全40件 (40件中 1-40件目)
1

【2017年10月31日(火)】 今日の修学旅行ガイドは終了時間が午後1時だったので(こちら)、最初から計画して、終了後、京都・歴彩館に行きました。 伏見稲荷関係研究の継続で、今日は伏見稲荷大社刊行の機関誌「朱」の続きを読むのが目的。過去詠んだ号数を書いたノートを持っていくのを忘れたので、記憶を頼りに9号から読み始めました。帰宅してから記録を見たら、以前読んだのは5号まででしたので、次回抜けている部分を読まなくてはなりません。 読むといっても、ざっと目を通しながら、お滝場の歴史に関わるようなところだけを細かく読み、必要なところをコピーするという方法です。2時間半で9号から13号まで読みました。前回も30分に1冊くらいのペースでした。60号まで発刊されていますので、全部読もうと思ったらまだまだです。 気になるところをピックアップしました。第11号 お稲荷さん 長谷川幸延(作家) 奥様が救いをもとめて伏見稲荷のお山で滝行をしたいというくだりがある。修行者や巫覡だけでなく、救いを求める本人も行をすることがあったことを物語っている。第12号 現世利益稲荷信仰と稲荷社 小池長之(東京学芸大学助教授)「稲荷山には麓には、いくつもの滝がある。ここでの祈願の者は、人目を忍ぶ場合が多いので、表からのぞかれないようになっており、・・・ 夏などは順番を待っているような有様だそうだ。・・・ 夜半に白衣にわらじばきで入って来て、大声で祈っている者がいるそうだ。・・・」 色んな境遇の人の利用がありそうだ。観光に利用できないかなど不謹慎なことを考えてはいけなのかもしれない。第12号 大西家所蔵狐狩の古文書 桑田忠親 石田三成、増田長盛が伏見稲荷宛てに書いた書簡。「(意味)宇喜多秀家の内室が、病中に物の怪が憑いたのでのは、野狐のしわざだろうとのことで、関白秀吉から、狐を退去させよ、さもなくば当社を破却し、以降は狐狩を行わせ殺し倒す。」 狐がこの時代すでに忌み嫌われる存在であったことを物語っている。第12号 稲荷と狐 岩井宏美 大坂市立博物館学芸員 「狐憑き」は人の持ち得ぬ霊力を備えた鉱物を招き寄せて、その宣託を聞こうというのが、そもそもの始まりでした。それは村の行事として行われもした。しかし、畏い神はひとたび一転すると恐るべき神、嫌悪すべき神にもなった。狐持ちの問題も、狐の信仰の霊落した一形態。「朱」の外観の例https://ameblo.jp/kyototherapy/entry-11990584578.html 最終発表時期を考えると、そろそろフィールドワークを始めたい時期ではありますが、まだまだ文献閲覧を重ねないと手持ち情報が手薄なままのフィールドワークになってしまいそうなので、しばらく文献閲覧を重ねたほうがいいようにも思います。-------------------------------------------------------------------よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2017/10/31
コメント(0)

【2017年10月31日(火)】 今日は、修学旅行ガイドの通算24回目、今年23回目でした。この秋としては5回目です。 今日は私にとって初めての高校生のガイドでした。関東の県立高校。高校生のガイドは珍しいです。もう大人ですからね。 もう一ついつもと違うところは、最終は全員が同じ場所に集合するということではなく、それぞれの班の目的地に送り届けて終わりというものでした。時々こういうパターンがあるようですが、私は初めてでした。 関東の中学校は京都に修学旅行に来ることが多いので、京都はそれと重複しやすいと思うのですが、生徒たちへの行き先アンケートがあって京都が選ばれたようです。京都に住む者にとっては嬉しいことです。 私の班は女性徒5人でした。清水寺などを訪れ、昼食後祇園のレンタル着物店まで送り届けるというコースでした。 昼食は指定があり、ラーメンの「天下一品」。天一は今や全国展開していますが、彼女たちの地域にはないようです。祇園の南座前店に入りました。天下一品 南座前店あっさりラーメン 760円 京都の美味しいラーメン堪能した後、時間が少し余ったので、スイーツをと思ったのですが、適当な店がうまく見つけられず(祇園近辺のスイーツ店は要研究です)、ちょっと早めにレンタル着物屋さんに送り届けました。着物に着替えた後は、二年坂や石塀小路、スターバックス、似顔絵店の位置などに行きたいとのことですが、案内をした場所なので、大丈夫でしょう。スイーツも見つけるでしょう。八坂神社に行ったら、美御前社に是非寄るようにということだけを加えてサヨナラをしました。 お天気も最高に良かったですし、彼女たちも楽しんでくれたようです。 午後早い時間に終わりましたので、歴彩館に移動して、伏見稲荷関係の文献を閲読しました(こちら)。(内容再考版。原文は非公開日記に移動済み。)-------------------------------------------------------------------よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2017/10/31
コメント(0)

【2017年10月30日(月)】 夕刻の花山天文台での観望会を終え(こちら)、同じエリア会の同期の方の車で私も含め4人を三条京阪前まで送ってもらいました。時間は午後7時。 今日は参加メンバーと飲んで帰るかもしれないので、家内には夕食はいらないと言ってありました。しかし同じ車で送ってもらった他の3人はいずれも女性。女性は真っすぐ帰るわな、誰もつきあってくれないわなと思ったので家内に確認の電話。やはり、返事は「外で食べて来て。」 それで「途中どこかで夕食食べて帰りますわ。」とサヨナラをしようと思ったら、「私も今日は外で食べるつもりだった。一人で食べるのも淋しいし、いっしょに夕食でも。」ということになり、私含め3人で三条河原町のビアレストラン「アサヒ・スーパードライ」へ。 ここは、9月にガイド会のエリアグループ懇親会で利用したところです(こちら)。1階は満席だったようで、地下へ通されましたが、お客様は誰もおられず、周りを気にせずお話ができました。全部憶えていませんが、修学旅行の昼食場所の話など有用な情報交換をさせていただいたと記憶しています。 私はハーフ&ハーフの中ジョッキを一杯いただきましたが、アサヒビアレストランの中ジョッキは、他店の大ジョッキ並みの大きさがあります。その分950円(税込)とお高いですが。たくさん飲めない方は要注意です。食べログから 仕事帰りに(厳密には今日は研修帰りですが)女性陣とちょと一杯なんて、会社勤め時代にはなかったですが、ここでは時々あります。こういう点でもサラリーマン時代とは違った経験をさせていただいています。(内容再考版。原文は非公開日記に移動済み。)-------------------------------------------------------------------よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2017/10/30
コメント(0)

【2017年10月30日(月)】 今日の夕刻は花山天文台の観望会に参加しました。 今年の「京の夏の旅」で花山天文台が観光資源として一般公開されましたが、そのとき我がガイド会が案内や受付を担当させていただきました。私は担当ではなかったですが、見学には行かせていただきました(こちら)。 このような経緯から、我々ガイド会のメンバーを対象に観望会を開いていただくことになった次第です。公の交通機関がありません(通常の観望会では送迎バスが出る)ので、メンバーの車に分乗して花山天文台に集合でした。 まず台長の柴田一成教授から『明月記と超新星』のお話を聞かせていただきました。 「明月記」は鎌倉時代の公家である藤原定家の日記。定家自筆原本の大部分は冷泉家時雨亭文庫に残り、国宝に指定されています。 日記には、定家自身が遭遇したものや過去の観測記録など、さまざまな天体現象についての記録も残されています。当時、見慣れぬ天体現象(天変)は不吉の前兆であると考えられており、人々の関心事だったからです。定家の出生以前の出来事も、陰陽師によって報告された過去の記録として記されています。 かに星雲は超新星爆発の残骸です。爆発の際にはものすごく明るい発光が見えたと思われます。中国には1054年にこのかに星雲の方向で明るい星が出現したとの記録がありますが、他に確たる記録がないため、これがかに星雲のものという同定ができずにいました。そこに、アマチュア天文家の射場保昭が、「明月記」のこれら記述を英文で1934年から1939年にかけ、影響力のある雑誌『ポピュラー・アストロノミー』に掲載し、このことが超新星爆発が1054年に発生したと特定できるきっかけとなりました。 【原文】後冷泉院 天喜二年 四月中旬以降 丑時 客星觜参度 見東方 孛天関星 大如歳星【原文読み下し】後冷泉院・天喜二年四月中旬以後の丑の時、客星觜・参の度に出づ。東方に見(あら)わる。天関星に孛(はい)す。大きさ歳星の如し。 グリニッジ天文台の歴史の展示コーナーにおいて、「1054年、中国と日本の天文学者がおうし座に新たに光る星を観測。この残骸が現在のかに星雲と同定される」と記述されているくらい重要なイベントと認められています。 竹本修三(京都大学名誉教授)が、明月記の超新星爆発を英文報告をしたのが的場氏であるということを柴田台長から聞いて、それをインターネットで紹介したところ、2012年に射場氏の遺族が名乗り出たことなどから、それまで謎に包まれていたその人物像が再び明らかにされたというエピソードも紹介していただきました。 この的場氏は花山天文台の初代台長山本一清に師事したとのことで、花山天文台のアマチュア天文家育成がなかったら、この重要な発見もなかったであろうとのことでした。 その後、45センチ屈折式望遠鏡で月の表面を交代で見せていただきました。昼間は曇っていたのですが、我々が望遠鏡で見る時間になって、月の方向に晴れ間が出現したのです。まさにラッキーとしか言いようがありません。 月全体を見る望遠鏡と、一部を拡大して見る望遠鏡2つで見せていただきました。今日は半月に近い月で、後者の望遠鏡では、影と日なたの境目の海とクレータ・山脈などがはっきりと観ることができました。開口部に月が見えます。 台長の明月記とアマチュア天文学者のお話、望遠鏡での月表面の観察、感動の一日でした。 台長や操作案内していただいた係の方に礼を申し上げ、花山天文台をあとにしました。 同じ車に乗り合わせた仲間の皆さんと、反省会と称して、三条河原町で夕食兼飲み会となりました(こちら)。(内容再考版。原文は非公開日記に移動済み。)-------------------------------------------------------------------よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2017/10/30
コメント(0)

【2017年10月29日(日)】 今日は、高校の同窓生のWさんご夫妻と京都でランチでした。 奥さん(W夫人)の方が私の同窓生ですが、高校時代は面識がありませんでした。しかし、そのW夫人の男性のお友達I君が私と同級生で、私が以前ドイツに赴任していたとき、I君がW夫人とそのお友達を連れてドイツに遊びに来てくれて、スイスなどを観光案内したことがあり、それ以来のおつきあいです。 W夫人の檀那さんはお医者さんで、何年か前に京都にマンションを買って、週末には三重からお二人で京都に遊びに来られています。それで昨年マンションに招待していただいたことがあります(こちら)。そのとき病気を患っておられるということを聞きました。ですのでその後心配していたのですが、先日高校同窓生のメーリングリストに久しぶりに投稿されていたので、連絡をとったところ、病気の方は相変わらずだが、週末は引き続き京都に来ているとのことで一安心。それじゃということで、いっしょにランチをというこいとになった次第です。 場所は、木屋町御池のマンションのすぐ前の「竹うち」というお店。よくご夫婦で使われるそうです。 隠れ家的で落ち着いた雰囲気です。カウンター席の小さなお店で、マスター一人で取り仕切っていらっしゃいます。我々も含め、予約で満員でした。知る人ぞ知るお店のようです。 マンションに招待していただいたときもそうだったですが、ご主人も素敵な方で、近況、京都のこと、お互いの病気のことと話が弾み、おいしいお酒もいっぱいいただきました。醸し人九平次 純米大吟醸 萬乗醸造(ばんじょうじょうぞう)愛知県名古屋市黒龍(こくりゅう)「吟醸」ひやおろし 黒龍酒造株式会社 福井県吉田郡永平寺町銘柄不明 あっという間にお二人がお帰りになる時間になりお開きとすることに。割り勘のつもりだったのに、ご馳走になってしまいました。 ご主人がよく飲まれるので、車ではなく近鉄で往復されているとのことで、阪急河原町駅まで送っていただきました。気遣いすることなく本当に楽しいひと時でした。「今度は奥様もいっしょに」と再会を約束してお別れしました。-------------------------------------------------------------------よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2017/10/29
コメント(0)

【2017年10月28日(土)】 ハウスメーカーによる我が家の無償点検が雨で延期になり、午前中は床屋へ行きました。午後は招待券のあるサッカーJ2の京都サンガの試合を西京極競技場に行く予定でしたが、雨の中の観戦を避け、代わりに今日気付いた国際日本文化研究センター(日文研)の一般公開に行きました。→こちら) そして夕刻から、やはり招待券のあるバスケットBJリーグの京都ハンナリーズの試合を西京極体育館に観戦ぬい行きました。こちらは雨天でも大丈夫です。バスケットボールの本格的な試合観戦は、私は米在住中のNBAの試合以来です。家内は初めてです。 事前にネットで調べたら、他で買った飲食物の持ち込みは禁止とのこと。ですので、J2や女子プロ野球観戦のときのように、コンビニで缶ビールを買って、入口で紙コップに入れ替えてというのはダメなようです。でも色々情報を見ると、手荷物検査はあるものの飲食物がダメと言われることは少ないようで、お菓子は少し持っていきました。その通り荷物検査で特にお咎めはなかったし、試合を見ながらボリボリやってても注意はありませんでした。プログラムから ハンナリーズメンバー BJリーグのことはほとんど知りませんでした。B1リーグは全部で18チームあり、東、中、西地区に分かれています。ただし、試合は地区別ではなく、全チームが当たります。地区は順位を決めるための区分です。京都は現在西地区の2位。 観戦チケット 2階自由席 買ったら2000円です。 選手の練習が終わりいよいよ試合開始。これからの写真、ピンボケですいません。 真っ暗になり、観客が持つライトがきれい。 チアガールも盛り上げます。 試合開始。相手は島根スサノオマジック。1クオーター10分の4クオーター。 試合の様子 ほとんどが京都ファンですが、向こう側の席の左の方に島根ファンが陣取って一生懸命応援していました。 ハーフタイムショー。マスコットキャラは「はんニャリン」 途中でチアガールは衣装替え。タイムアウトのときも観客を飽きさせることがありません。 試合はシーソーゲームで面白い展開。最後はハンナリーズが突き放して勝利。地元が勝つと盛りあがります。 なかなか面白かったです。サッカーと違い、点がたくさん入りますが、野球と違って一発逆転はない。今日のようにジリジリとした攻防戦になると面白いです。 試合時間は10分X4ですが、ハーフタイムやタイムアウトがあり、そしてボールが外に出てる間は時間カウントされませんにで、通しでは2時間強の観戦時間でした。 コインパークに戻りましたが、駐車料金にびっくり1100円。土日はイベントが多いためか、一日最大料金がなくて時間計算になっていました。ちょっとこれだけは後味が悪かったですが、1ヵ月ぶりに家内と外出でき、結構楽しめたのでよかったです。 -------------------------------------------------------------------よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2017/10/28
コメント(2)

【2017年10月28日(土)】 今日の午前中は、我が住宅のハウスメーカーによる点検(10年目の最終無償点検)の予定でした。もともと10月7日の予定だったものが、雨で今日に延期になったのですが、朝ハウスメーカーから電話がかかってきて、雨のためまたまた延期。 午前中時間ができたので、床屋に行ってきました。少し前までは、1ヵ月半に一度行っていたのですが、髪の毛の伸びるスピードが遅くなったためか、最近は2ヵ月に一度でだいじょうぶです。(笑) 午後は、招待券があるサッカーJ2の京都サンガの試合を西京極競技場で観戦し、夕刻、これも招待券のあるバスケットBJリーグの京都ハンナリーズの試合を西京極体育館で観戦することにしていました。家内と連れだってです。ただ、雨が降っていたので、サッカー観戦は雨が降っていればやめようかなと思っていました。 床屋から帰ってくるとき、近所の日文研(国際日本文化研究センター)の一般公開の看板を見つけました。一般公開は毎年やっているのですが、今まで行ったことがありませんでした。こりゃ行かなきゃと思い、雨も降り続いていたので、サッカーは観戦はキャンセルして、バスケットボールだけ見ることにして、日文研の見学に行きました。家内を誘いましたが、家内は行かないとのこと。 午前の講演会は聴けませんでしたが、午後からの講演会には間に合いました。講演会まで少しだけ時間があったので、「大正の広重」と呼ばれた吉田初三郎の俯瞰地図の展示などを見学しました。昭和天皇即位大礼時の俯瞰図 博覧会が開かれ、二条城の西側が西会場、岡崎公園が東会場、国立博物館付近が南会場になったようです。かなりデフォルメされていて、琵琶湖なども右上に描かれています。嵐山付近 渡月橋がものすごい長い橋になるなど、かなり強調されています。大連 初三郎は日本統治時代の外地の俯瞰図も描きました。大連ヤマトホテル 満鉄ホテルチェーンです。原本の展示 講演会は大ホールでありましたが、9割がた埋まってでしょうか。講演者の一人磯田道史さんの人気もあるのでしょう。 「日本史の戦乱と民衆」というテーマで、4人が各20分ずつ講演したあと、座談会をするという形式でした。 戦乱というと、武将・将軍・貴族・天皇などの視点から語られることが多いが、民衆の視点から見るということも必要ではないか。色んな歴史上のイベントを民衆の視点から見るとこう見えるというお話でした。●石上阿希氏 司会●倉本一宏氏 白村江の戦と民衆●呉座勇一氏 応仁の乱と足軽●フレデリック・クレインス氏 欧文資料に見る大坂の陣●磯田道史氏 禁門の変時の民衆 いずれも面白いお話でした。そして、今まで文献による研究の面白さ、苦労というのは、なかなかピンと来なかったのですが、今は自分自身がそれをやっているので、よく理解できるようになりました。 磯田氏が最後に「是非、五条楽園と会津小鉄会の関係を研究してみたい。」とおっしゃってました。あの場所にあれかという感じで、会の基務所がありますが、やはり関係があるのでしょうか。 来年は、事前に調べて時間をとって見学したいと思います。フレデリック・クレインス氏の講演で出てくる大坂の陣についてのオランダの文献 人の顔は徳川家康-------------------------------------------------------------------よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2017/10/28
コメント(2)

【2017年10月27日(金)】 午前中、粒子線治療後の経過観察で、大坂府下のM病院に行った後(こちら)、京阪電車で京都に出て、京都市中央図書館に向かいました。 2週間前に京都市中央図書館で、10冊本を借りたのですが(こちら)、今日が返却日になっていたためです。10冊のうち若冲・応挙関係6冊は、もうちょっと借りて勉強しないといけないのでネットで貸出延長申請をしてあります。稲荷信仰の本4冊も延長申請すればよかったのですが、10冊めいっぱい借りていると他の本を借りられません。若冲・応挙関係で、江戸時代全体を見た絵画史についての本も借りたかったし、稲荷信仰関係4冊のうち1冊に予約が入っていた(予約が入っていると、2週間で返却しなければなりません)こともあり、4冊とも返却することにしました。 このごろ歩行歩数が稼げてないので、丸太町神宮神宮道から徒歩で中央図書館へ。返却する前に、もう一度ざっと目を通して、気になるところをコピーしました。 要点です。●神仏信仰事典シリーズ<3> 稲荷信仰事典 山折哲夫編 戎光祥出版(株) 1999年9月30日 発行■第一章 「稲荷信仰」入門 知っておきたい基礎知識・「稲荷信仰」七つのキーワード 編集部 朱の鳥居とお塚(P39~)P40~P41 抜粋、要約 「塚」とは、文字が「墓」にも通じ、忌まれたため、後に「峰」と改称されたが、もともとは後に神蹟と称される、神祭り場のことだった。しかし、明治以降、「お塚」とは、人々が稲荷山の奥、社中の目の届かないあたりに好き勝手に土を盛り、また石を積んで標木や標石を立てた私的な拝所を指すようになった。明治政府による神仏分離政策が、その原因の一つと考えられる。 「お塚」は以降大流行。明治35年初頭633基、昭和7年2254基。 昭和37年、御祭神・稲荷大神御分霊の依代(よりしろ)に限ってはお塚の建立を許可するという、方針が伏見稲荷大社によって定められた。さらに「お塚」が増え、昭和41年から42年の調査では、境内地に3322基、境外地に4440基、総計7762基。・お塚の信仰 上田正昭(P100~)P106 お塚の淵源が、秦公伊侶巨(はたのきみいろこ)の稲荷社伝承より以前に発することが次第に明らかになってきている。お塚の「塚」の由来するところが、祭祀遺跡にあるか古墳にあるか、なお検討を要するところだが、三の峯より二神二獣鏡や変形四獣鏡が出土しており、4世紀後半頃にはすでにその地域が聖域とされていたと確認できる。●仏教民俗学大系 8 俗言と仏教2.諸天・諸仏・祖師信仰荼吉尼天と稲荷信仰-近世における稲荷社の勧進聖と荼吉尼天を中心にして-(P259~)大森恵子著P262~263 抜粋・要約 近世における当山派修験は、伏見稲荷の信仰圏を、全国的に拡大する役割を果たした可能性が高い。 ・醍醐寺三宝院は地理的に伏見稲荷に近い 異本「応仁記」で、稲荷山は当山派修験三宝院の勢力範囲だった様子が推察できる。 ・伏見稲荷社祠官の松本為量家だけをみても、当山修験三宝院との間に強い絆が存在していた らしいこと。 他の稲荷社祠官も同様。 ・伏見稲荷社本願所の愛染寺の一代住持となった天阿上人は醍醐寺と強い絆で結ばれていた。 天阿上人は愛染寺の基礎を固め、真言密教による稲荷の行法を大成した行者でもあった。 伏見稲荷社本願所の愛染寺は、教王護国寺直属の寺であった。愛染寺は伏見稲荷の社殿を修復する本願所となる一方、諸国の民衆の間で勧進活動をした聖達の拠点にもなった。 ところが近世のみならず中世でにおいても、伏見稲荷が鎮座する稲荷山に修験者が入山したらしく、文保2年(1316)の序をもつ「渓嵐拾葉集」に、真言密教僧の仁海僧正が稲荷峯で一千日の間修行して吒枳尼法修めたことや、三井刑部僧正も山伏となって吒天一宇呪王の秘法を呪して、稲荷山に入ったことが記され、稲荷山が修験の行場であったことを物語っている。P265 近世において、天阿上人が説いた仏教的稲荷信仰を民間に流布していった聖達のなかには、当山修験者も本山修験者も含まれていた。P269 近世には愛染寺は稲荷社を支配していたが、一方では狐落しの祈祷をしたり、稲荷巫覡(ふげき)に狐落しの法を伝授していたと推察できる。本立院・荼吉尼天(京都市左京区)●稲荷信仰の世界 稲荷祭と神仏習合 慶友社 2011年12月10日発行 大森恵子著第1編 稲荷信仰の諸相第1章 現代社会における稲荷社の祭祀形態1.神道的稲荷信仰総本宮の伏見稲荷大社(P22~)P25 興味深いことにこのお塚は、木曽の御嶽山の霊神碑と同一の宗教観念をもって祭祀されていると推定できるので、山岳修験者の関与が窺える。P25-26このように伏見稲荷大社の信仰は、伏見稲荷山に寄せられる自然崇拝の進行や古墳をもとにした神奈備信仰、修験的な山岳霊場などをもとに形成された庶民信仰が、古来、生き続けていることが特徴の一つである。2.仏教的稲荷信仰最上稲荷(P35~)P38最上の滝で修行すれば指一本で超巨岩をも動かすことが可能な験力(げんりき)が身につくと教化している。P41偶然、数人が交代で滝行を修する場面に遭遇したのである。まさにそのありさまは、修験の行場の様相であった。P42最上稲荷は、平安時代以来、仏教的山岳修行者によって管理されたので、仏教的稲荷信仰になった。それもはじめは天台宗であったというのは、三井寺園城寺系の山伏の止住で、龍王山の稲荷信仰が管理されたのであろう。そのために密教的稲荷神である荼吉尼天像を本尊とするようになったものと思われる。第2章1.伏見稲荷本願所と荼吉尼天信仰(P47~) 前述の内容と同様の記述が随所にあり。第2編 伏見稲荷大社の稲荷祭の諸行事とその歴史的変遷過程第4章 稲荷祭にみられる東寺と伏見稲荷の関わり2.稲荷山修験と伏見稲荷本願所の愛染寺 前述の内容と同様の記述が随所にあり。P207 近世のみならず古代・中世においても、伏見稲荷が鎮座する稲荷山に、修験者が入山し、修行したことは「愛法神・性愛神と稲荷信仰-特に、女狐と女性・神子を中心にして-」(「山岳修験」第25号 日本山岳修験学会刊)のなかで指摘したとおりである。これらの修験者は当山派に属する者もあれば、本山派(聖護院)に属する者もいたと考えられる。第7章 狐と御霊2.狐落しの修法(P128~)P130 昭和40ごろまでは巫覡の宣託により、偶然発生した災難や厄、病気などの原因を、狐(御霊)が憑いた(祟った)から発したと、人々が信じたのである。そのときにもっとも活躍した宗教者は、行者や稲荷下げ・稲荷巫女・修験者・陰陽師などの巫覡であった。 今までの文献も含み、稲荷山は修験者の場であったことが分かります。なので滝行をする場所がもともとあったと考えられます。そこに民間の巫者・行者・祈禱師が加わり、滝行を含め修行を行ったと考えられます。しかしながら、現存するお滝場が、修験者の時代から使われていて、そこにお塚が加わったのか、修験者のお滝場は別にあって、あるいは限られたところにあって、お塚の増加に伴って、お滝場を備えたお塚場が増えていったのか、そこのところがよく分かりません。 4冊返却したので、新たに借りることができるようになったので、若冲・応挙関係の関係で、江戸絵画全体が見渡せるような本を2冊追加で借りました。・すぐわかる 画家別 近世日本絵画の見かた 安藤敏信著・別冊太陽 江戸絵画入門 -------------------------------------------------------------------よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2017/10/27
コメント(0)

【2017年7月27日(金)】 大阪府下のM病院に行きました。10月13日のCT、血液検査、尿検査(こちら)に基づく診察です。粒子線治療後の経過を見る血液検査としては26回目になります。7月にCVポート除去手術をしたので(1日目、2日目)、今回から3ヵ月に一度の診察になりました。今回、尿細胞診もあるので、2回に分けての通院になりましたが、通常は3ヵ月に一度の通院でOKです。片道1時間40分の遠方ですので、だいぶ楽になります。 今までのH先生の転勤により、今回からS先生に主治医交替です。最初腎盂がんで左腎臓を切除したとき(2012年)からこれで4人目です。1年強で交替している計算です。いずれも転勤による交替です。 CTは腫瘍の大きさの変化なく問題なし。 血液検査の方ですが、粒子線治療の副作用で、治療直後、クレアチニンが上昇しましたが、2016年1月からは1.5~1.8の間で安定していました。ところが、今回は1.36と下がりました。バラツキの範囲なのか、一時的なものなのか分かりませんが順調です。尿酸値も薬服用後、正常値が続いています。 赤血球関係は下限値を少し下回っていますが、直近からの変化はなしです。ようく見ると、抗癌剤治療後回復し、粒子線治療後から少し悪くなり始め、下限値を下回っています。ネットで調べると、腎機能の低下で赤血球は減少するようです。これは鉄分をたくさんとっても改善できない腎性貧血というもののようです。今回、先生にも聞きましたが、その通りとのこと。それほど下限値を下回っていないので様子見です。 コレステロール、中性脂肪関係も今回問題なしです。 今回は、久しぶりに膀胱鏡検査もしていただきました。「キレイですね。」と、こちらも問題なしでした。腫瘍径経過(CT画像を自分で観察)クレアチニン、尿素窒素、尿酸値赤血球関係コレステロール、中性脂肪など 3ヵ月後の予約をし、尿酸値対策のフェブリクを3ヵ月分処方いただきました。また、兵庫県粒子線医療センターに送るCTの画像をいただきましたが、今回から先生のレターも添えていただくことになりました。病院として正式な医療行為としておきたいとのことです。レターを書いていただく分高額になりますが、保険適用になるので、800円+税で864円だったものが、100円くらいお安くなりました。 病院最寄り私鉄駅前の「王将」で昼食。稲荷信仰関係の図書返却のため、京都中央図書館に向かいました(こちら)。よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村_________________________________過去の治療履歴は下記を参考にしてください。がん治療日記:http://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=10がん治療振り返り:http://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=11
2017/10/27
コメント(4)

【2017年10月26日(木)】 公私OFF日で外出なしです。 10月はOFF日が多くて、歩行歩数が少なくなっています。10月単月でみれば、現時点で平均で6300歩で目標の8000歩に遠く及びません。あと残り、4日しかないので、実質的に8000歩達成は困難です。こじつけで8000歩にするためルール改正です。過去90日間の平均が8000歩であればいいということにしました。これであれば現時点では9,400歩です。長い目で見ていけばいいでしょう。 今年の5、6月に修学旅行がピークということもあり極端に忙しくなり、ブログが投稿できない日がたくさんありました。8月になって在宅の日数が常態になり、投稿できていなかった過去の日記を少しずつアップしてきました。そして今日ようやく完了しました。あまり美しくない表現ですが、便秘が解消した感じです。これで伏見稲荷研究や若冲・応挙の勉強に本格的に時間を割くことができそうです。 草花記です。 5月の大原の公募ガイドの下見のときの続きです。 オダマキ(苧環)@京都大原実光院(5月22日) キンポウゲ科 オダマキ属。開花期は5~8月。原産地は北米大陸、ユーラシア。 花名のオダマキは、花の形が麻糸を巻くために使った苧環(オダマキ)に似ていることに由来します。同様に糸巻きに似ているということから糸繰草(イトクリソウ)の別名もあります。「苧(お)」とはアサ(麻)の異名で、またアサやカラムシの茎皮からとれる繊維をいい、「苧環」とは、つむいだアサの糸を、中を空洞にして丸く巻子(へそ)に巻き付けたものをいいます。苧環(オダマキ)よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村____________________________「散歩・草花記」カテゴリー 色んな花が登場します。http://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=34
2017/10/26
コメント(4)

【2017年10月25日(水)】 修学旅行ガイド(こちら)の後、同じエリアグループの先輩が誘ってくださったので反省会へ。 府庁前の「昼からやってる居酒屋」が売りの一つの「やたいや」というお店へ。この先輩こういうお店、よくご存知です。「やたいや」は京都の居酒屋チェーンで、このお店は6件目で、去年の9月に開店したようです。今では8店舗のようです。「8」の付く日は、生中が199円、普通の日でも299円という安さで、勢いのある店舗展開をしているようです。接客もキビキビしていて気持ちよかったです。 色々情報交換させていただき、男性陣が生中2杯いただいたところでお開き。その分男性陣がその分余計に払いましたが800円という安さでした。何かのときに使えるお店です。他のお店の所在も要チェックです。 修学旅行ガイドで色々ありましたが、少し気持ちが晴れました。(内容再考版。原文は非公開日記に移動済み。)-------------------------------------------------------------------よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2017/10/25
コメント(0)

【2017年10月25日(水)】 今日は、修学旅行ガイドの通算23回目、今年22回目でした。この秋としては4回目です。 今日の学校は、東海地方の公立小学校。全員で金閣寺の見学した後、班別でガイド付きでスタート、最後は二条城に集合し、ガイドと別れた後、全員で二条城見学というコースでした。 班との朝のミーティングで、同じコースを行く他の班といっしょに行動することが条件だとのことが分かり、ちょっとびっくり。2人で2班を案内するという変則的なスタイルとなりました。2班全員に常に気を配らなければならず、ペアを組んだ方と私とではやり方も違うので大変でした。 金閣寺から京都タワーへ。昼食は京都タワー地下の「サンド」でと考えていたのですが、早すぎて営業時間前です。それで先に清水寺へ向かい、清水道バス停近くの定番の「しげもり」で昼食をと企てました。ところがお休みでした。ここは休みが不定期なので、飛び込みでいくとこういうこともあります。 止むなくもう一人のガイドさんがご存知の、「ゆびとま」という近くのお店へ。700円ランチ一品しかないお店です。東山区役所北隣の2階にあるお店で、夜はカラオケバーになるようなお店ですが止むを得ません。 あとで調べたら食べログにも出てこないようなお店でした。外観写真もないので、グーグルマップ・ストリートビューからの写真です。「ゆびとま」 左側茶色煉瓦張りの建物階下に「ゆびとま」のメニュー黒板。2階が「ゆびとま」 食事の写真は撮りませんでしたが、偶然他の方がブログで投稿されていたコロッケ定食の写真を見つけたので、その写真です。https://blogs.yahoo.co.jp/iloyjp/22347540.html コロッケ定食は、ボリューム満点で、美味しかったです。このロケーションで700円。ただ子供たちに急いで食べてもらわないといけないのは気の毒でした。 そして清水寺到着です。お土産時間をとると拝観する時間がないので、生徒たちに拝観かお土産かを二者択一をしてもらい、お土産を優先することにして、清水寺は外からの拝観に留めました。そして最後二条城に集合しました。 さて、今回は2回目の副責任者担当でもありました。前回担当して要領は分かっていました。しかし、ここには詳しく書きませんが、私の良かれと思ってとった行動が混乱を招き、ガイド仲間の皆さんにご迷惑をおかけしました。反省です。 同じエリアグループの先輩Tさん(C10男性)が反省会と称して懇親会に誘ってくださたので、ご一緒させていただきました(こちら)(内容再考版。原文は非公開日記に移動済み。)-------------------------------------------------------------------よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2017/10/25
コメント(2)

【2017年10月24日(火)】 大徳寺塔頭興臨院でのガイド第5日でした。 今日のペアの方は下見の際にお世話になりましたが(こちら)、いっしょにお仕事をさせていただくのは初めてです。ベテランらしさが随所にうかがえるお仕事ぶりに感心し、私も色々指導いただきました。この年になって、新入社員のように先輩から仕事で指導いただくというのは、そうそうあるものではありません。これも気持ちを若く保つための一つかと思ってやっています。 台風のとき、ここ興臨院の勤務も台風の影響を受けたようです。22日の台風接近の際は、少しだけ早めに拝観をストップをしただけだったようですが、翌日は拝観は中止になったとのこと。天気は回復したのですが、風で木の葉や木の枝などが庭や縁に散乱して、とても拝観できるような状態ではなかったので、拝観中止なったようです。 しかし今朝、出勤した際には、いつもと同じように葉っぱ一つ落ちてなくて、全くそんなふうになった気配も感じられないほどでした。枯山水の砂紋も新たに描かれ、むしろいつも以上にきれいでした。我々はただ出勤しただけですが、お寺さんはさぞかし大変だった思います。私は気付きませんでしたが、大徳寺内の松の木も何本か倒れたようです。 興臨院の案内の続きです。●興臨院案内#4 興臨院#1 歴史 現在、大徳寺には塔頭が22ありますが(これ以外に別院が2)、戦国武将ゆかりの塔頭が多いことを前回書きました(こちら)。 興臨院もそれらの塔頭同様、戦国武将により建てられました。1520年代の大永年間、大徳寺第86世小渓紹ふ(付の下に心)(しょうけいじょうふ)和尚を開祖として、師に深く帰依した能登の守護職畠山義総によって建立されました。寺の名前は義総の法号「興臨院殿傳翁徳胤大居士」からつけられました。 小渓紹ふは仏智大通禅師とも呼ばれます。徳望厚く、塔頭瑞峯院開祖徹岫宗九(てっしゅう そうきゅう)、正受院開祖清庵、玉雲院開祖天啓和尚など門下に優秀な人々が輩出しました。 畠山義房は七尾城主として一向一揆(いっこういっき)を鎮圧し、領国を安定させました。古典、和歌、漢詩文などの文芸を愛好し、能登畠山文化の全盛期を築いた名君として知られます。しかし1545年に義総が死ぬと重臣たちの主導権争いが始まり、畠山氏は急速に衰退し、ついには天正5年(1577年)、上杉謙信の侵攻を受けて滅亡しました。 興臨院は畠山家没落とともに衰退しますが、天正9年(1581)、前田利家が屋根の葺き替えを行うなど庇護し、父利春公(1561年没)の菩提も弔われました。ですので、興臨院は畠山家の菩提寺であるとともに、前田家の菩提寺にもなっています。 前田利家は、はじめ織田信長に仕え、その後柴田勝家の与力として、北陸方面部隊の一員として各地を転戦し、天正9年(1581年)、織田信長より能登一国を与えられ、七尾城主となり23万石を領有する大名となりました。信長が本能寺の変により明智光秀に討たれると、はじめ柴田勝家に付きますが、後に羽柴秀吉に臣従しました。以後、豊臣家の宿老として秀吉の天下平定事業に従軍し、加賀国・越中国を与えられ加賀藩百万石の礎を築きました。また、豊臣政権五大老に列せられ、豊臣秀頼の傅役(後見人)を任じられました。秀吉の死後、対立が顕在化する武断派と文治派の争いに仲裁役として働き、覇権奪取のため横行する徳川家康の牽制に尽力しますが、秀吉の死の8ヶ月後に病死しました。(内容再考版。原文は非公開日記に移動済み。)-------------------------------------------------------------------よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2017/10/24
コメント(0)

【2017年10月23日(月)】 昨日は時代祭が本来ある日で、今日が悪天候時の予備日でしたが、早々と10月20日に中止が決まりましたので、今日もボランティアは無しで在宅でのんびりとしました。風はまだ少し強いですが、天気は朝から回復。結果論ですが、これなら時代祭できました。残念です。 選挙は自民党圧勝でした。残3議席の現段階で公示前と同数。公明含めた与党でいくと、マイナス5ですが、定数の3分の2は確保。希望の党結成という思わぬ逆風があった中では、大健闘と言えるでしょう。政党が無くなったり、くっついたり。くっつくにも一悶着。こんなごちゃごちゃしたとろには任せられん。それなら安倍さんの嫌いなところはあるが、安倍さんでまぁいいか。ものすごく反対する人は立憲民主に流れた。落ちこぼれのほうが潔く見えた。ということでしょうか。 小池さんが今回おとなしくしていて、じっくりと人づくりから進めて国政に出て行けばまた違ったでしょうに。安倍政権におごりがあったというが、小池さん自身におごりがあったのではないでしょうか。これで小池さん大きなバツイチが付いてしまいました。維新もダメですね。あと関心は、立憲民主と共産がどこまで連携するか。民進の参議院組と無所属がどうするかですね。 政治が混とんとするということはこれでない。ISも力なくしている。あと北朝鮮が変なことさえしなければ、株価も上がっていくだろうし、のろいにしても良い方向にいくでしょう。 今日は、そういうことで三味線も練習できたし、忙しくて溜めたブログ日記も、いくつか投稿できました。あと残り少しの投稿が終われば、若冲・応挙の勉強や、特別研究員の研究にも時間が割けるでしょう。明日は5日ぶりのガイドん仕事で興臨院、明後日が修学旅行です。 草花記です。 5月の大原の公募ガイドの下見のときのものです。 タツナミソウ(立浪草)@京都大原実光院(5月22日) タツナミソウ属はシソ科の属の1つ。世界中に分布しており約200種あり、写真のはそのうちの1つになるわけですが、種の特定は写真も不鮮明なので避けておきます。 原産地は、東アジア(日本、中国東部から南部、台湾、朝鮮半島、インドシナ)。開花期は4~5月。 花が同じ方向を向いて咲き、波立った時の泡のようにみえることから名づけられたといわれています。 よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村____________________________「散歩・草花記」カテゴリー 色んな花が登場します。http://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=34
2017/10/23
コメント(2)

【2017年10月22日(日)】 今日は、ガイド会で時代祭ボランティアの予定でした。今日が雨ならば明日の予定でしたが、台風接近で早くも一昨日、完全のキャンセルとの連絡が入り、思いがけずOFF日になりました。 午前中、家内と近くの小学校へ選挙の投票に。いつもなら散歩がてら歩いて行くのですが、雨がひどいので車で。皆さんも車で来る方が多いので、駐車するのに結構待たされました。 あとは、忙しくて書きそびれた5月のブログ日記を書いたりして、のんびりと時間を過ごしました。 選挙結果、ほぼ大勢が判明していますが、感想は明日の日記で。 草花記です。 5月の大原の公募ガイドの下見のときのものです。 コアジサイ(小紫陽花)@京都大原実光院(5月22日) ユキノシタ科 アジサイ属。原産地は日本。花期は6-7月。小さな散房状花序でかわいらしい印象の花を咲かせます。色は淡碧色からほとんど白色まで変化があります。 小型のアジサイであるため「小紫陽花」と呼ばれます。 アジサイの語源について。 「あじさい」は、古くは「あづさヰ(あぢさヰ)」でした。「あづ(あぢ)」は集まるさまを意味し、特に小さいものが集まることをます語。「さヰ」は「真藍(さあい)」の約、もしくは接頭語の「さ」と「藍(あい)」の約で、青い小花が集まって咲くことから、この名が付けられたとされます。 漢字の「紫陽花」は中国の招賢寺にあった花の名前で、日本のあじさいとは異なるものであったといわれます。 よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村____________________________「散歩・草花記」カテゴリー 色んな花が登場します。http://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=34
2017/10/22
コメント(2)

【2017年10月20日(金)】 10月17日と18日の読売新聞朝刊の記事から。東京オリパラに向け、スポーツ関係の特集をやってます。スキー・スケートの特集があり、それぞれの競技人口のグラフが掲載されていました。日本のスキー人口(スノボ含む)日本のアイススケート人口 スキー人口はピークの30%、スケート人口に至っては20%。いずれも1990年頃がピークですが、スケートは昔から全国にスケート場があった関係で、1990年より前から人口が多かったというのに対し、スキーのカーブが山をもっているところが違う点です。 それにしても、この減少度合いは驚きです。半減とかは想像できなかったわけではないですが、ここまで減っているとは。少子化、レジャーの多様化、収入格差、将来への不安など色んな要因があるのでしょう。携帯やスマホの普及で、時間もないし、お金もないしというようなこともあるかもしれません。 他のスポーツはどうかなと思ってネットで調べてみました。 以下のグラフは総務省統計局資料「統計からみたスポーツの今昔」(平成 24 年 10 月7日)から どのスポーツも似たりよったりですが、ジョギング・マラソンとサッカーが他が下げている中で、フラットになっているのが目につきます。ジョギングやマラソンは、誰が仕掛け人というわけではなく、手軽に安価に一人でもできるスポーツということなのでしょうが、サッカーはやはり協会の戦略によるものなのでしょう。 今日は公私OFF日。今日も天気悪くて寒いです。この天気いったいどうなってんでしょう。 書きそびれた昔のブログを書き、三味線の練習をしたりです。 三味線の練習では、先日投稿した「べっ甲調バチ」(こちら)を初めて使ってみました。商品の宣伝にも書いてありましたが、「ねばり」があって、小技が今までのプラスチック製より効きそうです。それから皮に当たる音がソフトなので、「ぽこんぽこん」という音も小さく弦を叩く音が引き立ちます。全体音量はソフトな分だけ多少小さくなるので、左指との音量のバランスもよくなるような感じです。 ちょっとお高かったのですが、買ってよかったです。練習はプラスチック製のバチを使おうと思っていたのですが、違いが大きいようなので、練習もこの「べっ甲調バチ」を使おうと思います。もう一つ普通のプラスチックバチを買いましたが、もったいなかったです。よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2017/10/20
コメント(2)

【2017年10月19日(木)】 大徳寺塔頭興臨院でのガイド第4日でした。 出勤に最寄りのバス停までバスを使っているので、この頃歩行歩数が少なくなっています。平均1日8000歩以上を目指していますが、今月は今のところ、6000歩強です。今日は、朝五条通りを通るバスを降りてからずっと1時間半くらい歩く覚悟だったのですが、朝起きたら雨脚強く断念。いつもと同じように最寄りバス停までバスを使いました。本当によく降ります。 雨のウィークデーの中日となりました。天気が悪くて暗かったのですが、その分室内が見やすく襖絵がいつもよりはっきりと見えました。●興臨院案内#3 大徳寺#3 現在、大徳寺には塔頭が22ありますが(これ以外に別院が2)、下記のチャートのように戦国武将らによって建てられた塔頭が多くあります。 また大徳寺は、村田珠光、武野紹鷗、千利休、小堀遠州など日本の茶道の歴史そのものの足跡があるところでもあります。 村田珠光は室町中期の人。京都三条に住み茶の湯を学びました。30歳の頃に禅僧となり、臨済宗大徳寺派の一休宗純に参禅。茶禅一味の精神を追求し、わび茶の精神をつくっり、侘び茶の祖と称されます。能阿弥の引き立てにより、足利義政は珠光のパトロンとなりました。珠光の作り出した茶室は縮小された4畳半で、書院風の宝形造。 武野紹鷗は室町後期の人。道号は一閑。茶道を学ぶとともに、三条西実隆に古典・和歌を学び著名連歌師とも親交しました。京都四条に大黒庵を設け、村田珠光の提唱した侘び茶の道をおしすすめて、次代の千利休、津田宗及、今井宗久らに大きな影響を及ぼしました。4畳半茶室よりも小さい3畳半や2畳半の茶室を考案しました。大徳寺の末寺である南宗寺に参禅しました。 千利休は、安土桃山時代の人。和泉堺の出身で、幼名は与四郎、名は宗易。武野紹鷗らに師事。堺の南宗寺に参禅し、その本山である大徳寺とも親しく交わりました。織田信長・豊臣秀吉らに茶頭となり、草庵での侘数寄の茶道を大成。正親町天皇より利休居士号を勅謚されました。 小堀遠州(政一)は安土桃山時代から江戸時代前期にかけての大名、茶人、建築家、作庭家、書家。大徳寺の春屋宗園に参禅しました。古田織部に茶道を学び、第一の弟子と称されました。その茶の湯は現在ではきれいさびと称され、遠州流(小堀遠州流)として続いています。 京都の臨済宗の本山のいくつかは「京童」(京の若者たち。京都市中の物見高くて口さがない若者ども。)から、「~面(づら)」と呼ばれました。それが下記のチャートに書かれています。大徳寺は茶の湯との関わりが深く、「大徳寺の茶面」と呼ばれました。 茶の湯との関係で有名なのが金毛閣です。大徳寺の三門ですが、千利休は、この三門の造り替えのための援助をします。三門が完成すると大徳寺の住持であった古渓宗陳(こけいそうちん)が、利休に対する感謝の意を表するために利休の木造を造り、それを三門の上に祀りました。それに対して秀吉が「高貴な方が通る三門の上に草履をはいた利休の木造を置くということは、高貴な方の頭を踏みつける行為と同じである」と言って怒り、それが利休切腹の一因になったと言われています。大徳寺 金毛閣(三門) 撮影10月9日大徳寺 勅使門 撮影10月9日大徳寺 仏殿 撮影10月19日大徳寺 法堂 撮影10月19日 帰りに桂駅前のA眼科に寄りました。緑内障予備軍としての定期検査です。前回6月のときに、次回は3ヶ月後とのことだったので、本当は9月に行かないといけなかったのですが、今日になってしまいました。前回まで、いつも午前中に診てもらっていたのですが、午前、午後でコンディションが変わることもあるので、次は午後に来てくださいと言われていたので、この時間に行きました。 勤め帰りの時間なので混んでいることを覚悟したのですが、空いていてすぐ診てもらえました。今日は視野の測定はありませんでした。眼圧は、午後計っても正常でした。次回3ヶ月後、また午後来てくださいとのことでしたので、次回は視野も検査いただくことになるのだと思います。(内容再考版。原文は非公開日記に移動済み。)-------------------------------------------------------------------よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2017/10/19
コメント(0)

【2017年10月18日(水)】 季節外れの秋雨が続きますが、今日は少し晴れ間ありました。特別客員研究員の研究のため歴彩館を訪れました。4回目になります。家内はテニスでした。 伏見稲荷大社及びその周辺の「お滝場」は「お塚」と呼ばれる地に設置されているので、「お塚」からアプローチすれば、「お滝場」のこともわかるのではないかと考えました。「お滝場」のことを詳しく調べた本として、伏見稲荷大社発行の「お山のお塚」「続・お山のお塚」という本があるのを、今までの文献閲覧で把握していました。蔵書検索で(自宅からでも検索できます)、歴彩館に収蔵されていることが分かりましたので、今日歴彩館を訪れた次第です。 午後2時前から4時過ぎまで歴彩館にいました。 まず「お山のお塚」「続・お山のお塚」とそれぞれの別冊である「塚台配置図」を書庫から出していただいて閲覧しました。 もっとお塚の歴史とか書いてあって、「お滝場」のことにも触れているのではと期待したのですが期待外れでした。お塚に祀られている神名とそのお塚がある場所をリストにして羅列してあるだけでした。残念です。 しかし、少し参考になることもありました。昭和40年頃、伏見稲荷境内には約3300のお塚があり、境外には約4400のお塚があったということ。今ではなくなってしまった「真心滝」とか廃れてしまった「きよめの滝」「七面滝」「鳴滝」もリストに掲載されていたので、昭和40年当時は、それらの「お塚」は営業されていたのではないかということです。(廃れているように見えても、実は今でも営業しているのではないかという疑問も残りますが)「お山のお塚」と 別冊「続・お山のお塚」と別冊「続・お山のお塚」掲載の地図 これらの本をこれ以上詳しく読んでも仕方がないので、「修験道」で検索して、「修験道」からのアプローチを試みました。「修験道」で検索すると、歴彩館だけでも約30冊の本がヒットしました。リストされた順で、稲荷山での修験道のことが書かれていそうな5冊をピックアップして書庫から出していただきました。書名は、「山岳宗教史研究叢書1 山岳宗教の成立と展開」和歌森太郎著「山岳宗教史研究叢書11 近畿霊山と修験道」五来重編「里修験の研究」宮本袈裟雄著「里修験の研究・続」宮本袈裟雄著「回峰行と修験道」楠淳證編 それぞれ修験道についての素晴らしい本なのですが、残念ながら伏見稲荷や稲荷山についての記述は見つかりませんでした。唯一「山岳宗教史研究叢書11」内に記載の近畿の霊山一覧表に稲荷山の名前だけが登場します。それ以上のことはわかりませんが、昔から修行の場であったことは間違いないようです。 行き帰りのバス・地下鉄の中では、昨日に引き続き狩野博幸著「若冲」を読みました。-------------------------------------------------------------------よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2017/10/18
コメント(0)

【2017年10月17日(火)】 今日は、夕刻から津軽三味線のレッスンの日。家内は友達と西宮のアウトレットへ。 私は夕刻以外はOFFなので、三味線の練習をしたり、3月に書き残したガイド会研修のブログ日記を書いたりしました。未完成ですが。 レッスンは河原町御池での2回目。生徒に小学生の女の子がいて、お母さんが送り迎えしているのですが、火曜はお母さんの都合が悪くなって、別の教室に移りました。ですので、4人の生徒が3人に。しかも今日は高校生の女の子がお休みだったので、生徒は2人だけでした。ですので、先生にはいつもより長く指導いただくことができました。 「津軽よされ節」のイントロ部分で、先生と合奏すると全然合わない部分があって、いただいた楽譜の繰り返し部分が間違っていることが分かりました。先生「すまん、すまん。これじゃ、合わんわな。」 先生手書きの楽譜なので往々にしてこういうことが起こります。 先日、練習をしていて、撥(バチ)の先の片方が欠けてしまいました。撥は対象にできていてもう片方が使えるので問題ないですが、腎臓と同じで残った方も欠けてしまったら、弾くことができません。 三味線を買った「和楽器市場」のネットショップで撥を買いました。以前、先生が、「べっ甲は、欠けにくいから、力強く弾けるよ。」とおっしゃっていたので、べっ甲製を調べたら、安い物でも3万円します。これはちょっと・・・。「べっ甲調」という動物性樹脂でできた、べっ甲に限りなく近い仕上げという触れ込みの2万円程度(決して安くはないですが)の撥があったので、それを購入。さらに練習用に今使っているのと同じ安価なプラスチック製1本と、これも今使っていて重宝している撥用滑り止めゴムを2本購入。プラスチック製撥 2,835円鼈甲調撥 21,060円撥すべり止めゴム 575円X2----------------------------合計 25,045円 ちょっとした出費ですが、ゴルフや三味線など趣味のお金はガイドの報酬で賄えているので、家内も文句は言わんでしょう。 左上が片方欠けてしまった、プラスチック製。左下が新しく買ったプラスチック製。大きさ、形は同じようです・右がべっ甲性調です。大きさも厚みも一回り小さいです。果たして弾き心地はいかに・・・。すべり止めゴムは装着済みです。 行き帰りで、SKY大学講師準備のための若冲関係の本を読み始めました。よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村-------------------------------------------------------------------津軽三味線練習カテゴリー投稿一覧http://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=33
2017/10/17
コメント(0)

【2017年10月16日(月)】 雨が降って寒い一日でした。暖房が欲しいくらい。 4連続公私OFF日の2日目。この4連続OFFはありがたい。色々ことを進めることができます。 子供たちが結婚して姓が変わっているので、いくつかの生命保険の受取人の名前を変えないといけないのですが、できていませんでした。今日保険会社に電話して、書類を送ってもらうよう頼むことができました。 二条城ボランティアガイドで作成した資料の最終化もできて、ガイド会同期のメーリングリストで紹介することができました。 図書館で借りてきた稲荷信仰関係の本も、少し読むことができました。 草花記です。 コウホネ(河骨)@京都大原実光院(5月22日) 今年5月の撮影です。大原の公募ガイドの下見で、実光院を訪れたときのものです。 スイレン科 コウホネ属。開花時期は、5~9月。原産地は日本(本州~九州、沖縄)、朝鮮半島、台湾。 漢字では「川骨」とも書きます。太くて白い根茎が泥中に横たわり、それが骨のように見えるというのが名の由来です。 根茎は生薬で川骨(せんこつ)という強壮剤や止血剤になります。よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村__________________________「散歩・草花記」カテゴリー 色んな花が登場します。http://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=34
2017/10/16
コメント(4)

【2017年10月15日(日)】 6日連続で、ほぼフルタイムで公用、私用の日が6日連続しましたが、今日からほぼフリーの日が4日続きます。ガイド業の性質上、季節ごと、月ごとの忙しさにも波がありますが、このように月の中でも波があり、なかなか一定のペースで生活できないというつらさがあります。しかし好きなことをしてお金をいただいているのですから、贅沢はいえません。 一日雨です。だいぶ気温が低そうです。秋雨前線停滞で、ここしばらくお天気のよくない日が続くとのことです。秋雨前線は9月のもので、10月は1年でも一番天気が良い月だと思いますが、やはり異常気象でしょうか。 溜まったブログ日記を書き、三味線の練習をし、2、3日前に来た11月6日の修学旅行計画書に対して、レスポンスレターを書きました。図書館で借りてきた稲荷信仰の本や、若冲・応挙関係の本に目を通したかったところですが、そこまではできませんでした。 草花記です。 ホトトギス(杜鵑草、杜鵑)@大徳寺塔頭興臨院(10月12日) ガイドをしている興臨院の庫裏の前に咲いています。お客様に花の名を質問されると思い、この日ペアのTさん(女性)に尋ねて名前を教えてもらいました。 ユリ科ホトトギス属。花期は8~11月。花色は白、紫、ピンク、黄。原産地は日本、台湾、朝鮮半島(東アジア)。 若葉や花にある斑点模様が、鳥のホトトギスの胸にある模様と似ていることからこの名がつきました。 よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村____________________________「散歩・草花記」カテゴリー 色んな花が登場します。http://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=34
2017/10/15
コメント(0)

【2017年10月14日(土)】 大徳寺塔頭興臨院でのガイド第3日でした。時々雨が降る生憎のお天気が影響した。 ガイド中お客様から、「月例のお茶会は、予約なしで誰でも入れるのですか?」という質問を受けました。誰でも入れるけれども、そのときは拝観料が1000円になると聞いていたので、そうお答えしました。念のため帰宅後ネットで調べてみました。間違ってはいませんでしたが、その他いろんなことが分かりました。 大徳寺での月例茶会は下記6つの塔頭寺院で28日(利休の命日)に催されます。いずれも臨時会費1,000円で、2月と8月は休会。興臨院は、事前申込など必要ありませんが、他のところでは事前に茶券を購入しないといけないところもあるようです。 その他、細かい内容では、 ・茶会が開かれている場合は、「在釜」という札が門にかけられる。・必要なものは、扇子・懐紙・菓子楊枝・服装は和服かスーツやジャケット着用が望ましい・お茶の心得がない場合、アドバイザーとなる同伴者が必要 あと自分で勉強していて説明内容に間違いがあったことにも気付きました。 茶室「涵虚亭」の中の説明で、「洞床(ほらどこ)」の説明をしていますが、これは半楕円形の給仕口の水屋側の部分だと思い込んでいてそう説明していました。ところがそうではなくて、この給仕口を入った床の間の様式のことでした。床の前に袖壁が出ていて、中が洞のように見えるからです。 茶道に見識のある方が説明を聞かれたら、「あれ?ガイドさん間違ったこと言ってる」と思われたかも知れません。すいませんでした。次回から正します。●興臨院案内#2 大徳寺#2 大徳寺は臨済宗大徳寺派の大本山です。臨済宗は禅宗の一派で、禅宗にはその他に、曹洞宗、黄檗宗などがあります。 臨済宗には15の派があり、うち8つが京都に本山があります。下表の赤字でかいたものがそうです。大徳寺はそのうちの一つです。 応仁の乱でほとんどの伽藍を焼失しましたが、一休宗純や、その一休に帰依した尾和宗麟などの堺の豪商、戦国大名などの尽力で再建されました。江戸時代初期には伽藍のほとんどが完備されました。 一休宗純は室町前期の臨済宗の僧で、大徳寺47世を務めました。京都生まれで、後小松天皇の皇子といわれています。幼少で出家し、大徳寺の華叟宗曇(かそうそうどん)の弟子となり、その法を嗣ぎました。風狂の生涯を送り、書画・偈頌(げじゅ・禅宗で悟りの境地などの宗教的内容を表現する漢詩)に優れ、著に「狂雲集」があります。 戒律や形式に囚われない人間臭い生き方は、民衆の共感を呼び、江戸時代には、彼をモデルとした『一休咄』に代表される頓知咄(とんちばなし)を生み出す元となりました。 大人の一休さんは、アニメの一休さんからは想像できないお顔の持ち主です。(内容再考版。原文は非公開日記に移動済み。)-------------------------------------------------------------------よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2017/10/14
コメント(0)

【2017年10月13日(金)】 M病院、K歯科、修学旅行食事処「本家田毎」下見の後(こちら)、午後、洛北の歴彩館へ。3回目の来館になります。 特別客員研究員の研究で、伏見稲荷大社発行の「朱(あけ)」という機関誌を、以前からここで閲覧しています。 前回9月30日は時間があまりなく、創刊号を読んだに留まりました(こちら)。 今回は、約3時間をかけて、第2号から第5号まで閲覧しました。 今日の閲覧から、稲荷山は江戸時代以前、修験道の行場であったことがわかりました。だから何らかのかたちで滝行の場はあっただろうと推定されます。そして、明治以降のお塚の増加とともに、「お滝場」が増えていったのではないかと思われます。しかし、江戸時代以前に滝行が実際に行われていたかどうか、どこにどんな滝場があったかなどについての具体的記述は発見することはできませんでした。継続閲覧していきます。 続いて京都市中央図書館へ。ここでSKY大学講師準備のための応挙・若冲関係の図書を6冊借りるとともに(こちら)、稲荷信仰関係の図書を4冊借りました。「稲荷信仰」をキーワードに「お滝場」についての記述を探そうというアプローチです。借りた本-------------------------------------------------------------------よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2017/10/13
コメント(0)

【2017年10月13日(金)】 午前中は、3ヵ月1回になった粒子線治療後の経過観察で、大阪府下のM病院へ。今回は尿検査による細胞診もあるので2回通院で、今日は採血、採尿、CT撮影で、2週間後に膀胱鏡検査と診察です。 桂に戻ってK歯科医院へ。1ヵ月前の前回で治療が終わり、今回から定期メンテモードです。 その後、歴彩館と中央図書館に行くため京都に向かいました。四条河原町当たりで、昼食を兼ねて修学旅行の食事処下見。「御蕎麦 本家田毎(たごと)」(三条新京極東入ル北側)に入りました。創業明治元年のようです。御蕎麦 本家田毎 (三条新京極東入ル北側) お昼時で混んでいて奥の座敷しか空いていませんでしたが、掘りごたつ式で楽でしたし、のんびりと落ち着けました。奥に6人掛けのテーブルが5つくらいあったでしょうか、修学旅行ではここが空いていれば最適です。店内 奥の座敷 店内 テーブル席 「食べログ」から メニューは、高めですが、単品のシンプルな麺類や丼物なら1000円未満ですので、修学旅行用としては許容範囲です。メニュー お蕎麦屋さんなので、「しっぽくそば」(970円)を注文しました。混んでいる割には早く出てきました。これは修学旅行としてはプラスポイントです。お味は、出汁が少々濃いめでしたが、美味しかったです。しっぽくそば バスで歴彩館へ。特別客員研究員の研究で文献を読むためです。その様子はこちら。 午後1時半くらいから午後4時半くらいまで歴彩館にいて、京都市中央図書館に移動。目的は2つ。特別客員研究員の研究の関係で図書を借りるのと、先日決まったSKY大学での講師(こちら)の準備のための図書を借りるためです。 もう夕刻なので、検索端末で検索して、ぱぱっと決めて借りました。全部で10冊一度に借りられるので、特別客員研究員研究用の稲荷信仰関係図書を4冊、ガイド会担当講義の準備用に若冲・応挙関係の図書を6冊借りました。ガイド会担当講義の内容の次回打ち合わせが11月13日にありますので、それまでに後者の本などを参考にして、構想を練り、骨子案を固めなければなりません。(稲荷信仰関係の図書についてはこちら)。 若冲・応挙関係で借りた図書 -------------------------------------------------------------------よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2017/10/13
コメント(2)

【2017年10月12日(木)】 大徳寺塔頭興臨院でのガイド第2日でした。 曇一時雨の天気で、京都の最高気温は23.6度と昨日より6度強下がりました。お庭の紅葉もうっすらと色づき始めました。 案内の中では、答えられない質問がありました。後でご住職に確認したり、自分で調べました。こうやって引き出しが増えていきます。・月例のお茶会は、どこでするのか? →後でご住職にお伺いしたら、涵虚亭近くのスダレの下がった広間でされるとのこと。 年に1回か2回は涵虚亭でもされるとのこと。・襖絵を書かれた村石米齋氏はご存命か? →ご存命です。1949年10月13日お生まれですので、明日で68歳になられます。 親が書道教諭で、幼い頃から書は身近なものであったようです。 福岡教育大学特設書道科を卒業した後、九州大学文学部美学美術史研究室の 研究生となりました。 卒業後は県立高等学校で、親と同じ書道教諭を勤めました。 そして美大や専門教育は受けておらず、独学で水墨画を学びました。 フィラデルフィア美術館に数点の書が収蔵されるまでになりました。 スリッパなしで、靴下で板の間を歩きますので、最後には足の裏が少し痛くなりました。●興臨院案内#1 大徳寺#1(ガイドしている内容より詳しいです) 興臨院は大徳寺の塔頭(たっちゅう)です。塔頭とは、大寺院の敷地内にある小寺院や別坊のことを指します。塔中とも書きます。高僧の住房や庵居から発展し,その墓(塔)を守って弟子が相伝し、塔の中で首座にあるところから塔頭と呼んだとも、また塔の頭(ほとり)に少庵を建てて、これを守ったことから塔頭と呼んだともいいます。 大徳寺は、鎌倉時代末期正和4年(1315)、宗峰妙超(大燈国師)を開山として創建された臨済宗大徳寺派の大本山です。 宗峰妙超は、播磨 (はりま・兵庫県)出身。11歳の時、地元の大寺院である書写山円教寺に入り、天台宗を学びますが、のち禅宗にめざめ、鎌倉の高峰顕日、京の南浦紹明(大応国師)に参禅。南浦紹明が鎌倉の建長寺に移るにしたがって宗峰も鎌倉入りし、徳治2年(1307年)、26歳のとき、師から印可(精進した弟子に師が力量の証明を与えること)を得ました。嗣法(弟子が師の法を継ぐこと)の後、約20年草庵にあって京都で乞食行(こつじきぎょう)をします。修行に励みますが、峻烈無比の禅風の故に近づく人は多くありませんでした。 正和4年(1315年)(元応元年=1319年とも)、同郷の赤松則村(円心)の帰依を受け、洛北紫野の地に小堂を建立しました。これが大徳寺の起源とされます。花園天皇は宗峰に帰依し、正中2年(1325年)、大徳寺を祈願所とする院宣を発しています。このころ、正中の宗論にて顕密の学僧を論破して名声を高めました。門下に関山慧玄がいます。 建武4年(1337年)、妙超は病に伏し重態となりますが、花園法皇の求めに応じて、妙超没後に花園法皇が師とすべき禅僧として、弟子の関山慧玄を推挙しました。また、花園法皇が花園の離宮を禅寺とするにつき、その山号寺号を正法山妙心寺と命名し、その年の12月22日、妙超は死去。妙心寺では、この建武4年を開創の年とし、妙超の遺命を受けた関山慧玄が開山となっています。 禅風は厳格で、容赦ない厳しさをもって人に接し、深く自己の悟境を掘り下げていくことを重視し、唐代の禅風の復活を志向しました。自ら公案(注1)をつくって弟子を育成し、教化においてはほとんど方便を(注2)を使わず、正面より禅の極みを打ち出しました。 師の南浦紹明(大応国師)から宗峰妙超(大灯国師)を経て関山慧玄へ続く法系を「応灯関」といい、現在、日本臨済宗はみなこの法系に属します。(注1)公案:禅宗において修行者が悟りを開くための課題として与えられる問題のこと。 「禅問答」として知られる。(注2)方便:方便法輪。日本の禅では、仏祖・禅師の本意ではないものの、本意を伝える手段と なりうるという意味で方便という。またいかにすれば仏性を発現できるかを模索する、 柔軟な心構えをいう(一休宗純は後日登場)大徳寺 南門大徳寺 本坊(内容再考版。原文は非公開日記に移動済み。)-------------------------------------------------------------------よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村7
2017/10/12
コメント(4)

【2017年10月11日(水)】 今日は「がん」治療復帰後、第30回目のゴルフラウンド。日本に帰ってきてからは通算133回目、今年(2017年)第13回目のラウンド。 C&C会の第6回コンペでした。前回ブービー賞でしたので、副幹事役でした。幹事は前回優勝の横さん。場所は大津カントリーの西コース。結果は、スコア 52+49=101ストローク 35+32=67パット 17+17=34 復帰後、最高スコアです。 ドライバーにほとんどミスショットがありませんでした。 前回最悪だったフェアウェイウッドが反省に基づいて、腰を入れて打ったら、チョロがなくなり安定していました。ただ今日のラフは結構深くて、ラフで何度も天ぷらしたことがありました。深いラフの場合は、フェアウェイウッドの距離でも、ユーティリティーかアイアンで打つべきというのが反省点です。 パー3は私にとっては、全部ユーティリティーの距離でしたが、4つのうち3つでワンオン、残り一つはエッジでしたが、距離的にはピンに近くワンオンのようなものでした。とにかく調子良かったです。いつもとれないニアピン賞が一つですがとれました。 アイアンも腰を入れることで、そこそこ良かったです。 ピッチングの寄せも、よかったです。20メートルくらいのチップインもありました。ただ、ふわっとしたラフで、2度空振りに近いミスショットがあり、それは反省事項です。芝に負けないよう、インパクトでしっかりと握らないといけなのかもしれません。 パターは、左手を伸ばしたクロスハンドで、面を真っすぐ当てるより、手を真っすぐ出す意識で打ちました。34と数字としては良かったですが、やはりイップス感はあって、絶対入れないといけない距離を1つ外しました。途中から、順手に戻して、トゥーを上げて構えて打ってみました。イップス感はありますが、方向性はよくなったようで、1メートル程度がわりと入るようになりました。まだまだ改善の余地があります。 コンペ結果は、7人でブービー賞。ニアピン賞1つで、元を取りました。優勝は横さんなので、次回幹事は今回同様、横さんと私ということになりました。 写真は、このラウンドの最初のショート、イン・コース3つめの、12番ホールです。 打ち下ろしの173ヤード(スコアブック上)ですが、この日は150ヤードくらい。打ち下ろしですので、ユーティリティーは距離が出過ぎかもしれませんが、ユーティリティーで打ちました。右横奥3メートルくらいに着けたと思いますが、あとの組にニアピン持って行かれてしまいました。12番ホール 173ヤード Par3 Google Map,楽天ゴルフサイトから【スコア】【コンペ結果】【費用】ラウンド代(昼食込み):10,578円 (大津はプチ名門、チョイ高めです)高速代:1,150円+1,140円(大津ICから) 帰りに、大津市図書館に寄って、この前借りた「霊能一代」という本を返却しました。よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村___________________________________「日本でのゴルフ」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=7「ゴルフ他@米国」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=3
2017/10/11
コメント(0)

【2017年10月10日(火)】 ガイド会定例会議後の有志軽懇親会後(こちら)、このごろ歩いてないので、歩いて四条烏丸へ。せっかく歩いているのに、こんなことしていてはいけないんですが、途中、東洞院通錦小路下ル 「魁力屋(かいりきや)」というラーメン屋さんに立ち寄りました。修学旅行の昼食処としても使えそうなので、別建てで、ここに投稿しました。 店の名前の前に「京都北白川」と付いていて、一乗寺に本店があるのですが、全国展開していて80店舗くらいあるようです。美味しい醤油ベースのラーメンでした。「食べログ」から 修学旅行で、四条烏丸や錦市場付近で昼食時間となり、「京都のラーメンが食べたい。」となったら候補のお店です。-------------------------------------------------------------------よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2017/10/10
コメント(0)

【2017年10月10日(火)】 ガイド会定例会議がありました(こちら)。会議後有志軽懇親会があるのが常ですが、ここしばらく翌日が勤務だったりしたので自重していました。今日は、翌日ゴルフではあったのですが、参加させていただきました。 最初の予定は、近くのファミレスでということでしたが、たくさん入れないので、「寿海」というお店へ。烏丸丸太町を西に行った北側にある、いかにも大衆酒場という感じのお店です。ネットで調べると、京都に何軒かお店があるようです。店の方のお話では、沢の鶴のお酒「寿海」からの名前だとのこと。どのような関係があるのかよく分かりません。少々へんこつな大将が切り盛りする面白いお店です。 https://retty.me/area/PRE26/ARE108/SUB11001/100001194581/ 2階の椅子席もあるのですが、準備ができていないとのことでカウンターに陣取りました。狭いお店ですので、我々だけでほぼ満員でした。 私の隣に座られた先輩方から貴重なお話しを色々聞かせていただきました。一人の方は京産大特別客員研究員の先輩でもあるので、その点でのご助言もいただきました。小一時間、生中2杯と酒肴少しいただいてお開き。一人1300円。さすが大衆酒場。いいですねこの値段。 このごろ歩いてないので、歩いて四条烏丸へ。せっかく歩いているのに、こんなことしていてはいけないんですが、途中、東洞院通錦小路下ル 「魁力屋(かいりきや)」というラーメン屋さんに立ち寄りました。修学旅行の昼食処としても使えそうなので、そのカテゴリーに投稿します。→こちら 帰りぎわ、近くの東洞院錦の角の倉田青果店という八百屋さんの店先に並んだかわいい野菜。思わずシャッターを押しました。(内容再考版。原文は非公開日記に移動済み。)-------------------------------------------------------------------よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2017/10/10
コメント(2)

【2017年10月10日(火)】 ガイド会の地区組月例会でした。会は午後なので、午前中は二条城へ。 9月1日に二条城の詳細なガイドを担当しましたが(こちら)、その準備のため二条城内の説明板の内容を事前調査しました。屋内は写真禁止なので、屋内の説明板の内容は、小さな声で読んで録音して、それを聞きとりながら文章にしました。しかし、一部不明なところがあるので、今日、最終確認に行きました。短時間で済むと思ったのですが、句読点まで見直したため、2時間近くかかりました。 がっかりしたことが一つあります。以前、説明板の記述内容間違いを一か所発見して、そのことを書きとめて、二条城の事務所に郵送しました。9月上旬でした。しかし、その後、何も返事がありません。今日修正されていないかどうか確認したところ、何も変わっていませんでした。がっかりです。落ち着いたら、もう一度レターを送って見ようと思っています。 午後からはガイド会の定例会。私に纏わる特記点は、12月に修学旅行1件が担当になったこと。 来年1月からは「京の冬の旅」があります。次回の会で担当場所が知らされます。 9月4日に担当した修学旅行の班の生徒たちから礼状が届いていました。この学校は、当日最後別れるときに班長さんが、簡単なお礼を書いた紙をくれましたが、今回は一人一人から手紙をいただきました。良い思い出としていつまでも記憶の片隅にでも残ってくれればと思います。 終了後、いつも有志で簡単な懇親会がありますが、今回参加しました。→こちら-------------------------------------------------------------------よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2017/10/10
コメント(0)

【2017年10月9日(月・祝日)】 大徳寺塔頭興臨院でのガイド初日でした。 大徳寺には22の塔頭寺院がありますが、そのほとんどが通常非公開です。常時拝観できるのは、高桐院、龍源院、瑞峯院、大仙院の4つです。その他の寺院のうち、いくつかが時期を区切って特別拝観をします。 興臨院はその中でも開いている期間が多い寺院です。私の手元資料では、今年は、1/7~1/29の土日祝、3/18~6/11、9/9~10/1と開いていました。そして、この秋は、10/7~12/17の特別公開となっています。この時期、黄梅院が10/7~12/17、総見院が10/7~12/8に特別公開されます。黄梅院は興臨院と全く同時期、総見院はほぼ同時期ということになります。 10時から16時半拝観受付です。 交通費倹約と健康のため、今までは五条通りを走るバスや阪急を降りた後は、歩いて通うことが多かったですが、大徳寺は今までの箇所よりさらに北にあるので、交通費はかさみますが、最寄りバス停までバスで行くことにしました。 私のガイドの方は事前に「紙芝居」もうまく作れて、話す内容の咀嚼も時間がとれたので、初日にしてはうまくできたと思います。ここでは同じ日に受付も担当し、ご朱印の日付記入や授与品の販売も担当します。土日と平日では受付場所も変わります。ちょっと複雑ですが、日とともに慣れるでしょう。 暑さがぶり返して、方丈庭の白砂の照り返しもきつく、午後は暑かったです。初日の緊張感もあり、かなり疲れましたが、何とか無事一日目を乗り切りました。(内容再考版。原文は非公開日記に移動済み。)-------------------------------------------------------------------よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2017/10/09
コメント(6)

【2017年10月8日(日)】 今日も、公私OFF日。打って変わって、天気もよく、気温上昇。京都の最高気温は28.1度だったようです。 金曜日の晩から来ていた次女が、昨日友達の結婚披露パーティーに出席して、今夕東京に帰りました。次に来るのは、里帰り出産の11月中旬頃の予定です。 私のほうは、10月1日から8連続ガイドOFF日が続きましたが、明日から、いよいよ次のシリーズのガイドが始まります。大徳寺塔頭の興臨院です。 「紙芝居」はほぼ出来上がっていたので、今日見直して修正し、印刷してファイルに入れました。いつもの通り、まずはこれに沿ってガイドをし、慣れてきたら使用は減らしていきます。 これで、去年10月からの東寺五重塔、今年1月の妙心寺養徳院、八木邸、4月からの旧三井家下鴨別邸、7月からの清水寺随求堂、下鴨神社と、今回で7つめの固定持ち場になります。今まで、前日にはかなり緊張しましたが、今回はそうでもありません。準備が余裕をもってできたということもあるでしょうし、慣れてきたこと、度胸がついてきたこともあるでしょう。こうやって3ヵ月に一度持ち場を変わるというのは、新たな知識を得る、常に緊張感を保つという点でもなかなか良いシステムだなと思います。 さて、どんな3ヵ月になるでしょうか。「草花記」です。フタバアオイ(双葉葵)@下鴨神社 ウマノスズクサ科・カンアオイ属。原産地は日本、中国。開花期は3~5月。 徳川の家紋で知られる「葵の御紋」は、このフタバアオイの葉を3枚組み合わせてデザインされたものです。また、京都上賀茂、下鴨神社の葵祭に飾られることから「賀茂葵(カモアオイ)」の別名でも親しまれています。両神社の神紋にもなっています。 草丈は10~20cmと低く、2つのハート形の葉っぱを持っています。茎は地面をはって伸び、春になると地際にうつむくように1~2cmくらいの小さな花を咲かせます。赤褐色の花には花びらはなく、反り上がった3枚の萼片が筒状に付いています。 葉っぱが2枚、近くにつくところから「双葉」の名になりましたが、アオイという名称は、どこから来ているのでしょうか。 一般に「葵」と呼ばれているのは正確にはタチアオイです。葉が太陽の方に向くので、「あふひ(旧仮名遣い)」となりました。カンアオイ属の葉がタチアオイの葉に似ているので、カンアオイという名が付いたというもっぱらの説がありますが、タチアオイの葉はカンアオイのようなハート型ではありません。この説は?です。 賀茂別雷神の伝説から、あふひの「ひ」は生命力や神霊を指し、「ひ」にめぐり「あふ」ための導きをしたのが葵である、という語源説もあります。こちらの方かも知れません。5月12日 @摂社河合神社 葵祭のための栽培5月12日 @摂社河合神社 花も見えます。9月13日 @葵の庭よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村____________________________「散歩・草花記」カテゴリー 色んな花が登場します。http://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=34
2017/10/08
コメント(0)

【2017年10月7日(土)】 月イチの高血圧診療で、午前中、毎日の血圧記録を持って、近所のO医院へ。 去年の同時期と比べると、朝も夕も10くらい高くなって、平均で朝は140/90、夕が135/90くらい。この上昇が、長い目で見た傾向なのか、それともここしばらく寒くなったことによるものなのか、9月が色々忙しかったことによるものなのか、あるいはその複合なのか、よくは分かりません。平均でギリギリ上限値なので、とりあえず薬は増やさず、アムロジピン毎日1錠は変わらずです。今後、さらに寒くなって、平均が上限を超えるようなことがあれば、増やしてもらわないといけないかもしれません。 午前中、今の家を建ててもらったハウスメーカーの保証期間内最終の検査がある予定でしたが、雨のため延期、28日になりました。 一昨日作成を開始した、興臨院の「紙芝居」を一応完成させました。明日、見直して、印刷して、9日からの本番に備えます。10月28日の岐阜県の小学校の修学旅行のレスポンスレターも作成し、事務書にFAXしました。 夕刻は、高槻へ。4日前急に決まった飲み会がありました。 M社勤務時代、私の担当していた事業は、担当製品の市場先細りに対応するため、M社から切り離され、ライバルだったT社との合弁会社が設立されました。2002年(だったと思います)に発足しました。T社の方々が関東から関西に来られていっしょに仕事をしました。しかし、やはり立ち行かなくなって解散することになり、2006年頃には、仲間はそれぞれM社、T社に戻ったり、別の道に進みました。 そのT社の方々とは、今もプライベートに色々おつきあいがあります。 私のアメリカでの先代の責任者のNさんは、サイクリングを趣味にされていて、T社の同好の方SYさん、SWさんと時々いっしょに走っておられます。今回はこの3連休を利用して、昨日、今日と琵琶湖一周(ビワイチ)をして、今晩高槻に泊るので、飲みませんか?とのお誘いでした。 以前から、時々飲み会させていただいているT社出身のIさんも合流。残念ながらそのM社側いつものメンバーである、Tさん(ゴルフ仲間)、Kさんはご都合が悪く欠席でした。結果的に今日のメンバーは、M社出身のNさんと私、T社出身のSYさん、SWさん、Iさんでした。 SYさん、SWさんとはほぼ10年ぶりの再会です。私が「がん」を乗り越えてこうやって会えて飲めることを非常に喜んでくださいました。SYさんは、定年されていますが、嘱託でT社関係の会社でフルタイムで働いておられるとのこと。SWさんは、T社現役。Iさんは退職され、高槻にお住まいで、京都を歩いたり、講演会を聞きに行かれたり、充実した定年後生活を送っておられるようです。 皆さんの近況、サイクリングの話、その後のM社、T社のメンバーの近況などで盛り上がり、楽しく時間を過ごしました。少々飲みすぎたようです。 「友、遠方より来たる。また楽しからずや。」 場所は、高槻JR沿いの「たご作」さんでした。-------------------------------------------------------------------よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2017/10/07
コメント(2)

【2017年10月6日(金)】 公私OFF日。一日本格的な雨でした。急に寒くなりました。11月初旬の気温だとか。 大徳寺興臨院の特別公開のスタートは10月7日。私の初回勤務は10月9日。それまで修学旅行も入ってないので、10月に入って10月8日まで勤務はゼロ。しかもプライベートで丸一日で外出というのは、3日のゴルフだけです。久しぶりに公私OFF日がたくさんです。 今晩遅く東京の次女が帰ってきます。友達の結婚式出席のためです。2泊3日で8日までいます。これに合わせて、名古屋の長女が今日午後、孫を連れて帰ってきました。新生児を連れての帰省はやはり大変だったようで、「首が座るまでは、来るのやめとくわ。」と言っていました。長女は11日までいます。孫に会えてうれしいですし、しばし我が家も華やぎます。 一日OFFでしたが、ルーティーンをして、子守をして、明日ハウスメーカーの定期点検があるので、部屋を片付けたりしていたらあっという間に時間が経ってしまい、興臨院の「紙芝居」作りの続きも今のところできていません。もうじき次女を迎えにいくので、今日はもうできないでしょう。明日も夕方までは公私OFFなので、明日、完成させます。 「草花記」です。カワラナデシコ(河原撫子)@下鴨神社葵の庭(撮影7月28日)ナデシコ科ナデシコ属 の多年草。原産地は日本、東アジア。開花時期は6~9月。花の色は淡紅色や白。秋の七草の一つ。花の可愛らしさを愛児にたとえ、「撫でる、愛でる子」の意でナデシコとなり、河原などに多いためにカワラ~がつきました。薬用としても利用されており、開花期の全草を瞿麦(くばく)、種子を乾燥したものを瞿麦子(くばくし)と言い、利尿作用や通経作用があります。 よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村____________________________「散歩・草花記」カテゴリー 色んな花が登場します。http://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=34
2017/10/06
コメント(2)

【2017年10月5日(木)】 今日は、夕方のみの外出で、日中は10月9日が初日の大徳寺塔頭興臨院の「紙芝居」の作成にとりかかりました。半分くらいできたでしょうか。明日6日もフル在宅、7日が昼間在宅、8日がフル在宅なので、何とか間に合うでしょう。 夕刻から京都で飲み会がありました。ガイド会の有志の飲み会です。会の中で若手の範疇に入るメンバー(といっても平均年齢は65歳くらいだと思いますが)で集まって、交流を深めようという趣旨です。 今回で3回目ですが、場所は前回と同じ南座前の「レストラン菊水」。予期せず、乾杯の音頭も指名されて、慌ててしまって気のきいた挨拶ができませんでした。夕刻の四条大橋からの鴨川真ん中やや右のレトロな建物が「レストラン菊水」 終わって2次会へ。某先輩行きつけのお店、先斗町「BAR suisie-koo bis」。久しぶりにカラオケで盛り上がりました。 さらに同期のお一人に誘われて、祇園の「BLUES Cafe BALL and CHAIN」というお店へ。いっしょに行った別の同期の方が、映画やドラマのエキストラ出演が趣味で、 そのときの写真を見せてもらったりして盛り上がりました。 小腹がすいたので、木屋町でラーメンをすすって帰りました。料金倍の深夜バスで帰りました。明日がOFFなので、2次会行きましたが、まさか3次会まで行こうとは・・・。深夜バスのお世話になったのも初めてです。最後アルコールはセーブしましたが、翌日に残りそうです。 今日のもう一つの日記→こちら(内容再考版。原文は非公開日記に移動済み。)-------------------------------------------------------------------よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2017/10/05
コメント(0)

【2017年10月5日(木)】 朝晩は寒いくらいになってきました。扇風機を片づけました。3台使っているのですが、この夏1台が動きがおかしくなりました。だましだまし使って、発火してもいけないので廃棄することにしていました ちょうど金属回収業者が来る日だったので、回収可能リストを見たら、扇風機は回収対象となっていてので、持っていってもらいました。 この扇風機は話題のT社製です。今の家に引っ越してすぐに買ったので、8年経っていますが、夏の期間しか使わないのに8年しかもたないというのはちょっとどうかなぁという気がします。 でも、8年間お疲れ様でした。涼しい風をありがとう。 来夏には新しく買う予定なので、不適切かもしれませんが、「吾唯足知」の題目で投稿します。 よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2017/10/05
コメント(2)

【2017年10月4日(水)】 特別客員研究員の9月度報告を昨日、下記のように提出しました。前回からの主な進展はTさんに教えていただいた「霊能一代」を読んだ内容です。-------------------------------------------------------------------よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2017/10/04
コメント(0)

【2017年10月4日(水)】 9月23日に京都産業大学日本文化研究所平成29年度特別客員研究員の中間発表会がありました(こちら)。そこにも書いたように伏見稲荷大社及びその周辺の「お滝場」を研究テーマにしていますが、私と同じアプローチでの先行研究を発見しました。かなり突っ込んだ研究を既にされており、これからどう進めていけばいいか悩んでいるところです。 この中間発表の内容を投稿した直後、私のブログの読者のTさんが、下記のようなコメントをくださいました。「だいぶ前に伏見稲荷の参集殿で、『霊能一代』と言うタイトルで本購入をしました。その中にお山のお滝行の事が書かれてました。著者の方はこの滝行をされてをり、断食もされたりした事を書かれています。清滝、弘法大師の修行された滝、いろんな滝があるみたいですね・・」 お滝で実際に修行された方のお話は何か参考になるかも知れないと思い、是非この本を読んでみたいと思いましたが、9月中は超多忙でアクションができませんでした。10月になって時間が少しとれるようになったので、伏見稲荷のフィールドワークを兼ねて参集殿に行って、この本を買おうと思いました。しかし、アマゾンで手に入れる方法もあるので調べてみました。 ところが、もう絶版になっているようで、中古しかありません。中古でもいいのですが、びっくりです。定価1800円に対し、何と8万円以上の価格がついています(Tさん、読んでますか?どうですか?)。これじゃいくら何でも買えません。伏見稲荷へ行ってもないでしょう。 そこで、図書館の蔵書を検索しました。京都市内、京都府内は所蔵なし。大阪府もなし。兵庫県もなし。よく使っている京都の歴彩館もなしです。あきらめかけたところ、滋賀県大津市立図書館の書庫に一冊あることが分かりました。大津市立図書館の案内をネットで調べるとラッキーなことに、京都市民でも借りることができるとあります。 たまたま、昨日、滋賀県のゴルフ場でプレーすることになっていたので(こちら)、帰りに寄ってきました。そして免許証で身分証明して貸出カードを作っていただき、この本を借りて帰ってきました。 今日、その本をざっと読んだところです。 この著者の砂澤たまえという方の霊能者としての生涯が書かれています。その中にTさんがおっしゃってたように、伏見稲荷でのお滝による修行の話が書かれていました。 滝行のことがよく分かりました。そして、「弘法の滝」は、弘法大師が実際に修行した滝だと伝わるということも分かりました。先行研究では、そこまで書かれていません。まだ、研究をどのように進めていくか明確にはできていませんが、この本はその方向を決めるうえでのヒントを与えてくれるのではないかと思います。Tさん、ありがとうございました。 必要なところをコピーして、次の滋賀県でのゴルフ(10月11日)の帰りに返却に行きます。 ようやく日記の投稿が追い付きました。特別客員研究員の月次報告をしたうえで、10月9日が初日の興臨院の「紙芝居」準備にとりかかります。後付けでの投稿です。よろしければお寄りください。・9月21日【§京都ガイド】修学旅行ガイド#22。「刀剣乱舞」「進撃の巨人」。9月22日【§京都ガイド】下鴨神社第11日。最終日。初の雨の中の案内。9月23日【§京都研究】中間発表9月23日【§飲み会】特別客員研究員・中間発表会後の懇親会9月24日【§京都ガイド】随求堂#19。危うく拝観券不足になりそうに。9月25日【§京都ガイド】興臨院下見。本野精吾邸見学。9月26日【§今日のこと】お墓参りと長女宅訪問9月27日【§京都ガイド】随求堂#20と第1回企画委員会9月27日【§飲み会】第1回企画委員会後の臨時飲み会9月28日【§京都ガイド】花山天文台・渉成園蘆庵見学。その1~花山天文台9月28日【§京都ガイド】花山天文台・渉成園蘆庵見学。その2(渉成園・蘆庵)9月29日【§京都ガイド】随求堂#21・最終日9月29日【§今日のこと】女子プロ野球観戦9月30日【§京都ガイド】大雲院見学9月30日【§飲み会】「京の冬の旅」下鴨神社勤務打ち上げ10月1日【§健康管理】健康診断結果届く10月2日【§ニュース】小池さんに失望10月3日【§ゴルフ】'17-#12。京阪会。またまた110超え。-------------------------------------------------------------------よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2017/10/04
コメント(4)

【2017年10月3日(水)】 今日は「がん」治療復帰後、第29回目のゴルフラウンド。日本に帰ってきてからは通算132回目、今年(2017年)第12回目のラウンド。 毎月第二火曜の「京阪会」で場所は「京阪カントリー」。宇治コース→曾束コース。メンバーは前さん不参加なので、谷さん、藤さんの3バッグ。 朝、ショボショボ雨が降る時もありましたが、傘を差すほどではなく、午後からは晴れ間も見えました。午前中は湿度が高く、汗をかくくらいでした。 今日の結果は、 スコア:58+58=116 ストローク:39+42=81 パット:19+16=35 103、106、104と直近3回の平均が105を切り安定してきたので、今日も期待したのですが、さんざんでした。ストロークがドライバーは、良かったのですが、得意のはずのフェアウェイウッドが、チョロしたりダフったりで散々。アイアンは、打てばシャンクというひどい状態。途中までわけが分かりませんでした。 最後の方に分かってきたのは、体重移動を意識するあまり、腰が入ってなくて、手打ちになっていたのではないかということです。次回改善です。 救われたのが、アプローチの転がしが良かったのと、パターが大崩れせず35だったこと。 アプローチの転がしは、だいぶ前からピッチングは短く持たず、ヘッドの重さも利用して打つ打ち方で安定してきました。 パットはまだイップスです。2つくらい絶対入れないといけない距離をビビって外しました。色々、今回も試しましたが、短い距離を打つのが怖いのは治っていません。まっすぐ当てればいいだけなのに、それができません。何とかしなければ。【コースちょこちょこ紹介】曾束1番ホール 363ヤード Par4 HDCP2/9 ティーグラウンドからの写真。 OB杭がゼブラ杭になったので、少し楽になった。右は坂を転げ落ちるので、OUTになりやすい。手前のバンカーが大きく2オンがなかなか難しい。【スコア】【費用】ラウンド代(昼食付き):7,550円高速代:1,150円+1,140円(大津ICから) 帰りに、大津市図書館に寄りました。これは明日の日記に書きます。 よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村___________________________________「日本でのゴルフ」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=7「ゴルフ他@米国」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=3
2017/10/03
コメント(0)

【2017年10月2日(月)】今朝の読売新聞朝刊の記事。 今度の選挙は語弊はあるが面白い。まさか「腐っても鯛」の民進党が消えてなくなるとは思わなかった。今回戦って、空中分解に進むのではないかと思っていた。 小池さんには期待していた。文句を言うだけでなく、ちゃんと政治をしながら、旧弊を打破する。そんな保守でありながら清新なイメージがあった。だから、若い人材を育てながら、時間をかけて勢力作りをして欲しかった。将来は首相になってもらってもよかった。 それが今回の急転直下。安倍さんが「今なら勝てる」と選挙を仕組んだのに対して、挑んだわけだが、そのために瀕死の民進党から一方的『はないちもんめ』で人をかき集めるとは。ちょい記事だが、上の記事、なりふり構わない小池さん。 果たして、小池さん勝つか、はたまた功績は民進党潰しに終わったとなるか。 私は、政策と選挙に至る手法にも注目して投票先を決めたい。 京都の三大祭り「時代祭」の日である。同じ日に「鞍馬の火祭」がある。祭と重なって、鞍馬ではいつもとは違う投票所になるようだ。 さて、日記です。 昨日、私の健康診断結果のことを書きましたが、同時に来たそこに家内の結果には、懸念事項がありました。 今日、予約なしですが、近所の私立大病院K病院に行ってきました。診察も時間はかかるわ、薬局でも1時間近く待たされるわで、大変だったようです。 待てど暮らせど帰って来ないので、何か悪い結果で、さらに検査をしてもらっているのではないかと、私は家で心配していました。しかし、ようやく帰ってきた家内に聞くと、特に心配することなしとのことで一安心。一日仕事の甲斐ありました。 私のほうは、公私OFF日で、溜めたブログ書いたり、三味線練習でした。よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2017/10/02
コメント(2)

【2017年10月1日(日)】 9月6日受けた健康診断(こちら)の結果が昨日届きました。 特に大きな変化はなしです。今回、昨年同様、腫瘍マーカーの検査を受けましたが、昨年同様異常なしでした。今回、初めてピロリ菌の検査も受けましたが、こちらも異常なしでした。 家内のほうが、いくつか変化があったので、近日中に通院で診てもらう予定です。ちょっと心配です。 今日、明日は公私OFF日。ここしばらく忙しかったので、たまったブログ日記を書いたり、津軽三味線の練習などしました。家内は高槻の実家訪問でした。よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2017/10/01
コメント(2)
全40件 (40件中 1-40件目)
1