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「これ、ヤマブキですよね!」 徘徊日記 2024年4月25日(木)団地あたり サクラの花でソワソワした、3月の末からの一か月でしたが、終わってしまいました。次はツツジか? とかなんとか思いながら、団地の中をフラフラしていると咲いていましたよ。これって、ヤマブキですよね! 数年前まで、団地の真中の藪の中ですが、このあたりに、もう少し群生していたと思うのですが、すっかり見かけなくなったヤマブキの黄色い花です。 子どもの頃は、但馬の田舎の村の育ちですから、春先には、そこいらじゅうで見掛けたような気がするヤマブキ色なのですが、すっかり見なくなりました。 40年程まえに団地に住み始めたころにはレンギョウとヤマブキが黄色い花を咲かせるのが、サクラの季節の、もう一つの楽しみだったのですが、今は、オウバイモドキというのでしょうか、雲南黄梅一色です。 まあ、街中で見かけることは、もちろん、ない花なのですが、六甲や須磨の山すそあたりでも、本当に見かけなくなりましたね。なつかしいですね。にほんブログ村追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.04.25
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クリスティアン・ロー「リトル・エッラ」元町映画館 予告編を見ていて、子供が主役のようなので出かけました。見たのはクリスティアン・ローという監督のスウェーデン映画「リトル・エッラ」です。 主人公のエッラは男の子だと思っていたら女の子でした。これで、まずびっくりでした(笑)。小学校の3年生くらいで一人っ子のようなのですが、両親は休暇に出かけると会って、彼女をおばーちゃんのところに預けていってしまいます。ここで二度目のびっくり(笑)。彼女は彼女で、おばーちゃんより、おじさんのトミーが大好きだということで、トミー叔父さんのところにもぐりこむというあたりからお話が展開し始めました。 で、大好きなトミーおじさんはエッラと大の仲良しで、プールとか、遊園地とか、一緒に遊んでくれるのですが、実は恋人がいて、その恋人はスティーブというオランダ人の男性だということに、三度目のびっくりでした(笑)。その上、恋人同士の二人はエッラの前で、何の遠慮もなく抱き合いますし、彼女にはわからない英語の会話で仲良くするのを見て、彼女はブチギレて、ボクは呆れました(笑)。 と、まあ、ここまでが前段で、ここから、エッラが転校生のオットー君の知恵を借りて、二人の仲を裂くというか、あれ、これ意地悪を実行してというふうに、まあ、お話はすすむのですが、見ているこちらは、展開のあまりのあどけなさについていけません。「なんなんだ、この映画は?」 見終えて、悪い印象はありませんし、お話もよくわかります。しかし「なんだったんだ?」 が残ります。 で、帰ってきて謎が解けました。スウェーデンの絵本作家ピア・リンデンバウムという人の「リトルズラタンと大好きなおじさん」という絵本童話の映画化! だったのです。ナルホド!(笑) でした。 ボクは、たいていの映画をジジーというか、大人の目で見ていて、たとえば、この映画のように、あくまでも子供にわかる子供の視線で描こうとしている世界に出合った時には、そうだと気付かない時には、ついていけないんですよね。 童話や絵本を、読んだり、見たりすることは、多分、同世代のじいさん、ばあさんよりは、多分、頻繁にしているし、好きでもあるんです。作品について理解もしていると思い込んでいましたが、怪しいものですね。 いやー、だからどうするというわけではありませんが、発見! でしたね。 子供や若い人の目で見るとか、まあ、そういう、きいたふうなことを言いたがることがあるのですが、まず、自分を振り返った方がいいですね(笑)。 まあ、それにしても、スウェーデンとか、やっぱり違いますね。イロイロびっくりしました。というわけで、エッラちゃんとオットー君に拍手!でした。監督 クリスティアン・ロー原作 ピア・リンデンバウム脚本 エラ・レムハーゲン ヤンネ・ビエルト サーラ・シェー撮影 シーモン・オルソン美術 オーサ・ニルソン衣装 エッベ・ハーデル編集 アーリル・トリッゲスタッド音楽 スタイン・ベルグ・スベンドセンキャストアグネス・コリアンデル(エッラ:少女)シーモン・J・ベリエル(トミー:叔父さん)ティボール・ルーカス(スティーブ:おじさんの恋人)ダニヤ・ゼイダニオグル(オットー:転校生)ウィリアム・スペッツ(マイサン)インゲル・ニルセン(おばあちゃん)ミカエル・バーデンホルト(三つ子)パトリック・バーデンホルト(三つ子)ロビン・バーデンホルト(三つ子)マリア・グルデモ=エル=ハイエク(オットーの母)テレース・リンドベリ(エッラの母)ビョーン・エーケングレン・アウグスツソン(エッラの父)2022年・81分・G・スウェーデン・ノルウェー合作原題「Lill-Zlatan och morbror Raring」2024・04・23・no061・元町映画館no242追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.04.24
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ジュリアーノ・モンタルド「死刑台のメロディ」シネリーブル神戸 「エンニオ・モリコーネ特選上映 Morricone Special Screening×2」という企画で、神戸ではシネリーブル神戸で上映されている作品です。予告編を見ていて、ジョーン・バエズの声が聞こえてくると、まだ20代だった学生の頃に見た頃のことがわらわらと浮かんできました。 「Sacco e Vanzetti」という、まっすぐな原題の作品が「死刑台のメロディ」という邦題で公開されていて、どこかの名画座で見ました。50年程も昔のことです。 歴史的な冤罪事件の映画化が事件の50年後に実現し、その50年後に映画音楽の特集上映で再上映され、今年70歳になるの老人は、50年ぶりに「これがアメリカだ!」 と再確認したのでした。国家権力としての、暴力国家としての「アメリカ」 ですね。 見たのはジュリアーノ・モンタルド監督のイタリア映画「死刑台のメロディ」です。 映画はフレーム・アップ、でっち上げの冤罪事件の真相を告発するドキュメンタリーの雰囲気で始まりますが、メインに据えられているの、フレームアップがいかに進行していくのかを、神に誓った真実のことばがやりとりされている「法廷劇」として描かれていました。 この年になってでしょうね、とりわけ面白かったのは権力者の言葉と、反権力者、抵抗者の言葉の違いを、実にクリアに描いていたことでした。 権力者は、あくまでも言葉の表層に拘泥し、揚げ足取りやアジテーションによって、権力の象徴であり、抽象的で、超越的な「法」の網に取り込むことができるかのように相手の言葉を誘導します。何の力もない、その社会の言葉である英語だってうまくしゃべれるわけでもない、一人でそこに、さらし者のように立っている人間が発することばに対する解釈の権力性を臆面もなく主張している姿を活写していました。 たとえば、現場に残された銃弾が32口径であれば、今、目の前にある32口径から「発射されたと言えないことはない」という論旨が、「発射されたにちがいな」へと変わっていく権力的な「ことば」の扱い方の描写は、バンゼッティの最後の言葉である「正義とは何かを証明するために生まれてきた。」 というような、内的真実の叫びというべき「ことば」の吐露と好対照でしたね。 裁判から判決の過程で精神的安定を完全に失いながらも、そこから回復した、もう一人の主人公サッコが「利他を尊べ」と子供に遺しながら、大人に対してはことばを捨てて殺されていった姿にも打たれました。貧しい、流転の人生を生きてきたこころを支える、正直で素直な言葉の存在を共有できないことへの怒りと絶望の沈黙という印象で、この人の姿に人間的な真実 を感じました。 エンニオ・モリコーネの映画音楽の企画なのですが、音楽としてはHere's to Youを歌うジョーン・バエズの歌声以外は、まあ、気付かなかっただけかもしれませんが、実に静かな(?)会話劇の印象でした。サッコとバンゼッティを演じる二人を始め、法廷に登場する人たちの、見ているこちらを、今でもシラケさせない堅実な演技に時代を感じました。50年前、単純な告発映画として見ていたということを実感しましたが、サッコの沈黙 については気づいていたようです。ボクにとってはしみじみと拍手!の懐かしい作品でしたが、できれば、若い人たちにも見てほしい作品ですね。 民主主義を標榜しているアメリカの底に流れるもの、アメリカにかぎらず権力のやり方、まあ、そのあたりは50年変わりませんね(笑)。監督 ジュリアーノ・モンタルド脚本 ファブリツィオ・オノフリ ジュリアーノ・モンタルド撮影 シルバーノ・イッポリティ音楽 エンニオ・モリコーネ主題歌 ジョーン・バエズキャストジャン・マリア・ボロンテ(バンゼッティ)リカルド・クッチョーラ(サッコ)シリル・キューザック(検事)ロザンナ・フラテッロジェフリー・キーン(判事)ミロ・オーシャ(弁護士)ウィリアム・プリンス(弁護士)クロード・マン1971年・125分・イタリア原題「Sacco e Vanzetti」日本初公開1972年5月2024・04・22・no060・シネリーブル神戸no239追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.04.23
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「鯉川筋のイペ、咲いてました!」 徘徊日記 2024年4月22日(月)元町あたり 神戸、元町の鯉川筋、JR元町駅から大丸デパートに行く道です。この季節になるとヒラヒラした黄色い花を付けます。木の名前はイペといいます。南米原産の広葉樹らしいですが、この通りでは街路樹として植えられています。 ボクは、このヒラヒラした黄色い花の雰囲気が好きで、毎年、咲くのを待っています。 これは、大丸前のスクランブル交差点の東側の角にある1本です。北からの角度で撮ったこの写真は、背景が大丸デパートです。 下の写真はJR元町駅前の広場のベンチの横にある1本。よく知りませんが、駅前のモニュメントも一緒に写っています。 で、この下の写真は、元町駅前の交番の前、南に下る交差点の角にある木です。 ちょっと、近寄って撮ったのが下の写真。天気が悪くて、青空じゃないのが残念です。 駅前の横断歩道を渡って南側から撮ると下の写真になります。 塔がのっかっているような建物が交番です。写真の向う、左が元町駅で、右側がJRの東海道線の高架です。 実は、この徘徊日記を書いているは4月22日ではありません。 というわけで、きっとイペのシーズンはもう終わっているのかもしれません。まあ、ボクにとっては、2024年の春の終わりの備忘録です。あしからず(笑)。追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)にほんブログ村
2024.04.22
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唐組 第73回公演『泥人魚』 湊川公園赤テント 劇団唐組のテント公演、「泥人魚」を神戸の新開地、湊川公園で見ました。この前はいつ見たのか思い出せないくらい久しぶりの赤テントでした。テント芝居どころか、生のお芝居を観るのも10年ぶりという感じで、湊川公園に張られている赤テントを見て、もう、(^<^)ドキドキでした。 今回の赤テントは50年来のお芝居友だちの入口君がチケットまで手配してくれて、こちらのお久しぶりの再会も(^<^)です。 演目は「泥人魚」でした。 テント小屋の、呉座を敷いた板の間に座り込んで、立膝する余裕があるだけ、昔に比べると楽ちんでしたが、日ごろ、柔軟体操だけは欠かさずやっていたおかげでしょう、ほぼ、2時間の座りっぱなしに、何とか耐えました。 お話は? と言われて、これがさっぱりわからないのが唐組にかぎらず、テント芝居のいい所(笑)ですが、今回もさっぱりわかりませんでした(笑)。 顔に見覚えのある役者は久保井研たった一人で、主役の泥人魚を演じている女優さん、大鶴美仁音の活舌の悪いせりふ回しを聞きながら「この娘、唐十郎のお嬢さんなんだなあ(笑)」 とか、時の流れというのでしょうか、妙にしみじみとしながら、わけのわからない展開を、それなりに楽しんで座っていましたが、とどのつまりになって、荒谷清水と内藤裕敬という、昔よく通った南河内万歳一座で、なんども笑わせてもらったお二人が登場して、拍手!でした。 いい加減で、猥雑で、ハチャメチャで、笑えるというのがボクの赤テントなのですが、ハチャメチャを演じるのも、やっぱり芸というか、役者の力量なわけで、今回の赤テントは、まだまだ学芸会でした(笑)。 まあ、そうはいっても、久しぶりの赤テント、拍手!でしたね。頑張って2時間、呉座に座って、思い出にふけりながら見た老人二人組にも拍手!でした(笑)。唐組 第73回公演『泥人魚』作 唐十郎 演出 久保井研+唐十郎出演 久保井研、稲荷卓央、藤井由紀、福原由加里、加藤野奈、大鶴美仁音、重村大介、升田愛、藤森宗、西間木美希、岩田陽彦、金子望乃、壷阪麻里子、髙橋直樹、舟山海斗、中村健、山本十三 福本雄樹、友寄有司、荒谷清水、内藤裕敬(2024・04・20神戸・湊川公園)追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.04.21
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ピーター・グリーナウェイ「ZOO」元町映画館 「ピーター・グリーナウェイ レトロスペクティヴ 美を患った魔術師」のゴール、4本目は、企画チラシのメインを飾っている「ZOO」でした。 映画館に到着すると、お久しぶりのカウンター嬢でした。「グリーナウェイ、今日で最後、4本目やで。」「( ̄∇ ̄😉ハッハッハ、それはありがとうございます。最後がZOOですか!それは、それは。(笑)) と、まあ、なんだか意味ありげな笑いです。「えっ?どういうこと?」 とか、なんとか、フト、???だったのですが、無事、見終えました(笑)。 ピーター・グリーナウェイ監督、「魔術師」とか「唯一無二のセンス」とか、まあ、大変なのですが、ボクが鈍いんでしょうね、さほど、ギョッとするわけでも、目を瞠るわけでもなく、それでも、なんかひっかるよな? という感じは持続し続けて、4本見終えました。なんなんですかね、この人? 結局、そこのところにとどまったままでしたね。カウンター嬢に脅されましたが、事件は起きませんでした(笑)。 1本目以来の懸案事項だった、裸体ですが今回も、あちらこちらに出てきましたね。でもね、慣れちゃうとインパクトがありませんね。だから、忘れちゃうんですよね。 で、お話ですが、主人公の動物学者の双子、チラシの中央で裸で座っている二人ですが、彼らが働いているのが「ZOO」ですから動物園ですね、まあ、そこが舞台といえばいえるのお話でした。 で、今回のテーマは、まあ、勝手にそう思っただけですが、「死体」と「腐乱」でした。生き物の死から消滅までの変化の様子が、高速度フィルムというのでしょうか、具体的に映し出されていて、それが目に見えるように映像化しているのですが、グロテスクというより、フーンという感じで、映し出される死骸が、だんだん大きな動物になっていくのを眺めながら、「これって、結局、人間に行きつくのかな?」 そう、思っていると、やっぱり、人間にたどりついて、「で、何がいいたいの?」 が、残りましたね。 シーンがあるだけでコンテクストがないということなのですが、映画全体としては、シーンに何かあるのですよね。だって、意味不明な裸体に朽ちていく死骸なのですよ。そこにはこの映画作家の創作意図なのか、芸術的感受性の発露なのか、たしかなにかにある! のかもしれませんが、ボクにはピーンと響いてこないのですね。これを、極度に好む人も、嫌がる人も、きっといるんだろうな、とか何とかは思うのですが、ボク自身の実感はポカーンでしたね。好きとか嫌いとか判断しようがないというか。なんか見えるんじゃないか、なんか気づくんじゃないか まあ、そんなふうな自分に対する期待もあって、4本見て、結局、ポカーン???(笑) では芸のないことおびただしいのですが、美術でもそうですよね、話題になっているからというので見るのですが、なにも浮かんでこないってあると思うのです。 まあ、そうはいっても、この人の作品、見たことのないのが出てきたら見るでしょうね(笑)そういう興味深さは、やっぱり、感じるのですが、その正体がつかめない、4日続けての元町映画館通いでした(笑)。 監督・脚本 ピーター・グリーナウェイ撮影 サッシャ・ビエルニ音楽 マイケル・ナイマンキャストアンドレア・フェレオル(アルバ)ブライアン・ディーコン(オズワルド)エリック・ディーコン(オリヴァー)フランシス・バーバー(ミロのヴィーナス)ジョス・アックランド(ヴァン・ホイテン)ジェラール・トーレン(医師)1985年・116分・イギリス原題「A Zed & Two Noughts」2024・04・05・no056・元町映画館no240追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.04.20
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ピーター・グリーナウェイ「数に溺れて」元町映画館 2024年4月の第1週は、毎日、元町映画館通いです。「ピーター・グリーナウェイ レトロスペクティヴ 美を患った魔術師」という、わけのわからない監督の企画に溺れています(笑)。3本目は「数に溺れて」でした。 「数」に溺れるという題の意味が、映画の冒頭から暗示されるシーンから始まります。 可愛らしい少女が縄跳びをしながら、まあ、日本語で言えば「一つ~、二つ~、三つ~」という感じで星の名前を順番に、たとえば、アンタレスだったか蠍座だったか、シリウスだったか大犬座だったか、そのあたりははっきり覚えていませんが、ともかく、空の星の名前を数えていって、100まで跳ぶんです。で、「100からは?」「あとは同じ」 とか何とかいうそばにいた少年との会話があるのです。まあ、それはそれで面白いシーンから始まります。 で、ドラマは、途中まではわからないのですが、3人の女性が、母、娘、姪ですが、何故かシシーという同じ名前で、それぞれ自分の夫や恋人を殺すのですが、みんな溺死なんです。溺れ死にですね。 死因は「数」じゃなくて「水」です(笑)。 で、検死官のおじさんが、それぞれの死因を「他殺」じゃなくて「事故死」だと認定するかどうかがサスペンスのはずなのですが、お話は検死官と一番最初の、お母さんのシシ―との、まあ、色恋の話になってしまって、別にドタバタするわけじゃありませんが、意味不明の「ドタバタ・コメディ?」 の様相で、とどのつまりには数を数えていた少女も、それを見ていた少年も、みんな死んでしまって、ついでに、検死官が、今乗っているボートも、今や沈み始めているというラストを迎えます。 「なんなの、これ???」 原題をみると「Drowing by Numbers」ですから、邦題でいじっているわけではありません。監督の何らかの表現意図が込められているのでしょうが、ボクにはすっきりしませんでした。 三人の同じ名前の女性、100までの星の数、数について暗示的ではあるのですが・・・??? いやはや、ピーター・グリーナウェイ、けったいな監督ですが、あと1本です。 はい、もちろん、見ますよ(笑) ボクも、ヒマなんですねえ(笑)監督・脚本 ピーター・グリーナウェイ撮影 サッシャ・ビエルニ 美術 ベン・バン・オズ ヤン・ロールフス編集 ジョン・ウィルソン音楽 マイケル・ナイマンキャストジョーン・プロウライト(母シシー・コルピッツ)ブライアン・プリングル(夫ジェイク)ジュリエット・スティーブンソン(娘シシー・コルピッツ)トレヴァー・クーパー(娘の夫ハーディ)ジョエリー・リチャードソン(姪シシー・コルピッツ)デイヴィッド・モリッセー(姪の恋人ベラミー)バーナード・ヒル(検死官マジェット)1988年・118分・イギリス原題「Drowing by Numbers」日本初公開 1989年2024・04・04・no055・元町映画館no239追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.04.19
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バス・ドゥボス「Here」元町映画館 「ゴースト・トロピック」という、題名だけ見ていると意味不明な作品を見て、「もう1本も見よう!」 と思ったベルギーのバス・ドゥボスという監督の、もう1本が、この作品「Here」です。見たのは2024年の3月の31日(水)です。もう20日も前なのですが、感想を今ごろ書いています(笑)。 「ゴースト・トロピック」を見て「いいよ!いいよ!」 と、先に見て騒ぐのを聞いて、自分も見てきたチッチキ夫人との同伴鑑賞でした。 で、帰り道です。「あれってルーマニアやった?」「違うわよ、ルーマニアから、あっこに出稼ぎに来てはるんやんか。」「女の人は中国人?」「顔はね、アジアの人。」「中華料理屋さんやから、中国の人かな、いう感じやったな。」「でも、あっこで生まれ育ってはったみたい。」「苔の研究とか不思議やんな。顕微鏡写真。」「でも、それと一緒にお日さんの光が漏れてくる、木立のシーンがあったやん。あれが、ものすごく自然でよかったわ。」「パーフェクトデイにも同じようなんがあったやん。」「あのな、あの映画な、ウソくさかってん、私には。」「えっ?どういうこと?」「役所広司さんには、別に文句はないねんけどね、まず、トイレの掃除の仕方がウソ臭いねん。」「どいうこと?」「職場のトイレ掃除とかしたことあったらわかると思うねんけど、床のゴミ、素手で拾ってはったやろ。帰りにお風呂に入らはるシーンで説明してはるつもりかもしれ知れへんけど、私やったら、手袋して拾うし、繰り返し手を洗う気がするし、だから、ピカピカのお便所やけど、あそこを使う気がせんかってん。それに、役所広司が持ってるカセットが、妙に価値があるのも変やなって。あの人、金持ちやんって。」「なんかを捨ててきた男をしゅじんこうにしてんねやろ。」「でも、今日の男の人はちがうねんよ。普通の人やん。」「冷蔵庫の残りもんでスープとか?普通?」「そうそう、あれすごくジーンときたわ。」「一人者の料理?」「いや、そうやなくて、暮らしてた国というか、故郷の普通の味のもんを知ってはって、出稼ぎ先で、自炊してはる時に、それがご馳走で、それを、仲間の人や、世話になった人に配って回ることが自然なんよ。」「歩いている林の木立を見上げて見える光のシーンも自然?」「そう、そう、なんか、パーフェクトデイやったら、主人公の、なんかを象徴するようになシーンのために撮ってて、わざとらしいと思うんやけど、この映画の木立は、あるがままなんよね。」「ふんふん。」「男の人と女の人の出会いも、なんか、事件が起きそうなのにそのままで、そやから、女の人が最後に男の人の名前もわからへんというシーンが、ものすごくいいなと思ってん。」「そうかあ、ヴェンダースのは、あれは、あれで、ボクはよかったけど、そうやなあ。」「ちょっと、田舎に帰るけど、冷蔵庫に野菜とか遺ってたからスープ作ってん、食べて、いうて、スープ作って知り合いに配るってすごくない?」「そうやなあ、ありへんな。」「みんな、違うとこから来て、ブリュッセルって、ベルギー?、あっこらへんに暮らしてる、いろんな人を描いてはる目線が自然なんよ。」「苔の研究なんて、変ちゃあ、変やけど、不自然とちゃうもんな。」「あのね、でもね、わたしはこの前のおばさんの話の方が好きよ。」「そうなん?」「そんでね、パーフェクトデイやけど、畳の部屋を歩く時の摺り足の音してたヤロ、あれはよかった思うわ。」「足音がか?」「いや。ほやから畳歩く時の足が摺れる音よ。」「うーん。それは小津かもな?」 と、まあ、帰り道の会話の実況ですが、二人とも、納得だったようですね。バス・ドゥボス監督に拍手!でした。 若い監督さんらしいですが、映し出される人の姿にウソがないというか、チッチキ夫人が「普通」といってましが、文字通り普通の人の姿が映っていて、事件なんて何も起きないのですが、そこがいいなあと思いました。 ああ、それから、話に出てくるパーフェクトデイは、昨年、2023年の暮れに話題になったヴェンダーズの「パーフェクト・デイズ」です。彼女は一人で見に行きましたが、帰ってきて首をかしげていました。ちょっと、そのあたりのことが、この日はことばになったようです。 ボクの感想は題名をクリックしてみてください。監督・脚本 バス・ドゥボス撮影 グリム・バンデケルクホフ音楽 ブレヒト・アミールキャストシュテファン・ゴタリヨ・ゴンサーディア・ベンタイブテオドール・コルバンセドリック・ルブエゾ2023年・83分・G・ベルギー原題「Here」2024・03・29・no051・元町映画館no236追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.04.18
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金聖雄「アリランラプソディ」元町映画館 待っていた映画です。金聖雄監督の「アリランラプソディ」です。 1990年の終わりから、ほぼ、20年がかりで撮り続けられた川崎市の桜本という地域のおばあちゃんたちが主人公のドキュメンタリーでした。 一番年の若い人で1950年代、登場する多くの人は1920年代に生まれたおばーちゃんたちです。ボクは1954年生まれで、今年(2024年)に70歳で、ボクの母は1928年、昭和でいえば3年生まれの辰年でしたが、亡くなって10年ほどたちます。まあ、その辺りの、だから。ぼくにとっては母に当たるくらいのお年の方が勢ぞろいです。 アリランを歌い、チマチョゴリの晴れ着を着て踊っていらっしゃる姿に涙がこぼれ始めたのが、映画の冒頭でしたが、70歳を過ぎて、初めて識字学級に通い、書けるようになった「日本語」の文字で「にんげんはつよい」 とお書きになっている色紙や、緑の木に雪が降り注いでいる美しい絵が映し出されるのを見ながら、揺さぶられ続けです。 ボクの母ががんの末期を宣告され、病院のベッドで付き添っているボクに語ったことで、覚えていることが二つあります。 一つは、南方へ出征した長兄が、遺品など何一つないまま、とうとう帰ってことを、母の父、ボクの祖父が、最後まで納得しなかったことを「わたしも哀しかったけどな、オジーちゃんはずーっとおこっとんなったなあ。」 そう語りながら、ボンヤリ病室の天井を見上げていたことです。 もう一つは、すぐ上の兄がシベリアに抑留されていた時のことです。「つーちゃんがな、今度こそ帰って来るいうてな、おばーちゃんなあ、船がつくという知らせが来るたびに舞鶴まで行きなったんやで。私が結婚する前やなあ。あんた、岩壁の母っていう歌知っとるやろ、あの歌はホンマことやで。」そう、語りかけながら、あるかなきかの声でひっそりと「はーはは きましーた・・・♪♪」 と口ずさんでいたことです。 スクリーンでは「夢は?」 と問われたオモニたちが、困った顔で80年の人生を振り返っていらっしゃるのが、胸を打ちました。十代で体験した戦争下での暮らしも、戦後の暮らしも、ボクの母の体験などとは比べものにならない悲惨で苛酷な、夢など何一つかなえられなかった人生がスクリーンにはありましたが、ぼくは、戦死した伯父や、それを悲しみ続けた祖父母のことを、亡くなる前の晩に思い出しながら逝った母を思い浮かべながら見終えました。 スクリーンのオモニたちが歌ってきた「アリラン」という歌の一節に、日本語にすればこんな歌詞があります。アリラン アリラン アラリよアリラン峠を越えて行く青い空には小さな星も多く、我々の胸には夢も多い。 インタビューは、おそらく、この詩を念頭にして行われたと思いますが、オモニたちの「夢」 を、言葉通り、生涯にわたって、踏みにじってきたのが、1920年代にお生まれになったときから、戦中、戦後、実は、今に至るまで、「日本」という国であったということは、やはり、忘れてはいけないことだと思いました。 思い出ついでに、もう一つ、ハッとしたことがあったことを書き添えておきます。 映画の後半、オモニたちが沖縄の読谷村を訪れるシーンがあります。そこで「恨の碑」、正式には「アジア太平洋戦争・沖縄戦被徴発朝鮮半島出身者恨之碑」という石碑を訪ねられるのですが、石碑に縋り付いて泣き始めて、親戚や知人のことを思い出されたのでしょうね、泣き止むことができなくなったオモニの一人が写されるのですが、そのシーンに胸打たれながら、その石碑を作ったのが、金城実という彫刻家であることに気付いて、「ああー!金城センセーや!」 と噴き上げてくるものがありました。 金城実先生が西宮の定時制高校で英語の先生だったころ、教員初体験のボクは半年間、同僚だったのです。その後、先生が沖縄に戻られ、実にユニークな彫刻を発表され続けていたことは遠くから知っていましたが、こんなふうに、沖縄や朝鮮の人たちの心を打ち続けて来られたのだ! ということは、初めて実感したのでした。 なんだか、思い出ばかりの感想ですが、忘れてはいけないことがあることをつくづくと感じた映画でした。拍手!監督 金聖雄撮影 池田俊已 渡辺勝重 菊池純一 世良隆浩 石倉隆二 田辺司録音 吉田茂一現場録音 池田泰明 渡辺丈彦編集 金聖雄 康宇政音楽 横内丙午語り 金聖雄2023年・125分・日本2024・04・13・no058・元町映画館no241 追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.04.17
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ピーター・グリーナウェイ「英国式庭園殺人事件」元町映画館 「ピーター・グリーナウェイ レトロスペクティヴ 美を患った魔術師」の2本目は「英国式庭園殺人事件」でした。 1本目がシェイクスピアのテンペストのネタでしたから、まあ、イギリスの時代劇なわけでしたが、この作品も、多分、日本でいえば江戸時代のなかばというか、17世紀から18世紀くらいのイギリスの田舎貴族のお屋敷での話のようで、登場する画家が1枚8ポンドで12枚だかの絵を請け負うという筋立てなのですが、これがどの位の価値なのか、そこのところが妙に気になった映画でした。 固定相場で、ドルが360円だった1950年代にポンドは1000円くらい(?)だったと思うのですが、17世紀とかいうことになると、まったく見当がつきません。 まあ、ほとんど、どうでもいいことなのですが、映画の終わりまで気になっていて、帰って来て調べても、やっぱりわかりませんでした。 次に気になったのが絵画です。主人公らしき人物であるネヴィルという男が画家で、この映画ではハーバートという田舎貴族の奥方に雇われて、屋敷の風景を書くという設定で、前回は本だったわけですが、今回は絵でした。 まあ、その絵の描きかたあたりから、実に映像的に工夫されていて、この監督の、多分、味わいの一つなのでしょうね。 で、油絵を描くのかと思うと線描画だったことに驚きましたが、構図を縦横に糸を貼ったファインダーというか、構図用の枠を備えて、そこから覗いた風景が、リアルな描線に変化していって、1枚の写生画になっていくあたりの撮り方はとても面白いと思いました。 そうそう、絵といえば、シーンの中に、いかにも、これはフェルメールかな? という構図があったりしましたが、そう言えば、上に書いたファインダーというかも、フェルメールだったかの対象把握の道具と似ているかもしれませんね。でもね、結局、何で、フェルメールなの? という、まあ、ハテナになってしまうところが、この映画なわけです(笑)。 で、映画は、彼が描いた絵のなかに、結果的には殺されていたハーバート卿の遺留品が書き残されていたということから、その絵を描いた画家が、この殺人の真相を見ていたに違いないという推理としては全く成り立たない! 理由から、ハーバート卿殺しを疑われて、とどのつまりは屋敷に出入りしている男たちによって惨殺されて終わるのですが、この間のストーリー展開について理解している人がいるなら解説してほしいという「何があったの?ポカーン?」 という作品でした。 で、1本目で気になった全裸の登場人物(笑)ですが、この作品では屋敷の庭にあるブロンズの彫刻が、体を緑に塗った人間なのですね。 映画の途中で、庭の隅の彫刻が動き出すシーンが、わざわざ映し出されるので、「さて、これが殺人の真相を、なにか暗示するのかな?」 と思って見ていたのですが、どうも、何の関係もなかったようで、「なんやねん???」 というか、そういうのを登場させたいから映像にしたという感じでした(笑)。 画家と、屋敷の女主人、その娘の関係も、いってしまえば不倫ですが、肉体的交渉まで含む「絵」に対する報酬条件とか、興味津々で見ましたが、殺人事件の謎解きといい、それでなんやったん? という結末で、アゼン! でした。笑うしかありませんね(笑)。 とか、なんとか、いいながら、結構、面白がって見終えたことは事実で、確かにこの監督には「妙に引っ張られる、わけのわからなさ」がありますね。ということで、あと2本、やっぱり見てしまいそうです。ボクもヒマですね(笑)。監督・脚本 ピーター・グリーナウェイ撮影 カーティス・クラーク美術 ボブ・リングウッド衣装 スー・ブレーン編集 ジョン・ウィルソン音楽 マイケル・ナイマンキャストアンソニー・ヒギンズ(ネヴィル 画家)ジャネット・サズマン(ハーバート夫人)アン=ルイーズ・ランバート(タルマン夫人)ニール・カニンガム(トマス・ノイズ)ヒュー・フレイザー(ルイ・タルマン)デイブ・ヒル(ハーバート氏)1982年・107分・イギリス原題「The Draughtsman's Contract」(画家の契約)日本初公開1991年2024・04・03・no054・元町映画館no238追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.04.16
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井戸川射子「この世の喜びよ」(講談社) 井戸川射子という人の「この世の喜びよ」(講談社)という作品集を読みました。書名になっている「この世の喜びよ」は、ちょうど1年前、2023年1月に発表された芥川賞の受賞作ですが、ほかに「マイホーム」・「キャンプ」という短編が入っています。 西宮あたりで、公立高校の教員をなさっている方だと聞いて、2021年に野間文芸新人賞を受賞されたという「ここはとても速い川」(講談社文庫)という作品を読んで「あっ、この人は、ちょっとちがう!」 まあ、そんな、感想を持って注目していた人でしたが、最近気に入っている乗代雄介とは、まあ、好対象(笑)というか、2作目で芥川賞でした。 あなたは積まれた山の中から、片手に握っているものとちょうど同じようなのを探した。豊作でしたのでどうぞ、という文字と、柚子に顔を描いたようなイラストが添えられた紙が貼ってある。そのまえの机に積まれた大量の柚子が、マスク越しでも目が開かれるようなにおいを放ち続ける。あなたは努めて、左右均等の力を両足にかけて立つ。片方に重心をかけると体が歪んでしまうと知ってからは、脚を組んで座ることもしない。腕時計も毎日左右交互につける。あなたは人が見ていないことを確認しつつ片手に一つずつ握っていき、大きさ重さを感じながら微調整し、ちょうどいい二つをようやく揃えた。喪服の生地は伸びにくいので、スカートの両側についたポケットにそれぞれ滑り込ませると、柚子の大きさで布は張り膨らむ。この柚子は娘たちに、風呂の時に一つずつ持たせてやろう、とあなたは手の中のを握りしめた。従業員休憩室に、おすそ分けがこうして取りやすく置いてあるのは珍しい。大きなショッピングセンターなので休憩室は広く、売り場のコーナーごとに仲良くまとまっている。仲間内でお土産が配られたりして、普段は分け合っているのを横目で眺めるだけだ、お菓子などは、あなたにはいつも回ってこない。(P7~P8) 書き出しの、最初のパラグラフです。「あなた」という2人称の代名詞で語られる「誰か」の行為(外面)から意識(内面)までが、この作品で、その「誰か」のことを「あなた」と呼んでいる書き手によって描かれていました。 誰かは、引用部で分かるように、どこかのショッピングセンターの喪服売り場で「仲間内でお土産が配られたりして、普段は分け合っているのを横目で眺めるだけ」 だと感じながら働いていて、もう少し読めば、ポケットに入れた柚子を「風呂の時に一つずつ持たせてやろう」 と思う二人の娘が、すでに就職したり、大学生になっていたりしている、おそらく40歳をこえる女性だということもわかってきますが、問題は、その女性を「あなた」と呼んで、この文章を書いているのは誰なのかということですね。 例えば、よく知られたこんな書き出しの小説があります。「或日の暮方の事である。一人の下人が、羅生門の下で雨やみを待つてゐた。」 教科書でご存知でしょう、芥川龍之介の「羅生門」の冒頭ですが、この一文の「一人の下人」を「あなた」に置き替えてみると、読者はこの小説の「書き手」と「あなた」の関係は何か? から目を離せなくなると思いませんか。小説が説話物語的な構造を捨てて、書き手と、登場人物である「あなた」との「関係」を描かずに終えることはできないだろうという、まあ、ある種の緊張感 を内包する現代小説化していくと思うのですね。この作品は、そこに着目して現代を生きる人間を描こうとしているのではないか? まあ、そういうことを期待して、2ページ、3ページと、ほとんど何も起こらないこの作品のページを繰って読み続けながら、ボクの頭から離れないもう一つの疑問は「この世の喜びよ」と、作品名によって明示されている、「この世の喜び」とは何か? ですね。 で、この本の7ページから96ページまで、全部で89ページある、この作品の87ページまでたどり着いたのですが、語り方に変化はありませんし、題名理解への暗示もありません。 ところが、最後の2ページです。突如、もう一人の「あなた」が登場し、初めて、他者に2人称で呼び掛ける、1人称の「私」も登場します。「私は炎みたいな形の木とか、太い幹の根もとから色の薄い若木が取り囲むように生えてて、これから競い合うように、枝はどう伸びていくんだろうとか、そういうのを眺めてた。」 初めて、この小説に、一人称の「私」が出てきた一文の後半です。 で、作品は指示対象が異なるらしい二つの、同じ二人称代名詞「あなた」の出てくるこの一文でとじられます。「あなたに何かを伝えられる喜びよ、あなたの胸に体いっぱいの水が圧する。」 ここまで読んできて浮かんできた、あれこれの疑問が、この一文ですべて氷解したりはしませんでしたが、読み終えたとき、なんだか深くため息をつきながら、「胸に体いっぱいの水が圧」している「あなた」の姿を思い浮かべました。 わからないところは残っていますが、確かに、今という時代の、社会の片隅で、ひっそりと生きている人間の「希望」 を描こうとしている作品であることは間違いないと思います。 納得です。 追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.04.15
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NTLive ルパート・グールド「ディア・イングランド」シネリーブル神戸 久しぶりのナショナル・シアター・ライブです。上映館のシネリーブル神戸が、座席の改修工事とかで10日ほど休館していたので、この映画館に来るのも久しぶりでした。なかなか快適、贅沢な座席に変わっていましたよ(笑)。 で、演目はルパート・グールドという人の演出で「ディア・イングランド」という、どうも、サッカーを舞台でやる! お芝居らしいですが、「サッカーを舞台でねえ?」 まあ、「何でも見てやろう!」 という気分ではありましたが、実は、まったく期待していませんでした。だって、チェーホフやシェイクスピアをやるならともかく、サッカーですからね、何を期待していいのかもわからないじゃないですか。 で、これが、大当たり! 画面を見ていて、地元のイギリスというか、イングランドでは大うけだったのが画面の観客の様子からもよくわかりました。たぶん、実在の選手とかに似ているのでしょうね。もっとも、このお芝居の、ちょうど前の時代のベッカムとか、ウェイン・ルーニーあたりの名前は聞いたことがあるというのがやっとで、今では、イングランドの選手の名前どころか、日本代表選手の名前さえ知らない、サッカーなんて忘れて10年以上経った、70歳目前の老人が、舞台上の試合結果にワクワクし、選手や監督のセリフに、なんと、涙を流してしまった出来栄えで、拍手!、拍手!でした。 さすが、お芝居の国イギリスですね。ほんの小さな舞台の上で、ワールドカップの試合を再現して見せていて、もうそれだけですごいのですが、且つ、現在の世界で、多分、最も重要な思想的課題の一つである「ナショナリズム」について、かなり本質的な問題提起と、未来に対する希望を呼び掛けているドラマとして出来上がっている印象で、単に、「イングランド万歳!」 ではないお芝居になっているところに感心しました。やっぱり拍手!ですね。 ところで、これが今年のナショナル・シアター・ライブのチラシです。1本はチェーホフの新解釈のようですが、あと2本は新作ですね。楽しみです(笑)。演出 ルパート・グールド原作 ジェームズ・グレアムキャストジョセフ・ファインズ(ガレス・サウスゲート)ウィル・クローズ(ハリー・ケイン)アダム・ヒューギル(ハリー・マグワイア)ダラー・ハンド(マーカス・ラッシュフォード)エベニーザー・ギャウ(ブカヨ・サカ)ジーナ・マッキー(ピッパ・グレンジ)2024年・160分・イギリス原題National Theatre Live「Dear England」2024・04・12・no057・シネリーブル神戸no237追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.04.14
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「高倉台の桜の園」 徘徊日記 2024年4月11日(木)須磨・高倉台あたり いいお天気の昼下がり、須磨一の谷の丘の上で一服した後は、東に向かって下って、須磨寺あたりを抜けて、離宮公園の西隣のバス道を北に登って行くと、道路に沿って東側、満開の桜並木です。向うの山影は須磨アルプスですね。 ちょっと、写真を撮って、桜並木の向うにある中庭に入っていきます。一応、中に入る許可証は持っていますよ(笑)。 瀟洒というか、白い建物があって、その手前に、実に立派な枝垂桜あります。最初の写真も、そのサクラです。ただ今満開中! ここは学校ですが、学長さんとか、きっとご自慢でしょうね。 写真がへたくそなので、上手に撮れていませんが、この木を毎日眺めて暮らしている学生さんは幸せでしょうね、と、まあ、思うくらい立派です(笑)。 振り返ると、ここは広場で、噴水池があって、池の周りにはチューリップ、チューリップ、チューリップです。その向こうに、先ほどのバス道沿いのサクラ並木、向こうの山は須磨の鉢伏山ですね。 誰も写っていませんが、お昼休みなので、学生さんははたくさん歩いていらっしゃいます。 帰り道に、まあ、構内禁煙なので、このあたりで一服して、もう一度振り返りました。校門あたりの桜並木です。少し時間がたって、曇って来たのが残念ですが、来週には散ってしまっているでしょうからね。 今年度初仕事の帰り道です。じゃあね。追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)にほんブログ村
2024.04.13
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「あの~、自慢の枝垂れ桜、もう1本あるんです!」 徘徊日記2024年4月7日(日) 団地あたり 同じ4月7日の日記で自慢の枝垂れ桜を紹介したんですけどね、こういう姿で枝垂れている、まあ、これも自慢のサクラが、もう1本あるんです。 全景はこんな感じです。 場所は、団地の東北の隅で、タケノコ山と、我が家では呼んでいる竹林のある、ハイ、わが団地には孟宗竹の林があって、もうすぐタケノコも出てくるのですが、その竹林の裏の、ちょっと小高くなっているところにあります。 団地の外側からも、内側からも、微妙に死角になっていて、目立たないのですが、花はご覧のようにすばらしいのです。 タケノコ山の、向こうは隣のマンションで、手前が団地の敷地です。あいだに近所の中学生や小学生のの通学路にもなっている歩道ですが市道があります。 歩道からはタケノコ山があっで見えませんし、団地からは、ちょっと小山の上で、周りのソメイヨシノが隠していて見えません(笑)。 で、咲き始めるのが少し遅れるのと、色がピンクなので目立たないんですね(笑)。 というわけで、ボクはこっそり待っていたんです。 今日のように、青空と竹林の緑を背景にした満開の枝垂れ咲きを(笑)。なかなかいいでしょ。 木の根もとあたりは芝生ですから、まあ、寝転がりはしていませんが、座り込んで見上げています。 見事な眺めですよ。 ということで、もう少しうろつきます。じゃあね。追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)にほんブログ村
2024.04.12
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「須磨一の谷の小さな公園のサクラ。」 徘徊日記 2024年4月11日(木)須磨あたり 今日は2024年の4月11日です。週に1日だけですが、まだ、雇ってくれる人がいて、今年も出かけることになっている木曜日です。 午前中のお天気は快晴で、目的地は須磨の高倉台ですが、JRの塩屋駅にある「アキラッチ」というピザ屋さんで焼き立てのピザを買って、桜を見るなら須磨浦公園によればいいものを、横目で見ながら通り過ぎて昇って来たのが、須磨、一の谷の丘の上です。 愛車のスーパーカブ号を丘の上の公園の歩道に止めて、この見晴らしの石段の上に腰をかけます。 で、お昼がわりのピザを頬ばろうという目論見です。塩屋駅のアキラッチから、ここまでは10分もかからない距離ですから、ピザはホカホカです。「ごくらく、ごくらく」 と独りごちながら、フトの公園を見下ろすとサクラです。 この上からのシーンを撮り忘れてきたのが不覚です。来週には桜は、もう、ありませんから、1年後ですが、1年後にはここを通る用事があるかどうか名わけで、残念至極ですが、石段を20段ほど降りると砂場もある子供の公園でした。 こういう風情です。近所は公団住宅風のアパート群ですから、その頃は子供たちもたくさん遊んでいたのでしょうね。今は、誰もいません。 で、気になったのが、桜の木の向うに見えている大木です。いわゆる、照葉樹なのでしょうが、もちろん、クスノキではないことくらいはボクでもわかりますが、この木の名前がわかりません。しかし、見事な大木でしたね。 まあ、今年は、まだ、このあたりを通りそうですからね、そのうち調べることもできるでしょう。楽しみですね、まあ、それくらい大木だったということです。じゃあね。 追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)にほんブログ村
2024.04.12
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「咲いちゃった!」 徘徊日記 2024年4月10日(火)団地あたり まだ、若い木なんです。でも、不思議なのですが、この団地にはモクレンとかコブシとか、ないんです。 神戸の街には、元町のモクレンとか、北長狭のコブシとか、住んでいる垂水区だって、県商筋のコブシとか、街路樹になっていて、あちこちで見かけるのですが、おもしろい木がたくさん植えてあるこの団地には、この1本だけなんです。 それが、住んでいる棟のすぐそばにあるんです。うれしいですねえ(笑)。 ちょっと気取っている様子で、なかなか色っぽい木蓮って、イイと思いませんか? 全景です。 隣では箒桃が満開です。 モクレンの木から振り向くと、まあ、こういう、花ざかりの風景です。 青空、サクラ、箒桃、みんな満開で、陽気な気分が満ちています。あと三日もすれば、若葉の世界に変わります。 ところで、話は代わりますが、ダメとら・タイガース、やっぱり、苦しんでいますねえ。だめトラびいきにはいつものことの始まりですが、シーズンは長いですからね、そのうちなんとかなるでしょう(笑)。 まあ、そんなことを考えながら、ウロウロという、2024年4月10日の昼下がりでした。じゃあ、またね。にほんブログ村追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.04.11
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「おや、モクレン、咲きましたね。」 徘徊日記 2024年4月7日(日)団地あたり 4月のはじめにようやく蕾らしいものを付けて、のんびり構えていたモクレンが咲き始めていましたよ。イッセイ開花とはいきませんが、そこいらじゅうで桜満開のなか、立派に自己主張しています(笑)。 おっと、先陣切って咲き始めた、こちらは躑躅です。 で、同じところに咲いていた、こちらはももの花ですね。「ここの団地はねえ、桜もいいんですけどね、この桃が好きなのよ。かわいらしいでしょ(笑)。」 写真を撮っているところに、下のサクラ並木から妙齢のご夫人が息を切らせて登ってこられておっしゃいました。「桃の花なら、向うの、棟の裏にも咲いているのご存知ですか?」「あら、そうなの。じゃあ、ちょっと覗いてみようかしら。」 花の季節はいいですね。普段、こんな会話できませんよね。 こちらはボケの花ですね。枝垂れ桜の近所に咲いています。 これは、もっと早くから咲き始めて、今や散る寸前のボケの花です。住んでいる棟のすぐ隣の芝生に咲いています。 で、その木の近くに植わっている椿です。今年は、ほかのツバキも、なかなかしぶとく咲き続けていますが、これは花の柄が八重ですからね。 で、その下の草むらには、ムスカリです。このあたりに小人の住まいとかあるのかな、という風情ですね(笑)。 サクラを撮ろうとウロウロしているのですが、いろいろあります。まあ、そうはいっても、4月7日のサクラ徘徊の団地めぐり、まだ、つづきますからね。じゃあね。追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)にほんブログ村
2024.04.11
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和田誠「わたくし大画報」(ポプラ社) 市民図書館の新刊の棚で見つけました。はて、なんで? 著者の和田誠は数年前に亡くなった方のはずです。で、手に取って奥付を見て了解しました。1982年だそうですから、40年前に講談社から出版された本のポプラ社による復刊でした。 コミカルで、ほのぼのしたイラストの「のみのピコ」とか「あな」とかの絵本や、本の装丁、挿絵のイラストレイターとして、確か、1970年代半ばに人気者になった彼が、「お楽しみはこれからだ」(文芸春秋・国書刊行会)をはじめとする映画とかのイラスト付きエッセイで大活躍しはじめたころのエッセイですね。「麻雀放浪記」、「怪盗ルビィ」の映画監督になるちょっと前ですね。 で、借り出してきて、読み始めてとまりません。時間的には、40年以上も古い話で、いきなり、いずみたくとか永六輔とか中尾ミエとか出てきても、今の若い人には「???」 なのかもしれませんが、こちとらは、まあ、その時代の人間なわけで、懐かしさもあり、和田誠の物言いの楽しさもありで、速読(笑)でしたが、巻頭エッセイがこんな感じです。「猫について」 一九七四年十二月 わが家に猫が来た。 妻はこの猫の種類をアビタシオンだと言う。高級マンションのような名前の猫だなあと思ったが、よく聞いてみたらアビシニアンというのであった。そう言えば結婚した時に、いずみたく氏から蘭を贈られたのでありますが、この蘭の名をシンポジウムだと言うのですね。蘭の品種について討論でもするみたい。これも人に聞いたらシンビジウムというのだそうである。 さて、この猫だが、実は片親がアビシニアンで、どちらかが雑種なのだそうだ。ぼくはその方を好みます。名門は肌に合わない。ところでクレオパトラが飼っていた猫がアビシニアンだったそうで、アビシニアというのはエジプトの地名なのだという知識を妻はどこから仕入れて来た。妻はもうクレオパトラになった気でいるようだ。七月十四日生まれだから誕生日を憶えやすい。しかし猫の誕生日を憶えていても役に立つかどうか。それはそうと名前であるが、妻は「桃代」と名付けたのであります。何故か妻は幼い頃から猫に対して「桃代」というイメージがあったのだそうで、もっと正確には「桃代のシン子さん」というのが適当なのだと言う。「だって一重瞼の人はシン子さんていう感じだし、ネコは一重でしょ。どうしても洋子さんて感じじゃないもん」と言うのだが、このへんを理解できる人は少ないのではないかと思うのですけれども。(P17~P19) 巻頭のエッセイの出だし半分の引用です。後半は桃代さんとの暮らしですが、妻と呼ばれているのは平野レミさんですね。 上の左のページが桃代さんです。桃代はこんなふうに上むいて眠る とキャプションがついています。まあ、イラストがサイコーですね(笑)。 一九七四年の一二月から一九七六年九月までは「家庭画報」と題して、一九七九年一〇月から一九八一年九月までは「渋谷画報」と題して、隔月発売だったらしい「別冊小説現代」(講談社)、後に「小説現代」(講談社)に隔月連載されていたエッセイの単行本化です。 最後の記事は一九八一年九月号に掲載された分で、そこに「向田さん」という記事が載っていますが、まだ五一歳だった向田邦子さんが飛行機事故で亡くなったのは、この年の八月でしたね。和田誠さんも、今では、もう、この世にはいらっしゃいません。 楽しく読みながら、色んな人が亡くなっていくのを、まだ、若かった自分自身がどう受け止めていたのか、やはり考えてしまう読書でした。「同時代を生きる」とかいういい方がありますが、和田誠さんが、あれこれおもしろく書かれている、この時代を生きていたんですね。 新刊ですから、図書館で借りられます。なつかしい方はぜひどうぞ。イロイロ、思い出せますよ(笑)。 追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.04.11
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「あのチュ-リップが・・・!」 ベランダだより2024年4月5日(金)ベランダあたり あのーですね、我が家のベランダで数日前からチューリップが咲き始めていたんですが、最初、下の写真の様子で、いったいどうなることかと思っていたんです。花だけ植木鉢に乗っかってる状態でした。 それが、数日後の今日、最初の写真のようになりました。花が咲いてから、首というか、茎というかが伸びるんですね(笑)。 で、もう一つの植木鉢はこうだったんです。 それが、こうなりました。 こちらは、蕾がありましたから、まあ、こうなるわけですが、首が伸びたには驚きました。ろくろ首もどきの離れ業ですね(笑)。 こちらは、玄関前に一株だけあるクリスマス・ローズ。地味ですね(笑)。 で、こちらがスズラン水仙。茎は水仙、花はスズラン、棟の水場のあたりにお隣さんが植えられて、少しずつ増えていますね。静かな春で、イイですね。 その周りには、ムスカリです。 サクラ便りを書くつもりが、ベランダだよりになってしまいました(笑)。じゃあ、またね。追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)にほんブログ村
2024.04.10
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小谷野敦「文学賞の光と影」(青土社) その昔「もてない男」(ちくま新書)という、まあ、衝撃的な(笑)書名の所為でベストセラーになった本を書いた小谷野敦という、多分、比較文学の研究が本業だったはずの方の「文学賞の光と影」(青土社)を市民図書館の返却の棚に見つけたので読みました。 一応、「読書案内」と看板を上げているわけですから、どうぞお読みください! というのが基本ですが、今回のように「まあ、こういう本もありますよ、別にすすめませんが」という時も、まあ、ないわけではないので、悪しからずです。 はじめにの終わりに、まあ、執筆意図についてでしょうね、こう書かれています。 芥川賞のように有名になると、ふだん文学を知らない人も関心を持つから、公募の賞だと思い込んでいるいつ人や、純文学って何?え?こういうのが「ジュンブン」なの?といった疑問を持つ人も多い。そこで本書では、内外の文学賞について、よもやま話を書いて、いろいろ疑問に答えておきたいと思う。まあ、この本自体がベストセラーにならないと、誤解を解くというわけにはいかないのではるが。 文学の素人の方には、まあ、様々な疑問や誤解があるようですが、疑問にお答えして、誤解を解きますということですが、要するにこの本が売れれば、いろいろ解決しますよという、まあ、読み終えて見ると、ちょっと誇大広告(笑)で、いや、儲かるのはあんたやろということらしいですが、目次はこんな感じです。目次第1章 芥川賞と直木賞の栄光と死屍累々第2章 ノーベル文学賞第3章 貰えなかった恨み第4章 新潮社の栄光と文学賞第5章 作家と学歴第6章 文学賞の女と男怨念の書―あとがき 目次を、まあ、索引がわりにして、あっちこっちのページを覗いているうちに、読み終えました。何が、どう書いてあるのかというと、今度はあとがきですが、 私は学者の道を歩み、博士号までとった。そうである以上、別に東大とは言わないが、しかるべき大学の教授になりたかった。というか、当然なるものと思っていた。ところが、時代が悪いのか自分が悪いのか、いや、時代が悪いに決まっているのだが、それはどうもないようである。そこで、大学教授より格が上である××賞をとってやろうと、邪念を抱いたのである。いや、本気で邪念だと思っているわけではない。 ぞんな時、たまさか、本書を執筆することになった。かなりの分量、文学賞をめぐる人々のやっさもっさについて書いていくうちに、私の中から、つきもののが落ちたように「賞などどうでもいいではないか」という悟りのようなものが生まれたのである。 ご本人がおっしゃっている通り、様々な賞をもらったり、あげたりする、あれこれの作家や評論家について、まあ、スキャンダルと云う程の毒があるわけでもない、「やっさ、もっさ」が書かれていて、こういう話が好きな人には面白いでしょうね。 多分、文芸雑誌や、ゴシップ雑誌のバックナンバーを、かなり丹念に調べた(根が学者なのでしょうね)その結果を、しかし、だから、憶測かうわさに過ぎないかもしれないゴシップ記事として書き連ねていらっしゃって、まあ、結果的に、ご本人の賞が欲しいという妄執 からは、解脱というか、悟るというかのメデタイ結果なのかと思うと、最後のページにのせられていた戯れ句がこうでした。 賞とれず 根岸の里の詫び住居 笑えませんね。 焼いても治らんといういい方がありますが、まあ、「もてない男」でもそうだったような気がしますが、ちょっと引きながらの上から目線というスタイルが彼のウケ狙いなのでしょうが、芸のないことですね。 ただ、何とか賞をめぐるゴシップは、ほんと、山盛りで、知ったからどうだという気もしますが、「読みごたえ」ありますよ。ボクの場合、こうして案内していて、すでに忘れてますから、まあ、こんな本もありますヨ! でした。 追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.04.10
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「自慢の枝垂れ桜です!」 徘徊日記 2024年4月7日(日)団地あたり 今日は4月7日(日)です。 団地のさくらが咲き始めて1週間たちました。朝から落ち着きません(笑)。団地をウロウロしています。 とりあえず、東の駐車場あたりにある枝垂れ桜です。 お天気は、少し青空も見える、絶好の「花曇り」です。気温も20度を超えていて、当然のことながら、気持ちも陽気です(笑)。 ソメイヨシノに比べて、特にこの木は色が濃くて、なんというか、独特の色気があります。 おなじ木の向うから、こっちからと角度を変えているつもりなのですが、まあ、似たような写真になりますね。 樹齢は、さあ、団地のできた頃に植えられたのでしょうから、50年前後だと思いますが、枯れ枝も年々増えてきていますが、まあ、見事なものです。 奥に見えているのは東の駐車場ですが、左手には普通の棟があって、お住まいの方はベランダに出れば、この時期、毎朝この木のこの花を眺めることができるお部屋もいあるるわけで、羨ましい限りですね。 この木の後ろの棟の4階、5階の方は、上からの姿も見ることができるわけですからねえ(笑)。 この団地には4本か5本の枝垂れ桜がありますが、特にこの木は、まあ、他の方がどう思っていらっしゃるのかまではわかりませんが、ボクの自慢の木ですね(笑)。 もう少し、ウロウロします。サクラ日記は続きますよ(笑)。追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)にほんブログ村
2024.04.09
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ピーター・グリーナウェイ「プロスペローの本」元町映画館 今日は2024年の4月2日、火曜日です。元町映画館でやっている「ピーター・グリーナウェイ レトロスペクティヴ 美を患った魔術師」という企画に、なんとなく興味が湧いてやって来ました。 これが企画のチラシです。冒頭の「美しい狂気」という言葉が目に飛び込んできます。「狂気ねえ?!」 1980年代から90年代にかけて話題になった人らしいですが、まったく知りません。高山宏という、英文学の研究者、まあ、かなり変わった人ですが、が、どこかで話題にしていたような気がしますが、定かではありません。 で、見たのは「プロスペローの本」という、1991年の作品で、代表作の一つだそうです。「プロスペローだから。シェイクスピアか?」 まあ。その程度の予備知識です。で、見始めて、見終えて笑ってしまいました。たしかに、シェイクスピアのテンペストの、翻訳では「嵐」かな?の映画化でした。プロスペローもそうですが、娘のミランダとか、妖精のエアリエルとかの名前が出てくるたびに、ああそうだな、やっぱりそうだな、 と、気付き直し、気付き直し、しながら、えーッ?でも、これ、ちょっとちがうんちゃうか? とか思いながら見ていたのですが、終わってみてらテンペストでした。ハハハハハ。 何故、違うと思ったのかの、大きな理由は、この映画、筋を運ぶ数人の登場人物以外は全裸なのですね。 で、なんで、みなさん裸で、オチンチンとかオッパイとかブラブラさせながらウロウロするのかというのが、ボクには、まったくわからないんです。ただ、不思議なのは、慣れてくると、そういうシーンがイヤらしいとかエロイとかいうことにつながらないというか、まあ、そういうふうにしたいんでしょうかね??? という感じで、最後まで見ると、たとえば、ナショナルシアターライブとかで見る、まあ、演出に差はありますが、「テンペスト」という演目のひとつ、という印象なのですね。たしかに独特ですが、別に、狂気だとも魔術だとも思いませんでしたが、なんか、微妙に引きつけられることは事実ですね。 そういえば、「テンペスト」ネタのお芝居はナショナルシアターだったか、他の映画だったか忘れましたが、ここ、数年の間に見たような記憶があります。その時、「リア王」とかなら読み直したりしないのですが、この戯曲だけは読み直したはずで、まあ、だから、ああ。テンペスト! だったわけです。 で、この映画ですが、プロスペローが手にれる魔法の本の扱い方とか、いかにも映画的で、面白いし、プロスペロー(ジョン・ギールグッド)を演じている俳優のお芝居力も大したもので、奇妙奇天烈なシーン、いいようによれば荒唐無稽な展開を支え切って歴史劇を演じている印象で、シラケさせません。拍手!ですね。 なのですが、やっぱり、なんで裸なの?でした(笑)。 もちろん、その演出は、ボクごときには意味不明でしかありませんが、なんか、引っかかるのですね。そこで思い出したのが、高山宏ですが、でも、まあ、すぐには見つかりそうもありませんね。 ということで、グリーナウェイ、続けて見ることになりそうです(笑)。監督・脚本 ピーター・グリーナウェイ原作 ウィリアム・シェイクスピア美術 ベン・バン・オズ ヤン・ロールフス撮影 サッシャ・ヴィエルニー音楽 マイケル・ナイマン編集 Marina Bodbyl衣装デザイン ワダエミ ディーン・バン・ストラーレンキャストジョン・ギールグッド(プロスペロー)マイケル・クラーク(キャリバン)ミシェル・ブラン(アロンゾ―)エルランド・ヨセフソン(ゴンザーロ)イザベル・パスコー(ミランダ)1991年・126分・イギリス・フランス・イタリア合作原題「Prospero's Book」2024・04・02・no053・元町映画館no237 追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.04.09
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「うちのサクラ、満開です。」 徘徊日記 2024年4月6日(土)団地あたり 住んでいる団地の中央に散歩道があります。歩道の生垣は雪柳です。並木は桜、ソメイヨシノ(?)、所々にベンチもあります。 今日は4月の6日で、雪柳は満開を過ぎたところですが、サクラが満開に差し掛かっていました。 少々、曇り空なのが残念ですが、見上げるとサクラの空です。 このサクラ天井が、団地を南北に横切っています。さっさと歩けば5もかからないかもですが、このあたりでは、チョットしたサクラの名所です。 まあ、こういう感じです。人が写っていませんが、実はお花見散策の方が、結構たくさんいらっしゃいます。バスに乗って、毎年来るのよ! と笑いながらスマホで撮りっこしてっておられた、女性のお二人連れもいらっしゃいました。うれしいですねえ(笑)。 昔は、団地の子供会とかのお花見会とかもあったのですが、今は、多分、子供会そのものがなくなってしまいました。 雪柳の生垣とサクラ並木がよく合いますね(笑)。 スマホとかをいじりながら、こんなことをいうのもなんですが、写真が上手に撮れたらなあ・・・ まあ、つくづくそう思いますね(笑)。 少し青空が見えてきて、いい感じです。 もう少し、向こうまで、続いていますが、とりあえず、ここまでです。まだ写真はたくさん残っています。団地のサクラ、徘徊日記はまだまだ続きます(笑) じゃあね。追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)にほんブログ村
2024.04.08
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乗代雄介「皆のあらばしり」(新潮社) 2021年の「新潮」10月号に掲載された作品の単行本化ですが、文庫はまだありません。その年の芥川賞の候補作らしいですが、これで3回目の落選です。 「十七八より」(講談社文庫)で群像新人文学賞でデビューして以来、「本物の読書家」(講談社文庫)で野間文芸新人賞、「旅する練習」で三島由紀夫賞と坪田譲治文学賞のダブル受賞、で、「最高の任務」(講談社文庫)が2019年、「旅する練習」(講談社)が2020年の芥川賞の候補作になって、今回案内している「皆のあらばしり」で3回目、ちなみに、2023年には「それは誠」(文藝春秋社)で4回目の候補になりましたが、やっぱり落選でした(笑)。 というわけで、「皆のあらばしり」ですが、今回は書き出しではなくて50ページあたりからの引用です。「青年は小津安二郎は知っとるか?」「映画監督だろ。」男が黙って指さしたところには小津久足という名前があった。「小津久足は、伊勢の松坂の豪商、干鰯問屋湯浅屋の六代目当主や。家業の傍ら、歌に国学、紀行文と文事を重ね、歌は約七万首、蔵書は西荘文庫として残っとる。あの滝沢馬琴にも、その博識と文才を認められた友人として知られる江戸の文人や。『南総里見八犬伝』ぐらい読んだことあるやろ。」「ない」「そうかいな」男はそんなことは織り込み済みだとばかりに言った。「しかし、自分を偽らんのが青年の見込みあるところやがな。下に偽るならまだしも、上に偽って背伸びされたら話が一向通じんから困ったもんやで」「あんたはいつ読んだんだよ」「いつやったかな。青年が今、高二やろ。高一ぐらいで読んだんとちゃうか」学年を教えた覚えはなかったけれど、後輩にも会ったし、どこかで察したのだろう。「ほんとかよ」とぼくは言った。「下に偽ってるんだろ」「そう思わせたらこっちのもんやけど、まあええわ。話を戻そうやないか。その小津久足の、母違いの弟の孫が小津安二郎なんや」「その人がどうしたんだ」「その小津久足の著作として」と指をすべらせ「ここに「陸奥日記」と「皆のあらばしり」が一点ずつあると書いとるわな。このほんまにしょーもない蔵書目録、何を大層に目録やっちゅう漢字やけど、唯一おもろい、掃き溜めに鶴はこいつや」 とまあ、こういう感じなのですが、小説の登場人物は、ここにいる「男」と「ぼく」、舞台は栃木県にある皆川城という、室町時代の山城の城跡の公園です。二人は、ある日、偶然、その公園で出会います。「男」の名前は不明ですが、やたら、歴史に詳しい、単身赴任のサラリーマンで、「ぼく」は地元の高校2年生で、歴史研究会のメンバーです。 で、「ぼく」の一人称で書かれているわけですから、「ぼく」がこの文章の書き手ということになりますね。ただ、他の作品のように日記であるとか、手紙であるとかいう形式が選ばれていないところが、この作品の特徴ですが、実はここでは、もう少し違う形式が導入されているのですが、気になる方は、まあ、読んでみてください(笑)。 そのほかの登場人物は、同じ歴史研究会の後輩の竹沢さんだけです。古くからの造り酒屋だった竹沢酒店の娘です。彼女が登場して「ぼく」に呼びかけるシーンで。初めて、ぼくの姓が浮田君であることがわかりますが、名前はわからなかったと思います。 で、小説の不思議な題名である「皆のあらばしり」は、引用でおわかりのように、小津久足という江戸時代末期の文人が残した草紙ということなのですが、今、男が見ている蔵書目録は竹沢酒店にあったものです。ちなみに、お調べになればわかりますが「あらばしり」は、新酒を絞る時に、絞らなくても出てくる最初の酒のことだそうです。 で、最初の謎が、「皆のあらばしり」などという草紙が果たして実在するのかどうかでした。「偽書」といういい方がありますが、この「皆のあらばしり」は真書なのか、偽書なのか、男と浮田君の二人が、まあ、そのあたりをめぐっての会話劇で読み手を引っ張るわけですが、この作家得意の「オチ」まで来ると、小説の「語り手」も含めた手の込み方というか、実に技巧に徹した工夫が凝らされていたことが分かって、チョット啞然とします。 まあ、おすきなかたは膝を叩いて、という所でしょうが、ボクは「書く」という行為の信憑にこだわり続けているらしいこの作家の実験作の一つというふうに感じました。 サリンジャーの最後の小説ですが、「ハプワース16、1924年」(新潮社)という作品があります。シーモアという、すでに、死んでいる兄が、まだ7歳だった時に両親に向けて書いた手紙を、大人になって作家になった弟のバディが、そのまま写して小説作品にしたという不思議な作品ですが、あの、方法に少し似ていますね。「書く」行為から「書き手」を消す にはどうしたらいいかということが、乗代雄介の実験のようですが、さて、うまくいっているのでしょうか。まあ、それにしても、あれこれ頑張っていますね(笑)。 追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.04.08
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「箒桃、桜、青空」 徘徊日記 2924年4月7日(日)団地あたり 今日は、春休み最後の日曜日です。 朝から青空です。 ポカポカ、ようやく春です。 団地は、今、サクラの園です。 青空とサクラを背にして箒桃がすっくと立って、私も満開だわよ! 背筋の伸びた態度が好きです。三つの花、いや青空は違うか? この取り合わせがサイコーです。 白、ピンク、紅、まだ若い木です。 住んでいる棟の東の斜面は「箒桃畑」です(笑)。 赤い箒桃の背景には住んでいる棟が写ってます。 空は青空です。 いい日曜日ですね。 向うに、いつもの小学校も写っています。 さて、今日は満開を迎えてにぎやかなサクラを撮らなくっちゃ。 サクラって、焦っちゃうんですよね。じゃあね。追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)にほんブログ村
2024.04.07
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「かりんですね、これは。」 徘徊日記 2024年4月3日(火) 団地あたり バスを待っていて、気付きました。そのあたり一帯、桜が嵐のようにやってきているのですが、バス停横のかりんの木に花がついていました。 小さい花で、ボクの腕前では上手に撮れませんが、まあ、忘れるのもしゃくなので撮りました。大寺のしかも禅寺花かりん 森澄雄 ここは、お寺じゃありません。公団住宅のバス道に沿った道端の生垣です。 なかなか、イイですね。秋には大きなかりんの実に変身するんですよね、この花が。今日はバスで垂水まで行く予定です。追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)にほんブログ村
2024.04.07
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「玄関を出るとこの桜です!」 徘徊日記 2024年4月5日(金)団地あたり 団地中、いや、街中ですかね、サクラの花でいっぱいですね。ベランダでチューリップ相手に遊んでいて、チョットと思って玄関をを出てみるとこの景色です。 下から見上げて写真を撮りますが、今一上手く撮れませんね。薄曇りなので、青空が背景というコントラストありません。向うに見えているのは小学校の校舎です。今、撮っているのはサクラの種類が少し違って、緑とまではいいませんが白い花です。 こちらは普通のピンクです。 玄関から、数本の桜を見上げながらウロウロしています。 で、向こうに見えるのが、廃校になった小学校ですが、まあ、今日はまだ春休みですが、新学期になっても誰も帰ってこない(本当は隣の中学校の生徒さんが部活で使っていますが)校庭のサクラが咲き始めています。 ジャングルジムや「いじめダメ!」の看板や、目立つものがみんななくなった校庭で、春になったから、やっぱり満開の桜並木というのも、チョットした風情です。 ここで、カメラを左、だから西向きですが、に振れば、散り始めている枝垂れ桜です。 で、今来た方を振り返ると、こんな感じで、住んでいる棟が写ります。 まあ、こういうわけで、その上、団地を少しうろつけばサクラ天井の回廊まであるわけで、どこかよそ様の花の名所に出かけて行こうかという元気があまり起こらないのですが、とりあえず、団地内の花の名所は、数日中にご報告したいと思っていますよ(笑)。じゃあね。追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)にほんブログ村
2024.04.06
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「ここはどこかといいますと・・・」 徘徊日記 2024年3月30日(土)県立美術館あたり JRの灘駅を南に出て、そのまま南に、阪神電車の岩屋駅の前をとおりすぎて、国道2号線の歩道橋にさしかかるあたりから、街路樹のコブシが満開でした。 通りに沿って、ガラス張りの壁のビルなのですが、ガラスの壁に映っている姿は(あっ、もちろんコブシのですよ)下から見上げている老人には見えません。 よその街のことは知りませんが、コブシは神戸の街ではよく見かける、まあ、北長狭の街路樹ばかりブログにのせていますが、そういう木ですね。 今日、ここにはコブシの花を見るためにやってきたわけではありませんが、なかなかいい風情なので、立ち止まってパチリ、パチリというわけです。 今日は薄曇りで、写真の明るさがうまく調節できません。青空だったらいいのになあ・・・ と、まあ、かってなことをほざきながらたどりついたのが、この交差点です。 ここは、どこかといいますと、このカエルの建物です。ご存知でしょうか?昔の呼び名は脇浜だったと思います。今はハット神戸という地名ですが、このカエルは県立美術館ですね。 で、ココを右折です。はい、美術館には行きません(笑)。 おっと、今度は桜ですね。今日は3月30日、3月最後の土曜日ですが、このあたりでもさくらが咲き始めていました。 県立美術館とか、防災センターとか、なぎさ中学とか、少し北側には神戸製鋼所の本社ビルとかある通りです。三宮から摩耶埠頭行きのバスが出ていますが、そのバスのバス道ですね。この道を東に少し歩けば摩耶埠頭ですね。 この歩道を、もう少し西に歩きます。 おお、目的地のビルの正面では、コブシが満開でした。やって来たのは109ハット神戸という映画館です。 見たのは、このポスタ―の映画です。アカデミー賞で騒がれている「オッペンハイマー」ですね。 ここの映画館が好きなのは、休みの日でものんびり見ることができることですね。映画館の行き帰りも、ふらふら歩くのに、ちょうどですし(笑)。 映画の感想は別に書きました。上の題名かポスターをクリックしていただくと開くと思います。 追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)にほんブログ村
2024.04.06
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「咲き始めたんです!」 徘徊日記 2024年3月30日(土) 団地あたり 3月も、あと2日、いよいよ4月か・・・ とかなんとかぶつくさいいながらベランダあたり咲き始めたチューリップの相手をしていたのですが、まあ、天気もよいので、と、玄関を出てみると、( ̄∇ ̄;)ハッハッハ、咲き始めてました(笑) 玄関のすぐ前には数本の桜があるのですが、その中の1本です。初桜 折しもけふは よきひなり 顔に似ぬ発句も出でよ初桜 芭蕉 まあ、なにはともあれ、今年も咲きましたね(笑)。よろこんで、写真を撮っていると、お隣のおばさんがお嬢さんと出ていらして、「あら、咲いたわね(笑)。」「そうそう、今年も咲きましたよ。」「さいた、さいた、さくらがさいたよね。一年生の教科書よ、あなた覚えてる?」「えー、ちがったわよ。」「ぼくは、何にも覚えてません」「あら、せんーせーなのに?」 ハハハ、その頃はセンセーじゃなかったような気もしますが、忘れてますね。 はい、「さいたさいた」は国民学校の時代の教科書ですね。お隣のおばさんはシマクマ君より10歳ほど年上で、お嬢さんは10歳ほど年下ですからね。昭和20年代、30年代、40年代、一年生の国語の教科書はどんなページで始まったんでしょうね。シマクマ君は、何にも覚えていません(笑)。 ああ、そうそう、信州のユナちゃん姫が、今年から1年生ですね。今の一年生はどんなページで始まるのか、また聞いてみますね。追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.04.05
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「団地のモクレンはいまからです。」 徘徊日記 2024年4月4日(水)団地あたり 住んでいる棟のまわりが花ざかりです。サクラのたよりを書こうとフラフラ、ウロウロしているのですが、元町あたりでは、もう1週間も前に咲き誇っていたモクレンですが、ここでは、漸く蕾がふくらんできて、明日、明後日には咲き始めるでしょうが、日当たりとか、地域の気温とかで微妙に違うのでしょうかね。 この木のまわりではこんな黄色い花が咲き乱れています。 雲南黄梅というのでしょうか、オウバイモドキとも呼ばれているらしいですが中国原産の花ですね。 で、こちらはレンギョウですね。雪柳もまだ残っていて、その後ろには箒桃、その向こうでサクラが満開です。 で、その横には桃の木がこんな様子(笑)。 カメラのアングルというかを上手に撮れば、桃のピンク、雪柳の白、レンギョウ、雲南黄梅の黄色、そしてサクラに箒桃ですが、ああ、水仙の白と黄色、チューリップやパンジーの色とりどり、ツルニチニチソウの紫とか、フルカラーで撮れそうですが、まあ、ボクには無理ですね(笑)。 サクラ日記の前のご近所徘徊でした。じゃあ。またね。追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)にほんブログ村
2024.04.04
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リュック・ベッソン「DOGMANドッグマン」キノシネマ神戸国際 「レオン」のリュック・ベッソン監督の新作「ドッグマン」をキノシネマ神戸国際という映画館で見ました。 犬と暮らす女装した男、DOGとGODのアナグラム、展開のいたるところで露出する神の言葉、主人公の死と教会のラストシーンの重ね方、暗示とヒントに満ちているのですが、キリスト教とか全くわからないボクには、単なるこけおどしというか、意味の分からない看板のようなもので、ただ、ひたすら、問答無用の父親の虐待で犬小屋に放りこまれて、その結果、なんと、犬として生きることを見つけた男が、さて、どうするのか? という興味で見ましたが、納得でしたね(笑)。 主人公が女装している意味も、わかったような、わからなかったような、ですし、何がよかったのかと聞かれても困りますが、多分、気に入ったのは、出てくる犬たちと、犬小屋に閉じこめられることで始まった、イヌになった主人公の関係のゆるがない絶対性ですね。 彼ら、だから犬たちと主人公を同類として、ほぼ、理屈なしで描いたのが、まあ、マンガ的といえばマンガ的なのですが、卓抜だったんじゃないでしょうか。 上下関係とか、支配と被支配とか、見ているこっちは、人間社会のアナロジーで捉えたくなるのですが、映画が犬の論旨で貫かれている のでしょうね。その結果、犬として生きた男が、犬として死を迎える、 それで、一匹の犬の一生であり、且つ、一人の人間の一生が、見事に終えられるわけで、文句ありません(笑)。まあ、文学にせよ、映画にせよ、結局は、人間の姿を描くほかないわけですが、この作品の、そういう突き放し方は面白かったですね。 もっとも、最後のシーンで鐘楼のそびえる教会の庭に犬たちが集まってくるところを映し出した結果、まあ、そう描くよなぁ! と納得はしながらも、映画を寓話化してしまうというか、チラシにもありますが「愛は獰猛で純粋!」 という感じの方へというか、下手をすると人間社会での、飼い犬というか、ペットの犬の論旨の方へ引き戻してしまうというよなという気もしましたが、それにしても、犬たちの活躍ぶりは面白かったですね。拍手!監督・脚本 リュック・ベッソン撮影 コリン・ワンダースマン美術 ユーグ・ティサンディエ衣装 コリーヌ・ブリュアン編集 ジュリアン・レイ音楽 エリック・セラキャストケイレブ・ランドリー・ジョーンズ(ダグラス)ジョージョー・T・ギッブス(エヴリン・デッカー)クリストファー・デナム(アッカーマン)クレーメンス・シック(マイク)ジョン・チャールズ・アギュラー(エル・ヴェルドゥゴ)グレース・パルマ(サル)イリス・ブリー(ダグラスの母)マリサ・ベレンソン(貴婦人)リンカーン・パウエル(青年期のダグラス)アレクサンダー・セッティネリ(リッチー)2023年・114分・PG12・フランス原題「Dogman」2024・03・15・no044・キノシネマ神戸国際no07追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.04.04
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「ここは王子公園。」 徘徊日記 2024年3月31日(日)王子公園あたり 今日は2024年3月31日、3月最後の日曜日です。JRの摩耶駅を下車して、北に向かって歩いています。50年前に暮らしていた街です。稗田小学校なんていう名前の小学校があって、その南に小さな公園があります。梅でしょうかね、桃でしょうかね、紅白の花が満開でした。 公園の前に、小さな医院があって、その庭で桜が咲き始めていました。 そのあたりから、水道筋の西灘商店街を西に抜けて、阪急の王子公園駅を通りすぎて、今日の目的地の王子公園に向かって歩きます。 王子公園では、桜が咲き始めていました。木によっては三分から五分の咲きかたですが、日曜日ということもあるのでしょうね、呉座というか、ブルーシートというか、友達連れ、家族連れのお花見の人でにぎわっているところもありましたが、たどりついたこのあたりには人はいません。 まあ、桜も、こんな風情で、一番いいときともいえるのですが、お花見で盛り上がるには少々寂しいという感じです。 やって来たのは登山研修所ですね。目的は奇数の月の最後の日曜日、30年近く続けている本を読む会です。 今日の課題は、昨年の今ごろ亡くなった大江健三郎の「燃え上がる緑の木 三部作」(新潮文庫・全三巻)と筒井康隆の最新作、「カーテンコール」(新潮社)です。 大江のこの作品は、発表されたのが、神戸で地震があった、ちょっと前で、地震の後、文庫本になった時に、この会で一度読んだ記憶がありますが、何も覚えていませんでした。 その頃は、阪急六甲の北側、琵琶町でしたかね、あそこにあった学生青年センタ―に集まっていたのですが、青年センターも、どこかに移転しましたね。 で、今回、かなり面倒くさいこの作品を読んだのですが、昨年、大江が亡くなったので、一年がかりで「大江文学総復習」をしましょう!? と、本読み会で思い付いて、あれこれ読んできたのですが、今日で、一応、ゴールでした。 JRの摩耶駅からよたよた歩きながら、筒井康隆の「アフリカの爆弾」(角川文庫)とか、大江健三郎の「個人的な体験」(新潮文庫)とかに出あったのが高校生だったころだと気付いて、しみじみしてしまって、道端のベンチに座り込んで一休みしてお茶を飲んでお弁当のサンドイッチを食べていました。 すると、杖を突きながら、まあ、歩くのもちょっと不自由そうなご老人(他人ごとではありませんが)が、そこまで体を支えておられた、多分、奥さんだと思われる女性に、何か強い口調で命令されながら近づいて来られて、「???」 と思っていると、ボクが座っている、そのベンチの隣にドスンとお座りになりました。 ちょっと焦りましたが、息を切らせながら前方を凝視されている様子を見ていて、ふと、浮かんだのが「そういえば、アフリカの爆弾はやまがみたつひこがマンガにしてたんが面白かったな。」 でした(笑)。 お天気のよい、3月最後の日曜日の昼下がり、街には老人があふれていましたよ。追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.04.04
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「なぜか西宮です!」 徘徊日記 2024年3月27日(水)西宮市役所あたり 今日は2024年の3月27日(水)です。朝から快晴でした。 西宮の県立病院あたりで、チョットした用事が出来て、日頃お出会い出来ない古くからのお友達とお出会い出来るというので、JR西宮駅から、国道2号線を西に歩いています。名前はわかりませんが、南に下る川沿いの、多分、ポプラ並木が、まだ、冬枯れの様子で、向こうに見える阪神電車の高架まで続いていました。 このあたりを歩くのは50年ぶりですね。 簡易裁判所とか市役所のあたりですが、大きなクスノキが聳えていて壮観です。街中の大木が次々と姿を消していくご時世ですが、なにはともあれ大事にされているのがうれしいですね。 写真では伝わりませんが、大木です。 で、見えてきたのが、塀越しの白い花、一番上の写真ですが、塀のむこうは茂松寺というお寺のようです。塀のむこうの境内へ入っていいのかな? ちょっとためらいましたが、まあ、いいや(笑) で、入ってみました。 塀のむこうから、だから今はこっちから、パチリです(笑)。梅か、桃か、よくわかりませんがよろしい様子ですね(笑)。 境内にもクスノキの大木があって、その木陰にこんな石塔がありました。安産祈願の石塔らしいです。「血盆塔」と彫ってありますが、血盆(けつぼん)というのは、血盆経というお経があって、女人の血の穢れとかを救うんだそうです。まあ、そのあたりから安産を祈願するための石塔になったんでしょうね。 で、こちらが本堂(?)、出来立てのようです。 お寺から、2号線にもどりましたが、約束の時刻までちょっとひと休み。歩道沿いの花壇の脇の座りました。 水仙ですね。黄色いのとか白いのとか、可愛らしく咲いています。いいお天気です! ボクは持参したサンドイッチをぱくついて、お茶を飲んで、時間が来るのを待っています。 ああ、ここは、目的地の県立病院前ですね。お友達のお二人が間もなくいらっしゃって、三人で待合室に上がって、長い、長い、春の午後をおしゃべりで過ごしました。 というわけで、久しぶりの西宮でした。 追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.04.03
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クリストファー・ノーラン「オッペンハイマー」109ハット 今日は2024年3月30日、土曜日です。その上、春休みです。普段は出かけません(笑)。 しかし、しかし、ですよひょっとしたら、今、一番騒がれている映画じゃないか? が封切られているのです。180分の大作ですが、2024年のアカデミー賞、作品賞、監督賞(クリストファー・ノーラン)、主演男優賞(キリアン・マーフィ)、助演男優賞(ロバート・ダウニー・Jr.)、編集賞、撮影賞、作曲賞と、7部門、まあ、総舐めという作品で、おっちょこちょいの徘徊老人としてあっこならすいているんじゃないか? とやって来た109ハットでしたが、やっぱり空いていました(笑) 見たのは、もちろん、クリストファー・ノーラン監督の「オッペンハイマー」です。 実は、評判になり始めてひっかかっていたことがあります。なんで、今、オッペンハイマーやねん? で、見終えました。若い人はご存知ないかもしれませんが、1940年代、第二次大戦中ですが、マンハッタン計画という、アメリカの原爆開発プロジェクトの科学技術的な責任者であったJ・ロバート・オッペンハイマーJulius Robert Oppenheimerの、いわば伝記映画でした。 いかにも、ノーラン監督らしい映像的工夫に満ちた作品でしたが、果たして、効果的だったのかどうか、ボクには、少々めんどくさかったですね(笑)。 面白かったのは、まず、登場するアインシュタインが、ボクが思い浮かべるイメージの姿と、実に、ピッタリ同じというか、そっくりで笑えました。ついでにいえば、見ながら気付いたわけではありませんが、オッペンハイマーもそっくりです。似た人というのはいるのですねえ(笑)。 で、その、オッペンハイマーとアインシュタインが出会うシーンが一回だけあるのですが、そこで何が語り合われたのかが、おそらく、この映画の底に流れている大事なポイントだと思いました。古典力学が描いた世界を根底から刷新したアインシュタインですが、彼がたどり着いたのは量子力学という新しい未知の発見、ひょっとしたら、「絶望」の発見だったわけで、そこから未知の世界へ足を踏み入れて、世界を滅ぼす可能性のある殺戮兵器の道を歩もうとしているオッペンハイマーの「不安」が出会ったシーンとして、まあ、この映画の鍵となるシーンだったと思うのですが、ボクには印象深かったのですね。 ただ、この二人とか、ハイゼンベルグとか、ボーアとか、無茶苦茶なつかしい名前でしたが、彼らには見えているらしい「量子的世界」について、実は、ボクレベルの科学的世界認識では歯が立たないのですね(笑)。 映画の制作者は、おそらく、そこのところを何とかしようとお考えになったんでしょうね、数式の抽象化なのか自然現象の描写なのか、まあ、ちょっとハッタリ的な映像が繰り返されて、「なんや、あんたもわかってへんのやろ」 という感じで、笑えました。 で、映画は「原爆を作ってしまった科学者」オッペンハイマーの伝記的事実をなぞろうとしているようですから、原爆開発と、その軍事的使用に対して、罪というべきなのかどうかはわかりませんが、彼自身の、一人の人間としての「存在論的な苦悩」 が、本線として、まず、あるわけですね。 で、映画は、そこを主軸としながら、戦後、水爆開発に反対したことが理由でしょう、1950年代の、所謂、「赤狩り」のターゲットにされて公聴会で尋問されるという、反共を煽るアメリカという国における、国民としての資格の剥奪の脅しに対する「怒りと戸惑い」 加えて、彼の性的、精神的な志向によるのでしょうね、いわば、内面に渦巻く欲動の自己矛盾に対する怯え を抱えている人間という、重層的な存在のありさまを、多分、三通りの、時制ではなくて、映像の主体、だから、誰が見ているシーンかという映像的な差異によって、錯綜させて描くという、ノーラン監督の得意技が駆使されていて、面白い人には面白いのでしょうが、ボクにはかなりややこしい という印象でしたが、とどのつまりに、妻の口から発せられた「公聴会で許されたからといって、あなたがやったことが許されたとは限らない」 という(はっきり覚えていませんが)セリフの、「あなたがやったこと」 が実に多義的で、かつ、静かではあるのですが、激しい否定のセリフには、やはり、ギョッとするというか、印象に残ったのですが、なんだか、消化不良な感じも残りましたね(笑)。 まあ、なんとなく、不満を書き連ねていますが、ボク自身にとっては、かなり衝撃的な体験 をさせられた映画でもありました。 上に貼ったのは映画ではなくて、公式記録の写真らしいですが、映画の前半、最後の山場は、この写真が写している最初の原爆の実験の現場を描いた映像でした。ボクは普通の映画館で見ましたから、椅子が揺れたりしたわけではありませんが、最初に光と火炎の塊がスクリーンに広がり、しばらくの沈黙の後、強烈な爆音が響き、まさに「ピカドン」 が映しだされたのですが、その映像を見ながら、椅子にすくみこむような気分に落ち込みながら、涙がとまらなくなってしまったのでした。不思議な経験でしたね。なんだったのしょうね、あの、身体反応は? ここ数年、何本か見たことのある監督ですが、ややこしさはいつものことですが、あのシーンは衝撃でしたね。拍手! 余談ですが、始まりは、アインシュタインの「物理学はいかに創られたか上・下」 (岩波新書)、そこから、ハイゼンベルグの『部分と全体』(みすず書房)とかシュレーディンガーの『生命とは何か』(岩波文庫)とかに、それぞれ、まったくワカラナイにもかかわらず、熱中したことがあったのですが、懐かしく思い出しました。映画を見ながら懐かしい名前といったのは、この映画にも登場する物理学者たちの多くが、10代の終わりころのボクには、あこがれのスターだったんですよね。あの頃から50年、本だけでも、と思って、何度も、あれこれチャレンジしましたが、結局、諦めましたね。面白がれたのはファインマンさんの冗談だけでしたね(笑)。 ああ、それから、なぜ、今、オッペンハイマーなのか? は、結局、わかりませんでしたね。ついでにいえば、この映画が大騒ぎになっている理由もよくわからなかったですね。嫌いじゃないし、面白かったのですが・・・(笑)。監督・脚本 クリストファー・ノーラン原作 カイ・バード マーティン・J・シャーウィン撮影 ホイテ・バン・ホイテマ美術 ルース・デ・ヨンク衣装 エレン・マイロニック編集 ジェニファー・レイム音楽 ルドウィグ・ゴランソン視覚効果監修 アンドリュー・ジャクソンキャストキリアン・マーフィ(J・ロバート・オッペンハイマー)エミリー・ブラント(キャサリン(キティ)・オッペンハイマー)マット・デイモン(レスリー・グローヴス)ロバート・ダウニー・Jr.(ルイス・ストローズ)フローレンス・ピュー(ジーン・タトロック)ジョシュ・ハートネット(アーネスト・ローレンス)ケイシー・アフレック(ボリス・パッシュ)ラミ・マレック(デヴィッド・L・ヒル)ケネス・ブラナー(ニールス・ボーア)ケネス・ブラナーディラン・アーノルド(フランク・オッペンハイマー)デビッド・クラムホルツ(イジドール・ラビ)マシュー・モディーン(ヴァネヴァー・ブッシュ)ジェファーソン・ホール(ハーコン・シュヴァリエ)ベニー・サフディ(エドワード・テラーデ)デビッド・ダストマルチャン(ウィリアム・ボーデン)トム・コンティ(アルベルト・アインシュタイン)グスタフ・スカルスガルド(ハンス・ベーテグス)マイケル・アンガラノデイン・デハーンオールデン・エアエンライク2023年・180分・R15+・アメリカ原題「Oppenheimer」2024・03・30・no052・109ハットno43追記2024・04・02 「オッペンハイマー」というこの映画の感想を書くのに、ちょっと苦労して、なんとか書き終えて、寝ていて、「うん???」 と思い浮かんだことがありました。2023年に見た「アステロイド・シティ」という、アニメのようでアニメでない、という雰囲気のけったいな映画のことです。「あれって、ロスアラモスか?」 という、なんというか、ひらめきというか、思いつきでした。 そういえば、あの映画は少年科学者大会とかいっていたと思いますが、マンハッタン計画は全米の秀才高校生まで動員した、国民的行事だったですよね。ボクは、あの映画の舞台がネバダということもあって、広瀬隆の「ジョン・ウェインはなぜ死んだか」(文春文庫)とかを思い出して、なんとなく「原爆実験かあ・・・」 とか思っていたのですが、ひょっとしたら、この映画と同じ関心で、あの映画は作られていたのではないかという思い付きですね。 そうだとすれば、才能とセンスの塊のようなウェス・アンダーソンとクリストファー・ノーランという二人のアメリカの監督が同じように、今、「ロスアラモス」を振り返ろうとしているんじゃないか。それは、何故かなのか?ですね。 日本の戦後でいえば、「夏の花」、「黒い雨」から「父と暮らせば」や「祭りの場」、近いところでは「爆心」まで、他にもいっぱいありますが、繰り返し描かれ、映画化もされた原爆ですが、作って、使ったアメリカではどうだったのか。なぜ、今、オッペンハイマーなのか? なんだか、いよいよ、引っかかってきましたね(笑)。追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.04.02
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「咲きはじめたら、一気です!」 徘徊日記 2024年4月1日(月) 団地あたり 今日は4月1日、エイプリルフールですが、3月の終わりに咲き始めたと思ったら、ウソみたいに一気に咲き始めました(笑)。 まずは、自宅の前の通りです。こうして花が咲くと、みんな遠くに行ってしまったゆかいな仲間たちのことが懐かしくなります。 信州にいるカガクくんに写真を送ると「神戸も、まだその程度か?」 とか何とかいっていましたが、それぞれ、みんな、この風景は懐かしいんじゃないでしょうか。 自宅の前の通路です。右に見えている棟がゆかいな仲間が育った建物ですが、この道を歩くと突き当りに枝垂桜が咲いています。 これが、この枝垂れ桜の先端の様子で、今日は青空に映えてきれいですね。 反対側から撮るとこんな感じです。背景に見えているのは、愉快な仲間が通った小学校です。 ちょっと、目先を変えて、雪柳です。隣の棟の裏、子どもたちの遊び場に一株(?)だけあります。 自宅の側から、西を見ると、こんなふうになっています。向うの端にあるのが枝垂れ桜です。体育館の屋根が映っていますが、彼らが通った中学校です。 玄関からのこの通りだけでも満足なのですが、さて、団地のサクラ、あちらこちらで咲き誇り始めています。今日から1週間、天気のよい日は、スマホ片手にパチリ、パチリの日々になりそうです。 やっぱり、桜ですね。咲き始めると落ち着きません(笑)。追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)にほんブログ村
2024.04.01
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「雪柳、満開です!」 徘徊日記 2024年3月30日(土) 団地あたり 2024年の3月もあと2日、今日は久しぶりに快晴です。ベランダではチューリップが咲き始めましたが、団地は雪柳が満開です。 スマホ片手に西の駐車場と歩道の生垣にやって来ました。 毎朝、中学生が通る道ですが、今は春休みです。ここが団地自慢の雪柳ロードです。 写真の向こうまで歩いて、振り返ると、こんな様子です。 団地中央の、もう10日もすれば桜の名所になる中央歩道にやって来ました。いまは、ここも、雪柳の道です。 蕾がふくらみ始めた桜並木の下で、雪柳が満開です。 壮観というか、見事なものでしょ(笑)。歩道の生垣が重なっていて、花の列が重なって見えています。大したものですね。 この徘徊の写真はみんな雪柳です。芸がありませんが、まあ、こんな日もあっていいでしょう(笑)。 ちょっとづつ移動して写しています。歩いている通路の形が似ているので、実は、違う場所なのですが、おんなじ写真に見えますね(笑)。 こうして写真にとると、えらく広い団地に見えますが、まあ、そんなに広いわけではありません。 家の前というか、裏庭まで帰ってきました。向うの階段の上の、その向こうに、さっきまでいました。階段をそのまま、向こうに抜ければバス道です。 今日の徘徊は、実はこれだけではありません。 あのね、桜が咲き始めたんです。それは、また、別の日記に書きますね。そっちもよろしくね。追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.04.01
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「ベランダにも、春です!」 ベランダだより 2024年3月30日(土) ベランダあたり チューリップ。 栄養失調気味(笑)。 エンドウ豆。 で、もう一つチューリップ。 なぜ首が伸びないのかが謎! ぺんぺん草。 元気いっぱい。 ベランダも、そろそろ春です。 追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)ボタン押してね!
2024.03.31
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「こちらも見納め!」 徘徊日記 2024年3月29日(金) 元町5丁目あたり 今日は、アベック徘徊です。元町映画館でバス・ドゥヴォスというベルギーの監督の「Here」という映画を見ての帰りでした。 このポスターの左の映画ね。二人とも、納得というか、かなりカンドー! というかで、映画館を出て、5丁目のまちづくり会館でトイレをすませて、目の前にこの並木です。再びカンドー! でした(笑)。満開というか、きわどくイイネ!の様子です。「写真!写真!」「ハヨしてね、ハヨ帰らんと始まってしまうからね。」「あんなあ、最初の試合から、そんな入れ込んでたら疲れるで。今年は、去年みたいにいけへんねんからね。」「ええもん。ダイジョブやし。」 まあ、関西というか、神戸あたりの方にはよくわかる会話だと思ういますが、今日からプロ野球は開幕、で、目の前のモクレンは見納めでした。 喫茶店のベアさんとか三香書店という古本屋さんの前のあたりです。「あっ、そうや、宇治川の鳥屋さん寄るから、こっち行こう。」「えっ?いそいでんのとちゃうの?」 と、まあ、いつもの二人徘徊でした。 というわけで、もちろん、だめトラもオリックスも負けましたよ(笑) どうなることやら💦追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)ボタン押してね!
2024.03.30
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バス・ドゥボス「ゴースト・トロピック」元町映画館 ベルギーの若い監督、1983年生まれだそうですから、我が家の愉快な仲間たちと同じ世代ですが、バス・ドゥボスという人の「ゴースト・トロピック」という作品を見ました。 チラシの写真の女性が主人公で、お名前はハディージャ。彼女はブリュッセルでビルの掃除婦をしていらっしゃるのですが、こうしてご覧になってお判りでしょうが、ヒジャブというのでしょうか、イスラム教のネッカチーフのような衣装を身に着けておられるようで、だから、多分、もっと南の国から、この街にやってこられて暮らしていらっしゃる方だと思うのですが、映画を見終えても、そういうことが具体的にわかるわけではありません。 彼女が、仕事帰りに、電車の中で眠り込んでしまって、気付いたは終着駅で、そこから、まあ、見ていて、さあ、どうするんや? という一晩の、彼女の行動が映し出されていく映画で、他には、ほぼ、何も映っていません。 バスの乗務員、ビルの警備員、路上で寝込んでいるホームレスの老人と彼の犬、空き家に忍び込んで暮らしている男、通りすがりの老人、救急車でやって来た救急隊員、救急病院の職員、コンビニの女性店員、夜遊びする高校生、警察官、まあ、こうやって数え上げていくと、結構、たくさんの人と出会っているもんだと感心するのですが、出会った人たちの誰かが、何か事件を、だから映画的なドラマをおこすのかといえば、実はそうではなくて、その人たちも普通ですが、彼女自身も普通の応対で、だから、何も起こらないまま家にたどりついて、まあ、一晩歩いていたわけですから、ほとんど寝ないまま、翌日の朝になって、彼女は仕事に出かけていくという映画でした。 で、どうだったのか。「ボクこの映画スキ!」 の一言ですね(笑)。 深夜の街を、疲れ果てて歩き始めた、仕事帰りの、中年の女性の、財布の中にタクシー代さえ持ち合わせていない「暮らし向き」は言うに及ばず、「家族との暮らし方」、「職場での働き方」、「他人との接し方」、だから、まとめてどういえばいいのかわからないのですが、彼女が、今、ここで、「生きていること」 が、見ているボクのこころに穏やかに刻まれていくのです。 若くして亡くした夫をなつかしく思い、高校生の娘の生活を気にかけ、路上で倒れている老人を放っておけない女性の後ろ姿に、「そうだよね、それでいいんだよね、そうしていくしかないよね。」 とうなづくのは、必ずしも、ボクが老人だからではないでしょうね。 この作品の監督は、「人が生きていることを肯定する」 方法として映画を撮っているにちがいないということだと思いましたね。拍手! 元町映画館では、この映画は2019年の作品ですが、この監督が2023年に撮ったらしい「Here」という作品も、日替わりで上映していますが、もちろん見ますよ! まあ、この作品の「ゴースト・トロピック」という題名がどういう意味で、ラストシーンが何をあらわしているのかということついては、実は、よくわかっていません(笑)。でも、イイんです。なんとなくで(笑)。 監督・脚本・編集 バス・ドゥボス撮影 グリム・バンデケルクホフ音楽 ブレヒト・アミールキャストサーディア・ベンタイブマイケ・ネービレノーラ・ダリシュテファン・ゴタセドリック・ルブエゾ2019年・84分・PG12・ベルギー原題「Ghost Tropic」2024・03・24・no048・元町映画館no234追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.03.30
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レニー・ハーリン「ブリックレイヤー」キノシネマ神戸国際 今日は2024年3月28日(木)です。朝から、チョット曇っていました。「あのさ、明日、あのベルギー映画行くやろ。」「うん、そのつもり。」「きょうは、アメリカのCIAのアクション 行くつもりやねんけど、行く?」「CIAってワルもんやで。」「決まってんの?」「うん。決まってる。あの人らろくでもないことばっかりしはんねん。」「ふーん、でもこの映画、なんか、ダイハード2とかクリフ・ハンガーの監督らしいで。」「ブルース・ウィリス出るん?」「なんでやねん!スタローンも出てへんわ。」「ふーん、ブリックレイヤーってどういう意味?」「レンガ屋さんやろ。大工さんの一種。レンガ積む人。」「大工さんはカーペンターちゃうの。」「そやから、ヨーロッパでは、家つくる時レンガ積むんやろ。でも、この映画、CIAの話らしいから、コードネームいうやつちゃうか。」「ふーん、でも、今日は行かん。」「ホンナラ、ボク行ってくるわ。」 というわけで、レニー・ハーリン監督の「ブリックレイヤー」をキノシネマ神戸国際で見ました。 チラシに、究極のアクション・エンタテイメント大作 とありましたが、究極の感じはしませんでした。でも、まあ、それなりに面白かったですね。主役のレンガ職人役のアーロン・エッカートという人も、その相方のCIAエージェント、ケイト役のニーナ・ドブレフという人も、多分初めて見る俳優さんでしたが、なかなか頑張っていました。 お話は、まあ、CIA の内輪モメばなしで、ありきたりですが、エピソードの連鎖で謎解きに向かうパターン は、元々がこういうスパイ・冒険小説とかの展開が好きなせいもあって、結構、面白く見ました。主役のエッカートさんもなかなかシブイし(笑)。 ただ、事件の発端の発端、全ての始まりのエピソードであるらしい、今、敵役として登場しているラディックという男の家族の不幸の原因が、ボクには最後までわからなかったのが残念だったのと、「ブリックレイヤー」という題名にもなっている主人公の呼び名がコードネームじゃなかったのが、なんじゃそれはでした。 帰宅して、再び、老夫婦の会話です。「おもしろかった?」「うん、砂の惑星とかより、こういうのが好きやけど、殴り合いとか、爆発とか、カーチェイスとか、いろいろ盛りだくさんやで。でもな、主人公、CIAを引退して、ほんとにレンガ職人やってん。この前のジョン・ル・カレの裏切りのサーカスな、あれはイギリス諜報部の場合やけど、ティンカーとかテイラーとか、鋳掛屋とか洋服屋がなスパイのコードネームやったけど、今日のCIAはホンマにその仕事する人やってん。」「CIAは、やっぱり悪もんやったやろ。」「うん、新人以外、全員悪もんやった(笑)。あんな、一人やっつけるのに街中ブッ講和すようなことしたら嫌われるわな(笑)。主役の人、ハリソン・フォードに似とった。」「これが?」「うん、チラシの裏、ピストル構えてるやろ。」「あっ。ホンマや(笑)」 というわけで、不死身のアーロン・エッカートさんに拍手!でした(笑)。監督 レニー・ハーリン原作 ポール・リンゼイ脚本 ハンナ・ウェグ マット・ジョンソン撮影 マッティ・エーリカイネン美術 フィリップ・マーフィ衣装 イリーナ・コチェバ編集 イアン・アースキン音楽 バルター・マイアキャストアーロン・エッカート(スティーヴ・ヴェイル)クリフトン・コリンズ・Jr.(ヴィクター・ラデック)ニーナ・ドブレフ(ケイト)ティム・ブレイク・ネルソン(オマリー)イルフェネシュ・ハデラ2023年・110分・PG12・アメリカ・ブルガリア・ギリシャ合作原題「The Bricklayer」2024・03・28・no050・キノシネマ神戸国際no08追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.03.29
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「春やん!(笑)」 ベランダだより 2024年3月27日(水) ベランダあたり 玄関を出て、すぐそこ、思わずつぶやきました。「春やん!」 満開の雪柳が明るい日差しの中で広がっていました。 雪柳の横では水仙たちも群れて咲いています。明るい日差しがうれしい(笑)。 愛車モーターカブ号を置いているその前の生垣でも雪柳です。シマクマ君は、この花が好きです。二日ほどお天気が今一だったので気づきませんでした。今日は快晴です。 お出かけで、気がせいていましたが、なにはともあれ、パチリ!でした(笑) 玄関のすぐわきのこの花は「山桜桃梅・ゆすらうめ」です。一月後には赤い実がなって、食べられます。その向こうは、一株だけの雪柳です、で、最後まで頑張って咲いている椿です。さすがにそろそろ見納めでしょうね(笑)追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)ボタン押してね!
2024.03.28
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三上智恵「戦雲 いくさふむ」元町映画館 この映画のチラシを見たとき、2019年の10月ですから、もう、5年前のことですが、元町映画館が緊急上映していた影山あさ子監督の「ドローンの眼」という作品を思い出しました。「ああ、あれから5年経ってしまった。」 そんな思いで、当時、影山監督の、あのドキュメンタリー「ドローンの眼」で「可視化」しようとドローンを飛ばして映像化していた、第一のターゲットは「辺野古」 だったこと。しかし、辺野古に焦点をあて、沖縄の現実を伝えようとしたときに、たとえば、神戸で暮らしている「ヤマトンチュウ」にとっては、沖縄本島の「辺野古」の出来事は、まだ、ニュースとして、おぼろげながら見えていたのですが、その、また、海の向こうに霞んでいた石垣島、宮古島、与那国島の、2019年当時の、米軍によってではない、日本という国の政府によって、戦争を放棄したはずの国のミサイル基地建設の実態が工事現場の風景として映像化され、可視化されていたことが、あの映画の、もう一つのターゲット であり、辺野古以上に大きな問題を提起していたわけです。 で、今日の映画「戦雲 いくさふむ」です。「そうはいっても、今のこの国のムードに、気持ち以上のどんな抗い方があるのだろう?」 という、いつの時代でも、国家レベルで行使される権力の姿に対して、抗いようのない無力感が自分の中にわだかまっていることも気づかないふりの、呑気な徘徊老人として過ごしてきたのではないか? と、揺さぶるように山里節子さんの歌う、おそらく島唄の、美しくも哀愁に満ちた響きで映画は始まりました。 三上監督が2015年から8年間にわたり沖縄本島、与那国島、宮古島、石垣島、奄美大島などをめぐって取材を続け、過酷な歴史と豊かで厳しい自然に育まれた島々の人々のかけがえのない暮らしや祭り が鮮やかに映し出されています。そこには、牛がいて、馬がいて、命がけのカジキ漁があって、美しい水平線があります。 映画は列島の南西の果ての島の出来事を、海の向こうの、自分にはかかわりないことのようにして忘れたがっている神戸の老人に、そこにも、同じ日本人として穏やかに暮らす人々がいて、その人たちの裏山が削り取られて大陸に向けて発射可能なミサイル基地や、自衛隊員のための防空壕がすでに完成していて、毎日、射撃訓練の銃声に穏やかな暮らしを奪われている人が、すでにたくさんいらっしゃることを伝えています。神戸の老人は茫然と目を瞠ります。 自衛隊を統括する軍人(?)の口から、台湾有事ということばが大真面目に聞こえてきて、島ごと疎開する計画さえ立てられています。70年前には「お国のため」といっていた気がしますが、今回は「島民の皆さんの安全を守るため」 だそうです。なぜ、本土で広報衆知しないのでしょうね? 映画館は、ボクよりも、ずっと年かさのご夫婦や男性、女性の連れ立った観客のみなさんで、久しぶりに込み合っていました。その高齢のお客さんたちの中に座っていると、いつもの映画とは違って、スクリーンから響く三線のリズムや歌声が聞こえたり、お祭りのシーン、牛や馬のシーンににかすかながらも、ため息や口ずさみが聞こえてくるのでした。それは、きっと、故郷を案じて集まった人たちの息遣い だったと思いますが、流れ出した涙の乾く間のない2時間でした。 1945年の沖縄の戦場で、亡くなった方のご家族や、九死に一生の体験をなさった方や、その方々の体験を受け継いで70年の歳月を暮らしてこられた目 で、この映画が映し出す惨状をご覧になって、どう、お感じになられるか、胸がふたがる思いで見終えました。 元町映画館では、この「戦雲」を4月の上旬まで上映しているようです。どうぞ、ご覧になってください。私たちの国が次の戦争を、他国の国内情勢を理由にして準備していて、そこで、誰に犠牲を強いようとしているのか。 自分の目で確かめて、他人ごとでないことを、まず、気付いてほしいと思います。 本土で暮らしている国民には見えなことをいいことに、海の向こうの島々で、戦争の準備をしているのは、他所の国じゃなくて日本なのですよ! こういうことが「自衛」で説明できるというのが、まず、驚きですが、何故か、こっそり準備されているのです。もう、悠長に驚いている場合ではないようですね。笑えません! とりあえず三上監督と上映してくれた元町映画館に拍手!でした。監督 三上智恵撮影 上江洲佑弥編集 青木孝文監督補 桃原英樹CG 比嘉真人音楽 勝井祐二語り 山里節子イラスト 山内若菜2024年・132分・G・日本配給 東風2024・03・18・no045・元町映画館no232追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.03.27
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柳川強「風よ あらしよ 劇場版」元町映画館 村山由佳という作家の「風よあらしよ」(集英社文庫上・下)をNHKでテレビドラマ化した作品の劇場版だそうでした。予告編でセリフの喋りかたに違和感があったので見る気はなかったのですが、SSC、シマクマ・シネマ・クラブのM氏の提案の一つにあったので見てみようかなという気分で見ました。 柳川強演出「風よ あらしよ 劇場版」です。 サンデー毎日の暮らしですが、テレビドラマを全く見ないものですから、こういう作品があることは知りませんでした。原作者の村山由佳という人も直木賞受賞作あたりまでは記憶にありますが・・・。 で、映画が始まって、出だしを見ながら「テレビって、こういうふうにクドクド作っていらっしゃるんだなあ?!?!」 って、妙に感心したりしもしていたのですが、お話に出てくる、まあ、歴史的事実である谷中村とか、関東大震災とか、甘粕事件とかは、何となく手を抜いていらっしゃる気もして「なんだかなあ???」 でした。 でも、見てよかったんです(笑)。すっかり忘れていた辻潤や、辻まことのこととか、大杉栄と伊藤野枝の子供たちのこととか、ボク自身が二十代に興味を持っていて、何となく放りっぱなしになっていたことがワラワラと湧いてきて、「そういえば、あの本どこだっけ?」 という感じで、まあ、実に、なんというか、映画そのものが「平和なお茶の間用というクオリティだとこうなりますか?!」 という印象で、辻潤のエゴイズム発言とか、大杉栄のアナキズムの主張とか、かなり上滑りだし、なんといっても、伊藤野枝の女性の自由のとらえ方は、「えっ?それを描くとこういう映画になるの?」 というふうなだったのですが、ボク自身はというと、教室で伊藤野枝という人の映画を見たんだけど、今日の授業のテーマとはあんまり関係ないかもしれない方向に関心が湧いて、その興味の方 に気持ちがウロウロするという体験でしたね。 瀬戸内寂聴の「美は乱調にあり」(岩波現代文庫)とか、「ルイズ 父に貰いし名は」 (講談社文芸文庫)は豆腐屋の松下竜一か。あれは大杉栄と伊藤野枝の四女?、末っ子か? それから、荒畑寒村「谷中村滅亡史」(岩波文庫)か、いろいろあったなあ。そうそう、辻まこと、「辻まことセレクション」(平凡社ライブラリー)とか、どこにやったっけ?みんな、昔の名著か? そういえば、少女小説の吉屋信子が田中正造の思い出を書いていた話がどこかにあったなあ。と、まあ、実はこの時代好きだったんですよね(笑)。 それにしても、ボクのようなタイプに、原作を読もうと思いつかせないところが、まあ、この映画のザンネンなところでしたね(笑)。 演出 柳川強原作 村山由佳脚本 矢島弘一音楽 梶浦由記キャスト吉高由里子(伊藤野枝)永山瑛太(大杉栄)松下奈緒(平塚らいてう)美波(神近市子)玉置玲央(村木源次郎)山田真歩(堀保子)音尾琢真(甘粕正彦)石橋蓮司(渡辺政太郎)稲垣吾郎(辻潤)2023年・127分・G・日本2024・03・25・no049・元町映画館no235・SCCno20追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.03.26
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「そろそろ、見納めかな?」 徘徊日記 2024年3月18日(月) 北長狭あたり 今日も、フラフラ通りかかった神戸の、通称モダン寺のある、あの通りのコブシの並木道です。見事に満開です! お天気がよかったので、ご覧ください、雲一つない青空を背景にした白い花です。 お寺の姿と重ねて写せました(笑) 少し西に歩いてみます。 洋食の朝日さんのあたりです。 せっかくなので、一本づつ、全体の姿を写してやろうともくろんだのですが、あんまり上手とはいえないところは、いつもと同じです。 西の端のほうの木です。このあたりは、本当に満開で、今日が見納めでしょうね。コブシもモクレンもここから急激にやつれたように黄ばんだりしてくるのですよね。今日は、時間も早いというわけで、朝日さんのお店の前は行列です。 はい。これで通りを歩き終えました。ここから神戸駅まではすぐですね。それでは、またね(笑)。追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑) ボタン押してね!
2024.03.25
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ホウ・シャオシェン「ミレニアム・マンボ」元町映画館 2年ほど前のことですが、なんとなく、図書館の棚で見つけた「侯孝賢の映画講義」(みすず書房)という本を読みました。ホウ・シャオシェン(侯孝賢)という監督が活躍した時代、香港、台湾、そして韓国の映画が映画館に掛かる様になった時代に、ほぼ、映画を見ていないということもあって、名前も知らなかったその監督が、いったいどんな作品を撮っていたのだろうという関心ばかり膨れ上がっていましたが、今年、2024年の3月の元町映画館のプログラムを見て、「あっ!侯孝賢や!」 そう思って駆け付けました。 見たのは侯孝賢監督の2001年の作品「ミレニアム・マンボ」、原題が「千禧曼波」という作品でした。 見終えて、座り込んでいて、最初のシーンが浮かんできました。 渡り廊下というか、ビルからビルへの、屋根付きの歩道橋というか、女性がタバコをくわえて歩いているのですが、どこにたどりつくのか・・・。 で、映画が、たどり着いたのはどこだったのか。「これって、何年の映画ですか?」「2001年ですよ。」 見終えて、ようやく立ち上がって、出てきた受付で答えてくれたのは映写係のお兄さんでしたが、エンドロールを見ながら、ボクの頭の中に渦巻いていたというか、ワラワラと浮かんできていたのは「そのころボクは何をしていたんだっけ?」 という、ボク自身の頭の中にあるはずなのに、時も、場所も、あまり定かではない記憶というか、思い出というかを、浮かんでくるボンヤリしたシーンを何となく手探りで探しながらで、どうしてあなたは、今日、こうして映画館とかに座り込んでいるの? と問いかけられるような、そんな気分で、思わず尋ねたわけです。 まあ、そういう映画でしたね。 見事なものです。繰り返されるくらい部屋や酒場のシーンが、何を描こうとしているのか、判然とするわけでもないし、これといった筋立てがあるわけでもないのですが、今日のボクを揺さぶったことは間違いないですね。不思議な映画でした(笑)。 侯孝賢に拍手!ですね。 映画が、スーチーさんが演じるビッキーさんの生きてきた記憶の映像を重ねるように、繰り返し、コラージュしていているような気がしたのですが、映像にはビッキーさん自身もあらわれるのですね。自分自身の記憶なら、彼女の姿はあらわれないのじゃないか、そんな、疑問も浮かぶんです。で、生きているビッキーさんを追いかけて、これを撮っているのは誰なんだろうという、考えても仕方がないようなことを、見終えて数日たった今も考えています。 小説なら書き手ですが、映画の場合は、小説の書き手に当たる人はどこにいるのかということが、最近気になって仕方がないのですが、そういうことを考えるというか、気に掛けることを励ましてくれるような作品でした。面白かったですね(笑)。監督 ホウ・シャオシェン侯孝賢脚本 チュー・ティエンウェン撮影 リー・ピンビン美術 ホワン・ウェンイン音楽 リン・チャン Fish 半野喜弘キャストスー・チー(ビッキー)カオ・ジエ(ガオ)トゥアン・ジュンハオ(ハオ)竹内淳(ジュン)竹内康(コウ)ニョウ・チェンツー(ドウズ)ディン・ジェンチョン(マジシャン・建中)2001年・105分・台湾・フランス合作原題「千禧曼波」「Millennium Mambo」2024・03・20・no046・元町映画館no233追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.03.24
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ドゥニ・ビルヌーブ「デューン 砂の惑星 PART2」109ハット 3年ほど前に、パート1を見ました。まあ、そういうわけで、やっぱり、見なきゃ! と思いたって、なんと,春分を過ぎたというのに小雪のチラつく中、意を決して原付に乗り、灘駅からは小雨に変わった道をとぼとぼ歩いて、ドゥニ・ビルヌーブ「デューン 砂の惑星 PART2」に駆け付けました。 劇場には、こんなのに始まって、こんなのとか、 ちょっと、強面ですが、なんかドラゴンボールを思い出しましたが(笑)、こんなのとか、こんな悪人面とか、あっ、上の男の人ね(笑) こちらは、主人公のポールくんかな、と、まあ、いろんな登場人物のキャラクター写真があったりして、有名な人気俳優集合映画であることがよくわかりましたが、まあ、写真の人物のだれ一人知らないわけですから、「まあ、ちょっと写真撮っとこか。」 程度のインパクトしかありません。知らないというのはしようがありませんね(笑)。 で、始まって見ると2時間30分、まあ、結構長い作品だったので、それで、どうなるのと期待に期待を重ねていたのですが、まあ、こんなことを言うのは申し訳ないのですが、なんというか、ボクの中で、新たに「ワクワクをかきたてるもの」 の発見は、結局、なかったですね。ザンネン! あの砂虫の全貌は?という期待も(やっぱり、わからないままでしたが)、お母さんのお腹の赤んぼうの行く末も(まだ、お腹にいるままでしたし)、ポールくん自身の復活も、「なんだかなあ???」 でしたね。 ちょっと、いかにも、薹の立った老人の戯言をいいますが、物語の運びが、小道具も、大筋も、古いんですよね。 予言を持ち出して、話を進めるのも、戦闘シーンや、最後の決闘シーンも説得力がないですね。最後のポールくんの決断でチャニさんが去っていく結末もパート3のためのやりくりにしか見えないわけですし、砂虫くんだって、ボクでさえ二度目なのですから、もう少し何とかしてほしいわけです。 結局、寝ることはなかったですが、欠伸ばっかりしていました(笑)。 音響とか、結構、大変なのですが、体がそう反応してしまうのだから仕方がないですね。 砂漠の香辛料とかの争奪戦あたりからの発想でしょうか、現実の世界を暗示する予言性とかを指摘する批評家もいらっしゃるようですが、現実の権力や資本の論旨が古いからそう見えるにすぎないわけで、古い物語を反復すれば、予見的になるという型は、ボクが映画を見始めた50年前から変わらないし、この作品を持ち上げる理由になるとは思えませんね。 とか、なんとかいいながら、パート3が出来たら、また見に来そうな、ハイ、今回は怠かったのですが、ほんとはこの手の話、好きなのですよね(笑)、というわけで、まあ、いい加減な話でした(笑)。監督 ドゥニ・ビルヌーブ原作 フランク・ハーバート脚本 ドゥニ・ビルヌーブ ジョン・スパイツ撮影 グレイグ・フレイザー美術 パトリス・バーメット衣装 ジャクリーン・ウェスト編集 ジョー・ウォーカー音楽 ハンス・ジマー視覚効果監修 ポール・ランバートキャストティモシー・シャラメ(ポール・アトレイデス)ゼンデイヤ(チャニ)レベッカ・ファーガソン(レディ・ジェシカ)ジョシュ・ブローリン(ガーニイ・ハレック)オースティン・バトラー(フェイド=ラウサ・ハルコンネン)フローレンス・ピュー(皇女イルーラン)デイブ・バウティスタ(ラッバーン・ハルコンネン)クリストファー・ウォーケン(パーディシャー皇帝シャッダム4世)レア・セドゥ(レディ・マーゴット・フェンリング)スエイラ・ヤクーブ(シシャクリ)ステラン・スカルスガルド(ウラディミール・ハルコンネン男爵)シャーロット・ランプリング(教母ガイウス・ヘレネ・モヒアム)ハビエル・バルデム(スティルガー)アニヤ・テイラー=ジョイ2024年・166分・G・アメリカ原題「Dune Part Two」2024・03・21・no047・109ハットno42追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.03.23
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ジュスティーヌ・トリエ「落下の解剖学」シネリーブル神戸 神戸のシネリーブルでは2024年の2月の下旬に封切られた作品ですが、チケット予約で覗くと連日盛況で、チョット近づくことを躊躇していると、今度はアメリカのアカデミー賞で脚本賞とかいうニュースが流れてきて、客足がとまるどころか・・・、仕方がないので覚悟して出かけました。「ああ、やっぱり、多いですね(笑)。」「はい、アカデミー賞ですから。」 まあ、チケット売り場でそういう会話があって、ここのところのボクとしては珍しく、かなり前の席で、昔はずっとそのあたりだったことを懐かしがりながら、ちょうど真正面のデカい画面をやや見上げるような席で見ました。ジュスティーヌ・トリエというフランスの女性監督の「落下の解剖学」でした。 大きなログハウス風のお屋敷の3階だったかの屋根裏部屋のベランダから、男が落ちて死んでいたシーンがチラシの写真です。直接の死因は頭部の打撲傷なのですが、大怪我をして「落下」したのか、「落下」しながら大怪我をしたのかを、裁判で明らかにしましょう。 という映画でした。 で、怪我を解剖しても、怪我をしたのがいつだったのかわからないので、「落下」という出来事を、みんなで解剖してみましょう。 まあ、そんな感じの裁判だったと思いますが、裁判という制度が、事実の「解剖」では出来事の真相にたどり着けない場合、ようするに物証がないこの映画のような事件の裁判の場合、「結論」を物語化する ものだということを、案外、多くの人が信じているということがよくわかりました(笑)。 でも、多分、殺人事件の裁判の立証でそういうことはあり得ませんね。そこのところを隠しているのが、この映画の大きな欠点だったという印象が、まあ、ボクには、強く残りました。 大怪我の結果、死んだのは夫で、怪我をさせた、あるいは、殺したと疑われているのは妻、第一発見者は、息子と犬でした。この映画の裁判で検事が、芝居気たっぷりに「解剖」しようとしているかに見えるのは「家族」、「夫婦」、そして「夫」、「妻」、「子ども」の内側ですね。ああ、これでは真相はわかりっこないな! そう思って見ていましたが、やっぱりわかりませんでしたね。凶器というか、物証が、それが物置の屋根の角であれ、ひょっとしたら妻が振り上げたトンカチであれ、無いのですから、状況証拠を争う裁判をいくらドラマチックに展開しても、自白を誘導していいるだけで、「結論」は主観的に選ばれる よりしようがないわけです。 まあ、そういうことを考えながら見ていて、この映画というか、映画の製作者は「裁判という制度」について最初から観客をだましているな とういう感じで見続けていました。 どういうことかというと、裁判という制度は、たとえば、殺意が認定できても殺人を認定できない場合、「疑わしきは罰せず」の原則にのっとって無罪放免以外に方法はないということを伝えずに、裁判をある男の死の真相の謎をサスペンス化して、それが見つけられるはずの場として、あたかも法廷劇であるかのように、「裁判」を描いていたことですね。何が表現したいのかよくわからない展開でした。 というわけで、事件の真相がサスペンスとして語られていると思いながら見ているわけですが、謎が吊るされているロープがぴんと張っていないという気分は募るばかりでしたが、検察側の状況証拠に、夫が録音した夫婦喧嘩の実況中継が出てきて、関心を持ち直しました(笑)。 妻の職業が小説家で、夫は書けない小説家志望、二人の小説作法に共通するのが、現実の小説化ということです。これは面白いやん! 島尾敏雄ですね。数年前、梯久美子の「狂うひと―『死の棘』の妻・島尾ミホ―」(新潮文庫)という評論が話題になりましたが、その中で、「作家島尾敏雄は自らの浮気の事実を記した日記を、台所のテーブルに置き忘れることで、妻、島尾ミホに読ませることで、彼女の精神的錯乱を誘発し、それを作品に書いた」 とあったことが、映画を見ている頭の中にワラワラと浮かんできて、新たなるサスペンス! の始まりでした。 まあ、映画では、夫によって文章化された夫婦喧嘩の描写が小説のプロットとしてつまらないという編集者の判断があり、夫の作家的無能の、だから自殺を思い立つ状況証拠化されてしまって、一気にロープが緩むのですが、どうせなら、妻がこの場面を書いた原稿まで、見つけてほしかったですね。そこに、妻の殺意が描かれていたとしても、現実の殺意とは、実は、ほとんど関係ないというあたりまで、どう描くか、まあ、そんな期待だったのですが、トンボ切れでした(笑)。 要するに、書くために生きていた二人にとっての現実や生活は何だったのかという問いに欠けるところが、この作品の残念なところだったと思うのですが、アカデミー賞では、なんと脚本が褒められたよう で、一瞬、興奮しかけたのは空振りだったようですね(笑)。 付け加えていえば、この作品で、境遇に耐えながら、なんとか、生きているのは少年と犬だけでしたね。 少年は、裁判であげつらわれている母と父の虚構の生活の中で、自らの存在も、また、虚構されているのですが、残された母の命を救うことで、自らが「生きる」ことを選び取ったといえるのかもしれません。 上にあげた「狂うひと―『死の棘』の妻・島尾ミホ―」(新潮文庫)を書いた梯久美子が、評伝執筆にあたって協力を依頼した島尾夫婦の、長男、島尾伸三から「きれいごとにはしないでくださいね」といわれたという話は有名ですが、この映画で、帰宅した母に少年がいう「ママが帰ってくるのが怖かった」 というセリフは、かなりいい線いっていると思うのですがね。問題は、誰が死んだ、誰が殺したではないのです、これから、再び始まる「狂うひと」との生活なのです、でも、この映画、そっち向きに作られているのかな?というのが、文学オタクの老人のうがった感想でした(笑)。監督 ジュスティーヌ・トリエ脚本 ジュスティーヌ・トリエ アルチュール・アラリ撮影 シモン・ボーフィス美術 エマニュエル・デュプレ衣装 イザベル・パネッティエ編集 ロラン・セネシャルキャストサンドラ・ヒュラー(サンドラ被疑者・作家)スワン・アルロー(ヴィンセント弁護士)ミロ・マシャド・グラネール(ダニエル息子)アントワーヌ・レナルツ(検事)サミュエル・セイスジェニー・ベスサーディア・ベンタイブカミーユ・ラザフォードアン・ロトジェソフィ・フィリエール2023年・152分・G・フランス原題「Anatomie d'une chute」2024・03・13・no042・シネリーブル神戸no236追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.03.22
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「おっ!ここのモクレンも、コブシも!」 徘徊日記 2024年3月18日(月)神戸・元町5丁目あたり JRの神戸駅から、宇治川の商店街あたりを横切って北長狭通を高架沿いにトボトボ歩いてたどり着くのが元町5丁目あたりです。なじみの古本屋の三香書店さんや喫煙OKの喫茶店ベアがある通りですが、オッと、モクレン咲いてるやん! 北長狭あたりのコブシに気を取られていた、今日この頃でしたが、ここのモクレンの街路樹も、いつの間にか見ごろになっていました。 まずは、コブシです。元町商店街のアーケードの手前ですね。 ちょっとアップするとこんな感じです。背景の青空も気持ちがいいですね(笑)。 で、その木の正面あたりにあるのがモクレンです。この木の花はまだ蕾です。 でも、モクレンもコブシもこの風情のときがいいですね。 元町商店街のアーケードの南の花は開き始めています。 春の日差しがが明るくて、花の開き加減がこれくらいのときのモクレンとか、コブシって、どうしてこう、素直そうで、写真写りがいいですかね(笑)。 お隣りで、こちらのコブシは、ほぼ満開です。 ちょっとアップしてみますね。こうなると色気たっぷりで、これはこれで、また、まあ、なんというか大人の魅力ですね(笑)。 で、お隣のモクレンは、今のところは、まだ、こういう風情で、何となく女学生さんという感じがいいでしょ(笑)。 いよいよ、春の花の季節の到来ですね。じゃあ、またね(笑)。 ああ、今日の目的地は、やっぱり、ここですね。 見たのは、左端のポスターの映画、「戦雲」、「いくさふむ」と読むらしいです。琉球の人たちの哀しみと怒りに胸打たれました。また感想書きますから読んでね(笑) 追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑) ボタン押してね!
2024.03.21
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鈴ノ木ユウ「竜馬がゆく 7 」(文藝春秋社) 愉快な仲間のトラキチクンが毎月運んでくれる「マンガ便」ですが、2024年の3月の「マンガ便」に入っていたのは鈴ノ木ユウ「竜馬がゆく 7 」(文藝春秋社)でした。 江戸で剣術修業をしていた竜馬の、土佐への帰国途上のエピソードが描かれていて、幕末の風雲急な時代の始まりを予告する、「竜馬がゆく」という物語の節目の第7巻でした。 ところで、このマンガの原作は司馬遼太郎の「竜馬がゆく」(文春文庫・全8巻)ですが、実は1962年から1966年にかけて産経新聞の夕刊に連載された新聞小説なのですね。思えば半世紀も昔の作品ですが、作家を、時代を越えた流行作家にした出発点になった作品ですね。 で、もう一つの特徴ですが、一般には、この作品が「歴史事実」に対して「ウソ」=「作りごと」のない「歴史小説」であるかのように読まれてきているのですが、実は「ウソ、偽り」で面白さを担保した「時代小説」 ということですね。 たしかに、歴史上の人物の伝記的事実を柱に描かれていて、いかにも歴史事実を忠実にたどっているかに見えるのですが、実は、司馬遼太郎流といえばいいのでしょうか、想像上の人物を登場させたり、こうであっただろうという、まあ、想像を書き込むことで新聞小説の読者を喜ばせる、あるいは、飽きさせないことを狙ったのだろうと思われる「ウソ」が随所にはめ込まれていて、作家の思惑通り、だから面白いのですね。 この第7巻で、竜馬の一の子分として活躍する寝待の藤兵衛は、司馬遼太郎の創作した最も優れたキャラクターの一人でしょうね。「このろくでなしが」「・・・・」「・・・・」「竜馬どの」「旦那だって人殺しの術を使う剣客でしょうが」「盗賊の人殺しと一緒にするな」「武士の剣は千年の・・・考えぬかれた義と理と法とがある武士道じゃ 武士はその道によって人を斬り時には己も斬る」「な~に勝手なことを言ってんだい 殺しは殺し…一緒だろ」 このシーンそのものが、かなり作り話的だと思うのですが、藤兵衛はもちろんのこと、同席しているのが、三条家で見習いをしている、土佐藩の家老だかの娘お田鶴というのもすごいのですね(笑)。 で、司馬遼太郎のえらいところは、まあ、会話をお読みください、この席で、やがて、「武士道」を相対化して新しい世界を作り出してゆく坂本龍馬誕生! の、産婆役として藤兵衛に「殺しは殺し、一緒だろ」とと、実の重要な発言させているのです。坂本龍馬という歴史上の人物の、歴史的改心、あるいは、武士からの脱皮の瞬間をこうして描いてみせるのが「司馬史観」に特有のテクニックですね。 さて、この巻後半、68話から、70話、土佐に帰った竜馬が出会うのはアメリカです。まだ出てきていませんが、この時代の土佐には、あの、ジョン万次郎がいるのですね。楽しみです。 追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.03.21
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100days 100bookcovers Challenge備忘録 (71日目~80日目) コロナが蔓延し始めた2020年の5月に友達と始めた「ブックカヴァーチャレンジ」の備忘録です。当時、フェイスブック上とかで「7デイズ・7ブックカヴァーズ」というのが流行だったのですが、お調子者のわれわれは「100デイズ、100ブックカヴァーズ」に挑戦したのですが、コロナの流行が、何となく忘れられて、戦争とか、神戸や東北の震災とかと同じように、教科書の片隅に記載される歴史事象の一つであったかのような「空気」が蔓延し始めていて、その上、お正月早々、能登半島を大きな地震が襲い大勢の人が苦しんでいらっしゃる2024年の3月現在、ようやく97冊目にたどり着いて、ゴールを目前にしています。 紹介してきた書物のライン・アップに、格別の意味があるわけではありませんが、ほぼ、5年にわたるコロナ社会の生活を映してきた鏡であったかもしれません。少なくとも、紹介に参加した5人のメンバーは確かに5年の歳月を生きてきたわけですし、できれば、その時間を忘れないための備忘録でもあるわけです。 それぞれの書名か表紙写真をクリックしていただければリンク先の記事にたどりつけると思います。no71(2021・06・21 N・Y) 馳星周「神の涙」(実業之日本社文庫)no72(2021・07・26 K・S) レイモンド・チャンドラー『長いお別れ』(ハヤカワ・ミステリ文庫)no73(2021・08・14 T・K) 矢作俊彦『マンハッタン・オプⅠ・Ⅱ』角川文庫no74(2021・08・27 E・D)ジョセフィン・テイ『時の娘』小泉喜美子訳 早川書房no75(2021・09・04 T・S)田口俊樹「日々翻訳ざんげ エンタメ翻訳この四十年」(本の雑誌社)no76(2021・09・21・N・Y)田中小実昌『ポロポロ』(中央公論社)no77(2021・10・21・T・K)川上弘美『神様』中央公論新社no78(2021・11・14・E・D)池内了『物理学と神』集英社新書no79(2021・12・21 T・S)幸田文「おとうと」(新潮文庫)no80(2022・01・12・N・Y)宮本常一「辺境を歩いた人々」(河出書房新社)追記2024・05・11 投稿記事を 100days 100bookcovers Challenge備忘録 (1日目~10日目) (11日目~20日目) (21日目~30日目) (31日目~40日目) (41日目~50日目)(51日目~60日目)(61日目~70日目)(71日目~80日目)(81日目~90日目)というかたちまとめています。日付にリンク先を貼りましたのでクリックしていただくと備忘録が開きます。 追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.03.20
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