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2017.12.02
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カテゴリ: 独生女考

久々のカテ「​ 独生女考 ​」である。

私自身、家庭連合本部としては「原理講論の主人は『真の父母様』」というほかに信仰面から事細かに「独生女」についての公式見解は必要ないものと思う。
したがって、以下は私の背後の霊「奇知外」が私に語ったものを整理したものであり、私個人の私的見解に過ぎないことをあらかじめご承知願いたい。



9月の記事で『​ 「お父様は原罪あり、お母様は原罪なし」を、私も受け入れる!! ​』の引用。

これまでも原理講論の「無原罪の父母」の記述があることを申し上げてきた。
お父様がイエス様の使命継承者であるとすれば、2000年前のイエス様と同じ無原罪・独生子として誕生されたとは原理的に見ても考えられないことである。
「再臨主の位置--原理講論から整理を!! 」 で原理講論の「第三節 イエスを中心とする復帰摂理」の一部を掲載したが、イエス様の十字架によって霊的復活によって霊的救援摂理が始まったが、依然として肉身にはサタンが侵入する条件が残っていた。したがって、再臨主の使命は肉身になお残る原罪清算しなければ再臨主(中心人物)として立つことが出来ない原理的責任分担(成長期間)があった。

一方、エバについても時代的恵沢圏からお腹の中の赤ちゃんから80歳を超えるお婆さんまでが再臨主の花嫁候補であったとのお父様のみ言もあるくらいに全世界の女性が対象であった。中でも、より清い(無原罪の)エバとしてお母様が探し出された、ということだ。

(歴史的蕩減を背負った)有原罪の独生子と無原罪の独生女が出会って「子羊の婚宴」、そして、原理で言う「無原罪の父母」(真の父母様)となったということではないか。

原理的に見ても、有原罪の独生子からであっても「創造理想を完成した男性・アダム」の価値と比較した場合、見劣りする何ものもないことも原理講論には書かれている。もしも、見劣りするように感じるとすれば神様からの目ではなく、人間的偏見によるもの以外にはない。

お父様のみ言からも「無原罪のお母様」を語っておられた内容を多く発見することも出来た。
そのみ言を隠してまで、お母様発言を批判することに別の意図があるとしか思えない。
心を柔和にしてお父様のそのみ言にも耳を傾けられることだ。​

「お父様は原罪あり、お母様は原罪なし」の見解を、私も受け入れる!!
皆さん方はこれを受け入れますか?


分派子女様方、また、長く信仰されてきた大先輩であっても「お母様=独生女」を信じることが出来ないといっては分派へ行かれた方々も少なからずおられる。

さてここで、分派子女様方が一番恐れるものがこの「お父様は原罪あり、お母様は原罪なし」ではなかろうか?! 
b408さんが持ち出してきたDNAの「Y染色体」がそれだ。 お父様がが「無原罪の独生子」であってこそ、生まれたときからの男性としての「Y染色体」も貴重視され、それが男系血統に受け継がれた「子女様」としての名分が立つというものだ。これに反して「お父様に原罪あり」(堕落圏から)では、その名分も崩れ去ってしまうからである。

​​​
2000年前のイスラエルが「エリヤが雲に乗って来る」のを待ちわびていたように、
こんにちのキリスト教徒が「イエス様は雲に乗って来る」と信じていたように、​
三男派、七男派の方々もお父様は『雲に乗って来られた』(無原罪で)と信じたいところである。 ​​

​​​​
ところが上記からは、「お父様は原罪あり、お母様は原罪なし」のお母様発言は原理講論から見ても全く矛盾する所がない。 このように、過去の慣習や偏見といったものに歪められて原理講論の主人である「真の父母様」を見てしまったのが、分派子女様方ではなかったか。

イエス様の再臨、使命継承者である真のお父様もまた2000年前のイエス様と同じように来られるとは、原理から見ても到底信じがたい。
過去の中心人物がそうであったように、摂理的中心人物として立つためには必ず「縦からなる横的蕩減復帰時代」(『原理講論』P.452~)に書かれたように 「摂理歴史が延長されるにつれて、復帰摂理を担当する後代の人物が立てるべき横的な蕩減条件は、次第に加重されるのである。」 というように、無傷では決して通れない道であった。したがって、イエス様の使命継承者としてのお父様も例外ではなかったということになる。

ここで、改めて初臨のイエス様を中心とする復帰摂理(『原理講論』P.404~)を見てみたとき、 第一次世界的カナン復帰路程 の中心人物は「イエス様」ではなかった。「洗礼ヨハネ」がそれであった。
ユダヤ人たちは洗礼ヨハネが立てた「信仰基台」の上に、彼をメシヤのように信じたのだが、ヨハネがイエス様をメシヤとして証ししたにもかかわらずそれをも疑うようになってしまい失敗の道をいった。
第二次世界的カナン復帰路程 は、イエス様が洗礼ヨハネの使命を代理するも、ユダヤ人はもちろんのこと弟子たちまで不信に陥ってしまった。
そして、 第三次世界的カナン復帰路程 であった。上記引用文の『 「再臨主の位置--原理講論から整理を!! 」​で原理講論の「第三節 イエスを中心とする復帰摂理」 』でそれの流れを示したように、再臨主は延長摂理の第三次世界的カナン復帰の「(2)再臨主を中心とする実体的カナン復帰路程」ということになる。
​​​



<続  き>

再臨のお父様の時もまた、イエス様当時と同じようにキリスト教を基盤とした洗礼ヨハネ的人物らは準備されていたのも事実だ。ところが、彼らもまたお父様を再臨主として迎えることが出来ず、お父様もまた洗礼ヨハネ的立場から出発されなければならなかった。これが再臨期における第一次、二次路程ということになるのか。そして、「子羊の婚宴」以降が第三次、霊的でなく実体再臨(善の父母)としての出発であった。

イエス路程(再臨路程)でまずもって考えなればならないことは、第一次路程の中心人物がイエス様自身ではなく洗礼ヨハネであり、彼の失敗によりイエス様がその代理使命も兼ねるようになったということだ。原理的に見るならば「信仰基台」「実体基台」、そして、「メシヤのための基台」ということになるのだが。このように、メシヤであるイエス様(お父様)の前にも必ず洗礼ヨハネ(エリヤの再臨)のような摂理的中心人物(アベル)が存在した。


b408(ビーヨンンハチ)さんは(何度も言わせていただくが)八大教材教本の『宇宙の根本』を30回以上も精読されたということだが、原理講論の主人、み言葉の「主人」またその「実体」を見失わなければ、三男さんへ行くこともなかっただろう。

​『み旨と世界』、中でも『創立以前の内的教会史』では「エバの道」についてお父様が語られていた。​

全体を読まれればよいのだが、一部引用を以下に掲載。
文中の女性は、こんにちのお母様ではなく最初の夫人、あるいは、下着まで洗われたという洗礼ヨハネ的使命の女性を指してのものとも思われるが、分派子女様方を見ればi部分的には現在のお母様にも当てはまる点も感じられた。

​​​​​​​​ ◆摂理の中の女性(一)神の花嫁

​ 神は歴史を通して、一人の完全な理想の女性を探し求めてこられましたが、すべての女性の中で誰が、真の妻、真の母、真の天宙の女王に値するのでしょうか。ある意味ではすべての女性が、それらの範疇に属し得るそれらの候補者であるといえます。​

 女性が権利を主張して上位運動を起こし力を得てきたのは、終末期に神が、実体聖霊を選ぶ徴候だと考えられます。神は終わりの日には、最も典型的な真の妻、母を動員しようとしますが、彼らは自らをサタン世界のすべてから完全に分別して、神を中心とした典型的な妻、母、女王として神に来なければなりません。 神は、そのように過去のすべての因縁を断ち切って、神に帰ることのできる勇気ある女性を探してこられたのです。そして神中心のある女性を選び出されました。そして神はその女性に命じられました。「あなた自身の今いる環境にありながら、サタン世界を完全に断ち切って勝利的な女性として立つために、神に対する絶対的な忠誠をもって真の女性としての使命を果たしなさい」と。

​ そしてその女性が、自らを完全に神の目的のために神の器として捧げ、神に服従せんと決意した時、サタン側に立つ夫が現れて、子供と一緒になって、「私のもとに帰ってきて忠実な妻として仕えないのなら、お前を殺さなければならない」と言って責め寄ってきたのです。子供も、帰ってこなくなったお母さんに、「どうしてお母さんは私たちを愛さなくなったのですか」と反抗するようになってくるし、周囲の人々、環境のすべてが、絶対的な信仰と忠誠を決意した彼女の道に激しく反対するという状況になってきました。​

 神はその女性が想像を絶する苦難に耐え抜いて、夫と子供との情的な因縁をはるかに超越した、そこまで絶対的に神を中心とした、信仰の極致にまで行くのを見届けなければならなかったのです。その女性がそのような蕩減や試練を通過していようとは、神ならぬ誰も知らなかったのですが、真のエバを復帰するためには、そのような人知れぬ試練の道を通過しなければならなかったのです。

 この女性が真に神を中心として立つためには、神への忠誠のゆえに、夫と子供、全家族が、一度ならず二度、三度と、三回以上彼女を殺そうとする試練を通過しなければならないというのです。その女性は夫と子供の憎悪の対象となる心情的十字架を耐え忍び、ナイフで体を切られたりして迫害されながらも、その最高の迫害に勝利しない限り、絶対的神中心の男性の花嫁の立場に立つことはできないのです。

 ……

◆摂理の中の女性(二)霊的メシヤの花嫁

 韓国に、神の摂理歴史において中心となる代表的な女性が現れなければなりません。「私の夫は神であり、イエス様です。そして神とイエス様と常に交流しています」という、選ばれた女性が現れなければならないのです。

……

 実体的な摂理路程においては、メシヤは神によってではなく、エバによって祝福され、生み直されなければなりません。その備えられた女性を見いだしたなら、まずそのエバによって祝福されなければならないということです。ですからその女性が初めて主に会う時は、彼女に仕える僕の立場にあります。

 人類の代表たるアダムでありながら、なぜ僕であるのかというと、エデンの園における堕落において、男性は女性を主管すべき立場であったにもかかわらず、女性に主管されてしまいました。ですからその主管性転倒を復帰するために、信じられないような仕え方でその女性に侍っていくのです。考え得る限りのことを、その女性の体を洗うことまでもして僕として侍らなければなりません。
 その女性は自分の夫より、息子より先生を信頼しました。


◆歴史を生きるメシヤ

 そうするうちにこの女性は、「あなた(男性・僕の僕は天使界を意味する)はもう既に僕の道を卒業しました」という啓示を受けました。メシヤは僕の立場から出発しますが、僕の段階は旧約時代に当たります。そこから養子の基準、実子の基準と上がり、それから夫の段階へと進みます。

 このようにある人がメシヤとして来た場合、その人自身の一生の間に、旧約から始まり新約、成約というように、全人類史を通過しなければならないのです。そしてその路程を通じて、メシヤにおいてあらゆる段階が全うされなければなりません。すなわち、僕の立場も、養子の立場も、実子の立場もすべて全うし、さらに夫の立場、父の立場、そして最後に王の立場まで全うして、それらの各段階で完成しなければならないのです。

 一人の男性において、この全プロセスのすべてが通過されなければならないというわけです。しかもその過程においては、神が主管するのではなく、女性が主管していきます。そのために選ばれた女性は、メシヤを僕の段階から次第に最頂点にまで引き上げながら、自らも僕段階から、養子、実子段階と全歴史内容を横的に通過し、完成していかなければならないのです。

 しかし彼女を非常に混乱させたことには、絶えず神の啓示が下りて、各段階を卒業したという告知がたった四十日間に立て続けにあったのです。どこにいても神の声が聞こえてきて、次々と前とは違ったことが啓示されました。まず、「彼はあなたの僕だから僕として彼を用いなさい」と言われたかと思うと、次の日には、「彼はあなたの息子だから息子として愛しなさい」と言われますし、その翌日には、「彼はあなたの夫だ」という具合なのです。そしてついには突如として、「彼はあなたの王であるから彼を王として(彼に)仕えよ」という啓示が来たのです。

 メシヤが歴史路程の各段階を最高の立場で完成し、全歴史路程を横的に通過した時、初めてメシヤとして夫、王の位置に立つことになり、今度は女性のほうが、男性の前に僕の立場から完全に服従していかなければなりません。しかし彼女は、先生を王として侍ることを願わなかったのです。むしろまだ僕として使うことを願ったからです。それが原理を知らなかった彼女には最高の立場に思えたからです。

 イエス様も初めは、洗礼ヨハネから祝福を受けて侍る立場でしたが、一度主管性転倒を復帰してその段階が終わると、完全に主体は逆転します。再臨主においても、僕の段階を完成して主管性転倒を復帰すると、完全に女性を主管し、命令する立場に立ちます。

 これまでこの女性が与えた祝福は、すべて霊的なものでしたが、一度男性が王の立場に立つと、彼女は神の器として、僕の位置から出発し、養女、娘、妻、女王の立場と上がっていかなければなりません。そして女性のほうもすべての段階に勝利して、今度は男性がメシヤの立場において実体的祝福を与えることになります。この女性の場合も、一度主管性の転換がなされると、絶対的に服従する立場に立ち、そうしなければ彼女自身の責任分担を果たせないことになるわけですが、彼女にとって、それは容易なことだったでしょうか?

 先生は原理を知っていますから、通過すべき路程はつぶさに知っていますし、今どこを通過しているかも分かりますが、この女性の方はただ啓示を受けただけで、盲目的にその啓示に従ってきただけであり、原理は全く知らなかったのです。何しろついこの前まで、「その男性は僕である」という啓示を受けていたのが、しばらくするとすぐ、「この男性はあなたの王である、彼に服従しなさい」というのですから、原理を知らない彼女の心はますます乱れ、今や完全に混乱してきました。

 彼女はそれでも神への絶対的な忠誠を示して使命を果たすべきだったのですが、絶対服従ということは、その時の彼女にとって容易なことだったでしょうか。彼女はまるで神様から裏切られたかのように感じてしまったのです。今や神様は私をお見捨てになったのだ、とその女性はその場で気が狂ったようになってしまいました。「どうしたというのでしょうか、神様、あんなにも私を愛しておられたのに、今になってこんなにひどい扱いをなさるとは」と狂ったように先生の周りを回っては、「あなたはサタンだ、サタンに違いない、あなたを殺さなければならない」とサタン扱いし始めたのです。

​ しかし一度メシヤが主の立場に勝利している以上、その女性がどういう立場に立とうと、メシヤの勝利は不変であり、摂理は不変であります。もし彼女が悟って悔い改めないならば他の女性が代わって摂理されるだけです。​ ​​​​​​​​


<独生女考(27)に続く>




一休さんのような機知(トンチ)ではありません。

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世界平和を願う 奇知の外の凡人 が徒然なるがままに書く日記です。

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Last updated  2017.12.03 17:20:11
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