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【2017年4月30日(日)】 今日のGW2日目は、「旧三井家下鴨別邸」ガイドの第5日目でした。 昨日の午後は嵐に見舞われ不安定なお天気でしたが、今日は打って変わって、本当に良いお天気で、京都は最高気温27.5度の夏日になりました。下鴨別邸のお庭もいよいよ新緑が綺麗になってきました。 団体さんによっては、2階の座敷を有料で借りきってということもあります。初めて今日その案内を担当しました。 GW中なので1階の座席がほぼ埋まることもありました。ガイドが終わって2度ほど拍手をいただきました。八木邸のときに経験したような万雷の拍手ではなく、遠慮気味の拍手ではありますが。私の下鴨別邸でのガイドで拍手をいただいたのは初めてです。説明の内容やインパクトは以前の変わっていないと思うので、気候がよくなってきて、お客様の気分も高揚しているとか、GWだからだとか、そんな要因もあるのかもしれません。 さて、下鴨別邸の案内の続きです。 前回は、この下鴨別邸は、第二次世界大戦後、財閥解体の動きのなか、三井家から国に譲渡され、北隣の京都家庭裁判所の所長さんの官舎として戦後使われてきたということを書きました。 しかし、三井家の所有だったときは、住居として使われていたわけではありませんでした。今京都家庭裁判所が建っているところには、顕名霊社(あきなれいしゃ)というお社が建っていました。このお社は三井家のご先祖をお祀りする祖霊社で、明治42年(1909)にこの地に遷座されてきました。 その顕名霊社では、三井家のご先祖をしのぶ行事が行われましたが、大正時代になって、そこに参列された方々の休憩所として、三井家の総領家である三井北家(きたけ)第10代三井八郎右衛門高棟(たかみね)が建築したのが下鴨別邸です。 顕名霊社の歴史については、私がガイドのために渡された資料にも書かれていますが、三井広報委員会のHP(http://www.mitsuipr.com/)により詳しく書かれていますので、そちらとWikipediaからの情報を参考に要約します。・呉服を商う三井家は京都で養蚕の神・木嶋(このしま)神社を信仰しており、宝暦元年(1751)、「顕名霊社」として勧請し、神社内に社殿を設けた。・明治に入り、廃仏毀釈運動が活発化。神社・仏閣の排斥が進む中で、明治7年(1874)、顕名霊社は木嶋神社から京都・油小路の三井総領家邸内への遷座を余儀なくされる。・一方、京都から東京へ事業拠点を移した三井家では同年、東京・深川の三井家別邸内にも顕名霊社の社殿を新たに造営し、京都・東京の両地で祖先の御霊を祀った。・京都の顕名霊社は、廃仏毀釈運動の終息とともに本嶋神社に戻された。・三井家は明治31年(1898)、京都・下鴨神社の南側に6、000坪の土地根を購入。明治42年(1909)、三井家の遠祖・三井高安の300年忌に際し、下鴨の地(現在の京都家庭裁判所の地)に遷座された。・戦後の財閥解体を受け下鴨の地は国有化され、顕名霊社は再び、油小路の三井総領家邸内に戻される。・総領家邸も昭和33年(1958)に処分。社殿は総領家と縁戚の福井松平家の氏神「佐佳枝廼社」に譲渡された。・その社殿も昭和末期に福井市の土地開発事業計画により撤去され、「御霊璽」は東京の顕名霊社に移された。社殿は解体・移転費の負担を条件に茨城県の有志が無償で引き取った。・東京の社殿は三井邸の造営や空襲などの影響で、深川、土手三番町、麻布、用賀と遷座を重ねる。・罹災を免れた社殿は戦後、西麻布の総領家邸に落ち着く。・三井総領家第11代・三井八郎右衛門高公当主の死後、邸の解体に伴い(三井八郎右衛門邸、江戸東京たてもの園に移築・復元)、平成6年(1994)、東京・向島にある三井家の守護社・三囲神社内に移築され、現在に至る。社殿は柵に囲われ、通常は非公開。 なお、顕名霊社の珍しい三本柱の鳥居は本嶋神社にある「三柱鳥居」を模して明治の遷座に際して造営されたもの。社殿とともに、三囲神社の裏手にひっそりと佇んでいる。 三井家では、享保年間に三囲神社を江戸における守護社と定めたが、その理由は、三囲神社のある向島が、三井の本拠である江戸本町から見て東北の方角にあり、鬼門だったことと、三囲神社の“囲”の文字に三井の“井”が入っているため、「三井を守る」と考えられたため。 顕名霊社は廃仏毀釈・第二次世界大戦・財閥解体を経て、数奇な運命を辿ったことが分かります。三井神社の顕名霊社http://www.mitsuipr.com/三柱鳥居http://www.mitsuipr.com/顕名霊社が鎮座していた場所に建つ京都家庭裁判所http://www.courts.go.jp/kyoto/(内容再考版。原文は非公開日記に移動済み。)-------------------------------------------------------------------よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2017/04/30
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【2017年4月29日(土)】 第32回国際アルツハイマー病協会国際会議・京都(ADI2017)でのボランティア2日目でした。 会議の全日程(4日間)に参加したわけではなく、2日目(こちら)と今日の4日目だけです。 今日は祝日で、タイミングのよい五条通経由のバスがなく、往きはバス+阪急+地下鉄での出勤でした。今日の勤務場所は、イベントホールの入り口。各会場への場所案内とイベントホールのみ参加のお客様(無料)が有料エリアに入らないようにするのが主な仕事ですが、今日は、無料のお客様はいらっしゃらないので、結局、会場の場所案内のみでした。案内と言っても、他の会議場への通路は一か所しかないので、道を尋ねるお客様も少なく手持ち無沙汰でした。 午後2時には、イベント会場の行事も終了し、案内の必要もなくなったので、メインホールのイヤホンの回収を時間まで手伝いました。 勤務一日目もそうでしたが、運営会社によるボランティアへの指示が曖昧な部分がありました。素晴らしい国際会議だったと思いますが、そこだけがちょっと残念でした。 受付を済ませたところのウェルカムボードメインホールでの閉会式こんなジャンパーと名札を着けてやってました。このジャンパーは、そのままいただいたのですが、普段着るにはちょっと派手な色です。 それからこのボランティアとは関係ないのですが、今日同じガイド会からの参加しているある方と休憩時間に話す機会があったので、以前から聞きたいと思っていたことを聞いてみました。 私は「がん」を経過観察に持ち込んで、次のステップとして、観光ガイドをしたいと思っていた一昨年の12月、京都市が国家資格がなくても、京都市内限定で外国人の観光ガイドができる通訳ガイド「市ビジターホスト」の制度を設け、約50人の募集をすることを知りました(そのニュースはこちら)。このときのTOEIC得点条件ならOKだし、京都についての知識もあるので、「これだ!!」と思い応募しました。しかし、あえなく書類選考で落選。競争率が10倍だったそうです。それからその後合格した方々の研修中のニュースを新聞で見たのですが、年齢がずいぶんお若い印象でした。 今日このことについてお話しした方は、その選考にパスして研修を受けられたのですが、そちらに軸足を置かずに、我がガイド会に入会された方です。何故、そうされたのかを聞きたかったのです。 お話しさせていただいて、色々分かりました。・募集要項には書いてないが、実質的に年齢制限があること。募集要綱どおり約50人の方が入会されたのですが、その方は当時60歳で、合格されたなかでは最高齢だったとのこと。私は研修開始時には61歳に達することになっていたので、実質的に応募資格がなかったことになります。・研修終了しても仕事があるわけではないこと。京都市が間に入って仕事を斡旋してくれると思っていたのですが、そうではないようです。専用のサイトがあって、そこに登録しておいて、仕事を待つということで、なかなか仕事は来ないようです。それでその方は、結局我がガイド会に入会されたとのこと。それが正解だったとのこと。・合格した方々の京都観光に関する知識は決して高くはなく、年齢、英語力で選ばれてるいる感じだった。・今までは京都市がやっていたが、3期目からは京都市観光協会に丸投げされるとのこと。そうすると仕事をもらえるチャンスが増えるかもしれないとのこと。・欧米人にとって観光ガイドの職は非常に低い地位の職業に見られるので、このガイド会で日本語でガイドしているほうが、よっぽどやりがいを感じられるとのこと。 私は今日のお話を聞いて、負け惜しみでなく、むしろ選考で選ばれなくてよかったと思った次第です。しばらくこの会で頑張ります。 家内は友達と始めた「歩こう会」で、阪神武庫川線の廃線跡と灘の酒蔵エリアを歩いて帰ってきました。2万歩くらい歩いたそうで、疲れ切って帰ってきました。ダイエットにはいいでしょう。(内容再考版。原文は非公開日記に移動済み。)-------------------------------------------------------------------よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2017/04/29
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【2017年4月28日(金)】 今日は、私の実家のある三重に墓参り。私のガイドの関係、家内のテニスの関係、両方を考慮すると、ピンポイントでこの日しかありませんでした。幸いとても良い天気に恵まれました。お墓参りは今年4回目で、月一度の目標が今のところ守れています。 珍しく長女の方から、お墓参りに合流したいとの話があり、名古屋から合流。長女にとっては、去年8月の長男の7回忌以来のお墓参りです。長女は、今妊娠6ヵ月くらいでですが、身体が丈夫なほうではなく、大事をとって会社を休業中ですので、平日ですが合流できました。自分から合流すると言ってきたくらいですから、体調は良好のようです。 明日からGWですが、渋滞もなく順調に三重に着き、長女を駅でピックアップして昼食。いつも家内と二人のときは、スーパーで弁当を買って安くあげるのですが、今日は長女もいるので、レストラン探し。「木曽路」というお店があったのですが、確か偽装不祥事でニュースになったところなのでそこは避けて、「さがみ」という関西では見かけない、お蕎麦を中心にしたレストランに入りました。長女が「名古屋にもあるし。」と言ってはいたのですが。名古屋が本社のようです。 引き続き、マックスバリューでお花を買い、長女が来た時にいつもしてあげているように、買いだしをしてあげ、お墓参りへ。本当に気持ちのよい天気で、良いお墓参りになりました。親鸞上人廟にもお参りしたのですが、お彼岸、お盆、お正月など特別な時ではないので、阿弥陀堂や御影堂には上がらず、外からお参りしました。せっかく長女が来てくれていたので、安産祈願のためにも、上がってお参りすべきだったと後になって反省。 実家に家内と長女を置いて、空気の入れ替えを頼んで、私はこのごろの三重行きのルーティーンである賃貸駐車場の溝の土取り。雑草対策で数ヶ月前から初めました。1回に駐車ブロック半分から1つ分の土砂を取り除いています。今回も半ブロック分をビニール袋9つに詰めて、帰途に処分可能なところで処分。これでようやく3ブロック分が終了。このペースで行けば、全部終わるのに、あと1年半程度かかりそうです。手前が未除去、向こう3ブロックが除去済み。 除去したところは、期待通りというか当然というか、溝の中には雑草が生えてないのですが、溝の上の縁の僅かな割れ目にスギナなどが入り込んで繁殖しています。スギナの生命力はすごいです。スギナにはより多量の除草剤が必要だというのも納得です。わずかの割れ目に繁殖したスギナなど 他の部分に除草剤を撒いて駐車場での作業は完了。長女を駅に送り届け、帰途に就きました。やはり東名阪の亀山から向こうが渋滞していたので、一旦関インターで下りて、土山インターから新名神に乗るというパターンで帰ってきました。 私の明日からのGWは、・29日 アルツハイマー学会国際会議ボランティア2日目・30日 旧三井家下鴨別邸ガイド・5月1日 修学旅行ガイド・2日 ゴルフ・3日 旧三井家下鴨別邸ガイド・4日 オフ・5日 オフ・6日 飲み会(伏見)・7日 オフとなっています。 オフの3日間を利用して、京都産業大学特別客員研究員の計画書作成です。現役時代と違って、のんびりできないGWになってしまいました。今日会った長女からも、あまり無理しないようにと注意されました。何にでもチャレンジしたがる私ですが、年齢のことも、「がん」がまだ体内に残っていることも、念頭に置いておかねばなりません。 -------------------------------------------------------------------よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2017/04/28
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【2017年4月27日(木)】 昨日から4日間の予定で、京都国際会館で第32回国際アルツハイマー病協会国際会議・京都(ADI2017)が開催されています。今朝の読売新聞(大阪)でも紹介されています。今夕の関西でのNHKニュースでも紹介されました。今朝の読売新聞記事 我がガイド会も協力させていただいており、多くの方がボランティアとして参加しています。 私は今日27日と29日が勤務日で、今日は会場の2階での会場案内を主に担当しました。高齢者ということもあって、10:00~16:00の勤務です。関西圏の大学の学生さんも多くボランティアとして来られています。彼ら、彼女らは若いので8:00-17:00だったか、長い勤務時間です。 私の持ち場でペアを組んだのは、KT大学の看護科の学生さんでした。彼女はフットワークが軽くて、頭の回転が速くて、会場案内をテキパキとこなしていました。私はがんの治療で長く入院し、看護師さんにお世話になり、看護師という仕事がいかに大変か、そして看護師に必要な素養が何かということはある程度分かったつもりです。看護師というと優しさとかが必要と思いがちです。もちろんそういう側面も大切ですが、判断力、即断即決力、そしてある意味、冷徹さも必要です。彼女はきっと立派な看護師になると思います。別れ際にも、「あなたはきっと立派な看護師になる。がんばって。」と声をかけました。 昨日も書きましたが、京都国際会館は外観だけでなく、内側も非常に複雑な構造で、通常でもお客様が分科会の会議室を探すのに一苦労されます。「ここを真っすぐ行ってください。」「そこを右に曲がってください。」という単純な説明だけでは辿りつけないことも多いので、結局その場所近くまで案内しなければならず、結構歩きました。 このような催しに協力させていただくことができたのは、嬉しいことです。幸せなことです。ただ、委託された会議運営会社のボランティアへの情報提供が不十分だったこと、プログラムに誤記や翻訳に初歩的なミスが多かったことなど、参加者や協力者に混乱を与えたことは残念なことです。 明後日、もう一日勤務があるので、お役に立てるよう精一杯努めます。メイン会場の会議が終わって、参加者が出てきたところ(私の持ち場からの眺め)私の持ち場近くの装飾各会議室の位置を確認する途中で出会った風景(内容再考版。原文は非公開日記に移動済み。)-------------------------------------------------------------------よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2017/04/27
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【2017年4月26日(水)】 今日から4日間の予定で、京都国際会館で第32回国際アルツハイマー病協会国際会議・京都(ADI207)が開催されます。日本での開催は2004年以来です。約2500人の参加者があり、海外からも600~700人の方が参加されます。認知症患者の方やそのご家族の方も参加されます。 観光ガイドとは関係ない催しなのですが、我がガイド会は要請もあって、会場案内などのボランティアを担当します。以前、会として「認知症サポーター講座」を受けましたし(こちら)、私はこのボランティア募集があったとき応募もしました(こちら)。 私のボランティアの勤務日は27日と29日です、今日はボランティアの事前説明会があったので、午前中、京都国際会館に行ってきました。事故でバスが渋滞して焦りましたが、何とかギリギリ間に合いました。全体では200名程度のボランティアが参加するようです。京都国際会館会場案内板 全体説明会後、いくつかのグループに分かれて、係の人から、会場全体のレイアウトの説明、各人の持ち場の説明を受けました。左:レイアウト図、右:持ち場一覧 京都国際会館は大谷幸夫氏の設計で、1966年に建てられました。複雑な造りをしており、会場案内はややこしそうです。 雨も降っているし、To Doもたくさん溜まっているので、午後は自宅に直帰しました。(内容再考版。原文は非公開日記に移動済み。)-------------------------------------------------------------------よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2017/04/26
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【2017年4月25日(火)】 今日は、修学旅行ガイドの通算3回目でした。今年としては2回目です。 昨日の懇親会の二次会をお断りして、帰宅後不足している「紙芝居」を作成しようと思いましたが、瞼が重く結局昨晩はできませんでした。それで今朝早めに起きて何とか間に合わせました。平安神宮、銀閣寺、北野天満宮、金閣寺は「紙芝居」が曲りなりにもあるので、それを使うことにして、清水寺と二条城のみ作りました。朝の短い時間で作ったので、特に二条城は大政奉還に全く触れてないなど、不完全です。今後ブラッシュアップする必要はあります。 今日の学校は北陸地方の中学校。私の担当班は男子2人、女子3人の班。以前レスポンスレターを出したのですが、その後、班のメンバーも行き先も大きく変わってしまい、今朝一からの行き先などの調整となりました。こういうことも時々あるようです。 この前の甲信越の公立中学校とルールや進め方が色々違いました。カメラは班ごとに学校授与の使い捨てカメラを持っていました。個人も、使い捨てカメラなら持ってきてよいとのことです。使い捨てカメラにこんな需要があることを初めて知りました。 学校ごとにルールや進め方が色々違うんだということがよく分かりました。それらがガイドとしての行動にも影響してくるので、その日その日でよく確認しなければなりません。 私の班の行き先に、北野天満宮が入っていました。今日は25日で天神さんの日だと、開始前にガイド仲間が気付かせてくれました。北野天満宮周辺のレストランは混雑することが予測されるので、昼食は早めに銀閣寺付近でとることにしました。行き先のお休みや行事にも要注意です。 今日一日私自身も楽しくガイドができました。後にいつもの年表を使って訪問したところをおさらいして、一番印象に残ったところを聞いてみました。即答はなかったですが、全員金閣寺でした。やはり金閣寺のインパクトは大きいようです。 気付き、感想、反省を列挙します。・銀閣寺と金閣寺での大文字、左大文字の説明を失念しました。五山送り火の写真やイラストは準備したほうが、分かりやすい。・平安神宮で手水舎で手水の仕方を教えましたが、北野天満宮ではスルーしてしまいました。生徒だけでやらせたらよかったかも。・昼食は、大銀食堂とカフェ・ベアとも開いていたので、ショーウィンドウで比較させたのですが、大銀食堂を生徒たちは選びました。生徒たちは麺類を頼みましたが、味は好評でした。・25日の北野天満宮付近での昼食は避ける。・・朝の責任者からの連絡ではなかったが、外人観光客へのインタビューの課題があった。金閣寺有料拝観エリアで行ったが、終わってから警備員に、有料拝観エリアでは、インタビュー禁止との注意を受けた。他の寺社でも要注意。責任者になったら、英語インタビューがないかどうか学校側に確認して、朝の全ガイドへの連絡で、その有無を伝え、あるのであれば実施場所について注意喚起が必要。・京都駅でお土産店がどこにあるのかは知らなかったので、インフォメーションで聞いたら、中央改札口西側1階の「京名菓」とその地下の「京小町」がいいとのことで、生徒たちをそこに連れて行きました。確かにバラエティーに富んだ多くのお土産店がありました。京都に住んでいると、駅で京土産を買うことはないので、ここにこんな立派な土産物街があることを知りませんでした。目からウロコでした。お菓子だけでなく、お線香を買っている生徒もいました。・前回同様、最後に時間が余ったので、京都駅ビルの屋上に上り、今回は空中経路も歩きました。好評でした。京都駅近くのホテルの場合は、京都駅での時間をとってない場合でも、意識的に早めに京都駅に帰ってきて京都駅ビルの屋上から京都を俯瞰してもらうのは、最後の締めくくりとして印象に残る良い方法だと思います。・歴史的説明は生徒にとって退屈である。しかし、修学旅行という名が付いている限り何か学んで帰って欲しい。各訪問で説明の前に何か1つだけでも憶えたり、何か感じて欲しいと促し、見学が終わった後、それについて尋ねるというようなことをしてもいいのかなぁ。やり過ぎかなぁ。・多少駆け足でも、あるいはショートカットしてでも、要望箇所全部回れると満足感があるようだ。朝の相談次第だが、最初は訪問箇所の数を減らすのでなく、全部回ることをまず目標に置いたほうがいいのかもしれない。・バスや食堂などでの忘れ物ないようにとの注意喚起を忘れることが多々ありました。(内容再考版。原文は非公開日記に移動済み。) -------------------------------------------------------------------よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2017/04/25
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【2017年4月24日(月)】 旧三井家下鴨別邸4回目勤務後、木屋町別邸の跡を探索した後(こちら)、ガイド会有志の懇親会に参加しました。会の中で、ここ数年の時期に入会したメンバーの有志による会です。 今日の会場は四条大橋を東に渡ったところの、南座の前にある「レストラン菊水」でした。3階の多目的スペースを借り切っての開催でした。「レストラン菊水」は建物が国の登録有形文化財に指定されている創業大正10年のレトロなレストランです。私が3年前、抗がん剤入院治療を始める前日に家内と南座で藤山直美の観劇をした後、家族といっしょに夕食をした思い出の場所でもあります(こちら)。昭和初期のシャンデリアが当時のまま残っています。レストランのパンフを切り貼りしておきます。今回の懇親会のスペース 今日の回の最後は女性陣が前に出て、ここの社長が説明しながら、デザートを作るという演出もありました。面白く、盛り上げのお上手な社長さんでした。 決して洗練はされていませんが、ノスタルジックな雰囲気のあるレストラン・宴会場です。飲み放題付きで、5500円。一等地ですが、値段がリーズナブルなのも嬉しいです。 二次会も誘われましたが、明日、修学旅行ガイドなので、直帰しました。(内容再考版。原文は非公開日記に移動済み。)-------------------------------------------------------------------よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2017/04/24
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【2017年4月24日(月)】 「旧三井家下鴨別邸」ガイドの第4日目でした。お天気は良かったです。庭の緑が次第に豊かになっていきます。 さて、以前、今日のペアの方に、公募ガイドの参考に、私が京都観光・文化関係のテレビ番組を録画したDVDをお貸ししたことがあるのですが、そこでその方が思わぬ発見をしてくださいました。「知られざる物語 京都1200年の旅」という番組を録画した中に、下の場面を偶然見つけられたのです。 場所は昔の三条大橋の河原で、川床を設けて涼をとる風景です。女性たちの向こうに物見櫓のようなものを持つ周りに比べて高い建物が見えます。旧三井家下鴨別邸でのガイドで説明する木屋町別邸です。旧三井家下鴨別邸の主屋部分は、この木屋町別邸を大正10年に移築してきたものなのです。 ガイドのときも、移築前の写真をお見せして説明するのですが、鴨川側から真正面を撮った写真で、「三条木屋町上ルの鴨川沿いにありました。」と説明します。この写真を使えば、三条大橋を少し上がったところというのが一目瞭然ですし、より印象的です。 ガイドのためにいただいた資料ではこの建物がある場所は、佐久間象山の寓居跡ということになっており、今日、勤務終了後ガイド会有志の懇親会が四条河原町近くであるので、この今日のペアの方と歩いてその場所を探しながら会場に向かおうということになりました。 この佐久間象山寓居跡碑は私は何度か訪ねたことがあります。鴨川伝いに歩いて御池通を上がり、木屋町通沿いを石碑を探しながら歩きました。鴨川に面した駐車場の入り口付近に目立たなく立っていたという記憶がありました。 それらしき駐車場は見つかったのですが、石碑は見当たりません。キョロキョロしていたら、近くに立っていた警備員の方が、「石碑をお探しですか?」と、看板を移動してくださり、お目当ての石碑発見です。看板の後ろに隠されていて見つからなかったのです。「時々ここを訪ねて来らる方がいるので、こうやっていちいち看板を移動させています。」とのこと。 看板の後ろに隠れていた「佐久間象山寓居跡碑」です。 この場所を把握しておいて、三条大橋の東岸の少し下流へ。川の高さへは下りれないので、アングルは違いますが、散歩道から写しました。丸印の部分が、木屋町別邸のあった場所と推測されます。 何か大発見した気分で、懇親会会場に向かいました。 懇親会の様子はこちらです。 (内容再考版。原文は非公開日記に移動済み。)-------------------------------------------------------------------よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2017/04/24
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【2017年4月23日(日)】 今日はお昼に、M社独身寮時代からの同期仲間の飲み会が高槻であって行ってきました。夜の時間で全員が都合がよい日がなくて、日曜昼の開催となりました。場所はいつもの阪急高槻駅近くの「たご作」。 タナユさん、タナシさん、オカさん、オモさん、セキさん、オオさん、私といつもの7人が集まりました。タナシさんは、東京単身赴任、セキさんは名古屋単身赴任で、終了後、それぞれ勤務地に移動する準備をしてでの参加です。 前回の飲み会は10月ですので、半年前です(こちら)。半年に一度というのが定着してきました。 今回の話題の目玉は、私の京都検定の1級合格もあるのですが、何といっても、オカさんの娘さんのご結婚です。お子様はお嬢様お二人で、お二人ともバイオリニスト。コンサートも開くトップレベルのお二人です。お二人のうちお一人は結婚されているのですが、もうお一人が今回結婚されたとのこと。 そのお相手がすごい。私は存じ上げないのですが、テディ・パパヴラミとおっしゃる世界的なバイオリニストです。アルバニア出身で、現在スイス・ジュネーブ在住。今年の「ラ・フォル・ジュルネびわ湖」にも出演されます。下記のHPに紹介されています。 http://lfjb2017.biwako-hall.or.jp/artist/ 橿原神宮で神式で結婚式を挙げられたとのこと。スイスからご両親やお友達も来られての結婚式だったとのこと。写真も見せていただいたのですが、向こうのご両親も着物を着ての、純和風の結婚式だったようです。幸せを絵に描いたようなご家族です。でもお一人は関東に嫁がれ、もうお一人がスイスということで、ちょっと淋しくなっちゃいそうです。 他には、皆さん現役で働いておられるので、仕事の話もしましたが、今年はスキーにバンバンに行ったとか、お子さんのコスプレがようやく下火になってきたとか、奥さんのご朱印熱とか、仕事辞めてワンちゃんのケアに専念したいとか、プライベートの話題も事欠かず盛り上がりました。 コース料理なので2時間で追い出され、しゃべりきれてないので、近くの「からふね屋珈琲」へ。 https://tabelog.com/osaka/A2706/A270604/27037075/ 次回は、もう一度幹事タナユさんでということでお願い。さて、次回はどんな新しい、そして楽しい話題で盛り上がるでしょうか。できるだけこの7人がフルで集まれることが続けばと思います。 散歩歩数が足らないので、バスを途中で降りて、歩いて帰宅。本当に良いお天気、気持のよい一日でした。我が家ではマンサクが満開、ハナミズキが花を咲かせ始めました。 明後日は修学旅行ガイドですが、明日が旧三井家下鴨別邸のガイド後、ガイド会の飲み会でフルですので、これをアップした後、修学旅行の準備を3時間程度で完了させなけれななりません。それでは。-------------------------------------------------------------------よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2017/04/23
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【2017年4月22日(土)】 京都検定1級合格者の特典として、京都産業大学日本文化研究所の特別客員研究員への就任資格が得られるというのがあります。 今日その募集説明会が京都産業大学であったので、行ってきました。 京都産業大学は、洛北の少し不便なところにあろます。家内は今日は一日家にいるというので、車で行くことに。多分構内には駐車できないだろうから、最初は近くのコインパークに停めて、直接歩いて行くか、上賀茂神社から出るシャトルバスに乗って行こうと考えていました。しかし、駐車料金ももったいないので、ダメモトで係の人に電話をして車を駐車できるところがあるかと聞いてみました。「基本だめなんですが、保安所で言っていただいて、許可証を書いていただくかたちでいけるかも知れません。」とのこと。それで直接大学に行ってみることに。保安所での会話。「客員研究員の募集説明会で来ました。」「このような目的での、構内駐車はダメです。」「係の人に電話で聞いたら、保安で申請してもらったらいけると言っておられたんですが。」と、ちょっぴり嘘をついてゴリ押し。「困りましたね。仕方ないです。申請書を書いてください。」 何とか構内に停めることができました。何事もまずはダメ元でトライですね。 さて、この特別客員研究員ですが、自分でテーマを設定して、自分で研究をします。研究期間は1年間です。ただし、それを過ぎても上席特別客員研究員として残って研究を続けることも可能です。我がガイド会の先輩も、複数人上席特別客員研究員の方がいらっしゃいます。京都産業大学の図書館を利用したり、同大学の先生のアドバイスを受けることができます。1年後に研究発表が義務付けられています。 募集人員はアドバイスをいただく先生方のキャパの問題もあるため、若干名となっています。去年は1級合格者が少なく、応募すれば採用されたようですが、今年は合格率が約10%でしたので、応募する方は去年に比べて多いと思われ、応募書類で選考されることになるのでしょう。 授業を受ける訳ではないので、授業料は要りませんが、研究費用(たとえば書物を買う費用とか取材のための交通費)は自己負担です。 この特別客員研究員は1級に合格したら、是非チャレンジしたいと思っていました。しかし、現状はガイドの仕事を始めたばかりでアップアップの状態です。果たして時間的にやっていけるのかという不安があります。1級合格していれば、この応募は来年でも再来年でもいいので、先延ばしも可能です。しかし、苦労して合格した1級です。やはり即チャレンジずべきと思い、今年応募することに決めています。履歴書と研究計画書をGW明けの5月8日に提出する必要があります。 今日は、10時からその説明会があり、その後は、昨年度の特別客員研究員の方の成果発表でした。その内容は下記です。この中で、「発表1」の方は、我がガイド会の同期の方です。また、「発表4」の長谷さんは、2年連続で研究をされている方で、去年の発表では「蛤御門」の命名時期についての新発見が新聞記事にもなりました(こちら)。今年も新聞社の方が取材に来ておられました。説明会・成果発表会のプログラム 研究テーマは一応頭の中では考えてあるのですが、研究計画書は深い推敲が必要です。期限の5月8日まで2週間ありますが、ガイド関係で8日間、私用で4日間埋まっており、実質3日間しかなく、ますます目が回りそうです。ブログもしばらくお休みにせざるを得ないかもしれません。京都産業大学構内 今や名実ともに立派な大学になりました。説明会・発表会のあった図書館棟 駅の改札口のような立派なセキュリティーゲートがありました。 -------------------------------------------------------------------よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2017/04/22
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【2017年4月21日(金)】 4月17日にBS日テレ「ぶらぶら美術・博物館」による放送内容(2月17日オンエア)を紹介させていただきました(こちら)。そこにも紹介しましたが、もう一つ八木邸の取材がありました。 中村芝翫(しかん)さんが案内役を務めるBS朝日「京都ぶらり歴史探訪」です。放映は2月7日でしたが、取材はいつあったかは定かではありません。放映があってから、私が勤務のとき、若主人の八木勢一郎さんに、いつ取材があったかお尋ねしたところ、「ぶらぶら・・・」の取材の少し前だったとのことでした。1月に入って、私がここのガイドを始めてすぐくらいだったのかもしれません。 ナレーションやお話された内容の要約を映像クリップとともに紹介します。番組ロゴタイトルは「時代に翻弄された新選組と女たち」 前半が新選組・幕末史の関係で、浪士組が江戸からやってくるところから、時を追って話が進みます。 まず、江戸から浪士隊が入洛したときに渡ったであろう三条大橋が紹介され、次に京都守護職・松平容保が近藤勇らに謁見した金戒光明寺、そして芹沢鴨最後の宴会場となった島原・角屋が紹介されます。そして、その宴会のあった夜芹沢鴨が暗殺された場所、八木邸へと繋がります。 「芹沢鴨暗殺の現場」 中村芝翫さんと京都市歴史資料館長の井上満郎さんが八木邸を訪ねます。 地図とともに八木邸が紹介される。 応対するのは、「ぶらぶら・・・」同様、次期(第16代)当主・八木勢一郎さん。 近藤らが庭から部屋に上がり込んで、主屋の部屋で寝ていた芹沢鴨らに斬りつける。どこから上がり込んだかは諸説ありますが、ここで勢一郎氏は「庭から」と明言。我々のガイド内容とも合致しています。一太刀浴びながらも、庭の方向に出て、縁側伝いに隣の部屋に逃げ込んだと勢一郎氏自ら説明。 隣の部屋に逃げ込んだ芹沢は暗がりの中、置いてあった文机に蹴躓いて転んだところを止めの一撃を受けて絶命した(文机の映像もあり)。刀傷は、追手が刀を振り上げたときに付いたもの。我々の説明では、「芹沢が付けたのか、追手が付けたのかまでは分からないが・・・」と説明していますが。 ひいひいお婆さんがお嫁に来たときは、血しぶきが天井に残っていたが、痛みがひどかったので取り替えた。これは「ぶらぶら・・・」では紹介されなかった。 「ぶらぶら・・・」では紹介されなかった仏壇と位牌も紹介。この位牌には「お栄」さんがないのは、お栄さんはこの日に殺されていないという説に基づいているのかもしれない。中村芝翫さんと井上満郎さんは、関東でも放映されることを意識してか、「芹沢は、お酒をたくさん飲んでは、乱暴狼藉を働いたが、それは大変な役目で、ストレスが多く飲んで忘れるしかなかったからではないか。」と弁護。 八木家が50年前から営んでいるお菓子屋「鶴屋鶴寿庵」。この場所には、昔は離れがあり、近藤勇たちがこちらのほうに寝泊まりしていた。 「ぶらぶら・・・」では「屯所餅」の紹介だったが、ここでは「鶯宿(おうしゅく)」が紹介され、梅を呼んだ土方歳三の歌も紹介されました。 この八木邸の部分、放映時間は約7分間で、「ぶらぶら・・・」より少し長めでした。 今日は、OFF日。昨日の修学旅行の投稿に時間がかかってしまいました。あとは担当する修学旅行の学校の使っている歴史の教科書を調べて、ネットで購入手続きをしたのと、散歩に行ったくらいです。家内はテニスの応援でした。-------------------------------------------------------------------よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2017/04/21
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【2017年4月20日(木)】 今日は、修学旅行ガイドの2回目でした。去年単独ガイドとしては11月2日が初めてのガイドででしたが(#1、#2、#3)、それから約半年経過して、ようやく2回目です。しかし、この半年の間に、固定点や公募ガイドを経験してきたので、ほとんど不安感なしで臨むことができました。やはり経験ってすごいなと思いました。 今回は、甲信越の公立中学校でさんでした。中学校を単独で担当するのは初めてでです。中学校の生徒さんは思春期の年頃なので、対応がむつかしい場合もあります。そんな場合にも、誠心誠意対応するのが我々ガイドの務めではあるのですが、やはり自分の担当する班はどんな子供たちなんだろうと、当日朝は期待と不安で迎えます。 一応、今日訪問する先の「紙芝居」は、前回準備済みのものに加え、昨日不足部分(大部分ですが)を一通り準備しましたし、必要なところは下見にも行きました(北野天満宮、白峯神社、三十三間堂)ので、準備もできています。 修学旅行は1班1人のガイドなので遅刻したら大変です。ですので、交通機関の渋滞や事故を心配して、かなり早めに集合場所に来られる方も多いですし、私もそうしています。今朝も、着いてからの時間潰しが必要なことは承知で早朝のバスに乗りました。 ホテルでの担当ガイド集合では、色んな場所のガイドでお知り合いになった方も多く、3分の2の方は存じ上げている方で、そういった意味でも、だいぶ会に慣れてきたという感触です。 この学校は去年まではガイドなしの班別自由行動だったのですが、今年初めてシニアガイド依頼とのこと。リピートしていただくためにもしっかりガイドを務めねばなりません。 生徒たちとの合流が、ホテルのロビーで始まりました。私は下のようなフリップを持って生徒たちと会いました。前回から工夫したのは、生徒たちの名前を加えたこと。 今日は地下鉄も使いました。皆さん京都は初めてで、地下鉄に乗るのも初めてとのこと。甲信越からであれば、そういうこともあるのだなぁと再認識。案外、寺社より地下鉄に乗ったことのほうが思い出に残る賀茂しれません。 最初の目的地は金閣寺でしたが、9時過ぎには着き、拝観が始まったばかりだったため、拝観券売り場に長蛇の列。こういう時間帯は待つこと覚悟です。夕佳亭では、石で出来た「貴人榻」(きじんとう)(貴人が座る席)に座って記念写真を撮りましたが、皆さんシャイなようで、一人だけでした。このへんで、いい子たちなんだが、シャイな子が多いというのが分かってきます。 不動堂でお参りしたのですが、柏手を打つ子もいて、お寺では「手を合わせて、頭を下げるだけですよ。」と説明。そういう点でもシニアガイドを付けるというのは意味があると思います。 北野天満宮では、帰りに大黒天の燈籠へ。小石を口(頬の穴?)に小石をのせて落ちなければ金運に恵まれるといわれています。男子が一人挑戦し、何とか成功。こうやってだんだん打ち解けていきます。生徒たちも事前に修学旅行の相談はしているでしょうが、行動をともにするのは初めてでしょうから、こうやって生徒も打ち解けていくところがあるようです。 銀閣寺付近で昼食ですが、よく使う「大銀食堂」は定休日。「お多やん」と「カフェ・ベア」のショーウインドウを両方見てもらって、男子の一人がスイーツがある「カフェ・ベア」のほうがいいといったので、「カフェ・ベア」に入りました。私が下見をしたことがあるところです。学校の決まりで、スイーツは昼食といっしょに食べることののみ許可されているのですが、この男子、スイーツのみを注文。無類のスイーツ好きで、スイーツに蜂蜜をかけていました。これには女子もビックリ。 三十三間堂では、「京都は第二次世界大戦で空襲をほとんど受けなかったので、こういったお寺や仏像が残っている。でも実は原爆投下の候補になっていた。でも京都には落とされす、長崎や広島に落とされ、多くの人が犠牲になった。もうこんなことが起きないような平和な世の中であって欲しいね。」 最後の伏見稲荷大社へ。この辺になると生徒たちも足が疲れたと言いだします。スイーツを食べることができれば、休むこともできますが、単独のスイーツは禁止。かといって、なかなか多人数で座れるようなところは観光地にありません。このような場合のために、景色がいいところで、どこかまとまって座れる場所を把握しておくというのも必要です。 楼門の前で、沿革を説明。銀閣寺のときもそうでしたが、生徒たちよりも、そばにいた一般のお客様のほうが私の話を一生懸命聞いておられました。特に伏見稲荷では、狐の咥えた「鍵」と「玉」から、花火の掛け声「鍵屋~」「玉屋~」が来ているとのくだりでは、「へぇ~」と声をあげられていました。「ガイド料よこせ~~」(冗談ですが)。生徒たちには、鳥居を奉納するときの値段のほうが興味があったようです。詳しい話をしても仕方がないということは分かっていますが、それじゃ、修学旅行という目的の中でどんな話をすればいいのか、主だったポイントの一通りの説明ができるようになってからの次のテーマです。 手水所で手や口の清め方を実演説明。「この作法は全国どの神社も共通。お父さんやお母さんも知らないかもしれないので、今度教えてあげて。」これだけでも、京都に来た収穫です。 JR稲荷駅から京都駅へ向かいます。ここでちょっと慌てました。我々が稲荷駅に着いたとき、もう少しで電車が来るところでした。切符を買うのに時間がかかりそうです。次の電車は20分あと。それでも帰着時間に十分間に合うのですが、20分も待つのはいかにももったいない。とっさに私が全員分を立て替えて急いで切符を買って、何とか電車に間に合いました。電車の中で生徒たちから集めようとしましたが、全員細かいお金があるわけではなく、あとで生徒たちに精算してもらうことにして、一人の生徒から全額をもらいました。JRの時刻表は持っていたのですが、もっと頻繁に便があると思って見ていなかったというのが一つ反省点です。それから、こういうときのために、私も細かいお金を持っておくというのも必要です。 京都駅には早い時間に付いたので、京都駅ビルの屋上展望台へ。寺社と同様、ここも京都人以外の人には、異次元空間です。途中から男子はエスカレータでなく階段で昇ったりして少しハイに。171段の階段、鉄骨造りの建物、京都の上からの眺め、堪能しているようでした。 最後に、今日のまとめ。「今日巡ったところの創建年代が奈良時代の前から明治時代まで散らばっている。これは、奈良から都が移って、明治維新まで首都だったこと、そして文化の中心だったため。そこが奈良とは違うところ。そして、お寺のお庭も、奈良のお寺がただ広い境内があるのに対して、京都のお寺には、枯山水のお庭があったりする。まだまだたくさん観るところがあるので、是非また京都に来てくださいね。今日は、私も楽しかったです。」と締めくくり。どこが一番印象に残ったかと尋ねたら、三十三間堂が2人、金閣寺が2人、伏見稲荷が1人でした。 明日の日本、そして世界のために、すくすくと成長して欲しいと思います。 生徒たちをホテルに送り届け、帰途に就きました。帰りのバスでは心地よい疲れで、ウトウトでした。 (内容再考版。原文は非公開日記に移動済み。) -------------------------------------------------------------------よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2017/04/20
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【2017年4月19日(水)】 新選組屯所・八木邸は常時公開されており、我がガイド会が担当しています。3ヵ月ごとに担当が替わり、私はこの1月から3月まで担当しました。その担当中、八木邸についてのテレビ取材が2件あり、だいぶ前に放映されました。 その一つ、BS日テレ「ぶらぶら美術・博物館」の放映内容を、遅くなりましたが、紹介させていただきます。 私の勤務日ではなかったのですが取材があり、2月17日にテレビ放映がありました。 ナレーションやお話された内容の要約を映像クリップとともに紹介します。京都2時間スペシャル大政奉還150年ということで、幕末・新選組関係のところを巡る特集案内はいつもの、山田五郎さん、おぎやはぎの2人と、高橋マリ子さん まず、二条城、壬生寺を回った後、八木邸でした。八木邸のあとは、霊山歴史館、聖護院と続きました。このうち壬生寺、聖護院は「京の冬の旅」で特別公開中で、我がガイド会がガイドを担当していましたので、同期の方からの「取材があるよ」との情報も流れてました。八木邸の取材にどれくらいかかたかは分かりませんが、放映時間は4~5分でした。新選組が訓練し、芹沢鴨のお墓がある壬生寺の隣に新選組発祥の地となった八木邸がある取材は高橋マリ子さんお一人。長屋門をくぐる。主屋(「おもや」と読みます)対応されたのは、八木邸次期当主(16代)八木勢一郎さん。芹沢一派はこの主屋に寝泊まりし、近藤勇らは離れに寝泊まりしていた。島原・角屋で宴会があって、芹沢らが酔っぱらって帰ってきて、この部屋で寝入ったところを、近藤たちに斬り込まれた。表側の部屋では2人絶命し、芹沢は庭の方向に出て縁側伝いに逃げた。奥の部屋に逃げ込んだが、暗がりの中、置いてあったこの文机に蹴躓いて倒れたところを止めの一撃を受けて亡くなった。そのときについた刀傷。当代(15代)のお婆さまが八木家にお嫁に来たときには、天井に血しぶきが残っていた。見学はガイドでの案内のみ見学時、鶴屋鶴寿庵の名物「屯所餅」が付いていて楽しんでいただける中に入っている小さな緑の刻みは京野菜の壬生菜(番組の中で高橋マリ子さんも屯所餅食べておられました。) 上記のように、対応された八木勢一郎さんは、「表側の部屋で2人が絶命した」と言っておられます。我々のガイドでは、いっしょにいた芸者のお栄(吉栄)も、いっしょに殺されたとので「3人絶命」と説明することになっています。八木勢一郎さんのお父様の第15代・八木喜久男さんの書かれた「八木家と新選組」という本の中の、八木邸でのガイド内容では、「3人が絶命」となっていますので、それには合致しています。諸説ありむつかしいところです。 さて、今日は家内はテニスですが、私は在宅で、この投稿を終えたら明日の修学旅行ガイドの準備です。(守秘義務再考版。原文は非公開日記に移動済み。)-------------------------------------------------------------------よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2017/04/19
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【2017年4月18日(火)】 昨晩は、雨風強く荒れたお天気で、朝や昼は無駄吠えしても、夜はしないワンちゃんも怖かったのか、よく鳴きました。今朝は打って変わって良いお天気。 今日は夕刻月イチの津軽三味線レッスンです。気候もいいし、京都の街中まで出るのを利用して、三味線を教室に預けておいて、普通なら京都歩きをするところです。しかし、3月の超多忙だったときの名残で、Things to Do が溜まっていて、20日の修学旅行の準備も必要なので、レッスンだけ出かけることにして、それまでは在宅です。 三味線は去年の1月に始めて1年3ヵ月になりますが、最初は時間が十分あって、ほぼ毎日練習できていたのですが、ガイドを始めて忙しくなってそうもいかなくなりました。それでも、2月のレッスン前の1ヵ月間は19日間練習できていました。ところが、2月、そしてこの3ヵ月はそれぞれ6日間しか練習できていません。ですので、なかなか上手くならないのが悩みです。素質の問題かもしれませんが。今から少しだけでも練習して、夕刻からのレッスンに臨みます。 直近(4月16日)の三味線練習の録画です。「さくらさくら変奏曲」です。京都で撮った写真も組み込んでみました。三味線は下手ですが、写真は綺麗ですので、そちらの方をお楽しみください。よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村-------------------------------------------------------------------津軽三味線練習カテゴリー投稿一覧http://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=33
2017/04/18
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【2017年4月17日(月)】 今日は、もともとは旧三井家下鴨別邸のガイドの日だったのですが、ガイド会から某講座の講師をお願いするに当たり説明会をするので、勤務になっている人は先輩と交替してでも説明会に出席するようにとの要請があり、勤務を代わっていただき、こちらの説明会に出席しました。 この講座の受講生募集はすでに始まっています。京都新聞のネット版でも記事がありました。 日本語と英語がありますが、我がガイド会が日本語ガイドのほうの講師を担当することになっています。座学と現地研修から構成されていますが、現地研修の講師を我々新入会者が担当します。今回担当するのは新入会者の一部ですが、今後、複数回行われる予定で、いずれは全員が担当することになるので全員が集められました。 この中で、私は二条城を同じエリアのお一方と担当することになりました。ガイド時間は1時間半から2時間。巡る場所は2人で合わせる必要がありますが、ガイド内容は独自の内容でOKとのことです。 第1回は5月にあります。5~6月頃に当たっている人は修学旅行も多い時期で大変ですが、私は最終回の9月で、8月は修学旅行はなく、固定点だけになると思うので、7月あるいは8月になってから準備すればいいかなと思います。その点はラッキーでした。 この説明会は午前中にあったので、午後から、京都歩きができるように準備をしていったのですが、同期の皆さんと昼食をともにした後、雨が降ってきたので、真っすぐ家に帰ってきました。溜まった作業を進めています。(内容再考版。原文は非公開日記に移動済み。)-------------------------------------------------------------------よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2017/04/17
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【2017年4月16日(日)】 「京の冬の旅」妙心寺塔頭・養徳院の観光ガイドは、私の担当は3月16日(木)を最後に終わりました。「冬の旅」全体も3月18日が最終日でした。 私のガイド日記に書いたように、私の養徳院勤務中にBS日テレ「船越英一郎の京都の極み」の取材がありました(こちら)。それが放映されましたので、遅くなりましたが、紹介させていただきます。 放映は3月5日でした。「妙心寺」特集のなかで、法堂(通常公開)、経蔵、大庫裏、大雄院(いずれも「冬の旅」で公開)が紹介された後、短時間ですが養徳院が紹介されました。船越英一郎さんも映っていますが、私の勤務のときは撮影部隊だけでしたから、船越英一郎さんは別の日に来られたのだと思います。養徳院の後は、ご住職自ら作る精進料理で有名な東林院が結構長い時間紹介されました。いつものタイトル妙心寺・南総門の前で、船越英一郎さん 法堂、経蔵、大庫裏、大雄院に続き、養徳院の紹介。養徳院の庭。十三重塔と船越英一郎さん。 今回初めての公開とのナレーション白と黒の鷹の図 安土桃山時代から江戸時代初めにかけて活躍した曽我直庵の絵と紹介 それ以外の、寺宝の紹介はありませんでした。 お客様の中には、「船越英一郎さんの番組で知って、来ました。」という方も多くいらっしゃいました。自分が担当している場所が、その時期にテレビで紹介されるというのは嬉しいものです。 今日は、私は散歩以外は一日在宅でした。家内は、一昨日近所で買った西山のタケノコを高槻の実家に届けました。恒例行事です。(内容再考版。原文は非公開日記に移動済み。)-------------------------------------------------------------------よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2017/04/16
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【2017年4月15日(土)】 今日は、「旧三井家下鴨別邸」ガイドの第3日目でした。本来は17日だったのですが、会の打ち合わせが急に入ったので、他の方と交代していただきました。 スタートして雨が一時降ったりしましたが、午後になって雨も止みました。予約なしの団体さんが来られ、他の団体が重なってしまったりしましたが、ペアの方と協力してうまく対応できました。 あとでペアの方が、「外のテントでガイドをするときは、フリップや紙芝居を室内のように立てかけておく場所がないので、最前列の椅子を置き場として一つ確保するといいと思った。」とおっしゃってました。この方も私と同じように、自作の紙芝居を使っておられます。今度、私がテントでガイドをするときは、そうしようと思います。 そして今日は、ある大学の観世会の集まりが、2階の貸し間であり、謡いの声が聞こえていい雰囲気でした。 ここの存在を知らなかったが、下鴨神社の帰りに見つけて寄ってみたというお客様が以外と多いようです。 帰る頃になって雷が鳴り出し、雨が再び降ってきましたので、四条河原町まで歩くのはやめ、バス+阪急+バスで帰りました。 旧三井家下鴨別邸の説明#2です。 この下鴨別邸が建てられたのは、大正14年(1925)です。もちろん三井家所有だったのですが、戦後昭和24年に三井家から国に譲渡されました。昭和26年から平成19年までの56年間、北隣の京都家庭裁判所の所長宿舎として利用されていました。 平成20年度(2008)に裁判所施設の整理統合により、財務省所管となり競売物件として検討されるに至ります。しかし、近代和風建築として価値が高いところから、京都弁護士会などから保存要望がだされます。最終的に、京都が管理団体になることを条件に重要文化財に指定し(平成23年)、財務省から文部科学省へ所管が移りました。 平成24年から28年まで建造物の保存修理事業と敷地全体の環境整備が整えられ、建物と庭園を一体として鑑賞できるようになり平成28年10月1日から一般公開が始まりました。従って、一般公開が始まって、まだ半年強しか経過していません。 所有は国(文部科学省)で、管理者は京都市ということになります。 後ほどの説明とも一部重複しますが、敷地面積、建物面積、建築年代などです。・敷地面積 5720平米・主屋 木造3階 瓦葺 明治13年(1880)建築 大正14年(1925)移築 面積:約230平米・玄関棟 瓦葺 大正14年(1925)建築 面積:約106平米・茶室 慶応4年(1868)建築 面積:約36平米パンフレットから左から右に玄関棟・主屋・茶室 通常公開は玄関棟と主屋1階のみです。主屋2階、3階、茶室は通常非公開ですが、我々は事前説明会のときに見学させていただきました。 主屋2階と3階(望楼)については、特別公開の際に見学することができ、2階は次の公開予定が決まっていて、「京の夏の旅」の一環で、8月10日~27日に公開されます。3階については、まだ予定は決まってないようです。特別公開はプラスαの入館料が必要になります。 通常公開時、主屋2階の座敷、居室、茶の間、茶室については貸し切りで利用することができます。指定の仕出し屋さんからお弁当を取り寄せて食事をすることも可能なようです。お弁当のお値段は3000円とか。部屋の料金も市の管理のためか、ずいぶんお安いです。下表をご覧ください。「これ一人の料金ですか?」と質問されりお客様もいらっしゃいました。部屋を借り切るための料金ですので、大人数で借りれば一人当たりは安くなります。もちろん部屋の大きさに応じて、人数の限界はありますが。 茶室ではよくお茶会が行われていますし、上に書いたように、今日2階の座敷では、ある大学の観世会の集まりが開かれていました。私も季節のいいときに、娘夫婦たちを呼んで、食事会ができたらなぁと思っています。パンフレットから(続きます)(内容再考版。原文は非公開日記に移動済み。)-------------------------------------------------------------------よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2017/04/15
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【2017年4月14日(金)】 4月7日に、粒子線治療後の23回目の月イチ経過観察で、8回目のCT撮影があったので、21、122回目の血液検査の結果なども含め、粒子線医療センターに送りました。4月10日には送れる状態になっていたのですが、バタバタしていて郵便局に行けず、今日ようやく散歩のついでに郵送することができました。「マイカルテ」で連絡した内容です。●過去3回分の診断結果●問診票●連絡票これ以外に、・CT画像データ(CD)・血液検査結果(3回分+PSA検査結果)・照射部皮膚写真・クレアチニン、尿素窒素、尿酸値グラフ・血圧、脈拍グラフ・体重、体脂肪率グラフ・一日尿量、一日飲水量を添付しました。最後4つは、要求されていませんが、私が勝手に付けているものです。 今回の報告のポイントは下記。 ・腫瘍の大きさは小さくなったまま変化なし。 ・クレアチニンが1.5~1.6で安定していたが、前回マイカルテ送付時1.7を超えた。 しかし、その後は1.7未満で再び安定。 ・PSA値は問題なかった。 ・膀胱鏡検査は未実施。 ・CVポート除去手術を近い将来受ける。 義父から家内に、例年どおり西山のタケノコのリクエストがあり、家内が近くの臨時営業している店舗で買い求めてきました。今年はタケノコが不作らしいですが、手に入れることができたようです。京都西山はあまり不作にはならなかったのかもしれません。よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村_________________________________過去の治療履歴は下記を参考にしてください。がん治療日記:http://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=10がん治療振り返り:http://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=11
2017/04/14
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【2017年4月13日(木)】 今日はアメリカ赴任時代にお世話になった、地元の市長さんご一行を京都案内しました。 私は2014年4月から単身でアメリカに赴任しました。私の担当していた商品のアメリカでの事業存続が危ぶまれる中、存続の命を受けての赴任でした。しかし、市場の流れに抗うことはできず、無理な頑張りは禁物だとの結論に至り、赴任して1年で工場の閉鎖を決断し、その半年後に従業員を解雇し、工場を閉鎖しました。無事事業終息ができることを見届けて、赴任期間2年半で日本に帰ってきました。 事業をしているときも、終息するときも、工場のあった町の市長さんや商工会議所の会頭さんはじめ関係の皆さんには大変お世話になり、日本に帰任後も、交流を続けさせてもらっています。その市はいくつかの日本企業の工場を誘致しており、また日本のある市と姉妹都市になっています。そこで市長さん他関係の皆さんが、2~3年に一度来日し、それらの会社の日本本社を訪問したり、新たな誘致を働き掛けたり、姉妹都市を訪問したりしています。 日本に来られたときにほぼ毎回旧交を温めていますが、2008年、2010年、2012年にお会いした後、2015年は私が「がん」で治療中だったのでお会いできませんでした。今日は5年ぶりの再会ということになります。いつも日本の年度初めの桜のシーズンに来られます。 午後早い時間に名古屋から新幹線で京都に着き、蹴上のウェスティン都ホテルに投宿されることになっていましたので、ホテルのロビーで5年ぶりの再会となりました。一行は市長さん、助役さん、商工会議所の会頭さんと現地銀行勤務の日本人アドバイザーの4人です。ウェスティン都ホテル 歩いて、琵琶湖疏水のインクラインへ。桜がほぼ満開で絶景を楽しんでもらうことができました。インクラインでは、明治維新後、京都の産業発展のため、琵琶湖疏水が作られたこと、そのとき田邊朔郎という技師がアメリカのアスペンに水力発電ダムを見学に行って、琵琶湖疏水を利用して日本最初の水力発電所を造ることを決断したことなどを説明しました。興味をもって聞いていただいたと思います。 さらに、南禅寺の三門を観て、南禅寺別荘群の一つ清流亭前の枝垂れ桜を堪能。満開でした。南禅寺三門前にて清流亭続いて、平安神宮神苑へ。ここの桜も満開で見ごろでした。平安神宮神苑 夕食時間までまだ2時間以上あります。日本人アドバイザーの方が、何かお土産を買うようなところを歩くのがいいかもとのことで、タクシーで三条京阪まで行き、鴨川の景色を楽しんでもらって新京極へ。三条大橋からの鴨川下流の眺め しかし、市長さん他はお土産にはあまり興味ないようで、歩き慣れてなくてお疲れになったのか、どこかに入って休みたいとのこと。ビールもいいなということになり、ビアホールのミュンヘンへ。そこで1時間程度ビールを引っかけながらお喋りをしました。 市長さんから「あなたは工場を閉めるとき、従業員を非常に大切にし、平和裏に工場を閉めることができた。今でもそのことは、市でも語り草になっている。工場最後の日に撮った従業員全員がほほ笑んだ写真は今も憶えている。」とお言葉をいただきました。いつも来られるたびに、社交辞令もあろうかと思いますが、そう言っていただけます。 家に帰ってから、その写真を探してみました。何とか見つけることができました。工場最後の日ですが、皆さん微笑んでいるのです。アメリカでこのようなことは、まずあり得ないのです。何か特別なことをした訳ではありませんが、ただ従業員のことを第一に考えて工場を閉めたのは確かで、それがこのような写真に結びついたのだと思います。事業は継続できなかったのは残念ですが、このような写真で終われたことは、何事にも変えられない思い出となっています。私が勤務していた会社閉鎖時の想い出の写真(私もどっかにいます。) まだ1時間くらいあったので、錦市場をぶらぶらした後、予約してあった先斗町の居酒屋へ。先斗町の狭い飲食街の風情も楽しんでもらえました。お店はよく分からないまま、予約したのですが、先斗町の通りから、さらに狭い路地に入った「うまいもん焼 参」というお店で、基本は焼き鳥でした。 食べログから お酒が入って世間話のとき、「朝ホテルで目覚めたとき、もう外が明るいので寝過ごしたかと思って時計を見たら、まだ5時だった。」と米人二人が言っていました。時差で早く目覚めたんでしょうが、帰ってから調べたら、このアメリカの町の日の出時間は7:00。日本の真冬並みです。それに対して京都は5:30。1時間半も早いです。彼らが寝過ごしたと思ったのも頷けます。それに対して、日の入りは20:13、京都は18:30と、アメリカの町の方が遅いです。アメリカではサマータイムになっているのと、この町が東部時間帯の一番西に位置していることなどが要因かと思います。 このお店、お口にあったかどうか不安ですし、時差と慣れない長距離の歩きでお疲れだったとは思いますが、楽しいひと時を過ごしていただかたのではないかと思います。 あと2年で市長さんは退任だそうで、退任したら奥さんを連れてプライベートに日本に旅行に来るので、今日のように京都を案内して欲しいと言ってくださいました。河原町通りでタクシーを拾ってお見送りしました。 幸運にも透析を避けて「がん」治療を終えることができ、こんな珠玉のひと時を持つことができました。感謝です。 -------------------------------------------------------------------よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2017/04/13
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【2017年4月12日(水)】 京都アスニーの古文書のセミナーに出席後(こちら)、修学旅行ガイドの下見に向かいました。 今のところ行き先希望の確定している学校は4月20日の甲信越の公立中学校と4月24日の北陸の公立中学校だけです。 その中の多くの場所が、過去修学旅行ですでに案内していたり、先輩に付き添っての訓練や入会時研修で訪問したりしたことがあり、どこに何があって、バス停がどこかなどは把握できていますが、一部よく分かってないところがあります。 三十三間堂は先日下見に行きました(こちら)。 それ以外では、北野天満宮は絵馬を掛ける場所が分かっていません。生徒さんたちは合格祈願のために絵馬を書くこともあると思うので、把握しておく必要があります。白峯神宮や西本願寺はガイド視点では訪問したことがありません。 それで今日は、北野天満宮→白峯神宮→西本願寺と巡ることにしました。 まずは北野天満宮へ。昼食時間でしたので、修学旅行の昼食の下見を兼ねて、「上七軒ふたば」という食堂に行ってみました。花街にありながら、リーズナブルな値段で麺類や丼物を提供する店で、我がガイド会でもよく使う店です。しかし私は行ったことがなかったので、行ってみることに。 ところが悪い予感が当たって、水曜日は定休日。当日行ってみて閉まっていたではいけませんので、定休日は把握しておく必要があります。同期ガイド仲間で共有している修学旅行生向きレストランの一覧表に定休日は書いてありますが、変わっていたりすることもあるのので、目的のレストランを決めたうえで、直前に開いているかどうか確認しておくのがポイントです。上七軒ふたば 入れなかったので、ネットでメニュー・値段の情報収集です。 舞妓さんも来られるようで、天井には何か文字がぎっしりのようです。こういう点も修学旅行生にはいいのかもしれません。写真はいずれも https://tabelog.com/kyoto/A2601/A260501/26007628/ から 昼食は後にすることにして、まずは北野天満宮へ。絵馬を掛ける場所は、以前は、青丸の場所にあったと思うのですが、赤丸のところに移動していました。やっぱりよく知っているところでも、時々下見をしておくことが必要ということかもしれません。境内図は北野天満宮HPから その後、昼食を摂りました。以前、北野天満宮近くでは「初音」というお店に下見を兼ねて入ったことがありますが、今日は、食堂リストを持ってきていなかったので、それ以外の候補は分からず、一之鳥居の東に見つけた「四恩」という店に入りました。 蔵を改造したお店で、中は小奇麗な落ち着いた雰囲気のよいお店でした。値段もリーズナブルです。帰ってきて来て調べたら、修学旅行生用の食堂リストに載っていませんでした。掲載してもよいお店だと思います。 夏にはこのようなスイーツもあるようです。写真はいずれも https://tabelog.com/kyoto/A2601/A260501/26019683/ から 東に歩いて、白峯神宮に向かいます。途中、「京都歴史散策マップ」をもらうために、京都市考古資料館に立ち寄りました。以前、ここでガイド会の研修があったときに、このマップを1日4つ無料でもらえることを知り、そのとき4ついただきました(こちら)。今日も4ついただこうということです。しかし、前回どれをもらったかは憶えておらず、絶対っもらっていないと思われるものを4つ選んでもらいました。帰って来てから調べたら、幸い重複はありませんでした。次回ふらっと寄ってもらうときのために、携帯のメモにもらった番号を書き込みました。今回いただいた地図入手済み地図(青マーカー分) 堀川今出川を少し東に行ったところにある、白峯神宮へ。下記は白峯神宮HPから。【御祭神】第75代 崇徳天皇第47代 淳仁天皇【白峯神宮由緒】(白峯神宮HPから抜粋) 幕末、風雲急を告げる中、121代孝明天皇は、保元の乱(1156)によって悲運の運命を辿られた第75代崇徳天皇の御霊を慰め、かつ未曾有の国難にご加護を祈らうとされ、幕府に御下命になり四国・坂出の「白峰山陵」から京都にお迎えして、これを祀らうとされましたが叶わぬままに崩御されました。 明治天皇は父帝の御遺志を継承され、宮地を和歌・蹴鞠の公卿宗家「飛鳥井家」の邸宅地跡に求められ、慶応4年(明治元年)9月6日、社殿を現在地に新造。奉迎鎮座されました。続いて明治6年に第47代淳仁天皇の御神霊を淡路島南端の御陵からお移して、御併祀になりました。 また、当神宮には「まり」の守護神として「精大明神」が祀られています。「精大明神」は蹴鞠・和歌の宗家である公卿・飛鳥井家が代々守護神として邸内にお祀りしてきたもので、当神宮がその祭祀を受け継いでおります。 そのために、今では「まりの神様」として崇敬され、日本サッカー協会をはじめ各種スポーツにおいて、使用された公式球が奉納されています。御神徳を仰ぎ、野球・サッカーを始めとする球技や新体操、また日々の習い事に至るまでの目的の上達を願う参拝者が多く訪れます。 けまりは、ボールを落とさない事・落ちない事から、勉学の神 白峯天神様のご利益が学力を落とさない・試験に落ちないなどと縁起が良いとされています。 このほか、崇徳天皇に仕え、武道の神として、源氏の頭領源為義・鎮西八郎為朝公を祀る「伴緒社」、縁結び、水神の神「潜龍社」などが境内各所に祀られています。 私が案内する班にサッカー部の子がいるのかもしれませんし、北野天満宮に加え、合格祈願かもしれません。 「まり」の守護神「精大明神」は、地主社に祀られています。有名選手やチームのボールの奉納が多くあります。 「蹴鞠の碑」が地主社の傍らにあり、球技上達の「撫で鞠」が組み込まれています。球運を授かりたい方は、一、鞠の守護神「精大明神」を二拝二拍手一拝の作法でお参りして、二、縁起の石鞠を1回廻して球運を授かっていただきます。とホームページにあります。 主だった社、蹴鞠の碑、有名チーム・選手の奉納ボールの場所など把握できました。確認を忘れましたが、トイレはないようでした。 続いて、延々南へ歩いて、西本願寺へ。ここは境内はシンプルで下見はあまり必要ではないのですが、安心のために下見をしました。下見をして正解でした。今、西本願寺は新しい門主さん就任による伝灯奉告法要が行われており、私が訪問したときもちょうど法要が行われていました。 法要は毎日行われているわけではなく、期間を区切って行われています。係の方に尋ねたら、時間は14:00~15:30で、その時間は事前申し込みをした人しかお堂に入れないとのこと。しかし、法要が終わった後、普段入れない書院や飛雲閣が無料で公開され、そこには事前申し込みのない一般の人も修学旅行生でも入れるとのこと。 パンフレットを見ると、今日は第7期の期間で4月11日から18日、次の8期が4月25日~5月2日となっており、西本願寺を訪問する修学旅行は4月24日ですので、通常どおり拝観すればよいことが分かりました。 予期せず、今日は今まで見たことがなかった、書院と飛雲閣を観ることができました。一般の法要参加も事前申し込みすれば可能なので、家内と参加したいと思っています。対面所 鴻の間(国宝)雁の間(国宝)菊の間(国宝)雀の間(国宝)南能舞台(重文)北能舞台(国宝)虎渓の庭(特別名勝)飛雲閣(国宝) 五条大宮からバスに乗って帰宅しました。(内容再考版。原文は非公開日記に移動済み。) -------------------------------------------------------------------よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2017/04/12
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【2017年4月12日(水)】 今日は表題のセミナーに午前10時から12時まで出席しました。 ガイド会の研修で京都の観光・文化についての講演会を聴く機会が増えましたが、それ以外にも、この2月から無料の公開講演会に3つ参加してきました(2つは家内同伴)。これからもできるだけ参加したいと思うのですが、前回の京都アスニーのセミナーで、有料ですが1回820円と比較的安価な古文書についてのセミナーがあることが分かりました。 「古文書・古写本閑話」と題する1回2時間で、都合4回(1ヵ月に1回)のセミナーです。以前から古文書を少しくらいは読めるようになりたいものだと思っていたので、今日そのセミナーの第1回に参加しました。本当は事前申し込みが必要だったようなのですが、先着順だと思いこんでいて飛び込みで出かけました。受付で受講料を払おうとしたら、「事前申し込みでない方は開講10分前から伺います。」ということで、しばらく待ったうえで、受講料820円と4回通しで使うテキストの料金300円、合計1,120円を払って入りました。定員50名ですが、ほぼ満席でした。今後はやはり事前に申し込む必要がありそうです。 講師は、龍谷大学客員教授 藤本孝一氏と同大学 助教 非常勤講師 万波寿子氏。お二人が分担で、別のテーマで各回とも半分ずつ担当されながら進められるようです。 藤本氏は最初、古筆切手鑑(こひつぎれれかがみ)の話をされました。 古筆切手鑑について、テキストから抜粋します。 古筆は主に貴族文化の中で、本来、冊子や巻物という完全な形で大切に保存、鑑賞されていた。しかし、古筆愛好家熱が高まり古筆の絶対数が不足してくると切断されることになり、この切断された断片が「切れ」と呼ばれるもので、ここに古筆切、歌切(うたぎれ)が誕生した。古筆切は保存にも鑑賞にも不自由なため、これを収納、鑑賞するための帖(手鑑・アルバムのようなもの)が発達した。 古筆切の筆者が誰であるかを鑑定する古筆鑑定家が生まれた。大村由己、鳳林承文章、烏丸光広らがそうである。古筆了佐は古筆鑑定を生業とした。古筆鑑定家は、筆者不詳の古筆切に、その書様に相応しい筆者(伝承筆者)を宛て、古筆の名称を付け、それを極札(きわめふだ)という小さな札に記した。そしてその極札に鑑定印を押し、古書切の横に貼り、一定の配列のもとに古書切を貼って手鑑の様式にした。古書切手鑑の例http://www.gotoh-museum.or.jp/collection/col_04/08001_001.html 藤本氏は、古書切手鑑の例をプロジェクターで説明されたが、筆者鑑定には疑わしいものが多いとのことでした。 続いて、シリーズで読んでいく国宝藤原為家本「土佐日記」について説明してくださいました。 「為家本」は大阪青山歴史文学博物館蔵の国宝。為家は定家の息子。原本通りの仮名の字体で原本通りに本文を書き写したもの。長らく行方不明であったが、1984年に再発見されました。他の写本との近代における比較から、写本群のなかでは為家書写本系統が最善本という評価を与えられています。 今回は第1回とはいえ、前シリーズを受講された方も多く、字の読み方の基本は理解されているものとの前提で、特に注意しなければいけないところに特化しての説明でした。ですので、私はほとんど付いていくことができませんでした。現代字体での読み下しもあるので、基本的な読み方は自習しておく必要がありそうです。藤原為家本「土佐日記」の例 30丁目裏と31丁目表 続いて万波氏が「御文章之定」について説明してくださいました。西本願寺の蔵書で、江戸時代のもの。西本願寺は本山として、聖教(御文・御文章)を出版し、檀家に売り、冥加金を得ていました。その流布や冥加金額についての規則を書いたものとのことです。「御文章之定」の例 こちらもある程度読めることが前提になっているようでしたので、付いていけませんでした。こちらも自習が必要です。 終わってから、この古文書の講座あと3回分の参加を申し込みました(受講料は当日払い)。その後、アスニーでのセミナーの案内を見ていたら「京都まなびすと」の会というのがあって、年間2,050円の会費を払えば、今回のような講座4回が無料になったりなどの特典があるとのこと。この古文書講座あと3回だけでも、850円x3=2,550円かかるので、それだけでもお得です。早速入会しました。 アスニーを後にして、修学旅行の下見のため北野天満宮に移動しました。修学旅行の下見は別途投稿します(こちら)。-------------------------------------------------------------------よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2017/04/12
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【2017年4月11日(火)】 今日は、「旧三井家下鴨別邸」ガイドの第2日目でした。 1~3月は、「養徳院」と「八木邸」掛け持ちでしたが、4月の固定点は三井家のみです。それに修学旅行が加わりますが、4月はまだ件数は多くありませんので、4月の前半は1年のうちでも比較的時間的な余裕がある時期といえそうです。 今日は、本格的に雨が降り、強い風も時々吹き、生憎の一日でした。しかし、雨でお庭はしっとりと美しく佇んでいました。雨の日もいいものです。朝は四条河原町から下鴨別邸まで歩くことにしているのですが、雨も強かったので、四条から出町まで京阪を利用しました。帰りは雨が上がっていたので歩きましたが。 初回の勤務日から9日目での2回目だったので、最初は思い出し出しでしたが、すぐに1日目の最後の調子に戻すことができました。今まで精読していなかったパネルを読んだりする時間もあり、色々勉強になりました。 朝、うっかりしていて、途中でコンビニに寄って、おにぎりを買うのを忘れてましたので、昼食は出町駅前の「でまち屋」という夜は居酒屋のなるお店で、トンカツ定食(780円也)をがっつりといただきました。今回だけの贅沢です。 昼食から下鴨別邸に戻るとき、河合橋から高野川上流に向け写真を撮りました。桜が満開です。 さて、「八木邸」や「養徳院」同様、「旧三井家下鴨別邸」のことについて、お客様への説明内容も交えて、少しずつ紹介させていただきます。 まず、ロケーションです。 加茂川と高野川が合流し鴨川になる鴨川デルタの近く、下鴨神社の南になります。 京都家庭裁判所が近くにありますが、そことも関わりがあります。電車の最寄り駅は京阪電車の出町駅で、そこから約200メートル、最寄りのバス停は葵橋西詰または出町柳駅前で、それらから約400メートルです。河原町今出川からも、さほど遠くはないです。 出町柳駅側から河合橋を渡ってすぐの下鴨東通を少し北進すると分かれ道になっていて、下鴨神社の表参道の入り口の大きな鳥居が見えます。下の写真の左側に車止めが見えると思いますが、そこが「下鴨別邸」の入り口です。下鴨東通に入るところに、A4のラミネートされた案内がある程度で、建物も塀の向こうで見えないし、お客様にとっては見つけにくいところにあります。下鴨別邸入り口(開館時は開いています)●開館時間 9:00~17:00(16:30受付終了)●休館日 水曜日(水曜日が祝休日の場合は翌日)及び12月29日~31日●入館料 個人 一般\410 中高生\300 小学生\200 団体 \360 \270 \180 (20名以上) 主屋の2階や茶室を半日単位で借り切ることもでき、料金が設定されています。(続きます) (内容再考版。原文は非公開日記に移動済み。)-------------------------------------------------------------------よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2017/04/11
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【2017年4月10日(月)】 歯医者定期メンテ→修学旅行三十三間堂下見→ガイド会地区組月例会(こちら)の後、会の定例懇親会でした。 前回は9月で、我々が入会してすぐのときに御所近くのホテルでありました(こちら)。今回は堀川通沿いの「ルビノ堀川」でした。ルビノ堀川 ルビノ堀川は、今ガイドを担当している旧三井家下鴨別邸に関係するところです。去年の朝ドラ「あさが来た」のヒロインのモデルになった広岡朝子の生家があったところです。広岡朝子は三井十一家のうちの出水家出身。出水家と呼ばれたのは、油小路出水(ルビノ堀川のあるところ)に住まいがあったためで、明治維新後、東京の小石川に住まいを移したことから小石川家とも呼ばれるようになりました。 ルビノ堀川には出水家時代の庭は残っていませんが、燈籠や庭石がホテルの敷地内に残されています。朝ドラがあったときには、特別にパネル展も行われたようです。→こちら 懇親会開始まで時間があったので、その燈籠を探してみましたが、現在は、控え目にホテルの正面の壁に、説明書きがある程度で、場所の案内もありません。ホテルのフロントに尋ねて、駐車場の入り口近くにようやく見つけました。他の方、何人かにも声をおかけして、案内しました。ホテル正面の説明書き 燈籠など 懇親会は前回は入ったばかりで、知らない方ばかりだったので緊張しました。しかし、約半年経過し、エリア会、同じ場所のガイド、私的な懇親会などを通じて、お顔と名前も一致するようになりましたし、色んなガイドを経験して、話題にも入っていけるようになりました。前回よりは、かなりリラックスして参加することができました。 2次会に誘われましたが、明日仕事だし、2日続きの飲み会なので自重しました。しかし、帰る途中、、ちょうどいい時間の五条通を通るバスがないのを口実に、四条大宮駅前の小さなラーメン屋さん「京龍」に寄って、虫養いしてしまいました。 -------------------------------------------------------------------よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2017/04/10
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【2017年4月10日(月)】 午前中、K歯科での定期メンテに行きました。特に虫歯の発生もなく良好な状態とのこと。 その後、バス停「桂離宮前」まで歩き、そこからバスで京都駅へ。歩いて三十三間堂へ向かいました。 4月20日の長野県下の中学校修学旅行(私の今年初めて、累計2回目の修学旅行ガイド)の要望行き先が、金閣寺→北野天満宮→白峯神宮→銀閣寺→三十三間堂→伏見稲荷となっています。しかし、白峯神宮、三十三間堂については、修学旅行の私の担当や先輩に付き添っての研修、さらに入会前の研修でも行ったことがありません(もちろん個人的には観光目的で何度も行ったことがあります)。そこで、午後のエリア会議まで時間がありましたので、三十三間堂の下見をすることにしました。 拝観券売り場で、ガイド会の会員証を見せて、下見のため無料で入場できないかと尋ねましたが、ダメでした。 大人 600円、高校生 400円、中学生 400円、小人 300円です。 時間が限られているので、詳しくは観れませんでしたが、風神雷神像の位置、二十八部衆のうち北半分の像の位置は把握できました。寺外、寺内のトイレの場所も分かりました。 靴は下駄箱に置いておくのですが、下駄箱が何列も並んでおり、それぞれに番号が付いているので、帰りに探さなくてもいいように、その番号を生徒たちに憶えてもらう必要があります。あるいは、どちらかの一番端に置くのも手です。さらには、私が洗濯バサミのようなものを持っておいて、それを靴に取り付けておくというのも方法だなと思いました。 駆け足ならば15分で見学できるし、ある程度詳しく説明すれば見学時間は30分程度という感じです。あとは、事前にもう少し詳しく勉強しなおして、「紙芝居」を用意しようと思います。三十三間堂(蓮華王院) 本堂 国宝 文永3年(1266年)完成。 洛中にある建物の中では大報恩寺本堂に次いで古く、洛中で鎌倉時代にまで遡る建物は この2棟のみ。三十三間堂 南大門 重要文化財(南側) 桃山時代。豊臣秀頼が慶長5年に新築したものと推測されている。三十三間堂 南大門 重要文化財(北側)後白河上皇の院政庁「法住寺殿」の一画に建てられました。それを示す石碑と駒札 午後2時からエリア会議なので、最寄りの京阪七条から神宮丸太町まで、京阪電車に乗って、神宮丸太町付近の「なか卯」で昼食をとって、歩いて烏丸丸太町のハートピアへ。 特記点としては、6月の修学旅行割り当て決定と、「京の夏の旅」についての勤務希望について、調査があったことです。 6月の修学旅行は8校割り当てがありました。うち中学校7校、小学校1校です。これで、4月2校(全部中学校)、5月5校(全部中学校)、6月8校です。やはり6月がピークです。勤務日は固定点合わせて、4月7日間、5月10日間、6月13日間(推定)となります。 去年の10月下旬から報酬有りの勤務を開始し、その日数は10月2日間、11月13日間、12月2日間、1月12日、2月11日、3月11日でしたから、4月は閑散期、6月、11月は繁忙期といえそうです。 「京の夏の旅」の期間は7月9日~9月30日で、特別公開場所で我がガイド会が担当するのは、 ・上賀茂神社 ・下鴨神社 ・本野精吾邸 ・大雲院 ・京都大学花山天文台 ・本願寺渉成園蘆庵 ・拾翠亭(定期観光のみ) ・旧三井家下鴨別邸2階(8/10~27のみ) となっています。 上賀茂神社、下鴨神社はよく特別拝観をしています。旧三井家下鴨別邸2階は昨年もありました。大雲院は常時点でもあります。本野精吾邸、蘆庵、拾翠亭については初めての公開か過去あったのかはよく分かりませんでしたが、花山天文台は初めてです。不便なところにあるので、ガイドはどこか公共交通機関の駅なり停留所なりから、まとまってタクシーで勤務地に通勤することになるようです。 勤務地希望調査がありましたので、希望順を 大雲院→花山天文台→本野精吾邸→下鴨神社 として提出しましたが、大雲院は常時点だし、下鴨神社はしょっちゅう特別拝観しているので、いずれは経験することになるでしょうから、花山→本野→蘆庵→拾翠亭 くらいにしておけばよかったと後悔しています。 次回エリア会議で、担当発表があると思います。 エリア会議はいつもように2時間程度で終わりましたが、終了後「ルビノ堀川」というところで、年2回の懇親会があるので、そちらに向かいました。早く終われば、白峯神宮に下見もしたかったのですが、時間がないので今回はあきらめました。 懇親会はこちら。-------------------------------------------------------------------よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2017/04/10
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【2017年4月9日(日)】 今日は、再就職したN社の4人会(ほぼ同時期に入社)の京都での花見会(こちら)の後、いつものように飲み会でした。 場所は、室町通高辻下ルの「創作料理とおすし 希味(のぞみ)」です。観光ガイド「京の冬の旅」養徳院の打ち上げで使ったところです(その打ち上げはこちら)。ガイド会の諸先輩は、京都の美味しくて、値段もリーズナブルなところをよくご存知ですので、この4人会の飲み会には、今後もガイド会で使ったところをパクらせていただこうと思います。 時間があったし、バスも渋滞するだろうから、距離はありましたが、最後の訪問地「高台寺」から歩きました。午後5時半予約で、ちょうどいい時間に着きました。 料理は頼んであった3000円のコース。飲み放題も可能でしたが、皆さん、そんなに飲まないとのことで、単品で注文することに。私は焼酎派ですが、他の方々は日本酒派。「獺祭(だっさい)」が置いてあったので、皆さんそれを注文されていました。 他の3人はN社の現役ですので、話題はN社のことが中心です。私は辞めて2年ですが、話の内容は理解できるし、登場人物はほとんど知っている人なので、アウトサイダーながら興味深く聞くことができました。 次回は、夏に鴨川の川床料理ということで、私が再度企画することになりました。秋はまた私が京都の紅葉を案内し、冬はシバさんが「カニ食い旅」を企画してくださることになりました。 4人とも健康で、関東からのお二人が長くN社に勤められ、この会ができるだけ長く続けば幸いです。 -------------------------------------------------------------------よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2017/04/09
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【2017年4月9日(日)】今日は恒例になったN社同時期入社仲間(N社四人会)での京都歩きでした。メンバーはいつものシバさん、マルさん、ヤマさん、そして私の4名。N社は、リストラでM社を退職後、再就職した会社です。 過去のこの集まりを振り返ってみます。 第1回 2014年2月 北陸 山代温泉 第2回 2014年4月 京都 岡崎近辺(花見) 私の病気で中断。 第3回 2015年5月 京都 東山 第4回 2015年11月 京都 洛北(紅葉) 第5回 2016年4月 京都 醍醐寺(花見) 第6回 2016年7月 京都 鞍馬・貴船(川床料理) 第7回 2016年11月 京都 嵐山(紅葉) そして今回 2017年4月 京都 東山(花見)です。 もともとは前日の4月8日(土)の予定だったのですが、ヤマさんから仕事の都合で変更希望があり、初めて日曜日に設定しました。日曜日なので、私以外の人は翌日確実に仕事です。 3回目の花見目的ですが、今回はそれ以外に京の花街の春の踊り「京おどり」を観ることも加えました。前回集まり時の次回予定の話のときに、皆さん一度観てみたいとのことでしたので、組み入れました。 五花街の踊りは、春に上七軒(北野をどり)、祇園甲部(都をどり)、宮川町(京おどり)、先斗町(鴨川をどり)、秋に祇園東(祇園をどり)が開催されます。4月9日であれば、「都をどり」と「京おどり」の両方が開催されています。普通なら、よりメジャーな「都をどり」を選択するところですが、いつも使う祇園甲部歌舞練場が耐震工事のため使うことができず、京都造形芸術大学(左京区北白川)の春秋座という劇場で行われることになっています。近代的な建物の中で観るのも何か風情がありません。そこで「京おどり」を選択しました。 私は「都をどり」を2回、「鴨川をどり」を1回観たことがありますが、「京おどり」は初めてです。もちろん他の皆さんは花街の踊り自体が初めてです。踊りの後のお花見は、前もって行き場所は決めずに、桜の咲き具合とかお天気を見ながら決めようということにしていました。 11:30に京阪四条駅に集合。前回は、シバさんだけが姫路からの参加で遠方だったのですが、事務所が他のお二人と同じ新大阪になり、近くに引っ越されたので、以前よりは楽な集合時間になったはずです。 すぐに宮川町歌舞練場に向かいましたが、まだ会場がオープンしていなかったため、近くの恵美須神社へ。恵美須神社財布塚 松下幸之助氏の名前が彫られ、使った財布が供養のため置かれています。椿 開場時間が近づいたので、宮川朝歌舞練場に戻ります。裏側から見た宮川町歌舞練場川端通沿いの「京おどり」看板と提灯表側から見た宮川町歌舞練場 開場しました。入場します。一等席と二等席があり、それぞれお茶券付きで、4,800円、2,800円。せっかくですから、一等席を買ってありました。入場券 まず、舞妓さんの点てるお抹茶と鶴屋吉信のお菓子をいただきます。食べ終わったお菓子のお皿(「京おどり」の名が入っている)は、記念に持って帰ることができます。残念ながら写真撮影禁止のため、帰ってきてから撮った写真です。開演前の会場内撮影はOKでした。 12時半から開演でした。全9景あり、最初5景が「竹取物語」です。台詞のあるのが、他の花街の踊りと違うところです。 「都をどり」と比べ、会場は小さいですが、その分、芸妓さんや舞妓さんが近くで見ることができ、迫力も感じられます。満員で補助椅子も入れていました。 ストーリーも楽しむことができました。宝塚の古(いにしえ)版といった感じです。そしてフィナーレの全員で踊る「宮川音頭」は圧巻でした。ヤマさんは、舞妓さんお投げた「京おどり」の名入り、手拭いをゲットして大喜びでした。皆さんも、大満足だったようです。私も、「都をどり」や「鴨川をどり」よりもよかったと感じました。 昨年の踊りですが、「宮川音頭」が、YouTubeにありましたので、シェアさせていただきます。やはり実物を観るのが一番ですが。 踊りのあとは、「あじき路地」を見た後、清水寺へ。清水寺は、3年前にも行こうとしたのですが、参道の混雑が半端じゃなく、途中であきらめて引き返したことがあるので、リベンジです。同じようなことにならないよう、今回は、大谷本廟を経て、大谷墓地を通って清水寺へ。さすがにこの道は、観光客はほとんど通っておらず、難なく清水寺に到着。大谷本廟 まず「随求堂胎内めぐり」に入りました。ここは我がガイド会が担当しており、仲間の皆さんにご挨拶。ここは、我々も料金を払わないといけないので、100円を払って私も入場。皆さん、真っ暗闇の珍しい体験をされました。 清水寺本堂は、修理が始まって、屋根が覆われ始めていたのが残念です。3、4年かかるそうなので、タイミングの問題ではないのですが。 清水寺を出て、産寧坂、二年坂を通り、途中でお茶休憩を挟み、高台寺へ。 高台寺は、豊臣秀吉夫人の北政所(ねね)が秀吉の菩提を弔うために創建しました、高台寺パンフレット入り口を入ってすぐの桜祇園閣を望む方丈前庭の枝垂れ桜開山堂 第一世三江紹益(1572-1650)を祀る。 木下家定(ねねの兄)、雲照院(家定の妻)などの像も安置されている。臥龍楼臥龍楼(上からの眺め)霊屋 秀吉と北政所を祀る。それぞれの像がある。 須弥壇や厨子には、高台寺蒔絵茶室、傘亭と時雨亭。 利休の衣装による茶席と言われ、伏見から移築したもの。 傘亭は竹が放射状に組まれ、カラカサを開けたように見えることからその名がある。 時雨亭は2階建。両者は土間廊下でつながっている。傘亭時雨亭(手前)と傘亭 掌美術館もセットになっていましたので見学しました。 高台寺拝観後、石塀小路を通って、歩いて室町高辻の夕宴会場へ向かいました。 何とか天気は曇りのまま持ちこたえてくれました。-------------------------------------------------------------------よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2017/04/09
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【2017年4月8日(土)】 昨夕から名古屋に住む長女が久しぶりの里帰り。目的は里帰り出産する予定の病院での診察です。 家内がお孫さんを持つテニス仲間と相談したところ、私の住む地域では、桂病院か三菱京都病院がいいだろうとのことで、三菱病院に決め、予約してありました。出産予定は8月ですので4ヵ月先です。三菱京都病院の医師は京都大学出身者が中心のようです。 長女に「お父さんまで、いっしょに来てもらわなくていいよ。」と言われましたが、私も家内もこの病院では診てもらったことがないので、一度見ておきたくて、私も同伴しました。http://recruit.nurse-senka.com/establishment/2006409/data 設備が整った、大きくてキレイな病院ですので、病院には不安がありませんが、長女は細身で食も細いし、身体も丈夫ではないし心配です。 帰りにスーパーでいっしょに買い物して帰りましたが、雨が上がったので、花見を兼ねて一人で散歩してきました。途中で雨が降ってきたので、傘を差しながらでしたが、桂坂公園の満開の桜を楽しむことがだきました。 -------------------------------------------------------------------よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2017/04/08
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【2017年4月7日(金)】 午前中、大阪府下M病院「がん」経過観察でした(こちら)。病院最寄り駅の王将で、昼間からビールをいただきながら腹ごしらえ。雨は降っていませんでしたので、京都歩きのため京阪電車で京都に向かいました。 今日のメインの目的は霊鑑寺の春の特別拝観。過去二度(一度は家内と)拝観していますが、我がガイド協会が担当しているので、向学のための拝観です。京阪の神宮丸太町駅が最寄り駅になりますが、白川沿いの桜も見たくて、三条駅で降りて歩きました。東山通から北に入った白川沿い 穴場です。岡崎・琵琶湖疏水沿い清流亭 近年有名になりましたが、まだまだ穴場のようです。人出はさほどではありません。哲学の道霊鑑寺到着 哲学の道から山側に入ったところで、人出は少なく静かです。パンフレット(表面) 霊鑑寺は椿のシーズンの春と、紅葉シーズンの秋に特別公開されます。今年の春の公開は、3月25日~4月9日。約2週間強と短いので、今日、あまり天気がよくありませんでしたが、訪問した次第です。私はガイドの勉強ということで無料拝観ですが、通常は大人600円の拝観料です。 ガイドは1日6人体制で、20人で分担。この日の6人のうち、同期の方は、NTさん♀、NJさん♂、NMさん♀、TTさん♂の4人でした。ガイドを聞かせていただくとともに、お客様がいないときは、色々ノウハウをお聞きしました。 いただいたパンフレットの内容を中心に、霊鑑寺の紹介です。《歴史》 円成山霊鑑寺と称し、臨済宗南禅寺派に属する尼門跡寺院。 承応3年(1654)、後水尾天皇が[円成山霊鑑寺]の山号と寺号を勅許し、同時に皇女浄法身院宮宗澄(じょうほっしんいんのみやそうちょう)を得度人寺させたことより始まり、以来明治維新まで5人の皇女・皇孫が入寺することとなり、「霊鑑寺尼門跡」と称し、また所在する地より「鹿ヶ谷比丘尼(びくに)御所」や「谷の御所」と呼ばれています。《建物》 本堂に安置されている如意輪観音像は、恵心憎都の作で、もと当寺より東の山中にあった如意寺の本尊であると伝えられています。如意寺は、平安時代初期の承和年間に智証大師円珍によって創建された寺院であると伝えられ、南北朝の戦乱により焼失し、以来荒廃・廃絶していたものを、後水尾天皇がある夜霊夢によって感得し、この像を本尊として霊鑑寺を創建されたものと伝えられます。 創建当初の霊鑑寺は、本堂などの建造物は現在の南隣にりましたが、貞享3年(1686)に後西(ごさい)天皇の皇女普賢院宮宗栄(ふげんいんのみやそうえい)(当寺2世)の時、後西天皇の院御所旧殿のうち御休息所及び御番所を賜って現在地に移建されたのが、現在の書院と玄関になっています。また現在の本堂は、寛政6年(1795)に11代将軍徳川家斉(いえなり)の寄進によって建立されたものです。 後西天皇の院御所旧殿をはじめとするこれらの建造物は、江戸時代の尼門跡らしく、格調の高さを示すとともに清楚なたたずまいを見せており、それぞれ京都市の文化財に指定されています。本堂本堂内部(パンフレットから)如意輪観音像(パンフレットから) 《庭園》 庭園は、東山連峰の大文字山より延びる稜線をうまく使って書院の南に作られており、池を細くうがち、立石を使った石組みを配したもので、江戸時代中期の作庭技法を用いた池泉観賞式庭園です。特に石組にあわせて般若寺型石灯寵を立て、石組と石灯龍の調和を巧みに用いており、この時代の特徴をよく表しています。 庭内には後水尾天皇遺愛の日光椿(じっこうっばき)をはじめ、数々の名椿が植えられており、春には種々の椿が見事に咲きにおい、また秋には京都の名木の一つに数えられる楓が紅葉し、それぞれ庭園に彩りを添えています。日光(じっこう)椿(真ん中が赤い)月光(がっこう)椿(真ん中が白い)椿色々第11代将軍徳川家斉の尼宮の献上と伝わる大きな硯石《寺宝》 そのぽか書院・居間などには狩野永徳や狩野元信・円山応挙筆と伝えられる四季花鳥図などの襖絵や、歴代天皇遺愛の香炉・掛け軸・置物などが多く残されています。なかでも、数多く蔵されている御所人形の名品は、今も変わらぬあどけない表情で、昔の人々の雅やかな趣味を今日に伝えています。書院上段の間(パンフレットから)御所人形・カルタ(パンフレットから) 今年は椿の裏年で、あまり椿には期待できないと聞いていましたが、噂に反して本当にキレイでした。公開当初は、あまり咲いていなかったようですが、ここに来て暖かくなったので、急に開花が進んだようです。途中で雨が降り出しましたが、雨に苔が濡れてコントラストが素晴らしかったです。 五条烏丸まで歩いて、バスで帰りたかったのですが、雨が結構きつく降ってきたし、夕刻名古屋から長女が来るので、バスで河原町まで出て、阪急で帰りました。家内がJR最寄り駅まで長女を迎えに行くところだったので、私もピックアップしてもらいました。-------------------------------------------------------------------よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2017/04/07
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【2017年4月7日(金)】今日は粒子線治療後23回目の定期経過観察(1ヵ月に一度)で、大阪府下のM病院に行ってきました。今回は、CT検査、血液検査、CVポートフラッシュのフルバージョン(3ヵ月に一度)でした。 午前9時45分からCTだったのですが、バスの時刻表を自宅で確認したとき、間違って他のバス停のを見ていたので、その時間にバスが来ず、15分遅れで病院着。しかし、予定どおり11時30分台に診察を受けることができました。主治医からの説明の主旨は下記内容でした。・腫瘍の大きさは3ヵ月前と変化なし。・腎不全の指標であるクレアチニン値も1.65で、ほぼ安定している。・粒子線医療センターからCVポート抜去の同意が得られたので、1ヵ月後の血液検査の際に抜去の日程を決める。 1泊2日の入院手術で、家族の付き添いは必要なし。退院翌日は、身体的負荷が大きな行動は避けること(例えばゴルフなど)。 入院は「火水」か「木金」になるので、今度の診察のときに、日程候補をいくつか持ってきて欲しい。血液検査結果クレアチニン、尿素窒素、尿酸値の推移 クレアチニン、尿素窒素とも、上限値を超えていますが、問題ない範囲で安定しています。 尿酸値は薬を再開してから、上限値以下をキープしています。コレステロール、中性脂肪 LDLコレステロールは少し下がって上限以下、全コレステロールは上限を僅かにオーバー。 前回よりは、両者とも下がっています。腫瘍大きさの変化をアップデートしました。 ここ2回、大きさは変化ないようです。 今日、膀胱鏡検査をするとの話が前回あったのですが、主治医から話がなかったため確認しました。「今日は、しません。」とのことでした。これからもしないのか、今後お願いすればやっていただけるのかは確認しませんでした。膀胱鏡検査は「あそこ」にカテーテルを突っ込むので、少々恥ずかしいし、少し痛いです。ですので、積極的にお願いする気にはなりませんでした。でも、やっておいたほうがいいでしょう。次回(1ヵ月後)確認してみます。 CVポートフラッシュをしていただいて、高尿酸の薬をいつものように薬局で買い求め、病院を後にしました。最寄り駅の駅前の王将で、ビールをいただきながら、がっつり昼食。我がガイド会の担当している、「霊鑑寺」を見学するため、阪急電車で京都に向かいました。よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村_________________________________過去の治療履歴は下記を参考にしてください。がん治療日記:http://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=10がん治療振り返り:http://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=11
2017/04/07
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【2017年4月6日(木)】 今日はガイド連続オフ日の3日目、プライベート連続オフの2日目です。やはり完全オフが2日あると、溜まったことができて楽ですね。 曇っていて、昨日に比べると寒い日です。外出は散歩だけの予定です。 「京の冬の旅」妙心寺塔頭・養徳院の観光ガイドでの、室内の額などの説明の続きです。額などは説明を積極的にはしませんでしたが、質問があればお答えできるように準備はしていました。(その1はこちら) ●北の間 外側の額 語愛(愛語・あいご) 古川大航書 菩薩が人々を救うにあたって、人々を誘い仏道に導いていくための4つの方法(四摂法(ししょうぼう))のうちの一つ。優しいことば、親しみのある心のこもったことば、人々に対する慈悲心(慈しみの心)から発せられたことば、親愛の心をおこさせることばをいう。 古川大航は妙心寺第629世。第22代管長。1968年没。 http://pic.tiexue.net/bbs_8895110_1.html●東側廊下の南の端 敬仏愛人(けいぶつあいじん) 山田無文書 山田無文老師が、よく書かれた禅語。 西郷隆盛が好んだ「敬天愛人」という言葉もあります。 「道は天地自然の物にして、人は是を行うものなれば、天を敬するを目的とす。天は我も同一に愛し給ふゆえ、我を愛する心を以って人を愛するなり・・・。」 道というのはこの天地自ら成るものであり、人は是にのっとって行うべきものであるから、まず何よりもまず、天を敬うことを目的とずべきである。天は他人も自分も平等に愛したもうから、自分を愛する心をもって人を愛することが肝要である。 この「天」を「佛」に置き換えたのが「敬佛愛人」。 山田無文(やまだむもん)(明治33年~昭和64年)は、臨済宗妙心寺派26代管長。わかりやすい法話で親しまれ、落語家がその話術を勉強したという逸話もあります。http://www.plinst.jp/musouan/yamada00.html●東南の部屋の額 十牛図 渡辺泰河筆以下Wikipediaから。 十牛図(じゅうぎゅうず)は、禅の悟りにいたる道筋を牛を主題とした十枚の絵で表したもの。 牛は人の心の象徴とされます。あるいは、牛を悟り、童子を修行者と見立てます。尋牛(じんぎゅう) - 牛を捜そうと志すこと。 悟りを探すがどこにいるかわからず途方にくれた姿を表す。見跡(けんせき) - 牛の足跡を見出すこと。 足跡とは経典や古人の公案の類を意味する。見牛(けんぎゅう) - 牛の姿をかいまみること。 優れた師に出会い「悟り」が少しばかり見えた状態。得牛(とくぎゅう) - 力尽くで牛をつかまえること。 何とか悟りの実態を得たものの、いまだ自分のものになっていない姿。牧牛(ぼくぎゅう) - 牛をてなづけること。 悟りを自分のものにするための修行を表す。騎牛帰家(きぎゅうきか) - 牛の背に乗り家へむかうこと。 悟りがようやく得られて世間に戻る姿。忘牛存人(ぼうぎゅうぞんにん) - 家にもどり牛のことも忘れること。 悟りは逃げたのではなく修行者の中にあることに気づく。人牛倶忘(にんぎゅうぐぼう) - すべてが忘れさられ、無に帰一すること。 悟りを得た修行者も特別な存在ではなく本来の自然な姿に気づく。返本還源(へんぽんげんげん) - 原初の自然の美しさがあらわれてくること。 悟りとはこのような自然の中にあることを表す。入鄽垂手(にってんすいしゅ) - まちへ... 悟りを得た修行者(童子から布袋和尚の姿になっている)が街へ出て、 別の童子と遊ぶ姿を描き、人を導くことを表す。 お寺に掛かっていたのは、「騎牛帰家」の絵だと思われます。十牛図「騎牛帰家」(Wikipediaからで、渡辺泰河によるものではありません。)●北の間の屏風 ご住職がご趣味で集められた、古絵画を屏風に仕立てたもの。 寺宝の「酒茶論」と同じ部屋に飾られているのですが、こちらのほうのインパクトが大きいので、お客様は「酒茶論」より、まずこちらをご覧になります。説明が終わっても、興味深くご覧になる方も多く、簡単に説明をしていました。 屏風は下記のような配置でした。・左から1曲め 催馬楽律 上 伊勢海律一 飛鳥井律二 庭生律三 下 浅水律四 大路律五 鷹子律六・左から2曲め 上 四季耕作図 夏 田植え(推定) 下 狩野縫殿之介 御長群亀・中央左の曲 上 蝦蟆・中央右の曲 上 鉄拐・中央2曲の下部 九月・右から2曲目 上 四季耕作図 春 田起し・初巻き(推定) 下 唐童・右から1曲め 催馬楽呂 上 梅枝呂一 山城呂二 此殿呂三 下 真金吹呂四 田中井戸呂五 席田呂六◆催馬楽 平安時代に流行した古代歌謡。元来存在した各地の民謡・風俗歌に外来楽器の伴奏を加えた形式の歌謡。遊宴や祝宴、娯楽の際に歌われた。語源については、馬子唄や唐楽からきたという説もあるが定かではない。 律として25曲、呂として36曲が知られている。この屏風の12の絵もそれらに含まれている。◆蝦蟆・鉄拐 両者とも中国の仙人。 蝦蟆は、三国時代呉の葛玄(かつげん)、あるいは五代後梁の劉海蟾(りゅうかじせん)をモデルにしたといわれます。ガマを使い、怪しい術を使ったといわれます。 鉄拐は八仙の一人。彼の幼名であるとする説や、足が不自由で鉄の杖をついていたためという説がある。息をフーッと吐くことで、自らの分身を生み出したといわれる。 顔輝「蝦蟆鉄拐図」の影響で、この蝦蟆・鉄拐は対で描かれることが多いが、両者を一緒に描く典拠は明らかではありません。鉄拐は八仙人の一人ですが、蝦蟆は中国ではマイナーです。 顔輝「蝦蟆鉄拐図」(養徳院の屏風のものではありません) http://www.kyohaku.go.jp/jp/syuzou/meihin/chuugoku/item10.html◆狩野縫殿之介 この屏風の絵の中で、唯一作者名が書かれたものです。しかし、これは固有名詞ではなく、通称です。京狩野の絵師(初代は山楽)が2代目以降、この縫殿助を通称を使ったので、この絵は京狩野の誰かが描いたものだと推定はできますが、誰が描いたものかは特定できません。 ●竹篦(しっぺい)・警策(けいさく) これらが室内や廊下のところどころに掛けられていました。 警策は坐禅のとき、修行者の肩ないし、背中を打つための棒。臨済宗では「けいさく」、曹洞宗では「きょうさく」と読みます。 その短いのが竹篦(しっぺい)で、子供のときの遊び「指しっぺ」、仕返しという意味の「しっぺ返し」の語源です。時間があるときは、これを説明すると、皆さん「なるほど、そうなんや」と頷いておられました。竹篦(しっぺい)(養徳院に置かれていたものではありません)http://hokuryukai.blog.jp/archives/9515202.html警策(けいさく)(養徳院に置かれていたものではありません)http://zatugakuunun.com/yt/mono/2496/養徳院でのガイドの内容や補足知識は今回で終了です。(守秘義務再考版。原文は非公開日記に移動済み。)-------------------------------------------------------------------よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2017/04/06
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【2017年4月5日(金)】 さきほど、ご近所散歩から帰ってきました。家を出たところで、テレビによく出演されている歴史学者の磯田道史さんをお見かけしました。磯田道史さんhttp://n-jinny.com/10942.html 磯田さんは、2016年から私が住む京都桂坂にある「国際日本文化研究センター」の准教授になられたので、いつかお見かけすることもあるかもと思ってはいました。でもタクシーとかで来られるから、やっぱり無理かなとも。国際日本文化研究センターhttp://www.zai-nichibun.jp/info.html ちょうど我が家の最寄りバス停が、国際日本文化研究センター最寄りのバス停でもあり、バスから降りて来られたところでした。タクシーではなくバスでした。そして、背広姿ではなく、町歩きのラフな服装でした。 「いつも拝見させていただいています。観光ガイドの参考にさせていただいています。」などと、声をかけようかなとも思いましたが、お急ぎのようでもあったので、自重しました。 新聞記事で読んだと思いますが、子供のころから古文書に親しみ、ネイティブのように読むことができるとか。そして、歴史学者になるべくしてなったというお名前「道史」ですね。 -------------------------------------------------------------------よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2017/04/05
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【2017年4月5日(水)】 「京の冬の旅」妙心寺塔頭・養徳院の観光ガイドは、私の担当は3月16日(木)を最後に終わりました(こちら)。都度、ガイドの内容を書いてきましたが、説明を積極的にはしないものの、質問があればお答えできるようにしていたのが、部屋に掲げられている額などの内容です。なかにはやはり質問をされるお客様がいらっしゃいました。 ここでは簡単に説明させていただきます。●玄関の額 嵓碧(碧嵓・へきがん) 奥大節(おくたいせつ)書 「碧嵓録(へきがんろく)」は中国の仏教書。特に臨済宗において尊重される代表的な公案集。宋時代に圜悟克勤によって編された。 奥大節は方廣寺派管長を務めた臨済宗僧。1970年没。 http://www.houkouji.or.jp/kancho.html●玄関の額 下脚看(看脚下・かんきゃっか) 抱石(ほうせき)書 「看脚下」は代表的な禅語。五祖法演禅師と弟子たちの話に由来。 ある夜の帰り道、手にしていた灯火が消えてしまう。法演禅師が「自己の見解を述べよ」と命じ、圜悟克勤は「看脚下(足元を見よ)」と述べた。 自分の立っているところを看定めよという教えだが、「足元に気をつけてください。」という意味で、お寺の玄関によく見かける。 抱石は、西田幾多郎の弟子で、禅に通暁した今世紀の哲学者・久松真一(1889~1980)の号。 久松氏は「FAS」を標語とする学道道場を主催した。「FAS」とは、形なき自己(Fromless self)に目覚め、全人類(All mankind)の立場に立ち、歴史を越えて、歴史を創ろう(Superhistorical history)。 このFAS座禅会を、養徳院の前ご住職が催されていた関係で、この額を書いていただいたようです。 崩し字で書かれているので、なかなか読める人はいませんでした。 https://www.bun.kyoto-u.ac.jp/japanese_philosophy/jp-hisamatsu_guidance/●入り口廊下の色紙 啐啄(そくたく) 啐啄同時という言葉から。鶏の雛が卵から産まれ出ようとするとき、殻の中から卵の殻をつついて音をたてます。これを「啐(そく)」といいます。そのとき、親鶏が外から殻を破ります、これを「啄(たく)」といいます。この「啐」と「啄」が同時であってはじめて、殻が破れて雛が生まれます。これを「啐啄同時」といいます。 これは鶏に限らず、師匠と弟子、親と子の関係でも、学ぶべきものです。●入り口廊下と東側廊下の角の白菜の絵 中国で描かれた比較的新しいものですが、縁あって養徳院にあります。 白菜は百財とは発音が「バイツァイ」で同じなので、縁起のよい野菜だといわれます。●北の間の額 会流薪(薪流会・しんりゅうかい) 大井際断書 養徳院ご住職が名誉会長を務めておられるのが「薪流会」。 「薪流」の2字は、広瀬淡窗(たんこう)(1782-1856)の書いた漢詩からとったもの。広瀬淡窗は江戸末期の儒学者、詩人。私塾から大村益次郎らを輩出。「薪流」のもとになった漢詩は、桂林荘における塾生たちの生活を題材に塾生たちを励ました詩。 意味は、「泣き言をいうな。志を同じくする多くの友があり、一つの袍(どてら)も共に着るような親友もできるではないか。朝早く柴の戸を開けて外に出ると、霜が雪のように真白く降りている。さぁ、朝の炊事の支度だ。君は川の水を汲んできたまえ、我は薪を拾いに行くから。」 学問の修行は一人だけで行うものではなく、志を同じくする者同士が助け合ってするものであるという考え方を示している。「薪流会」の名にはそういった意味が込められている、「薪流会」はご住職の師であり、この額を書いた大井際断が創始者。大井際断は1915年生まれで、現在臨済宗・方廣寺派管長。 http://www.houkouji.or.jp/kancho.html(続く) 一昨日の3日から9日まで、7日間連続のガイド関係(無給も含め)オフ日です。去年の10月末から本格的なガイドの仕事が始まって、12月下旬から年始にかけて11日連続オフというのがありましたが、それ以外は、11月は3日間、1月は2日間、2月は3日間、4日間が最長でした。溜まったTo doに手を付けることができそうです。 家内はテニス、私は在宅。これから散歩に行ってきます。(内容再考版。原文は非公開日記に移動済み。)-------------------------------------------------------------------よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2017/04/05
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【2017年4月4日(火)】 今日は「がん」治療復帰後、第21回目のゴルフラウンド。日本に帰ってきてからは通算124回目、今年(2017年)第4回目のラウンド。 場所は「京阪カントリー倶楽部」。宇治⇒曽束コース。同伴者は、M社現業時代の先輩谷さん、前さんと谷さんの業界会での仕事仲間だったS社の藤さん。 朝9時のスタート。高速代セーブのため、高速はドアtoドアでなく、しばらく地道で行って、京滋バイパスには巨椋池インターから入ることにしました。このルートなら、所要時間は50分程度と踏み、7時半過ぎに家を出ました。しかし、思いのほか車が混んでいて、1時間10分くらいかかり、着いたのはスタート15分くらい前。途中で、谷さんにメールで到着がギリギリになると伝えたところ、藤さんがもっと遅れていて、スタートを遅らせたとのこと。藤さんは事故による渋滞に巻き込まれたのことで、結局スタートは40分遅れの9時40分でした。 私の所要時間の読み間違いは、現役時代の土日にラウンドしたときの所要時間が頭にあったためです。平日だと通勤の車で混むので、1時間10分くらい見ておかなければならないようです。全部高速使うより30分は余計にかかってしまいます。高速代は片道1,150円⇒560円ですが。 春らしい良いお天気で、プレー環境は抜群でした。谷さんは花粉症でしんどそうでしたが。コース状態はフェアウェイが芝がはげているところが多いし、グリーンも砂だらけで、よくありまでんでした。 前回が120超えだったので、とにかく120は最低限切ることを命題に臨みました。 ドライバーがトップしたり、左に行ったり、得意なフェアウェイウッドがダフったり、トップしたりで、あまり調子よくありませんでした。アイアンも左に引っかけたり、寄せも下手くそ。パターもイップス気味。いいとこなし。 前半は何とか52にまとめることができましたが、後半は、61と60超え。合計113と何とか115以下に押さえられたのが救いです。パットも36とイップスに苦しんだ割にはよかったです。 パターはクロスハンドももう一度試しましたが、やはり左右同じ高さがいいような気がします。あとはよく分かりません。あまり考えないほうがいいのかもしれません。次回は素振りせずに打つのを試してみます。 【スコア】【費用】7,350円(昼食含む)高速代:560円x2 お風呂入って、ラウンジでお茶して、帰途はブックオフに寄って、自宅の古本を売却。古本売却はこれで3回目です。こうやってゴルフの帰りを利用しての「ちまちま断捨離」をしばらく続けます。 家内は留守番でした。よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村___________________________________「日本でのゴルフ」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=7「ゴルフ他@米国」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=3
2017/04/04
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【2017年4月3日(月)】 朝はまだ寒いですが、昼間はすっかり春の天気でした。 この前のゴルフラウンドでスコアが120超えと超悪かったので、明日のゴルフラウンドの備えて、昨日時点では今朝ゴルフの練習に行こうと思っていました。しかし、研修、飲み会、ゴルフラウンド、ガイド、ガイド下見、ゴルフラウンド、ガイドとプライベートも含めると6連続ON日でしたし、旧三井家下鴨別邸の初日に向けの準備もあって、体力的、精神的にタフな日が続き、起きるのが遅くなってしまいました。家内がテニスで車を使うので、結局、ゴルフ練習は行かずです。散歩以外は、家にいました。 ルーティーン以外に、ガイド勤務日交替のFAXを関係者に送り、三味線を久しぶりに練習し(このごろ1週間に1回程度しか練習できていません)、4月9日のN社時代の仲間との花見の会の予定を送り、4月13日のアメリカからの客人との件でメールをし、先日の交通違反(こちら)の罰金を支払う(一時停止違反7千円)など、諸事できました。 罰金を郵便局で払ったとき、ついでに家族の通帳を記帳したのですが、そのときにハプニング発生。家内の通帳を記帳したときに、ATMの中で引っ掛かって、ATMが故障して通帳が機械の中に取り込まれてしまいました。郵便局が営業中だったので、局の人に開けてもらって通帳を出してもらったのですが、通帳の磁気情報が破壊されているとのことで、通帳を作り直してもらいました。ATMでこんなトラブルに逢うのは初めての経験です。 散歩のとき、モクレン、レンギョウ、ツルニチニチソウ、ハナニラ、ユキヤナギなどが咲いていました。いよいよ賑やかになってきました。 さて、先月で妙心寺塔頭・養徳院のガイドは終わったのですが、慰労会(こちら)のとき、養徳院のご住職、副住職から、記念の品々をいただきました。それを紹介できていなかったので、ここで紹介させていただきます。 方広寺管長 大井際断氏の干支色紙 「無位真人」 この方広寺は浜松市にある、臨済宗方広寺の大本山。 「無位真人」は臨済宗開祖義玄『臨済録』の「赤肉団上に一無位の真人あり」から。 すべてを超越し、世俗の基準を超えた真実の人をいう。 つまり仏のこと。人間の真実の姿。養徳院ご住職筆の扇色紙 「京の冬の旅」記念に書いてくださいました。詞は鉄庵道生作。養徳院副住職筆の龍図 担当ガイド全員に異なった絵を描いてくださり、私はこの絵をいただきました。 思い出深い頂き物です。(内容再考版。原文は非公開日記に移動済み。)-------------------------------------------------------------------よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2017/04/04
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【2017年4月2日(日)】 今日は、4月~6月の3ヵ月間ガイドを担当する、「旧三井家下鴨別邸」の初日でした。 東寺、八木邸、養徳院はバス1本で行っても、徒歩は最大3kmだったので、交通費セーブのため、バス1本+徒歩で通勤しましたが、今回はバス1本だと、5kmくらい歩かないといけません。なので、交通費は増えますが、バス+阪急(河原町まで)+徒歩にすることにしました。それでも3kmは歩かないといけません。ただ養徳院で経験した距離なので、大丈夫でしょう。それに良い季節ですので、鴨川沿いを歩くのも楽しみですし。 今までの箇所と違うのは、他の団体のスタッフの方々やボランティアの方々などといっしょにお仕事をすることです。我々は純粋にガイドだけを担当します。普通は、我がガイド会の個人名の入った名札を着けてガイドをするのですが、ここでは「STAFF」と書いた名札です。 弦関棟と主屋を担当しますが、積極的にガイドするのは玄関棟の担当のときのみです。ですので、ずっとしゃべりぱなしということはありません。それから、空調がありますので、冬や夏の厳しさは、さほどではないようです。 いつものように事前準備はスロースターターでした。もらっている標準説明内容をそのまま話せば、ほぼ10分だったので、まずは標準版に忠実に話すことにしました。八木邸のときと同じように、標準説明内容から要点を書き出した要約版と「紙芝居」を準備しました。そして、頭の中で練習。しかし、パートごとの頭の中での練習にとどまり、声を出しての全体を通した練習までいかないまま本番を迎えました。 さて、ガイドのほうですが、やはり最初2回くらいは、しどろもどろの感じでしたが、3回目くらいからは慣れてきて、午後からは、滑らかに話せるようになりました。スタッフの方からも、社交辞令もあると思いますが、「初日とは思えないくらいのガイドでしたよ。」とおっしゃってくださいました。団体さんの案内も経験させていただいました。 お天気もよく、昼は暖かくなりました。何とか大過なく、一日目を終えることができました。いっしょに仕事をしていただくスタッフの皆さんは、優しい方々ばかりで、これからもリラックスしてお仕事をさせていただくことができそうで、その点もありがたいことです。 帰りはずっと鴨川沿いを歩きました。シートを敷いての花見客も多かったですが、残念ながら桜はまだ蕾でした。(内容再考版。原文は非公開日記に移動済み。)-------------------------------------------------------------------よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2017/04/02
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【2017年4月1日(土)】 今日は「がん」治療復帰後、第20回目のゴルフラウンド。日本に帰ってきてからは通算123回目、今年(2017年)第3回目のラウンド。 泉会の集まりで、場所は「山の原ゴルフクラブ」の山の原コース。同伴者は、荻さんと鹿さん。3回目のお手合わせです。 直前のラウンドが、108とそこそこのスコアで、しかもパターのイップスから脱出できたと思ったので、今日は少なくとも110切りはかたいと思って臨みました。 ところが大変なことに、 スコア 64+59=123 ストローク 42+44= 86 パット 22+15= 37 何と120オーバーでした。超ショックです。 ドライバーは、極端なミスショットはないものの、距離が出ない、フックしたりとかで、あまり芳しくなく、得意のフェアウェイウッドも、トップしたりダフったりと散々でした。アイアンは相変わらず下手ですが、短い寄せでザックリしたりとか、バンカーショットも散々。ショートアイアンも左へ引っかけることが多かったです。全くいいことなし。ストローク86は、復帰後最悪です。 イップスを脱したと思ったパターも、前半はほぼOKの距離を何度か外すありさま。途中でマレット型のパターに替えたら、真っすぐ引いて、真っすぐ出してないから、短めのフェースなので、端っこに当たってあらぬ方向に転がったり、もう散々。後半、とにかくフェースの真ん中に当てようと意識して、何とか持ち直して、合計37パットに抑えることができたのが、せめても救いです。 ゴルフがどんどん下手になっています。訳が分かりません。今、ガイドの方が忙しくて、ほとんど練習なしで、ラウンドに臨んでいますが、4月、5月は少し余裕ができるでしょうから、少しは練習しなければ。とにかく失意のラウンドでした。 朝は、曇って寒かったですが、後半は晴れた暖かくなりました。お天気に恵まれたのが、せめてもの救いです。 【スコア】【費用】16,922円(昼食含む)(土曜なので高額です)高速代:なし 明日から旧三井家下鴨別邸のガイドが始まるので、往復の車の中では、昨日、自分の声で録音した標準ガイド内容を聞いて、練習しました。4分の1くらいしか完了していないので、今から、残りをして、紙芝居を作ります。 家内は留守番でした。よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村___________________________________「日本でのゴルフ」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=7「ゴルフ他@米国」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=3
2017/04/01
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