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体罰の思い出世間では体罰の問題で騒がれています。私は現在の小学校が国民学校といわれた次代に育ったものですから体罰は日常茶飯事に行われていたように記憶しています。 その小学校時代の体罰を思い出したので、書き留めてみます。まず、小学校の一年生のとき、授業に飽きたので窓の外を見るという余所見をしたので、担任の女教師に耳を引っ張られて、「廊下に出て行きなさい」といわれたが、反発して出て行かなかったが、そのとき引っ張られた耳が大変痛かったのを思い出します。耳が千切れてしまうのではないかと思ったほどでした。 次が、三年生のとき、これも女教師に頬を叩かれた思い出です。このときはなぜ叩かれたたかは全く思い出せません。そのときの気持ちは「なぜ叩かれたのだろう?」先生には口答えは絶対にできない時代でしたから、頬を平手で打たれても、黙ってそれを受けたままでした。覚えているのは、冬のことで、その先生の手には包帯が巻かれていました。しもやけか何かで手を傷めていたのだろうと思います。学芸会の稽古をしていたときのことで、数人の児童が一緒にいました。その中で、何か私が先生の癇に障ったことを言ったのだったかと思います。それがいけないというのでしょう。えらい剣幕で叩かれたのです。しかし、包帯を巻いた手でしたから、痛かったということは覚えていません。でも、間違いなく体罰だったのです。 次は、小学校四年生のとき、数学の授業をやっていて、先生の話に飽きて余所見をしたら、授業で使っていた教師用の大きな木板で作られた三角定規の角で頭をこつんと叩かれた。木の角であったのでこの時は非常に痛かったが傷はできなかったので、それほどひどく力は入っていなかったのでしょう。この教師は男の先生でした。この教師は時々生徒を教壇の脇に立たせて平手打ちで生徒の頬を叩いていた。こんなことが平気で行われた軍国時代だったのです。小学校五年六年は優等生で、先生にほめられたことはあっても罰を受けたことは一度もありませんでした。 中学校になってからの思い出に、クラスの女生徒数人を男生徒数人で、数人といっても少人数のクラスの殆どで全員に近い人数で、「生意気な女だ、殴っちゃおう!}とクラスのボスが、クラスの男生徒にけしかけて、その数人の女生徒を家庭科教室に誘いこんで、男生徒が次々と一人づつ、その三人の女生徒に、たぶん胴体などをこぶしで叩いたのであろうと覚えています。私は、ボスの脅かしが怖かったので一緒にその部屋に行ったが、殴ることはいけないと考えていたので、殴ることはしなかった。 このことが教師に発覚されて、その家庭科の教室に、男子生徒全員が呼ばれて、一人づつ、その教師に平手で頬を叩かれた。私は「女生徒を殴らなかった」とその教師に伝えたので、平手打ちはまぬかれた。その後で裏切り者とボスに殴られるのを覚悟していたが、ボスには殴られなかった。 悪いことはできないもので、そのボスもボスの取り巻きの数人はすでにこの世にはいない。いま考えるとそのボスたちに会いたいと思っても会うことができないのが残念です。体罰はよくないことかもしれませんが、体罰が日常茶飯事に行われていた時代の懐かしい思い出ばかりです。
Mar 6, 2013
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豆腐の角に頭をぶっつける_多面体作り最中にふと浮かんだ思い出幼少の頃近所のおじさんから「豆腐の角に頭をぶっつけて死ぬことができるか」と物騒な質問をされたことがある。私は「豆腐じゃ死ねないヨ!」と答えたら、「いや死ねるんだ。豆腐を氷らせれば、石のように硬くなる。」 この話を凧形60面体を作っている最中に思い出した。糊代が2mmにも足りない幅しかないところを、鉄筆で引いた線で折らねばならないが、これが大変難しい。幅が狭いので、指で曲げられないのだ。そこで考えたのが、線を引くときに使っていた厚手のセルロイド製の三角定規の縁を使うことだった。 折り線を三角定規の縁に沿って揃え、その上を爪で押してゆくとうまく折れる。 この線折をやっているときに、「豆腐の角に頭をぶっつける」という話が何気なく浮かんできた。そして三角定規の思い出も続けて浮かんできた。それは国民学校四年生の授業中の出来事だった。授業が飽きたので、余所見をしたら、先生に大きな木製の三角定規の角で頭をゴツンとたたかれた。痛かった! 三角定規を使っていると、今でもそのときの思い出が浮かんでくる。絶対温度豆腐を凍らせると石のように硬くなることを思い出したら、バナナで釘を打つことができるのをテレビで見たことを思い出した。バナナを液体酸素の中につけると、鉄のように硬くなる。これで釘の頭をたたくと、釘は木の中にめりこんで行く。 高校の物理や化学の時間に絶対温度、ケルビン温度と言うのを学んだ。摂氏マイナス273度を0度にした温度をケルビン温度という。符号でKを用いる。液体窒素の沸点温度は77Kであり、、液体酸素の沸点は90Kでその温度を表す。 温度の種類に、摂氏と華氏があり、さらにケルビン温度というのがあって、それらの名称は温度体系を作った人の名前にちなんでつけられているのだそうだ。摂氏はセルシウス、華氏はファーレンハイト、絶対温度はケルビン。ファーレンハイトが華氏になるのは中国語ではkの発音がhの発音に成るのだそうだ。摂氏も華氏も中国語の適用であることも、インターネットで調べてわかった。
Jan 21, 2013
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多面体紙工作を継続していると、次から次へとアイディアが浮かぶ。多角形に正三角形を各辺に隣接したパターンで、多面体を組み立てることの出来るのがいくつか溜ってきた。これらを整理して纏めてみたいと考えているうちに、やはり、試作しないと設計が固定しないので、試作を始めてしまう。簡単に出来ると思っていたが、一日がかりになってしまうのが多い。 その変形を思いつくと、亦、それを作り始めてしまう。変わったものでは、八面体のダイスがある。正八面体の八角(やすみ)を切除した多面体を作った。これも正六角形の周りに正三角形を隣接すれば出来るかと思い、パターンを設計し、切り取り、さて貼り合せて見ると思った通りには行かない。かなりの手間をかけてようやく出来たが、形態はきれいに仕上がっては居ない。けれども、手間隙をかけて作った物には愛着がある。これが3個出来て、不思議と、トイレットペーパーの芯にぴたりと入る。しかも3個が入る。芯に底ををつけて、その多面体の容器としたが、そのままにしておくのは面白くないので、各八面体に数字を書き込んで、ダイスにしたら、その容器から振り出すと転げ出て、数字が3個見られる。これを何回も繰り返すと、昔実験したさいころの目が出る確率を思い出した。3個の数を足して、それを繰り返し表にしたら、この確率実験が出来るなどと考えてしまう。 最小の数値は3で最大の数値は24であるから、3から24までの数を用意し、振るたびに、その出た目の合計を正の字で書き込んでゆく。こんなことも遣ってみたいと思ってしまう。でも、今はその暇が無い。 このダイスのことと、正多角形の周りの隣接辺に正三角形を置いたパターンで出来る多面体についてをブログに書く。この二つを同時に書くか別にして書くかなどとも考えてしまう。 このことを思いながらも、ケプラーの星型八面体の製作法も、この方法で遣ってみようと実験中である。貼り合せが以前に作った方法によるよりも多少困難であった。それで、以前の方法に似せて作り方を一部変えたらうまく出来た。この製作記も記録しておこうと思っている。 考えがあちこちと飛んで、まとまりがなくなりそうであって、足踏みをしている状態です。友人にメールを送ることもあって、楽しい毎日ですが、少しスランプ気味にもなっています。それで、ブログを書くのが怠慢に成っています。現状の心の状態を見た記録になってしまいました。これも次へのステップです。 現在のブログ記入準備1 正多角形の回りの隣接辺に正三角形を置いたパターンで、組み立てて作る多面体 数種類2 八面体ダイス3個の製作記3 ケプラーの星型八面体の特殊な作り方 その製作奮闘記 毎日、これだけのことを考えていました。 その最中にも、家事の注文が入ってきます。今日は残った障子貼りを行います。
Nov 13, 2012
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PUSH PULL の 創造性 創造性を伸ばす条件のひとつのヒント 押してだめなら引いてみな! 楽天写真館 23niti 貼り合わせ終了.JPG 楽天写真館 9月16日 D:\多面体\newねじれ12面体.JPG D:\MY Picture\ねじれ12面体.JPG その他画像は有るが省略この多面体を作っているとき、ふと この言葉が浮かんできた。「押してだめなら引いてみな!」いま 全部 山折にしているけれど、 正5角形の辺と接している正3角面の辺をを谷折にしたら星型多面体が出来る?! と考えた。山折でなく谷折!(押してだめなら引いてみる、が発想の操作!)どんな多面体になるかわからないが、とにかく作ってみよう と 出来たのが この多面体 正3角錐星型12面体 ねじれ12面体 と 正三角錐星型12面体 は 同じ星型5角形 の 部品を12個使って作っているが、その様子が二つの多面体を見ても直ぐには分かってもらえない。 それで考えたのが、「星型正5角形部に着色して並べてみれば一目瞭然に分かる」と言うことだった。それで、色紙貼った紙でそれらを作った。 その画像が下に示す物です。 山折_谷折.JPG左側が山折、右側が谷折です。 星型5角形が明確に分かるように多種の色分けを行った。 colored star.JPG 黄緑_星.JPG ここで「正3角錐星型12面体」と名づけた星型多面体は、常に眺めているJonsonの立体の半正多面体の中のs03の正3角形の面に正4面体を20個着けた多面体と成っている。 この多面体は製作者自身にとっては初めて見る多面体であって、インターネット検索をしても、これと同じ多面体は発見できなかったので、私の発明品(発見作品)と考えた。PUSH PULL の 創造性が成しえた結果であったのだった。設 計 図 代 表ねじれ12面体 A to L.JPG正3角錐星型12面体 正3角錐12面体all.JPGこれらの設計図を見れば、どちらも星型正5角形がその部品になっていることが分かるが、単に作品を比較しただけでは同じ種類の部品で構成された多面体二つであるとは分かりづらいことを示したエッセイでした。 画像を見てもその構成が分かり難い立体も色分けすると、理解が容易になるという体験は以前に遭遇して、それをこの方法で理解を助けたという例が菱形12面体を4個合成して作った「テトラポット」で体験している。菱形12面体4個で合成されたテトラポッド向こう側の3個は色分けして着色されていないテトラポッドです。「4個がどのように成っているか分からない」と、これらだけの画像を見た人は言う。 こちら側の小さな画像2個を見たとき、「色分けしてあるから、4個あるのが分かる。」とその人は そのように言った。右端のシルバー着色した1個が菱形12面体です。上図の他の6個は、この多面体を4個テトラポッド状に貼り合わせて作って有ります。 今回、あえて「push-pull」と「着色が理解を助ける」のアイディアある方法を摂ったエッセイとしました。
Sep 25, 2012
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午前10時過ぎ、バイクで家を出る。出来るだけ車(一般自動車)の通行の頻繁でない道を選び、安全運転で高崎市立美術館に着く。美術館入り口脇にバイクを留めるスペースがあったので、其処へ駐車する。運転免許証を受付で展示して係員に65歳以上であることを認められ入場料は無料、入館する。受付で貰った資料1階から3階までが展示会場であり、1階を見終わるとエレベーターで2階に上がる。3階までは、エレベーターが3階から直ぐに降りてこなかったので、階段を上る。家では階段の上り下りが苦労だったが、此処の階段はステップ高さが低いので難なく上がれた。足の難儀があるので、階段は避けるつもりだったが、膝の痛さが全く感ぜられなかったので、降りも3階から1階まで階段を手すりにつかまらなくても平気で降りてきた。 自分の好きなことを遣っているときは神経がそちらに行っているので、たち歩きや立ち止まっての閲覧が全く苦痛でなかった。 展示品の鑑賞とその感想は後述することとする。注目すべきことは一点。「レオナルド・ダ・ヴィンチ アトランティコ手稿」(4500円、税込みで4725円、解説書とそのCD-ROM,箱入り上製装丁)を買って来たことだった。 午後は、現在製作検討中の多面体設計を行っていた。夜間になって、家人の就寝直後から、美術館から入手して持ち帰った本を一読(全頁をめくって総覧する。その後、CD内容ををパソコンにインストールする。今までインストールしたアプリケーションプログラムより長い時間がかかった。大げさに言えば一時間近くかかったような気がする。実際は30分程度だったかもしれない。全てのファイルがパソコンのCドライブの「ROGRAM FILE」に保存された直後から、ディスプレイに表示させて、深夜12時近くまで読んでいた。内容がすばらしくて、興味津々であったので、なかなか止められなかった。全て見終わるには一週間以上かかるのではないかと思えるほど厚巻ものの内容だ。 後日、関連写真をこのページに載せる。ただし、手稿の搭載は一切禁止となっているので、それは避ける。 美術館近影などを載せる。 展示品の鑑賞に着いて一言作品のレプリカが、木工品であるのは当然としても、その中に鉄板が用いられていて、それを留めたり木工作品の接合が全て木ネジ(しかも+ネジや、ビスとナットが用いられていた。)帰宅してネジの歴史を調べたが、当時はネジなども手作りであって、手稿の中の挿絵も鉄が用いられていると思われるものも鋲である。頭が丸く見える。とてもプラスねじなど使ってない。+ネジの発明は近代の作品だからです。せっかくの作品の模型も、これでは台無しだと感じた。手間はかかるものの、当時の面影が見られるような作品が欲しい。すばらしい発想の作品ばかりだったことは否めないが。ついでにもう一言 レオナルドは ネジきりの旋盤設計が考えられていたと思われる記事はインターネット検索の中に見出された。しかし、ねじ類は使われていないような挿絵ばかりだった。技術者である小生の、見方(鑑賞の仕方)が偏っているとは思われるが、真実の感想です。
Sep 14, 2012
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過去の日記を調べていたらこんなエッセイがありましたエッセイの紹介は、3月22日の日記で、「再度 気心が知れていれば 一言で」と言う内容で親しい人とのおかしなユーモラスな会話が有ったことを書きましたが、2005年の中では下記のようなエッセイが見出されました。人生の余禄 (Feb 19, 2005)私の退職後の人生を考える。依頼された友人からの論文をワープロすることも人生の張り合いです。 油断大敵(コタツで寝てしまい、風邪を引く)(Mar 2, 2005) 油断すると風邪を引きます。 調髪する_クロワッサンを買った店の女店員のこと (Mar 22,2005)好感の持てる女性への感情を書き留めました。 高さの位置が同じ (Mar 29, 2005) 撮影しようと思ったらデジカメが無い。撮影した画像を見ようと思ったら、また、カメラが無い。二度も不思議な現象が起こった。カメラはドアのノブに引っかかっていた。 運の悪い日は二度も三度もエラーが起こる (Jun 6, 2005) デジカメ撮影のときのエラー_二度あることは三度有る。 孫の喜ぶのを見て喜ぶ (Jun 8, 2005) 小学校6年生の女児のこと。「ありがとう!」と言わせたり、その応答で喜んでいる爺。 研究は無駄の積み重ねである (Jun 10, 2005) 「研究をすると儲かるか?」と妻は問う。「儲からない」と俺は答えた。それが発端で・・・マイクロコンピュータの講習会をやったときのこと、それを依頼した友人のこと。 くだらないことを遣っていても、本人は研究をしていると考えている。無駄がやがて実を結ぶ。結ばなくても嘆かない! 漢字の読み方 (Aug 24, 2005) 月山登山した後の記録。”石跳川”(イシトビガワ イシバネガワ)という漢字の読み方は? 本で調べたときの状況を記した日記。
Sep 1, 2012
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昔の国鉄足尾線の列車風景_現在のわたらせ渓谷鉄道沿線の思い出 2010年11月23日の記事を採録いたします。画像が非表示になっている理由を各ページのヘッドに書き込む作業をしていたら、11月23日のページに懐かしい足尾線の思い出が書かれてあった。わたらせ渓谷鉄道(わ鉄と略称)に乗ってもらいたいので、是非、読んでいただきたいと思います。このページです。こちら 画像非表示理由2010年の全ページに渡って再表示前のコメントを書き終わりました。下記のようにページのヘッドに書き込んであります。インフォシーク isweb ベーシック 【2012年5月21日終了】により画像が非表示になりました。未だ、再表示されてありません。
Aug 24, 2012
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再度 気心が知れていれば 一言で5月21日にはiswebベーシックが終了されてしまうので、そろそろ、引越しをしなければ成らないと考えながら、過去のブログを見直していたら、面白いページに当たった。また、「ペーパースプリング」の記事ページの一覧を作ろうとも考えていて、過去のページを探していたこともあって、網羅するべく全てのページを見渡していたら、このページに当たった。読んでみたら、当時のおかしさがこみ上げてきた。 初めて、私のブログに立ち寄ってくださったゲストさんは、過去のページまで見る余裕は無いでしょう。 それで、「こんなユーモラスな記事もあるのです」と、紹介したくなったので、それをお知らせします。このページです。http://plaza.rakuten.co.jp/nisijohsyu/diary/201105080000/気心が知れていれば言葉は一言で! May 8, 2011 このページです。会話の部分だけを転記します。「これはどちらですか」 「そっち」 「わあ!あごであしらわれた!」 「忙しかったもんで」 「皮肉じゃないんですよ、親しい人にだから言えたのですよ」その人と目で笑って会話が出来た。全体のおかしさは、2011年5月8日の記事をお読みください。日記一覧のページを開くリンクをつけました。我楽免機の日記の一覧
Mar 22, 2012
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おはようございます!標題のごとく、インターネットは知識が豊富に詰まった道具です。どんな知識でも、直ぐに調べられます。いつか、このことをエッセイに書いてみたいと思っていました。今朝は、そのことを書きます。インターネットは知識の宝庫 紙工作の未完成作品を完成させようと、糊を使って箱作りをした後、自分のブログのアクセス数を見ようとしたとき、新聞のクロスワードを遣っていた妻が、「IOCの会長は誰、ジャック○○、2文字なんだけど?」と聞く。「インターネットで調べて!」と依頼を受けた。 毎日のように、妻は新聞のクロスワードを解いているが、分からないときは「インターネットで調べてくれ」と言う。それでインターネット検索を行うと、必ず解答が得られる。今朝も同じ現象が起こった。IOC会長は検索結果は下記の通りだった。wikipediaの解説の内容中に見出せた。IOC委員会 第8代会長ジャック・ロゲ伯爵(Le comte Jacques Rogge)(2001年 - )ベルギー ジャック・ロゲ だった。 それが解決したら、続けて、「激しい雨はなんていうの?何を突くような雨、二文字なんだけど、○○を突くような雨!」これも「激しい雨」とMSN検索を行ったら結果は、数多い項目から、「web辞書 激しい雨」を開いたら、類語が沢山あった中から、「篠突く雨」と言うのを見出した。weblio辞書 激しい雨 篠突く雨 このほかにも、早朝目が覚めて、ラジオ深夜便を聞くことが多いが、午前4時過ぎの「明日への言葉」で聞いたことをもう一度聞きたくなったときや聞いた内容で不理解の事項はインターネットで調べることが出来る。これも、しょっちゅう便利にインターネットを使用している。
Feb 18, 2012
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ふとんたたき_何気ない物に芸術を見出す我が家では、週に一度、コタツの周りの清掃を行う。その中で、一番面倒なのが布団たたきである。座布団から始まって、コタツ布団関係、中がけ、本体、カバー、を いちいち外へ出し、布団たたきでその四囲を叩く。 正方形を辺を合わせて二つに折り、折り合わされた隅の一方を縁側テで妻が持ち、他方の合わされた隅を私が庭で持って、布団たたきで丹念に叩いて誇りを除去する。 この布団たたきが、なんと芸術的に作られていることか!いつもは、何気なく使っていたが、今日はそれが不思議に見えた。その造りが円形の重なりに成っていて、うまく出来ている。三つの輪があるように見える。よく見ると、もう一つ小さな輪が柄の近いところにある。 その布団たたきの画像を下に示す。 素材はつる草のようであるが、よく見ると節が有るようにも見えるので、篠に似た草の茎かもしれない。 しかし、考えてみると、葛の蔓の皮を剥いでそれに磨きを掛けた物の様である。実に良く作られている。柄の本数は7本に成っている。その断面を柄の端で見ると、中央に一本、その周りに6本有る。中央の一本は、柄の部分の中心を構成している一本である。柄の近くの小さな輪は一本で作られていて、柄の部分では往復日本と成っている。他の三つの輪は、二本が合わされたもので、一筆描きのように、三回りして柄に戻ってくる。柄の部分では往復合わせて四本と成っている。その合計が六本だ。芯を合わせて、柄の部分は6本と成っている。柄が頑丈に出来ている所以である。 このように科学的に分析してみると、何気なく使っている「フトンタタキ」にも、大変興味が湧いてくる。これをを創作した人の知恵に感心する。日本の文化遺産とも言える。 これを入手したのは、バイクツーリングして、群馬県西北部の山地の道端の食堂で昼食を摂った時のことであった。もう、十年以上も前のことだった。食事が終わって店内の土産物を置いてあるところを見たら、傘立てのような大きな筒状の入れ物にこれが数本差してあった。その造りが面白いので「何か?」といぶかって聞いたら、「フトンタタキ」だと店主が教えてくれた。値段はと聞くと、700円だと答えた。手作りの物が700円とは高くないと考えて、買って来たのだった。それが重宝に布団埃を除去するときに使える。 座布団なども、かなり埃を吸い込んでいるのが分かる。このフトンタタキのお陰で、家の中が常に新鮮な清掃に保たれている。家の中が衛生的に良好であれば、健康も健全に保たれる。 このフトンタタキは、健康維持に大変役立っているのである。
Jan 29, 2012
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磯辺温泉と雀のお宿_巌谷小波作「舌切り雀」の童話磯辺温泉と雀のお宿_巌谷小波作「舌切り雀」の童話 朝食を食べていて、ダイニングキッチンのガラス窓越しに東の田圃を眺めていたら、雀が急降下して電線から数十羽が次々と降りてくるのが見えた。その数秒後に、今度は一度にその数十羽が田圃の向こうの前の家の屋根に飛び上がって行く。 この雀のことを窓を背にしている妻に伝えながら「榛名山の谷川で純恵を遊ばせながら左岸の傾斜地のススキ原で蕨を採っていたら、「パパ怖いよ!小鳥の声が怖いよ」と叫ぶのが聞こえた。鶯が鳴いているその声が怖いという。」こんな話をしていたら、「純恵は前世は舌切り雀のおばあさんだったんだろう」と言う。それは昭和40年代の初頭の頃の、相馬が原演習場の西側山地の出来事であった。大人になった現在でも、家の近所で雀が見えると、それが怖いという。 このことを考えていたら、自分の初期のホームページにその「雀のお宿」を載せたのを思い出した。「西上州風景へようこそ!」 これが そのテーマです。http://nisijohsyu.web.infoseek.co.jp/nisijohsyuhuukei_2/index.htmこれは2004年に発表した小生の初期のホームページでした。この中に「舌切神社」「舌切雀物語」が載せてあります。関連して、磯部公園文学詩歌碑案内 も 載せてありますが、案内看板は当時の物で、今は書き換えられて新しくなって、読みやすくなっています。(その後、それを撮影してきていますので、これも更新しなければと考えています。)このほかに 「西上州散歩へようこそ」 http://www1.ttcn.ne.jp/~nisijyohsyusanpo/ が 有ります。こちらは 2003年 創作でした。トップページには 二度上げ峠で見た浅間山の大噴煙噴出の写真が掲げてあります。平成6年9月15日撮影の写真です。噴煙が噴出した数秒後の壮観な写真で、見ものです。是非ご覧下さい。 毎日、家の中に閉じこもってばかりいるので、ブログに書く記事がありませんでしたから、朝食時の妻との会話の中から思い出したままを書き、小生のホームページを二つ紹介しました。 今日も曇りのような天候です。空がどんよりと曇っていますが、雨天ではありません。 亦、一日中インターネットでジグソーパズルで楽しむことにしましょう。ジグソーパズル遊びのことは、明日のブログ記事といたしましょう。
Jan 22, 2012
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雪がしんしんと降る朝おはようございます!朝7時45分にこの日記を書き始めました。6時に目が覚めて外の景色を眺めたときは雪が数センチ積もっていて、雪は降っていませんでした。全くの曇り空でした。晴天のときは、この時間ですと東の空が明かるくなってきているのですが、今朝は全く空一面にどんよりとした雲に覆われていました。居間に来てストーブをつけて、パソコンの昨夜撮った画像を眺めていましたら、雪が降り出しました。カメラを取り出して、窓ガラス越しに雪景色を撮影しました。こんな状態で写っています。ズームをかけて画像を大きくしたら近影が出てしまって、防虫網の目が表示されてしまっています。カメラはこんなところまできちんと映し出してくれるのですね。初めて、カメラで防虫網の目が見えたというのを知りました。只今8時になりました。まだ、しんしんと降っています。大粒の雪です。ゆっくりと舞い降りてくる雪の踊り子のように見えます。
Jan 20, 2012
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古いファイルを眺める妻は外出で小生が留守番をする。暇に任せて、古いファイルを開いて見る。「我楽免機博物館」と言うホルダーを、適当に気が向くままに開いてみた。「automation」と言うファイルを開いてみた。平成17年に載せたHTMファイルだ。最初は、ガラクタがいろいろあるのでそれをHPに載せるつもりではじめたのだった。HPの標題は「我楽多博物館」とした。しかし、インターネットサーフィンをしていて、「多面体」なるものを発見して、それに大きな興味を持ったので、その紙工作を始めた。その多面体紙工作に熱が入り過ぎて、「我楽多」を載せることが滞るようになってしまったら、私のHPを熱心に見てくれた友人が「HPが滞っている。速くガラクタを乗せろ!」と注意をいただいたので、この項目を急遽、お茶濁しとして載せたものであった。「多面体紙工作」に変更したときに、それまで載せてきたHTMファイルとその関連画像は全て、サーバーから削除してしまったが、「我楽多博物館」ディレクトリー(当時は「ホルダー」をこのように呼んでいた)には残っている。次のようなページです。平成16年から、このブログを書き始めて、もう既に7年も過ぎ去ってしまっている。自分のブログの「一覧」から、最初の投稿が Jul 20, 2004 であることを確認した。 この記述がおかしい! 孫たちの小中学校代一学期終了のことが書いてあるが、孫たちに積極的に学習をさせようとの気持ちが、「金銭でそれを釣る」と言う感じとして摂った私の感想だった。自分の中学校時代のことを、この記事を見て思い出した。私は「勉強するのはやめろ!」としょっちゅう母に言われていた。外で遊ぶこと以外は、ほかにする趣味が無かったので、学校の教科書を毎日夜遅くまで予習と復習をしていた。夜中の12時を回っても、その勉強を続けている物だから、母が体を壊したら困ると思っていたのだった。「からだを壊すから、勉強は止めろ!」と言ったのだろう。しかし、細い体ながら、健康は全く損ねなかった。あるとき、母が風呂から上がってこないので、風呂場に行ってみると、湯船の中で眠っていた。私が遅くまで机にかじりついているものだから、先に入浴して寝るつもりだったらしい。時刻は1時を回っていたと思う。もう何十年も前のことであるから記憶も定かでない。塾などと言うものは当時は一つも無かったように思う。自分で、学習意欲があれば、教科書の復習と予習で十分社会に出て生活できる力はつくのに、受験と言う枷を嵌められている現代っ子には大変気の毒に思う。そんなことには全く気をまわさなくてもよい時代に過ごした少年時代が懐かしく思い出させられる。 孫の成績表を見て、祖母が褒美を上げた記事「第一学期終了」はこちらです。Jul 20, 2004 第一学期終了
Oct 31, 2011
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大きな画像は二分割してそれを繋ぎ合わせて載せた時代古いブログを編集のページで見ていたら見ていたら、画像の中央に横線が一本白く入っている。これは、大きすぎる一枚の画像のサイズを二分割して連続搭載したのだったことを思い出した。出来るだけ大きな画像を載せたいのが私の主張だった為、このような手段を講じたのであった。しかし、このページでは、それが二分割で表示されているとは認められないくらいうまく合成されている。高崎公園の「噴水に出た虹」と「大きなソメイヨシノ」の二枚です。公園の早春風景(Mar 7, 2005) 今は、サーバに画像を載せておいて、それをハイパーリンクで本ページに取り込んでいるので、画像サイズには充分大きなメモリが取れる。当然一枚の画像になる。分割した二枚を貼り合わせるなどという芸当はしなくても済む。画像を載せるサイズ制限があったために、このような手段を用いた時代もあったのでした。
Jun 26, 2011
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いつも一人作業で孤独を楽しむ多面体の関連ページを記入しようとして、過去のページを探していたら、大型正12面体応用の入れ物を作ったときのことが書かれてあったページに行き当たった。テレビ移動後のあとかたづけ昼、庭整理作業をして、夜は多面体工作を行う。肉体作業を行った日は必ず多面体工作を夜行う。 今日も生垣の整理をしたが、これも一人作業。少年時代田舎へ手伝いに行ったが、叔父にはこの甥が手伝ってくれた。今の私には手伝ってくれる甥も息子もいない。 庭整理は相変わらず一人作業だ。特に今日の暑さでは熱中症にかかってもおかしくないような猛暑の日だったので、途中二回も風呂場で水シャワーを浴びた。 そして夜は、ペーパースプリング作りを行った。貰ってくれる人が皆喜んで、不思議がって驚いているのを見るのが嬉しいから、この作業に熱が入る。7個分の折込作業が終わった。明日は3分割を一個にする貼り合わせを行う。 この作業をしているときに、妻が「そんなに作ってどうするんだ!」と発言した。「そんなこと言ったって、あっちこっちへ配ってしまうんじゃないか!」と言ったら、妻は納得した。先日、配布の例を3件ほど挙げたが、妻の配布手伝いに着いては書かなかった。「たけのこを掘ったから取りに来いって! あれ二個頂戴!」と二個持ち出した。それを手にしたその人は「作ってみたい!」と言ったそうだ。妻はそのときの様子を話してくれたが、「カラオケに卓球にゲートボールに踊りで毎日が忙しいから作る暇はないだろう」と言っていた。今日は妻の友人が来訪された時、亦その友人にも「上げるんだからあれ頂戴!」と言われたので妻に手渡した。こんな調子で、あちこちに差し上げればいくつあってもすぐになくなってしまう。 しかし作れば亦補充できるからかまわない。多面体紙工作を6年以上も続けていると、工作速度も上がってくるし、製作が億劫でなくなってくる。むしろ楽しんでいる。これも一種のボランティアであろう。数日で100個のケプラー8面体を作った記録もある。その作品全部を老人たちに見せたのは、「多面体紙工作はたのしい!」と言うことを示す実情だったのだ。最近は遠くへのバイクツーリングが出来なくなっているが、家での作業やこんな紙工作を行って楽しんでいる。これも人生だと思う。そして孤独を楽しむ方法を覚えてしまったようだ。ペーパースプリング部品_7個分左手前は今朝貼り付けて完成した一個、3個で一個のpaper_springが出来る。上は7個分の部品21個を表示している。
Jun 22, 2011
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びゅんびゅんバネを作る記事についての反省びゅんびゅんという表現は妥当でないかもしれないが、伸びたり縮んだりするのが面白い。旧式の写真機では、レンズの筒を伸ばしたり縮めたりするのに蛇腹というのを使っているのがあった。あれと同じように伸び縮みするのです。 先日、舞浜へ行った時、旅の途中で退屈した時の手のすさびに、ポケットに忍ばせていった。 親戚の人に見せたら、興味を持ってくれたので、遣ってしまった。 いまさら、また、作りたくなったので、自分の製作記事を見ながら作り始めた。 自分の書いた記事でも、数年の年月が過ぎると、その通りに直ぐには作れない。易しく作れると書いたが、それは虚偽になってしまった。記事は2006年の9月中旬に書いている。 説明の仕方も悪いし、図も適当でない。当時は、相当熱心に、この記事を書いていたので、「多面体紙工作」ホームページに載せるのを怠ってしまっていた。設計図を最初に書いて、その設計図を基礎にして、製作法を丁寧に書き直さねば成らないと痛感した。 今日は、その構想を練るつもりで、パターンを4枚印刷して、自分の書いた記事を見ながら、作ってみた。一枚目が漸く作れて、製作法がラフであることを知った。二枚目を作り始めたが、製作記事と説明図を見なければ折込が出来ない。易しく作れると書いたが、本人でさえその工作に難儀をしている。多面体紙工作は簡単ではないことを再発見した一日であった。沢山 ページを開いて 見ていただきたいので 日記一覧のページを開くリンクをつけました。我楽免機の日記の一覧
May 19, 2011
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【重要】isweb ベーシック サービス終了のお知らせ 上記リンクで見られるように、iswebベーシックが5月21日で終了となり、ホームページ iswebベーシック が使えなくなる。誠に残念ですね! このブログの画像は、殆どがそのサーバに搭載してあるので、5月21日以降はそれらの画像がNO IMAGE 表示になってしまいます。 このブログの画像倉庫はもう満杯になっているので、iswebベーシックのメモリをサーバにして、同じinfoseekであるので、ハイパーリンクをしてこのブログに載せていました。 5月21日までは見られますので、よろしくお願いいたします。それ以降は、このブログも画像維持は終了といたします。NO IMAGE 表示を削除して、新規一転で継続することを考えます。契約が11月下旬までとなっているので、5か月分の支払い分は損をしてしまいます。遺憾に思っています。 遺憾なんて言葉は使ったことが無いのですが、こんなときに使えますね! 残念以上の心の中です。沢山 ページを開いて 見て頂きたいので 日記一覧のページを開くリンクをつけました。我楽免機の日記の一覧
Apr 21, 2011
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原付自転車(バイク)は大変安全で有効な乗り物です。バイクの事故が良く新聞に載ります。それで「バイクは危ない乗り物だ。」と人は言います。バイクは安全な乗り物です。狭い道でも通れます。細い山道でも登れます。バイクに10年以上も乗っていますが、事故は全くしていません。山の人の居ないところで、急な坂道の途中で、ブレーキの掛け方が悪くて転倒したことがありましたが、それ以後常に注意して運転しているので、事故は起こしておりません。 事故を起こさない原因を考えてみました。今日も交差点でその注意を怠りませんでした。一時停止のある交差点ではどんなに交通量の少ない場所でも必ず一時停止をする。交差点の近くの場所に用事があって行った帰り、右折がしたいが、頻繁に車が来るのでバイクを道に出せない。こんな時左折します。ソシテ、しばらく行き、対向車の無いとき、右側の空いた土地へ入ります。そして其処から左折します。後は直進で交差点を通過する。この場合、交差点での左折は非常に安全です。前方左右を常に注意してみていますから。交差点通過時の注意は、一時停止場所では、左右を数度見て車の来ないのを確認して渡ります。もちろん前方と後方を注意します。 そして、雨の日は絶対に乗らないようにしています。路面が水滴で滑るのを嫌うからです。絶対に転倒したくありません。 その他、通行方法に色々と実行したことがありますが、他人の運転する自動車と衝突を避ける方法は常に考えています。交差点で、右方から自動さyが来た。右折の表示我出ている。当方も右折。そのとき、一緒に出れば必ず衝突する。 当方が遠慮をする。左手をどうぞと左ハンドルの前に出す。合いえの自動車が会釈をしてくれて交差転移は入る。絶対に衝突はまぬかれます。沢山 ページを開いて 見て頂きたいので 日記一覧のページを開くリンクをつけました。我楽免機の日記の一覧
Apr 19, 2011
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あと14年は生きられる。(計算確認 76+14=90 )http://plaza.rakuten.co.jp/nisijohsyu/diary/200503220000/上記ページ、この記事を書いたのは2005年3月22日だった。6年も経過している今読み直してみると、不思議な感じがする。 Myblogのindexが出来上がったので、2005年からの記事が完全に開けるかのテストを行っている。かなりのボリュームがあり、全数検査を行うので、数日かかるかもしれない。丁度このページに来た時、自分の書いた記事で笑ってしまった。 「ああ、年が行過ぎていた。あと30年若かったらなあと思った。(いや、年には関係ない!)余生20年は生きられるから大丈夫だ!」 こんな感想を書いたのだった。ある寿命を推定する人が「あなたは90まで生きられる」というのを信じていたから、こんな記事を書いたのかもしれない。 「恋愛は年齢には関係ない」と人は言う。若く生きる方法かもしれない。心は常に若く保っていこう!沢山 ページを開いて 見て頂きたいので 日記一覧のページを開くリンクをつけました。我楽免機の日記の一覧
Apr 18, 2011
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インフォシーク isweb ベーシック 【2012年5月21日終了】により画像が非表示になりました。未だ、再表示されてありません。朝日 そして e-Tax で確定申告する 二階のベランダからの旭日風景です。(カメラの時刻記録 6:18) 昨夜、eーTax で何回も繰り返してデータ入力をしたので、ノートPCのOS起動が遅い。 このソフトは非常に使いづらい。数字の入力間違いがあって、戻すと、今まで打ち込んだデータが全部消えてしまっているので、もう一度同じ操作を繰り返す。こんなエラーを何度もやらかしてしまって、5回以上も最初からやり直したりした。 一年に一回しか使わないソフトだからこうなるのか?それとも、ソフトの更新が行われて、かえって使いづらくなってしまったのか。 作年度、初めて電子納税を行って、5000円の控除も受けたが、今年は控除もなしで、おまけに何度も操作の繰り返しを行わされている。 納税局と親しくなるためには、こんな行動も必要なのかもしれない。 昨年度は、たいした苦労も無く、eーTax で電子納税が出来たが、そのソフトの中の情報を詳しく読んでいなかったので、「来年度は納期の前に、じっくり納税局が発信している情報を読みこなしてやろう!」と思っていたが、一度もそのソフトファイルを開かなかったのが、作夜苦労した原因だったようだ。天候は非常に良い。しかし、まだ大変寒い。 しかし、今日は、納税を終わらしてしまいたい。外出もまだままならず! walkingも実行しないと、体力が退化する、こんな悩みもある。
Mar 5, 2011
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インフォシーク isweb ベーシック 【2012年5月21日終了】により画像が非表示になりました。未だ、再表示されてありません。枯れた蘭大きな鉢の蘭が咲き終わって新しい芽が出てきたので、株分けをしたら、5鉢になった。夏の間は庭に放り出して、乾燥したら少し水くれをしていた。冬になってそのままにしていたので枯れてしまった。 春になれば、また青くなるのかもしれないと考えて、この場所に纏めておいたが、家人が皆風邪を引いてしまって、面倒を見てくれなかったので枯れてしまったようだ。 このことから、人生を学んだ。 老人になって、しかも一人暮らしになって、誰も面倒を見てくれる人が居なくなると、やがて死期が来る。元気のときは幸福な生活を営むが、一人暮らしになると、人生とはわびしいものだと感じる。いづれ、我が家にも同じような状況が遣ってくるのかもしれない。沢山 ページを開いて 見ていただきたいので 日記一覧のページを開くリンクをつけました。我楽免機の日記の一覧
Feb 10, 2011
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多面体パズルの作製についての考察正4面体と正四角錐をあわせて違った多面体を作る問題について考えてきたが、さらに別の問題も作ってみようと考えた。列挙すると次のような問題が考えられる。正4面体に関するパズル1 正4面体を二等分した二個の5面体から正4面体を作る2 正4面体と正8面体で5面体を作る3 正4面体と正四角錐で5面体を作る4 個と正8面体1個で6面体(菱形多面体)を作る その他同じ四角錐3個で立方体を作る同じ四角錐4個で立方体を作る11日と12日には、以上の様なことを考えて、いくつかをブログに載せたが、外出もしないでこのようなことを考えていると、実際に作ったりしてブログに載せるので、期日通りにならない。 「デジカメもって山歩き」は当分お休みになります。多面体を通して数学の楽しさを知っていただけたら幸いに思います。本当に易しい数学(むしろ算数に近いものばかりですが)、暇つぶしにはお役に立つと思いますので、こんな具合にブログに載せてゆきます。 よろしくお願いいたします。
Dec 14, 2010
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先日、足尾線で桐生まで通学していた友人が電話をくれた。私の家に訪問してくれるとのこと。彼の家には5月28日に訪問した。非常に庭の芝生がきれいな家だった。応接間も非常に整っていて、気持ちよく私を迎えてくれた。 それに対して、我が家は散らかしっぱなし。これではあまりにひどすぎるので、急遽余分な荷物は隣の部屋に移動してすっきりさせることにして、整理を始めた。 その前に、庭の片付けを遣った。あちこちに散らかっている鉢は北側に移動した。雑草がまだはびこっているので、それを除去した。 こんな作業をしながら、当時の「足尾線通学」を思い出した。列車機関車はSLで動輪は2個(Bタイプ)関連_Cタイプは動輪が三個、Dタイプは動輪が4個(有名なのがD51デコイチ)貨物と客車が一緒に連結している。客車が前2両、貨物がその後部に必要数連結される。通勤時は大体乗客の乗る車両が決まっている。 当時沢入に住んでいたので、桐生まで往きは一時間で行けたが、帰りの下り列車は二時間掛かった。その理由 上り勾配がきつくて、しかも牽引力の小さい機関車だから、スピードは出ない。大変遅いい列車だった。 神戸(ごうど)駅で、列車の給水をする。そのために30分以上もその駅に停車する。そのとき、乗客はホームに降りて遊ぶ。学生は元気だったので、ホームでキャッチボールなどしていた。こののろさに着いて、面白い光景を見ている。 さて、その神戸駅からが更にきつい勾配になって、列車は物凄くのろくなる。沢入りから戻って自宅へ帰る人で大変元気な労働者がいた。彼は途中で自宅の近くへ来ると飛び降りた。平和な時代で、ローカル線だから許されていたのだろう。 もっとすごい人もいた。列車にはトイレがついていないので、小便を途中で降りて済ます。そして、走っている列車を追いかけて飛び乗る。こんな芸当が出来るくらいのろい列車だった。夏の黒い煙が窓から入るトンネルに入ると、窓が閉まっていても、その隙間から黒い煙が入ってくる。私は、車中で読書もしたので、列車の中で読んでいた本を開くと、その数ページが真っ黒になっている。それほどひどい煙だった。今は快適なジーゼルエンジン列車になっている。女性の車掌も乗っていて、沿線の景色などを案内してくれる。サービスが大変良くなったものだ。 車時代になって、この列車を利用しなくなった人が多いので、このわたららせ渓谷鉄道も経営が困難のようです。 沿線は渡良瀬川の景観が大変良いので、たまには唯、乗って足尾まで遊びに行くのも楽しいものです。4月11日の同窓会で、神戸のサンレイクくさぎに宿泊し、翌日は足尾の終点まで行ってきたが、渡良瀬渓谷の美しさは忘れられません。また、いつか、今度は秋の紅葉時期に行ってみたいと考えています。 ぜひ、皆さんも渡らせ渓谷鉄道に乗って、足尾の観光を愛でていただけませんでしょうか。わたらせ渓谷鉄道の全身「足尾線」で通学した小生からお願い申し上げます。当時 旧足尾線の沢入駅の官舎で4年間生活しましたが、懐かしい思い出です。
Nov 23, 2010
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寒い中を天神山の中腹までバイクで行き、赤城山と榛名山の景色を撮影して帰ってきたが、昼間の疲れで、夕食を食べると眠くなって寝床に入って寝てしまった。 夜中(午前2時過ぎ)にトイレに起きた。そのままラジオを聴いていたが眠れずに、起きだしてバッグの中を整理した。領収書などが十数枚入っていたので、調べて見た。 何を買ったか分からない物が数枚あった。暇つぶしに見ていたが、ブログを見れば、そのときの出来事と同時に思い出すと思って、ブログを開いた。 4月25日 伊勢崎市での買い物 5月28日 群馬八幡駅前の駐車場 駐車料金(この日はどこへ行ったのか?) 6月19日 吉井物産センター ふれあいの里 (どこへ行ってこの買い物をしたか全く思い出せない。ブログを開いたら、それが理解できた。) このことで思いついたこと 「ブログの非公開日記に記録しておけば、生活記録になる。」と言うことだった。 公開する事柄でないが、自分の記録としては当時の生活が回顧できるので記録すると良いと思った。 このように思って、その三つの日の買い物記録をした。 今後も、非公開記録をすれば、自分の日記が残せると思った。
Oct 28, 2010
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近所の寝たきり老人と犬こんな見出しだと、フランダースの犬を思い出す。しかし、近所に寝たきり老人がいたとは知らなかった。郵便局に年金関係の調査返信の葉書を出しに行った時、郵便局の近くの家で犬にほえられた。そこには犬が2匹いて、ほえられたので立ち止まったら、もう一匹の犬はほえないで、一人の老婦人に何か面倒を見てもらっているようだった。 そこで、見知らぬ人だったが、「こんにちわ!」と挨拶して、犬の話が始まった。「ここのうちの人じゃないんだけど、この家のおじいさんが寝たきりになっているので、毎日犬の面倒を見に来ているのです」と話してくれた。テレビでも、老人問題が話題にされている現代、老人が一人きりになってしまって、ヘルパーの世話になっている人が、近所にもいることをはじめて知らされた。 町内が違うし、付き合いが無いので、そのような話は聞いたことが無かった。その老婦人の話では、「夕方ヘルパーさんが来るのです」と教えてくれた。 ひとごとでない、いつか自分の身にも同じようなことが起こるのかもしれないと思った。医者要らず、薬も必要ないといくらがんばって居ても、「年の瀬には勝てない」と、人は言う。 覚悟をしておこう。でも、寝たきり老人にはなりたくないと思っている。死ぬまで歩けるようにしておきたい。
Oct 20, 2010
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インフォシーク isweb ベーシック 【2012年5月21日終了】により画像が非表示になりました。未だ、再表示されてありません。蝉の抜け殻ようやく猛暑から抜けて、バイクツーリングも苦にならない季節になりました。かねてがら、少年時代に過ごした懐かしい思い出の沢山ある伊勢崎へ訪問したくなりました。しかし、しなければならない用事が山積していますので、なかなか外出できません。今朝は、朝食前に、リンゴを食べて、その途中でメダカ水槽の水を取り替えねばならないことを思い出して、その作業に庭に出た。 水道の蛇口の傍の植え込みの中に蝉の抜け殻が落ちているのを発見したので、それを食べかけのリンゴの皿の上に載せてその撮影をした。 蝉の抜け殻は、庭の雑草除去をしているとあちこちに見つけていましたが、今年は抜け殻の撮影をしてなかったので、あえて、こんな撮影を行った。 蝉の抜け殻については、面白い思い出があります。 現在高校生になっている孫娘が、ばあちゃんの世話になっている幼児の頃のことです。退職後の無職になってからのことでした。私も一緒にその孫娘の子守をさせられていたのです。「おじいちゃん、蝉の抜け殻を採りに行こうよ」と誘われました。早速、麦藁帽子を被らせて、八幡霊園の森へ出掛けました。そこには蝉の抜け殻が、森全体の木の枝についているのが見えます。あらかじめ持っていった竹ざおの先に鉤をつけた採集用具で、孫娘の帽子の中に沢山採りました。そのときの孫娘の嬉しさで満面の笑顔が忘れられません。 夕食時、両親の帰宅した自分の家に帰ったとき、両親にその帽子いっぱいの蝉の抜け殻を見せたら、父親が「マナチャンそんなに沢山取ってきて何にするんだい! 佃煮でも作るんかね」と言いました。それになんとも答えられませんでしたが、ただ笑顔で笑っているだけでした。沢山蝉の抜け殻が得られたのをただ喜んでいる孫娘でした。庭で抜け殻を発見したときはいつもこの思い出がよみがえってくるのです。 八幡霊園の森で撮った孫娘の写真は無いので、当時の夏の風景を一枚載せます。 大きな向日葵の種です。それを孫娘に持たせて撮ったのですが、顔を伏せてしまって向日葵の種、そのものの記録写真になりました。平成10年8月22日(土)撮影
Sep 26, 2010
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毎日のように早朝庭の雑草駆除をしているが、そのとき、草の中に隠れて見えなかった山草が見られることがしばしばある。1 ウラシマソウ 今朝はウラシマソウが枯れれてしまったと思っていたのが、背の高く伸びた雑草の中からとうもろこし状になった花後の青い実を発見した。葉はすでに朽ち果ててしまって存在しない。このウラシマソウはマムシ草に葉は似ているが仏縁苞の中から糸のように長い花が飛び出して咲いているのが面白い。この花が浦島太郎の釣り糸にたとえられて、その名がつけられたという。2 ミミガタテンナンショウウラシマソウに似たミミガタテンナンショウもどこかに植えたのであるが、今年は芽が出てこなかった。このミミガタテンナンショウは仏縁苞の茎に近い部分が耳のように膨らんでいるところからその名がつけられたという。最初に発見したのは、青い実を着けたその葉がマムシ草とは違っているがとうもろこしのように実った青い実がマムシ草にそっくりだったのだった。そのときは仏縁苞は既になくなっているので、耳型は見られないので、なんと言う草かといぶかった。インターネットでマムシ草で検索してみると、この葉に似たのを発見した。ミミガタテンナンショウだった。翌年、今度は仏縁苞のある月にその生えていた場所へ行ってみた。その山には至るところにミミガタテンナンショウが沢山生えていた。その一本を球根ごと家に持ち帰り庭に植えたのだった。3 ヤブミョウガ生垣の際にはヤブミョウガが二本花と実をつけたのがある。これは近所の山で採集した。4 ヤブレガさ と モミジガサその隣には、ヤブレガさが一本葉をもみじのように広げて生えている。もみじがさも少し離れて一本生えている。5 蕗 と 茗荷そこから少し離れた隣家との垣根の際には蕗やミョウガが何本も生えている。6 エイザンスミレエイザンスミレもその脇に大きな葉をつけて一本生えている。この山草は庭のいたるところに種が飛んであちこちに生えている。栽培して、鉢ごと友人に贈ると大変に喜ばれる。葉がもみじのように切れていて、花はかわいらしいピンク色に咲く。そして毎年、増えてゆくので、毎年楽しめるから喜ばれる。7 竜のひげと万両 竜のひげのいっぱい生えている中には、鳥が与えれくれた万両が青い実をつけて何本も生えている。あまりにも多すぎるので、雑草駆除をしながら、間引きをしている。8 大葉のギボウシ と 小葉のギボウシ大葉のギボウシも庭石の脇に生えている。この葉には白い縞が葉の縁にある。葉が少し小さいギボウシは花が紫色に咲くので、紫式部と同じ紫が楽しめる。 このようにして、山の草はどんな物があるかを思い起こしてみた。知らない間にどんどん山の草が庭に増えていた。9 ヒトリシズカ と フタリシズカ杉林の中で発見した一人静かと大道峠に向かう山の中では二人静が沢山生えていたのも移植されてある。 最近採集した山草はツリガネニンジンとヒヨドリ花であった。10 釣鐘人参 と ヒヨドリ花植木鉢に移植して育てているが、背丈が伸びてひょろひょろとした姿で花をつけている。ヒヨドリ花はその香りがとても心地よく鼻を打つ。11 イカリソウ イカリソウも時期になると錨に似た白い花を沢山つけて咲いている。これは深山で咲いているときは背丈が10cmにも足りないかわいらしい山草だったが、平地に持ってくると背丈が大変大きくなってしまう。毎年根をのばし茎の数が増えて行き、それに連れて背丈も伸びてゆく。現在は30cm以上の大女になってしまった。12 キアキギリ 黄花のアキギリも植木鉢に移植されて、毎年秋になると小さな黄色の花を沢山つけて咲いている。 このほかに、山の木もいくつかある。13 ハナイカダ一番楽しみにしているのは花筏である。これは、木の枝を少し切り取って、毎年数本づつ挿し木をして育てている。このpハナイカダを知ったのは軽井沢植物園であった。その植物園の広い敷地の中の北半分を数時間かけて植物を見て回ったとき、直径10cm以上もある太い幹の木の葉に青い豆が着いている。時期が花が終わって実が着いたときだったから、その不思議な葉を見られた。木に名札があって、「ハナイカダ」と書かれてあった。 賞仏縁では、観察するだけで、採集はできない。その後の山歩きで、この木を発見したときの驚きは、嬉しさに変わっていた。背丈が2mにも足らない小さな木ばかりであったが、葉の上に亜h菜が咲いている。小さな花だ。よく見ると、葉の上に一個しか咲いていない木と、葉の上に数個の花の咲いている木があった。後で知ったことであるが、雌の木と雄の木があって、花のおぽく作は似は実が成らない。雌株の木にだけ実が着くのだった。 この木は挿し木が楽に出来るが、水差し木も簡単に出来る。根が生えてきたら、地面に定植する。挿し木をした木が今では1m以上になって、毎年葉に豆が着く。全く珍しい木である。14 名前が知らないハーブと同じ香りのする葉を持った木 妙義山の渓流の縁の散策道を妻と散策していたとき、妻が「ハーブと同じ香りがする」と私の鼻の先に一枚の木の葉を突きつけた。なるほど!ハーブに似ている。祖に木の枝先10cmほどを指で切り取って、家に持ち帰り挿し木をして育てた。もう何円立ったのであろうか。その木は私の背丈より大きく育って、隣家との境の垣根脇に、頭をちょん切られて立っている。 あまり木が多すぎるので、この木はもったいないが切り倒そうと思う。香りが欲しいときは、山へ行って、その木の葉に鼻を持ってゆけばよいのだ。15 くぬぎ と マテバシイ どんぐりを拾ってきたのを鉢の中に生けておいたら、芽が出てそれぞれ立派な木になっている。これは、山に返そうと思っている。 多面体紙工作を始めたら、山野草の手入れが行き届かなくなり、植木鉢の中に「ねこじゃらし」が生えたりしている。どこに集中するかを考えたら、植木鉢の水くれが大変なので、植木鉢の植物は極力やめることにした。 これを機会に、このようなエッセイを書きたくなったのだった。猛暑のために外出を避けているので、山への思いが募ってきて、こんなエッセイを書いてしまったのかもしれない。
Sep 3, 2010
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毎日35度を超えるこの暑さの中では、体力の消耗ばかりで、何もすることが出来ない。クーラーを利かせて、部屋の中でじっと我慢している外はない。 ただ、過ごすのも無駄になるので、自分の好きなことをやって過ごしている。その結果が、多面体紙工作のことばかりだ。 庭の雑草も降雨に伴って、陽光も大きな効果があって、大変にはびこってくる。この除草は、毎日、早朝5時起きで、約一時間実行している。とても一時間以上は行えない。日中の暑さを避けて、早朝涼しいうちに行うが、なかなか除草がうまく出来ない。でも、やら無いより良いと思っている。 午前中は、クーラーをつけないでも、何とか過ごせるが、午後になると とてもクーラー無しでは生活できない。 昼食後は、食休みでテレビを見ていると、クーラーの心地よさで眠ってしまう。午後4時頃になると、目が覚めて、シャワーを浴びて、平素の仕事に戻る。 ブログ書きやHPの更新は、夕食後の時間となる。こんな生活が、いつまで続くのだろうか! 毎日、じっと忍耐して生活するしかないだろう! 本来の「デジカメ持って山歩き」は 9月の下旬からになってしまうだろう。それまでは、近所の山歩きか、相変わらずの多面体作りの記事ばかりになってしまうだろう。
Aug 31, 2010
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私のブログのテーマは「デジカメ持って山歩き」であるが、「多面体紙工作」についての記事がかなり多くなってきています。 そこで、この「多面体紙工作」を分類するとき、なぜ「数学」にしたか、その理由を釈明します。単に作ることだけなら「多面体紙工作」は「工作」か「工芸」あるいは「手芸」ではないかと思う。 先ず、第一に「多面体」について、数学の分野で考えれば、それは「位相空間数学」すなわち「トポロジー」の分野になる。次に、多面体の構造を考えるとき、「辺」「面」「頂点」があり、それらの数値の関係は、有名な「オイラーの法則」がある。これは数学上の問題を解明した立派な法則である。さらに、工作しながら、「ある多面体」(たとえば合成正4面体)について、多数の積み重ねをしたとき、その合計数は数列の問題になってくる。 この例は、正4面体と正8面体で、大きな正4面体を合成するとき、一段、二段、三段・・・と重ねてゆくとき、ラッキーセブンの7段まで積み重ねたら、その合計は正4面体と正8面体がそれぞれ何個と成るか?と言う問題を解く場合である。 これは数列を作って行けば簡単に求められる。これに関する記述は、昨年の6月22日に「7階層の合成正4面体の使用多面体の個数カウント表 」と題して 投稿している。http://plaza.rakuten.co.jp/nisijohsyu/diary/200906220000/ 同様に、数列で多面体総数を求めた問題として、菱形多面体の総数を求めた問題もあった。Jan 13, 2010「菱形12面体を正4面体状態に積み上げて出来る菱形多面体の表面数 」Jan 26, 2010 「菱形552面体が完成しました 」 このページには菱形552面体や菱形924面体を製作するために、菱形を何面要するかの計算表が載せてあります。これも数列の計算で行いました。 これ以前にも、三角形を描かなければ成らない問題もありました。すべて、三角関数の計算(sin cos tan )が大変役立ちました。 高等学校で学習した数学が、ここでは、全く役立ったのです。以上のごとく、「多面体」は 過去に習った数学を応用するに大変適した分野でした。それゆえ 「多面体紙工作」は 数学の分野としたのです。
Aug 27, 2010
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数年前に、友人からメダカを30匹ほどもらったのがきっかけでメダカを数十匹ほど飼育している。そのメダカが親メダカになって翌年から毎年産卵をするようになった。水の影響や餌の影響で、昨年度は死ぬメダカが多く、18匹になってしまった。 産卵孵化は、毎年、100匹以上になるが、大きくなる前に、半分以上が死んでしまう。今年は、そのうちの2匹が死んで、16匹になってしまったが、その中の数匹は毎日産卵している。その孵化が、今年は100匹以上になっているが、やはり、半数は死んでしまう。今年は親になるめだかを50匹は残したいと願っている。 今年は、ひょんなことからヒメダカを二十匹ほど買い込んだ。その経緯は、次の通り。8月になって、「希望の丘」にメダカ販売部が出来たので、見に行った。大きなプラスチックのケースが50以上も並んでいて、さまざまな種類のメダカが沢山泳いでいる。産卵中のメダカも居た。その各水槽の縁に、メダカの値段が書いてある。一匹の値段であるが、それが予想していたよりはるかに高額であった。1000円はざらで、1万円以上するメダカも居た。金魚のランチュウ並みの値段であった。 さて安価のメダカは?と探したが、一番安いので200円であった。みな、一匹の値段です。こんなにメダカって高価なのか!と非常に驚いた。あるとき、あるストアーでメダカが売られていたので、覗いたら、水の入ったビニールの袋の中に、十匹程度が居て、300円と書いてあった。これは一匹30円に相当する。どうして、「希望の丘」のメダカは高いのか? 山の上だからか?!(そんなことは無い!)セキチュウのペット販売部で見たときは、一匹20円と言うのが一番安い値段であった。もちろん高いメダカも居た。一匹数千円もするのもいたのである。 私は、戦時中から節約生活を強いられてきたので、贅沢な趣味や、贅沢な買い物は絶対にしないようにしつけられてきたので、メダカの飼育も同様に考えている。 このとき思った。「安いメダカを買い求めて、「希望の丘」のメダカとどのように違うのか、観察してみよう」と考えて、ビニール袋入りのメダカを売っているところへ行った。そのときは、一袋300円のメダカは売られてなくて、150円と450円のメダカが売られていたので、一袋150円のヒメダカを二袋買って来た。それを16匹しか居ない水槽に、一緒に入れたら、前から棲んでいたメダカも新しく仲間に入れられた20匹のヒメダカも元気よく、威勢良く泳いでいる。メダカの種類が多いことと、その値段が高価なことも知って、メダカの飼育が前より楽しく感じられるようになった。 その理由には、メダカの本(「メダカの館」9号、500円)を「希望の丘」で買ってきて読んだことに起因している。「日本メダカの会」と言うのがあって、年会費6000円と言うのも書いてあった。自分の趣味は単にメダカを飼育して、ペットを楽しむと言う程度であるので、その会に入会する気持ちは無い。ある友人は犬を飼っていて、自分の子供のように愛している。それと同じように、私も、自分の朝食が済むと「さて、子供に食べさせなくては!」と独り言を言いながら、餌を与えに、水槽の置いてある庭の片隅に行くのである。これが毎日のメダカ飼育の日課である。
Aug 26, 2010
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こう毎日の猛暑ではたまった物ではない。かつて、私は熱中症で夜中に発熱して、苦しんだことがある。 数年前の真夏、ニドアゲトウゲに浅間山撮影に行った時のことであった。1500m標高のその峠は割合と涼しい。ただし、平地の高崎の気温と比較したときの話。バイクで行ったので、運転時は風を切っての走行であるから暑さを感じない。途中バイクを停車して写真撮影するときは、かなりの暑さを感じる。午前10時頃、暑さの厳しくなる時間帯に家を出て、ニドアゲトウゲまで直行した。そこでの数時間、水も飲まず、食事もしないで撮影を続行した。帰り路は、途中、バイクを停車させて、何度も撮影を行った。夕方、ハマユウ山荘で入浴し、帰宅したが、夕食は普通に食べられた。さて、夜中になって、体調がおかしい。頭が痛い。意識も朦朧としてきた。発熱が激しい。解熱剤を飲んで寝たが、そのときは意識は普通でないと感じた。とにかく苦しいのだ。死ぬのではないかと思った。 翌朝目が覚めたとき、「ああ、生きていた!」と感じた。それまでは、昼間の疲れで苦しみながら寝てしまっていたようだった。 こんな苦しみは、二度としたくないと思った。それ以来、時々水を飲む。食事も普通に摂取する。外に出て、熱さに当たったら、屋内に入ったら直ぐに水シャワーを浴びる。水分補給をし、このような節制を行ったので、それ以後は熱中症にかからない。出来るだけ外出を避け、屋内で他の趣味の研究を行っている。本来の「デジカメ持って山歩き」は涼しい秋になって行うことにしている。
Aug 24, 2010
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屋外の水槽でアオガエルが、水槽の中から出てきたのがつい先日のような記憶があります。蛙の卵を産むために入ったものと、おたまじゃくしの発生後に分かりました。 いくつかに分けた水槽の中には、稚魚のメダカが数十匹ずつ居たのに、おたまじゃくしばかりが目に付くようになっています。 多分、おたまじゃくしがメダカの稚魚を食べてしまうのではないかと考えました。毎日、水槽を覗き込んでいると、おたまじゃくしばかりが成長していて、メダカの数は、毎日、少しずつ減っています。稚魚の死骸は見当たりません。多分食べられてしまったのでしょう。 家の中の水槽に居るメダカも、稚魚は大きくなったメダカに吸い込まれてしまう。これを一般に「親が子を食べる」と表現しています。 毎日観察しているので、大きなめだかが小さなメダカをどのようにして食べるのかと観察していたら、小さなメダカの後ろにすばやく回って、吸い込むのです。小さなメダカが尻尾の方から大きなメダカの口の中に、バックしてゆく形で吸い込まれてゆきます。これじゃ、死骸も出ませんネ。 そのことを観察発見して以来、小さなメダカを吸い込みそうな大きさになっためだかは、その類同士を入れる水槽を設けて、そこに移動するようにしています。 現在でも、16匹しか居ない親メダカから、どれが雌だか分からないけれど、数匹が産卵しています。産卵の多い時期には、卵の塊がメダカの産卵する場所の両脇に着いているのが見えたので、それが雌だと分かりました。3ないし4匹が、毎日、両脇に群卵をつけて泳いで居るのを見続けていました。 この時期には、メダカの卵が、棕櫚の繊維に数個づつ貼り付けていました。一日に20個以上の卵を稚魚の水槽に取り込むのが日課でした。 発生と滅亡がこんなに激しいメダカの生態でした。100匹以上居た稚魚は、現在、50匹足らずの状況です。家の中に入れた3個の水槽には、おたまじゃくしが居ませんので、なんとか、この状況を維持して、今年は、50匹くらいの親メダカを確保したいと考えています。
Jul 20, 2010
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私は携帯電話機を持っていません。携帯電話があれば°どこからでも電話が掛けられるので、便利であると承知しています。登山は常に単独登山でして、高齢者になってからは、不意の出来事に対処する方法は携帯電話しかないと考えて携帯電話を購入しようと、販売店に行って相談したことがありました。しかし、私の登山に関係のある場所には電波が届かないというので、いまだに携帯電話を使えません。 それが、効を奏した事件がありました。あるとき、妻が電話に出たら「還付金があります」というので、話を聞いていたら、「携帯電話を持ってコンビニへ行ってください」というので「携帯電話は持っていません。」と答えると、電話は切れた、というのです。結論は、振れ込み詐欺の電話だったということが、新聞やテレビのニュースで分かったことでした。 この記事を書くとき、「携帯電話が無いと便利なことがある」と書くつもりでしたが、携帯電話会社に、営業妨害されていると思われたら裁判沙汰にもなりかねないと考えて、このような記述にしていました。 昨日、東大宮まで電車小旅行をして来ましたが、電車が遅れて、予定時間よりかなりずれて友人宅へ着いたのでした。途中電話を掛けて、遅れる旨を伝えようとしましたが、見回しても電話ボックスが見当たりません。 家へ帰るのも予定より遅れて、妻に心配をかけぬように電話を掛けようとしましたが、高崎駅での乗り換えホームに電話機が見当たりません。帰宅して、その話をしたら、「今は携帯電話の時代です。公衆電話が無くなっているのです」と答えられました。そのようですね。近所で、公衆電話が残っているのを見ると、旧時代の人間はホットします。 今日は雨降り。バイクでの外出がが侭成りません。山へのバイクツーリングは快晴が絶好です。雨天では交通事故を起こす危険を考慮して、絶対に乗らないことにしています。今5角60面体の印刷を画用紙にして、紙を切り終わったところでした。直後、折れ線に鉄筆で線を引き、折込を行いボンド貼合わせをします。 このとき、1ブロックごとに写真を撮り、製作状況を記録することにしています。今日の画像添付は、この記録写真をと考えています。今日のエッセイを終わります。
May 29, 2010
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昨日の日記のコメントに、この記事の紹介を書きましたが、下の文が磯部駅前に立てられた説明看板です。2003年4月に撮影した物で、数年前の駅前工事で取り払われていて、無くなっていましたが、最近はそれを見ていないのでどうなったかわかりません。恐妻碑のいわれ 上州が生んだ新聞界の雄阿部真之助また恐妻家として最たるもの、外にあっては毒舌をもって鳴らし家にあっては妻女の前に平伏して鞠射如たり 将に上州人の真骨頂を具現、自ら冠して日本恐妻連盟総裁と称したるは自他共に認むる所なり生前殊の外磯部温泉を愛しことある度に 集り浴みし外人ら名づけし「恐妻そば」など喰い自適す群馬県富岡に生れる東京帝大社会学科卒業後毎日新聞論説委員、九代目NHK会長などを歴任菊池寛賞 1956年「新聞文化賞」受賞 彫刻 半田富久氏(安中原市出身) 安中市観光協会立て看板の写真とその記事は 下記のページに載せてあります。http://nisijohsyu.web.infoseek.co.jp/nisijohsyuhuukei_2/isobe/newpage2.htm ついでに、「恐妻認定証」という物について記します。磯部の温泉旅館組合が発行した「恐妻認定証」が欲しくて、温泉旅館で貰えるよう頼んだのでしたが、「現在は発行していません」と言われて、入手できませんでした。
Mar 12, 2010
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私のホームページ「多面体紙工作」のカウンターがやっと300を超えました。そして、今日の朝のぞいてみたら、333と成っていました。当たり前のことですが不思議な感じもします。最近で一番不思議に思った数字揃いは2が並んだことでした。平成22年2月22日2時22分。2が8個並びました。 この記念に郵便局でその数字の揃った消印を押したはがきを入手したいので、郵便局へ駆け込んだ人が、全国で多かったというのをラジオのニュースで聞きました。消印は22年2月22日で2の5個揃いでしょうが、この時間というのは一生のうちでこのときだけというのが尊いのでしょう。私のホームページのカウンターの数字は、静かに潜んで生活している。しかし、このホームページ、毎日数字がすこしずつ増えて行きます。 ちなみに、私のホームページは 「多面体紙工作」 http://nisijohsyu.web.infoseek.co.jp/index.htm 寂しく、潜んでいますが、私の思考がこのホームページを構成していますので、時には、皆さん、覗いてみてください。
Feb 25, 2010
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午後3時過ぎに家を出て、鷹巣神社に行ってきました。写真をたくさん撮り、参道がどのように成っているかを知りたくて、神社の近くの家で教えてもらおうと考えて、教えてもらえる家を捜し歩きました。 神社の直下にある旧家(依田家)の広い庭に入り、玄関にたどり着いたとき、あまりにも立派な大きな新しい玄関であったので、気後れがしてインターホーンのボタンを押すことが出来ませんでした。神社の門柱の隣の医院で教えてもらおうと玄関の扉を開けようとしたら開けませんでした。日曜日で休診でした。 その前の家、割烹旅館古久家の玄関に入り、その場で立ち話、約30分ほどいろいろと詳しいことを教えてもらいました。ご主人(堀口さん)は「あがりませんか」と、ロビーに上がることを進めてくださいましたが、初めての訪問者(いちげん)であるので、あがらせてもらっては(長話は失礼に当たると考えていましたので)失礼と思いましたので、立ち話となったのでした。結局、丁寧な親切なお話が続いたので、5分か6分ではすまなかったのでした。ほんとうに「すみませんでした。(謝り)」「ご主人様、ありがとうございました!」 一番知りたかったのは、参道のことでした。やはり、あの門から山の上の神社まで参道が続いていたことをはっきりと知りました。石の橋を渡り、右斜めに登り、中腹で左に折れて(現在の参道の途中から左折れ)神社にいたる。 神社の参道を国道が遮ったということでした。(前日のページに追記をしました。)古い資料も残っているとのことで、いろいろと教えてもらえることがわかりましたので、詳しい記述が後に出来そうです。注 お名前を載せることを許してもらっています。
Feb 21, 2010
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「身を軽くしなさい」と、持ち物の整理(特に廃棄処分のこと)を勧められたことについて。 初任給(月給)1万円で或る継電器メーカーに入社し、月給が1万3千円のとき結婚した。冬は特に寒い地方であったので、コタツが必要であったが、それが買えないのでパン焼器を木製の小型コタツの中に入れて暖を取った。暖房器が買えなくて代用品で間に合わせて生活していたときの思い出だった。また、バナナ1本が120円もして、それを妻と2歳になる長女と3人で分けて食べたことなども思い出した。ひとつのことから懐かしい思い出が次々と出てくる。 特に今朝は、暖房器の代用品のことを朝食時の会話の中から思い出した。「反面しか焼けていない。故障したのかしら」と、妻が食パンの一切れを食べながらつぶやいた。それを聞いて、「電熱線は並列かな、直列かな」などとつぶやきながら、そのパン焼器のことに触れた。「半分は焼けているのだから、並列だな」と自分に言い聞かせながら、「結婚した頃、暖房機が買えなくて、パン焼器をコタツの中に入れて寒さをしのいだことがあったな。あのパン焼器は別荘に保管してあるヨ」と言うと「身を軽くしなさい!」といわれた。 別荘とは、プレハブ造り電子工作室のことで、妻はそれを「別荘」と呼んでいる。その中には、自作の真空管式のラジオや、ブラウン管の写りが悪くなって不要となった真空管式の古いテレビなどが保存されている。そのように様々な自分の歴史がすべて保存されている。私にとっては、思い出のあるものばかりで、捨てられないから、保存して置く。 その考え方が、書斎にも応接間にもすべて適用され、荷物が多くなってしまう。極力捨てようと考えている妻と、常に反対している。 今朝も、それを言われた。私は黙秘した。反論すれば喧嘩になる。考え方、生活の仕方がすべて違っているからだ。その妻の考えを容れるべく、自分の分野のみに、「自分史の保存品」を残すことに極力協力はしている。それゆえ、反論はしないで、無言で応じるほかは無いのだ。 最近、友人から、「別世界へ旅たつ準備として、残された妻へ負担をかけないように荷物を処理する」ということをメールで知らされた。 昔は、不必要品は「屑屋」に売れた。現在は、不必要品を処理してもらうために、金を支払わねばならない。その費用がかなり掛かるということを知らされた。「自分は良いが、残された妻に迷惑をかける」と、忠告のようにも思える書き方で、書いてあった。そんなこともあって、今朝の会話をあえて、こんなエッセイとした。さて、どっちが先に旅たつか?! 男(夫)か女(婦)か?!
Feb 17, 2010
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インフォシーク isweb ベーシック 【2012年5月21日終了】により画像が非表示になりました。未だ、再表示されてありません。22.2.6 石祠を3本の丸太でツッカイボウH21.12.26 のページに「傾いた石祠を杉丸太つっかい棒で倒れぬように支えていたのを修理する方法」というのを記述したが、このときには、その写真が発見できなかったので載せられなかった。昨日、古いファイルを探したら発見できたので載せます。H21.12.26傾いた石祠を杉丸太つっかい棒で倒れぬように支えていたのを修理する方法のページに載せるべき画像H14.2.28 撮影当時、調査して提案したのはMSWORDファイルでしたので、HTMLファイルに書き直して、概略を載せました。西上州散歩 このホームページに概略の記事を書きました。http://www1.ttcn.ne.jp/~nisijyohsyusanpo/ このページの下方にある 項目 石尊山の傾いた石の祠を立て直す をクリックしてください。
Feb 6, 2010
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NHK総合テレビ7:30~8:45 ミステリーロマン「古代エジプト文明」を昨夜見た。その中でも「ピラミッド建造の謎」を見て、あの大きな石をどのようにして積んでいったのかを解き明かしていた。傾斜を作ってその上を人力で引き上げたそうだ。それも5度の傾斜が限度だそうだ。 それを見ていたとき、それと同じようなことをA4判コピー紙2枚に写真入と図説でレポート提案したことがあったのを思い出した。 安中榛名駅北の石尊山頂上に有る石祠が傾いているのを杉丸太3本でつっかい棒してあったのを思い出した。たまたま、その土地の持ち主が山の植林地で下刈りをしているときに出会って、そのことで相談した。 後日、積み石のサイズを測り、同じ石質の小石をコップに沈めてその体積を求め、質量はキッチン秤ではかり、それらを元に計算して比重を出し、それらから祠の石の重さを計算して、どのようにして分解し、どのようにして積み上げるかを考えた。 二通りの修理法を提案したが、結局、どちらも採用されずに、新しい道を作り、起重機車を頂上まで運び、それで復旧作業をしてしまった。 その提案は、土でスロープを作り、その頃斜を使って石を出し入れするのが、一案であったが、これは狭い頂上なので不採用とし、第二案を提案した。それは、近くに孟宗竹林があって、そこを登山道にしたとき、切り倒した竹はそのまま放置されていた。それを使えば、その竹を天秤棒にして、数人で担いで運搬できると判断したからだった。 提案者は一番経済的な修理法を考えたのだったが、ゆとりの有る山所有者たちは、作業車をレンタルして作業を行ったとのことだった。こんな思い出が、ふと、テレビを見ていて思い出された。もう数年前の出来事である。
Dec 26, 2009
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8月14日の夜、南牧村の大日向で「火とぼし」と言う行事がある。これは小幡領主の圧制に堪えていた村民が武田信玄が上州侵攻の際に武田方に加勢して、火をとぼし武田軍勢が大群であることを示し、城を攻略できた、その記念の行事が起源であると言われている。 これと同じ様に沼田城主の圧制に堪えかねて、杉木もざえもんが代表になって、直訴したら利根川原で磔にされたという。群馬では義人もざえもんとして、あがめられているが、この二つの圧制があったこととその措置に大きな違いが有ったことを考えたとき、感慨深い思いがする。「みんなで渡れば怖くない」と冷やかしの交通マナーについての言葉を思い出す。武田信玄に加勢した南牧の人々は賢かったようである。直訴はしないで、戦争に便乗したから。 それに対して、義人とあがめられたもざえもんは、勇気を振り絞って、江戸城へ直訴したのであって、村民の尊敬の深かったことが思い知らされる。家族までが磔にされたとは大変かわいそうな話しです。秋のお彼岸にはもざえもん地蔵の参拝詣での人で賑わうが、安心した政治が行われたいものである。
Aug 14, 2009
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矢沢栄吉の「成り上がり」が出版されたばかりの頃、電気工学の授業中に、教師の講義は聞かないで、それを読んでいた生徒がいた。教師はそれに気がつき、生徒のそばに行って、その本を取り上げた。彼は山岳部に属していて、山岳部の顧問をしていたその教師は、叱ることもしないで、「その本は面白いか」と問うた。「面白い」と彼は応えた。彼はハトを沢山買っていて、通称、友人たちにハト君と呼ばれていた。明るい性格の生徒。教師は帰宅して、その本を読み始めたら面白くて止められなくなり、一気に読んだ。こんなはったりでのし上がった音楽家もいるのかと思ったが、それが何と、ロックで有名な歌手になっている。 多面体紙工作に熱中していて、ホームページに書く「ボンノートライアングル」記事が纏まらず、テレビをつけたら NHK「SONGS」で、矢沢栄吉のライブを放映していた。ロックも彼の言葉がハッキリしていて、楽しく聴けた。話し方も明るいし、楽しい話し方をする人だ。これを見て、聞いていて、頭の疲れが取れた。 それで、「成り上がり」を生徒から取り上げて、深夜までかかって、読んだことを思い出した。その文庫本は生徒に翌日返したが、自分用のを買って又、読み直したことも思い出した。その文庫本は今はどこに行っているか不明。 検索で、捜したら、古書で1000以上もする。有名人になると,随筆集も高額な図書になるのかな!
Aug 5, 2009
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髪が伸びたので、床屋に行く。10分でやってくれる床屋が有るので、数ヶ月に一度、其処に行く。料金も安い。1000円である。洗髪はしないので安い。「髪を手入れする時間などない」と言うのが私の信条です。一般の理容院では理髪代も安くは無い。しかし、女性のパーマネントから比べれば、男性の理髪代は安いと人は言う。そうかもしれない。 髪など生きるための条件としては、私は調髪は無関心のほうかもしれない。妻が見てくれが悪いから、調髪しろと言う。(群馬の女性は怖い。だから、妻の発言は尊重する。)そして、調髪するとさっぱりする。それ故、3ヶ月過ぎると、調髪することにしている。 髪がさっぱりしたところで、その近所の食料品店へ立ち寄って、クロワッサンを3個買った。理由はエキゾチックな美しい顔をした女性が明かるく応対してくれる店だからだった。 前に調髪に行ったときにはその女店員は見えなかったが、今回は見えた。明るい気持ちの良い応対をしてくれた。数ヶ月に一度立ち寄るだけなのに、覚えてくれていて、「何処にお住まいですか」などと、言葉をかけてくれたのが嬉しかった。クロワッサンを食べることより、明るい会話が出来たことに喜びを感じながら帰宅した。 毎日通いたくなる気持ちが起きたとき或話を思い出した。その店の女店員に関心があって、或人がつけペンのペン先を、毎日、文房具店に買いに行ったそうです。そして、彼女のハートを射止めたそうです。ああ、年が行過ぎていた。あと30年若かったらなあと思った。(いや、年には関係ない!)余生20年は生きられるから大丈夫だ!
Mar 22, 2005
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定年退職後10年が過ぎた。再就職はしないで、趣味三昧で、毎日楽しく過ごしているが、天候の悪いときはバイクツーリングを控えている。そんなときは、うまい具合に、友人からワープロの仕事を依頼される。歴史と社会に関連した論文を400字詰め原稿用紙22枚持って来られた。その仕事をしていたら、飽きが来なかった。非常に達筆な字で草書よりもくづした字であるので、非常に読むのに骨が折れる。已に数回(常に超論文である)持ち込まれていて、その字に慣れているのではあるが、やはり骨が折れる。時には字引を引いて、文字の確認をする。熟語もかなり凝ったのを使っておられる。それでも、一日、数時間のパソコン操作で、今日は終わった。二日かかった。依頼したときと同じように私の家に来ると言われたが、明日、本人に校正をしてもらいに、持って行くことにした。校正後の追加文もあることでしょうし、本印刷の前の仕事で、彼が私の家に来ることもあるのですから。
Feb 19, 2005
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