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奈良県の2大桜の名所、「高見の郷」の1000本の巨大枝垂れ桜全国屈指の桜の名所「吉野山の桜」、一挙に公開!(「高見の郷」の桜)(吉野山の桜)4月10日、女房殿の運転する車の助手席に乗って、奈良県東吉野村にある新しい桜の名所、「高見の郷(さと)」にお出掛けしました。「高見の郷」にお出掛けするのは、今回で3年連続になります。リュウちゃんの家から「高見の郷」までは、車で約1時間30分、この日は午前8時30分に家から出発し、10時ジャストに、「高見の郷」の駐車場に到着しました。駐車場から無料のシャトルバスで、麓まで行き、そこから「無人運転カート」で、1000本の巨大な枝垂れ桜の咲く「高見の郷」に登ります。無人運転カートの前は、凄い人の行列!行列に並んでからカートに乗るまで、20分位掛かってしまった!「高見の郷」の命名の由来は、ここが奈良県と三重県の県境にある「高見山」(標高1249m、俗称「関西のマッターホルン」)に隣接していることから来ています。無人運転カート乗り場から、初めて「高見山」を撮ることが出来た!ここで「高見の郷」の「桜MAP」を紹介します。(「高見の郷」桜MAP)★「高見の郷」は、2004年(平成16年)に開園した新しい奈良の桜の名所です。★園内には、約1000本の巨大な枝垂れ桜が植えられていて、観る人を圧倒します。その様子は、「鈴鹿の森庭園」の「枝垂れ梅」の景観とよく似た感じですが、枝垂れ梅の樹高はせいぜい6m、比べて「高見の郷」の枝垂れ桜の樹高は、10~15m位あります。従いまして、「高見の郷」の満開時の桜の花の総量は、「鈴鹿の森庭園」の枝垂れ梅の花の総量の約5倍ほどあると考えられます。★「高見の郷」は、古来から全国屈指の桜の名所として知られる「吉野山」から直線距離で約30キロの所にあります。車を使えば、「高見の郷」から「吉野山」までは、30分もあれば行けるのです。なので、一日で「高見の郷」と「吉野山」をハシゴすることも可能なのです。★「高見の郷」は、新しい桜の名所なので、1990年(平成2年)に公益財団法人「日本さくらの会」が制定した「日本さくら名所100選」には入っていません。また最近の「全国桜の名所ランキング」にも全く登場しないのですが、奈良県民のリュウちゃんの見解では、優に全国ベスト10に入るべき、素晴らしい桜スポットだと思っているのです。ー閑話休題ー自動運転カートを「千年の丘」の下で降りて、約50m上部にある「千年の丘」に登りました。標高700mの所にある「千年の丘」、ここから「高見の郷」の桜が一望出来る!見下ろす絶景は、正に第2の吉野山だ!暫し「千年の丘」からの眺めを堪能して、約100m下にあるメインスポットである「天空の庭」に降りて行きました。「天空の庭」への下り道、道脇は枝垂れ桜で埋まっている!「天空の庭」に降りてきました。「天空の庭」の天空は、桜の花で覆い尽くされている!他の桜の名所では絶対に観ることが出来ない「桜の天国」なのだ!もう正午、お腹が空いた。で、「天空の庭」にある茶店で、「山菜蕎麦」と缶ビール(2缶)を買って、昼食(女房殿は、カレーライスとお茶)プファ~、ビールが旨い!ゴージャスな桜の下で飲むビール、心の中までピンク色なのだ!昼食を終え、「天空の庭」の下にある「記念植樹コーナー」に降りて行きました。ここは「高見の郷」で一番新しいコーナー、いにしえの歌人「西行法師」なら、きっとここで、「願はくは花の下にて春死なん そのきさらぎの望月のころ」と詠んだことだろう、暫し「記念植樹コーナー」の桜の下を散策して「天空の庭」に戻り、昼食を摂った茶店で、「桜ソフトクリーム」を注文し、「おやつタイム」、プファ~、桜ソフトが旨い!桜の名所のおやつは、桜ソフトが一番なのだ!実は本日の「高見の郷」の桜の開花状況は「七分咲き」、やはり「満開の高見の郷の桜」が観たかった。来年、満開の頃に来てみよう!<吉野山の桜>「高見の郷」に女房殿の運転する車に乗ってお出掛けした2日後の4月12日、今度はリュウちゃん一人で、公共交通を使って「吉野(山)の桜」を観に行ってきました。残念ながら、昨年は吉野に行くことが出来ませんでしたので、「2年ぶりの吉野行」になります。直前に4月12日の吉野の桜の開花状況を調べました所、★下千本:葉桜、★中千本:半分葉桜、★上千本:散り始め、★奥千本:満開、との事、アチャ~、メインの場所の桜は「ほぼ終わり」だ!しょうがない、久しぶりに「奥千本」をメインにして、出掛けてみよう。以下に、「吉野山桜見所マップ」を貼り付けます。(吉野山桜見所マップ)上掲のマップについて、少し説明します。★マップの左下に、スタート地である「近鉄吉野駅」があります。ここの標高は207mです。ここから「下千本」が始まっているのです。★マップ右上の「奥千本」の頂上に、「金峯(きんぷ)神社」があります。おこの標高は765m、従いまして「近鉄吉野駅」と「金峯神社」の標高差は558mとなります。★「金峯神社」の更に奥に、「西行庵(さいぎょうあん)」があります。★「近鉄吉野駅」から「金峯神社」までは、約6キロの車も通れる「遊歩道」が整備されています。★本日の行程は、「近鉄吉野駅」からバスを乗り継いで「金峯神社」まで登り、そこから「西行庵」を経由して、徒歩で「近鉄吉野駅」に戻ってくるという趣向です。★全長約8キロ、標高差約600mの行程になります。午前8時に家を出発、「近鉄吉野駅」に着いたのが午前10時ジャスト、そこからバスを乗り継ぎ、「奥千本」の「金峯神社」前に着いたのが午前11時30分、「金峯神社」の参道の横に広がる「奥千本」、満開だ!「金峯神社」を素通りして、「西行庵」に向かいます。左足の痛みが治らないリュウちゃん、この道は険しい!やっとの思いで、「西行庵」に着きました。(※)「西行庵」は、平安時代末期の僧侶であり歌人であり、生涯、旅人であった「西行法師」が、吉野の奥千本に地に庵を結び、独居したとされる場所です。西行は生涯で2200首もの短歌を詠みましたが、桜に関する和歌が多いのも、吉野のに独居したことと関連がありそうですね。<吉野山 梢の花を見し日より 心は身にも添わずなりにき>「西行庵」の前にある休憩所、ここから観る桜は、素朴な佇まいだ。850年前、西行も同じ桜を観たのだろうか?「西行庵」の対面の山道を登ります、山道の頂上からの眺望、ここは吉野山の裏山、遥か後方に見える山々は「大峰山脈」、山の峰々を縫うように吉野から和歌山県の熊野まで100キロの修験道の道、「大峰奥駆道」が続いているのだ!壮大なロマンを感じる光景なのだ!「西行庵」を一巡りして、元の「金峯神社」に戻ってくるまで、1時間半くらい掛かってしまいました。もう午後1時前だ。お腹が空いてきた。先を急ごう。<吉野水分(みくまり)神社>「金峯神社」から遊歩道を1,3キロ降りた所に「上千本」の頂上と云える「吉野水分神社」があります。おお、ここの枝垂れ桜、まだ咲き残っていた!<花矢倉展望台>午後2時少し前、やっと本日の昼食場所である「花矢倉展望台」の茶店に到着しました。この展望台からは、吉野の桜のメインスポットである「中千本」、「上千本」が一望出来るのです。「中千本」、「上千本」の桜は、見頃を過ぎていた為か、ちょっと淋しかったが、桜は少なくても絶景なのだ!茶店で、「しいたけご飯」と缶ビール(2缶)を注文し、見晴らし台の隅に座って、遅い昼食、プファ~、ビールが旨い!桜の見頃は過ぎたとはいえ、ここは格別な別天地なのだ!<さくら咲競(さくら)プロジェクトの展望所>昼食を終えて、「花矢倉展望台」から50mほど遊歩道を降りた所にある「さくら咲競(さくら)プロジェクトの展望所」に向かいました。おお!、ここから見下ろす「上千本」まだ十分に「見頃」だ!「花矢倉展望台」から僅か50mしか離れていないのに、何という違いなのだ?不思議不思議なのだ!「さくら咲競(さくら)プロジェクトの展望所」から、どんどん下に降りて行きます。以下、「中千本」までの途上で撮った写真を何枚か貼り付けます。<吉水(よしみず)神社からの眺め>「中千本」にある「吉水神社」は、かって源頼朝に追われた源義経、静御前、弁慶一行が身を潜めた所です。また、後醍醐天皇が吉野に潜幸した時、ここに行宮を設け、一時居所とした所でもあります。また、文禄3年(1594年)、豊臣秀吉が「吉野の花見」を開催した際、ここを本陣として5日間滞在した所でもある歴史的な神社なのです。現在、境内には桜の木は殆ど無いのですが、入口に吉野の桜を見上げる展望所があるので、リュウちゃんが吉野に行った際には必ず立ち寄るビュースポットなのです。吉水神社から見上げた桜、案の定、「奥千本」のみが満開なのだ。<蔵王堂>いよいよ吉野山のシンボル、「蔵王堂」まで降りてきました。「蔵王堂」の前の2本のシロヤマザクラ、ほぼ完全に「葉桜」だ!「吉野山」の最後の写真は、「蔵王堂」の下の遊歩道から撮った「高見山」です。「高見山」の麓にある「高見の郷」と、吉野山は、こんなに近かったのだ!(※)今回の「吉野山の写真、すべてに左上部がピンボケになってしまいました。少し見苦しくなってしまったことをお許し下さい。
2024年04月30日
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馬見丘陵公園のチューリップと桜、桃の花の三重コラボ、ゴージャス! 春爛漫だ!4月4日、女房殿の運転する車の助手席に乗って、「馬見丘陵公園」にお出掛けしました。リュウちゃんの家から「馬見丘陵公園」までは、車で10分で行ける至近距離に在りますので、思い立ったらすぐ行ける「近隣公園」なのです。今回の「馬見行き」の主な目的は、4月6日から開催される「第11回馬見チューリップ・フェア」です(下記ポスター)。チューリップ・フェアの始まる日の2日前だったのですが、開催2日前なら、殆んど「見頃」になっているだろう、ソメイヨシノは終わりに近いし、ソメイヨシノとチューリップのコラボを見られるのは、今しか無い!昼食を済ませ、午後1時に家を出発、午後1時10分に公園の「北エリア」の駐車場に到着、アチャ~、駐車場は満車だ。仕方がないので、チューリップの「見所」から少し離れている「上の駐車場」に車を停め、見物にお出掛けしたのです。ここで、本日歩いた公園のマップを貼り付けます。(「馬見丘陵公園」北・中央エリアマップ)上掲のマップで、チューリップの「見所」は、(1)「集いの丘」(図の右上部)の道筋、(2)「乙女山古墳」の上部にある「花の道」、(3)「一本松古墳」(図の左下部)の辺り、(4)「カリヨンの丘」の周辺、(5)「中央エリア」入口の「公園館」の前の小山、です。順に散策します。<集いの丘の道筋のチューリップと桜>「集いの丘」の手前の「花の広場」の桜とチューリップのコラボです。ここのチューリップ、まだ咲き始めだ(ちょっと残念!)集いの丘の道筋のチューリップは、ほぼ満開だ。いい時期に来たのだ!「集いの丘」のある「北エリア」から、短いトンネルを潜って「中央エリア」に向かいます。残念ながら、本日の天候は曇天、今年の「花行脚」は天候に祟られる。トンネルを抜けた所に咲いていたミモザの花です。♪~春はミモザの花も匂う~♪ですね、(※)上記の歌詞は、奈良光江の昭和25年のヒット曲、「赤い靴のタンゴ」の2番のラストに出てきます<「中央エリア」の「花の道」のチューリップ>おお、ここのチューリップは、まだ「5分咲き」くらいだ。今年の「馬見丘陵公園」には、約140種、60万球のチューリップの球根が植えられたようです。いつも花の種類を確認するのですが、今回の馬見では、以下の3種類しか確認出来ませんでした(トホホ!)<ピンクインプレッション><ペロナサンライズ><ペップトーク><花桃の丘>「乙女山古墳」と「下池」に挟まれた所に「花桃の丘」があります。ここには約50本ほどの「花桃」が植えられています。まだ整備されて間もないエリアなので、ネットで検索しても、殆んどヒットしないのですが、なかなか風情のあるエリアになってきたとリュウちゃんは思っているのです。「花桃の丘」の「花桃」、ほぼ「見頃」だ!「馬見丘陵公園」では、桜、チューリップ、花桃が同時に「見頃」になるのだ!<「一本松古墳」エリアのチューリップ>「花桃の丘」から、「一本松古墳エリア」に向かいます。このエリアのチューリップ、圧巻だ!少し以前には、ここのチューリップは、3番手のエリアだったが、本日観た限りでは、ここは公園の一番のチューリップ・エリアに昇格したようだ。<「カリヨンの丘」周辺のチューリップ>「一本松古墳」エリアから「カリヨンの丘」エリアに移動、「カリヨンの丘」の後ろ側に、10本ほどの「乙女椿」の並木を発見、もう、ほぼ終わりだが、まだ「乙女」の花も咲き残っていた。「カリヨンの丘」周辺のチューリップ、まだ「5分咲き」だ。ここには「ムスカリ」だけの花壇もある!「ナガレ山古墳」の前の休憩所で暫し一服。プファ~、「午後の紅茶」が旨い!ビールでなくて残念だが、「馬見の春」満喫だ!休憩所の周辺では、馬酔木、シャクナゲも開花していました。<「上池」のほとりのソメイヨシノ>「休憩所」から、帰路に着き、「上池」のほとりに向かいます。ここは馬見公園一番のお花見所、しかし、桜見物客は殆ど居ない!皆、チューリップ見物に行ったのかな?<ミツバツツジ>「公園館」の近くにある「ミツバツツジ」が見頃を迎えていました。薄紫色のミツバツツジ、何やらホッとする思いだ。<「公園館」の前の小山のチューリップ>公園館の前の小山のチューリップ、まだ殆んど「咲き始め」でした(ちょっと残念)下の写真の左側に、「ネモフィラ花壇」と思われるような一列がありますが、この一列も「まだ成長していないチューリップ花壇」なのです。馬見丘陵公園のチューリップの根本には、殆んど全て「ネモフィラ」が植えられています。ですから、チューリップが小さい時期は「ミニ・ネモフィラ花壇」、チューリップが成長すると、小さいネモフィラは隠れてしまい、「チューリップ花壇」になります。更にチューリップが終わり、茎が撤去されますと、成長したネモフィラ一色になり、「成長したネモフィラ花壇」に変身するのです。「馬見丘陵公園」のチューリップ花壇は、3度変身する!最後の「成長したネモフィラ花壇」も見事なのだ!<雲南地湧金蓮(うんなんちゅうきんれん)>本ブログのラストの写真は、中央エリアの「花の道」の一角にひっそりと咲いている「雲南地湧金蓮」です。この花、昨年秋に開花したのですが、4月まで咲き残っていたのですね。「雲南地湧金蓮」、「馬見丘陵公園」の隠れたシンボルフラワーなのだ!春に観ることが出来、ラッキーだ!
2024年04月18日
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3年連続の醍醐寺桜行脚、醍醐寺の桜、極めることが出来たのか?4月4日、今年の「桜行脚事始め」として、京都市の醍醐寺。宇治市の三室戸寺、平等院を歩いて来ました。醍醐寺は3年連続で行くことになりました。何故、3年連続、醍醐寺通いをしたかといいますと、2022年は、様子が分からず、観たのは「伽藍」のみで、「三宝院」「霊宝館」には入場しなかった。2023年には、醍醐寺」のシンボル桜である「霊宝館」の「醍醐深雪桜」、五重塔の前の巨大枝垂れ桜がほぼ「葉桜」で、醍醐寺桜見物として悔いを残した。2本のシンボル桜の満開の時期に行って見たい!という理由で、今年も醍醐寺に行って見ようと思ったのでした。朝8時30分、リュウちゃん一人で家から出発、公共交通を乗り継いで、午前10時に醍醐寺の「総門」の前に到着、残念ながら本日の天候は「曇天」だが、「総門」の前の枝垂れ桜、「総門」の中のソメイヨシノ、ほぼ満開だ!お目当ての2本のシンボル桜、まだ咲いているのだろうか?<「三宝院」の桜>チケットを購入して、先ずは「三宝院」に入ります。「三宝院」は、慶長3年(1598年)、豊臣秀吉が「醍醐の花見」を催した所です。院内の横手に、立派な枝垂れ桜があります。この枝垂れ桜は、秀吉に因んで「太閤しだれ桜」と呼ばれています。また、画家の奥村土牛(とぎゅう)が、この桜を描いたところから、別名「土牛の桜」とも呼ばれているようです。実物の「太閤しだれ桜」と「土牛の桜」、迫力は断然、実物が勝っている!?(奥村土牛「醍醐」)<「霊宝館」の桜>「三宝院」を出て、参道の向かい側にある「霊宝館」に向かいました。「霊宝館」の前のソメイヨシノのトンネル、まだ「七分咲き」くらいだ。「霊宝館」に入場します。「霊宝館」は枝垂れ桜の天国だ!さて、お目当ての「醍醐深雪桜」です。樹齢約200年以前は「京都随一の桜の巨木」だったが、樹勢の衰えと台風による枝の減少で、淋しいものになってしまった(残念!)<ソメイヨシノの巨木>「醍醐深雪桜」の手前に、殆んど枝が無く、太い幹だけが残った桜が一際目を惹きます。この桜は、樹齢100年と推定されるソメイヨシノの古木で、京都で一番古いソメイヨシノなのだそうです。「霊宝館」で一際目を惹くソメイヨシノの古木、名前は付けられていないようだが、貫禄十分!「霊宝館」の新たなシンボル桜なのだ!<仁王門(西大門)>「霊宝館」を出て、「仁王門」に向かいます。「仁王門」の前の桜、満開だ!仁王様もご満悦!<五重塔と桜のコラボ>「仁王門」から「伽藍」に入ります。「伽藍」の一番の見所は、五重塔と桜のコラボなのです。五重塔の前の「清瀧宮」の横手の枝垂れ桜、今年も花付きがイマイチだ。花びらが小さいせいなのか?それとも、樹勢が衰えたためなのか?改めて五重塔と桜のコラボ写真を撮りました。日本3大五重塔の一つ、醍醐寺五重塔と桜のコラボ、何処から撮っても壮観だ!<観音堂・弁天池の周りの桜>五重塔を後にして、「伽藍」の更に奥にある「観音堂・弁天池」に向かいました。おお、観音堂の周りの桜の満開だ!観音堂の脇にある「弁天池」の水面にも、少し「花筏」が浮んでいた。もう正午、お腹が空いた!で、「弁天池」の畔にある茶店で昼食を摂ろうと思ったのですが、生憎、満員、おそらく30~40分待ちでした。なので、醍醐寺のお花見はここで切り上げて、地下鉄「醍醐駅」に戻り、駅ビルの中にある和食店で昼食、プファ~、ビールが旨い!今年初めて食したタケノコ、春の香り満喫だ!<三室戸寺散策>地下鉄「醍醐駅」から帰路についたのですが、まだ時間は午後1時を過ぎたばかり、よし、「JR宇治駅」で途中下車して、三室戸寺と平等院に行ってみよう。三室戸寺、花の寺なのだが、桜はあるのかな?午後2時。三室戸寺の門前に到着、入場口の前に咲いていた赤い花、何という花なのだろう?山門を潜り、境内に入ります。アチャ~見渡した所、三室戸寺の庭園には、桜が3本しか無い!三室戸寺は、「桜の寺」では無かったのだ!本堂の横手にある「三重塔」の横手に、3本目の桜を観ることが出来ました。ここだけ観れば、三室戸寺は立派な「桜の寺」なのだ!?(※)2022年、三室戸寺は、250本の枝垂れ梅が咲く「枝垂れ梅園」を開園しました。これで三室戸寺は「梅の寺」の仲間入りを果たしたのです。(「三室戸寺」の枝垂れ梅園・この写真はネットからお借りしました)出来ることなら、枝垂れ梅園の上部辺りに、枝垂れ桜や河津桜を植えて、「桜の寺」になって欲しいとリュウちゃんは願っているのです。残念ながら、境内の桜は3本しか観ることが出来なかったのですが、さすがに京都を代表する「花の寺」とあって、この時期でも、様々な花を観ることが出来ました。以下、この日撮った花の写真を幾つかアップして見ます。(馬酔木)(雪柳)(ミツバツツジ)(木瓜)シャクナゲが開花していた!開花して間もないシャクナゲ、新鮮だ!三室戸寺を後にして、徒歩で「平等院」に向かいました。先ずは宇治橋の袂に建てられている「紫式部像」に挨拶、この石造は、紫式部の「源氏物語」の「宇治十帖」が宇治を舞台にしていることを記念して、2003年に地元のライオンズクラブによって建立されたようです。また、宇治川の川向うには、「宇治十帖」をテーマとした「源氏物語ミュージアム」(1998年開館)があります。この2つのモニュメントを見ますと、「紫式部は晩年、宇治で暮らし、ここで宇治十帖を執筆した」と錯覚してしまうのですが、史実では、晩年の紫式部は謎に包まれていて、何処で暮らしていたのか、何時亡くなったのかは全く不明なのだそうです。また<「宇治十帖」は紫式部の作ではない>という説も根強くあります。今年のNHK大河ドラマ「光る君へ」は、紫式部が主人公ですが、謎に包まれた晩年をどう描くのか? 今から興味津々なのです。<平等院>「平等院」に入ります。「平等院」の境内の桜の本数は少ないのですが、「鳳凰堂」の前の「阿字池」(あじいけ)の畔に何本かの桜を観ることが出来ます。「鳳凰堂」と「阿字池」と桜のコラボ、なかなか素敵なのだ!「鳳凰堂」の裏手にある「鳳翔館」(ほうしょうかん・歴史ミュージアム)の入口に、巨大な赤い花がさいていました。この花、多分、木瓜(ぼけ)の花、こんな巨大な木瓜の花、これまで見たことが無い!こりゃ、唯の木瓜ではなく、「大ボケ(木瓜)」だ!この「大ボケ」、平等院の隠れたシンボルフラワーだ!午後4時、「平等院」を後にして、帰路につきました。「平等院」参道の茶店で、「濃い抹茶ソフトクリーム」を注文し、暫し「おやつタイム」休憩、プファ~、「濃い抹茶ソフト」が旨い!梅の「月ヶ瀬」では「梅ソフト」、お茶の名産地・宇治では「抹茶ソフト」なのだ!
2024年04月11日
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約400万年前、「古琵琶湖」の湖底にあった「月ヶ瀬梅渓」、今年も満開の梅に出遭うことが出来た!3月7日、女房殿の運転する車の助手席に乗って、「月ヶ瀬梅渓」に行ってきました(昨年は3月15日にリュウちゃん一人でバスに乗ってお出掛けしたのですが、今年は暖冬のため、梅の開花が例年よりも、かなり早かったため、昨年よりも一週間早くお出掛けしたという次第です)午前9時、家を出発、有料道路である「西名阪自動車道」、一般道路である「名阪国道」を経て、「五月橋インターチェンジ」から「月ヶ瀬エリア」に入り、午前10時過ぎ、月ヶ瀬尾山の「名勝月ヶ瀬梅林」の「碑」の手前にある駐車場に到着、公共交通で行けば、リュウちゃんの家から月ヶ瀬までは2時間超、車では約70分、公共交通の約半分の時間で月ヶ瀬に着くのだ!上掲の写真の「碑」の後ろにあるのが、「小谷商店」です。小谷商店の裏庭の枝垂れ梅(呉羽枝垂れ)月ヶ瀬梅渓(梅林)の最初の見所なのだ!天候も上々、期待に胸が膨らむ!「小谷商店」の前から、急な坂道を登り、「上の梅林」に向かいます。急坂の途中に、2つの「盆梅店」があります。この2つの盆梅店、「上の梅林」の最初の「見所」なのだ!ここには、梅と同時に、蝋梅も見ることが出来る!2つ目の「盆梅店」には、「長浜盆梅展」に出品出来るような立派な盆梅が販売されています。ある盆梅には、「30万円」という値段が付けられていました。盆梅愛好家にとっては、30万円は決して高くないのかな?立派な盆梅の中に、一本の梅の木に紅白2色の花を付ける「思いのまま」の盆梅が販売されていました。「思いのまま」の盆梅、リュウちゃんも興味津々!この盆梅、値段は幾らだったのだろうか?<猿まわしのイベント>盆梅店の近くの空き地で、「猿まわし」のイベントが開催されていましたので、暫しの休息を兼ねて「猿まわし」を楽しみました。若い女性と一匹のお猿さんの大道芸、リュウちゃん大感激!チップに千円あげてしまった。<月ヶ瀬梅林発祥の地「真福寺」の梅>「猿回し」の行われていた「広場」のすぐ横に、「月ヶ瀬梅林発祥の地」とされる「真福寺」があります。「月ヶ瀬梅渓」の「上の梅林」は、ここがスタート地点、<「真福寺」について>平安時代末期の治承2年(1178年)に創建、1205年に真福寺の鎮守として「天神社」を祀った折に、菅原道真が好んだ梅の木を植えたのが「月ヶ瀬梅林」の始まりとされている。「梅林」が大きくなったのは、元弘3年(1331年)、後醍醐天皇が笠置山かた撤退する際、何人かの女官が難を逃れ、「月ヶ瀬」の地に留まり、女官の一人であった「姫若」が村人に助けられたことを感謝して、この地に梅の木を植え、その熟れた実を用いて「口紅」を作ることを村人に教えた。また、「青梅」を乾かして燻製にした「墨梅」を用いて、「烏梅」(うばい、紅染めの媒染剤)を作り、京都に売りに行って村に富をもたらした。室町時代には、「烏梅」用の梅林が拡がり、江戸時代には、10万本の梅の木が植えられていたようだ。近代に入ると、「染め」の原料が化学物質にとって代わられ、梅林は衰退し、現代では全盛時の1/10、約1万本数千本の食用梅の梅林となっている。「真福寺」の境内には、女官の「梅若」が植えたとされる「梅若の梅」(樹齢約800年)が今も花を咲かしている。境内に入ります。真福寺境内の梅、まだ「五分咲き」くらいだ。樹齢800年の「姫若の梅」、今年も元気だ!<「一目八景」の「みはらし茶屋」>「真福寺」から30mほど山道を降りますと、そこは「月ヶ瀬梅渓」の一番のビュースポットである「みはらし茶屋」があります。ここの展望所からの眺めは「一目八景」と呼ばれています。約100mの眼下に流れる五月川、渓谷を囲む雄大な山並みと梅のコラボ、ほぼ毎年観る光景だが、何度観ても飽きることが無い絶景だ!五月川を見下ろす茶店で、「伊賀牛すき焼き定食」とビール(中瓶)2本を注文し、昼食、プファ~、ビールが旨い!五月川の向こう側は、伊賀牛の産地、三重県伊賀市だ。奈良の月ヶ瀬で三重の伊賀牛を喰らう、ちょっと乙な気分だ!<品種園>伊賀牛を食べた茶店から10分位、山道を辿りますと、月ヶ瀬の上の梅林の見所の一つである「品種園」に着きます。「品種園」の入口で、「呉羽枝垂れ」がお出迎え、例によりまして、この日撮影出来た品種を幾つか紹介します。<雲龍梅><玉垣枝垂れ><滄溟(そうめい)の月><未開紅><八重緑萼枝垂れ><甲州最小><玉光><難波枝垂れ><三段の丘>「品種園」の横手に、下の写真のような「三段の丘」があります。「三段の丘」に登ります。丘の二段目の道沿いに、10本ほどの「蝋梅」が植えてあります。やはり「月ヶ瀬」は、奈良県屈指の蝋梅の名所なのだ!丘の頂上に登りました。丘の頂上から見下すダイナミックな景観、「月ヶ瀬」の「見所」の一つなのだ!<天神梅林>「三段丘」の向こう側に、本日の最終目的地の「天神梅林」があります。「天神梅林」は、月ヶ瀬の「上の梅林」でも、最も標高の高い場所にあり、一番遅くまで畝の花の咲いている梅林です。名称の由来は、この梅林の一角に、「真福寺」から移転された「天神社」がある為のようです。リュウちゃんの大好きな「天神梅林」、まだ梅の花は「5分咲き」程度だ。「天神梅林」の頂上にある土産物店から折り返し、帰路につきます。下の写真は、帰路の山道から「天神梅林」を見下ろしたものです。一目八景、品種園、天神梅林、やはり「月ヶ瀬」は日本一の梅の名勝地なのだ!毎年、帰路の道筋に咲いている一本の蝋梅、今年も観ることが出来た!天神社の近くの売店で、「梅ソフトクリーム」を買って、暫し休息、プファ~、梅ソフトクリームが旨い!普段はビール党のリュウちゃん、間食はソフトクリーム党なのだ(笑)
2024年04月01日
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