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河野裕子の歌が好き、と書いたことがありました。
たん・たん・短歌
枯葉の季節になった。ミシガンの冬はすぐそこまで来ているらしい。この時期にいつも思い出す歌がある。
たとえば君 ガサッと落葉すくふやうに私をさらって行ってはくれぬか
作者は河野裕子。彼女のごく若い頃の作品である。「たとえば君...」というどこかつき離した呼びかけと、「ガサッと」という効果音をほうり込んで、当時、そして今も斬新な感じの歌だが、その内容にはズキンと胸が痛む。あんな時代もあった。っていうヤツかもしれない。
「たとえば君...」そこの君、ちょっと君、誰でもいい、たとえば君でもいいから私をどこかに連れていってというのである。ただし、親だけは不可。
親の甘い庇護を含む現状から自分というものを丸ごとひっさらってくれる外からの手を期待しているのだ。そして、どこにも所属できず、若いくせにどんどん若さを失っていく不安におびえ、ここじゃない所でならやり直せそうな気がしていた。しかし、泣く程ではない。この歌には、そんな自意識の強い夢見がちな女の子が見え隠れする。
ところが、ある日彼女に答える人が現れた。何てラッキーな。お相手は永田和宏氏。京大医学部教授で歌人で、しかもハンサム、しかも年下というまさに理想の恋人でしょう。そして彼の歌。
あの胸が岬のように遠かった。畜生!いつまでおれの少年
気のせいか、男の人の方が素直みたい。そして二人は結ばれて赤ちゃんが生まれた。その結婚生活は......。
君を打ち子を打ち灼けるごとき掌よざんざんばらんと髪とき眠る
恐いですね。まだまだ、情熱は失われていないというべきか。ただ、生きている限りいくらシチュエーションを変えても生活はついてくるのだ。白雪姫にも、シンデレラにも、裕子さんにも。そして、この歌は子育てしている時の私自身の姿でもある。
しかし、勿論彼女だって毎日お岩さんみたいに暮らしているわけではなくて、むしろ同時代のフェミニズム歌人から「幸せな歌ばかり作って。もっと問題意識を持ちなさい!!」と糾弾される程幸せな人なのである。そこで永田氏の歌。
食えと言い、寝よと急かせてこの日頃妻元気なり吾をよく叱る
それぞれ作った時期も違うし、本来の相聞歌ではないのだろうが、並べてみると結構面白い。
さて裕子さんは今でも枯葉の季節になるとどこかへさらわれてしまいたいと思っているのだろうか。
たったこれだけの家族であるよ子を二人あひだに置きて山道のぼる
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