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10年近く前、カトマンズに行った時に両腕のない旅行者と知り合いになりました。彼はアジアを廻って主に写真を撮ってたんですがその人物写真の素晴らしいこと。どの写真も撮られる側の目が輝いてるんです。写真を撮る撮られるというのは不思議なもので撮る者が笑ってると撮られる側も笑顔になるしカメラマンがブスッとしてると相手も笑わない。それだけを判断材料にすると彼の目はいつも笑って輝いてることになります。そんな写真ばかり見せてもらったから。彼は多分サリドマイドで肩から直接、手のひらが付いています。なのにピントを合わせる一眼レフで写真を撮る。技術的にもすごいことなのに僕がもっと感心したのは彼の明るさ。「中国人のフリして国境の峠を越えてきたよ。 でも入国スタンプ押されてないから また同じルートで帰らなきゃな~」と本当に楽しんでるんです、旅をというか人生を。障害者という事実は受け入れなきゃいけない。ましてやハタから見て同情を受けざるを得ないルックス。どれほどの苦悩を経て、他人を妬み人生を恨み、挫折、失望など無数の河を渡って来たのかと思います。そして僕と出会った時点のその時、彼はカメラを持ち、あくなき旅を続けていました。闘っていたのかもしれません。でも彼の写真(作品と呼びたい)を見るともっと神々しい輝きが読み取れたのでした。ポートレート写真では、僕は彼には及びません。次元が違う、心の領域が違う。追加:彼と会った時から3年後、結婚しました、とハガキが来ました。
2005年02月28日
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以前、インドのカルカッタでのこと。深夜列車で北へ向かおうと駅に行ったんです。駅構内で無許可でタバコを売ってる10歳ぐらいの少年がいました。そのうち警官に見つかり 数人がかりで警棒でメッタ打ちに。誰も助けようとはしません。インドの警官=わいろを求めるヤクザみたいなもん。僕は無理矢理割って入って止めました。目の上や鼻から血を出してる少年と駅の隅っこに逃げ、彼の売っていたタバコを全て買い取りました。(といっても現地だと1箱¥5~6、それを5箱ぐらい)今日のところは彼に危ない商売をして欲しくなかった。売り切れれば帰れるんでしょう。そんな小さなお金、しかも利益はもっと少ないのに生活の為に売っている。物価の違いが生み出す不思議さ、愚かさ、傲慢さ、そんなことを考えさせられた1件でした。インド初日から。今ここにいる、という存在自体も罪悪感でした。もっとも次の日からすっかり馴染んで どんどんセコくなりましたが。結局タイ→インド→ネパール→タイの2週間、3万円持って行って使ったのは8千円。(内VISA代4千円)未だにあの少年から買ったのと同じタバコを吸ってます。安いからっていうこともある。しかもシケモクもやるよ。セコ~。
2005年02月26日
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岐阜県御嶽山の裏に三ノ池という湖があります。山頂付近にあるきれいなカルデラ湖。ここの水は「魔法の水」といわれていてどんな効能があるかは知りませんが日本版「ルルドの泉」って感じです。僕は夜中から登り始めて 紫色の森の中を歩き、夜明けに頂上に着くように何度も登ったことがあります。この湖のほとりで昼寝をしたり景色を眺めたりのんびりするのが大好きなのです。さて、以前山仲間と登ったことがあるのですが彼の職業はお茶屋さんなんです。水にはとにかくうるさい。その彼がこの湖の水を飲んで「なんだ、これは!全然味わったことないぞ、すごい!」と手放しで絶賛したのです。麓では湖まで登りに行けない人達が登山者に汲んで来てくれるように頼み、待っているのは当たり前だそう。その水の末端価格はおちょこ1杯¥4000!!!僕はそんなことはお構いなしに湖にそのまま顔を突っ込んで獣のようにガブ飲みしてたんですけどね。ちなみにこの水、ペットボトルに汲んで持って来たけど4~5年経った今でも全然腐ってません。不思議な水もあるもんだ。最短登山時間は濁河(にごりご)温泉終点から徒歩5時間。 追加:Yahooで「三ノ池」で検索してみたら色々出てきました。【神水】とも言われてるみたい。
2005年02月25日
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昨日の日記はたくさんの人にコメントを戴きました。さて、アジアには色んなタイプの物乞いの人がいて1番多いのは身体が不自由な人。片足がないとか盲目だとか病気だとか。日本のような先進国では保険だとか控除だとかカネだとかそういう福祉もしっかりしてる。だけど途上国ではそういうものはないし第一失業率が異常に高い。本当かどうか知らないけどネパールの地方の失業率は75%だとも聞きました。そこへもって喜捨だとかバクシーシだとかの習慣があるから物乞いは否応なく多くなってしまうようです。子供に物乞いをさせる親、子供の前で物乞いをする親、僕も子供がいるのでどちらが子供にとって悪影響なんだろうと考えてしまいます。子供の前で物乞いをするということは僕達の国、この世代では考えられません。日本だったらその親に「働けよ」と叱責することが出来ます。どんな仕事でもいいから死ぬ気でやれと。でも絶望的に仕事のない国ではどう声を掛ければいいのでしょう。お金を寄付するとかしないとか そんなレベルじゃなくその国の根源から変わらなければ解決はないように思います。そして僕達は今ある状況に感謝して生きなければ。なんてお利口ちゃんのような文になってしまった・・・。
2005年02月24日
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バンコクのファランポーン駅。ここには普通のタイ人や旅行者に混じって田舎から出て来たけど仕事にありつけず駅の構内で半ば暮らしているような人達もいます。夜にもなると駅前の芝生の周りには無数の天秤屋台が出て、その簡易屋台を開いている女の人達も地方出身者なのでランプやロウソクで照らし出された屋台の群れはアジアの哀しさを演出しているようにも見えます。何度目かのバンコクで僕は空港から列車でここにやって来て、あるいはアユタヤに行く途中だったかは忘れましたがある家族の物乞いに出会いました。両親と子供2人、計4人の家族でした。僕に向ってその家族の主である父親が物乞いの手を差し出した時上の子供(10歳ぐらいの女の子)はビックリして父親を見ました。母親は何か小さく叫んでその手を引っ込めさせました。それでも父親はもう1度僕に手を差し出しました。母親は泣き出しそうになってまたその手を押さえ込む。言葉はわからなくてもニュアンスで伝わって来ました。はじめての物乞いの瞬間だったのでしょう。しかも子供の目の前で。親としての威厳が砕け散っても家族を何とか食わせてやらねばならないと。1番辛かったのは父親に違いない。泣きたくなったのは僕も同じでオロオロ立ち尽くしたけれどもあえて、あえてお金は渡さなかった。渡すことによって彼の威厳を僕の手で汚すことだけは出来なかった。人混みの雑踏の音も 蒸し暑い熱帯の温度感覚も果物の腐りゆく甘い匂いも完全に消え失せたほんの十秒ほどの真っ白なショックでした。
2005年02月23日
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バンコクの中華街の片隅にある悪名高き楽宮旅社に泊まったことがあります。今でこそ1泊¥400ほどの共同トイレ+シャワーという高級ゲストハウスに泊まるのですが以前の僕は貧乏旅行至上主義者で薄汚い安宿ばかりに泊まっていました。どこが悪名高きなのか知りたくて泊まってみたのですが別に全然悪名を高めるような要素はありませんでした。しいて言えばベッドのスプリングがはみ出していてそのベッドの下には10数匹の大きなゴキブリがいて彼らは部屋の中を時折り飛んでいて部屋に掛けてある鏡は曇って割れていて結局寝るのに全く支障はありませんでした。夜にもなると入れ替わり立ち代わりドアがノックされ3流クラスの娼婦が私を買ってと声を掛けてきて(もちろん買うわけがない)夜明けの散歩に繰り出そうとすると木製の長くてこげ茶色の階段にはたくさんの娼婦が膝を抱えて眠っていてその向こうの鉄格子の中の受け付けでは上半身裸の中国人のおっさんが見事なまでの札束を豚のように数えていました。頭の中のBGMはピンク・フロイド。1人カタコトの日本語と英語の出来る娼婦が懲りもせず僕の部屋の前で起きていて僕にぬるいコーラを勧めてくれて一緒に飲んだ。ご期待通りコーラに睡眠薬など入ってなくて僕と娼婦は鳥が鳴き始めるまで薄暗い木の廊下に座って話をした。楽宮旅社の暗い廊下は今でも時々夢の中に現れる。
2005年02月22日
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今でこそ堀江社長と肩を並べるほどで800億損しても「あはは、あ~あ」と苦笑しているだけで済むぐらいの僕ですが、店を始めてまもない頃、こてんぱんに貧乏でした。何たって店に商品棚なんてなく、段ボールをさかさにしてその上に商品並べてましたから。店やってるのにレジすらもなかったし。(^^ゞ明日のメシ代のために日雇い土方も半年しました。その仕事は海岸線の造船所の足場を組む仕事で地上26mで海からの真冬の強風が吹き荒れる中、幅15cmの鉄骨の上を荷物を担いで歩く毎日でした。命綱なんて付けてたら歩けないのでフリーでした。でも「ここは地上0mである」と自分に言い聞かせればスイスイ歩けちゃうんですよね。高さ26mでも高さ0mでも 歩くのは同じ15cmの幅。車道と歩道の白い境界線の上を歩いてると思えばへっちゃらなんですよ。まあ、雨の日に危うく滑って落ちそうになりその日から意識がパ~ンと変わりましたけど。バンジージャンプやスカイダイビングを体験した人が生や死の観念が変わると言いますがそれってなるほどな、と実感したんです。言い換えれば「死と隣り合わせの恐怖」が麻痺した感覚でした。1度死んでみるっていい事かもしれません。ありがたさと諦念を知る上で。
2005年02月21日
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海外で長い間旅を続けていると、日にちがわからなくなっていきます。特に今日は何曜日だなんて事はどうでも良くなるというか「曜日」という観念自体が存在しなくなります。で、帰国日の数日前から序々に自分の中で精神的リハビリをして感覚を日常に戻して行き、帰国のために現地の空港へ行った時には旅の終わりの虚しさを思い知るのです。バンコクから帰る時に乗るエアポートバスの話。エアポートバスは当日までに代理店でチケットを買い乗り込む時にそれをドライバーに渡すのです。僕は前日か当日に買うのですが中にはもっと前から買っておく人もいるようです。僕はいつものように数十キロある買い付け荷物を後部座席や屋根の上に積み込んでから車に乗り込みました。もう乗っていた人もいたし、これから乗る人もいる。ところが発車直前、14人のはずが15人乗っているのです。ドライバーがチケットを調べたところ明日の乗車チケットが1枚混じっていました。「誰か1人、出発日を間違えてるぞ!」「わはは!誰だ、そんなアホ野郎は」「今日は何日何曜日だ?」「そんな難しい質問するんじゃねえよ」「う~ん、多分今日が俺の帰る日だ」「私は間違ってないわよ」などと乗客は笑いながら話していました。そのうちに1人の女の子が「オー、ファック!ジョーカーは私だったわ」とワゴンの窓を開けて(ドアではない)出て行きました。みんなは彼女を責めるわけでもなく逆に「何てラッキーなんだ!あと1日楽しめるなんて!」「俺の分まで楽しんでくれ!」そう言いながらバスは出発したのでした。
2005年02月20日
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僕はバンコクで帰国便に乗るために空港へ向かう時エアポートバスというやつを使います。エアポートバスというと聞こえはいいけれど要はバックパッカーを詰め込んだ乗り合い1BOXワゴン。カネにモノを言わせて70バーツ(¥200弱)もするそのワゴンに乗り込む面々はリッチな人ばかり。なぜか長い竹ぼうきを屋根にくくりつける欧米人やとてつもない量の荷物の入ったリュックを持った人や全身タトゥーだらけのヤツらばっかり。まあ比較的こぎれいなのが日本人。(僕を含む)まあ全員お金持ちゆえの理性を持っている人ばかりなので10人乗りのワゴンに14人乗ってぎゅうぎゅう詰めでも大して文句は言わずにいます。その時僕が乗る予定だったバスの出発時間は朝6時発。で、目が覚めたら6時キッカリ!おお!なんてこった!と慌てて散らかったままの荷物を詰め階段を駆け下りてチェックアウトし荷物を持って走ったら集合場所にもうバスはいない・・・。ああ、どうしよう、やっちまった~!とボ~ッと考えているとあれ?待てよ、何か違うぞ。やけに静かだぞ。しかも6時ってこんなに暗いっけ?道で寝ている人に時間を訊いたらまだ5時・・・。確かタイに行く1週間前にインドネシアに行ってたので目覚まし時計の時差を直してなかったのかもしれないし僕が針を合わせ間違えたのかもしれません。なんにしろ朝や昼、夜も時計という物を身に付けず帰国日の出発時間のためだけに時計を持って行くのでその目覚まし時計は安宿の枕元に置きっ放しだったし。夜明けのバンコクのカオサンロードで道に座ってタバコを根元まで吸ってる日本人がいたらそれは僕かもしれません。
2005年02月16日
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今日でバレンタイン商戦が終わりました。(商戦というのは気が引けるけど業界ではこう呼ぶ)一生懸命品定めする女の人もいれば「これでいいや」と適当に選ぶ人もいます。で、商品のデザインで決める人もいるけれどほとんどの人は「値段」で決めます。ここが男と違ってシビアなところ。そして怖いのは、オンナは見返りを期待している人が多い。「金額の」倍返しは当然のようですよ。(>_
2005年02月15日
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グアムだかサイパンに行ったことがあります。あ、両方だったかもしれない。オートバック○の(隠してもわかるやん)慰安旅行で60人ほどで行ったのですが大人数ツアーにも関わらず通関で止められて厳重チェックをされたのは僕だけでした。ナゼに???もちろん団体行動が犬のくそを踏ん付けるより嫌いな僕は独りでその島最高峰の小高い山に登りに行きなぜか山腹の家の住人に昼メシを食べさせてもらってました。しかも山から下りて来る途中に警官に職務質問された。それでも他の1日はグループ行動を余儀なくされみんなで離れ島に渡って遊びました。グループ内の女の子1人がバナナボートから転落し病院へ運ばれている最中にも僕は不覚にも島の反対側で貝殻を拾っていたのだが。そうだ、サイパンだった。船の上でみんなで歌を歌っている時に後輩が「ココはやっぱり国際的ですねえ。 スペインの船まで来てますよ!」と言ったので「バカ、よく読めよ。SPAINじゃなくてSAIPANって書いてあるだろ」とオートバッ○ス社員の学力を知ったのだった。サダ、お前の事を書いた。サイパンみやげにエッチトランプ買うとはワケわからん。
2005年02月14日
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暗黒街のボスがいるモナリザレストランにはその後に訪ネパした時にも行きました。ネパールのレストランなんかはオーダーしてから料理が来るまで早くて30分、遅くて120分ということは既に検証済みなので僕はヴィシュヌさんに料理をオーダーしておいて待ち時間は外に出て買い付けをしていました。1時間以上経って仕入れも終わりレストランに戻ると店内は満席で、イギリス人男性、イタリア人女性と相席になりました。席に着いたらすぐに僕の料理が来ました。これに2人共カチンと来たらしく「私達は1時間も待ってるのよ」と厭味を言って来ました。僕は彼らに怒られる筋合いはないので事情を説明し、「これが日本的ビジネススタイルなんだ」と返しました。事情を聞いて彼らは納得し、「今度から私達もそうするわ」と笑いました。「ところで日本人って言ったわね? 日本のカメラはすごいわね、 コンパクトカメラのボタンの場所を間違って押すと ズームがどんどん伸びてこんなに長くなるもの」と彼女は両手をいっぱいに広げたゼスチャーをしました。「日本ではみんな着物を着てるのか?」「ハラキリの風習は今でもあるのか?」「海藻(のり)を食べるって本当なのか?」「イタリアでは毎日スパゲティを食うのか?」「イギリス人って新聞にアイロンをかけるのか?」などなどお互いの国の話題で盛り上がりました。外国人はユーモアというかウィットというかブラックジョークがうまいですね。話していて楽しくなります。日本だとなかなか理解してくれる人少ないもんね。頭が切れるかどうかですもんね、ユーモアって。国民性でしょう。
2005年02月13日
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カトマンズのダーバー・スクエアと悪名高きフリーク・ストリートの交わる所に昔はモナリザレストランがありました。ドイモイさんや竹亭さんは知ってるかも。至って普通のレストランでロックがガンガン流れてました。ただ ウラではヤミ両替やクスリを取り扱う暗黒街のボス、ヴィシュヌさんがオーナーでした。(ヴィシュヌだなんて、神の名前なのにね)僕は10年以上前に彼と仲良くなりました。ある日 私服警官がおとり捜査で通りをウロウロし、ドラッグの売人が声を掛けたところで逮捕って時にヴィシュヌさんの舎弟に「彼は警官だから声を掛けるな」とこっそり囁いたから売人は捕まらずにやり過ごせたのです。それを知ったヴィシュヌさんが感謝の印に僕が滞在中の間、レストランの料理をタダにしてくれたのです。店を始めてからも彼とは手紙(今はメール)で交流を続け、商品を送ってもらったりもしていました。今では彼は家族4人でスラムに住んでいて僕は1年前はその家に居候させてもらいました。数年前にヤミ両替はなくなりダーバー・スクエアも入場料を取るようになり、今ではモナリザレストランもありません。古き良き時代のジャンキー達は今頃なにしてるんだろ?
2005年02月12日
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僕は随分前から一軒家を探しているのですが先日すぐ近所に空き家が出ました。坪30万する場所なのですが値段は880万円。充分安いので不動産屋さんに問い合わせをし間取りを教えてもらいました。2階建ての4DK、駐車場1台とのことだったのでそれじゃあ狭いなと諦めました。その家はそんなに古くありません。僕は店をやっているので在庫の倉庫となる部屋が必要だからです。一軒家を買いたい人はみんな狭いと思ったようでその家はオークションに出されたそうです。そこでも値は付かず(幽霊屋敷でもないのに)結局20代前半の独身男性が360万で買ったそうです。今はその子が熱帯魚と一緒に住んでいるそう。一軒家が360万円ですよ!さんびゃくろくじゅう万円。車並みの値段じゃないですか。市の中心からやや離れたアクセスの良い所なのに。まだしばらくは周りを外国人(不法)に囲まれたアジアの匂いがプンプンする無秩序に立ち並んだ長屋群で暮らします。ここはとっても静かなので気に入ってますけど。実際のところ僕はそこそこ貧乏なのですが頭の中で「大金持ちだけど貧乏暮らしごっこしてる」と思えばとっても楽しく生きていけるんですよね~。でも東海地震が来たら真っ先に潰れるだろうなあ。この時代に「命の心配をしながら暮らす家」ってそうなかなかあるもんじゃないですよ、くそ~。(T_T)
2005年02月11日
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ネパールのインターネット回線が復旧されたようです。先程ネパール人の友人からメールが来ました。先日、国王(前国王を暗殺した黒幕?)が首相をはじめとした閣僚を全員クビにしてついに全実権を握ったのです。ここ1週間ほど電話回線、ネット回線を遮断しTVでは娯楽番組しか流してなかったらしい。報道を規制し、外部からの情報も遮断し反対デモをした者は逮捕、という戒厳令並みの措置でした。僕がネパールに行った1年前もカトマンズ市内は軍隊による検問ばかりで戦車やバリケードがいっぱいでした。今はもっと酷いだろうなあ。今回の事件は「国王によるクーデター」と言われてるけど今に現国王を倒す本当のクーデターが起こるかもしれない。街全体が世界遺産に指定されているカトマンズ。いつまでもゆったりとした街でいて欲しいなあ。
2005年02月10日
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先日ここ愛知県でも雪が降りました。夜のうちから降り始め、明日は路面凍結は確実でした。しかも当日はバイトの姫ちゃんが朝から店に出てくれて僕は昼から出勤の予定でした。悪いことに姫ちゃんの家は山の近く。あの山道は雪が積もり道は確実にカチカチに凍る。僕は前日の夜に姫ちゃんにメールして「明日の朝は早目に家を出るように」と言おうかあるいは僕も朝から店に行こうかと考えました。しかし結局どちらもしませんでした。姫ちゃんを信じる、そう決めました。面接の時に「遅刻をしたらクビだから」と言ってあります。もちろんそんな特別な天候のために遅刻してもクビになんてするわけはありませんが。翌日、僕は予定通り昼から出勤しました。姫ちゃんは普通に仕事をしていました。ここから僕はすごく失礼なことをしてしまいました。姫ちゃんが休憩に行った時に「果たして何時にレジを開けたんだろう」とレジを開けた時間を確認したのです。きちんと開店時間前にレジは開いていました。きっと姫ちゃんはすごく早く家を出たのでしょう。そんなことは一言も僕に言いませんでした。それなのに僕は姫ちゃんを心の隅で疑ってしまった。姫ちゃんにひどく感動したのと同時に自分のみみっちさが恥ずかしくなりました。姫ちゃんはこの日記の存在を知らないし僕がした行為も知りません。姫ちゃん、ありがとう!そして本当にごめんなさい!信じると決めたのに隅っこで信じてなかった自分が情けない。レジの開いた時間なんて確認しなきゃよかった。たとえ遅刻してたって許したのに。僕はこの日、姫ちゃんがもっと好きになったと同時に自分に対して落ち込みました。で、この日姫ちゃんは早目に切り上げて帰りました。後日、「あの日は早く帰って雪で【かまくら】作ったよ」ととても大きなかまくらの画像を見せてくれました。姫ちゃんが働いてくれて良かった。こんないい子は滅多にいません。みんなに自慢したい。言っとくけど恋愛感情はありませんから。(^_^)モデルは姫ちゃん
2005年02月09日
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「山岳救助隊」のTV番組を見ました。遭難者をヘリコプターから発見し助けるやつ。すごく感心しました。そのために毎日過酷なトレーニングをする。仕事ですからという言葉がなかった。明らかに仕事やお金のためという感覚を持ってないみたい。助けたい、それが1番響いてきました。昨日も死んだ人を背負って歩いた、と言っていました。岩場からの滑落で亡くなった人を収容する、しかも自分も滑落するかもしれない斜面を。見ず知らずの人を命を賭けて助ける。僕にはとても真似できない。毎年何回も行く鏡平小屋のO沢さんが以前そのへんの相場を色々教えてくれたのですがヘリを要請して救助してもらうと1時間70万円だそうです。僕のよく行く槍・穂高あたりは荷揚げヘリに混ざって救助ヘリもよく見かけます。あのへんの稜線から落ちたら良くて大ケガだもんなあ。心して登りたいと思いました。
2005年02月08日
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今日は店に外国人の親子3人が来ました。お札や硬貨の入ったカゴを持って。そうです、寄付のお願い。パンフレットには「救われない子供達に愛の手を」それはそれで素晴らしい行為だと思います。でも寄付ってこちらから自発的にするものであって寄付して下さいとやって来られるとしたくない。寄付しないとこちらに罪悪感が残りますもんね。寄付したとしても押し売りされたようで変な気分。要は満足感の押し売りというか自己満足の機会を売り歩いてるというか。聖書の話から始まり さていよいよ寄付の本題に差し掛かる頃僕の方から先手を打ちました。店のレジ前にはスマトラ津波の募金箱が置いてあるのですが「僕も個人で募金活動をしているんです。 もしあなたの心が愛で満たされているなら 津波で被害を受けてしまった子供達を どうぞ少しでも助けて頂けませんか?」(ツナミはそのまま英語になってるんですよね)彼らは¥100を寄付して下さいました。しかし寄付のお願いに来た人達から募金してもらうとは何だかおかしな感じでした。(^_^)心の中で俺の勝ちだな、って思っちゃいました。僕は彼らに鏡を見せただけ。日本人には潜在的な外国人コンプレックスがあります。同じアプローチで日本人が募金活動に来たら断れるけど外国人が来たら断れずに飲み込まれてしまいませんか?相手が外国人だから愛想よく受け答えする。その行為自体が隔離された島国ニッポンの象徴であり精神的に国際化出来ないでいる要因ではないでしょうか。国籍や肌の色、髪の色、言語で判断せず人間対人間で普通に受け答えすればいいのに。ね、ニッポンのクソ政治家のおっさん達?あなた達の乗ってるおベンツはドイツの一般大衆車です。
2005年02月07日
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今月は有線でROD STEWART の特集をやっています。ロン・ウッドと組んでやってたFACESのDVDなんてとってもかっこ良くって好きです。彼の声はハスキーでセクシー。ROCKを歌ってもBLUESを歌っても素晴らしい。特にジェフ・ベック・グループの頃が気に入ってます。「You Got A Nerve 」って静かな曲があるんですがサビの部分の歌詞が切なすぎる。「Please,Please go away」「Please don't go away」なら話はわかる。これならどこにでもあるようなラヴソング。「Don't」が付くか付かないかでこれほど切なくなるものなのか・・・。泣かせますねえ~。
2005年02月06日
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色々な諸事情がありしばらく日記の更新をしませんでした。それでもお客さんからのオーダー品を淡々と梱包し仕事はこなしていかなければならない。もう少し要領が良ければいいなあと思います。ビジネス的にも精神的にも。自分を見つめる旅かあ・・・。
2005年02月04日
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