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2018.07.14
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「三男さん、元の位置(祭司長)にお帰りください」​​ (その4) で2000年9月の三男さんへの「祝福権委譲」はなかったことは、これまでも当ブログで当時の印刷物を挙げて検証してきたし、ヨンギ氏(マキの夫)には「まるバツクイズ」のチャレンジャーとしてその回答を求めたりもした。





(抹消された)ヨンギ氏ブログ上記引用文:
​今後は興進君が祝福をするのですが、興進君がいなければ、顕進君が…​
​からは「(霊界の)興進君がいなければ」ともなれば、興進様は何処にいるというのだろうか?
これと似たようなお父様のみ言で、

地上の真の父母と興進君が……。興進君が一人でできなければ、 (霊界の) 四人の息子、娘に責任を分配するのです。 (漢南国際研修院、2000.12.28)​

なおも、ヨンギ氏は過去記事と同じことを繰り返そうとするのか?
2018-07-13、ヨンギ氏(マキの夫)記事で2000年9月のお父様のみ言を再掲載。

お父様は霊界では興進様/地上では顯進様に、祝福権を委譲されました。
https://ameblo.jp/13579watashi/entry-12390395940.html

2000年9月の祝福権委譲式では三男さんはその祝祷の列にはいなかった(私tomy4509からは当時のフォトを提示)。
また、お父様の祝祷では「興進様」の名はあったが、三男さんの名は一つも聞くことは出来なかった(『祝福家庭 19』2000年冬号、P.22~参照)。





http://trueparents.jp/?page_id=3718 ​ の末尾からの引用:
お父様は2010年7月16日、顯進様に従おうとする故・神山威氏に対し「(顯進は)もう、ずっと前に離れたんだよ、10年前に」、「顯進は先生と同じ方向に向いていない。逃げ回っている。顯進が先生の方向に来なければならないんだよ」、「なぜ先生に質問しないで顯進の方にいくのか」と語られました。​
お父様が「逃げ回っている」と語られたように、お父様は何とかして顯進様を教育しようとしておられたに違いありませんが、教育できないままに、お父様のアイデンティティと異なることを平然と述べる「統一教会の党派(分派)」になってしまったことに対して、深く心を痛めざるをえません。 最近では、「家庭平和協会(FPA)」という組織を立ち上げ、「FPAは、創始者が世界平和統一家庭連合を通して実現しようとしていたものを目標としている」(314ページ)と平然と述べるなど、分派の動きを強めています。
 私たちはこの小冊子を熟読することでUCI 問題の本質を理解し、UCIを支持する人々が流す真の父母様から離反させようとする〝虚偽の情報〟に惑わされることがないよう十分に注意する必要があります。​
2010年から10年前といえば、ちょうど2000年9月の「祝福権委譲式」のときと合致する。その時から 「顯進は先生と同じ方向に向いていない。逃げ回っている。顯進が先生の方向に来なければならないんだよ」 とお父様は語っておられた。
そのころから三男さんは二世教育に際して 個々の「アイデンティティ」 の大切さを語り始めていたが、真の父母様を飛び越えて神様につながろうとしたものだった。
アダム・エバの堕落時の「もしも、その実を取って食べれば神様のようになれる」といったサタンの誘惑とも一致するような内容だ。現在、三男派にある方々はこのような教育の影響を強く受けており、真の父母様を無視している。こんにち、お母様に対して「お父様と一致していない」などとお父様のみ言を挙げてはその批判を展開していたりもするが、絶対相対としての基準を求められていたお母様と比較しての批判は、むしろ、三男さんの不従順をも悔改めていかなければならないと反省すべきものであった。

このように、 三男さんが「(真の父母様を)神と同じ立場で愛することができ」ず「自己の位置を離れ」たのは、すでにこの時からであったのでは。 「束草事件」や「異端者爆破者宣布」「真の父母様宣布文」のはるか以前の話だ。

以下は『 お父様のみ言「孝進君が長男、孝進君の後孫たちが継代を受け継いでいくのです」(その2) 』からの引用。
​​​​​​​​ 私がいつもお母さんに言っているように、私が天の前に間違っているならば、その代価は子女を通して受けるのです。それは天理がそのようになっているからです。子女を通して蕩減しなくてはなりません。​万一、間違ったことをしたならば、その子女が必ず悔い改めて倍価の努力をしなければならない立場になるのです。その間違ったことを知りながら、過ぎた日の父母様に与えたすべての心の痛みとか、食口たちに被害を与えた過去のすべてを反省して、深く悔い改めなくてはなりません。​

長子の使命

 このような観点から、もし孝進君にそのような過ぎ去った日々があるとすれば、それによって天の前に帰って、過去を完全に切ってしまい、アベルのような立場て忠臣・孝子となる彼らの前に立って悔い改めた後に、そのアベルのような孝子や忠臣以上に努力するというような立場に立つならば、そこから初めて、今まで述べてきた長子圏の出現が孝進君を通して成るようになるのです。

​  聖婚式を挙げた真の父母の息子が、本来の長子の座に立つことができるということです。そのような観点から、伝授式が行われなければならないのです。​

 しかし、そのすべての責任は私が負うのです。四十の峠を越える、第二次大戦以前に、私は家庭的出発をすることができなかったのです。しかし、第二次大戦後の四十年が過ぎた以後において、家庭でなく、自分の息子・娘を通して世界的な出現をさせることのできる基盤を連結させることによって、過去四十年の期間は失った期間でなく、探し求めた天の期間として、立てることのできる重要な時点、重要な過程であると見るのです。それは私が探したものであるから、私が孝進君のような年齢で出発した当時、世界的な舞台に出現できなかったために、自己の一代にできなかったことを、代身者としての第二世を世界的舞台に立たせる基盤に連結させることができるのです。

 それは何かと言うと、長子は父の代身として、仕事の責任を負わなくてはならないからです。又、難しい事は、統一家において原理が教えるすべての課題を、自ら進んで責任を負うことなのです。

 父母というのは子供のことを考えてから、自分を考えるのです。これが原則です。先に子供を愛してから、自分を愛するのです。夫婦の間で、子供を愛する妻を持つ夫は天に感謝しなければなりません。子供を愛する妻は天の側に立つことができるからです。又、子供を愛する夫を持った妻は、天の夫として侍らなくてはならないというのです。子供を愛することのできない父母は、天の側の父母として侍られる立場に立てないと見るのです。そのような意味で、孝進君を誰よりも愛するのはお母様なのです。もちろん、先生も愛しています。が、先生は愛するという話をしません。

サタンは私の家庭の長子を引っ張って行こうと、あらゆる手段を講じていました。これを止めるために興進君が蕩減しました。孝進の身代りとなって、興進君が急死したのです。興進はアベルの位置において犠牲になりました。それは、イエス様の犠牲と同じ意義があります。イエス様が犠牲になられたのは、兄さんの立場に立つ全人類を救うためでした。即ち、長子であるカインを救うために犠牲になったのです。

興進君の犠牲により、我々の家庭は完全な蕩減条件を立てることができました。これを契機に孝進君は一大変化をしなければなりません。興進が父母に精誠をこめて尽くしたように、孝進も父母に尽くさなければならないのであり、身代りとなった興進の分も合わせて、二倍の努力をすることを決意しなければなりません。このような衝撃的な事件に見舞われた私たちの家庭に対して、世間一般の目から見れば、身内を失った不幸な出来事と思われがちですが、御旨の面から見るならば、このことにより、新しい家庭的復活圏が繰り広げられていくのです。

統一家の伝統

 そこで皆さんに急に集まっていただいたのは、きょうが八月十六日、四十年の峠を越えて初めて迎えるこの日の式を行うためです。

今までの歴史は、兄が弟を殺して血のいけにえにし、弟から奪取し、犠牲にさせることの繰り返しでした。しかし、今からは、これが反対になるのです。今まで、神の側の息子の位置に立てられたアベルが犠牲になってきましたが、その目的は長子圏復帰のためでした。従って、神側の長子として生まれ変わるための歩みは、天の側の長子圏のその伝統を、死と血の歴史でもって作り上げてきたのです。この伝統が、正に統一家の伝統であることを良く知っておかなければなりません。

​ これから、先生以後に、孝進の後孫たちがそうするとき、代々に亘って受け継いでいくのです。誰が継代を受け継ぐかという問題ですが、もちろん、長男が受け継ぐのが原則です。しかし、長男がすべてにおいて不足のため、伝統を受け継ぐことができない場合は、兄弟たちを集めた公的会議の場で話し合わなければなりません。兄自身が自己の不足を認め、「家庭の伝統を立てることができないために、誰かが私の代わりに立って欲しい」と願い出るべきです。そのような要請があれば、公的会議または家庭会を開き、全員が祈祷した後に選定されなければなりません。​

 では、どのような人を選定すべきでしょうか。より犠牲になってきた人、よりアベル的伝統歴史を受け継いだ人。命令だけするのではなく、命令を受ける人に福を与えるための道を行く人でなければなりません。今まで、サタン世界のカインは命令して、搾取して殺そうとしてきました。これからのカインは、天の側の長子の座に立つのですから、今までとは反対になります。アベル伝統の歴史を受け継いだために、全体のためにより犠牲になろうとする人でなければならないし、誰よりももっと苦労しようとする人でなければならないのです。先生もその原則に従い、そのような伝統を立てるために一生を捧げて来ました。数多くの宗教者、数多くのキリスト者、数多くの歴史的な聖人たちがいますが、その中において、サタン世界を復帰するために、誰よりも犠牲になろうとし、誰よりも為に生きようとして来たのです。

 統一教会に三十六家庭が定められてから、三十年歴史を迎えようとしていますが、私は今以って彼らの為に生きているのです。これが伝統です。

 この伝統は、先生の子女たちは勿論のこと、食口たちも守らなくてはなりません。このように兄さんの位置に立つということは、いかに難しいことかを良く心得ておかねばなりません。すべての困難は彼と共に相談しなければならないのです。長子は全体の困難に責任を背負い、神の代りに伝統を受け継いだ責任を果たすために、できる限りの精誠を尽くさなければならないのです。

 できないという話は言えないようになっているのです。難題を抱えた時、「そうか、後で考えることにしよう。研究してみよう」と、こういう言葉は良いが、頭から、「それはできない」と言ってはならないと言うのです。 目的さえ善であれば、「しなければならない」と言い、自己の持っている力を活用して兄弟たちを動員し、目的達成のための陣頭指揮を取るのです。どの後継者もそのようであるならば、統一家の伝統は永遠に継承されるのです。これから生まれてくる我らの後代の長子、後孫は絶対に、自己中心に生きる今日のこの世の権力者の真似をしてはならないというのです。

 中心というのは、すべてのことに責任を持つ位置にあります。中心の位置に立つ者は、すべてを与えることのできる人でなければならないのです。中心とは責任を負い、与えるばかりでなく、保護してあげることを知らなくてはなりません。このような伝統的歴史が、復帰摂理過程で綴られてきました。堕落以後、アベルがカインに殺されて死んだのは、神のために、次にはカインのためでした。

心情の極限に立って

 このことは、特に孝進君がよく知っておかなくてはなりません。今回、韓国と日本を連結させて帰ってきましたが、これは実に驚くべきことです。これからは、韓国と日本で誠を尽くした以上の基準で、アメリカにいるすべての食口たちが孝進君を尊重しなければなりません。

孝進と言えば、昔の孝進を誰も知っていますが、今の孝進は知らないのです。ここ二、三カ月にわたって起きたいきさつは知らないのです。CARPの責任者となって本を出したり、日本で活躍したことを知らないでしょう? しかし、この事実というのは、孝進の一生において革命的なことなのです。加えてこの事実は、世界史的デビューへの看板を掲げたことに等しいのです。

ここで、良かったか悪かったかの評価を受けるのです。幸いにして、素晴らしい評価の言葉が韓国の代表から、韓国の家庭から、韓国の食口たちから伝わってきました。それに加えて、更に日本でも同じような評価をしてくれています。そればかりでなく、祝福を受けた二世たちの歓待と称讃を受けることによって、両親を含め、私の家庭の誰よりも勝(すぐ)れている立場の証を立てることができました。全員が一つになっても、それと取り替えることのできない代表者となって帰って来ることを期待していましたが、孝進は立派にその責任を果たしました。

 天の御旨の中で繰り広げられた今回の修練会に対して、神様が見つめる観点はどういうものだつたでしょうか。始め修練会の責任者として立てられた時、「原稿を準備しないで行って、祈祷しなさい。精誠をこめて祈祷するように」と言いました。弱き者であるから、羊のようなイエス様と同じ立場で、何も知らない孝進が今ダビデのようにゴリアテの前に出て、ありったけの力を出して神を信じて、石投げを持って立つのであるから、それはどれほど苦しかったことでしょう。そのような心情の場に置かれたというのです。

孝進が神にすがり父母にすがって摂理の第一線に立つというその心情を持ったならば、神は無条件に協助するようになっているのです。だから、この事が普通の事でなかったのです。先生のこの監獄生活の全過程で、四十年を越える前後を中心にして、このようなすべてのことが偶然の一致のような結果をもたらしたということは、内的な面で神が数理的な計画を進めてこられたその基盤の上で始められたということを、孝進が知らなくてはならないのです。そのお陰で、今回有終の美を飾って帰って来たというのです。

 私が一番うれしいと思うのは、韓国の皆さんが孝進の送別会をしてくれた後、飛行場には見送りに行かないことにしたにもかかわらず、二世たちが全員出て来て金浦飛行場に集まり、たいへんにぎやかな見送りをして周囲を驚かせたということです。指示はしなかったけれども、自ら進んで動いた、この事により、二世たちをして天の福を受けることのできる条件ができたことを皆さんに言っておきます。​​​​​​​


1984.01.02、興進様が聖和されてのち孝進様がその11月に第一回「原理研究会世界学生総会」を韓国で、翌年7月には東京で第二回目の世界学生総会を主管されてのもので、その成功を喜ばれて孝進様を統一家の本来の長子の座に立たせての伝授式であったということだ。



1998.07.19、三男さんが世界平和統一家庭連合世界副会長に就任
1999.10.27、文栄進様聖和
2000.03.31、三男さんがW-CARP世界会長に就任
2000.11.11、父子協助時代を宣言

さて、三男さんはW-CARP世界会長として父母様の御心にかなった行動をされていただろうか?

父母様の基準はどこまでも興進様であって、孝進様の時も興進様のことを語られたし、また、祝福権委譲式でも「興進君が許諾すれば……三男さんも同じように」の意味を深く心にとめていただきたいものである。


<続く>




一休さんのような機知(トンチ)ではありません。

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Last updated  2018.07.15 19:18:49
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