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ジョムソンあたりの荒地を歩いていた。遠くからやって来た人影はだんだん大きくなりついに擦れ違うほどに近付いた。あまりに勇ましい歩き方でやって来た彼は真っ黒に雪焼けしていた。こんな荒野で擦れ違った奇跡を祝し2人は無意識にハイタッチをした。2人はお互いを同じ国の人間と思ったが彼は韓国人、僕は日本人だった。国の違いなんて些細な事はそこにはなかった。荒野の真ん中で2人は自然に腰を下ろした。トロンパス(標高5416m)を越えて来たと言う。厳冬期の2月である。トレッキングルートの難所と言われているがそもそもトレッキングルートの域を超えている。「俺が通る前日に人間が谷に落ちて行ったらしいよ。 でも俺達に何が出来る?そういう所だ」穏やかな陽気に包まれた荒野の向こうでトロンパスは雪煙を上げていた。彼は神の足元から俗世間へ向けて引き返し僕は雪と氷の世界へ向かって歩き出した。
2006年01月28日
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韓国人とタイのアユタヤを廻った事がある。1バーツで渡し舟に乗り、河を漂っていた。舟を降りたところで地図すら持ってないことに気付いた。日本人らしい男がいたので声を掛けた。「遺跡ってどっちだろ?」返って来た言葉は日本語ではなかった。僕達にはただ時間があったので遺跡までの長い道をただ歩いた。空にはただ太陽があった。大学生の彼は僕よりも英語が堪能でお互いの国の事をいくつも話した。日韓の過去の暗い出来事の話題も僕達は乏しい知識で理解を深めた。僕のCanonにはセピアカラーのフィルムが入っていた。遺跡で2人並んで撮ったその写真はまるで古くから親交があったように錯覚させた。遺跡からの帰り道、僕達はトラックをヒッチハイクした。荷台の向こう側に座っていた彼と目が合ってなぜか僕達は吹き出すように笑い合った。
2006年01月27日
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僕の店が入っているビルの1Fのショーウインドウが割られブランド品の店が1000万円の被害に遭いました。4Fが24時間営業のゲームセンターだから深夜でも若い奴らがウロウロしてるんですよね。とにかく大胆な犯行。あんなデカい防弾ガラスのように厚いガラスが粉々になっていたそうです。僕の店でも営業閉店後に電気を消しててももう止まってるエスカレータを昇って来て平気で入って来る奴もいるし帰らずにトイレに入ってる奴もいる。もうこの市はメチャクチャだね。1番多いのは年配者の食品万引き。若いカップルでの万引きもあるし浮浪者だって多い。以前深夜に信号待ちをしていたらパトカーの停まってる横を暴走族のバイクが信号無視をして行きました。でもパトカーは追いもしない。何だか信じられない治安の悪さです。ここだけ?日本中?全く情けないよ。
2006年01月26日
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今日は次から次へと常連さんが話しにやって来てなかなか仕事が進まずイライラしました。(常連さんと言うのかな?わかんないけど)さあ今夜は体育館でクソガキどもと遊ぼうか、と思ったら今夜は中止でした。残念。いつも近所の5~6家族で体育館貸し切りなのですがどの家庭のお父さんも来ないんです。仕事で疲れてるのかな?疲れてるからこそ気分転換すればいいのになあ。疲れは遊びで治ると思うけど。1/20日発売の雑誌に載ったエッセイです。
2006年01月25日
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今日のネット販売の発送件数は16件。まあまあの件数です。こうやって毎日副収入(?)があると助かります。僕の入っているビルには売れてない店も多くそういう店の販売員さん達は立ち話が仕事です。売れない理由を立地条件や天候のせいにします。以前「売る商材があるんだからネット販売をしたらどうですか?」僕が1から全てつきっきりで教えます」とみんなに言いました。ほとんどの、いや、全ての店のオーナーの返事はこうでした。「パソコンはねえ・・・。それにパソコン買うお金が・・・」僕の考えを押し付けたようで少し反省しました。それから、マイナス思考の人には何を言っても無駄だ、そんなふうにも思いました。確かにパソコンを始めるのは勇気が要ります。パソコン代だってバカにならない。僕だって最初はそうでした。でも商売人だったらまずチャレンジしてみてその投資費用の元を取るために努力する、そういう発想も必要なのでは?と思います。やってしまえば何とかなるんです。やってしまったら何とかすればいいんです。アタックにビビってたら前には進めません。スケート選手だって初めは滑れなかった。100回や200回転んだだけで諦めてたらその人はそこまでの情熱しかなかったって事です。僕ももっともっと派手にすっ転んでみようと思います。自分自身への宣戦布告、これは僕の信条です。
2006年01月24日
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ひょんな話からひょんな物の卸しをすることになった。アドリブで出た値段で商談成立。ただしその店が以前仕入れてたルートよりも格段に安い。アジアの常套句「Good for you, Good for me」である。うちの店が取り扱う商材としては異例である。といってもヤフオクではキッチンスケールとかクッキング温度計とかLED球ライトも売っているが。どれもホームセンターよりも安く売っている。うちの店の前にある本屋さんは(名前は明かせないので正文館書店としておこう)ひのきから作った炭を売り始めたのだがこれまた爆発的に売れている。何でも屋になってしまってはいけないがその本屋さんは備長炭に関する本も置いて上手くリンクさせて売っている。うまい!と唸ってしまった。銀行や郵便局にお金を預けておいても利息なんてたかが知れている。利息で¥500が付くと驚くけれど¥500の買い物は驚くほど無意識だ。僕の辞書には貯金という文字はない。お金は回してナンボだという大阪的考えである。(ただし追い風の下り坂を立ち漕ぎ速度での自転車操業である)¥1000で仕入れたものを1割上乗せで売るだけで利息よりも立派にお金が増えて行く。商売ってそんなもんだろう。商売人がお金を貯め始めたら終わり。守りに入った時点で縮小されていく。かといって店を拡げるということではない。気持ちの問題、精神論である。会社に勤めてる人も自営やってる人も昔吠えてたことを忘れてねえか?いつも上を目指してないと現状維持は難しい。現状維持を決め込めば落ちてくだけだ。あなたの進化はあなたの気持ち次第。
2006年01月23日
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僕は恐ろしいほど、そして笑われるほど服を持っていません。おそらくこれを読んでくれている人達の中で最も服を持ってない人間だと思います。長袖シャツ2枚、ズボン2着、ジャケットも2着。これが僕の持っている冬服の全てです。そこらの浮浪者と大して変わりがありません。この6点のうち5点は黒色です。1点だけはオリーブドラブ(濃い緑というか国防色)です。ある国の軍用ジャケットの無地です。ポッケが裏表で7個も付いてて丈夫。このまま店にも出るしハイキングにも着て行きます。店の販売用に仕入れた時にオマケで付いてきてそいつを自分用にもらったのです。本当の大富豪とはお金の使い道を知らないものなのです。(^^ゞもう10年近く着ているのですが(もちろん洗濯はしてるよ!)昨日ストーンズの来日インタヴューVTRを見たら何とキース様が同じジャケットを着ているではないか!大富豪といえどもミーハーなので嬉しくなっちゃった。今日ストーンズのCDをヤフオクに出品しました。我ながら説明文章がマニアック。(^^ゞオタクということがバレバレです。一体いくらで落札されるのでしょう?
2006年01月22日
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今日はストーンズ来日公演の電話予約日。朝10時から電話をかけまくった。リダイアルボタンを押してばかりで結局12時になっても1度も繋がらなかった。早くもヤフオクですごい量のチケットが売り出されてる。もうこれは公演ギリギリになったらヤフオクで買うしかないね。あくまでもヤフオクでチケットを買うという話だが最近のチケット値段というのは二極化している。良い席は定価より数倍高く、悪い席は定価の半額ほどで買える。どこで観るかを自分で決めればそれ相応の金額でチケットが手に入る。これって実は「何だかな~?」と思う。でもチケットに限った事ではないけどね。どの程度自分をがんばらせるか、あるいはどこで自分に妥協するかで自分の立ち位置って決まるんじゃないのかな。
2006年01月21日
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3月末から来日するストーンズのチケットが明日発売される。アリーナ中央の定価¥55,000!ヤフオク値段ではない、定価がである。これはもうキチガイ値段である。その値段でも観たいというファンにつけ込んだ値段だ。ということはヤフオクでは多分1枚20万円を越えるだろう。何を隠そう、3年前の来日時に僕は1枚5万で前から3列目のチケットを2枚買った。たまたまその日に起こったYahooのサーバー障害で相場1枚8万円が5万円で買えたのだ。自分でもバカだと思ったし 友人からも呆れられた。たかがロックのライヴなのだ。でも僕は最高のライヴを体験した。皮肉っぽく言えば最高のライヴをカネで買った。ステージから降りて来たミック・ジャガーは僕から3mの距離で叫んでいた。「よし、俺も60歳になってもROCKせにゃいかんな」と思った。ROCKうんぬんじゃない。60歳になってもアクションの真っ只中で、ってことなのだ。ニッポンの60歳のおっちゃん見てみろよ。定年だ医療保険だ年金だ、と去勢された犬のように全て受け身で見ていて情けなくなる。60歳手前のおっちゃんは奥歯で砂を噛みながら何とか定年までの辛抱だ、と今日も耐えて生きている。生きてるんじゃない、それはもう死んでると同じだよ。結局いくらなら安いのか、いくらからを高いというのか、それって各個人の価値観の問題だからね。今回のストーンズは遠くの普通の席で観ようと・・・思うのだが。
2006年01月20日
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毎週火曜日の夜は日頃のうっぷんを爆発させるため小学校の体育館で近所のクソガキ達と遊んでいる。スポーツ振興委員会という名前が付いているのだがもちろん僕は委員でも何でもない、便乗遊びである。ドッジボールなんかをクソガキ相手に力一杯投げつける快楽はたまらない。(まあ柔らか~いボールというのが残念だが)それでも僕は実はクソガキどもに少しは人気がありそのうちの4人は代わる代わる僕の背中に乗ってくる。おんぶちゃん状態である。(まあそのまま後ろ向きに壁に体当たりするのだが)僕は仕事の都合で毎週みんなより遅れて体育館に入る。毎度待ち構えていたように、中2のクソガキが寄って来る。ねえ、テニスで勝負しようよ。ねえ、バドミントンしようよ。そうして終わるとそいつは背中に乗って来る。そのガキには小6の弟がいる。先日いつものようにその小6のクソガキが背中に乗って来て僕は後ろ手でそいつの腹をくすぐっていたのだが彼は耳元で冗談でこんな事を口にした。「おじさん、うちのお父さんになって」彼ら兄弟は母子家庭なのである。添乗員として留守は時々あるが彼らには優しいお母さんがいる。それでも なぜかわからないけど心の奥でお父さんを求めている。火曜日に限って僕は「近所のおっさん」ではないのかも知れない。
2006年01月19日
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昨日は発行部数30万部の雑誌の取材がありました。CD売り上げにしろ書籍発行部数にしろ実は誇大しているんで実質発行部数は20万部強といったところでしょう。僕はパチンコ、スロットは一切しませんがそこの編集部の松井ちゃんはスロット好きです。以前うちの店で「金運が良くなる」というゴールデンルチルのブレスを買ってくれた事があります。(ゴールデンルチルのリングはヤフオクにも出品しています)そうしたら昨日の会話の中で「斎藤さん、あれから負けナシなんですよ!」と言ってました。(僕は信じ難いと思うんですが)本当にそれで金運が良くなるなら今日あたりライブドアの株を【買い】でも儲かるのかな?(^^ゞ余談ですが「松井ちゃん、男運の良くなる石を付けろよ」と言ったら「・・・男は・・・もういいです・・・」とマジに返事が来ました。辛い切ない悲しい侘しいオーラガンガンでした。「げ、元気だせ!お、お前ならすぐに・・・」とは言えなかったぜ。
2006年01月18日
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一夜にして有名になった言葉「風説の流布」だがビジネスに携わる者としてそんなもんは日常茶飯事である。雑誌や店員が「コレ流行ってます」と言えば世の中流されるもんなのである。ジョージ・ソロスやゴールドマン・サックスの会社なんかロイターとリンクしているので「ロイター発共同によると・・・」というテロップを流させれば投資家はこぞってソロスに右へならえする。それがビジネスというものだし それによって流通が生まれる。堀江氏は海外資本家に比べればかわいいもんなのだが要は自民党にまんまとハメられたんだろう。あまり目立つなよ、という警告だと僕は思っている。比べるにはあまりに小さ過ぎるが僕も風説の流布のような手はよく使う。間違えて小さいサイズのリングを大量仕入れしてしまったら「今は小指にはめるのがおしゃれだ」と言って店頭や雑誌で宣伝すれば在庫はみるみる減って行く。あらかじめ黒い石のアクセを大量仕入れしておいて「今年はコレが人気なんだよね」それでOKだ。買い手をバカにしているのではない。流通とは全てにおいてそういうものなのだ。車のボディータイプ、エコグッズ、サプリメント、トルマリン、ベストセラー本など挙げたらキリがない。流行りに便乗しないと不安になる国民になるのがイヤなら自分の背骨は自分でシャキッとしておいた方がいい。みんながそうだから、ブームだからと流される人は足元すくわれてもそれはあなた自身のせいです。
2006年01月17日
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なぜか今日は正月3ヶ日を越える客数と売り上げでした。すごい売れる、ガンガン売れる。商品の補充をドンドンしました。何でだろ~?(^_^)v昨日は土曜日にも関わらずどこの店もヒマで「やっぱ正月が終わるとこんなもんだよね~」なんて呑気に喋っていたのに。今日はレジの中の釣り銭もスッカラカンになりました。家に帰って来て0時にネット販売の仕事を終えてから知り合いの占い師さんの店の看板のロゴを考えました。ロゴと言ってもパソコンで書体を何通りかデザインしただけ。Berryくん、仕事を回さずスマン。月曜日はバイトの子に任せてあるので昼の2時からのんびり出勤して超濃縮でネットで売れた商品を梱包して発送して5時には家に帰ります。
2006年01月16日
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僕の店はデパートにあるので自由に休めません。定休日は何と年8回だけ。(T_T)来たる4月5日、ストーンズが愛知県にやって来る。でもその日は水曜日だし、4月は定休日がない。そこで考えました。勝手に店を休む!(^^ゞ昨日 早速インターネットで防護網を注文しました。白いゴルフ打ちっ放し用のネットです。(緑色だといかにも!って感じだもんね)店の間取りに合わせて長さ12mx高さ2mの特注です。代金は送料込みで¥12,000。店を囲って勝手に定休日にします。やった~。ワーイ。ただアミの存在の怖いところは歯止めなく勝手に定休日が増えてしまいそうな事。ハイキングに行く、買い付けに行く、遊びに行く、などなど。アミの存在は自分との闘いでもあるな、こりゃ。そのうち月曜から金曜が定休日になったりして。あるいは昼過ぎから開店になったりして。でも休みすぎると収入減るから注意だな。デパート側は文句言わないかって?知ったこっちゃねえよ、仕事よりストーンズ優先だろ。
2006年01月15日
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昨日の夕方、店に1本の電話がかかって来ました。僕が人生で出会った中で最高の人間からでした。今はハッキリ言って廃人同様のお方です。彼には辛いことが起こり過ぎた。電話の内容はこれと言った用事ではありませんでした。ただ彼は「お前と出会えて良かった、ありがとう」と言ってくれました。「お前には俺の持ってるもの全てをやっても惜しくない」「お前のおかげで人生が輝いた」そんな言葉を僕に言ってくれました。27歳の時だったか、僕は仕事を辞めて海外の田舎で居候し何もない状態で日本に帰って来ました。そして彼の会社でバイトとして働き彼に出会えた事で本当に人生が変わってしまったのです。彼にはどんなにお礼を言っても物足りない。ありがとうを100万回言わねばならないのは僕の方なのに彼は僕に出会えて良かったと言ってくれました。Berryくんや天皇やどこかの大統領やミック・ジャガーにその言葉を言われるよりも嬉しかった。とびきりの女に耳元で「出会えて良かった」と囁かれるよりももっともっと嬉しくて手が震えて泣きそうになった。ああ、神様が本当にいるんならあの頃の彼に戻して下さい。僕の幸せが減ってもいいから。僕は喜んで受け入れるから。皆さんにお願いです。自分の大切な人に「あなたに出会えて良かった」と伝えて下さい。
2006年01月13日
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うちの店を担当しているヤマト運輸のケンちゃんが13年間勤めたヤマトを辞める事にしたそうです。彼は僕の店が今のビルに移転する時にも無償で引っ越しを手伝ってくれました。給料の問題とか会社に不満があるわけじゃない、自分には別の生き方もあるんじゃないか?それを知りたい、と言っていました。昔は転職はタブーとされていて1つの会社でずっと勤め上げるのが美徳とされていました。しかし僕はケンちゃんの意見に賛成です。1度きりの人生、もう1人の自分を見るのも面白い。僕もかなりの転職をして来ました。ただし負け犬のように辞めた事は1度もない。自分を信じて新しいドアを開けてきました。ケンちゃんだってそうだろうと思います。彼ならどこで何をやってもちゃんとやる。今までに何人もの人から転職や独立を相談されました。ただ所詮、人というものはすでに自分の中で答えは決まっていてあとは他人に背中を押して欲しいだけなのです。僕のそそのかし方はこうです。「あなたなら大丈夫」この【なら】は自分の子供に対しても言うけど1番よく言うのは自分に対してです。「俺なら大丈夫」その後にこう付け加えます。きっとやれる、ではなく「やってみせる」と。
2006年01月12日
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11月のハイキング以来 外界の空気を吸っていない。これはもう散歩に行かせてもらえない犬状態である。来る日も来る日も腱鞘炎になるほどレジばかり打ち(ウソ)札束が積み重ねられて行くのを見ているだけだ。(ウソ)いや、その後12月の雪が積もった夜に家の前の公園で2時間近く巨大雪だるまを作ったなあ。元旦は休みだったけれどもその日に限ってネット販売に追われていた。2月中旬まで定休日はない。3月4月は定休日はない。こりゃこりゃカラダに悪い。絶対に悪い。10連休も冬休みがあった会社員のお客さんが「こんなに休みが長いと疲れる」とか2週間も冬休みがあった学生達が「あ~、学校始まっちゃったよ」と言うのを聞くとムカっ腹が立つほど羨ましい。でもする事がないって人達と今の僕の状態とどっちが辛いんだろ?要は心の問題か。現状に満足するという。だけど・・・シャバの空気を吸いたいっ!早いとこ商品売って在庫なくして南の国に脱出したいぜ。誰か在庫全部買ってくれ~。
2006年01月11日
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12時間寝た。起こされなければ夕方になってしまうところだった。日清焼きそばをおかずにしてご飯を食べた。最近は夜明けの山を歩く夢をよく見る。紫色の空に槍ヶ岳のシルエットが見える。想像の風景ではなく過去の記憶のようだ。結局辿り着けず行き場を失う。かと言って落胆はしていない。これでいいんだと言い聞かせている。急いで店に行った。3時間働いてあとはバイトの子に任せて帰って来た。時々自分はなぜこの街にいるんだ?とふと思う。ああ、これが多分生きるって事か。明日もきっと無意識に呼吸をして。
2006年01月10日
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作家というものは産みの苦しみとの戦いだと思う。大原みりんちゃんは本を2冊出版しているし地元FMラジオの番組を持っていたし昨日の新聞にも載った、愛知県が産んだカリスマ突撃主婦である。今は同じ雑誌でみりんちゃんが2ページ、僕は1ページの枠を持たせてもらっている。(みりんちゃん担当の番組ではないが 実は僕もラジオ出演は3回あるのであるが ほとんど2時間ストーンズ流しっ放しであった)そのみりんちゃんから冗談か本気かわかんないけど(冗談とは思うが原稿料の提示価格がナマナマしく現実的であったので)ゴーストライターの依頼があった。実は読書感想文の達人と書いて放浪の達人と読むぐらい中学、高校時代は友人の読書感想文を書いていたんだよ。その代わりに数学や簿記をやってもらっていた。同じ課題図書で5通りの感想文を書き分けていたのだよ。さすがに妹が市長賞をもらって表彰された時には自慢していいやらどうしていいやら兄妹で悩んだな。あれでゴーストライターの気持ちがわかったよ・・・。(^^ゞゴーストライターとは口をつぐむ事でもある。て言うことで多分僕には向いてないかもな~。アマゾンからでなく みりんちゃんから直接本を買うとサイン入りしおりがプレゼントされます。しかし、アマゾンからユーズドの本も出てるって事はみりんちゃん結構売れてるんじゃないの。
2006年01月08日
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今でこそ小切手の書き方も覚え(書き方を覚えただけで書いたことはないのであるが)晩メシを買うお金に困るという事はなくなったが10年ほど前はボロ長屋で極貧生活を送っていた。最後に残された只1つの選択は日雇い土方で¥9,500の日当を稼ぐことだった。毎朝6時までに集合場所に行く。遅刻すれば仕事にあぶれ、その日の給料はない。海沿いの造船所の現場までワゴンで行き高さ26メートルの高所で足場を組み立てる。その高さで鉄骨を肩に担ぐ。海からの真冬の風は容赦なく吹き付ける。過酷な仕事だったが日雇いの仲間達はいい人ばかりでそれなりの過去を持ってはいたが思いやりがあった。ただいけなかったのは その過去がゆえにどうせ俺なんか、と自分の可能性を閉ざしていたことだ。僕には恥ずべき過去も誇るべき過去もなかった。自分のドアを閉ざす理由はなかった。いつか這い上がる、そう念じるだけで良かった。今日の新聞にその土建屋の寮が全焼したと載っていた。一緒に働いたおじさん達もきっと住んでいただろう。今日からどこで寝るんだろう。よりによって今年1番の冷え込みかよ。ちっ、ついてねえね。まあ運命ちゅうやっちゃな。あのおやっさんの口癖を思い出した。
2006年01月06日
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年末年始は大忙しでした。お客さんの人数のわりに売り上げは伸びずそれでも去年よりは売り上げは良かった。まあどれぐらい忙しかったかというと(どれぐらいストレスが溜まったかというと)右目の下がピクピク痙攣して治らないぐらいでございます。来る日も来る日も後を絶たない万引きも魅力ある商品がゆえの宿命と言い聞かせております。クソガキ、あ、間違えた、お子様をお連れになられる若いご夫婦、もう少しマナーを正しくなされた方がよろしいかと存じます。お子様を金髪にされていようがご両親揃ってタトゥーをお入れになられていらしても勝手ですが商品をグッチャグチャにしたままにすんじゃねえぞ、おら~!以上 もしかしたら接客業には向いてないかも知れないと痛烈に感じてしまった放浪の達人でした。来週あたりまで普通の日記は書けないと思います。(^^ゞ
2006年01月05日
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