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CGN-TVから、淀橋教会アガペー礼拝に、時々入っている妻が礼拝の務めから帰ったボクにたずねる、淀橋教会で説教していた先生のお名前を知りたい、と。淀橋教会のサイトを開き、ゲスト説教者を調べる。鎌野先生!妻の心に触れた鎌野先生の説教を、ボクも聴いた。主イエスの山上の説教から明るく、ユーモアを交え、のびのびと語っておられる。開けっぴろげに語られるのは、大阪調か?ソフトな語り口はすてきだな。
2022年10月30日
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ハンナ・ホースラル氏が28日に亡くなったと、アンネ財団が発表した。93歳。ハンナはアンネの親友、日記の中でアンネはハンナの身の上を心配し、祈っている。ハンナ(ハンネリ)は解放され、イスラエルに戻り、子どもを育て、生涯を全うした。アンネ、アンネの姉マルゴット、アンネの母は収容所で亡くなった。以下、『アンネの日記・完全版』より1943年12月30日 木曜日そしてまたハンネリは? まだ生きているでしょうか。いまどうしているでしょうか。神様、どうか彼女を護って、ぶじにわたしたちのもとへ連れもどしてあげてください。ハンネリ、わたしはたえずあなたの立場に自分を置いてみます。あなたの立場だったら、どんな運命に出あっていただろうかを考えます。なのに、たびたびここの暮らしをみじめに思ったりするのはなぜなのでしょうか。ハンネリや、彼女とおなじように苦しんでいる同胞の身を思いやるとき以外は、どんなときにも感謝の心を持ち、満足と、幸福とを噛みしめるべきではないでしょうか。私は利己的で、卑怯者です。(中略)これだけ恵まれていても、まだ神様を信ずる心が足りないからでしょう。神様は多くのものをーーわたしがとうてい受ける資格のないものを与えてくださっているのに、わたしは依然として毎日のように、多くの過ちを犯しつづけているのです。 同胞の人たちのことを考えると、ただ泣きたくなります。一日じゅうでも泣いていたいくらいです。いまできることは、神様におすがりして、奇跡を起こしてくださるように、そして不幸な人たちをすこしでも救ってくださるように、そうお願いすることだけ。それだけはいまでも十二分にやっているつもりです。 1944年1月6日 木曜日ハンネリはわたしにとって、わたしの親しいひと全員、ユダヤ人全員の苦難の象徴のように思えます。ですから、彼女のために祈るときは、全ユダヤ人のため、苦しんでいる人たちみんなのために祈っているんです。
2022年10月29日
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月曜日夕方、右足が突然痛み出し歩けなかった。神学校の授業もZoomにしていただいた。3日目に痛みが引いた。この季節、突然足が痛み出すのは、3年続けて。足に痛みが出る前は、年に二度ほどのめまいの発作だった。外出先で倒れて、意に反して救急車を呼ばれたときもあった。ボクはアレルギー体質なので、体から毒が排出されるときと考えている。めまいが無くなって、足の痛みに交代。からだのどこかで毒の排出が始まるのだ。心臓に飛べば停まることになるだろう。わが子は残念にも34歳で心臓を停止している。
2022年10月28日
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旧統一教会の解散請求や、認証取り消しはむずかしいだろう。違法行為の立証は困難を極める、またはできない。霊感商法も「商法」多額の献金はどんな宗教にもある。世間からすれば目の玉が飛び出る金額かも知れないが同意の上で購入されたり、献げられている。だまされたか、そうでないかわからない。教祖さんにだます気持ちがあったか、なかったかわからない。神がかっているのだから、本気でこれは霊験あらたかな壺と思っていたかも。そしてその高額な壺を買った人も幸福になったのだろう。自分は「キリストの再来」と自称した教祖さんは亡くなりその弟子の皆さんが、それぞれ自分を「キリストの再来」と呼んでいるそうだ。宗教に対する無知が根本原因かと思われる。霊感商法とかは、30年以上も前から、社会問題になっていたのに今更、話題が沸騰しているのはなぜか?国民に愛された一人の政治家の暗殺がからんだから。国会は教育や福祉問題にもっと時間を注いだら良いのに。
2022年10月25日
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日曜礼拝は1時間半なのに午後に持たれた役員会は3時間かかってしまった。クリスマスの準備等、重なったこともあるが。話が滞ったら声をかけてと書記に伝えてあるが書記は発言もし、記録も執り、それどころではないようだ。あまり発言なさらない役員はじっと3時間座っていたことになる。月曜日からはフルタイムで労働する人もあり。アジェンダは前日に配布してあるからもっとスピーディーに進めても良いのかも。
2022年10月24日
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94歳になった母を訪ねる。家内も同行。面会室にやってきた母。面会時間は15分以内5分ばかり言葉を交わしてプリントして持参した詩篇23篇を、読んでもらう。「たとえわたしは死の陰の谷を歩むとも、わざわいを恐れません。 あなたがわたしと共におられるからです。」ここ第4節に至ると、しばし読むのをやめ「ほんとうねぇ、うれしいわね」と口にする。最近からだに力が入らないという。歳をとるってこういうことね、でも・・・・動けなくなっても生きていたくはない、と言い、ボクたち夫婦を、慈しむように見る。そうだね、元気が残っているうちに、神様の所に行けたらいいね。静かに、天のエデンの園に迎えられる喜びの日その日は、ほんとうに近い。
2022年10月23日
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匂いがきつくないソフターないかなと、ドラッグストアをさまよっていたっけ。「ソフター無くても大丈夫だよ」息子の一言でソフターをやめて半年以上になる。あれは、なんだったのだろう?ソフターなど要らなかったのだ。
2022年10月22日
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この辺の年齢になると子供たちから教えられたり助けられたりすることがずっと多い
2022年10月18日
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教会には、澄んだ声で歌う人たちが多い。広々とした会堂内で、神に向かって心を込めて歌い続けてきた結果なのだろう。もしかしたら、だれでもそうなるように神様が人に声帯を与えたのかも知れない。
2022年10月17日
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「マタイ受難曲」(バッハ)を聴きに行った。信徒さんが合唱団に所属しているツテで行った。礼拝を終えて、おにぎり一個を食べて、急いで電車を乗り継ぎ、会場へ。この日のためにCDを何回か聴いて準備した。特に好きになった曲は、始まりの合唱曲と終わりの合唱曲間では、ペトロが悔い改めたとき、アルトが歌うアリア。会場に映し出される歌詞を追っていくと、「罪の赦しの十字架」のメッセージが明確に浮かんでくる。まるで「十字架の説教」を聴いている錯覚に駆られる。この信仰のピュアさがバッハの教会音楽のかなめだ。コンサートという音楽空間の豊かさ。神に仕える芸術の真骨頂を味わいつつ満たされて帰る。
2022年10月16日
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約45年間、礼拝や祈祷会で聖書を解き明かしてきた。若い頃は、聖書のどんな箇所からも、お説教が出来なければならない、と力んできた。難解な箇所に挑戦し、その結果無理な、独りよがりな解釈をしてきたと思う。今は、難解な箇所はやり過ごす。特に旧約聖書は、安易に取り上げると解釈を誤ったままお話しすることになる。ほかの先生方の説教を参考にしながら注意深くお話ししなければならない。信徒さんから質問されても「すみませんね、ボクにもわからないのです。 天国に行ったら、イエス様に直接おたずね下さいね。 なんだったら、ボクがおたずねして あなたにお教えしましょうか?」
2022年10月14日
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忘れものを取りに帰るように秋らしい日が戻ってきた
2022年10月11日
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鼻水でマスクが濡れてくるので礼拝に行かず、ZOOMで参加することにした。礼拝のズームってどんなふうに聞こえてくるのかと思っていたが思っていたよりもクリアで良かった。いつもながら、うちの伝道師の説教は端正だ。
2022年10月10日
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父がカメラが好きでゼンザブロニカを首からかけて嬉しそうにしていた。遊園地に連れて行ってもらう。谷津遊園とか(もうとうにありません)遊園地ではみんなカメラをぶら下げていた。壮観だった。ニコンやキャノンは高級機種で、下げている人は多くない。しかしペンタックスは多かった。ペンタックスというカメラブランドの全盛時代。中学生だったかな。結婚するとき、お祝いは何か良いかと問われた。「ペンタックスがほしい」大勢の大人たちが使っていたペンタックスを!買ってもらった!小さくてステキなカメラキャノンの一眼レフは、シャッターを押すと「バジャン」と音がしたがボクのペンタックスは、「パコン」と可愛い音がした。わが子たちの写真をたくさん撮った。気がつくとフィルムカメラの時代は終わっていた。でも父からのプレゼントは手放せない。
2022年10月09日
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10月上旬でこの寒さは異常気象なのでしょうねこの気温は向こう100年間もなかったと。ということは、100年前にはあったのでしょうか?来週はまた暑くなる予想も出ていました。体が悲鳴を上げています。冷たい雨が1日中降り続きなりふり構わず、アンダーシャツを着込みカーデガンをはおり電気ストーブを出し、点灯し電気膝掛け、電気マットそれでもくしゃみを連発さぁもうひと頑張りしましょう?
2022年10月07日
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「ジァン・カルヴァン~生涯・人・思想」 J・D・ベノア著/森井真 訳昭和30年 日本基督教団出版部発行小著だが読み応えがあった。単なる改革者礼賛に終わらず、カルヴァンの激しすぎる性格など人間的欠点も公平に記している。終わりの方はカルビニズムへの評価、見直しがなされている。時々、パスカルとの比較言及あり。同じフランス人だ。確かにカルヴァンの純な精神は、パスカルと似ているなと思う。神に向かう精神の高揚を見つめるなら、カトリック(パスカル、アウグスチヌス)もカルビニズム(カルヴァン)もウェスレアン(ウェスレー)も変わりはない。カルヴァンは学究肌で、人前に出ることを嫌った。しかし時代の要請で、友人たちによって引き出され、心ならずも改革者の舞台に立たされたと書いてあった。昭和30年の発行だから60年以上経過している。これは名著ですよ! 読んだ方が良いですよ。翻訳は自然で平易で、古さを感じさせない。立派な翻訳だ。
2022年10月06日
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妻の高校時代からの友人二人が訪ねてこられた。共通の恩師をいただく信仰の友あの頃、若い教会の仲間が何人も神学校を受験したがほとんど残っていないね、いや今日まで信仰の歩みを続けてきているのは私たち3人と、あの人とあの人と・・・数えるほど、と。いつ果てるか知られぬ楽しい会話信仰の仲間ってすごいな妻のお顔のほころぶのを見たのは久しぶり。
2022年10月03日
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