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2018.06.13
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カテゴリ: 独生女考
​​お父様のみ言のなかには「真の父母」がところ狭しと語られていた。ところが、分派の方々のブログ記事を見れば、それが見当たらない。

以下は八大教材教本「真の父母」からの訓読映像の一部である。



​​ では、キリスト教は何か? 神様の息子になって、愛する家庭を作ろうというのです。もっと具体的な内容を持って来たのがキリスト教です。それゆえ、神様の前において「私はひとり子」だとイエス様が言われたのです。

ひとり子が出てきたのに、ひとり子が一人で暮らしたら大変なことです。ひとり女
(独生女) がいなければなりません。 それで、ひとり女を探して、神様を中心として、ひとり子とひとり女が互いに好む場で結婚しなければならないのです。結婚して、神様が縦的な父母として喜び、横的な父母として喜びうる新郎新婦になり、地上で息子娘を産まなければなりません。そうしてこそ初めて、一族が広がり始めるのです。そういうことではないですか?

それゆえ、イエス様においてイスラエルの国に背いてでも、ユダヤ教に背いてでもいちばん必要としたのがありますが、それが何か? 再び探しうる主体的動機が何か? まさに女です 。男の前に女がなくてはいけません。

イエス様は、そのみ旨を成せなかったために死んでいきながら「私は新郎であり、あなたがたは新婦だ」と言ったのです。こうして、キリスト教では二千年間新郎であられるイエス様を待ち、キリスト教信者たちが新婦になろうと、もがいてきているのです。

その標準が何か? それがメシアですが、真なる父母の位置を持って合わせるのです。それが子羊の婚宴です、子羊の婚宴。​




「キリスト教では二千年間新郎であられるイエス様を待ち、キリスト教信者たちが新婦になろうと、もがいてきた」
のであった。

独り子・イエス様お一人では決して「真の父母」となることは出来なかった。原理講論からは「イエスの十字架の死」とその限界について明記されており、この地上に再臨される目的についても書かれていた。
「それが子羊の婚宴です、子羊の婚宴。」

さて、「真の父母」とは1960年の文総裁と韓総裁が「子羊の婚宴」を成すことで初めてこの地上に出現した言葉であった。この子羊の婚宴以降は、 私たち統一食口はこの「真の父母」の名の許で一つの兄妹としての信仰 を捧げてきたのではなかったか!!




さて、 黒・天聖経『真の父母』 から別のみ言も見てみよう。

・ 真の父母という言葉は恐ろしい言葉P.45

統一教会での恐ろしい一つの教えが何か? それは「真の父母」という言葉です。この言葉は、神様も恐がる言葉であり、サタンも恐がる言葉です。我々人間は、サタン圏内にいる人間であるために、真の父母を中心として見るときに、彼に従っている人たちは、彼のみ言によって審判を受けるのです。
このような方が出てこなかったらいいのに、出てきたために審判しなければいけない立場に立つので、神様がその方の言葉を聞いてあげるのです。また、 ​サタンがなぜ真の父母という言葉を恐れるか? この言葉を信じて従おうものなら、自分のすべてが破壊されてしまい、破綻してしまうためです。それで、彼には極めて恐ろしい言葉になるのです。​
サタンは、いつも真の父母の行く道を妨げ、倒れるのを願い、悪くなるのを願う立場にいます。ですから、皆さんがこの道に従って行くのに、どれほど信じて従うかというのが問題になるのです。皆さんが、そのような先端に立ったなら、一歩一歩、行動一つを千年以上の精誠を尽くして、感激しながら行こうとしないといけないのです、それが今日皆さんの行くべき道であることを知るべきです。(六五・二七七)

私は、真の父母の名前がどれほど恐ろしいかということをよく知っています。私は平穏な位置を探すために生きる道を取ったのではなく、このみ旨の使命を完結させるために、今まで闘ってきました。
過去を回想すれば、事情も多く、無念なこともたくさんありましたが、あなたの事情、あなたの無念さに比べられないことが分かったので、ひざまづいて涙をあなたの前に見せられない、恥ずかしい姿であることが分かるのでございます。そのようなことを感じる私の心をお分かりになり、この日を期して天上世界と地上世界の門を開いてくださいませ。(一三四・一一六)

問題は何か? 真ということ、すなわち真の父母ということです。真の父母が何か? 真の父母という言葉がそんなに簡単な言葉ではありません。いちばん恐ろしい言葉です。その言葉がどれほど恐ろしい言葉か分かりません。
この真の父母という言葉一言のために、歴史が左右されます。この言葉を見つけ出すために、今まで数多くの先烈たちが犠牲の道を行きました。連続的な血の闘争を経て、身悶えし、絶叫しながら希望を抱いて探し出した名前が、真の父母という聖なる名前です。
真の父母の前には、真の子女がいなければなりません。 それで、皆さんが真の子女になりましたか? 考えてみて下さい。皆さんが真の子女ですか? 真とは、過去にも現在にも未来にも変わらないものです。(三三・一〇九)​
ここで「真の父母」という言葉だが、「独生子」は言うに及ばず「独生女」もこの中に含まれることは言うまでもない。
ところが、お父様聖和後は必死になってその「独生女」を打ち消そうとしてきたのが、まさに、サタンの業であった。

サタンは自らの居場所である「霊界」を否定してまでも宗教を撲滅しようとしたのであり、こんにちの「独生女批判理論」と似たところがある。



​​

一休さんのような機知(トンチ)ではありません。

奇知=人とは異なる知恵
すなわち神様の知恵

奇知の外の凡人 が徒然なるがままに書く日記です。
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Last updated  2018.06.13 01:18:58
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