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2016年の1年間、家庭連合(旧・統一教会)信者の拉致監禁者が遂に「ゼロ」となった。ところが、今なお続く家庭連合教会員の拉致事件があることを私のブログで訴えてきた。それが2013年1月から今日まで継続している、家庭連合・本部教会非公認の「ネット拉致」である。その首謀者・加害者は「自称ルポライターY氏」である。彼は違法な不正アクセス情報を利用しながらネット上に虚偽・ねつ造記事でもって風評を流した。また、それら個人情報を嗅ぎまわっては「謝罪文」をブログ外から強要し、自分の意にそぐわなくなれば「氏名公表」しては「言論弾圧」までも仕掛けてきた。親(天の父母様)の愛は、世界を動かす。拉致問題は、私たちすべての問題です。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵 世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2017.01.31
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不正アクセスも犯罪です!!不正アクセスをしない・させない・許さない
2017.01.29
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旧約時代、新約時代の使命は何かというと、地上にメシヤの相対者を求めることです。メシヤのためにエバをつくるのです。 絶対に服従するエバ圏を拡大し、すべてが歓迎する中で、愛の主体であるメシヤを迎えるようにすれば、自動的に全体が連結されるようになります。そのような環境、世界的環境をつくらなければならないのが、旧約時代の使命であり、新約時代の使命でした。(37)ーーーーー上記『祝福と理想家庭』(韓日対訳1)P.263 からのみ言が目にとまったので紹介したい。ここにはメシヤが来られて(堕落圏)から新婦を探し出すとはなっていない。「絶対に服従するエバ圏を拡大」(宗教圏)し、すべてが歓迎する中でメシヤを迎えるように準備したのが、旧約時代、そして、新約時代であった。旧約時代のそれはイスラエル選民であり、新約時代はキリスト教がメシヤの新婦格として準備された。本来ならば、文総裁はこのキリスト教圏から相対を探し出して「子羊の婚宴」をされるはずだったが、キリスト教がそれに応えることが出来ず、仕方かなく「世界基督教統一神霊協会」を新婦格の宗教としてたてられた。原理講論・再臨論を見ても、特には「第二節 イエスはいかに再臨されるか」のP.557~からの引用。……それでは、雲とは果たして何を比喩した言葉であろうか。雲は地上から汚れた水が蒸発(浄化)して、天に昇っていったものをいう。また、黙示録一七章15節を見ると、水は堕落した人間を象徴している。したがって、このような意味のものとして解釈すれば、雲は、堕落した人間が重生し、その心が常に地にあるのでなく、天にある、いわば信仰の篤い信徒たちを意味するものであるということを知り得るのである。また雲は、聖書、あるいは古典において、群衆を表示する言葉としても使用されている(ヘブル一二・1)。そればかりでなく、今日の東洋や西洋の言語生活においても、やはりそのように使われているのを、我々はいくらでも見いだすことができるのである。またモーセ路程において、イスラエル民族を導いた昼(+)の雲の柱は、将来、同じ民族の指導者として来られるイエス(+)を表示したのであり、夜(−)の火の柱は、イエスの対象存在として、火の役割をもってイスラエル民族を導かれる聖霊(−)を表示したのであった。我々は、以上の説明により、イエスが雲に乗って来られるというのは、イエスが重生した信徒たちの群れの中で、第二イスラエルであるキリスト教信徒たちの指導者として現れるということを意味するものであることが分かる。既に詳しく考察したように、弟子たちがイエスに、どこに再臨されるかということについて質問したとき(ルカ一七・37)、イエスが、死体のある所にははげたかが集まるものであると答えられたそのみ言の真の内容も、その裏として信仰の篤い信徒たちが集まる所にイエスが来られるということを意味したのであって、要するに、雲に乗って来られるというみ言と同一の内容であることを、我々は知ることができる。雲を、以上のように比喩として解釈すると、イエスは初臨のときにも、天から雲に乗って来られた方であったと見ることができるのである。なんとなれば、コリントⅠ一五章47節に、「第一の人(アダム)は地から出て土に属し、第二の人(イエス)は天から来る」とあるみ言や、また、ヨハネ福音書三章13節に、「天から下ってきた者、すなわち人の子のほかには、だれも天に上った者はない」とあるみ言のとおり、イエスは事実上、地上で誕生されたのであるが、その目的や、価値を中心として見るときには、彼は明らかに、天より降りてこられた方であったからである。ダニエル書七章13節に、初臨のときにも、イエスがやはり雲に乗って来られるといい表していた理由も、実はここにあったのである。この雲とは「信仰の篤い信徒たちが集まる所」を意味していた。モーセ路程からは昼の雲の柱(+)と夜の火の柱(-)はそれぞれにイエス様と聖霊を表示したものであり、イエス様も雲に乗ってこられた方であった。また、再臨主も「雲に乗ってこられる」というのが聖書のみ言葉だ。これと類似した内容が文総裁聖和後の2012年9月17日、真のお母様のメッセージ(『トゥデイズ・ワールド・ジャパン』2012天暦9月号に掲載)でも語られていた。表現としては「摂理的新婦」と書かれており、その中から「実体的新婦」(独生女)を迎える摂理(子羊の婚宴)がなされるようになっていた。そして、再臨主を中心としてアベル圏(キリスト教)とカイン圏(世界、特に国連)が一つになることを予定していたのではなかっただろうか。ところが、当初「摂理的新婦」としての使命を担っていたのはキリスト教であったが、キリスト教はその責任を果たすことが出来ず、1954年、キリスト教に代わる「摂理的新婦」の資格をもって設立されたのが「世界基督教統一神霊協会」であった。その基台の上に「実体的新婦」として韓鶴子総裁を迎えての聖婚式が挙行された。さらには1992年、「摂理的新婦」格としての「世界平和女性連合」を創設し初めて公式の場で真の父母様が「メシヤ宣布」「再臨主宣布」をされたのであった。その間、様々な苦難や迫害を乗り越えた中、ソ連のゴルバチョフ書記長、北朝鮮の金日成主席とも会い天の愛(真の父母様の愛)によって屈伏させていかれた。さて、その後の展開はどうでなければならなかったのだろうか。真のお父様に侍り、「母子協助」のもとアベル・カインの一体化(実体基台)をなしていく摂理がなされてきた。「女性連合」を建て、また、アベルUN(天宙平和連合)を中心としながらである。2012年7月、文総裁は聖和を前にして「アベル女性UN創設大会」も宣布された。ここではっきりと知っておかなければならないことは、「実体基台」勝利のためには「母子協助」は不可欠であるということだ。今日、分派は「子女時代」を迎えたとかで自分勝手に活動をしてはいるが、「母子協助」なくしては実体基台の勝利は不可能である。「神主義」「父母主義」「頭翼思想」、これらすべての言葉は「兄弟主義」では統一されないということだ。「独生女考」の話は前後してしまったが、女性タマルについてである。彼女は双子の兄弟を生むが、最初の兄を引き戻して弟が先に出てくる。ここでは、アベル・カインが逆転して「長子権復帰」がされたのではなかった。神様は条件がそろえば、女性の胎を通して「独生子」を誕生させることが出来ることを示してくださったのだ。その後においても、神様は長子を忌み嫌い次子を愛していかれたことは、これまでの記述でも述べていた。そして、マリヤがイエス様を出産。マリヤのその後は、当時の女性たちを総動員してまでもイエス様の花嫁を準備しなければならなかった。世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2017.01.25
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分派のブログ記事を見れば(実際は読む意味も見当たらないので見てはいないのだが)、家庭連合がまるで守銭奴のように書いているものも見かける。分派は分派らしく他所で書かれることをお薦めする。「カイザルのものはカイザルに!!」は聖書の言葉である。十一条をもって残り9/10までもが神様が所有する公的なものとして使うことが許されている。ところがどうだ? 分派はその十一条もしようとはせず、自分勝手にお金を使っている。にもかかわらず、家庭連合批判はお門違いもいいところだ。果たして、守銭奴は誰のことか???
2017.01.21
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統一グループHP(日本語)|2017-01-12鮮苑建設、環境部長官表彰を受賞2016年12月30日、当社の代表取締役であるサンホボク社長が環境部長官表彰を受賞しました。 鮮苑建設は2016年を締めくくりながら、低炭素グリーン成長という国家環境政策を基調において、さまざまな経験とノウハウを通じた下水処理施設を整備してきました。そして、いくつもの工事で、環境に優しい現場管理と効率的な環境汚染物質の抑制など、快適な生活環境づくりに寄与した功労が認められ環境部長官表彰を受賞しました。 鮮苑建設は、今回の環境部長官表彰が対外的な信頼度と企業イメージの向上に寄与するものと期待しています。世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2017.01.18
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ルカによる福音書/ 14章 07節客に招かれた者たちが上座を選んでいる様子をごらんになって、彼らに一つの譬を語られた。「婚宴に招かれたときには、上座につくな。あるいは、あなたよりも身分の高い人が招かれているかも知れない。 その場合、あなたとその人とを招いた者がきて、『このかたに座を譲ってください』と言うであろう。そのとき、あなたは恥じ入って末座につくことになるであろう。むしろ、招かれた場合には、末座に行ってすわりなさい。そうすれば、招いてくれた人がきて、『友よ、上座の方へお進みください』と言うであろう。そのとき、あなたは席を共にするみんなの前で、面目をほどこすことになるであろう。 おおよそ、自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるであろう」。 イエス・キリストの系図これまで聖書に出てくるイエス・キリストの系図を中心として人間始祖アダムとエバ堕落以降に登場した女性(妻)について取り上げてきた。まずもって堕落前の人類始祖アダムとエバ、どちらが神様にとって清い存在であったかといえば「エバ」であった。聖書からは、神様はアダムを「土のちりで人をつくり」(創2.7)エバは「人から取ったあばら骨でひとりの女を」造られたからだ。それに続く聖句は以下。創世記/ 02章 24節それで人はその父と母を離れて、妻と結び合い、一体となるのである。このように、本来ならば神様からの祝福式(結婚式)を通して夫婦となったのである。ところで、この聖句から一言付け加えておかなければならないことは、聖書に神様を「父と母」、と書かれていることだ。とりわけ分派の方々の中には、原理講論の「被造世界に対しては性相男性格主体としていましたもう」神様のみを強調し、お母様が神様の呼称を「天の父母様」にされたことへの批判をされていた。聖書的観点からみてもその批判は誤った考えである。また、私のこれまでの記述「文総裁」などと他人行儀に書かれていたことに違和感を感じておられる家庭連合の方々もおられるかもしれないが、訪問される広い読者層を考慮してのものでありお許し願いたい。さて、話を元に戻そう。人類始祖アダム・エバが堕落したが、その復帰摂理は「アダム家庭」から出発する。もしも、堕落がエバのみでアダムが堕落しなかったならその復帰摂理は容易であったとあるが(原理講論P.111)、神様はどのようにされただろうか。アダムを眠らせもう片方のあばら骨1本を「ボキッ」(痛ッ)、本然のエバ(独生女)を復帰(再創造)されたに違いない。統一原理からは信仰基台と実体基台、男性中心のアベル・カインによる「生命の木」、つまりは救世主・メシヤ・「本然のアダム」復帰摂理について書かれていた。ところが、堕落したアダム自身を用いることが出来なかった理由は原理に書かれており、アダムを善と悪の表示体(善悪分立した)息子アベル・カインに分けざるを得なかったのである。「アブラハム家庭」復帰摂理からは「母子協助」という言葉が出てくるが、これが神様の女性の立場から見たエバ復帰のひとつのキーワードともなる。本来「信仰の祖」と言われるべきノアがそうならなかったのは、聖書に名も記されない妻の故であった。信仰をもって神様の命で「山頂に箱舟をつくって」いたノアの姿を見ては周りからの人々のあざけり聞き、彼女も不平を毎日漏らしていた。賢い妻であったなら、息子たちにも父の手伝いを促していたであろう。洪水審判の後、父ノアは「神の人」であることを息子たちは悟ったであろう。ところが、そのノアと一体となることが出来なかった。それが中心人物として立つはずの「ハムの過ち」であった。ハムは母子協助を受けることもなく信仰基台すら立てられなかった。神様は次に「アブラハム家庭」を立てられた。アブラハムの「象徴献祭」の失敗、「イサク献祭」、そして、ヤコブの勝利へ三代が一つとなって家庭的勝利圏をなした。もしもここで、アブラハムが「象徴献祭」を失敗しなかったならどうなっていただろうか。アブラハムを中心としてサラ=イサク(次子)とサラのつかえめハガル=イシマエル(長男)が信仰基台と実体基台でもって「堕落性を脱ぐための蕩減条件」を立てたはずだ。ところが、失敗した故に「イサク献祭」でもってアブラハムからイサクへと継承されて、イサクを中心として妻リベカの母子協助を得ながらヤコブ(弟)とエサウ(兄)でもって「堕落性を脱ぐための蕩減条件」を立てることが出来た。ところで、「象徴献祭」に先立って、また、「イサク献祭」を前にしても一連の行事(?)のようなことが原理講論で何気なく書かれており、原理講義でも一応の説明程度で流されてしまいがちの一文がある。原理講論P.318アブラハムは、第二人間始祖たるノアの立場を復帰しなければならなかった。したがって、またアダムの立場にも立たなければならないので、彼は「象徴献祭」をする前に、アダムの家庭の立場を復帰する象徴的蕩減条件を、初めに立てなければならなかった。創世記一二章10節以下の聖句によれば、アブラハムは飢饉によってエジプトに下ったことがあった。そこで、エジプト王パロが、アブラハムの妻サライを取って、彼の妻にしようとしたとき、アブラハムは、彼女と夫婦であると言えば、自分が殺される憂いがあったので、あらかじめ計って、自分の妻サライを 妹 であると言った。このように、アブラハムは彼の妻サライと兄妹の立場から、彼女をパロの妻として奪われたが、神がパロを罰したので、再びその妻を取り戻すと同時に、連れていった彼の甥ロトと多くの財物を携えて、エジプトを出てきた。アブラハムは自分でも知らずに、アダムの家庭の立場を蕩減復帰する象徴的な条件を立てるために、このような摂理路程を歩まなければならなかったのである。原理講論P.326~327アブラハムは、イサクを供え物としてささげるときにも、「象徴献祭」をささげたときと同じように、まず、アダムの家庭を復帰する象徴的な蕩減条件を立てて、イサク献祭のための信仰を立てなければならなかった。ゆえに、再びアブラハムは自分の妻サラと兄妹の立場に立って、サラをゲラルの王アビメレクに奪われ、いったん、彼の妻になった立場から、再び取り戻すという摂理が行われた。アブラハムは、このときも、サラと共に人類を象徴する男女の奴隷と、万物世界を象徴する財物を取り戻して出てきたのである(創二〇・1〜16)。蕩減復帰原則から見れば、原理講論P.275~つぎに、我々が知らなければならないことは、蕩減条件をどのような方法で立てるかという問題である。どのようなものであっても、本来の位置と状態から離れた立場から原状へと復帰するためには、それらから離れるようになった経路と反対の経路をたどることによって蕩減条件を立てなければならない。アダムとエバは神様の息子・娘(独生子・独生女)として創造され、兄妹の関係であった。ところが、霊的堕落によってまず最初にエバが、次に肉的堕落によってアダムまでがサタンに奪われていった。では、その反対の経路となると、最初に復帰されなければならないのは「アダム」か「エバ」か? と尋ねれば間違いなく誰もが「エバだ!」と答えてくださるだろう。アブラハム家庭の上記記述はまさに、一旦はサタンによって奪われた娘が神側に復帰された娘(独生女)の立場であり、その母子協助を得てアベル・カインによる「堕落性を脱ぐための蕩減条件」が立てられていくことを示していた。アブラハムーイサクーヤコブの三代、その妻選びにおいても復帰されたサラが深く関与し、サラーリベカーレア・ラケルの女性三代もまた同様に継承されていった(前に記述済)。世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2017.01.15
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天一国経典・天聖経P.514から世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2017.01.15
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イエス・キリストの系図前回の「独生女考(17)-- ダビデの妻バテシバ(ソロモン王の母)について 」でバテシバによるダビデの子について私自身だけの疑問かもしれないが、一つ浮かんできた。それは、タマルの胎中でアベル・カインが入れ替わり「長子権復帰」がされたはずだが、神様はこの時も長子を嫌われ次子ソロモンを愛された、ということだ。また、兄アドニヤが最初にダビデ王の後継者を名乗り出たが、ダビデは弟ソロモンを王とした。文総裁のみ言からは、このタマルの胎中聖別が後のイエス様の誕生に重要な役割を果たしたということだが、このタマルの胎中での「長子権復帰」とは何ぞや? である。さて、母マリヤは聖霊によって身ごもってイエス様を生んだ。これまでのイエス・キリストの系図に登場する女性陣(妻)のごとく、マリヤもまた、神様への忠誠と絶対信仰を貫いた一人だった。マリヤを「聖母マリヤ」として崇めている教会もあるくらいだ。ところが、マリヤは最後までその使命を全うしなかったためにイエス様が十字架に行かれたともいわれているのが、統一原理の話である。本来ならばマリヤはイエス様を生んでのち、ヨセフと結婚をしてイエス様一人に仕えていかなければならなかった。そして、成人したイエス様にその花嫁を準備していかなければならなかったのであった。-----余談になるが。イエス様は神様の「ひとり子(独生子)」と言われているが文総裁のみ言からは、洗礼ヨハネが兄、イエス様はその弟の立場であった。ここでもユダ--タマルの系列から長子ではなく次子を神様は愛されたということだ。三男派の話をすれば様々にアベル・カインの問題もあるが、ダビデの後継者に兄アドニヤではなく弟ソロモンを選択した例を見れば、「長男だ!」「後継者だ!」との一言が天運を去らせた要因の一つに数えられるのでは。個人的な意見として……世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2017.01.13
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ニュース・アンド・巨済|2017-01-12http://www.newsngeoje.com/news/articleView.html?idxno=25137世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2017.01.12
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SEGYE.com |2017-01-11 http://v.media.daum.net/v/20170111195358770
2017.01.11
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「独生女考(11)-- 異邦人の女性と言えども神への「信仰心」が高く評価された!」の続き。これまでも血統を重んじ、また、女性の死をも覚悟した神様への信仰を強調してきた。人間始祖が神の戒め「取って食べてはならない」を守らずに堕落したからだ。ところが、蕩減法によってその逆の経路、神様の戒め(み言)を守ることで復帰摂理が展開されてきた。聖書や統一原理では男性中心の摂理が書かれているのだが、当然、エバの復帰も同時進行されてきたことは間違いのないことだ。聖書の僅かな記述から女性の「絶対信仰」によってそれがなされてきたことを垣間見ることが出来る。今回は、前回のルツ記からの系図を見てみればボアズは、タマルとユダの間に生まれた双子の兄弟の弟ペレツーヘツロンーラムーアミナダブーナションーサルモンーボアズ、と胎中で長子権復帰に成功したペレツの血統であった。そして、ボアズとルツとの間に オペテーエッサイーダビデーソロモンの誕生となる。下図からもお分かりのように、ダビデの妻「バテシバ」、ここでも女性の名が記されている。バテシバはダビデの家来ウリヤの妻であった。ウリヤは、ダビデの命によってその後激しい戦場に送られて亡くなる。ダビデが城の屋上から女性が沐浴をしているのを見染めて彼女(バテシバ)と寝て彼女は身ごもったが、それが主の怒りに触れた。身ごもった子は7日後に死んだ。しばらくして、ダビデはバテシバを慰めてソロモンを生むこととなる。主はバテシバによる次子ソロモンを愛され、後にソロモン王となる。タマルによって胎中で長子権復帰を勝利したとしても、やはり神様は、長子がお嫌いのようだ。さて、これら詳細はサムエル記下11章~から長々と書かれていてチンプンカンプンだ。ところが、ただ一点気になる記述(奇術)を見逃してはならないのではないかと、個人的には考えている。サムエル記下/ 11章 01節~5節 春になって、王たちが戦いに出るに及んで、ダビデはヨアブおよび自分と共にいる家来たち、並びにイスラエルの全軍をつかわした。彼らはアンモンの人々を滅ぼし、ラバを包囲した。しかしダビデはエルサレムにとどまっていた。 さて、ある日の夕暮、ダビデは床から起き出て、王の家の屋上を歩いていたが、屋上から、ひとりの女がからだを洗っているのを見た。その女は非常に美しかった。 ダビデは人をつかわしてその女のことを探らせたが、ある人は言った、「これはエリアムの娘で、ヘテびとウリヤの妻バテシバではありませんか」。 そこでダビデは使者をつかわして、その女を連れてきた。女は彼の所にきて、彼はその女と寝た。(女は身の汚れを清めていたのである。)こうして女はその家に帰った。 女は妊娠したので、人をつかわしてダビデに告げて言った、「わたしは子をはらみました」。 この「(女は身の汚れを清めていたのである。)」とカッコをくくっての注釈付きで聖書に収められていることが不自然と感じられないか、というのである。つまりは、彼女は「沐浴」しながらダビデの目に触れるようしていたのではなかったか? とも考えられる。ここにも何かしかの天の意図、バテシバに神様の「命」があったとしてもおかしくはない。その後も列王記上1章~でもソロモンの母バテシバが登場し、ダビデ王の所へ行きソロモンを王にするような図り事をして王になるように協助した。以下は、本記事とは直接の関係はないが、お母様のみ言である。ノア家庭について語っておられたので参考にしていただければ幸い。ACLC 真の家庭の価値バンケット 真のお母様み言天一国4年 天暦11月5日(陽.2016年 12月 3日)New York, Marriott Brooklyn Bridge愛する ACLC 会員の皆さん、嬉しいです。神様は私たちの父母です。しかしご自身が直接創造された目的があるために、その目的にあう責任を果たす人間先祖となる真の父母を待ちました。それが堕落した人類歴史の中におけるメシヤ思想です。皆さんが聖書を通じてよくご存じだと思いますが、神様には人類に対する夢がありました。しかし人間もまた、神様の前に進み出ることができる希望を持ちましたけれども、人間先祖であるアダムエバの間違いによって、蕩減というものを越えない限り、一歩も進むことのできない人類歴史です。それで神様は救援摂理歴史をなさざるを得ないのです。私は最近たくさんの話を話しましたけれども、ふとノアの洪水について考えてみました。ある地域で起きた事でしたが、ノアという中心人物を通じて、天はサタン世界にご自身が捜さなければならない息子娘たちを捜すために、中心人物として立てました。ところでノアの洪水が終わり、ノアが本当に気持ち良く昼寝をしたと聖書に記録されています。その時ノアに三人の息子がいましたが、皆さんが知っているように、長男のセム、二番目の息子のハム、三番目の息子のヤペテ。その中のハムが、お父さんのその行動に対して恥ずかしがりました。これが中心人物に対して、一つになることのできなかった結果になったのです。今、私が何の話をしているのか分かりますか。堕落した人類は天の前に絶対信仰、絶対愛、絶対服従の立場で、よそ見をしてはいけないということです。しかしノアの息子は、その条件に引っ掛かりました。それでこの三人の息子がバラバラに分かれるようになったのです。セムは何千年の間にアジアの方面に伸びて行き、ハムはアフリカの方に行ったのです。そしてヤペテは中東とヨーロッパを中心として、ノルウェー、スカンジナビア半島。その地域で暮してみると、冬に白い雪が何ヶ月以上もずっと降る所なので、自然と肌は白くならざるを得ないのです。そうでしょう?ところでハムは暑い熱帯地方に住むようになったので、特別な色素が年を重ねながらそれが蓄積して真黒くなりました。面白いですか?それで私が話そうとすることは、天が立てた中心人物に対しては一致しなければならないということです。自分の考えや欲心があってはいけません。それが、私たちが天の前に進むことのできる条件になるのです。ところで今日、このアメリカに多くの問題点があります。全世界的に多くの戦争や、到底言葉では言えない紛争がたくさん起きています。これをどのようにして一つに作ることができるか。多くの志のある人たちが努力して来ました。そして宗教としても多くの努力をしました。しかしこのキリスト教文化圏で、神様が死んだという共産主義が出て来ました。本来、神様は堕落した人類を救援摂理なさるために、イスラエルという選民を選ばれで人間を一つに作ることのできる、そのような条件を立てることができるメシヤ思想を育てて出ました。ところで4000年というとても長い歳月を通じて蕩減条件を立てられ、一歩一歩進む路程がどれだけ大変なら、4000年という歳月が掛かるのでしょう。そして最終的に、天が約束された通りにメシヤを送って下さいました。しかし待ちに待ったメシヤに会ったイスラエル民族はどうでしたか。イエス様と一つになることが出来ませんでした。この、イエス様と一つになることができなかったイスラエル民族は、歴史を通じてどのような蕩減を払ったのかということです。皆さんはよく知っています。今日、特に聖職者の皆さんは神様を正しく教えて上げなければなりません。神様を正しく教えて上げようとすれば、この蕩減復帰摂理歴史で中心人物は救世主、メシヤ、真の父母なのです。皆さんが皆さんの信者たちを教育するにあたり、皆さん自らが真の父母と一直線上で、絶対的に一つになった立場で教育しなければなりません。そして皆さんのような祝福を受けることができる立場に進むことの出来るようにして上げなければなりません。人類が願うことは、平和世界で神様をお父様として侍って暮らすことができる、自由、平和、統一の幸福な世界。そのような世界に暮らすためには、変わらなければなりません。変わるということは、蕩減を脱しなければならないということです。真の父母によって祝福を受けて生まれ変わらなければ、変わることができないですね。そのために皆さんは各々、担当している仕事に最善を尽くしていると思います。しかし時は、重要な時というのは、いつもあるものではありません。救世主、メシヤ、真の父母が地上にいる時にこそ、皆さんの実績が天の前に、人類の前に責任を果たした立場で尊敬されることができるのです。新しい時代を開いて下さった真の父母の前に、天一国時代において、天一国は二人が一つになった、夫婦が一つになったことを言います。そのような天一国時代に生きる民になろうとすれば、蕩減条件を脱しなければなりません。それは真の父母によって祝福される立場であることを知らなければならないでしょう。祝福された者であるという責任がついて来るようになります。幸福は分ければ分けるほど大きくなります。私一人の幸福ではない、私たち皆が幸福である、73億人類が幸福であるその日のために、皆さんが熱心に責任を果たして下さらなければなりません。神様の目には五色人種がすべて美しく見えます。偏見を持たないと言うことです。もとはと言えば一兄弟なのに、私は高くてお前は低い、それは思い違いです。神様を私たちの父母として侍る立場では、人類皆が平等です。しかし堕落のために、堕落した結果、真の父母様が絶対的に必要だということを分からなければなりません。それで今日、全世界で起きているすべての問題は、個人としては解決できません。真の父母を中心に侍った立場で、一つ一つ解いて行かなければなりません。特別にこのアメリカ、この国が選択を受けた国であることは間違いありません。再臨メシヤの基盤を築くために天が祝福されました。私たちは歴史を通じて、天が選択して責任を果たせなかった国がどのような結果になったのかを知っています。この国も例外ではありません。そのために真の父母の使命を果たされるレバレント・ムーンはこの国で40年余り、到底言葉で言えない苦労をしました。ところで恩恵を恩恵として返し、感謝する心で天の摂理に責任を果たすこの民族、このアメリカ、この国になるまでは、皆さんを通じた教育が必要だと考えています。その道だけが、この国が責任を果たす道であることを肝に銘じて、もっと真実を明らかにする立場で、強く雄々しく行って下さればありがたいです。世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2017.01.10
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当ブログ記事「独生女考(13)-- 「独生女」は「黒・天聖経」のほかにも!!」コメント欄で問うた内容だが、ブログ村でも改めて「無原罪独生女」について問いただしてみたい。コメント欄からは独生女はアダムが再創造すると言うことで、真のお母様が胎中から無原罪なととは書いてありません。批判されているのは「独生女」ではなく、「無原罪独生女」ですよ。問題は、お母様が無原罪でお生まれになったと主張する「独生女理論」です。また、最近では「生まれた時はお父様には原罪があり、お母様は無原罪であった。お父様はお母様によって原罪清算された」と主張しているようです。そもそもこの「独生女」はお母様お一人が勝手に語られていることではない。真のお父様も「独生子」に比べては少ないがみ言のなかで百数十回語られていたということだ。では、ブログ村で批判を繰り返しておられる、特には分派の方々がそれなのだが、この「独生女」そのものについて十分に説明できる方がおられるだろうか?その以前にイエス様の「独生子」についてすらハッキリと語ることが出来ないのでは、と言いたい。イエス様は聖霊によって身ごもってお生まれになった、というのが母マリヤの主張だ。イエス様はヨセフ家庭に生まれ、兄弟がいたか、いなかったか。ヨセフとマリヤの間にも子供があり、イエス様一人ではなかった。そうでありながらもひとり子(独生子)とは如何に?!文鮮明総裁についても然り。何人の兄妹がいたというのか。そうであっても、メシヤ・再臨主=「独生子」だという。少し余談だが、最近ではカテ「家庭連合」の中でも『文総裁は再臨主ではない』と書かれたブログも見かけた。これは明らかに論外、カテ「批判・告発」組であることを申し上げておく。また前述コメント欄で気になったのは、「独生女理論」という言葉だ。「理論」というからには思考的に理解しようとするものである。同コメント欄からの引用:「独生女」(日本語訳:独り娘)という言葉を用いてお父様がみ言を語られたことは、サンクチュアリ教会の食口も、顕進様派の食口も、みんな理解しているところです。お父様の語られた「独生女」とお母様のそれとは違うことは、「三男派も七男派もみんな理解しているところ」ですか?私から見れば、彼らはお母様の「独生女」などはとても理解が出来なくて「脳性麻痺」を起している、としか思えない。事実、「独生女考(14)-- アベル・カイン、その上に立たなければならないのが「母の立場」!! 」の文総裁のみ言によってその位置が確立されていながらも、また、「独生女考(15)--【映像】2012年1月19日の「宣布式」の真相 」では三男派・七男派のデマが暴露された。このように彼らの言動が一致していない。これは、真の父母様が発表した異端者・爆破者宣布文動画での「裏表発言」(以下)はもちろんのことだが、「異端者・爆破者宣布文」動画、「サンクチュアリ」--過去記事整理(その1)) 「異端者・爆破者宣布文」動画、「サンクチュアリ」--過去記事整理(その2)) 」また、動画自体からも見て取れるように、文総裁からお母様を介して文亨進師に宣布文を手渡されたという原理原則がある。このように「お父様も「原理原則」に従われる!」方であることを知らなければならない。これらを無視してのお母様の「独生女」批判は、「脳性麻痺」だというのである。これまでも「キリスト教神学」について様々に議論されてきたがその結論を得ていないというのが、結論だ。このように、単純に「独生女」も理論理屈によって理解される問題ではないということだ。統一教会の草創期、また今日においても文鮮明総裁がメシヤ、文総裁夫妻が再臨主・真の父母様だと理論理屈で説明できたとすれば、もうすでに世界全人類が一つになり、平和世界が訪れていたはずだ。ところが、そうはなっていない。2000年前のイエス様の時、彼がメシヤだとイスラエル選民が信じたならどうだ。ローマに行き、その時に地上天国は完成していた。さて、既成教会や共産主義者らは「家庭連合(旧・統一教会)は異端だ。カルト宗教だ」といっては非難する。これに対して、2000年前のイエス様はこのように祈られた。ルカによる福音書/ 23章 34節そのとき、イエスは言われた、「父よ、彼らをおゆるしください。彼らは何をしているのか、わからずにいるのです」。人々はイエスの着物をくじ引きで分け合った。ところが、今日の分派の方々はそれにも劣る立場である、と言いたい。なぜならば、文総裁をメシヤと信じていながらも、文総裁の語られた「独生女」の言葉一つを置いて信じることが出来ない、と言っているからだ。「独生女」自体が未だ解き明かされていない未知の世界、それを信じていくかどうかだ!!イエス様は、またこのようにも語っている。マタイによる福音書/ 06章 30節きょうは生えていて、あすは炉に投げ入れられる野の草でさえ、神はこのように装って下さるのなら、あなたがたに、それ以上よくしてくださらないはずがあろうか。ああ、信仰の薄い者たちよ。マタイによる福音書/ 08章 26節するとイエスは彼らに言われた、「なぜこわがるのか、信仰の薄い者たちよ」。それから起きあがって、風と海とをおしかりになると、大なぎになった。マタイによる福音書/ 14章 31節イエスはすぐに手を伸ばし、彼をつかまえて言われた、「信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのか」。マタイによる福音書/ 16章 08節イエスはそれと知って言われた、「信仰の薄い者たちよ、なぜパンがないからだと互に論じ合っているのか。世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2017.01.08
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真の父母様宣布文サイト>新着ニュース(2017-01-05)から。この映像は三男派、七男派のデマを指摘、具体的な映像もUPして反論していた。「ブログ村」でも様々に「間違い」がまことしやかに書かれてきた。お父様がお母様に聖塩を撒かれた(三男派情報)といっては叱責されるなど、「お母様は、お父様と一体となっていない」などとの批判もあったが、事実誤認。これを書かれた方々はその実際の映像を見られて訂正記事をUPされることを願う。これまでも文亨進夫妻に向けて聖塩がまかれたもの、と家庭連合側は主張していたがその通りだった。映像(18:35~)を確認のこと。また、お父様がお母様を𠮟責されることに関しても文亨氏も天福宮での説教集で同じことを語っていた(当ブログでも紹介、以下)。霊的な目を開き、真のお父様と真のお母様を見つめるようにしてください(by 文亨進)世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2017.01.06
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家庭連合公式サイト>INFORMATION(2017-01-06)映像「MBCNETスペシャル『冷戦終結ロードを行く』 」をアップこの映像は韓国で昨年12月に放映されたMBCNETスペシャル「冷戦終結ロードを行く」の日本語版です。真の父母様が世界各地で繰り広げられた冷戦終結運動の全貌を、それに直接関わった人々の証言を通して浮き彫りにしています。 旧共産圏における地下宣教活動をはじめ、日本や南北米での勝共運動、メディアを通じた情報戦略、真の父母様とゴルバチョフ大統領・金日成主席との会談など、文鮮明総裁夫妻の業績と足跡を紹介しています。ぜひご覧になってみてください。世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2017.01.06
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天地人真の父母様主管青年集会真のお母様み言2016.12.4 アメリカ、イーストガーデンアダム・エバの堕落によって、天は悲しく苦労の多い路程を辿られながら、蕩減復帰摂理歴史を導いて来られざるを得なかった悲しい事情があります。太初に神様が天地万物を創造され、人間先祖となることのできるアダム・エバを創造しました。見るによく、美しいと言われました。ところで特別にアダム・エバには責任を下さいました。成長過程を通じて神様と絶対的に一つになった立場で成長しなければならなかったのです。その祝福を受ける立場が、神様が人類の真の父母になる立場なのです。それが天地創造をされた神様の夢でした。ところで責任を果たさなければならないアダム・エバ、サタンの誘惑に落ちたとか、欲心が生じたのです。自分というものが入り始めたのです。あなたたちも同じです。祝福家庭の2世、3世として、君逹の本質は真の父母なのです。真の父母から離れては、あなたたちの存在価値はありません。それを知っていますか? 祝福を受けたあなたたちの立場も、責任を果たさなければならないということなのです。あなたたちが完成した人間として、祝福の立場に行くまで、真の父母と一体となる立場で勉強もしなければならないのです。あなたたちの素質を育む面においても、いつも“私がこんな事をするのは真の父母様にお見せしなければならないからだ。真の父母様が望まれる者になるからだ。私がその一面を担当して成功して見せる。”こういう欲心は大丈夫なのです。しかし自分を中心とする欲心は、災いを引き起こすと言うことを知らなければなりません。堕落した人類の願いは、真の父母にお会いすることが願いです。摂理が分かっても分からなくても、絶対者の立場で自分を主管してくれることのできる主人が現れるのを待って来たのです。それで全世界的に 4大宗教が出て来たのですが、その中でキリスト教は中心であると言うことができます。なぜかと言えば、神様を説明することはできないけれども、神様をお父さんだと信じて来ました。本来神様が創造した目的が、人間の父母になるためだったので、漠然として説明ができないけれども、神様はお父さんである。ところで神様の創造において、すべての微生物から動物世界まで、対(カップル)で創造されたのです。人間もカップルとして創造されました。そうだとすれば神様は天の父母様であって、天のお父様お一人ではないのです。蕩減復帰摂理歴史においてサタン世界で、それでも善良だと言える選民思想、善なる民族を選ばれて、蕩減復帰摂理歴史を発展させて来られました。個人から家庭・氏族・民族・国家基盤の立場まで来る過程がどれだけ大変だったら、4000年もかかったのでしょうか、4000年!神様が堕落した世界で、私の息子であると言うことの出来るイエスキリストを誕生させるまで4000年がかかりました。とても考えることもできないほどの神様の痛みだったのです。ところでイエス様を誕生させたマリアは、摂理が分かりませんでした。自分がどうしてイエス様を誕生させたのか分からないという結果を作ってしまいました。イエス様に近いザカリア家庭、ヨセフ家庭、ユダヤ教、イスラエル民族、それほどにひたすら“メシヤを送って下さい”と願い、天は約束を守ったのに、メシヤに侍ることができなかったのです。そのようにイエス様を保護しようとする環境が作られませんでした。どれほどに4000年という長い歳月を通じて天が独り子として送って下さったイエス様が、100年も生きることができずに、33歳で十字架につけられなければならないことが救いでしょうか。このように神様は痛みを忍耐され、再び期待をかけられたのがキリスト教歴史であり、摂理歴史なのですが、2000年のキリスト教摂理歴史は、神様側から見る時には独生女を探し出す摂理歴史です。このことを知らなければいけません。イエス様が十字架に掛けられながら、また来ると言われました。また来て小羊の婚宴をすると。婚宴をするためには、相手が必要ではありませんか。このようにすべて分かることができるように語られ、見せて下さったのに、それでまた来られるメシヤの前に必ず現われなければならない方がいて、その方が独生女です。それが、皆さんが見ている前にいるのです。その歴史的な証拠を通じて私が説明してあげましょう。神様は摂理歴史を導いて来られながら、中心人物をいつも立てるのです。なぜなら人間としては神様をすべて説明することができません、堕落したために。ですから堕落した人間の中で、少しだけでも優れた中心人物をいつも選択されるのです。中心者が責任を果たすことが出来なければ、再び許し、使うことができません。すでに責任を果たすことができなかったものには、蕩減を払わなければならないからです。国も同じです。イスラエル民族はイエス様を十字架に送る瞬間に、国の存在価値がなくなりました。彼らは2000年の間、国のない民として生きてきました。そして第2次大戦の時、ドイツのヒトラーによって600万が虐殺に遭ってしまうという、ありえないような現実が起きたのです。この理由をユダヤ人たちは分からない。どうしてそのようになったのか、天はその希望の一時を望まれ、人間が想像することのできない多くのご苦労をされました。その時、イエス様が真の父母の立場に進み行くことさえできれば、ローマを吸収することができる、イエス様を受け入れざるを得ない環境になっていたと言うのです。そのようになれば2000年前、その時に神様を中心とした一つの世界、地上天国が成就されていたでしょう。それを壊した民族になってしまったのです。だからその罪が、その蕩減が大きくならざるを得なかったというのが、歴史の真実なのです。それでその時に探し立てることのできなかった独生女。独生女を誕生させることのできる基盤を天は探さなければなりません。それでイスラエル民族ではない他の民族、別の国を選択しなければならないのです。当時のアジアに東夷族がいました。神様は選択される時に、最高の水準で責任を下さるのですけれども、その時に韓氏王国がありました。紀元前800年から400年の間にいた中国の東夷族。その民族は天を崇尚し、天文学に長けていました。それで農耕文化を創り出したのです。選民です。それで韓民族は白い服を好みました。精誠を捧げる時には必ず白い服を着て、天の前に礼を捧げていました。そのような民族がいたのですが、その時中国には多くの国々がありました。結局闘いを嫌うこの民族は、闘いを避けて南下したのです。それが今日の韓国なのです。韓国歴史を説明する時、5000年文化の民族だと言います。その歴史の中で、中国全体を制覇した高句麗という国がありました。約1000年続きました。しかしその国が滅び、再び起きた国が高麗。高句麗の‘高’の文字を取って高麗となりました。この高麗が亡びるようになった時、李氏が国を建てたのです。ところで李氏は国の名前を朝鮮とつけました。昔、韓国の始祖が古朝鮮だったと言うのです。その古朝鮮から取って‘朝鮮’と名付けました。その朝鮮が不幸にも40年の間、日本の圧制下にありました。その時1945年に解放されましたが、私が生まれたのは1943年です。私が生まれる時にサタンが先に知り、探し出して来て私を殺そうと考えたのです。お前が生まれることによって私が亡びるようになった。だから私は今日、お前を殺さなければならない。でも天の立場で負けることができないでしょう。それで争って勝ったのです。それで今日、私がいるのです。ところでこの独生女の価値がどれだけ偉大であり、重要なのかと言うことを分からない祝福家庭がいるとすれば、それは可哀相なことです。しかもあなたたちは、この真実を分からなければいけません。あなたたちが中心に立って責任を果たすためには、父母様と自分自身が一直線上に立たなければいけないのです。あなたたちは未来が蒼々としています。摂理に寄与することのできる立派な指導者、人材として成長させることのできる時間が1世たちに比べてたくさんあります。ですから立派に育たなければいけません。あなたたちはどれだけ心強い天の背景を持っているかわかりません。あなたたちは恐れるものがありません。摂理歴史において、真実が分かったのです。この真実をもっと明らかにしなければなりません。あなたたちだけ知っていてはいけないのです。世界73億と言っていましたが、もう74億になったという話を聞きました。このように幾何級数的に増えている人類が、真の父母が地上にいらっしゃるのに知らなかったとすれば、後で分かった時どれだけ恨めしいか。このことを深刻に受け入れなければなりません。あなたたちの誇りは、真の父母の祝福を受けた子女ということです。アロハワークショップの時、私は“あなたたちはピュアウォーターだ”と話しました。汚染されずに清らかに汚れなく育たなければいけません。あなたたちによって世の中を浄化していかなければいけません。そのような誇らしい立場にいる、主人の立場にいるのです。責任者の立場にいるのです。このように6000年ぶりに独生女、真の父母に身近でお会いして、み言も聞いて愛も受けて、それで終わってはいけません。祝福は広めていかなければならないのです。世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2017.01.06
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今日は『天運と聖霊の宿る 八大教材・教本』(2012年1月23日発行)の中から。第三章 天一国入籍 ― 第三節 天一国入籍 から『(三)入籍と女性の使命』(P.106~)を紹介したい。このみ言は、2000年の8月と9月に語られた中からの抜粋となっている。そののちの2000年9月26日、第1次「三時代大転換四位基台入籍統一祝福式」(韓国)がなされたときでもあった。今回、このなかから特に強調したいみ言は「独生女」とは直接には関係しないが、国が設定される、正にそこにおいて勝敗の決定をしてこそ、カインとアベルが一つになった国が設定されるのです。その上に立たなければならないのが母の立場です。「やれ、長男だ。後継者だ。」、あるいは、「相続者だ」などと争っている時ではない、というのである。何をどうすべきか、すべては原理講論に書かれている。そして、「その上に立たなければならないのが母の立場です。」である。世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2017.01.06
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これまでも「独生女考」の回を重ねてきたがその根底とするところは、黒・天聖経にも「独生女」の記述があるということだ。▲黒・天聖経の韓国語版 P.177の記載文これも間違いなく、文総裁が語られたものである。ここブログ村では三男派・七男派ともに、天一国経典・天聖経を編纂、出版する際にこぞって「黒・天聖経を改ざんしたものだ」と非難した。つまりは、経典として「黒・天聖経」は認めるが「天一国経典・天聖経」は認められないと言われていたようだが、果たして、この「独生女」をどのように捉えるのかをApr 29, 2015(こちら) から繰り返し問うてきたが、今日においてもどなたからの回答もない。さて、今回は別の書物からの「独生女」の記述の紹介である。これも真のお父様のみ言である。出典は『祝福と理想家庭 -韓日対訳No.1-』(1989.12.20発行)のP.268、P.269である。以下はそれの拡大したもの。5個もの「独生女」を発見することが出来る。 今日、キリスト教で言うひとり子とは一体どんな意味を持っているのでしょうか。また、ひとり娘とはどこにいるのでしょうか。イエス様がひとり娘を探し出していたなら、今日の摂理歴史は新しい転換点を迎えていたでしょうが、ひとり娘を探せ出せなかったことが歴史的な悲劇となったのです。 再創造の歴史の中で、ひとり娘はどのようにして探し出すべきでしょうか。ひとり娘はアダムによって再創造されなければなりません。神はアダムのあばら骨を取って配偶者をつくったという事実に留意すべきです。それは、実際にアダムのあばら骨を取ったのではなく、アダムに似せた相対者としてつくられたという意味なのです。だからみ旨にかなうように育てなければならないのです。そのために、ヨセフ家庭とザカリヤ家庭、洗礼ヨハネ家庭とヨセフ家庭が必要だったのです。これもまた、三男派、七男派の方々はどのように?世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓ 【追記】独生女考(12)でコメントをされた「バカボンパンツさん」へ。私はビデオを2回視聴しましたが、バカボンパンツさんは一度でもそれを視聴されたのですか?
2017.01.05
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今回もブログ村の記事の流れから脇道にそれることになるがご容赦。・・・・・「アボジは原罪をもって生まれました。無原罪でこの地に生まれた独生女に出会うことでアボジは原罪を脱ぐことができたのです。アボジは私に出会う以前に誰とも結婚すべきではなかった。」真のお母様が語られたということで、姜先生がこれをもってサンクチュアリへ行かれたという話だ。前回記事「「独生女」考(7) -- 姜先生、櫻井夫人も新約の文字の虜に?!」を、私自身、これを重ねて申し上げるだけなのだが……。これに関しては赤石僚講師による『「独生女」誕生と血統的過程』の映像(53分)の中にもそれを解くカギが語られているので、まずは以下の映像をご覧になられてから考えられることをお勧めする。映像には「イエス様が結婚するため来られた」などと、既成のクリスチャンにとっては信じがたい内容も多くあるが、祈りをもって受け止めてくださるようお願いする。さて、聖書は多くの比喩や象徴によって書かれており、それが今日のキリスト教の教派分裂の原因となっている。今日の家庭連合(旧・統一教会)を見てもそのことが当てはまるのではないかということだ。これに対しては、私たちは正しい信仰姿勢をもって超えていく必要を感じる。また、原理講論P.168~『第五節 終末と新しいみ言と我々の姿勢』にもそのことが書かれている。以下はそれの抜粋。詳細は原文(こちら)を参照のこと。第五節 終末と新しいみ言と我々の姿勢(一) 終末と新しい真理……それでは新しい真理が出現しなければならない理由を、また他の方面から考察してみることにしよう。前にも述べたように、聖書はそれ自体が真理なのではなく、真理を教えるための教科書である。けれどもこの教科書は、その真理の重要な部分が、ほとんど象徴と比喩によって表現されている。したがって、それを解釈する方法においても、人により各々差異があるので、その差異によって多くの教派が派生してくるのである。ゆえに、教派分裂の第一原因は人間にあるのではなく、聖書自体にあるので、その分裂と闘争は継続して拡大されるほかはない。……しかしイエスが語り得ず、心の中に抱いたまま亡くなられたそのみ言は、永遠に秘密として残されるのではなく、「真理の御霊が来る時には、あなたがたをあらゆる真理に導いてくれるであろう。それは自分から語るのではなく、その聞くところを語り、きたるべき事をあなたがたに知らせるであろう」(ヨハネ一六・13)と続いて言われたように、そのみ言は必ず聖霊により、新しい真理として教えてくださるようになっているのである。……(二) 終末に際して我々がとるべき態度復帰摂理歴史の流れを見ると、古いものが終わろうとするとき、新しいものが始まるということを、我々は発見することができる。…(略)…この時代に処した人間たちは、内的には理念と思想の欠乏によって、不安と恐怖と混沌の中に落ちこむようになり、外的には武器による軋轢と闘争の中で戦慄するようになる。したがって、終末においては国と国とが敵対し、民族と民族とが相争い、家族たちが互いに闘いあうであろう(マタイ二四・4〜9)と聖書に記録されているとおり、あらゆる悲惨な現象が実際に現れるに違いない。終末において、このような惨状が起こるのは、悪主権を清算して善主権を立てようとすれば、どうしても起こらざるを得ない必然的な現象であるからで、神はこのような惨状の中で、新しい時代をつくるために、善主権の中心を必ず立てられるのである。…(略)…神が立てられた新しい歴史の中心がどこにあるかということを、探しださなければならないのである。……、その時代に対しては、あくまでも対立的なものとして現れる。……。……、歴史の転換期において、……古い時代の真理観に執着しているがゆえに、復帰摂理が新しい摂理の時代へと転換していても、彼らはこの新しい時代の摂理にたやすく感応してついてくることが難しいのである。……しかし、祈りをもって神霊的なものを感得し得る信徒たちは、新しい時代の摂理を、心霊的に知ることができるので、古い時代の真理面においては、相克的な立場に立ちながらも、神霊によって新しい時代の摂理に応じることができるのである。……したがって、終末に処している現代人は、何よりもまず、謙遜な心をもって行う祈りを通じて、神霊的なものを感得し得るよう努力しなければならないのである。つぎには、因習的な観念にとらわれず、我々は我々の体を神霊に呼応させることによって、新しい時代の摂理へと導いてくれる新しい真理を探し求めなければならない。そして探しだしたその真理が、果たして自分の体の内で神霊と一つになり、真の天的な喜びを、心霊の深いところから感ずるようにしてくれるかどうかを確認しなければならないのである。このようにすることによってのみ、終末の信徒たちは、真の救いの道をたどっていくことができるのである。(引用終わり)また、ここでビデオの一部を以下に紹介しておく。世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2017.01.03
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「火の粉を払え」の現在を見れば、2013年1月、「グルッぽゲート」(「ヘドロシリーズ」)を書き始めたころのアクセス数にまで下がってきている。一時期は2000~3000越えも連日見られたのだが。12月25日 124312月26日 1761 (記事更新有)12月27日 139912月28日 106312月29日 1168 (記事更新有)12月30日 92512月31日 91701月01日 74201月02日 76901月03日 23 (3日 00:25現在)ところが、このアクセス数が下がっている一方でブログ村でのランキング1位を維持し続けていられるという不思議がある。ブログ村でのIN・OUTポイントをみてみれば、12月29日の記事更新を前後して同じようなペースで推移している。熱心な読者の方(IN)が60クリックほど、ほか合わせて200クリックが毎日加算されているようだ。毎日のクリックご苦労様です。2017-01-03 00:00現在2017-01-03 18:00現在3日の記事更新無し。総アクセス結果はは1057アクセス。2017-01-03 23:00現在のブログ村ポイント状況(以下)。クリックお疲れさまでした。世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2017.01.03
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あるブログ記事「顕進様、国進様、亨進様・全食口の皆様、誉進お姉様の論文を完読して一つになりましょう!! 」で「誉進様の論文」の一部を紹介していた。実は、この「誉進様の論文」については、過去に分派のある方がその存在を紹介して批判をしていたのを見ていたのだが、私自身はその時は内容までは目を通していなかった(以下)。▲2016-12-15、清平修練苑。文誉進様 招待 特別集会にてのフォト。【特別寄稿】 文 誉進 (Ye-Jin Moon)「性のバランスを回復し、 神を天の父であり天の母として 理解する必要性」(PDF版、全55ページ)上記ブログ記事がきっかけとなり、今回はアブラハム家庭関連の記述を探してみたものが以下(P.25~)だ。これまでは、アブラハムの妻サラもまた「信仰の祖」というのが私の主張であった。ところが、誉進様の見方は、少し違ったようである。アダム家庭ではアダムとエバ一人の女性に対してであったが、アブラハムの家庭ではサラとハガル、ヤコブはラケルとレアほか2名の僕の4名が絡み合ってアベル・カイン関係を複雑にしてしまったということだ。もちろんアブラハムの息子イサクとイシマエルについて、また、ヤコブの12名の息子でヨセフ(ラケル)とほかがそれぞれアベル・カインの関係にあったことは原理講論や文総裁もその多くを語っておられた。ところで聖書・統一原理を見れば、21年ハラン苦役の後にヤコブとエサウでもってアベル・カインが勝利したかのように見えるが、その後エサウの家族らは彼らの財産をまとめてヤコブの家族と別の地で分かれて住むようになったとあり(創世記36章6節~)、実際にはアベル・カインの一体化はエジプトでのヨセフと兄弟らの出会いの時であったのでは? そして、ラケルの姉レアからの子ユダとタマルによって双子の兄弟ベレツとゼラが胎中でアベル・カインの血統転換がされ、ダビデ、ソロモン、そして、イエス様聖誕へと系図が続いていった。さて今回は、旧約聖書の中でも異色を放っている「ルツ記」についてだ。以下にウィキペディアからの説明。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AB%E3%83%84%E8%A8%98 『ルツ記』(ルツき)はヘブライ聖書におさめられたモアブ人女性・ルツの物語。『十二小預言書』を一書と考えた場合、『ルツ記』は旧約聖書でもっとも短い書である。『ルツ記』は、異邦人であるルツがダビデ王にいたる家系の中で重要な役割を果たすことを語ることで、救いの歴史において「自らの民」ユダヤ人にとらわれない神の意図の壮大さを語っている。-----『士師記』の時代、ユダのベツレヘム出身者であるエリメレクは、妻であるナオミと二人の息子を伴ってモアブの地に移り住んだ。二人の息子はその地の娘達と結婚するが、やがてエリメレクはその妻ナオミを、二人の息子達もそれぞれの妻オルパとルツを残したまま死んでしまう。そこでナオミは夫の故郷ユダに帰ることを決意し、息子達の寡婦となった二人に対し、それぞれの故郷に帰るようすすめる。しかし、ルツだけはナオミのそばにいることを望み、こうして二人はエリメレクの故郷、ベツレヘムへと帰郷した。ルツは畑で麦の落穂を拾った(古代パレスチナでは貧しい人が刈り入れ時の落穂を拾うことは一種の権利として認められていた。落穂拾い参照)。その畑の所有者は、エリメレクの遠縁の親戚にあたる、ボアズという人物だった。ボアズは姑に尽くすルツに感心して、彼女のために便宜を図る。ナオミはボアズが請戻しの権利を有する人物であることに気づき、ルツを自分自身の代わりに請戻させるため、彼女にボアズの床に入るよう勧め、ルツはその言葉に従う。全ての事情を察したボアズは、自分よりも請戻しの権利が高いもう一人の人物がいることをルツに明かし、…(省略)…。ボアズの妻となったルツは息子オベデを生む。オベデはダビデの祖父にあたる人物である。この『ルツ記』のポイントは、モアブ人であるルツがイスラエル人の慣習に従い、その律法に従ってイスラエルの子孫存続をなした、という事柄にある。神は人類を創り出したとき「生めよ、増えよ、地に満ちよ」と宣言しており、レビラト婚の習慣はまさに、それを実現するための手段なのである。ルツ自身は既に寡婦であり、姑から再婚の承認も得ていながら、それを謝絶してイスラエル人として生きることを選択した。これが、彼女が聖書中の一篇に名を冠することのできた理由である。聖書的な解釈では更に、その子孫がイスラエルの世襲の王となり、ひいては救世主を出す恩寵につながるとされる。ルツは異邦人ではあったがイスラエルの慣習に従い子孫存続をなした女性として称賛され、その「信仰」によって聖書におさめられるほどに高い評価を得た。説明文にもあるように、これには救いの摂理で選民にとらわれない神の寛大さを教えていた。(イエス様の十字架後、イスラエル選民からその「信仰」によってクリスチャンへその選民圏が移行することも暗示していた。)モーセの妻チッポラもまた異邦人の女性であり、彼女もイスラエルの慣習に従って息子に割礼を施し、主によって殺されそうになったモーセを救った「信仰者」であった(出エジプト記4章24節~)。残念なことにその後の聖書の記述から、モーセは妻と息子をしゅうとのところへ送り返し共にしなかったということだ。世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2017.01.02
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2017.01.01
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なんと〈2222〉。【追記】な! なんと?!2017-01-01 15:40、私が「火の粉」を訪問した時のアクセス数は<---6666>。http://yonemoto.blog63.fc2.com/
2017.01.01
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お断り: 私は専門的に神学を勉強したわけでもなく、また、統一原理を詳細に学んだわけでもないサンデー信者である。したがって、「独生女」考といっても私個人の私見からであることを承知してくださるようお願いする。今回は原理講論の「アブラハムの家庭を中心とする復帰摂理」に焦点を絞ってみようと思う。アブラハムの「三種の象徴献祭」は失敗してしまったが、「イサク献祭」、そして、ヤコブの勝利によって、あたかも「アブラハム--イサク--ヤコブ」の三代が延長して一代でなされたと同じ立場に立たせたのであった〔原理講論P.442~(三)縦からなる横的な蕩減復帰〕。聖書・原理講論では男性三代として書かれていたが、以下をもう一度振り返っていただきたい。「独生女」考(4)-- 「信仰の祖」はアブラハムの妻サラ「独生女」考(5)-- 天の血統を重んじる女性の信仰 http://www.convivia.co.jp/conviviacolor6/conviviacolor6.pdfノアの妻は名前すら出てこなかった。ところが、アブラハム=サラ、イサク=リベカ、ヤコブ=レア・ラケルの二人、いずれの奥さんも同じ血統圏にある。つまりは当時、それぞれの相対者があらかじめ神様によって予定されていたのでは、といった推論が成り立つ。もちろん、統一原理の「予定論」からも言えるように、「神の責任分担 + 人間の責任分担」が合わさってのこととなる。アブラハムが「信仰の祖」といわれる所以は、決してアブラハム一人で成し得なかったことであり、そこには妻サラの信仰もあってのことだった。同じく「アブラハム--イサク--ヤコブ」の三代は、女性の「サラ→リベカ→レア・ラケル」の三代を連ねる信仰・血統の勝利とも見ることが出来るのではなかろうか。サラが信仰と天の血統をかけてエジプト王の前に出たこと、リベカも母子協助とはいえ夫イサクをだましてまでしてヤコブが祝福を受けるようにした。レア・ラケルも夫ヤコブを殺そうとするエサウの前に敬拝をしていった。このように、男性の復帰摂理だけでなく、女性の復帰摂理もあって然るべきである。世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2017.01.01
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