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【2017年8月31日(木)】 清水寺随求堂のガイド勤務第14日でした。 夏休みも既に終わった学校も多い平日だし、修学旅行シーズンではないので、ゆとりをもってご案内できました。 それに何よりも暑さが和らいだのが助かりました。朝、清水寺に上がってくるときもほとんど汗をかかなっかたし、案内中も暑いと感じることはありませんでした。今日の最高気温は30.8度。平年値は32.2度なので、平年より少し涼しめでした。全然疲れ方が違いました。このまま涼しくなっていって欲しいものです。 全国的に夏休みが短くなっているのでしょうか、8月なのにもう修学旅行の生徒を見かけます。しかし、まだまだ少ないので、また外国人の比率が高くなりました。感触的には90%くらいでしょうか。一日楽しく案内をさせていただくことができました。 無料拝観エリアの見所のご案内を続けます。 ●測量基準点標石 清水寺仁王門の縁の北西エリアに設置されています。 明治時代に地図を作るための測量用に設置されました。近くの看板に詳しく説明されています。 基準点は9箇所設置されていましたが、残っているのはここだけとのことです。 いつもなら晩酌ですが、明日の二条城ガイドがあるので我慢。昨日「紙芝居」は完成できたので、夕食後、明日の「しゃべり」の内容を頭の中で整理しました。幸い十分準備する時間があって、準備不足という状態は避けるきおとができました。 明日は天気も良さそうですし、気温も高くはなさそうです。私の案内さえちゃんとできれば、皆さん熱心に聞いていただけると思います。私自身も楽しいガイドができるはずです。がんばります。(内容再考版。原文は非公開日記に移動済み。)-------------------------------------------------------------------よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2017/08/31
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【2017年8月30日(水)】 最近観た映画、「ダイヤルMを廻せ!」。テレビの録画からです。題名:ダイヤルMを廻せ!原題:Dial M for Murder配給:ワーナーブラザーズ公開年:1954年(日本公開も同年)上映時間:105分製作国:アメリカ合衆国監督: アルフレッド・ヒッチコック原作: フレデリック・ノット音楽: ディミトリ・ティオムキン【主な配役】トニー:レイ・ミランド マーゴ:グレース・ケリーマーク・ハリディ:ロバート・カミングスハバード警部:ジョン・ウィリアムズ 【あらすじ】 ネット情報に譲ります。 【感想】 手の込んだ殺人の準備、殺人者が逆に殺されるという展開、そして真犯人をすんでのところで見つけて追及する。面白い映画でした。 恒例のヒッチコック監督のカメオ出演は、トニーの出身大学の同窓会の出席者のひとりとして、記念写真の中に登場するそうですが、気付きませんでした。 このブログを書いていて、カメオ出演という言葉を初めて目にしました。カメオ出演とは、俳優や歌手、監督、時には政治家やスポーツ選手などがゲストとしてほんの短い時間、映画やドラマ、舞台に出演することですが、遠目からでもはっきりと分かる装飾品のカメオからそう呼ばれるようになったそうです。カメオ さて、今日はガイドOFF日4連続日の最終日。今日も、9月1日の二条城ガイドの紙芝居作成継続です。昨日は、本丸天守閣跡まで何とか終えました。今日は、残りの部分をほぼ仕上げることができました。 こうやって資料を作っているうちに、現場を確認したいところがいくつか出てきました。そのため、今日、二条城を短時間でも見学しておきたいと思ったのですが、往復の時間ももったいないです。当日は午後からですので、早めに行って見学することにします。 明日は終日随求堂のガイドですが、帰ってきてから「特別休肝日」にして、資料の修正、最後の頭の整理をして、明後日に臨みます。よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2017/08/30
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【2017年8月29日(火)】 最近観た映画、「序の舞」。テレビの録画からです。題名:序の舞製作・配給:東映公開年:1984年上映時間:145分監督: 中島貞夫原作: 宮尾登美子音楽: 黛敏郎【主な配役】(役の重要度は無視して、私の知っている人を挙げています)島村津也: 名取裕子島村勢以: 岡田茉莉子高木松溪: 佐藤慶西内太鳳: 風間杜夫島村志満: 水沢アキ村上徳二: 三田村邦彦勢以の少女時代: 小林綾子商家の女子衆: 山村紅葉川上音二郎: なぎらけんいち島村甚八: 大坂志郎喜代次: 三田佳子島村麻: 菅井きんちきりやの内儀: 高峰三枝子ナレーション: 市原悦子【あらすじ】ネット情報に譲ります。 【コメント】 主人公のモデルになったのは、日本画家の上村松園。明治時代の女性の画家で、京都下京に生まれ育ち、女性の目を通して「美人画」を描きました。1948年(昭和23年)女性として初めて文化勲章を受章しました。 下の作品が小説・映画の題名にもなった「序の舞」。 子の上村松篁、孫の上村淳之も日本画家です。ちょうど読売新聞の京都版で上村淳之氏が松園や松篁の思い出を交えながらの連載を寄稿されています。そこに「『序の舞』の中で祖母の生涯がかなり脚色されていて不満だった。」というようなことを書いておられたと記憶しています。それが、原作の小説だったのか、映画だったかのかは、記憶にないし、私は原作を読んでないので、どちらのことを言っておられたのかは分かりませんが。 松園は未婚の母というのは事実で、その父は師事した四条派の鈴木松年ではないかと言われているようで、それだけでも波乱万丈ですが、映画のあらすじや描写はさらに強烈に脚色されているのではないかとの印象を受けました。母が遺した本に「序の舞」があったと思うので、読んでみたいなと思っています。 今日はガイド4連続OFF日の3日目です。9月1日の二条城ガイドの準備ができるのは、実質今日と明日のみ。昨日、二の丸御殿までは最低限準備を終わりたいと書きましたが、大政奉還のプロセスを色々調べるうちに時間が経ち、結局、二の丸御殿の大広間までしか終わりませんでした。今日何とか、二の丸御殿の残りと、本丸御殿エリアを終わりたいと思います。 午後から、高槻の義父・義母が車で来てくれました。長女のベビーに初対面です。初曾孫です。こうやって、車を運転して来てもらえるような元気な状態で曾孫に面会してもらえるなんて幸せなことです。よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2017/08/29
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【2017年8月28日(月)】2017年8月21日(月)読売新聞朝刊の記事。 1時間80ミリ以上の「猛烈な雨」が降る頻度は、約30年間で約7割増えているとのこと。 土砂災害が頻繁に起こるようになったので、さもありなんと思いましたが、身近でも同じように感じていました。 修学旅行や固定点のガイドをしていて、バケツをひっくり返したような雨に遭遇することが多いなぁと感じています。もちろん、ガイドを始めて最初の夏だし、現役時代は屋内で仕事をしていたので、過去との正確な比較はむつかしいですが、よく聞く亜熱帯の国の毎日のようにやってくるスコールのような雨が増えたのではないかと感じていました。 このデータで私の感触も正しかったのだと分かりました。特に修学旅行のときは落雷に注意ですね。 今日は、4日連続のOFF日の第2日。家内は長女の沐浴を手伝った後、ちょっと遅れてテニスです。私は、昨日に続いて、9月1日の二条城ガイドに向け、赤ちゃんの様子をときどき見ながら、「紙芝居」作成の続きです。 昨日は、まず、東大手門、隅櫓、番所、二条城の歴史、二条城の文化財を新規作成及び途中までだったものを完成。ここまでは案内の順番通りですが、その後、唐門は置いておいて、清流園の変遷、堀川護岸の石垣の銘文・刻印を作成しました。 今日は、唐門、二の丸御殿は最低限終えたいところ。できたら、本丸櫓門、本丸庭園、天守閣跡まで完成させ、明日、残りの本丸御殿、清流園(茶室など)、北大手門を作成して全部完成させ、明後日は修正・追加と必要事項の記憶に充てることができればベストです。現地案内直前の4日間、ガイドが入らなかったのはありがたかったです。 よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2017/08/28
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【2017年8月27日(日)】 2017年8月20日(日)読売新聞朝刊の記事。 国内のバイクの販売減が続いているとのこと。最初このグラフを見たとき、減少傾向が分かりやすいように、垂直軸の販売数の原点をある程度の販売台数のところに設定してるのだろうと思ったら、そうではなくゼロでした。ピークの10分の1にまで減少しているとのこと。 結構、街でバイクは見かけるので、こんなに減少しているというのは驚きでした、ということは、以前はもっとバイクが街を走り回っていたということですね。 大部分を占める原付の減少が主要因だとのこと。軽自動車や電動アシスト自転車の普及で顧客の選択肢が広がったのが主要因のようです。原付は10万円台半ば~20万円台。電動アシスト自転車の単価は10万~15万円。そのうえ免許不要、ガソリン代不要。 この傾向は今後も続くのでしょう。ヤマハ(電動アシスト自転車はもっていますが)、カワサキはどうやって乗り切るのでしょう。 今日から、ガイドのオフ日が4日間続きます。31日の随求堂ガイドの翌日が、「ウェルカムサポーター養成講座」の二条城現地研修の講師です。それにむけて、この4日間で準備です。情報は集めて咀嚼もある程度しましたが、「紙芝居」がほとんどできていません。どこまで追い込めるかです。 お隣さんが、長女のベビーを自宅まで見に来てくださいました。家族以外にお披露目するのは初めてです。実家での「ご近所デビュー」です。 私も今日は沐浴を少し手伝い、アシストに忙しい家内の負担軽減のため、お風呂掃除も。よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2017/08/27
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【2017年8月26日(土)】 下鴨神社ガイド第7日目でした。 このシリーズ、初の当日責任者でした。ガイドをしながら見てきた部分も分かっているようで分からないところがありました。うっかり部分もありました。しかし、いっしょに勤務の方々に色々教えていただきながら、何とかこなすことができました。皆さんに感謝です。 特別参拝所で時々立ち見が出るほど、多くのお客様にお越しいただきました。助かったのは、暑さが和らいだことでした。京都の最高気温は31.0度と昨日より、3.5度低かったです。●三井神社エリアでの案内 その2 三井神社 前回紹介した唐門(こちら)を入ったところに鎮座するのが、三井神社です。 三井神社http://blog.livedoor.jp/myacyouen-hitorigoto/archives/26728344.html 3つの社殿を合わせて三井神社です。下鴨神社の摂社にあたります。摂社とは、主祭神と関係の深い神様をお祀りした神社です。 中社には 賀茂建角身命(かもたけつみのみこと)、東社(向かって右)には伊賀古夜日売命(いかこやひめのみこと)、西社には玉依媛命(たまよりひめのみこと)が祀られています。中社と西社は本殿と同じご祭神ということになります。本殿には賀茂建角身命はお祀りされていませんでしたが、この三井神社では、親子三神が並んでお祀りされていることになります。 寛永5年の造替で、国の重要文化財に指定されています。 「山城国風土記」逸文に、蓼倉里三身社(たでくらのさとみいのやしろ)、「延喜式」三井ノ神社(みいかみのやしろ)とある神社です。 奈良時代から平安時代にかけてこのあたり一帯は蓼倉郷(たでくらごう)と呼ばれていました。三身社の三身とは前述の祭神三神のことです。 三井神社の西にある3つのより小さな神社は末社です。神社名とご祭神は、 北 諏訪社(すわのやしろ) 建御方神(たけみなかたのかみ) 中 小杜社(こもりのやしろ) 水分神(みくまりのかみ) 南 白髭社(しらひげのやしろ) 大伊乃伎命(おおいのきのみこと?) 別名 猿田彦神(さるたひこのかみ) です。末社の三社http://blog.livedoor.jp/myacyouen-hitorigoto/archives/26728344.html 平安時代の下鴨神社社頭絵図・鴨社古図に描かれている神社です。各社の位置などは現在なお変わりません。これらの神社は糺の森を禁足地とし、ご社殿前の斎庭の葵草と苔庭など自然のなかに祀られる、古代神社の姿を伝える貴重な神社です。白髭社には賀茂斎院歴代斎王神霊社(かものさいいんのみたまのやしろ)が合祀されています。歴代斎王の神霊は、元当所の西方にあった賀茂斎院御所に祀られていましたが、文明の乱-1407-により焼失、その後、糺の森の鴨社神宮寺境内に遷座していました。それを、昭和元年頃白髭社に合祀しました。いずれも重要文化財に指定されています。 三井神社、末社の三社とも檜皮葺きの屋根を持った一間社流造です。(以下、2017/9/9追加) 三井神社エリアの南側のガラスショーケースには、いくつか展示物があります。 東側には、明治天皇がご幼少のときに使われた木馬の複製が置かれています。天皇家は明治維新以前は京都にいらっしゃいましたので、明治天皇は幼少期を京都で過ごされました。乗馬を糺の森の馬場でされましたが、その練習用の木馬です。馬の操縦よりも、馬の高さに慣れたり、高い馬に乗る練習用だったと思います。 西側には、3つの横長の絵が展示されています。木の板に描かれた一種の絵馬です。 上2つが明治33年に描かれたもので、上が御蔭祭を描いたものです。御蔭祭は下鴨神社で葵祭(5月15日)に先駆けて5月12日に行われる祭礼です。比叡山の麓、上高野にある下鴨神社の境外摂社、御蔭神社に荒御霊(あらみたま)を迎える神事です。帰りには白い神馬に荒御霊が乗せられて下鴨神社にお着きになります。絵には、荒御霊を載せた白い神馬も描かれています。 真ん中の絵が、葵祭を描いた絵です。斎王の制度は鎌倉時代に廃絶になり、斎王代は昭和31年に創設されたので、この絵には描かれていません。 下の絵は幕末に描かれたもので、文久3年(1863)の孝明天皇の上賀茂・下鴨神社への行幸が描かれています。行幸の目的は攘夷祈願です。攘夷には反対の立場をとっていた徳川幕府ですが、朝廷と手を取り合って国難を乗り切るための公武合体を実現するためには、当時上洛をしていた徳川家茂が、孝明天皇の賀茂行幸のお供をするのもやむを得ないと考えました。絵の中には、孝明天皇の乗った鳳輦や、この徳川家茂、そして後に徳川幕府最後の将軍になる、一橋慶喜の姿も描かれています。(内容再考版。原文は非公開日記に移動済み。)-------------------------------------------------------------------よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2017/08/26
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【2017年8月25日(金)】 清水寺随求堂のガイド勤務第13日でした。学校が始まったところも多く、子供さん、家族連れの方が減ったように思います。京都の最高気温34.5度と、やはり暑い一日でした。 無料拝観エリアの見所ご紹介の続きです。●蜷川虎三氏句碑 ブログ仲間のお一人が蜷川虎三さんを尊敬する人物の一人とされており、清水寺に氏の句碑があると教えてくださいました。過去のガイド関係の訪問時にそれとなく探したのですが、見つけることができませんでした。 今回、朝の集合時間に余裕をもって行くことが多いので、この機会に見つけ出そうと思い、ネットで調べておいて見つけました。 音羽の滝を出口に向かって降りて来ると、大きな十一重塔がありますが、その背後にひっそりと建てられていました。音羽の滝方向への逆行を禁止する表示よりは西側にありますので、拝観券を払わなくても見学できるところにあります。蜷川虎三氏句碑「道はただ一つ その道をゆく 春」(撮影8月9日) 蜷川虎三氏は、元京都府知事。1950年 - 1978年と非常に長く務められました。戦後の京都は蜷川氏とともにあると言っても過言ではないでしょう。私の京都での大学在学時代は氏が知事のときでした。 氏が書かれた「腹の底から憲法でいこう」という本の中には、次のような記述があるそうです。いい人間を育てる道――。「道はただ一つ その道をゆく 春」ってのは、私の句ですが、ただ一つの道、それは昭和二十二年三月三十一日に制定された教育基本法に見るかぎり、まぎれもなく憲法の道である、というのが私の信念です。 蜷川氏と清水寺の大西良慶貫主(共に故人)とは深い親交があった関係でここに句碑が建立されたようです。 ネットで調べていたら、京都市伏見区石田桜木22 (石畑町集会所 前)にも同じ句碑があるようです。 今日は、帰り道に予約してあった歯医者に寄りました。5月に一度右下奥歯が痛くなり、治療をしてもらって、6月にそこそこよくなって定期メンテのモードに戻ったのですが、7月にまた痛くなり、治療再開。今回は同じ右下奥歯ですが、原因となる場所が前回とは少し違ったようです。現状では、両方の歯で噛んでもほとんど痛みを感じないところまで快復しました。来週もう一度来院してOKであれば、定期メンテナンスのモードに戻ります。(内容再考版。原文は非公開日記に移動済み。)-------------------------------------------------------------------よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2017/08/25
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【2017年8月24日(木)】2017年8月19日(金)読売新聞朝刊の記事。 イルカなどの追い込み漁で知られる和歌山県太地町が、中国に小型鯨類を輸出したり、イルカショーの指導もしたりするとのニュース。 「背に腹は代えられない」というところでしょう。ある国、地域の価値観だけで、鯨漁やイルカ漁を批判するのはどうかなと思います(種の保護という観点に立った、漁の制限は必要でしょうが)。太地の方は胸を張ってやればいいと思います。 ドイツに赴任していたとき、会社の食堂で時々ウサギの肉がでました。最初「えぇー!!!」と思いました。日本でも昔は食べていたのでしょうが、今はあまり聞きません、もちろん、ウサギが捕れなくなったということもあるのでしょうが、日本では学校で飼う小動物というと真っ先にウサギを思い浮かべます。そんなこともあって、食べなくなったということもあるかもしれません。 日本でウサギの肉を給食に出すとなったら、日本では猛反対運動が起こるでしょうが、外国からは何ら反対されないと思います。人類共通の一線を超えない部分での善悪の判断は、民族あるいは国、地域の判断に委ねざるを得ないと思います。 今日は終日在宅でしたが、雑紙回収の準備、庭の低木の剪定、駐車場契約、懇親会案内、妹への孫誕生の連絡などなど、ガイドのない日でないとできないことに時間を費やしました。二条城現地研修の準備を進めたかったのですが、現時点(午後9時半)で手付かずです。明日、明後日とガイドが続きますので、これを投稿し終わったら、少しでも前に進めたいと思います。よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2017/08/24
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【2017年8月23日(水)】 下鴨神社ガイド6日目でした。順調に一日終えることができました。 前回「蚊」対策で買った「どこでもべ―プ」を持って行くのを忘れ、今日は大炊殿のガイドで蚊にやられました。この「どこでもべ―プ」気休めだという人もいますが、やはり効果があるようです。次回忘れずに持って行かねばなりません。 今日の京都の最高気温は34.7度。猛暑日にはなりませんでしたが、暑い一日でした。特別拝観エリアの御案内の続きです。●三井神社エリアでの案内 その1 唐門 本殿エリアの西に三井神社のエリアがあります。 三井神社エリアへは、唐門から入ります。唐破風を持っているので、唐門と呼ばれます。約400年前の寛永5年(1628)に造り替えられた門で、重要文化財に指定されています。欄間に掘られた「葡萄」、格子の凝った造りが見所です。 この欄間の「葡萄」は「エビカズラ」という野性の葡萄です。日本神話にこんなお話があります。 イザナギノミコト(伊弉諾尊)とイザナミノミコト(伊弉冉尊)は「国生み」(日本国土創世)をした。しかし、イザナミノミコトは、火の神を産んだために火傷を負って亡くなった。イザナギノミコトは、イザナミノミコトに逢いたい気持ちを捨てきれず、黄泉国(よみのくに)まで逢いに行った。そこで「決して覗いてはいけない」というイザナミノミコトとの約束を破って見てしまう。イザナギノミコトが見たのは、腐敗して蛆にたかられたイザナミノミコトの姿だった。その姿を恐れてイザナギノミコトは地上へ向かって逃げ出した。そのとき鬼に追いかけられ、身に着けていた髪飾りを鬼に投げつけるとそれがエビカズラの実に変わり、鬼から逃げることができた。 このお話から、欄間にエビカズラを持つ唐門を潜ったということは、お祓いを受けて、本宮から三井神社のエリアに入ったということになると云われています。唐門http://www2q.biglobe.ne.jp/~kamada/yomoyamabanasi/01664simokamo.htm(内容再考版。原文は非公開日記に移動済み。) -------------------------------------------------------------------よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2017/08/23
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【2017年8月22日(火)】 研修会(こちら)の後、修学旅行の昼食処下見を兼ねて昼食をとりました。 新京極六角通下ル西側「更科」という「うどん屋」さんに入ってみました。クラシカルな店構えのお店です。 4人掛けのテーブルが7、8台と真ん中に多人数のテーブルがありました。そんなに混んでいないようだし、値段も含め修学旅行には最適と思います。 丼物もありますし、普通の「うどん」や「そば」もありますが、「きしめん」がお薦め品のようです。 メニューには「錦・三木鶏卵の卵を使用」「錦・鳥長さんのもも肉使用」「茨木屋さんの蒲鉾使用」「かわぐち揚げ店の刻み油揚げ使用」などと書かれています。さらに七味も「七味家」さんのが置いてあって、京都らしさもたっぷりです。 私が注文した「梅入りきしめん」。お出汁がとても美味しくて、全部いただいてしまいました。 研究員研究活動のため「歴彩館」に向かいました。→こちら-------------------------------------------------------------------よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2017/08/22
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【2017年8月22日(火)】 今日は午前中にガイド会の研修があり(こちら)、夕刻から三味線レッスンがあったので(こちら)、その間の時間を利用して、伏見稲荷お滝場研究の文献探しをしました。 京都市中央図書館で読みかけの「伏見稲荷大社御鎮座千三百年史」の続きを読もうと思ったのですが、休館日なので、北山にある今年4月にグランドオープンした「京都府立京都学・歴彩館」に初めて行ってみました。 2階の図書室に入ろうとしたところでモニターに京都東山を表した古地図が映し出されていました。この古地図に「お滝場」のことが描かれてはいないかと思い、係の方に書庫から出してきていただきました。大きな古地図を想像したのですが、扇子に描かれた小さなものでした。残念ながら、「お滝場」は描かれてはいませんでしたが、この地図の著者は吉田初三郎で、以前、日文研で閲覧した伏見稲荷の名所図絵と同じ著者だと気付きました。この吉田初三郎はこのような俯瞰図を数多く世に多く送り出しており、京都についてもいくつかの俯瞰図を残していることが分かりました。 旧京都総合資料館のホームページにデジタルデータが公開されています。http://www.pref.kyoto.jp/shiryokan/yoshida-t.html見ているだけで楽しいですし、現在との比較も面白いです。 次に伏見稲荷大社の機関誌「朱(あけ)」のバックナンバーを書庫から出してきていただき、初卷から閲覧を始めました。昭和42年から半年に一度刊行されているようです。今日は時間の関係で、第2巻までの閲覧でしたが、「お滝場」についてに記述は発見できませんでした。 「歴彩館」の方が中央図書館よりは、参考になる図書が多くありそうです。これからも頻繁に足を運ぶことになると思います。 -------------------------------------------------------------------よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2017/08/22
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【2017年8月22日(火)】 今日は、津軽三味線始めて1年と7ヶ月目のレッスン(19回目)。月イチで毎月第3火曜ですが、今月はお盆で変則で今日の第4火曜日でした。 我が家には生まれたばかりの孫がいますので、大きな音が出しにく、この1週間練習ができていません。今日は、ガイド会の研修が京都であったため(こちら)、それが終わってから鴨川べりで練習をしました。屋外での練習は初めてです。 過去ガイドの通勤時、鴨川べりで色んな楽器の練習をしている人を見かけたことがあるので、楽器練習は黙認されているのは知っていました。場所的には河川敷の幅があって、ベンチがあり、あまり人通りがない方が望ましいので、丸太町橋から北がいいのではないかと目星をつけていましたので、丸太町橋の袂で1時間くらい練習しました。木陰のベンチに座りはしましたが、暑くて汗が出るので、その汗が三味線の皮に当たらないように、汗を拭き拭きの練習でした。 四条河原町のシカタビル8、9階の「十字屋カルチャーセンター」でレッスンを受けてきましたが、耐震工事のため閉鎖になり、来月からは河原町御池の「ジュージヤ・フォーラム御池」でのレッスンになります。今日が、シカタビルでの最後の練習でした。 先月もらった課題曲「よされ節(歌部分)」をレッスンで初めて弾きましたが、多々楽譜の理解不足がありました。先生手書きの楽譜で「Aイコ」と書かれた部分がありましたが、これは「タイコ」と書かれたのを「Aイコ」と読んでしまっていたいうことが分かりました。以前もらった楽譜に、イントロ部分から歌部分に移るパートがあり、これを「タイコ」と呼ぶようで(この部分には太鼓の伴奏が入るのでこう呼ばれるのでしょう)、このパートを弾きなさいということだったようです。 もう一つ、「4↑6↓4」と書かれた部分は、左手指をスライドさせながら、4、6、4とバチを使って弾いていたのですが、バチで弾くのは最初の4だけで、次の6と4は指をスライドさせるだけというのが分かりました。 孫がしばらく我が家にいるので、練習しにくい状況が続きます。どうしたものかと思案中です。 よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村-------------------------------------------------------------------津軽三味線練習カテゴリー投稿一覧http://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=33
2017/08/22
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【2017年8月22日(火)】 次女は8月17日に東京から来ましたが、今朝、家内が最寄りの駅まで送って行って東京に戻りました。今日は東京に帰って仕事だとのこと。次は、里帰り出産で11月下旬ごろ来ることになると思います。 長女は出産10日目の検診でした。赤ちゃんの体重は順調に増えていて、母子ともに健康です。 私は、今日は色々と忙しかった一日でした。 1)9:30~11:30 研修会(後で説明)。 2)鴨川縁で三味線練習(こちら)。 3)昼食を兼ね、四条河原町近辺の修学旅行食事処を一軒見学(こちら)。 4)「歴彩館」で、伏見稲荷大社関連の図書を閲覧(こちら)。 5)17:00~三味線レッスン(こちら)。 ここでは(1)の研修について書きます。 「ここまでわかった幕末」シリーズとして、京都女子大非常勤講師の中村武生先生に3回お話をいただきます。今日はその1回目「薩長同盟」でした。http://tempo.knt.co.jp/shop_search/1324/seminar/hakodate.html 要約です。 「薩長同盟」成立過程をについて、それを知り得る当事者による資料は2つしかない。いずれも木戸孝允の手によるもので、一つは晩年に記した回想。もう一つは、同盟の6ヵ条を記した、坂本龍馬宛書簡。これらの資料により、坂本龍馬が薩長同盟成立に大きく関わり、薩長同盟は「断乎幕府と決戦」を意識したものであると信じられている。 しかし、青山忠正氏は、木戸自自叙の内容に疑義を呈した。「薩長同盟」の主たる狙いは「決戦」ではなく、「戦争回避」であると。 また宮地正人氏は、「市岡家文書」から、一会桑(一橋・会津・桑名)勢力はおろか、幕府軍との抗戦や天皇奪取まで計画されていたとする。 三宅紹宣氏は、「同盟」の日の特定を試みた。1月18日、20日、21日、22日の4説あるが、詳細検討され、1月21日とした。 本年、町田明広氏は、「同盟」研究の常識をいくつも覆す説を唱えた。一例をあげると、「同盟」は坂本到来以前に決着していたというもの。すなわち、坂本は薩長同盟成立にそれほど寄与していないというもの。 「薩長同盟」という言葉は知っていても、内容は知りませんでした。今回の研修でかなり突っ込んで知ることができたし、まだまだ分からないところが多くあるということもよく分かりました。 熱く語っていただいた2時間。価値のある研修でした。(内容再考版。原文は非公開日記に移動済み。)-------------------------------------------------------------------よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2017/08/22
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【2017年8月21日(月)】 某講座の二条城現地研修で、私が講師を担当するので、2回目の下見に行ってきました。 受講生は40人くらいです。二人ペアで2班に分けて案内します。二人で話す内容を合わせる必要はありませんが、訪問する場所は合致させておく必要があります。 前回6月14日は私単独で下見をしましたが(こちら)、今回は当日ペアを組む方といっしょに回りました。さらに次回半年後二条城を担当される方も合流されました。 午後9時に東大手門前集合でしたが、早めに行って、南西隅櫓、西門、北大手門を外から見学。さらに堀川の遊歩道に降りて、図書館で借りた本で知った、堀川の石垣に刻印された各班のマークを観察しました。しかし、あまりはっきりは残っていません。面白そうだったら、研修当日、正式時間が終わってから、興味のある受講生だけ連れて行ってもいいなぁと思っていましたが、このアイデアはボツです。当日、解散する際に紹介だけして、興味がある人だけ行ってくださいという程度にしようと思います。南西隅櫓 南東隅櫓が「千鳥破風」なのに対して、こちらは「唐破風」西門 堀外側から門に向って出っ張りがあり、橋が架かっていたことが分かります。北大手門堀川護岸壁の石垣刻印 工事を担当した班の刻印が多くあり説明板も立てらています。 しかし簡単には見つかりませんでした。唯一パッと見で見つけた刻印 続いて9時から3人で当日の想定コースを時間をじっくりかけて見て回りました。前回下見時、二の丸御殿内の説明板をICレコーダに録音し、それをテキストにしてありました。二の丸御殿内では、その誤字脱字などを確認しながらの見学でした。暑くて大変でしたが約3時間をかけて、本丸庭園、清流園も含め想定コースを歩きました。 ペアの方は、公募ガイドで二条城を以前案内されたことがあり(私は修学旅行のみ)、私よりよくご存知なので、色々教えていただきました。修学旅行では、せいぜい30分か40分の案内ですが、この研修は1時間半から2時間の案内ですので、それ相応の専門知識が要求されます。 想定コースを歩いた後、休憩所で昼食をとりながら、当日、2班のタイムラグをどのようにして設けるかも相談して決めました。 その後解散して、各人で見学しました。私は、もう一度想定コースを観て回りました。二の丸庭園の名勝指定を示す2つの石碑昭和14年「名勝」に指定される昭和28年「特別名勝」に指定される 最後に今まで入ったことがなかった収蔵庫にも入り、展示中の黒書院壁画を見学しました。 午後3時過ぎまで二条城にいて、その後京都中央図書館に寄って、以前借りた二条城についての図書を借りました。 午後早くには帰宅するつもろでしたが、戻ったのは午後5時頃でした。暑さで疲労困憊でしたが、色々と収穫のあった下見でした。あとは収集した情報を使って、当日どのように説明するかを決め、それを頭の中に叩きこみ、そして「紙芝居」を作成しなければなりません。 明日22日は別件で外出、23日、26日は下鴨神社ガイド、25日、31日は随求堂ガイドですので、24,27,28,29,30日の5日間でやり切ってしまわなければなりません。 次女は午後から京都でインタビューの仕事でした。明日は、東京に帰ります。(内容再考版。原文は非公開日記に移動済み。)-------------------------------------------------------------------よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2017/08/21
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【2017年8月20日(日)】 清水寺随求堂のガイド勤務第12日でした。順調にご案内できました。今日も、京都の最高気温は35.3度と暑い一日でした。 無料拝観エリアの御案内の続きです。 前回、近藤正慎顕彰碑を紹介しました。今日は、もう一人幕末期、清水寺に忠義を尽くした人物、大槻重助を紹介します。 ●大槻重助 天保9(1838)年~明治26(1893)年。江戸時代末期・明治期の僧月照の僕。 安政の大獄が起こると月照に従い薩摩入りします。月照上人の入水後、その遺品を京都に持ち帰った重助は、京都に戻った後、捕えられ、六角牢獄につながれます。そこで同じく獄中にあった信海上人と再会。信海上人は後に江戸に送られ、伝馬町牢内で病死するのですが、このとき重助は、信海から後事を託されます。 重助はやがて解放され、一旦は生まれ故郷に帰ったものの、再び清水寺に戻ります。生涯、月照・信海両上人のお墓を守り続け、清水寺で夫婦でささやかな茶店を開くことが許されました。 明治7年(1874)の、月照上人の17回忌の際には、薩摩で西郷隆盛から上人を悼む漢詩を託されます。以前紹介した、境内北総門の北にある「月照上人・信海上人慰霊碑」のうち、向かって右にある石碑に、西郷の詠んだ「相約して淵に投ず」の漢詩を見ることができます。 顕彰碑がその「慰霊碑」の左側手前に立ち、西郷隆盛の弟、西郷従道による篆書が刻まれています。 上記の茶店は、開店当初は名前もなくかなりみすぼらしい茶店だったようです。現在、音羽の滝を下ったところの茶店「忠僕茶屋」がそのお店です。大槻重助の顕彰碑(内容再考版。原文は非公開日記に移動済み。)-------------------------------------------------------------------よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2017/08/20
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2017年8月18日(金)読売新聞朝刊 ロシアが健康大国へ走るという記事。 ウォッカの飲み過ぎで平均寿命が短く、女性は30歳を過ぎるとぶくぶくと太るというロシアのイメージ。 それが、健康ブームの広がりで、ウォッカの消費量が激減し、平均寿命が延び、ジョギングする人が増えているとのこと。 そのなかで驚いたのは、一時男性の平均寿命が58~59歳まで落ち込んだということ。ウォッカの飲み過ぎで平均寿命が短いという話は聞いたことがありましたが、まさかここまで短かい時期があったとは驚きです。私はもう死んでてもおかしくはありません。改善したというものの、まだ66歳程度。 決して家計が豊かになっているわけではないようです。記事の最後にあったロシアの大学教授のコメント「健康維持のためにサプリメントを買うのは高価だが、運動と節酒に金はかからない。」に納得。 私が、週2回休肝日を設け、通勤をできるだけ徒歩にしているのと、どことなく似ており、さらに納得。よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2017/08/19
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2017年8月17日(木) 読売新聞 私の住む京都では切実感がないですが、東日本は長雨とのこと。 東京は16日連続で、8月としては、1977年の22日に次ぐ記録とのこと。仙台は8月6~15日の10日間の日照時間が、たったの5時間で平年の10%、東京でも50%。農作物に大きな影響が出ているようです。よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2017/08/17
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2017年8月17日(木)読売新聞「異国ログ」コラムから ユダヤ教の安息日。家電のスイッチを押すのもダメ。 キリスト教は一応日曜日が安息日とされています。ドイツに住んでいたころ、庭の草刈りも労働と見なされるので、日曜日は庭の草刈りはしないほうがいいと言われたりもしました。日曜日にガソリンスタンドは営業していましたが、併設する洗車場は営業していませんでした。洗車は労働とみなされるからだとのことでした。日本人にはなかなかピンとこないところです。よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2017/08/17
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【2017年8月15日(火)】 今日は、三重にお盆のお墓参りに行く予定でしたが、天気が悪いので明日に延期しました。明日もお天気は決して良くはないようですが、快復途上だと思われるので。 粒子線医療センターに9回目の「マイカルテ」(こちら)を送ったのが8月8日でした。その返送が今日早くも到着しました。1週間での返送です。最初は2ヵ月くらいかかっていたのですが、前回は担当医師を増やしたとのことで、約1ヵ月で返ってきました。今回は1週間。驚異的なスピードです。 内容は下記。特に問題はありません。 今日は赤ちゃん誕生4日目です。夕刻、家内といっしょに、長女と赤ちゃんに会いに、三菱京都病院に行きました。4日連続です。家内に「あなたは毎日行かんでもいいやん。」と言われましたが、やはり日に日に成長する赤ちゃんを毎日見たい。 途中でドラッグストアに寄って、長女に頼まれた薬を買い、最寄りのベビー用品屋さんNに寄って、空気入れ式のベビーバスを買いました。この店のベビー用品会社はM社退職後勤務した会社です。「がん」を患って、2年で退職しました。退職後N社の店に入るのは初めてです。私の担当していた商品であるパジャマも見て、私が担当していた時代と同じデザインもまだまだ残っていてなつかしかったです。売る側ではなく、買う側になったというのも感慨深いものがあります。 授乳中だったため、しばらく待って病室へ。ちょうど「うんち」をしてオムツを替えるところでしたので、初めて裸の姿も見ることができました。まだまだ華奢です。目を開いている時間も長く、泣いたり、くしゃみしたり、手足を動かしたり、日に日に動きが豊かになっています。 お盆ですので、帰宅後、忙しくてできていなかったお仏壇のお勤めもして、お飾りも出しました。 よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村_________________________________過去の治療履歴は下記を参考にしてください。がん治療日記:http://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=10がん治療振り返り:http://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=11
2017/08/15
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【2017年8月14日(月)】 清水寺随求堂のガイド勤務第11日でした。 やはり夏休み、お盆ということで、お客様も多く、日本人の構成比が高かったです。 人数が多いと遠くのお客様にもお聞きいただけるよう大きな声を出さなければなりません。またしゃべる合計時間も長くなります。今日は、声が途中で枯れ気味になることもありました。唯一助かったのは、気温がそれほど高くならなったことです。京都の最高気温は31.9度でした。 今日から3日間は、夜間拝観もあります。清水寺本堂の拝観料は同じ(大人400円)ですが、一旦通常拝観を締め切ってお客様に出ていただいたうえ、18:30からの入場で、受付は門前になるそうです。随求堂も開けるとのことです。 本堂の夜間拝観は一度観たいとは思いますが、ベビー誕生、9月1日二条城ガイドの準備もあるので、来年にします。 随求堂勤務の日記のあと、有料の本堂エリアに入るまでの、スポットを案内しています。 ●近藤正慎顕彰碑 前回の随求堂第10日で信海・月照歌碑と西郷隆盛詩碑について書きました(こちら)。この近藤正慎顕彰碑は、その区画内東側に、それらの碑に寄りそうように建っています。 近藤 正慎(しょうしん)(文化13年(1816)- 安政5年(1858年))は、江戸時代末期の尊王攘夷運動家で、清水寺寺侍。丹波国桑田郡(現・京都府)生まれで、京都清水寺成就院で出家し、兄弟僧であった月照を支援し尊攘運動に身を投じました。 安政の大獄に連座して捕縛され、六角獄舎において、月照の行方について拷問を受けながら問われましたが、全く白状せず、獄中で舌を噛み切って壁に頭を打ちつけて自害しました。この碑はその近藤正慎を顕彰したものです。明治維新後、従五位に列せられたため、そのことが刻銘にも表されています。 清水寺はこの近藤正慎の功績に報いるため、遺族や家族たちの生計になればと、境内茶屋の開設権利を与えました。その家系が営む茶屋は「舌切茶屋」と呼ばれるようになりました。現在の茶屋はいずれも4代目によって営まれ、音羽の滝から出口に向かう道の左側で、お参りを終えた参拝者の憩いの場として、賑わいをみせています。 近藤正慎の孫に陶磁器の人間国宝である近藤悠三、曾孫に俳優の近藤正臣がいます。 近藤正慎のお墓は、東山通を霊山護国神社に向かって東に入って、南側の青龍寺にあります。 今日は、長女のベビー誕生3日目です。名古屋の旦那のご両親が、車で赤ちゃんに面会に来てくださいました。家内が高槻の実家のお墓参りがあり、午後3時以降しか、病院に行けないので、わざわざその時間に合わせてくださいました。しかし、お母様は旅行好きなので、早めに来て、まず車で将軍塚に行かれ、車を病院に置いて、電車で嵐山に行かれたとのことでした。 私は仕事を終えた後、家内に最寄駅まで迎えに来てもらって面会に行きましたが、ご両親はお帰りになった後で、お会いできませんでした。 昨日は、手で顔をかくためか、顔のところどころが赤くなっていましたが、きょうはキレイになっていました。毎日、なんのかんのと心配してしまいます。(守秘義務再考版。原文は非公開日記に移動済み。)-------------------------------------------------------------------よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2017/08/14
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【2017年8月13日(日)】 昨日、長女にベビーが誕生し、名古屋からその旦那が京都に来ていて、昨日は我が家に一泊。今朝、今日は面会時間までどうする?と聞いたら、どこか京都をぶらぶらしてみたいと言います。それならということで、ネットで京都のお盆の行事を探して、千本ゑんま堂の「おしょらいさん」にいっしょに行くことにしました。 私は千本ゑんま堂は何回か行ったことがありますが、「おしょらいさん」は初めてです。家内は、千本ゑんま堂に行くのが初めてでした。一昨年は「六地蔵」、昨年は「六道詣り」と、京のお盆の行事3年連続で体験です。 千本ゑんま堂は、千本今出川を北に上がったところにあり、境内に駐車場があったと記憶しています。車が2台待っていたので、その後ろに付けて、10分ほど待って停めることができました。 千本ゑんま堂は、正式名称は、引接寺(いんじょうじ)。高野山真言宗に属します。引接とは、仏が我々人間をあの世に導いてくれるという意味です。その名の通りこのお寺は、かつての京都の三大墓地の一つであった蓮台野(れんだいの)(他の2つは化野(あだしの)、鳥辺野(とりべの))の入り口に立っています。 寛仁年間(1017 – 1021年)、源信の弟弟子の定覚により開山されたと伝えます。現世と冥土を行き来して閻魔王とも交流したという伝承のある小野篁(802年 – 853年)を開基とする説もあります。文永10年(1273年)、明善律師によって中興されました。 千本ゑんま堂で5月1日から4日まで行われる千本ゑんま堂大念佛狂言は、壬生狂言・嵯峨大念仏狂言と並ぶ京都三大念仏狂言の一つです。他が無言劇であるのに対し、セリフがあるのが特徴です。定覚上人が布教のため、大念仏法会を始めた事が起こりと伝えられています。 ちょっと「おしょらいさん」の参拝順番がよく分かりませんでしたが、まず本堂にお参り。 本堂には、閻魔王坐像(長享2年・1488年、仏師定勢作)を本尊とし、脇侍として左に司命、右に司録が安置されています。いつもは、確かガラス戸があって中が見にくいのですが、今日は開放されていて拝観しやすかったです。天井の格子の花の絵もきれいです。 お線香を献じ、本堂の中で卒塔婆を買い求め(300円)、「XX家先祖代々の霊」とお寺の方に書き入れていただきました。(帰ってきてからネットで調べたら、卒塔婆を書いていただいた後、線香でまず自分自身と卒塔婆を清め、そして閻魔様にお参りするのが正式な順序のようです) 卒塔婆を持って、本堂の北側にある精霊堂(開山堂)に向かいます。ここには、開山定覺上人像(右)、えんま法王本地 地蔵菩薩(中央)、ゑんま堂開基 小野篁卿(左)の像がお祀りされています。ここで閻魔様の朱印を卒塔婆に押していただきます。 そしてそれをこの建物の裏側の水燈華供養池に持っていき、卒塔婆の下側を向こう側にして、柄杓で水を3回掛けます。そして、柄杓の上に卒塔婆を置いて、静かに水の上に置きます。水流が起こされていて、右から左に流れていきますが、うまく流れなければ柄杓で送ってあげます。この池の畔には、多くのお地蔵様が安置されていますが、朱雀大路より発掘されたということです。 この池の北側に十重石塔(重要文化財)が立っています。紫式部の供養塔といわれます。一般的な塔は十三重などの奇数なので、十重は珍しいです。南北朝時代の至徳三年(1386)、圓阿上人(えんあしょうにん)の勧請により建立されたとの刻銘があります。そばには紫式部像もあります。 供養塔の右側に少しだけ見えているのが、普賢象桜(ふげんぞうざくら)です。この桜は、後小松天皇から下賜されたといわれ、現在の樹は、佐野藤右衛門氏の寄進によるものです。花の芯から双葉の芽が出て、それが普賢菩薩が乗っている象の牙の形に似ているところから名付けられたといわれ、遅咲きの八重桜で、散るときは花冠ごと落ちます。 施餓鬼壇が置かれていました。その説明板には下記のように書かれていました。「我々生き物は六道の世界で生と死を繰り返しています。六道とは地獄道、餓鬼道、畜生道、修羅道、人間道、天道のことです。 お盆にはなくなった人たちの精霊がこの世に戻ってきます。皆さんのご先祖さんたちは、皆さんの家庭で丁重に迎えられますが、迎えてもらえられない精霊あります。そんな精霊もともに迎えて供養してあげようと言うのが施餓鬼です。 特に地獄道、餓鬼道、畜生道に堕ちている精霊たちは、この施餓鬼壇に集まってきています。有縁の精霊だけではなく、無縁の精霊、三界のすべての精霊を供養することは、大きな功徳を積むことになります。」 「施餓鬼」という言葉は聞いたことがありましたが、こういう意味があるのは知りませんでした。お盆になると、京都のスーパーでは、この施餓鬼用の野菜セットを見かけます。 そして最後に鐘楼で「迎え鐘」を撞きました。 時間があったので、近くの石像寺(しゃくぞうじ)(釘抜地蔵)に行きました。車を千本閻魔堂に置いたままでもよかったのですが、駐車場の誘導員から怒られるかもしれないので、車を移動してコインパークへ駐車しました。 浄土宗の寺院。弘仁(こうにん)元年(819)に空海が建立し、のち俊乗坊重源(ちょうげん)が浄土宗に改めました。通称の釘抜地蔵は地蔵堂の弘法大師作と伝わる石造地蔵菩薩立像に由来します。もとは苦抜地蔵と呼ばれていましたが、前世の罪で手の病気に苦しむ商人が夢に地蔵菩薩が現われ、手に突き刺さっていた二本の釘を抜いて救ったことから釘抜地蔵と呼ばれて、苦しみを抜くという信仰が生まれました。門と大きな釘抜き・釘 よだれかけのようなものが掛かっているので、お地蔵さんに見立てたのかも。門を入ったすぐ左に山号の「家隆山(かりゅうざん)」の銘が入った井戸。 今も現役で、手水を汲みあげているようです。地蔵堂地蔵堂前の大きな釘抜きと釘地蔵堂を取り囲むお礼の絵馬 この日も何人かの方が、病気平癒を祈願して、お堂を周りながらお参りをしていらっしゃいました。 下記が正式な参拝方法のようです。1)ろうそくと線香に火をともし、2)竹の棒を数え年分箱から取り (お堂の向かって右に箱が取りつけられています)、3)正面に居られる地蔵菩薩様に手を合わせ拝む4)願い事をとなえながら、時計回りに歩いて地蔵堂をまわり、 5)1周するごとに箱に竹の棒を納めるあとは3)、4)、5)を繰り返します。 手や竹の棒で、お堂正面の宝珠や五鈷杵を撫でたり、棒を触れたりする方もおられます。 地蔵堂裏の石造阿弥陀三尊像(重要文化財) 鎌倉時代初期の傑作。中尊阿弥陀如来像は高さ約1.2メートル。中尊光背裏の銘により、伊勢権守佐伯朝臣為家なる人物が願主となって元仁2年(1225年)に完成したことがわかります。制作年の明らかな鎌倉時代の石造彫刻の基準作として貴重だそうです。弘法大師三井の一つ加持水 ちょっと分かりにくですが、奥には墓地があり、そこにあります。 墓地には、藤原定家、家隆の墓と伝えるものがあります。この辺りは、定家、家隆の住んだところと云われています。 家内は、両寺院とも初めてでしたが、小さいお寺ながら、街中の素朴な趣のあるお寺で、気に入ったようです。長女の旦那も、名古屋ではなかなか経験できないであろう風習を体験できて、喜んでくれたと思います。 病院へ向かう途中お昼時になったので、これも京都ローカルの「新福菜館」で、真っ黒い出汁の「中華そば」と、濃厚味の「焼き飯」を食べました。 病院で長女に面会。すでに赤ちゃんは病室に来ていました。少体重による特別ケア室は一日だけでした。当初高かった白血球も正常値になったとのこと。母乳もあげたようです。赤ちゃんは、昨日はガラス越しでしたが、今日は近くで面会できました。触れることもできました。昨日より、少し顔立ちがはっきりしたようにも思います。長女は少し腰をかがめながら、ゆっくり歩いていましたが、昨日よりはさらに快復したようです。一安心といったところです。 旦那をJR桂川駅まで送りました。明日、旦那のお父さん、お母さんが、車で面会に来てくださるようです。お盆で渋滞が心配ですが。-------------------------------------------------------------------よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2017/08/13
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【2017年8月12日(土)】 長女に赤ちゃん誕生です。私にとっては初孫。 長女は名古屋に住んでいますが、出産のため7月初めから京都に里帰りしていました。 予定日は8月16日でしたが、検診で早くなりそうと言われていました。しかし、なかなか兆候が現れず、やきもきしていました。今日の深夜、陣痛と思われる様態があり、家内といっしょに車で病院に連れて行き、朝5時頃入院。いったん我々は帰りました。 そして9時頃、長女から電話があり、8時5分頃無事赤ちゃん誕生との報を受けました。前から分かっていましたが、男の子です。母子ともに健康とのこと。名古屋の旦那に電話したら、「休みなのですぐ行きます。」とのことで、昼過ぎに旦那といっしょに病院に駆け付けました。 骨盤が狭いため難産だったので、長女はしんどそうでしたが、無事出産したという安堵もあって元気でした。赤ちゃんは、もともと小さめなのは分かっていたのですが、体重が少ないので特別ケア室の中です。中には長女夫妻しか入れないので、私と家内はガラス越しの対面でした。体重が少なめなので、ちょっと小さいかなという感じはありましたが、目鼻立ちははっきりしていて、とてもカワイイです(じじ馬鹿)。ときおり手を動かしたり、泣いたりするのを見て、ちょっとウルウルきました。 旦那は我が家に一泊です。名前は、以前からいくつか候補を選択していましたが、最後は赤ちゃんの顔を見て決めると言っていました。夕食時、名前を決めたと聞きました。お父さんの名前の一字を冠した古風な名前ですが、とてもいい名前です。旦那は親から「タカくん」と呼ばれているので、赤ちゃんは「タァ君」と呼ぼうかとか、そんな話をしました。 今日は、午後、M社の「おーい会」の飲み会でしたが、幹事さんにキャンセルをお願いしました。嬉しいドタキャンです。 -------------------------------------------------------------------よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2017/08/12
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【2017年8月11日(金)】 清水寺随求堂のガイド勤務第10日でした。 今日は、金曜日ですが、「海の日」で祝日。そのことを失念していて、朝、平日ダイヤのバスの時間で支度して、バス停に行って気が付いて一旦家に戻りました。帰りも、土日祝日は五条通バスがちょうどいいのがないので、阪急四条河原町経由で帰るのですが、やはり失念していて、五条坂方面に下ってしまって遠回りをしてしまいました。まだまだ土日祝日なのに平日と間違うことが多くあります。基本的に土日祝日は勤務日でなかったサラリーマン時代の習性が身にしみついているようです。 祝日、夏休み、千日詣りが重なり、多くの方に拝観いただきました。日本人の構成比が、推定ですが6割から7割と非常に高ったです。お盆時期は、宿泊料も特別料金になるので、海外からの観光客が避けるためだと思います。 そして今日も暑い一日でした。京都の最高気温は、35.6度と連日の35.5度超えです。昨日の35.5度超えた日のリストに今日のデータを加えると、 8月6日 36.7度 随求堂勤務 9日 35.7度 随求堂勤務 10日(昨日)35.8度 下鴨神社勤務 11日(今日)35.6 随求堂勤務 35.5度超えの日すべてが勤務日という悲惨な状況が続いています。 無料拝観エリアの見所紹介の続きです。●信海・月照歌碑、西郷隆盛詩碑北総門の北にこれら3つの碑があります。信海辞世の歌 (左歌碑) 西の海 あずまのそらと かわれども こころはおなじ 君が世のため月照辞世の歌 (中央歌碑) 大君の 為には何か 惜しからん 薩摩の迫間(せと)に 身は沈むとも西郷隆盛 (右詩碑) 相約投淵無後先 豈図波上再生緑 回首十有餘年夢 空隔幽明哭墓前 (相約して淵に投ず後先なし あに図らんや波上再生の緑 頭を回らせば十有余年は夢 空しく幽明を隔てて墓前に哭す) 月照(1813~58)は、幕末期の尊皇攘夷派の僧侶。清水寺成就院に入り、天保6年(1835年)、成就院の住職になりました。しかし尊皇攘夷に傾倒して京都の公家と関係を持ち、西郷隆盛とも親交がありました。安政5年(1858年)8月から始まった安政の大獄で追われる身となり、西郷と共に京都を脱出して西郷の故郷である薩摩藩に逃れました。ところが、薩摩国に命を狙われていることを悟って死を覚悟し、西郷と共に錦江湾に入水しました。月照はこれで亡くなりましたが、西郷は奇跡的に一命を取り留めました。享年46でした。清水寺では月照の命日である11月16日に「落葉忌」として法要を行っています。 信海(1821~59)は月照の弟で,成就院の住職を継ぎましたが,青蓮院宮のために攘夷祈願をして捕えられ,江戸で獄死しました。41歳でした。 入水から命を拾い、その後維新の立役者となった西郷隆盛が月照の死を悼んで捧げた弔詩が、月照の碑の横に刻まれています。(内容再考版。原文は非公開日記に移動済み。)-------------------------------------------------------------------よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2017/08/11
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【2017年8月10日(木)】 下鴨神社勤務後(こちら、先日延期となった地区組月例会がありました。延期になったとき、勤務の帰りになったので、月例会のためにだけ出ていく必要がなくなってラッキーと書きましたが、暑さでヘロヘロの状態での集まりはきつかったです。 私についての変化点の第一点は、10月の修学旅行の予定が決まったことです。10月は3回です。もっと多いと思っていたのですが、10月はそれほど忙しくはなさそうです。秋は小学校が中心になります。私は東海地方の公立小学校2校と関東の県立高校1校です。高校生は初めてです。これで、9月3校(1校キャンセルになったので)、10月3校です。11月は未定です。 もう一点の変化点は、10月~12月の固定点ガイド担当が決まったことです。10月7日~12月17日まで大徳寺塔頭の興臨院勤務です。 10月22日の時代祭のボランティアが募集されたので、手を挙げました。 修学旅行のガイドの後、学校によっては、ガイドに対するお礼の手紙を送ってくださるところがあります。 それらはガイド会に送られてきて、月例会で担当したガイドに配られます。今日も、一校からお礼の手紙を受け取りました。 6月22日にガイドした関東の公立中学校です。そのときのガイドの様子はこちら。 小学生にしても、中学生にしても、絵を交えたりして、子供らしい手紙が多いのですが、この学校の手紙は縦書きの便せんによるもので、書き出しと結びが、全員同じなのですが、大人もなかなか使わないような言い回しで、少々驚きました。 こんな感じです。 書き出しは、「拝啓、本格的な夏を迎える頃となり、XX様におかれましては、御清祥でお過ごしのこととお喜び申し上げます。この度は、私たちXX県立XX中学校3年X組X班の修学旅行のために、様々なお世話をしていただき、本当にありがとうございました。」 そして結びは「暑さが更に増す季節になってまいりましたが、体調を崩されませんよう、くれぐれも御自愛のほどお祈り申し上げます。」 恐らく、こんな文章初めて書いたでしょう。班で例文集を調べて、必死に文章を考えたのでしょう。姿が目に浮かび、微笑ましいです。 書き出しと、結びの間の本文は、各人それぞれですが、6人中3人が「たわらや」さんで、うどんが美味しかったこと、私のしたうどんについての話が楽しかったことを挙げていました。やはり、昼食は大切な要素であることを再認識しました。 なかにはウルウルきそうな文面も。 「私たちにたくさんの笑顔と知識と思い出がXXさんのおかげで宝物になりました。大切にします。」 「歩きながら私たちが話しかけると、XXさんはいつも笑顔で優しく応えてくれました。気さくで明るく優しいXXさんと話すのはすごく楽しかったです。(中略)こうしてお手紙を書いていると、また京都をXXさんと歩きたいなぁと思ってしまいますね。楽しい思い出を、本当にありがとうございました。」 社交辞令もあるでしょうが、ガイド冥利につきます。(内容再考版。原文は非公開日記に移動済み。)-------------------------------------------------------------------よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2017/08/10
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【2017年8月10日(木)】 下鴨神社ガイド5日目でした。 五条通バス+徒歩+205番バスで出勤予定でしたが、五条通バス乗車中に催したので、西京極競技場前バス停で緊急降車。用を済ませて、阪急で西京極から河原町へ。京阪で祇園四条から出町柳で何とか緊急事態を乗り切りました。 さらに改良した紙芝居を今日から使いました。 変更点は ・印璽社と叉蔵の説明を加えた ・三井神社の説明の中に、末社3社の名前を加えた ・御蔭祭の写真を加えた ・斎王代の写真を加えた ・御井の神事の写真を加えた ・葵祭の唐車と御蔭祭の偽装馬車の写真を加えた。 そして、叉蔵の説明で「瓦葺が奈良の正倉院と違う点」ですと説明していましたが、これは間違いということに気付き、「正倉院は寄せ棟造り、こちらは入母屋造り」と訂正しました。 「蚊」対策で買った「どこでもべ―プ」(こちら)を今日初めて使いましたが、効果はあったようで。蚊に悩まされることはありませんでした。 この夏、京都の最高気温が35.5度を超えたのが過去3回。8月6日36.7度、9日(昨日)35.7度、10日(今日)35.8度。全部勤務日です。ついていません。今日も暑さが厳しい一日でした。●特別参拝所での案内 その3 本殿とその他の社殿 特別参拝所からは、本殿を斜め前から全体を観ていただくことができます。本殿エリアは撮影禁止のため下記から拝借。http://www.asahi.com/and_M/information/SDI2016031009031.html 東本殿、西本殿とも、南向きに建っており、全く同じ大きさ、同じ形をしています。屋根は檜皮葺で、反りをもっていて、切妻屋根の正面だけを長く伸ばして向拝にしています。こういう神社建築様式を流造(ながれづくり)あるいは片流造といいます。全国の神社本殿のうち、6割から7割がこの流造になっていて、標準的な造り方です。しかし、両本殿は幕末の文久3年(1863)に造り替えされたもので、古式をよく伝える代表例として国宝に指定されています。母屋正面の柱の間が3つあるため、詳しくは三間社流造と呼ばれます。 それぞれの本殿の縁には、向かって右に口を開いた金色の獅子、左には口を閉じ、角を生やした銀色の狛犬が、魔除けのために置かれています。阿吽(あうん)の獅子と狛犬です。金と銀は陰陽を表しています。 一般的な神社ですと、鳥居の前に石造のものが置かれているところが多いですが、下鴨神社では鳥居の前には、このような獅子・狛犬は置いてなくて、このように本殿の縁に置かれています。ただ、他の神社の鳥居の前の石造のものも、このような獅子と狛犬の組み合わせが一般的ですので、他の神社を訪問時に観察するのも面白いです。 神社では、神様に新しい神殿にお住みいただくための遷宮が行われることがあります。定期的に行われるのが、式年遷宮です。有名なのが伊勢神宮の20年に一度の式年遷宮です。全く新しい社殿を建てて、そこに移り住んでいただくというものです。 下鴨神社では、平安時代の中ごろに21年に一度の式年遷宮の制度が確立しました。しかし、現在本殿2棟は国宝であり、他の社殿も53棟は重要文化財の指定を受けている関係で、すべてを新しくすることができなくなり、近年は社殿の建て替えは行わず、傷んだところを修復するかたちでの式年遷宮となっています。 一昨年、第34回目の式年遷宮が行われ、きれいな檜皮葺の屋根や色鮮やかな塗りを観ていただくことができます。●特別参拝所での案内 その4 印璽社・叉蔵 西本殿の西側の小さなお社は「印璽社(いんじしゃ)」です。「霊璽社(れいじしゃ)」とも呼びます。 御祭神は印璽(いんじ)で、印鑑、契約の神様です。その業界の方々のお参りの多い神社です。毎年秋には「印章祈願祭」が行われます。全国の印章業者の祈願祭で、古い印鑑を埋納する神事が行わます。社殿は重要文化財です。印璽社http://tabiseto.com/simogamoinjisya.html 印璽社の西隣の建物が「叉蔵(あぜくら)」です。奈良東大寺の正倉院と同じ校倉(あぜくら)造で、目的も同じで宝物が保管されています。同じ「あぜくら」ですが、漢字が違うのと、正倉院は屋根が寄棟造ですが、こちらは入母屋造になっています。やはり重要文化財です。叉蔵http://okutanigumi.jp/simogamoh15.html 下鴨神社勤務後、先日延期となった定例会があり出席しました。→こちら(守秘義務再考版。原文は非公開日記に移動済み。)-------------------------------------------------------------------よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2017/08/10
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【2017年8月9日(水)】 8月1日に特別客員研究員の第1回報告を提出しましたが(こちら)、今日、担当教授の方からメールで回答いただきました。 1週間強、回答に時間を要していらっしゃいますが、お忙しいなか、非常に詳しく読んでいただいたからのようです。コメントも的確です。さすが、この道のプロフェッショナルでいらっしゃいます。 回答の要点と、それに対する私の返信です。。・下記地図は、他の参拝者のブログにもアップされており、現在伏見稲荷神社で配布しているものか?神社に聞けば原本がいつ頃のものかわかるかも。(私の返信) 伏見稲荷の公式文書には、官有地以外のお滝場についての記述は今のところ発見されていないので、民間会社の作成と思われますが、神社にも確認します。・この説明部分(赤四角枠)に「明和安永の頃盛んに文人たちが吟謡した稲荷山十二景」という記述があり、これももっと具体的に分れば面白い。(私の返信) 「稲荷山十二景」に「お滝場」が入っていれば、「お滝場」先にありきという証明になりますね。調べてみます。 ・仮説(「お滝場」は江戸時代にはなく、明治時代にできた。)については、確かに説得力はあると思いますが、やはり江戸時代の実態がわからないと確証がない。逆に「お塚」が滝のある場所に建てられたという仮説も成り立つ。(私の返信) 確かに「お滝場」が先で、「お塚」が後という仮説もありますね。視野を広めて調査します。・もともとの稲荷山信仰には秦氏と空海がからんでいて、東寺の密教僧たちの修行場であったそうなので修行場が古くからあったことは確かだろうが、明治以前の実態がまるで見えてこない。(私の返信) 空海や修験道との絡みについての調査は、まだ手付かずですので、これから調査します。 最後に「なかなか資料がない中、ここまでよくまとめられた。」「近世の資料がなければ、明治大正期のお滝場が盛んであった頃のことがもう少し見えてくるといい。」「当方でも何かわかればお知らせする。」「報告を読んで、私も一度稲荷山へ登ってみたくなった。」とのコメント、アドバイスもいただきました。 9月1日に、ボランティアガイドを養成する某講座の二条城現地見学の講師を担当しており、その準備で8月いっぱいは京都研究活動になかなか時間がとれないので、本格的には9月以降の取り組みになると思いますが、少しずつでもネットなどで調べを進めたいと思います。 -------------------------------------------------------------------よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2017/08/09
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【2017年8月9日(水)】 清水寺随求堂のガイド勤務第9日でした。 朝、今日の勤務者が集まったときに、この前の台風のときの勤務はどうだったかを確認したのですが、一旦出勤したのですが、10時半頃お寺の方から、「帰宅してください。」との指示が出て帰宅したそうです。 今日から16日までは「千日詣り」で、いつもより多くの参拝客があるので、特別体制です。暑さがきびしかったですが、特別体制だったので、何とか乗り切ることができた感じです。夏休みで、かつお盆も近づき、日本人のお客様の比率がさらに増えて、半分くらいになったのではないかと思います。 途中で千日詣りも参拝させていただきました。いつもは、舞台側(南側)から本堂に上がりますが、「千日詣り」期間中は、本堂西側から上がって、いつもは入れない内々陣をぐるっと一周して、また西側から出てきます。「千日詣り」期間中、我がガイド会のメンバーが勤務していますので、多くの仲間に会いました。いつも置いてある「弁慶の下駄・錫杖」は、出入り口の位置にあるので、撤去されていました(別の場所にあったのかもしれませんが)。 「千日詣り」は初めてです。蝋燭を買い求め、家内安全祈願・長女の安産祈願を記入し、献じさせていただき、お札をいただいてきました。いつもは遠くから拝ませていただいている御前立の観音様や周りの仏様も、今日はかぶりつき(言葉が不適切ですが)で参拝させていただきました。●清水寺の「千日詣り」とは 清水寺HPから 千日詣りは、一日の参詣が千日分の功徳に相当するとされています。この風習は観音信仰の広まりとともに誕生し、古くから観音さまの功徳日として広く人気を集めました。大慈大悲の心であらゆる願いや悩みに耳を傾け、その苦厄を取り除こうとされる観音さまの慈愛を感じることができる一日です。期間中は本堂内々陣の特別拝観や夜間拝観などもおこなわれます。お札 帰りに、今まで津軽三味線レッスンに行っていた十字屋カルチャーセンターに寄りました。耐震工事で場所が河原町御池に移るので、その最初の会の会費支払いと、以降の自動引き落とし手続きのためです。もう1回、8月が四条河原町で、9月から河原町御池になります。(内容再考版。原文は非公開日記に移動済み。)-------------------------------------------------------------------よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2017/08/09
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【2017年8月8日(火)】 昨日の台風による臨時OFF日に続き、今日は計画に基づくOFF日。朝起きたら良い天気だったので、台風一過で一日良い天気で爽やかになると思いきや、午前中は雨も降る不安定な天気で、暑かったです。 昨日台風で郵送できなかったマイカルテを、郵便局に歩いて出しに行った以外は在宅でした。今までならば、郵便局に歩くついでに5000歩のウォーキングをするのですが、7月下旬に決めた行動の「断捨離」で、在宅の日は、月の一日平均が8000歩に達する限りは、自然に歩いた分だけにすると決めたので、郵便局往復のみのウォーキングでした。 長女は三菱京都病院の定期診察でした。今日診てもらって、明日から入院ということになるかと思ったら、「いつ陣痛が来てもおかしくはないけど、お家に人がいて、すぐ来院できる状態なら、陣痛が起ってから入院でもいいでしょう。」とのことで、日を決めての入院はなくなりました。 草花記です。 だいぶ古い写真ですが、6月4日に修学旅行昼食処の下見のつでに寄った西本願寺で見つけた「タイサンボク(泰山北)」です。 私が住む桂坂でも何本か見かけるのですが、花が間近でいっぱい咲いているのを見たことがありません。タイミングの問題だけなのかもしれませんが。西本願寺を訪れたこのとき、本当にキレイで大きな花がたくさん咲いていたので、カメラに収めました。 モクレン科モクレン属。北アメリカの東南部原産。明治初期に日本へ渡来。開花時期は5~7月。 花や葉の大きく立派なことを賞賛して、中国山東省中部にある名山の泰山(たいざん)にたとえたといわれます。また、大きな盃(さかずき)のような花姿から「大盃木」と呼ばれ、それが転訛したともいわれます。「大山木」とも書きます。 明日から、随求堂、下鴨神社、随求堂と3日連続で勤務です。この暑い中の3日連続勤務はキツイです。 よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村____________________________「散歩・草花記」カテゴリー 色んな花が登場します。http://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=34
2017/08/08
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8月7日の読売朝刊から。 知りませんでしたし、気付きませんでした。阪急で梅田に行くとき確かめたいところですが、PITAPAを使うのでダメですね。 教育上はよくないですね。 よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2017/08/07
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【2017年8月7日(月)】 今日は、午後からガイド会地区組月例会ですので、それだけの出席のため京都市内に出るつもりでいました。ところが12時30分過ぎに出ようとしていたところへFAXが入りました。台風の影響で京都市に暴風警報が発令されたので、月例会を延期するとのこと。 タッチの差で出発する前に延期を知ることができました。一度別件で外出して月例会に向かった人や、遠方ですでに自宅を出ていた人もあるでしょうから、私はラッキーでした。 ほどなく延期した月例会は、10日夕刻に行う旨のFAXが来ました。10日は下鴨神社の勤務ですので、勤務の帰りに寄れるので、私にとってはありがたいです。 思いがけなくフル在宅日になったので、溜まったブログをいくつかアップしたり、下鴨神社の「紙芝居」を補強したりしました。現在まだ午後3時ですので、某講座講師の準備も進められるかもしれません。 (内容再考版。原文は非公開日記に移動済み。)-------------------------------------------------------------------よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2017/08/07
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8月6日の読売新聞朝刊京都版から。 これって、下鴨神社の・・・ そうえいば、修学旅行生をよく連れていきますが、「水みくじ」もありました。これって、貴船神社の・・・よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2017/08/06
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【2017年8月6日(日)】 清水寺随求堂のガイド勤務第8日でした。 今日は全国的にこの夏一番の暑さで、朝の準備を終えた時点で汗だく。やがて少し汗は引きましたが、京都も午後2時過ぎには、この夏一番の最高気温36.7度を記録。再び汗まみれでした。 暑い中、他の勤務の方々とお互いの体調を気遣いながら楽しくお仕事をさせていただきました。夏休みに入った日曜日で、日本人の比率が高かったように思います。 帰る頃、夕立に遭いそうでしたが、幸い阪急四条河原町まで歩く間は降らず、桂駅に向かって電車に乗っているときにどしゃ降り。そして桂駅に着くころ止み、バスに乗っているとき、再びどしゃ降り。そしてバスを降りる頃には止むという、貧乏クジを引きがちな私には珍しく超ラッキーな通勤帰途でした。 清水寺無料拝観エリアの見所紹介の続きです。●「虎の図の石灯籠」 清水寺の七不思議の一つです。仁王門をくぐった右手、西門の下の広場の南側、あまり目立たないところにあります。火袋を穿った自然石を置いただけの簡素なもので、形は一般的な石灯籠とは異なります。 この石灯籠の正面には虎の絵が彫られていますが、どこから見ても、虎と目が合ってしまうことから、「八方睨みの虎」と呼ばれています。 この虎の絵は、江戸時代後期の画家「岸駒(がんく)」によって描かれたものです。当時、日本には虎はいなかったため、岸駒は虎を描くにあたって、中国の商人から虎の毛皮や頭蓋骨、四足などを取り寄せ、様々な角度から写生することによって、当時、日本人で誰も見たことのない虎の姿をかなり忠実に描いたと言われています。 彫りが長い年月で削られ、今はその姿はよくわかりません。しかし、描かれた当時はまるで生きているかのようだったそうです。そのため、夜な夜な吠えたり、池の水を飲むために毎晩、石灯籠から抜け出したと伝えられています。 昨日から名古屋から来ている長女の旦那は、私が帰宅した後、名古屋に戻りました。昼間長女といっしょに桂川イオンに買い物に行ったそうです。この週末は、すでにベビー誕生しているはずなので、また来てくれるようです。(内容再考版。原文は非公開日記に移動済み。)-------------------------------------------------------------------よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2017/08/06
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【2017年8月5日(土)】 8月4日に、M病院で経過観察受診があったので、粒子線医療センターに送るデータをまとめ、「マイカルテ」にファイルしました。明日は日曜日なので、明後日に兵庫県粒子線医療センターに郵送します(9回目の送付)。皮膚写真データだけは、メールで兵庫県粒子線センターに送りました。●前回マイカルテ送付以降の診断結果●問診票●連絡票これ以外に、・CT画像データ(CD)・血液検査結果 3回分(うち1回はCVポート抜去手術適応の検査)・照射部皮膚写真・特定位置CT画像まとめと、腫瘍径グラフ・クレアチニン、尿素窒素、尿酸値グラフ・血圧、脈拍グラフ・体重、体脂肪率グラフ・一日尿量、一日飲水量を添付しました。最後5つは、要求されていませんが、私が勝手に付けているものです。 今回の報告のポイントは下記。 ・腫瘍の大きさは小さくなったまま大きな変化なく順調。 ・クレアチニンは上限値以上だが、1.5~1.7で安定。 ・尿酸値はフェブリク服用後、上限以下で安定。 ・膀胱鏡検査を次回実施。 ・CVポート抜去手術を受けた。今後1ヵ月に一度通院→3ヵ月に一度通院。 今日は、長女の旦那が名古屋から車で我が家に来てくれました。7月15日、16日以来です。今日は、初めて最寄りの京都縦貫道の大原野インターで降りて、最速ルートで来てくれました。今までは、ナビにこの部分が入っておらずに、京都南ICで降りていました。 長女の出産は結局、今週なさそうなので、明日一旦名古屋に戻る予定です。よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村_________________________________過去の治療履歴は下記を参考にしてください。がん治療日記:http://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=10がん治療振り返り:http://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=11
2017/08/05
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【2017年8月4日(金)】 M病院で、7月7日に撮ったCTと血液検査(こちら)に基づく診察でした。粒子線治療の経過を見る血液検査の回数としては、25回目になります。CTは9回目です。 CTは、腫瘍の大きさの変化なく問題なし。自宅に戻って画像を見ましたが、私が決めた特定の位置で大きさが前回21mmから今回18mmと小さくなっていました。腫瘍径経過 血液検査の結果も、クレアチニンは上限値を超えるものの、今回も安定していて問題なし。尿酸値も上限以下を保っており、フェブリク継続です。血液検査クレアチニン、尿素窒素、尿酸値 先生は何もおっしゃりませんでしたが、気になるのは赤血球関係が、さらに少し下がったことと中性脂肪が高ったこと。 赤血球関係のほうは、徐々にですが単調減少しています。ここには掲載していませんが、体重や体脂肪の変化と連動しているようにも思います。 中性脂肪は過去もピョコンと高くなったこともあり、直前の食事などの影響が大きいのかもしれません。あまり気にすることはないのかも知れません。赤血球関係コレステロール、中性脂肪など この前CVポート除去手術をしたので、1ヵ月に一度のポートフラッシュが不要となり、1ヵ月に一度の通院が、3ヵ月に一度になります。しかし、次回、尿細胞診と膀胱鏡を久しぶりにしてみましょうとのことで、2回に分けての通院となりました。 フラッシュがないので、早く会計も済ますことができると思ったのですが、兵庫県粒子線医療センターに送るCTのCDをもらうに当たって、事務の方から「会計担当から、先生に紹介状を書いてもらってからでないと渡せないとの話がありました。時間がかかる。何時くらいになるか分かりません。お待ちいただけないなら、直接兵庫県粒子線医療センターに紹介状とともに送ることも可能ですが。」とのこと。「今まで、先生の紹介状なしで、もらってましたよ。何故、今回はダメなんですか?ルールが変わったんですか?その会計の方に直接事情を確認したいので、呼んでください。」とかなりきつい口調でクレーム。 ほどなくして、「担当を呼んでいるので、お待ちください。」しかし、待てど暮らせど誰も来ません。「いつまで待ったらいいんですか?」と、さらにきつくクレーム。結局診察が終わって、1時間くらい経ってようやく「今までどおり先生の紹介状なしで、お渡ししてもよいということになりました。失礼しました。」とのこと。なんなんだよ。 想定より1時間も余計にかかってしまいました。京都の図書館に寄って調べ物をして、セミナーを聴講する予定でしたが、出遅れたため、京都行きは中止。セミナーも電話でキャンセル。昼ごろには自宅に戻りました。 時間ができたので、月イチの町医者に行って、高血圧の薬をいただきました。 セミナーの帰りに歯医者を予約していましたが、家内が外出で車がないので、家内が帰ってくる時間に合わせて予約変更して行きました。 今日は、3つの違った医者に行くという「通院デイ」になってしまいました。 よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村_________________________________過去の治療履歴は下記を参考にしてください。がん治療日記:http://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=10がん治療振り返り:http://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=11
2017/08/04
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【2017年8月3日(木)】 今日は、ガイド会の同期仲間の懇親会が夕刻から京都の街なかでありました。京都の街なかに出るのであれば、何かついでにとも思いましたが、6月の書けてなかったブログ日記を書いたりして、結局懇親会だけで出かけることに。 我々が会に正式入会したのが、去年の8月3日。ちょうど1年です。今日の場所は、四条柳馬場上ルの「ビストロWARAKU」。修学旅行のホテルとしてよく利用される金波楼の北隣りです。 8割強の方が参加されました。強力な結束力です。皆さん、この1年、体力的も精神的にも何とか乗り越え、次第にプロに成長し、自信、自負も持てるまでになられたようです。一人一人のショートスピーチにそのことが現われていました。 シニアのそれなりの経験した方々の集団です。一方で、ボランティアに近い組織を緩みなく運営するためには、統制も必要です。そこに軋轢も生じます。それを私も感じてはいますが、皆さん何とか良い方向に変えて行こうと意気盛んです。きっと良い方向に進んでいくのでしょう。私も一役買いたいと思います。 ただ残念なことが一つ。某さんがお辞めになるということを今日知りました。結局、私とはいっしょにお仕事できないままのお別れです。すでに、お二人がお辞めになっており、3人目の退会です。皆さん、色んな事情がおありなのですが、残念です。これからもポツポツとあるのでしょう。こういったシニアの会の宿命です。次は私かもしれません。 次回集まりは12月。我がエリアグループが担当です。 写真は「食べログ」です。店内写真は、表に面したエリアですが、我々は奥の部屋を借り切りでした。 二次会は前回同様カラオケ行きでしたが、明日早く病院ということもあるし、事前に某さんからお声掛けいただいていたので、しばし某さんと喫茶店でお話をさせていただきました。某さんは、私より1年前に、京都産業大学の特別客員研究員を務められた方で、私の伏見稲荷の研究について色々聞きたいとのことで、ごいっしょさせていただきました。 某さんが行きつけの、四条寺町入ってすぐ南の地下にある「御多福珈琲」というお店に連れていっていただきました。知る人ぞ知るレトロな喫茶店で、マスターとその奥さん?が京都の蘊蓄がすごかったです。また訪れてみたいお店です。 「食べログ」から(内容再考版。原文は非公開日記に移動済み。)-------------------------------------------------------------------よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2017/08/03
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昨日(8月1日)の読売夕刊から。 ファスナーはジッパーともいいますが、今の若い人は言わないかも知れませんが、我々世代は未だに「チャック」と言ったりします。その語源は英語の「CHUCK」(物をかむという意味)から来ていると思っていたのですが、そうではないようです。 よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2017/08/02
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【2017年8月2日(水)】 下鴨神社ガイド4日目でした。 今日も朝は、四条河原町から、小一時間歩いたのですが、前回汗だくの経験をしたので、今日は、ラフな格好で現地まで行って、ガイドが始まる前に着替えるということをしました。正解でした。汗だくではない状態でガイドを開始することができました。平日で、「みたらし祭」も終わった後なので、境内にも落ち着きが戻っていました。 この時期の大変なのは暑さはもちろんですが、もう一つあります。「蚊」です。一番奥の大炊殿のエリアは樹木が多いエリアで「蚊」が多くいます。ガイド仲間の多くは、携帯用の虫除け器を着けておられます。聞いてみますと効果があるようです。私は今まであまり悩まされることがなかったのですが、今日はやられました。帰りに自宅最寄り駅で、バス待ちの時間があったので、ドラッグストアで「どこでもべ―プ」を買い求めました。880円也。(内容再考版。原文は非公開日記に移動済み。)-------------------------------------------------------------------よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2017/08/02
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【2017年8月1日(火)】 正式に京都産業大学日本文化研究所の特別客員研究員になって1ヵ月。1ヵ月に一度、担当教授に研究進行状況を報告しなければなりません。日は特に決まっていませんので、月末か月初に送るようにしたいと思います。 昨日、今日とガイドがなしですので、昨日から書き始めて、今日書き終わって、さきほど先生にメールで送りました。 文献の検索・閲覧は最初のほうは比較的時間をとったのですが、ここのところあまり時間がとれていません。以前、「お滝場」巡りをしたときの情報と、文献からの情報を組み合わせて考察しました。最初は、まだまだ仮説を立てるところまでは、とても行かないと思ったのですが、こうやってまとめながら、色々調べるうちに、あり得るかもしれないという仮説を立てるところまで行きました。・「お滝場」は、江戸時代はなかった。 ↓・廃仏毀釈で「お塚」信仰が盛んに。 ↓・東海道線が最初、伏見経由で開通。稲荷駅開業で伏見稲荷が盛況。 ↓・民間人が伏見稲荷の回りで、お塚所を次々開業 ↓・客寄せに「お滝場」も併設。伏見稲荷周辺は谷なので、水には困らない。 ↓・このとき、宝塔寺の「七面の滝」を引っ越し。それが今の「七面の滝」 もとの滝は「たつみの滝」として残る。今は廃業。 ↓・伏見稲荷大社も「お滝場」をお塚所に併設する。 かなり大胆な仮説ですが、あながちナキニシモアラズと思っています。 果たして、先生からどんな反応が返ってくるでしょうか。 8月は、さらなる文献の探索・閲覧と、一度研究視点での現地訪問をしなければならないと思っています。 今日は、長女が三菱京都病院で定期健診でした。今日は、家内が在宅なので家内に送り迎えをしてもらいました。 赤ちゃんの体重は少なめですが、正常値内とのこと。予定日は16日ですが、検診結果から判断すると、今週中に生まれてもおかしくはないとのこと。そうならなかったとしたら、来週火曜日の検診の翌日に入院して、促進剤を使っての出産になるとのこと。あまり身体が丈夫なほうではないので、とにかく母子とも元気であって欲しいです。 -------------------------------------------------------------------よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2017/08/01
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