白馬江
を、軍船を模した船で遊覧した。白馬江は、錦江とも呼ばれる大河で、黄海に注ぐ。かつての百済は海運で栄えた。倭国(日本)との人的・文化交流も頻繁に行われた。ゆったりと流れ白馬江は、湖のようでもある。船上から落花岩と扶蘇山を眺めた。
白馬江クルーズは、皇蘭寺船着場から出港し、白馬江橋手前で反転して クレゥド渡し場
まで移動する約20分間のコース。遊覧船は、30名程度集まったら出航するようだ。途中、水陸両用のバスとすれ違う。日が傾いた「百済」の夕景に出逢う・・。
遥か昔の663年、白馬江の河口で、「 白村江の戦い
」があった。百済復興を目指す百済遣民・倭国の連合軍と唐・新羅連合軍が戦う。日本側では、情報不足とリーダー不在で大敗を期す。そして百済が滅んだ。その際、百済から逃れて、日本に帰化した人は少なくなかったという。
写真1 扶蘇山北絶壁と白馬江。
写真2 皇蘭寺船着場と連絡船。
写真3 日が傾いた白馬江と白馬江橋。
写真4 百済末期の悲劇を伝える「落花巌」。
写真5 クレゥド渡船場と駐車場。
写真6 白馬江の碑と夕景。
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