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「ベランダにも、春です!」 ベランダだより 2024年3月30日(土) ベランダあたり チューリップ。 栄養失調気味(笑)。 エンドウ豆。 で、もう一つチューリップ。 なぜ首が伸びないのかが謎! ぺんぺん草。 元気いっぱい。 ベランダも、そろそろ春です。 追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)ボタン押してね!
2024.03.31
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「こちらも見納め!」 徘徊日記 2024年3月29日(金) 元町5丁目あたり 今日は、アベック徘徊です。元町映画館でバス・ドゥヴォスというベルギーの監督の「Here」という映画を見ての帰りでした。 このポスターの左の映画ね。二人とも、納得というか、かなりカンドー! というかで、映画館を出て、5丁目のまちづくり会館でトイレをすませて、目の前にこの並木です。再びカンドー! でした(笑)。満開というか、きわどくイイネ!の様子です。「写真!写真!」「ハヨしてね、ハヨ帰らんと始まってしまうからね。」「あんなあ、最初の試合から、そんな入れ込んでたら疲れるで。今年は、去年みたいにいけへんねんからね。」「ええもん。ダイジョブやし。」 まあ、関西というか、神戸あたりの方にはよくわかる会話だと思ういますが、今日からプロ野球は開幕、で、目の前のモクレンは見納めでした。 喫茶店のベアさんとか三香書店という古本屋さんの前のあたりです。「あっ、そうや、宇治川の鳥屋さん寄るから、こっち行こう。」「えっ?いそいでんのとちゃうの?」 と、まあ、いつもの二人徘徊でした。 というわけで、もちろん、だめトラもオリックスも負けましたよ(笑) どうなることやら💦追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)ボタン押してね!
2024.03.30
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バス・ドゥボス「ゴースト・トロピック」元町映画館 ベルギーの若い監督、1983年生まれだそうですから、我が家の愉快な仲間たちと同じ世代ですが、バス・ドゥボスという人の「ゴースト・トロピック」という作品を見ました。 チラシの写真の女性が主人公で、お名前はハディージャ。彼女はブリュッセルでビルの掃除婦をしていらっしゃるのですが、こうしてご覧になってお判りでしょうが、ヒジャブというのでしょうか、イスラム教のネッカチーフのような衣装を身に着けておられるようで、だから、多分、もっと南の国から、この街にやってこられて暮らしていらっしゃる方だと思うのですが、映画を見終えても、そういうことが具体的にわかるわけではありません。 彼女が、仕事帰りに、電車の中で眠り込んでしまって、気付いたは終着駅で、そこから、まあ、見ていて、さあ、どうするんや? という一晩の、彼女の行動が映し出されていく映画で、他には、ほぼ、何も映っていません。 バスの乗務員、ビルの警備員、路上で寝込んでいるホームレスの老人と彼の犬、空き家に忍び込んで暮らしている男、通りすがりの老人、救急車でやって来た救急隊員、救急病院の職員、コンビニの女性店員、夜遊びする高校生、警察官、まあ、こうやって数え上げていくと、結構、たくさんの人と出会っているもんだと感心するのですが、出会った人たちの誰かが、何か事件を、だから映画的なドラマをおこすのかといえば、実はそうではなくて、その人たちも普通ですが、彼女自身も普通の応対で、だから、何も起こらないまま家にたどりついて、まあ、一晩歩いていたわけですから、ほとんど寝ないまま、翌日の朝になって、彼女は仕事に出かけていくという映画でした。 で、どうだったのか。「ボクこの映画スキ!」 の一言ですね(笑)。 深夜の街を、疲れ果てて歩き始めた、仕事帰りの、中年の女性の、財布の中にタクシー代さえ持ち合わせていない「暮らし向き」は言うに及ばず、「家族との暮らし方」、「職場での働き方」、「他人との接し方」、だから、まとめてどういえばいいのかわからないのですが、彼女が、今、ここで、「生きていること」 が、見ているボクのこころに穏やかに刻まれていくのです。 若くして亡くした夫をなつかしく思い、高校生の娘の生活を気にかけ、路上で倒れている老人を放っておけない女性の後ろ姿に、「そうだよね、それでいいんだよね、そうしていくしかないよね。」 とうなづくのは、必ずしも、ボクが老人だからではないでしょうね。 この作品の監督は、「人が生きていることを肯定する」 方法として映画を撮っているにちがいないということだと思いましたね。拍手! 元町映画館では、この映画は2019年の作品ですが、この監督が2023年に撮ったらしい「Here」という作品も、日替わりで上映していますが、もちろん見ますよ! まあ、この作品の「ゴースト・トロピック」という題名がどういう意味で、ラストシーンが何をあらわしているのかということついては、実は、よくわかっていません(笑)。でも、イイんです。なんとなくで(笑)。 監督・脚本・編集 バス・ドゥボス撮影 グリム・バンデケルクホフ音楽 ブレヒト・アミールキャストサーディア・ベンタイブマイケ・ネービレノーラ・ダリシュテファン・ゴタセドリック・ルブエゾ2019年・84分・PG12・ベルギー原題「Ghost Tropic」2024・03・24・no048・元町映画館no234追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.03.30
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レニー・ハーリン「ブリックレイヤー」キノシネマ神戸国際 今日は2024年3月28日(木)です。朝から、チョット曇っていました。「あのさ、明日、あのベルギー映画行くやろ。」「うん、そのつもり。」「きょうは、アメリカのCIAのアクション 行くつもりやねんけど、行く?」「CIAってワルもんやで。」「決まってんの?」「うん。決まってる。あの人らろくでもないことばっかりしはんねん。」「ふーん、でもこの映画、なんか、ダイハード2とかクリフ・ハンガーの監督らしいで。」「ブルース・ウィリス出るん?」「なんでやねん!スタローンも出てへんわ。」「ふーん、ブリックレイヤーってどういう意味?」「レンガ屋さんやろ。大工さんの一種。レンガ積む人。」「大工さんはカーペンターちゃうの。」「そやから、ヨーロッパでは、家つくる時レンガ積むんやろ。でも、この映画、CIAの話らしいから、コードネームいうやつちゃうか。」「ふーん、でも、今日は行かん。」「ホンナラ、ボク行ってくるわ。」 というわけで、レニー・ハーリン監督の「ブリックレイヤー」をキノシネマ神戸国際で見ました。 チラシに、究極のアクション・エンタテイメント大作 とありましたが、究極の感じはしませんでした。でも、まあ、それなりに面白かったですね。主役のレンガ職人役のアーロン・エッカートという人も、その相方のCIAエージェント、ケイト役のニーナ・ドブレフという人も、多分初めて見る俳優さんでしたが、なかなか頑張っていました。 お話は、まあ、CIA の内輪モメばなしで、ありきたりですが、エピソードの連鎖で謎解きに向かうパターン は、元々がこういうスパイ・冒険小説とかの展開が好きなせいもあって、結構、面白く見ました。主役のエッカートさんもなかなかシブイし(笑)。 ただ、事件の発端の発端、全ての始まりのエピソードであるらしい、今、敵役として登場しているラディックという男の家族の不幸の原因が、ボクには最後までわからなかったのが残念だったのと、「ブリックレイヤー」という題名にもなっている主人公の呼び名がコードネームじゃなかったのが、なんじゃそれはでした。 帰宅して、再び、老夫婦の会話です。「おもしろかった?」「うん、砂の惑星とかより、こういうのが好きやけど、殴り合いとか、爆発とか、カーチェイスとか、いろいろ盛りだくさんやで。でもな、主人公、CIAを引退して、ほんとにレンガ職人やってん。この前のジョン・ル・カレの裏切りのサーカスな、あれはイギリス諜報部の場合やけど、ティンカーとかテイラーとか、鋳掛屋とか洋服屋がなスパイのコードネームやったけど、今日のCIAはホンマにその仕事する人やってん。」「CIAは、やっぱり悪もんやったやろ。」「うん、新人以外、全員悪もんやった(笑)。あんな、一人やっつけるのに街中ブッ講和すようなことしたら嫌われるわな(笑)。主役の人、ハリソン・フォードに似とった。」「これが?」「うん、チラシの裏、ピストル構えてるやろ。」「あっ。ホンマや(笑)」 というわけで、不死身のアーロン・エッカートさんに拍手!でした(笑)。監督 レニー・ハーリン原作 ポール・リンゼイ脚本 ハンナ・ウェグ マット・ジョンソン撮影 マッティ・エーリカイネン美術 フィリップ・マーフィ衣装 イリーナ・コチェバ編集 イアン・アースキン音楽 バルター・マイアキャストアーロン・エッカート(スティーヴ・ヴェイル)クリフトン・コリンズ・Jr.(ヴィクター・ラデック)ニーナ・ドブレフ(ケイト)ティム・ブレイク・ネルソン(オマリー)イルフェネシュ・ハデラ2023年・110分・PG12・アメリカ・ブルガリア・ギリシャ合作原題「The Bricklayer」2024・03・28・no050・キノシネマ神戸国際no08追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.03.29
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「春やん!(笑)」 ベランダだより 2024年3月27日(水) ベランダあたり 玄関を出て、すぐそこ、思わずつぶやきました。「春やん!」 満開の雪柳が明るい日差しの中で広がっていました。 雪柳の横では水仙たちも群れて咲いています。明るい日差しがうれしい(笑)。 愛車モーターカブ号を置いているその前の生垣でも雪柳です。シマクマ君は、この花が好きです。二日ほどお天気が今一だったので気づきませんでした。今日は快晴です。 お出かけで、気がせいていましたが、なにはともあれ、パチリ!でした(笑) 玄関のすぐわきのこの花は「山桜桃梅・ゆすらうめ」です。一月後には赤い実がなって、食べられます。その向こうは、一株だけの雪柳です、で、最後まで頑張って咲いている椿です。さすがにそろそろ見納めでしょうね(笑)追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)ボタン押してね!
2024.03.28
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三上智恵「戦雲 いくさふむ」元町映画館 この映画のチラシを見たとき、2019年の10月ですから、もう、5年前のことですが、元町映画館が緊急上映していた影山あさ子監督の「ドローンの眼」という作品を思い出しました。「ああ、あれから5年経ってしまった。」 そんな思いで、当時、影山監督の、あのドキュメンタリー「ドローンの眼」で「可視化」しようとドローンを飛ばして映像化していた、第一のターゲットは「辺野古」 だったこと。しかし、辺野古に焦点をあて、沖縄の現実を伝えようとしたときに、たとえば、神戸で暮らしている「ヤマトンチュウ」にとっては、沖縄本島の「辺野古」の出来事は、まだ、ニュースとして、おぼろげながら見えていたのですが、その、また、海の向こうに霞んでいた石垣島、宮古島、与那国島の、2019年当時の、米軍によってではない、日本という国の政府によって、戦争を放棄したはずの国のミサイル基地建設の実態が工事現場の風景として映像化され、可視化されていたことが、あの映画の、もう一つのターゲット であり、辺野古以上に大きな問題を提起していたわけです。 で、今日の映画「戦雲 いくさふむ」です。「そうはいっても、今のこの国のムードに、気持ち以上のどんな抗い方があるのだろう?」 という、いつの時代でも、国家レベルで行使される権力の姿に対して、抗いようのない無力感が自分の中にわだかまっていることも気づかないふりの、呑気な徘徊老人として過ごしてきたのではないか? と、揺さぶるように山里節子さんの歌う、おそらく島唄の、美しくも哀愁に満ちた響きで映画は始まりました。 三上監督が2015年から8年間にわたり沖縄本島、与那国島、宮古島、石垣島、奄美大島などをめぐって取材を続け、過酷な歴史と豊かで厳しい自然に育まれた島々の人々のかけがえのない暮らしや祭り が鮮やかに映し出されています。そこには、牛がいて、馬がいて、命がけのカジキ漁があって、美しい水平線があります。 映画は列島の南西の果ての島の出来事を、海の向こうの、自分にはかかわりないことのようにして忘れたがっている神戸の老人に、そこにも、同じ日本人として穏やかに暮らす人々がいて、その人たちの裏山が削り取られて大陸に向けて発射可能なミサイル基地や、自衛隊員のための防空壕がすでに完成していて、毎日、射撃訓練の銃声に穏やかな暮らしを奪われている人が、すでにたくさんいらっしゃることを伝えています。神戸の老人は茫然と目を瞠ります。 自衛隊を統括する軍人(?)の口から、台湾有事ということばが大真面目に聞こえてきて、島ごと疎開する計画さえ立てられています。70年前には「お国のため」といっていた気がしますが、今回は「島民の皆さんの安全を守るため」 だそうです。なぜ、本土で広報衆知しないのでしょうね? 映画館は、ボクよりも、ずっと年かさのご夫婦や男性、女性の連れ立った観客のみなさんで、久しぶりに込み合っていました。その高齢のお客さんたちの中に座っていると、いつもの映画とは違って、スクリーンから響く三線のリズムや歌声が聞こえたり、お祭りのシーン、牛や馬のシーンににかすかながらも、ため息や口ずさみが聞こえてくるのでした。それは、きっと、故郷を案じて集まった人たちの息遣い だったと思いますが、流れ出した涙の乾く間のない2時間でした。 1945年の沖縄の戦場で、亡くなった方のご家族や、九死に一生の体験をなさった方や、その方々の体験を受け継いで70年の歳月を暮らしてこられた目 で、この映画が映し出す惨状をご覧になって、どう、お感じになられるか、胸がふたがる思いで見終えました。 元町映画館では、この「戦雲」を4月の上旬まで上映しているようです。どうぞ、ご覧になってください。私たちの国が次の戦争を、他国の国内情勢を理由にして準備していて、そこで、誰に犠牲を強いようとしているのか。 自分の目で確かめて、他人ごとでないことを、まず、気付いてほしいと思います。 本土で暮らしている国民には見えなことをいいことに、海の向こうの島々で、戦争の準備をしているのは、他所の国じゃなくて日本なのですよ! こういうことが「自衛」で説明できるというのが、まず、驚きですが、何故か、こっそり準備されているのです。もう、悠長に驚いている場合ではないようですね。笑えません! とりあえず三上監督と上映してくれた元町映画館に拍手!でした。監督 三上智恵撮影 上江洲佑弥編集 青木孝文監督補 桃原英樹CG 比嘉真人音楽 勝井祐二語り 山里節子イラスト 山内若菜2024年・132分・G・日本配給 東風2024・03・18・no045・元町映画館no232追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.03.27
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柳川強「風よ あらしよ 劇場版」元町映画館 村山由佳という作家の「風よあらしよ」(集英社文庫上・下)をNHKでテレビドラマ化した作品の劇場版だそうでした。予告編でセリフの喋りかたに違和感があったので見る気はなかったのですが、SSC、シマクマ・シネマ・クラブのM氏の提案の一つにあったので見てみようかなという気分で見ました。 柳川強演出「風よ あらしよ 劇場版」です。 サンデー毎日の暮らしですが、テレビドラマを全く見ないものですから、こういう作品があることは知りませんでした。原作者の村山由佳という人も直木賞受賞作あたりまでは記憶にありますが・・・。 で、映画が始まって、出だしを見ながら「テレビって、こういうふうにクドクド作っていらっしゃるんだなあ?!?!」 って、妙に感心したりしもしていたのですが、お話に出てくる、まあ、歴史的事実である谷中村とか、関東大震災とか、甘粕事件とかは、何となく手を抜いていらっしゃる気もして「なんだかなあ???」 でした。 でも、見てよかったんです(笑)。すっかり忘れていた辻潤や、辻まことのこととか、大杉栄と伊藤野枝の子供たちのこととか、ボク自身が二十代に興味を持っていて、何となく放りっぱなしになっていたことがワラワラと湧いてきて、「そういえば、あの本どこだっけ?」 という感じで、まあ、実に、なんというか、映画そのものが「平和なお茶の間用というクオリティだとこうなりますか?!」 という印象で、辻潤のエゴイズム発言とか、大杉栄のアナキズムの主張とか、かなり上滑りだし、なんといっても、伊藤野枝の女性の自由のとらえ方は、「えっ?それを描くとこういう映画になるの?」 というふうなだったのですが、ボク自身はというと、教室で伊藤野枝という人の映画を見たんだけど、今日の授業のテーマとはあんまり関係ないかもしれない方向に関心が湧いて、その興味の方 に気持ちがウロウロするという体験でしたね。 瀬戸内寂聴の「美は乱調にあり」(岩波現代文庫)とか、「ルイズ 父に貰いし名は」 (講談社文芸文庫)は豆腐屋の松下竜一か。あれは大杉栄と伊藤野枝の四女?、末っ子か? それから、荒畑寒村「谷中村滅亡史」(岩波文庫)か、いろいろあったなあ。そうそう、辻まこと、「辻まことセレクション」(平凡社ライブラリー)とか、どこにやったっけ?みんな、昔の名著か? そういえば、少女小説の吉屋信子が田中正造の思い出を書いていた話がどこかにあったなあ。と、まあ、実はこの時代好きだったんですよね(笑)。 それにしても、ボクのようなタイプに、原作を読もうと思いつかせないところが、まあ、この映画のザンネンなところでしたね(笑)。 演出 柳川強原作 村山由佳脚本 矢島弘一音楽 梶浦由記キャスト吉高由里子(伊藤野枝)永山瑛太(大杉栄)松下奈緒(平塚らいてう)美波(神近市子)玉置玲央(村木源次郎)山田真歩(堀保子)音尾琢真(甘粕正彦)石橋蓮司(渡辺政太郎)稲垣吾郎(辻潤)2023年・127分・G・日本2024・03・25・no049・元町映画館no235・SCCno20追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.03.26
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「そろそろ、見納めかな?」 徘徊日記 2024年3月18日(月) 北長狭あたり 今日も、フラフラ通りかかった神戸の、通称モダン寺のある、あの通りのコブシの並木道です。見事に満開です! お天気がよかったので、ご覧ください、雲一つない青空を背景にした白い花です。 お寺の姿と重ねて写せました(笑) 少し西に歩いてみます。 洋食の朝日さんのあたりです。 せっかくなので、一本づつ、全体の姿を写してやろうともくろんだのですが、あんまり上手とはいえないところは、いつもと同じです。 西の端のほうの木です。このあたりは、本当に満開で、今日が見納めでしょうね。コブシもモクレンもここから急激にやつれたように黄ばんだりしてくるのですよね。今日は、時間も早いというわけで、朝日さんのお店の前は行列です。 はい。これで通りを歩き終えました。ここから神戸駅まではすぐですね。それでは、またね(笑)。追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑) ボタン押してね!
2024.03.25
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ホウ・シャオシェン「ミレニアム・マンボ」元町映画館 2年ほど前のことですが、なんとなく、図書館の棚で見つけた「侯孝賢の映画講義」(みすず書房)という本を読みました。ホウ・シャオシェン(侯孝賢)という監督が活躍した時代、香港、台湾、そして韓国の映画が映画館に掛かる様になった時代に、ほぼ、映画を見ていないということもあって、名前も知らなかったその監督が、いったいどんな作品を撮っていたのだろうという関心ばかり膨れ上がっていましたが、今年、2024年の3月の元町映画館のプログラムを見て、「あっ!侯孝賢や!」 そう思って駆け付けました。 見たのは侯孝賢監督の2001年の作品「ミレニアム・マンボ」、原題が「千禧曼波」という作品でした。 見終えて、座り込んでいて、最初のシーンが浮かんできました。 渡り廊下というか、ビルからビルへの、屋根付きの歩道橋というか、女性がタバコをくわえて歩いているのですが、どこにたどりつくのか・・・。 で、映画が、たどり着いたのはどこだったのか。「これって、何年の映画ですか?」「2001年ですよ。」 見終えて、ようやく立ち上がって、出てきた受付で答えてくれたのは映写係のお兄さんでしたが、エンドロールを見ながら、ボクの頭の中に渦巻いていたというか、ワラワラと浮かんできていたのは「そのころボクは何をしていたんだっけ?」 という、ボク自身の頭の中にあるはずなのに、時も、場所も、あまり定かではない記憶というか、思い出というかを、浮かんでくるボンヤリしたシーンを何となく手探りで探しながらで、どうしてあなたは、今日、こうして映画館とかに座り込んでいるの? と問いかけられるような、そんな気分で、思わず尋ねたわけです。 まあ、そういう映画でしたね。 見事なものです。繰り返されるくらい部屋や酒場のシーンが、何を描こうとしているのか、判然とするわけでもないし、これといった筋立てがあるわけでもないのですが、今日のボクを揺さぶったことは間違いないですね。不思議な映画でした(笑)。 侯孝賢に拍手!ですね。 映画が、スーチーさんが演じるビッキーさんの生きてきた記憶の映像を重ねるように、繰り返し、コラージュしていているような気がしたのですが、映像にはビッキーさん自身もあらわれるのですね。自分自身の記憶なら、彼女の姿はあらわれないのじゃないか、そんな、疑問も浮かぶんです。で、生きているビッキーさんを追いかけて、これを撮っているのは誰なんだろうという、考えても仕方がないようなことを、見終えて数日たった今も考えています。 小説なら書き手ですが、映画の場合は、小説の書き手に当たる人はどこにいるのかということが、最近気になって仕方がないのですが、そういうことを考えるというか、気に掛けることを励ましてくれるような作品でした。面白かったですね(笑)。監督 ホウ・シャオシェン侯孝賢脚本 チュー・ティエンウェン撮影 リー・ピンビン美術 ホワン・ウェンイン音楽 リン・チャン Fish 半野喜弘キャストスー・チー(ビッキー)カオ・ジエ(ガオ)トゥアン・ジュンハオ(ハオ)竹内淳(ジュン)竹内康(コウ)ニョウ・チェンツー(ドウズ)ディン・ジェンチョン(マジシャン・建中)2001年・105分・台湾・フランス合作原題「千禧曼波」「Millennium Mambo」2024・03・20・no046・元町映画館no233追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.03.24
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ドゥニ・ビルヌーブ「デューン 砂の惑星 PART2」109ハット 3年ほど前に、パート1を見ました。まあ、そういうわけで、やっぱり、見なきゃ! と思いたって、なんと,春分を過ぎたというのに小雪のチラつく中、意を決して原付に乗り、灘駅からは小雨に変わった道をとぼとぼ歩いて、ドゥニ・ビルヌーブ「デューン 砂の惑星 PART2」に駆け付けました。 劇場には、こんなのに始まって、こんなのとか、 ちょっと、強面ですが、なんかドラゴンボールを思い出しましたが(笑)、こんなのとか、こんな悪人面とか、あっ、上の男の人ね(笑) こちらは、主人公のポールくんかな、と、まあ、いろんな登場人物のキャラクター写真があったりして、有名な人気俳優集合映画であることがよくわかりましたが、まあ、写真の人物のだれ一人知らないわけですから、「まあ、ちょっと写真撮っとこか。」 程度のインパクトしかありません。知らないというのはしようがありませんね(笑)。 で、始まって見ると2時間30分、まあ、結構長い作品だったので、それで、どうなるのと期待に期待を重ねていたのですが、まあ、こんなことを言うのは申し訳ないのですが、なんというか、ボクの中で、新たに「ワクワクをかきたてるもの」 の発見は、結局、なかったですね。ザンネン! あの砂虫の全貌は?という期待も(やっぱり、わからないままでしたが)、お母さんのお腹の赤んぼうの行く末も(まだ、お腹にいるままでしたし)、ポールくん自身の復活も、「なんだかなあ???」 でしたね。 ちょっと、いかにも、薹の立った老人の戯言をいいますが、物語の運びが、小道具も、大筋も、古いんですよね。 予言を持ち出して、話を進めるのも、戦闘シーンや、最後の決闘シーンも説得力がないですね。最後のポールくんの決断でチャニさんが去っていく結末もパート3のためのやりくりにしか見えないわけですし、砂虫くんだって、ボクでさえ二度目なのですから、もう少し何とかしてほしいわけです。 結局、寝ることはなかったですが、欠伸ばっかりしていました(笑)。 音響とか、結構、大変なのですが、体がそう反応してしまうのだから仕方がないですね。 砂漠の香辛料とかの争奪戦あたりからの発想でしょうか、現実の世界を暗示する予言性とかを指摘する批評家もいらっしゃるようですが、現実の権力や資本の論旨が古いからそう見えるにすぎないわけで、古い物語を反復すれば、予見的になるという型は、ボクが映画を見始めた50年前から変わらないし、この作品を持ち上げる理由になるとは思えませんね。 とか、なんとかいいながら、パート3が出来たら、また見に来そうな、ハイ、今回は怠かったのですが、ほんとはこの手の話、好きなのですよね(笑)、というわけで、まあ、いい加減な話でした(笑)。監督 ドゥニ・ビルヌーブ原作 フランク・ハーバート脚本 ドゥニ・ビルヌーブ ジョン・スパイツ撮影 グレイグ・フレイザー美術 パトリス・バーメット衣装 ジャクリーン・ウェスト編集 ジョー・ウォーカー音楽 ハンス・ジマー視覚効果監修 ポール・ランバートキャストティモシー・シャラメ(ポール・アトレイデス)ゼンデイヤ(チャニ)レベッカ・ファーガソン(レディ・ジェシカ)ジョシュ・ブローリン(ガーニイ・ハレック)オースティン・バトラー(フェイド=ラウサ・ハルコンネン)フローレンス・ピュー(皇女イルーラン)デイブ・バウティスタ(ラッバーン・ハルコンネン)クリストファー・ウォーケン(パーディシャー皇帝シャッダム4世)レア・セドゥ(レディ・マーゴット・フェンリング)スエイラ・ヤクーブ(シシャクリ)ステラン・スカルスガルド(ウラディミール・ハルコンネン男爵)シャーロット・ランプリング(教母ガイウス・ヘレネ・モヒアム)ハビエル・バルデム(スティルガー)アニヤ・テイラー=ジョイ2024年・166分・G・アメリカ原題「Dune Part Two」2024・03・21・no047・109ハットno42追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.03.23
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ジュスティーヌ・トリエ「落下の解剖学」シネリーブル神戸 神戸のシネリーブルでは2024年の2月の下旬に封切られた作品ですが、チケット予約で覗くと連日盛況で、チョット近づくことを躊躇していると、今度はアメリカのアカデミー賞で脚本賞とかいうニュースが流れてきて、客足がとまるどころか・・・、仕方がないので覚悟して出かけました。「ああ、やっぱり、多いですね(笑)。」「はい、アカデミー賞ですから。」 まあ、チケット売り場でそういう会話があって、ここのところのボクとしては珍しく、かなり前の席で、昔はずっとそのあたりだったことを懐かしがりながら、ちょうど真正面のデカい画面をやや見上げるような席で見ました。ジュスティーヌ・トリエというフランスの女性監督の「落下の解剖学」でした。 大きなログハウス風のお屋敷の3階だったかの屋根裏部屋のベランダから、男が落ちて死んでいたシーンがチラシの写真です。直接の死因は頭部の打撲傷なのですが、大怪我をして「落下」したのか、「落下」しながら大怪我をしたのかを、裁判で明らかにしましょう。 という映画でした。 で、怪我を解剖しても、怪我をしたのがいつだったのかわからないので、「落下」という出来事を、みんなで解剖してみましょう。 まあ、そんな感じの裁判だったと思いますが、裁判という制度が、事実の「解剖」では出来事の真相にたどり着けない場合、ようするに物証がないこの映画のような事件の裁判の場合、「結論」を物語化する ものだということを、案外、多くの人が信じているということがよくわかりました(笑)。 でも、多分、殺人事件の裁判の立証でそういうことはあり得ませんね。そこのところを隠しているのが、この映画の大きな欠点だったという印象が、まあ、ボクには、強く残りました。 大怪我の結果、死んだのは夫で、怪我をさせた、あるいは、殺したと疑われているのは妻、第一発見者は、息子と犬でした。この映画の裁判で検事が、芝居気たっぷりに「解剖」しようとしているかに見えるのは「家族」、「夫婦」、そして「夫」、「妻」、「子ども」の内側ですね。ああ、これでは真相はわかりっこないな! そう思って見ていましたが、やっぱりわかりませんでしたね。凶器というか、物証が、それが物置の屋根の角であれ、ひょっとしたら妻が振り上げたトンカチであれ、無いのですから、状況証拠を争う裁判をいくらドラマチックに展開しても、自白を誘導していいるだけで、「結論」は主観的に選ばれる よりしようがないわけです。 まあ、そういうことを考えながら見ていて、この映画というか、映画の製作者は「裁判という制度」について最初から観客をだましているな とういう感じで見続けていました。 どういうことかというと、裁判という制度は、たとえば、殺意が認定できても殺人を認定できない場合、「疑わしきは罰せず」の原則にのっとって無罪放免以外に方法はないということを伝えずに、裁判をある男の死の真相の謎をサスペンス化して、それが見つけられるはずの場として、あたかも法廷劇であるかのように、「裁判」を描いていたことですね。何が表現したいのかよくわからない展開でした。 というわけで、事件の真相がサスペンスとして語られていると思いながら見ているわけですが、謎が吊るされているロープがぴんと張っていないという気分は募るばかりでしたが、検察側の状況証拠に、夫が録音した夫婦喧嘩の実況中継が出てきて、関心を持ち直しました(笑)。 妻の職業が小説家で、夫は書けない小説家志望、二人の小説作法に共通するのが、現実の小説化ということです。これは面白いやん! 島尾敏雄ですね。数年前、梯久美子の「狂うひと―『死の棘』の妻・島尾ミホ―」(新潮文庫)という評論が話題になりましたが、その中で、「作家島尾敏雄は自らの浮気の事実を記した日記を、台所のテーブルに置き忘れることで、妻、島尾ミホに読ませることで、彼女の精神的錯乱を誘発し、それを作品に書いた」 とあったことが、映画を見ている頭の中にワラワラと浮かんできて、新たなるサスペンス! の始まりでした。 まあ、映画では、夫によって文章化された夫婦喧嘩の描写が小説のプロットとしてつまらないという編集者の判断があり、夫の作家的無能の、だから自殺を思い立つ状況証拠化されてしまって、一気にロープが緩むのですが、どうせなら、妻がこの場面を書いた原稿まで、見つけてほしかったですね。そこに、妻の殺意が描かれていたとしても、現実の殺意とは、実は、ほとんど関係ないというあたりまで、どう描くか、まあ、そんな期待だったのですが、トンボ切れでした(笑)。 要するに、書くために生きていた二人にとっての現実や生活は何だったのかという問いに欠けるところが、この作品の残念なところだったと思うのですが、アカデミー賞では、なんと脚本が褒められたよう で、一瞬、興奮しかけたのは空振りだったようですね(笑)。 付け加えていえば、この作品で、境遇に耐えながら、なんとか、生きているのは少年と犬だけでしたね。 少年は、裁判であげつらわれている母と父の虚構の生活の中で、自らの存在も、また、虚構されているのですが、残された母の命を救うことで、自らが「生きる」ことを選び取ったといえるのかもしれません。 上にあげた「狂うひと―『死の棘』の妻・島尾ミホ―」(新潮文庫)を書いた梯久美子が、評伝執筆にあたって協力を依頼した島尾夫婦の、長男、島尾伸三から「きれいごとにはしないでくださいね」といわれたという話は有名ですが、この映画で、帰宅した母に少年がいう「ママが帰ってくるのが怖かった」 というセリフは、かなりいい線いっていると思うのですがね。問題は、誰が死んだ、誰が殺したではないのです、これから、再び始まる「狂うひと」との生活なのです、でも、この映画、そっち向きに作られているのかな?というのが、文学オタクの老人のうがった感想でした(笑)。監督 ジュスティーヌ・トリエ脚本 ジュスティーヌ・トリエ アルチュール・アラリ撮影 シモン・ボーフィス美術 エマニュエル・デュプレ衣装 イザベル・パネッティエ編集 ロラン・セネシャルキャストサンドラ・ヒュラー(サンドラ被疑者・作家)スワン・アルロー(ヴィンセント弁護士)ミロ・マシャド・グラネール(ダニエル息子)アントワーヌ・レナルツ(検事)サミュエル・セイスジェニー・ベスサーディア・ベンタイブカミーユ・ラザフォードアン・ロトジェソフィ・フィリエール2023年・152分・G・フランス原題「Anatomie d'une chute」2024・03・13・no042・シネリーブル神戸no236追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.03.22
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「おっ!ここのモクレンも、コブシも!」 徘徊日記 2024年3月18日(月)神戸・元町5丁目あたり JRの神戸駅から、宇治川の商店街あたりを横切って北長狭通を高架沿いにトボトボ歩いてたどり着くのが元町5丁目あたりです。なじみの古本屋の三香書店さんや喫煙OKの喫茶店ベアがある通りですが、オッと、モクレン咲いてるやん! 北長狭あたりのコブシに気を取られていた、今日この頃でしたが、ここのモクレンの街路樹も、いつの間にか見ごろになっていました。 まずは、コブシです。元町商店街のアーケードの手前ですね。 ちょっとアップするとこんな感じです。背景の青空も気持ちがいいですね(笑)。 で、その木の正面あたりにあるのがモクレンです。この木の花はまだ蕾です。 でも、モクレンもコブシもこの風情のときがいいですね。 元町商店街のアーケードの南の花は開き始めています。 春の日差しがが明るくて、花の開き加減がこれくらいのときのモクレンとか、コブシって、どうしてこう、素直そうで、写真写りがいいですかね(笑)。 お隣りで、こちらのコブシは、ほぼ満開です。 ちょっとアップしてみますね。こうなると色気たっぷりで、これはこれで、また、まあ、なんというか大人の魅力ですね(笑)。 で、お隣のモクレンは、今のところは、まだ、こういう風情で、何となく女学生さんという感じがいいでしょ(笑)。 いよいよ、春の花の季節の到来ですね。じゃあ、またね(笑)。 ああ、今日の目的地は、やっぱり、ここですね。 見たのは、左端のポスターの映画、「戦雲」、「いくさふむ」と読むらしいです。琉球の人たちの哀しみと怒りに胸打たれました。また感想書きますから読んでね(笑) 追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑) ボタン押してね!
2024.03.21
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鈴ノ木ユウ「竜馬がゆく 7 」(文藝春秋社) 愉快な仲間のトラキチクンが毎月運んでくれる「マンガ便」ですが、2024年の3月の「マンガ便」に入っていたのは鈴ノ木ユウ「竜馬がゆく 7 」(文藝春秋社)でした。 江戸で剣術修業をしていた竜馬の、土佐への帰国途上のエピソードが描かれていて、幕末の風雲急な時代の始まりを予告する、「竜馬がゆく」という物語の節目の第7巻でした。 ところで、このマンガの原作は司馬遼太郎の「竜馬がゆく」(文春文庫・全8巻)ですが、実は1962年から1966年にかけて産経新聞の夕刊に連載された新聞小説なのですね。思えば半世紀も昔の作品ですが、作家を、時代を越えた流行作家にした出発点になった作品ですね。 で、もう一つの特徴ですが、一般には、この作品が「歴史事実」に対して「ウソ」=「作りごと」のない「歴史小説」であるかのように読まれてきているのですが、実は「ウソ、偽り」で面白さを担保した「時代小説」 ということですね。 たしかに、歴史上の人物の伝記的事実を柱に描かれていて、いかにも歴史事実を忠実にたどっているかに見えるのですが、実は、司馬遼太郎流といえばいいのでしょうか、想像上の人物を登場させたり、こうであっただろうという、まあ、想像を書き込むことで新聞小説の読者を喜ばせる、あるいは、飽きさせないことを狙ったのだろうと思われる「ウソ」が随所にはめ込まれていて、作家の思惑通り、だから面白いのですね。 この第7巻で、竜馬の一の子分として活躍する寝待の藤兵衛は、司馬遼太郎の創作した最も優れたキャラクターの一人でしょうね。「このろくでなしが」「・・・・」「・・・・」「竜馬どの」「旦那だって人殺しの術を使う剣客でしょうが」「盗賊の人殺しと一緒にするな」「武士の剣は千年の・・・考えぬかれた義と理と法とがある武士道じゃ 武士はその道によって人を斬り時には己も斬る」「な~に勝手なことを言ってんだい 殺しは殺し…一緒だろ」 このシーンそのものが、かなり作り話的だと思うのですが、藤兵衛はもちろんのこと、同席しているのが、三条家で見習いをしている、土佐藩の家老だかの娘お田鶴というのもすごいのですね(笑)。 で、司馬遼太郎のえらいところは、まあ、会話をお読みください、この席で、やがて、「武士道」を相対化して新しい世界を作り出してゆく坂本龍馬誕生! の、産婆役として藤兵衛に「殺しは殺し、一緒だろ」とと、実の重要な発言させているのです。坂本龍馬という歴史上の人物の、歴史的改心、あるいは、武士からの脱皮の瞬間をこうして描いてみせるのが「司馬史観」に特有のテクニックですね。 さて、この巻後半、68話から、70話、土佐に帰った竜馬が出会うのはアメリカです。まだ出てきていませんが、この時代の土佐には、あの、ジョン万次郎がいるのですね。楽しみです。 追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.03.21
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100days 100bookcovers Challenge備忘録 (71日目~80日目) コロナが蔓延し始めた2020年の5月に友達と始めた「ブックカヴァーチャレンジ」の備忘録です。当時、フェイスブック上とかで「7デイズ・7ブックカヴァーズ」というのが流行だったのですが、お調子者のわれわれは「100デイズ、100ブックカヴァーズ」に挑戦したのですが、コロナの流行が、何となく忘れられて、戦争とか、神戸や東北の震災とかと同じように、教科書の片隅に記載される歴史事象の一つであったかのような「空気」が蔓延し始めていて、その上、お正月早々、能登半島を大きな地震が襲い大勢の人が苦しんでいらっしゃる2024年の3月現在、ようやく97冊目にたどり着いて、ゴールを目前にしています。 紹介してきた書物のライン・アップに、格別の意味があるわけではありませんが、ほぼ、5年にわたるコロナ社会の生活を映してきた鏡であったかもしれません。少なくとも、紹介に参加した5人のメンバーは確かに5年の歳月を生きてきたわけですし、できれば、その時間を忘れないための備忘録でもあるわけです。 それぞれの書名か表紙写真をクリックしていただければリンク先の記事にたどりつけると思います。no71(2021・06・21 N・Y) 馳星周「神の涙」(実業之日本社文庫)no72(2021・07・26 K・S) レイモンド・チャンドラー『長いお別れ』(ハヤカワ・ミステリ文庫)no73(2021・08・14 T・K) 矢作俊彦『マンハッタン・オプⅠ・Ⅱ』角川文庫no74(2021・08・27 E・D)ジョセフィン・テイ『時の娘』小泉喜美子訳 早川書房no75(2021・09・04 T・S)田口俊樹「日々翻訳ざんげ エンタメ翻訳この四十年」(本の雑誌社)no76(2021・09・21・N・Y)田中小実昌『ポロポロ』(中央公論社)no77(2021・10・21・T・K)川上弘美『神様』中央公論新社no78(2021・11・14・E・D)池内了『物理学と神』集英社新書no79(2021・12・21 T・S)幸田文「おとうと」(新潮文庫)no80(2022・01・12・N・Y)宮本常一「辺境を歩いた人々」(河出書房新社)追記2024・05・11 投稿記事を 100days 100bookcovers Challenge備忘録 (1日目~10日目) (11日目~20日目) (21日目~30日目) (31日目~40日目) (41日目~50日目)(51日目~60日目)(61日目~70日目)(71日目~80日目)(81日目~90日目)というかたちまとめています。日付にリンク先を貼りましたのでクリックしていただくと備忘録が開きます。 追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.03.20
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アンドレイ・タルコフスキー「ノスタルジア」元町映画館 2024年の3月のはじめから、神戸の元町映画館でやっていたタルコフスキーの「ノスタルジア」ですが、上映時間が繰り上がったので、普段は映画館には近づかないことにしている日曜ですがやって来ました。 タルコフスキーといえば、今からほぼ50年前、20代だった映画好きの大学生たちが見たの見てないのと騒いだ「惑星ソラリス」という作品が浮かんできて、果たして、見たのか、見なかったのか、判然としないのですが、ちょうど、ゴルバチョフが登場する直前のソビエト連邦から亡命し、パリで命を絶った(本当は病死)と思い込んでいたことだけははっきり記憶しているのですが、見たはずの映画の記憶は全くないという、まあ、ボクにとっては思い込みの中にだけ存在する ような監督です。 で、そのあやふやな記憶の中にあるタルコフスキーの実像を確かめたいというのが今回の目論見でしたが、まあ、ものの見事に失敗したようです(笑)。 今、見終えて残っているのは、世界の破滅を訴えて、自らガソリンをかぶり、焼身自殺を遂げた老人の姿と、その老人との世界を救済する約束を守ろうと蝋燭の炎を風から守りながら、干上がった温泉の池を渡りきるや、気絶して、おそらく故郷の不思議な光景に横たわる主人公の夢のような映像だけです。 唐突ですが(笑)、太宰治という作家に「走れメロス」という、誰でもご存知の作品があります。もう20年以上も前のことですが、ある中学生が「メロスは男の中の男だ!」 と感想文を書いたのを読んでおどろいたことを思い出しました。 この映画の主人公、詩人のアンドレイ・ゴルチャコフは、いや、この映画の監督タルコフスキーは、映画という蝋燭の小さな炎を消さずに、向こう岸に届けることで世界が救済できると、実は、本当に信じていたのではないでしょうか。 タルコフスキーは映画の中に真実の炎をともし続けるという、いわば、映画との約束を守るために向こう岸に渡り、振り向けば、すでに向こう岸になった過去がノスタルジーの夢の中に消え去っていくというシーンを描くことで、映画の中の映画! を残せると本気で考えたのかもしれないという、まあ、老人の妄想に違いない思い込みが、メロスの話を思い出させたのでした(笑)。 なんだかわけのわからないことを書き連ねていますが、音楽といい、映像といい、あふれかえるイメージの氾濫とでもいうスクリーンに翻弄された2時間でした。拍手! とても、ボクの理解力ではついていけなかったのが率直な感想ですが、信じているもののために追い詰められていく切迫感と、失われていくものに対する、えもいわれぬ哀しみだけは受け取った気がします。 この作品を完成させたタルコフスキーは、そのまま祖国を捨て、「サクリファイス」という意味深な題名の作品を残して世を去ったわけですが、わかろうがわかるまいが(笑)「サクリファイス」を見てみたいというのが、この作品「ノスタルジア」を見終えての、今の、もう一つの感想ですが、さて、いつになることでしょうね(笑)。監督 アンドレイ・タルコフスキー製作 レンツォ・ロッセリーニ マノロ・ボロニーニ脚本 アンドレイ・タルコフスキー トニーノ・グエッラ撮影 ジュゼッペ・ランチ美術 アンドレア・クリザンティ衣装 リーナ・ネルリ・タビアーニ編集 エルミニア・マラーニ アメデオ・サルファ音楽 ルードビヒ・バン・ベートーベン ジュゼッペ・ベルディキャストオレーグ・ヤンコフスキー(アンドレイ・ゴルチャコフ)エルランド・ヨセフソン(ドメニコ)ドミツィアーナ・ジョルダーノ(エウジェニア)パトリツィア・テレーノ(ゴルチャコフの妻)ラウラ・デ・マルキ(髪にタオルを巻いた女)デリア・ボッカルド(ドメニコの妻)ミレナ・ブコティッチ(清掃婦)1983年・126分・G・イタリア・ソ連合作原題「Nostalgia」2024・03・10・no040・元町映画館no230 追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.03.20
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カール・テオドア・ドライヤー「裁判長」元町映画館 神戸の元町映画館では「カール・テオドア・ドライヤー セレクション 2」という特集番組を、2月のなかばからやっていました。で、もう一つ、「SILENT FILM LIVE(シリーズ22)」という特集を先週からやっていました。で、両方とも今日、3月8日(金)が最終日でした。 ボクは、今回のドライヤー特集では、「ミカエル」と「吸血鬼」という2本を見ましたが、なんと、せっかくのドライヤー特集をやっているのだからというのでしょうね、サイレント映画をピアノの伴奏で見る「SILENT FILM LIVE(シリーズ22)」の方でも、ドライヤーの最初の作品「裁判長」をプログラムするという元町映画館と鳥飼りょうさんの粋な計らいにのって、サイレントをピアノで見るほうにやってきました。 見たのはカール・テオドア・ドライヤーの処女作「裁判長」です。1918年の作品で、モノクロのサイレント映画でした。 ドライヤーの作品については、たとえば蓮實重彦なんていうえらい人が「彼のすべての作品を見ていなければ、映画について語る資格はないと断言したい。」 とかなんとか、まあ、このチラシでもおっっしゃっていて、ある意味、ウンザリするのですが、そういうもんかとへこたれる気分もあって、別に蓮實教の信者というわけでもないのですが、見なきゃ! となっちゃうんですね(笑)。ところが、まあ、カナシイことに、まあ、ほんとにかなしいわけでもありませんが(笑)、蓮實大先生が傑作とおっしゃっている「奇跡」とか、ネット上でも評判の「裁かるるジャンヌ」とかも見るには見たのですが、正直、ポカーン・・・ だったわけで、今回の、この「裁判長」とか、ちょっとドキドキしましたね(笑)。 で、映画ですが、これが、まあ、面白かったんですね。 お話の筋は、結構入り組んでいて、ややこしいので省きますが、今回、面白かったのは、主人公の裁判長が町の人々に尊敬され、支持されて、地域の人たちが群衆となってお祝いにやって来るのですが、それが、松明の行進かなんかで、そのシーンを、当の裁判長は祝賀会のパーティが開かれている明るい部屋の窓から見ているのです。 ずぅーッと向うに見える、その松明の火が闇の中を、だんだん町の中心に集まってくるのですが、そこだけ、赤い色が付いていて、白黒の闇の画面に、その赤い色が揺らめく のですね、その揺らめきと、裁判長の、実は人々の祝福とは裏腹に職を辞する決心に揺らいでいる心境が重なり合うシーンは、ちょっとドキドキしましたね(笑)。 多分、初期のモノクロ映画のカラーだと思ったので、映画の後で、ピアニストの鳥飼さんに伺うと「フィルムに色を付けているのでしょうね。後になってつけたのではないですね。」 ナルホド、やっぱり、監督の意図なのですね。いわゆるテクニ・カラーをディズニーが専売特許にして評判をとったのが1930年代だったと思いますが、1918年のこの映画で、彩色によってのカラーが試されていて、それが、不思議な効果 を上げていることにおどろきました。 この監督は、50年代に撮った「奇跡」も、最後の作品になった、1960年代の「ゲアトルーズ」も白黒でしたが、もしも、彼がカラーを自在に操っていたら? どんな映画を撮ったのかなと思いましたね。 映画が終わった後のトークの時間に、初めてドライヤーを見たと手を挙げた方がいらっしゃったようですが、ボクのドライヤーとの出合よりは、楽しいドライヤー発見! になった方もいらっしゃったのではないでしょうか。ピアノでサイレント! またまた楽しい時間でした。監督・脚本 カール・Th・ドライヤー原作 カール・エーミール・フランツォス撮影 ハンス・ヴォーグ美術 カール・Th・ドライヤーキャストハルヴァーズ・ホーフ エリート・ピオ カール・マイヤー ヤーコバ・イェッセン ファニー・ペーターセン オルガ・ラファエル=リンデン1918年・89分・デンマークアスペクト比 1:1.33モノクロ・スタンダード・無声公開年月日 2003年10月28日2024・03・08・no038・元町映画館no229 追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.03.19
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ビリー・ワイルダー「アパートの鍵貸します」こたつシネマ ここのところ、2010年代のアカデミー賞作品を続けて見ていたのですが、今日は、半世紀以上前のアカデミー賞映画を、コタツに寝転がって見ました。アカデミー賞鑑賞週間、番外編ですね(笑) 家では、映画とか、あんまり見ないのですが、今日は、なんとなくテレビの前に立って見始めて、そのまま椅子に座り込んで、結局、コタツにもぐりこんで見終えました。見たのはビリー・ワイルダーの傑作「アパートの鍵貸します」でした。「あら、アカデミー賞特集、ケーブルテレビもやってるわよ。」「ふーん、何?」「今日はアパートの鍵貸しますやって。」「ジャック・レモンやろ。」 なんか、テレビの前でチッチキ夫人がひとり言を言いながらチャンネル・リモコンをいじっていました。「始まった?」「うん。見る?私は見る。」「これって、マリリン・モンロー出てくるんやったっけ?」「これは、モンローちゃうわよ。」 いつの間にかテレビの前に立っているシマクマ君です。 ビリーワイルダー、ジャック・レモンといえば、まあ、思い浮かぶのはマリリン・モンローですが、この映画に出てくるのはシャーリー・マクレーンですね(笑)。 1960年ですから、60年前のコメディ映画です。監督はビリー・ワイルダーで、保険会社に勤める独身サラリーマン、バドを演じるのがジャック・レモン、エレベータガールで、部長の浮気相手フランがシャーリー・マクレーンで、まあ、結論を先にいえば、二人の恋物語です。 まあ、そこから先のストーリーはいろんなところで読めますから書きませんが、こたつで見ていた、まあ、いい歳をした二人組は、笑いながらも、トンチンカンな会話に終始していました。「なんか、この会社、スゴイ、フロアーやね。アメリカやからなん。」「うん、アメリカ、アメリカ、50年代のニュー・ヨーク。保険会社。」「大企業いうこと?」「こんなフロアーの会社って、今でもあるんかな?」「あっ、このエレベータの人や。」「モンローちゃうな(笑)。」「何、この、部長とかの意味わからんセリフ。」「男らしいやん(笑)。いま、コレ、映画に出来るかな?」「パワハラどころちゃうやん」「あっ、パスタ、ラケットで掬ってる。」「むりむり、ああ、水かけてる。」「昔はスバゲッティ、ゆであがったら水で洗ったんちゃう?」「うっそー!」 まあ、今、考えると、あり得ないシチュエーションのコメディで、いってみれば荒唐無稽なのですが、その上、結末は知っているにもかかわらずうまくいけばいいな! とか、まあ、どっちかというとさえないお調子者のジャック・レモンを応援したりしながら、最後まで見せてしまって、違和感ゼロというのは何故でしょうね。 第33回、1961年のアカデミー賞で作品賞、監督賞など、5部門制覇! した人気作です。学生時代にも、それからテレビでも、見た記憶がありますが、今見て、やっぱり面白いんですよね(笑)。 いやー、ビリー・ワイルダー恐るべし! ですね(笑)。拍手!監督 ビリー・ワイルダー製作 ビリー・ワイルダー I・A・L・ダイアモンド撮影 ジョセフ・ラシェル音楽 アドルフ・ドイッチ美術 アレクサンドル・トローネルキャストジャック・レモン(C・C・バクスター 通称バド)シャーリー・マクレーン(フラン)フレッド・マクマレイ(J・D・シェルドレイク部長)レイ・ウォルストン1960年・125分・G・アメリカ原題「The Apartment」公開 1960年10月8日2024・03・某日・no043・こたつシネマno18 追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.03.18
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レニー・アブラハムソン「ルーム」シネリーブル神戸 「ギャガ・アカデミー賞受賞作品特集上映」鑑賞週間と決めて見てきたアカデミー賞作品の8本目で、一応これで終わりです。 上に貼ったチラシにあるように、2008年くらいからのライン・アップで、必ずしも作品賞ではありませんが8本です。あと6本残っていますが、今回見なかったのは、すでに見たことがある作品だったからですね。 で、今回見た作品は、制昨年(必ずしも受賞年度ではありません)が古い順に2009年制作の「スラムドッグ$ミリオネア」、2010年の「英国王のスピーチ」、2011年が「アーティスト」、「裏切りのサーカス」、2013年が「世界にひとつのプレイブック」、2014年が「イミテーション・ゲーム」と「セッション」で、この「ルーム」が2015年に作られた一番新しい作品です。 今回の特集は「ギャガ」という配給会社の作品の特集ですが、ギャガだからという特徴とか傾向はボクにはわかりませんが、アカデミー賞がどういう作品をノミネートしてきたのかということについてはなんとなく体感! しました(笑)。 感じたままをいえば、筋運びと構成の明快さと作り手の意図の「人間性」の中庸さ、で、当然、その結果の後味のよさ! が共通していると思いました。 まあ、いってしまえば「大衆性」の最大公約数が選ばれているという感じです(笑)。ただ、ボクには映像的な特徴をあれこれいう眼力がありませんから、要するにストーリーとして見た感想にすぎません。 で、今回の「ルーム」ですが、レニー・アブラハムソンというアイルランドの監督の作品でした。 7年前、通学の途中に誘拐され、小さな納屋に監禁され、その間に誘拐犯との子供まで生み、一人で育ててきた女性ジョイ。この世に生まれてきてから5年間、閉じ込められた狭い空間、「ルーム」で、母と誘拐犯の父の顔と、天窓から見える空しか知らずに育った少年ジャック。 つい、先ごろ見た「ボーはおそれている」という映画になぞらえていえば「ジャックは愛している」ということになるのかもしれませんが、彼が母であれ、他の他者であれ、人を愛することができるための本当の「ボク」になるためには「外」=本当の世界 が必要になりますねという始まりでした。。「ママの名前はジョイ、この「部屋」の外には本当の世界があるの」 母のこの言葉から、5歳になったジャックくんの「外へ」の冒険! が始まりました。 見終えて印象に残ったのは、「ルーム」から脱出して目の前に広がる「本当の世界」 がかすんでいたことと、漸くジャックくんともども「本当の世界」に帰ってきたジョイの苦しみをジャックくんが救うシーンでしたが、なんといっても、ジャックに助けられて、何とか生きる気力を取り戻したジョイに、縋り付きながら、しかし、おずおずとジャックくんが口にする言葉がすばらしかったですね。「ママ、おっぱい!」 ジャックとジョイは、やっとのことで母と子になれたのですね。 まあ、ジェイを演じたブリー・ラーソンさんが主演女優賞だったことにケチをつける気は、毛頭ありませんが、ジャックのジェイコブ・トレンブレイ君に主演男優賞はどうですか?(笑) という気分でした(笑) まあ、そういうわけで、ボクなりのアカデミー賞論(?)にぴったりおさまる作品で、拍手!でした(笑)。監督 レニー・アブラハムソン原作・脚本 エマ・ドナヒュー撮影 ダニー・コーエン編集 ネイサン・ヌーゲント音楽 スティーブン・レニックスキャストブリー・ラーソン(ジョイ母)ジェイコブ・トレンブレイ(ジャック息子)ジョアン・アレン(ナンシー祖母)ショーン・ブリジャース(オールド・ニック犯人)ウィリアム・H・メイシー(ロバート祖父)トム・マッカムス(レオ義祖父)2015年・118分・G・アイルランド・カナダ合作原題「Room」公開日 2016年4月8日2024・03・01・no035・シネリーブル神戸no234 追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.03.17
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「あっこのコブシ、満開!」徘徊日記 2024年3月15日(金)北長狭あたり 上を見上げると、こんな感じです。青空がいいですね(笑)花辛夷空青きまま冷えてきし 長谷川櫂 まあ、今日は、漸く暖かさを感じる陽射しですけどね(笑)。 はい、ここは、いつもの場所です。本願寺さんの、神戸別院の前の通り。アップしたくなって、近寄って、珍しくピントが合っていて嬉しいですね。洋食の朝日さんの前の期も満開です。今日は、お店の前の行列はありません。 ちょっと下に行ってアップしてみますね。今日は時間が少し早くて、明るいのでピントが合いやすいのかなあ(笑)。 コブシの花の白い色というのは、やはりいいですね。白い色というのがあることを感じます。自然の結果なのですが、不思議です(笑)。青天と辛夷とそして真紅な嘘 三橋鷹女 田舎では、春の農作業の始まりの花でした。 通りを歩き終えて振り返りました。以前パンジローがあった建物の前の全景、朝日さんの前の木は、その向こうです。本願寺の別院は、もっと、ズット、向こう。 この通りの街路樹はコブシが中心ですが、まだ蕾を付けたばかりの花もありました。 この通りは、通りの正確な名前も知らないし、格別、何があるわけではないのですが、ボクは、好きですね。まあ、ほぼ毎日歩いているのですがね。 ああ、今日は、三宮の国際会館から歩いてきました。 こんな、映画見たんですが、よかったですよ(笑)。昔「レオン」という作品を撮った監督さんの新作です。 犬の眼の 緑に光る 桜の夜 山口誓子 という句があるそうですが、もじっていうと犬の眼の 緑に光る 鐘の音 みたいな映画でした。何のことかわかりませんね(笑)。 追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑) ボタン押してね!
2024.03.17
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カール・テオドア・ドライヤー「吸血鬼」元町映画館 2024年の2月に、神戸の元町映画館がやっていた「カール・テオドア・ドライヤー セレクション 2」で見た2本目は「吸血鬼」でした。 サイレントだと思っていたら登場人物がセリフをしゃべったので驚きましたが、ホラーというよりも、民俗学というか、「遠野物語」のお話 という印象でした。、 田舎の村の吸血鬼の実態と退治の仕方が語り出されて(いや、字幕というかページの映像だったかもしれませんが)、それがコートンピエールとかというフランスの村の話だ、という昔話がナレーションされて、その本を読んでいるのが旅の青年アラン・グレイでした。 湖だか河だかの畔に、大きな草刈り鎌をかついだ男が立っていたり、血が足りない、だから、まあ貧血の少女が寝ていて、壁に、またもやというか、やっぱりというか、大きな鎌の影が映ったり だれが悪者なのかよくわからないまま、吸血鬼の手先だったらしいお医者さんが、まず、粉にまみれて死んで、吸血鬼だったらしいオバサン(?)に杭かなんかが情け容赦なく打ち込まれて、まあ、結構、無惨に退治されて少女は青年と結ばれるというお話でした。 シーン、シーンで、たとえば、上に貼った狙われているらしい少女の姿が映し出されるシーンでも、何が起こっているのかよくわからないのですね。 というわけでふーん?!?! という感想でしたね。 分かる、わからないではなくて、ああ、そうですか!? という感じでしたが、まあ、他のドライヤー作品ほどポカーンではなかったですね(笑)。要するに、説話のように語られていくお話の筋そのものはわかったというにすぎません。やっぱり、で、それで? が残るのでした(笑)。 まあ、ボクの理解力では、こんなものでしょうね(笑)。監督 カール・テオドア・ドライヤー原作 シェリダン・ル・ファヌー脚本 カール・テオドア・ドライヤー クリステン・ユル撮影 ルドルフ・マテ美術 ヘルマン・ワルム音楽 ウォルフガング・ツェラーキャストジュリアン・ウェスト(アラン・グレイ青年)レナ・マンデル(ジゼル娘)ジビレ・シュミッツ(レオーネ)ジャン・ヒエロニムコ(村医師)ヘンリエット・ジェラルド(マルグリット・ショパン)ジェーン・モーラ(看護師)モーリス・シュッツ(メイナーの村長)アルバート・ブラス(執事頭)N・ババニニ(執事頭夫人)1932年・74分・フランス・ドイツ合作原題「Vampyr」2024・02・28・no032・元町映画館no227 追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.03.16
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小林且弥「水平線」元町映画館 映画を見た帰り道で、やっと気づいたのですが、今日は3月11日でしたね。今日見た映画は小林且也という、多分、若い監督の「水平線」という映画は、意図したわけではありませんが、震災後の福島を舞台にした作品でした。題名を見ながら、どんな水平線を見せてくれるのかな? 何となくですが、そんな期待を持って元町映画館にやって来ました。福島県のとある港町。震災で妻を失った井口真吾(ピエール瀧)は、故人で散骨業を営みながら一人娘と暮らす日々。 チラシにそうあります。ボクは見る前にチラシとか読みませんから、主人公と、娘が一人という、その家族の事情は知らずに見ていましたが、見ていればわかります。 主人公が、なぜ、福島の海辺の町で散骨を仕事にしているのかという問いが、見ているボクの中に湧きあがってきましたが、最後のシーンで、納得がいきました。彼は、きっと、生きていることがつらいのです。 明日、海に撒きに行く骨を砕く井口真吾の後ろ姿には説得力がありました。ピエール瀧という人は、いい役者だなと、素直に思いました。拍手! チラシの裏にあるこのシーンです。 しかし、まあ、なんというか、このシーンを思い浮かべながら思うのですが、主人公の存在の背景として、いかにも現代的な、ひょっとしたら陳腐でさえある社会事象を次から次へと、なぜ描いたのでしょうかね。 論旨そのものがインチキなジャーナリストの、カメラを振り回す、まあ、あり得ない取材ぶりや、風評被害を叫ぶ漁協の青年の姿には、この後ろ姿に拮抗する内面性が決定的に欠けているのではないでしょうか。 一緒に生きてきたはずの、一人娘の描きかた、演じさせ方もしかりですね。 「海を汚す」というセリフが出てくるのですが、今、陸地でなくなる人の遺骨を海に撒くという行為の、描かれている主人公の生きづらさを考えれば浮かんでくる深さ! まあ、散骨という弔いかたの歴史性や社会性と一般化まではせずとも、福島の海でそれをするということについてどのあたりまでを射程に入れた作品なのか、最初に、監督のことを「若い」といいましたが、老人の目には、そのあたりの浅さ が気に掛かるのですね。せっかく「水平線」なんていう、時間的にも、空間的にも、遠く、広いイメージの、とてもいい題名なのに、ちょっともったいない気がしました(笑)。期待した水平線のシーンには出逢えなくて、ザンネンでしたよ(笑)。 最後になりましたが、SCCの第19回の例会でした。いや、ホント、よかったねえと素直にいえる作品に、ほんとに当たりませんね。 監督 小林且弥脚本 齋藤孝撮影 渡邉寿岳録音 加唐学 小山海太音楽 海田庄吾キャストピエール瀧(井口真吾 散骨業者)栗林藍希(奈生 娘)足立智充内田慈押田岳円井わん高橋良輔清水優遊屋慎太郎大方斐紗子大堀こういち渡辺哲2023年・119分・G・日本2024・03・11・no041・no231・SCCno19 追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.03.15
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マシュー・ボーン「アーガイル」109ハット 先々週は、個人的には、なつかしのアカデミー賞鑑賞週間で、見終えた感想が、「ああ、そうですね!」 と、まあ、すっきりする作品を立て続けに見ていたこともあって、その上「裏切りのサーカス」といううシブイスパイ映画を見たこともあって、予告編を見ながら「おっ!スパイ映画!」 というノリで、封切りしたばかりの、この作品に食指が動くという感じでやって来たのがマシュー・ボーンという、初めて見るイギリスの監督さんですが、作品は「アーガイル」、映画館は109ハットでした。 エリー・コンウェイ(ブライス・ダラス・ハワード)という人気の女流作家が「全き空想!」 として描かれたはずの「アーガイル」というスパイ小説が、実は現実を描いているらしいというのが、お話の発端です。アーガイルは、小説に登場する、男前のエージェントのお名前です。 マア、どっちかというと、とぼけたキャラの女流小説が、何故、現実世界の闇の奥、スパイ対スパイの戦いの「真実」を描くことができたのか? という謎が物語のキモで、銃撃戦、空から急降下、カーチェイス、あれやこれやの超絶アクション、それからお色気、ああ、そうそう、なかなか愛嬌のあるネコのアルフィー君まで登場して、お客さんが喜びそうなネタが、これでもかと用意されています。 上のポスターのネコ・リュックの窓から覗いているのが、主人公とともに苦労するアルフィー君ですね(笑)。 まあ、好き、嫌い、イイ、ワルイはともかく、見始めると画面から目が離せないうえに、現実と小説的空想が、きわどく重なっていて、「えっ?なんで?」「ああ、そうか!」 の繰り返しでラストシーンまで引っ張ってもらえます。 まあ、ここまで読んで、そこから先に興味を感じた方は、どうぞご覧になってください。007系のエンタメ・スパイもののお好きな方にもいいかもしれません(笑)。 ボクが笑ったのは、主人公エリー・コンウェイの前にホンモノのスパイとして登場して、まあ、彼女とコンビを組むことになる怪しげな男がサム・ロックウェルだったことですね。 数年前に見た「スリー・ビルボード」という映画で、インチキな警官役をやっていて記憶に残っている人で、「ああ、また、インチキ野郎ちゃうの(笑)。」 と、まあ、いかにも、そういう風情で登場したのですが、なんと、結構、シリアスな役どころで大活躍だったので、笑ってしまいました。「裏切りのサーカス」に触発されて見ましたが、まあ、あの映画とは180度、いや360度?別世界のスパイたちでした(笑)。監督 マシュー・ボーン脚本 ジェイソン・フックス撮影 ジョージ・リッチモンド美術 ダニエル・テイラー ラッセル・デ・ロザリオ衣装 ステファニー・コーリー編集 リー・スミス トム・ハリソン=リード コル・グーディー音楽 ローン・バルフェキャストブライス・ダラス・ハワード(エリー・コンウェイ:人気作家)サム・ロックウェル(エイデン:スパイ)ブライアン・クランストン(リッター)キャサリン・オハラ(ルース:エリーの母)ヘンリー・カビル(アーガイル:小説の主人公)デュア・リパ(ルグランジェ)ジョン・シナ(ワイアット)サミュエル・L・ジャクソン(アルフレッド・ソロモン)アリアナ・デボーズ(キーラ)ソフィア・ブテラ(サバ・アル=バドル)リチャード・E・グラント(ファウラー)2024年・139分・G・イギリス・アメリカ合作原題「Argylle」2024・03・09・no039・109ハットno41 追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.03.14
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オタール・イオセリアーニ「ここに幸あり」シネ・リーブル神戸 《オタール・イオセリアーニ映画祭~ジョージア、そしてパリ~》に通っています。まあ、あっけにとられる日々です。感想が書けません(笑)。 今日の作品は舞台がパリですから、フランスの話なのですが、なんか調子狂う感じで、やっぱり、あっけにとられましたね。見たのはオタール・イオセリアーニ監督の「ここに幸あり」という作品でした。 主人公(?)のヴァンサンというオッサンが、なんとフランス政府の大臣なのですが、クビになっちゃうんですよね。政争だかに敗れて。 で、どうも、みんな失っちゃうんです。仕事や地位はもちろんですが、家とか、妻とか、まあ、きっと名声とか・・・。 で、どうなるかというと「それでいいのだ!」 なのでした(笑)。ただの呑気なバカボンのパパなんですね。アゼン! これがフランスなのだ!じゃなくて、これがイオセリアーニなのだ! なのですね。 友だちがいて、お酒があって、歌があって、時間があって、街角の木陰にテーブルがあって、なんか文句あるか? スクリーンに漂っている、そのあたりのノンビリした間というか、空気というかが何とも言えませんね。 見ているこちらも「それでいいのだ!」 というしかないですね(笑)。 まあ、そうなんですけど。やっぱりアゼン!でした(笑)。 というわけなのですが、どうも、してやられている感じですね。オタール・イオセリアーニ恐るべし! で、やっぱり、拍手!ですね(笑)。監督 オタール・イオセリアーニ製作 マルティーヌ・マリニャック モーリス・タンシャン脚本 オタール・イオセリアーニ撮影 ウィリアム・ルプシャンスキー美術 エマニュエル・ド・ショビニ イブ・ブロベ音楽 ニコラ・ズラビシュビリキャストセブラン・ブランシェ(馘首された大臣ヴァンサン)ミシェル・ピコリ(ヴァンサンの母)ジャン・ドゥーシェオタール・イオセリアーニリリー・ラビーナアルベール・メンディヤニック・カルパンティエエマニュエル・ド・ショビニ2006年・121分・フランス・イタリア・ロシア合作原題「Jardins en automne」日本初公開 2007年12月1日2023・03・13-no039・シネ・リーブル神戸no188 追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.03.13
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トーマス・アルフレッドソン「裏切りのサーカス」シネリーブル神戸 2024年の2月の最後の週は「ギャガ・アカデミー賞受賞作品特集上映」鑑賞週間と腹をくくって通っているのですが、7本目は2011年だかにノミネートで終わったらしいのですが、この企画の人気投票で残ったトーマス・アルフレッドソン監督の「裏切りのサーカス」でした。 企画のこのチラシを見るまで監督も作品も知らなかったのですが、「サーカス?ひょっとしてあれ?」 と思いついてシネ・リーブルに出かけたのですが、大当たり! でした(笑)。 1980年代だったと思いますが、イギリスの作家ジョン・ル・カレが、ボクの中では大ブームでした。「寒い国から帰ってきたスパイ」(ハヤカワ文庫)が始まりでしたが、ジョージ・スマイリー三部作(五部作?)「ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ」「スクールボーイ閣下」「スマイリーと仲間たち」(それぞれ早川書房、今はハヤカワ文庫)は大好きでしたね。これら、ル・カレの一連の作品ではイギリス諜報部、007映画では「M」と通称されているあれですが、あれが「サーカス」と呼ばれていて、思い浮かんだのはそれでした。 で、映画です。サーカスの主任コントロールが残したチェスの駒が映し出されるのを見て「よし、これや!」 でした。 ゲイリー・オールドマン扮するジョージ・スマイリーにホレボレでした。こういう気分で映画を見るのは久しぶりですね。 考えてみれば、不思議です。原作の小説「ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ」(早川書房)に浸ったのは30年以上も昔で、2020年にル・カレが亡くなったニュースをネットで見た時に、偶然、読んでいたのが「地下道の鳩」(ハヤカワ文庫)という回想録でしたが、何となく読み終えることが出来ないまま、いつの間にか同居人が読み終えて棚にもどったままの今なのですが、目の前のスクリーンにいるジョージ・スマイリーが懐かしくってしようがないのです。 顔立ちも(俳優さんなのですが)、物腰も、喋り方も、そして、発される言葉も(英語なんかわからないのに)、ボクが知っている、あのジョージ・スマイリーなのですね。 見終えて、しみじみしました(笑)。文句なし、拍手!ですね。 チャーチルだった俳優さんゲイリー・オールドマンとか、吃音に苦しんだ国王だったコリン・ファースとか、天才数学者だったベネディクト・カンバーバッチとか、ここのところお出会いして顔なじみの方々が、みなさんスパイとして勢ぞろい!(笑) で登場していらっしゃって、結構、笑えるところもあるのですが、イギリス映画らしい、どっちかというと地味ですが、落ち着いた作品で、その点も、まあ、ボクの好み! でした。というわけで、もう一度拍手!です。監督 トーマス・アルフレッドソン原作 ジョン・ル・カレ脚本 ピーター・ストローハン ブリジット・オコナー撮影 ホイテ・バン・ホイテマ美術 マリア・ジャーコビク編集 ディノ・ヨンサーテル音楽 アルベルト・イグレシアスキャストゲイリー・オールドマン(ジョージ・スマイリー)キャシー・バーク(コニー・サックス)ベネディクト・カンバーバッチ(ピーター・ギラム)コリン・ファース(ビル・ヘイドン:テイラー)スティーブン・グレアムトム・ハーディ(リッキー・ター)キアラン・ハインズ(ロイ・ブランド:ソルジャー)ジョン・ハート(コントロール)トビー・ジョーンズ(パーシー・アレリン:ティンカー)デビッド・デンシック(トビー・エスタヘイス:プアマン)サイモン・マクバーニー(レイコン次官)マーク・ストロング(ジム・プリドー)スベトラーナ・コドチェンコワ(イリーナ)2011年・127分・R15+・フランス・イギリス・ドイツ合作原題「Tinker Tailor Soldier Spy」公開日 2012年4月21日2024・02・28・no033・シネリーブル神戸no233 追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.03.12
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「あっこのコブシが開き始めました!」 徘徊日記 2024年3月8日(金)北長狭あたり あっことか言ってますが、ここです。神戸本願寺別院、西本願寺のモダン寺のある通りです。下山手通りが正しいようです。シマクマ君は通りの名がいまいちわかっていません。 で、お寺の前に立っていらっしゃるのが、親鸞さんですね。 親鸞という人には、ずっと興味を持ってきましたが、信心の心があるわけではないところが、まあ、アカン所なのでしょうかね。 先日、蕾がついていたので気になって歩いてみると開き始めていました。 今日は、通りかかったのがお昼過ぎということもあって、洋食の朝日さんには行列が・・・。 ボクの行き先は、元町映画館です。 このチラシの中の1本で、ドライヤーというデンマークの監督のサイレント映画、「裁判長」ですね。100年以上前の映画です(笑)。じゃあね。 追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑) ボタン押してね!
2024.03.12
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カール・テオドア・ドライヤー「ミカエル」元町映画館 カール・テオドア・ドライヤー セレクション 2という特集番組を、2月のなかばから、神戸の元町映画館でやっていました。今回は全部で7本ですが、同じ元町映画館で2022年の2月にやっていた特集で、有名な作品ばかり4本見たので、今回新しく上映されていた、これは見ようと思ってやってきたのが、「ミカエル」でした。 本邦初公開だそうです。1924年制作だそうですから、ちょうど100年前の映画です。 もちろん白黒で音楽はついていますがサイレントです。寝たら寝たときのこと! と覚悟を決めてやってきたのですが、寝ませんでした(笑)。 若い方はご存知ないでしょうが、昔の岩波少年文庫とかの翻訳小説で、章のはじめに短い筋書きの導入があって、それから本文が始まるというパターンがありましたが、そんな感じでした。 ゾレという名の立派な絵描きとその弟子ミカエルの、なんというのでしょうか、師弟愛というか、これって、どこかの民俗学の偉い先生とお弟子さんというかの話かな? と、まあ、不埒なことを思わせる不思議な展開でしたが、ミカエル君は師を裏切って(?)女性のもとに逃げてしまうわけで、なんだか、ちょっとちがうなとか、勝手なことを思いながら見ていると、最後まで弟子のミカエルを愛したゾレは死んでしまって、ミカエルは、その女性の膝に顔をうずめて泣くという結末で、チョット、そこのところはポカーンでしたが、結構面白く見ましたね。 で、そのミカエルってこういう顔の人です。なんか、スゴイでしょ(笑)。 まあ、なにはともあれ、サイレントで「ドラマ」ですからね、で、ボクは、まず、困らずお話を追えたことにホッとしながら、ミカエル君の美貌はもちろんなのでしょうが、才能を愛した老師匠ゾレというふうに納得しました。 とりあえず、ドライヤー作品で、初めて、明治の小説でも読んでいるノンビリした気分で「ふーん、おもろいやん!」 と思えたことに拍手!でした(笑)。 監督・脚本 カール・テオドア・ドライヤー原作 ヘアマン・バング撮影 カール・フロイント ルドルフ・マテ美術 フーゴー・ヘーリングベンヤミン・クリステンセン(ゾレ 画家)ウォルター・スレザック(ミカエル 弟子)1924年・95分・ドイツ原題「Michael」2024・02・26・no031・元町映画館no226 追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.03.11
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アリ・アスター「ボーはおそれている」109ハット 一月ほど前のことです。上に貼ったチラシを一目見て同居人のチッチキ夫人が言いました。「私、これは行くわ。(キッパリ!)」「なんで?」「なんか、情けない顔してはるやん。この人。」「ホアキン・フェニクスやん、ほら、こないだ、ナポレオンになってた、あんたは要ってへんけど。マザコンのナポレオンいうて騒いでたやろ、ボクが。」「ふーん、そうやったっけ。」 で、劇場公開が始まって二人で出かけました。 109ハットの小さめのホールでしたが二人以外には学生風の若い男性が二人だけでした。見たのはアリ・アスター監督の「ボーはおそれている」でした。 見終えて、二つ向うの席のチッチキ夫人を振り返ると、彼女は、それぞれ席を立って出て行く青年たちを目で追いながら、声をひそめて言いました。「あの子ら、面白かったんやろか?」「あんたはどうやねん。」「わたしは、最初のシーンから、もういい、出て行きたい、の繰り返しやんか。なんなん、この映画。」「ふーん、ボクは、それでどうなるの?やったで(笑)ホアキン・フェニクス、ずっと情けない顔してたやん。それが見たかったんちゃうの?」「あんな母親出てくる思わへんやん。」 見てすぐはかなりお怒りでしたが、家に帰ると質問攻めでした。「最初、さあ、子供産んだばっかりの女の人が叫んでるこえきこえてくるやん。アンナン、できへんと思うねん。産んですぐやでぇ。」「夢やからできるねん。」「誰の?」「主人公。」「どういうこと?」「ボクはな、はじめから終わりまで、みんな、ボーいう男の人の夢や思うねん。まあ、当てずっぽうやけど、きっと。」「みんな、夢やったん?」「ほら、この前からホサカがおもろいこというてるって騒いどったやろ。夢で起こることって、あり得へん事でも見てて疑わへんって、そういえばそうや、おもろいなぁって。」「そやから、起こること、全部、どこか変やったん?」「そうやん、ボクらには夢ちゃうもん。」「ボーにはホンマのこと?」「まあ、そういいたいんやろうな。ボク、見始めて、すぐ、ホサカの話思い出したから、ふーん、ソウナン?!って見てた。」「ずっと?」「うん。」「最後、爆発すんのは?」「夢の終わり。目覚めたら、また、あの情けない顔。」「おかーさんは?」「映画の今、実在やとしたら、生きてる。知らんけど。ほんでな、ボーのマザコンの様子の描き方は、アメリカの人が好きらしい精神分析の発想の、まあ、映像化に見えた。」「どいうこと?」「あんな、人間ってな、大人になって、自分は、とか、私とか、主体とか、自己とか、思ってるけどな、それって、小さいころに母親とか父親の喜んだり怒ったりすること、まあそれを他者の欲望っていうねんけど、それを見て、それに合わせて自分って出来ていくいう理論。で、ボーのおかんってシングル・マザーやろ。そやから、父親は、人格のないチンチンのバケモンでしかないいうことになるわけ。なんか、そんなシーンもあったやん。」「天井裏?」「うん、父親がそれやったら、男の自分はなんや?ってなるやろ。無意識を占拠してるのは全部母親の欲望で、なおかつ自分は男やで。困るやろ。」「なんなん、それ。」「途中、子ども部屋で目覚めるやろ。ボーって、見るからにもう中年すぎてるやん、なんか、不気味やろ。」「あの年になっても、始まりに支配されてるいううわけ?あかんわ、そんな話。あの子らどう思って見てたんかな?ちょっと、感想聞きたいわ。」「さあなあ、若い人、どうなんかなあ。ボクのは当てずっぽうやか、あてにならんけど、そんな、フロイトとかについて知らんやろうからなあ。わけわからんホラーなんちゃう?ただ、ボクは、なんか、醒めて見てたいうことやん。この監督さん、たぶんそういうのン好きやねんきっと。」 と、まあ、あれこれ盛り上がったのですが、どうなんでしょうね。文字通り素っ裸で走り回ったホアキン・フェニクスさんに、ご苦労様でしたの拍手!ですね。いやはや、俳優というのも大変ですね(笑)。 ところで、上の会話の中でホサカと呼んでいるのは、作家の保坂和志です。で、引用は「世界を肯定する哲学」という新書の次の箇所です。「夢は無意識の発露である」というのがフロイト以降の定説となった定義だけれど、夢には忘れられがちなもっとずっと大きな特徴がある。それは「夢の中では何歳になっても与えられた状況を真に受ける」ということだ。(「世界を肯定する哲学」ちくま新書)(P152) それから、ジャック・ラカンについての話は、まったく偶然だったのですが、ここのところ読んでいた竹田青嗣という批評家の「新・哲学入門」という新書の次のような記述を頭に浮かべています。 ラカンは、フロイトの去勢複合の仮説を精神分析理論の核心として受け取り、疎外された自己統合としての人間主体、という独自の像を提示する。その力点を「反―主体の形而上学」と呼ぶことができる。 《主体は、もともとは欲望のバラバラの寄せ集めです。これこそ「寸断された身体」という表現の本当の意味です。そして、「エゴ」の最初の統合は、本質的に「他我(アルター・エゴ)」であり、それは疎外されているのです。欲望する人間主体は、主体にまとまりを与えるものとしての他者を中心として、その周りに構成されます。そして、主体が最初に対象に接近するのは、他者の欲望の対象として体験された対象なのです》(「精神病の問いへの序論」ジャック・ラカン「精神病」岩波書店) 幼児は、鏡像段階以前(自我が統合される以前)では、自己身体を寸断された像としてもつため、このバラバラの身体としての自己を統一された「主体」として形成する上で、「他我」、つまり「他者の欲望」を必要とする。人間は、自分の欲望を自分で構成することはできず、他者の欲望によって自分の欲望を形成する。この意味で、人間の「主体」は本質的に「疎外」されたもの、いわば他我によって想像的に”騙り取られたもの“であるとされる。(竹田青嗣「新・哲学入門」現代新書)(P147) ゴシック体は、ボクなりです。論の真偽はともかくとしてですが、最近、面白がって読んでいる1冊です。映画にかぎらず、小説、詩歌とか絵画、写真とか、ボク自身が何を見て、何に反応しているのか? を考え込むことが、最近よくあるのですが、そういうときの参考になります。ラカン、ポンティ以降の人間理解は、よくわからないなりにスリリングです(笑)。 で、最後になりましたが、この「Beau Is Afraid」という作品で、あの年齢まで、ボーが怖れ続けているという考え方が、ある意味でホラーだと思うのでした。アリ・アスター監督が採用しているとボクが考えている人間理解の考え方が、でたらめだとは思いませんが、なんだか、図式的だよなあ?! という感じなのでした。監督・原案・脚本 アリ・アスター撮影 パベウ・ポゴジェルスキ美術 フィオナ・クロンビー衣装 アリス・バビッジ編集 ルシアン・ジョンストンキャストホアキン・フェニックス(ボー・ワッセルマン)ネイサン・レイン(ロジャー)エイミー・ライアン(グレース)スティーブン・マッキンリー・ヘンダーソン(セラピスト)ヘイリー・スクワイアーズ(ペネロペ)ドゥニ・メノーシェ(ジーヴス)カイリー・ロジャーズ(トニ)アルメン・ナハペシャン(少年時代のボー)ゾーイ・リスター=ジョーンズ(若き日の母親)パーカー・ポージー(エレーヌ)パティ・ルポーン(モナ・ワッセルマン)2023年・179分・R15+・アメリカ原題「Beau Is Afraid」2024・02・29・no034・109ハットno40 追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.03.10
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「えっ?アーモンドとちゃうやん!」 徘徊日記 2024年3月8日(金)北長狭あたり 2月の末に「アーモンドの花が咲いている。」と喜んでお伝えした、神戸の元町駅の西、北長狭通の西向きの一方通行の中央分離帯ですが、7分咲きになって、なかなかいい風情なのでウロウロしました。 で、今日は時間が早いこともあって、こんな樹名の札が下がっていることに気付きました。 何と、ベニススモモと記されているではありませんか。「えーっ?アーモンドとちゃうやん!」 ですね。サクラにしろ、アーモンドにしろ、バラ科の花ですが、このベニスモモも、やっぱりバラ科で、花影は似ていますね。 ボクは、ここの街路樹はアーモンドだと思い込んでいたのですが、ようするに花を見ても、木を見ても見分けられないということですね(笑)。 で、まあ、ちょっとショックだったのですが、今日は天気もいいので、桜、モクレンのシーズン到来に向けて写真の練習ですね(笑)。 最近、老眼が進んで、スマホカメラの画面のピントが合っているのかどうか定かでない状態なのですが、 天気がよくて、久しぶりに青空で、花の名前は間違えていましたが、自動車の方には、中央分離帯でウロウロしている老人は迷惑かもしれませんが、まあ、それほどたくさん走っている道でもありませんからね。 ベニスモモ、漢字で書けば紅李らしいですね。ちょっと、イイ名ですね。中国から来た花のようです。スモモの実がなるようです。これまた、ちょっと気になりますね(笑)。 ああ、そうだ、この近くのコブシも、蕾から少し開いて咲いていそうなので、そっちにも行ってみますね。ああ、それから、今日は、これから元町映画館でこの映画です。ついでに紹介ですね。 それじゃあ、またね(笑)。 追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑) ボタン押してね!
2024.03.10
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永田和宏「歌に私は泣くだろう」(新潮文庫) 歌人で科学者の永田和宏の「あの胸が岬のように遠かった」(新潮社)を偶然読んで読書案内に書きました。「スゴイで、アッケラカンやで、おくさんいはったら怒らはるで。」「題見たらわかるやん。胸って、女の人のやろ。」「うん、でも、チョット癖になって、今度はこれを借りてきた(笑)。」「はあー?すきやなあ(笑)。でも、それ、『波』で連載してた時、評判やった気がするわ。ちらちらしか読んでないけど。」 「あの胸が岬のように遠かった」(新潮社)は、現代を代表するといわれている女流歌人の一人、河野裕子亡き後、取り残された夫で歌人の永田和宏が、彼女との出会いを赤裸々に語った、いわば、回想的青春記 でしたが、新たに読み終えた、「歌に私は泣くだろう」(新潮文庫)は、妻であり、二人の子供たちの母であった河野裕子の10年にわたる闘病生活を共に生きた夫、永田和宏の共闘記・共棲記 ともいうべきエッセイでした。 始まりは2000年の9月でした。その日のことを河野裕子が詠んだ歌がこれです。 病院横の路上を歩いていると、むこうより永田来る何といふ顔してわれを見るものか私はここよ吊り橋ぢやない 裕子 歌を詠んだ河野裕子自身が、その日のことを振り返った文章がこれです。 「十余年前の秋の晴れた日だった。乳癌という思いがけない病名を知らされたあの日の悲しみわたしは生涯忘れることはあるまい。鴨川のきらめく流れを、あんなにも切なく美しく見たことは、あの時もそれ以後もない。 人には生涯に一度しか見えない美しく悲しい景色というものがあるとすればあの秋の日の澄明な鴨川のきらめきが、わたしにとってはそうだった。この世はなぜこんなにも美しくなつかしいのだろう。泣きながらわたしは生きようと思った。(「京都うた紀行」京都新聞出版センター) まあ、案内はこれで終わってもいいとは思うのですが、本書の最初の書き出しの記述がこうです。 すべてはこの一首から始まったと言っていいのかもしれない。 夜中すぎ鏡の前で偶然気づく左脇の大きなしこりは何ならむ二つ三つあり卵大なり 河野裕子「日付のある歌」 二〇〇〇年九月二十日の夜である。「左脇の大きなしこり」。風呂に入っているときに気付いたという。すぐに私に見せにきた。で、本書の最後の記述がこれです。さみしくてあたたかかりきこの世にて会ひ得しことを幸せと思ふ 裕子 死の前日に、私が口述筆記で書き残した数首のうちの一首である。河野裕子にとっても、そして私にとっても短かった「この世」の時間。寂しくても、暖かかったと感じてくれたことを、そして、そんな「この世にて」私と出会い、私たち家族と出会って幸せだったと思ってくれたことを、今は何にも替えがたい彼女からの最後の贈り物だったと思うのである。 永田和宏が病と闘う妻、河野裕子と暮らしながら、詠んだ歌の一つが、本書の題名として取られているこの歌です。歌は遺り歌に私は泣くだろういつか来る日のいつかを怖る 永田和宏 二〇一〇年八月十二日にその日が来ました。河野裕子がこの世に遺した最後の歌がこの歌です。手をのべてあなたとあなたに触れたきに息が足りないこの世の息が 河野裕子 泣くのは、永田和宏だけではありませんね。 歌の言葉では「相聞」というのでしょうか、あるいは「挽歌」の心かもしれませんが、この作品の読みどころの一つは、愛し合った夫婦の、残された夫による素直な述懐にあると思いますが、もう一つは、河野裕子の闘病10年のすさまじさを包み隠すことなく書くことで、「生きようと思った」一人の人間の美しくも哀しい生の真実 を描いたところでしょうね。 ボクは、胸、打たれましたね(笑)。 追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.03.09
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「オッ!コブシの季節やん!」 徘徊日記 2024年3月6日(水) 北長狭あたり いつものことですが、元町映画館で映画を見て神戸駅に向かう徘徊です。 西向きの一方通行の北長狭道路を渡って、一本北の道を通るのが定番でしたが、途中の100円パンのパンジローさんが閉店してしまって、こっちの道の方が好きなのですが、なんとなくさみしくて、ここの所は商店街か、JRの高架下ばかり歩いていました。 で、久しぶりに通りかかって「おおーっ!」 思わず声が出そうでした(笑)。コブシの蕾がふくらんで、来週には、一気に開花ですね。 はい、そうです、浄土真宗のこのお寺のある前のとおりです。この通りはコブシが並木になっていて、春先にはなかなか気分のいい通りなんですよ。 少し西に歩くと、人気の洋食屋さんの「朝日」さんがあって、ボクがいつも立ち寄っていたのは、その隣の100円パン屋さんでしたが、ザンネンなことに、昨秋、閉店してしまいました。 通りの西の端には宇治川の商店街がありますが、道ばたには、こんな石柱があります。 さて、何と読むのでしょうね。左に行けば再度山とでも読むのでしょうか。ここからまっすぐ左、だから北に登って行けば諏訪山公園、再度山へとたどり着けそうですが、たしか、山中にある大龍寺の山号が再度山だったような気がしますね。 空海が唐に行く前に上って、帰ってきてからもう一度お礼参り(?)をしたとかいう山の名前だった気もしますが、あてにならない記憶です(笑)。 夕方で、白い花に、なかなかピントが合わなくて、また、もう少し明るい時間にやって来たいですね。( ̄∇ ̄;)ハッハッハ。 追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑) ボタン押してね!
2024.03.08
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ロバート・フラハティ「極北のナヌーク」元町映画館 神戸の元町映画館が3月の始まりの1週間、SILENT FILM LIVE【シリーズ22】という、サイレント映画をピアノの伴奏で見るという、まあ、同じく神戸のパルシネマとか十三の七芸とかでもやっていらっしゃる企画をやっていて、今回はドライヤーの「裁判長」、ロバート・フラハティの「極北のナヌーク」、ジョージ・メルフォードの「シーク」という、それぞれ100年以上も昔の作品がプログラムされていて、これがそのチラシです。 もともと、チャップリンであろうが、キートンであろうがサイレントは寝てしまう という思い込みもあって、敬遠していたのですが、つい先日見たドライヤーの「ミカエル」というサイレント映画が思いのほか面白かったこともあって、チョット、興味を持っていました。 で、二日前、街角で偶然会った元町映画館のオネ~さんに「極北のナヌークいいですよ!」 と誘っていただいたこともあって、意を決して、やってきた元町映画館です(笑)。 見たのは「極北のナヌーク」という1922年のドキュメンタリィー映画でした。監督はロバート・フラハティという初期のドキュメンタリー映画では有名な人らしいのですが、そんなことをいえば「映画といえば」 で、すぐ名が出てくるルミエール兄弟だって、まあ、ドキュメンタリーなわでしょうとか、なっちゃうんですが、とりあえず、この作品を見終えた後の満足感というのはなんといっていいのか「やたらあれこれこれ語り掛けたい気分」 と「うーん、と唸って、いい心持ちのまま座り込みたい気持ち」 がぶつかり合う感じでした。 世界で、最も古い映画の一つということで、珍しい風景や人間模様のニュース映画的なコラージュ映像を予想していましたが違いましたね。 作り手の意図がどのあたりにあるのか、確たることはわかりませんが、極北に生きるものたちの、犬も、きつねも、海豹も、セイウチも、そして人も、赤ん坊も、生きて登場するです! たとえば上の写真の赤んぼうが動き出すのですが、その場面、その場面で、生きているからこその、実に、興味深い、それでいて見ているこちらに、いろんな思いがい浮かんでくる、それぞれが、それぞれの「ドラマ」を生きていて、やがて「生きものの世界」 の大きなうねり、たがいが励まし合いながら盛り上がる協奏曲のエンディングのように膨れ上がっていくさまは、実に圧巻でした。 珍しいものを見せものとして見せるというのではなくて、普遍的な生の実相を一つの物語として描こうとしている ようで、まさに映画そのもの! でした。 ピアノの伴奏も、時に軽快に、時に激しく耳を打ちながら、映像に引きつけられる意識を助けるように響いて、大したもんだと唸りました。 上映の前後にはピアニストの鳥飼りょうさんと映画館の高橋さんとの掛け合いトークもあり、大満足の拍手!でした。 トークの中で、アキ・カウリスマキという、今年のお正月に「枯れ葉」という映画が評判だったフィンランドの監督の生涯でベストだとかいう話がありましたが、なるほどなあ・・・さもありなん!やな。 とわからないなりに納得でした。監督・製作 ロバート・フラハティ1922年・78分・アメリカ原題「Nanook of the North」2024・03・06・no037・元町映画館no228 追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.03.08
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100days 100bookcovers Challenge備忘録 (61日目~70日目) 下の一覧の書名か表紙写真をクリックしていただければ、元の掲載記事にたどり着けますので、よろしくお願いします。no61(2021・01・26 T・S)アゴタ・クリストフ「悪童日記」(早川書房)no62(2021・02・28 K・S)萩尾望都『ポーの一族』 小学館no63(2021・03・10 T・K)原作高森朝雄 ちばてつや『あしたのジョー』発行 日本テレビ 発売 読売新聞社 全11巻no64(2021・03・27 E・D)小林公二『アウシュヴィッツを志願した男 ポーランド軍大尉、ヴィトルト・ピレツキは三度死ぬ』講談社no65(2021・04・04 T・S)エーリヒ・ケストナー「飛ぶ教室」(新潮文庫)no66(2021・04・14 N・Y)兵庫県在日外国人教育研究協議会『高等学校における外国につながる生徒支援ハンドブック~すべての生徒が輝くために~』no67(2021・04・28 K・S)『USムービー・ホットサンド 2010年代アメリカ映画ガイド』(グッチーズ・フリースクール編:フィルムアート社)no68(2021・05・07 T・K)星野博美『のりたまと煙突』 (文春文庫)no69(2021・05・31 E・D) 庄野潤三『夕べの雲』(講談社文庫)no70(2021・06・07 T・S)色川武大「狂人日記」(福武文庫・講談社文芸文庫) 2020年5月に旧友3人組で始めて、開始早々5人組に増えて続けてきた100days 100bookcovers Challengeです。巷では、外出が思うようにできないコロナ騒ぎの中で「一週間で7冊」として流行っていたのを見て「100日で100冊」にしたら面白かろうという思いつきでしたが、60冊を超えたところで、1年、365日を越えてしまいました(笑)。 こうして備忘録にしないと、紹介した人自身が、何を紹介したのかわからない、忘れてしまった、という日数と冊数ですが、現在(2024年3月)98冊目に、ようやく到達して、一応ゴールが見えてきました(笑)。まあ、それにしても時がたつのは早いものです。大学生なら、入学して卒業してしまうまでかかっているのですから驚きです。 まあ、そういうことで、投稿記事を 100days 100bookcovers Challenge備忘録 (1日目~10日目) (11日目~20日目) (21日目~30日目) (31日目~40日目) (41日目~50日目) (51日目~60日目)(61日目~70日目)(71日目~80日目)(81日目~90日目)というかたちでまとめています。日付にリンク先を貼りましたのでクリックしていただくと備忘録が開きます。 追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.03.07
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永田和宏「あの胸が岬のように遠かった」(新潮社) 今日の「読書案内」は、後期高齢者になった元京大教授が著者ですが、「いやー、そこまで書きますか!?」 と70歳を迎えることにビビっている、前期高齢者のシマクマ君がひっくり返りそうな率直さで、10年ほど前に亡くなった配偶者、河野裕子さんとの出会いから結婚までの思い出をつづっていらっしゃる「あの胸が岬のように遠かった」(新潮社)です。 ちなみに、著者の永田和宏さんは細胞生物学の学者で、歌人。配偶者だった河野裕子さん、息子さんの永田淳さん、お嬢さんの永田紅さんも、現代短歌に少し関心のある方ならご存知であろう歌人です。 市民図書館の新入荷の棚で見つけて、借りてきたのですが、読みながら繰り返しのけぞりました。あけっぴろげ! とはこのことですね、文書に書かれている当事者が、すでにいらっしゃらないので、まあ、文句をつける人はいないのかもしれませんが、ボクが、もし、同居人との出会いを、こんなふうに赤裸々に描きこんで公開するというと、ボクの場合は、まだ、生きている当事者である同居人が許さないでしょうね。 たとえば、書名の「あの胸が岬のように遠かった」は、永田和宏自身の短歌の上の句で、全体では「あの胸が岬のように遠かった。畜生!いつまでもおれの少年」という短歌ですね。あの胸が岬のように遠かった。畜生!いつまでもおれの少年 永田和宏『メビウスの地平』 こう詠ったのは、一年程も前のことだったろうか。自らの幼さを呪詛するように「畜生!」と吐き出した少年は、そのはるかに遠かった胸にようやく到達した。(「わが愛の栖といえば」P196) で、それに対応して乗せられているのがブラウスの中まで明るき初夏の日にけぶれるごときわが乳房あり 河野裕子「森のように獣のように」 これは自伝なのか、回想なのか、はたまた、告白なのか、まあ、よくわかりませんが、新潮社のPR誌「波」に2020年1月号から2021年6月号まで連載されていた「あなたと出会って、それから…」というエッセイ(?)の単行本化されたもののようです。 上に、引用しながら「まあ、興味をお持ちになった方がお読みになればわかるだろう」と書きやめたのは、引用歌の前段として、河野裕子さんの死後らしいですが、永田和宏さんが発見されたらしい河野裕子さんの「日記」と、永田さん自身の「日記」の、その当時の記述が、そのまま転記されていて、小説とかであれば、まあ、のけぞったりしないのですが、「えっ?あなたと、あなたの奥さんの実話?」 というわけですからね。短歌どころではない内容で、やっぱり、のけぞりましたね(笑)。そのまんま書き残していること自体が「若気の至り」とでもいうほかない、若き日の経験ということが、まあ、誰にでもある気がしますが、それを50年後に人目にさらすというのがすごいですね(笑)。 ここまで、茶化すように案内していますが、著者が、こういう作品を世に出すという覚悟は、多分、並大抵ではありませんね。 愛する人を失った時、失恋でも、死による別れでも、それが痛切な痛みとして堪えるのは、愛の対象を失ったからだけではなく、その相手の前で輝いていた自分を失ったからなのでもある。私は2010年に、40年連れ添った妻を失った。彼女の前で自分がどんなに自然に無邪気に輝いていたかを、今ごろになって痛切に感じている。 本書の「おわりに」の章で「知の体力」(新潮新書)という、ご自身の著書からの引用ですが、「愛する人」とか、真っ向から口にされると、まあ、チョットのけぞるのですが、著者の誠実な生き方が告白されていることは疑いないですね。 書くとなると、そこの底まで浚えないと気がすまない様子ですが、歌人というの、そういう性の存在なのでしょうかね。 まあ、しかし、後に、世に知られるようになった、二人の現代歌人の青春記! 好き嫌いは別れそうですが、やっぱり読みごたえはありますよ。 追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.03.07
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原泰久「キングダム 71」(集英社) 愉快な仲間のトラキチクンの2024年、2月のマンガ便に入っていたのが原泰久の「キングダム71」(集英社)です。もちろん最新号です。 宜安の戦いで敗北をきっし、六大将軍に名を連ねる桓騎を失った秦が、いよいよ、王翦を総大将に押し立て、総力を結集して趙の李牧に、再度、挑む戦いの始まりです。 このマンガの主人公の一人である、李信こと、信が率いる飛信隊も、今や、、なんと、3万の大群です。 戦いの名は「番吾の戦い」、もちろん、「史記」にも記述されている紀元前232年にあった史実です。 久しぶりに、山の民を率いる楊端和も登場します。しかし、敵国、趙の国内における諜報戦において、若干の遅れをとっている秦ですが、出陣の様子はこうです。 戦いの前夜、ともに戦う王翦の子、王賁にたいして問いかける李信の言葉が耳に(いや、目かな)残ります。「大丈夫なんだろーな」「・・・・・」「お前の父ちゃんは」「・・・・・」「当然だ。父は勝つ戦しかせぬ人だ。」 二人とも、何か、いやな予感 を感じているようですよね。 で、戦いが始まるや否や、自国内での李牧のたくらみが、序盤、早々から炸裂し、窮地に陥るの、意気揚々、3万の大軍を率いる信その人でした。 というわけで、あとはマンガをお読みください。史実を知っている人には、本巻71巻に続き次巻の72巻も、相当、辛い展開になりそうですね。 ボクは、楽しみですけどね(笑)。 追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.03.06
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タル・ベーラ「ヴェルクマイスター・ハーモニー」シネリーブル神戸 439分の「サタン・タンゴ」を見た喜びと、映画には圧倒された記憶だけ残っているタル・ベーラ監督の「ヴェルクマイスター・ハーモニー」、146分を見ました。 スクリーンに映っている人が、なにをしてるのか、よくわからないにもかかわらず、確かに、そこにいるという実感のようなものがわらわらと湧いてきて、ドキドキするという感じのシーンに出逢いたくて、こりもせず、待っていました(笑)。 開始早々、こいつは何者なのだという思わせる、ヤーノシュ(ラルス・ルドルフ)という名の、上のチラシの暗い顔の青年が、店主が閉店を宣言して、酒瓶を片付け始めた酒場で不思議な「宇宙論」を展開したあげく、そこにいた飲んだくれたちを捲込んで踊り始めます。いきなり、ポカーンでした。 で、その青年が音楽家エステル(ペーター・フィッツ)の家にやって来て、ロッキング・チェアで本を抱えたまま居眠りをしていたエステルを着替えさせ、ベッドに寝かしつけて、また出かけます。チラシによれば、彼は郵便屋さんらしいのですが、最後までわかりませんでした(笑) で、彼が出かけたのは、広場にやって来たクジラを見るためのようです。青年がクジラをしげしげと見ている長いシーンで、危うく寝込んでしまいそうになりましたが、何とか頑張って、目を凝らしてみていると、暗い道を歩き始めます。 ちょっと、ついでですが、ヴェルクマイスターは実在の音楽家です。バッハが対位法で有名ですが、その理論の先駆者だったと思います。この映画では、題名にも使われていて、登場人物の音楽家エステルが、その曲を批判しています。対位法を宇宙の調和の比喩だと受け取るならと、考えると、青年の宇宙論といい、理論批判といい、映画がなにかを暗示してる 気がしました。まあ、当てずっぽうですが(笑) で、その次に聞こえてくるのが、ボクでも知っているラデッキー行進曲でした。今ではニューイヤー・コンサートとかの定番で、ヨハン・シュトラウスの華やかな名曲ですが、元を糺せば、曲名が将軍の名であることでわかりますが、オーストリア・ハンガリー帝国の軍隊音楽です。この映画では、この曲が、かなり執拗にスクリーンに鳴り響いた後に、暴動だったと思います。 で、見終えて、浮かんでくるのは青年が歩く姿、青年と老音楽家が連れ立って歩く姿、暴徒と化した群衆が一斉に歩く姿、群衆の乱暴狼藉が、何故か、病院のような施設を襲い、とどのつまり、暴徒が乱入していった部屋のバスタブに、呆然と、静止画像のように、立っている裸の老人の姿です。 いったい何が起こっているのかわからないのですが、街が騒然となる直前、響き渡ったラデッキー行進曲が耳から離れませんね。 最後のシーンでは、戦車によって鎮圧されたらしい街の病院の一室に入院しているらしい主人公の青年と見舞いに来たらしい音楽家が並んでベッドに座っているシーンに、曲名はわかりませんが、静かな演奏の、多分ピアノだったと思いますが、音楽が流れてきた哀しさ には、いわくいいがたいものがありましたね。 結局、またしても、わけがわかりませんでしたが、拍手!でした(笑)。まあ、それにしても、登場人物たちの、場面、場面での表情というか、存在感というのは、やはりすごいかったですね。納得!でした(笑) 帰り道、駅前の信号で、偶然、元町映画館で働いているお友達を見つけて声をかけました。「ずーっと歩いているシーンばっかりやった。」「何いってるんですか、タル・ベーラは、それが見たくて見に行くんでしょ。」「ナッ、ナルホド!」「ああ、それは、そうと、極北のナヌーク、水曜ラストです。サイレントですが、すごくいいですよ。是非!」「あっ、わかった、うん、行くつもりやねん。じゃあね。」監督 タル・ベーラ共同監督 フラニツキー・アーグネシュ原作 クラスナホルカイ・ラースロー脚本 タル・ベーラ クラスナホルカイ・ラースロー撮影 メドビジ・ガーボル編集 フラニツキー・アーグネシュ音楽 ビーグ・ミハーイキャストラルス・ルドルフペーター・フィッツハンナ・シグラデルジ・ヤーノシュ2000年・146分・ハンガリー・ドイツ・フランス合作原題「Werckmeister Harmonies」2024・03・04・no036・シネリーブル神戸no235 追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.03.05
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乗代雄介「パパイヤ・ママイヤ」(小学館) 乗代雄介の作品にはまっています。図書館の棚から、適当に借りてきたこの作品は、昨夏だったか芥川賞を逃した「それは誠」(文藝春秋社)という、高校生の群像を描いた作品の一つ前の単行本で、かなり新しい作品です。 何に興味があってハマっているのかということですが、作家の「方法意識」ですね。どんな登場人物に、何を書かせようとしているのかな? というあたりですね。彼の小説は、全体としてはもちろん小説なのですが、手紙、日記、語り、記録、というふうに、ある特定の文体を採用することによって、「出来事の時間」と「書くという行為の時間」をずらすことによって生まれてくる、記述としては描かない「何か」 を狙っているんじゃあないか、で、その狙いは何だ、というふうな興味ですね。ボクが、ここで「何か」と考えているのは、所謂、「テーマ」とか「主題」とかと呼ばれているものとは少し違うものですね。 それがわかったらどうだというんだ!? と問い返されると困るのですが、まあ、そのあたりの作家の姿が見えてくると面白いんじゃないかという気分にすぎません(笑)。 で、「パパイヤ・ママイヤ」(小学館)ですね。ガール・ミーツ・ガール! 一読、こてこての青春小説です。すぐ読めます(笑)。で、 とりあえず、書き出しはこんな感じです。 これは、わたしたちの一夏の物語。 他の誰にも味わうことのできない、わたしたちの秘密。 もしもあなたが私の撮った写真を持っているなら話はちょっと変わってくるけど、そのほとんどんは世界に一枚しか存在しないものだし、そもそも、誰かさんを差しおいてあなたがそれを手に入れるなんて絶対にありえない。 わたしにしたって、この夏の写真のことは、もう言葉で説明するのがやっと。例えば、あの日あの時、わたしたちの物語の入口を写した一枚。 笹藪の間に空いた砂利道をふさぐように建っている灰色のフェンス。網目にはいくつかの案内板が備えつけてある。南京錠を付けた閂が通されているけれど、フェンスと藪の間には人が通れるぐらいの隙間があって、そばには「歩行者通路」と書かれた赤いコーンが置いてある。(P001) この文章の書き手である「わたし」はママイヤちゃんです。高校生くらいの女の子です。「わたしたち」といっていますが、もう一人がパパイヤちゃん。高校2年生の女の子です。「わたしたち」の二人は今日、初めて会います。 知り合った経緯とか、ママイヤ、パパイヤというネームの経緯は、そこら中にあるレヴューか、本があれば、このあと数ページも読めばわかりますから、まあ、お読みください(笑)。 で、この作品で乗代雄介が持ち出してきたのが「写真」です。ちょうど、この作品を読んでいた時に、ボクの知り合いの中学生、我が家の愉快な仲間のオチビさんの一人ですが、彼女がデジタルとかスマホとかではない、フィルム使用のポケットカメラで写真を撮りたいのだけれど、ジージは持っているかといってきたので、事情を聴くと「流行ってるねん!」 ということで、この小説の設定に納得したのですが、引用にあるとおり、写真の画像の描写が文章にしてあるところが、ひょっとして、作家のたくらみなのでは? というのがボクの興味です。 写真を撮っているママイヤちゃんと、それを、横とかで見ているパパイヤちゃんが、作中での写真の意味について、青春ドラマのハイティーンの少女らしい会話をします。「なんで好きなの、写真」「わたしだけが気付いているって思えるから」「何に?」「この世界の」言ってから「なんだろ」と考える。「その美しさに?」「えー」声はいつもにも増して長く伸びた。「いいじゃん」力なく笑って手すりに両肘をついて、顔を隠そうとしている自分に気付いた。「写真やるには弱すぎるよ、わたしは」そう言って遠くではなくすぐ下の海を見下ろす。「変わっちゃうのに耐えられないから」「でも写真って、撮る方が気付いてなくても写るじゃん。それならよくない?」私がそれについて答えられないでいるうちに、パパイヤは言った。青春という言葉が思い浮かんだけど、恐怖とも感動ともつかないざわめきが心いっぱいに広がって口が動かない。(P162) ここで、写真について語っているママイヤちゃんですが、主人公のキャラクターの描写が、作家の記述の狙いの第一番目にあることは、お読みになればすぐにわかるシーンですが、その後、撮るだけ撮って、今までは現像しなかった筈の写真を、夏の終わりのクライマックスのシーンでは、現像して二人で見ます。 で、二人が見る写真の描写だけ引用するとこんな感じです。 砂利道の脇に並んだ丈の高いヨシ。奥を見通せないほど密生しているが、何本か倒れて少しだけ明るく見える所に、斜めに倒れた自転車の後輪がかろうじて見える。原っぱの片隅にある小屋の中、寝そべって顔を出している白ヤギ。船だまりに係留されている沢山のボート。杭を挟んできれいに並んで、内側の白や淡い水色が明るく光を弾く。順行だから水は深い青、一面にさざなみが建っている。半分ほど車で埋まった大きな駐車場の奥にぽつんと建つ観覧車。フレームに透けている青空に、一つ一つ色分けされたゴンドラが虹のように円を描く。 これを読みながら、この小説が描いている二人の夏はかなり以前に終わっていて、書き手のわたしが、その時の写真を見ながら書いているらしい、その場面というか、記憶を反芻している雰囲気がただよっていて、すでに大人になった一人の女性が、ボクには浮かんでくるのですが、考えすぎでしょうか。 まあ、それが、作家が方法的に意図したことかどうか、ボクには定かではありませんが、面白いことは事実ですね。ひょっとしたらこの作品は、青春ど真ん中の少女の「この夏」の思い出ではなくて、アラフォーだか、アラフィフだか知りませんが、まあ、そういうお年の方を励ます「あの夏」のお話かもしれませんね。 久しぶりに、青春! いかがでしょうか(笑)。 追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.03.04
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ソ・ウニョン「同感 時が交差する初恋」シネリーブル神戸 ここの所ギャガのアカデミー賞シリーズにはまっていますが、今日は、ちょっと一息! という気分で韓国映画でした。予告編を見ていて、滝口悠生という作家の「水平線」(新潮社)という小説を思い出して気に掛かっていたので見ました。 「水平線」ではスマート・フォンに過去から電話がかかってくるという出来事を起点にして、戦前、硫黄島で生まれ、戦禍の中で命を落とした人や、戦中から戦後の故郷喪失の人生を生きた人の歴史を、電話を受けた現代の兄妹が、それぞれ、たどり直すという、まあ、ボクなりのまとめですが、作品で、かなり胸打たれた作品でした。その小説が、2023年に読んだ日本の小説ではベストだった印象で心に残っていたこともあって、この映画が予告していた「時間旅行」の設定に興味を惹かれたのでした。 見たのはソ・ウニョンという監督の「同感 時が交差する初恋」でした。心温まる、なかなか後味のいいラブストーリーでした(笑)。 韓国には2000年に製作された「リメンバー・ミー」という恋愛映画、ラブストーリーの金字塔があるそうですが、その映画のリメイク作品らしいですね。ボクは、もちろん、その映画は知りませんが、「その映画、きっと、ウケたやろうな!」 と思わせる「同感」の後味でした。 まあ、上のチラシに写っている主人公の男性キム・ヨン(ヨ・ジング)君の、甘いマスクというか、ノー天気なボンボン顔のイケメンというかに、まず、アゼン! でしたが、イヤ味がないのがいいんでしょうね。 キム・ヨン君とキム・ムニさんという二人の、同じ大学に通う男女の学生が、1990年代と2020年代の30年程のギャップを越えて、アマチュア無線の無線機で交信、タイムスリップするという設定でした。 それぞれの時代を生きる20代の若い人が、時間と男女という性別を越えてわたしもそう思う! と共感するというお話でしたが、それを見ながら、よかった! よかった! と老人は笑うのでした。拍手! 二人をつなぐ無線機が、実は同じ無線機だとわかるあたりから、オシマイはこうなんじゃないの(笑) と結末が浮かぶのですが、ほぼ、想像通りの結末 に喜ぶ老人というのはなんなんでしょうね(笑)。監督・脚本 ソ・ウニョンキャストヨ・ジング(キム・ヨン)チョ・イヒョン(ムニ)キム・ヘユン(ハンソル)ナ・イヌ(ヨンジ)ペ・イニョク(ウンソン)2022・114分・PG12・韓国原題「Ditto」2024・02・27・no030・シネリーブル神戸no232 追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.03.03
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デイミアン・チャゼル「セッション」シネリーブル神戸 今日は2024年、2月24日の土曜日です。3連休の真中で、人が多そうなのですが、「ギャガ・アカデミー賞受賞作品特集上映」鑑賞週間ときめた週なので、ガンバリマス!(なんのこっちゃ!)「なあ、セッションって、見たことある?」「あるある、テレビでやってた。なんか、苦しいねん。」「なんや、苦しいって?」「そやから、見てて、もう、息つまるねんか。でも、最後はよかったと思うで、見といで、見といで。」 というわけで6本目はデイミアン・チャゼル監督の「セッション」でした。 ナルホド! 息がつまるというか、そこまでやるかというか、まあ、納得ですね。 ジャズ・ドラマーになりたい青年の、なんというか、まあ、典型的なビルドゥングス・ロマン、あしたのジョーならぬ、明日のアンドリュー! という感じでした。ジョーの才能を見つける丹下段平役が、フレッチャー先生ですが、これが鬼でした(笑)。 楽器がドラムなので、テンポのことを異様に厳しく指摘するのですが、悲しいかな、ボクにはスクリーンから鳴ってくるリズムの違いが全く分からないわけで、なんだかわからないまま「息がつまる」シーン の、これでもか!これでもか! の連続でした。「見てきたで。」「よかったやろ。」「うん、苦しい、息がつまるの意味、ようわかった(笑)。」「ヤロ!」「あんな、元の題のWhiplashって、ムチやん。才能のある若い子にはムチやねん(笑)。」「そうなん?そんなんいややわ。でも、タイガースの佐藤には要るな。」「うん、ほっとくとクーラーに行くらしいから。ほんで、帰って来ながら気がついたんやけど、この映画のデイミアン・チャゼルって「ラ・ラ・ランド」の人やんな。ウケ方知ってはるいう感じやな。ラストも、思わず拍手!やし」 というわけで、無事、独り立ちしたアンドリュー君とちゃんと怒ったニコルさんに拍手!でした。 若いっていいですね(笑)。監督・脚本 デイミアン・チャゼル撮影 シャロン・メール編集 トム・クロス音楽 ジャスティン・ハーウィッツマイルズ・テラー(アンドリュー・ニーマン)J・K・シモンズ(フレッチャー)メリッサ・ブノワ(ニコル)ポール・ライザー(ジム・ニーマン)オースティン・ストウェル(ライアン)ネイト・ラング(カール)2014年・107分・G・アメリカ原題「Whiplash」公開日 2015年4月17日2024・02・24・no028・シネリーブル神戸no231 追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.03.02
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杉田協士「彼方のうた」元町映画館 2024年、3回目のSCC・シマクマシネマクラブです。見たのは杉田協士監督の「彼方のうた」でした。「春原さんのうた」作品の監督だったっと思いますが、見たような、見ていないような??? M氏の提案の中から、ボクが選んだのですが、なんというか、オッサン二人で見る映画ではなかったですね。 映画全体の印象では、なんとなく気がかりなところがいくつもあるのですが、「なんでそうしてる?それがどうした!」 というわけのわからなさというか、困惑というか、「こんな映画オッサン二人で見てどうすんねん!」 でした(笑)。 もちろん、感想戦も盛り上がりません。近所の喫茶店でお茶しながらM氏がこんなことを話し始めました。「アガサ・クリスティを読んだんですけどね。」 そういいながら取り出したのが「「私」をつくる 近代小説の試み」という 安藤宏という東大の先生の岩波新書でした。「である、とか、です、ますとか、断定の一人称ですけど、微妙に違いますよね。英語だとひととおりしかないんでしょうけど、推理小説とかの翻訳で~であるといういい方選ばれて、その結果、微妙に読者のこっちは、そこでをだまされるってことってありませんかね?」 目の前のM氏が、さっき見た映画にからんでおっしゃっているのか、最近お読みになったらしいクリスティに騙された遺恨(笑)でおっしゃっているのか、まあ、多分そっちだろうと思って「フムフム」 していましたが、お別れして歩きながら、さっき見た映画の「私」、まあ、小説でいえば語り手、映画なら監督ですが、が「である」で語っていたのか「ます、ました」で語っていたのか 気になり始めました。 で、この作品は、いわば通りすがりの第三者が見た光景の羅列として差し出されていて、「こういう光景を見ました。」 だったのですね。「ずっと、イヤホンをしていました。」「通りすがりの女性に道を尋ねました。」「男は泣き始めました。」「映画を見ているのを見ました。」「オムレツをつくるのを見ていました。」 シーンの主体は代わりますが描写の文体は「ます」でした。プロット、プロットでの原因と結果はともかくとして、ストーリ全体の「である」を支える因果関係ができるだけ抜け落ちる文体が故意に選ばれている印象だけが残っています。ストーリーをであるで捉えたがるオッサンは微妙に置き去りなんです。気がかりの理由は、多分そのあたりですね。 帰ってきて、チラシを読むと、「助けを必要としてしている見知らぬ人に手を差し伸べる」 とかなんとか主人公のキャラクター説明があって、チョット啞然としました。映っている人も映している人も、それぞれ、過剰な思い込みの人たちがいて、それをボーっと見ながら、理解できない自分に困惑する気分が、もう一度ワラワラと湧いてきて、腹立たしいような、情けないような「そういうことは画面で描くのが映画なんじゃないの?」 と呟くオッサンでした。ヤレヤレですね(笑)。監督・脚本 杉田協士撮影 飯岡幸子編集 大川景子音楽 スカンク/SKANKキャスト小川あん(春)中村優子(雪子)眞島秀和(剛)KayaKaya2023年・84分・G・日本2024・02・26・no029・元町映画館no225・SCCno18 追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.03.01
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