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(知人のメーリングリストから拝借。赤旗の記事らしい)
録画していたETV特集の 「加藤周一 その青春と戦争」
をやっと観た。素晴らしかった。幾つかの小さな発見と、何よりも加藤の瑞々しい文章と、それを読む学生の瑞々しい感性に触れて愉しかった。
死後数年経ってお菓子の缶に保存されていた1937年(17歳)から1942年(22歳)までの、評論や日記、詩などを書いたノートが見つかり、それを学生やいろんな人が読みながら、紹介してゆくというものでした。
全体的な感想を云えば、池澤夏樹が言うように、
「加藤周一は最初から加藤周一だった。観察者であり、分析者だった。論理的に生きて行こうという"決意"がある」
ということになる。しかし、学徒出陣の一年前にノート執筆を已めた加藤の中に、理不尽な死を前に何とかして世界を理解しようとする心が、揺れながら書かなくてはならないという気持ちも併せて観て取れる。論語を模した自叙伝や、後の三題噺を彷彿させるような「東京」という短文、等々。ここにはホントにその後の加藤周一を予見させる文章に満ちている。驚くのは、何処を切っても加藤周一なのに、文章そのものをこの後の分筆活動で「切り貼り」することは一度も無かった、ということ。
加藤周一はフランス文学「チボー家の人々」を自ら一部翻訳する。そこには、ヨーロッパの街の中、第一次世界大戦の直前にもかかわらず、人々が平和に無邪気に生きている様子が描かれるだろう。加藤周一は書く。
「歴史は繰り返す。1940年はいかに1914年に似ていることか。現代は何度絶望したら許されるのか。」
加藤がそう書いたその一年後に太平洋戦争が始まった。
歴史は繰り返す。2016年はいかに1940年に似ていることか。現代は何度絶望したら許されるのか。
現在95歳の加藤周一の妹の久子さんを、初めて見た。久子さんは、当時叔父の軍人岩村清一(ロンドン軍縮会議にも出席)の影響が強かっただろうという。叔父も戦争には負けると思っていて、戦争には反対だったらしい。
加藤周一の同級生の貴重な"生き残り"山崎剛太郎氏も登場。それと同時に、加藤周一がよく言及していた中西哲吉氏の写真も出てきた。今回、加藤が亡くなる直前のメモも紹介される。
加藤周一はその親友のことをだいたいこんな風に書いていた。
「私は戦争で2人の親友を失った。もし彼らが生きていたならば、日本もが再び戦争の道へといくことを許しはしない。私は親友を裏切りたくない。憲法9条には親友の願いが込められている」
中西は池澤夏樹によれば、加藤周一よりも優秀だったかもしれない、という人だった。
立命館の学生が加藤周一の青春ノートを真剣に読み込んでいて、嬉しかった。加藤周一を「古代に"逃避"している」とか「傍観者」とか、学生特有の性急な言葉を使いながら、基本的に加藤周一を理解していたように思う。最後のまとめ部分で、加藤周一から学んだ感想を述べて一人の学生の言葉が印象的だった。 「歴史は繰り返すのは、"人の弱さ"かもしれないけど、それを乗り越えることがあるとすれば"人の力"かもしれないと思う。そのように生きる力は、"人をつなぐ"ことだと思う」
がんばれ。がんばろう。
ちょっと急がせますが、再放送のお知らせです。
ETV特集「加藤周一 その青春と戦争」8月20日(土)午前0時〜1時(金曜日の深夜)
http://www4.nhk.or.jp/etv21c/2/
また、ツイッターの「加藤周一文庫」からの情報です。
本日のETV特集「加藤周一 その青春と戦争」で扱われる加藤の「ノート」は、インターネット上で全文を公開しています。番組を見て関心を持たれた方は、ぜひこちらもご覧ください。trc-adeac.trc.co.jp/WJ11C0/WJJS02U…
15:41 - 2016年8月13日
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