全13件 (13件中 1-13件目)
1
今日は今月最後の月曜日。2月は逃げると言いますが、その通りです。今月は前半1月の気分を引きずってマッタリしていたのが、後半一転して、注文の件数が急増し、それも納期が厳しかったり、量が半端なく多かったりで、上手に組み合わせて空白が出ないように予定表をコマ割りするのに四苦八苦した月でした。でも、思い返してみると、2月は毎年そうだったような。。。ブログの記入歴を見ても2月3月は記事が極端に少ないです。今月も毎日追いまくられて、気付けば今日は27日、2月はもうあと2日しかありません。なのに、先週末24日が終わった時点で、2月中という納期の注文の2割以上が、まだ残っていました。特にここ10日ほど、皆大車輪で頑張りましたが、急いでも出来ないこともあり、急いではいけない仕事もあり、なかなかお客様の要望通りには進みません。25日から28日まで2月の残りはあと4日で、その4日の内2日が週末でお休み。やっぱり焦る、アセル。いつでも曜日に関係なく工場にいる夫社長だけでなく、息子も、嫌々なのは丸わかりながら、さすがに休日出勤すると言っていました。とはいえ、作れば出荷できるというものでもありません。製品は全数、検査員が目で見て検査をします。あの小さいカプセルをです。それをパスしたものしか出荷できないのは当然のこと。休日はもちろん検査はお休みですから、出荷が間に合うかどうか、今日、明日は時間との競争です。普段なら立てないようなギリギリの作業計画の中、実際の作業がその通りに運べば、何とか無事出荷できるという、恐ろしい状況が続きます。1製品が数万、数十万のオーダーですので、不良の少ない、綺麗な製品ができれば検査もスムーズに運び、最短で出荷できますが、不良が多くなると途端に検査の効率は極端に落ち、その結果再検査が必要なんてことになると、さらに時間がかかります。そうなると、納期に相当余裕のある注文でなければ納期遅れは必至です。週末に作った製品は、製造時点では問題はなかったようですが、検査の結果はどうか、全部出荷が終わるまでは心配な時間が続きます。不良品っていう言葉は、本当に心臓に悪いので、製造も検査も、みんなみんな、絶対不良を作らない、出荷しないと思って作業しています。でも、不良が出るのは、製造サイドのミスが原因ばかりではなく、カプセルや原料が原因で不良品多発、酷い時は製造不能ということもあるのです。初めての製品とか、カプセルや、原料の一部に変更があったとかなら、トラブルは予想の範囲内です。開発段階、試作段階までは問題がなかったのに、大量に製造するという条件が加わった実生産の段階で初めて発生するトラブルというのもあるし、場合によっては、机上の計画だけで機械を使った実機試作はしていない場合もなくはありません。カプセルと、原料の粉末と、製造する機械と、それぞれの相性というのもあったりします。なので、「初めて」という要素が入る場合は、製造開始前に十分準備し、用心して作り始めるのですが、何度か同じ仕様で作っている製品でも、不思議なことに、原料由来のトラブルが起きないという訳ではないのです。何しろ業界には、「粉は魔物」という言葉があるくらいです。カプセルも原料である粉末も最終工程であるmamatam社に来る前に色々と加工の段階を通ってきます。特に原料粉末は最初から粉体だったわけではなく、液体だったり個体だったりしたものを紛体へと加工したものも多いのです。ここまでのすべての段階で天候やら、温度湿度など様々の要因で性状に影響を受けていることがあるのでしょう。机上の理論通り、仕様書通りにはいかないことがえてして起こります。それが、「粉は魔物」の所以。それぞれの品質はその規準の範囲内で不良品なんかではないのに、それらすべてが合わさったらドカ~~ンと爆発、最後にきて不良多発!製造不能!!なんてことも、実はそう珍しい事でもありません。あ、ごめんなさい、ついつい語ってしまいました。まあ、そんな状況ですが、あと二日、mamatam社の総力、と言ってもたった5人前ですが、それを全員120%のパフォーマンスで6人前ぐらいに膨らませて頑張ろうと思います。ブロ友の皆さんも、お客様たち同様温かい目で見守ってください。今朝は早目に出かけるという社長に付き合って1時間以上早く起きましたので、今日はわたしも少し早く出社しましょう。そろそろ出かけます。今日はまた寒そうですので、皆さまも気を付けてお過ごしくださいね。では行ってまいります。
2017.02.27
コメント(15)
昨日は、あんなメンドクサイ日記をダラダラ長く書いてすみません。自分で詠み直しても、あまりのメンドクサさに、ブロ友さんたち、よくこんなの読んでくださって、コメントまで書いてくださってと、感謝の気持ちでいっぱいになりました。すみませんと言いながら、また続きを書いてしまいますが、コメ返代わりですので、読んでみてまたメンドクサかったらスルーしてくださいね。メンドクサイ、メンドクサイと書きすぎたと、反省しているのですよ。確かに面倒な物件ですが、債権者側は都市銀行だというし、破産管財人という人もいるし、背後には裁判所もついていますので、処理はむしろ完璧なのじゃないかと思います。メンドクサイのは処理ですから、その方たちが去った後は、綺麗に処理されて、スッキリしているはずと思っているのです。オーナーさんの方も、成年後見人や監督人、裁判所が出てくるのはおばあ様が存命中の事ですし、今回の承諾料の件で、次のオーナーさんがむちゃくちゃを言う方ではないらしいと安心できました。↑のゴタゴタが終わって契約が済めば、あとは、普通の貸借関係が残るだけですから、それは所有してるよりはシンプルじゃないと思いますが、税金の問題がないので、それと相殺したら、却って簡単かもと思って、それもこの物件のメリットの一つと思っています。それに、曰くつきなんて書いたけど、わたし自身、倒産物件だということは、あまり気にしていません。mamatam社の工場がある辺りは、超零細のmamatam社と似たような会社も珍しくなく、精々が小企業っていうサイズの会社がたくさんあります。誰かさんが景気対策とか言っていろいろしているようですが、効果があったとしてもその実感が一番遅れて届く地域で、ふと気づくと閉まっている!という工場も昨今目に付きます。昨年の12月から1月にかけても、相次いで2社が倒産するという噂が耳に入り、実際1月にはどちらの会社も閉鎖されました。mamatam社よりはずっと大きくて、ひとつは、わたしが小学生の頃にもうそこにあった、そこそこ歴史のある会社でした。そんな具合で、倒産ということが、不幸ではあるけれど、有り得ないほどの不運ではないという意識になってしまっているので、倒産物件という言葉にもあまり動じなかったのだと思います。問題の物件は、前の社長さんが30年の借地契約をし、その間に会社は代替わりして、数年前に息子さんが契約を更新して、営業も順調だったと聞きました。わたしも看板に見覚えのある○○電気という会社でしたが、街の電気屋さんではなく、住宅機器や電気部品を扱う会社だったようです。親会社というのでしょうか、納入先が数回にわたって不渡りを出し、そのあおりで倒産した、いわゆる「連鎖倒産」だったそうですが、店舗と事務所をそこにに置いて、他に倉庫や駐車場も借りたり所有したりしていたと言いますから、本当に順調に拡大していたのでしょう。mamatam社も同じ危険はいつでもありうる訳なので、注意して回避できるところはしていきたいものだと思いました。そういう事情はあるにしてもそれに関連して殺傷事件だとか、自殺だとかということがあったわけではないので、物件に関しては特に不安はありません。実際、東京都内の用地不足はそんなこと言ってられないほど深刻です。mamatam社が暫く前から会社の移転先を探していたことは昨日も書きましたが、出来れば同じ区内でと思っていると、希望の広さの物件はなかなか出てきません。あったと思えば、工場が建てられない用途地域(住宅専用)だったり、工場を建てるのに地理的に不都合(トラックが入れる道がないとか)だったり、価格も含めてなかなか条件が合いませんでした。事実、去年見に行った物件の前を、最近また通ったりすると、ほとんどがまだ売れずに残っています。もっと広い工場用地なら見つかったかもしれませんが、それには予算が足りませんし。。。営業上の理由とかいろいろなことがあって都内に拘ること、都内ではこの辺りは地価が比較的安いことなど、この区内にこだわる理由はよくわかりますが、端とはいえ都内、地価も安いわけではありませんし、一度探すのを止めてもう一度考え直そうということになりかけていました。そんな中で見つけたその物件は、全体を移せるほどの広さがなかったことを除けば特に瑕疵がなく、社長にとっては捨てがたい条件だったようです。わたしたちが出会う前にも、その物件への申し込みは数件あり、かなり乗り気な方もいらしたそうです。それがまとまらなかった理由は、話がなかなか進まないとか、倒産物件だということではなく、昨日も書いた、あの残置物だったようです。もちろん見て驚いて、その時点で逃げ出す人もいたでしょうが、問題はやはり費用でしょう。幹線道路に面した立地ですので、店舗にする目的で、内装にはあまり手間も費用も掛けないで済みそうだと考えた購入希望者が多かったのではないでしょうか。なにしろ「徒歩圏内に最寄駅無し」の場所ですから、やり方次第で経営は成り立つでしょうが、最初から大繁盛は望めそうにはありません。それだと、あの残置物の処理費用はかなりの障害になったと思います。mamatam社は、昨日も書きましたが、内装を食品工場仕様に変えなくてはなりませんから、ある程度の金額を見込んでいます。社長は、残置物の処理代は、その費用に吸収できると計算したみたいです。見積りをしてくれた大工さんは、電機部品とか資材は、ただでいいと言えば持って行く仲間がいるよと言っていましたし、2階の家具や雑貨、衣類などもリサイクル業者がただなら引き取ると思います。それでも残るものの処理費用はかかりますが、かなり圧縮されるでしょうし、わたしも、内装費用に吸収できる程度なのじゃないかと考えています。それより不安なのは、一年放っておいた屋内のごみ、特に住居部分に一番最初に手を触れるのがわたしになるのじゃないかということです。いずれにしても営業もしっかり燻蒸してからでないと始められませんから、最初に手を着ける前に、先ず燻蒸して、さらにもう一度燻蒸して、触るのはそれからにしようと、それくらいは考えているのですけど、それでも怖いです。住むにせよ住まないにせよ、機械搬入前には建物全体に清掃業者に入ってもらうつもりですから、もし住むとしても、その後の不安はあまりありません。とにかく何が不安って、「最初に」っていうのが一番不安なmamatamです。
2017.02.26
コメント(7)
そう聞くと、なんだか良い知らせのように思えるけれど、よく考えてみたら、「本決まり」って、「そろそろ」だったり「なりそう」だったりするもんではないのじゃないかと、ハタと思い当たったmamatamです。第一、本決まりが、嬉しいニュースなのかどうか、それもmamatamとしてはイマイチ微妙な。。。何回か書いている不動産のお話です。一昨日、タイトルみたいな電話が、不動産仲介の担当者さんからあったのです。まあ、「そろそろ」でも「なりそう」でも、とにかく本決まりが見えてきたということは、御破算という結論にはならないということのようです。そこまで来たのなら書いてもいいでしょうが、この物件は、建物付借地権というものでした。借地権の売買なら、普通であれば、先ず、借地権の所有者さんから、借地権を購入し、それが終わると、今度は、土地のオーナーさんと、土地を貸す借りるの関係になって、地代を払うという運びになります。もともと複雑と言えなくもない取引ですが、元の借地権者と土地のオーナーがきちんと関係を整理してから借地権の売買が実行されれば、取引に関しては面倒は起きないはずです。ところが今回の話は、元の借地権者というのが30年の契約をして5年ほどたったところで倒産してしまった、そんな曰くの付いた物件だったのです。そのことは、購入の意思があるので物件の内覧をさせてほしいと申し入れ、中に入るという時になって、不動産会社の担当者さんから知らされました。それ自体は別に問題になるわけではありませんが、中に入ってみて、ビックリ。工場の移転を考え始めていたmamatam社、それまでにもいくつかの物件を見ていましたが、それは初めての経験でした。正に夜逃げの状態だったのです。一階は店舗でしたが、事務所もお店部分も、全てそのまま。机や棚はもちろん、電話機からエアコンから、在庫品もカタログも、不要なものは全て置きっぱなしです。この片付けは、債権者もオーナーもする意思がないので、全て現状渡しでというお話でした。2階3階の住居部分は、別の意味でもっとすごいことになっていました。本当にいる物だけを持って出て行ったらしく、寝室には布団、クローゼットには衣類、靴、台所には食器、リビングには雑貨、椅子などの家具も数点。書類などの様々なペーパー類がそこらじゅうの床に散乱して、階段の上り下りも危険な状態でした。中に入ってみると、思っていたより狭く、工場を移転するのは無理だし、やめたら?と息子とわたしは言いましたが、一部移転して拡張する方向ならいけるというのが夫の考えで、上を事務所や倉庫として使うのが無理でも住むことは出来るし、と。そうなるともう人の言う事なんかこの人の耳には入りません。え?住むって誰が?わたしはイヤぁよ、とわたしが言っても、アパート出て、こっちに移る気はないよと息子が言っても、全然聞いていません。いずれにしても、仕事で使うには、工場の仕様に合わせて、かなりのリフォームをしなくてはなりませんから、片付けに多少の費用が余分にかかっても大した違いはないというのが夫の計算で、それでその金額なら、話を進めてくださいと、もう言っちゃってます。その時に、債権者側に破産管財人という人がいて、この人が債務者の財産をまとめて整理することになってて、それを実行するには裁判所の許可がいるので、手続きには時間がかかりますというような説明がありました。昨年の4月に自己破産の手続きがされたそうで、わたしたちがその物件を知った時点ですでに7カ月たっていたので、管財人も裁判所も、債権者も、早く片を付けたいと思っているということだったのです。早い話が、決まらないと競売物件になってしまい、それは債権者にもオーナーにも決して良い話ではないという事らしいのです。普通の不動産取引なら購入者さえ見つかればすぐにも取引が始まりますが、早く決めたいと言うなら手続きに時間がかかるといっても2か月くらいか、それなら、年内にも決着するのじゃないかと、夫は思っていたようです。でも、思った以上に話が進まず、債権者サイドもオーナーサイドも取引に乗り気と言う話、あれが実は違ってたんじゃないのかと息子が言い出した頃、出てきたのは、申し込みの受諾ではなく、名義書換え承諾料と、建替え承諾料の話でした。名義云々というのは、借地権者の名義を書き換えるのに土地所有者が請求するお金の事、建替え承諾料というのは、借地権者が借りている土地に建物を建てる(建て替える)のを承諾する時に土地のオーナーが請求するお金のことです。名義書換え承諾料は、前の借地権者が、建替え承諾料は、建て替えをする人が払うもので、mamatam社に関わるのは後者です。どちらも法律で決まっているものではありませんので、払わないからと言って、罰されるわけではありませんが、払わないと名義書換えの同意書がもらえないとか、建替え費用のローンを組んだり担保に入れる時に建替え同意書がないと出来ない場合もあるとか、そういうお金です。土地評価額の3~5%がそれぞれの相場とのことで、まあ、結構な金額です。そんな事、とっくに話し合い済みと思っていましたので、今更?感が半端なくて、どうなってるの?と思ったら、先日書いた、オーナーさんの成年後見人やその監督人の事を知らされ、オーナーサイドでも取引に裁判所の許可が必要だと分かったのです。「2か月後には決まる」どころか、1か月半経って、ようやくその承諾料の話になり、債権者側もオーナーと交渉しているとのこと。mamatam社側では、その間に見積りをとり、膨大なゴミ類は産業廃棄物になるので、処理費と運送料がかなりの金額になることがわかりました。建物はその後雨漏りが見つかり、ガス湯沸かし器とおふろ、トイレを交換しないと使えないこともわかって、使える状態にする工事だけでも相当の見積り額になりました。そうした費用をオーナーさんでなくこちらが負担する現状渡しを受け入れたのは、借地権料と地代がその金額を加えても適正だと思ったからです。思ったのは夫ですが。でも、その上に大規模リフォームとして承諾料が必要だと言うなら、話しは違います。かかるお金はもちろんですが、それ以上に、これから何十年も、もしかしたら息子一人が残ってからも付き合う相手としても考え直した方がいいのじゃないかということで、夫、息子、わたし3人の意見が一致し、その旨相手側に伝えました。それが昨年末のこと。結果、入居時の建替え承諾料は不要となりましたが、多分債権者とオーナーサイドとの承諾料の話し合いもあったのでしょう、この件に監督人、裁判所のOKが出るのに1か月。契約の申込書を送りました。そしたら今度は、債権者側、これはおそらくどこかの都市銀行ですが、その社内で、最終決定をする会議をしたところ、よくいるヤツですが、条件だか何だかもう決まっていることをなんだかんだと言いたてるのがいて。。。と、どうやらこれは銀行と不動産仲介業者の担当者同士の愚痴みたいなもののようですが、そんな事情で、また何週間か。そこを通過して、お銀行様の社内稟議も通り、債権者サイドの裁判所の許可も出て、これから契約書の作成にかかるというのが、冒頭の「そろそろ本決まりになりそうです」の中身なわけでした。やっぱりなんだかんだ3月一杯くらいかかるのかなあ。あちら様としてはなんと1年がかりの債権回収になるわけですね。銀行さんは、借地権を売ったお金から、オーナーさんにその1年分の地代を払うらしいですよ。オーナーさんも、一年ぶりに地代が入ってくるわけで、これを頼りに生活している人だったらどうなってだろう、何か救済措置があるのかしらなんて余計な心配もしてしまいます。こういう特殊な取引なので、普通なら必要な、申し込み時の手付金などの金銭の動きは一切なく、もし万が一支払いの直前にmamatam社が、やっぱりやめますと言ったとしても違約金など支払う必要はないんですって。mamatam社としては、仕事場が全部移転するわけではなく、mamatam家も今引っ越さなくてはならないわけではなく、しかも、「本決まり」までは一円のお金の動きもないという訳で、mamatam社というか、mamatam一家は暢気に構えているわけです。もっとも、これ、仲介会社の担当者が一手にこのメンドクサイ話を引き受けて、中間報告をしてくれるのを聞くだけだから、嫌気も差さずにここまで来たのでしょう。これで、動き出すとどうなのか、そこは未知の世界で、未知だからこその暢気でもあるわけです。きっと一気にいろいろ押し寄せてくるのでしょうね。本当はわたしとしては、今だって思うこと山盛りな筈なのですけど、言っても聞かないからなあ、誰かさん。解決の見込みもないのに思い悩めば疲れるばかりです。前もって心配するのはやめておきます。いずれ必要になる時のために体力は無駄遣いしないようにしないとね。
2017.02.25
コメント(9)
昨日、一昨日の日記にいただいたコメントを読んで、言葉についてもう少し書きたくなりました。引っ張りますが、お付き合いいただけると嬉しいです。naominさんが書いていらした「ざあます言葉」、上流婦人の代名詞のようなイメージから、身につかないざあます言葉を撒き散らす似非上流婦人が蔓延り、それを揶揄するのが流行りのようになったこともあり、今やほとんど使う方もなく、もとよりmamatamの身の周りにちゃんとした遣い手の居るはずもなく、もはや絶滅したかと危惧していました。naominさんのblogを拝見したときは、なんだかとても嬉しくなったことを覚えています。いわどんさんのおっしゃるディープな三河弁は、是非、生で聞いてみたいものです。でも、トンカツさんが、名古屋市でも、上町、下町で言葉が違ったけれど、いつの間にか消滅したと書かれているように、これも、恐らく葛西弁同様、絶滅危惧種なのでしょうね。絶滅というなら、wakko-chanさんの「間尺に合わねぇ」のおじさまですよね。わたしにも明治の最後の年に生まれた伯父がいて、父より一回り上のこの伯父がしゃべると、まさに江戸落語でした。玄関を開けるなり、「おう。ここんちゃぁ遠いなぁ。今日はあっついからさぁ、おらぁ往生しちゃったよ。」なんて言いながら入ってきた姿が、今も目に浮かびます。泥棒のことを、ぬすっとぉって言ってたことを、何の脈絡もなく思い出しました。この伯父は職人でしたが、連れ合いである伯母は、京橋にあった大きな会社の本社で定年まで電話交換手をした人で、ざあますはさすがに言いませんでしたが、何かにつけて山の手風に振る舞い、周囲から、大分に浮いていたようです。住んでいたところが、父もそこで生まれた月島の家でしたから、まあ、浮きますよね、そういう人。(蛇足ですが、今や高層住宅がひしめく最先端の街月島は、その頃は築地と東京港に挟まれ、職人や魚河岸、木場のお兄さんたちが多く住むまさに下町で、長屋みたいな家が狭い路地の両側に軒を並べていた、そんな街でした。)子どもだったわたしにはわかりませんでしたが、今考えれば、妙な取り合わせの夫婦だったでしょうね。にととらさんの書かれている江古田にも、偶然ですが思い出があります。遠い親戚が江古田に住んでいて、子どもの頃、何度か行ったことがあるのです。母は江古田のおばさんとのうちと言っていました。でも、いつしかそのご縁も切れ、江古田に行くこともなくなりました。ここまでに出てくる江古田は、全部「えごた」と読みます。時は移って、大学生になったわたしは、3年生だったかの春休みに、池袋のパルコでアルバイトをしていました。そのアルバイト先でお友だちになったのが、佳子さんという音大生でした。その彼女の住まいが、江古田でした。 その駅名、町名を彼女は「えこだ」と言っていて、最初は「えごた」とは場所だと思っていました。色々話すと、同じ場所と言うことがわかりましたが、なぜ彼女がえこだと呼ぶのか、分からず、うちの母が間違っていたのだろうと一人合点していました。それが、今回のにととらさんのコメントで謎が解けました。おかあさん、疑ってごめんね。にととらさん、ありがとうございました。wakko-chanさんが書かれているように、江戸っ子は三代続いて初めて本物なんて言われますが、同じ地域の人同士が結婚するのが当たり前だった昔と違って、今は、人の移動も多く出会いの場も広がっていますから、他県の方同士の結婚の方が多くて、東京出身同士の結婚が三代続くなんてほぼありえなくなりましたよね。わが家の場合も、わたしの祖母は足軽の娘という、由緒正しい江戸っ子貧乏人の出だったそうで、代々のお墓も芝の増上寺にあったと言い、ここまでは間違いなく江戸っ子だったようです。でも、祖母は福島出身の職人だった祖父と結婚し、その息子であるわたしの父は、山梨出身の母とご縁があり結婚しました。わたしの夫は鹿児島出身です。もう、我が家は江戸っ子とはとても言えませんね。 皆さんが仰るように、時と共に社会も変わり、それに連れて言葉も変わっていくということなのでしょうね。
2017.02.23
コメント(6)
近頃は下町の人でも、「ひ」が言えない人はあまりいませんが、わたしが子どもの頃は、そんな人が身の周りにゴロゴロしていました。「しゃく円だまぁしろった(百円玉を拾った)」りするのは日常茶飯事、でもありませんね。あの頃100円は結構な金額でしたから。拾ったのが子どもだったりすると、交番に届けなかったら、お巡りさんに捕まるんじゃないかと、本気で怯えたような気がします。男の子たちは、お水などが冷たいと、冷やっこい⇒しゃっこいと言い、水道のお水を掛け合って「しゃっけぇ!」なんて叫んでましたっけ。そういう子どもが大人になったわけですから、大人の人たちもご同様でした。父の同僚の広田さんを、会社の人たちは「しろさん」と呼んでいましたし、ご近所のひでこちゃんは、「しでこ」「しでちゃん」でした。ひでちゃんち(=ひでちゃんのうち、これも東京方言かも)は農家で、おばあちゃんがいました。このおばあちゃんの言葉がまた、ひときわ異彩を放っていて、ひでちゃんのことも、普段は「しでこ」と呼んでいましたが、たまに「うちのしであま」と言っていました。イントネーションがまた独特で、わたしには再現できませんが、今にして思うと、あれは東京弁というより、さらにもう1ランクディープな「葛西弁」だったのかも知れません。葛西弁は、発音は、東京弁とさほど違わないんですが、アクセントやイントネーションが独特で、世界で一番有名なネズミさんが生息する街の隣町、葛西地区で主に使われていました。なので、お隣には浦安弁、さらにその東側には行徳弁っていうのもあったそうで、こうなると、ハナシがディープすぎて、話すどころか、母語としてない人間には聞き分けることもできませんが。この頃の家の近くに電気屋さんがあって、「しらかわでんき」さん。小学校に入学後引っ越して、数年前、その辺りを通りがかったら、そこにはそのお店はもうありませんでした。なので、そのお店が「白川電気」だったのか「平川電気」だったのかは、わからずじまいです。高校生になって遊びに行った友達の家で、友達が隣に住む3つ年下の従妹を「しろちゃん」と紹介してくれたこともありました。漢字で書くと「弘美」ちゃんだそうでした。友達のうちの小父さんもアサシヒンブンのクチでしたから、親戚うちでは弘美ちゃんはシロミちゃんだったのでしょう。そう言えば、子どもの頃借家に住んでいて、その大家さんちのお兄さんは、「しろしちゃん」でしたっけ。一音だけでもこの騒ぎですから、「ひ」と「し」が混在していると、もっと妙なことが起こります。例えば「潮干狩り」は、素直に行けば「しおしがり」ですが、どういうわけかこんがらかって「ひおしがり」。「ひよしがり」という人もいました。朝日新聞は「あさっしんぶん」か良くて「あさししんぶん」、緊張するとこんがらかって「あさしひんぶん」。近くのお宮、白髭神社は、「ひらしげじんじゃ」でしたし、表彰状とちゃんと言えるのは、学校の先生とか、少数派でした。消費者とか、東広島なんて言葉を発音するのは、はなから無理という人がほとんどだったと思います。「ひしもち」も鬼門だったでしょうね。わたし自身、子どものころは、あの菱形のお餅をちゃんと目にしていながら、耳から入ってくる音に引かれて「獅子餅」だと思っていました。国語の教科書に「ひしひしと」なんて言葉が出てきたひにはもう大変。音読を当てられた子は、顔を真っ赤にして一生懸命読むのですが、何度読み直しても「しししし、しししし」になってしまい、周りは、自分が当たらなかった安心感も手伝って、クスクス、ゲラゲラ、「なんだよ、シーシー言って!」なんて茶化す子もいて、そのうち大爆笑でした。そう言えば、父は、シュ、ジュの発音も苦手でした。手術なんて絶対言えませんでした。なんて言ってたか?わたしの耳にはシリツと聞こえていました。新宿はシンジクに聞こえましたし、数珠はズズ、おジズでしたね。子どもの世界だと、塾は「じく」で、「そろばんじく」に通いました。授業時間のことを「じぎょうちゅう」といっていました。でも、週刊誌とか、柔道は大丈夫でした。のばす音なら言えたのですね。大人も子どももそろって舌の回ってなかったあの頃。。。そんな父も、老境に入ったころには、七味くらいは言えるようになっていました。ふろう閑人さんのひらがなの駅名表示のように、ラベルに書きこまれていたり、またテレビの影響もあったかもしれません。わたしもほとんど忘れていました。お友達のブログのおかげで、いろいろ楽しいことを思い出させていただき、ついだらだらと書いてしまいましたが、懐かしかったです。
2017.02.22
コメント(8)
生粋の京都人でいらっしゃる、ブロ友のふろう閑人さんが、京都では元来七は「ひち」でご自分もそういっていたのだけれど、昨今「しち」が正しいみたいな風潮があって、例えば「七条」などの駅名は駅名表示につられて「しち」と読むことが多くなったと書かれていました。駅名、地名に関しては、漢字表記はそのままなのに、なぜか昔からの呼び方と違う読みを付けてる町名や駅名、東京にもかなりあります。例えば、高田馬場、堀部安兵衛の助太刀、18人斬り等お芝居や講談、落語でも有名な場所です。わたしはずっと「たかたのばば」と言っていましたが、ある時駅名表示が「たかだのばば」になっていることに気づきました。耳をそばだててよく聞くと、なんと、車内のアナウンスも「だ」と濁っています。更に極めつけは、PCの漢字変換でした。「たかたのばば」と打ち込むと変換されないのです。「たかだのばば」だと高田馬場と変換されます。それは、すごいショックでした。誰か(おそらくJRの)が、歴史も講談も落語も、住んでいる人間が呼び習わしていた地名も無視して、「日本全国、高田はたかだと読むのが常識!」とか言って、読み方を決めたのでしょうね。なあんて、敵意も露わに決めつけちゃってますが、京都の「ひちじょう」も、標準語を作るときに、七を「しち」と決めたせいで「しちじょう」にされたと仰る方もいるそうですから、「ひちじょう」と「たかたのばば」は、同じ論理で変えられてしまったのかもしれません。地名、駅名にとどまらず、ふろう閑人さんにとっては、「七味」(トウガラシ)も「ひちみ」だそうで、それを読んで、下町育ちで生涯「ひ」の発音が苦手だったけれど、七味が大好きだったわたしの父が京都に行ったら、辛いではなく苦い思いをするところだったかもなどと、バカな連想をしてしまいました。因みに、うちの父、わたしが子どもの頃は七味唐辛子をナナイロと呼んでいました。恐らく、3音全部イの段の「しちみ」は、言いにくかったのでしょうね、落語なんかでも七色唐辛子って言いますよね。考えてみると東京弁(?)のハ行とサ行、それにイの段とウの段の発音って、ちょっとヘンというか独特かも知れません。言語学的に説明する言葉があるのかもしれないけれど、専門用語をわたしは知らないので、うまく言えませんが、どれもあまりしっかり発音しないのですよね。ハ行サ行でもハヘホとかサセソはまあ普通ですが、ヒフ、シスは子音が弱いうえに母音は音になってなくてただ口の形だけで発音してるというか、アルファベットで表すとわかりやすいかしら?ヒはうまくローマ字表示ができませんが、フはfuでなくf、シはshiではなくsh、スもsuではなくsに近いのです。シもチも母音がないので七味=シチミって、早口の江戸っ子には言いづらかったのでしょうね。そういえば、チもchiというより英語のchに近いです。そう言えば、東京弁のヒは、ドイツ語のchに近いです。よく知られているドイツ語のアイラブユー、イッヒ・リーベ・ディッヒのヒ、あ、マレーネ・ディートリッヒのヒという方がわかりやすい?うん、まあ、そういうヒです、母音がないんです。同じ東京の中でも下町言葉と山の手言葉は似ているようで似ていないことが結構あるのですが、この発音に関してはほとんど同じ気がします。山の手言葉の方でも、イやウを、関西の方のようにしっかりはっきり発声されることはないのじゃないかしら。例えば、山の手言葉でも、寿司は、s-shに近い発音だと思います。ただ、山の手と下町ではアクセントが少し違って、山の手言葉では後ろにアクセントが来ることが多いみたいです。って、山の手言葉の事になると、途端に歯切れが悪くなっちゃうんですよね。多分、よその町、地方の人が聞けばほとんど同じように聞こえるであろう山の手言葉と下町言葉ですが、本人たちにとっては結構違っていて、わからないわけじゃないけど、話せと言われたら難しいとお互いに思っているような気がします。どちらも関東弁から派生したものですが、山の手の言葉は武士言葉がもとになり、下町言葉は、職人とか小商人などの町人の言葉だったようなので、いろんな意味で違うのでしょうね。思いつくままに書いているうちに、ハナシがずいぶんそれてきてしまいました。収拾がつかなくなってきたので、一旦逃げ出して、明日にでもまた改めて書き始めたいと思います。それでは本日はこれにて、いったん失礼いたします。
2017.02.21
コメント(9)
昨日、文楽のことを書くつもりだったのに、染五郎さんのことから書き始めたら途中でアップしてしまい、可笑しな日記になってしまったので、今日は張り切って文楽のはず。だったのに、ひさしぶりにやっちゃいました。昨日は保存のつもりで公開を押してしまったのですが、今日は公開のつもりで終了を押してしまうと言う大失態。2日続けてのトンチンカンに我ながら呆れています。書き直しかけたのですが、気が抜けてしまったのか、ハナシが決まりません。明日でももう一度気合いを入れ直して書きますね。その代わりにはなりませんが、先日からちょっと書きたいと思っていたことがあるので、そのオハナシを。。。3年ほど前、浮き指寝指というタイトルで、足指のことを書いたのですが、覚えておいでの方はいらっしゃらないでしょうね。浮き指のことを教えてくださった黒姫三四郎さんもブログを更新なさらなくなって久しいし。。。これはこれでとても気がかりなことなんですが、話を戻しますね。寝指というのは、小指が寝ている、つまり、爪が天井でなくて横を向いている状態です。わたしの指はまさにそれで、3年前には小指の爪は両足とも天井でなくほとんど90度横を向いていました。自分が、転びやすいまではいかないけれど、割に躓きやすいという自覚はあって、あるテレビ番組で、その原因がこの寝指だということを知りました。似たような指の変形で、浮き指は、力を入れずに足裏を地面(床)に着けた時、指が地面に接しておらず浮いている、そんな指のことを言います。健康な足裏は、土踏まずが浮いていて、足指と指の付け根、かかとの3カ所で体を支えていますが、浮き指とか寝指とかだと、指がその役目を果たせません。3点保持が2点保持になるのですから、安定はすごく悪くなるでしょう。これが進行すると色んな、ビックリするほど色んな不調が出て来るみたいです。足の裏や指の付け根が痛むとか肉刺ができるとかはまあ当然?、重心の偏りのために肩こり腰痛が起きるかもしれないことも想像がつきますね。専門家はその他にもいろいろ言っていますが、興味のある方はググってみてください。前の記事には、対策として足指の「ひろのば体操」のことを書きました。やり方はすごく簡単で、体力も技術もいらず、時間も1日5分か10分くらいでいいそうです。やり方はこんな感じ。椅子に座って右足を左のモモの上に置き、指を組むような形に、左手の指を右足の指の間に差し込みます。手の指はあまり深く差しこまず、掌が足の裏にぴったり付かない程度にします。手の親指と人差し指を足の親指に回して輪を作るようにし、他の4本の指先を足の指の甲側の付け根に置いて、軽く握ります。足指を甲の方に軽く押して反らせ、数秒おいて戻します。この時足の甲を伸ばして、指と一緒に反らないように気を付けて、押し方は、親指が90度くらい曲がればいいようです。これを片足5分くらいしたら、反対も5分位するとよいのですって。たしか簡単で時間もかからない事で、入浴後がよいと聞きましたが、わたしは朝やっていました。結構効果もありました。でも、その2カ月ほど後、ブロ友のひねくれくうみんさんに教えられて5本指ソックスを絹と木綿と二枚重ねて履くようになりました。くうみんさんから教わったのは、主にデトックスが目的でしたが、5本の指の間がしっかり開いて、地面をきちんと掴めるようになる感触があり、それに甘えて「ひろのば体操」はつい忘れがちになり、いつの間にか頭の中から消滅していました。あれから3年。。。先日、ふとそんなことを思い出し、改めて足を見てみました。まず、寝指問題を抱えていた小指(小趾)。今見ると、爪はほぼ上を向いていて、変形して小さくなっていた爪が、形も大きさも大分普通になっています。最近はつまずいたり転んだりすることも減っていたような気がします。ご朱印ウォークを楽しめるのも、歩くのが楽になったせいもあるのかもしれません。寝指の主な原因は、足に合わないきつい靴、特にパンプスのように先の細い靴らしいですね。そのためか、ある程度の年齢の女性のほとんどが寝指になっていると言う専門家もいるくらいだそうです。わたしは、5本指ソックスで指の間が常に広がっているので、細い靴、きつい靴を履かなくなりました。。しかも、さらにそれを2枚重ねて履くので、以前より2サイズくらい大きな靴を履くようになっています。体操もさぼっていたのに寝指が治ったのは、そのおかげでしょうか。でも、指のことは気になっているけど、お仕事の都合やファッションのお好みで、そんな格好は無理と言う方もいらしゃると思います。そういう方は是非広のば体操、試してみてください。検索してみると、たくさんの専門家の方が、いろんな体操やケア方法を提案しています。そんな中から、自分に合った方法を見付けるのもいいかもしれませんね。
2017.02.19
コメント(7)
見て来ました、文楽。近松名作集。今回は、第2部「曽根崎心中」と第3部「冥土の飛脚」。14時から20時まで 、頑張りました。入場前に、ビックリすることがありました。小劇場の裏口という感じの場所に楽屋口と事務所入口があるのですが、第2部の開場の直前にその楽屋口のところで、市川染五郎さんとすれ違ったのです。歌舞伎も、今、大劇場の方で公演をしていますので、ちょうど楽屋入りの時間だっただけなのでしょうが、なんだかうわーって思っちゃいました。テレビで拝見する通りの、スリムなイケメンさんで、お顔立ちもテレビのまま。闊達そうな微笑みを浮かべて、CMで、日本橋で江戸時代のご先祖様に会うっていうのがあるでしょ、あのご先祖様のイメージそのままでしたよ。ごめんなさい、文楽の帰りに電車の中で書きかけて、途中で下車駅に着いたので完了したまでは良かったのですが、下書き保存するつもりを公開するを捺してしまっていました。お見かけしたのは幸四郎さんじゃなくご子息の染五郎さんだったのに、松本幸四郎さんとすれ違ったと書いてしまっていたのに気づかず、そのままだったし(この記事は訂正してあります)。ごめんなさい。削除して書き直そうと思ったら、もうコメントいただいていたので、これはとりあえず訂正してアップしたまま、文楽の記事はまた後で書きますね。
2017.02.18
コメント(10)
明日は久しぶりに文楽鑑賞の予定。国立劇場の50周年記念イベントは嬉しいことにまだ続いていて、今月の公園は近松特集のようです。どうしてもみたい演目があり、明日は第2部と3部、連続で見ることになってしまいました。ここしばらく、夫社長がサービス(技術)の仕事で出張とか、通院で午前中お休みとかが多く、そういう時、わたしはいつもより1時間以上は早く出社しなくてはならないし、帰りも一番あとまで居残っているので、やたらに会社での滞在時間が長くて、とっても疲れています。明日、居眠りしちゃわないか、心配です。なあんて言いながら、ひとりだし、開演は2時過ぎなので、朝のうちにご朱印ウォークしたい、どこか近くによいスポットはないかしらなんて頭の片隅で思っていたりするのですから、我ながら訳がわかりません。まあ、多分お馴染みの怠けの虫が頭を占領して、時間ギリギリに家を飛び出すことになるのでしょうけど。ご朱印ウォークと言えば、この間、ネットサーフィンをしていたら、ご朱印を戴く時のマナーというような記事があり、ひきこまれました。その記事によれば、ご朱印って、昔は、写経をしてお寺に収め、その印として「納経印」を拝受していた、それがご朱印だったそうです。やがて、それが簡略化され、参拝するとその証に「印」を下さる寺院が現れ、それをご朱印というようになると、神社でも参詣の証にご朱印を戴けるところが出てきて、今のようなものになったんだとか。「わたしは、これだけ寺社を参拝して功徳を積んできましたので、どうぞ極楽往生させてください。」という意味で、亡くなった時に柩に一緒に入れて戴くものだそうです。ご朱印を集めるのは、終活みたいなものと言えるでしょうか。神社用とお寺用を分けなさいというのもそういうところかららしいです。ご朱印は、そのように参拝の証として戴くもの、だから、「お参りもせずにご朱印だけ集めるなんてもってのほかだし、戴く時のマナーとして、書いてくださっている間は静かに、お喋りしたりケイタイをいじったりせずにじっと待ちなさい、飲食もダメですよ。」なんですって。なんとなくわかってはいたつもりでしたが、きっちり説明していただいて改めて納得できました。そう考えると、ご朱印がステキだとか字が達筆だとか下手だとか、そういう見た目をうんぬんすべきではないというのは当たり前のことですよね。今までの日記を読んだ方も感じていらしたと思いますが、わたしも、字があまり上手じゃないとか、はんこだけしかないとか、もっと練習したらいいのにとか、もう少し工夫したらどうなのとか、内心では不満に感じ辛辣な思いを向けたことが、実は何度もありました。それも修行なんじゃないの?なんて偉そうなことまで。ほ~~んと、余計なお世話でしたよね。去年、高野山、身延山で戴いたご朱印をアップした時も、さすがに立派です!なんて感激して書きましたが、それはこのネガティブな考えの裏返しとでもありました。これまで散々そんな風に思っていたわたしがこんなことを書くのは笑止千万と言われそうですけど、これからは認識を改めようと思いました。ただ、高野山でも身延山でも、戴いたご朱印から念いが伝わって来るような、何かを感じました。そんな基本的なことも知らずに、心の底ではコレクションでもするような気持で御朱印をお願いしていたわたしなどの事でも、極楽往生できますようにって念じながら書いてくださったのかなあって、そんな気がしたのです。相手がどうあれ、相手のために祈る。祈れる。それが宗教家としての修業なのかしらなんて、わかったようなことを書いちゃいますが、そう思って御朱印を眺めると、戴く御朱印が今までとはちょっと違って見えてくるような気がします。明日、元気があるかどうかわかりませんが、もしお参りに行けるくらい元気だったら、上に書いたようなことをきちんと意識して、ご朱印を戴きに行かないとね、と思っている、なかなか殊勝なmamatamなのでした。~
2017.02.17
コメント(10)
昨日は夫社長が急な出張で不在でした。 朝、出社してきた息子が作業室に入るなり、雨漏りがしていると飛び出してきました。ビックリして行ってみると確かに天井から水滴が垂れています。幸いなことに僅か十数cmの差で、大事な機械は水滴の直撃を免れていました。mamatam社の工場は賃貸で、建物の1階部分の、倉庫のようにがらんどうなところに建屋をはめ込んであります。2階部分には家主さん一家が住んでいるので、滴っている水は、雨水などではなく、上からの水漏れと思われました。 家主さんに水回りを見てもらおうと、急いで2階に上がり玄関で呼び鈴を捺しましたが返事がなくて、外出中のようでした。仲介の不動産屋さんに電話をして事情を話し、家主さんを探してもらいましたが、携帯にも出ないと言います。家族とも連絡がつかないらしく、鍵のかかった屋内には入ることもできません。息子が思いついて、水道局に相談してみようということになりましたが、水道局でもその状況では、打つ手がないと言います。ただ、水道の元栓のある場所を教えてくれたので、元栓を締めてみました。お昼過ぎ、効果が表れ、水滴はほとんど落ちてこなくなりました。とは言っても、天井はまだ湿気を含んだ状態だし、mamatam社が扱うカプセルも粉末も、水気は大敵なので、この時点でおいそれと作業を始めるわけにも行きません。水道の元栓も締めてしまっているので、お掃除もできず、なかなかできなかった荷物や資材の整理をしたりしていると、辺りが暗くなるころになってようやく大家さんが帰ってきました。2階を見に行って、蛇口は全部しっかりしまっているし、洗濯機のホース外れやトイレのタンクの故障もないと言います。お風呂も大丈夫。。。となると一体どういうこと?知り合いの工務店という人を連れてきましたが、この人もほとんど何もわからず、出入りの水道屋さんは忙しくて来られないというし、7時まで待ちましたが、これ以上進展はなさそうだと思い、帰宅しました。昨日、一旦水が止まったのを確認した後、どうしても水を使う必要もあったので、1時間半ほど元栓を開けて様子を見ていたら、再度の水漏れはありませんでしたから、その程度の時間なら元栓を開けて部品洗浄もできると判断し、天井もすっかり乾きましたので、今朝は作業を再開しました。すると、10時半ごろ、大家さんが、テレビでCMをしている水道修理の会社の人を連れてやってきました。それから元栓を開けたり閉めたり、小屋裏を覘いたりといろいろしてみたのですが、とうとう原因がわかりませんでした。わたしは、昨日午前中は大家さんを探したり水道局と話したり、不動産屋さんに文句を言ったりで潰れてしまい、午後も元栓を開けたり閉めたり、水漏れの様子を見たりと落ち着かず、ほとんど仕事が手に付かず、今朝出社したら机の上もパソコンの中もシッチャカメッチャカで悲惨なことになっていました。今日も、大家さんと水道屋さんが出たり入ったり。ニッパチらしく現場はそれほど忙しくはないし、電話もほとんどならないので、今でよかったぁ!の筈なのですが、わたしの仕事に関してだけは、そのバタバタが大迷惑なのです。月末から来月にかけて、うるさい几帳面なお客様の、段取りに手間のかかる注文が重なっていて、今は、同じウルサイ几帳面でも客先ごとに違う要望を、それぞれに間違いなくできるように作業指示書を作らなくてはならないし、納期を確認しながら作業スケジュールも調整しなくてはならないし、という訳で、心を落ち着け、頭を冷やして、机の上に広げた何枚もの書類を見比べながら作業に集中したいのに、ああ、もう!!な、昨日今日でした。それなのに、原因不明って、一体どういう事よ。息子が説明を聞いてくれたのですが、結局、水道管はどうやら穴も開いていないし、何か外れたりもしていなくて、排水系統も大丈夫。他の可能性、例えば湯沸かし器への給水管など細い管にピンホールが開いていないか、お風呂場など水回りのコーキングや、防水のコンクリートが破損して水が溜まっている個所がないか、とか、そういうことを逐一調べていくしかないんですって。 元栓を開けて、水が出るのがどの部分か調べさせてほしいと言ってきました。 元栓を閉めた状態では大家さん一家が生活できないということもあるのでしょう。 きちんと原因を調べて対策してもらわないと困るし、かといってもう一度水漏れなんてさらに困るからと、工場の建家と2階の間に防水シートを張ってもらうことにして、元栓を開けることに同意しました。まあ、仕方ありません、しっかり調べて戴きましょう。それにしても、場所だけでなく、タイミングも、作業が超忙しくなるはずの来週以降でなくて、不幸中の幸いでした。そんなバタバタした今日の夕方、例の不動産取引の件で仲介会社の担当者さんから、なかなか時間がかかっていて申し訳ありませんが、大丈夫、取引は前向きに継続中ですと電話がありました。実はこの取引、普通の不動産売買とは違う側面もあり、オーナーさん一家だけでなく、他にもいろんなメンドクサイ要素の絡んだオハナシでして、別方向にも、取引がサクサクと進まない障害?理由?がドンと存在しているのです。まあ、メンドクサイので話が遅いのは確かなハナシとはいえ、イカガワシイとか、タチノワルイ関係とかいうのではないので大丈夫なんですが、ここまで遅々として進まないと、実のところさすがにわたしたちもなかなか不安にはなります。「何か問題があって、話が進まないでいるわけではないのですね?」と確認すると、話の流れが進まない要素はあるけれど、大丈夫です、もう少し待ってくださいとのこと。 というわけで、今暫し「マテ、オアズケ」です。
2017.02.17
コメント(12)
東京は今日もカァンと底の抜けたような青空で、冬とは思えない日射しが降り注いでいました。昨日は、日射しは暖かくても、自転車が持っていかれそうな突風を交えた木枯らしがぴゅぅんぴゅぅんと吹いて、いい加減にして❗と叫びそうでしたが、今日は少し過ごし易かったようです。明日は、そろそろ花粉も飛びそうな暖かさになりそうで、ありがたいやら迷惑やら、思わず百面相をしておいでの方もいらっしゃるかもしれません。花粉と同列に扱っては失礼かもしれませんが、mamatam夫婦とmamatam社の一部の引越しに繋がる不動産取引も、そろそろ形をなしてきそうです。あまりに歩みが遅いので、相手サイドに相当の支障が生じているのじゃないかとか、この取引に乗り気ではないのかもとか、1ヶ月くらい前までは「お断り」を半分予想していました。ところが、12月に当方から出していた質問と要望に、1ヶ月以上もたった1月末、随分と好意的な回答が来て、それなら契約をと申し入れると、それも一足とびにはできなくて、まずは契約申込書というのを書いててくださいと言われ提出しました。それからはや2週間、相手方からはやはり音沙汰がありません。実はそれは案の定で、申込書には、すでに決済日が3月31日と書き込まれていたのです。双方に意志があっても、そんなにトントンとは進まない話だということは、あちらサイドでは既定の事実だったようです。仲介の不動産会社の担当者さんによると、こんなに話が進まない理由の一つに、タイトルの「成年後見人制度」があるそうです。成年後見人といのは、認知症とか精神障害などで判断力が十分でない方が、そのために不利益をこうむらないために選任されるもので、被後見人が詐欺商法に引っかかったとかそういう場合には、成年後見人は契約を解除できる権限があるそうですし、保護や入院が必要だと判断すれば後見人が手続きをする事が出来るとも聞きました。もちろん、あまり簡単に出来てしまうといろいろ不都合も生じる可能性があるからでしょう、手続きは中々煩雑で時間もかかるようです。誰が見ても入院や介護施設への入所が必要だというような状況でも、後見人は、裁判所の許可を得てからでないと手続きができないそうですから。先日の福島での後見人による遣い込み事件、こちらの被後見人は未成年でしたが、あのような事例を知ると、むしろ後見人が独断で簡単に財産の処分や処理をできないようにしておく方が良いのかと思ったりもしますね。とはいえ、そこをあまりに煩雑な手続きにしてしまう と、今度は後見人の負担が大きくなりすぎて不都合でしょうし、難しいですね。実は今回の物件のオーナーさんはご高齢のご婦人だそうで、非常に富裕な一家の、いわゆる刀自ですが、重度の認知症でほぼ寝たきりなので、息子さんが成年後見人をなさっているのだそうです。一般的には、成年後見人の仕事は、年に一度、収支をまとめ、裁判所に報告して承認を受けるという程度で、手に余るほど煩雑というわけではないことが多い。と、書かれてはいましたが、そんなこと言ったって、やっぱり大変に決まってますよね。だって、素人なんだし、ほとんどの人が本来の仕事もあるわけだし。でも、というか、だからというか、こちらのお宅では、老刀自の所有する財産について、成年後見人である息子さんのほかに、弁護士さんを後見監督人として選任していらっしゃるそうです。後見人を監督するのは基本的に裁判所ですが、後見人の仕事が大変だったり難しかったりする場合、監督人を選任することが出来るのだそうです。監督人を選任することができるのは、後見人受任者、被後見人本人、親族。裁判所の判断で監督人をつけることもあるそうです。それって、どんな判断、どんな理由なのかはわかりませんけど。こちらのご一家、かなりの財産家で、息子さんは、お勤めされていた会社でずいぶんよい地位にいたのを、一家の財産の管理のために辞められたとか。お母様の後見人をするには、それでも足りなくて後見監督人が必要だというのですから、その財産、推して知るべし?お陰で、後見人だけだったとしても普通より面倒だっただろう取引が、牛の歩みどころではありません。スピードだけでなく、判断基準も常識とは大分違うようで(悪い意味ではなくて)、全然問題ないだろうと思うようなことでも、あっさりOKがでるなんて期待してはいけないようです。それは今回のmamatam社との取引が如実に表していますね。こんなことがあったそうです。ある人に貸していた老刀自名義の土地が何だかややこしいことになり、面倒に思った息子さんは、上物(建物)ごと買い取ろうと思ったのだそうです。財産を増やしこそすれ、減らすことになる危険は全くなくて、決して損な取引ではなく、借り主も同意していたのに、監督人の弁護士さんから、老刀自の財産を増やすことになるという理由で反対されたそうです。それでも言い張って裁判所にもそう申し立てたら、裁判所からも弁護士さんと同じ理由で否認されてしまったんですって。お陰で一番手っ取り早い解決策と思われたその取引はご破算、そのややこしい話は解決に一年近くかかったそうです。それを話してくれた不動産会社の担当者さんも、意味わかりませんよねえって言ってましたが。財産からは、必要性のある支出しか認めないっていうことなのかなと思います。取引としては有利なものであっても、老刀自の財産を積極的に運用したいという老刀自ご本人の意志、意向が確認できない以上、運用すること自体が認められないのかもしれませんね。まあ、100%確実な取引などあり得ないわけですから、「不利益を被らない」ことに主眼を置くなら、監督人さんと裁判所の判断は正しいということになるのでしょう。今回の取引でも、不利益とならないために、慎重の上にも慎重にしっかりチェックをされているのでしょう。といっても、それは老刀自の利益だけ、mamatam社には何に利益もありはしなくて、ただもうやたらに時間がかかるだけというオハナシですが、幸い急いで進めなくてはいけない話ではなく、mamatam社の条件にはかなり合った物件でもあるので、話が決まるまではゆったり構えているのだと、これは夫社長の弁。わたしも、計画が動き出したら、大きな声で言わなくちゃならないことが山ほど出てくるでしょうし、夫社長とも一戦も二戦も交えなくてはならないと思うので、それまではおとなしくして、体力と気力を蓄えておかなくちゃと思っています。
2017.02.14
コメント(15)
またまたご無沙汰しました。寒い日が続いていますが、皆様お元気でお過ごしですか?東京の冬は、晴れて陽射しがあれば気温はそう低くはないのですが、空っ風は上州だけの名物ではなく、こちら東京でも木枯らしが毎日のように吹き、風速1m毎に1℃下がると言われる体感温度は1桁台の下の方になることも珍しくはありません。昔、ハンブルグ出身のドイツ語講師の先生が、東京はハンブルグより寒いと良くぼやいていらっしゃいましたし、北海道の方が東京の冬は寒い!と言われるというのもよく聞きます。 そんな中、毎朝毎夕自転車を走らせるのは、なかなかに体力を消耗します。 特に朝は、北に向かって走るので、風速数メートルの空っ風をまともに受けながらの出勤ですので、仕事場に着くと、もう気息えんえん。 しかも1月2月は、毎年、終わってみると仕事量はさほどでもなかったのに、なんだか忙しかったとなることが多いのです。 というのは、普段だと、複数の仕事を並行して受注するので、月を跨いでも仕事の流れが途切れずに続きますが、12月は年末休業の前にすべて完了させるために、1月は全てが一から始まるのです。 いつもなら前月のうちに原料が納品されていて、月の変わり目でも作業は途切れませんが、1月だけは、原料会社が仕事始めの翌日に原料を出荷するのを待ち、原料が入ってくるのを待ってようやく製造開始です。 製造を始められるのは早くて7日でしょうか。 一度途切れた仕事の流れが通常に戻るのに1週間以上かかるので、1月は実質20日くらいしかない感じで、月末はいつもバタバタです。 そして2月は、28日で3日少ないのですよね。 そして、注文というのはなぜか「今月末までに」というのが多くて、つまりいつもの月より納期が3日短いのです。 これがなかなか大変で、たかが3日、されど3日。 12月から続いてきての3日短縮ですから、本当に効くんですよね。 よく、年末進行と言われるようですが、年末で終わってくれるのならまだましかもと、毎年思います。 そんな2月末まであと2週間。 あと2週間頑張れば少し楽になります。 あ、でも今年はダメなんだっけ。 その頃に、多分例の引っ越しの話が動き出しそうなのです。 成年後見人制度ってごぞんじですよね? そういうものが絡んだ取引だそうで、だから話がチャッチャと進まないのです。 春が来るのに、なんだか憂鬱です。
2017.02.12
コメント(9)
風邪はもう随分前に治りました。痰が出やすくて、しょっちゅう咳払いしてしまうのが今の悩みですが、体調はほぼ完ぺきです。ただ寒さ疲れ?で、すごくダラダラしています。でも、今日は頑張って更新しようと洗濯が終わったのでPCの前に座っています。ご無沙汰は長かったですが、風邪は途中油断で1週間余分にかかったものの、割に早く治ったと思います。風邪をひいている間、わたしの対処法はとにかく暖かくすることに尽き、カイロ療法はずいぶんと有効だったように思います。毎日、入浴もしっかりしていましたが、シャンプーはなるべくしないようにしていました。わたしは、髪が長くて、腰に届くくらいあります。細くて量も少ないので、普段は、長さの割にはヘアドライの苦労はあまりありませんが、それでもしっかり乾かすには、それなりに時間がかかり、冬はやはり体が冷えてしまいますので、風邪ひき中はシャンプーをなるべく我慢しようと思いました。石けんシャンプーを使っていた時は、忙しかったり体調が悪くてシャンプーが出来なくても、それほどの不快感はありませんでしたので、それで困るとは思っていなかったのです。ところが!これが一苦労でした。実は、それまで使っていた石けんシャンプーがいつも買っていた楽天のお店になくなってしまい、1月から、以前お気に入りだったシャンプーを近くのお店で買って使っていたのです。ノンシリコンの、天然素材を謳ったシャンプーで、2年くらい前までずっと愛用していたものでしたが、石鹸ではなく合成洗剤のシャンプーです。石けんシャンプーのときは、シャンプーだけでリンスは使わず、シャンプー後、何種類かのオイルとジェルを混ぜた自家製トリートメントを付けていましたが、年末からは以前の習慣でシャンプーとトリートメントを買ってきて使っていました。普通の頻度でシャンプー出来ていた時には、石けんシャンプーを止めて合成洗剤に変えたことで、特に髪や頭皮に違和感は感じませんでした。でも、身体を冷やさないようにと日曜日の昼間にシャンプーをして、次の週末まで夜にはシャンプーしないつもりでいたのに、火曜日にはもう髪がべたべたし、頭皮には痒みが出てきました。翌日にはふけも出てきて、我慢が出来なくなり、シャンプーをしました。もう一度、石けんでないノンシリコンのシャンプーを使ってみようと思い、今度はトリートメントは使わずに、自作のオイルトリートメントをしました。洗い方も雑だったかもと思って、石けんシャンプーを使っていた時と同じくらいによく洗ってしっかりすすいで。。。でも、やはり結果は同じ。3日で限界がきました。もったいないけれどそのシャンプーを使うのはやめて、石鹸をしっかり泡だてた泡を洗面器に溜め、その泡でシャンプーしました。いくら大雑把なmamatamでも、石鹸をごしごし髪に擦りつけて洗うわけにはいきませんからね。とは申しましても、泡で洗ったところで、石けんで洗えばやはり髪がきしみます。それは以前使っていた石けんシャンプーでも同じなので、慌てず騒がず、お風呂上りの濡れ髪にオイルトリートメントをなじませます。髪が濡れているとオイルがついた感じがあまりしなくて、ついつけすぎるのですが、つけすぎると、乾いた後でベタベタになるので、物足りないくらいに少な目に、が、目安。慣れるまでは、加減が難しいです。あ、ごめんなさい、つい余計な説明を。mamatamさん、悪い癖ですよ。で、石けんシャンプーの効果は?もう、覿面!不快感は解消しました。日曜日にもシャンプーしておいたので、金曜日まではもちました。さすがに金曜日にはべとついて痒みも感じましたが、なんとか土曜日の昼間まで我慢できました。1週間もたつと、髪はちょっとパサついて艶がなくなりましたが、何しろロングなのできっちりまとめてしまえば、見た目は何とかごまかせます。これで風邪引き期間は乗り切りました。そして、毎回泡を洗面器に溜めるのは大変なので、とりあえず石けんシャンプーを近くの自然食品店で買ってきました。もう、普通にシャンプーできるので、せっかく買ったシャンプーがなくなるまでは使っても良いかとも思ったのですけど、ラベルの「髪しっとりつやつや」のキャッチコピーがが何だかとても胡散臭く見えてきたのです。確かにシリコンは入っていないし、天然のよいオイルも配合されていますが、表示を見るとそれ以外にもやたらにたくさんの種類の原料が配合されています。たぶんそれがあの「贅沢な艶としっとり感」の元であると同時に、あのべたつきと痒みの原因だろうと思えてきました。頻繁にシャンプーすればべたつきや痒みなどの不快感は感じないようだけれど、感じなくてもないわけではないと思うとが、なんだか不安になってきてしまったのです。髪が長いとリンスしないのがいかに楽だったかを思い出してしまったし。また、インターネットで買える石けんシャンプーを探そうとおもいます。例の引越しのお話も深く静かに進行中で、現実になる可能性もまだ消えてはいないので、そのお店が近いままでいるかどうか、mamatamとしては大変に心配なものですから。
2017.02.04
コメント(17)
全13件 (13件中 1-13件目)
1