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保元 2年(1157年)、静心が遷化して、遺言により法兄の 千命 に従う。翌年の保元3年(1158年)には千命より 虚空蔵求聞持法 を受ける。 平治元年(1159年)、19歳の時に 比叡山 の 有弁 に従って 天台宗 を学ぶ。
虚空蔵菩薩 ( こくうぞうぼさつ)、 梵名 アーカーシャガルバ 、または ガガナガンジャ は、 仏教 における信仰対象である 菩薩 の一尊。「 明けの明星 」は虚空蔵菩薩の化身・象徴とされ、知恵の菩薩とも評され、人々に知恵を授けてくれるともいわれる。 明星天子 、 大明星天王 とも。
三昧耶形 は宝剣、 如意宝珠 。 種字 はタラーク。 真言 は「オン バザラ アラタンノウ オンタラク ソワカ」や、「ノウボウ アキャシャキャラバヤ オンアリキャ マリボリソワカ」などが知られる。
「虚空蔵」は アーカーシャ ガルバ(「虚空の母胎」の意)の漢訳で、虚空蔵菩薩とは広大な宇宙のような無限の智恵と慈悲を持った菩薩、という意味である。
そのため智恵や知識、記憶といった面での利益をもたらす菩薩として信仰される。その修法「虚空蔵求聞持法」は、一定の作法に則って真言を百日間かけて百万回唱えるというもので、これを修した行者は、あらゆる経典を記憶し、理解して忘れる事がなくなるという。 元々は 地蔵菩薩 の地蔵と虚空蔵は対になっていたと思われる。しかし虚空の空の要素は他の諸仏にとって変わられた様で、また地蔵菩薩の独自の信仰もあり、対で祀られる事はほぼ無い。
空海 が 室戸岬 の洞窟 御厨人窟に籠もって虚空蔵求聞持法を修したという伝説はよく知られており、 日蓮 もまた12歳の時、仏道を志すにあたって虚空蔵菩薩に21日間の祈願を行ったという。
また、京都嵐山の 法輪寺 では、13歳になった少年少女が虚空蔵菩薩に智恵を授かりに行く 十三詣り という行事が行われている。 胎蔵曼荼羅 の虚空蔵院の主尊であり、 密教 でも重視される。
像容は右手に宝剣左手に如意宝珠を持つものや、法界定印の掌中に五輪塔を持つもの、右手は掌を見せて下げる与願印(よがんいん)の 印相 とし左手に如意宝珠を持つものなどがある。三つ目の像容は求聞持法の本尊で、 東京国立博物館 蔵の 国宝 の画像はこれに当たる。
彫像の代表例としては、 奈良県 大和郡山市 ・ 額安寺 像、 京都市 ・ 広隆寺 講堂像などが挙げられる。
奈良県 斑鳩町 ・ 法輪寺 の木造虚空蔵菩薩立像は 7 世紀 にさかのぼる古像だが、当初から虚空蔵菩薩と呼ばれていたかどうかは定かでない。また、 法隆寺 の 百済観音 像は宝冠が見つかった 明治時代 前半までは寺内で墨蹟銘から「虚空蔵菩薩像」と呼ばれていた。
五大虚空蔵菩薩の彫像の作例としては、京都・ 神護寺 多宝塔安置の像(平安初期・国宝)が著名である。京都・ 東寺 観智院安置の五大虚空蔵菩薩像( 重文 )は、 空海 の孫弟子にあたる 恵運 が 唐 から招来した像である。法界、金剛、宝光、蓮華、業用の各像はそれぞれ馬、獅子、象、金翅鳥(こんじちょう)、孔雀の上の蓮華座に乗っている。この観智院像は、元は山科(京都市 山科区 )の 安祥寺 にあったものである。
天台宗 (てんだいしゅう , )は、 中国 を発祥とする 大乗仏教 の宗派のひとつである。諸経の王とされる妙法蓮華経( 法華経 )を根本 経典 とするため、 天台法華宗 (てんだいほっけしゅう)とも呼ばれる。名称は、実質的開祖の 智顗 が 天台山 に住んでいたということに由来する。
天台教学は入 唐 した 最澄 (伝教大師)によって 平安時代 初期( 9 世紀 )に日本に伝えられ、多くの 日本仏教 の宗旨がここから展開した。今日では中国、日本、朝鮮、ベトナムに信徒を持つ。
天台宗は、中国( 隋 )の天台智者大師、 智顗 ( 538 年 - 597 年 )を実質的な開祖とする大乗仏教の宗派である。智顗は隋の第2代 皇帝 煬帝 の帰依を受け、 括州 天台山 国清寺 と 荊州 当陽玉泉寺 を建立し、天台宗を確立した。
初祖は 北斉 の 慧文 、第二祖は 南嶽 慧思 ( 515 年 - 577 年 )であり、慧思の弟子が智顗である( 龍樹 を初祖とし慧文を第二、慧思を第三、智顗を第四祖とする場合もある)。
慧文は、龍樹による『 大智度論 』と『 中論 』に依って「 一心三観 」の仏理を無師独悟したとされる。それが、慧思を介して智顗に継承された。
智顗は、 鳩摩羅什 訳の『 法華経 』『 摩訶般若波羅蜜経 』『大智度論』、そして『 涅槃経 』に基づいて教義を組み立て、『法華経』を最高位に置いた 五時八教 という 教相判釈 (経典成立論)を説き、 止観 によって仏となることを説いた学僧である。
しかしながら、鳩摩羅什の訳した『法華経』は、現存するサンスクリット本とかなり相違があり、特に天台宗の重んじる方便品第二は鳩摩羅什自身の教義で改変されている」という説がある。羅什が『法華経』・『摩訶般若波羅蜜経』・『大智度論』を重要視していたことを考えると、天台教学設立の契機は羅什にあるといえなくもない。
天台山 に宗派の礎ができた後、 涅槃宗 を吸収し天台宗が確立した。主に智顗の『 法華玄義 』『 法華文句 』『 摩訶止観 』の三大部を天台宗の要諦としている。これらの智顗の著作を記録し編集したのが、第四祖 章安灌頂 ( 561 年 - 632 年 )である。灌頂の弟子に 智威 (? - 680 年 )があり、その弟子に 慧威 ( 634 年 - 713 年 )が出て、その後に 左渓玄朗 ( 672 年 - 753 年 )が出る。灌頂以後の天台宗の宗勢は振るわなかったため、玄朗が第五祖に擬せられている。
玄朗の弟子に、天台宗の中興の祖とされる第六祖、荊渓 湛然 ( 711 年 - 782 年 )が現れ、三大部をはじめとした多数の天台典籍に関する論書を著した。その門下に 道邃 と 行満 が出て、彼等が 最澄 に天台教学を伝えた。
智顗の著作である天台小止観、摩訶止観、次第禅門などの著作は 禅 の解説書としても依用されるが、もともとは、法華経の教理にもとづく悟りの法門であり、特に摩訶止観の第七章は、円頓止観といって、究極の 悟り を述べたものとされる。止観とは静と動の意味であり、漸次、不定、円頓の三止観を説き、のちに現れた頓悟(ただ座ることにより仏性を自覚すること)を重視した。
華厳宗 の如来蔵の考えに基づく中国の五家七宗(臨済宗、黄龍派、楊岐派、潙仰宗、雲門宗、曹洞宗、法眼宗)の 禅宗 とは別物である。智顗の著作の座禅に関する解説がこの中で一番古く(6世紀初頭)、中国や日本の禅宗に座禅の教科書として影響を与えた。
このため、禅宗では、摩訶止観を重んじ、歴史的に架空人物である達磨大師が実は、天台大師ではなかったかという天台大師達磨大師説も唱えられている( 関口真大 )
日本の天台宗
正式名称は天台法華円宗。 法華円宗 、 天台法華宗 、あるいは、単に 法華宗 などとも称する。但し、最後の呼び名は 日蓮 教学の 法華宗 と混乱を招く場合があるために用いないことが多い。
初め、 律宗 と天台宗兼学の僧 鑑真 和上が来日して天台宗関連の典籍が日本に入った。次いで、伝教大師 最澄 (767年 - 822年)が 延暦 23年( 804 年 )から翌年( 805 年 )にかけて 唐 に渡って 天台山 にのぼり、天台教学を受けた。同年、日本に帰国した最澄は天台教学を広め、翌年( 806 年 )1月に天台法華宗として認められたのが日本における天台宗のはじまりである。
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