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島田裕巳「京都がなぜいちばんなのか」(ちくま新書) ここの所、宗教学の島田裕巳のお寺や神社についての面白楽しいうんちく本にはまり気味で、今回の読書案内は「京都がなぜいちばんなのか」(ちくま新書)ですね。 なぜ京都は、日本で有数の、さらには世界の人々を引きつける観光地になってきたのか。ようするに「京都がなぜいちばんなのか」を突き詰めてみようといういうモチーフで書かれていて、取り上げられている神社仏閣は千本鳥居の「伏見稲荷」、祇園祭の「八坂神社」、舞台で有名な「清水寺」、何故か苔を喜ぶ「苔寺」、小説で有名な「金閣寺」、銀じゃないけど「銀閣寺」、十円玉の「平等院」、で、都の北にそびえる「比叡山延暦寺」と、南の果ての「石清水八幡宮」ですね。 どなたでも、一度はいらっしゃったことがありそうなラインアップですが、実はこのボクは小学生のころに修学旅行で行った「金閣寺」、「銀閣寺」、「清水寺」、十代の終わりの浪人時代に京都に住んでいて通りかかったことのある「八坂神社」以外、50代の半ばまで知らなかったんですね(笑)。 今でも苔寺は場所も知りませんし、比叡山は下から仰ぎ見たことはありますが、延暦寺には行ったことがありません。まあ、そういうわけですが、蘊蓄は好きです。 で、本書はこんなふうに始まります。 いったい伏見稲荷大社には何本の鳥居が建っているのだろうか。これは誰しも気になるところだろう。 二〇一〇年に、学生たちが実際に鳥居を数えたことがある。 その結果、三三一八基という結果が出た。ほかに、数えた人間はいないので、貴重な調査ということになるが、数え方はかなり難しい。学生たちは、人がくぐれる高さがあるものに限定していた。鳥居は絶えず建て替えられているので、今数え直したら、違った数字が出てくるはずである。 それにしても。三〇〇〇基以上というのはかなりの数である。千本鳥居が伏見稲荷の代名詞になるのも、それからすれば当然である。(P018) まあ、こういう調子です。伏見稲荷の鳥居の数からその由来。清水の舞台が実は自殺の名所だったという驚きの真実。苔寺の拝観料が高い理由。三島由紀夫が見た二通りの金閣寺。銀はなくても銀閣寺の訳。とまあ、あれこれうんちくネタ山盛りです。 こう書くと、お手軽な名所案内のようですが、例えば伏見稲荷については、上の引用の後、清少納言の「枕草子」が引用されて、平安時代に始まる信仰の起源が探られます。うらやましきもの 經など習ひて、いみじくたどたどしくて、忘れがちにて、かへすがえすおなじ所を讀むに、法師は理、男も女も、くるくるとやすらかに讀みたるこそ、あれがやうに、いつの折とこそ、ふと覺ゆれ。心地など煩ひて臥したるに、うち笑ひ物いひ、思ふ事なげにて歩みありく人こそ、いみじくうらやましけれ。 稻荷に思ひおこして參りたるに、中の御社のほど、わりなく苦しきを念じてのぼる程に、いささか苦しげもなく、後れて來と見えたる者どもの、唯ゆきにさきだちて詣づる、いとうらやまし。二月午の日の曉に、いそぎしかど、坂のなからばかり歩みしかば、巳の時ばかりになりにけり。やうやう暑くさへなりて、まことにわびしう かからぬ人も世にあらんものを、何しに詣でつらんとまで涙落ちてやすむに、三十餘ばかりなる女の、つぼ裝束などにはあらで、ただ引きはこえたるが、「まろは七たびまうでし侍るぞ。三たびはまうでぬ、四たびはことにもあらず未には下向しぬべし」と道に逢ひたる人にうち言ひて、くだりゆきしこそ、ただなる所にては目もとまるまじきことの、かれが身に只今ならばやとおぼえしか。 で、本書によれば、清少納言の時代には、実は鳥居はないのです。 ね、それだけで、もう、エッ、それってどういうこと? でしょ。 もう一つ上げると、金閣寺について2章にわたって語られていますが、誰もが思い浮かべる、まあ、たとえば雪の庭の池の傍で静かに金色に輝く金閣寺 という、まあ、多分、誰でもが思い浮かべることのできるイメージがありますが、そのイメージは、案外、新しいということを考証したうえで、あの三島由紀夫が「焼かねばならない」と主人公に考えさせた美の象徴の金閣寺 というイメージは、焼けた後に再建された金閣寺であって、三島自身も子どものころに見たはずの金閣寺は、実は、かなり地味なお寺だったはずという指摘に続けて、にもかかわらず、読者は「雪の庭の静かに輝く金閣寺」を思い浮かべて納得しているのはこれいかに?! と問いかけていらっしゃる論旨には、チョット唸りましたよ。 で、読み終えると、チョット、延暦寺にはどうやったら行けるのかなとか考えてしまったりするわけで、お暇な方にはピッタリだと思うのですが(笑)。 最後に目次を貼っておきますね。目次第1章 稲荷山に千本鳥居はいつ出現したのか第2章 八坂神社に祀られた祟る神の威力第3章 清水の舞台は飛び降りるためにある第4章 苔寺に苔は生えていなかった?!第5章 どんな金閣寺が焼けたのか第6章 金閣寺の正体第7章 銀はなくても銀閣寺第8章 密教空間としての平等院鳳凰堂第9章 京都の鬼門と裏鬼門 それでは、また、覗いてくださいね。ああ、島田裕巳「日本人の神道」(ちくま新書)のリンクを貼っておきます。そちらものぞいてみてください。
2024.01.30
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ウッディ・アレン「サン・セバスチャンへ、ようこそ」シネリーブル神戸 40年ほども昔に見た、まあ、内容は全く覚えていませんが、イメージだけはある「アニーホール」とか「ウディ・アレンの愛と死」とかの監督ウッディ・アレンも88歳だそうです。そのウッディ・アレンの新作が「サン・セバスチャンへ、ようこそ」です。サン・セバスチャンというのは映画祭で有名(?)なスペインのリゾートのようです。「ウッディ・アレンやし!」 そういう気分でやって来たシネリーブルでした。久々に、アホらしさを堪能して、納得!(笑) でした。 ハゲの小男リフキン教授(ウォーレス・ショーン)とグラマラスを絵にかいたような美女スー(ジーナ・ガーション)の夫婦という設定です。まあ、それだけで結末が予想できるようなものですが、予想通りの結末に笑うしかありません(笑)。 で、もう一つ笑えるのは、まあ、こっちの方がこの作品の肝だったと思いますが、リフキン教授は映画学の先生ということで、自らの不安や期待、まあ、いってしまえば妄想を好きな映画のシーンの夢として体験するシーンでした。88歳のウッディ・アレンの映画史回顧的妄想の表白ですね(笑)。 で、一番笑ったのは、美しい女医ジョー(エレナ・アナヤ)との、まあ、やっぱりそれはあり得ないね! としかいいようのない期待に胸を膨らませて歩いているシーンに、クロード・ルルーシュの「男と女」の、あの有名なテーマ、シャーララ♪シャラララ♪シャラララ♪ が聞こえてきたところですが、いやはや、なんとも、ようやりますね(笑) 帰ってきて、調べてわかりましたが、引用されていたのはこんな映画の、まあ、ボクでもアレだ! とわかる有名なシーンばかりです。「市民ケーン」(オーソン・ウェルズ)・「8 1/2」(フェデリコ・フェリーニ)・「突然炎のごとく」(フランソワ・トリュフォー)・「男と女」(クロード・ルルーシュ)・「勝手にしやがれ」(ジャン=リュック・ゴダール)・「仮面ペルソナ」(イングマール・ベルイマン)・「野いちご」(イングマール・ベルイマン)・「皆殺しの天使」(ルイス・ブニュエル)・「第七の封印」(イングマール・ベルイマン) こうして並べてみると、そこそこ見たことがあることに我ながら感心しましたが、映画を見ていてすぐに分かったのがフェリーニの「8 1/2」の存在感あふれる女性たちのシーンだったことに、まあ、我ながら笑いました(笑)。 映画、映画とたいそうに騒ぎながら(騒いでませんけど)の映画館徘徊ですが、覚えているのは奇怪ともいうべき女性たちの デ、デ、デーン としたシーン なんですよね(笑)。 なにはともあれ、まあ、いろいろあった方ですが、お元気そうなウディ・アレンさんに拍手!でした(笑)。監督・脚本 ウッディ・アレン撮影 ビットリオ・ストラーロ美術 アライン・バイネ衣装 ソニア・グランデ編集 アリサ・レプセルター音楽 ステファーヌ・レンブルキャストウォーレス・ショーン(モート・リフキン大学教授・作家)ジーナ・ガーション(スー妻)ルイ・ガレル(フィリップ映画監督)エレナ・アナヤ(ドクター・ジョー・ロハス)セルジ・ロペス(パコ)クリストフ・ワルツ(死神)2020年・88分・G・スペイン・アメリカ・イタリア合作原題「Rifkin's Festival」2024・01・26・no010 ・シネリーブル神戸no217
2024.01.29
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クリスティアン・クレーネス フロリアン・バイゲンザマー「メンゲレと私」元町映画館「ホロコーストの証言」というシリーズの、第3弾、「メンゲレと私」という作品を元町映画館で見ました。 スクリーンで語り続けるダニエル・ハノッホという91歳、リトアニア生まれの老人の表情の迫力に圧倒さる96分でした。原題は「A Boy's Life」ですが、邦題では「メンゲレと私」とつけられています。で、そこに出てくるメンゲレという名前は、アウシュビッツで貨車で到着した収容者の「生・死の選別」 を指揮し、双子の体を縫い合わせるというような、想像を絶する人体実験 をやったことで有名な、ヨーゼフ・メンゲレという医学者で、敗戦後も、モサドの追及を逃れて1979年、69歳まで生き延びた人物です。12歳の金髪の少年がアウシュビッツに連行され、そのメンゲレの「死への指示」 からいかに逃れ、いかに生き延びたかが語られているのですが、具体的な証言内容や、時折、挿入される、ナチス・ドイツだけではなく、イギリス、アメリカ、ソビエトの、1940年代のアーカイヴ・フィルムの面白さもさることながら、91歳まで生きてきた証言者ハノッホの豊かで深い表情に見とれました。 もう一つ印象に残ったのは、反ユダヤ主義、体制順応主義というのでしょうか、リトアニアやオーストリアの市民たちが、その当時、ユダヤ人に示した差別的、排斥的で暴力的な態度や行為に対して、彼が一言で、こう言ったことでした。「恥だ!」 この映画でハノッホは英語で語っていましたから、聞こえてきたのはshameという響きでした。その時、彼の脳裏に、どんな「神」がいての発言かはボクにはわかりませんが、深い言葉だと思いました。 まあ、それにしても、70年後の今、こんなふうに語り手をさがし、証言を映画にしている努力に拍手!でした。 映画館には、ボク以外に三人の老人が座っていらっしゃいましたが、できれば、若い方に見てほしい作品だと思いました(笑)。こういう証言に耳を傾けることから「歴史」に対する興味を育ててほしいと思うのですが・・・・。監督・脚本クリスティアン・クレーネス フロリアン・バイゲンザマー編集 クリスティアン・ケルマーキャストダニエル・ハノッホ2021年・96分・オーストリア原題「A Boy's Life」2024・01・27・no013・元町映画館no224 追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.01.28
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久保茂昭「ゴールデンカムイ」109ハット 野田サトル君の原作「ゴールデンカムイ」(全31巻)のファンです。全巻、週刊マンガ便でご案内しようという野望は挫折していますが、まあ、そのうちなんとかと思っています。 で、その作品が、なんと実写映画になったというのですから、まあ、これは行くしかないな。というわけで、やって来たのは109シネマズ・ハットです。 もちろん見たのは久保茂昭監督の「ゴールデンカムイ」です。 最初に目に飛び込んできたのは、草も木もはえていない(ほんとは草は?)丘のような、山のような、そこを蟻のような、人間!が・・・「なんだ???」 二〇三高地でした。1904年から1905年、明治37年2月から38年9月に戦われた日露戦争の、あの激戦地です。要するに、主人公不死身の杉元の登場シーンなのですが、ボクは、この、戦場のシーンにいたく胸打たれたのでした。 原作漫画の舞台設定も日露戦争の戦後社会なのですが、実写にするときに、おそらく、主人公の不死身さと北海道あたりをやさぐれているリアリティーを支えるのは、あの日露戦争の二百三高地を生き延びた猛者であり、だからこそ、徹底したニヒリストであることだという発想が必要だったんでしょうね。いきなり、一本取られたというか、やるやん! という納得で映画が始まりました。 で、ノンビリ見ていて次にモヤモヤ感が浮かんできました。「なんか、ヘンやな??? こいつ、どこかで見たぞ!」 主人公に見覚えがあるのです。そうです、不死身の杉元を演じているのは山崎賢人君、あの、実写版キングダムの主人公李信なのです(笑)。「なんでやねん!?」 山崎君、2000年の間、戦い続けやんか(笑)。これでアシリパちゃんが橋本環奈ちゃんだったりしたらずっこけるしかないのですが、山田杏奈ちゃんということで、はいはい、なかなか、マンガのキャラにピッタリの女優さん、よく探しましたねという展開でした(笑)。 まあ、どうでもいいことですが、ほかのキャストで面白かったのは土方歳三の舘ひろし君ですね。かっこいい役なのですが、まったく舘ひろしに見えない舘ひろしに笑いました。 で、一番最後の締めのセリフがこうです。「オソマ、ヒンナ!ヒンナ!」 拍手!ですね(笑)。 原作マンガを読んでいる人には笑う所だとすぐわかりますが、アイヌの少女アシリパちゃんの山田杏奈ちゃんが「オソマ汁」を食べながらヒンナ!ヒンナ!、「おいしい!おいしい!」です。 で、オソマ汁って何かって?それはまあ、原作を読むなり映画を見るなりしていただくほかないですね(笑)。ハハハハハハ。 三部作なのだそうで、第二部、第三部、見るしかないですね。ということで、もう一度、拍手!です。監督 久保茂昭原作 野田サトル脚本 黒岩勉撮影 相馬大輔編集 和田剛音楽 やまだ豊主題歌 ACIDMANナレーション 津田健次郎キャスト山崎賢人(杉元佐一)山田杏奈(アシリパ)矢本悠馬(白石由竹)井浦新(アチャ)玉木宏(鶴見篤四郎)舘ひろし(土方歳三)木場勝己(永倉新八)眞栄田郷敦(尾形百之助)工藤阿須加(月島基)柳俊太郎(二階堂浩平/二階堂洋平)泉澤祐希(寅次)大谷亮平(谷垣源次郎)勝矢(牛山辰馬)高畑充希(梅子)2024年・128分・PG12・日本配給「東宝」2024・01・24・no009 ・109ハットno37
2024.01.27
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「エッ!? 梅咲いてるやん!」 徘徊日記 2024年1月25日(木)三宮神社あたり いつものように境内の前を通り過ぎようとして、あれ? って思いました。梅が咲き始めていました! 境内に入ると紅梅はこんな感じです。 で、白梅もチラホラ。 ココは何処かといいますと、三宮のあの神社です。この大筒でおわかりになるでしょうか。 まあ、今ごろになって初詣もあったものではありませんが(笑)今年もよろしく! のお参りもしました。 そうですね。灘区方面からのバスの終点、三宮神社です。ここの境内はこれから、紅梅に続いて白梅、黄梅と梅が咲くのです。楽しみです。 まあ、しかし、歩いているのも寒い寒中に花を咲かせ始めた梅は立派ですね(笑)。王、あれこれ、花の季節もすぐそこなのですね。風邪をひかないように、ウロウロしたいと思っていますよ。ボタン押してね!
2024.01.26
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「ちょっと、ルミナリエ!」 徘徊日記 2024年1月21日(日) 三宮あたり 今日は2014年の1月21日、日曜日です。普段、日曜日に三宮にやって来るなんてことは、まず、ありません。昨年の秋ぐらいから人通りが戻って来て、まあ、いいことなのでしょうが・・・、そういう気分です。その上、今日は何年ぶりかで再開したルミナリエの二日目かの日曜日です。ヤバイなあーと思いながら、見たい映画に誘われて、久しぶりに日曜日の三宮です。 思ったほどの人出ではありませんでした。映画が終わったのが午後6時過ぎだったうえに、映画館から歩いて1分の場所でやっていたので、覗きました。久しぶりのルミナリエです! 神戸の震災の復興のシンボルのように続いてきた行事ですが、コロナで中止、で、再開を計画した年の元旦に能登で大地震です。計画を練ってきた人たちが、なんだか、ちょっとかわいそうですね。 まあ、何はともあれ、覗いてみました。 見えてきましたよ。美しいものですね! 思ったほどの人ではありませんでした。電飾は美しいのですが、なんだかよく出来すぎていて、今ひとつ気持ちがのりません。 ココは大丸の裏手で、展示が始まっているところですから、本当なら、東遊園地まで歩くところなのですが、これで失礼です。 おんなじ電飾の、角度変えた写真ですが、どこから見ても同じようにつくられている立体ですから、おんなじ写真になります(笑)。 とか、なんとかいいながら、やっぱり思い出してしまいますね。あれから29年ですね。みなさんお元気なのでしょうか?ボタン押してね!
2024.01.25
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黒井千次「群棲」(講談社・講談社文芸文庫) 2024年、お正月早々読み始めた小説集に唸っています。黒井千次「群棲」です。 1981年から1984年、文芸誌「群像」誌上に連載された短編連作集です。現在では講談社文芸文庫にはいっていますが、ボクは、元の単行本、1984年4月27日第1刷で読みました。何年か前に、元町の三香書店の店先に100円で置かれていた本です。 庭と呼ぶより家屋と塀の間とでも言った方がふさわしいほどの奥行のない土地の真中にブロックを二つ置き、その上にコンクリートの板を渡しただけの低い棚に並べられた盆栽達が、時折自分をじっと監視しているように思われることがあった。定年を前にした尊彦が釧路の系列会社の役員になって移るとき、東京の家に残ると言い張り続ける静子に対して最後にいった言葉が盆栽のことであったからかもしれない。 俺の盆栽を枯らさないでくれよ。その一言で彼女は今の暮らしを手に入れた。そしてしばらく黙っていた後、この歳になってから独身生活をするとは思わなかったな、と夫はぽつんと呟いたのだった。(「水泥棒」P185 ) 唸ったというのは、こういう一節でした。「群棲」と題されて描かれている作品群の舞台は東京の近郊、最寄り駅からは歩いて帰ってこられる住宅地の一角の路地のなか、向かい合わせの四軒の住居です。時は1980年代の始めころですが、その四軒に住む家族のありさまが描かれています。 上に引いたのは「水泥棒」という、定年間近の夫を単身で送り出し、東京で一人暮らす妻静子の生活のありさまを描いた作品の一節ですが、静子の内面がこんなふうに描かれています。 子供もそれぞれ独立して出て行ったのだし、寝たきりの老人を抱えているわけでもない夫婦だけの家庭なのだから、どこから見ても静子は夫についていくのが自然だったろう。家は親会社が社宅に借りあげ、将来東京に戻る時にはいつでもあけるようにするとの話もついていた。にもかかわらず、彼女はどうしても夫と共に北海道に行く気になれなかった。 引っ越しが面倒だとか、冬の寒さが身にこたえるといった気遅れがあるのは事実だったが、それが本当の理由ではないことを静子は知っていた。ひとつなにかを諦めれば、これまでと同じように口ではぶつぶつ言いながらも結局は尊彦について行ってしまいそうな自分をすぐそこに感じていた。だからこそ、彼女はそんな自分にこだわりたい気持ちが一層募るのだった。 昔のことがひっかかっているのかい、と夫は気弱げに訊ねもした。 そんなことなら今までの暮らしだって出来なかった筈でしょ、と彼女は夫の疑いを無造作に押し返した。自身にも気持ちの底はよくわからなかった。未亡人になった時の練習をしておくのもいいんじゃないかしら、とは口には出しかねた。今のうち少し不自由に馴れておけば私が死んだ後あまり苦労しないで暮らせるわよ、とだけ彼女は答えた。どちらの言い方が夫にとってより酷いものであるかを考えるゆとりはなかった。 一度だけ我が儘を言わせて下さい。言葉とともに突然涙が溢れ出た。なぜか自分が可哀そうでならなかった。可哀そうな自分を妻に持つ夫も気の毒だった。そして静子自身も予期しなかったその涙が、おそらくは尊彦から盆栽についての言葉を引き出したのだった。 あんた達、枯れないでよ。私が困るんだから。(P186) 作品は、一人暮らしをしている静子の家の玄関先の水道が、誰かに使われていて、いつの間にか水が出しっぱなしになっているという「事件」をめぐって描かれているのですが、ボクが唸ったのは、1980年代に50代の女性とその夫といえば、ちょうど、1920年代から30年代に生まれた世代なのですが、それは、まあ、ボクたちの親の世代でもあって、その世代の、その年頃の、だから、結婚生活を30年暮らした、そういう女性に「なぜか自分が可哀そうでならなかった。」 と言わせているリアルとでもいうべきところでした。 まあ、今読むからそう感じるのかもしれませんが、1980年代の始め、すべてがご和算になる直前の、戦中から戦後という50年の時代を普通に生きてた親たちの世代の、社会に対する実感というか、崩壊に対する予感というか、まあ、何を考えて生きているのかというようなことについて、前を向くことに夢中で気づかなかった世代、まあ、小説のなかの「子供たち」が、いつの間にか、親たちのその年頃を越えて、フト、手に取って読み始めて「ああ、そうだったんだ!」 と、唸るという感じでしたね。 さて、今の、だから、崩壊感覚が空気のように広がっていると老人は実感する今の、この小説の現在から40年余り経った今の、二十代、三十代の方が,こういう作品をどう読まれるのか、ボクには、もう、見当もつきませんが、一度お試しになられてはいかがでしょうね(笑)。 著者の黒井千次さんは90歳をこえられて、「老いのゆくえ」(中公新書)とか、なんとか、老人生活を綴ったエッセイでご健在のようです。ボクの場合は、そっちを読むのが本筋かもしれませんね(笑)。目次(数字はページ)オモチャの部屋 5 (1981年「群像」8月号)通行人 31 (1981年「群像」10月号)道の向うの扉 53 (1982年「群像」2月号)夜の客 75 (1982年「群像」6月号)2階家の隣人 97 (1982年「群像」9月号)窓の中 123 (1982年「群像」11月号)買物する女達 151 (1983年「群像」3月号)水泥棒 177 (1983年「群像」6月号)手紙の来た家 201 (1983年「群像」8月号)芝の庭 227 (1983年「群像」10月号)壁下の夕暮れ 251 (1983年「群像」12月号)訪問者 279 (1984年「群像」2月号)
2024.01.25
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マーク・ウィルキンス「ニューヨーク・オールド・アパートメント」シネリーブル神戸 今年も、ボツボツ、当てずっぽうで映画館に通い始めました(笑)。今日はマーク・ウィルキンスという、なんとスイスの監督の「ニューヨーク・オールド・アパートメント」という作品でした。 南米のペルーから、不法入国でアメリカにやってきた母と双子の息子の家族の物語でした。見るからにうらぶれたアパートの1室に立ち入り禁止のビラが貼られていて、そこに、一人は明らかに南米系の面立ちの女性で、もう一人は白人の、それぞれ中年の女性が忍び込んで、室内を物色しているシーンから映画は始まりました。「早くしな!」 白人の女性がせかす声を聞きながら、ゴミの山のような生活用品の名から美しい女性のポートレイトを見つけて見っています。 南米系の女性はラファエラ、写真の美女はクロアチアから来たというクリスティン、白人の女性はラファエラが買い物をする食料品店の女将です。二人の息子の行方を心配するラファエラの心労を察して、付き添ってやってきたいい人です。 二人は、行方が知れなくなったティトとポールという双子の息子の消息の手がかり探しに、不法滞在がバレて住めなくなったアパートにやってきているようです。 国民総背番号制というのでしょうか、銀行預金から各種免許証、戸籍、まあよくわかりませんが、そういったあれこれを一つのIDカードとして、国民に持たせると便利だという考え方が、ポイントあげるからという子供だましの誘いでひろめられている国が、東洋のどこかにありますが、その1枚のカードを失うと、ただの「人間」としての居場所を失うということは説明されません。 この映画だって、海の向こうのペルーとかクロアチアとかアメリカの話で、われわれの国とは関係ありません、われわれの国は平和でよかったですね、というふうに見るように思いこまされているわけですが、本当に関係ないのでしょうかね。映画の中で「好きな動物は?」と問いかけ合うシーンがありましたが、「ペッ!とだれかれなしに唾を吐くラマが好き!」 とクリスティンだったかが答えるのを聞いて、ハッとしましたね。 映画のラストに、本国ペルーに強制送還された少年二人から、母親に電話があって、母親はホッとします。元気な二人は、彼らのことを透明人間=そこにいない人扱いする 街であるニューヨークに戻る意思を伝えて意気軒昂です。 で、そこから、元気な少年二人の新たな物語の始まりを予感させて映画は終わります。 少年たちやその母も、クロアチアから来たクリスティンも、いま、生きている姿が真摯に描かれていて後味がいい作品になっています。しかし、例えばクリスティンがナイフをふるうことでしか存在を証明できなかったように、たとえ、ニューヨークに戻ったとしても、ティトにもポールにも背番号は与えられないだろうということが心に残った作品でした。 ニューヨーク、あるいは、アメリカ、イヤ、本当は、世界中がそうであるに違いない現代社会の真相を、生きている人間に対する穏やかで温かい視点で描こうとした監督、マーク・ウィルキンスに拍手!でした。 監督 マーク・ウィルキンス製作 ジョエル・ジェント原作 アーノン・グランバーグ「De heilige Antonio」脚本 ラ二=レイン・フェルタム撮影 ブラク・トゥラン編集 ジャン・アルデレッグ音楽 バルツ・バッハマン ブレント・アーノルドキャストマルチェロ・デュラン(ティト 双子の兄弟)アドリアーノ・デュラン(ポール 双子の兄弟)マガリ・ソリエル(ラファエラ 母)タラ・サラー(クリスティン)サイモン・ケザー(サイモン)2020年・97分・PG12・スイス原題「The Saint of the Impossible」2024・01・16・no005・シネリーブル神戸no216
2024.01.24
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ベキル・ビュルビュル「葬送のカーネーション」シネリーブル神戸 今日は1月21日の日曜日です。その上、神戸では再開したルミナリエの最中です。電飾会場はシネリーブルのすぐ南の通りです。人混みに出るのが億劫で、昨日から躊躇しつづけて、部屋でゴソゴソしていたのですが、「家の中でパソコンばっかりいじってないで、どこかに行きなさい!」という、同居人の一喝で出かけてきて正解でした(笑)。 見たのはベキル・ビュルビュルというトルコの監督の「葬送のカーネーション」という作品でした。老人と少女が棺桶を引きずって旅をする映画でした。 見終えて、しばらく動けませんでした。 とにかく、「これはスゴイ!」 と震えるような思いで座っていることは確かなのですが、いったい、なにに揺さぶられているのかわからないのです。 映画館の近所でやっていたルミナリエの美しい電飾にも気もそぞろで、元町駅から電車に乗って、その電車の中で、身寄りのない孫娘を、なんだか不機嫌に、あそこまで連れて来たんです。あんな荷物を引きずって。で、あの老人は、なんで、あそこまで連れてきた孫娘を置き去りにして金網を越えてしまったのか? という問いが降りかかってきました。 垂水駅で電車をおりて、原付に乗って、寒い街中に出て、一人で走り出して、突如、涙が止まらなくなりました。 そうなんです。あの金網というか、鉄条網の向うに、あの子を連れて行くわけにはいかないんですよね。なにがわかったというわけではないのです。金網にしがみついて「オジーちゃん!」 って、後ろで孫娘が叫んでいるんです。それはわかるんです。でも、もう、そこからは一人で行くしかないんだよな。 で、ボクのなかでは、ただ、あの後姿が浮かんできて、昂っていた気持ちが崩れていくような不思議な感じなのです。なんで、原付に乗りながら涙が止まらないのか・・・・。 ヘルメットがフルフェイスですから、拭うこともできないのに、次から次から湧いてくるんです。「そうだよな、そうするしかないよな。」 まあ、ことばにすれば、そういうことです。すごい映画でした。拍手!監督・脚本 ベキル・ビュルビュル脚本 ビュシュラ・ビュルビュル 撮影 バルシュ・アイゲン美術 オスマン・チャンクルル編集 エレン・サブリ・オズテュルク ベキル・ビュルビュルシャム・ゼイダン(ハリメ 孫)デミル・パルスジャン(ムサ 老人)バハドゥル・エフェタシン・ラーレイート・エゲ・ヤザールセルチュク・シムシェックフラート・カイマックエミネ・チフチセルカン・ビルギ2022年・103分・G・トルコ・ベルギー合作原題「Cloves & Carnations」2024・01・21・no006・シネリーブル神戸no216
2024.01.23
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100days 100bookcovers Challenge備忘録 (31日目~40日目)「備忘録」でまとめ始めました。2020年の7月から8月あたり、30冊から40冊、少しづつスピードが落ち始めていますが、コロナは頑張っていました。 それぞれの書名か表紙写真をクリックすると投稿記事にリンクしています。no31(2020・07・19 T・S) 山村修「狐が選んだ入門書」ちくま新書)no32(2020・07・25 N・Y)ヴィクトール・E・フランクル『夜と霧 新版』(みすず書房)no33(2020・07・29 K・S)吉田秋生『BANANA FISH』(小学館・全19巻)no34(2020・08・06 T・K)吉本ばなな『キッチン』福武書店no35(2020・08・14 E・D)安田登『異界を旅する能―ワキという存在』 ちくま文庫no36(2020・08・17 T・S)水原紫苑「桜は本当に美しいのか」(平凡社新書)no37 (2020・08・22 N・Y)阪上史子「大竹から戦争が見える」(広島女性学研究所)no38(2020・08・31 K・S)津原泰水『蘆屋家の崩壊』(ちくま文庫)no39(2020・09・10 T・K)別役実「けものづくし 真説・動物学体系」(平凡社ライブラリー)no40(2020・09・16 E・D)出久根達郎 『謎の女 幽蘭 -古本屋「芳雅堂」の探索帳よりー』(筑摩書房) 100days 100bookcovers Challenge備忘録 (1日目~10日目) (11日目~20日目) (21日目~30日目)という形でまとめ始めました。日付にリンク先を貼りましたのでクリックしていただくと備忘録が開きます。追記2024・05・11 投稿記事を 100days 100bookcovers Challenge備忘録 (1日目~10日目) (11日目~20日目) (21日目~30日目) (31日目~40日目) (41日目~50日目)(51日目~60日目)(61日目~70日目)(71日目~80日目)(81日目~90日目)というかたちまとめています。日付にリンク先を貼りましたのでクリックしていただくと備忘録が開きます。
2024.01.22
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「走水神社 初詣!(笑)」 徘徊日記 2024年1月16日(火)元町あたり 今日は1月16日の火曜日です。三宮で映画を見て、神戸駅まで歩いていて思い出しました。「ああ、1月17日やん、明日!」 29年たちました。あの年の1月16日は三宮で飲んだくれていて、日が替わって、漸くのご帰宅でした。二日酔いで、起きているのか寝ているのかわからない為体で、隣で赤ん坊だったピーチ姫に覆いかぶさって、落ちてくるものから守っていたチッチキ夫人に尋ねました。「オイ!何が起こってんの?」 まあ、そういう、いい加減な人間なのですが、やっぱり笑い事ではすまされない体験をしたことは確かだったんですね。「ちょうどええやん、今年はまだ初詣もしてへんし、ちゃんとお参りして行こ!」 元町5丁目あたりの走水神社の前を通りかかってそう思いました。 「はしうど」神社と読みます。このあたりの北から流れている宇治川という川がありますが、そこが洪水の川だったらしくて、祀られたという話をどこかで読んだことがあります。なぜか、祭神は菅原道真ということで、狛犬ではなくて牛が寝そべっています。筆塚とかもあります。 なにはともあれ「どうか、明日、また、地震が来ませんように!」 と、めずらしくお賽銭を上げての初詣でした。そういえば、二日前に能登の友人から連絡がありました。「家族も私も無事です。返事遅れて申し訳ありません。」 画面を見ながら、涙がこぼれそうになりました。謝ったりせんでもええよ。ともかくも、無事でよかった。 追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑) ボタン押してね!
2024.01.21
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松山巌「猫風船」(みすず書房) 松山巌って、ボクにはどう説明したらいいのかわからない人ですが、まあ、とりあえず、作家ということにしておきます。そのうち、あれこれ案内しそうですが、今日は「猫風船」(みすず書房)という、なんというか、掌編小説集です。下に目次を貼りましたが、全部で41篇入っています。 もともとはみすず書房のPR誌「みすず」に「路地奇譚」と題して連載されていた作品に、かなり手を加えての単行本にしたという触れ込みですが、もとの「みすず」連載が20年ほども昔のことなので、我が家には多分揃っていたと思いますが、今、見直すことはできませんから、何とも言えません。手元の単行本が2007年の初版ですから、まあ、古い本です。 で、内容ですが、とりあえず書名になっている作品をお読みください。 「猫風船」 今年の夏は、梅雨がなかなか明けなかったから涼しいまま終わるのかと思っていたら、急に暑くなった。そのせいで寝つきが悪く、眠りも浅くなった。眠ったと思ったら、悪夢にうなされて目覚める。おかげで日中に眠気が襲ってくる。強い陽射しのなかを歩いていても、頭はボーッとしたままだ。 どこかで休みたい。小公園があった。いくつかベンチはあるが、涼しい木陰の席にはすでに先人がどこも横になっている。陽射しが当たっているベンチさえ、三毛猫が丸くなっている。暑くないのだろうか。近づくと猫は薄目を開け、こちらを見上げた。先住者の権利を主張しているようだが、私はベンチに腰を降ろした。 ベンチの座は陽に照らされている。それでも風が涼しい。腰を下ろし、背にもたれた。猫はベンチの端まで歩いてまた丸くなったが、眼をギラリと光らせてこちらを睨む。どうしてもこのベンチを死守するつもりらしい。そこまで私は占拠するつもりはない。少しでも休めればいい。 それにしても陽射しは激しい。蝉の声が騒がしい。それでもやがて蝉の声も気にならなくなった。たぶん少し眠ったのだろう。 気づけばギャーギャーと猫の声がする。うるさいから眼を開けると、眼の前に三毛猫の大きな顔がある。しきりに声を上げている。なんだって猫はこんなに大きくなったのだろう。きっと暑くて、熱で膨れたに違いない。猫の臭いもする。うるさいから、あっちへ行けと、膨れ上がった猫の顔を手でどけた。 手には抵抗感はなかったのに、猫の顔がフッと消えた。どこへ行ったか。ベンチの下か。いない。またギャーギャー鳴いている。なんだ上か。膨れた猫は宙に浮かんでいた。風が吹く。気持ちがいい。見上げると猫はさらに大きく膨らんで、上空に舞い上がっていく。よく見ると空には、いくつもの猫風船が浮かんでいる。白、黒、ブチ、虎毛、三毛。ギャーギャーと鳴く声も小さくなった。なんだ、真上にギラギラ燃えているのも巨大な猫のめじゃあないか。空はどうやら一杯に膨れ、広がった猫風船におおわれてしまったらしい。猫の目は激しく燃えている。怒っている。暑くてたまらない。 いかがですか(笑)。原稿用紙3枚くらいの量ですから、写すのも気楽です。写していると奇想への展開がよくわかって面白いですが、たとえば「降ろす」と「下ろす」とか、「眼」と「目」とかが書き換えられているのはどう違うのだろう?なんていうことに目がいって、まあ、それはそれで面白いんですが、どうでもいいのかもしれませんね。 ようするに、はあ???という感じの奇譚集です。好き好きですが、ボクは結構好きです。そのうち、別の作品も案内しようかな、という気分です。とりあえず目次を載せておきます。単行本は品切れ、絶版のようですが、図書館にならあるかもしれません。お暇な方にはおススメです(笑)。目次アカンベー 7 ホホエミ食堂 10 ラブレター 14 そっくりな他人 16 ヒトデナシ 23 みんな待っている 26 琉金 29 落書き 33 ゴキブリ 41 ウミ、ドチデスカ 43 球体住居 47 落とし穴 51 素晴らしき伝説 55 猫風船 59 蝉 61 小さなゴジラ 64 とてもセクシー 67 指人形 70 ヒノハナ 73 烏たち 78 筋肉隆々 82 ロボット売ります 86 陽気な三人 94 座敷のイロハニー 98 蟻 101 天使のくせに 104 カレー味の消防団 110 平和ですなあ 112 破れ太鼓 116 大事なもの 119 プチ家出 123 冬眠 125 風邪はひけない 128泣き虫サンタ 134 節分 139 動物園に行こう 141 花見の女 148 ポロポロ落ちる 150 誰もが眠る日 152 新住民 155 万物創生 159
2024.01.21
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「ポートタワー!」 徘徊日記 2024年1月12日(金) メリケン波止場あたり お昼前から元町で映画を見ておりました。本当は、続けて2本見ようかと思っていたのですが、1本目に見た「スイッチ」という作品が、思いのほか楽しかったので、2本目を見る気を失って、まあ、時間も早かったこともあって港のほうへ歩きました。 お目当てはポートタワーです(笑)。見えてきましたね。なにを喜んでいるのかというと2023年の後半、改修工事でカバーに覆われてたんですよね。で、12月の末ころにこの姿が帰ってきたというわけです。 突堤の方から見上げたポートタワーです。なかにはいったり、展望台に上ったりしたことは一度もありません(笑)。改修工事で、何が変わったのかもわかりません(笑)。まあ、そういうものです。 港には、かなり大きな客船がとまっていました。近くにも行ってみましたが、この写真が一番見栄えが良かったのではりました(笑)。船の名前は見落としました。 ハーバーランドの方から見たポートタワーとホテル・オークラです。そういえば、ホテル・オークラの最上階には一度行ったことがあります。あっちの方が高いのかもしれませんね。 この日は天気の良い午後で、観客の人もたくさんいらっしゃいました。まあ、神戸の風景なのですね。ポートタワーくん、どうも、お久しぶり! でした(笑)。ボタン押してね!
2024.01.20
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ジュン・リー「香港の流れ者たち(その2)」元町映画館 同じ映画を、意識して何度も見直すという習慣というか、まあ、意図というかはボクにはありません。「あっ、あの映画や!」 そう思う作品がテレビに映っていると、そのまま見続けるということはあります。今日も「ビバリーヒルズコップ」が、ちょうど始まるところに出くわして、結局、最後までテーマソングを鼻歌しながら見たりしましたから。それは、それで楽しいですよね。 最近では、30年くらい前に見たはずだけど、まあ見直してみようという作品が増えました。ただ、DVDを借りて来たり、ネット配信で探してみたりすることは、ほぼ、ありません(笑)。 で、今日、元町映画館で見たのはジュン・リーという監督の「香港の流れ者たち」でしたが、見始めて、2022年の「香港映画祭」という特集でやっていた時に見た映画だと気付きました。チラシの丸刈り男に、なんとはなしに親近感を感じて見に来たのですが、感じたはずでした(笑) まあ、初めての体験というわけでもないのですが、面白かったのは、登場人物たちが次に何をするのかが魔法のようにわかることでしたね(笑)。 もちろん、繰り返し起こる魔法体験のせいで、そうはいっても、一度見たことを思い出していたわけですから、魔法は解けましたが、見たことがないと思い込んでいるあいだ、みんなわかるというのは不思議ですね(笑)。 まあ、老人ボケの報告はともかくとして、二度目に見てどうだったかですね。二度見て、損はなかったですね。 ナルホドと納得したのは、まあ、頭からネタバレで申し訳ありませんが、終わりの方に、主人公(?)のファイさんが亡くなるシーンがあって、そこにハーモニカの青年モクくんが出てくるのが、なんだかよくわからなかった記憶があったのですが、そのシーンは、ファイさんの人生を語るためにつくられたというか、実に映画的なシーンだったようなのですね。で、納得ですね。 二つ目は、この映画が香港という都市を撮った作品なんやなあ・・・ ということに気付かされたことでしたね。 映画の中で、結局は亡くなってしまう二人のベテラン、ホームレス生活者のそれ以前の人生は、ほぼ、わかりません、今があるだけです。で、その今は、彼らが「香港」という都市の底のようなところで生きている今ということなのですね。 ファイさんとモクくんが、連れ立って超高層ビルの工事現場の頂上から見下ろすシーンがありますが、眼下に広がる道路や林立するビルの光景は、威容と呼ぶほかないシーンです。で、それに対して、彼らが暮らす高速道路の橋脚の下から見上げる狭い空の風景に「グリーン・スリーブス」の頼りないメロディーが聞こえてきます。彼ら自身と都市の関係が如実に描かれていたというべきでしょうか。 で、ついでにいえば、彼らの援助に奔走するホーさんという、若いソーシャル・ワーカーの住居は高層マンションで、部屋からは美しい夜景が見えるシーンもあります。その部屋から、ボランティアに出かける存在の、彼らとの遠さも、まあ、図式的ではあるのですが、風景として描かれていると思いました。 街の中をトボトボ徘徊することを覚えて、ようやく気付いたことですが、神戸程度の町でも、街中や高架沿いを歩いている時には空は見えないのですね。見えるのはコンクリートの壁や柱です。 で、建物の間の路地を歩きながら見ているのは、フト見える過去ですね。歩くと気付く、そういう都市と人間の関係をあざやかに映し出している作品だということも、二度目で気づいたことでしたね。 なかなかですね。ジュン・リーという人は、1991年生まれの若い監督のようですが、期待を込めて拍手!ですね(笑)監督・脚本 ジュン・リー撮影 レオン・ミンカイ美術・衣装 アルバート・プーン編集 ヘイワード・マック ジュン・リー音楽 ウォン・ヒンヤンキャストフランシス・ン(ファイ 中年の男)ツェー・クワンホウ(ラムじい ベトナム難民)ロレッタ・リー(チャン 女性ホームレス)セシリア・チョイ(ホー ソーシャル・ワーカー)チュー・パクホン(ダイセン)ベイビー・ボー(ラン チャンの妹)ウィル・オー(モク ハーモニカの青年)2021年・112分・香港原題「濁水漂流 Drifting」2024・01・16・no006・元町映画館no222
2024.01.20
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「新しい年の機関車!」 徘徊日記 2024年1月12日(金) 神戸あたり 今日は2024年の1月12日、金曜日です。神戸駅から元町商店街に抜けるコースを、今年初めて歩きました。 神戸駅の東のD51が新年のお飾りで、お鏡とかも可愛らしいので目にとまりました。今年も1年、このあたりをウロウロ、ヨロヨロできますように! まあ、そういう気持ちでお賽銭の一つも上げたい気持ちでパチリ!でした(笑)。 元町商店街にはこんな垂れ幕がありました。神戸はヴィッセルの町なのです。 Jリーグが始まったころには、仕事場の教室でであった和田君とかが活躍したり、愉快な仲間たちがみんな地元のサッカー少年団に所属していたりで、ヴィッセルの試合を観に行ったこともありましたが、彼らが家を出ていったわが家ではサッカーの話題はありません。 が、2023年は、プロ野球ではオリックス・バッファローズ、だめトラ・タイガースがセ・パ両リーグを制覇し、Jリーグではヴィッセルも王者というわけで、まあ、二度とあり得ないおめでたさでこの垂れ幕ですね(笑)。 三宮の阪急デパートの「タイガース日本一」の垂れ幕といい、「こんなことが、続くはずがない!」 とは思うのですが、嬉しくてパチリ!でした(笑)。ボタン押してね!
2024.01.19
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坂月さかな「星旅少年(1)」(PIE) 最近「トラキチクン」を襲名したヤサイクンの、2023年、12月のマンガ便に入っていました。70歳を目前にした老人には、何といっていいのかわからないテイスト の作品ですね。 坂口さかなさんの「星旅少年」です。パイ・インターナショナルという出版社から2022年の新刊で出たマンガです。表紙も最初のページも青ですね。「心に青が染みる」世界 だそうです。 宇宙船の操縦席にいるらしい表紙の少年(?)はプラネタリウム・ゴースト・トラベル(PGT)社、旅行会社みたいですが、その会社の文化保存局特別派遣員「星旅人」登録ナンバー303くんですね。彼が今、旅をして回っているの「まどろみの星」と定義された星々ですね。旅先で、彼は、それぞれの星の住民が、まあ、何人いるのかわかりませんが、ほとんどが眠っていて、時々、目覚めている人と出会うのですね。 表紙の、窓の外で光っているのが「まどろみの星」には必ずある「トビアスの木」ですね。第1巻のはじめあたりにこんなシーンがあります。場所はまどろみの星・惑星107、砂街、星海の丘あたりですね。星旅人303くんが文房具屋さんにやってきたところです。「ごめんください ノート売ってますか」「その引き出しの中にあるよ この辺砂がすごいからしまってあるの」「なるほど」「ノート欲しいの?今時珍しいね」「ええ 日誌を書きたかったんですけど筆記端末が動かなくなっちゃって」「あー砂のせいだと思うよ 今の機械と相性悪いのよ 昔の機械が風化してできた砂だから」「ほーそういうもんですか」「お兄さんこの辺の人じゃないね 旅人さん?」「ええPGT社の星旅人です。」「PGT社…って あのでっかい旅行会社の?」「うん まあ最近はなんでも屋さんですけど」「あはは今はどこもねー やとわれ星旅人かー自由なのか不自由なのか」「全くです」「にしても珍しいねこんな小さな星に仕事できたの? 何か見に来たの?」「トビアスの木をご存知ですか?」「なんだっけそれ もしかして眠りの木のこと?」「あ そうです 人を覚めない眠りにつかせそして眠りについた人をトビアスの木にかえてしまう木です。住民のほとんどが眠った星をまどろみの星といってボクはその文化を記録するためにこの星にきたのです。」「なるほどね・・・・えっつまりこの星もまどろみの星になったってこと?」「はい 先日」「はー最近ラジオの電波来なくなったから知らなかったわ」「あらら」「あっそういうことならうちの商品も記録してくださいな」「おっ ぜひ」「変なのばっかりだけどね」「そういうほうがいいです。」 と、まあ、4ページ分のセリフを引用しましたが、そういうわけです。 文房具屋さんの目玉商品は「つもりペン」、書いた字が砂になってしまうペンなのですが、「砂」 ってなんだよということになるのですが、会話の中にも出てきたように「砂」というのが、このマンガの物語を支えている、何というか、かなり大事なアイテム(よくわからないで使っていることばですが)なんですね。 人がこの世にいることを考えるときに「砂」が、まあ、どんなふうにシンボル化されているのかというあたりを思い浮かべると、このマンガの「青」の世界が、単にファンタジーとしての宇宙を描いているわけでもなさそうですね。 いかがでしょうかね、「このマンガがすごい!2023 オンナ編」第5位なんだそうです。まあ、設定そのものから、ボクにいわせると「暗い」マンガですけど、その暗さからほんの数センチ浮遊している感じがするところで、マンガの世界が動いているようですね。
2024.01.19
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エスティバリス・ウレソラ・ソラグレン「ミツバチと私」シネリーブル神戸 2024年のSCC=シマクマ・シネマクラブ第1回例会はエスティバリス・ウレソラ・ソラグレンという性別はわかりませんが、スペインの若い監督の「ミツバチと私」でした。作品を選んだのはシマクマ君です。題名とチラシの写真から「ミツバチのささやきEl espíritu de la colmena」という、あの傑作が思い浮かんでの選択でしたが、なかなか印象的な作品でした。 ただの連想ですがビクトル・エリセの「ミツバチのささやき」は直訳すれば「巣箱の精霊」で、この映画の原題「20.000 especies de abejas」は「2万種のミツバチ」となりそうですが、この作品の場合の「種」は「生きもの」の「種」というか、「命」というかのニュアンスだったようです。 始まってしばらくして、チラシの写真の子どもがおしっこをするシーンがあって、「えっ?男の子なの?」 とようやく気付づきました。 要するに、ボクはここまでスクリーンに登場して「ココ」と呼ばれている主人公を「女の子」だと思って見ていたのですが、「男の子」だったのですね。と、まあ、納得したわけなのですが、「そんなふうに納得していいの?」 というのが、この作品のかなり大切な問いかけの一つだったということが見終えて心に残ったことですね。 その、男の子なのか女の子なのかわからない「ココ」が聖堂で見つけるのが、一般に「ルシア」と呼ばれている聖像で、その「ルシア」という名こそ自らにふさわしいという発見が、多分、この映画の肝だったと思います。 明けの明星の化身、光の天使ルシア=ルシファーはイエスその人という考え方もあるようですが、堕天使ルシファー=サタンの方をキリスト教をよく知らないボクなんかは思い浮かべるわけですが、まあ、今一ピンと来てないのが正直なところですね(笑) 自らの生き方を父との葛藤の中で苦しむ母アナ、子どもをしつけの対象としてしか考えられない父ゴルカや祖母リタというココの周りの大人の姿が描かれる中で、ルルデスという養蜂家の女性を描いているところに、もう一つのを問いかけを感じました。老人のあなたは子供たちが生きていくことを本当に祝福していますか? まあ、そんなふうな問いなのですが、虫を恐れるココをミツバチと出会わせる美しいシーンがありますが、「息をしずめて、友達だとささやきかけなさい。」 というルルデスがココにささやくセリフがとてもよかったですね。 まあ、いろいろあるのですが、できれば、子どもたちが恐れず生きていくことを祝福する気持ちというか、眼差しというかを失わない暮らしをしたいと思いましたね。あんまり、らしくない言い草ですが、作品がいいとか悪いとかいう以前に、当たり前だと開き直って、乱暴なことをしたり、言ったりしていないか、そういうことを問いかけられた作品でした。 見終えた後のことですが、主人公のココがルシア=光をいう名を選んだことを反芻しながら、先日見た「パーフェクトデイズ」という映画で主人公の平山さんが木漏れ日を写真に撮ることに夢中になっていたことを思い出しました。彼は光の向うの世界から追放された人生を生きていたのかもしれませんね(笑)。 まあ、それにしても子供が主人公の映画は、もう、それだけで楽しいですね。出てきたいろんな子供たちに拍手!でした。で、いろいろ、考えさせてくれたエスティバリス・ウレソラ・ソラグレンという監督にも拍手!でしたね(笑)。監督・脚本 エスティバリス・ウレソラ・ソラグレン撮影 ジナ・フェレル・ガルシア美術 イザスクン・ウルキホ衣装 ネレア・トリホス編集 ラウル・バレラスキャストソフィア・オテロ(アイトール・通称ココ8歳)パトリシア・ロペス・アルナイス(アナ母)アネ・ガバラン(ルルデス ミツバチを飼う大叔母)イツィアル・ラスカノ(リタ祖母)マルチェロ・ルビオ(ゴルカ父)サラ・コサル(レイレ)ウナス・シャイデン(エネコ兄)アンデレ・ガラビ・エタ(ネレア姉)ミゲル・ガルセス(ジョン)2023年・128分・G・スペイン原題「20.000 especies de abejas」2024・01・15・no004・シネリーブル神戸no215・SCCno16
2024.01.18
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アキ・カウリスマキ「枯れ葉」元町映画館 2024年はこの映画で始めようと考えていた作品をようやく見ました。アキ・カウリスマキというフィンランドの監督の新作「枯れ葉」です。 元町映画館が新年口開けで、1月1日から上映してた作品ですが、どういうわけなのか連日満席が続いていて、三が日明けにチャレンジしたのですが満員御礼で、結局、今日になりました。もっとも、今日も日曜日で、普段なら躊躇するのですが、ちょっと早めにやって来た甲斐あって、無事座席確保して見終えましたが、やっぱり、ほぼ、満席でした。 60席という小さな映画館ではありますが、満席で見るのは「主戦場」か「ニューヨーク公共図書館」以来で、ちょっと落ち着きません。その上、お隣に座られた方が「オツカレ生です」かなんかを飲みながら「プハァー」状態でいらっしゃたので、「あのー、この映画、それやってると、寝ちゃいますよきっと。」 とか何とか、オロオロ気を揉んでいると(なんでやねん!)始まりました。予想通り、何にも起きませんでした。 偶然知り合った男と女の、まあ、さほど若くはない二人の登場人物がそれぞれ同僚とでかけたカラオケの飲み屋さんで出逢って、映画館でジャームッシュだかの映画を見たり、チラシの写真のように一緒に食事をしたり、でも、チラシの写真とは微妙に違っていて、まあ、そこが、この映画を見たあと、これってどういうことかな???? と個人的には気になったりして、で、映画では、チラシのシーンの後、「アル中はキライ!」 とかなとかいう喧嘩別れがあって、すれ違いがあって、それぞれ、そういうことでそうなるのか・・・ というふうに仕事をクビになって、それぞれ、建設現場の作業員として働いて、女の人の働き方がいいなあとか思って見ていて、「ああ、この人ムーミンの人やん!」 とか思いだしたりして、ふと、寝息が聞こえてきたりして、スクリーンでは再びクビになった男がアル中を何とかしようとチョットけなげになったり、女は捨て犬を飼い始めて、これがまたなんともよかったりして、「ああ、これは再会するな!」 と思っていると、再会した映画でした。 最後に「枯れ葉」という、まあ、ボクでも知っている歌が流れて終わるのですが、なんで「枯れ葉」なのかとか考えて座り込んでいて、満席だったお客さんたちがそそくさと退場されていくのを見ながら、なんだか急に可笑しくなって、ひとりで拍手!してしまいそうでした(笑)。 「トーべ」という映画では、少女の様だったアルマ・ポウスティという女優さんの、何にも喋らない暮らしというか生活の中で浮かぶ笑顔がとてもよくて、一瞬、数年前に亡くなった八千草薫さんの口元が思い出されたりして、拍手!でしたね。 それにしても、チラシの写真のお二人はどなたなのでしょうね。女性は若すぎるし、男性はおさまりすぎていると気にするのはボクだけなのでしょうか(笑)監督・脚本 アキ・カウリスマキ撮影 ティモ・サルミネン美術 ビレ・グロンルース衣装 ティーナ・カウカネン編集 サム・ヘイッキラ音楽 マウステテュトットキャストアルマ・ポウスティ(アンサ)ユッシ・バタネン(ホラッパ)ヤンネ・フーティアイネン(フータリ)ヌップ・コイブ(リーサ)アンナ・カルヤライネンカイサ・カルヤライネン2023年・81分・G・フィンランド・ドイツ合作原題「Kuolleet lehdet」2024・01・14・no003・元町映画館no221
2024.01.17
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100days 100bookcovers Challenge備忘録 (21日目~30日目) コロナ騒動の最中2020年の6月から7月、no21からno30の進行です。このあたりは順調です(笑) 書名か、本の写真をクリックしていただくと投稿原稿にたどり着きます。no21(2020・06・20 T・S)五味太郎「ときどきの少年」(新潮文庫)no22(2020・06・22 N・Y) 本橋英正『注文の多い料理店』(源流社)no23(2020・06・24 K・S) 町田康『猫にかまけて』(講談社)no24(2020・06・27 T・KOBAYASI)藤原伊織『ダックスフントのワープ』(集英社/文春文庫)no25(2020・06・29 E・D)シリン・パタノタイ『ドラゴン・パール』(田村志津枝訳 講談社)no26(2020・06・30 T・S)彭見明(ポン・ジェンミン)「山の郵便配達」(集英社文庫)no27(2020・07・02 N・Y)『愛の手紙~文学者の様々な愛のかたち~』日本近代文学館編 (青土社)no28(2020・07・05 K・S)ジャック・フィニイ『ゲイルズバーグの春を愛す』(福島正実訳 ハヤカワ文庫)no29(2020・07・09 T・K)水野和夫・大澤真幸『資本主義という謎 』(NHK出版新書)no30(2020・07・14 E・D)松尾匡『ケインズの逆襲、ハイエクの慧眼』(PHP新書)ニコラス・フィリップソン『アダム・スミスとその時代』(訳永井大輔 白水社 )戸部良一他『失敗の本質―日本軍の組織論的研究』(中公文庫)山本七平『「空気」の研究』(文春文庫) はい、no30は複数の本が出てきましたので、それぞれクリックしてみてくださいね。 また、100days 100bookcovers Challenge備忘録 (1日目~10日目) (11日目~20日目)はこちらからどうぞ。追記2024・05・11 投稿記事を 100days 100bookcovers Challenge備忘録 (1日目~10日目) (11日目~20日目) (21日目~30日目) (31日目~40日目) (41日目~50日目)(51日目~60日目)(61日目~70日目)(71日目~80日目)(81日目~90日目)というかたちまとめています。日付にリンク先を貼りましたのでクリックしていただくと備忘録が開きます。
2024.01.16
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マ・デユン「スイッチ」元町映画館 2024年、初映画館! は元町映画館でした。見たのはマ・デユン監督の「スイッチ」という韓国のコメディ映画でした。1月4日に初映画のはずが、思わぬ満員御礼に遭遇して出鼻をくじかれた2024年でしたが、年が明けてから、ほぼ、2週間、待った甲斐がありましたね(笑)。 2023年の秋に結婚式を挙げて、披露宴に呼んでくれた若いお友達がいるのですが、そのS君が「二人で見ました。楽しい映画でしたよ!」 とコメントをくれたので、見ないわけにはいきませんね。ボクは一人で見たのですが、二人で見た新婚カップルが素直に羨ましくなる映画でした(笑)。 仕事に疲れて、少々ささくれ立っている人気スターパク・ガンくん(クォン・サンウ)が、あるクリスマスの夜、「あの時、ああしなかったら、ああしていれば」 という世界を、次の年のクリスマスまで生きる、まあ、実は、翌日までの夢だったというお話で、筋立ても、展開も、どこかで見たことがありそうなお話なのですが、これが楽しいのですね。 多分、ポイントは、夢の世界でオロオロする主人公の意識だけは、昨日までの人気スターの現実にいるということでしょうね。「オレは、ホントウは、・・・なのに!」 から「ホントウのオレは・・・なのだ!」 へのジャンプが、なかなか素直で、子役たちもいいし、奥さん役のイ・ミンジョンという女優さんの、超美人さんなのですが、生活感あふれた可愛らしさがサイコー! でしたね(笑)。 イヤー、今年は春から、アン・ラッキー💦なんじゃないかと、少々へこんでいたのですが、ラッキーでしたね! まあ、惜しむらくは、実は、この映画、お正月映画というよりはクリスマス映画だったことですね(笑)。 なにはともあれ、出ていたみなさんと監督さんに拍手!でしたよ。 イヤー、今年は韓国映画を見なさいよ! ということかもしれませんね(笑)監督・脚本 マ・デユン撮影 キム・イルヨン音楽 チョ・ソンウ編集 チョン・ジウンキャストクォン・サンウ(パク・ガン イケメン人気スター)オ・ジョンセ(チョ・ユン ほくろのマネージャー)イ・ミンジョン(スヒョン いびきをかく妻)パク・ソイ(ロヒ 女の子)キム・ジュン(ロハ 男の子)2023年・112分・G・韓国 原題「Switch」2024・01・12・no002・元町映画館no220
2024.01.15
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オタール・イオセリアーニ「ある映画作家の手紙。白黒映画のための七つの断片」シネ・リーブル神戸 オタール・イオセリアーニ特集の5本目です。見たのは「ある映画作家の手紙。白黒映画のための七つの断片」という20分ちょっとのモノクロの短編でしたが、短いショットのコラージュという作品でした。 イオセリアーニという人は1934年生まれで、今では89歳の高齢ですが、うれしいことにご健在のようです。旧ソビエトのジョージア(グルジア)で映画を作っていたらしいですが、制作作品が国内での公開が禁じられる中、1979年、フランスのパリに移住して、それ以来フランスで作り続けている人のようです。 今回の「オタール・イオセリアーニ映画祭」という特集では、彼のジョージア時代からパリの現在まで、21本の作品を上映していたのですが、ボクは気づくのが遅れて、1980年代以降、つまり、フランス移住後の作品しか見ることができませんでした。 で、映画ですが、ホームレス、犬、女、ベンチ、まあ、パリの人自身は見過ごすような、そういう点景が、ジョージアという、多分、ヨーロッパの片田舎からやってきたお上りさんの目にはこれがパリ!? なのだろうなというふうにコラージュされていますが、脈絡とか解釈とかではなくて、ただ、ただ、面白がってカメラを回している様子で、同伴鑑賞したチッチキ夫人が「おもしろがってるようやから、一緒に来たけど、この人、みんな、こんなん?!」と絶叫し、「あわわ、いや、まあ、もうちょっと筋もあるけど・・・(笑)」 と言い訳するしかない作品でした(笑)。でも、まあ、イオセリアーニという監督がそこにいるというか、ここにいるというか、こういう人というか、まあ、実際に映像にも登場していたわけですが、そういう映画でしたね(笑)。監督 オタール・イオセリアーニ脚本・編集・出演 オタール・イオセリアーニ撮影 リオネル・クザン1982年・21分・フランス・原題「Lettre d’un Cineaste. Sept Pieces pour Cinema Noir et Blanc」2023・03・12-no038・シネ・リーブル神戸no214 !
2024.01.14
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鶴見俊輔「思想をつむぐ人たち」(河出文庫・鶴見俊輔コレクション1) 2024年の始まりに鶴見俊輔「身ぶりとしての抵抗」(河出文庫・鶴見俊輔コレクション2)の読書案内を始めました。 で、それならコレクションの1からちゃうの?! という気分が湧いてしまって、鶴見俊輔コレクション1「思想をつむぐ人たち」(河出文庫)をいじり始めてしまいました。そういうわけで、とりあえず、目次です。目次Ⅰ 自分の足で立って歩く「イシが伝えてくれたこと」(1996年「頓智」)「イシャウッド―小さな政治に光をあてたひと」(1991年「鶴見俊輔集 第2巻」)「鯨の腹の中のオーウェル」(1995年「オーウェル評論集3」「金子文子ー無籍者として生きる」(1972年「ひとが生まれる 五人の日本人の肖像」)「ラナルドの漂流」(1963年「ディズニーの国」)「ハヴェロック・エリスー生の舞踏」(1949年「思想の科学」)「モラエスー徳島に没したポルトガル人の随筆家」(1969年「モラエス全集4」「亡命について」(1979年「抵抗と持続」)Ⅱ 方法としての伝記「戦後の新たな思想家たち 森崎和江 河合隼雄 澤地久枝 谷川俊太郎 原笙子 天野祐吉 井上ひさし 和田春樹 藤原新也 椎名誠 南伸坊 加藤展洋 津村喬 糸井重里 坂本龍一」(1985年「思想の科学」)「戸坂潤―獄死した哲学者」(1962年「戸坂潤全集1」)「花田清輝の戦後」(1971年「思想の科学」)「加藤芳郎―無意味にめざめよ」(1969年「現代漫画」)「動揺するガンジー」(1970年「思想の科学」)「新島襄―大洋上の思索」(1965年「同志社の思想家たち」)「難破と周航」(1971年「図書」)「伝記について」(1976年「朝日新聞」)「白夜のラップランド―スウェーデン」(1983年「TBS調査情報」)Ⅲ 家のなかの夢「伸六と父」(1970年「家」)「義円の母」(1970年「柏木義円全集1」)「親子相撲」(1989年「京都新聞」)「二木靖武『戦塵』を読んで」(1982年「文藝春秋」)「さまざまな対―例解結婚学入門」(1988年「思想の科学」)「家の内と外ーミヤコ蝶々と南都雄二」(1978年「月刊百科」)Ⅳ 名残のおもかげ「ヤングさんのこと」(1977年「共同研究・占領」)「大臣の民主主義と由比忠之進」(1967年「朝日ジャーナル」)「山鹿泰治のこと」(1977年「思想の科学」)「武谷三男ー完全無欠の国体観にひとり対する」(2000年「潮」)「秋山清ー自分の経験をくりかえし吟味する」(2000年「潮」)「加太こうじー黄金バットの生きている江戸」(2001年「潮」)「葦津珍彦―日本民族を深く愛した人」(2001年「潮」)「柴田道子―記憶に焼きつけられた大人の裏切り」(2001年「潮」)「本多秋五―自分の死後の世界から自分を見る」(2001年「潮」)「ゲーリー・スナイダー ―人間の原型に帰ろうとした詩人」(2002年「潮」)「能登恵美子さん」(2012年「射こまれた矢」)「四十年たって耳にとどく」(1978年「図書」)解題 黒川創ひとりの読者として 坪内祐三 というわけで、とりあえず目次です。その昔、「構造と力」(勁草書房)の浅田彰さんが「目次を読めば内容は、ほぼ、わかる」とか何とか、どこかでおっしゃっていたことがありましたが、 いかがでしょうか(笑)。 個々の内容の「案内」はおって追加したいと思います。
2024.01.14
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100days 100bookcovers Challenge備忘録 (11日目~20日目) no11から新しい仲間が加わりました。DFGUTIさん・YAMAMOTOさんのお二人です。総勢5人です。5人で100冊ですから、一人20冊です。半年もあればゴールするだろうと思っていましたが、コロナ騒動の行くへと同じで、ままなりませんでしたね(笑)。 書名か表紙の写真をクリックしていただくとリンク先に飛ぶことができます。no11 (2020・06・26 E・DEGUTI)日高敏隆「チョウはなぜ飛ぶか」(朝日出版社)no12 (2020・05・28 T・S)宮崎駿「風の谷のナウシカ(全7巻)」(アニメージュコミックス)no13(2020・05・30 K・S)田中美穂『わたしの小さな古本屋』(ちくま文庫) no14 (2020・06・01 T・K) 堀江敏幸『雪沼とその周辺』(新潮社)no15(2020・06・04 E・D)須賀敦子『ミラノ霧の風景』全集第一巻 河出書房新社no16(2020・06・05 T・S)ルイージ・マレルバ 「スーパーでかぶた」(松籟社)no17(2020・06・08 N・YAMAMOTO) 新田次郎「孤愁 SAUDADEサウダーデ」(文藝春秋)no18 (2020・06・12 K・S)小泉八雲『怪談』(平川祐弘:訳/河出書房新社)no19(2020・06・16 T・K) 藤原新也『風のフリュート』+『ディングルの入江』(集英社)no20(2020・06・18 E・D)ロバート・ウェストール『海辺の王国』坂崎麻子訳 徳間書店 100days 100bookcovers Challenge備忘録 (1日目~10日目)はこちらをクリックしてください。追記2024・05・11 投稿記事を 100days 100bookcovers Challenge備忘録 (1日目~10日目) (11日目~20日目) (21日目~30日目) (31日目~40日目) (41日目~50日目)(51日目~60日目)(61日目~70日目)(71日目~80日目)(81日目~90日目)というかたちまとめています。日付にリンク先を貼りましたのでクリックしていただくと備忘録が開きます。
2024.01.13
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「お墓参りでした。」 徘徊日記 2024年1月8日(日) 西脇・山手町あたり 今日は2024年の1月8日(日)です。ばーちゃんの命日に合わせるように松山からさかなクン夫婦が神戸に帰ってきて、西脇のお墓まで、お墓まいりにでかけました。 観音寺というお寺の境内にある墓地から見えた西脇の街並みです。小雪がちらつく寒い日でした。 観音寺の大屋根と大木です。静かなものです。 お寺からの帰り道、自宅の近くにあった南天です。たわわになっている赤い実が落ち始めていました。小鳥がいるわけでもありません。 童子山の麓にある観音堂です。 観音さんの大イチョウです。 今となっては、20年ほど前になりますが、さかなクンやトラキチクンがこどものころ遊んだ路地に面したお屋敷の土塀の落書きです。 犯人捜しをされると、すぐに足がつきそうな落書きが、ずーっと残っています(笑)。 西脇からの帰りには明石の魚の棚にまわって、明石焼きを食べました。普段の魚の棚では考えられませんが、お正月の賑わいも一息ついて、まあ、時間も夕暮れ時ということで、若い夫婦と年寄り夫婦の四人連れでものんびり座って食べることができました。 テーブルに四人前の明石焼きが並ぶと、壮観でした(笑) おばーちゃんがあつらえてくれた楽しい一日でした。 明石から自宅までの、地元の道で道案内役のシマクマ君が間違えて家族から失笑を買いましたが、まあ、これからはそういうことが増えそうな失敗でした。これで、我が家のお正月行事も終了です。ボタン押してね!
2024.01.13
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「須磨一の谷の丘の上で一服!」 徘徊日記 2024年1月11日(木)須磨あたり 今日は木曜日、サンデー毎日の暮らしの日々ですが、木曜日だけは唯一の労働日です。お天気がいい日には原付で出かけてきます。お昼過ぎに須磨一の谷の丘の上にやってきて、おにぎりとかサンドイッチを食べながら、海をながめます。 須磨の海が垂水、舞子の沖合から淡路島まで一望できます。 北一谷公園という公園で、周りには集合住宅が建っています。もちろん誰もいません。振り向けば、葉っぱがみんな落ちた、さあ何の木でしょう、を背景に一の谷の山です。山は緑です。 海を遠くに眺められる階段の一番上に座って、今日は、途中に通りかかる塩屋の駅前のアキラッチというピザ屋さんのテイクアウトのピザでした。「おいしい!」 飲み物は自宅から持参したペットボトルの番茶です。お天気は青空で、海が遠くまで光っています。 俳句の一つもひねられればいいのですが、まあ、そういう芸当とは無縁です。しかし、気分は極楽ですね(笑)。 階段の隣には、すっかり枯れて、きっと、種をまき散らしているアメリカ・ブタクサです。セイタカアワダチソウともいうのですかね。やたら蔓延って、嫌われ者ですが、なんか、こうやってみると愛嬌がありますね。 おしまいに、一服して、お茶を飲んで、さて、今年度最後のお仕事に出発です。ここから高倉台までは、ほんの一息です。ボタン押してね!
2024.01.12
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鈴ノ木ユウ「竜馬がゆく(6)」(文藝春秋社) 2024年、1月、トラキチクンのマンガ便は絶好調! 鈴ノ木ユウ君の「竜馬がゆく」(文藝春秋社)第6巻です。2023年11月30日新刊です。 開巻早々、まあ、前号からの続きですが、土佐藩主、山之内容堂公主催の剣術大会で、長州の俊才桂小五郎を頭突きに次ぐ、突き一本見事に決めて倒すというかっこいいシーンがこの場面です。「郷士の子には惜しい腕でござりまする。」「うむ 上士ならばさっそく予のそばで話の相手にでもさせるのだがの。だが、郷士の子は郷士・・・一生虫けら以下じゃ」 試合を見物していた容堂と、そのおつきの者の会話です。「予のそば」は「余のそば」が正しいのじゃないかとか、「話の相手にでもさせる」という言い回しが、ちょっと変な気がするとか、まあ、小さなことですね(笑) 郷士というのは、土佐藩の場合、関ケ原の合戦まで治めていた長曾我部家の旧臣ですね。関ヶ原の結果、土佐の国主は、それまで掛川藩主だった山内一豊の山内家になりますが、長曾我部に仕えていた武士たちが半農半兵の郷士として残りました。農民武士ですね。上士、下士と身分を区切る場合は下士のことで、くっきりと身分が分けられていたようです。 というわけで、藩主山之内容堂に「郷士の子は郷士、虫けら以下」 といわれた土佐郷士、才谷屋の坂本龍馬が、二度目の江戸剣術修行を終えて帰国するわけですが、時は安政5年、1858年ですね。幕府大老井伊直弼が勅許なしで日米修好通商条約を結んだのが、この年の6月ですね。安政の大獄の始まりです。まあ、いいかえれば尊王攘夷の始まりでもあるわけで、いよいよ、波乱万丈の幕末の始まりです。 もっとも、龍馬が歴史の表舞台に登場するには、もう少しかかるはずです。 で、江戸遊学を終えた竜馬は土佐に帰国です。千葉道場のお嬢さんであるさな子さんとの関係は史実のようですが、北辰一刀流、無双の使い手というのは、チョット眉唾ですね。 なかなか捨てがたいキャラで、竜馬の子分を自称する寝待の藤兵衛という登場人物は、多分、司馬遼太郎の造りだした人物でしょうね。 司馬遼太郎は、調べつくした歴史に沿って「時代小説」を書いたわけで、史実を書いたわけではありませんね。「竜馬がゆく」は小説であって、歴史研究ではありません。だから、鈴ノ木くんの空中で激突する剣術試合も面白いわけですね(笑) どうも、ジジ臭いことをいって申し訳ありませんね。中岡慎太郎、岡田以蔵、桂小五郎、武市半平太、井伊直弼、山内容堂、いよいよ、役者も出てき始めましたね。ここから、もっと面白くなりますよ(笑)
2024.01.11
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100days100bookcovers no94 94日目 大江健三郎「晩年様式集イン・レイト・スタイル」(講談社文庫) DEGUTIさんの93日目は関川夏央・谷口ジロー「坊ちゃんの時代-凛冽たり近代 なお生彩あり明治人」(双葉社・全5冊)でした。 明治を舞台に描いた昭和の作家といえば、やはり司馬遼太郎ということになりますが、実在の人物を調べつくしたうえで、例えば「竜馬がゆく」(文春文庫)のように、自分好みのヒーローとして描き、壮大で、ひょっとしたらインチキな(?)司馬史観のメンバーとしてライン・アップした面白さが持ち味ということでしょうか。 司馬遼太郎の史実に対して、仮定法で挑んで唖然とさせてくれたのが山田風太郎ですね。まあ、ぼくの勝手な見立てですが、もしも少年塩原金之助が樋口夏という少女と会っていたらというような、夢のような舞台をしつらえたのが山田風太郎の奇想の天才性で、「幻燈辻馬車」(ちくま文庫)以来の開化ものには、そういう場面があふれていて面白いわけですね。 だというのが、このマンガとの、それぞれ、共通しているところといえるのではないでしょうか。 つまり、この「坊ちゃんの時代」では、関川夏生が、司馬遼太郎的史実性を調べ尽くしたうえで、あるかもしれない場面を仮想し、そこに登場する人物たちに、谷口ジローが、いかにもリアルな表情を与えることで、ウソの壁を悠々と乗り越えて、山田風太郎的な奇想の世界をさもあった世界としてマンガ化した傑作といっていいのではないかと思うのですが、問題はバトンですね。(笑) つけ筋は「ウソとマコト」、あるいは「文豪」ということで、何とかご容赦いただきたいのですが、紹介するのは大江健三郎「晩年様式集イン・レイト・スタイル」(講談社文庫)です。 まあ、94日目です。あと2回、「今回はちょっと大物を!」と思っていたら、なんと、亡くなってしまうという事件(?)もあって、4月7日にバトンを受け取った時から決めていたようなものです。 実は、昨年の秋、偶然、手に取った「大江健三郎自選短篇」(岩波文庫)で「奇妙な仕事」から「飼育」という始まりの作品を読んだことで、ぼくにとっては40数年ぶりの大江ブームに火がついていまして、「雨の木を聴く女たち」(新潮文庫)、「新しい人よ眼ざめよ」(講談社文庫)、「河馬に嚙まれる」(講談社文庫)と、ヤメラレナイ、トマラナイ状態で、「静かな生活」(講談社)を読んでいる最中に彼の死が報じられるという事件がありました。 で、これまた、偶然ですが、4月のはじめに、4年ぶりの帰省の機会がありました。実家の本棚には、その昔、読み捨てるようにして送っていた「懐かしい年への手紙」(講談社)以降の大作単行本群が並んでいました。まあ、それが用事での帰省なのですが、片付けを促されている棚を眺めながら「死んじゃったんだから読みなおそうか。」 という気分になってしまったんですね。仕方がないので担いで電車に乗って帰って来て、「懐かしい年への手紙」(講談社)を読み始めたところにDEGUTIさんからのバトンでした。 で、100days100bookcoversでの紹介はどれにしようか迷ったのですが、「晩年様式集イン・レイト・スタイル」(講談社文庫)です。結果的に昭和、平成の文豪(この言い方あんまり似合わないけど)大江健三郎の最後の作品になった小説です。 もし、もう一度読んでみようかとお考えの方がいらっしゃるなら、今度はお終いから始めてみませんかというような気分の紹介です。初めての方には、少し難渋かもしれませんが、後期の大江得意の自作引用が山盛りなので、過去の作品についての興味を促す、呼び水的な働きも期待できるかなとも思いました。 題名が「オリエンタリズム」(平凡ライヴラリー)で有名なエドワード・サイードの遺作「On Late Style晩年のスタイル」(岩波書店)に由来していることは、大江自身が本書の中で繰り返し語っています。大江独特のディレッタンティズムが題名からも匂ってきて、めんどくさいのですが、内容は、案外、素直でした。 2013年の発表当時、78歳であった作家自身も自らの遺作としてこの作品を考えていたのだろうか、というのが読み始めたボクの疑問でしたが、実際に遺作となった「最後の仕事」なのですが新しい工夫(まあ、いつものことながら、これは少しめんどくさいのですが)に満ちた傑作だとボクは思いました。目次前口上として 9余震の続くなかで 12三人の女たちによる別の話(一) 22空の怪物が降りて来る 34三人の女たちによる別の話(二) 47アサが動き始める 57三人の女たちによる別の話(三) 88サンチョ・パンサの灰毛驢馬 97三人の女たちによる別の話(四) 114カタストロフィー委員会 121死んだ者らの影が色濃くなる 151「三人の女たち」がもう時はないと言い始める 174溺死者を出したプレイ・チキン 190魂たちの集まりに自殺者は加われるか? 219五十年ぶりの「森のフシギ」の音楽 258私は生き直すことができない。しかし私らは生き直すことができる。310 どう紹介していいのかわからないので、とりあえず目次を載せてみました。それぞれの章の題名の後ろの数字はページ数ですが、たとえば第2章から繰り返し出ている「三人の女たち」というのは、ここまで大江の作品に繰り返し登場した「アサ」、「千樫」、「真木」で、アサは妹、千樫は妻、真木は娘です。この作品の特徴の一つは、その三人が、それぞれ、自らの言葉と文体で、自分たちが登場させられてきた作家の作品のウソを暴くという構成です。 二つ目の特徴は、一つ目の方法をとる限り当然の成り行きなのですが、作家の旧作が次々と引用され、参照されることです。その結果、たとえば、ギー兄さんと名付けられて彼の過去の作品では重要な役柄を担った人物の謎解きとか、「空の怪物アグイー」(新潮文庫)で登場した「アグイー」という怪物と、本書では「アカリ」と名付けられている長男との関係のリアルな描写とか、大江健三郎の小説世界の謎解きのようなエピソードが新しい語り手によって語られ、新たな物語が進行します。 後期の代表作が執筆された1990年当時の流行言葉に「脱構築」という哲学用語がありますが、この作品では作家大江健三郎が自ら作り出したウソの物語世界を「脱構築」しているかに見えるスリリングな展開なのですが、「個人的な体験」(新潮文庫)あたりから大江をとらえ続けてきたのは「死」への不安、あるいは「生」への懐疑という主題ではないかと、まあ、ボクは勝手に疑ってきたわけですが、それを「生き直し」の可能性という超積極的な主題へと一気に宙返りさせる結末へ、いかにつなげていくのかという真摯なあがきこそが、この作品のすごさといっていいと思います。 「この項つづく」とうそぶきながら、書き続けてきて後期高齢者の年齢に踏みこんだ作家の「最後の仕事」のテーマが「生き直し」だという驚きもさることながら、「私」ではなくて「私たち」という主語で語って見せる、まさに、戦後民主主義者の祈り を輝かせようとする、時代にあらがう力技に驚きをこえた何かに胸打たれるの、ボクの年齢のせいなのでしょうか。 とか、なんとか、なんだかわけのわからないことを書き連ねています、まあ、とりあえず印象に残ったところを抜き出してみますね。 パパはずっと以前、私に翻訳とペーパーバックの原書を合わせて「トムは真夜中の庭で」をくれた時、「もう時間がない」“Time no longer” という言葉を覚えておくようにと、いった。それから幾年もたって、この前行ったのと同じ意味でエリオットの一句も大切なんだ、やはり二つの組み合わせで覚えるといい、といった。「時間です どうぞお早くねがいます」“Hurry up please it`s time”と書いたカードを渡して…(P179) 「三人の女たちがもう時はないと言い始める」という章にある真木のセリフです。小説上では父親の圧制をやり返す罵声を発する 娘の発言の、かなり長いエピソードの一節として書かれているのですが、ボクの引用の理由は、ここに出てくるのが、このブックカバーチャレンジの81日目、SODEOKAさんによって紹介されたあの本だということです。どうです、ちょっと気になりませんか? 続けてもう一つ引用です。「いつも長江さんはチガウ言葉でいいます。私のいうことは、全然聞きません。そして私のいったのとチガウ言葉でいいます。それが、全然ダメです。真木ちゃんも、ママもそういっております。」 この小説ではアカリと名付けられている長男の言葉です。「個人的な体験」以来、大江作品の主題を担う人物として、登場し続けてきた長男はこの時50歳です。その長男が「長江さん」と呼びかけています。うまく言えませんが、決定的な発言が書き込まれている印象です。 というわけで、平成のノーベル文学賞作家の「最後の仕事」は、どんな結末を迎えるのか、ちょっと気になりませんか? 本書の最終章には、「詩」を断念したはずの作家の、100行を超える詩が記されています。第1連の冒頭と最終の2連を引用します。生まれてくること自体の暴力を乗り超えた、小さなものはまだ見えない目を 固くつむっている。初孫に 自分の似姿を見て近づける 顔の気配に、小さなものは泣き始める・・・・(中略)否定性の確立とは、なまなかな希望に対してはもとより、いかなる絶望にも同調せぬことだ・・・・ここにいる一歳の、無垢なるものは、すべてにおいて 新しく盛んに手探りしている私の中で母親の言葉が、はじめて 謎でなくなる。小さなものらに 老人は答えたい、私は生き直すことができない。しかし私たちは生き直すことができる。 これが、大江自身が小説の結末として残していった、彼の全作品の最後の言葉 です。できれば、それぞれの方が、それぞれ、手に取って確かめていただければいいなと思います。 それではYAMAMOTOさん、95日目よろしくね。SIMAKUMA・2023・04・23追記2024・04・05 100days100bookcoversChallengeの投稿記事を 100days 100bookcovers Challenge備忘録 (1日目~10日目) (11日目~20日目) (21日目~30日目) (31日目~40日目) (41日目~50日目) (51日目~60日目)) (61日目~70日目) (71日目~80日目)という形でまとめ始めました。日付にリンク先を貼りましたのでクリックしていただくと備忘録が開きます。 追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.01.10
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鶴見俊輔「身ぶり手ぶりから始めよう(その2)」(「身ぶりとしての抵抗」(河出文庫・鶴見俊輔コレクション2) 「身ぶりとしての抵抗」(河出文庫・鶴見俊輔コレクション2)という本の案内をしようと、2024年のお正月に思い立って、とりあえず、その1で目次とかを紹介したのですが、で、どうしようです。 芸がないのですが、ボクなりに読みながら、これは、今、読んで身に染みるなあ! という文章を引用・紹介しようという段取りに、とりあえず、落ち着きました。文章が長くて、とても手に負えないものは、部分的になりますが、ああ、そうだよな、と感じた一節の引用です。 で、今回は2011年の3月31日に「朝日新聞」に掲載された記事「身ぶり手ぶりから始めよう」です。 2011年の3月に何があったか。10年以上も昔の話ですから、さあ、なんだったっけ、という反応もあるかもしれませんが、2024年の1月1日、震度7を超える地震が、北陸、能登地方を襲ったことは、さすがに、まだお忘れではないでしょう。身ぶり手ぶりから始めよう あれとって。それではない、あれ。というような家の中のやりとりが、地震以来、力を取り戻した。身ぶりはさらに重要だ。被災地ではそれらが主なお互いのやりとりになる。この歴史的意味は大きい。なぜならそれは一五〇年以前の表現の姿であるからだ。身ぶり手ぶりで伝わる遺産の上に私たち未来をさがす他はない。※ かつて政府は内乱をふせぐという目的を掲げて、軍国主義に押し切られ、大東亜戦争敗北まできた。当初の目的は実現したが、この統一は、支払った費用に見合う効果だったか? 欧米本位の学問をキリスト教抜きで受け継いだ。岩倉使節団以来の日本の大学内の思想では、フランスとイギリスのやりかたが正統だと考えがちだが、フランスで王の首を切り、イギリスでもおなじことをし、両国ともにその反動の揺り戻しで長いあいだ苦しみ、それぞれに民主主義の習慣を定着させた。※ 日本では、西郷隆盛の内乱の後、明治天皇は西郷に対する少年のころからの自分の敬意を捨てることなく、観菊の宴で、西郷をそしらずに歌を詠めと、注文をつけた。少年のころの記憶を捨てることのない明治天皇の態度は、明治末までは貫かれた。明治末に至って、つくりあげた落とし穴だった大逆事件が正されることなく新しい弾圧の時代をつくり、昭和に入って、軍国主義に押し切られて敗北に至った。 そうした成り行きを分析しないまま、米国従属の六十五年を越える統一は続いていて、地震・原子炉損傷の災害に見舞われた。※長い戦後、自民党政権に負ぶさってきたことに触れずに、菅、仙谷の揚げ足取りに集中した評論家と新聞記者による日本の近過去忘却。これと対置して私があげたいのは、ハナ肇を指導者とするクレージー・キャッツだ。休止した谷啓をふくめて、米国ゆずりのジャズの受け答えに、日本語もともとの擬音語を盛りこんだ。 特に植木等の「スーダラ節」は筋が通っている。アメリカ黒人のジャズの調子ではなく、日本の伝統の復活である。「あれ・それ」の日常語。身ぶりの取り入れ。その底にある法然、親鸞、一遍。 はじめに軍国主義に押し切られた大東亜戦争あった。その終わりに米国が軍事上の必要なく日本に落とした原爆二つ。これは、国家間の戦争が人類の終末を導く、もはやあまり長くない人間の未来を照らすものである。このことから出発しようと考える日本人はいたか。そのことに気がつく米国人はいたか。その二つの記憶が今回の惨害のすぐ前に置かれる。 軍事上の必要もなく二つの原爆を落とされた日本人の「敗北力」が、六十五年の空白を置いて問われている。※ 言語にさえならない身ぶりを通してお互いのあいだにあらわれる世界。それはかつて米国が滅ぼしたハワイ王朝の文化。太平洋に点在する島々が数千年来、国家をつくらないでお互いの必要を弁じる交易の世界である。文字文化・技術文化はこの伝統を、脱ぎ捨てるだけの文化として見ることを選ぶのか。もともと地震と津波にさらされている条件から離れることのない日本に原子炉は必要か。退行を許さない文明とは、果たしてなにか。(P60~P63)朝日新聞2011年3月31日夕刊 先日、2024年の1月4日のことです。神戸の地震の後で元町の高架下で古本屋を始めて、おそらく、高架下の再開発計画のせいでしょう、今は、元町商店街あたりで店を出していらっしゃる古本屋さんのご主人と、文庫本を買い求めるついでにおしゃべりしました。「初めて、店を出したのが震災の後だったので、新聞社の方がいろいろ取材してくださったのですが、あの人たちは、ご自分の、まあ、なんというか、あつらえてきた物語のストーリーに沿って、記事をお書きになるということがよくわかりましたね。私が店を始めたのは、バブルの破綻の影響で会社が倒産して、何かできることをという結果だったのですが、みんな、震災の結果のようにお書きになって、困りましたね。 もちろん、私も震災を体験したんですが、それとこれとは違いますよと今でも言いたいですね。 今回も、この寒空の下で避難所暮らしをしておられること思うと、たとえ1円でも、何か手助けをと思うのですが、ネットや新聞の記事というのは、今一、信用できませんね。」 同年輩のご主人の、とつとつとした語りに引き込まれて、お話を伺いながら、そういえば、あのあたりには、ボクらよりも年上の方たちが大勢暮らしていらっしゃるだろうし、生き埋めになったり倒壊したりの救助作業はもちろんだけれど、無事に家が残った方たちだって、家の中の後片付けの人手だって、ままならないにちがいなし、大きな話をすれば、あのあたりには片手を越える原子力発電所があるはずだし・・・・「それはどうなっているのか?」 何にも伝わってこないなあと思いながら、十何年か前のこの文章を読みました。テレビ画面やSNSの画像の中に映る、人々の「身ぶり」に目を凝らして見守りたいという心境になりました。笑えませんね。
2024.01.09
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チャン・リュル「柳川」元町映画館 チャン・リュルという監督は、漢字で書けば張律だそうです。「慶州」という韓国の町を題名にした映画を見て、韓国の監督だと思い込んでいましたが、中国の監督なのだそうです。 元町映画館が2023年の7月に「柳川」、「群山」、「福岡」という、この監督の地名シリーズ(?)を順番にやっているというので、やって来たのが「柳川」です。 北京だかで暮らすおっさんコンビ、チュンとドンという兄弟ですが、が、昔馴染みの女性アー・チュアンが日本の柳川にいるというのでやって来て、ぶらぶらして、帰っていく話でした。 映画を見ている70歳に手が届こうかという老人の眼には、まあ、まだ若いのですが、実は、話の始まりに弟のドンが不治の病だか、余命何カ月だか、と宣告されて兄チュンと会うところから始まりました。 で、どうするのかなあ? と思っていると、二人が「あの頃」あこがれていた女性が、正式にはリウ・チュアンという名前で、漢字で書けば柳川、で、日本に柳川という町があって、彼女は、今、そこにいるらしいということで、二人は旅に出て、もちろん行先は「柳川」です。 何だか、おい!? おい?! という感じですが、映画の場合は、それでいいのですね(笑)。 で、やってきた柳川ですが、民宿というか、町中にそういう宿があるのか、という感じの宿に逗留して、だから、まあ、件の女性とも再会したりして、ほかにも、あれこれ、ほとんど語るほどのことではないようなことがあって、でも、再会した彼女が歌うジョン・レノンだか、オノ・ヨーコだかの歌に聞き惚れて、彼女が街角で踊り出す姿に見惚れて、宿の少女の様子が心にひっかかって、それって、おそらく、「今日」を生きることに浸ってい、世界を凝視しているかのように感じられる弟の心境というよりも、一緒にここに来て、なんとなく気遣っている兄の心境なのでしょうね、シーン、シーンが静かに心にしみたのでした。 で、弟の死が伝えられて映画は終わりました。 何処が、どうよかったということはうまくいえませんが、映画の本筋とは、何の関係もないのでしょうが、中野良子さんが飲み屋のおかみさんで出ていらっしゃったことが記憶に残りました(笑)。 チャン・リュルという監督は、どうも、ただものではありませんね。大げさにそうするのは、ちょっと違う気もしますが、拍手!でした。監督 チャン・リュル脚本 チャン・リュル撮影 パク・ジョンフン美術 ホウ・ジエ編集 オ・セニョン スン・イーシー リウ・シンジュー音楽 シャオホーキャストニー・ニー(アーチュアン)チャン・ルーイー(ドン)シン・バイチン(チュン)池松壮亮(中山大樹)中野良子(居酒屋の女将)新音(中山の娘)2021年・112分・G・中国原題「漫⾧的告白 Yanagawa」2023・07・28・no98・元町映画館no191 !
2024.01.08
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鶴見俊輔「身ぶりとしての抵抗」(河出文庫・鶴見俊輔コレクション2)その1 2024年のお正月です。「読書案内」とかいって、ブログとかに投稿し始めて8年くらいたちました。案内したい本は山のようにあるのですが、いったい自分が、ダレに向かって、どんな気持ちを伝えたくて、そういうことをやっているのか。まあ、自己満足でいいじゃないか。オレはこんな本を読んだぞ、エライだろ!オレは生きているぞ! でいいじゃないか。そうは思うのですが、こうやって新しい年とかを迎えたりすると、やっぱり、なにやってんだよ、あんた?! という気持ちが湧いてきたりするのですね。 結局、何をやっているんだかわかりませんが、今年も続けようと思います。 で、今回の案内は昨秋からの、まあ、個人的懸案事項、鶴見俊輔「身ぶりとしての抵抗」(河出文庫・鶴見俊輔コレクション2)です。 若い人のために、少し紹介すると、鶴見俊輔というのは2015年に93歳でなくなった哲学者です。まあ、ここから、もう、ご存知ではないかもしれませんが、「思想の科学」を主宰し、「べ平連」を牽引した(まあ、こういうふうにいうと、彼は怒らはるかもしれませんが)行動の人ですが、その思想の在り方は2000年くらいに出た「鶴見俊輔集」(全12巻・補巻5巻・筑摩書房)、90年代の半ばにまとめられた「鶴見俊輔座談」(全10巻・晶文社 )、2007年の「鶴見俊輔書評集成」(全3巻・みすず書房)という、三つの集成によって、おおよそ知ることができます。 もっとも、これだけの著作、対談の山ですから、よほどのもの好きでなければ、ちょっと覗いてみようかというわけにはいきません。しかし、日本の近代、あるいは戦後思想の核心を考えた人だという意味で、読まずに忘れてしまうのは、あまりにも惜しいという人物でもあります。 まあ、出版社の人だってそう考えているようで、「鶴見俊輔伝」(新潮社)を描いた黒川創が編集した「鶴見俊輔コレクション全4巻」(河出文庫)と、気鋭の編集者、松田哲夫が編集した「鶴見俊輔全漫画論・全2巻」(ちくま学芸文庫)という文庫による、ダイジェスト、集成があって、まあ、こっちは、ちょっと手に取ってみようか?! が可能かもしれません。 というわけで、今回は「鶴見俊輔コレクション全4巻」(河出文庫)の中からコレクション2「身ぶりとしての抵抗」(河出文庫)の案内です。 ここまで、うだうだと書いて長くなったので、今回は、とりあえず目次の案内です。目次Ⅰ わたしのなかの根拠 (11~152)「殺されたくない」を根拠に(2003年「朝日新聞」)「遠い記憶としてではなく」(1981年「安保拒否百人委員会」)「方法としてのアナキズム」(1970年「展望」)「日本好戦詩集について」(1992年「思想の科学」)「君が代強制に反対するいくつかの立場」(1988年「また、いけん君が代」)「身ぶり手ぶりから始めよう」(2011年「朝日新聞」)「五十年、九十年、五千年」(1997年「むすびの家物語」)Ⅱ 日付を帯びた行動 (153~228) 「いくつもの太鼓のあいだにもっと見事な調和を」(1960年「世界」)「すわりこみまで―反戦の非暴力直接行動」(1966年「朝日ジャーナル」)「おくれた署名」(1967年「平和を呼ぶ声」)「二十四年目の八月十五日」(1968年「毎日新聞」)「坂西志保」(1977年「坂西志保さん」)「小林トミ」(2003年「声なき声のたより」)「高畠通敏」(2004年「朝日新聞」)「飯沼二郎」(2005年「琉球新報」)「小田実」(2007年「朝日新聞」)Ⅲ 脱走兵たちの横顔 (229~312)「脱走兵の肖像」(1969年「脱走兵の思想」)「ポールののこしたもの」(1971年「脱走兵ポールのこと」)「アメリカの軍事法廷に立って」(1970年「朝日ジャーナル」)「ちちははが頼りないとき」(1971年「朝日ジャーナル」)「岩国」(1971年「北米体験再考」)「憲法の約束と弱い個人の運動」(1994年「帰ってきた脱走兵」)「私を支えた夢」(2007年「評伝 高野長英」)「多田道太郎」(2007年「毎日新聞」)Ⅳ 隣人としてのコリアン (313~399)「詩人と民衆」(1972年「展望」)「朝鮮人の登場する小説」(1967年「文学理論の研究」)「金石範『鴉の死』」(1985年「講談社文庫『鴉の死』解説) 「金時鐘『猪飼野詩集』」(1979年「文学」)「金鶴泳『凍える口』」(2006年「図書」)「雑誌『朝鮮人』の終わりに」(1992年「思想の科学」)「金芝河」(2002年「潮」)Ⅴ 先を行くひとと歩む (400~468)「コンラッド再考」(1971年「展望」)「田中正造―農民の初心をつらぬいた抵抗」(1972年「人が生まれる」)「明石順三と灯台社」(1970年「朝日新聞」)解題 黒川創 (477~485)ひとりの読者として 川上弘美 (487~492) ネット上の書名検索ではわからない、初出一覧を書き込んでみました。内容についての案内は、おいおいということで、今後に期待(?)してくださいね。ということで、本日はこれで、バイバイ(笑)。
2024.01.07
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ジョン・ランディス「ブルース・ブラザース」こたつシネマ 2023年最後の映画は、いや、2024年最初の映画は、の方がいいかな。2023年の大みそか午後11時過ぎから、コタツには、久しぶりにそろったピーチ姫とチッチキ夫人、二人の女性が陣取っていて、なにやらにぎやかです。 「除夜の鐘なってる!」「どこ?」「多聞寺!」 こたつの上には、近所のコンビニで急遽仕入れてきたアイスとか、ポテトチップスとかカリントウとか、準備万端整っています。年越しはこの映画! 気合十分ですが、シマクマ君の座る場所はありません。まあ、ボクはテレビで映画は見ないし! 開き直っていたのですが、ちょうどオープニングに通りすがって、なんとなく一人だけ椅子に座り込んで、それでどうなるの? と引っ張られて、とうとう、最後まで見終えました。 1980年の古い映画でしたが、傑作でした(笑)。映画館で見ていたら、まちがいなく「今年のベストテン」でしたね(笑)。 見たのはジョン・ランディス監督の「ブルース・ブラザース」でした(笑)。 学生の頃の封切りで、何度か見ているのですが、そのたびに、始まると目が離せませんでした。ハチャメチャなのですが、なぜか、真面目に可笑しい。パトカーが大量に出て来たり、ショッピングモールを自動車が走り回ったり、何故かナチスの親分が出て来たり、とどのつまりは、あのスピルバーグまで出てきます。で、誰も死なない。 何が、どうおもしろいのか、説明はできませんが、一番おかしいのは、やっぱりサングラスをはずしたジェイク(ジョン・ベルーシ)だったかもですね。 いやはや、なんとも、平和な年越しでしたね。まあ、それにしても、これを越えるアホらしい映画には、なかなかお目にかかれそうもないですが、2024年も映画館をウロウロしたいと思います。皆さま、よいお年を!グッド・ラック! でした。監督 ジョン・ランディス脚本 ダン・エイクロイド ジョン・ランディス撮影 スティーブン・M・カッツ美術 ジョン・J・ロイド衣装 デボラ・ナドゥールマン編集 ジョージ・フォルシー・Jr.音楽 アイラ・ニューボーンキャストジョン・ベルーシ(ジェイク・ブルース)ダン・エイクロイド(エルウッド・ブルース)ジェームズ・ブラウン(クリオウファス・ジェームズ牧師)キャブ・キャロウェイ(カーティス)レイ・チャールズ(レイ楽器店の盲目の店主)キャリー・フィッシャー(謎の女)マット・マーフィ(マット “ギター” マーフィ)アレサ・フランクリン(マット・マーフィの妻)ヘンリー・ギブソン(イリノイ・ナチ司令官)ツイッギー(給油所でナンパされる女)スティーヴン・スピルバーグ(クック郡収税課職員)1980年・133分・アメリカ原題「The Blues Brothers」2024・01・01・no001・こたつシネマno17 !
2024.01.06
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「ええー??? 満員御礼!元町映画館!」 徘徊日記 2024年1月4日(水) 元町あたり 今日は、2024年の1月4日水曜日です。今年の映画館徘徊のスタートはこの映画です! フィンランドの名匠アキ・カウリスマキ5年ぶりのメガホン「枯れ葉」です。 まあ、そうなる予定でした。上映開始は午後1時30分で、到着したのは午後1時です。映画館の前には、まだかつて見たことのない人だかりでした。「なっ、なにが起こっているのだ!?」 やってきたのは、なじみにしていただいている元町映画館です。 まあ、三が日明けなので、混んでいるかもしれないとは思っていましたが、ありえない張り紙がありました。「この映画の座席は完売しました!」 意味不明の悪夢、絶体絶命の窮地です(笑)。いや、違います。全部で60席しかないとはいえ、最近、上映映画が渋すぎてなんとなく足が遠のいているとはいえ、贔屓の、神戸が誇るミニシアター、元町映画館 ! ついにやってきた、夢のような喜びの日というべきでしょう。 信じられないので、なじみのカウンター嬢に確認しました。すみません、もう、席はありません!💦💦 心なしか表情が引きつっていて、声が震えています(ウソです)。仕方がありません。予想外の展開ですが、退散です。 というわけで、今日は、こちらがメインです。映画館の近所の、まあ、これまた贔屓の古本屋さん「三香書店」です。ご主人と2024年のご挨拶をして、おもわず神戸の地震を振り返って、能登の人々の無事を祈って、今年最初に買い込んだ本がこちらです。 徘徊ならぬ俳諧の研究ですね。なんとなく、今日はそういう気分でした(笑)。 2024年、初徘徊は空振りで、まあ、季が少し違うのかな、まあ、冬だからいいのかな?ですが巻頭の句に惹かれました。世にふるもさらに時雨のやどりかな 宗祇 6月には古来稀なりの年です。イヤハヤ、前途多難ですね(笑)。ボタン押してね!
2024.01.05
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ジャック・ロジエ「フィフィ・マルタンガル」元町映画館 元町映画館が「みんなのジャック・ロジエ」という特集を組んでいました。ジャック・ロジェなんていう人は知りませんでした。最後のヌーベルバールとか呼ばれている方らしくて、なんとなく興味を持ちました。で、日程を間違えていて、結果的にはこの映画しか見ることができなかったのが残念でしたが、見たのは「フィフィ・マルタンガル」という、不思議な映画でした(笑)。 で、映画ですが、終始、ポカンと口を開けてみていた印象です。最後のヌーヴェルバーグなのだそうですが、超越してましたね。だいたい、そのあたりの人の作品には、ポカンと向き合うしか方法を知らないのですが、いや、はや、笑っていいのか、腹を立てていいのか、ようするにポカン! でした。 とどのつまりになって、題名になっているフィフィ(リディア・フェルド)が、映画の中で狂言回しのような役割をしていた女性のことだと、ようやく気付く始末なので、最初からついていけてないわけです(笑)。 舞台のお芝居が、裏から表から、みんな映像になっていて、最近、ナショナルシアターライブとかで見る舞台上のお芝居のシーンに加えて、舞台裏、個々の俳優や演出家、プロデューサーの私生活、みんな映し出されて、どれが本線なのかわかりません。ふーん、そういうものなのか!? まあ、そういう感じですが、とどのつまりのフラメンコの大爆発で気づいたわけです。ああ、この人が主人公だったのか!? ハチャメチャになった舞台の上で踊り出したのが、フィフィでした。まあ、あっけにとられるとはこのことですね。真面目そうな話を、あれこれ積み上げていって、で、どうなるので引っ張り続けて、これです。イヤーまいった、まいった(笑)でした。 2001年の作品らしいですが、ある時期のフランス映画とかに共通した、何というか、映画という表現に対する気楽さが満ちていると思いました。こういう、タイプの作品は好きなのですが、感想というか、どういっていいのかわからないので困りますね(笑)。 まあ、何はともあれ、フラメンコ(笑)で爆発したフィフィ(リディア・フェルド)に拍手!でした。監督 ジャック・ロジエ脚本 ジャック・ロジエ リディア・フェルド撮影 ジャン・クラブエ マチュー・ポアロ=デルペッシュ ラモン・スアレス編集 ジャック・ロジエ アンヌ=セシール・ベルノー音楽 ラインハルト・ワグナーキャストジャン・ルフェーブル(ガストン)イブ・アフォンソ(イヴ)リディア・フェルド(フィフィ)マイク・マーシャル(劇作家/演出家)ルイス・レゴフランソワ・シャトージャック・プティジャンロジェ・トラップジャック・フランソワアレクサンドラ・スチュワルトジャン=ポール・ボネール2001年・120分・フランス原題「Fifi Martingale」2023年7月・日本初公開2023・10・13・no124・元町映画館no206 !
2024.01.04
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幸田文「木」(新潮文庫) 2023年の年の暮れに封切られた話題の映画、ヴィム・ヴェンダース監督の「PERFECT DAYS」の中で、主人公の平山正木(役所広司)さんが古本屋の棚で見つけて買い込んだ本の1冊がこの本でした。 幸田文「木」(新潮文庫)です。 幸田文といえば、まあ、いわずと知れたと思っていたのですが、知り合いの女子大生さんたちに聞くと、どなたも知らない! ということなので、ちょっと、紹介します。 明治の文豪(?)幸田露伴の娘で、随筆家青木玉の母親、孫の青木奈緒もエッセイストという方で、「みそっかす」(新潮文庫)だったか「おとうと」(新潮文庫)だったか、その他、いくつかの随筆作品だったかが、中学や高校の教科書にも載っていたことのある文章家です。小説家とか随筆家とかいうのが、チョットはばかられる気がするのがこの方のありようだとボクは感じていますが、まあ。一般には作家と呼ばれています。亡くなられて、三十数年経ちますが、お着物のきりっとした姿が、まあ、ボクなどにはすぐに浮かぶ方です。 今回の読書案内の「木」(新潮文庫)については、映画の中で古本屋の女主人が、幸田文の文章のすばらしさだったかについて一言いいましたが、何といったのか覚えていません。平山さんがこの本を手に取った理由は、彼が植物一般の中で、特に樹木が好き! だったからのようですが、彼は寝床でこの本を読みます。感想は何も言いませんが、十幾つかの短編の随筆(?)集ですが、最後まで読んだようです。 本そのものは、1990年に幸田文が亡くなった後、1991年に出版されたのですが、1995年に文庫化もされて、手元の本は1999年に八刷ですからロングセラーですね。 まあ、しかし、それから20年以上たっていますから20歳の女子大生はご存知ないというわけです(笑)。 ふと今の木の、たくさん伸びた太根の間に赤褐色の色がちらりとした。見ても暗いのだ。だが、位置の加減でちらりとする。どこからか屈折して射し入るらしい外光で、ふと見えるらしい。そっと手をいれて探ったら、おやとおもった。ごくかすかではあるが温味(ぬくみ)のあるような気がしたからだが、たしかにあたたかかった。しかも外側のぬれた木肌からは全く考えられないことに、そこは乾いていた。林じゅうがぬれているのに、そこは乾いていた。古木の芯とおぼしい部分は、新しい木の根の下で、乾いて温味をもっていた。指先が濡れて冷えていたからこそ、逆に敏感に有りやなしのぬくみと、確かな古木の乾きをとらえたものだったろうか。温い手だったら知り得ないぬくみだったとおもう。古木が温度をもつのか、新樹が寒気をさえぎるのか。この古い木、これはただ死んじゃいないんだ。この新しい木、これもただ生きているんじゃないんだ。中略 えぞ松は一列一直線一文字に、先祖の倒木のうえに育つ。一とはなんだろう。どう考えたらよかろうか。そぞいろんな考え方があることだろう。私にはわからない。でも、一つだけ、今度このたびおぼえた。日本の北海道の富良野の林冲に、えぞ松の倒木更新があって、その松たちは真一文字に、すきっと立っているのだ。ということである。何とかの一つ覚えに心たりている。(P18) いかがでしょう。所収されている最初の作品、「えぞ松の更新」の最後の1ページです。倒木の割れ目に手を差し入れて「ぬくみ」を見つける手つきと、たたみかけていく書きぶりが幸田文だと得心しながら、平山正木さんも、きっと、富良野の森の奥を思い浮かべながら心揺さぶられたに違いないと納得するのでした。 最後に目次を載せておきますね。数字は所収ページです。目次 えぞ松の更新 9藤 19ひのき 34杉 57木のきもの 75安倍峠にて 83たての木 よこの木 91木のあやしさ 99杉 108灰 115材のいのち 129花とやなぎ 136この春の花 143松 楠 杉 150ポプラ157解説 佐伯一麦
2024.01.03
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佐藤厚志「荒地の家族」(新潮社) 2024年の1月2日に、実は2023年の1月に芥川賞を受賞した作品の案内で、トンチンカンなのですが、しようがありませんね(笑)。 坂井祐治はクロマツの枝を刈っていた。肩の筋肉が熱を持って膨れ、破裂しそうだった。酷使して麻痺しかけている両腕と刈込鋏が一体となって動いた。脇を緩めすぎず、胸筋を絞るようにして枝を刈る。鋏が意志を持ち、ただ手を添えているだけでよかった。 2023年1月ですね、第168回芥川賞受賞作「荒地の家族」(新潮社)の書き出しです。作家の名前は佐藤厚志、植木職人ではなく書店員をなさっている41歳だそうです。 書き出しで紹介されている坂井祐治は、あの災厄から10年以上たった阿武隈川の河口の町で植木職人をしている、40歳の男性です。災厄の年から2年後に妻を亡くし、息子と二人暮らしです。 作品では、妻を亡くして5年後、だから3年前に再婚した女性とのいきさつ語られていますが、どうやって出会い、なぜ別れることになったのか、読み終えて見て、語ろうとしてもうまく思い出せません。 読後の記憶として立ち上がってくるのは、海岸沿いに、ずーっと続いている防潮堤の外側の浜辺で、老人が一斗缶で焚火している 光景でした。 立ち枯れしている松林、あたり一帯に広がる更地を突っ切って、白くすべすべした防潮堤に上ると、そこにある光景です。「切った枝も、稲わらも、畦掃除して出たゴミも、前は畑で燃やしてたんだけど」 老人は木切れでどうやら自分の畑があるほうを示したが、見えるのは白い防潮堤といよいよ沈み始めた赤い日の名残りだけだった。「いつもここで」 祐治は聞いた。「たまに」 老人はぽつりと言う。(P10) 風を受けながら防潮堤の階段をのぼり、浜へ降りていった。黒々とした海が、左手の荒浜港や船の光を拾い、ちらちらと光っている。 火が焚かれていた。 ついさっき足袋の泥を落としたばかりなので、柔らかい砂を避け、草の生えている場所を選んで進んだ。 頭を下げると、老人は頷く。黙って一斗缶をつつく老人の反対側に立ち、火を見つめた。暖かかった。火から目が離せなくなる。火の中に、災厄の風景が浮かびあがる。(P80) 浜で揺らいでいる炎に祐治は近づいた。 いつもの老人が棒で一斗缶をかき回す。火の粉が舞った。 火の中に、あらかた消え去った町が現れた。 中略 一斗缶の炎が呼吸するようにぼうっと勢いを増し、また静まる。老人が棒を動かす。火の粉が赤い蛍のように暗闇に軌跡を描いて閃く。火が顔に近かった。(P110) 全部で150ページほどの作品ですが、その始まり、半ば、そして終わりかけに、まあ、今思い浮かべられる限りでは、ですが、焚火のシーン! がありました。この焚火の光景の中で、祐治の脳裏に浮かび上がってきているのであろう生活の実景が小説だったとボクは思いました。人は生きている限り、いつまでも焚火を眺めているわけにはいきませんが、作家が舞い上がる火の粉に見いる祐治の姿 を繰り返し描いていることに、共感というか、ホッとするというか、この作品のよさを感じました。 いわゆる「災後小説」の一つに数えられることになる作品だと思いますが、苦いながらも後味のいい佳作だと思いました。
2024.01.02
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長谷川櫂「四季のうた」(中公新書)龍の玉升さんと呼ぶ虚子のこゑ 飯田龍太 新年あけましておめでとうございます。2024年最初の「読書案内」は長谷川櫂の「四季のうた」(中公新書)です。長谷川櫂が2004年4月から読売新聞紙上に連載した「四季」というコラムを一年分まとめた新書です。 連載開始の4月から、翌年の3月までの一年間、現代詩、翻訳詩、漢詩の一節、短歌、俳句、川柳が毎日ひとつづつ紹介されいて、某所の暇つぶしに重宝します。 昨年の秋の終わりに見つけてはっとしたのが上の句です。2024年が辰年なので、お正月のあいさつにちょうどいいかなと思いついて引用しましたが、実は、哀しい秋の句です。 長谷川櫂のコラムの本文はこうです。 正岡子規は幼名升(のぼる)。少年時代からの友人たちは「のぼさん」と呼んだ。今、子規は臨終の薄れていく意識の中で、自分を呼ぶ弟分高浜虚子の声を聞いている。龍の玉は龍の髯という庭草の青い実。この句の「龍の玉升さん」は、龍の玉を天に昇らせようとも聞こえる。(P134) 後のことでしょう、子規の臨終のシーンを思い浮かべた、大正生まれの俳人飯田龍太の創作ですが、子規が亡くなったのは明治三十五年九月十九日です。 昨年、2024年の11月、作家の伊集院静の訃報が報じられましたが、彼には『ノボさん 小説正岡子規と夏目漱石』(講談社文庫上・下)という、とても心に残る作品がありますが、その中で子規の臨終を月明かりの中で透き通るように響き渡った母八重の声で描いた名シーンがあります。「さあ、もういっぺん痛いと言うておみ」 透きとおるような声で響き渡った。 八重の目には、それまで客たちが一度として見たことのない涙があふれ、娘の律でさえ母を見ることができなかった。 ちなみに、その場に同席していた高浜虚子の残した句がこちらです。子規逝くや十七日の月明に 虚子 虚子の句は十七夜の月の明るい夜の別れを読んでいますが、まあ、要するに、「四季のうた」を覗きこんでいた某所で、まず、知らなかった飯田龍太の句に偶然出会い、虚子の声が浮かび、それに促されて母八重の声が浮かび、虚子の句が浮かび、その上、あれ、これ、ワラ、ワラ、と湧いてくる個人的な体験のシーンまでも、思い浮かべさせていただいたというわけです。 まあ、誰もが、そんなふうにいろいろ思うわけではありません。ボクだって、収められている300を超える詩の一節や短歌、俳句を読みながら、ああ、そうですか!で通り過ぎたのがほとんどなわけです。でも、おっと! という出会いはあるわけで、お試しになっても悪くないと思うのですが、いかがでしょう(笑)。 正月、そうそう、縁起でもない案内でしたが、2024年、辰年の初投稿でした。読んでいただいてる皆様、今年もよろしくお願いいたします(笑)。
2024.01.01
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原泰久「キングダム(70)」(集英社) 久しぶりにマンガ便がやって来ました。2023年12月のマンガ便は原泰久の「キングダム」(集英社)、第70巻でした。 65巻から始まった秦対趙の宜安の決戦で趙の名将李牧の罠の前に屈し、奇将桓騎を失って敗走した秦軍でしたが、逃げ帰った信をまっていたのは、次の展開で、中国思想史上、名高い法家の天才韓非子の登場だったことは69巻の「マンガ便」で紹介しました。 上の表紙をご覧ください、中央に描かれいるのが韓非子ですが、そのまえに、腰巻のキャッチコピーの文句です。 一億部突破‼ 契約金が10000億円を超えるという途方もない話で盛り上がった2023年でしたが、この国の人口が1億2千万人くらいだそうですから、このマンガがどんな流行り方をしているのか、チョット想像がつきませんね(笑)。結構、面倒くさいマンガだと思うのですがね(笑) で、今回の70巻ですが、秦王、政、後の始皇帝にして、マンガ「キングダム」のここまでの主人公李信の莫逆の友ですが、法治国家をめざす秦王に招かれた韓非子が、秦都咸陽で悲劇の死を遂げる物語でした。 咸陽には韓非子とともに荀子の門人として雌雄を競った李斯がいます。かつての学友李斯と対面したシーンがこれです。 韓非子はドモリ、吃音だったことがいわれていますが、その彼が秦王に仕える李斯に語る最後の言葉です。「し、しっかりやって、その名を歴史に刻め。わが友李斯」「その時が来たら法家の力をみせつけてやれ「・・・・・・」 この会見の直後、韓非子は謎の死を遂げますが、世に名高い始皇帝の法治主義、焚書坑儒の始まりを告げるセリフです。 孔子の教えは孟子の性善説と荀子の性悪説の二つに分かれて受け継がれますが、荀子の思想を引き継ぐ韓非子の「法治主義」が、焚書坑儒へと展開するあたりを、このマンガが描くのはいつになるのでしょうかね。 とりあえず、次号では「番吾(はんご)の戦い」という、再び、趙対秦の決戦ですね。楽しみです。
2023.12.31
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100days 100bookcovers Challenge備忘録 (1日目~10日目) 2020年の春にフェイスブックで始めたブックカバー・チャレンジ、100日で100冊の備忘録です。書名か本の写真をクリックしていたでれば記事が読めると思います。日付はフェイスブックに投稿した日です。no1 2020・05・11 (T・KOBAYASI)星野道夫「イニュニック アラスカの原野を旅する」(新潮社)no2 2020・05・12(T・SHIMADA) ロジェ・フリゾン=ロッシュ「結ばれたロープ」(石川美子訳:みすず書房)no3 2020・05・13 (K・SODEOKA)グレッグ・ジラード、イアン・ランボット『九龍城探訪 魔窟で暮らす人々』(イースト・プレス)no4 2020・05・14(T・K)村上春樹「中国行きのスローボート」(中央公論社・中公文庫)no5 2010・05・15(T・S)レイモンド・カーヴァ―「頼むから静かにしてくれ」(中央公論社)no6 2020・05・16(K・S)ローレンス・ブロック「八百万の死にざま」(田口俊樹訳:ハヤカワ文庫)no7 2020・05・18 (T・K)ポール・オースター「幽霊たち」(訳:柴田元幸 新潮社)no8 2020・05・19 (T・S)いとうせいこう「想像ラジオ」(河出書房新社)no9 2020・05・22 (K・S)奥泉光『モーダルな事象 桑潟幸一助教授のスタイリッシュな生活』(文春文庫)no10 2020・05・24(T・K)北村薫 『夜の蝉』(創元推理文庫) 以上で、始まりの10冊です。日付を見ていただくとわかりますが、2020年の5月11日(月)に始めて、5月24日(日)に10冊目です。快調ですね(笑)。で、いつまでこの会長が続くのでしょうね。 まあ、そのあたりが面白さなのですね。また覗いてくださいね。次は11冊から20冊ですよ。追記2024・05・11 投稿記事を 100days 100bookcovers Challenge備忘録 (1日目~10日目) (11日目~20日目) (21日目~30日目) (31日目~40日目) (41日目~50日目)(51日目~60日目)(61日目~70日目)(71日目~80日目)(81日目~90日目)というかたちまとめています。日付にリンク先を貼りましたのでクリックしていただくと備忘録が開きます。
2023.12.31
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ロマン・ポランスキー「戦場のピアニスト」シネ・リーブル神戸 SSC、シマクマシネマクラブ2023年最後、第15回例会です。見たのはロマン・ポランスキー監督の「戦場のピアニスト」でした。 シマクマ君は初めての鑑賞ではありませんが、M氏は初めてだったようです。作品はM氏の希望リストから選んだのですが、以前、ご一緒した「覇王別姫」をご覧になった時に紅衛兵による糾弾シーンなどに対して「非人間的で見るに堪えない」というような感想をおっしゃっていたので、この映画の殺伐とした殺人シーンをどうご覧になるのか、ちょっと心配しましたが、それほどでもなかったようで、不思議な気がしました。 映画はウワディスワフ・シュピルマンという実在のピアニストの体験記の映画化で、ナチスの侵攻とユダヤ人狩りをかろうじて生き延びたポ-ランドのユダヤ人ピアニストの逃亡生活の実録映画ですが、主人公が体験する恐怖と不安、絶望のリアリティは、ナチスの軍人や、ナチスに協力することで身の安全を守ろうとする市民たちの殺伐とした振舞い、街角で殺された、その姿勢のまま放置されたり、積み上げられた死体がその場で焼かれたり、それぞれのシーンをいかに殺伐と描くか! ということに支えられているかの作品で、ボクは、この殺伐さは、この作品に限らない監督ポランスキーに独特のものだと思うのですが、味もそっけもない、だから、まあ、何の躊躇いも感じさせない暴力的シーンに満ちています。ポランスキーの怒りが充満しています。 で、映画全体を、殺伐としたいやな感じから救っているのは音楽ですね。「ああ、ショパンやな」 そう感じる、スタジオでの録音シーンから始まり、戦争が終わった後、ショパンの協奏曲が演奏されて、映画は終わりますが、最も印象的なシーンは、隠れ家の隣の部屋から聞こえてくるショパンと、ほこりをかぶったピアノを弾いたつもりになって聞こえてくるベートーヴェンでした。 隠れ家の部屋で、音を立ててはいけないシュピルマン(エイドリアン・ブロディウワディ)が弾いたつもりになるのは、ベートーヴェンのピアノソナタ「月光」でしたが、彼がその時、ショパンではなくベートーヴェンを弾いたことに、多分、大した意味はなかったのだと思いますが、胸をうたれました。 作品の底には、実に、冷徹に現実を振り返っているかのポランスキーの祈りが響いているかのようで、見ているボクはその祈りが音楽として響いてくるのを、今か、今か、と待っていた2時間30分でした。 隠れ家に潜んでいるピアニストは、偶然、音楽を理解するナチスの将校ホーゼンフェルト大尉(トーマス・クレッチマン)に救われますが、その将校が、戦後ソ連の捕虜になり収容所で死んだことを、生き残ったピアニストは知ります。 家族を皆殺しにされ、逃亡を支えてくれた人々をすべて失い、最後に敵であり恩人であったナチス将校の死を知ったピアニストに出来ることは、ただ一つ、音楽を、ピアノを、より美しく奏でることだけでした。 ショパンの大ポロネーズの演奏で映画は終わりますが、2023年の世界にポランスキーの祈り! は届くのでしょうか。 まあ、そんなことをフト思い浮かべたりもしたのですが、ポランスキーには、やっぱり、拍手!でした。監督 ロマン・ポランスキー原作 ウワディスワフ・シュピルマン脚本 ロナルド・ハーウッド撮影 パベウ・エデルマン美術 アラン・スタルスキ衣装 アンナ・シェパード編集 エルベ・ド・ルーズ音楽 ボイチェフ・キラールキャストエイドリアン・ブロディウワディ(スワフ・シュピルマン)トーマス・クレッチマン(ヴィルム・ホーゼンフェルト大尉)フランク・フィンレイ(父)モーリン・リップマン(母)エミリア・フォックス(ドロタ)エド・ストッパード(ヘンリク)ジュリア・レイナー(レギーナ)ジェシカ・ケイト・マイヤー(ハリーナ)ミハウ・ジェブロフスキー(ユーレク)2002年・150分・PG12・フランス・ドイツ・ポーランド・イギリス合作原題「The Pianist」2023・12・26・no160・シネ・リーブル神戸no213・SSCno15 !
2023.12.30
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今敏「東京ゴッドファザーズ」パルシネマ 元町映画館のクリスマス企画「スモーク」の感動の勢いで、パルシネマのクリスマス企画「東京ゴッドファザーズ」を頑張って朝パルで見ました。今敏という、ボクは知りませんでしたが、2010年に、若くして他界されたマンガ家のアニメーション作品です。 予告編で絵柄と音楽に惹かれてやって来ました。映画は教会で合唱されている「きよしこの夜」で始まりました。 博打で身を持ち崩して家を捨てた中年の男ギンちゃんとゲイ・バーで唄っていたゲイのオバーちゃんであるハナちゃん、かわいがっていたネコを捨てられて、逆上し父親を刺して家出した、多分、高校生くらいの少女ミユキちゃんの三人の「ホームレス・野宿者」が、クリスマスの夜に赤ん坊を拾って「親探し」のドタバタの中で、三人の「家を捨てた」来歴が語られていくお話でした。 生田武志の「野宿者襲撃論」(人文書院)が出たのが2005年ですが、2000年くらいの東京に「ホームレス・野宿者」を対置させたセンスが俊逸でした。 大掃除と称して彼らを襲う若者も登場して時代に対する鋭さも感じましたが、三人それぞれを、「家」や「家族」を捨てたことに対する罪の意識の中に生きさせているニュアンスには、まあ、それが常識的なのだと思いますが、少し首をかしげました。 で、この映画の面白さは、絵柄と音楽でした。 絵柄は、アップで描かれる小汚い人物たちと、遠景に美しい背景としてある東京という組み合わせの見事さですね。 音楽は「きよしこの夜」に始まって、ハナちゃんの「ロクデナシ」(越路吹雪ね)の絶唱、それから、何といっても、鈴木慶一とムーンライダーズの「歓びの歌」(ベートヴェンの第9ね)は歌詞も歌も絶品でした。 学校で習う出だしはこんな感じでしたね。晴れたる青空 ただよう雲よ小鳥は歌えり 林に森にこころはほがらか よろこびみちて見かわす われらの明るき笑顔 学校ヨイ子だったボクは今でも歌えますが、映画の歌はこうでした(笑)。鞭で打たれるのは もう いやだよ地獄がなければ 天国もない蒸発したいよ この世は闇だでも 隠れる場所は 人でいっぱいだ黄昏時は 悲しくてやだよどうせ生きるのなら この夜がいい明日はいらない 未来はナシだでも 金で済むなら それで結構だクズにはクズの 死に場所があるよクズにはクズの 生きるところがあるこの空の下で なんとかなりゃいいでも 忘れられない 事がいっぱいだお前と俺とは赤の他人ださあ カリブの海で ラムを一杯やろう お前と俺とは赤の他人ださあ カリブの海で ラムを一杯やろうひとつ屋根の下に いると思うなさあ カリブの島で 煙草いっぱい吸おう ね、とりあえず一番から覚えようと思っています。徘徊のテーマソングですね。まあ、ボクには家も家族もいますけど。 しかし、まあ、納得のクリスマス企画でしたね。パルシネマに拍手!でした。監督・原作 今敏脚本 信本敬子 今敏演出 古屋勝悟作画監督 小西賢一 安藤雅司 井上俊之美術監督 池信孝撮影監督 須貝克俊編集 瀬山武司音楽 鈴木慶一 井上俊之アニメーション制作 マッドハウスキャスト(声)江守徹梅垣義明岡本綾2003年・92分・日本2023・12・28・no161・パルシネマno79 !
2023.12.29
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ケリー・ライカート「ファースト・カウ」シネ・リーブル神戸 今日見たのは「ファースト・カウ」という映画です。theがついていないことが気になりますが、訳せば「最初の牝牛」でしょうか、うーん、なんか意味深ですね(笑) ケリー・ライカートというアメリカの女性監督の2020年の作品だそうです。西部劇だそうで、オレゴン州が舞台だそうです。オレゴンてどこ? 地図を広げて見ると、カリフォルニアの北で太平洋に面している北アメリカ大陸の西の果てでした。 かなり大きな川が流れていて、大きな貨物船がゆっくり画面を横切って動いているシーンで映画は始まりました。この監督の作品では、こういうシーンが、何気ないのですが、見ているボクを引き込んでしまうのです。 河原でしょうか、犬が何か探し当てていて、そこに女性が登場して、犬がほじくっているのをやめさせて、自分で掘り始めると、もちろん素手で、出てきたのが、なんと2体の、どうも全部揃っているらしい白骨でした。 最近、縄文時代の殯(もがり)とかの話を読んでいることもあって、衣服がないとか、二体の白骨が寄り添っているとか、誰かに河原に捨てられたのかとか、あれこれ考えているとキノコを探している男のシーンへと画面が切り替わっていきました。 そこから北米大陸の東の果てボストンからやってきた実直そうな料理人クッキー(ジョン・マガロ)と、中国の農村で生まれらしいですが、香港から始まって、世界中をめぐって、ここオレゴンにたどり着いた男キング・ルー(オリオン・リー)という二人が、全くの偶然で友だち(?)になって、牛乳入りのドーナツの儲けでホテルを手に入れようなどという妄想に掻き立てられながら、このあたりには、たった一頭しかいない牝牛から牛乳泥棒に励むお話が語られるます。チラシの写真ですが、その牝牛が筏のような舟に乗って村にやってきたシーンを見ながら、ナルホドそうか! と納得しました。 始まりのシーンで、川の流れをゆっくり下っていく大きな貨物船を眺め、川岸で白骨を掘り出していたのはケリー・ライカート自身だったのです。 彼女は、100年以上も前に、始まりのアメリカの西の果ての世界を生きて、死んでいった人々の骨を掘り返し、命をあたえ、服を着せ、ブーツを買わせ、儚い夢を生き抜いて森の道を歩ませることで、おそらく、始まりから今に至るアメリカではなく、その時アメリカで生きていた人たちの「ホントウの歩み」 を描こうとしたのではないでしょうか。 川岸に寄り添って埋まっていた骨を丁寧に掘り返しながら、ライカートの脳裏に浮かんだのは、あそこからずっとここまでという歴史ではなく、その時、そこで、この人は、牛乳泥棒として追いかけられて、逃げ回るのにくたびれ果てて、友達と二人、森の中の木の切り株の、少し平らなところをベッドがわりに寝込んでしまったのかもしれないという、そういう、ボクには、それこそが、人間が生きた「ホントウ」の世界の姿だ! と思えるのですが、世界の歴史だったんじゃないかというのが、見終えたボクの、まあ、勝手な想像、妄想ですね(笑)。 妄想ついでに付け加えると、逃げながら寝込んでしまう二人の青年のシーンを見ながら、大江健三郎の初期の傑作「芽むしり仔撃ち」(新潮文庫)のラストシーンを思い浮かべたのですが、あの作品では、前近代的な世俗の権力に追われて森の闇の中にいるのは主人公一人なのですが、この映画では二人でした。二人の方が、チョット呑気に受け取れるところが不思議ですが、ケリー・ライカートは、最初に白骨を仕込んでいるわけで、絶望的であることは、案外、共通しています。 もう少しいえば、大江の作品の背景には、60年代の「日本」の前近代性があったと思いますが、その発想でケリー・ライカートのこの作品の背景が現代アメリカ社会であると考えるなら、オレゴンにやってきた「最初の牝牛」はアメリカで最初に独り占めされた富として描かれていることになるけど、そうなると・・・、というように妄想は広がるのですが、まとまりがつかなくなるのでやめますね(笑)。 なにはともあれ、これまで見てきた数本の彼女の作品が、現代アメリカ社会を背景にして発想されているとボクは感じていて、今回の作品も、そこが面白さの一つだったことは間違いありません。拍手!ですね。 今回もそうですが、彼女の作品が映し出す風景とか動物とかも、対象に対する自然な眼差しを想起させながら、愛情を感じさせるところがとてもいいですね。 新しい作品がすでにあるそうですが、あの、ウェンディでエミリーだった女優さんが出ていらっしゃるそうで、我が家ではチッチキ夫人も喜びそうですが、どんな眼差しで登場なさるのか、興味津々ですね(笑)。 監督 ケリー・ライカート脚本 ジョナサン・レイモンド ケリー・ライカート撮影 クリストファー・ブロベルト美術 アンソニー・ガスパーロ衣装 エイプリル・ネイピア編集 ケリー・ライカート音楽 ウィリアム・タイラーキャストジョン・マガロ(クッキー・料理人)オリオン・リー(キング・ルー・中国移民)トビー・ジョーンズ(仲買商)ユエン・ブレムナー(ロイド)スコット・シェパード(隊長)ゲイリー・ファーマー(トティリカム)リリー・グラッドストーン(仲買商の妻)2020年・122分・G・アメリカ原題「First Cow」2023・12・24・no158・シネ・リーブル神戸no212 !
2023.12.28
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100days100bookcovers no93 93日目関川夏央・谷口ジロー「坊ちゃんの時代-凛冽たり近代 なお生彩あり明治人」(双葉社・全5冊) KOBAYASIさんの小田嶋隆の追悼レビューがアップされたとき、ちょっとびっくりしてしまいました。私もたまたま彼の著作を3冊、図書館で借りていたんです。実はその前のSODEOKAさんの『アイヌの世界に生きる』のときにも、偶然、石村博子著『ピリカ・チカッポ(美しい鳥)―知里幸恵と「アイヌ神謡集」』を読みかけていたこともあって、アップされる本と同じような本を手にしているという偶然が続いたことにまた驚いてしまいました。ただ、手元にあった本はほとんど読み終えないうちに図書館の返却期限がきてしまい、感想をあらためてコメントさせてもらおうと思っていたのに、できないままこんなに時間が経ってしまいました。すみません。 遅れに遅れた言い訳です。このところの体力不足対策にはウォーキングしかないかと、せっせと歩いているのですが、そのせいで毎日クタクタで、本を開いても5行も読まないうちに居眠りタイムになっています。 その上、この3月で仕事が終わって、職場から私物を引き上げてきたため、ますます散らかってしまった家の中の片付けもあって、このブックレビューに手を付けられずにいました。 小田嶋隆をKOBATASIさんが「異端」と評されたのを読んで、「異端といえばこれ」と思う好きな本があってぜひ紹介したいのですが、その本を再読しようと思っているだけで、やはり読めないまま、時が経ってしまいました。言い訳以上。 早くとりかからないと思いつつ机まわりだけでも片付けていたら、しまい込んでいた本に偶然行き当たりました。で、今回は偶然が重なって、「偶然出てきた本」と、かなり苦しい付け方にします。久しぶりに出てきた大事な本です。 関川夏央・谷口ジロー『坊ちゃんの時代-凛冽たり近代 なお生彩あり明治人』(双葉社) この漫画は有名で、このブックレビューの中でも何度か話題にも上がったのではないでしょうか。詳しくご存じだったり、敬愛されている方も多いと思い、何を今さらと思われれるかと、おそるおそる書いていくことにします。 この漫画を買ったのは、8年ほど前かと思います。同僚が持っていた文庫版を借りたのですが、これはしょっちゅう見たい、自分で持っとかなきゃと、アマゾンで即買いです。 Wikipediaによると、「1987年から1996年まで漫画アクション(双葉社)で連載され」、「第2回手塚治虫文化賞マンガ大賞」を受賞していたらしいです。今回調べながら書いてみます。 全5巻、その構成(所持本の発行日付) 第一部 「坊ちゃん」の時代 1987年7月9日第1刷発行 1984年4月17日 第12刷発行・漱石の著作『坊ちゃん』の登場人物のモデルとなるような人物やできごとの実話を元にしたとする内容。第二部 秋の舞姫 1989年10月28日第1刷発行 1992年10月10日第4刷発行・森鴎外の『舞姫』を下敷きに、来日したエリスと長谷川辰之助(二葉亭四迷)が交流する。『普請中』など、鴎外の他の作品も取り入れている。第三部 かの蒼空(あをぞら)に 1992年1月12日第1刷発行 1997年10月22日第5刷発行・石川啄木の生涯第四部 明治流星群 1995年5月26日第1刷発行 1998年9月7日第7刷発行・大逆事件と称される事象とその後の処刑弾圧第五部 不機嫌亭漱石 1997年8月28日 1998年7月24日第5刷発行・漱石の修善寺の大患と生死の境を越えた夢 関川夏央といえば、『ソウルの練習問題』は、絶対読んどかなきゃというくらい有名になったので、当時、入手はしたのですが、まだ読まないままで、あきらめて、かなり以前に処分してしまいました。ほとんど読んだことがないと思っていたけれど、こんな形で出会っていたのかと今さら思いました。 『「坊ちゃん」の時代』を読んでて、司馬遼太郎を思い出すと思ったら、『司馬遼太郎の「かたち」』、『二葉亭四迷の明治四十一年』という著作で司馬遼太郎賞を受賞したらしい。 谷口 ジロー(男性、1947年8月14日 – 2017年2月11日)もとても高名な漫画家だが、日本以上に海外、特にフランスでの評価が高いとのこと。関川夏央ら漫画原作者と組み、青年向け漫画においてハードボイルドや動物もの、冒険、格闘、文芸、SFと多彩な分野の作品を手がける。TVでおなじみの『孤独のグルメ』の原作漫画もこの人だったんだあ。 第一部の関川夏央の「わたしたちは いかにして 『坊ちゃんの時代』を 創作することになったのか」より引用します。 「わたしはつねづね「坊ちゃん」ほど哀しい小説はないと考えていた。この作品が映像化されるとき、なぜこっけい味を主調に演出されるのか理解に苦しんでした。そしてそれらの作品はことごとくわたしの期待を裏切って娯楽とはいいがたかった。同時に、明治がおだやかで抒情的な時代であるという通俗的でとおりいっぺんな解釈にもうんざりしていた。 明治は激動の時代であった。明治人は現代人よりもある意味では多忙であったはずだ。明治末期に日本では近代の感性が形成され、それはいくつかの激震を経ても現代人のなかに抜きがたく残っている。われわれの悩みの大半をすでに明治人は味わっている。つまりわれわれはほとんど(その本質的な部分では少しも)新しくない。それを知らないのはただ不勉強のゆえである、というのがわたしの考えであり、見通しであった。また、ナショナリズム、徳目、人品、「恥を知る」など、本来日本文化の核心をなしていたはずの言葉を惜しみ、それらがまだ機能していた時代を描き出したいという強い欲望にもかられた。 そこでわたしは「坊ちゃん」を素材として選び、それがどのように発想され、構築され、制作されたかを虚構の土台として、国家と個人の目的が急速に乖離しはじめた明治末年を、そして悩みつつも毅然たる明治人を描こうと試みた。」 以上、引用です。 感想をおもいついたまま書いてみます。第一部の作り方が一番凝っているような気がする。漱石の周りの虚実ないまぜのできごとが『坊ちゃん』を構想させたようなつくりです。「堀紫郎」というの人物(青森斗南出身だが、親の代までは会津らしい)がラフカディオ・ハーンと知り合いで、漱石にハーン先生の話をするところもいいなあ。 二葉亭四迷の描き方も気にいりました。周囲が懸念するのにも関わらず、なぜかロシアに旅立ち、過酷な状況で体調を悪化させて帰国する船で亡くなった人。仕事とはいえ、なぜそこまで無理を押して渡露したのか。ここは、西木正明の『間諜二葉亭四迷』を思い浮かべた。 鴎外を追って渡日したエリーゼ・ヴィ―ゲルトと二葉亭四迷を絡ませた刃傷沙汰も愉快。 大逆事件と称される事象とその後の経緯は事件が事件だけに、ちょっと筆が進んでいないように思えた。私は個人的には以前から特に大石誠之助氏のことが気になっていたので、彼のことにも触れてはいるがもう少し欲しかった。 最後の第五部で、漱石が此岸と彼岸のよくわからない夢を見続けるが、ここは絵という漫画の強みがとても生きていると思った。 ほかに気になったのが、鳥、猫、犬がいい案配に描かれていること。煮詰まった時や、言葉にならない気持ちやらが伝わるような気がする。漱石に猫はまあ当然だけど、鴎外は犬、そういえば、樋口一葉が貧乏で飼えなくなったからと、二葉亭四迷に犬を譲るという場面もうまくはめたなあと思ったところ。 漱石以外の人物の周りは犬ばかりだったような。あとで、また確かめないと。でも、鴎外は猫を寄せ付けないような気がするのは私だけかしら。 とりとめなく思いついたままのブックレビューで、作品には申し訳ありませんが、これで終わります。関川夏央も谷口ジローもSIMAKUMAさんはすいぶん読まれているかと思います。どうかこのあとよろしくお願いいたします。E・DEGUTI・2023・04・07追記2024・04・05 100days100bookcoversChallengeの投稿記事を 100days 100bookcovers Challenge備忘録 (1日目~10日目) (11日目~20日目) (21日目~30日目) (31日目~40日目) (41日目~50日目) (51日目~60日目)) (61日目~70日目) (71日目~80日目)という形でまとめ始めました。日付にリンク先を貼りましたのでクリックしていただくと備忘録が開きます。 追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2023.12.27
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ウェイン・ワン「スモーク」元町映画館 2023年の12月になったころ、元町映画館から持ち帰ったチラシの束から一枚のチラシを引っ張り出してチッチキ夫人が叫びました。「わたしは、これ!」 というわけで、我が家の2023年のクリスマスは元町映画館のクリスマス3日間限定上映「スモーク」同伴鑑賞に決定しました(笑)。 で、問題は、上のチラシの頬を寄せ合っていらっしゃるお二人が、男と女なのか、男同士なのかでした。 で、見終えて確認しました。ブルックリンの煙草屋の親父と、赤の他人の黒人の盲目の老婆、というわけで、男と女でした。 モノクロで、セリフなし、ただ、ただ、この二人がクリスマスの夜に出会い、こうして抱き合っているシーンが、この映画のすばらしさを、ほどんど歴史的事件のように表現していて、見終えたチッチキ夫人は映画館を出るなり、もう一度叫びました。「今年のベストワン!サイコー!」 2023年のクリスマスの午後を二人で、この映画を見て過ごした老夫婦は、ため息しきりだったのですが、実は、二人ともこの作品を見るのは初めてではなかったにもかかわらず、「男同士」だったのか、「男と女」だったのか、まったく忘れ果てて盛り上がっていたのですから、まあ、いい加減な話です(笑)。 お話に興味がおありの方にはポール・オースターの原作小説「オーギー・レンのクリスマス・ストーリー」(柴田元幸訳・新潮文庫)をお読みなることをお勧めしますが、題名の「スモーク」は、たばこの煙ですね、あの煙には重さがあるかどうかを、ちょっと困った顔で抱き合っている男オギー・レン(ハーベイ・カイテル)の煙草屋にたむろしているヒマな男たちが喋くりあうシーンで語られるアホ話に出てくるのですが、映画の話が「タバコの煙」だというわけですね。実によくできた題名なのです。 今回、見ていて、ハッと、心を打たれたのは最初のシーンでした。ニューヨークの地下鉄とかが走っている街の俯瞰シーンで始まるのですが、少し遠景に、あのツィン・タワーが映るのですね。1995年の映画ですから当然ですが、あのタワー・ビルが崩落していくシーンを、ほぼ、実況で目にしたことがあるわけですから、映画が「スモーク」と題されている、もう一つの意味をしみじみと受け取ることになったわけです。 ちょっと大げさとお考えになるかもしれませんが、主人公の煙草屋の親爺は、抱き合った、見ず知らずのバーさんの部屋から、盗品に違いないとはいえ、キャノンだかの一眼レフを拝借して、自分の店の前の風景を4000日にわたって、同じ時間に撮り続けていて、そのコレクションされた写真、あの日から10年分の一枚一枚が写しとっている、その時、その時の人や町の姿が、この映画の底に流れているメイン・テーマだと、ボクは感じたのですが、二十年以上前に、この映画を見たときには何も感じなかった、ニューヨークの風景のなかに、まあ、映画の中で作家のポール・ベンジャミン(ウィリアム・ハート)が体験する不幸な偶然と同じように、映画そのものが現実化していることに対する驚きですね。 まあ、それにしても、納得の作品でしたね。クリスマス特集でこの作品を選んだ元町映画館に拍手!でした。いや、ホント、思い出にのこるクリスマスになりましたよ(笑)。 監督 ウェイン・ワン脚本 ポール・オースター撮影 アダム・ホレンダー美術 カリナ・イワノフ編集 メイジー・ホイ音楽 レイチェル・ポートマンキャストハーベイ・カイテル(オーギー・レン煙草屋)ウィリアム・ハート(ポール・ベンジャミン作家)ストッカード・チャニング(ルビー・マクナット煙草屋の元妻)ハロルド・ペリノー(ラシード・コール黒人の少年)フォレスト・ウィテカー(サイラス・コール少年の父)アシュレイ・ジャッド(フェリシティ元妻の娘)1995年・113分・PG12・アメリカ・日本合作原題「Smoke」2023・12・25・no160・元町映画館no218 追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑) !
2023.12.26
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「三宮にええ景色ありました!」 徘徊日記 2023年12月23日(土) 団地から三宮あたり 久しぶりにJR三宮で降りましてん。 で、チョット歩道橋わたりながら、ようやく気付きましてん。懐かしい垂れ幕でんな。阪神タイガース日本一! でっせ。 仕事さぼって家でテレビ見てたら長崎が満塁ホームラン打ちましてん。長崎って知ってます?あれから38年でっせ。 こんなん、また、30年ありまへんねん。まあ、生きてるうちには見られへんゆうことですな。そんなん、ホンモンのダメトラファンはよう知ってまっせ。 で、その垂れ幕が下がってんのが阪急デパートって、これいかに! でんな。 そごうチャイまっせ、阪急でっせ(笑)。新しいなったけど。阪急はこっちやと思いまんねんけど。 神戸に出てきて50年がたつシマクマ君ですが、歩道橋の上で、わけわからんまんま、しみじみしてしまいました。半世紀でんな。すごいことです。 で、今日は、50年前に出会ったお友達と同窓会(?)でんねん。今から阪急六甲行きまんねん。じゃあね。ボタン押してね!
2023.12.25
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ケリー・ライカート「オールド ジョイ」元町映画館 2021年の11月に元町映画館でやっていたケリー・ライカート監督の特集の感想が書きかけでお蔵入りしていたので、引っ張り出して、何とか書き上げて載せました。 見た映画は「オールド ジョイ」です。 見終えて、しばらく座っていて思いました。この、座り心地の悪さというか、落ち着かなさというのはいったい何なんかなあ? もちろん、映画には納得しているし、だから、映画の筋とか展開についてではなくて、ここに座っているボク自身の、今の気分についてですよ(笑)。 題名の「オールド ジョイ」というのは、たぶん「昔なじみ」とか「旧友」とかいう意味だと思うのですがマークという既婚で妊娠中の妻がいる青年(?)が、カートという、まあ、昔なじみのヒッピー暮らしの男とキャンプに出掛けて、帰ってくるだけのお話なのですが、なんというか、ぼくは見ていて落ち着きませんでした。 車は山の中にはいって行って、何年か前に来たことがあるというカートが道を間違えるというか、わからなくなって、結局ゴミ捨て場のようなところでキャンプすることになります。カートは犬を連れていて、マークはずっと訝しそうです。 翌朝、ようやく道を発見して、目的地(?)の温泉(?)にたどり着きますが、マークを見ていて感じるのは充足感でも安心でもありません。苛立ちと言うほどハッキリしたものでもない、ここにいることの理由ははっきりしていて、マークがカートを誘ったときの妻の表情か語っていましたね。あの生活から、ひと時逃げ出したかった、まあ、そんな感じでしょう。 で、こういう場合、すぐに男同士の愛情とか、妻である女性の微妙な立場が話題にあがるのですが、それ以前の「友達」ということについて、もう一度考えるべきなのじゃないでしょうかね。 この映画作家が、所謂、世間的な「大人」とか「女」とか「男」とかいうステロタイプ思考に、「そうかしら?!」 っていう問いを、実にビビッドに映像化していて、だからどうとか、あれこれいう前に、まあ、うまくいえないのですが、ホントウノコト! をきっぱり!と描いていらっしゃると思います。でも、まあ、たとえば今回は実に頼りない男の二人連れだったわけで、身につまされることしきりで、且つ、チクチクするのですね。だから、まあ、適当なところで妥協(?)して、安穏と暮らしている老人は見終えてへたり込んでしまうのですが、でも、まあ、恐る恐る(笑)拍手!ですね。監督 ケリー・ライカート脚本 ケリー・ライカート ジョナサン・レイモンド撮影 ピーター・シレン編集 ケリー・ライカート音楽 ヨ・ラ・テンゴ グレゴリー・“スモーキー”・ホーメルキャストダニエル・ロンドンウィル・オールドハムタニヤ・スミス2006年・73分・アメリカ原題「Old Joy」2021・11・29‐no117・元町映画館no219(132-3) !
2023.12.25
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ブラッドリー・クーパー「マエストロ」シネ・リーブル神戸 記事を投稿した後でこのチラシが手に入りました。このチラシの方、ホンモノ?ニセモノ? と、まあ、そのあたりがとても面白い映画でしたね。せっかくなので、冒頭に貼りなおしました(笑)。いかがでしょう。 SCC(シマクマ・シネマ・クラブ)の第14回例会です。シネ・リーブル神戸でブラッドリー・クーパー監督・主演の「マエストロ」をご一緒しました。 レナード・バーンスタインという、まあ、20世紀アメリカ音楽を象徴するような天才音楽家を主人公にして描いた作品でした。ナットクでした(笑)。 面白かったのはこの映画の監督でもあるブラッドリー・クーパーという俳優さんがバーンスタインを演じていたのですが、異様に似ていたことですね。 バーンスタインの生前の姿はネットの、たとえばYouTubeとかで見ることができます。ファンを称するほどバーンスタインの音楽に関心があるわけではありませんが、小沢征爾とかの師匠だったとかいわれていることもあって彼の作曲した音楽や演奏、指揮の様子を耳にし、目にしたことはありますから、映画のシーン、シーンでの姿が、特にモノクロの回想シーンとかでは「実写?」 と思うほど似ていると思いました。アップの表情もとても似ていて、まあ、それだけでも面白いですね。 二つ目は音楽ですね。どこかで、この夏だったかに見た「ター」と比較して見ているとことがありましたが、こっちの演奏シーンは納得でしたね。実物の映像的な記録がありますし、もともと、かなりヤンチャな指揮ぶりですから真似やすいということがあったのかもしれませんが、こっちの映像はシラケませんでした。メインはマーラーの「復活」だったと思いますが納得でした。まあ、音はバーンスタインの実音でしょうからね(笑)。だから、演技で指揮をしているクーパーさんが邪魔にならなかったということですね。 三つめは、妻のフェリシア(キャリー・マリガン)との「愛憎」の描き方ですね。夫バーンスタインの、男女を問わない、まあ、ある種でたらめな性的・人間的志向のインチキを見破り、糾弾するシーン、にもかかわらずバーンスタインを愛さずにはいられないという、自らの愛のかたちを吐露する場面には胸打たれました。 最後に、夫バーンスタインが死に瀕した妻フェリシアを抱きしめる夫妻の美しいシーンがあります。このシーンが音楽家バーンスタインの、思想としての「愛のかたち」の崇高さを、まあ、天才のなせる業と感じさせて、実に感動的なのですが、少々薹が立った老人の目にはまあ、ねぇー、よくやるね、ホント! というふうな感慨の浮かぶシーンの一面もあるわけで、なんともまあ・・・ でしたね(笑)。要するに勝手な男としての主人公を見ながら、まあ、天才のありさまに自分などを重ねるのは不遜の極み(笑)ではあるのですが、で、そういうこと(笑)は何にもないにもかかわらず、夫婦の片一方としてあれこれ振り返らせていただいたというわけですね(笑) 映画は「彼女が愛したバーンスタイン」 という趣で、恋人であり、妻であったフェリシアの目から見た天才の夫の姿を実に哀切にとらえていて納得でしたね。音楽のシーンにも納得でした。拍手! 監督 ブラッドリー・クーパー脚本 ブラッドリー・クーパー ジョシュ・シンガー撮影 マシュー・リバティーク美術 ケビン・トンプソン衣装 マーク・ブリッジス編集 ミシェル・テゾーロ音楽 レナード・バーンスタイン特殊メイク カズ・ヒロキャストキャリー・マリガン(フェリシア・モンテアレグレ・コーン・バーンスタイン)ブラッドリー・クーパー(レナード・バーンスタイン)マット・ボマーマヤ・ホークサラ・シルバーマンジョシュ・ハミルトンスコット・エリスサム・ニボラアレクサ・スウィントンミリアム・ショア2023年・129分・PG12・アメリカ原題「Maestro」2023・12・11・no152 ・シネ・リーブル神戸no209・SSCno14 !
2023.12.24
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ヴィム・ヴェンダース「PERFECT DAYS」キノシネマ神戸国際 ヴィム・ヴェンダース監督の「PERFECT DAYS」を見ました。神戸では、本日、2023年12月22日封切だったのですが、前評判が高いらしく、いつものシネリーブルの予約欄を見て引きました。調べると、旧国際松竹でもやっているようで、そちらの方が少しゆったりだったので、久しぶりにそっちの映画館を選びましたが、行ってみると、やっぱり人が多くて、結局前から3列目で、これまた久しぶりにスクリーンを見上げながら見ました。 朝焼けの遠景が映って、落ち葉を掃いている人がいて、その音で男が目覚めて、起き上がって布団をあげて、八畳一間かなと思っていると、服を着て部屋を出て、階段を下りて台所で歯を磨いて、玄関を出て、そのアパートの駐車場にある自動販売機で缶コーヒーを買って、駐めてあった軽のバンに乗り込んで、カセットテープを探して、挿入して、出発です。暫くして、スイッチを入れると「あっ!」と思う音が流れてきて、映画は始まりました。最初に聞こえてきたのが、多分アニマルズだったと思うのですが、その時点で、ボクは泣いていました。「ヴェンダースなら、きっと、何にも起きないはずだしなんにも起きなくていいよ、このままでいいよ。」 そのまま、最後まで続きました。さすがですね。何もいうことはありません。ある日の仕事帰り、軽自動車のカーステレオからルー・リードという人の「PERFECT DAY」という歌のさわりだけ聞こえてきました。 聞こえてこなかったサビはこんな歌詞です。Oh it’s such a perfect day なんて完璧な一日なんだI’m glad I spent it with you一緒に過ごせて本当によかったOh such a perfect day本当に完璧な一日だったYou just keep me hanging on君のおかげで、ボクはこうやって生にしがみついてるYou just keep me hanging on君のおかげで、ボクはこうやって生にしがみついてる まあ、こんな歌なのですが、この映画のすべてが下に貼ったこの歌詞の中にあります。缶コーヒーはサンガリアなのかどうかわかりませんし、動物園じゃなくて公衆便所だったり、一杯飲み屋やお風呂屋さんだったりしますが、「君」はホームレスのおじさんや、トイレで泣いている坊や、調子ばかりのいい無責任な同僚や、家出娘や、余命宣告されたおっさんだったりするわけですが、「生にしがみついている」過去を捨てた平山正木(役所広司)さんをkeep him hanging onし続けてくれるのです。 ラストは、役所広司、圧巻の一人芝居です。見ごたえありました。見入りながら、役所広司の到達地点に唸りました。いわゆる、くさい芝居という言い方があって、映画の出だし、彼の芸達者ぶりにふとそんな感じを持ったのですが、ラストの一人芝居には唸りました。拍手!ですね。 何の事件も、サスペンスも描くことなくここまで引き付ける作品を作った監督ヴィム・ベンダースも凄いですね。拍手! 余談ですが、「パリ・テキサス」で母子の体面の部屋を道路から見上げて去っていったトラヴィス(ハリー・ディーン・スタントン)の姿を思い出しました。彼はあれから、何処で、どんなふうに暮らしているのでしょうね。 Perfect DayJust a perfect dayDrink sangria in the parkAnd then later when it gets dark we go homeJust a perfect dayFeed animals in the zooAnd then later, a movie too and then homeOh it’s such a perfect day I’m glad I spent it with youOh such a perfect dayYou just keep me hanging onYou just keep me hanging onJust a perfect dayProblems all left aloneWeekenders on our ownIt’s such funJust a perfect dayYou make me forget myselfI thought I was someone elseSomeone goodOh it’s such a perfect dayI’m glad I spent it with youOh such a perfect dayYou just keep me hanging onYou just keep me hanging onYou’re going to reapJust what you sowYou’re going to reapJust what you sowYou’re going to reapJust what you sowYou’re going to reapJust what you sow監督 ビム・ベンダース脚本 ビム・ベンダース 高崎卓馬撮影 フランツ・ラスティグ美術 桑島十和子編集トニ・フロッシュハマーリレコーディングミキサーマティアス・ランパートキャスト役所広司(平山正木)柄本時生(タカシ・同僚)中野有紗(ニコ・姪)アオイヤマダ(アヤ・タカシの恋人)麻生祐未(平山の妹)石川さゆり(居酒屋の女将)三浦友和(女将の元亭主)田中泯(踊っている街角の老人)2023年・124分・G・日本2023・12・22・no157・キノシネマ神戸国際 !
2023.12.23
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ギャスパー・ノエ「VORTEX ヴォルテックス」シネ・リーブル神戸 今日見たのは 、アルゼンチン出身らしいギャスパー・ノエという監督のフランス映画「VORTEX ヴォルテックス」です。 1940年生まれのジーさんと、1944年生まれのバーさんの老老二人生活と、これでオシマイ! の映画でした。 主人公の一人、ジーさんの方は映画評論かなんかの本を書いている、まあ、所謂、インテリの物書きですが、心臓手術の経験者です。もう一人の主役のバーさんは精神科の医者だったらしい、しっかり者のインテリで、家じゅう本で埋まっています。 息子が一人いますが、どうも、元ヤク中だったらしく、一応社会復帰はしていますが子連れの大麻売りです。経済的にも社会的にも、頼りになる感じではありません。そんな息子がシングル・ファーザーとして育てている孫のキキちゃんも、母親の不在と、見るからに不安定な父親という環境にやっとのことで耐えてる様子で、ジジ、ババの家に来ていても、落ち着かなくてシンドそうです。問題はしっかり者だったはずのバーさんがボケたことです。 老夫婦がベッドで寝ているシーンから始まって、バーさんが先に起きだします。トイレに行って、それからパジャマの上に、そのまま普段着を着込んで、台所に行って薬缶を火にかけて、部屋に戻って何かメモして、それをポケットに入れると、そのまま上着を着てドアを開けて外に出ていきます。もちろん火はつけっぱなしです。通りに降りて来て雑貨屋に入って、・・・・。 ジーさんが目覚めて、トイレに行って、沸き立っている薬缶の火を止めて、お湯をカップに注いで、自分の部屋に帰ってタイプライターをちょっと叩いて、ようやく、バーさんの不在に気付きます。で、あわてて上着を着こんで、よろけながら部屋を出て行って・・・・。 若い方が、ここまでのシーンをご覧になってどう思われるのか、チョット想像がつきませんが、目の前のシーンが他人ごとではないボクには、異様な実感と不安が沸き起こってきました。行って、しまえば、それがこの映画のすべてでした。笑えません。 老々介護の中で、まあ、当然起こるであろう出来事で映画は展開しますが、まだらボケが戻った時には捨ててほしい・・・・ と呟くバーさんと、心のどこかで現実から逃避したい本音を隠せないジーさん、世話する能力を端から持っていない息子、落ち着かない孫、哀しいとか、切ないとかいう以前に、ワラワラと湧いてくるあんなー・・・・ と、まあ、言葉にならない実感にとらわれ続けた2時間でした。題名の「ヴォルテックス」は「渦」という意味だそうですが、バーさんがやたらとごみを捨てたものですから流れないくなった水洗トイレの「渦」にならないシーンだけが記憶に残りました(笑)。 「老い」をめぐって「生」と「死」を真摯にとらえようとする努力というか、態度というかの表明のように、人生は夢の中の夢だとかフランソワーズ・アルディのMon Amie la Rose「バラのほほえみ」の絶唱であるとか、画面二分割の工夫だとか手を尽くしていらっしゃるのですが、かえって、こざかしい屁理屈というか、言わずもがなの講釈というかで、老人二人の演技のリアル! で十分でした。 いや、それにしても老夫婦を演じたお二人、ダリオ・アルジェント(夫)フランソワーズ・ルブラン(妻)には、まあ、だからといって、やっぱり笑えるわけではありませんが拍手!拍手!でした。 監督ギャスパー・ノエの真摯はしっかり受け止めましたが、たしかに、人生は夢の中の夢なのかもしれませんが、「老い」は「現実」 ですよ(笑)。ハハハ、ようやく笑えました(笑)。監督・脚本 ギャスパー・ノエ撮影 ブノワ・デビエ美術 ジャン・ラバッセ衣装 コリーヌ・ブリュアン編集 ドゥニ・ベドロウ ギャスパー・ノエ音楽 ケン・ヤスモトキャストダリオ・アルジェント(夫)フランソワーズ・ルブラン(妻)アレックス・ルッツ(息子)キリアン・デレ(孫)2021年・148分・PG12・フランス原題「Vortex」2023・12・18・no156・シネ・リーブル神戸no210 !
2023.12.22
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ジャン=ピエール・アメリス「ショータイム」シネ・リーブル神戸 予告編を見ていて思いました。「これって、好きかも?!」 まあ、そう閃いて見に来ました。で、好きなパターンでした(笑)。こういう、人情喜劇というのでしょうか、いろいろあるのですが、まあ、なんとなくハッピィ―・エンドというようなお話好きですね(笑)。 チラシにあるとおり、ロープにぶら下がってダンス(?)する、エアリアル・ポール・ダンスのシーンが、なかなかな迫力で、ダンサーのボニーという女性を演じているサブリナ・ウアザニという女優さんは、きっと、その道の人なんだろうと思いましたね。まあ、ポール・ダンスはともかく、エアリアルとかいうダンスの名を初めて聞いて、初めて見る人間のいうことですからあてにはなりませんがね(笑)。あのー、一応、お断りしておきますが、なかなかセクシーというあたりに惹かれて言っているのではありませんよ(笑)。全然ないというわけでもありませんけど。 映画の筋書きは、経営に行き詰った、チョット世間ずれした農場主が牧場の納屋でキャバレーを開くというお話でした。その発想が、まあ、突拍子もなくて面白いのですが、展開は案外ありきたりというか、王道というか、そうなればそういう山あり谷ありになるだろうというお話でした。 で、ボクに面白かったのはフランスの農村風景、ゴロゴロしている牛たちの姿とか、そうそう、牛の出産の実写、ボニーさんのダンス、それから、牛とかニワトリの物まねのおじさんの演技でしたね。こういう、のんびり楽しい映画を久しぶりに見ましたね。 で、エンドロールまでやって来て、笑いました。実話なのでした。フランスのお百姓さんがチャレンジして成功したお話だったのですね。キャバレーに挑んだ、牛飼いのダビッドさんは実在する! のです(笑)。どっちかというと、本物のダビッドさんに拍手!でした(笑)。 まあ、それにしても、何処の国でも、真面目に農業をやっていらっしゃる方たちは、とんでもなく苦労なさっているというわけで、そのあたりでしみじみしてしまいました。監督 ジャン=ピエール・アメリス脚本 ジャン=ピエール・アメリス マリオン・ミショー ジャン・リュック・ガジェ ミュリエル・マジェラン撮影 ビルジニー・サン=マルタン編集 アン・スリオ音楽 カンタン・シリャックキャストアルバン・イワノフ(ダヴィッド)サブリナ・ウアザニ(ボニー)ミシェル・ベルニエ(ミレーユ)ベランジェール・クリエフ(レティシア)ギイ・マルシャン(レオ)ムーサ・マースクリリュドビック・ベルティロ2022年・109分・G・フランス原題「Les Folies fermieres」2023・12・19・no157・シネ・リーブル神戸no211 !
2023.12.21
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長谷川櫂「震災句集」(中央公論新社) 先だって「震災歌集」(中央公論新社)を案内した長谷川櫂の、まあ、いわば本業「震災句集」(中央公論新社)です。収められている百句ほどの句を、ボソボソ呟くように読んで、十句ほど選びました。あの年、みちのくの海辺に立ち尽くしていたかの長谷川櫂の姿 が浮かびました。二〇一一年新年正月のくる道のある渚かな古年は吹雪となって歩み去る幾万の雛わだつみを漂へる 雛は雛人形焼け焦げの原発ならぶ彼岸かな天地変いのちのかぎり咲く桜滅びゆく国のまほらに初蕨 「まほら」は「まほろば」列なして歩む民あり死やかくもあまたの者を滅ぼさんとは ダンテ「神曲」迎え火や海の底ゆく死者の列怖ろしきものを見てゐる兎の目からからと鬼の笑へる寒さかな二〇一二年新年龍の目の動くがごとく去年今年みちのくや氷の闇に鳴く千鳥鬼やらひ手負いの鬼の恐ろしき 巻末に「一年後」という、いわば、あとがきを載せておられます。「震災歌集」で、「俳人の私がなぜ短歌なのか」 という、自らに対する問いを発しておられた俳人による、答えの一文でしたが、この句集ができる成り行きが書かれている部分を引きます。 大震災ののち十日あまりすぎると、短歌は鳴りをひそめ、代わって俳句が生まれはじめた。しかし、「震災句集」をつくるのに一年近くかかったのは私の怠け心を別にすれば、俳句のもつ「悠然たる時間の流れ」を句集に映したかったからである。また句集の初めと終わりに二つの新年の句を置いたのもこれとかかわりがある。どんな悲惨な状況にあっても人間は食事もすれば恋もする。それと同じように古い年は去り、新しい年が来る。(P154) 俳句という表現形式が「悠然たる時間の流れ」に支えられるものだという長谷川櫂の俳句観が、妥当なものであるのか判断する見識はボクにはありませんが、短歌という表現が、どこかで語りたがっている主体を意識させる、まあ、よくもわるくも押しつけがましさを感じるのに対して、俳句という表現が詠んでいる人の存在以前に、フッと浮かんでくる場や時が浮かんでくるような気はしますね。 まあ、あてにならない感想ですが、同じ震災という事件を前にして、長谷川櫂がどんな場所にいたのか、「震災歌集」、「震災句集」という二つの表現集で、実に、正直にさらけ出していらっっしゃることに感動しますね。 句集とか歌集とか、とりあえず読むことには苦労しませんからね。いかがでしょう。 ちなみに、この句集も、ここの所いじっている池澤夏樹本に出てきた本です。
2023.12.20
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