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2006年の私的イベントをハルジさんがやってたので僕も1年を振り返って挙げてみた。1位:BALI島アグン山登頂2位:ハルジさん、ダギリッチさんと長野でオフ会3位:STONESと会った4位:アユタヤの夕焼けに感動。5位以下、特になし。ブログ仲間の皆さん、1年間ありがとうございました。とっても楽しかったです。来年も子羊ぶりに更に磨きをかける所存でございます。良い年末年始をお過ごし下さい。
2006年12月31日
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白い朝、蒼い朝、紫色の朝、灰色の朝、オレンジ色の朝。突き詰めれば大気中の微粒子の密度によって太陽光線の届く量が変わりそれが我々人間の感情をも左右する。地球の営み、神聖な雲の儀式は時に荘厳に、人を無口にさせる。金色の朝。
2006年12月30日
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果てなき生命連鎖のための宿命として生命あるうちに最期の力を振り絞り冷たい地面に身を投げる。来年の芽吹きのために犠牲となりあえて数兆のバクテリアの栄養素となる。だからちっとも哀しい死ではない。むしろ生命のために生命を投げ出し恍惚の悦びのうちに朽ち果てる。雪が静かに覆い隠していく。文明に溺れた人間なんかに枯れ葉の意図はわかるはずもない。足元にも宇宙がある。
2006年12月29日
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やっと年賀状を作れた。「富豪ヒマなし」という諺が昔からあるが富豪は友人知人も恐ろしいほど多いので今年は25枚もプリントしたのである。まあそれはさておき、全世界25枚限定である。BALI島アグン山から撮った朝陽の写真である。いかん、もう夜が随分更けてしまった。もう少し仕事しよう。 この写真をちょっとトリミングした。右側の黒い岩の部分をカット。で、文字を少し入れた。 *** 追加 ***この日の日記の画像だよ。
2006年12月28日
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今夜は一瞬時間が空いたので「カサブランカ」のDVDを観た。ハード・ボイルドの古典版とも言うべき名作である。実はこれ、本屋さんで税込み¥500で新品が売ってたのだ。愛しているから別れるというのはなかなかすごい事である。独占欲を捨て、思い出に生きる覚悟をしないといけないのである。涙は絶対見せてはいけないのである。哀しい嘘をつかなければいけないのである。感想文終わり。サム、「AS TIME GOES BY」を弾いてくれ。居間の有線からはQueenの「SHOW MUST GO ON」が流れている。
2006年12月27日
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店を留守にしていて戻ってみると小柄な女性が走り寄って来た。迷子になりながらも僕の店を探して来てくれたそうだ。もう10年以上も前に同じ仕事場で働いた仲だ。僕より5歳年下の可愛いやつである。僕は暑い夏の日にその職場を辞めた。新しい自分を信じて日本を出て南の島でただ海を眺めた。確かバリ島から彼女に絵はがきを出した。「あの職場の夢を未だに見るよ」彼女には言わなかったが僕はその夢にうなされる。薄暗い工場の中に延々と新車が置かれていて装備品やら外観の傷を黙々とチェックするのだ。「私も。ボンネットを開けて車体番号を確認する夢」彼女もその夢にうなされているのかと思ったがあの頃の彼女はいつも笑い転げていた。次の言葉で彼女の夢の分析ができた。「あの頃が1番楽しかった。戻りたい」「俺は戻りたいとは思わない」彼女の長いまつ毛を横から見た。可愛い大きな目が視線を合わせて来た。主人とうまくいってないそうだ。あれだけ彼女の幸せを願ったのに。壊れた時計のネジを巻く彼女、そんなイメージが湧いたクリスマス。
2006年12月26日
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大富豪なのでクリスマスプレゼントとしてもはや欲しい物は思い浮かばない。しいて欲しい物を挙げるとすれば何でも買えるほどの莫大なゼニぐらいのものである。大富豪ともなると望みも謙虚なのである。もう1つ欲しい物を挙げるとするなら旅に行く時間である。更にもう1つ欲しい物といえば旅に出ても平気な精神力と健康ぐらいなものである。大富豪ともなると屋台で何を食っても腹痛を起こさないという強靭な身体も必要なのである。ついでに欲しい物といえば、と挙げていくと規定の10000文字を超えてしまうといけないのでこのあたりで切り上げることにする。朝起きたら枕元にプレゼントがあった。ラッピングされたキットカットが3個。子供達からのクリスマスプレゼントだった。サンタっているんだねえ。
2006年12月25日
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今月号の雑誌エッセイをアップしました。これは過去日記にも書いた厳しくも充実した半年間を雑誌用におもしろおかしく編集した感じです。僕の人生の中で最大の転機となった期間です。それじゃあ【十二支】読んでやって下さい。
2006年12月21日
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何だか仕事が慌ただしくて発送ミスをしてしまった。このところ些細なミスの連発である。心の余裕がなかったんだろう。時を同じくして昔からの友人からメールが来た。仕事で同じミスを2回してしまったと。まあ、過ぎた事はお互い忘れましょうや。ミスすることも必要だと割り切ろうよ。やってしまったミスで考え込むより次にまたミスをしないようにとインプットしよう。このミスを今やっておいて良かった。このミスがなかったら後でもっと大きなミスをするとこだった、とミスを起こしたことにすら感謝しようよ。失敗って絶対気付きのチャンスだと思うんだよねえ。しくじったことをラッキーだと思おう。前向きにそう考えなきゃやってらんねえよ。
2006年12月20日
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高級車が嫌いである。特におベンツ、おBMW、以前乗ったことのあるおセルシオは貰っても乗りたいとは思わない、と言っても誰もくれないのだが、大富豪は黙ってこいつである。というかこいつはガレージで寝たきり老人状態である。ただ1度、おBMに乗った人が格好良く見えたことがある。僕が貧乏どん底で日雇い土方をやってた時のことだ。ある現場で足場を組んでいると、バイト先の会社の社長の奥さんが僕を別の現場への応援に移動させるためにおBMで連れに来た。僕の服は土でかなり汚れていた。寒い冬の日だった。乗って、というアネさんに僕はためらって上着を脱ごうとした。質の良い本革のシートだったからだ。「気にしないで、洗えばいいだけだから」と言ったアネさんがとても格好良く思えた。確かに社長婦人であるからお金はあるのでそんなことは気にしないのかも知れなかった。それでも世の中には「これ高かったんだから」と金持ちでも暗に自慢する人達もいる。それから2~3ヶ月後の仕事納めの日、日雇いの人達みんなでトラックやバンを洗った。僕はアネさんのBMWを洗わせて戴いた。
2006年12月18日
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この2日間、我が家は関東煮料理だったのだが初日よりも2日目の方が美味しいことは言うまでもない。ところで僕はちくわが大好きなのである。うちの関東煮にはちくわがぎっしり入っているのである。ついでに言えば僕はカラシをタップリつける。ちくわにカラシをつけるというよりカラシにちくわをつけると表現した方がいい。とにかく猛烈に辛いのが好きなのである。唐辛子入りのラー油も好きだ。ギョーザなんか食べる時には真っ赤な液体にギョーザをつけてのた打ち回っている。寿司やざるそばにはたっぷりワサビをつける。紅茶にはたっぷり砂糖を入れる。何しろ味がオーバーなのである。成人病にならないかという疑問があるだろうがその点は全く問題ないみたいである。問題は食材そのものの味が消えてしまうことである。
2006年12月16日
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正装が苦手である。似合わないのだ。しかもネクタイは縛れねえ。ハルジさんのようにはいかないのである。10年近く前、経営者ばかり集まって某有名ホテルのフロア貸し切りでクリスマス・パーティーがあった。招待状には「必ず正装でお越し下さい」とあった。辞退しときゃいいんだが出席することになった。20歳頃の友人同士のフォーマルパーティーではサイケデリックな民族衣装っぽい服で行ったことがあった。「まあ、たつじんはそれでOKってことで」と言われたなあ。そうだ、ピーン!何も正装=スーツ・ネクタイじゃなくてもいいじゃん。当日、ピアノやヴァイオリンの生演奏のフロアに300人程の社長や経営者が集まっていた。ほとんどが蝶ネクタイにタキシードである。会話は不動産とか自慢ネタが多いようだ。僕は友人からウガンダの正装を借りて行った。白いロングドレスのようなアレである。サリーを着た日本人女性と意気投合し彼女のムスタング・コンバーチブルで一緒に2次会に行ったが3次会も4次会もなかったことをここに報告しておこう。
2006年12月15日
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その白い建物の4階の隅の部屋に泊まった事がある。ダルバール・スクエアの喧騒が聞こえて屋上に登ればランタン・リルンの山並みも見渡せわざわざ警察なんかの手入れも入らない。部屋の広さは1.5畳。軋むベッドの足元が即ち荷物置き場でタバコとか何かの火を消すには手を伸ばしてひび割れた壁に擦り付けるだけ。1泊30ルピー、日本円で¥45。屋上には水道なんかも付いている。牛の話し声や笑い声も聴こえるよ。屋上から牛に向かってツバ落としちゃえ。あははあはは!と狂気の笑いでスケッチブックに空箱を描いて1日を過ごす。屋上のコンクリートに寝転びながら焚いたお香の煙が空に昇って行くのを見ていた。こうやって笑いながらこんな安いビルから転落死する奴もいるんだよねえ。遠い昔の旅のことだけどさ。
2006年12月14日
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窓の外を見たら濃い霧がかかっていた。オレンジ色のナトリウム灯が煌々としていた。外に出てみると案外寒くない。湿った匂いが漂っていた。霧を見るとカトマンズを思い出す。国境から乗ったオンボロバスは夜明けにバスターミナルに着いた。当てもなく歩き始めると深い霧の向こうから急にモワッと人が湧き出てきた。視界はほんの数メートル。ビンセンタワーの鐘が鳴る。鐘の音は霧に吸収されて響かない。大気に溶け込むような音色でもなく所在なさげに絶ち消える。石畳をコツコツとロバが歩き今度は霧の向こうから牛がやって来て人は白い息を吐いて静かに歩いている。霧は全ての音を閉じ込める。カトマンズの思い出からふと我に返ると耳鳴りがしそうな静かな夜。霧の中を歩きたい12月。
2006年12月13日
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小雨が降る中、開店前に年に1度の避難訓練があった。救急班、消火班、誘導係という分担に分けてビル横の公園に避難した後、消防署長の話を聞く。らしいのだ。僕が到着した時には既に全て終わっていた。最初から出る気はない。まあ、ちなみにこちらが去年の訓練の模様である。大人になるとイロイロ大変らしいのだ。
2006年12月12日
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昨日はTVで「ラストサムライ」を観た。ストーリーも良かったが カメラの撮り方が非常に良かった。日本人の監督とかカメラマンじゃあれだけの映画は作れないだろう。でも本当はトム・クルーズも死んで欲しかったな。そのあたりが「生きてナンボ」のアメリカ映画らしい。(笑)1959年ドイツの白黒映画で「橋」というのがある。少年7人が兵士として召集され、地元の小さな橋を守るという任務に就くのだがラストシーンで主人公の少年が号泣するのである。観終わった後にこちらも涙目で沈黙してしまうのである。ストーリーはこちら。やはり僕はサッドエンドが好きなようである。
2006年12月11日
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今日は軍物衣料が入荷した。大きな段ボールで3個ぐらい届くだろうなと思ってたら5個も届いてビックリ仰天な1日だった。1年のうち364日は働かないことに決めているが今日はやむを得ず働くことにした。ジャケットを脱いで腕まくり状態である。2時間かけて一気に全部を陳列し今日の業務終了。ていうか年内の業務終了。空になった段ボールを捨てに行くの面倒だなあ。
2006年12月10日
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本日、某仕入れ先から軍物衣料が大量入荷予定である。おそらく大きな段ボール箱が3個分入ってくるはずだ。午前中に急いでヤフオクで売れたアクセを梱包して昼からはその軍物衣料を店頭に陳列する予定である。この某仕入れ先の倉庫に行ったことがある。デカい倉庫の中にはとんでもない量の軍物商材が置いてあってもちろん部外者は立ち入り禁止である。ドイツ軍からのコンテナ、アメリカ軍からのコンテナ、と国ごとにブースが分かれていてリフトで荷物を運んでいる。見ていて圧巻なのである。もう10年来の取り引きになるが今日はそこの社長と電話でプライベートな話をした。意外な一面を持った人と話すのは楽しいものである。
2006年12月09日
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カトマンズからバスを乗り継いでナガルコットという村に行ったことがある。ロウソクだけで夜を過ごすいい宿だった。というか村全体に電気なんてものはなくただ漆黒の闇を受け入れるだけの夜でそれはとても心地の良いものだった。その旅では結構無茶をしていて夢か現実かわからない世界をフラフラしてたのであるがエベレストの横から昇って来た朝陽はまるで宇宙の果てから見ているような寂しさとか哀しさを伴った真の現実だった。胸がキュンとなるような朝陽だった。鳥肌が立ったのは寒さからではなかった。生きてきた時間、生きていくだろう時間が本当はまばたきをする間に終わることを知ってそれで哀しくなったんだろうと思う。その村まで行きも帰りもバスの屋根の上に乗って行った。女、子供、老人は座席に座り男や家畜は屋根の上という図式があった。トイモイさんの日記にバスの上に乗った画像があったがアジア旅行とはこんなもんなのである。揺さぶられるままに揺られてみるのも面白い。内面への旅とはそんなもんなのである。
2006年12月08日
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サラダが大好きである。レタス、パセリ、セロリ、パクチーなどとにかくハッパなら何でも好きである。(↑ この1行で約2名からコメントが寄せられると思われる)今日の晩ご飯に海草サラダを食べた。海草にも目がない。延々と食べる。酢で浸したやつであった。「日本人は海草を食べるって本当か?」と何人かの外国人に訊かれた事がある。どうにも納得出来ないらしい。長屋に住んでた時にインド人がホームステイした事がある。ヒンドゥーであれムスリムであれ宗教上の理由で牛か豚を食わないだろうと予想していたが何とそいつは動物性のものは油であれ口にしない人だった。お好み焼きのソースですら原料を確かめる程だったのだ。結局何を食べてもらっていたのかは忘れたが自分は好き嫌いが何もなくて本当に良かったなあと思う。どの国で何を食ってもうまいもんなあ。
2006年12月07日
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昨夜は珍しく忘年会というシロモノに出席した。場所は自宅近くの某高級料亭である。さすが富豪の付き合いともなると会費もベラボーで1人2千円もしたのであった。20数年前は女子高生だったお姉様に囲まれて、であった。その中に30数年前は女子高生だったお姉様もいたということはここではあえて伏せておく。そういえば「○○会」というのは苦手である。全校集会なんてものは中学の時からあまり出たことがない。間違って出ようものならズボンを注意されたり何だかんだで先生にイチャモンを付けられるのである。わざわざ殴られるために出ることはないのである。会社の忘年会というのも苦手だった。負け犬が酔ったフリして上司の悪口を言う会のことである。ああ、忘年会で思い出した。全然モテない鬼頭という男がいて(あ、実名出しちゃった)そいつは忘年会でもカメラを持参しているのである。コンパニオン姉ちゃんと2ショット写真を撮るためである。僕は毎回「シャッターを押せ」と頼まれていた。一眼レフなので上手く撮れる奴がいないのである。まあ僕はその鬼頭が嫌いだったので(しまった、また実名出しちゃった)鬼頭の目から上が写真からはみ出るように撮った。翌年だったか翌々年だったか、ついに鬼頭が文句を言った。「おい、毎年俺の頭が切れて写ってないじゃないか」だからその年の忘年会は彼の頭までちゃんとフレームに入れて撮ったがその代わり彼の顔が半分しか写らないようにずらして撮った。
2006年12月06日
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大富豪なのでユニクロを買収すればいいのだがユニクロダウンジャケとフリースジャケしか持っていない。というわけで今日は寒かったのでスイス軍のマウンテンジャケットを着て店に出た。超富豪なのでスイス軍をカネで傘下に置けばいいのだが持っているのは10年以上前に買ったこの1枚だけである。カモフラージュ柄は好きではないのでモスグリーンの無地である。さて、早速僕と同じ色の軍物ジャケットが2着売れた。しかもお客さんの2人共が僕に向かって「どんな靴を履くと似合いますかね?」と言って僕の足元を覗き込んできた。「俺はドクター・マーティンのブーツ履いてるよ」と答えたら「そうですね、やっぱ黒のブーツですよね」と言って帰って行った。恐らく明日からドクター・マーティンの売り上げが伸びると思われるのでその会社ごと買い取ってしまおうかと検討中である。ちなみに僕の持っている靴はこいつと登山靴の2足のみである。大富豪は案外質素にカモフラージュして生活するものである。それにしてもこの調子で軍物ジャケットを売っていくと僕と同じ格好をしたクローン人間が増えるのである。
2006年12月05日
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初めての海外旅行はバリ島だった。よりによって飛行機の到着時間が遅れるなんて。深夜、寝静まったクタで安宿を探しおばちゃんを叩き起こしてチェックインした。確か¥170程度の宿だった。しばらくしてシャワーを浴びようとしたが水が出なかった。またおばちゃんを起こしに行った。随分遠慮のない旅行者である。治安がいいか悪いかわかんなかったのでパスポートやらの貴重品を手に持って寝た。朝になって目が覚めると外に出た。竹のテーブルには紅茶ポットが置かれていた。中庭のハイビスカスの木々を眺めていると頭の上にカゴを乗せた女の人がやって来た。そのカゴの中にはバナナの葉にくるんだ弁当があり1つ¥30のそいつを買った。バリで初めての食事となったそれは忘れられないほどに美味かった。未だにあのナシ・チャンプルを凌ぐ味には出会っていない。今日のタイトルはトイモイ氏からのパクリ
2006年12月04日
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今日も家の近くで事件があった。ナイフを持った男が下校途中の小1の子を襲おうとして未遂に終わったという事件である。このあたりの小学生は集団登下校だが生徒全員は首からホイッスルをぶら下げている。何かあったらそれを吹くのであるがそもそもホイッスルを常時携帯すること自体が尋常ではない。今日はその小学生がホイッスルを吹こうとして犯人は慌てて逃走したらしいのだがいくらホイッスルが鳴ったからといっても近所の人が家から飛び出して助けるとは限らない。あ、笛が鳴ってる。それだけで終わりだと思う。ここ岡崎市は最近ホームレス連続襲撃事件もあったし治安がどうも悪いんだよね。地方都市特有の暴走族も多いし。ちなみに僕は絶対に道を譲らず突っ込みます。ぶつけられたら脅して新車を買ってもらう。そういえば今日のナイフ男は逃走中なのだが身長170cmぐらいで上下黒い服って僕とドンピシャなんですが・・・。
2006年12月02日
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両親が店に遊びに来た。「家の前に建て売り住宅が5軒建ったよ」と聞かされた。昔はそこに大きな鋳物工場があり僕はそのコンクリートの壁に向かって飽きもせずピッチング練習をやっていた。壁に向かってボールを投げ、戻って来たボールを受けそれを延々と暗くなっても続けていた。「もうご飯だよ」と母が呼びに来る。明るく軽い返事をしながらも心の中の悔しさを壁にぶつけていた。何が悔しかったのか思い出してみるのだがそれは小学生によくある問題であったり父親に対する言えない感情であったり夕焼けの切なさに対する淋しさだったのだろう。随分と実家を訪れていない。鋳物工場が壊される前に無数にボールの跡が付いていたあの壁を右の手のひらでそっと撫でてみたかった。
2006年12月01日
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