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想田和宏「五香宮の猫」元町映画館 想田和宏の最新作「五香宮の猫」です。見ました。はい、何もいうことはありません。ただ一言、満足! でいいです。 でも、なんか、感想を言いたい気分でもあります(笑)。 小説とかエッセイとか、文章には「文体」という言い方がありますが、映画とかではなんといえばいいのでしようね。 想田和宏の場合、映像を撮るのも編集するのも、彼一人による作業だからでしょうか、たとえばこの映画だと、最初の桜のシーンから、最後の桜のシーンまで、カメラが想田和宏という人の「眼」なのですね。 スクリーンではサビキで鰺釣りをしているおじさんから一匹もらった母猫が、それをくわえて走ります。すると、向こうから子猫がやってきて、その母猫から鰺をもらいます。その向うに、もう一匹の子猫がいて、それを見ています。 で、見ている子猫をカメラは見ています。 しばらくして、別の日でしょうね、今度は、多分、同じ母猫がオジサンが釣り上げて、針から外す前に鰺に跳びついて、また、駆けていきます。すると、さっきのシーンで、遠くにいた子猫がその鰺をもらって、さっきのシーンの子猫が、それにじゃれつきます。それをずっと見ている「眼」があることに、共感というか、「うん、うん」 というか、スクリーンに映るシーンから目が離せません。 10数人の小学1年生が、先生に連れられて、新学期でしょうね、町の見学をしています。カメラとマイクに気づいて話しかけてきます。カメラが返事をします。「好きなものなに?」「カレー」「あっ、おんなじや。」「なにしとん?」「それ、マイク?」 で、何やかや声をかけ合いながら横断歩道です。「右向いて、左向いて、右向いて、大丈夫!さあ、渡ろう。」 先生が叫ぶように声をかけて、子どもたちが、ワヤワヤと横断歩道を渡るのを撮り続けています。いいなあ・・・! 徘徊老人ではこうはいきません。いつも見ているだけです。 神社の石段を登って行くオジーさん、小さな祠にお参りするオバーさん、スマホを持って猫に餌をやりながら写真を撮っている若いおねーさん、去勢・避妊する猫を捕まえている女性たち、嵐の中で玄関にやってきた猫、寄り合いで相談する町の人たち、捨てられた子猫。 カメラは、町で起こる小さな出来事を見続けていて、その眼差しの柔らかさ?!が見ている徘徊老人の胸に沁みていきます。町を歩きながら、こんなふうに見ることが出来たらいいなあ。 玄関にやってきた中学生の少女が夏の宿題のインタビューだそうで、カメラの眼に向かって問いかけます。「映画監督になるには、資格とか免許とかいるんですか。」「なんにもいりません。」 ね、いい会話でしょ。 瀬戸内の港町牛窓の五香宮という鎮守の小さなお社や、その町内で暮らす猫くんたち。母猫がいて、子猫もいます。ネコ騒動に奮闘するおばさんやオジサン。掃除をしたり花の世話をしたりするオジーさんやハヤクチ言葉の集まりではしゃぐオバーちゃんたち。小学生や釣りをするオジサン。破れた御簾を何とかしたい宮司さん。 海があって、港があって、前島があって、向こうに、いつかの牡蠣工場がある町に夫婦で暮らして、なんの資格も免許も持たず、世間噺をしながら映画を撮り続けている人がいる! まあ、それだけのことですが、それだけのことが神戸の郊外で古い団地に暮らしている徘徊老人を涙がこぼれてしまうほど励ますのですね。拍手!監督・製作・撮影・編集 想田和弘製作 柏木規与子2024年・119分・G・日本配給 東風2024・10・27・no139・元町映画館no263追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.10.31
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小松莊一良「恋するピアニスト フジコ・ヘミング」キノシネマ神戸国際2024年10月28日月曜日です。フジコ・ヘミングか、久しぶりに、ノンビリ、ピアノが聴けるかな? とか、まあ、柄でもないことを思いついてやってきました。迂闊にも、時々ユーチューブとかで聴いていたフジコ・ヘミングというピアニストが、今年2024年4月に亡くなったということにも気づいていないのですから、いい加減なものです。 映画が始まってシューベルトのピアノ曲が流れ始めて、涙が出てきました。で、ショパン、リスト、ラベル、ドビュッシー、どの曲も、どの曲も、子どものころ姉が弾いていたり、ピーチ姫やチッチキ夫人が弾いていた姿が浮かんできて、目の前のスクリーンの、ごっついおばさんの後ろ姿や、ごっつい手が鍵盤を撫でまわしながら魔法のような音を響かせるに目を瞠り、耳を澄ませながらも、何のとこはない思い出にひたらせていただいた2時間でした。 ユーチューブとかで見ていた、大きいけれど、ふっくらしていた彼女の手じゃなくて、いや、彼女の手なのですが、明らかに、92歳の方の手なのですね。そこが、やっぱり、この映画の凄さだと思いましたけど。足がしびれてとかおっしゃりながらも、ピアノは毎日練習なさるそうです。そこも、スゴイですよね。 ああ、見たのは小松莊一良のドキュメンタリィー「恋するピアニスト フジコ・ヘミング」でした。 映画が暗転する直前になって、ショパンの黒鍵のエチュードを聴きながら、ようやく、今年、2024年の4月にフジコ・ヘミングが亡くなって作られた追悼映画であることに気付いたのですが、90歳を越えているおばあさんのごっつい手ですが、その手に背中をさすっていただいているような音色 の「ラ・カンパネラ」といい、「月の光」といい、普段、ピアノなんて聴くことのなくなった70歳の老人が聞こえて来るなつかしい音の群れに、ボンヤリと思い出にひたるというか、先に逝った人の生きざまに励まされるというか、まあ、いらんことをクヨクヨ考える必要のない、いってしまえば至福の時間 だったことが腑に落ちた気がしましたね。「フジコさん、いいけど、音はずれるよ(笑)。」 出がけに、チッチキ夫人が笑って言っていましたが、ボクの耳には関係ありませんでしたね。拍手!でした。 帰り道、午後6時を過ぎて暗くなったモトコーの路地を歩きながら、「ピーチ姫は見たんかなあ?」 愉快な仲間のピーチ姫が好きだったはずのビュッシーの「月の光」を思い出して、そんなことが浮かんで来たり、1曲、1曲が、始まりから終わりまで聴こえていたのがこの映画のいいところで、こころが途切れないんですよね。 まあ、それにしても、ここでも、一つの時代が終わった・・・ という感慨が沸いてしまうのはしようがないのでしょうね。もう一度、フジコ・ヘミングさんの人生と演奏と、ごっつい手と後ろ姿に拍手!です。監督・構成・編集 小松莊一良撮影監督 藤本誠司録音・整音 井筒康仁音楽 フジコ・ヘミングキャストフジコ・ヘミング2024年・119分・G・日本2024・10・28・no140・キノシネマ神戸国際no15追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.10.30
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「宵の夕顔」 ベランダだより 2024年10月5日(土) ベランダあたり こちらは、夕方、所謂、宵の口に、気づいて撮った写真です。名づけて「宵の夕顔」。 で、写真を貼っただけで投稿するのを忘れていました。もう3週間も前のことですが、備忘録も兼ねているので投稿しますね(笑)。 2024年の10月は、夕顔が、やたらと気にかかるベランダでした。チッチキ夫人は、そろそろ、春に向けて、次の種を用意したようなのですが、いったいいつまで咲き続けるのでしょうね(笑) まあ、しかし、咲いてくれる花に文句はありません。これを書いているのは10月29日ですが、今日も二つ咲いていました。にほんブログ村追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです
2024.10.29
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空音央「HAPPYEND」シネリーブル神戸 「スーパー・ハッピィ―・フォーエバー」という若い監督の日本映画を見て、「こりゃ、結構イイネ!」だったので、勢いに乗って、で、題名にもつられて、こっちも見ました(笑)。 空音央監督の「HAPPYEND」です。チラシによればありえるかもしれない未来を舞台に描く青春映画の新たなる金字塔 なんだそうです。金字塔とか、みんな待ってるんですね(笑)。 確かに、カメラによる監視システムというのが近未来を感じさせるのかもしれませんが、未来というよりも、ボクが30数年暮らしてきた「学校」の、まあ、思い出すのも鬱陶しい管理体制の戯画という感じで、なんだかめんどくさかったのですが、教室での外国籍生徒の多さ、保護者の妙な低姿勢と教育制度に対する依存、そして、まあ、佐野史郎君が、なんというか、おためごかしを振り回しながらも、論旨としては終わっている校長を頑張って演じていましたが、教育という理念を忘れ去って、官僚的ご都合主義の権化と化している教員の姿、ああ、それからやたら永住証明書の提示を求める警官もですが、そういう登場人物の描き方の中に「未来」というよりも、有ったか無かったか議論のいるところかもしれませんが、所謂「戦後民主主義」の崩壊していく現在がクローズアップされている印象でした。「これって金字塔じゃなくて、墓碑なんじゃないの?」 まあ、そう思わせてくれたマンガ的展開と結末は、ナルホド、映画の製作者たちの八方ふさがり的現在の状況に対する焦りのようなものを感じさせてくれて、そこに浮き上がってくるリアリティはなかなかでした(笑)。この映画に漂うそのあたりの感覚は悪くないですね。 でもね、ボクが面白かったことは、そことはちょっと違うことで、二つありました。一つは、「クソくらえ節」が繰り返し歌われていたことですね。岡林信康、名前をいっても若い人は「???」でしょうが、「友よ」という歌が音楽の教科書に載ったこともある(?)、60年代の(まだ、生きていらっしゃると思いますが)フォークソング歌手です。で、「クソくらえ節」というのは、たとえばボクのような年代が、50年ほど前に口ずさんだプロテストソングで、今でも歌えますが、こんな歌詞です。ある日学校の先生が生徒の前で説教したテストで百点とらへんとりっぱな人にはなれまへんくそくらえったら死んじまえくそくらえったら死んじまえこの世で一番えらいのは電子計算機♪ 映画では、この1番しか歌われませんが、2番、3番の方が面白いかもしれませんね。こんな歌詞です。ある日会社の社長はん社員の前で訓示した君達ワタスを離れてはマンズ生きてはゆけない身の上サくそくらえったら死んじまえくそくらえったら死んじまえ金で買われた奴隷だけれど心は俺のもの♪ある日政府のおエラ方新聞記者に発表した正義と自由を守るため戦争をしなくちゃならないのウソこくなこの野郎こきゃがったなこの野郎おまはん等がもうけるためにワテラを殺すのけ……♪ なんか、妙にリアルだと思いませんか?50年以上昔に流行った歌ですよ。たぶん、どうしてこの歌を、今、わざわざ、劇中で歌わせるのかが問題! というわけですが、何となくわかりますね。岡林君が夢みた「夜明け」がこないまま、AIとかが「賢い」の代名詞化する、まあ、いってしまえば電子計算機が一番偉い 社会になっているのですからね。 若い人たちはAIをくそくらえなんて思っているとはとても思えないこんな社会になるとは岡林君も驚いていらっしゃるでしょうね。だって、今や、とても「くそくらえ」では済みそうにないですもんね(笑)。 もっとも、ボクの驚きは、まだ、30代の空監督が、どこでこの歌を知ったのだろうという方でしたが(笑)。 もう一つの面白さは、映画を見ていて、「えっ?これ、科技高ちゃうの?」ではじまりました。映画を見終えた後で馴染みのスタッフからいただいたのがこの地図です。 ロケ地が神戸だったんですね。それも、ほとんどの場所が日ごろの徘徊エリアじゃないですか。学校が市立の高校だと思ったのは間違いじゃなかったのですが、そのときは疑心暗鬼でしたが、「ここはどこ? つぎはどこや?」 見ながら、ワクワク、とどのつまりには改装中のポートタワーまで登場して、「見てみ、どこが東京やねん!学校も町も神戸やんけ!」 誰に向かって、何をいきっているのか意味不明ですが、映画館のスタッフさんによれば、ロケ地の人々やエキストラで出演した人たちで先週は盛況だったそうで、メデタイことですね(笑)。拍手!監督・脚本 空音央撮影 ビル・キルスタイン編集 アルバート・トーレン音楽 リア・オユヤン・ルスリキャスト栗原颯人(ユウタ)コウ日高由起刀(コウ)林裕太(アタちゃん)シナ・ペン(ミン)ARAZI(トム)祷キララ(フミ)中島歩(岡田先生)矢作マサル(平)PUSHIM(福子)渡辺真起子(陽子)佐野史郎(長井校長)2024年・113分・PG12・日本・アメリカ合作2024・10・23・no136・シネリーブル神戸no275追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.10.29
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「酔芙蓉、酔った時(笑)。」 ベランダだより 2024年10月26日(土)団地あたり 住んでいる棟の前の自転車や原付を置いているあたりの植え込みで、酔芙蓉の花が咲き続けています。最初に白い花で咲いて、徐々に色を変えていって、萎む寸前になって、なんともいえないピンク色に色づきます。 今日は、ちょうどピンク色に色づいた花に出くわしたので写真が撮れました。 お茶席の花とか聞いたことがありますが、俳句とかにも詠まれていますね。さかづきのめぐりそめけり酔芙蓉 水原秋櫻子一輪のはや大酔や酔芙蓉 水原秋櫻子にほんブログ村追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです
2024.10.28
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閆非・彭大魔「抓娃娃(じゅあわわ) ―後継者養成計画」シネリーブル神戸 中国で流行ったエンタメ映画、まあ、そういう興味に惹かれて見ました。後継者養成計画という、解説的副題がついてはいますが、「抓娃娃」という中国語の題名のままの邦題ですから、本来ならポカーンとなるところですが、見終えてよくわかりました。ナルホド、ウケるはずだ! 帰ってきて、一応、調べて見ると、「抓」の中国音(ピンイン)はzhuā、意味は摘むから鍛えるまであって、「娃娃」の読みがwá・waで、意味は赤ちゃんのようです。だから「抓娃娃」の読みは「じゅあわわ」で意味は「赤ちゃんを鍛える」でした。 明治時代の終わりか、昭和の始めころを背景にした日本映画でもありそうな話です。「金持ちの後継ぎとして、右も左もわからない子供のときから鍛える。」 なんか、森鴎外とかが浮かんできそうですが、違うのは、森家とかの「家」の保全ではなくて、貧乏人から成りあがった父親が苦労してようやく築いた、一代限りの「財産」の保全のために、子どもの時からだんだん金持ちになっていった暮らしを知っている兄はスポイルして、金持ちになってから生まれてきて、まだ、なんにも知らない幼児だった弟を貧乏人の子として、刻苦勉励の暮らしで躾ようという、まあ、金持ちにしかできない完全コントロール、見るも侘しいボロ家に始まって、生活すべてについて、少年の前では、親族、両親、偽の祖母まであつらえて、みなさんで雁首揃えて偽りの貧乏人を演じながら子育てをするという育児映画(笑)でした。貧乏から努力で這い上がる人格の形成!(笑) まあ、そういう舞台をあつらえるということで、そこが、このコメディの肝というわけです。 こう書くと、なんだか、チョー、アホらしい話なのですが、まあ、実際にチョー、アホらしい話なわけですが、これがなかなか笑えた上に、とどのつまりは「凧じゃなくて風になりたい」 という主題歌に乗って、両親のもとを去る主人公の少年の姿見ていてを、なんだかとても胸打たれてしまいました(笑)。 要するに、中国政府が続けてきた「一人っ子政策」が煽ったにちがいない、たぶん、歪んだ教育熱、80年代以降の資本主義化で生まれた富豪層に対する揶揄が笑いの背景にはあるのでしょうが、まあ、それはそれとして、子どもを育てた経験のある方なら思い当たるに違いない、自由に大きくしたい、でも、どこか、凧のように糸をつけておきたい。 という感じの、多分、結構ありがちな親の気分のご都合主義を笑い飛ばしているところが爽快なのでした。拍手! 監督 イェン・フェイ(閆非) ポン・ダーモー(彭大魔)キャストシェン・トン瀋騰(マー・チェンガン馬成鋼:父) マー・リー馬麗(チュン・ラン春蘭:母)シー・ポンユアン(史彭元)サリナー(萨日娜)シャオ・ボーチェン(肖帛辰)2024年・133分・G・中国原題「抓娃娃」「Successor」2024・10・25・no137・シネリーブル神戸no276追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.10.28
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「高倉台の夕焼け!」 徘徊日記 2024年10月24日(木)須磨あたり あのー、今日はお仕事で須磨の高倉台に出かけました。だから、まあ、徘徊というわけではないのですが、で、お仕事が終わって、いつものことなのですがお仕事場から出たところの道端の石垣に腰かけて一服します。 見上げると、この空でした。スゴイ! ですね(笑)。 先週は、ここで、一服して、鞄を忘れました。家に帰ると、「ナップサックはどうしたの?」「えっ????」 道中は愛車のスーパーカブ号ですが、そういえば身が軽かったのです。そうだ、あそこだ! というわけで、現場まで30分引き返しました。で、忘れ物は道端にちゃんとあって、無事回収しました(笑)。 今日は出がけに「カバン、忘れちゃだめよ!」 と声をかけられていたので、この空にポカンと見とれましたが無事帰ってきました(笑)。にほんブログ村追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです
2024.10.27
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岸田奈美「家族だから愛したんじゃなくて愛したのが家族だった」(小学館) お勤め先の学校の図書館の貸出禁止処置から解放されて、久しぶりに借りた本が岸田奈美という方の「国道沿いで、だいじょうぶ100回」(小学館)というエッセイ集で、感想をブログに書き終えて、返す時に予約したのが、同じ岸田奈美という著者で「家族だから愛したんじゃなくて愛したのが家族だった」(小学館)でした。 まあ、貸出だけじゃなくて、予約とかもできるのかどうか試し予約の意味もありましたが、1冊目が、そこそこ面白くて、すぐ読めたから、とりあえず、ある本はみんな借りてみようかと、同じ著者で、その図書館にある本、全部予約しました。まあ、そういう本の読み方をするタイプなのですが、1週間後に全部借り出せて、とりあえず、デビュー作らしいこの本を読み終えました。 気がつけば、作家になっていた。 いや、本当に作家なのかしら。代表作といえるものはないし、小説や詩を書いたこともない。下手の横好きが肥大化して、下手の縦横無尽好きのようになっただけだ。身のまわりに起こった愛しいことを言葉にして、花咲じいさんのように四方八方まき散らしたら、たくさんの人に読んでもらえた。ただそれだけだ。 中略 わたしは、父が大好きだった。 それなのに、反抗期だった中学2年生のわたしはいってしまった。ささいないい争いがきっかけで。「パパなんか死んでしまえ」って。目も合わさなかった。 その夜、父は急性心筋梗塞で病院に運ばれた。2週間、父は目を開けないまま、息を引きとった。 いちばん大好きな父との、最期の会話が、いちばん伝えたくなかった言葉になった。わたしはずっと後悔していた。どれだけ泣いても謝っても、父はもなにもいわない。 「パパはね、救急車に乗るとき、何回もいってた。『奈美ちゃんは大丈夫や』『奈美ちゃんはオレに似とる』『だから絶対に大丈夫や』って。たぶん、もう自分が助からんってわかってたんやろうね」 母はいった。わたしは、父が残した大丈夫の意味を、ずっと探し続けている。(P5~P7) 本書のまえがきの一節ですが、読んでいて笑いました。先に読んだ「国道沿いで、だいじょうぶ100回」(小学館)で大丈夫を叫んだのは、弟の良太くんを、危機一髪で助けたお母さんでしたが、このデビュー作で大丈夫を繰り返したのは、奈美さんが中学生の時に亡くなったお父さんでした。 で、奈美さんは「死んでしまえ」といったら死んでしまったお父さんが残した大丈夫という言葉の意味を探し続けて、日々、書きつづける「作家」になったというわけでした。 なるほど、どの文章も、だいじょうぶ? だいじょうぶ! という、問いと答えの世界が描かれていて、彼女を愛し、彼女が愛している家族の姿 が活写されていてどんどん読めてしまいます。読んでいる、こちらも、いつの間にか「ええー?だいじょうぶ?」「よかったね、だいじょうぶやったやん(笑)」 まあ、そんな言葉をつぶやきながら、次々ページを繰り続けて、ふと、時計を見ると、あれ、まあ、もう、午前3時やん! の読了でした。70歳の老人読書、目もかすむのに、ちょっと、大丈夫ちゃいますね(笑)。 追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.10.26
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ヌリ・ビルゲ・ジェイラン「二つの季節しかない村」シネリーブル神戸 40年近く学校というところで働いてきたからでしょうか、学校が舞台で、なおかつ、教員と生徒、教員と教員のやりとりとかでドラマが構成される映画は苦手です。生徒さんはともかく、同僚とか、上司とか、もう、思い出すのもイヤかもしれません(笑)。 まあ、そうはいいながらもそうはいってもトルコとかやし! とか思って見に来たのがヌリ・ビルゲ・ジェイランという監督の「二つの季節しかない村」でした。 一面、雪の広野の真ん中にバスが止まって、一人の乗客が下りて、どっちかわからない方に向かってあるきはじめます トルコの東部、アナトリアという地方にあるインジェス村という田舎の村の学校が舞台だそうですが、世界地図を思い浮かべても何も浮かんできません。薄暗く、白い映像に、人の踏み跡でつけられた道は、ボクにとっては、この映画で一番印象的! といってもいいシーンでした。 ボクは兵庫県の北部の山間部の育ちですが、こういう薄暗い雪道は記憶にありますね。ただ、ボクの記憶では、すぐそこに山があって、深く積もった雪にかぶさるように山そのものの暗さが迫って来るのですが、映画のシーンには途方もない遠さ、広さのイメージが広がっていて、これがトルコか!?でしたね。 198分の映画の始まりです。 雪の中を歩いていたのがサメットくんでした。年齢は40歳を越えているとしか思えません。村の学校、日本でいえば小学生から中学生に当たる年齢の子供たちが通う学校の美術の教員で、担任をしていました。「尊大で狭量」とチラシに書かれている男ですが、この男の姿を映し続ける映画を見終えていえることは、「なんだか、疲れました。」 ですね。 何故、疲れたのか。いろいろ書くのはめんどうなのでいってしまいますが、まず、サメットくんがその年頃のわたし自身だった! と感じたからじゃないでしょうかね。 もちろん、女生徒にこっそりコンパクトを贈ったり、リベラルな女性教師を口説いたり、教室で気分任せの権力を振り回したりした経験があるわけではありません。しかし、彼が「教育」という現場にいながら、現場にいるからこそ、リアルに認識しているはずの社会に充満している「虚偽」について、正面から向きあうことをどんどん迂回していきながら、自己正当化の穴倉の中の開き直りに至り着き、自己弁護の末に「イスタンブールに転勤したい」 という、現実逃避の姿は、ある時期の「私自身」を思い浮かべましたね。 もちろん、現場で、そんなことを口にしたことはありませんし、誰かとそういう論点で言い争ったこともありません。だまって、40年勤めました。この映画の感想で、こんな事を書くのは、家に帰って、いろんなレビューを見ていると、サメット君が、この映画を見た世間の人たちからボロクソに言われているのを見たからということもあります。 確かに、ヌライさんのような生き方もあります。しかし、世の中の多くの方はサメット君を小馬鹿にすることが出来る生き方をなさっているのでしょうか? ヌリ・ビルゲ・ジェイランという監督は、どうもただものではありませんね。この映画を見ながら「サメットはあなただ!」 というメッセージを感じたりするのは、ボクだけかもしれませんが、映画の、終わりになって、降りしきる雪の中の女生徒セヴィムちゃんのクローズアップ、そうです、上のチラシの写真のシーンが映し出されてきたときに、ギョッとしました。 旧弊な、田舎社会のなかで、似非インテリの教員が、いわば、その旧弊さに無批判にのっかって、ノホホンと胡坐をかきながら自己弁護に気を取られ、ただの気まぐれで、その実、横暴な教員として、我が儘な権力を振り回している教室でセヴィムちゃん達は大きくなるわけです。彼女たちに未来はあるのでしょうか。 降りしきる雪の中の彼女の姿が、見ているボクに訴えかけるものは希望ではなくて絶望だったところが、この監督の凄さだと、ボクは思いました。拍手! 映画はトルコの果ての村の話でしたが、30数年の教員暮らしで見てきた世界そのものなのですから、そりゃあ、疲れますよね(笑)。他人ごとだとサイラス君の悪口なんかいってられませんからね(笑)。 監督・製作・脚本・編集ヌリ・ビルゲ・ジェイラン脚本 エブル・ジェイラン アキン・アクス撮影 ジェバヒル・シャヒン キュルシャット・ウレシン編集 オウズ・アタバシュ 音楽 ジュゼッペ・ベルディキャストデニズ・ジェリオウル(サメット:美術の教員)メルベ・ディズダル(ヌライ:町の学校の英語の教員)ムサブ・エキチ(ケナン:同僚)エジェ・バージ(セヴィム:女生徒)エルデム・シェンオジャク(トルガ:同僚)ユクセル・アクス(ヴァヒト:獣医)ミュニル ジャン・ジンドルク(フェイヤズ:飲み屋のおやじ)オヌル・ベルク・アルスランオウル(ベキル校長)ユルドゥルム・ギュジュク(教育部長)ジェンギズ・ボズクルト(ナイル)S・エムラ・オズデミル(軍曹)エリフ・ウルセ(サイメ副校長)エリト・アンダチャム(フィルデヴス)ナラン・クルチム(ケヴセル)フェルハト・アクグン(アタカン:カウンセラー)エイレム・ジャンポラト(ハリメ)2023年・198分・G・トルコ・フランス・ドイツ合作原題「Kuru Otlar Ustune」英題「About Dry Grasses」2024・10・14・no134・シネリーブル神戸no274追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.10.25
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「富士山の裾野って、やっぱり、すごいわ!」 徘徊日記 2024年10月19日(土)富士霊園あたり 新大阪を出発して、三島駅到着。「ヒカリ」号でしたが、やっぱり早いですね。「あっ」というまでした。(ウソですけど) 三島駅からはレンタカーです。東京からやってこられた数名と合流して、レンタカー2台、いざ!富士霊園へ! 東名高速だか、新東名だか、全くわかっていませんが車窓からは富士! です。 目的地到着です。富士霊園管理事務所前の駐車場です。ここからも富士山が見えます。この方向のちょうど反対、南東が箱根、箱根の手前が足柄山ではなくて金時山、金時山の南が南足柄市という町らしいですね。ここは駿東郡小山町という地名らしいですが、金太郎さんの町でもあるようですね。 富士山が見えるこの場所は、ちょうど、広大な墓苑の真ん中あたりのようです。で、お墓のお守りは金太郎さんのお仕事のようです。ここから北側の斜面を登って行くと日本文芸家協会のお墓がありました。 こんな感じです。墓碑の手前にお骨を収める溝があります。到着すると、すでに蓋が開けてあって納骨の準備が整っていました。 ここが、恩師、野口武彦さんの墓所です。 東京から関西にやってこられて、芦屋の地で60年暮らされた先生でしたが、生前、ご夫婦で選ばれていた終の栖は富士の裾野の丘の上です。 で、墓碑に刻まれている代表作は2015年に講談社から出された「花の忠臣蔵」です。 先生の墓碑の裏側には奥様の墓碑があります。亡くなられて5年の歳月が過ぎました。「シマクマさん、モモちゃんは元気?」 お出会いする、その度に、ほんのりした笑顔でわが家の愉快な仲間たちのことを気遣っていただいたことが昨日のことのようです。 文学碑公苑と名づけられているこの丘の上からは西に延々と広がっている富士の裾野が一望できます。広大な敷地に広がっている他の墓所が見えないように作られているのでしょうか、ここから見えるのは富士の裾野だけです。 お若いころには紅灯の巷を得意とされた方ですが、奥様とお二人とはいえ、えらいところを選ばれたものですね(笑)。「こんな所でポツーンと、センセ、サミシないんか!?」 まあ、死ねば死にっきりとは思うのですが、お骨が納められて、振り返ると、この風景です。フト、そんな気持ちに・・・・。 というわけで、恩師ご夫妻の納骨、無事終了しました。芦屋のお住まいも9月30日に処分が終了しています。せっかくなので、もう一枚、途中に見えた富士山を載せておきます。 これが「花の忠臣蔵」(講談社)です。 ああ、それから、これが霊園のパンフレットです。にほんブログ村追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです
2024.10.24
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フランソワ=クリストフ・マルザール「ロール・ザ・ドラム!」元町映画館 予告編を見て「いいかも?」という気がしてやって来ました。2024年10月22日、火曜日の元町映画館でした。 ウーン、1970年代という時代背景も、スイスの山岳地帯というか、ワインの産地の農村で、イタリアからの出稼ぎ地帯とかで、お話を引っ張るネタが音楽ですからね、なかなか興味をそそられて、好みのパターンだったんですが、どこか突っ込み不足! の印象でしたね。 音楽好きの村の生活、婦人参政権で揺れるカトリック的男権社会、村を捨てて出て行く若者と残された老人、二世代に渡る親子の葛藤という背景というか、設定というかも面白いし、教会のお賽銭泥棒の娘、男前でトランペットの名手の出稼ぎ青年、その上、愛嬌のあるブルドッグ君という登場人物のキャラも悪くない、にもかかわらず展開の詰めが甘いというか、中途半端で、「で、なにがあったの?」 という肝のところが「わかってくださいネ!」 という観客まかせになっていて、まあ、そういう作り方なのでしょうが、どこか端折られている印象なのですね。 で、人と人の組み合わせを見ているだけで、なんとなく、結末が読めちゃうのが、まあ、コメディというか、人間喜劇というかなので、しょうがないのですが、安易かな(笑) という感じ。いい話なんですけどねえ。 筋のわかっている吉本新喜劇を見ている感じで、ひょとしたら、スイスでは、かなりな俳優さんたちなのかもとも思いましたが、ザンネンでした(笑)。 でも、まあ、このノンビリ感はキライじゃないのですね。先日、トルコの田舎を舞台にした「二つの季節しかない村」という作品を見ましたが、背景の雰囲気が似ていて、見終わった後は真反対の印象だったのが面白かったですね。まあ、そういうわけで、ちょっとだけ拍手!(笑)。監督・脚本 フランソワ=クリストフ・マルザール脚本 ニコラ・フレイ撮影 セブリーヌ・バルド編集 ニコラ・イスレア音楽 ニコラ・ラベウスキャストピエール・ミフスッド(アイロス)パスカル・ドゥモロン(ピエール)ザビーネ・ティモテオ(マリー=テレーズ:アイロスの妻)ジャン=リュック・ビドー(ロベール)ピエール=イザイ・デューク(マルキュス)フランソワ・フローレ(ギュス)アンドレローラン・ブイヨー(ジョルジュ)アメリ・ペテルリ(コリネット)ジュゼッペ・オリッキオ(カルロ)ベルナー・ビールマイアー(アンリ)2019年・90分・スイス原題「Tambour battant」2024・10・22・no135・元町映画館no262追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.10.23
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徘徊日記 2024年10月19日(土)「この車輪、新幹線?」新大阪あたり 今日は、2024年の10月19日、土曜日です。朝からJRに乗って、新大阪駅に来ています。お友達数人と一緒に、新幹線で出かけるのですが、出発地が新神戸ではなくて新大阪なんですね。 で、約束の時刻に40分ほど早く着いたので、30数年ぶりの新大阪駅徘徊です。 最初は駅の構内をうろつくつもりだったのですが、あまりの人の多さにビビって御堂筋線の乗り換え口あたりから外に出ました。 さすが、江坂です。道端でタバコ吸っている人どころか、タバコをくわえてチャリンコに乗っているオッちゃんとか、いい雰囲気です。 在来線と新幹線の間あたりには、ナント、踏切りがありました。吹田の操車場あたりに行く線路なのでしょうかね? そこに電車がやって来ました。向うに見えるのが、在来線の新大阪駅のプラット・ホームですが。この電車がどこ行きなのか確認し損ねましたね。 写真を撮っているこの場所は、在来線と新幹線の、昔なら跨線橋と呼ぶべき通路のの地下、高架下です。 ねっ! 向うに在来線のプラットホームがあって、ここの上に新幹線の新大阪駅があるわけです。 というわけで、新幹線の新大阪駅の外側をぐるっと回ってきたら、一番最初に乗せた写真、車輪の置物があって、その前が駅前駐車場。 で、正面口のエスカレーターです。 そろそろ、約束の時間です。エスカレーターを上ると、ちょうどその上で骨壺を二つ抱えたマリちゃんと遭遇です。お読みいただいている方々には「骨壺って、何よ?」 ですが、いつもの、フラフラ徘徊気分が抜けないシマクマ君、今日は、実は、この夏亡くなった、学生時代からの恩師ご夫婦の納骨が目的の旅の始まりです。「M君と、シマクマ君、責任をもって頼むよ!」 まあ、それが恩師の遺言なのですが、頼りにならないシマクマ君はついて行くだけです。もう一人の当事者M君は「当日、忘れたらどうしよう?」 と不穏な発言をして、結局、骨壺は先生の奥様から遺言を託されマリちゃんが二つ抱えて、やって来たというわけです。新大阪駅は、とんでもない人の群れでしたが骨壺を二つ抱えた人は他にいなかったでしょうね(笑)。いやー、マリちゃん、本当にご苦労様でした。 さて今から東に向けて新幹線に乗ります。目的地は静岡県の三島です。で、そこから自動車に乗り換えて、富士の裾野にあるという「富士霊園」という墓地です。 それで行ってきます。もちろん、「納骨」徘徊日記は続きます。にほんブログ村追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです
2024.10.22
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「朝の夕顔」 ベランダだより 2024年10月21日(月) ベランダあたり 2024年、10月21日の朝は早起きでした(笑)。 で、ベランダに出て見ると昨夜来の夕顔がまだ咲き続けていました。お天気もよくて、朝の光に眩しげ咲いている夕顔でした(笑)。 こちらはベランダの内側で咲いていた花です。 内側に一つ、外側に三つ、合計で四つ咲いていました。 外側の三つ、ちょっと角度を変えて見ました。写真の向うが東で、そちら側から朝日が射しています。明るい朝の夕顔も、なかなかいいものですね(笑) こちらが、昨夜の姿です。朝になって咲いていたのはこちら側では三つでしたが、昨日の夕暮れに、二つはまだ蕾でした。一番下の蕾は、一昨日に咲いて、しぼんだ蕾ですね。にほんブログ村追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです
2024.10.21
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養老孟司・池田清彦・奥本大三郎「虫捕る子だけが生きのびる」(小学館新書) 今日は養老孟司・池田清彦・奥本大三郎「虫捕る子だけが生きのびる」(小学館新書)です。 ボクにとっては、まあ、どなたも、イロイロ読ませていただいてきて、気に入っている、当然、耳慣れた方たちですが、その三人が集まって「昆虫採集」のお話をなさっている実況中継本です。 結構、有名人だと思い込んでいたので、試しに20歳の女子大生の方たちに尋ねてみると、その場にいた、数十人の方たちが、この三人のどなたもご存知なかったことに、ポカーンでした(笑)。 お三人の中で、「遺伝子がわかる」(ちくまプリマ―新書)の著者で、早稲田の名誉教授、池田清彦さんが一番お若くて1947年生まれで77歳。 「ファーブル昆虫記」を全部訳し直して「完訳版ファーブル昆虫記」を集英社から全10巻で出して、「ジュニア版ファーブル昆虫記」(集英社文庫・全8巻)も世に問うて、結構、読まれた奥本大三郎さんが1944年で80歳。「バカの壁」(新潮新書)で一世を風靡したのが2003年の養老孟司さんは1937年生まれで、87歳です。20歳の女子大生さんたちには、みなさん、下手をするとひいオジイサンなわけで、知るわけありませんね(笑)。 まあ、それぞれ、山のような著書があって、人気だった方たちですが、20年ほど前の出来事だったのですね。 で、この本ですが、市民図書館の新入荷の棚で見つけて借り出しました。爺さんたちの虫捕り談義 なわけで、ボクなんかの世代には「昆虫採集」の思い出がありますが、今の若い人には、あんまり一般的じゃないわけで、まあ、お好きな方たちでどうぞ! というムードの本なのですが、読んでみると、さにあらずでしたね。 文明論から、地球環境とか、温暖化とかについても、街路樹の植え方とか、ゴキブリの生態とかから、都市計画、農業政策に到るまで、あれこれおもしろい話が続くのですが、たとえば、養老先生は「脳」の専門家ですが、ご専門の世界について、「オッと、これは!」 という話も出てきて、飽きませんね。 で、一つ紹介します。 脳と言葉の関係についてのおしゃべりです、養老 今、なぜ、子どもに虫を捕らせた方がいいのか。その問題を考えるときに、世間の皆さんに、ぜひ気づいてほしいことがあるんです。それは要するに、脳みそは総合なんだということです。言いかえると、脳の機能は回転なんだということ。奥本 なるほど。それで?養老 まず、外界から情報が感覚を通して脳に入ってきますよね。これがインプット。脳の中で計算して、考えて、その結果が肉体の運動として出て行く。これがアウトプットです。たとえば、今、ここにコーヒーカップがある。すると、まず、「目の前にコーヒーが入ったカップがある」という情報が視覚を通して脳にインプットされる。脳で計算して、「しゃべり疲れたから、ちょっと飲んでみるか」と考える。その結果が、手を伸ばしてコーヒーを飲むという運動としてアウトプットされるわけ。池田 入力した情報を脳の中で解釈して、出力するわけだ。養老 そしてコーヒーを飲んでみたら、「もうぬるいや」と感じる。すると脳は「もう一度入れ直そうか」と考える。そういう具合に、インプットとアウトプットが連鎖していくわけですよ。アウトプットが再入力されながら、ぐるぐる回っているんです。奥本 なるほど、回転ですね。養老 感覚→脳→身体→感覚・・・・という具合に、情報をぐるぐる回していくことがとても大事なんです。このことの重要性に気づいたのは、脳研究の世界でも、実は比較的最近のことなんですけどね。池田 再入力あるいは再代入するプロセスとして、脳を捉えるわけですね。養老 そうです。だから、赤ん坊がハイハイすることには、たいへん大事な意味があるわけ。ハイハイした瞬間から、自分の手足を使って世界の中を移動するという、とても知的な作業が始まるんです。これが、脳の発育にとって、とても大きい。脳性麻痺の赤ちゃんの場合、かわいそうだから歩かせないでおくと、言葉が出てこないんです。奥本 一歩動いたら、すべてのものの角度が変わって見えてきますものね。池田 赤ん坊の目に見えているものが変化していく。養老 でも、そういうふうに次々に変化していくものを全部覚え込もうとすれば、脳は壊れちゃうんです。情報量が多すぎる。それでどうするかというと、自分が移動することで違った世界がどんどん現れるけど、その世界は根本的には一つの同じ世界で、違うように見えているだけだというふうに、脳がまとめていくわけですよ。概念にまとめ上げていく。(P61~P62) 脳が感覚→脳→身体→感覚・・・・という具合に、情報をぐるぐる回していくことによって活性化する。 というあたりの話は知っていました。 で、「おっ!」 というのは、まず、「脳性麻痺の赤ちゃんの場合、かわいそうだから歩かせないでおくと、言葉が出てこないんです。」 というところでした。 最近読んだ岸田奈美さんの「国道沿いでだいじょうぶ100回」(小学館)という著書の中に、ダウン症の弟さんが「ことば」を獲得していく経験について書かれているところがあったんですが、ピタリと符合しますね。 まあ、そのあたりはそっちの本を読んでいただくほかありませんが、 新しい生活環境の中で、新しい情報が「脳」をいそがしく働かせ始めるとどうなるか。「変化していくものを全部覚え込もうとすれば、脳は壊れちゃうんです。」 で、概念化! 言葉の登場なのですね。おー!そうか! そうか! でしたね。いや、ホント、面白いと思いませんか?脳を壊さないために、ことば! ですよ。 まあ、そこから、どうして子どもに昆虫採集なのというふうに話は進みますが、そのあたりはご自分でお読みください。「昆虫採集?虫?」 といぶかしむタイプの方には、退屈、あるいは、ええかげんにしてほしい話かもかもしれませんが、なかなか、興味津々でしたよ。 追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.10.20
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「この花、酔芙蓉っていうそうです。」 ベランダだより 2024年10月8日(月)団地あたり ベランダだよりで彼岸花や夕顔を紹介していましたが、9月の末から美しくしい花をつけている花木が、棟の庭にあります。 この花ですが、街中でも見かけますね。名前ご存知ですか? 酔芙蓉というそうです。芙蓉の花の一種らしいですが「醉」 の字が頭に着くのですね。なんでその字がつくのかというと、花開いてしばらくすると、この白い花がピンクから紅色に変わるんです。 この日に撮った写真はみんな白です。素面なのですね。 花の芯が、ほんのり色づいていますが、酔ってくるともっと赤くなります。 こんな感じ。これは、後日の写真ですけどね。 もっとも、この花の写真に熱中していたボク自身はこんな状態です。 はい、このあたりクッツキ虫、が群棲しているんでした。忘れていて、ウロウロしてえらいことでしたよ。(笑) ああ、クッツキ虫って植物ですよ。虫ではありません(笑)にほんブログ村追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです
2024.10.19
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山下澄人「月の客」(集英社) 山下澄人の「月の客」(集英社)を読みました。2020年に出たときに買って、もう、何度目かです。 最初に読むときに「月の客」やし! とか思って、米くるる友を今宵の月の客 芭蕉此の秋は膝に子のない月見かな 鬼貫岩鼻やここにもひとり月の客 去来 こんな句を思い浮かべました。まあ、それぞれ江戸時代の有名な句ですが、今更でボクがいうまでもありません。どれも、イイ句ですね(笑)。ことばが描いている世界を月の光がほのかに照らしていて、ほんのり明るい、さすがです。 で、山下さんの「月の客」ですが、何度読んでも、まあ、これらの句が関係あるような、ないような、でも、作品世界を月の光が照らしていることは、確かなのですが、だからどうだといわれれば困りますが、まあ、そういう小説です。 ネットでよめる集英社の作品紹介に「小説の自由」を求める山下澄人による、「通読」の呪いを解く書。とあって、まあ、大変なのですが、続けて登場人物と物語の展開につて 父はおらず、口のきけない母に育てられたトシは、5歳で親戚にもらい子にやられた。だがその養親に放置され、実家に戻ってきたのちトシは、10歳で犬と共にほら穴住まいを始める。 そこにやってきたのは、足が少し不自由な同じ歳の少女サナ。サナも、親の元を飛び出した子どもだった―。 親からも社会からも助けの手を差し伸べられず、暴力と死に取り囲まれ、しかし犬にはつねに寄り添われ、未曽有の災害を生き抜いたすえに、老い、やがていのちの外に出た<犬少年>が体験した、生の時間とは。 という、エライ詳しい紹介までついています。なんで、こういう、ネタバレともいえる紹介が? ですが、お読みになればすぐにわかります。読み終えて、この紹介を読みなおして、問題は、それで、わかったのかどうかということなのですが、ああ、そうだったのか !? と、ようやくわかる作品だからです(笑)。 土手へ出て、下りる、草がはえている、草を踏んで下りる、砂利の道を横切り、再び草地、そしてかたい土、これは確かグラウンド、子どもが野球をする、子どもの声が聞こえて来る、聞こえてくるようだ、聞こえてはいない、足跡がいくつも、小さい足跡、いぬがにいをかいでいる、空は晴れて相変わらず大きな月が出ていて 月はな十五夜かけて満月になんねん その反対は真っ暗、新月、真っ暗 かぐや姫も、手ぇ伸ばして、見えへん見えへん、言うて み、み、水―、や、 ヘレンケラーやん 知らんの? あんた何にも知らんな (P4~P5) 最初に、空に月が出ているシーンです。 穴の前でトシが寝ている、死んでいる、横にいぬがいる、いぬはトシのにおいをかいで、横になる。腹が減ればいぬはトシを食べる大きな月 月から見えている星は、止まったりしない、音もない、時々何かが白く走っては消える、生きものは、もう見えない、見えないが、いる、たくさんの、しかし、それは、いつまで、続く、 もうしばらくは このまま、続く(P189) 最後の最後、実は、月は作品の中でくりかえし描写されますが、これが最後の最後の月です。解説によれば、主人公で、ひょっとしたら語り手だったかもしれないトシと呼ばれる少年、ひょっとしたら、最後はオジサンは、このシーンでは、もう、死んでいて、隣にいぬ、ひょっとしたら主人公だったかもしれない、いぬ、がいて、月が出ています。 ここまでやってきた小説世界のこのシーンには、ここまで、どのシーンにも、ずっと、あったのに、なくなっているものがあります。「声の響き」ですね。み、み、水―、や、ヘレンケラーやん知らんの?あんた何にも知らんな 最初の引用のシーンで、誰が誰に語りかけているのかは定かでないのですが、神戸暮らしのボクには異様にリアルな、そう、神戸弁なんですね、声が響き始めて、180ページの作品中、ずっと、響き続けています。 紹介に「犬少年」とありますが、最後まで、主人公であるらしいトシが犬少年と呼ばれていたことに、ボクは気付きませんでした。 あるのは、誰かが、作品中の誰かになのか、読み手のボクになのか、「知らんの?あんた何にも知らんな」 という声だけでした。 で、最後は、月は空にあるようで、誰の声なのか、もちろん、わからない、静かな声が響きます。もうしばらくはこのまま、続く 文字で書きつけるほかに方法がない小説に「声」を響かせん! とする荒業です。大したものです。 山下澄人が、お芝居の演出家であることは知っていましたが、どんなお芝居をやっていらっしゃるのか?ちょっと見てみたいものですね。 追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.10.18
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「フーセンカズラ・風船葛、涼しくなって生き返りました!(笑)」 ベランダだより 2024年10月12日ベランダあたり 南側のベランダと、台所の前の北側のベランダに、風船カズラの鉢が一つづつあります。チッチキ夫人が気に入っているんですね。 夏の終わりごろから「風船」がなって、最初は緑ですが、やがて茶色になります。彼女は、毎年、そこから種を取っているようです。 今年も、8月の半ばごろから「風船」がついて、もう茶色になっていたのですが、10月になって、涼しくなったからでしょうかね、またもや「風船」が付き始めて、今や盛りです。彼岸花も一月遅れでしたが、こっちは生き返ったということでしょうか。この写真では茶色くなった「風船」が、よくわかりませんね。 チョット、下の写真を見てください。 こちらが、台所の前の「風船」です。 ネッ! 茶色くなった風船と緑の風船が、同じ蔓で同居しているでしょ。涼しくなったから忘れそうですが、やっぱり、とてつもなく暑い夏だったんですね(笑)。にほんブログ村追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです
2024.10.17
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岸田奈美「国道沿いでだいじょうぶ100回」(小学館) サンデー毎日の日々を映画館徘徊で暮らしている老人ですが、春と秋のシーズン、週に一度だけ女子大生の皆さんとお出会いして、おしゃべりさせていただいています。 で、その学校の図書館でも本をお借りできるというラッキーを、ここ数年満喫していたのですが、今年2024年の春、「借りてばかりで、返さないのは、ちょっとあかんのじゃないだろうか。」 と殊勝なことを思いついてリュックいっぱいの本を担いでお返しに行ってみると、いかにも真面目そうな司書の方から「えーっとですね、ちょっと延滞がひどいですね。8月末迄貸出禁止ですね!」 と申し渡され「アワワ!」 でした。ほぼ、半年前ね。 で、9月の新学期になったので、「だいじょうぶかな?」とオソル、オソル、カウンターに差し出したのがこの1冊でした。 岸田奈美という方の「国道沿いでだいじょうぶ100回」(小学館)です。 書き手の岸田さんについても、内容についても何も知りませんでしたが、題名に励まされたんですね。「だいじょうぶ!だいじょうぶ!」 でしたね(笑)。 で、書き手についてパラパラ見ていると「家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった」(小学館)という本で評判になった方というのを見て、フト、「ああ、あの本の著者か?題名が、ちょっとイヤでスルーしたな。」とか思いだしましたが、「この3年間で「だいじょうぶ」が口ぐせになってしまった。」 という書き出しの「はじめに」から読み始めて、とまらなくなりました。短いエッセイを集めた1さっつなのですが、次から次へと止まりません(笑)。 なんなんだ、この「????」は? はい、かっこの中にどう書いていいのかわからないので???なのですが、まあ、取り合えず思いつくのは「吸引力」ですかね。「馬が合う」というのでもいいかもですが、内容はともかくとして、語り口が気に入ったんでしょうね。 で、まあ、案内としては、書名になっている「国道沿いで大丈夫100回」ですね。子どものころ、人気の遊び歌があった。「奈美ちゃん、奈美ちゃん、どっこでしょう~♪」保育園の先生が歌う。「ここでっす、ここでっす、ここにいます~っ♪」子どもらは大喜びで、返事をする。母が歌う。「良太くん、良太くん、どっこでしょう~♪」返事はない。弟はいつもどこかにいたけど、いつもここにはいなかった。ジッとしていられない弟だった。だまっていられない弟だった。保育園でも、学校でも、歩道、公園でも、むちゃくちゃに跳ねまわっていた。軌道がまったく読めないスーパー・ボールみたいだ。捕まえられるのは、母だけ。弟を取り押さえるときに発揮する、母の爆発的な初速は、ラグビー選手のようだった。保育園へ行く途中のことだ。弟が国道へ飛び出した。一瞬だった。母の足の間を急回転ですり抜け、彼にしか見えないなにかを追って、自由な魂みたく駆けてった。道路のド真ん中で、弟はピタッと立ち止まる。凍り付いていた母の時間が動いた。声もかれる絶叫だった。母は死ぬ覚悟で体を投げ出し、弟の服のフードをガッとつかむと、歩道へ引きずり戻した。大型トラックが、轟音とともに走り去っていった。あと5秒、遅れていたらだめだった。母は地面にへたりこみ、震えながら、弟を抱きしめて放さなかった。「だいじょうぶ、だいじょうぶ、だいじょうぶ」 ここまでが実況中継、で、ここからが、著者である岸田奈美さんの気持ち。幼かったわたしには、知らなかったことがたくさんあった。弟がダウン症で生まれてきたこと。身体がむずむずするから、手をつなぎたがらないこと。フード付きの服ばかり着ていたのは、命綱だということ。必死で弟の命を守ろうとする母の姿が、近所で不思議そうな視線にさらされていたこと。弟がおもちゃを持って公園に行くと、親にそっと手を引かれて、離れていく子供たちがいたこと。療育の先制の「愛が足りない」「しつけがなってない」という言葉で、帰り道に母が唇をかみしめながら、弟に頬をよせて泣いていたこと。どんなに疲れ果てていても、悔しくても、母が外で笑顔を絶やさなかったのは弟を嫌わないでいてくれる人が、弟の命を守ってくれる人が、どうかひとりでも増えますようにという、祈りだったこと。そんな苦労、わたしや弟は。なにひとつ知らなくてもいいように、「奈美ちゃんと良太が生きているだけで、ママはうれしい」と、何度も何度も、語り続けてくれたこと。わたしはなんにも知らなくて。いま、あの日に戻れたら。国道沿いで、へたりこんで、泣いている母に会えたら。「だいじょうぶ」って、100回言ったる。(P71) と、まあ、こうです。いかがでしたか? 実は、この章はまだまだ続きます。続きが気になる方は本書を手に取ってくださいネ。 書き写しながら、岸田さんのおかあさんのことを思い浮かべてしまって、70歳の老人は、やっぱり泣いてしまうのですが、いい方がジジ臭くて申し訳ないのですが、書き手の岸田さんも、この母ありて、のお嬢さんですね。 本書には、良太くんが「ことば」を獲得していく興味深いエピソードとか、お母さんの入院の話とか、読み始めたら止まらなかったわけで、いかがでしょう、「面白い」は語弊がありそうですが、面白いですよ(笑)。 追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.10.16
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「黄色いバラ三輪!日曜日の玄関。」 ベランダだより 2024年10月13日(日)ベランダあたり 2024年、10月13日の日曜日、出かけようとした玄関に黄色いバラが三輪、笑っていました。昨日のお土産です。 2024年10月12日の土曜日、20年前にお別れして以来、どなたとも、ただの一度も出会ったことがなかった100人近くの「教え子」さんたちと再会し、まあ、彼女や彼たちだけでなくて、やっぱり20年ぶりに、一緒にお仕事をしていた仲間の方たちともお出会いして、ホント、自分の人付き合いの悪さを実感しながらも、感激の一夜だったのですが、お出会いした皆さんの顔、顔、顔、いやぁー、名前はわからないのにワラワラと記憶はうごめいてきます。 みんな、あのころ、玄関のバラの後ろに見えるナウシカみたいに、あどけなくて素敵な表情をしていたんですよね(笑)。 ふくれっつらをしたり、睨んだり、笑ったり、泣いたり、まじめな顔で首を傾げたり、17歳、18歳だったのですね。「10年後ね!」 まあ、そういわれて、肩をたたかれてハイ!ハイ! とご機嫌にお返事してお別れしたのはよかったのですが、さて、10年後、元気にしてたらいいですね。 いやホント、みんな、笑顔、ありがとう! の一夜でした。にほんブログ村追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです
2024.10.15
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五十嵐耕平「SUPER HAPPY FOREVER」元町映画館 先日見た「石がある」という作品に、妙にひっかかっていて、それでいて、どこにひっかかっているのかもよくわからないことが、まあ、気になって見に来ました。 五十嵐耕平監督の「SUPER HAPPY FOREVER」です。「石がある」の太田達成監督が助監督として制作に参加した作品だということなので、まあ、その世代というか、若い映画製作者の人たちがどんな映画を作っているのだろうという興味ですね。そのあたりに、ひっかかりを解くヒントがあるんじゃないかというわけです。 で、見終えた後、監督の五十嵐耕平さんの舞台挨拶とおしゃべりまであって、ナルホド、そういうことなのか! という、ボクなりの納得というか、スッキリ!というわけにはいきませんでしたが、ひっかかりを解く糸口のようなものを見つけた気がしました。 2023年、8月19日、どこかの、さびれたリゾートの海の見えるホテルの部屋で、男性が「この部屋でよかったの?」 と連れの男性に問いかけるシーンで、映画は始まりました。 廃業を間近に控えているらしいホテルの819号室、その部屋に、2023年の今日、この男性二人が何をしに来たのか? というのが映画の設定のようです。 ネタバレ的にいうと、二人は佐野君と宮田君ですね。で、最近、佐野君の妻の凪さんが死んでしまったようなのです。で、実は、5年前の2018年の8月18日、佐野君と宮田君はこのホテルに泊まっていて、その時、今日、彼らが泊まっている819号室に泊まっていたのは佐野凪さんという女性だったのですが、だから、それがきっかけで、結婚することになったらしい、結婚する前から佐野凪さんという、その女性、佐野君の亡くなった奥さんと出会ったホテルなのですね。 で、今日、二人は何をしに来ているかというと、出会った時に佐野君が凪さんに赤いキャップ、帽子ですね、をプレゼントするのですが、写真家だった凪さんが、翌朝、一人で海岸とかうろついて写真とか撮っているときに、その帽子を失くしてしまうんですね。 失せ物探し! ですね。「石がある」では「石」でしたが、この映画では、死んでしまった妻が、5年前のあの時になくしてしまった赤い帽子でした。 どうして、佐野君がその帽子にこだわるのかとか、果たして、5年前に失くした帽子が見つかったりするのかとか、そのあたりはご覧になっていただくほかありませんが、ボクはこっちの映画の探し物の展開はよくできていると思いました。 同じように、理が勝っているというか、頭で考えた作品だとは思いましたが、70歳のジジイを納得させる作品に出来上がっている! という感想です。拍手! で、帽子ですが、石はありませんでしたが、赤い帽子はありましたね。映画を見ながら、まあ、普通ありえないことなのですが、その失せ物が出てきたときに、なんともいえない嬉しさを感じさせてもらって、なるほど、「SUPER HAPPY FOREVER」やな! と納得でした(笑)。 川底に転がった「石」は、やっぱり見つからないと思うのですが、何の変哲もないとしても、帽子とかなら見つかるんですよね(笑)。 こちらが、もう一枚のチラシなのですが、写っているのは海を見ている、在りし日の凪さんです。彼女は佐野君と、この海辺で偶然出会ったのですが、他の人とも出会っていて、映画に、人との「出会い」がもたらす希望の象徴のように赤いキャップの記憶を刻み付けて置いてくれていましたね。拍手! でもね、映画の中の佐野君は、最後まで、帽子の行く方は知らないんです。彼は、今回の旅で親友の宮田君とは喧嘩別れしてしまうし、探していた帽子は見つからないし、まあ、散々なのですが、映画を見ているこっちは帽子を見つけて、思わず、ニッコリ! してしまうんです。この映画のたくらみの卓抜さは、多分、このあたりにありそうですね。一番切ない主人公は「UNHPPY」なままなのですが、見ているこっちはSUPER HAPPY FOREVER、うまいものです。拍手!監督・脚本・編集 五十嵐耕平脚本 久保寺晃一撮影 髙橋航編集 大川景子 ダミアン・マニベル音楽 櫻木大悟助監督 太田達成キャスト佐野弘樹(佐野)宮田佳典(宮田)山本奈衣瑠(凪)ホアン・ヌ・クイン笠島智海沼未羽足立智充影山祐子矢嶋俊作2024年・日本・フランス・G・ 94分2024・10・12・no133・元町映画館no261追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.10.15
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「彼岸花にアゲハ( ´艸`)」 ベランダだより 2024年10月11日(金)ベランダあたり 住んでいる部屋の南側がベランダで、その前が子どもたちの遊び場の広場です。わが家の愉快な仲間たちが歓声を上げて野球やサッカーや鬼ごっこしていたのはもう30年以上も昔のことですが、その頃から、9月になるとベランダのすぐそこに彼岸花が咲いていました。 「おばちゃん、花咲いてるで。赤ちゃん寝てる?」 愉快な仲間の末っ子のピーチ姫が生まれた頃、ベランダの柵から、開けっ放しの部屋をのぞき込んで笑っていた子供たちも、今や働き盛りのオジサン、オバサンになって団地にはいません。 今年もヒガンバナが咲いた! と喜んでいるのはオジーさんオバーさんばっかりです(笑)。 で、喜んで写真なんぞを撮っていると、アゲハ蝶がやって来ました。スマホのカメラで何とか、と思うのですが、難しいですね。 画面の上の方にアゲハが一頭写っているのが見えるでしょうかね(笑)。 こちらは、石垣の端あたりです。実は、2頭が乱舞していたのですが、そんなシーン、とても移せませんね(笑)。 誰も遊んでいない、まあ、金曜日ですからね、子どもたちの広場です。あの頃は、十数人が、毎日、遊んでいたので草が生える暇がなかったのですが・・・ まあ、時がたつことは誰にも止められませんからね。そう思うと植物というのは強いものですね(笑)。にほんブログ村追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです
2024.10.14
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トッド・フィリップス「ジョーカー フォリ・ア・ドゥ」109シネマズハット 前作「ジョーカー」で圧倒されたホアキン・フェニックスが、今度はどんなジョーカーを演じるのか? まあ、そんな気持ちで、神戸での封切、初日に見ました。 トッド・フィリップス監督の「ジョーカー フォリ・ア・ドゥ」です。 最初から、最後まで、刑務所にとらわれている男、道化師アーサー・フレックの物語 でした。彼が、悪の化身をであるジョーカーと道化師アーサーとの、まあ、いってしまえば行為に対する責任能力を問えない病的な二重人格なのか、あるいは、死刑に該当する、単なる、衝動殺人犯なのかを裁判で争うストーリーでした。 裁判は、白か黒か、責任能力が有るか無いかを問う論旨で展開するわけですが、ホアキン・フェニクスは異様なリアリティで境界線を生きる道化師アーサー・フレックの存在を熱演します。そこは、やっぱり見るだけの価値があったと思うのですが、しかし、前作のような底知れない「悪」の不気味さ! のパワーはもう感じませんでしたね。 前作で説明不可能な得体の知れなさこそがその本領であるはずだと感じていたジョーカーという存在に対して、この映画では、精神病理的な客観視が端から持ち込まれていたからだとボクは思いますが、実はもう一つ、まあ、これも病理社会学的概念だと思いますが、「フォリ・ア・ドゥ」と副題された共振する狂気 という、具体的にはレディ・ガガという女優さんが、かなりがんばって演じていたリーという女性が、その象徴的な役回りだったのですが、「悪」の「共狂い」的な設定というか、妄想が共振し、それを見ている人が共有していく社会性を描こうとする方向性に、何となくのっていけませんでしたね。 おそらく、その共有感は、映画を見ている人に対しても期待されているということなのでしょうね。たとえば、アーサーに母殺しを意識させ続けているあたりとか、リーのキャラクターとか、歌とアニメを使った妄想シーンの演出というか、脚本は、いかにも、母原病(?)的な傾向を深めている現代社会を意識している気がしましたね。 裁判所のまわりで騒ぐ人々や、刑務所内での囚人たち、看守たちの振舞いにも、まあ、それから「衝撃的結末」ですかね、あそこにも、その設定が投影されていると思うのですが、「うーん、なんだかなあ???」 でした。 まあ、しかし、ホアキン・フェニックスが、大した役者だなあ! という評価は変わりませんね。拍手! 監督・脚本 トッド・フィリップス脚本 スコット・シルバー撮影 ローレンス・シャー美術 マーク・フリードバーグ衣装 アリアンヌ・フィリップス編集 ジェフ・グロス音楽 ヒドゥル・グドナドッティルキャストホアキン・フェニックス(ジョーカー)レディー・ガガ(リー)ブレンダン・グリーソン(ジャッキー)キャサリン・キーナー(メリーアン)ザジー・ビーツ(ソフィー)リー・ギル(ゲイリー)2024年・138分・PG12・アメリカ原題「Joker Folie a Deux」2024・10・11・no132・109シネマズハットno52追記 2024・10・16前作「ジョーカー」の感想がありました。似たようなことを書いています。よろしければ、のぞいてみてください。追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.10.13
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「夕顔、三つ!」 ベランダだより 2024年10月11日(金) ベランダあたり 今日は、久しぶりに元町で、若いお友達と会いました。 いつもはJRで帰って来るのですが、お友達が市営地下鉄の名谷あたりということで、ミナト神戸という元町あたりの地下鉄の駅から、新長田で乗り換えて学園都市、そこから市バスというルートで午後9時過ぎに帰ってきました。 暗い中、最寄りのバス停から団地の中を自宅の前まで歩いてくるとベランダの夕顔が三つ、同じ方を向いて咲いていました。 朝顔は、何となくお日さんに向かって咲いている気がしますが、夕顔ってどっちを向いているんでしょうね? で、こちらが、たよりし忘れていた昨晩の夕顔です。今日の三つの花と同じ方を向いていますね。 アップの写真です。ベランダの中から撮りました。 毎晩、咲いてくれています。 10月も10日を過ぎました。まあ、それにしても、そろそろ、夕顔の季節も終わりそうですね。にほんブログ村追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです
2024.10.12
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半藤一利編「夏目漱石 青春の旅」(文春文庫ビジュアル版) 今日はこんな本もあるよの案内です。30年前の文庫本です。今では、まあ、当然という気もしますが、そのころ「ビジュアル文庫」とか、「ビジュアル新書」とかで、写真をたくさん入れての「入門」、「解説」本が流行りました。 この本は文春文庫のビジュアル版で、「漱石先生ぞな、もし」(文春文庫)の半藤一利の編集で、松山、熊本、阿蘇、ロンドン、足尾、そして東京をたどった、いわば、はじまりの漱石の旅をビジュアルにたどって紹介しています。 で、「夏目漱石 青春の旅」と題された、解説風エッセイ集です。 書き手は以下の目次のとおりです。 「目次」 「はじめに」半藤一利「漱石と旅」 「青春の彷徨」“塩原金之介と夏目漱石” 夏目房之介 〝熱狂の五十四日〟『坊ちゃん』と子規との松山 早坂暁 〝『草枕』の旅『二百十日』の饒舌、九州の漱石〟光岡明 〝霧の中のロンドン、スコットランドの安息〟出口保夫 〝『吾輩は猫である』の三題噺〟半藤一利 〝足尾から『抗夫』を幻視する〟立松和平 〝漱石の二十世紀『三四郎』と明治四十一年の東京〟関川夏央 ちなみに夏目房之介は漱石の孫でマンガ家です。早坂暁は「夢千代日記」の脚本家、光岡明、立松和平は作家、出口保夫は早稲田の先生で漱石研究者、関川夏央は、うーん、何といえばいいのでしょう、まあ、評論家ですね。 もっとも、半藤一利はじめ、書き手の皆さんはボクにとっては同時代の人たちですが、夏目房之介、関川夏央のお二人以外の方たちは、もう、この世の人ではありません。ただ、ここに書かれている文章が気に入れば、作品を追うことは可能です。皆さん一流の書き手ですね。 所収の写真は、まあ、観光地カラー写真という趣で、それぞれの作品の舞台の今を撮った写真と、その昔のセピア色写真が上手に配置されていて飽きません。ボクは「抗夫」の舞台(?)であった、足尾銅山あたりの、廃墟化した写真に胸打たれました。他にも、虫眼鏡で覗きたくなるような集合写真、家族写真や、たとえば昔の松山中学とかの写真もあります。 さて、何をどう案内すればいいのか悩みますが、早坂暁が「坊っちゃん」と正岡子規に関わる文章の中で「おっ!これは!」 と面白く読んだ一節があるので、とりあえず、それを紹介しておきますね。 小説「坊っちゃん」のおれが松山を去るくだりはこうなっている。「其夜おれと山嵐は此不浄な地を離れた。船が岸を去れば去る程いい心持ちがした。」 ひどいもんだ。松山は“不浄の地”になっている。「坊っちゃん」は松山中学の生徒や、松山の人間への軽蔑と嘲笑に満ちていて、松山育ちで松山中学卒業の私には正直言ってすこぶる気分が悪い。(P39) 中略 松山人は“坊ちゃん団子”や“坊っちゃん文学賞”をつくって喜んでいると、さらに陰では物笑いの種にされているようだ。確かに松山は東京から見れば田舎で退屈で、偏狭かもしれないが、ここまでの悪態は、むしろ尋常ではない気がする。待てよ、と私は考える。「坊っちゃん」の中で中学校のある町に触れて、「二十五万石の城下町だって高の知れたものだ。こんな所に住んで御城下だ抔と威張っている人間は可哀想なものだ・・・・」 とあるが、松山は十五万石だ。子規の句「春や昔十五万石の城下哉」 も知っているはずの漱石が間違えるはずもない。 宿直事件の時、中学生に向かっておれは啖呵を切っている。「是でも元は旗本だ。土百姓とは生まれからして違ふんだ」 どうやら「坊っちゃん」は四国近辺の中学校を舞台に借り、、“なもし”の方言を借用して、祖国の江戸を占領した薩長藩閥政府を冷笑悪罵している小説らしいのだ。おれと組んで戦う山嵐は、ちゃんと“会津っぽ”としている。“会津っぽ”は最後まで薩長軍と戦った佐幕派である。うらなりも下宿の萩野も、善人側は零落士族で、松山藩も徳川の親藩で佐幕派だった。 伊藤整は「もし近代の日本文学で典型的な日本人を描いた作品」を一つ挙げるならば、として「坊っちゃん」を挙げているが、漱石は戦後の敗戦国の子として、占領軍の欧化による帝国づくりに猛烈に反撥して「坊っちゃん」を書いたようだ。(P40~P41) なんか、長々しく引用しましたが、ボクが面白く思ったのは、引用部の結論部分ですね。「戦後の敗戦国の子として、占領軍の欧化による帝国づくりに猛烈に反撥し」 というところです。もちろん戦争は戊辰戦争、占領軍は明治の新政府ですが、漱石こと夏目金之助が、明治の新教育制度のエリート中のエリートだったことは常識です。イギリスへの国費留学、で、ヨーロッパの近代文化との出会いの結果に生まれた「私の個人主義」というような漱石理解の文脈では、どうしても見落としてしまうのが、ここで、早坂暁が指摘している、その漱石の、もう一つ内側にある「社会観」ですよね。1967年、慶応三年生まれの夏目金之助くんは明治と同い年なのですが、明治の東京の少年でありながら、江戸の町のガキでもあったというわけですね。 維新戦争の戦後文学として漱石文学という発想、面白いですね。 追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.10.11
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太田達成「石がある」元町映画館 東京方面とか、海外方面とかでやたら評価が高いというか、評判になっているらしいということを小耳にはさんで、夜19時開映という逆境にもめげずやって来ました。映画館の前に、時々お出会いする「映画小僧」(笑)、と、まあ、ボクがこっそり呼んでいるメガネ君がいらっしゃったので、ちょっと声をかけました。「面白いの、これ?」「はい、もう、何回か見てますけど、もう一度です。」 で、お客は4人でした。見たのは太田達成という監督の「石がある」です。 見終えて、なんというか、言葉を失いました。「今日で、何度目からしい彼は、この映画のどこが、そんなにええねやろ?」 まあ、そういう気分です。「あそこの川底に、あの時、あのこが投げ損じたあの石がある」 まあ、そう考えるような人物が、じゃぶじゃぶ川を歩いて渡り、さっき出会ったばかりの女性を引き連れるでもなく、追いかけるでもなく、河川敷を目的もなく歩き、ええかげんウロウロして、突如、「ボク帰ります。」 とか、なんとか、いい放って、家に帰って本棚の前でお茶を飲んで、日記(?)を書きます。 まあ、見ていてザンネンだったのは、こういう男が読んでいるのであろう本の背表紙と、書きつけている文字というか文章が最後尾の席からは見えなかったことです。 で、翌朝、昨日の場所あたりに行って、再び、膝まで水につかり、あの石を探していて、それを電車の窓から見た女の子がふと笑ったように見えて映画が終わりました。「困ったもんやな、あんたら。」 この映画を見る前日のことです。西向き一方通行の北長狭通のモトコー5あたりです。道端のゴミ置き場の木の株に腰かけておにぎりを食べていると、道の向う側、JRの高架沿いの歩道を東から歩いてきた買い物袋を両手に下げた老人が前後を伺ったと思うと、楠の木の根っこに向けておしっこをし始めました。「こっちも見ろよ!」 思わず声をかけそうでしたが、なんだか哀しい共感が浮かんできました。 映画を見終えて歩きながら浮かんできたのは、そのシーンで、「こんなん、毎日のことやんな。ホントは、女の子となんか、めったに会わんやろ。まあ、誰ともしゃべらへんし。映画のあいつが、じゃぶじゃぶ水に入って行けんのも、若いからやし、でも、この年になっても、くるぶしぐらいまでやったら、まあ、ええかとか思いながら川の中歩いて、石いうても、3メートルはあろうかというコンクリートの壁を川底から這い上がれる踏み石はないかと焦って探しながら、ふと小便がしたくなって、川下で子供らが水遊びしてんのは知りながら、エイ、ままよ、とやってしまう。で、橋の上から小学生が手を振ってくれると、なんや知らん、やたらうれしい。」 とか、何とか、最近の徘徊の経験を思い起こしたりしながらも、やっぱり、妙に「理が勝っている」 としか思えないスジはこびには、頷くのを拒む気分もあって、いやはや、めんどくさい映画でした(笑) チラシに「途方もない無意味さになぜか心震えて」 とありますが、その無意味さとやらを、実際、生きている徘徊老人は、濡れてしまった足もとには、やっぱり、後悔しながらとぼとぼ歩いているわけで、まあ、どこかに「意味」を漂わせている、この手の無意味を描いた作品はつかれます!ですね(笑)。監督・脚本 太田達成撮影 深谷祐次編集 大川景子音楽 王舟キャスト小川あん加納土稲垣創太稲垣裕太秀瀬戸山晃輔山下光琉五頭岳夫チャコ2022年・104分・日本2024・10・08・no131・元町映画館no260追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.10.10
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吉村千彰「惜別 野口武彦さん ケレン味さえた『書く講釈師』」(朝日新聞9月28日(土)夕刊)世を棄てゝくまばや汲まん白菊の花の中ゆく滝川の水 瀧川の里にて 伴林 光平 石碑の前に立つ、在りし日の野口武彦先生の写真が2024年9月28日の朝日新聞の夕刊に、「惜別 野口武彦さん ケレン味さえた『書く講釈師』」と題して載っていました。「ちょっと、タケちゃん、写真載ってるわよ。吉村千彰さんが書いてはる。」「あっ、この写真、この間、タケちゃんのマンション片付けてて見つけたやつや。十津川の谷瀬の吊り橋に行った時やで。」「あの頃、よう行きよったねえ。」「うん、三浦君が運転して、ボクと芳子さんと4人な。この時は、奈良の五条の代官所とかいった時や。天誅組やな。後ろの座席で芳子さんとシマクマさん、あの畑の花みたいに開いてる野菜何?白菜ですやん。えっ?そうなの?そうですよ、あれが巻いていくんです。まあ、そんなおしゃべりしながらやったなあ。」「神戸の地震のあとの頃やんね。」「うん、ボクが、法隆寺も伏見稲荷も行ったことありませんいうたら驚かはって、シマクマ教育ツアーが始まってん。法隆寺、伏見稲荷が始まりで、関ケ原、安土城跡、備前の閑谷学校、そうそう、四国の宇和島城なんか泊りがけやったで。ボクはお気楽な同乗者やったけど、取材旅行やってんな。」 2024年6月9日に亡くなって100日余り、9月の末にお住まいだったマンションの処分も終わり、膨大な蔵書は大阪の古書店が引き取ってくれて、資料のコピーの山はゴミ置き場の籠いっぱいの資源ごみ!になりました。とどのつまりまで、書きつづけていらっしゃった日記帳や研究ノート、大量のスナップ写真は、悩みに悩んで、とりあえずの保管場所に移動しての作業終了でした。 写真の奥のあの部屋。その昔、たしか燕語亭と呼んで集っていたと思うのですが、あの、あるいは、最近では桃叟庵でしょうか。 あの部屋も、2024年、9月30日、月曜日。これでオシマイ! 追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.10.09
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アレックス・ガーランド「シビル・ウォー」109シネマズハット 題名を見て、やって来ました。「シビル・ウォー」なのですから、「南北戦争でしょ?!」 という気分でしたが、今、現在のお話でした。 見たのはアレックス・ガーランド監督の「シビル・ウォー」です。 見に行く途中に、100年以上昔の「南北戦争」を描いた歴史映画ではなくて、今、現在の、アメリカで勃発した内戦という設定だということに気付いて、がぜん、気分は盛り上がりました(笑)。 当然、大統領が登場して、軍隊を指揮する軍人が登場して、戦況とか政治状況について、ネットやテレビが騒ぎ立てて、世界中の物見高い人たちが大騒ぎして、現場の戦場では最新兵器が、ひょっとしたら核兵器まで出てくるんじゃないかと期待しましたが、空振りでした!(笑) たしかに大統領は登場しますが、この内戦について世界中がどう判断するのかという視点は完全に遮断されていて、出てくるのは従軍記者の苦労話だけでした。映画のテーマが、題名とズレているんですよね。 結果的に、女性戦場カメラマンの成長譚! だったわけで、エンタメとしてはよくできていると思いますし、まあ、それでも、充分、面白かったのですが、コケオドシもいいとこでした(笑)。「全米2週連続No1大ヒット」 アメリカで話題になったということがチラシのコピーとして踊っていますが、アメリカ本土で「内戦!」「世界最大国家の終焉」、という、ある意味、とても興味深い発想が、こういうドラマで終わるのは残念ですね。戦場カメラマンのビルドゥングスのお話であれば、現実の世界に戦場はあるわけですからこんな看板上げる必要はないのですから。 で、まあ、そうはいいながら、ボクが興味深いと感じたのは、登場する兵士たちが敵か味方か全くわからなかったことですね。主人公たちが、プレス、ですから、報道の人間だったことは、結構、意味深なのですよね。 過去のアメリカ製戦争映画では、実に、はっきりしていた敵・味方がこの映画では、見ていて判断できません。アメリカ映画は、インディアンの討伐と南北戦争以外で、アメリカ人自身が「敵」になる映画 を撮ったことがないんじゃないかと思うのですが、この映画ではアメリカ人自身が敵か味方か、つまりは善なのか悪なのか、あるいは、正しいのか、間違っているのか、それがわからない設定なのですよね。それが、はたして、どんな意味をもつのかよく判りませんが、そこだけは確実に新しいと思いました。 で、なぜ、この設定で映画を撮るのか?という疑問が湧いてくるのですが、この作品がそれに答えているとは思えませんでした。まあ、そこが、ボクには「コケオドシ」というわけなのですが、アメリカ、どうなっているんでしょうね。面白ければいいというだけなんでしょうか?監督・脚本 アレックス・ガーランド撮影 ロブ・ハーディ美術 キャティ・マクシー衣装 メーガン・カスパーリク編集 ジェイク・ロバーツ音楽 ベン・サリスベリー ジェフ・バーロウキャストキルステン・ダンスト(リー・スミス)ワグネル・モウラ(ジョエル)ケイリー・スピーニー(ジェシー・カレン)スティーブン・マッキンリー・ヘンダーソン(サミー)ソノヤ・ミズノ(アニャ)ニック・オファーマン(大統領))ジェシー・プレモンス2024年・109分・PG12・アメリカ原題「Civil War」2024・10・06・no129・109シネマズハットno51追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.10.09
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タル・バルダ「私は憎まない」元町映画館 元町映画館のホームページを開いて、この映画の公式ホームページにたどりつくと、文部科学省選定作品 社会教育(教材) 青年・成人向き 国際性(国際理解・平和)2024年9月11日認定 という言葉が飛び込んできて、まあ、とりあえず見るのはやめようという判断をしました(笑)。 で、まあ、ここのところ、エドワード・サイードの「パレスチナとは何か」(岩波現代文庫)とか、スペインの作家のゴンティソーロの「パレスチナ日記」(みすず書房)とか読み直していたり、先日「医学生ガザへ行く」とかを元町映画館で見たりしながら、「パレスチナとは?ガザとは?」 という、わけのわからなさに漂っている自分にイラついていることもあって、「兎に角、パレスチナがらみで見ることが出来るものは全部見よう!」 という結論に至って、やってきた元町映画館でした。何せ、1週間しかやらないようなのですね。 で、見終えてまず思いました。世の中には、大した人がいるものだ! まあ、それが率直な感想でしたね。全編を見終えて、まあ、具体的にいうと、一番印象に残ったのは「今、ガザに対してイスラエルがやっているのは虐殺だ!」 というセリフでした。 イゼルディン・アブラエーシュという、ガザで生まれ育ち、産婦人科もお医者さんとして、実にまともに暮らしている中年のおじさんがイスラエル軍に家族を殺されたことについて、本を書き、映画に出て、「私は憎まない」 とおっしゃっていらっしゃる。ノーベル平和賞の候補者として、何度も名が挙がり、彼が語る「憎しみの連鎖を断つ」ということばは、いかにもこの国の文部省の官僚が喜びそうですが、「虐殺!」 という叫びに教育現場で応える用意はあるのでしょうか? まあ、大臣の名前も知らないボクがいうのもなんですが、まず、「ストップ!」 と大声を出して意志表示してから教材とかに認定していただきたいですね。 まあ、そんな気分で八つ当たりしたくなるフィルムでした。まあ、文部省なんてどうでもいいです。 「医学生ガザへ行く」という映画もそうでしたが、若い人たちに見てほしい作品でした。 今、世界で何が起こっているのか、70歳を越えた徘徊老人が歯ぎしりしてもしようがないんです。それより若い人たちに気づいてほしいんです。えっ、これがパレスチナ?!これがガザ?! って。 で、そこで暮らしている人たちが、自分と同じ人間であるということに気付いてほしいんです。考えたり、行動したりは、その後のことですから。 監督・脚本 タル・バルダ脚本 ジェフ・クライン サスキア・デ・ボア撮影 ハンナ・アブ・アサド編集 ジェフ・クライン音楽 ロベール・マルセル=ルパージュキャストイゼルディン・アブラエーシュ2024年・92分・カナダ・フランス合作原題「I Shall Not Hate」2024・10・07・no130・元町映画館no259追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.10.08
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「深夜の夕顔!」 ベランダだより 2024年10月4日(金)ベランダあたり いくら明るいうちに咲かないからといって、いつもは宵の口に覗くのですが、今日は日も変わる、午前零時どころか、その昔ふうにいえば「あかつき」時に差し掛かろうかという、午前2時を過ぎてベランダの外にやってきて写真を撮りました。 当たり前ですが、同居人も、ご近所も寝静まっている時刻です。 で、フラッシュ! ですからね(笑)。どなたかに通報されても文句はいえませんね(笑)。 で、夕顔さん、見事に花開いていらっしゃいました。深夜の2時過ぎに、こうして咲きほこっていらっしゃる、まあ、なんともいえない優美さですね。 こちらは、二つ顔をそろえていらっしゃた! のですが、後になって思ったのですね、写真を撮るときに、どうして真ん中の萎れた花をちぎ取ることを思いつかなかったんでしょうね。だいなしですね。 まあ、時間が時間だったので、少々焦っていたこともあったのですが、写真家としては失格ですね(笑)。にほんブログ村追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです
2024.10.07
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スティーブン・ダルドリー「リトル・ダンサー」シネリーブル神戸 20年ほど前に評判になったそうなのですが知りませんでした。ただ、監督の名前に、ちょっと聞き覚えがありましうでしたが、「まあ、とりあえず、名画ということらしいからな。」 そう思ってやって来ましたが、ははは、大満足でした(笑) 見たのはスティーブン・ダルドリーというイギリスの演出家が監督をしている「リトル・ダンサー」でした。20年以上昔の映画ですがちっとも古びていませんでしたよ。まあ、ボクは、こういうの好きですからね。もう一度いいます。とてもよかった! 「Billy Elliot」という英語の題名通り、ダンスに目覚めたビリー君の、所謂、ビルドゥングス・ロマンです。イギリスの北の方ですね、ダーラムという地域のエヴァリントンという炭鉱町で、炭鉱夫の父と兄、ちょっとボケ加減のオバーちゃんと暮らすビリー君、多分、10歳か11歳ぐらいですが、お母さんが病気で亡くなってしまっていて、オバーちゃんの世話は彼の仕事のようです。 お父さんもオニーちゃんも「男はボクシング!」 という、まあ、マッチョな方で、放課後は50ペンスの受講料を握りしめてボクシング塾に通っているビリー君です。 で、その彼が、同じ体育館で練習することになった女の子のするバレー! に目覚めちゃうんです。あのー、ダンスのバレーですよ。 まあ、そこからは、いわばありきたりの成長・成功の物語なのですが、これが、まったくシラケることのない展開で、素晴らしかったですね。 徘徊するおばーちゃんを追いかけて行って、怪訝な顔のオバーちゃんに「ビリーだよ!」 そう声をかけて手を握るシーンが始まりで、ロイヤル・バレー学校に合格して家を出るビリー君を、オバーちゃんがいきなりグワシっ! と抱きしめるシーンが終のお別れでした。 実は、この映画を見ていたボクには、ビリー君と同じ年ごろの頃、学校から帰って来た玄関で、やっぱりボケてしまっていたオバーちゃんに「どちら様でしょうか?」 と挨拶された記憶があるのですが、その時のオバーちゃんの姿が浮かんでしまって泣きましたね。 ビリーを演じるジェイミー・ベルくん、オバーちゃんのジーン・ヘイウッドさん、言葉がありませんね。拍手!拍手! 親友のマイケル君はじめ、ビリーのまわりの子供たち、ウィルキンソン先生、ああ、それから、お父さんとオニーちゃんのトニー、みなさんに拍手!でした。 監督のスティーブン・ダルドリーですが、見終えて思い出しました。以前、ナショナルシアター・ライブで見た「ジ・オーディエンス」の演出家ですよね。イギリスの俳優さんたちの演技力もさることながら、子役たちにも、いい芝居させていますね(笑)。拍手!でした。 監督 スティーブン・ダルドリー脚本 リー・ホール撮影 ブライアン・テュファノ編集 ジョン・ウィルソン音楽 スティーブン・ウォーベック振付 ピーター・ダーリングキャストジェイミー・ベル(ビリー)ジュリー・ウォルターズ(ウィルキンソン先生)ゲイリー・ルイス(お父さん)ジェイミー・ドレイブン(トニー 兄ちゃん)ジーン・ヘイウッド(おばあちゃん)スチュアート・ウェルズ(マイケル親友)マイク・エリオットニコラ・ブラックウェルコリン・マクラクランジャニーン・バーケット(お母さん)メリン・オーウェン(25歳のマイケル)アダム・クーパー(25歳のビリー)2000年・111分・G・イギリス原題「Billy Elliot」2024・10・04・no127・シネリーブル神戸no273追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.10.07
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「彼岸花!咲きました。」 徘徊日記 2024年10月4日(金)団地あたり 今年2024年の夏の暑さは格別だったんですね。9月も終わろうかというある日、玄関先でお出会いしたお隣の奥さんが、なんだか落ち着かない様子です。「ネエ、今年は彼岸花がまだなのよ。」「ああ、なんだかやせ細っていて蕾もついていませんね。」「お彼岸には、毎年咲くからね。ベランダの前、今見てきたけど、暑すぎるんですって。」 それから1週間たって、毎年の場所、棟の前の生垣の向う側、咲きました(笑)! いつもの年より2週間遅れの彼岸花です。 先日、久しぶりに雨が降りました。夜になるとベランダを開け放っているのが少し肌寒い、お昼の気温も日盛りの場所はともかく、日陰に入ればもう、秋です! 徘徊も半ズボンから長ズボンに衣装がえしました。原付に乗っているときは長そでが欲しい、まあ、何といっても10月ですからね。 で、いつもの年のように彼岸花満開! です。よかった!よかった! ですね(笑)。 お隣の奥さんが気を揉んでいらしたベランダの前の花も、もう少しで咲きそろいそうです。こちらは日当たりがよくて、花をつけるには、まだ暑いんでしょうかね。にほんブログ村追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです
2024.10.06
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チアラ・アベザニ マッテオ・デルボ「医学生ガザへ行く」元町映画館 チラシを見て即決しました。まあ、行き先が「ガザ」ですから見ないわけにはいきませんよね。 そういう気持ちで元町映画館の初日にやって来ました。チアラ・アベザニという人とマッテオ・デルボという人が共同で監督したらしいドキュメンタリー「医学生ガザへ行く」です。 「これ、ホントにドキュメンタリー?」 といいたくなるような、何というか絵に描いたような、よくできた青年の成長譚で、いや、ホント、まずは、そこに驚きました。 修士課程を修了したイタリアの大学の医学部の学生が、「エラスムス」という、まあ、日本でいえば病院研修でしょうが、EUがすすめる国際交流教育のプロジェクトで、なんと、あのガザの大学病院にエラスムス=留学するというのです。それを、カメラは最初から最後まで追いかけます。主人公のリッカルド・コッラディ-ニくんが、なぜ「ガザ」を選んだのか?というと救急外科医になりたいから! と、まあ、そういう説明ではあるのですが、正直、それって説明になっていませんよね。 しかし、リッカルド君は大きなリュックを担いで、入国もままならないガザにやってきて、デモをする人たちが壁の向うから狙撃され、救急車で運び込まれる救急病院の現場を実体験し、毎夜のように繰り返されるイスラエルの爆撃の恐怖にさらされ、女性とは親しく交流しないという、やがて親友になる現地の医学生サアディ君の態度に出会うことで、アラブ文化、イスラム文化、そして、パレスチナ、ガザを知るのです。 実習する救急病院を紹介してくれた、ジュマナという名だったと思いますが、若い女性が「70年間続く状況だけれど、私たちガザっ子は真実を知っているから、怖れることも、故郷を捨てることもない。」 と発言します。 実習先の病院でリッカルド君を指導しながら、淡々と手術をこなしていく中年の医師が「お金のためじゃなくて、人の命を救いたいから」 と発言します。 そういう言葉に支えられてでしょうか、爆撃を恐れ、次々と運び込まれる患者にパニックを起こしそうになりながら、リッカルド君がこの世界を理解し、医師になる意志を固めていくのが見ていてわかります。 見ている、こっちこそが胸打たれる言葉がドキュメンタリ―として聞こえてくるのです。 イタリアに帰って医学部を卒業する青年は、きっと、ボクにはパレスチナに友達がいる。 という心をもった医師になるでしょうね。いや、ホント、スゴイ映画です。拍手! ボク自身は、今、話題になっているガザというところがどういうところなのかを目の当たりにした映画でしたね。 それは、平和なヨーロッパから初めてやってきた青年の素朴な実感で見た、町並みであり、海であり、デモの様子、闇の中の爆撃ですが、何よりも、そこで生きている人々の姿 ですね。この映画体験は実に貴重でしたね。これから、まあ、いろんな事を考えていくときの指標の一つになるでしょうね。 拍手!ですね。 監督・脚本 チアラ・アベザニ 監督・撮影 マッテオ・デルボ編集 アントニオ・ラッブロ・フランチャ音楽 ミケーレ・ストッコ ミルコ・カルチェン アレッサンドロ・グロッソキャストリッカルド・コッラディ-ニサアディ・イェヒア・ナクハラ2021年・88分・スペイン原題「Erasmus in Gaza」2024・10・05・no128・元町映画館no258追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.10.06
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原泰久「キングダム 73」(集英社) 2024年9月の最後のマンガ便で届きました。 原泰久の「キングダム」(集英社)、第73巻です。69巻でしたか、宜安の戦いで敗北を喫した秦が番吾で、対趙、最終決戦に臨みますが、71巻、72巻と苦戦が続き、本巻で、ついに秦軍、ほぼ、壊滅という大敗北です。趙を率いる名将李牧の快勝でした。 ちなみに、中華統一の野望を夢みている秦王政ですが、この時が始皇十五年、紀元前232年で、紀元前259年生まれの彼は26歳でした。何という若さでしょうね。 歴史を振り返れば、秦王が、最終的には斉を滅ぼして始皇帝を名乗るのは紀元前221年、38歳の時です。まだ、10年以上も後のことなのですよね。 本巻で、恐るべき才能を披歴した趙の将軍李牧にも、この後、恐るべき悲劇の結末が待ち構えています。そのあたりを、このマンガがどう描くのかかなり楽しみですね。 で、本巻の山場は、大敗北を喫した秦が、丞相昌平君の献言で、法治国家としての基礎を「戸籍」制度に置きなおし、国勢の再確認ですね。で、軍制の改革に着手したことですね。 で、中華統一の第1歩の矛先を「韓」に向けなおしたことです。魏ではなく韓です。面白いですねえ(笑)。 これが、所謂「戦国の七雄」の地図ですが、この日から斉を滅ぼすまでの10年、キングダムのドラマはまだまだ続きます。大変ですね(笑)。 追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.10.05
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「雨の夕顔」 ベランダだより 2024年10月3日(木) ベランダあたり いよいよ、( ̄∇ ̄;)ハッハッハ、何が、いよいよなのかわかりませんが、2024年も10月です。今年の9月の平均気温は、例年の8月の平均気温より高かったのだそうです。さすがに、10月になれば少しは涼しくなるだろうというわけで、いよいよの10月です(笑)。 今日は、サンデー毎日のシマクマ君、週に一日だけお仕事があるのですが、そのお仕事の、秋の初日でした。帰って来る頃、再び降りはじめて秋の雨です。 で、通りすがりに部屋のベランダを見ると咲いていました。気温が下がったせいなのかどうか、いつもよりたくさん咲いています。 こんな感じです。 下の方を、ちょっとアップしてみますね。 なんか、いいですね。雨にぬれても、いい女は、やっぱり、いい女! という感じです。まあ、ちょっと、男には例えにくいですね(笑)。 実は、我が家の夕顔ですが、ここのところ、毎日花をつけているのですが、写真が撮れていまいんですね。で、チッチキ夫人によれば根っこの方は枯れてるよ! ということなのですが、いつまで咲くんでしょうね(笑)。にほんブログ村追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです
2024.10.04
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フー・ティエンユー「本日公休」シネリーブル神戸 昨日は、韓国のエンタメ映画でしたが、今日は台湾映画でした。フー・ティエンユーという監督の「本日公休」です。 一人で散髪屋さんをやっている60歳くらいのおばはんの、ここ数日の出来事を描いた作品でした。見終えて大満足!で帰宅して、「あんな、あんた、きっと納得すると思うで!」 と同居人のチッチキ夫人にもおすすめでした。実をいうと、この散髪屋のおばはん、膝が痛くて、ホントは立ち仕事がつらい、まあ、それが悩みの種なのですが、チッチキ夫人も同じ悩みを抱える、同年配なわけで、共感しないはずがないのです。 散髪屋のガラス戸には家庭理髪 学生頭 山本頭 西装頭 平頭 となっていて、あのクルクルが回っています。問題は山本頭ですが、あの山本五十六の頭なのですね。実際にどんな頭なのか知りませんが、要するに、あの時代の軍人風の角刈りでしょうかね? おばさんに亭主はいません。一人暮らしで、ネコがいます。子どもは娘二人と息子一人。 長女は、台北でスタイリストというのでしょうか、ちょっと派手な現場の仕事の様子ですが、同棲している男はクズ(笑)です。 次女は一度結婚して、孫も一人いますが、今は離婚して、孫は別れた亭主に預けて、自分は美容院勤めです。 長男は、散髪屋の仕事場の床のために、例のルンバとかいう、掃除ロボットをもってきて、ネコを怖がらせながら「便利やろ!」「箒の方が、サッサと済むがな」 とオカンに一蹴される、まあ、フリーターと呼ぶべきなのでしょうね、アホ息子です。まあ、見終えて、まともだったのは、次女の別れた、自動車修理工の元亭主と、「本日公休」の看板を出して馴染みの客を訪ねる途中に出逢う、男前の青年農夫だけですが、彼は彼で、道を教えながら、実は極度の方向音痴という間抜けぶりでした。 おばはんが、ボルボの老朽車を運転して出かけ始めるのを見ながら「ああー頼むから事故とか、鬱陶しい事件とか起きんといてよ」 と祈るような気持ちで見続けましたが、見事に何も起こりませんでした。拍手! 到着した先での感動的な散髪とか、甘えてるのか自立しているのかわからない子供たちとか、「新しいのはないんか?」「うちは本屋とちゃう。」 とか会話するオッサンたちとか、まあ、下町の散髪屋のおばはんの暮らしは明日も続く、いや、続いてほしいと思いながら「でも、まあ、もう、終わるねんな。」 と、しみじみしてしまいました。台湾映画、恐るべし! ですね。これは、シネリーブルの新作でしたが、元町映画館が、この9月、台湾映画特集をやっていたのに、ここのところ韓国映画に気を取られていて見損じました。ザンネンなことをしました。 ああ、ちなみにセリフはみんな、当然、中国語、字幕は標準語、関西方言で書いているのは、ボクの勝手です(笑)。監督・脚本 フー・ティエンユー撮影 チャン・シータン音楽 ジョン・シンミン主題歌 ホン・ペイユーキャストルー・シャオフェン(アールイ散髪屋のおばはん)フー・モンボー(チュアン娘のリンの別れた夫)アニー・チェン(シン長女)ファン・ジーヨウ(リン次女)シー・ミンシュアイ(ナン息子)チェン・ボーリン(農家の若者)リン・ボーホン(アンディ)2023年・106分・G・台湾原題「本日公休」英題「Day Off」2024・10・02・no126・シネリーブル神戸no272追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.10.04
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「夕顔、今日は、明るいうちに写せました。」 ベランダだより 2024年9月25日(火)ベランダあたり チッチキ夫人は、まあ、ベランダの主人なので、当然ですが、ここのところ、毎日一つか二つ咲き続けている夕顔については知っています。ところが、シマクマ君は、フラフラと出歩く日が多くて、暑さは相変わらずなのに、いつの間にか日暮れが早いこともあって、気づくのが夜になってからです。 でも、今日は5時過ぎに気づいて写真が撮れました(笑)。 二つ咲いています。蕾もかなりついているので、当分咲き続けてくれそうです。 でも、何というか、朝顔とは違いますね、雰囲気が。夕暮れ時から闇の中で、何というか、こんなに艶やかに咲いて、朝には姿がないのですからね。 紫式部という人は、ホントに天才だったんだ! と、今更ですが、こうしてアップで撮りながら思いますね。 ね、こんなふうに、こっちを見上げてくれる女性がいれば光君でなくても、ホーって、思うでしょうね。あっ、読みは、ひかるぎみ、じゃなくて、ひかるくんね(笑) まあ、そんなに上手に撮れているわけではありませんけど(笑) にほんブログ村追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです
2024.10.03
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ホ・ミョンヘン「犯罪都市 PUNISHMENT」 キノシネマ神戸国際 さあ、2024年も10月になりました。9月で、いろんな、まあ、懸案事項が片付いて、暑さも、チョット遠のいて、さあ、映画です!(笑) ノンビリ笑えて、元気が出そうな作品がいいですね。で、選んだのが、マ・ドンソク主演の「犯罪都市PUNISHMENT」でした。 8月にシネマ神戸の二本立てでシリーズ第3作「犯罪都市 NO WAY OUT」を初めて見て、「あっ!これ、すき!」 ではまって、今日はシリーズ第4作の封切りです。 このシリーズ、監督は、どうも、毎回変わっているようで、主演のマ・ドンソクの映画ということらしいですが、今回はホ・ミョンヘンという人が監督でした。 109ハットの映画館でも、ほぼ、同じ時間に上映していたのですが、ここならチラシがあるな! とか思って、キノシネマ・神戸国際にやって来ました。で、無事チラシも手にれ、ノンビリ見終えって納得でした。 面白かったので、これといっていうことはありません(笑)。ようするに、そのむかしの旗本退屈男とか、桃太郎侍とかとよく似た作りで、「筋書きのためのシーン」ではなくて、「シーンのための筋書き」の映画なわけです。たとえば、桃太郎侍は高橋英樹さんが啖呵を切らなければ終わらなかったわけですが、この映画も、マ・ドンソク君演じるマ・ソクト君がワルもん相手にいかに暴れるかがすべてなんですね。で、それが好きで「やれ!やれ!もっとやれ!」 と思ったらやめられません(笑)。 ボクは、桃太郎侍が好きだと思ったことはないのですが、やっぱり、あのセリフは覚えたかったようなもので、この映画も、その場面に、まあ、切れているのはわかるのですが、どうしてマ・ソクト君が一人で乗り込んでいってがんばるのか、たとえば、ラストなんて、ちょっと筋が通らないのですが、納得しちゃうのですよね(笑)。 だって、それが見たかったんですからね(笑)。 というわけで、第5話が出来たら、きっとみると思います。 今回は、悪役のペク・チャンギを演じたキム・ムヨルという俳優さんが印象に残りました。拍手!ですね。 近所の席で、お年りの、まあ、ボクくらいのですが、ご夫婦が笑い声をあげながら楽しんでおられて、こっちも楽しかったですね。これだけ、殴る蹴るで、暴力満載の映画で、笑っている場合か!? となりそうなのですが、これが、そうはならないんですね。笑っている場合なのです(笑)。こういう、雰囲気の映画館、久しぶりでうれしかったですよ。監督 ホ・ミョンヘン企画・脚本・主演 マ・ドンソク脚本 オ・サンホ キム・ヒョンソク撮影 イ・ソンジェ編集 キム・ソンミン音楽 ユン・イルサンキャストマ・ドンソク(マ・ソクト 広域捜査隊・怪物刑事)キム・ムヨル(ぺク・チャンギ 悪者)イ・ドンフィ(チャン・ドンチョル 悪者)キム・ジフン(チョ・ジフン 悪者)パク・ジファン(チャン・イス 偽警官)イ・ボムス(チャン・テス 広域捜査隊・隊長)キム・ミンジェ(キム・マンジェ 広域捜査隊・怪物の相棒)イ・ジフン(ヤン・ジョンス 広域捜査隊)キム・ドゴン(チョン・デビッド 広域捜査隊)イ・ジュビン(ハン・ジス サイバー捜査隊女性刑事)キム・シンビ(カン・ナムス サイバー捜査隊イケメン刑事)2024年・109分・PG12・韓国原題「The Roundup: Punishment」2024・10・01・no125・キノシネマ神戸国際no14追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.10.02
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立花隆「ぼくが読んだ面白い本・ダメな本 そして ぼくの大量読書術・驚異の速読術」(文春文庫) まあ、何というか、いかにも「知の巨人」とかの看板で大人気だったころを思い出す題名ですが、立花隆も2021年、4月30日、80歳でなくなって3年たちました。 この人のブックレビューと、今年(2024年)の夏、8月12日、やっぱり80歳でなくなってしまった松岡正剛の千夜千冊には、思えば本当にお世話になりました。 で、本書ですが、立花隆が週刊文春に連載していた「私の読書日記」の1995年11月から2001年2月までの記事がメインです。 「ぼくはこんな本を読んできた」(文首文庫)の続編ですが「宇宙・人物・書物」という50ページを越える長い「序」で展開されている読書論、書籍論、それから、「『捨てる!技術』を一刀両断する」という、まあ、いわば蔵書論がこの本の読みどころです。 そういえば、「捨てる!技術」(宝島新書)って流行りましたね。結果的には社会はこっちに乗ったのですが、20年前の立花さん、真っ向勝負に出て著者まるごとアホ扱いです。ボクは、以来、立花派です。 本編の「読書日記」は、ご本人もおっしゃっていますが、所謂、私の読んだ本的なレビューではなくて、明らかに、当時の新刊の中から、多分、ビジネスマンに紹介する狙いで、選んで批評・批判している内容ですね。全編で、250冊あまりの本が出てきますが、1年間に50冊なんて、「知の巨人」だったわけですから大した数ではないはずです。 まあ、そういう話はともかく、本書の中から、懐かしいというか、ウン、ソウ、ソウ!という紹介を一つ 字を書く人、字を読む人なら、白川靜の三部作「字統」(6602円)「字訓」(6602円)「字通」(21905円)のうち、少なくも「字統」の一冊くらいは座右に置いてほしいと思う。 漢字の学は、久しく「説文解字」を最大の典拠とし、二千年近くんわたって、ほとんど進歩らしい進歩がなかったが、二十世紀に入って、大量の古代甲骨文、金文の資料が出て、それをもとに漢字の歴史が書きかわりつつある。それを最も包括的にやりとげ、中国の学者も驚倒させたのが「字統」である。同書は、どの一ページを開いても、驚くほど広くて深い知識がこめられており、碩学とはこのような人をいうためにある言葉かと讃嘆せざるをえない。その白川静の著作集全十二巻が平凡社から刊行されることになり、第一回配本として、第六巻「神話と思想」(8000円)が出た。これまた一読驚かざるをえない碩学の書で、月報によると、白川はこの著作集に収録されたような論文を、この五十年間、平均すれば年に十篇も書きつづけてきたのだという。それと同時並行であの三部作を書きあげたのだから、超人といってもまだ足りないような仕事ぶりである。月報氏は、漢字学にノーベル賞があればさしあげたいといっているが、まことにその通りで、文化勲章もさしあげていない日本国は恥じるべきである。 白川は、文部省の漢字政策を徹底的に批判して、「誤りを正当として生きねばならぬという時代を、私は恥ずべきことだと思う」とまでいっているが、まさかそういう批判が災いしているわけではあるまい。 「神話と思想」を読むと、真に中国文化を知るためには(儒教の経典、老荘の書ですら真に読み解くためには)、神話の世界まで行かねばならないということがよくわかる。そしてまた、神話の世界がめっぽう面白いのである。 白川静って、ごぞんじですか? ボクは、たとえば、この立花隆のような人の勧めに従って辞書を買ったり本を読んだりしましたが、今では、文庫本は古本屋さんで100円の籠に積まれ、脅威的内容の著作集は図書館の棚に、誰にも借りられることなく鎮座しているわけで、まあ、そういう時代になってきているわけです。 若い人たちにとっては立花隆も白川静も「知らない!」ですむ人ですよね。 まあ、ボクが今日まで読んだ本について、1冊でもいいから「案内」しようと考えているのは、そういう、現状に対しての「ちょっとまって!」 の気持ちからです。別に、文化勲章もノーベル賞のどうでもいいのです。ただ、白川静の漢字学の片りんにも気づかないまま、たとえば、高等学校で漢文とか教えるのは、ちょっと恥ずかしいかもしれませんね。別に、気にすることはありません。ボクと同じ世代にも、そんな人はたくさんいましたからね(笑)。 まあ、今となっては、立花隆のこの本も、ここで紹介されている山盛りの本も古い本になってしまっているわけですが、なかなか読み応えのある本、見るだけでも唸る本がラインアップされていて、さすが「知の巨人」ですね。古くて新しい「ホン」の世界 いかがですか(笑)? 追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.10.01
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