で、審議会における議論の状況を正確に把握すべき立場である与党に正確な情報が提供されていない点は、立法過程における極めて重大な問題をはらんでいる」と批判している。「諸外国の取り扱いも踏まえ」法改正するとの説明←比較対象国の選定がフェアでない 文化庁が配布資料で、ドイツやフランス、カナダなどの「諸外国」を引き合いに出し、著作権侵害物のダウンロードを全面的に違法とすることが国際的な潮流だと読めるような説明をしていることについても、「比較対象国の選択がフェアではない」と指摘した。 米国や韓国、台湾、シンガポールなど、公正な利用と認められれば権利侵害にはならない「フェアユース」の規定を持つ国もたくさんあり、軽微なスクリーンショットやコピー&ペーストなどは適法と考えられているためだ。こうした国々について「なぜ参考にしないのか、理由が不明」だと疑問視。ドイツなどの実情についても都合のいいところだけを紹介した「つまみ食い的な比較」と切り捨てた。 今回の検証レポートは、「これまでの文化審議会の歴史において極めて異例の形で報告書のとりまとめが行われた」とも指摘。文化庁は審議会での審議結果を忠実に法改正案に反映したと主張しているが、審議会の報告書などを無視していると厳しく批判している。 自民党総務会の1日の会合では、今国会で法改正案を成立させる必要性については一致したものの、「(関係者への)説明不足だ」との意見が相次いだ。日本漫画家協会も、違法範囲を絞り込むよう求めていることなどを踏まえ、加藤勝信総務会長は記者会見で、「漫画家の利益を守るのが今回の措置なのに理解が得られていない」と話し、改正案への理解を求めていくよう促している。(上田真由美)
2019年03月04日
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明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。実に5年ぶりに紅白を「生で」観ました。この5年間ほどは韓国に行っていたり、台湾に行っていたり、出雲に行っていたり、東京に行っていて大晦日を迎えたので生で見ていないのです。久しぶりにきっちり観ると、東アジアで第二番目の国力を持つ、この国の文化の特徴がよく見えることがわかりました。「凄いステージ過ぎて固まりましたよね」と司会者がびっくりするような演出が続きます。3年前では、私は台湾の紅白も生で見ていた。台湾各地でダラダラと歌をやっていた。規模も質も日本とは全く違う。日本の紅白は、たった3分間の中に、滅多に無い映像をぶっこんでくる。それが日本の美意識らしい。未来や、過去や、全体を考えずに、「いま、ここ」を重視する。一曲のために有名外国歌手を呼ぶ。歌っている歌手を消す派手な手品を見せる。松任谷由実をサプライズ登場させる。特別コラボや特別舞踏は数知れず(桑田とユーミンが同じ舞台で歌うなんて!)。たった3分から5分のために。こういう細かい演出に拘り、出演者も「この時だけ」とそれに乗る。細部から全体へ。であり、絶対にその反対ではない。その「細部」には、尊敬すべき芸の真髄があり、驚くべきエンタメがある。これは日本の長所なのか?弱点なのか?あゝ私は未だに判断できない。これが日本だ!
2019年01月01日
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とても重要なことをYahooニュースが書いていたので、転載する。玉城デニー圧勝を呼んだ若者たちの“ポジティブキャンペーン” 「デニってる」でデマ退治の手法に注目〈dot.〉10/5(金) 7:00配信 AERA dot.(C)株式会社フジテレビジョン 激戦が予想された沖縄県知事選は、辺野古新基地建設に反対する前衆院議員の玉城デニー氏(58)が、前宜野湾市長の佐喜眞淳氏(54)に約8万票の差をつけて完勝した。なぜ、これほどの票差がついたのか。玉城選対の幹部は「勝因を一つ上げるとすれば」と前置きして、こう話した。「若者たちの頑張りです。若い人たちがデニー支持のうねりをつくった。佐喜眞陣営にも若い人はいたけど、こっちはみんなボランティア。熱量が違った」 その手法も常識にとらわれない“型破り”なものだった。その名も「ポジティブキャンペーン」。具体的な中身は後述するが、先に選挙戦序盤で選対本部が抱えていた悩みを紹介したい。 選挙告示前、ネット上では玉城氏に対する中傷や事実無根の情報があふれていた。あまりにもひどい現状に、告示3日前には、玉城氏本人がデマを流した人を名誉毀損(きそん)で刑事告訴するほどで、誰もが選挙戦は誹謗(ひぼう)中傷が飛び交う荒れたものになると予想していた。 苦い経験もあった。今年2月の名護市長選では、移設容認派の新顔を推す国会議員がツイッターに「日ハムキャンプも逃げた。結果を出していない市長を変えるのは当然だ!」と投稿。明らかなデマだったがまたたく間に拡散し、当時の現職は敗北した。 当然、今回の選挙でも「デマ対策」は重要視されていた。では、つぶしてもつぶしても新たに出てくる誹謗中傷に、一体どうやって対抗すればいいのか……。そんな難しい課題に対して、若者たちから出てきたのがポジティブキャンペーンだった。その戦術はシンプルなもので、ネガティブキャンペーンに対抗するのではなく、玉城氏の人柄や政策をどんどんアピールして、それを拡散させていくという作戦だった。 内部で検討された文書には、こう書かれていた。<ネガキャンには、こちらがポジキャンで返して、ポジティブ情報を飛び交わせる><デニーさんのちょっといいストーリーをシェア><デニーさんのあったかい>キメの細かい現場対応も検討された。メディアの世論調査では、基地問題が最大の争点だった。一方、勝敗の分かれ目である大票田の那覇市は、辺野古基地建設が進む名護市や米軍普天間飛行場のある宜野湾市から離れている。基地問題への関心は相対的に低い。また、若者世代には経済問題を重視する人も多い。会社のしがらみで投票する人もいる。つまり、基地問題を訴えるだけでは票の取りこぼしがある可能性があった。 そこで、基地問題だけではなく、玉城氏の公約である「誰も取り残さない政治」「中高生のバス無料化」など、経済政策の情報を地域によって前面に出すことにした。 ポジティブキャンペーンの提案者の一人である徳森りまさん(31)は、その狙いをこう話す。「デマ情報退治は、選対の別の班が対応することになったので、私たちは正しい情報を『広げる』ことに集中しました。公式のLINEグループも作ったのですが、LINEだと年齢層が若いので、玉城デニーに興味を持ってもらえるような映像や写真を広げるようにしました」 動画や写真については、4つの制作チームがあったという。それぞれがコンテンツを制作・公開し、反応がよいものを次々に広げていく。ひたすらそれを繰り返した。また、ツイッターなどのSNSでは「デニってる」というフレーズを合言葉にした。 効果はてきめんだった。それまでツイッターで「玉城デニー」と検索すると玉城氏を批判する情報しか表示されなかったのが、次第にポジティブ情報が現れるようになったのだ。小泉進次郎衆院議員や菅義偉官房長官など、中央で知名度の高い有力政治家を呼び、街宣車の上の高いところから演説をする風景を積極的に配信した佐喜眞陣営に対し、玉城陣営は道端で演説して、時には近寄ってきた幼い子供の目線に合わせてしゃがみこんで話しかける玉城氏の姿などを積極的にネットにアップした。「最初はちゃんと企画書を書いてたけど、途中からは走りながら考えて、思いついたことは何でもやっていく方針になりました。そういうのがデニーさんの明るい性格と相性がよかったんでしょうね。私たちが次の日の準備を夜中までやっていることを知ると、わざわざ遠くからねぎらいに来てくれたこともありました。それにみんな感激して『デニーさんの人柄を知ってもらうために頑張ろう!』と。もう、選挙期間中の夜はずっと文化祭前夜の準備みたいでした(笑)」(徳森さん)翁長・前知事のキャッチフレーズは「イデオロギーよりアイデンティティー」。もちろん、若者たちもそのことを意識していた。 街を歩きながら投票を訴える時は、沖縄のお盆の伝統行事である「道ジュネー」に見立て、エイサーをやっているかのような雰囲気にした。それも「沖縄人のアイデンティティーが目覚めたら、この選挙は勝てる」(選対関係者)と計算していたからだという。 そして9月22日に那覇市で開いた集会では、翁長・前知事の妻、樹子(みきこ)さんが参加。目に涙を浮かべながらマイクを握って「政府の権力をすべて行使して、まるで愚弄するように私たち沖縄県民を押しつぶそうとしている」と訴えた。この動画は、10万回以上再生された。 ネット選挙や若者たちの奮闘が実際の投票にどの程度影響を与えたのか。その測定は難しいが、出口調査ではある傾向が出ていた。 沖縄タイムス・琉球朝日放送・朝日新聞の共同出口調査によると、10代、20代では拮抗し、30代以上の世代はすべて玉城氏が上回った。さらに、無党派層では70%、女性票は61%といずれも玉城氏が圧倒した。 また、玉城氏は野党支持層を9割固めたのに対し、佐喜眞氏は自民支持層が8割、公明支持層は7割程度しかまとめきれなかった。選挙戦の最中に行われた自民党総裁選では、沖縄県の自民党員の62%は安倍首相に投票した(全国平均は55%)。ところが、投票率は全国最低の38.9%で、全国平均を22.8ポイントも下回っていた。 公明党も組織をまとめきれなかった。沖縄県の政界関係者は「創価学会票でまとまったのは6割、ひょっとしたら5割程度ではないか」と見ている。公明党の支持率は全国では3~4%で推移しているが、今回のNHKの出口調査では2%しかなかった。玉城氏に投票するだけではなく、投票を棄権した、あるいは公明党の支持すらやめた人が相当数いた可能性もある。 近年の傾向で、国政の野党は60代以上では得票率が高いが、年齢が若くなるごとに自民・公明の候補が強い。今年2月の名護市長選、6月の新潟県知事選も同じで、野党候補は重要選挙で連敗した。それが今回は若い世代の票を得て勝利したことで「今後のモデルになる」(立憲民主党議員) 若者たちが企画し、玉城氏本人も出演して9月18日に行われたクラブイベント「デニーナイト2018」にも、若い世代の自民・公明支持者が参加していた。徳森さんは言う。「最初は選挙に関心の薄い若い人たち向けに企画したのですが、熱い人がたくさん集まってくれました。佐喜眞支持の会社で働く人で『自分はクビを覚悟でここに来てるんだ』と言う人や、東京の創価学会員の方で『本部が組織を挙げて沖縄に動員するなら、こっちも沖縄入りして新基地建設反対を訴えたかった』と話してくれる人もいました。自分たちの企画が、そういった思いを持つ人が集まる場所になってくれてうれしかった」 翁長・前知事の急逝に始まった今回の選挙戦は、オール沖縄の分裂危機、選挙前のデマ攻撃と先の見通しのない暗雲が漂っていた。それが、「ポジティブキャンペーン」で雰囲気が一変したのだ。玉城氏のキャッチフレーズである「新時代沖縄」を担う若者たちの“明るさ”が、勝利を呼び寄せたと言っても過言ではないだろう。(AERA dot.編集部/西岡千史)この表を見てもわかるように、若者がおそらくこれだけの取り組みをしたので、今回は20代で投票率が拮抗したのだと思う。していなかったら、20代30代では目も当てられなかっただろう。来年の参議員選挙ふくめて、こういう政策を知らせることはチラシでもやっているじゃないか、という年寄りの思い込みは無駄である。新聞なんて読んでいない。沖縄県人さえ、沖縄の歴史を知らないというのが、今の若者だということを知らなくてはならない。このような「きめの細かい」「希望の持てる」「明るい」選挙戦こそが、安倍支配を打ち破る決め手なのだと私は思う。
2018年10月07日
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真備町に家の片付けボランティアに行って来ました。分厚い生地の長袖の作業着(ブカブカなので、見た目よりも暑くはない)、帽子、軍手とマスク、貸して貰った長靴、小さなリュックにタオル二枚、凍ったペットボトルと冷やしたお茶、オニギリを入れて、という出で立ちである。ひと山越えると、一挙に景色が変わる。家は立っているけど、中はがらんどうの家が多い。道沿いにずっと瓦礫が積まれている。やがて特有の臭いが鼻についてくる。田んぼは全滅どころか、既に穂が枯れていた。数本ハスの葉が立っていたのが、印象的。支援に入ったのは、決壊したいくつの堤防のすぐそば、みんな二階屋根まで浸かったところだ。泥のかき出しと聞いて到着すると、それよりも「二階の荷物を片付けて」と返事。予定は未定が当たり前。納屋になっていたところを二階部屋に改装したところ。若夫婦が住んでいたのか、ぬいぐるみなどもある。2段ベッドは倒れ、二つのタンスは倒れていた。水(泥水)が入るだけで、こんなにも重たいものが、こんなにもいろいろと移動してしまうのである。水に浸かると、家は全壊扱いだということに今更ながら得心がいった。大正年間建築の家だそうだ。水が来る前に米を二階に上げていたらしく、発酵したような臭いがする。その時はまだ二階まで水が来るとは思っていなかった。米はたった数日で発酵するものなのだ。タンスを起こして、ベッドを分解し、細い階段を何度も往復する。この日、応援は15人くらい行っていたが、タンスを起こすのさえ、四人要る。服があっという間にドロドロになる。最初の40分は夢中で動いたけど、流石に35度を超えそうな酷暑の中、一回目の水分休憩の後はテンポが鈍くなった気がする。どうも、家主さんから今日の片付けは午前中で終わりにするという方針が出したようだ。昨日は真備町だけで21人が救急搬送された。実際、たった2時間半くらいで出来たことは、二階の荷物が半分くらいになったこと。台所の片付けが進んだこと。少しだ。まだまだ先は長そうだ。私は、終わればこの記事を書いて終いにすることが出来る。家主と家族と親類のみなさんは毎日続く。灼熱地獄である。私はなんともなかったけど、汗を拭くタオルに泥がついたり、ペットボトルを飲む手にも泥がついている。清潔な水はまだ出ない状況で、感染症も心配である。家族のみなさんは、二階まで水に浸かったときに、屋根まで逃れた。まだまだ気丈なご主人(70代?)は「ワシは屋根に上がるのは平気だったけど、屋根は怖い人もいただろう。瓦も動くし」「何時間くらいいたんですか?」「あんなときは時間は遅く感じるからなあ。寒いし」暫く考えて「3時間くらいだろうか。屋根からボートが来るのを見たのは初めてじゃ。直ぐには近くに寄れなくて、ぐるりと回ってつけたり大変だった」救出されたのは、まだ雨の降っているときではなかったか?朝方か。前の記事で、私は自治体発行のハザードマップに「小田川決壊は100年に一度の確率」と書いているのを紹介した。確かに、小田川決壊の危険性はずっと言われていて、河川付け替え工事も予定されてはいた。しかし、この書き方で果たして住民のみなさんがどこまで本気になることができるのか?と思う。行政は、責任持って対処してほしいと思う。まだまだ長いボランティア支援と、募金などの金銭的援助、そして行政のバックアップが必要である。
2018年07月16日
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今回の西日本大水害の被災に遭われた方々、またその親族の方に心よりお見舞い申し上げます。また、現在進行形で復興にむけて努力している方々に敬意を示します。出来得ることから、私も何かします。町の1/3が浸かった真備町と同じ倉敷に住んでいますが、大きく離れていて私は大丈夫でした。実は、真備町の災害は、私が一か月半前に行った南山遺跡現地説明会と、とても関連のあるものだったのです。小田川は昔から洪水に何度か遭ったところであり(ここまでの酷いのはありません)、河川整備計画が立てられていました。下の現地説明会で撮られた遺跡の上空写真で、川の左上にあるのが浸かった真備町です。二本ある河のうち、左側が小田川で、右側が一級河川の高梁川です。小田川が高梁川に合流する地点で、高梁川の水位が上がるとかえって逆流する現象がおこるために、遺跡のある所をまるまる一山削って下流に合流点を移す計画を立て、そのための遺跡の「破壊と記録」のための発掘だったのです。詳しくは、下の市会議員田辺昭夫氏のFacebookを見てほしいのですが、つまりは、「間に合わなかった」ということです。忸怩たるものがあります。せめて、下に書いているように「小田川の河川敷内の伐採」が行われていれば、三つもの堤防が壊れるのは軽減できたかもしれない。南山遺跡はすっかり削られて無くなってしまいますが、洪水対策百年の計としたならば、仕方ないということか。小田川の洪水対策について、日本共産党はかねてから問題点を指摘し、申し入れも行ってきました。以下2015年9月24日に、国土交通省河川事務所に申し入れた時の私のブログを紹介します。あきおの日記 2015.9.24「高梁川の堤防は大丈夫か?」 今日は、須増伸子県議とともに、国土交通相岡山河川事務所を訪ね、高梁川水系の河川整備計画の現状についてレクチャーを受けました。 国土交通相では、平成19年月に100年に一度の洪水に耐えうる河川の整備基本計画策定しています。倉敷市については、洪水の危険性がある小田川と高梁川との合流点を下流に移す河川整備計画を平成22年に策定、平成26年から事業に着手し、平成40年度の完成を目指しています。総事業費は約280億円です。この小田川の高梁川への合流点の付け替え工事は、①洪水時の高梁川の背水影響が軽減されることにより、小田川の水位が大幅に軽減し、小田川沿川の内水被害のリスクが大幅に削減される②高梁川の現在の合流点と新しい合流点の間(付け替え区間)で小田川流量がバイパスすることにより、水位が低下。倉敷市街地の水害リスクが低減する事を目的にしています。 合流点の付け替えとは、現在の船穂町の柳井原地域に河川を新しく作るということですから、とても大きな事業ですが、これが完成すれば、洪水の危険性はかなり軽減されることは間違えありません。しかし、同時に、現在真備町を流れている小田川は、河川敷が木や草で覆われ荒れた状態になっています。大雨が降ればいつ洪水が起きるかわかりません。この小田川の河川敷内の伐採は早急に行う必要があります。その点を、須増伸子県議や田儀公夫市議が指摘しましたが、「予算がなかなかなくて少しづつしか伐採が出来ていない」との事でした。これは、国土交通相に直接申し入れる必要があると感じました。日本共産党国会議員団と相談して、具体化をしたいと思います。(倉敷市会議田辺昭夫氏のFacebook18.07.10より)
2018年07月11日
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「この国の政治には愛想が尽きている。でも、国は守らなくちゃいけない。誰かが」これが現代の若者の大半の気持ちなのではないか。その認識の裏側には「物事は『最終的には』力がものをいう」という、小さな頃から体験的に刷り込まれた「確信」(真実でも事実でもない)がある。時事通信の6月世論調査では、内閣支持率が4ヶ月連続減少したらしい。(支持率35.5%不支持率43.4%)この背景には、働き方改革では反対が賛成を上回っていること(反対38.7%賛成29.5%)、麻生太郎は辞任すべきかどうかでは「すべきだ」(56.9%)が「必要ない」(29.1%)を大きく上回っていることが影響しているだろう。けれども、安倍辞任すべきの声や、野党の支持率上昇には結びつかない。それは『今の国には愛想が尽きている。けれども、力があるところが、国を守らなくてはいけない』と心の底から思っているからではないか。最近「君死ニタマフ事ナカレ」というマンガを読んだ。超能力が開発された近未来日本は、青少年のみに発現するその能力を利用して「紛争地帯にNGO派遣する」と称して、実際は彼らを軍事派遣することにした。それで実際は48名中、生還したのは5名のみ。この冒頭部分は、超能力部分を除けば、そのまま現代自衛隊の実態になるだろう。問題にしたいのは、これは「現代日本を批判したマンガではない」ということである。主人公の少女は言うのである。「この派遣の理不尽さも、この国のだらしない大人達にも愛想がつきてる。でも‥やらなきゃいけない。誰かが」つまり、武力行使を担う軍隊は必要である事を、(4巻までは)全ての登場人物が認めているのである。こういう舞台設定をしても、こういう時代認識しか描けない。そんな風に現代の若者は「教育」されているのだろうと、思わざるを得ない。いま若者がこの記事を読んだならば、なぜこの男は「思わざるを得ない」などという言い方をするのか、訝しがるかもしれない。ここで延々と「思わざるを得ない」という根拠を述べようとは思わない。最近、ショッキングな事件が起きた。私のつい近所の高梁川の橋の下に住んでいたホームレスの「家」が燃やされたのである。放火したのは、介護士25歳の女性。「ホームレスが許せなかった」という。(1)私の身近なところで(2)福祉関係の職についている女性が(3)若者が(4)動機が不鮮明ではあるが、少なくとも弱肉強食を肯定した価値観のもとに(5)直接行動を起こした、この5点がショッキングな内容である。私は、この短い記事で、彼らの「価値観」に反対の意見を表明している。とても心配している。しかし、彼らの意見を変えることなど、この記事ではとうていその力を持たないことも知っている。希望は『対話』しかない。と私は思っている。それは私だけの力では、とうていなし得ないことではある。
2018年06月27日
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おかやま一本の政治集会に参加した。(二周年記念イベント「すべては日常のなかに」)去年に引き続いて山口二郎(市民連合呼びかけ人)が来ると聞いたからである。山口二郎氏の主張を、私は全て肯定しているわけではない。しかし、中央の市民の一部はどういうことを考えているのかを知ることは、この激動の情勢の中でとても重要だと思ったからである。ふたつ、聞きたいことがあった。(1)改憲情勢をどう捉えているのか。(2)野党共闘の可能性をどう捉えているのか。今回企画は本来はおかやま一本の総括会議みたいな集会だったが、その部分は省略する。山口の講演(30分に短縮した挨拶)を私なりに要約。文責は私に。(2)の野党共闘情勢について・政治はウソをつく(cf「ペンタゴン・ペーパーズ」)いやな時代の兆候たくさんある。・悪政を止めるのは、最後は選挙。・民進党の分裂を見て(昔の山口二郎持論の)「二大政党を作って政権交代論」諦る。・立憲民主党の課題は一つは若いということ。ひとつは、安倍政権を倒した後の展望を出していない。・民進・希望の新党の動きがある。改憲賛成派を切って穏健中道を作れば支持するが、連合との関係(大労組の要求‥原発政策はどうなるのか)が問題。・安倍政治に対抗する穏健保守との関係をどうするか?・中央は市民連合もカベにぶつかっている事を正直に告白する。野党が混沌すると、こっちも混沌する。政党は政党の論理がある。政党の駆け引きの段階は、我々が首を突っ込む時ではない。我々は政策議論(貧困格差・国際問題)をしていくべきだと思う。国政レベルでやれることはして行く。地域レベルも、対話を積み重ね、目指す方向を探り共通方向を作っていくべきだと思う。(1)憲法については朝鮮半島情勢は、私たちの想像を越えるスピードで進んでいる。朝鮮半島には、戦争してはいけないという「意志の強さ」がある。戦争が起きたら、十数万単位の犠牲者が出る。日本は朝鮮半島脅威をフルに利用してきたが、「安倍与党」とも言える北朝鮮が平和外交に舵を切った。9条の思想は有効であると、証明されたと私は思う。安倍政権は断末魔状態。9条改憲は、現実性がない。条項問題を云々言うよりも、安倍政権に憲法をいじる資格はない、と言っていくのが1番。去年の選挙結果は(恐怖と憎悪を煽るやり方で)改憲入口になりかねなかった。私たちは、安倍を退陣まで追い込むまで、頑張ろう。・質疑応答「ここに来ていない人を引っ張り出すにはどうすれば?」世論は3対(自民)2対(リベラル)対5(無党派・棄権)だと言われている。自民の3は、何を言ってもダメ。民主党が勝った時、3対4(2+2)だった。向こうはいかに選挙を盛り上げずに、選挙に勝つかを考えている。私たちは、いかに選挙を盛り上げるか。にある。
2018年04月23日
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私は誇りを持って、8%だと宣言する。それにしても、85%は圧倒的な世論といえる。ここまで、あっという間に世論が一色に染まった。恐ろしい。戦争に突入するときは、こんな風になるのだろうか。85%とは何か。昨日このような報道があった。JNN世論調査、日韓合意での韓国側対応「理解できない」が85%1/15(月) 6:29 従軍慰安婦問題をめぐる日韓合意あっ、先週、韓国側が改めて日本側に謝罪を求めたことに、8割以上の人が「理解できない」と考えていることがJNN世論調査でわかりました。 安倍内閣の支持率は、先月の調査結果より1.9ポイント増え54.6%でした。一方、不支持率は、1.8ポイント減って43.9%でした。 従軍慰安婦問題をめぐる日韓合意について、先週、韓国の文在寅(ムン・ジェイン)大統領が誤りだったと強調し、日本側に改めて謝罪を求めましたが、こうした韓国側の対応を理解できるかどうか聞いたところ、「理解できない」と答えた人が85%に上り、「理解できる」を大きく上回りました。理解出来るは8%だったという。皆さんも想像してみてほしい。わかりやすい例えをつくった。 もし貴方のお母さん(オモニ)が、若い頃会社に就職して、そこの会社の従業員から組織をあげてレイプされたけど、政府のお墨付きがあったから不問に付されて長い間公にすることも訴えることも出来なかった。むしろ悪い噂だけが流されて惨めな人生を送った後に、やっとその会社の息子たちが、一片の紙切れでお母さんの長男とだけ秘密裏に話し合いをして、幾つかの事実を認め謝罪金を払うと言ったら、そして其の後もその会社の従業員は、「そんな事実はない」「あの娘は進んでやっていたんだ」と言い続け、息子の会社社長も「謝りに行く必要はない」と断言し、なおかつ抗議の為の看板を長い努力の末に建てていたのに、それさえもその社長は「撤去せよ」と云う。真に反省していないのは明らかだとお母さんはずっとその「合意」に反対している。長男が亡くなった。次男はお母さんの意を受けて、あの合意に不備があると言い出した。しかし、会社の息子社長は、正式な「合意」があったから、長男が亡くなった後にそれを破棄するのはダメだという。それを貴方は「理解」するのですか?それともお母さんを「理解」するのですか? こういう説明を受けたら、皆さんはどういう意見を持つだろうか。政府が「軍の関与を認めた」のも「事実」であり、「謝罪を拒否している」のも事実である。大事なのは、マスメディア情報をうのみにしないこと。そして想像力を持つことだと思う。
2018年01月16日
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少し前、11月19日に、岡山市で市民連合呼びかけ人で「野党共闘」の理論家の山口二郎氏の講演会があった。題して「総選挙の結果と市民の課題」。忙しくて、まとめる時間がなかったが、印象に残った言葉をピックアップしたい。⚫︎民進党は、呉越同舟、小選挙区制度で生き残るための「選挙互助会」の限界を示した。政権交代を起こした2009年以降は、その歴史的使命は終わった。もはや、小選挙区制度をテコにした政権交代は崩れた。これからは、政策による、正攻法の選挙が大切。⚫︎現在のアベ化の危機。法の支配から人の支配に。黒を白という。⚫︎日本の民意は信頼できるか?新潟県知事選挙の教訓。(1)争点が明確(2)投票率が上がる(3)市民を代弁する候補者が得票する。これは、今回の衆議院選挙でも有効。新潟県、北海道、菅直人や海江田さんの地元。⚫︎リベラル軸への期待の大きさがある。立憲が一千万を超えたのはなぜか?・民進党の雑居性に対する不満。・新保守勢力の脱落によるスッキリ感。・共産・社民からの移動。⚫︎アンチ安倍から政権交代へ。幅広い結集が必要。路線の整理が必要。「安倍政治に対抗する穏健保守」「リベラル」「革新勢力」の大結集を。究極の理想よりも、5年先の日本を立て直すという政策の共有を。2020年代前半は、オリンピックバブルもはじけるし、日銀のムチャも明らかになる頃。⚫︎アメリカのサンダース候補の政策が参考。一握りの金持ちの特権ではない自由と平等。95年の村山政権がいい。⚫︎野党再編で超えるべきハードルは二つ、・民主党の失敗を繰り返さない。希望を再編に追い込むぐらいの立憲側のイニシアチブが必要。キチンとまとめられなくて、申し訳ないが、要は、野党共闘はまだ有効であるし、希望はある、ということなのだろう。村山政権の評価等、全て同意するものではない。が、改憲阻止と、突然の選挙に対して、少しづつやるべきことをやろうと思う。
2017年11月26日
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今年の「ユーキャン新語・流行語大賞」のノミネート語が決まった。最後にその候補の全てを載せておくが、10日ほど前にこのうちの「インタ映え」について、文章を書いていたので、ここに載せたい。今日(11月初め)のNHK「朝イチ」の録画見て驚いた。「SNSオトナの付き合い方」インスタグラムをしている人は、何百枚から一枚を選んだり、1人8000円の人件費出して数万円で女子会やっているらしい。インスタグラムとは「見栄を貼る場所」「ファンタジー」「ウソをついてもいい」という状況になっているらしい。「インスタ映えする」が今年の流行語になりそうだ(←11.9に実際に流行語大賞にノミネートされた)。それほどまでに「いいね」が欲しいらしい。更には「フォロワーを買う(1万人は4980円)」という状況さえ出て来ているらしい。これはビジネスだけでなく、自己承認、仲間外れを防ぐとか、が目的である。でも、こういうのは買った人は「買ったのがばれてしまう」から信用なくしている。はっきり言って、私はインスタグラムは絶対にやらない。Facebookの写真機能で充分。そもそも「いいね」が欲しいとも思わない。中には内容を読まずに「いいね」する人がいる。そんなの嬉しくないので、時々の記事によって判断したいからである。ただ、SNSは不特定多数に投稿するブログやツイッターと違い、「意見や情報を聞く」というのには有効だ。この「記事」も9日前にFacebookで投稿して、特別な「異論」も出なかったので、載せてもいいかなと思うことができた。とりあえず、インスタグラムやSNSに関しては、世の中は「私」を置き去りにしている。もちろん、それでいいのだけど。予言したい。「インスタ映えする」は1年で終わるだろう。 No.01 アウフヘーベンNo.02 インスタ映えNo.03 うつヌケNo.04 うんこ漢字ドリルNo.05 炎上○○No.06 AIスピーカーNo.07 9.98(10秒の壁)No.08 共謀罪No.09 GINZA SIXNo.10 空前絶後のNo.11 けものフレンズNo.12 35億No.13 JアラートNo.14 人生100年時代No.15 睡眠負債No.16線状降水帯No.17 忖度(そんたく)No.18 ちーがーうーだーろー!No.19 刀剣乱舞No.20 働き方改革No.21 ハンドスピナーNo.22 ひふみんNo.23 フェイクニュースNo.24 藤井フィーバーNo.25 プレミアムフライデーNo.26 ポスト真実No.27 魔の2回生No.28 〇〇ファーストNo.29 ユーチューバーNo.30 ワンオペ育児
2017年11月10日
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今回の選挙の投票率はたったの53%だった。棄権をした47%の人たち、さらには、「投票する人がいない」と批判票のつもりで白票を投じた人たちに言いたいことがある。貴方たち、「投票できる候補者がいないから仕方ない」と思っているのかもしれない。しかし、この「行動」は投票と同じ行動だということを理解していない。貴方たち、投票しなかったから、白票を投票したから、未来に責任は負わない、と思っているのかもしれない。けれども貴方たちの行動は、しっかり未来に影響を及ぼしたことを理解しなくてはならない。貴方たちの行動は、自公政権の大勝(とも言っていい結果)に一役を買ったのだ。その結果、憲法が改正された、としよう。その結果、勝ち組がますます栄えて貧困格差が拡大した、としよう。そのことを是とするのならば、何も問題はない。それを是とすることの責任をぜひ未来にとっていただきたい。もちろん私は「否」とすることの責任をとっていく。問題は是とも否とも、判断が付かない貴方たちである。クラスのいじめに何も行動を起こさなかった生徒に何の責任もなかったと嘯く貴方たちである。「私たちは知らなかった。だまされていた」と後で叫ぶ戦後の大衆のような貴方たちである。貴方たちには、未来に対して責任がある。そのことをぜひとも、自覚していただきたい。これは私だけの意見ではない。例えば、毎日新聞で岡田教授というよううな方も言っている。今回の記事に限って、どんな方であろうとも私は反論も意見も受け付けます。衆院選 投票すべきか迷うあなたに 棄権は危険 「抗議の白票」は逆効果(2017.10.19毎日)前回衆院選の全小選挙区で自民党候補が獲得した得票数の合計は、棄権も含めた全有権者数の約24%。それなのに比例代表を含めた獲得議席は全体の6割を占める大勢力となった。 このゲームを有利に進められるのは誰か。岡田教授は、一定数の人たちが必ず投票してくれる態勢を固めた陣営だという。「組織力で前回の選挙を勝ち抜いた陣営にとっては、自分に投票してくれた有権者だけが投票してくれれば、次の選挙も楽に勝てる。簡単に言うと、棄権は組織を固めている人を勝たせることになるわけです」 この理屈は白票も同じ。無効票となり、結果に影響しないからだ。「棄権と白票は大抵の場合、前回の選挙である一定の支持層を固めた与党に有利に働きます。だから棄権は、自分にそのつもりがあってもなくても結果的に与党を後押しする。抗議の意思表示にはなりません」
2017年10月23日
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私の過去の記事に関して、ブログ仲間から善意でもって「歌詞を載せているけど、著作権の問題もあるし、過去にそれでブログ閉鎖まで行った例があるから消した方がいいよ」と忠告をもらった。今回は幸いにも、楽天ブログの場合は去年に歌詞を三つの例外を除いて使用しても良い協定が結ばれていたので問題は無かったのである。ただ、私はこの機会に、歌詞、或いは詩、或いは詩歌についての私の意見を明らかにしておきたい。その三つをまとめて、ここでは私は〈詩〉と表現したいと思う。〈詩〉の役割とは何か、に関する私の意見でもある。私は〈詩〉は、基本的に、広く大衆に口ずさまれ、引用され、世間に広まってこそ、価値を持つと信じている。いくら日本文学史を変えるような素晴らしい〈詩〉が、ある天才の机の引き出しの中にあったとしても、それは発表されて広まらなければ、価値はないと、ひとまず私は言っておきたい。その意味で〈詩〉は〈流行語〉と似ている。だから、コピーライターという生業は、今昔の詩人、俳人、歌人であったのである。思えば「第二芸術」と揶揄されたのは俳句だった(私は先日藤沢周平の俳句を堂々と十数句も載せた)。歌詞も、今回ブログ使用が許されたのもそういう〈詩〉の役割を鑑みての決定だと信じている。その意味で、楽天が設定した「引用に際しての三つの例外」は、ネット時代の〈詩〉の引用についての一つの叩き台になるだろう。曰く。(1)広告料収入を得るなどを含む商用利用目的での掲載、利用 (2)アーティスト別、曲別などのインデックスを用意し、大量の歌詞を掲載するなど、歌詞閲覧サービスとみなせるような利用 (3)歌詞を訳詞、替え歌など改変して掲載する行為大まかには賛成。営利を目的にして引用してはいけない。ただし、3番目の替え歌は、「営利を目的とする替え歌」と変えて欲しい。替え歌は、いつの時代でも、庶民のささやかな「抵抗」「楽しみ」として巷に広まったという歴史があるからである。よって、いつも大抵は「作り手不詳」として歴史に記録される。2015年に〈流行〉した〈詩〉は、宮尾節子氏の「明日戦争がはじまる」だ。著者がネット等での拡散を許可している数少ないものだ。しかしホントは、私にはもっともっと拡散したい〈詩〉が数多くある。「明日戦争がはじまる」まいにち 満員電車に乗って 人を人とも 思わなくなった インターネットの 掲示板のカキコミで 心を心とも 思わなくなった 虐待死や 自殺のひんぱつに 命を命と 思わなくなった じゅんび は ばっちりだ 戦争を戦争と 思わなくなるために いよいよ 明日戦争がはじまる
2017年10月13日
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私は菅野完氏を「胡散臭い人物」だとは思っているが、反安倍という点では一致しているし、今回のアイディアは「買い」だと思っていた。すなわち、首相が明日の臨時国会で「冒頭解散」をするのならば、その前に内閣不信任案を野党が出せば、与党はそれを否決せざるをえなくなる。そうなれば、いったん内閣を信任した与党が、そのまま解散などできなくなるというアイディアである。ツイッターでつぶやいたそのアイディアをジャーナリストのまさのあつこ氏がブログでつぶさに検証した。この辺りの連携にも感心してしまった。内容は読んでいただくとして、結論的に言うと、内閣不信任案は無理、動議だけは出すことはできるかもしれないが、採決は無理だろう。とのことだ。しかし、議事録には残るだろう、とのことだ。だから止めよう、ではなくて、私的には是非とも出してもらいたいと思う。本来臨時国会は「議論する場」であるのに、憲法で求められているのに、それをしない。ことごとく、「対話はしない」。国会でも、北朝鮮問題でも、テレビでも、街頭演説でも、それは徹底している。こんな「独裁首相」は今まで決していなかった。その一つの証拠を「後世のために」国会議事録に残しておきたい。それは意義のあることだと思うからである。まさのさんの論旨は非常に明確であり、是非読んでいただきたい。野党は臨時国会冒頭に、内閣不信任案を提出できるのか? ジャーナリストの菅野完(すがのたもつ)氏が「野党は臨時国会冒頭に、内閣不信任案を提出すればよいのではないか」とツイートした後、現在までに、そのアカウントが凍結となっているが、これは興味深いアイデアなので、それが物理的に可能なのかを探ってみた。解散詔書は天皇→内閣総務官→官房長官→事務総長→議長 憲法第7条に基づいて天皇は「内閣の助言と承認により、国民のために」衆議院を解散するが、まずその具体的な流れを、本会議の裏方である衆議院議院運営委員会の事務方に尋ねてみると、次の通りである。 天皇の書く「解散詔書」を内閣総務官が国会まで持ってくる。それを菅義偉官房長官に渡し、官房長官がそれを向大野新治事務総長に渡し、事務総長がそれを大島理森衆議院議長に渡して、議長が読み上げると「解散」となる。あっけない手続である。「動議」は出せるのか 続いて、後に解説する「動議」による「内閣不信任案」提出のチャンスについて、その道筋を尋ねてみることにした。Q:たとえば、そこで野党が動議を出すことはありうるんですか?A:解散詔書の読み上げの最中にですか?Q:議長が読み上げる最中または前のタイミングで。A:本会議が開かれている最中に動議が出されたとすると、「議場内交渉」となります。「議場内交渉係」がいて、議運(議院運営委員会の略)の理事ですけれども、そこが交渉することにはなるんですが、ただ、詔書が本会義場に来た場合は、議長が読み上げるので、そこで解散になり、動議も未了となります。「動議」という裏技 ちなみに、衆議院本会議の運営は、衆議院の議院運営委員会(議運)やその前段で国会対策委員会が取り仕切るが、そこでの決め事は原則全会一致である。 どうしても全会一致とならない場合、議運の委員長を務める与党側の議員が職権で物事を決してしまう場合がある(だから権力の使い方を間違う人物が委員長になると、民主主義が危機にさらされる)。 また、野党の場合、たとえば、菅野氏のアイデア通りに内閣不信任案を本会議で採決にかけたいと提案しても、与党が議運や国会対策委員会でそれを了承しないことが予想され、このアイデアは潰えてしまう。なぜなら、内閣不信任案が採決にかれば与党はそれを否決するしかなく、内閣が信任されれば解散はできなくなって困る(だからこその菅野氏のアイデアだった)。 そんな場合の裏技が「動議」だ。「動議を出す」とは、本会議場や委員会室で、突然、何かを議題にするよう求めることだ。 この場合、「内閣不信任案を採決する」動議を出すということになる。 しかし、議運の裏方の整理によれば、たとえ動議を出せても、自動的にそれで採決となるわけではない。「議場内交渉」となる。そうすれば、交渉が難航したり、議場が騒然としたりはするだろうが、最終的には採決に至らない可能性が高い。 それにしても、このアイデアが実行されれば、最低でもその事実は本会議の議事録に残る。それが大切なところだ。とりわけ、今回の解散は、 1)憲法第53条(いづれかの議院の総議員の4分の1以上の要求があれば、内閣は、その召集を決定しなければならない)に基づいて6月22日から求めれていた臨時国会を、安倍内閣が開こうとせず、 2)その安倍内閣総理大臣が、「森友学園への国有地売却の件、加計学園による獣医学部の新設、防衛省の日報問題など、様々な問題が指摘され、国民の皆様から大きな不信を招く結果」を「深く反省」すると8月3日に会見をして、 3)その脈略とは関係がない「仕事師内閣」というネーミングで内閣改造を行い、 4)3カ月も放置した臨時国会を開催するかと思えば、会見を開いて、「消費税の使い道」と「緊迫する北朝鮮情勢」という、本来は「解散」「選挙」を経ずに対応できることを理由に解散すると説明した。 5)しかも、所信表明演説の要求にも、予算委員会や党首討論の要求にも応じていない(日経新聞)。 そんな経緯を辿った解散だ。 議運や国会対策委員会が、所信表明の要求や内閣不信任案の提出を認めないのであれば、少なくとも、大島衆議院議長は、それらの動議の提出を受け止め、実現する度量を見せるべきではないか。 そうでなければ、後世の人が2017年9月28日の本会議議事録を読んで分かるのは、大島議長が解散詔書を読み上げたということだけになるからだ。 刻一刻と変わる国づくりの経緯が文書で残らない国家は、もはや民主主義国家ではない。そのことが、安倍内閣が抱えた問題とも共通する。森友学園への国有地売却の経緯、加計学園による獣医学部の新設の経緯、南スーダンPKOの日報不開示の経緯、それらの記録の不存在・未解明問題だ。それら安倍内閣の誤りを、衆議院解散で繰り返してはならないからだ。まさのあつこ ジャーナリスト。ラテン諸国放浪後、衆議院議員の政策担当秘書等を経て、東京工業大学大学院総合理工学研究科博士課程修了。博士(工学)。著書に『投票に行きたくなる国会の話』(ちくまプリマー新書、2016)、『四大公害病』(中公新書、2013)『水資源開発促進法 立法と公共事業』(築地書館、2012)、共著に『公害・環境問題と東電福島原発事故』、『社会的共通資本としての水』など。
2017年09月27日
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昨日の安彦良和「天の血脈」の「日韓同祖論」が、なぜ気になっていたかというと、最近私のFacebook仲間の間で、韓国の従軍慰安婦のバスでの設置報道を受けて、またぞろAさんの嫌韓意見投稿が、ながいことコメント続出でタイムラインに出没していたのですが、ある日それを受けて韓国人のFacebook仲間のBさんの反論コメントがあり、それに対してAさんが、Bさんとはずっと友達だけど、やっぱり韓国の反日教育は許せない、という趣旨のコメントを出していました。それに対して、私も黙っていられなくなり、ついAさんに反論するコメントを書いたのですが、投稿する直前になって止めました。こういうのは、いくら書いても「嫌韓のひとたちの意見を変えることはできない」というのは、この間の教訓だからです。ただ、AさんBさんとは離れて一般論としてはこの眠らせたコメントも有効かなと思い、彼らのコメントは載せずに、私のコメントだけを載せます。まあ、結論は「いたずらに報道に踊らされるな」ということです。Aさん、黙っておくつもりでしたが、Bさんが勇気を出して拙い表現で自分の思いを表明したので、私も2回ほど一ヶ月韓国旅行をした経験で思うところを述べたいと思います。Aさんも知っているはずです。Bさんだけが例外なのではない。韓国の人たちは、みんな日本人に対して親切で、情深かったことを。韓国の人たちは「過去の歴史」と「領土問題」にすごく神経を尖らせるけれども、それを目の前の日本人と結びつける発想は無いのではないか。私の仮説だけど、儒教の伝統に「名分を明らかにする」というのがある。要はそれだけの話なのではないか。Aさんは知っているはずです。道端や、商店街で、韓国の人たちは突然人前でも大きな声で喧嘩を始めるけれども、犬も食わないなんとかで、後で2人ともけろっとしていることを。そもそもハングルの発音自体が、日本語よりも喧嘩ゴシに聞こえることを。韓国の人たちと日本人は、顔はよく似ているけれども、空気を読む程度では絶対分かり合えない、膝を付き合わせて話し合わないと分かり合えない「隣人」だと思います。Bさんは「過去にも現在でも… 韓国の人が怒っている部分は、政治家の謝罪の表現です。」と言いました。「謝罪する言葉は全然ありません」というのは、Aさんから見れば日本の報道を見たら違うというかもしれません。でも、私は当たっていると思います。「政治家」の言葉は「アスリート」の言葉とは重さが、比較にならないほど違うのです。たとえ、建前でも、曖昧な表現でも、正式な場で、謝るに近い表現をしたとしても、すぐにその舌の根が乾かないうちに、政府要人がそれを否定する言葉を発したならば、それは「政府の本音」と思うでしょう。問題は、「政治家の言葉」なのです。朴政権は、確かに従軍慰安婦問題の解決を約束しました。しかし、その政権が途中で国民の意思で、退陣させられた今は、もう一度再考の場に立っていると考える方が自然だと、私は考えます。民間のバスの慰安婦像や、強制労働像に関しては、是非直接見て判断したい。それを見る韓国の人たちの反応を見ながら判断したい。私は前の前の大統領が竹島に上陸した時、ちょうどその時に韓国にいた私は、それよりも遥かにテレビの時間はオリンピックの日韓戦で韓国が勝利したのを繰り返し報道していたことをいつも思い出します。竹島上陸なんて、それぐらいのニュースバリューだったのです。日本に帰国した時、みんな一様に「大丈夫だった?」と聞いてくるのが、意味わかりませんでした。私は日本の報道に踊らされたくない。だいたいいつもそういうスタンスです。
2017年09月03日
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今めちゃくちゃ怒っている。今日朝礼で運転の仕事に出る前に、上司がJアラートの対処法を書いた本部通達を見せて、室内でも運転中でもその通りにするように言ってきた。そこまではいい。でも運転中はJアラートはわからないと言うと、 「ラジオを付けっ放しにしておいて」 「それはいつ迄ですか」 「ずっとよ」 私は嫌な顔をしたと思う。ラジオは運転集中が下がるので、今まで禁止だったのだ。そしたら、上司は 「この御時勢だから」 と言ったのだ。 「御時勢⁉︎」私はいろいろと抗議をしたかった。しかし、時間はなく上司の業務命令なので従った。 たった1日で、日本人は一色に染まった。御時勢などはない。 今回でも北朝鮮のスタンスや情勢は大きく変わってはいない。 北が少しでも理性があれば、開戦すれば即敗戦になるボタンは押さないだろう。 万が一、狂気が暴走したとしても、ミサイルの優先順位は米国基地、韓国基地、日本原発であり、こんな片田舎に落ちることはない。 百歩譲って、近くの原発にでも落ちたら、その時はアラートで一秒を争う段階ではないはずだ。 つまりは、典型的な「杞憂」であり、絶対落ちないとは言えないが、落ちた時は悲劇の始まりなのだから、アラートで命を落とす心配よりも、その後の1日或いは数ヶ月をどう過ごすか、「覚悟」する方がよっぽど大切だ(これは通達には書かれていない)。 少なくとも、私にとっては、仕事中のラジオは邪魔以外の何物でもない。 改めて疑問に思う。 「御時勢」って、いつからいつ迄なの? どうも、今日始めて、テレビがJアラートでジャックされて初めて御時勢と気がついた節がある。 いつ迄か? 常識で言うならば、あと1年はこの状態が続くと思われるが、上司の頭の中は、この数週間と思っている節がある。 日本人の「いま・ここ」主義が此処にも現れる。 テロが起きなくても、日本人はこんな反応をする。ホントに恐ろしい。
2017年08月29日
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欅坂46「月曜日の朝、スカートを切られた」が過激すぎ? ファンからは「サイレントマジョリティー」との関連性指摘も 詳しくは、読んでもらうとして、どうやら「物議をかもしているのは、「月曜日の朝、スカートを切られた 通学電車の誰かにやられたんだろう」という歌詞で、自身もスカートを切られる被害に遭ったことがあるという人を中心に約1900人が署名に賛同しています(8月1日時点)。」ということらしい。スカート切り魔の被害を助長するのではないか、ということらしい。物事を批評する時には、できるだけまた聞きは避ける。できるだけ、第一次資料に当たる、ということは「事実とは何か」を教科書にしながら新聞を作った時からの私のセオリである。幸いにも、今回は第一次資料がある。先ずは、問題の歌を聴くべきだ。というわけで聞いてみた。リンク先はユーチューブにつながっている。ぜひ聞いてみてほしい。月曜日の朝、スカートを切られたそのうえで、歌詞も一応検討してみたい。 Lyrics:秋元康Music:饗庭純Arrangement:若田部誠どうして学校へ 行かなきゃいけないんだ真実を教えないなら ネットで知るからいい友達を作りなさい スポーツをやりなさい作り笑いの教師が 見せかけの愛を謳う 反抗したいほど 熱いものも無く 受け入れてしまうほど 従順でもなくあと何年だろう? ここから出るには...大人になるため嘘に慣れろ! 月曜日の朝、スカートを切られた通学電車の誰かにやられたんだろうどこかの暗闇で ストレス溜め込んで憂さ晴らしか私は悲鳴なんか上げない(以上一番目の歌詞のみ)歌詞だけを読むと、「スカートを切られた」という「性暴力」をにおわすような、世の中の「理不尽」に対して、泣き寝入りを決め込んだのように聞こえる。ネットでは「そうではない。これは「サイレントマジョリティーの冒頭のビデオにつながっており、二曲で一つの世界なんだ」「彼女は物言わぬ大多数としてあきらめない」と言っている人たちもいて、その観点から、反対の署名集めも始まっているらしい。私は前半の意見も、後半の反対意見も違うと思う。 確かに、「サイレントマジョリティー」のユーチューブを見ると、見事に「スカート」のラストと、「マジョリティー」の冒頭が重なっているので、作り手はそれを意識していたのはわかる。しかし、曲はその一曲で世界観を持たなくてはならない。二曲で一曲というのは、詭弁である。しかし、もう一方で、曲は歌詞ではない。歌詞に曲が付き、なおかつ、歌手がそれを歌って初めて曲になる。当たりまえだ。その当たり前のことを思いながら、もう一回「スカート」を見てほしい。センターの女の子は「私は悲鳴なんか上げない」と歌うのではなく、強く宣言するのだ。そこには、泣き寝入りなんていう言葉はとうてい思いつかない、確固とした意志があるだろう。彼女の目的はおそらく犯人捜しではない。嘘っぽい世の中の常識、或いは今はやりの「忖度」してしまう社会にたいして、反抗しているのだ、ということが曲全体を見てわかるようになっている。そこまで、曲を聴いて読み取れなければ、この曲を作った意味がない。こういう曲を「問題が起きそうだから、抹殺しよう」という「忖度」する社会自体に、NOを突きつけている。この曲の方針を決めたのは、明らかに、作詞者の秋元康だ。彼は2015年から、意識的に「若者よ、抵抗しろ」「若者よ、自覚的であれ」というメッセージを出し続けている。私は彼をポピュリストと位置付けているので、これも、政府のためにAKB48を使ってきたりすることとのバランス造りだと思っていたが、それだけではないかもしれない、と今思い始めている。
2017年08月02日
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たまたま観ていた。というか、最近はお昼は「バイキング」にチャンネルを合わすことが多い。「ひるおび」はまるで読売新聞政治欄を読むようで、腹の立つことが多いのであるが、「バイキング」はサンケイの社会欄を読むようで、あまり腹を立てないでお昼を過ごせるからである。 で、たまには坂上忍も東国原英夫も「いいこと」を言うと思って「おやっ」と思ったのだ。土曜日の秋葉原での、首相に向けられた「安倍辞めろ」「帰れ」コールのことは、去年の参議院選挙の時にも起こったはずなのに、話題にならなかった。今回は大きく取り上げられた。そのことには言及しなかったが、MCの坂上が「これについては是非とも言いたい」と言い出したので、難癖をつけるのかと思いきや、首相の発言に対して、「あれはアウト」と言い出したのだ。直ぐにYahooニュースになったのでコピペする。 坂上&東国原、安倍首相の『こんな人たち』発言を断罪「大問題にならないことがおかしい」(サンケイスポーツ)7/3(月) 16:25配信 タレント、坂上忍(50)が3日、MCを務めるフジテレビ系「バイキング」(月~金曜前11・55)に生出演。安倍晋三首相(62)が1日、東京都議選の応援演説で「安倍、やめろ!」などのヤジに対して「こんな人たちに負けない」と発言したことについて、問題視した。 この日の放送では、自民党の歴史的大敗に終わった東京都議会議員選挙(2日投開票)について特集。スタジオで議論する中で坂上は、「僕、一番印象に残っていることとして1日の安倍首相の発言を挙げ、「一国の首相ですよ、マイクを通して一部の聴衆の方々に『こんな人たち』と批判された。その奥で石原伸晃さんが手を叩いてあおっていたあの目を見たときに、『ああ、今の自民党っていうか安倍内閣って、これなんだろうな』って生意気ながらに思った。『理解されてますか?』っていう気になった」と批判した。 タレントの東国原英夫(59)も「ものすごい鋭いですね」と同調。「あの言葉っていうのは、今までの不祥事の全部を合わせたぐらいの、本当は言ってはいけない言葉。この言葉が大問題にならないことがおかしい」と断罪し、「あれこそが撤回しなきゃいけない言葉」とコメントした。 2人とも、結局これ以上突っ込まなかったが、「今までの問題発言で1番の問題発言」という位置づけは、正しいし、よく言ってくれたと思った。確かに、街頭演説を集団で妨害したとしたならば、良くないことだとは思う。私はしない。しかし、その集団に対して、彼は以下のような事を言ったのだ。(以下は産経新聞記事より転載) (首相の演説中、「安倍は辞めろ」などと叫び続けている反対派の聴衆について)あのように人が主張を訴える場所に来て、演説を邪魔するような行為を私たち自民党は絶対にしません。私たちは政策を真面目に訴えていきたいんです。憎悪からは何も生まれない。相手を誹謗(ひぼう)中傷したって何も生まれないんです。こんな人たちに、私たちは負けるわけにはいかない。都政を任せるわけにはいかないではありませんか。 私が先ず思ったのは「人の演説を邪魔するような行為を自民党は絶対にしない」と宣ったのは、いつもいつもだけど、良くそんな大嘘をしゃあしゃあと言えるよな、ということである。国会でヤジを飛ばしていたのは、いったいどこのどいつだ? そして「こんな人たち」発言。 後に明らかになったが、「一般の聴衆」も「安倍辞めろ」コールをしていたらしい。それがなくても「こんな人たち」は国民なのである。結局「こんな人たち」は、「一般人」ではない。と認識していると思われても仕方ない。「こんな人たち」は、共謀罪の対象になる(と石破さんも宣っていたし)と、警察当局が「忖度」しても、あり得ることだとなってしまう。 また、結局安倍さんは、自分を尊敬の眼差しで旗を振ってくれる「お友達」としか、付き合わないのだろう。と思われても仕方ない。実際、この期に及んでも、「お友達」の稲田さんはお咎めなしである。そういう問題を含んでいるからこそ、東国原さんの言うように「あの言葉っていうのは、今までの不祥事の全部を合わせたぐらいの、本当は言ってはいけない言葉。この言葉が大問題にならないことがおかしい」のだ。 ちなみに、菅さんは「全く問題ない」との認識を示し、「極めて常識的な発言だ。そうした発言を縛ること自体あり得ない」と述べたらしい。いつもの論法である。最後に「その指摘は全く当たらない」といえば、何時の発言かは全く分からないと思うほど、「ガースー」発言であった。望月記者のように、食いついて質問する記者はいなかったのか!
2017年07月04日
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今日の朝日の天声人語に、加藤周一が登場したというので、読んで見た。 (天声人語)パン屋でなく和菓子屋 2017年3月29日5時0分 天ぷらといえば、すしと並んで和食の代表選手であり、海外でも人気のメニューである。もっとも、その起源には諸説があり、ポルトガルから伝来したとの説がかなり有力だと、原田信男著『和食と日本文化』で学んだ▼どうも17世紀ごろ伝わったようで、語源もスペイン語系のTemporaだとする説を紹介している。日本は早くから、よその国の料理を取り入れ、食文化を豊かにしてきた▼パン食も定着し、近所にお気に入りのパン屋をお持ちの方もおられよう。ところがそんなパン屋が教科書からはじき出されたのだという。小学校道徳の教科書検定の結果、「にちようびのさんぽみち」との教材に登場していた「パン屋」が「和菓子屋」に変更された▼学習指導要領が求める「我が国や郷土の文化と生活に親しみ、愛着をもつ」との点が不足すると文部科学省が指摘し、出版社が修正した。パン屋では日本らしさが欠けるということか。同様の理由で、公園の遊具が和楽器の店に差し替えられた▼もう50年以上前だが、評論家の加藤周一が仏教伝来や洋服などを例に、日本は雑種文化であると論じた。「日本精神や純日本風の文学芸術を説く人はあるが、同じ人が純日本風の電車や選挙を説くことはない」と書き、偏狭な日本主義者を批判した▼和菓子や和楽器にすがって国や郷土への愛を説くとすれば、滑稽というほかない。本質よりも体裁にこだわる大人たちの姿である。まさか反面教師としての教育の一環ではあるまい。 加藤周一の雑種文化論を引っ張り出すまでもなく、日本は次第と「いつもの」常に上の意向を気に風土に戻りつつある気がする。決定は上を見ながら下が行う、責任は無制限に1番上に求められるから、最高責任者の昔は天皇、現在は首相の「美しい国」に似合う政策がとられるだろう。しかし、これは文書で指示を受けたものではないから、1番上の「責任」は限りなくゼロになるだろう。(←以上丸山真男「超国家主義の論理と心理」から思考) 加藤周一は、もう20年も前に「世紀末ニッポンのゆくえ」(ミオシン出版)というインタビュー本でこのように言っている。 「一般に、少数意見を内部に抱えている国•団体は、状況が変われば、今まで少数意見だったものが多数意見になって、別の方向に進むことが出来るのですが、日本では、少数意見を排除してしまうことで能率は高めたが、必要な方向転換もできないようになったと思います」(15p)それが戦前日本の反省点だったが、反省しないまま戦後に進んでいると加藤周一はいう。 「雑種文化の小さな希望」と加藤周一は言った。それでも長い間に外の文化を日本化して、日本は生き延びてきた。戦後70年、どれだけ欧米の「民主主義」を日本化出来ているのか。そろそろ試されている。 森友問題にはあまり興味がないのだが、天皇アベ夫人の意向を「忖度」して、1番上から次から次へと政策が降りてきていた現実があるとすれば、悲観的にならざるを得ない。 「そんたくん」の見事な「漫画」があったので、付け足す。蓋し、1番下の庶民による上方を風刺するその鋭さは、日本文化がまだ健全な証しではある。
2017年03月29日
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世の中は、あたかも「籠池」さんや、「稲田」さんや、「安倍」さんが、口喧嘩しているかのように報道されているけど、もともとは彼らの「信条」は我々一般ピープルには想像できないほど高尚なところで一致していることは忘れてはいけません。その「信条」(決して思想というようなきちんとした考えではない)の象徴は、言うまでもなく「教育勅語の中身は、その多くの徳目は現代でも通用するいいことが書かれている」ということです。彼らは、なんどもオウムみたいにそんなことを言っています。国政に大きな影響をもたらす彼らの言っていることを、しかし、国民の多くは検証しようともしていません。籠池さんの幼稚園の園児が教育勅語を暗唱しているのを「よくない」というのも、「教育勅語がよくない」のではなくて、何も知らない園児に単に強制をしている、その一点で「よくない」と言っているのにすぎません。では、本当に一部は(誰かえらいさんは八割はいいことを言っているといっていたけど)「いいことをいっている」のか。確かに、「父母を敬い、兄弟は仲良くし、夫婦は喧嘩しないこと」とかは単語として取り出せば、「いいこと」のように見える。しかし、文章としてみたらどうなるのだろう。高橋源一郎さんが、実は二日前見事な現代語訳をTwitterに載せてくれた。それを読んでみよう。短いからすぐ読めますよね。念のために、原文を下に載せるし、写真にも載せます。読んでみたらすぐにわかるように、「文章として読めば」すべての徳目は、「天皇の臣下」としてのみ、しなくてはならいなことであり、すべては「天皇に忠誠を誓う」という一点に集約されるようにできているのです。「天皇」という言葉が、現代では「古い」ということになれば、それは簡単に「国家」とか「公益」とかいう言葉に代わるでしょう。「いいこと」どころか、100%悪い事しか書いていません。こういう文章を「いいことも書いている」と堂々と述べるような人たちは、日本語がわからないバカちんか、わかっても国民をだまそうとしている腹黒か、それともそもそも一握りのエリート以外の国民は国に奉仕するのが当たり前だと思っている一般ピープルには理解できない信条を持っている人たちなのだろうということになります。国を指導する政治家の人には絶対になってほしくないタイプの人たちですね。高橋源一郎 教育勅語現代語訳教育勅語(1)「はい、天皇です。よろしく。ぼくがふだん考えていることをいまから言うのでしっかり聞いてください。もともとこの国は、ぼくたち天皇家の祖先が作ったものなんです。知ってました? とにかく、ぼくたちの祖先は代々、みんな実に立派で素晴らしい徳の持ち主ばかりでしたね」 高橋源一郎 @takagengen 2017-03-15 14:48:22 教育勅語(2)「きみたち国民は、いま、そのパーフェクトに素晴らしいぼくたち天皇家の臣下であるわけです。そこのところを忘れてはいけませんよ。その上で言いますけど、きみたち国民は、長い間、臣下としては主君に忠誠を尽くし、子どもとしては親に孝行をしてきたわけです」 高橋源一郎 @takagengen 2017-03-15 14:51:19 教育勅語(3)「その点に関しては、一人の例外もなくね。その歴史こそ、この国の根本であり、素晴らしいところなんですよ。そういうわけですから、教育の原理もそこに置かなきゃなりません。きみたち天皇家の臣下である国民は、それを前提にした上で、父母を敬い、兄弟は仲良くし、夫婦は喧嘩しないこと」 高橋源一郎 @takagengen 2017-03-15 14:53:33 教育勅語(4)「そして、友だちは信じ合い、何をするにも慎み深く、博愛精神を持ち、勉強し、仕事のやり方を習い、そのことによって智能をさらに上の段階に押し上げ、徳と才能をさらに立派なものにし、なにより、公共の利益と社会の為になることを第一に考えるような人間にならなくちゃなりません」 高橋源一郎 @takagengen 2017-03-15 14:55:23 教育勅語(5)「もちろんのことだけれど、ぼくが制定した憲法を大切にして、法律をやぶるようなことは絶対しちゃいけません。よろしいですか。さて、その上で、いったん何かが起こったら、いや、はっきりいうと、戦争が起こったりしたら、勇気を持ち、公のために奉仕してください」 高橋源一郎 @takagengen 2017-03-15 14:57:46 教育勅語(6)「というか、永遠に続くぼくたち天皇家を護るために戦争に行ってください。それが正義であり「人としての正しい道」なんです。そのことは、きみたちが、ただ単にぼくの忠実な臣下であることを証明するだけでなく、きみたちの祖先が同じように忠誠を誓っていたことを讃えることにもなるんです 高橋源一郎 @takagengen 2017-03-15 14:59:29 教育勅語(7)「いままで述べたことはどれも、ぼくたち天皇家の偉大な祖先が残してくれた素晴らしい教訓であり、その子孫であるぼくも臣下であるきみたち国民も、共に守っていかなければならないことであり、あらゆる時代を通じ、世界中どこに行っても通用する、絶対に間違いの無い「真理」なんです」 高橋源一郎 @takagengen 2017-03-15 15:00:48教育勅語(8)「そういうわけで、ぼくも、きみたち天皇家の臣下である国民も、そのことを決して忘れず、みんな心を一つにして、そのことを実践していこうじゃありませんか。以上! 明治二十三年十月三十日 天皇」敎育ニ關スル勅語朕惟フニ我カ皇祖皇宗國ヲ肇ムルコト宏遠ニ徳ヲ樹ツルコト深厚ナリ我カ臣民克ク忠ニ克ク孝ニ億兆心ヲ一ニシテ世々厥ノ美ヲ濟セルハ此レ我カ國體ノ精華ニシテ敎育ノ淵源亦實ニ此ニ存ス爾臣民父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ朋友相信シ恭儉己レヲ持シ博愛衆ニ及ホシ學ヲ修メ業ヲ習ヒ以テ智能ヲ啓發シ徳器ヲ成就シ進テ公益ヲ廣メ世務ヲ開キ常ニ國憲ヲ重ジ國法ニ遵ヒ一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ是ノ如キハ獨リ朕カ忠良ノ臣民タルノミナラス又以テ爾祖先ノ遺風ヲ顯彰スルニ足ラン 斯ノ道ハ實ニ我カ皇祖皇宗ノ遺訓ニシテ子孫臣民ノ倶ニ遵守スヘキ所之ヲ古今ニ通シテ謬ラス之ヲ中外ニ施シテ悖ラス朕爾臣民ト倶ニ拳々服膺シテ咸其徳ヲ一ニセンコトヲ庶幾フ 明治二十三年十月三十日 御名御璽
2017年03月17日
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集英社の情報誌「青春と読書」3月号に、池上彰の「世界を動かす巨人たち(経済人編)」という連載が載っている。今回は経済人としての「ドナルド・トランプ」だった。 池上彰さんがテレビでも解説していたのをチラリと見たが、おそらくこちらの文章の方が辛口かつ詳しいと思うのでメモする。 池上彰はトランプを「イデオロギーなきビジネスマン」と規定する。彼に終始一貫した思想を求めてはいけない。彼は取り引きが好きなだけなのだ。 彼は全寮制のニューヨーク・ミリタリー・アカデミーの軍隊式教育で、「勝つことがすべて」ではなく、「勝つ以外にない」という考えを叩き込まれたという。 最初の大きな勝負は、1980年のコモドアホテルの再開発。「グランド・ハイアット・ニューヨーク」のオープン。34歳。はったりと抜け道探しによって事業を拡大して行く手法をこの時から発揮した。 次はトランプタワーの建設。英国チャールズ皇太子とダイアナ妃が部屋の購入を検討しているというウソをまく。「商売のためならば、どんな奇想天外なウソをついても構わない。これがトランプ流です」 いつまでも成功だけは続きません。2014年カジノを倒産させる。その時も、彼を正しく指摘し予想した証券マンを訴訟を起こすと通告して、証券マンを解雇させている。「気に食わない記事やコメントに接すると、こういう態度をとってきたのです」 テレビで人気者になる。(橋下某とよう似ている。)2004年から、「アプレンティス(見習い)」というリアリティ番組のポストになる。トランプが課題を出して、生き残るために必死になるのを見守るという番組です。毎回、最も成果が出なかった者が1人選ばれ、「you're fired(お前はクビだ)」と言い渡す趣向。最後に勝ち残った1人のみが、トランプの会社に採用されることになっている。 トランプはいう。「マスコミについて私が学んだのは、彼らはいつも記事に飢えており、センセーショナルな記事ほど受ける、ということだ。(略)良いことも悪い事も書かれる。だが、ビジネスという見地からすると、マスコミに書かれるということは、マイナス面よりもプラス面の方がずっと多い」。広告を出せば4万ドルかかる宣伝が、それで達成することもあるからである。 一つわかっているのは、トランプ現象は対岸の火事ではない。正に今ここにある危機なのである。 2017年3月4日記入
2017年03月05日
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さて、霜降の季節の中で、今日はまた冬にひとつギアがチェンジされた。冷たい雨がふって、午後から木枯らしに似た風が吹いた。「冬」といえば…「通販生活」2016「冬」号がすごいらしい。 2016夏号の参院選特集に対して、読者からの批判や質問に答えたその内容がすごいのである。 いや、すごいのではない。これが本来当たり前の社会に対する態度というものだろう。それを「すごい」と言ってしまうのは、この10年ほどで社会そのものが変わったからに他ならない。 私はずっと朝日新聞は右転落していったと80年代から主張しているが、日本会議の方々が朝日の攻撃を始めて「朝日は左翼だ」攻撃をしてきた。客観的に極めて政府にすり寄るマスコミ朝日を左翼新聞だと思っている人々は決して少数ではないと思う。少なくとも政治的主張において、30年以上一切変わらない人たちは、今ことごとく「左翼」に分類されるのかもしれない。それをもし「左翼だとおっしゃるのなら、左翼でけっこうです。」と私も言いたい。以下通販生活より抜粋。 ☆編集部からのお答え 172人の読者のご批判は、おおむね次の3つに集中していました。 ⑴買い物雑誌は商品の情報だけで、政治的な主張はのせるべきではない。 ⑵政治的記事をのせるのなら両論併記型でのせるべきだ。 ⑶通販生活は左翼雑誌になったのか。 ⑴について申しますと、「買い物カタログに政治を持ち込むな」というご意見は「音楽に政治を持ち込むな」と同じ意見になるのかなと思いました。 たとえば福島第一原発のメルトダウンがいい例ですが、日々の暮しは政治に直接、影響を受けます。したがって、「お金儲けだけ考えて、政治の話には口をつぐむ企業」にはなりたくないと小社は考えています。「政治の話は別にやれ」という使い分けもしたくありません。企業の理念と行動をありのまま読者の皆さんにお見せしたいと考えています。 ⑵の両論併記は、「対立する異論を理解し合う形式」の一つと考えて実行してきました。これからも実行していきます。しかし、憲法学者の約9割が違憲としたほどの「安倍内閣の集団的自衛権の行使容認に関する決め方」は両論併記以前の問題と考えた次第です。 ⑶についてお答えします。 戦争、まっぴら御免。 原発、まっぴら御免。 言論圧力、まっぴら御免。 沖縄差別、まっぴら御免。 通販生活の政治的主張は、ざっとこんなところですが、こんな「まっぴら」を左翼だとおっしゃるのなら、左翼でけっこうです。 「良質の商品を買いたいだけなのに、政治信条の違いで買えなくなるのが残念」と今後の購読を中止された方には、心からおわびいたします。永年のお買い物、本当にありがとうございました。
2016年10月29日
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昨年のことですが、7年ぶりぐらいにAmazonの書評レビューを再開した。要はブログに書いた書評をそのまま転載するだけ。昔は実は600近くの書評をここに載せていた。なぜ止めたか。一番大きな理由は、字数制限があったからである(現在はほぼ無い)。800字か1000字で打ち止めになっていたのではないかと思う。もっと前には、一つ一つの書評に内容審査が入って、しかもどうして掲載差し止めになったか理由がわからなかった。それで数年間止めていた時もある。ただ、それは2005年ころになくなっていて再開したのだが、字数のことでやはり止めたのだ。 実は私は、2000年ごろのAmazon発足当時の書評欄ができたころからのレビュアーである。だから、最初の頃は書評を書く人があまりいないせいもあって、ベスト10レビュアー(基準がいまだによくわからないが、書評数と「参考になった」数とを参考にして決めていたようだ)になったこともある。その後ベスト50からベスト100に次第と下がっていって、7年前にやめたころにはベスト1000ぐらいまでに下がっていたと思う。今回再開するときにはベスト2000ぐらいまで下がっていた。 ところが、この下の書評を書いてしばらくすると、ベスト3000ぐらいに順位が下がったことを知った。理由は明白であり、この本に関しては、異常なくらいに★5とかにつけている書評に対して「参考にならない」評価をつける人がいるのである。他のアベノミクス批判の本にもその傾向があるが、SEALDs が関係する本に関しては「異常」が付くくらいに否定「票」が押されたようだ。基本的に一人一票制のはずだが、これはぜったいにそうではなくて、おそらく数人の何か使命を帯びたような気持になっている人か、本当に組織された人たちが、アカウントを替えながら投票しているのだと思う。もちろんそれは私の推測であり、それが何人でやっているのか、もしかして2-3人でやっているのか、それもわからない。特徴は批判の書評を書く人も、否定票を入れる人も、内容がなく機械的だということである。 どちらにせよ、それはものすごいエネルギーのいることだと思う。一人が10投票するのでさえ、大変なエネルギーだと思うのだが、そう仮定したとしても20人以上(私の否定票は遅く書評を書いたので少ない。初期に書いた人はこの倍くらい否定票が入っている)が参加しているのである。 私は雇われてやっているとは思っていない。おそらく、自分の書評に否定票をたくさん入れられて恨みに思った人の仕業なのだろう。ネットウヨだけがこのような「執拗性」を持っているわけではない。左翼同士のコメントのやり取りも、時々いやな執拗性を帯びることがあり、これは匿名のネット社会の持つ性格なのだと私は思っている。 ともかく「243 人中、48人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。」というのは「異常」な状態である、ということをみんなに知らせたくて、この一文を書いた。もしこの文章が本当にひどい書評だったのだとしたら、せいぜい「40人中、2人の方が」ぐらいが本来の在り方だと思うのだ。 SEALDs 民主主義ってこれだ! SEALDs(自由と民主主義のための学生緊急行動)著エディション: 単行本(ソフトカバー)価格: ¥ 1,620 243 人中、48人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。 5つ星のうち 5.0 スピーチを聴こう, 2015/11/13 レビュー対象商品: SEALDs 民主主義ってこれだ! (単行本(ソフトカバー)) 本をめくる。タイトルの次に、「目次」の代わりに「introduction」と銘打たれて、まるでアイドル写真集のように、2人の男女が廃墟のプール(?)で向き合っているカラー写真が載っている。隅にハンググライダーが飛んでいる。目次内容も右から左じゃない、左上から右下、英語半分だ。つまり、こういう「本の編集の仕方」(編集スタッフもおそ雇われてらくSEALDs)からSEALDsなのだ、とこの本は隅々まで訴えている。 つまり、ここには古臭い言い方で云えば「新しさ」がある。 一方で、彼らのスピーチやオピニオン(綱領?)は、古臭い私でも至極真っ当なモノなものと思えるのだ。だから、若者だけでなくいわゆる老人たちも「支持」「支援」したのだろう。12万人国会前集会が実現したのも、そういう訳なのだろう。 三章「Where we are from」の中心メンバー3人による対談で、やっと私はこの3年間の彼らの活動概略を知る。始まりは2012年原発再稼働反対で官邸前に集まっていた若者が結成したサークルみたいなものTAZ(一時的自律空間)だったらしい。2013年12月に特定秘密保護法が可決。そのあと本格的な運動体SASPL(特定秘密保護法に反対する学生有志の会)が結成される。それら最初の時から、彼らは「カッコいい」ことを求めている。「VOTE(投票に行こう)」Tシャツ着て写真を撮ってSNS上で拡散しまくる。やがて「カッコいい」デモのやり方も工夫する。フライヤー(チラシ)やスピーチのクオリティも上がってゆく。そして、SEALDs(自由と民主主義のための学生緊急行動)が今年の5月に立ち上がる。なるほど、ホントに充実した大学生活だったのだ。 しかし、彼らは流行として運動をしていたわけでも、カッコ良さだけを求めてこういう行動を起こしていたわけではないことは、この本に収められているメンバーのスピーチを読んだり、対談の中の「展望」を語っているところからも伺われる。 SEALDsメンバーには「知性」と「覚悟」がある。それらは、次の人たちとは極めて対照的である。ネットで使い古された言葉しか発さず、匿名でしか街頭に立つことが出来ない戦争法を支持する人たち。SEALDsはすべて「自分の言葉」で、必ず名前を明らかにしてスピーチしている。 この本には、この間のほぼ全員分のスピーチが収められている。モノローグも含めて、ほぼ全てのメンバーたちの想いを知ることが出来る。その意味で、SEALDsの全貌を知るためには、これは決定本である。しかし、SEALDsを紹介するためだけにこの本が作られたわけではないだろう。秘密保護法から安保関連法に至る、この国の向かっている未来の危険性に対して、未来を引き受ける若者たちの正面からの彼らなりの「答え」なのだ。スピーチを聴いて欲しい。出来ることならばYouTubeで検索すると見ることの出来るのでそれで聴いて欲しい。文書で読むとただ感心するだけだったスピーチを、生で聴くと泣いてしまったことのある私なのである。 2015年11月7日読了
2016年08月17日
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この問いは数年前のYahoo!知恵袋で出された言葉ですが、今何故持ってくるか、理由はわかりますよね。相模原事件の犯人の「主張」でもあるからです。私はこの問いに対する回答者の答に基本的に賛成します。彼は書いていませんが、福祉政策とは、人類社会の「生き残り戦略」でさえあると思います。少し長いですが、この回答に注目したブログ記事を紹介すると共に、その反応と私の感想を付け加えたい。なぜ弱者を抹殺してはいけないのか? Yahoo!知恵袋の回答が秀逸すぎる社会2015/07/2241この世は所詮「弱肉強食」。強き者だけが生き残り、弱き者は滅びる。社会の残酷さをあらわした言葉ではあるが、果たしてそれが自然の摂理なのだろうか?Yahoo!知恵袋に、弱肉強食がなぜ人間の社会では行われないのか? という質問があった。弱者を抹殺する。不謹慎な質問ですが、疑問に思ったのでお答え頂ければと思います。自然界では弱肉強食という単語通り、弱い者が強い者に捕食される。でも人間の社会では何故それが行われないのでしょうか?文明が開かれた頃は、種族同士の争いが行われ、弱い者は殺されて行きました。ですが、今日の社会では弱者を税金だのなんだので、生かしてます。優れた遺伝子が生き残るのが自然の摂理ではないのですか。今の人間社会は理に適ってないのではないでしょうか質問があったのは2011年6月1日になるが、説得力のある回答なので、ご紹介させていただきたい。え~っと、、、よくある勘違いなんですが、自然界は「弱肉強食」ではありません弱いからといって喰われるとは限らないし、強いからといって食えるとも限りません虎は兎より掛け値なしに強いですが、兎は世界中で繁栄し、虎は絶滅の危機に瀕しています***自然界の掟は、個体レベルでは「全肉全食」で、種レベルでは「適者生存」です個体レベルでは、最終的に全ての個体が「喰われ」ます全ての個体は、多少の寿命の差こそあれ、必ず死にます個体間の寿命の違いは、自然界全体で観れば意味はありませんある犬が2年生き、別の犬が10年生きたとしても、それはほとんど大した違いは無く、どっちでもいいことです種レベルでは「適者生存」ですこの言葉は誤解されて広まってますが、決して「弱肉強食」の意味ではありません「強い者」が残るのではなく、「適した者」が残るんです(「残る」という意味が、「個体が生き延びる」という意味で無く「遺伝子が次世代に受け継がれる」の意味であることに注意)回答者は、自然界は弱肉強食ではないと指摘。ウサギが繁栄し、トラが絶滅の危機に瀕していることを例に挙げる。種レベルでは、「弱肉強食」ではなく、「適者生存」で成り立っているというのだ。さらにこう続ける。「適応」してさえいれば、強かろうが弱かろうが関係無いんですそして「適者生存」の意味が、「個体が生き延びる」という意味で無く「遺伝子が次世代に受け継がれる」の意味である以上、ある特定の個体が外敵に喰われようがどうしようが関係ないんです10年生き延びて子を1匹しか生まなかった個体と、1年しか生きられなかったが子を10匹生んだ個体とでは、後者の方がより「適者」として「生存」したことになります「生存」が「子孫を残すこと」であり、「適応」の仕方が無数に可能性のあるものである以上、どのように「適応」するかはその生物の生存戦略次第ということになります人間の生存戦略は、、、、「社会性」生物それぞれに生存戦略がある。人間は「社会性」が戦略だという。高度に機能的な社会を作り、その互助作用でもって個体を保護する個別的には長期の生存が不可能な個体(=つまり、質問主さんがおっしゃる”弱者”です)も生き延びさせることで、子孫の繁栄の可能性を最大化する、、、、という戦略ですどれだけの個体が生き延びられるか、どの程度の”弱者”を生かすことが出来るかは、その社会の持つ力に比例します人類は文明を発展させることで、前時代では生かすことが出来なかった個体も生かすことができるようになりました生物の生存戦略としては大成功でしょう(生物が子孫を増やすのは本源的なものであり、そのこと自体の価値を問うてもそれは無意味です。「こんなに数を増やす必要があるのか?」という疑問は、自然界に立脚して論ずる限り意味を成しません)人間は、子孫の繁栄の可能性を最大化しているわけで、生存戦略として大成功している。「優秀な遺伝子」ってものは無いんですよあるのは「ある特定の環境において、有効であるかもしれない遺伝子」です遺伝子によって発現されるどういう”形質”が、どういう環境で生存に有利に働くかは計算不可能です例えば、現代社会の人類にとって「障害」としかみなされない形質も、将来は「有効な形質」になってるかもしれませんだから、可能であるならばできる限り多くのパターンの「障害(=つまるところ形質的イレギュラーですが)」を抱えておく方が、生存戦略上の「保険」となるんです遺伝子に優劣はなく、あるのは「ある特定の環境において、有効であるかもしれない遺伝子」。(中略)アマゾンのジャングルに一人で放置されて生き延びられる現代人はいませんねということは、「社会」というものが無い生の自然状態に置かれるなら、人間は全員「弱者」だということですその「弱者」たちが集まって、出来るだけ多くの「弱者」を生かすようにしたのが人間の生存戦略なんですだから社会科学では、「闘争」も「協働」も人間社会の構成要素だが、どちらがより「人間社会」の本質かといえば「協働」である、と答えるんです「闘争」がどれほど活発化しようが、最後は「協働」しないと人間は生き延びられないからです我々全員が「弱者」であり、「弱者」を生かすのがホモ・サピエンスの生存戦略だということです(※↓詳しくはコチラへ)参照:Yahoo!知恵袋この回答に対して、一部反感はあったようですが、概ね好意的に受け止められました。以下に示すように、医学的にそれを説明した意見も出ました。2016年1月8日 17:53回答者は「弱者を生かすことによる種としてのメリット」を主に論じている。例えば鎌状赤血球症という遺伝病は、赤血球が変形し、酸素を運びにくくなって貧血を起こす。行動不能を生み出す形質だから当然襲われやすい。しかし、この病気を持つ人はマラリアに抵抗性を持つ。もしもマラリアが無ければ淘汰される性質だが、生存に有利に働くこともある。このように、どこで何が生きてくるかわからないのが遺伝子の世界。弱者というのは遺伝的多様性を内在させているから、種としての人類が滅亡しないためには、そういった一見弱者とみなされる個体が必要なのだといいたいのだと思う。また、相模原事件を受けて、このように考えた人もいる。2016年7月27日 10:12子孫を繁栄させる能力のない人は適者ではないってことなのかな2016年7月28日 09:58これ、逆に考えれば「社会性のない人間」は淘汰されてもやむなしとも言えないだろうか。(引きこもりやADHDなどの発達障碍者も社会性があまりないわけですし) 嫌な言い方をするとそういう人たちは足の無いウサギや牙が無い虎にあたるから、死ぬのは当然という事になりそう。2016年7月28日 13:45>>「最後は「協働」しないと人間は生き延びられないからです」社会で協働できないのであれば、不要である事の裏返し重度な精神障害者は適応変化ではなく、欠損なので社会では不適格という答えは出ている自然界でも重大な欠損のある個体は放置され死に至る優しさのある回答だが、本質とは異なった導きになっているただ、どこまでが重度であり、軽度であるか線引きができないのでこのようなシステムとして受け入れているだけに過ぎない個人的意見では社会的犯罪(多数が迷惑だと思う行為)を犯した個体は健常者であろうと障害者であろうと同じ罪に処すべきだその上で拘束、懲役の環境を各自に適応した施設で行えば良い障害者無罪の現状は被害者を泣き寝入りさせるだけで障害者への理解から遠ざかる大きな原因となっていると思う2016年7月28日 14:05生存戦略のために弱者を生かすことが正しいというコイツの考え方もあれば、すべての人間がまともに生きるための食料、生活を維持するための生存戦略のために弱者を抹殺する考え方を持つことは一緒。結局自己の利益のための行動でしかない。道徳的に死なすわけにはいかないだけ。それが人の心コイツの考え方は人間以外の種が絶滅してもいいと言う考え方2016年7月28日 23:15この文章は、「適者生存」の話と「社会性」という生存戦略を併記した時点で、論理破綻を起こしています。そもそも「適者生存」は結果論の話であるのに対し、「社会性」という生存戦略の話は手段のはなしになっており、同じレベルで比べるものではない。みんなこの未曾有の事件を前にして、少なからず、混乱している。もちろん厳密に言えば「適者生存」と「社会性」を同列に論じてはならないと私も思う。しかしその二つは結びついているのも然りである。例えは、子孫を残さない障害者も生存させるべきか、答はYesだ。他の人々を殺さない、という範囲内で。展開すると、長くなるので、省略する。ただ、一言で言えば、それは歴史が証明している、と言いたい。私はこの回答を「基本的に賛成します」と書いた。それは一部歴史的に間違って伝わりやすいことを書いている、と思うからである。「人類は文明を発展させることで、前時代では生かすことが出来なかった個体も生かすことができるようになりました」文明という言葉を使うと、メソポタミア文明以降という風に勘違いされ易いのですが、実際には、人類はその発生時から障害者を保護して来た可能性があるのです。歩けないような怪我を負った人が或いは明らかな障害者が、その後も長い間生きていた証拠が何処の地域でも数多く遺っています。ハッキリ覚えていませんが、縄文・弥生時代の遺物からさえも、見たことがあります。だから、障害者は生きていていい、だけではない。生きておいて欲しいのです。この事件を契機に、こういう議論がもっとなされて、社会的な常識になって欲しいと思う。
2016年07月31日
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7月29日夕刻、水島の福田神社で「輪くぐり祭」があり、最近は水島に縁付いている(日常働いている所、水島平和委員会にも所属)こともあり寄ってみました。神社の入口に茅で大きな輪を作り、その輪をくぐることでその後一年の無病息災を願うというものです。また、その輪のすぐ隣に自由に茅の束を持ち帰ってもいいようになっており、その茅で小さな輪を作り、玄関に飾るようになっています。これは私の郷里(と言っても、水島からそんなに離れていないのですが)には無い風習です。水島の玄関によくみられる茅の輪の元がやっとわかりました。私は何かの宗教の家かと思っていました。「夏越しの大祓い」は、地域で様々な形で現れています。私の郷里には「なんめいだーよ」があります。子どもたちが大きな数珠を持って村の家々を巡り、家主が数珠を撫ぜることによって一年の無病息災を願うものです。「なんめいだーよ」と大きな声で唱えながら、家々を巡るのですが、当然「南無阿弥陀仏」が訛ったものだと思われます。浄土宗の影響はほこの称名以外には無いので、やはり虫送り神事の変形でしょう。今気がついたのですが、私の郷はそうはいっても農家が多いので、虫送り神事で祓い、水島のような町の神社では、輪くぐりのような都会的な祭が残ったのでしょうか?戦後の高度経済成長を契機に、地域の共同体は崩壊の危機にあります。水島は特に戦中(昭和15-20年)国策によって三菱飛行機工場が作られるにあたって無理やり計画的に作った街です。名古屋などから人々が大量に移住して来ました。その人たちと、昔から居る農家の人々を結びつける役割を、この福田神社が担って来たのかもしれません。そう考えると、いまだに神主さんも常駐する立派さを保って居るのが納得できます。わりと若い家族がやって来て、茅を持って次々と帰って行っていました。さて、明日の都知事選はこんな候補は選ばずに、クリーンで都民の視線に立ったジャーナリストの候補に当選してもらいたいものだ。
2016年07月30日
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大暑です。二年越しの念願、本格土用のうなぎ、食べました。さまざまなところから情報をとっておそらく岡山では一位二位を争うウナギの名店です。岡山市南区曽根「くりはら」うな丼(特)3240円。昨日は何時行ってもおそらく一時間以上待ったと思います。当然炭火焼。香ばしく、柔らかく、思った以上にすんなり入って後からズシリと来ます。さて、昨日は初めて日刊ゲンダイというタブロイド紙も買ってみました。こんな記事があったからです。鳥越候補の女性スキャンダル(という名の文春による選挙妨害)は大々的に報道するのに、昨日各テレビ局はこれを完全スルーしました。有名なきっこのツイッターはさらにひどい内容を暴露しています。「家賃も光熱費も無料の議員会館に事務所を置きながら、事務所費として4500万円も計上してポケットに入れていた小池百合子。阪神タイガースのファンクラブの会費から活け花の料金まで政治資金で支払っていた小池百合子。さすがは「女マスゾエ」と呼ばれる税金泥棒だね。あまりにもセコすぎる」ああ、暑苦しい。
2016年07月24日
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選挙結果には気が滅入った。もちろん、自公政権の大勝とか、改憲勢力が3分の2に届いたということにも 暗澹たる気持ちになったのだが、それ以上に気持ちが萎えたのは、投票率が約54%しかいかなかったということだ。事前調査ではまだ投票先を決めていないのは4割弱ということだった。決めていないんじゃない。行かないことに決めていて、なおかつ決めていても行かなかった人が少なからずいるのだ。その人たちは、「むつかしいことはわからないから、判断保留した」と言って、責任を回避したつもりなのか⁈あなたたちには、自公政権に投票したのと「同じ」責任がある。そのことを、よーくよーく自覚して欲しい。だんまりを決めていたら、嵐は過ぎ去るのではない。嵐はやって来る。一ヶ月前に「スターウォーズ1-3」の映画評を書いた。その時にフォースの暗黒面を司るシス卿が非常時大権(緊急事態条項)を手にし、やがては最高会議の場で皇帝になる様子を、アミダラ姫(ナタリー・ポートマン)がこう呟いた、と書いた。「自由は死んだ、万雷の拍手の中で」アメリカにとって、「自由」とは単なる権利ではなくて、国民の最も聖なる政治的精神と言ってもいいだろう。さしずめ、日本ならば「民主主義」というべきか。選挙という最も民主的な手続きの場で、いかにも「逃げ」を打って「民主主義」を殺したのだ、棄権した人々は!今はまだこんなことも自由に書ける。しかし、これからはちょっと書いただけで、「そんな過激なことは法に抵触するかもしれないよ」と親切な人が「忠告」にやってくるかもしれない。総選挙のあるニ年後か、5年後か、それはあっという間だ。こんなつぶやきもネットの海の中で、直ぐにうもれてしまう。棄権をした有権者の46%人たち、出来たらこのコメント欄に来てくれませんか。あなたが本当のところ、どんな気持ちで棄権をしたのか。私は知りたい。切実に。普通は自分のURLを持っていない方とはコメントのやり取りをしないのだけど、今回は特別です。お願いします。炎上覚悟でお願いします。
2016年07月11日
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別に宮脇咲良推しじゃないので、炎上しても励ましに行こうとかは思わないのですが、「事態はここまで来たか」と思ったのが正直なところです(下の記事参照)。今のところはアイドルだから炎上したぐらいですが、ここからは一般人が護憲を訴えただけで炎上するような事態になるまで、あと二歩ぐらいです。「おまえはそれでも日本人か」「非国民め」ということが蔓延した70年以上前の日本から、我々日本人はいったい少しも変わっていないことを証明する事態になるまであと少しです。明日の参議院選挙、少なくとも「3分の2取らせるな」!野党統一候補に投票してください。報道は「3分の2にせまる勢い」とありますが、宮脇咲良も選挙結果でそうなるとは初めて知ったのです。両親に相談して自民党に入れると決めていた若者だって、それを聞いたら考え直すかもしれない。それにまだ4割の有権者が投票先を決めていない。十分に逆転する可能性はまだあります。後世の子孫に「あのとき、お父さんお母さんはどっちに投票したの?」と聞かれて胸を張って答えれるように、護憲の一票を入れてください。民進党、共産党は信頼できない?大丈夫です。政権交代は起きません。今は護憲の一票を入れてください。棄権は自民党に票を入れるのと同じことですから、絶対にやめてください。もちろん、それを望んでいるのなら構いませんが、後世の子孫に判断保留をしたんだとは言わないでください。客観的に政権党を「信任投票」したのだから。明日の選挙、絶対に棄権はしないでください。HKT宮脇咲良は「3分の2取らせるな」で炎上も…東京女子流・新井ひとみ等アイドルが次々護憲を訴え!2016.07.07 自民党が「改憲」を選挙の争点からひた隠しにし続けている参議院選挙。多くの人々がその卑劣なやり方に対し非難の声をあげているなか、先日行われたAKB48選抜総選挙で6位に選ばれた宮脇咲良(HKT48チームK4/AKB48チームA兼任)が、5日「スポーツ報知」のウェブサイトに掲載された田原総一朗氏との対談で発した言葉により大炎上を起こしている。「民進党がツイッターで『(与党に)3分の2を取らせるな』と書いているのがトレンド(話題となっているキーワードのリスト)に上がっていて、その動画を見て初めて、憲法が変わるかもしれないというのを見て『あ、そうなんだ。取らせちゃいけないんだ』と思いました」 これに対し、ネットでは〈アイドルが聞きかじりの知識で政治を語るな〉〈はい、洗脳洗脳〉といったコメントが、ネトウヨのみならず、自称意識高い系の中立厨からも多く書き込まれた。 しかし、彼女はなにも間違ったことは言っていない。安倍首相は、もともと「改憲」を訴え続けてきていたし、改憲勢力が議席の3分の2を獲得すれば、いま自民党が見せかけで訴えている経済政策などそっちのけで改憲への議論を進めようとすることは疑いの余地がない。彼女はその事実をありのまま発言しただけだ。自民党に踊らされてるのは連中の方だろう。 こんな程度の発言ですら炎上してしまう状況では、芸能人やミュージシャンなどが政治的発言に対して萎縮してしまうのも当然だろう。日本は本当にとんでもなく息苦しい国になってしまった。 ところが、そんななか、宮脇咲良と同じ「アイドル」たちが日本国憲法に関し勇気ある発言を行った。 その発言が掲載されたのは、浅野いにお、吉田戦車、高橋のぼる、若杉公徳など連載陣のイラストとともに日本国憲法の全文が掲載された小冊子が付いていることでも話題の「週刊ビッグコミックスピリッツ」2016年7月18日号(小学館)でのこと。 そのグラビアページに、加藤夕夏(NMB48)、菊原結里亜(ひめキュンフルーツ缶)、小林れい(夢みるアドレセンス)、新井ひとみ(東京女子流)、新木こころ(LinQ)、山木梨沙(カントリー・ガールズ)と、今年18歳になり選挙権をもつようになったアイドル6人が登場。日本国憲法を実際に全文読み通してみて何を思ったかを語っている(厳密には東京女子流はもうアイドルではないが、「週刊ビッグコミックスピリッツ」誌面ではアイドルとして枠にくくられているため、本稿でもアイドルとして記述する)。 まず、愛媛県出身のローカルアイドル・ひめキュンフルーツ缶の菊原結里亜は、「法の下の平等」の理念に感じ入るものがあったと語る。そこには、女性として思うところがあったようだ。「私が印象に残った憲法の条文は、第十四条です。法の下の平等。当たり前だと思っていることが憲法に書かれていることで守られているんだと驚きました。いじめや女性差別など、今も問題になっていることがたくさんあって、平等ってなんなのか改めて考えさせられました。普段から意識していないといけないことだなって」 また、NMB48の加藤夕夏はこう語る。「日本国憲法はすごく難しかったですが、今回、読んで好きになったのは第十三条の幸福追求の権利についての条文。「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする」 私でもすんなり頭に入ってきました(笑)。やっぱり自由ってすばらしいし、今は、ステージで踊ることが本当に幸せ!」 自民党の改憲案では、この「公共の福祉」が「公益及び公の秩序」と書き換えられている。この微妙な書き換えが、権力が表現の自由を抑圧する可能性を開いていると現在危惧されているのだが、もしも、自民党の意のままに憲法が書き換えられたら、自由にステージで歌うこともできなくなってしまうかもしれない。 そして、「週刊ビッグコミックスピリッツ」に出演したなかで最も踏み込んだ発言を残したのが、12年、13年と二度も日本武道館単独公演を成功させているグループ、東京女子流の新井ひとみだ。「日本国憲法を初めて読んでみて、いいこと書いてあるなぁと思いました。「第三章 国民の権利及び義務 第二十一条 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する」が特に気に入りました。表現することは自由で、憲法に守られているんだって。私も表現者のひとりなので、心強く感じました。後はやっぱり、第九条 戦争の放棄ですね。私は絶対戦争は嫌なんです。日本国憲法を守っていってもらいたい。だって、いいこと書いてあるんですから!」 自民党改憲案において、表現の自由に関する条文には「公益及び公の秩序を害することを目的とした活動を行い、並びにそれを目的として結社をすることは、認められない」という文章が新たに付け加えられ、権力が国民の表現の自由を大きく制限することができるようになっている。また、第九条に関しては、ご存知の通り、「国防軍」に関する条項が新設されるなど、日本国憲法における理念は完全に破壊されている。 人権や国民の権利をいかに制限するかということばかり考えている政権与党の思うままに憲法を変えさせることは、将来のこの国を危険にさらすことにつながる。18歳の若者たちがこのようなメッセージを発したことの意味を噛み締めながら、我々は投票所に向かうべきである。(新田 樹)produced by 「13日の水曜日」碧猫さん
2016年07月09日
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