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2023.12.10
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第十三回「世界統一国開天日」記念礼拝の御言

成約八年 2000年10月3日
中央修練院


 きょうは、何の日ですか? (「『世界統一国開天日』です」)。世界……。(「統一国」)。統一国……。(「開天日」)。「世界統一の国が開天した」、「天地のすべてのものが開かれた」と言うのならば、平和の世界が来なければなりません。喜びの世界が来なければならないのです。

 皆さん。今から十二年前ですから、満十二年になりました。十二年後の今回のオリンピック大会ですが、それは、北半球の韓国でのオリンピック大会と南半球のオーストラリアでのオリンピック大会は対比するものなのです。ですから、オーストラリアでのオリンピック大会の閉会式のときには、国境がなく、国もなく、全員が自由に入ってきた、そのような閉会式が行われたのを見ました。

 国連を中心として見れば、また、先生が国連に行って語った大会を中心として見ても、天地が一つになった立場で、国連は一つにならなければなりません。国連は、行くべき道を捜し出すことができずに一方的な方向に進んでいますが、一方的な方向に進んだまま戻ってくることができません。

 それゆえに、進んでいったとしても帰ってくる道がないので、それでは“おしまい”になってしまうのです。ですから、行って帰ってくることのできる道を教えてあげなければなりません。それで、先生は国連に行って、み言を語ったのです。

 どのようなみ言を語ったのかというと、「国境線撤廃」、「平和の世界をつくりなさい」ということです。それは、「国境線が生じることによって、このような世界が始まったので、このような世界を終えようとすれば、国境線をなくさなければならない」という、このような問題になるのです。

 ですから、今、戦いの中にあるすべての国、また、先進国と後進国との間には、とても大きな国境線があるのです。東洋と西洋には文化の差があり、精神文化と物質文明の間にも障壁があり、南北間には貧富の差があります。北側の世界は豊かに暮らし、南側の世界は貧しく暮らしているのです。

 このように、すべてのものに谷間が生じたのです。あちらにもこちらにも谷間が生じたのですが、“谷間”というものは、必ず二つの山があって生じるものです。ですから、谷間は平行線ではなく、必ず山に挟まれているので、このような国境線をどのように平地にするのかというのです。



 北の方に暮らす人も、南の方に暮らす人も、東の方に暮らす人も、西の方に暮らす人も、先進国であれ後進国であれ、優劣、男女、老若にかかわらず、すべて水平にならなければなりません。水平から始まり……。

 しかし、水平にだけなればよいというのではありません。それだけでは、平和の世界はできません。必ず相対がいなければなりません。「(世界)平和統一の世界」。このようになります。世界が何を願うのかというと、平和になることを願い、統一されることを願うのです。

 それでは、世界平和統一してから、何をするのでしょうか? 世界を平和統一してから進むべきことは、天地統一平和ではありません。天地統一が定着するのではありません。世界平和統一家庭が定着しなければならないのです。分かりますか?

 統一教会で直視していることは、すべての世界が水平となることであり、水平となった後における統一というのは、統率して一つになるということです。「統一」という意味は、そういうことです。「統率の“統”」です。このように見るとき、水平世界に何がなければならないのでしょうか? 何が支配するのですか? 軸です。縦的な基準、縦的な中心がなければなりません。

 今日のアメリカが、いくら先進国だ、何だと言っても、アメリカには縦的な思想がありません。すべてが相対主義であり、そこには全体が一つになることのできる標準的中心がありません。国の形態はありますが、国の中に入っていけば、民主主義の与党と野党、上院と下院というように……。

 縦的には、上院と下院を立て、横的に党が立ちます。そして全体を見れば、個々人が立つのです。個人主義を中心として、両党制を中心として、両院制を中心としてすべてが闘っているのです。このような所ではどこでも、国境ができているということです。
 そのような世界においては、平和を成し遂げることはできず、統一を成し遂げることもできません。

 さあ、それでは、なぜこのようになったのでしょうか? なぜこのようになったのですか? 人は本来、心と体が一つになるべきですが……。わたしたちが、そうではないですか? この人間を見れば……。万物世界を見ても、すべてペアシステムです。鉱物世界もペアになっており、植物世界もペアになっており、動物世界もペアになっており、人間世界も男女のペアになっており、天地も、天と地が、それぞれ主体と対象のペアシステムになっているのです。

 では、なぜそのようにペアシステムになっているのでしょうか? ペアシステムにおいては、一つにならなければ存続することができなくなるのです。継続して生きていくことのできる道がなくなるのです。

 それゆえに、プラスならプラス、主体なら主体、対象なら対象、マイナスならマイナス、それぞれ一方だけがあるときには、自分が生まれて死ぬまでの自分一代で終わってしまうので、ペアシステムからなる存在世界においては、すべてなくなってしまうのです。そのことを知らなければなりません。

 皆さんが、統一教会に入ってきたときに聞いた、「この宇宙はペアシステムになっている」という話も、偉大な宣言であり、偉大な発見なのです。ですから、ペアになっていない世界は、滅びるか、なくなってしまうのです。



 これが継続するためには、必ず授け受けすることができなければならず、“それが、どのくらい永遠に続くことのできる内容になっているのか”という問題について見てみなければなりません。そうして見てみたとき、永く続くことのできる内容が十分であるとき、その関係は永く続いていくのです。分かりますか? (「はい」)

 この「開天日」は何かというと、天地に門がなく、すべてが通じることのできる時代に入っていくということを記念する日なのです。それは何かというと、国境を整備して、国境がなくなった自由な環境を持ち、思いどおりに天上世界や、世界のいかなる所でもすべて……。

 今日の韓国や、日本の社会でも、ビザが必要であり、数多くの国があって……。このビザというものは、だれがつくったのでしょうか? 神様がつくられたのでしょうか? 一つの心臓を中心とした四肢五体が、血液を授け受けすることのできる循環路を持つことができなければ、病気にかかって長く生きることはできません。授け受けすることのできる動脈を中心として、運動することのできる関係が途切れれば、そこから“死亡”が入り込んでくるのです。終わってしまうのです。分かりますか?

 このように見るとき、永遠の主体と対象関係を結ぶことができるものとは、何でしょうか? これが問題なのです。それでは、「地球星の年齢はいくつか?」と言うとき、それはいくつでしょうか? 四十五億年くらいです。

 では、四十五億年間存続するときに、ひとりでそのように四十五億年の長い歳月を過ごしたのでしょうか? そうではありません。地球星を中心として、星と太陽と月と、すべての宇宙とともに関係を結んで存続してきたのです。そして大宇宙を見れば、太陽系と同じようなものが数千、数万とあるのです。



 宇宙の大きさは、二百十億光年です。光年とは何ですか? 一秒間に三億メートル進む速度です。秒速三億メートルという速度は、どのくらいですか? 一秒、チクタクと進む間に、地球の七周半分の距離を進む速度です。地球の七周半分の距離を行くのですが、それほど速い光が、ここから「よーい、どん」といって出発し、一日たてば、どのくらい進むでしょうか? 天文学界では、そのような光の速度で一年かかって進む距離を一光年というのです。

 それをもって宇宙の大きさを「二百十光年」と言っても、“ああ、まったく、狂ったことを言う”と思いますが、二百十光年ではなく、二百十億光年です。今、そのような存在が連続しているとすれば、ただそのままひとりで大宇宙に浮かんでいるのですか? 違います。これは、すべて授け受けしながら……。

 二百十億光年の大きさの大宇宙すべてが、そのような関係を持っているのです。ですから、空中世界の大きな星が落ちてぶつかれば、大変なことになるのですが、バランスを取って、変わらずに回っていくのです。

 太陽系の太陽を中心として、地球はその周りを一年間かけて回るのですが、誤差があったとすれば、何億年、何千億年たつとどのようになっていたでしょうか? とてつもない破綻が起きていたことでしょう。

 さあ、関係の世界というものを見れば、一人では関係を結ぶことはできません。わたし一人でいくら関係を結ぼうとしても、お母様がいなければ夫婦関係を結ぶことができるでしょうか?

 それから、関係というものは、授け受けしなければなりません。一つが昼ならば、一つは夜になり、一つが夜ならば……。それから、低い所から上に行き、上にいた人は今まで豊かに暮らしていたので、循環運動で回っていくのです。夜になり、また回っていくのです。回っていくとき……。地球が回っていくときに、何千年、何万年、このようにだけ回るのでしょうか? それで、三百六十度が必要なのです。分かりますか?

 回る起点を中心として、三百一度で一回り、三百二度で一回り、一年に一度ずつだとしても三百六十年かかると見なさなければなりません。そして、このように長い時間がたてば、地球星はどのようにならなければならないでしょうか? 人類の歴史は、どのくらいになると思いますか? 皆さんは、「人類歴史は六千年」と言うのですが、そうではありません。何千万年です。「人類歴史は二百五十万年である」とも言われているのですが、それ以上かもしれません。

 なぜ、このような話をするのかというと、そのような存在が宇宙に満ちあふれているのですが、その授け受けしている存在の間には、絶対に境界線がありません。それゆえに、この手ならば手を中心として、手の細胞や筋肉は(他の部分とは)違うのですが、それでも全体が和合することができ、一つの構造を持った人格体が形成されるということを思うとき、“自分の生命というものは、(それ自体だけでは)人格体を構成することができない、さまざまな分野における作用のバランスを取ることのできる主体的な力を持っている”と思うのです。

 大宇宙が運動を継続することのできる原因となる根本の力は、どこから出てくるのでしょうか? このようなことが問題になるのです。これを見ると、李相軒氏もそう言ったでしょう? 霊界に入っていって夫婦が愛するのですが、八年目に霊界に訪ねてきた李相軒氏と妻が二人で、きれいな礼服を着て神様の前に行ってあいさつをし、それから何をしたというのですか? 「踊りを踊った」と言いましたか、愛し合ったと言いましたか? (「『愛し合った』と言いました」)

 愛とは何ですか? キスすることをいうのですか、神様にあいさつしたことをいうのですか? 服を着て愛し合ったでしょうか、服を脱いで愛し合ったでしょうか? (「服を脱いで愛し合いました」)

 アダムとエバの時代にも、堕落する前のときに服を着ていましたか? そのときも「服を脱いで愛し合う」という、その「服」という言葉があったでしょうか? (「ありません」)。それでは何ですか? 裸で暮らしながら、裸で愛し合ったということです。動物が愛し合うときに、服を脱いだりするのですか? (笑い)

 服というものは、堕落によって境界物になっているのです。それゆえに、最高に愛し合うときは、男性と女性が服を着て愛し合いますか、どうですか? わたしには、よく分かりませんが。(笑い)

 それでは、服を着て愛し合いますか、服を脱いで愛し合いますか? (「服を脱いで愛し合います」)。胸に着けるものは何ですか? (もし)それをつけたまま生まれて、夫は、それを右側の胸に着け、妻は左側の胸に着けていれば、それをはがして愛し合うでしょうか、そのままにしておいて愛し合うでしょうか? はがして、また着ければよいではないですか?

 そこには、ぞうきんはもちろんのこと、空気中のほこり、ナイロンの紙一枚でもくっついていてもはがしてしまうでしょうか、そのままにしておくでしょうか? (「はがしてしまいます」)。ついたてがあれば、“そのままにしておきたい”と思うでしょうか、“すべてをなくしたい”と思うでしょうか? それはどういうことですか?

 本当に愛し合う二人の夫婦の間に、ついたてが必要ですか、必要ありませんか? (「必要ありません」)。どのくらい必要ありませんか? 「絶対に必要ない」という言葉を受け入れますか? (「はい」)。「受け入れない」という人は、手を挙げてください。

 儒教の両班たちは、「ああ、教主様が座って、夫婦で愛し合う話をなぜするのか? ああ」と……。(「はい」)。「はい」とは、また何ですか? (笑い)何も分からないので、「はい」と言うのでしょう? (笑い)

 「絶対に境界線が必要ない」というものは、何でしょうか? 絶対に境界線が必要ないもの。永遠に、永遠に、絶対、唯一、不変に境界線が必要ないものとは、何でしょうか? それは、真の愛しかありません。それが真の愛です。

 夫婦で愛し合うにしても、ありとあらゆることをして、まだらの皮ぶろしきをかぶったり、何階建てのビルの屋上に立って愛するような(間に距離をおいて愛するという意味)あらゆる者たちがたくさんいるのです。

 そのように、ありとあらゆることをしながら、境界線を間に置いて愛するのが真の愛ですか、偽りの愛ですか? (「偽りの愛です」)。何ですか? (「偽りの愛です」)。偽りの愛なのかどうか、どうして分かるのですか? 手で触ってみても分かります。五官で分かるのです。手で触ってみても、かちかちにこわばっているのです。

 女性は柔らかいのです。柔らかいので、強いものを願います。男性は頑丈でなければなりません。それで、ひげが生えるのです。握るにしても、ぎゅっと握ってこそ刺激が来るというのです。女性は、手の骨も細いので、どんな刺激が来るでしょうか? ですから、ぎゅっと握らなければなりません。そうなのです。わたしは、よく分かりませんが。(笑い)

 それゆえに、大きい発電所、何十万ボルトを発電する発電所があります。そこで心棒というものが回っているのですが、心棒とは何か知っていますか? バビットメタル(錫を主成分とし、アンチモン・銅・鉛などを含む白色の合金)のような鉛のかたまりです。回る軸自体は、鋼鉄の中の鋼鉄です。鋼鉄の中の鋼鉄なのですが、それを支えているのは鉛なのです。バビットメタルというものです。分かりますか?

 鉛のかたまりや真鍮というものは、反対のものです。そこに油が入って……。油が調和させるのです。それがシャフトと軸受けをくっつかないようにしてくれるのです。それで、シャフトは空中に浮かんでいるのです。これがくっついていれば、燃えてしまいます。すぐに燃え始めるのです。あっという間に問題が起きます。

 それは、何がそのようにするのでしょうか? これが一度関係を結べば、お互いに譲歩し、お互いに助け合うことによって、すべてのものが支えるのです。高いものと低いものが和合しなければなりません。右側と左側が授け受けしなければなりません。 

 前と後が授け受けしなければなりません。上下、左右、前後が授け受けすれば、球形になるのです。球形の中心骨が生じます。見えませんが、三つの力が一つに合わさったので、骨が生じたというのです。ですから、骨があり、肉があり……。

 骨は堅いのですが、肉まで堅ければ、どのようになるでしょうか? どのようになりますか? 骨と肉が、ぴたっとくっついて離れなければ、どのようになりますか? 皆さん、動物も焼けば、骨も肉もさっと抜けるでしょう? 落ちてしまうでしょう? それは何のためですか? 油があるからです。そのようになっていることを見ると、そこにはそのようなものが必要だというのです。

 それでは、愛を中心として、完全に境界線がなければ、どのようになりますか? どのようになるでしょうか? 男性と女性の間隔がなければ……。男性は骨を象徴し、女性は肉を象徴するので、これが一つになるのです。だからといって、骨は骨であり、肉は肉なのであって、骨と肉が一つのものになってしまうのではありません。それらは、どのような力によって、一つに連結されているのでしょうか? 父母から受けた愛の力によってです。このようになるのです。分かりますか?

 韓国の歌でもそうではないですか? 父親を通して骨をもらい、母親を通して肉をもらって生まれるというのです。心と体が完全に一つになれば、強弱を中心として一つになるのです。男性が“強”であり、女性が“弱”なのですが、その強弱を中心として一つになれば、これが人間世界における完全な人間なのです。

 また、霊界にいらっしゃる見えない性相と形状の神様は、人間の見えないモデルでいらっしゃるのですが、そのような神様を中心として、骨に当たる神様と肉に当たる人間とが一つにならなければなりません。どのようなものによって一つになるのでしょうか? 間隔があってはなりません。一つの体になるためには、愛だけが、愛だけが一つにすることができるのです。

 それゆえに、皆さんが、自分という存在を見れば、骨を中心として……。自分がこのような姿をしているのは、肉がこのような姿にしたのですか、骨がこのような姿にしたのですか? 骨がこのようにして、そこに骨が構成した……。

 最近、実感することは、それはコンピューターのプログラムと同じだということです。目には見えませんが、小さなチップに数千数万の思想を入れることができるのです。それと同じように、プログラムとして形成されたものが、骨なのです。そのようなモデルが骨となり、その骨がプラスになっているので、プラスがそのモデルの形態を成せば、そのモデルの形態を備えたマイナスを吸い込んで、体になるのです。

 ですから、人が“おいしい”と感じるものは、自分のプラス成分に対してマイナスの物が吸収され、それが一つになって、より大きくなる立場に立つことができれば、“おいしい”と感じるのです。それがマイナスとなり、小さくなり、なくなる立場に立てば“おいしくない”というのです。すべて、このようになっているのです。

 では、愛するのは良いのですか、悪いのですか? (「良いことです」)。良ければ循環運動します。循環運動が起きるのです。ですから、愛は、自分を愛する愛、夫婦が愛する愛、家庭を愛する愛、そのように大きくなるのです。

 個人、家庭、氏族、民族、国家の中心は、自分を中心とした、この一点です。皆さんも、自分を中心として主体になりたいでしょう? そうですか、そうではないですか? そうですか、そうではないですか? (「そうです」)。耳が腐ってしまったのですか? 尋ねたら答えなければならないでしょう。韓国の人たちは、両班のようなふりをして、悪口を言って初めて目をぱっちり開くのです。(笑い)それは、幼稚園児よりも劣ります。

 では、皆さんを中心として、“わたしの心と体が一つになって、わたしは主人になりたい”という思想がありますか、ありませんか? (「あります」)。夫婦でも、“わたしが主人になりたい”と思うのです。女性もそうでしょう? (「はい」)。それは何かというと、球形になるので、男性が前面ならば、女性は後面になるのです。そうして球形になり……。

 それでは、男性と女性が球形になれば、男性も半分で、女性も半分でしょう? (「はい」)。その二つが一つになった完全なものは、何というのですか? そのような言葉はないでしょう? 半分と半分が合わさったものなので、「統一分」。(笑い)そのような言葉はありません。「円分」でしょうか? 何と言うのでしょうか? それは、皆さんがよく知っていることです。ですから、男性と女性は凸凹になっているのです。

 凸凹を見て笑う人は、狂った人ですか、正常な人ですか? (「狂った人です」)。なぜ狂った人なのですか? (笑い)知らないときは分かりませんが、知ってから、それを見て「嫌だ」と言うのも狂った人であり、“おかしい”と考えるのも狂った人です。

 その凸凹が、完全に一つになってウグイスのような声を出すのを聞くでしょうか、聞かずに逃げるでしょうか? (「……」)。きちんと答えてください。(「聞きます」)。何ですか? (「聞きます」)。何ですか? (「聞きます」)。

 歌を歌うのを見ても喜び、訪ねて行って、それをするのを見て喜ぶでしょうか、悪く思うでしょうか? (「喜びます」)。そうですか? おじいさんとおばあさんが、それを見て喜べばどのようになりますか? お父さんとお母さん……。皆、隠れてしようとするのです。今まで、そのように暮らしてきたでしょう?

 ところが、わたしも霊界を知っていますが、李相軒先生の霊界報告書を見れば、神様の所にあいさつに行き、そこで夫婦で愛し合うのです。愛し合うや否や、どこからともなく色彩に覆われ、一筋に輝く明るい光が自分の心と体を包み込んで、恍惚と神秘の境地に至り、無限の喜び、無限の充満、無限の衝動を受けることができる境地に入っていくのです。

 では、だれが愛することを喜ぶのでしょうか? この地上で、愛することを最も喜ぶ大王陛下、その王、チャンピオンがいるとすれば、それは一体、だれでしょうか? 統一教会の文先生でしょうか?

 愛の哲学を世界的に発表し、そして、すべてからこのように崇拝される文総裁が、最も喜ぶでしょうか? 「文総裁以外に、もっと喜ぶことのできるかたがいるだろうか?」と言えば、わたしは、それをねたんで、「切り捨ててしまえばよい」と言うでしょうか? どうでしょうか?

 文総裁がどうやっても、もっと大きな主人がいれば、そのもっと大きな主人のために反対するのではなく、吸収されなければなりません。大きいものが育つためには、小さなものを吸収しなければなりません。分かりますか? (「はい」)。分かりますか? (「はい」)

 最も高い人間が生きるためには、この地上に生きている、すべての小さな万物を吸収し、のみ込んでしまわなければ、大きいものは生命を存続させることができますか、できませんか? (「できません」)。できます。(「できません」)。この者たち。(「できません」)。気分を良くしていますね。(笑い)

 そして、そのようにしてこそ回るので、植物が鉱物を捕食します。大きいものが生きるためです。もっと大きい愛の実体を成し遂げるための器は大きいので、それを満たすためには、小さな器は十個でも、百個でも、千個でも入っていくことができるのです。

 それは、どういうことかというと、それを満たして存続する万物を生かすためには、生きている万物を消化して吸収してこそ……。よく吸収して、接ぎ木することができるようにしてこそ、人間も幸福な人になるのです。分かりますか? (「はい」)

 鉱物を見て、「おい、鉱物。おまえたちは、何のために醜く、でこぼこな姿をしているのか?」と言えば、「それを言わないでください。固まった私の体が何百年、四十億年以上、億万年過ぎてみると、天地に大変化が起き、気候の変化や風化作用によって砕かれ、つぶれ、そして土になり、砂になり、このようにして万物が、すべて吸収するのです」と言うのです。

 それでは、鉱物が「この宇宙め。なぜ植物が生まれたのか? こいつ、攻撃して撃破しよう」と言えば、どのようになるでしょうか? 大変なことになるでしょう? そこには順応するのです。ですから、鉱物の元素が植物の元素に吸収されるからといって、鉱物は反抗しません。反抗しないのです。

 それでは、植物は「良い」と言わなければならないでしょうか、何と言わなければならないでしょうか? 「良い」と言わなければならないでしょうか、「悪い」と言わなければならないでしょうか? (「『良い』と言わなければなりません」)。「良い」ということは、何かというと、「おいしい、おいしい」ということです。

 皆さん。おいしい食べ物を食べてうれしいときは、「おいしい」と言いますか、「おいしくない」と言いますか? (「『おいしい』と言います」)。では、人間だけが「おいしい」と言うのでしょうか? 鉱物の元素が植物を育ててあげるとき、植物は、それ自体のプラス性稟がそれを引き込もうとして、とても興奮するので、「おいしい」と言わないでしょうか、「おいしい」と言うのでしょうか? 人間のように、動物のように「おいしい」と言うでしょうか、「おいしくない」と言うでしょうか? (「『おいしい』と言います」)

 それから、この動物たちは何を吸収するのですか? (「植物です」)。植物です。動物たちは、植物も吸収し、自分よりも小さな万物(動物)を吸収します。分かりますか? 猫は、自分よりも小さいネズミを吸収して食べるのです。小さいものが吸収されるとき、「ああ、わたしは死ぬ」と言えば、どのようになるでしょうか?

 さあ、このように話していたら、一日たっても終わりません。分かりますか? (「はい」)。「愛するのを見ることを最も喜ぶかたは、だれだろうか?」というとき、皆さんの人類先祖のアダムとエバが一代の先祖です。

 彼らが本当に一代の先祖なのかというとき、彼らは愛が分かりませんでした。愛を知っていましたか、分かりませんでしたか? 堕落した愛は知っていましたが、本当の愛を知りませんでした。神様の前から追い出されて愛することはできましたが、本当の愛は知りませんでした。神様が待ち焦がれ、早く花を咲かせなさい、早く香りを漂わせなさい、ちょうが飛び回るように、その香りを求めて天使が飛び回り……。

 天使たちが皆、降りていったので、王である神様も飛んでいかれるのですが、そのとき、見物するために、アダムとエバが愛し合う所に来ていた天使たちは、道を開けてくれるでしょうか、開けてくれないでしょうか? (「……」)。ああ、話を聞いているのですか、聞いていないのですか? (「開けてくれます」)。開けてくれるのなら「開けてくれる」と言わなければならないでしょう? 尋ねているのに、なぜ答えないのですか? 真の父母も何も、すべて関係ないようですね。真の父母と関係がありますか、ありませんか? (「あります」)

 わたしは、何の話をしようとしたのですか? あなたたちを、死の境地から生きることのできる人にしようとしているのですが、生きようとすれば、死の境地において、死ぬ力よりももっと力を使ってこそ、生きることができるでしょうか、より小さく使ってこそ生きることができるでしょうか? (「もっと使わなければなりません」)。それが分かれば、よいというのです。

 「世の中のどこに、そのような先生がいますか? 力を使わずに生きることができるようにしてくれるべきでしょう?」。そのような道理はありません。しかし、この世の中で、死の境地よりも、もっと力を使おうというかたを捜してみれば、それはだれかというと、世の中では統一教会の文先生という人しか存在せず、天地では神様しかいないのです。そのように言うとき、それでも(神様と真のご父母様が)必要ですか? (「はい」)

 見てください。今まで、このように一緒に歩んでいたのですが、百八十度“回れ右”してこそ……。黄金の塊を差し出して、それを手でつかもうとしているのに、「“回れ右”するのが最も福がある」と言うとき、どのようにするつもりですか? (「“回れ右”します」)

 「最も福がある」と言うのも、(見える)人ではありません。神様は、言葉が聞こえるだけです。言葉しか聞こえなければ、これ(黄金の塊)をつかんで“回れ右”しますか、つかまずに“回れ右”しますか? (「つかまずに“回れ右”します」)。なぜですか? どうしてですか? (「それよりも、もっと大きな福があります」)。もっと大きな福があるかどうかは分かりません。

 “神様が必要だ”と思って、“回れ右”すればよいのです。神様とは、だれですか? わたしたちのお父様です。自分よりもお父様の大きなふろしき包みに入っていないものがないので、お父様がそのように言われれば、“回れ右”して損害を受けるでしょうか、受けないでしょうか? (「受けません」)

 「ああ、お父様。その宝の山はどのようになりますか?」
 「宝の山がどうなるも何も、ここにあるではないか? ここにあるものは何か? どろぼうのような男性の所に行って何をするのか? 『それよりも、もっと良い宝の山を上げよう』と言えば、それを受け取るか、受け取らないか?」

 「受け取ります」。「では、あなたは、その宝の山よりももっと愛するのか、愛さないのか?」。「愛します」。そのようにして与えてくれるものが、何でしょうか? 独り子です。その独り子は、神様の何千万代の独り子です。七代の独り子が病気になっても、道知事が訪ねてくるし、国の殿様が訪ねてきて、あいさつをするというのですが、何千代のひとり息子がそのようになれば、そのひとり息子に対する贈り物は何でしょうか? 答える人は早く手を挙げてください。(「真の愛です」)

 なぜ、真の愛なのですか? 真なる女性でしょう? (笑い)女性に出会って、愛はそれからでしょう? (拍手)愛は、一人でするという道理はありません。そうですか、そうではないですか? そうだというなら拍手してください。後ろの方は聞こえますか? (拍手)では、じっとしていてください。このようにしないでください。(拍手)

 「宝をどうするのか」と言うとき、“宝というのは何だろうか?”と思って……。それでは、“もっと良いものとは何だろう?”と思って、神様に「もっと良い礼物とは何ですか?」とお尋ねすれば、「それは、おまえが最も喜ぶ……」と言われるのです。

 それゆえに、何千代の男性から何千代の女性、すぐそばで育てば、よく分かりますが、何千代も過ごしてから宝物として女性を与えられれば、女性を見て“変だ”と思うでしょうか、思わないでしょうか?

 女性の目を見ても普通でなく……。違うというのです。目を見ても普通でなく、ひげがあるでしょうか、ないでしょうか? そのときに脱いで現れるでしょうか、着て現れるでしょうか? すべてを触ってみれば、目も同じで耳も同じですが、何か出っ張っていて、おしりが大きく、そして自分には袋のようなものがぶら下がっていて、“これは何だ?”と思うのです。(笑い)

 不思議で“触ってみたい”と思うでしょうか、“触ってみたい”と思わないでしょうか? (「“触ってみたい”と思います」) それでは、どこから触ると思いますか? 上から触っていったでしょう? なぜですか? 手は高いものを好むからです。てっぺんから、ああ、髪の毛はこうで、耳がこのようになっていてと、このようにするようになっているのです。そして、「ああ、また女性のこれは何だ? 前の南ナム山のようなものが二つある。わたしが必要なのは一つなのに、なぜまた二つあるのか?」あらゆることを考えるというのです。

 そして、「おしりは、なぜまた、このように男性よりも大きいのか? 男性は肩のほうが大きいのに、なぜまた、下のほうが大きいのか?」と、このように思いながら、手探りする手をとめて、おしりを触ってみたでしょうし、また前の方も触ってみたでしょうか、触ってみなかったでしょうか? 触るときに、女性が驚いて「あっ」と声を張り上げるでしょうか、どのようにするでしょうか? じっとしているでしょうか、騒ぎ立てるでしょうか? (「騒ぎ立てます」)。(笑い)研究してみてください。

 しかし、その女性が、男性よりももっと男性を慕い、何億万代のひとり娘だとすれば、男性がやってきて触るのをびくびくするでしょうか? 血管が引っ張られ、へそが引っ張られ、「ああ、心臓が大変なことになった」と言うでしょうか? 気分が良いでしょうか、気分が悪いでしょうか? (「良いです」)。わたしは分かりません。

 女性たち、答えてみてください。気分が良さそうですか、悪そうですか? (「良さそうです」)。「何々そうだ」というのは、「そうではない」ということと変わりません。それでは、良くなければならないでしょうか、悪くなければならないでしょうか? (「良くなければなりません」)

 では、女性が男性を見れば、関心が行くでしょうか? 男性が千代の独り子であれば、女性は万代の独り娘として、千代の男性を何千代慕ってきたとすれば、その男性を見ただけでも、ぼうぼうと火が燃え上がるはずですが、頭を触るからといって、さっとするでしょうか、びくっとするでしょうか? (ジェスチャーされる)

 “早く、早く触ってください”と、このように体が行くでしょうか、行かないでしょうか? ああ、女性が答えてください。そのようにすれば、わたしが面白い話をするのです。(笑い)「悪くない」ということが、全体公論なのです。

 男性は、どうでしょうか? 「おかしい、おかしい、一度触ってみても、嫌がらない、おかしいな……」。“一度喜んだから、二度目は嫌がるだろう”と思って手を握ると、手をぎゅっと握って放しません。そのようにすれば、どのようになるでしょうか? 放さずにじっとしていれば、どのようになるでしょうか? 女性は、引っ張られて触ってくれることを願うのです。

 では、結婚したかたがた、仲睦まじい夫人は、夫の手がすっと背中に来れば、自分の胸に手を引き寄せるでしょうか、引き寄せないでしょうか? それを悪く言う者たちは、地獄に行く人々です。(笑い)堕落する前の世界のことを話しているのですが……。分かりますか?

 そのような女性は、手を引いてきてどこを触らせようとするでしょうか? 最初に唇を触らせようとするのです。女性は唇を愛するでしょう? 愛しますか、愛しませんか、この者たち。(「愛します」)。悪口を言って初めて正気に戻りますね。唇を愛して、口に手を当てるのです。それから、下っていけば、……。

 さあ、これを話すのは、わたしも申し訳ないと思います。しかたなく話すのです。(笑い)話さなければ、悪い教材になるので、しかたなく話をするのですから、悪口を言ってはいけません。悪口を言えば、悪口を言う口がくっついてしまい、体の貴いものが故障するように神様が罰を与えるとすれば、どのようにしますか? 目を見開いて、舌をかみながら我慢しなければならないでしょう? 考えてみてください。それならば、頭を触り、唇で……。(「吸います」)。

 さあ、このくらい話をすれば分かったでしょう。それでは、その後はどうなるでしょうか? 女性は、男性がどのような男性なのか分かれば、自分の一番の密室に連れていくでしょうか、連れていかないでしょうか? そして、男性が逃げていったらどうしますか? 逃げていったら、ついていきますか? (「はい」)

 それでは、追っていっても、追いつけなくなったらどうしますか? 座って死にますか、泣きますか? (「泣きます」)。男性は、それほど悲しんで泣く女性を見たことがないので、女性が泣きやめば、“死んだのか、生きているのか”と思って戻ってくるでしょうか、そのまま行ってしまうでしょうか? (「戻ってきます」)

 戻ってきて、女性がじっとしていればどうしますか? (「揺らしてみます」)。座り込んでいるのを見ると、“自分よりも重いだろうか……。この三倍くらいの石でも持ち上げられるが、動かないのを見ると死んだのかもしれない。持ち上げてみよう”と思い、さっと持ち上げてみて軽ければ、ほうり投げるでしょうか、抱き抱えるでしょうか? (「抱き抱えます」)。抱き抱えれば、女性が顔を真っ正面に向き合わせるでしょうか、どのようにするでしょうか? キスしますか、しませんか? (「キスします」)。にこにこ笑いながら「ああ」……。(笑い)もう、やめましょう。(笑い)

 ですから、神様が贈り物を下さるときに、最も貴い贈り物として黄金の山やダイヤモンドの平原を男性に下さったとしても、それが何になるというのですか? それを必要としますか、それとも女性をもっと必要としますか? (「女性を必要とします」)。どうしてですか? 黄金の床や、ダイヤモンドの平原、色とりどりの宝石でできた大きな山があるとしても、「ぺっ」。(つばを吐かれるジェスチャーをされる)なぜですか? 女性がいれば、息子、娘を生んで育てることができるのです。分かりますか? (「はい」)

 皆さん、息子、娘が必要ですか? (「はい」)。男性がこのようになっていて、女性がこのようになっているのは何のためですか? 愛ゆえにこのような形になっているのです。愛が喜び、男性と女性の生命が喜び、すべてが喜び、血統が喜ぶのですが、それは何のためですか? 息子、娘を持つためです。

 血統を連結させなければ、血統を通さなければ、おじいさんと息子、娘、父と孫、三代から何千代へと代が連結されません。分かりますか? 何代もの世代が連なっていくのです。それゆえに、女性がいなければ愛も問題ですが、息子、娘を永遠に持つことができますか、できませんか? できますか、できませんか? (「できません」)。ダイヤモンドがあったとしても、何をするのですか? 「ああ、良い」と、千年万年愛しても、何も残りません。

 息子、娘を持ち、それから何をするのですか? (息子、娘を持つ前に)自分が妻を迎えることのできる人、夫人を愛することのできる人にならなければなりません。夫人を愛することのできる人になり、それから、息子、娘を持ち、息子、娘を愛することのできる主人になるのです。それで終わるのですか?

 自分が四十、六十、七十歳になれば、息子、娘が成長して孫を生み、さらに孫が大きくなって三代、四代までが一つの家で暮らすことができるようになるのです。八十歳を超えれば、三代が問題ではありません。四代の子孫が連結されるのです。分かりますか?

 先生もそのような時が来ました。八十になると、聖進の息子、娘も赤ん坊を生むようになり、四代になるのです。そのように家庭を愛することができるのです。上下を愛することができ、左右を愛することができ、前後を愛することができる一つの球形の形態を備えて定着するようになったものが、家庭なのです。分かりますか? (「はい」)

 家庭です。いくら優秀な男性でも、女性という怪物と出会わなければ、永遠に妻を持つことができるのですか、できないのですか? (「できません」)。できません。自分が百回、千回死んだとしても、愛したい息子、娘は永遠に生むことはできないのです。息子、娘に、与えて忘れ、与えて忘れるという愛を行うことはできません。そしてさらに、息子、娘を中心として孫……。

 愛を必要としない人は手を挙げてください。愛が必要な人は手を挙げてください。それは、だれが手を挙げなさいと言ったのですか? (笑い)だれが手を挙げなさいと言いましたか? いくら愛を願って手を挙げたとしても、相対がいなければ愛は永遠に現れません。

 男性が男性であるのは女性がいるからであり、女性がいるがゆえに主人の名をもって生きることができるのです。分かりますか? 女性がいなければ何ですか? それは、男性でもなく、女性でもありません。なぜですか? 女性が女性でありうるのは、男性という動物がいるからであり、男性がいるがゆえに“女性主人”の名をもつようになったのです。

 それゆえに、父母は、りっぱな息子、娘を持って初めて父母になるのではありません。父と母のふたりが、息子、娘を生むことができなければ、永遠に子女を愛することのできる心を見いだすことはできません。それは、正しい話ですか、正しくない話ですか? (「正しい話です」)。正しい話ですか、正しくない話ですか? (「正しい話です」)

 父と母の愛が生じるようにしてくれるのは、父と母自身ではありません。できが悪くても、息子や娘がいるがゆえに、父と母は父母の愛の主人となることのできる資格者になるのです。それは正しい話ですか? (「はい」)

 だれが父と母に愛の主人の資格をつくってあげたのかというと、できの悪い息子であっても、病気の息子であったとしても、愛する心を持つことができるようになったのはその息子ゆえなのです。父母が千年万年、子女を愛する心を持っていても、子女がいなければ、与えて忘れ、さらに与えてももっと与えたいという愛の心には永遠に出合うことはできません。

 息子、娘を願わない女性は手を挙げてください。息子、娘は願っても、嫁には行かない、という女性は手を挙げてください。最近、風変わりな女性がたくさんいるではないですか? 「どうして男性が必要なのか?」と言う女性です。それは、原則的な法に背いて“どろぼうをしよう”という女性たちです。

 最近では、フリーセックス時代が来たので、「自分がだれの子を宿したのか分からない」と言うのです。「その中で、馬賊団の一番の親分のような、マフィアの大将のような者と関係……。その子供がわたしのおなかの中で育つということを考えると夜も眠れない」と言って、神経質になり、堕胎したり、産むや否や目をつむってごみ箱に投げ捨てる母親も出てくるというのです。

 これは、どれほど悲惨なことでしょうか? 自分の純潔な血筋によって神様の愛の代を受け継いで、真なる男性、真なる女性、愛は永遠なものなので……。(一部録音されていない)

 ……中心として愛の関係を結ぶようになるとき、妻を愛することのできる主人の資格をだれが夫にもたらしてくれたのでしょうか? 夫が千回、万回死んだとしても、女性を愛することのできる主人になることはできません。このことを知らなければなりません。

 夫人たち、分かりますか? 「この男 女性を愛することのできる愛の主人の立場をだれがつくってあげたのか分かっているのですか? わたしだということを知っていますか? この男は」ということです。このことを知りませんでした。分かりますか? 愛の平準化の価値がどのようなものなのかを今、分かったのです。

 男性が女性を愛することができ、主人になることができるようにしてくれた者は、初愛によって因縁を結んだ女性であり、それゆえに女性を愛することができるようになったというのです。わたしの心と体に女性の愛が染み込むように、それがどれほど必要なのかということを……。分かりますか?

 女性も、同じことです。天下の花の中の花であり、香りの中の香りが漂い、千年万年、酔いしれて歌を詠じることのできる美人だったとしても、また美人でなかったとしても、目鼻がなく、すべてがない、それらが一つしかないような男性であったとしても、男性がいて初めて愛を感じることのできる衝動が発動するのです。失礼ですが、それは正しい話ですか、正しくない話ですか? (「正しい話です」)

 いくら死んだ男性がうつ伏せになっていても何も感じませんが、生きている男性であれば女性は動じるのです。分かりますか? (「はい」)そして、人は家庭を愛します。おじいさんがいなければ、おじいさんのことは分かりません。おじいさんがいなければ、おじいさんが孫を愛することはできません。その味がどのようなものなのか分からないのです。

 お母様が赤ん坊をたくさん生みましたが、昼間、活動して夜十二時を過ぎて帰ってくると、子供が十二歳になるまではキスして祈祷してあげました。しかし子供たちは、疲れていびきをかいて寝ているのに、どうしてそれが分かるでしょうか? お父さんがキスしてくれているのかどうか分からないでしょう。寝ていれば、背負子で背負って何十里を行っても気がつきません。「ああ、そんなものか」と言っていたのです。

 ところで、孫を見ると、孫は息子、娘とは違います。その足元から……。足元から何ですか? 足元から波動が来るのです。どういうことか、考えてみてください。お乳も飲ませてあげ、このようにして見てみれば、母親とおばあさん……。おばあさん(真のお母様)がわたしに「お父様がおっしゃったことは本当でした。自分の子供よりも孫がどうしてこれほどかわいいのでしょう? どうしてこれほど美しいのでしょう?」と言うのです。

 どこかに行って帰ってくると、孫の名前を呼んで「だれだれ、いるの?」と言い、孫がこのようにするの(=よちよち歩く姿)を見ると、お母様も一緒にこのようにしながら抱き抱えてためらわずにキスしてあげるとき、“わたしをあのように一度でもキスしてくれたことがあっただろうか、覚えていないが……”と思うのです。(笑い)ですから、おじいさんが孫を見れば、老いても孫をさらに愛していかなければならないので、愛がどんどん深くなるのです。

 それゆえに、年齢が八十になれば、痴呆症になって町内にうわさが立つこともありますが、自分が愛する人は忘れません。自分の夫の名前もすべて忘れてしまいます。自分の母を、「お」と言って「かあ」という言葉を忘れてしまい、「かあ」という言葉がどこに行ったのか捜すのです。自分の妻の名前が金キム某ならば、「金」と言って次の言葉を捜し回るのです。忘れてしまうのです。思い出せそうで、思い出せません。

 そのようになったとしても、愛する息子よりも愛する孫は、いつでも訪ねていくことができるというのです。ですから、おじいさんの愛を受けることが幸福であり、おばあさんの愛を受けることが幸福なのです。おじいさんとおばあさんに侍ることができず、一緒に暮らすことができなかった人は、不幸な孫、孫娘であり、不幸な男性、女性なのです。

 おじいさんとおばあさんの愛を受けることができなかった人は不幸な人であり、おじいさんとおばあさんの愛を受けて暮らした孫、孫娘は人の中心として使うにふさわしい人になるのです。(「アーメン」)

 アーメンと言ったら感謝しなければならないでしょう。(「感謝します」)。「アーメン」という言葉は「み言のとおりに成されます」ということです。おじいさんの所に礼物が包んでおいてあれば、おじいさんを見てにこっと笑って、それを見て「感謝します」と言うとき、おじいさんが何と言うでしょうか? 「こいつめ」と言うでしょうか? 「感謝です」と言われたときには、その礼物をくれるのです。

 さあ、それでは、男性の前に女性がいることによって、自分が父母の前に夫婦として家庭を持つことができるのです。父と母の前に孝行の道を行くことのできる関係的相対の位置に立つのです。おじいさんとおばあさんが二人でいるのに、一人だけでよいでしょうか? 分かりますか? (「はい」)

 父と母が夫婦で暮らしているのに自分一人だけでよいでしょうか? 楽しく暮らす父母の前に、もっと楽しく暮らす息子、娘の夫婦が来てあいさつするとき、気分が良いというのです。分かりますか? 三代まで、孫までいればどれほど……。それが家庭です。三代が一緒に暮らし、四代が連結されて家庭を成すようになるとき、それが幸福な家庭なのです。

 それでは、自分の家におじいさんとおばあさんがいなければならないでしょうか、父と母がいなければならないでしょうか、自分たち夫婦がいなければならないでしょうか、息子、娘がいなければならないでしょうか? すべて必要でしょう? (「はい」)

 それが世の中において、上下関係、左右関係、前後関係、すべてが必要なのです。三段階です。このようなことを中心として、四番目というものは何かというと実であり、そこから新しい出発です。孫、三代以降から枝が出始めるので、種の中にこの三つが、上下、前後、左右が連結された家庭的土台の中で実を結ばれたものが……。これがすべてを表しているのです。

 これを見て、動機と同じように実を結んだので、この実の作用によって種が増えれば、それを蒔いて赤ん坊が生まれ、大きくなってその種と同じようにおじいさんとおばあさんになり、父と母になり、それから夫婦になって息子、娘を生むのです。そのような種ができ、一つの種から数十、数万の種が広がっていくのです。分かりますか? 上、中、下です。

 この上、中、下の上下関係の中心が空いているのです。それから左右です。左右と言いますか、右左と言いますか? 左右というのは夫婦関係ですが、反対になっています。上下と言えば順序が合い、本来、右左と言うべきですが、なぜ左右と言うのですか? 反対になっているのです。それから、前後です。後前ではなく前後が正しいのです。男性と女性が堕落したので反対になりました。上下、左右、前後です。

 高等学校を出た人は分かるでしょう。設計をするときに、点を打って、そこから線をこのように引けば球形になります。りんごのように丸くなるのです。これを半分に割って、さらに割って数えてみれば十二切れになりますが、十二切れはどの角度に合わせても合います。上弦、下弦、前弦、後弦はもちろん、右弦、左弦のどこにはめてもぴたりと当てはまるのです。相克がないので、電気を例にあげればロスがかからず、負荷がかかりません。愛によって平和がなされたところは、損害を受けないというのです。分かりますか?

 ですから、上下、左右、前後の中央の位置に神様がいらっしゃるのです。サッカーボールで言えば、サッカーボールがすべてこのようになって交差し、お互いに押し合っているのです。表面は丸くなっているのですが、いつどのように置いても九十度です。九十度の角度です。球形を成すのです。そのような球形的形態のモデルがなければなりません。神様は、そのモデルを中心として定着しようとするので、男性だけでも、女性だけでもだめなのです。

 男性と女性、凸凹が必要なのは何のためですか? (「愛のためです」)。男性と女性はほとんど同じですが、一つだけ違うのです。そのことを、生理的に否定する道理がありません。女性の所有物に自分のものは一つもありません。地があれば、地からはあらゆるものが出てきますが、地自体には何もありません。

 女性として息子、娘を育て上げますが、母親自体には何もありません。骨と肉と血だけがあるのです。そこに必要な付加条件とは何かというと……。胸は女性のものではありません。だれのものですか? 赤ん坊のものです。なぜお尻が大きいのですか? 骨盤を押し広げて出てくる赤ん坊のためではないですか? 赤ん坊が住む家があるでしょう? それを何と言うのですか? 子宮というでしょう?

 子宮は女性のものですか? 子宮は自分のものですか? 胸は自分のものですか? なぜかわいらしい顔をしているのですか? 女性が自分で見るためですか? 女性は、化粧をしながらいろいろなものを塗ります。昔は薄赤い色を塗っていましたが真っ赤な色を塗るようになり、最近では青い色を塗るようになって、まるで死んだ血のような色を塗るのです。真っ黒なものを塗りますね。(笑い)

 春の季節にはピンクに近い赤が春の園を美しく彩るのですが、これは何ですか? たたかれてあざになったような青い色を唇に塗っています。そして、最近では、死んだ色を塗るのです。真っ黒にです。それで、「これが良い」と言います。女性がすべての時代相を現すのです。

 着ている服を見れば、亡国の僕なのか、興国の僕なのか分かります。原色は何種類ですか? 三種類です。男性を見れば、白か黒いもの、そうでなければ青です。男性はそうではないですか? 反対なのです。

 女性は、まだらのあらゆるものを……。そのようにきれいな服を着た人で、部屋で昼寝するためにきれいな服を着る人を見ましたか? 休むために別荘に行けば、寝巻を着たり、動きやすい服を着るのであって、そのような所できれいな服を着る女性を見ましたか?

 さあ、風が吹くままに行ったり来たりする人が幸福な人ですか、不幸な人ですか? (「不幸な人です」)。木はどうですか? 台風が吹き荒れて激しく揺さぶられ、そのような中で生き残ろうとすれば、根が深くならなければなりません。

 枝も折れてゆらゆらすれば、自分でも気分が良いでしょう。気分が良いと同時に、根が浅くなりますか、深くなりますか? 女性たち、どうですか? 風が吹くままに歩き回れば、根が深くなりますか、浅くなりますか? (「浅くなります」)。木と人間は反対です。

 さあ、それでは、きょうは何の日だというのですか? (「世界統一国開天日です」)ええ、何ですか? (「世界統一国開天日です」)。開天といっても、水が流れていく開川ではありません。(韓国語では「天」と「川」の発音が同じ)開天しようとすれば、一人でできますか、できませんか? (「できません」)。夫婦だけでできますか、できませんか? (「できません」)。何ができるのですか? 開天節に開天することができるのは、家庭です。

 それで、「世界平和統一家庭連合」なのです。世界平和統一した家庭を集めて、連合の体制を備えなければならないということです。分かりますか? 開天節の目的は何かというと、神様の本然的愛を中心としてどこに行っても妨げるものがなくなることです。

 アメリカのすずめが春の季節に韓国に移ってきて、一週間過ぎた後に卵を産んでひなが生まれるでしょうか、生まれないでしょうか? (「生まれます」)。人種差別がありますか? (「ありません」)

 すずめはそうであり、アメリカのきじと韓国のきじは結婚しますか、しませんか? (「します」)。しますか、しませんか? (「します」)。三八度線から上の北朝鮮の鳥と韓国の鳥、また動物は行ったり来たりしませんか、しますか? (「します」)。“地雷があって爆発するかもしれない”と思い、危険を知って行ったり来たりしますか、危険なのかどうか分からずに行ったり来たりしますか? (「分からずに行ったり来たりします」)

 「以前、母親が(地雷を踏んで)死んだ。自分と同じおなかから生まれた兄弟が死んだ」と言って、それで終わるのですか? それでも行ったり来たりするのです。蛇も行ったり来たりし、いちばん嫌いな虎でも何でも、思い通りに行ったり来たりするのです。人間はどうですか? それは、だれがそのようにしたのですか? (「サタンです」)。ええ、何ですか? だれがそのようにしたのですか? (「サタンです」)

 国境線をだれがつくったのかというのです。(「サタンです」)。それを知らなければなりません。国境線がある所にはサタンがいます。怨讐がいる所には悪魔がいるということを知らなければなりません。だれが国境線を守っているのかというと、悪魔です。

 皆さんの心の中には、国境(境界)線がどのくらいありますか? 自分たちの目を中心として、良いものと悪いものを見分けることができなければなりません。良いものだけを見ることを心は願うのですが、体は悪いものを見なさいと言うのです。自分を破壊するもの、国を否定し、家庭を否定し、自分を否定するものは破壊的なので、それを見てはならないはずですが、それを見ようとするのです。

 いちばん破壊的な、危険物の中の危険物とはどのようなものですか? 爆弾は、爆発すれば一度その環境に被害をもたらすだけですが、最も恐ろしいものは間違った愛の遊びです。それは、一代だけではなく、国を滅ぼしうるのです。永遠にです。このようなことを考えるとき、人類始祖が堕落したというのは何によって堕落したのでしょうか? 愛の問題です。愛の問題なのです。

 きょうは、「世界統一国開天日」ですが、先ほど訓読したように、多くのことを経てきました。先生がそれらを越えるために苦労したのです。結論は何かというと、今、修練をしていますが、先日、清平で何をしたといううわさを聞きましたか? (「入籍祝福式です」)

 「三時代大転換四位基台入籍統一祝福式」です。すべてが含まれています。世界統一国開天日を宣布したのはオリンピックを……。これが今年のオリンピック大会です。わたしが国連に行って演説したときも、皆、価値観を放棄していましたが、今年の国連総会ではすべての国々の指導者が集まり、「価値観を設定する時になった」と言うのです。

 自分勝手に暮らし、放縦に近い生活をしていた者が全員……。それは、そのようにせざるをえません。そして、文先生が語ったことをすべて知っているのです。すべて知っています。わたしは見栄えが良くはなく、それほど大した男でもないのですが、文総裁は有名です。有名ですか、有名ではないですか? (「有名です」)。どれほど有名ですか? どれほど有名なのか知っていますか?

 わたしが何か一言、失言しただけでも、世界が騒ぎ立てるのです。今まで、わたしがこのような凸凹の話をすると、「この教主」という言葉も聞きました。それで、「最も愚かな教主」というネームバリューがつきました。

 郭錠煥会長がロンドンに行って、今日の世界で我こそはと飛び回るネームバリューをもった人を四十か国から約五百人集めて大将の振る舞いをするのですが、それは大したことだというのです。

 優秀であるという人が統一教会に来ると、顔を上げることができずに帰っていきます。ここにいる皆さんは優秀ですか? 優れていますか、愚かですか? (「愚かです」)。ここに愚かな女性たちが来て大きなことを言っています。今では、そのくらい有名なのです。

 現在アメリカでは、町内の教会ごとに統一教会の家庭連合旗を掲げる超宗教的な運動が広がっています。それから何ですか? 文総裁夫妻の写真を自分の家に掲げるのです。それから何ですか? 連合教会です。アメリカには教派が多く、宗派が多いがゆえに、家庭が破綻したのです。

 一つの家に十人いれば、十宗派、十教派の人々がいて、義父の教会、義母の教会、嫁の教会、夫の教会、息子、孫の教会と、すべて違うのです。このようにして、聖日になれば、ひそひそと、「お父さんの教会に行こう」、「おじさんの教会に行こう」と言いながら引っ張っていくのです。ですから、教会も定着することができません。

 教会も問題なのです。一か所だけに通っても定着できるかできないかなのに、歩き回りながら宣伝し、うわさを聞いてさまよい歩くので、何の財産もなく、根本もなく、のらりくらりとイナゴのようにさまよい……。そのようなことをしているのですから、家で息子、娘が育って青少年になっても関心を持つことができますか? このような牧師たちを追い出さなければならないというのです。

 また、その峠を越えれば、宗教団体を中心としてある教派が霊験あらたかだと言えば、こそこそしながらこちらに引っ張ったり、あちらに引っ張られたりして、どちらが本物なのか分かりません。分かりますか?

 ですから、家庭を中心として、青少年たちが定着すべき学校を見てもその闘いであり、社会に出ても宗教の闘いなのです。それゆえに、思想でも何でも、若い人々が一つのところに定着して自分の生き方を考え、行くべき道を築こうと考える人は一人もいなく、毎日のように奔走し、我知らず複雑なところにどんどん追い込まれていくのです。それで価値ある人になることができるでしょうか?

 最近それを知って、私が訓示したのですが、「このようですから、アメリカは間違いなく、家庭と青少年の破綻によって滅びるようになりましたか、なっていませんか?」と言うと、全員が「そのようになりました」と言うのです。「そのようにならない道を教えてあげましょうか?」と言うと、「教えてください」と言うのです。

 すべての教派闘争を撤廃しなさい 拍手しなければならないでしょう。(拍手)それから、宗派闘争を撤廃しなさい。 (「アーメン」)。(拍手)人種闘争を撤廃しなさい。 (「アーメン」)。(拍手)主義闘争を撤廃しなさい。 (「アーメン」)。(拍手)

 闘わずに一つにする、そのような本質的で、方向的で、目的的な存在はお一人だけいらっしゃり、千年前も一万年後でも同じでありつづけることのできる主人がいらっしゃるのですが、その主人とはだれですか? “一人しかいない王”という意味で“ハナニム(神様)”しかいません。ノーメン。(「アーメン」)。(拍手)

 すべては神様が分からないため、そうなっているのです。神様が分かるようになるときには、教派闘争が停止し、宗派闘争が停止し、人種闘争が停止し、文化格差がなくなり、闘争というものはなくなり、国境はなくなるのです。(「アーメン」)。(拍手)

 さあ、きょうの総結論を下しましょう。神様が必要であるということを考えてみた人……。ここにいる人は皆、知っているでしょう。神様を知らない人、手を挙げてください。神様を知っている人、手を挙げてください。分かりますか?

 男性にとって、神様は女性よりも貴いですか、貴くないですか? (「貴いです」)。女性にとっては、男性よりも貴いですか、貴くないですか? (「貴いです」)。なぜですか? どうしてですか?

 神様は男性が生まれることができる父親であり、女性が生まれることができる父親なのです。いくら息子、娘が貴いと誇っても、父親がいなければ息子、娘は存在できません。分かりますか? いくら「息子、娘が良い」と言っても、父親が生まれた後でこそ、息子、娘が生まれるので、息子、娘よりももっと貴いのです。

 ですから、男性は女性よりも、女性は男性よりも神様がもっと好きでなければなりません。そうですか、そうではないですか? (「そうです」)。このことは、すべて整理されましたか? (「はい」)

 それでは、どのくらい好きですか? また、息子、娘を中心として、神様は息子、娘の何を好まれるのですか? 男性の前に女性が一つになることです。分かりますか? 女性の前に何ですか? 男性が一つになることです。何によってですか? 手段によってですか? お金によってですか? 知識によってですか? 権力によってですか? 強制的にですか? 何によって一つになることを願うのですか?

 自然的、自然にです。そこでは、強制は通じません。自然にです。朝、太陽の光がさせば、眠っていたすべての山川草木の芽までも太陽の光を歓迎するのです。枝や木はもちろんですが、葉や芽までもすべて……。

 神様の願いは何でしょうか? 神様はどのようなおかたでしょうか? 父母の中の父母であり、それから師の中の師であり、それから何ですか? 主人の中の主人です。(「王の中の王です」)。そうです、王の中の王です。(ですから)主人の中の主人ではないですか?

 神様は、そのようなおかたです。それでは、神様というおかたは、どのように暮らされたいでしょうか? 父母の中の父母として暮らしたいと思われ、師の中の師として暮らしたいと思われ、王の中の王として暮らしたいと思われるのです。

 それでは、その神様とはだれですか? 人類のだれですか? お父様というおかたです。そのお父様が息子、娘を生み、「神様の家庭をつくろう」と言われるのです。そうですか? それは間違いないでしょう? 神様の家庭をつくり、心の底から心全体まで、どこでも自由に通じるのです。体の底からどこでも自由に通じるのです。

 それで、男性の神様、女性の神様、男性である息子、女性である娘が愛を中心として、孫と孫娘まで縦的に編成して家庭をつくろうというのです。それは、大ざっぱな計算でできたでしょうか、公式的にできたでしょうか? (「公式的にできました」)

 ですから、愛には秩序があります。第一段階、二段階、三段階、四段階、五段階、六段階、七段階、八段階の公式的な道があるのです。ソウルに訪ねていこうとすれば、一番の直短距離の道は二つありますか、一つありますか? (「一つです」)。一つしかありません。愛は直短距離を通るのです。

 レバレンド・ムーンが最も苦労したことは何でしょうか? 真理の本宮を訪ねていかなければならないのですが、その真理の本宮とは理想的な本宮のことを意味するのです。では、人間にとって理想とは何でしょうか?

 お金ですか? 神様はお金をつくることができます。知識は、全知全能であられるので知識の王です。全能であられる神様なので権力の王です。神様は、必要なものはいつでもつくることができます。

 しかし、神様お一人ではつくることができないものとは何でしょうか? 愛というものです。分かりますか? (「はい」)。お一人でつくることができないものが何だというのですか? (「愛です」)。絶対愛という言葉は、相対関係を備えなければ、授け受け……。授け受けするものの中でも最高であり、最高であると同時に唯一であり、不変、永遠の授受というものは、一人ではできません。絶対、唯一、不変、永遠であることのできる相対が、神様に合わせることのできる資格者とならなければなりません。

 愛の相対として自分よりも劣る相対を願う、そのような男性や女性がいますか? (「いません」)。自分の相対は、自分よりも何百倍、何千倍、何千倍で終わりません、何億万倍です。

 そうだからといって、愛の相対が「ああ、かわいそうだ」と痛哭するでしょうか、うれしいと言うでしょうか? 「おお、よしよし、わたしの愛する人よ」と言いながら踊りを踊って喜ぶところにおいては、千里万里を越えに越えて、さらに喜ぶことのできる道を行くことができるのです。分かりますか? (「はい」)

 それでは、神様の目に愛が見えるでしょうか、見えないでしょうか? それを考えてみましたか? 神様ご自身が愛されるとき、神様の目に愛が空気や火のように現れるでしょうか? どうでしょうか? (「見えません」)。息子が現れてこそ、息子が見えてこそ、息子の愛を捜し出すことができるのです。そうではないですか? 娘が見えてこそ、娘の愛を捜し出すことができ、自分の相対が……。

​ 神様も男性格主体であられるので、男性に似ていらっしゃるでしょうか、似ていらっしゃらないでしょうか? (「似ていらっしゃいます」)。それでは、神様が男性格主体であられるならば、女性格主体がなくてよいでしょうか? 最近では、 天の父母 という言葉を言うのですが、……。​

 今まで天主教(カトリック)では、独身生活をしていますが、夫婦生活をしなければ、すべてなくなってしまうのです。それは、天地合徳時代になったからです。天地の調和が花咲くときに、花が咲かなければ種がなくなって枯れてしまいます。なくなるというのです。

 さあ、そのように考えるとき、神様において、最も見たいと思われるものとは何でしょうか? おじいさんとおばあさん、国があればその国の王と王妃が愛し合うのを見たいと思われたでしょうか、見たいと思われなかったでしょうか? (「見たいと思われました」)

 国の王と王妃が愛し合うことのできる位置は、まずだれが先に始めなければならないでしょうか? アダム・エバが先でなければならないでしょうか、神様が先でなければならないでしょうか? (「神様です」)。愛の主人はアダムではありません。(それは)神様なので、根であられる神様に根となる夫婦の内縁がなければならない、という論理が天地の道理です。

 ですから、すべての存在世界の実情は、ペアシステムになっているのです。宇宙の出発の起源は何でしょうか? 雄と雌の概念から始まりました。分かりますか? それゆえに、雌として雄を追求せず、雄として雌を慕い求めない存在はないのです。ですから、お釈迦様までもどうだと言うのですか? 女性の話をすれば、笑うと言うでしょう? 文総裁はどうですか?

 最近、世の中では「過ぎていった聖人よりも、生きている聖人といえば文総裁しかいない」と言うのですが、皆さんはそのように信じますか? (「はい」)。わたしは、アメリカでそのような話をたくさん聞きました。

 生きている聖人は、目が二つでしょうか、三つでしょうか? (「二つです」)。わたしも目が二つですが、皆さんはどうですか? 同じですが、皆さんはどうですか? 聖人になることができますか、できませんか? できますか、できませんか? (「できます」)。真の父になることができますか、できませんか? 真の母になることができますか、できませんか? (「できます」)

 ところが、なぜなっていないのですか? 方法は知っているのに、そのようにしないので、なることができないのです。分かりますか? 皆、分かるでしょう? 真の父母になる方法を知っていますか、知りませんか? (「知っています」)。知らない人は手を挙げてみてください。あれほど、真の父母は何であるかということを数万回聞いたでしょう? 耳にたこができるほどです。真の父母とはだれですか? “わたし”のお父さんとお母さんです。一度言ってみてください。真の父母はだれですか? (「わたしのお父さんとお母さんです」)

 あなたたちを生んでくれたお父さんとお母さんは何ですか? あなたたちを生んでくれたお父さんとお母さんは何かというのです。(「偽りの父母です」)。偽りの父母です。なぜ偽りの父母ですか? 僕の血を受けたというのです。僕とくっついたので下女になりました。分かりますか?

 真の父母とは何かというと、天の皇室を中心として天の国の血筋を受け継いでいるのです。それでは、その血筋を中心として、その血を買って自分の血と取り替えれば血筋が変わるのですか? O型の血を買って入れ替えても、変わりません。骨と血と肉が一つになっています。

 それを取り替えようとすれば、死ななければなりません。なくしてしまわなければなりません。なくしてしまえば、(新しくまた)生じるところがありますか? 何を中心としてこれを改造しなければなりませんか? 根本となる愛です。偽りの愛によって始まったものを打ちのめし、真の愛を中心として……。

 六千年、何万年たったこの古びた体は、偽りのオリーブの木と同じです。下を切って芽が出ないようにして、真のオリーブの木の枝を接ぎ木したり芽接ぎをして、これが出てこなくなれば、ここからあっという間に大きな木が出てくるのです。分かりますか? (「はい」)

 それゆえに、あなたたちを生んでくれたお父さんとお母さんは何ですか? (「偽りの父母です」)。なぜ偽りと言うのですか? 堕落した血筋だからです。堕落した父母とはだれかというと、神様の愛の姦夫です。天使長がエバを蹂躙し、根であるアダムまで抜いてしまい、偽りのオリーブの木をつくってしまったのです。

 ですから、神様が宗教を立てて、この偽りのオリーブの木の畑の半分以上を神側にしようということです。それが半分以上にさえなれば、よいのです。そして、半分以上になれば、そこに真のオリーブの木……。

 それゆえに、キリスト教文化圏が半分以上になれば……。イエス様も言ったでしょう? 自分の名前が全天下に広がれば主が来られるということと同じように、偽りのオリーブの木の畑の主人が偽りのオリーブの木を愛し保護する以上に、真のオリーブの木の畑の主人が真のオリーブの木を二十四時間愛すれば、偽りのオリーブの木がその主人に対して恨みを抱き、「この主人を捕まえろ。何が何でもあの真のオリーブの木の主人の懐に帰りたい」と言って……。

 人には比較する知能があるので、偽りのオリーブの木よりも真のオリーブの木のほうが価値をもつようになれば、それと入れ替わろうとするので、自分の環境を捨てて他の世界に移っていくことができるのです。比較してより価値のあるものを求めていくのです。

 統一教会においても、偽りの父母と真の父母を中心としてそれを比較してみれば、その暮らしにしても、何をするにしても、理想的な生活環境を見ても、すべて真の父母が勝り、神様に対しても、地獄に対しても、天国に対しても明確に分かるので、ここに接ぎ木されなければならないということが、見なくても、考えなくても完全に分かるのです。

 ですから、しかたなく切ってしまわなければなりません。切ってしまうことによって、(偽りの)父と母の血筋を断ち切ってしまい、その国の血筋を断ち切ってしまい、国境がたくさんある取るに足らない血筋を断ち切ってしまうのです。

 そのようにして、統一され神様の血筋に接ぎ木して、地獄にいた人々を統一教会の新しい天国に解放して連れていき、解放された天の国の一族をつくるということが統一教会員たちの一大所願なのです。(「アーメン」)。(拍手)

 昔から多くの宗教が総結論をどのように下していたのかというと、国を捨て、家庭を捨てて出ていきなさいという出家の命令をしていたのです。「それは偽物なので、偽物を捨てて、地獄を捨てて、百八十度反対である神様の懐に帰ってきなさい」ということです。

 ですから、世の中を捨てて出家し、最後は何まで断ち切ってしまうのかというと、血筋です。おじいさん、父と母から自分の体の中にサタンの血が連結されており、それを歴史に残してはいけないので、それを一代で終わらせるために独身生活を強調したということを知らなければなりません。分かりますか?

 神様が宗教に対して注視される中心的な観点はどのようなことだったでしょうか? 国を捨てて出家し、男性が世の中の人と同じように女性と暮らしてはならず、女性も世の中の人のように男性と暮らすことはできません。神様が最も見ることを嫌われ、天宙を破壊した行動を再び受け継ぐのではなく、断ち切ってしまうのです。

 いつまでですか? いつまでなのですか? この人類が汚したものをすべて清算し……。真なる宗教を通して真の父母が生まれ、天下に宗教統一を完成することができる内容をもって来るときまで、それを継続するのです。ですから、天主教もそうであり、仏教も、仏教の尼僧も、すべてそのように生きていくのです。終わりの日になったので……。

 終わりの日とは何かというと……。(人類歴史は)祝福家庭を成すことができない歴史になったのです。神様は家庭を成すことができませんでした。神様はわたしたちの先祖の中の先祖ですが、家庭を持つことができず、人類の真なる父母が結婚できなかったのです。その代わりに堕落した悪なる父の後孫たちが結婚して暮らすようになったというのです。

 神様は、このようにひっくり返ってしまった世界を救おうとされ、嘆息と悲痛な歴史を経てきましたが、それだけでは終わらず、兄弟同士で殺戮戦を展開しながら今まで歴史は発展してきたということが今日の世界的な実情であることは間違いありません。そうですか、そうではありませんか? (「そうです」)

 それで、統一教会を信じる人々はすべて追い出されたのです。今は、統一教会が世界化されたので歓迎されるようになりました。アメリカでは、旧教でも何でも、宗教という団体はすべて連合して、「統一教会の旗を掲げよう」と言っているのです。先ほどわたしが話したとおり、教育をして各教派がそのようになりました。

 青少年を教育する時間がたくさん必要なのです。おじいさん時代からおばあさん、お父さん、八代の堕落圏を越えるために、民族と全体を愛して境界線をなくすようにしなければならないのです。

 まず先に、だれから真の結婚生活をして息子、娘を生み……。八段階の愛の主人のモデル型の基盤をすべて失ってしまったので、その息子、娘がそのことを学んで天の国に直通することのできる道を築き、自分の後孫が行くことのできる道を開いてあげ、これは切ってしまうというのです。分かりますか? 入籍修練会で終わるのです。

 これからは南北統一です。南北統一ができていないので先生は……。今ではもう南北がわたしの言うことを聞かなくてもかまいません。先生は、天の国の主権を立てることのできる能力があり、天の国の祝福家庭によって天の国の民の家庭をつくることのできる能力があるのです。分かりますか?

 神様が治めることのできる天の国の主権と天の国の家庭的民の数が数億を超えました。人類の半分の家庭を超えることのできる基盤を築いたので、ここで入籍が始まるのです。国が必要です。それが祖国光復です。真のご父母様が生まれた祖国が神様の祖国を成すことのできる出発の基準になることを願ってきたのですが、今まで四十年……。(録音が一部途切れる)

 そして韓国は、そこに反対し、統一教会の文先生に反対して、追い出せば滅びると思ったのに、自分たちが滅びるようになりました。国の主権が八代を過ぎるまでにあらゆることが起きました。全斗煥の時からが問題なのです。この者たち。盧泰愚、金キム泳三サム、この三代を中心として、国のすべてを完全にまきあげられて問題になったのです。それを保護したのが文総裁です。

 それで今は、どのような時かというと、宗教がしてきた過去の個人的接ぎ木時代が過ぎ去り、今の時は……。旧約とは何ですか? 神様の愛を中心として家庭定着することができませんでした。分かりますか? 旧約は、結婚式ができなかったのです。アダム・エバが神様のように一つの体になり……。

 その堕落以降の旧約は、メシヤを送ってこれを再び修復するためのものです。四千年間、メシヤが来ることを約束し、イエス様の家庭になることができ、氏族になることができ、民族、国家になることができるところを……。サタン世界が国家(基準)なので、サタン世界の国家を越えれば神様がともにある中心国家が生まれるのです。数百の国家があるとしても、サタン世界はこの中心国家という鉄槌を倒すことはできません。

 しがみついて、どのようにしたとしても自分たちが壊れるようになっているのであって、天の中心家庭は壊れないのです。ぶつかればぶつかるほど、天の国が吸収するようになっているのであって、壊れる道理がありません。

 今から、南北統一されれば、統一教会の文先生のみ言を中心として南北統一されたその国は、いくらぶつかっても壊れません。なぜですか? 壊れるのをすべて防ぐことができます。壊れない内容を知っているのです。知らないから壊れるのであって、教えてあげれば、防備することのできる内容が目の前に明確になります。

 五千人であれ、五万人であれ、五十万人であれ、五千万人であれ、五億人であれ、全員がその道を行くのです。朝日が昇ってくるのに、「夜が良い」と言って朝日に背を向けて夜を訪ねていきますか? それは、ありえないというのです。

 それゆえに、今から何かというと、家庭を接ぎ木して国家を乗り越え……。天でも地でも、すべて祝福してあげて家庭に接ぎ木したでしょう? 皆さんは十四代の先祖まで祝福したでしょう? 二十一代まで終えれば、世の中は平準化されるのです。それ以上は、死ぬなら死に、やめるならやめ、関係ないというのです。分かりますか?そして、霊界にいる先祖、聖人たち、イエス様、孔子、釈迦、マホメット、ソクラテス、この有名な人たちをわたしが全員、祝福してあげました。

 祝福とは何ですか? 男性一人だけでは天国に入ることはできません。家庭が入っていくようになっているのが天国です。分かりますか? 天国とは何ですか? 家庭が入っていくのが天国なのです。

 イエス様も、天国のモデル基盤にパスできなかったので楽園にいます。天国の待合室で二千年間待ち、あらゆる屈辱を受けました。イスラエル民族が滅んでしまい……。イエス様が結婚して一族が一つになっていれば、天下が統一される起源が開かれたのですが、祭司長と選民たちが反対することによって、その六百年後にイスラム教が現れて占領してしまったのです。

 中東に十二支派が分派して、すべてがイスラム教……。マホメットがそうです。これはサタン側の宗教だというのです。物質を中心とした外的な問題を中心として、力と暴力で……。それが最も問題であり、アメリカにおいてイスラム教を中心とした黒人の勢力が強いのです。アメリカや自由世界を破壊することができ、共産世界と一つになって世界に問題が起きるので、しかたなく先生は消化運動をしているのです。

 今、ワシントンで百万家庭の行進を中心としてわたしが指揮をしています。それで、他の宗教とともに、キリスト教の怨讐のような宗教であるにもかかわらず、兄弟よりもっと近い兄弟……。派が争っている中で、自分たちがそれを解決しようと努力するより以上に、わたしがもっと協助し、それを一つにすることができるように投入しているのです。

 こうして先生は、怨讐の教派が世界的に発展しようとするのを協助しているのです。三つの教派を協助し、四つの教派を協助し、十二の教派さえ協助すれば、すべて終わるのです。そのような準備をしながら、世界の超宗教的な教団を通した祝福までしてきました。

 超共産主義、超民主主義、貴族の息子、娘、その骨髄の息子、娘まで祝福圏内にすべて入れました。それは簡単なことですか、難しいことですか? 何によってするのですか? 先生が手段や方法を通してするのですか? み言を通してするのです。

 そのみ言には天が共にあるので、み言の量にしたがって霊的な発展をすることによって、神様が分かるようになり、天の国の定義を完全に分かるようになるのです。ですから、「来るな」と言っても……。皆さんは、すべて教えてもらっているでしょう? そうですか、そうではないですか? (「そうです」)

 ですから、地の果てにいる宣教師たちは、先生がいなくても、今もその地の果てで教育を受け、指示を受けて活動しながら開拓しているのです。統一教会でしているこのような活動は、歴史上初めて地上に現れたのです。分かりますか? (「はい」)

 では、何千年前に死んだ聖人と統一教会の教会員が結婚式をしましたか、していませんか? (「しました」)。イエス様を結婚させましたか、させていませんか? (「させました」)。今、アメリカのベルベディアでイエス様が生活していますか、いませんか? (「しています」)。

 すべての宗団長を集めて、自分たちの宗主が統一教会の文総裁から天国に入っていくことのできる特許権を受けたので、その特許権を再び公認される再祝福のサインさえあれば天国に入っていくことができるのです。ですから、「やめなさい」と言っても、分かる人たちはそれを受けたいと思い、どんどんと列が長くなるのです。

 歴史以来、霊界で願う配給をもらったとしても、地上で最も願うもので、これ以上のものはありません。何千万年、待ったのです。ここに解放の天国の門を開き、入ることのできる資格証を上げるというので、死んでいるのか生きているのかも分からないほど多くの人々の心に火がついて、統一教会の門が破裂しそうです。

 ここに、愚かな人たちが集まりましたか、優れた人たちが集まりましたか? 愚かな人ですが、ハーバード大学に幼稚園児が行けば愚かな人のようですが、そのまま出れば優れた人になるのです。統一教会の人たちは愚かだと皆が反対しましたが、それは知らないからそのようにするのであって、知れば問題の大きい教会なのです。分かりますか?

 どのような問題ですか? 神様まで解放しようというのです。そのような宗教を見ましたか? 神様から福を受けようという男性、女性たちはたくさんいますが、「神様をわたしの手で解放し、王宮を建てて王子の職位を守る」と言うのです。どうですか?

 今、神様が死んでいるではないですか? 「神様は死んだ」と言うのですが、それを見つめながら行動できない神様は、どれほど悲惨ですか?この大宇宙をつくられたその主人であられるおかたが……。分かりますか?

 今、皆さんは、清平で三時代の入籍です。三時代とは旧約時代、新約時代、成約時代です。三時代を大転換するのです。完全にひっくり返しなさいというのです。何によってですか? 旧約時代に真の父母がおらず、新約時代にも真の父母がおられませんでした。成約時代に真の父母が定着し、解放の入籍を行うことができるようにするためには、サタン世界の人間をすべて屈伏させなければなりません。そして、そのうえで支持を得て、障害なく上がっていかなければなりません。その前に解放天国を成すことはできません。そのときまで働き、そしてそれがすべて終わったので大転換式を行うのです。

 再臨主とは何ですか? サタン世界で言えば、最後の人間です。最後の人間。それですべての先祖が……。霊界に行った先祖たちが協助を受けようとすれば、後代の人々が精誠を尽くしてあげなければなりません。霊界にいる先祖たちは天使長の位置であり、地上にいる者はアダムの位置なので、天使世界にいる霊たちはいくらでも地上を協助しなければならないのです。

 ところが、地上でアダム完成を成すことができなかったので、血筋がひっくり返ってしまいました。このことが問題です。ですから、地上の後孫たちが天使世界を救うためには、反対に協助してあげなければなりません。祈祷してあげなければならないのです。

 しかし今、そのような復帰時代は過ぎ去り、先祖が後孫を引っ張っていくことができるのです。今までは、天使世界がそのような立場で利用すれば、地獄に行きました。強制的に引っ張って地獄に行くようになりましたが、今では強制的に引っ張って天国に行く時になったのです。分かりますか? (「はい」)。天国に連れていく時が来ました。

 それゆえに、今回、入籍した祝福家庭の皆さんは、金キム氏なら金氏夫婦はアダム完成者です。堕落する前、第四次アダム圏内に入ってきたので、解放……。天下に障害なく、サタンの痕跡のない解放的天国に入籍したので、霊界にいる祝福を受けた先祖たちは、金氏なら金氏の後孫で入籍した人のところに降りてきて協助しようとするのです。

 ここで先鋒の位置に立って、それを整備しなければならない責任の遂行が待っているということを知らなければなりません。分かりますか? (「はい」)。分かったら拍手してください。(拍手)

 エジプトのイスラエル民族は、四百三十年目に神様の還故郷の命令を受けて、祖国光復のために出エジプトをして国を建てようとしましたが、失敗しました。メシヤとともに国を建てることができませんでした。

 しかし、今日の統一教会員は、四十年を中心として家庭的荒野の受難の道を行きましたが、祝福家庭を率いて地上天上天国の王圏を樹立したのです。分かりますか? (「はい」)。統一教会の祝福家庭は、どこに行っても迫害を受けました。どこに行ってもつばを吐かれ、縛られ、ありとあらゆる屈辱を受けました。歴史以来、神様が非難を受けたすべてのことを、統一教会がこの地球上の数多くの民族を通して条件的にでも蕩減しなければ、越えることができません。

 その中心の位置で、文総裁はそのすべての条件を清算してしまわなければなりません。個人で清算し、家庭的に、氏族、民族、国家、世界、そのサタンの頭をすべて自然屈伏させなければなりません。愛することによってです。分かりますか? 怨讐を愛すれば国境はなくなります。

 ですから、先生は監獄に行っても国境(境界)を考えず、わたしの行く道においては、監獄の国境もわたしを制御することはできないということです。ありとあらゆることをしました。机の四本の脚を抜いてたたいても、その机の脚が折れてしまうのであって、わたしの骨は折れませんでした。強い人なのです。分かりますか? 今でも丈夫でしょう? (「はい」)

 きょう、今ここで相撲をとっても、わたしが三分の一の人はひっくり返すことができます。(笑い)だからといって、一度に列をなしてするのではなく、年齢別に代表してすれば間違いないというのです。

 数十年前に統一教会の信者を集めて漢江の川辺に行き、「わたしに勝てる人は出てきなさい」と言ったとき、出てきて皆、わたしに負けたでしょう? 負けましたか、勝ちましたか? (「負けました」)。わたしは勝ったことはないと思いますが? (笑い)相撲をしても、運動をしても、釣りをしても、何をしても……。一日中、連れ回して投網打ちばかりするので、「先生の足が折れたらよいのに」とまで言った人がいるという話を聞きました。(笑い)

 一日中会いたくて、一年ぶりに、二年ぶりに来て先生に会えば、聞きたくない話も聞き、悪口でも一言、言ってくれれば解怨されると思うのに、一日中釣りをし、投網打ち……。一日中するのです。どれほどおなかがすき、どれほど疲れるでしょうか? 一度、自分で投網を持っていこうとしても十メートルも行くことができないほど重いものを使って一日中するのですから、力も強いでしょう?

 女性たちは、もちろん同情もしますが、後で「ええい、足でも折れればよいのに」と言うかもしれません。(笑い)ですから、わたしは女性から悪口をたくさん言われ、「理解してくれない」と悪口を言われ、あらゆることをされたのです。

 この女性というやっかい者が、どれほどわたしを困らせたか分かりません。そうなのです。そうですか、そうではないですか、女性たち? (「そうです」)

 大転換四位基台。四位基台を知っているでしょう? 入籍統一祝福式です。すべてが完了します。今やサタン圏は屈伏するのです。ルーシェルは、神様と真のご父母様と人類に降伏しました。問題は、その残兵たちです。それをどのように処理するのですか?

 すでに霊界大祝福以降にサタンまで屈伏したのですが、その敗残兵が問題なのです。敗残兵を整理するために、聖子たちが持っている宗教圏の三分の一を祝福しました。その三分の一が地上に降りてきて一つになることによって、家庭の周囲にいるすべての手下を追放してしまうのです。

 今からそのように理解してください。周辺に数多くの先祖たちが来て自分の囲いになるのです。今までの宗教圏を中心として、地上の自分の特別な宗教団体に降りてきて協助することができるのです。上下が一つになり、左右が一つになり、前後が一つになるのです。皆さんの決心いかんによって、環境条件は整備されます。ですから、信じて命令すれば、サタンの残兵たちはすべて退いていくのです。分かりますか? (「はい」)

 大胆に、強く雄々しくあれ、というのです。天下にわたしたちを妨げる者はいないので、わたしたちに勝利できる者はいません。理論ならば理論的に、力ならば力、体制なら体制を備えた訓練が、世界のいかなる国より……。

 アメリカ国務省も、アメリカ国防総省も、わたしたちを凌駕することはできません。訓練したのです。一年に百十三回、他の国が二年かかってすることを一週間に二度ずつして十分にやってのけました。統一教会には、そのような組織力があるのです。分かりますか? (「はい」)

 そこに及ばない自ら自身を初めて知ったのなら、そのまま追い込みなさいというのです。そのような位置の基準に到達しなければなりません。エバの国……。母親は、何回も死んで、骨までも削って子女たちを育てることができるように食べさせて、生かさなければなりません。分かりますね? (「はい」)

 それでは、神様と真の父母とは、だれですか? 真の父母とはだれですか? 天のお父様です。真の父母というよりもお父様です。分かりますか? 真の父母の血が、神様の血がわたしの心に入っていて、神様のみ言と真の父母のみ言は「最も貴いものは真の愛だ」ということであるがゆえに、真の愛という言葉を聞けば、体が大きくもなり、小さくもなるのです。

 喜んで大きくもなり、神様のことを思えば悲しくて小さくもなるということです。どこに行っても拍子を合わせられないものがない、という人にならなければ、神様と真の父母の血筋を受け継いだ直系の息子、娘になることはできますか、できませんか? (「できません」)。できますか、できませんか? (「できません」)

 それでは、「できない」と言うことのできる人になりますか、「できる」と言うことのできる人になりますか? (「できない」と言える人です」)。「できない」と言うことのできる人になろうと決心する人は両手を挙げてください。わわわわ。拍手しましょう。(拍手)どれだけ美しいか写真を撮ってください。

 神様は、わたしたちのだれだというのですか? 真の父母であり、真の師であり、真の王です。アダムとエバが堕落しなければ、アダムの一生において何をするのかというと、真の父と母の役割をするのです。

 それから祝福をして、国が行くべき道を代身して代を受け継ぐようにし、それからアダムは何かというと、師の責任を果たし、それから王の責任を果たすのです。国を導くことのできる立場に立ち、地上天上天国の道理を明らかにする生活をしなければなりません。

 縦的な真の父母であられる神様と横的な真の父母であるアダムが一つになり、一生を通して真なる父母の道を見せてあげ、真なる師の道を見せてあげ、真なる王となる道をアダムの一代において見せてあげていたならば、その後孫たちは、そっくりそのままその伝統を受け継ぎ、アダムが見せてくれた家庭完成、国家完成、天宙完成、ために生きる道理の道が歴史的伝統としてこの地上に現れていたはずです。ところが、堕落によってすべてが失われてしまったのです。

 ですから、先生がこのことをしなければなりません。生まれて成長すれば、家庭完成しなければならず、国を取り戻さなければならず、世界……。言い換えれば、長子権復帰、父母権復帰、王圏復帰の責任をアダム一代において完成できなかったことを、数千万年の歴史を通じてこれを合わせて神様の前に納品するのです。アダムだけを納品することはできません。

 旧約時代に失敗したことを修復しなければならず、新約時代の失敗、成約時代に失敗したことを……。旧約は万物をサタンと分け合って所有しました。天は十分の一です。それは無念なことなのです。イエス様は、一から始めてすべて分かれてしまいました。

 真の父母は、家庭理想を中心として、すべて崩れてしまいました。大韓民国の民族が分かれたことも、既成教会の旧教と新教が先生を迎えて侍ることができなかったことによるのです。それゆえに、先生の家庭も壊れていき、聖進の母親を中心として一つになることができるはずだったものが、すべて壊れてしまったのです。

 家庭も壊れていき、息子、娘も壊れ、離婚という悲惨な歴史を再び復帰しなければならないという……。それを再び取り戻し、十四年目に新しいお母様を立てて、四十年間の歴史を経て蕩減してきたのです。九五年までです。分かりますか?

 六〇年を中心とした四十年間を中心として、家庭的蕩減路程を抜け、地上天上天国……。モーセが八十歳で出発したのと同じように、先生の代でも八十歳代を中心として、分かれたすべての地上世界と天上世界を整理し、今からは行く道の前にサタンの反対もなく、ジグザグもなく、カーブもなく、完全に高速道路として一方通行で行くことができるのです。皆さんは、そのような観を持っています。

 個人がどのように完成し、家庭がどのように完成し、氏族と民族、国家がどのように完成し、世界がどのように完成し、神様がどのようにして王の王となられるのでしょうか? 解放された千年万年の太平、盛大の時代における愛の主権の前に、愛の父母となり、愛の師となり、愛の王となり、愛の王の位置に立ち、個人的にできなかったことを天地全体を代表して、そのような価値をもった位置に立ててさしあげるのです。

 そのことによって、そこで初めて神様の埋められた歴代の恨を越えて、解放された愛の勝利の王となられ、夫婦の代身、師の代身として、すべてのものを完成して初めて、そこで解放され、安息され、千年万年、永遠に永続する解放の地上天上天国が永遠に定着するのです。アーメン。(「アーメン」)

 それゆえに、アダムが家庭を通して真の父母となって、国を建て、国を建てることを教え、天地を立てることを教えてくれるのです。この真なる父母、真なる師、真なる王の位置をすべて見せることができなかったので、来られる主はこの三大使命である長子権、父母権、王圏を一代で整備し、地上天上天国を成し遂げ、兄弟とともに列をなして天国に入っていくのです。

 そして、神様をお迎えし、天の国の建国を中心として、皇族とその権限を中心として、この万世、万宇宙、万物まで共に和合しながら、愛の主権の懐に抱かれ、永遠の福楽を享受することのできる解放された民族が暮らす所が地上天上天国だったのです。アーメン。(「アーメン」)

 金日成の三大主体思想は、何ですか? 自主性、創造性、意識性です。それを三大主体思想と言うのです。しかし、それは人間を中心とした思想的内容であって、血統を中心とした愛の内容ではありません。それは過ぎ去っていくのです。分かりますか?

 この永遠不変の真の愛を中心とした、真なる父母、真なる師、真なる王の位置をアダムとエバが相続することができませんでした。ですから、真の父母が来て長子権復帰するためのものが、共産世界と民主世界です。唯心論と無神論であり、それから国家時代を中心として南北に分かれているものです。これらを統一するのです。国のためにです。この峠を越えていくのです。

 それから、国連を通して世界天国、天上天国の天国民となることのできる道をすべて示してあげました。この国さえ一度に……。国が受け入れなければ、以北や南韓は切ってしまうのです。わたしは、韓国(韓半島)で生まれたということも言わないでしょう。韓国の代わりの国をすべて準備しているのです。分かりますか?

 ですから、文総裁が与えたすべてのものを、この国が受けることができなければ、国連に行って、さっとつくり……。今、この十月から教育が始まるのです。

 超宗教超国家連合は、神様を意味するのです。宗教を超越し、国家を超越するのです。超宗教超国家連合の唯一的な統一思想を中心として、国連の名とともに教育します。国連の名で「教育を受けなさい」という命令が来るのです。分かりますか?

 そのとき、あなたたちは、世界のどこにでも行くことができるように国境を解体してしまわなければなりません。国境がない……。祝福家庭は、どこにいてもその場所で教育しなければなりません。十か国か、二十か国を集めて教育してみなさい。すべて溶けて一つになります。

 そのような解放の世界のために、前進する、そのための準備の日を十二年前に立てたのですが、それを実践することができる定着の時代を迎えたことを感謝する時間が、開天節を祝賀するきょうのこの日だったのです。アーメン。(「アーメン」)

 「わたしは真の父母にならなければなりません」。言ってみてください。(「わたしは真の父母にならなければなりません」)。さらに、「わたしは真の師にならなければなりません」(「わたしは真の師にならなければなりません」)。「わたしは真の王にならなければなりません」(「わたしは真の王にならなければなりません」)

 天の皇族の継承者であり、師の継承者であり、真の父母の継承者が“わたし”なのです。天下にだれも妨げる者はいません。分かりますか? 神様の直系であり、アダムとエバの直系の息子、娘なので、わたしたちが行く道には天上天下のどこにも妨げる壁はなく、自由解放天国を率いて暮らさなければなりません。

 その主人の歴史を皆さんの環境に残して、環境さえ消化すればよいのです。国家的メシヤです。分かりますか? 家庭的メシヤ、氏族的メシヤ、国家的メシヤの三段階さえすれば……。今ではもう、国家的メシヤも定着して暮らしているので、家庭的メシヤになることによって、金氏なら金氏一族が祝福を受けていなければ……。

 年を取った人はやめてください。五十以上の人や結婚している人はやめて、若い人をつかまえて「三日だけ教育を受けなさい」と言うのです。(教育をしておいて)「祝福を受けますか?」と言えば、全員「受けます」と答えるのです。

 強制するのではありません。耳で聞こえ、目で見ることができるのなら、「見てみなさい」と言うのです。鼻でにおいをかぐことができ、手で触ることができるのなら、「触ってみなさい」と言うのです。間違いなく、統一教会の夫婦がりっぱであり、統一教会の家庭制度がりっぱであり、統一教会の理想が神聖なのです。神聖なものに従っていくべき人生の本性的な本能がある限り行かざるをえないので、だれもがその道を行って天の国にすべて帰属することができるということを知らなければなりません。万民救援です。それで、宗教がなくなります。宗教が必要ありません。生きている間に大きなオリンピックをするのです。

 今回のシドニー・オリンピックのマラソンで韓国人が勝つと言っていたのに負けてしまったのですね。何ですか? 二十四位ですか? ビリと同じことです。気分が悪いです。わたしが走れば、二十四位よりもっと早く走るかもしれません。(笑い)

 わたしはこのことを悔しく思いました。わたしが統一教会の人たちにマラソンの訓練をすれば、三分の一の人は、世界の人々の中で賞を取ってくるかもしれません。そうではないですか? それで、ブラジルにサッカーチームを二つつくりました。それを誇るのです。それからヨーロッパに二チーム、ロシアに二チーム、アフリカに二チームです。六大州にそれぞれ二チームずつつくって十二チームを持てば、世界のどこでもチャンピオンをつくることができます。このような準備をしているのです。分かりますか? (「はい」)

 それだけではありません。学術世界もわたしたちに残っています。一九四五年から六十年を過ぎて七十年間さえ越えれば、韓国に天才的な人々がたくさん現れるのです。天が送ります。

 今後、新世界を創建して、すべての分野において世界を指導することができます。韓民族が世界的になるのです。それゆえに、皆さんが精誠を尽くしてそのような息子、娘を生むのです。そのような父と母になることができるように精誠を尽くしてください。

 何もないのです。すべて否定しなさいというのです。否定して、あるものはひとえに神様だけであり、真の父母だけであり、神様の愛、真の父母の愛です。真の愛を中心として、ために生き、ために生き、さらにために生き、投入して忘れてしまう、そのように精誠を尽くす生活をする夫婦が暮らす所には、何もありません。

 エデンの園で布団を敷いて寝ましたか? 裸でごろごろと寝たのです。そのような立場でも、それ以上に天を……。そこで天の国の王宮を代身して神様に侍り、真のご父母様に侍ることのできるわたしたちの家になります。このように約束するでしょう? (「はい」)

 間違いなく約束する人は、きょうの開天節を中心として、両手を挙げてください。立ってください。宣誓する人は力いっぱい宣誓してください。三回です。お誓いいたします。 (「お誓いいたします」)。お誓いいたします。 (「お誓いいたします。」)。お誓いいたします。 (「お誓いいたします。」)

 神様の祝福があることを願いながら、きょうの祝賀記念式に代えさせていただきます。(「アーメン。」)




一休さんのような機知(トンチ)ではありません。
奇知=人とは異なる知恵
すなわち神様の知恵
世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。
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Last updated  2023.12.10 22:35:02
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