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2016年09月03日
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カテゴリ: 中江兆民
8月25日(木)二日目


7時 起床。ここのホテルは100円追加すると、朝食がつくと言うので、追加しておいた。こんなすごいボリュームとは知らなんだ。絶対これはお得でしょうう。
雨が降っていた。昨晩も駅に着くと、雨が止んだ直後だったし、今日も雨が降っている。天気予報は曇りのち晴れである。このように、天気予報が全然信用出来ないのは、今年始めの出雲の旅でも経験した。海沿いの地方の特色なのかもしれない。常に海から天気が変わってくるとしたら、訪問神は海からやってくるという信仰は、非常に説得力があったかもしれない。セブンイレブンで500円の傘を買った。まさか、雨はこの時だけで、そのあと一日中ずっと邪魔な傘を持ち歩くことになろうとは、その時は知る由も無かった。ともかく、チェックアウトの前の朝の遺跡巡りに出かける。高知市内には古代の遺跡はない。今回は弥生遺跡は完全に諦めている。今回の旅のテーマは、私の人生テーマのひとつである「中江兆民の時代をめぐる」である。左のカテゴリーに「中江兆民」があることからも、私の関心の深さを推察して欲しい。その割にはカテゴリーに記事数がこの数年間増えることは少なかったが、今回の旅は、「旅(日本)」にカテゴリーしない。たった2日の旅ではあるが、まだ全然書き切ってないが、非常に長くなる予定であり、カテゴリーは全て「中江兆民」にする予定である。何故ならば(これが旅の醍醐味なのだが)今回の旅で私の自由民権運動への視点が大きく変化したからである。そのことを文献を駆使しながらかなり長く書くと思う。もちろん、本来の旅の記録も、これから書くので、まるで司馬遼太郎の旅行記みたいな記事になりそうな予感がある。写真は、駅前から南に百mほど歩いた処にある山田町の八幡神社だ。その神社の至る所にの勧請を担ったであろう人々の名前があった。明治5年にこの町に移って来たというから、この名前は中江兆民の幼馴染の可能性がある。或いは幼馴染の親の名前か。名前を眺めるだけで、当時の様子が想像出来る。私は研究者ではないので、そのように自由に想像力を膨らませながら、大胆に記事を書くだろう。



八幡神社の絵馬。願い事は、非常に具体的で、かつきちんと名前・住所まで書いているのが多かった。この土地の伝統なのかもしれない。



中江兆民(弘化4年(1847)~明治34年(1901))幼名は竹馬。のちに篤助或いは篤介。兆民は筆名である。八幡神社のある旧山田町に生まれた。山田町の中でも、篤助は部屋町という武家屋敷に住んでいた。すぐ近くに牢があったようだ。土佐勤王党の志士が切腹する処を、少年篤助は塀をよじ登って見たことがあるらしい(15歳)。つまり、彼が父親の跡を就いで大人になる直前に尊皇攘夷運動の嵐は止んでいたのだ。


 父元助は足軽でしたが兆民が14歳の時亡くなり、母に育てられながら藩校文武館に入りました。

 文武館では萩原三奎、細川潤次郎について洋学を学び、岡本寧浦を師とする奥宮慥斎について陽明学を学びました。


 藩から留学を許された長崎ではフランス語を平井義十郎について学ぶとともに坂本龍馬や後藤象二郎、岩崎弥太郎たちと知り合いました。


 彼の語学力はすばらしく、岩倉遣欧使節団に参加フランスに行き法律や哲学を学ぶ中でルソーの著書に出会いました。


 帰国後しばらく法律の仕事をする合間にルソーの「社会契約論」を「民約論」として翻訳したり、フランス語学校校長などをしましたがすぐにやめ、自由民権運動に取り組むようになりました。


 明治23年(1890)第1回衆議院議員選挙に当選するも理想とかけはなれた議会に失望し国会を「無血虫の陳列場」とののしって辞職しました。
 以後、筆で政府と渡り合い、東洋自由新聞を創設しましたがわずか40日あまりでつぶされました。
 明治33年(1900)のどに痛みを感じ耳鼻咽喉科で喉頭癌で余命1年半あまりと宣告を受け、切開手術を受け「一年有半」「続一年有半」を書き残しました。 ( 「土佐の歴史散歩」 より)



山田町は武家も住んではいたが、基本的には町民の町ではなかったか。今でも醤油屋や機械工場がたくさんあった。今も運河がすぐそばに通って、商売にはいろいろ便利だったことが伺えます。しかし篤助は基本的には家で本ばかりを読む読書家だった。性格は温和でおとなしい。のちの奇行を好む変人の姿はなかった。



過去、高知市内には二回入ったことがある。一回は団体観光。桂浜の龍馬像は観たが、とうていこんな処まで来れる余裕はなかった。もう一回は、労組の会議で。朝早く起きたならば、来れたかもしれないが、事前の準備が悪くて、場所が全くわからなかった。この日もなかなか迷いました。もっとも、中江兆民誕生地の周りの風景は、こんな普通の路地である。よっぽどの物好きでなければ来ない。



やっと来ることが出来ました。中江兆民先生!
高知城から2キロ東にある町である。あとで述べるが、武市半平太が道場を開いていた菜園町も南に数百mほど行った処にある。江戸の町風に云えば、下町である。
石塔は1953年(s28年)、石碑は1981年(s56年)に建てられている。いずれも高知市教育委員会建立である。高知市内は昭和20年7月4日の空襲で、ほとんどが灰燼に帰したらしい。当時を偲ぶ建物は一切ない。





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最終更新日  2016年09月03日 10時18分07秒
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