日本語で話そう

May 27, 2010
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カテゴリ: ブータン

私のブログを読んでくださる方はきっとブータンはなんてすばらしい国だろう。まるで桃源郷のような、ひょっとしたら極楽に近い国ではないだろうかと感じられたことだろう。実際私は自分のブログでそう思われるだろうと思いながら書いて来た。

せっかく、そう思っていただいて悪いが、今日はその気持ちを「どかん」と落とすようなことを書こうと思っている。

その前に2つの仮定

 1.もし、自分の国の歴史の中にいつの頃からか住み着いた自分と違う民族がいて、その人口がどんどん増え、自分達の民族よりそれが増えてしまい、その文化や慣習や主張が本来の国のそれを押しのけて来たらどうするか。

 2.もし先祖からずっと他の言葉を話す民族が多い国に暮らしているうちに、本来の自分の国の文化や言葉や伝統や民族としての誇りや国籍を捨てなければその国を出て行けと言われたら、どうするか。

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夢のような国ブータンにはブータンを追われネパールやインド領内の難民キャンプで過ごすブータン難民と言われる人たちが何万人もいる。

え!と思うだろう。

悲しいかなそれは事実だ。昔、民族浄化政策で住み慣れたブータンを終われたネパール語を話す民族である。はるか昔にブータンに住み着いて、ブータンで土地を持ち、田畑を耕し、生活していた。あるときブータン政府が国民調査した時、ゾンカ語を話すブータン人と変わらぬ数で増えて来たネパール語を話す民族に危機感を抱いたブータン政府は、ブータンの文化を守るためにゴの着用やゾンカ語を話すことを全国民に強要した。ネパール語を話し南部の暑い地域に住む民族にとってそれは辛いことだった。人々はブータンを逃げ出し、ネパールやインドで難民となって難民キャンプで暮らしている。

あの崇高な王様がなぜそんなことをしたか?

答えは「失われた王国」にあった。多分。

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昔、そんなに遠くない昔、1975年5月地球の上から1つの王国が消えた。

その王国の名前はシッキム。ヒマラヤを背にし、ネパールとブータンの間にあった国。紅茶で有名なダージリンもずっと昔はシッキムにあった。

シッキムもまた王様の治める王国。そしてそこにもネパール語を話すたくさんの民族が居た。そしてその民族はやがてシッキム王と同じ民族の数をはるかに超えて増え、ついには民族的に乗っ取られる形になってしまったのである。そして、その国は滅び今はインドに併合されてしまっている。

ブータン王はもちろん隣国の悲劇を目の当たりにしている。自国民を地球上のどの王よりも愛し命を掛ける王様なのは周知の事実。その王と政府が取った政策は間違っていたのだろうか?

ほんのちょっとブータンの、それも一部分だけを旅行したよそ者が判断できる問題でもなく、遠く平和なほとんど単民族に近い国の国民が歴史や経過も良く勉強しないで判断できるものでもない。

しかし、もう一度最初の仮定に戻ってみよう。その時、私達はどうするだろうか。

人事だからと言って目をそらすものでもないし、ただ単にその国はすばらしかったと夢うつつのままでいてもいけない。次にブータンを訪れるチャンスが有るのなら次はきっともう少し違ったものが見えてくるかもしれない

ともあれ、その国の自然は彼の国が必死で守り続けるだけあって極楽のように美しいのであった。そして、王様はまだ一生懸命難民問題に取り組んでいるであろう。難民キャンプを訪れて、難民にブータンに戻るように呼びかけたのだと聞いている。

注:本日の記事は政治問題である。賛否両論有るだろうし、事実の正確性も勉強不足だ。だから、このブログ上での政治論争はお断り。影の無い世界は存在しないと言う話。

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Last updated  May 27, 2010 09:05:45 PM コメント(22) | コメントを書く
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